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神奈川中央交通では、平成22年3月31日でバス共通カード (バスカード) の販売を終了、7月31日でバス共通カードの使用そのものも終了させる。 5000円分を買うと5850円使える!このお得感から、愛用者が多かった。関東一円に広まった 「バスカード」 だが、1988年に全国に先駆けて導入したのが神奈川中央交通。850円のプレミアムも神奈中が考えた基準、まさに 「バスカードの本家」 とも言える。パスモ・スイカ (ICカード) の普及に伴う、時代の流れとも言えようか。神奈中だけでなく、関東の各バス会社もバスカードの取り扱いを廃止していく見込みのようだ。バスカードからパスモ、またはスイカへ切り替えさて、両親から、バスカード廃止の対応について相談を受けた。これが大阪在住時代なら、「スタシアサイカ:池田銀行のピタパ付きカード」で決まり!なのだが、何しろ相模原市に住んでいるから、「まずは、スイカにするか、パスモにするか」 を考えることになる。 両親は、小田急の使用頻度が高い。それならパスモ、ということになる。パスモオートチャージサービスでポイントが貯まる 「OPクレジットカード」 というものがあるが、それについては保留となった。新たにクレジットカードを持つこと自体煩雑で、ポイントが貯まっても「使う店が身近にない」等の問題もあったから。バス利用特典サービス~使用頻度が少ないとお得感は少ないバスカードが、「5000円分を買うと5850円付いてくる」というお得な金券だった訳だが、パスモ・スイカでも似たような特典サービスがある。利用額に応じて 「バスチケット」 が付与され、次回乗車時にチケットが差し引かれることによって 「差額のみ料金が落ちる」 という訳だ。ただし、1か月間(毎月1日~末日)に一定の使用頻度がないと、これまでの「お得」が得られない面もある。毎日、通勤で使うならともかく、数ヶ月かけて5000円を使い切る人にとっては、付与率が落ちる訳だ。そう考えると、実質値上げの側面もある。ただ、5000円が5850円分使えるという 「高利率」 については、バスカード発足当初の時代性 (1988年~) を考慮すると、一部見直しもやむを得ない?という考え方もできようか。参考~ICカードを複数所持すると、誤作動防止の必要も?交通系非接触ICカードの読み取りエラー防止に最適。コクヨ ナフ- ICカードセパレーター 両面パ...2枚のICカード乗車券(スイカ、パスモ等)をケースに入れたまま使い分け枚数超過・改札エラー防止...
2010.01.31
私にとって、「監督」 といえばマイケル・ムーア氏、「教授」 といえば虎エコノミスト国定浩一氏、そして 「せんせい」 といえば香山リカ女史、という傾向になりつつある。全く違ったジャンルで活躍している方々だが、よく考えてみると 「いずれも、敗者の立場に立った」 見方をしていることは確かだ。マイケル・ムーア監督は、アメリカ社会の病理を底辺の側から告発しているし、国定教授は、タイガースを応援する意義を 「敗北から人生は始まる!」 と説いている。リカ先生は、それこそ精神科医として 「人生に敗れた」 人々の治療にあたる立場から発言する。勝ち組、負け組という二極分化が鮮明となる中で、負け組に転落する恐怖から、敗者に対する侮蔑のようなものを、人々が無意識のうちに感じている訳だ。そこから来る 「勝ち馬に乗りたい願望」 「人間の狭量化」 が、人間を 「何かにしがみつかせる」 訳で、社会にあらゆるひずみをもたらす。だからこそ、敗者を受け入れ、許容し、敗者の立場に立って発言する人を応援したくなる訳だ。リカ先生にとって、勝間さんは「いじり甲斐があるんだろうなあ」と苦笑「しがみつかない生き方」で、最も話題になったのは、「勝間和代を目指さない」という頁であったようだ。私は勝間さんの本を読んだことがない。「世界がもっとも注目すべき女性50人・・・」 等の自己PRを見て、「そんな偉い人の本を読んでも自分には関係ない」 と思い込んでいた。「結局、女はキレイが勝ち!」と言われても、さらにさらに自分には関係ないなと思う訳である。勝間和代を目指さないどころか、初めから目指す気にもなれない、と思う私は重症なのか、軽症なのか?それより、リカ先生が勝間和代さんを 「いじる」 様子に、何とも興味本位的な感情を抱いてしまうところに、自分の 「人の悪さ」 を意識してしまった。ちなみに、私は「ブログでは自虐ネタ」を多用する方だと思っている。そう断っておかないと、真に受けられてしまうのが現状のようだ。とにかく、謙遜という態度が裏目に出るほど「みんな自慢話に必死」なのだ。救いを求めるのもNGリカ先生のツッコミが絶妙見直す価値アリ?「なにわ節だよ人生は」「自慢競争をやめる」 「物事の曖昧さやムダを楽しむ」 「他人の弱さを受け入れる」 というリカ先生の持論は、言葉を直すと「誠実一番、寡黙なら、なおよろしい」 「気っ風がいい」 「任侠、判官贔屓」 ・・・とても英訳不能の古くさい美徳に通じる。先生は、そんなつもりで書いたのではないかも知れないが、私はなぜか 「なにわ節的なもの」 を感じてしまった。 私は 「家族・親戚・近所付き合い、自分の手の届く範囲から、お節介をやき、義理を絶やさないでおく」 ということを、一昔前よりも意識するようになっている。人間臭いコテコテ人生観が、なぜか光り輝いて見えてくるのも、殺伐?とした時代故であろうか。→メンタルヘルスマネジメント検定のコーナーやってます。参考までに・・
2010.01.24
1月13日の新聞朝刊「読者:声の欄」に、久々目に留まる投稿があった。お題は、「批判は簡単 参画・提言型になろう」というものだ。確かに・・・新聞の投稿欄は、業者へのクレームや、もの申す式の苦情のたぐいが実に多い。思わず 「だから?」 と逆に問いたくなることもある。「だから、どうすればいいのですか?」と。例えば、後期高齢者医療制度は廃止せよ、という批判は数多い。「それでは、廃止した後は各自でしのいで下さいね」ということだろうか。それは違う、とみんなが言うだろう。ところが、 「こういう制度がマシだと思うので、そっちに変えた方がいいと思います」 というたぐいの意見を、私は見たことがない。 社会構造が成熟し、パイの分け前が少なくなっている以上、バラ色のようなお話は簡単に出て来ないのは明らかだ。しかしながら、誰かが苦し紛れに素案なるものを示したとして、待ってましたと叩く人しかいないのでは、バカバカしくなって誰も考えることをやめてしまう。投稿欄の辛辣な 「批判」 を見るたび、こうした閉塞感を強く感じてはいた。 職場の提案制度~単なる不平・不満を述べるだけだと却下職場に 「提案制度」 なるものがあり、問題点を改善するための提案を考える、ということを私もやっている。上司からは常に、改善策の具体例を必ず挙げること、という注意が出る。現場で起きる問題点・不満は確かに 「上」 への批判めいた言動につながる訳だが、いざ 「たたき台」 をこしらえるとなると、それが 「他人の批評・批判」 の的になることを覚悟せねばならない。「批判はしたいが、批判の矢面には立ちたくない」 という、卑怯な態度を悔い改めるところから始めなければならない。これは、言うは易いが、けっこう難しいものだ。結局のところ、先の投稿者がおっしゃるように、「参画・提言型」 に気持ちを切り替え、クリエイティブな発想を尊重する職場文化をみんなで作っていかねばならない訳だ。まずは自分の手の届くところから取り組むべし・・・か。
2010.01.17
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