F&Bハーレクインパラレル二次創作小説:Rewrite The Stars 6
薄桜鬼 昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説:羅刹の檻 10
黒執事 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧の騎士 2
天上の愛 地上の恋 転生現代パラレル二次創作小説:祝福の華 9
黒執事 転生パラレル二次創作小説:あなたに出会わなければ 5
YOI火宵の月パロ二次創作小説:蒼き月は真紅の太陽の愛を乞う 2
薄桜鬼 現代ハーレクインパラレル二次創作小説:甘い恋の魔法 7
火宵の月 転生オメガバースパラレル 二次創作小説:その花の名は 10
薄桜鬼異民族ファンタジー風パラレル二次創作小説:贄の花嫁 12
薄桜鬼ハリポタパラレル二次創作小説:その愛は、魔法にも似て 5
天上の愛地上の恋 大河転生パラレル二次創作小説:愛別離苦 0
火宵の月 BLOOD+パラレル二次創作小説:炎の月の子守唄 1
PEACEMAKER鐵 韓流時代劇風パラレル二次創作小説:蒼い華 14
黒執事 異民族ファンタジーパラレル二次創作小説:海の花嫁 1
火宵の月 韓流時代劇ファンタジーパラレル 二次創作小説:華夜 18
火宵の月×呪術廻戦 クロスオーバーパラレル二次創作小説:踊 1
薔薇王韓流時代劇パラレル 二次創作小説:白い華、紅い月 10
薄桜鬼 ハーレクイン風昼ドラパラレル 二次小説:紫の瞳の人魚姫 20
天上の愛地上の恋 転生昼ドラパラレル二次創作小説:アイタイノエンド 6
鬼滅の刃×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:麗しき華 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:鳳凰の系譜 1
薄桜鬼腐向け西洋風ファンタジーパラレル二次創作小説:瓦礫の聖母 13
コナン×薄桜鬼クロスオーバー二次創作小説:土方さんと安室さん 6
薄桜鬼×火宵の月 平安パラレルクロスオーバー二次創作小説:火喰鳥 7
天上の愛地上の恋 転生オメガバースパラレル二次創作小説:囚われの愛 8
天上の愛地上の恋 昼ドラ風時代パラレル二次創作小説:綾なして咲く華 2
ツイステ×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:闇の鏡と陰陽師 4
天愛×腐滅の刃クロスオーバーパラレル二次創作小説:夢幻の果て~soranji~ 0
ハリポタ×天上の愛地上の恋 クロスオーバー二次創作小説:光と闇の邂逅 2
魔道祖師×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想うは、あなたひとり 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:月の国、炎の国 1
天愛×火宵の月 異民族クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼と翠の邂逅 0
陰陽師×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:君は僕に似ている 3
黒執事×ツイステ 現代パラレルクロスオーバー二次創作小説:戀セヨ人魚 2
黒執事×薔薇王中世パラレルクロスオーバー二次創作小説:薔薇と駒鳥 27
薄桜鬼×刀剣乱舞 腐向けクロスオーバー二次創作小説:輪廻の砂時計 9
火宵の月×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想いを繋ぐ紅玉 54
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生パラレル二次創作小説:最愛~僕を見つけて~ 1
バチ官腐向け時代物パラレル二次創作小説:運命の花嫁~Famme Fatale~ 6
FLESH&BLOOD×黒執事 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧の器 1
腐滅の刃 平安風ファンタジーパラレル二次創作小説:鬼の花嫁~紅ノ絲~ 1
天愛×薄桜鬼×火宵の月 吸血鬼クロスオーバ―パラレル二次創作小説:金と黒 4
黒執事×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:悪魔と陰陽師 1
火宵の月 戦国風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:泥中に咲く 1
火宵の月 地獄先生ぬ~べ~パラレル二次創作小説:誰かの心臓になれたなら 2
PEACEMAKER鐵 ファンタジーパラレル二次創作小説:勿忘草が咲く丘で 9
FLESH&BLOOD ハーレクイン風パラレル二次創作小説:翠の瞳に恋して 20
火宵の月 異世界ファンタジーロマンスパラレル二次創作小説:月下の恋人達 1
天上の愛地上の恋 現代転生パラレル二次創作小説:愛唄〜君に伝えたいこと〜 1
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ風パラレル二次創作小説:黒髪の天使~約束~ 2
火宵の月 異世界軍事風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:奈落の花 2
天上の愛 地上の恋 転生昼ドラ寄宿学校パラレル二次創作小説:天使の箱庭 5
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ転生パラレル二次創作小説:何度生まれ変わっても… 0
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生遊郭パラレル二次創作小説:蜜愛~ふたつの唇~ 0
天上の愛地上の恋 帝国昼ドラ転生パラレル二次創作小説:蒼穹の王 翠の天使 1
名探偵コナン腐向け火宵の月パラレル二次創作小説:蒼き焔~運命の恋~ 1
FLESH&BLOOD ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の花嫁と金髪の悪魔 6
火宵の月 和風ファンタジーパラレル二次創作小説:紅の花嫁~妖狐異譚~ 3
天上の愛地上の恋 昼ドラ風パラレル二次創作小説:愛の炎~愛し君へ・・~ 1
黒執事 昼ドラ風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:君の神様になりたい 4
火宵の月 昼ドラハーレクイン風ファンタジーパラレル二次創作小説:夢の華 0
薄桜鬼腐向け転生刑事パラレル二次創作小説 :警視庁の姫!!~螺旋の輪廻~ 15
FLESH&BLOOD ハーレクイロマンスパラレル二次創作小説:愛の炎に抱かれて 10
PEACEMAKER鐵 オメガバースパラレル二次創作小説:愛しい人へ、ありがとう 8
天愛×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:翼がなくてもーvestigeー 2
薄桜鬼腐向け転生愛憎劇パラレル二次創作小説:鬼哭琴抄(きこくきんしょう) 10
薄桜鬼×天上の愛地上の恋 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:玉響の夢 5
黒執事×天上の愛地上の恋 吸血鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼に沈む 0
天愛×F&B 昼ドラ転生ハーレクインクロスオーパラレル二次創作小説:獅子と不死鳥 1
天上の愛地上の恋 現代転生ハーレクイン風パラレル二次創作小説:最高の片想い 4
バチ官×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:二人の天使 3
FLESH&BLOOD 現代転生パラレル二次創作小説:◇マリーゴールドに恋して◇ 2
YOI×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:皇帝の愛しき真珠 6
火宵の月×刀剣乱舞転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:たゆたえども沈まず 2
薔薇王の葬列×天上の愛地上の恋クロスオーバーパラレル二次創作小説:黒衣の聖母 3
火宵の月×薄桜鬼 和風ファンタジークロスオーバーパラレル二次創作小説:百合と鳳凰 2
薄桜鬼×天官賜福×火宵の月 旅館昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:炎の宿 2
薄桜鬼×火宵の月 遊郭転生昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:不死鳥の花嫁 1
天愛×火宵の月陰陽師クロスオーバパラレル二次創作小説:雪月花~また、あの場所で~ 0
薄桜鬼×天上の愛地上の恋腐向け昼ドラクロスオーバー二次創作小説:元皇子の仕立屋 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧き竜と炎の姫君~愛の果て~ 1
F&B×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:海賊と陰陽師~嵐の果て~ 1
F&B×天愛 昼ドラハーレクインクロスオーバ―パラレル二次創作小説:金糸雀と獅子 1
天愛 異世界ハーレクイン転生ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の巫女 氷の皇子 0
相棒×名探偵コナン×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:名探偵と陰陽師 1
F&B×天愛吸血鬼ハーレクインクロスオーバーパラレル二次創作小説:白銀の夜明け 0
名探偵コナン×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧に融ける 0
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1881年5月10日、ルドルフはベルギー王女・シュティファニーと華燭の典を挙げた。 ベルギーからやって来た皇太子妃をウィーン宮廷は、表向きは歓迎していたが、それはシュティファニー王女を気に入っている皇帝の手前、そうするしか他になかったからであった。 二人の結婚を喜んでいるのはフランツ=カール=ヨーゼフ帝だけで、彼の妻である皇妃エリザベートは頑として二人の結婚を反対し、二人の次女であるジゼルも、そしてエリザベートに溺愛されて育った三女のマリア=ヴァレリーも、新たに家族の一員となる幼い王女に対して冷たい視線を向けていた。 だがその視線に気づくこともせず、シュティファニー王女は、父・レオポルド2世と腕を組み、ヴァージン・ロードを歩むと、祭壇の前で夫となるルドルフと並んで立った。薄化粧を施され、豪華な花嫁衣装に身を包んでいたシュティファニーは、時折ルドルフの方を見ては嬉しそうに笑っていたが、ルドルフは彼女に微笑む事さえしなかった。 神の下で誓いを交わした皇太子夫妻は、ホーフブルク宮殿で自分達の結婚を祝う夜会に出席した。そこには各国の王族達や貴族達、そして日本の華族達が出席し、オーストリアの皇太子夫妻の人生の門出を祝っていた。『ルドルフ、とうとう人生の墓場に入っちまったな、ご愁傷様。』『大公、それは嫌味か?』ヨハンとそんな話をルドルフがしていると、大広間の入り口が一瞬ざわめいた。二人が入り口の方を見ると、そこには鮮やかな真紅の振袖を着た環が彼らの方に向かってやって来るところだった。『ルドルフ様、本日はご成婚おめでとうございます。』環がそう言ってルドルフに挨拶すると、彼は一瞬その美しさに見惚れ、言葉を失った。『ルドルフ様、どうされましたか?』『いや、お前が余りにも美しいから見惚れてしまった。』『まぁ、相変わらずお世辞がお上手ですこと。わたしに見惚れていらっしゃるなんて、皇太子妃様に悪いとは思いませんか?』環は背後にシュティファニー王女の視線を感じながらルドルフにそんな事を言うと、彼は環の言葉を鼻で笑った。『こんなつまらない事で妬くシュティファニーではないよ。』『まぁ、それは良かったこと。』『それにしても、何故今夜はキモノを着ているんだ?』『こういったお席では、未婚の娘は振袖を着るのが我が国のしきたりなのです。柄が少し派手過ぎましたか?』『いや、お前の黒髪の美しさが際立って良く似合っている。』『有難うございます。』『あの方は、どなた?』 ヨハン大公の隣で夫となったルドルフと話をしている振り袖姿の少女を指し、シュティファニーは傍に控えている女官にそう尋ねると、彼女は一瞬躊躇った後、シュティファニーにこう言った。『あれはタマキ様といって、皇太子様付の女官です。皇太子様とはよく親しくされていらっしゃるとか。』『そう・・』シュティファニーはそう言うと、再度少女の方を見た。彼女の隣に立っている夫は、始終リラックスした表情を浮かべている。少女が一介の皇太子付の女官ではないことくらい、恋愛に疎いシュティファニーでも解った。そして、夫が自分ではなくあの少女の事を本当に愛していることに、シュティファニーは気づいた。 夜会に出席した皇太子夫妻は、ホーフブルク宮殿から、馬車でラクセンブルク宮殿へと向かった。そこで初めて、彼らは夫婦二人だけの夜を過ごすことになっていた。 だが、新婚でありながらルドルフとシュティファニーの間に漂う気まずい空気は、シュティファニーが先に寝室に入った後も変わりはしなかった。『皇太子妃様、皇太子様がお見えです。』 寝室に入ったルドルフが自分に向ける眼差しは、氷のように冷たかった。『皇太子様?』緊張の所為で声が上ずり、彼の視線の冷たさにシュティファニーは恐怖で震えた。にほんブログ村
2015年12月15日
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『これから、ご結婚の準備が忙しくてこうして二人で会える日が少なくなりますね。』『ああ。』環の言葉を彼の膝の上で聞きながら、ルドルフはそう言うと彼の脇腹を擽(くすぐ)った。『やめてください、もうっ』『別にいいだろう?』『こんな所をシュティファニー王女様に見られたら・・』『別に見られてもいいさ。彼女との結婚は形だけだから。』『しょうがない方ですね、貴方は。』ルドルフを呆れ顔で見ながら、環はそう言って苦笑して彼の唇を塞いだ。『珍しいな、もしかして婚約者に嫉妬しているのか?』『そうではありません。』『皇太子様、失礼致します。』 エルンストがルドルフの執務室に入り、ソファの上で寛いでいる主の姿を見てエルンストは慌てて執務室から出て行こうとした。『エルンスト、わたし達に遠慮しなくてもいいぞ。』『別に、遠慮などしていません。』エルンストはそうルドルフに言い訳をしながらも、顔を羞恥で赤く染めて俯いていた。『結婚前に少し羽目を外してもいいだろう。』『皇太子様は羽目を外し過ぎです。ご婚約されても娼館通いはおやめにならないし、相変わらず新聞には過激な論文を発表されて皇帝陛下から睨まれて・・』『エルンスト、お前もゲオルグに似て口うるさくなってきたな。』『そうですか?』『まぁ、いい。結婚後もお前と長い付き合いになることになるからな。』ルドルフの言葉に首を傾げたエルンストは、彼に頼まれていた書類を手渡した。『ヨハン大公様は、このご結婚に何とおっしゃっておられるのですか?』『わたしが性急に結婚を決めたものだから、呆れているよ。今朝はわたしに後悔しても知らないぞと、憎まれ口を叩いて来た。』『ヨハン大公様らしいですね。』環がそう言って笑うと、ルドルフは再び彼の脇腹を擽った。『皇太子様、今のは見なかったことに致します。ですから、余り羽目をお外しにならないようにしてくださいね。』 エルンストはそう言って溜息を吐き、ルドルフの執務室から出て行った。『ただいま。』『お帰りなさい、貴方。』 彼が帰宅して居間に入ると、そこには悪阻が酷くて入院している筈の妻の姿があった。『エリザベス、入院している筈じゃなかったんじゃないのかい?』『点滴をお医者様に打っていただいたら、良くなったわ。色々と心配を掛けてしまって御免なさい、貴方。』エリザベスがそう言って夫を見ると、彼は少し疲れたような顔をしていた。『どうなさったの、何か王宮であったの?』『別に。ただ、皇太子様が・・』『今更あの二人の関係にわたし達が口出ししても、どうすることも出来ないのは、貴方だって解っているでしょう?』『そうだね、君の言う通りだ。』 エルンストは妻を抱き締めると、彼女も自分の背に腕を回した。『それにしても、あの皇太子様がご結婚されるなんて未だに信じられないわ。』『もしかして君も、皇太子様がご婚約されたというニュースを聞いて自棄酒を呷ろうとしたくちかい?』『わたしは妊娠しているのよ、そんな馬鹿な事はしないわ。それに、わたしには貴方という素敵な伴侶が居るもの。』『あぁ、そうだったね。』『もう、恥ずかしい事を言わせないでよ。』『御免、御免。』 妻のブロンドの髪を優しく梳きながら、エルンストは彼女と結婚して良かったと、改めて思った。にほんブログ村
2015年12月15日
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『ルドルフ様、この度はご婚約おめでとうございます。』『有難う。エルンスト、パールとアーサーは元気にしているか?』『ええ。パールはアーサーに対してはじめは焼きもちを焼いていましたが、最近ではすっかりお姉ちゃんぶりに板がついてきました。アーサーも、いつもパールにべったりで、二人はいつも一緒です。』『姉弟の仲が良いのは良い事だ。エリザベスがまた体調を崩していると、タマキから聞いたが・・』『彼女は悪阻が酷くて、今入院しています。まさか三人目が授かるなんて、わたしも妻も思っておりませんでした。』 エルンストはそう言って照れくさそうに笑うと、俯いた。『夫婦仲が良いな、お前達は。ゲオルグはどうしている?』『ゲオルグ兄上は、渡米して向こうで事業を立ち上げるそうです。今は上の兄と事業計画を練っています。結婚は当分先になると、ゲオルグ兄上は申しておりました。』『そうか。』 ルドルフはエルンストの話を聞きながら、ベルギーで一度しか会ったことがない王女と結婚するという実感が少しも湧かなかった。 そして彼は、久しぶりにウィーンへ戻って来た母と短い言葉を交わした時の事を思い出した。『ルドルフ、本当にあの子と結婚するつもりなの?』『はい、母上。これはもう決まった事です。』『貴方は結婚を急ぎ過ぎているわ。もう少し慎重になって・・』『母上、わたしは義務を果たします。』 ルドルフがそう言うと、頑なに結婚に反対していたエリザベートは渋々と彼の結婚を承諾した。『ベルギーのシュティファニー王女様は、どのような方なのですか?』『美人ではないが、性格は良さそうな娘だった。ただ、母上からは散々反対されたが。』『シャルロッテ様との事がありましたからね。皇妃様は、ベルギー王家がお嫌いですから・・』『エルンスト、お前が言いたいことは解っている。だから、早くエリザベスの元へ行ってやれ。』『はい、ではこれで失礼いたします。』 エルンストが部屋から出て行くのを見送ったルドルフは、深い溜息を吐きながら鍵がかかった引き出しを開け、その中からシュティファニー王女に関する書類を取り出してそれに目を通した。 彼女は叔母のシャルロッテと同様、ベルギー王女としての身分に誇りを持ち、宮廷で贅沢な暮らしを送るのは当然と考えているような性格の持ち主だった。 自由主義にかぶれ、身分など関係なく広い人脈を持つルドルフとは対照的に、シュティファニー王女にとって平民は使用人と同じようなものだと思っている。 彼女とラーケン宮で会い、話をした時から、この結婚は失敗するだろうとルドルフは確信していた。だからといって、この結婚を今更取り止める訳にはいかなかった。この結婚は形だけのものだ。(結婚は人生の墓場か・・その墓場に自ら足を突っ込むのだから、わたしは大公の目にはさぞや間抜けな男に見えることだろうよ。)父親を黙らせ、納得させるためには、ベルギー王女との結婚が相応しい―そうルドルフは判断し、シュティファニー王女と婚約した。案の定、シュティファニー王女との婚約を、フランツは喜んでくれた。母は、自分達の結婚に一生反対し続けることだろう。それでもいいと、ルドルフは思っている。彼女は父に見合いの席で見初められ、ウィーン宮廷に入った。もし父が選んだのが母ではなく、彼女の姉であるヘレーネだったのなら、自分は生まれていなかっただろう。 運命の女神は、時に無邪気に、時に残酷な悪戯を仕掛けるものなのだから。『ルドルフ様、タマキです。』『入れ。』 ルドルフは書類を引き出しにしまい、鍵を掛け、環を執務室に招き入れた。にほんブログ村
2015年12月15日
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『お見合い?』『あぁ。今朝父上から、皇太子としての義務を果たせと言われた。』スイス宮にあるルドルフの部屋に呼び出された環は、彼の口から近々花嫁候補である王女に会いに、ベルギーへ行くことを告げられた。『そうですか。』『心配するな。結婚など形だけだ。』見合いの話を聞いて環が沈んだ表情を浮かべている事に気づいたルドルフがそう言って彼にキスをしようとすると、彼はそれを拒んだ。『その王女様とは、どのようなお方なのですか?』『あのシャルロッテ叔母様の姪にあたるらしい。母上はシャルロッテ叔母様を大層嫌っておいでだったから、わたしの結婚には頑として反対しているそうだ。』『皇妃様が?』『まぁ、父上に見初められ、慣れない宮廷に入った母上からしてみれば、息子のわたしに同じ轍を踏ませたくないのだろう。』ルドルフはそう言って溜息を吐くと、少し冷めたコーヒーを飲んだ。『シャルロッテ様とは、どのような方だったのですか?』『あぁ、お前がシャルロッテ叔母様の事を知らないのは無理ないか。父上の弟―わたしからすれば叔父のマクシミリアンは、フランス皇帝の後押しでメキシコ皇帝となったのだが、実際はフランス皇帝の操り人形だった。その上、孤立無援となったマクシミリアン叔父上は銃殺刑に処された。』『そのような事があったのですね。それで、そのシャルロッテ様は今どちらに?』『夫がメキシコで銃殺刑に処された後、シャルロッテ叔母様は正気を失って自分は未だにメキシコ皇后で、夫の帰りを律儀に待っているよ。まぁ、シャルロッテ叔母様が正気に戻ったとしても、実の弟を見殺しにした恨み言を父上に吐いていただろう。』『皇妃様と、シャルロッテ様の関係は悪かったのですか?』『ああ。シャルロッテ叔母様は、ベルギー王女という己の身分に誇りを持っていたし、山のように高い自尊心の源はそこから来ていた。それなのに、バイエルンの傍系王家出身である母上がオーストリア皇后という地位に居て、自分だけが格下の大公妃という地位に居るのが我慢ならなかった。あの気難しい母上は、義妹であるシャルロッテ叔母様を毛嫌いしていた。』 ルドルフの口から語られる皇帝夫妻とその弟夫婦との間にあった確執を静かに聞きながら、環は王家の家系図の複雑さに少し頭が混乱してきた。『シャルロッテ様の姪御様という方が、ルドルフ様とお見合い為さるお方なのですね。』『シャルロッテ叔母様の兄にあたるレオポルド2世には、三人の王女達が居てな。その上に一人の王子が居たが、不幸な事故で死んでしまったと聞いている。』『そうですか・・その方の他に、花嫁候補となられる姫君様はいらっしゃられるのですか?』『ザクゼン王女のマティルデが居る。彼女は絵画に造詣が深く、慈善活動に熱心らしい。百聞は一見に如(し)かずというし、結婚相手は慎重に選ぶつもりだ。』ルドルフは一旦そう言葉を切ると、環の顎を軽く掴んで彼の唇を塞いだ。『わたしは結婚しても、お前を離すつもりはない。それだけは憶えておけ。』『はい・・』『暫く会えないが、わたしが帰って来るまで我慢しろよ。』ルドルフの言葉に赤面した環の姿を見て彼はクスクス笑いながら、閣議へと向かった。『まぁた恋人と朝っぱらからイチャついていたのか?』『そんなところだ。それよりも大公、わたしは暫くウィーンを留守にすることになった。』『また何か変な事を企んでいるのか?』『何を言う、見合いに行くだけだ。』『見合いか・・お前もそろそろ身を固める時期になってきたか。』『大公も、わたしが結婚する前にあのオペラ座の舞姫と結婚したらどうだ?』 ルドルフの言葉に、ヨハンは不機嫌な表情を浮かべて黙り込んだ。『結婚は人生の墓場だと言うからな。結婚相手は慎重に選べよ、ルドルフ。』『言われなくともわかっているさ。』 ベルギー・ブリュッセルのラーケン宮に於いて、ルドルフ皇太子はベルギー王国第二王女であり、シャルロッテの姪にあたるシュティファニーと見合いをした。 美人とは程遠い容姿をしている幼い王女の凡庸さに、ルドルフは惹かれ、王女もまた、美しいルドルフに一目惚れした。『フランツ、この結婚はルドルフにはまだ早すぎるわ。』『シシィ、これはルドルフが決めたことだ。』『何か不吉な予感がするのよ。わたしには解るの。』 1880年3月7日、ルドルフ皇太子とシュティファニー王女との婚約が成立したことを宮廷が公式に発表すると、密かに皇太子に恋い焦がれていた貴族の令嬢達が一斉に自棄酒を呷ったという噂がウィーンの街に流れた。にほんブログ村
2015年12月15日
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ルドルフ達が修道院へと向かうと、そこは既に炎と煙に包まれていた。『こりゃぁ、駄目だ。』『一体誰がこんな事を・・』村の男達は呆然と燃え盛る修道院を見つめていた時、中から悲鳴が聞こえた。『誰か中に居るぞ!』『わたしが行く。』ルドルフはそう言って近くに居た男の手から水が入った桶を奪い取り、頭から水を被って修道院の中へと入った。『タマキ、何処に居る?』ルドルフは煙に咳込みながら、悲鳴がした方へと向かった。 するとそこには、椅子に両手足を縛りあげられた環の姿があった。『ルドルフ様、どうしてここへ?』『詳しい話は後だ!』ルドルフは厨房に置いてあった包丁で環の身体を縛めている荒縄を一気に切り落とした。『歩けるか?』『はい。でも、腰が抜けてしまいました。』『そうか。』 ルドルフは環を横抱きにすると、そのまま燃え盛る修道院から脱出した。「環ちゃん、無事だったんだね!」 二人が修道院から出て来る姿を見た小春は、そう叫ぶと彼らの元へ駆け寄った。「姐さん、迷惑をお掛けしてごめんなさい。」「あんたが無事でよかったよ。それよりも、あんたが武装した男達に拉致されたって聞いて、一瞬心臓が止まりかけたよ。」小春はそう言うと、環を抱き締めた。「あんたを拉致した男達は、一体何処にいったんだい?」「さあ・・ただ、この腐った世を糺す為にロンドンの日本大使館を爆破すると言っていました。」「何だって、早く止めないと!」「彼らの行方が判らない以上、彼らを止める方法はありません。」環は小春にそう言いながら、自分を拉致した男達の血走った目を思い出していた。彼らはこの世を糺す為にロンドンの日本大使館を爆破する計画を立てていた。暴力的な行動をとることで、彼らは自分達の正義を実行するつもりなのだろうか。『タマキ、何を考えている?』『いいえ。ルドルフ様、ウィーンへ戻りましょう。』『ああ。』ルドルフは環の肩を抱き、焼け落ちた修道院の前から立ち去った。 ウィーンの日本大使館を襲撃した男達は、事件から数日後、ドーヴァー海峡を船で渡ろうとしていたところを現地警察に逮捕され、ロンドンの日本大使館を爆破する彼らの計画は潰えた。 しかし、小春とルドルフを拉致した仮面を被った男達の正体と、その消息は不明のままであった。『年明け早々、酷い目に遭ったな。』『ええ、本当に。ルドルフ様、仮面の男達は一体何者だったのでしょうね?』『さぁな。もしかすると、ハインツの遺志を継いだ者達かもしれない。』ルドルフはそう呟くと、暖炉の火を見た。 翌朝、王宮に戻ったルドルフはフランツに呼び出され、彼の私室へと向かった。『お話とは何でしょうか、父上?』『ルドルフ、いい加減身を固めろ。』『またそのお話ですか・・』『お前はこの国の皇太子としての義務を果たせ。』フランツはそれだけ息子に言うと、彼に背を向けた。にほんブログ村
2015年12月15日
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黴臭(かびくさ)い空気が漂う廊下を環が男達に手をひかれながら歩いていると、彼らは食堂と思しき場所で止まった。「ここへ座れ。」椅子と思しきものに座らせられた環は、そこで漸く目隠しを外された。「漸く会えたな、環。」そう環に声を掛けたのは、和装姿の見知らぬ男だった。「貴方は誰なのです?」「そうか、会津が滅びた時、お前はまだ七つの幼子だったな。憶えていないのも無理はないか。」男はそう言って乾いた笑みを浮かべ、環の頬をそっと撫でた。「わたしは、お前の兄と親友と同じ白虎隊で薩長の連中と戦っていた。母成峠での戦いは、凄惨の一言に尽きた。朝も晩も雨に打たれ、寒さと飢えに苦しみながら、わたし達は旧式のゲーベル銃で敵と戦った。そして戦いがを終わった後、わたし達が見たものは、炎に包まれている鶴ヶ城だった・・」 男は滔々と、白虎隊が自刃した時の事を環に語り始めた。頸動脈を懐剣で斬ろうとしたものの、急所を外して悶え苦しみ、仲間の手によって自害した者。 介錯を親友に頼み、見事果てた者。そして、怯懦(きょうだ)に襲われ、戦場から逃げ出した者。「わたし達の国は、薩長によって完膚なきまでに破壊され、戦場に散った者達の骸は埋葬されることも許されずに野晒しにされ、野犬や烏の餌となった。国を奪われ、追われたあの時の悔しさを、わたし達は生涯忘れることはないだろう。」「貴方は、一体何が目的なのですか?わたしをどうするおつもりですか?」「環、お前は会津魂を忘れてしまったのか?わたし達を滅ぼした敵に尻尾を振るなど、嘆かわしいな。」 男は冷たい目で環を睨むと、腰に提げていた刀の鯉口を切った。「わたしを殺すつもりですか?」「いや、それだけでは生ぬるい。お前には、我々の計画に加わって貰いたいのだ。」「計画?」「今の明治政府は腐敗している。我々は世を糺(ただ)す為、ロンドンの日本大使館を爆破する。」「暴力的な行動で、世を糺せるとお思いですか?」「うるさい、黙れ!」男はそう環に怒鳴ると、環の顔を殴った。「わたし達は、再びこの世を糺す。」男は環に背を向け、近くに控えていた部下に環を縛り上げるよう命じた。 一方、仮面を被った男達に拉致されたルドルフと小春は、環が監禁されている修道院の近くにある倉庫の中で監禁されていた。『一体どうなっているんだい?あの気色の悪い仮面を被った男達は何だってこんな所にあたし達を監禁したんだい?』『それはわたしにも解らないな、マダム。それよりも早くここから脱出しないと・・』ルドルフは近くに転がっていた酒瓶を割ると、その破片で自分の両手首を縛めている荒縄を切り始めた。 その時、何かが焦げるような臭いがした。『誰か来てくれ、火事だ!』『修道院の方からも火が出ているぞ!』 男達の怒号が外から聞こえ、煙と炎がルドルフと小春を襲った。『マダム、これで鼻と口を覆ってください。』『有難う。』荒縄を切り落としたルドルフは、素早く小春の両手を縛っている荒縄を切り落とし、彼女にハンカチを差し出すと倉庫から脱出した。 その直後、倉庫は黒煙と紅蓮の炎に包まれ、崩落した。『間一髪だったね。逃げるのが遅かったら、あたし達は焼け死んでいた。』『ああ、そうだな。』 ルドルフと小春が倉庫から離れ、人気のない道を歩いていると、近くの村人から数人の男達が修道院の方へと走ってゆくのが見えた。『修道院で何が起きた?』『何者かが放火したんです。どうやら、中に人が居るみたいで・・』『案内しろ。』にほんブログ村
2015年12月15日
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二日後、ウィーン市内にある日本大使館で新年を祝うパーティーが行われた。そこには薩摩や長州出身の外交官達や官僚達、そしてその家族らや外国の要人達などが集まり、賑わっていた。 そのパーティーに華を添えたのは、環による美しい舞だった。「いやぁ、貴方のような方が欧州に日本の伝統文化を伝えていらっしゃるとは、有難いことです。」「お褒め頂き、有難うございます。」紋付の振袖に身を包み、髪に稲穂の簪を挿した正装姿の環は、外交官達や大使館職員達の挨拶回りをしていた。「環さんのご活躍は、日本の新聞でも報じられて話題となっておりますよ。これからも、日本文化をウィーンから発信して頂きたい。」「ええ、そう致します。」環が外交官の一人と談笑していると、入り口の近くで何かが割れた音と悲鳴が聞こえた。「敵に尻尾を振った裏切り者は何処だ!」「その首、貰い受ける!」 入り口を突破し、大広間に突入してきたのは、和装に襷掛けをし、日本刀や槍などで武装した男達だった。「何者だ!」「ここに環という芸者が居るだろう、そいつを出せ!」「環さんに何の用がある?」「貴様に用はない、退け!」男達の一人は、環を守ろうとした大使館職員の腕を斬りつけると、周囲に居た客達から悲鳴が上がった。「貴方達は、この前わたしを襲った男の仲間ですか?」「そうだ。お前は敵である薩長に尻尾を振った会津の裏切り者だ、よってこの場で天誅を下す!」「会津の裏切り者?わたしが?」環の言葉に、男達が怒りで顔を歪めた。「貴様は薩長の奴らにどんな屈辱を受けたのか知らぬのか?」「生憎、わたしは故郷の事を憶えておりません。それに、貴方達の狙いがわたし一人なら、他の者に危害を加えないでください。」「わかった。我らについて来い。」 環は男達に連れられて、日本大使館を後にした。「あの馬車に乗れ、話はそれからだ。」環が馬車に乗ると、馬車はガラガラと騒がしい音を立てながら走り始めた。「わたしをこれから何処に連れて行くおつもりですか?」「質問はなしだ。」「逃げられると思うなよ。少しでもおかしな真似をしたら殺してやる。」男達の中からリーダーと思しき男がそう言うと、環に銃口を向けた。 一方、環宛に脅迫状が届いたという電報を受け取ったルドルフが彼の自宅へ向かうと、居間のソファでは小春が蒼褪めた顔で受話器を置いたところだった。『皇太子様・・』『マダム、タマキは何処ですか?』『さっき警察から電話があって・・環ちゃんが、武装した男達に拉致されたと・・』小春はそう言うと袖口で顔を覆った。『あたしは危険だからパーティーを欠席するように言ったんですよ、それなのに環ちゃんは大丈夫だと言って・・ああ、どうして環ちゃんを引き留めなかったんだろう!』『起きたことを悔やんでも仕方がありません、マダム。今はタマキが無事で居る事を確認しないと・・』 ルドルフがそう言った時、居間に数人の男達が乱入してきた。『何だ、貴様ら!?』『ルドルフ皇太子だな?我々と一緒に来て貰おう。』 男達の中から仮面を被った男がルドルフの前に現れると、小春とルドルフに銃口を向けた。 同じ頃、環と男達を乗せた馬車はウィーン郊外の古びた修道院の前に停まった。「降りろ。」 目隠しをされた環は、男達に手をひかれながら馬車から降り、修道院の中へと入った。にほんブログ村
2015年12月15日
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「佐久間様、わたしにお話とは何でしょうか?」「実は、明後日に日本大使館で行われる新年のパーティーに、是非環様に出席して頂きたいのです。」「それはいいですけれど、他に何かあるのですか?」「環様は、会津のご出身と聞きもした。薩摩や長州は、戊辰の戦で貴方の国を滅ぼしました。その恨みはございませんか?」「いいえ。わたしは故郷の記憶がありませんから、そのような事を気になさらなくても大丈夫ですよ。」環の言葉を聞いた佐久間は、安堵の溜息を吐いた。「そうでごわすか。では、拙者はこれで。」「お気をつけてお帰り下さいませ。」 佐久間を玄関ホールで見送った環が居間に入ると、ソファに座っていた小春が読んでいた雑誌から顔を上げた。「お客様は帰ったのかい?」「はい。明後日日本大使館で行われるパーティーに、出席して欲しいと言われました。」「大使館のパーティーに招待されるなんてねぇ。」「佐久間様は、わたしが会津の出身だということを知っておりました。」「何処からそんな情報が漏れたんだろうねぇ? でも、大丈夫なのかい?日本大使館には薩摩や長州の方がいらっしゃるんだろう?あんたにとって薩長は、憎い仇じゃないのかい?」「佐久間様からもそう言われましたが、わたしは戊辰の戦の時に会津で何が起きたのかを知りませんし、記憶もないので・・」「あんたが出席するっていうのなら、あたしは止めないよ。」小春はそう言うと、雑誌を再び読み始めた。「姐さん、何の雑誌を読んでいらっしゃるのですか?」「美容雑誌さ。皇妃様の美髪を保つ方法とかが書かれていてね、結構面白いよ。」「へぇ・・こういう雑誌は、美容室に置いてあるんですか?」「まぁね。雑誌や新聞が何冊か置いてあるよ。流行りのドレスや髪型ってのはすぐに変わるから、日々勉強しないとね。」「美容室は最近どうです?」「まぁ、あの女が辞めてからは仕事がやりやすくなったね。オーナーもあの女には相当手を焼いていたようで、あの女が自分で辞めなかったら首をきると言っていたよ。」「そうですか。それじゃぁ、わたしは少し部屋で休んできます。」「英国から帰ったばかりなんだから、ゆっくりと休んでおくといいよ。」 二階の自室で環が休んでいると、居間の方から小春の悲鳴が聞こえた。「姐さん、どうしたんですか?」 環が階段を駆け下りて居間に入ると、小春が恐怖で蒼褪めた顔を彼に向けた。「環ちゃん、後ろ!」環が振り向くと、そこには自分に刀を向けている男の姿があった。「貴方、何者です?」「うるさい、会津魂を忘れた恥晒しが!」男は環に罵声を浴びせ、刀を中段に構えた。男が自分に斬りかかろうとした時、環は暖炉の傍に置いてあった火掻き棒を掴み、間髪入れずに男の鳩尾をそれで打った。「姐さん、警察を呼んでください。」「わかったよ。」 小春が通報してから数分後、警察が男を警察署に連行した。『貴方を襲った男とは知り合いですか?』『いいえ。』『相手は貴方の事を知っているようでした。念のため、一人で外出する事は控えてください。』『解りました。』 その日の夜、環が襲われた事を小春から聞いたルドルフが環の自宅に駆けつけると、彼は驚いた顔でルドルフを迎えた。『ルドルフ様、何故こちらに?』『お前が男に襲われたと聞いて・・怪我はないのか?』『はい。』『マダムから聞いたが、明後日日本大使館のパーティーに出席するそうだな?』『そうですが・・それが何か?』『そのパーティー、欠席することは出来ないか?またお前が襲われるかもしれないし・・』『いいえ、出席いたします。』にほんブログ村
2015年12月15日
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『・・様、タマキ様!』『ごめんなさいエリザベスさん、少しぼうっとしていて話を聞いてなかったわ。』『いいえ、いいのよ。それよりも貴方がそんな顔を為さっているのは、皇太子様の事で悩んでいらっしゃるからね?』『まぁ、どうしてそれが解るの?』『貴方の友人として付き合っていると、そのくらい解るわよ。』エリザベスはそう言うと、紅茶を一口飲んだ。『何か悩み事があるのなら、打ち明けてくださいな。』『ルドルフ様のご結婚を、皇帝陛下が急がれているようなの。ルドルフ様は、ご結婚したくないとおっしゃっているし、形だけだと・・』『貴方にとっては、複雑な気持ちよね。皇太子様は貴方の事を愛していらっしゃるし、貴方は皇太子様のお傍を離れないとお決めになっているけれど、皇帝陛下は貴方達にどんな感情を抱いているのか、解らないわね。』『ええ。陛下は、表向きはわたしとルドルフ様の関係をお認めになられているけれど、ルドルフ様の結婚を急がれているのは、わたしを密かに疎ましがっているからでしょうね。』環はそう言うと、左手薬指に嵌めている指輪を見つめた。『タマキ様、悩みを打ち明けてすっきりしました?』『ええ、とっても。やっぱり、一人で悩みを抱え込んでいたら駄目ね。エリザベスさん、忙しいのにわたしの愚痴を聞いてくださって有難う。』『いいのよ。わたしだって、子育ての愚痴を貴方に聞いて貰いたかったし。パールは最近お転婆になってきて、困ってしまうわ。この前だって、木に登ってお姉様が贈ってきてくださったドレスを破いてしまったのよ。』『あら、そんな事があったの?』『その時はきつく叱ったけれど、エルンストさんはそんな事で怒らなくていいって、パールの味方をするのよ。わたし一人が悪者みたいで、嫌になっちゃうわ。』『きっとパールちゃんは、貴方が弟に構ってばかりいるから寂しいのだと思うわ。』環はそう言うと、揺り籠の中で眠っているエリザベスの長男・アーサーを見た。『ねぇタマキ様、話は変わるのだけれど、今度婦人会でバザーを開くことになったの。貴方も手伝ってくださらないかしら?』『いいわよ、喜んで。』『少しここで待っていて、部屋から裁縫箱を取って来るわ。』 エリザベスが二階へと上がった後、居間に2歳となったパールが入って来た。『こんにちは!』『こんにちは、パールちゃん。元気そうね。』『タマキも、アーサーに会いにきたの?』『ええ。パールちゃん、アーサーに焼きもちを焼いているのですって?』『だっておかあさま、パールのこと全然見てくれないもの。』『お母様はパールちゃんの事を嫌いになった訳ではないのよ。ただ、アーサーがまだ小さいからそのお世話で大変なの。パールちゃんも、お母様のことを手伝ってあげればいいわ。』『わかった!』『英国でお土産を買って来たの。パールちゃんが気に入ってくれれば嬉しいんだけど。』環はそう言うと、ハロッズ百貨店で購入したカチューシャを袋から取り出し、それをパールの髪に飾った。『わぁ、綺麗!』『良く似合っているわ。』『まぁパール、可愛いカチューシャね。タマキ様から頂いたの?』『お母様、パール可愛い?』『ええ、とっても可愛いわよ。パール、タマキ様にお礼は言ったの?』『有難う、タマキ!』『もう、タマキさんじゃなくて、“タマキ様”でしょう?』パールをそう窘めたエリザベスは、笑顔を浮かべていた。『パールに可愛いお土産を有難う。』『じゃぁエリザベスさん、またね。』『ええ。』 屋敷の前でエリザベスと別れた環は、そのまま自宅へと戻った。「環ちゃん、お帰り。あんたにお客様が来ているよ。」「お客様、ですか?」「ああ。何でも、薩摩の佐久間様って方だよ。」 小春とともに環が客間に入ると、ソファに座っていたフロックコート姿の男が環の姿を見てゆっくりと立ち上がった。「貴方が、佐久間様ですか?」「初めまして、おいが佐久間篤でごわす。」そう言って環に自己紹介した旧薩摩藩士・佐久間篤は、頬を羞恥で赤く染めた。にほんブログ村
2015年12月14日
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『タマキ、貴方にお客様よ。』『わたしにお客様ですか?』『ええ。早く行きなさい。』 環が同僚の女官から客が来ていると言われ、彼は客が待つ王宮庭園へと向かった。そこには、フロックコートを着てシルクハットを被った東洋人の男が立っていた。『あの、わたしに何かご用ですか?』「貴方が、長谷川環さまですね?」男が日本語を話していることに気づいた環は、驚愕の表情を浮かべながら彼を見た。「貴方は・・」「申し遅れました。わたしは井上慶介と申します。官費留学生として英国に滞在しておりました。貴方をこうしてお訪ねしたのは、貴方のお兄様の事でお話があるからです。」「兄の事を、ご存知なのですか?」「はい。わたしは、貴方のお兄様と同じ大学に通っておりました。」 涼介の学友であった井上慶介は、そう言って環を見た。「貴方のお兄様は、英国で勉学に励んでおりました。これは、貴方のお兄様が留学時代に使っていたノートです。」 慶介は鞄から、涼介が学生時代に使っていたノートを取り出し、それを環に渡した。 環がそのノートを捲ると、そこには人体の構造や心臓などの臓器などを事細かに描いたイラストがあった。「兄は、医者を志していたのですね。」「ええ。昔、戊辰の戦で大勢の仲間を失くして辛い思いをしたと、貴方のお兄様はおっしゃっておりました。そして、医学を学んで多くの人を救いたいと夢を語っておりました。」「そうですか・・兄がそんな事を。わたしは、兄がそのような夢を抱いていたことなど知りませんでした。遠い日本から、兄から手紙が来るのを心待ちしておりました。けれど、突然兄からの手紙が途絶えてしまって・・」「それは、貴方のお兄様が入院していたからですよ。」「兄は、いつから梅毒に罹っていたのですか?」「貴方のお兄様は所属していたポロ部の部活仲間と共に、娼館に何度か行った事がありました。そこで感染してしまったのだと思います。」 “娼館”という言葉を聞いた環の顔が少し歪んだことに気づいた慶介は、ばつの悪そうな顔をした。「慶介さん、わざわざこのノートをわたしに渡そうとしてウィーンへ来られたのですか?」「はい。それと、これを貴方に直接お渡ししたくて。」慶介は、鞄の中から絹の袋に包まれた懐剣を環に手渡した。「これは、貴方のお兄様の懐剣です。いつか自分が亡くなる事があれば、弟にこの懐剣を形見として持っていて欲しいと言われたので、今まで預かっておりました。」「そうですか・・慶介さん、有難うございました。これから、どうなさるおつもりなのですか?」「わたしは日本へ帰ります。英国で得た知識を、日本の国づくりに生かしたいのです。」「どうぞ、お気をつけてお帰り下さい。」 環が王宮から出て行く慶介を見送ると、そこへルドルフがやって来た。『タマキ、あの男は?』『兄の学友だった方です。わたしに、兄の形見を渡しにわざわざウィーンまで来てくださいました。』『そうか・・』ルドルフは環が握り締めている蒼い絹袋を見た。『それが、リョースケの懐剣か?』『はい。わたしの両親が、兄とわたしが産まれた時にそれぞれ刀鍛冶さんにお願いして、作って頂いた物だそうです。この懐剣を持っていると、兄が近くに居るような気が致します。』 環はそう言ってルドルフに微笑んだ。『皇太子様、間もなく閣議が始まります。』『わかった、すぐ行く。』 自分に背を向けて歩き出すルドルフを、環は黙って見送った。『ねぇ、皇帝陛下が皇太子様の結婚相手をお探しになっていらっしゃる事、ご存知?』『ええ、知っているわよ。まぁ、皇太子様ももうお年頃だし、結婚するには丁度いい時期なんじゃないかしら?』 女官達の話を廊下の角で聞いていた環は、その場からそっと静かに離れた。(ルドルフ様が結婚為さる・・) ルドルフが結婚しても、彼の傍に居ると決めた環の心は、少しずつ揺らぎ始めていた。にほんブログ村
2015年12月14日
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一部性描写有り。苦手な方はご注意ください。 環とルドルフを乗せた馬車は、滞在先の屋敷の前に停まった。『タマキ、今夜はお前に優しく出来そうにない。』ルドルフは寝室に入るなりそう環に言うと、彼を寝台の上に押し倒した。『ルドルフ様、早く・・』環のドレスをルドルフが脱がすと、環もルドルフの服を脱がし始めた。コルセットの紐を解くのがもどかしくなったルドルフは、環を自分の膝の上に乗せ、そのまま彼を貫いた。『あぁ~!』か細く甘い環の嬌声が、天蓋の中に響いた。『済まない、我慢できなかった。』『いえ、いいんです。』『動くぞ。』ルドルフはそう言うと、激しく下から環を突き上げ始めた。『あぁ、苦しい!』『こんなにわたしを締め付けているのに?』ルドルフは意地の悪い笑みを浮かべると、コルセットの裾を捲り、屹立した環のものを上下に扱いた。すると、それに呼応するかのように環の蕾が収縮し、ルドルフのものを締め付けた。『いやぁ~!』環は悲鳴を上げ、そのまま意識を失った。 寝室の扉から漏れ出る光に気づいた環がガウンを着て寝台から降りると、ルドルフが暖炉の前で何か物思いに耽っていた。『ルドルフ様、どうなさったのですか?』『いや、何でもない。それよりも、身体は大丈夫か?』『はい・・』『今、これからの事を考えていた。わたしが成人した以上、父上はわたしを何が何でも結婚させようとするだろう。』ルドルフはそう言って溜息を吐くと、グラスの中に注がれたウィスキーを呷った。『お前は、わたしが結婚したらどうする気だ?』『わたしは、貴方のお傍に居ます。それは、貴方が結婚しても変わりません。』『そうか。てっきりお前は、わたしから離れてしまうのではないかと思っていたが、お前の口からそんな言葉を聞いたら、安心した。』 環を抱き寄せたルドルフは、彼に優しく微笑むと彼の額に唇を落とした。『ルドルフ様・・』『たとえ結婚しても、わたしの心はお前だけのものだ。それを忘れるな。』『はい・・』 暖炉の火を消し、ルドルフは環と寝室で抱き合うようにして眠った。 翌朝、滞在最終日にルドルフは環を水晶宮(クリスタル・パレス)へと連れて行った。 水晶のような美しい建物の内部には、古代エジプトの宝物や、熱帯の花々など、世界中から集められた芸術品などが展示されていた。『何だか、ここは別世界のようですね。』『あぁ、そうだろう?一度、お前を連れて行きたいと思っていた。』ルドルフはそう言うと、環の唇を塞いだ。『こんな人目のつくところで、何を・・』『良いだろう、別に。減るものでもないし。』『全く、貴方という方は・・』環がそう言って苦笑すると、ルドルフは安堵の表情を浮かべた。『やっぱり、お前には笑顔が一番似合うな。』ルドルフは環に手を差し出すと、環はその手を握って彼と共に水晶宮を後にした。 ドーヴァー海峡を渡る船のデッキで、環は次第に遠くなりつつある英国を見つめた。(兄上、師匠、わたしはもう大丈夫です。) 環が天国に居る涼介と優駿にそう話しかけると、曇っていた雲の隙間から美しい青空が顔を覗かせた。にほんブログ村
2015年12月14日
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※BGMとともにお楽しみください。 ハインツでの屋敷で起きた事件から数日後、ルドルフはある貴族の舞踏会に出席していた。 帰国前夜だというのに、ルドルフの元には貴族達から夜会や舞踏会の招待状が山のように届いた。 彼らの誘いを無碍に断ることも出来ず、ルドルフは連日連夜夜会や舞踏会に出席していた。身体は疲労で悲鳴を上げているが、それをおくびにも出さずに貴族達に愛想笑いを浮かべては、ドレスと宝石で着飾った貴婦人や令嬢達とダンスを楽しんでいた。 今宵も、ルドルフは長身を軍服に包み、その貴族の令嬢とダンスを踊った。そんなルドルフの姿を、環は会場の隅から眺め、彼と自分との身分の違いを思い知らされた。 日本に居た頃、環は武家の子として育ったが、物心ついた頃には侍の世は終わり、渡欧してからルドルフの庇護下に居るものの、何の身分も後ろ盾もない。そう思うと、何だか自分が場違いな場所に立っていることに気づき、環はその場から逃げ出したくなった。『タマキ、何をしている?』『ルドルフ様・・』『そのまま壁の花で居るつもりなのか?』ルドルフはそう言うと、白手袋に包まれた手を環に差し出した。―あれは・・―日本からやって来た・・―皇太子様付の女官だと聞いているけれど、どうしてこのような場に・・ 環とルドルフがワルツを踊り出すと、周りの貴族達が環に向かって好奇の視線を向けた。『周りの雑音は聞くな、ダンスに集中しろ。』『はい・・』ルドルフからそう言われ、環は彼とダンスを楽しんだ。『お前は肩を出した方がいいな。』『そうですか?』『いつも長袖のドレスばかり着ているから、妙に色っぽい。』『まぁ、そのような事をおっしゃって・・』『ブリジット嬢が仕立てたドレスは、まるでシンデレラが舞踏会に着ていたドレスのように、着る者に魔法を掛けるのだな。』 ルドルフは、黒薔薇の刺繍を施した深緑のドレスを纏った環の剥き出しになった肩を見ながら、欲情の炎が身体の奥から燃え上がろうとしているのを感じた。『ここは少し暑いから、外に出ようか?』『はい。』大広間の熱気から逃れるように、ルドルフと環は人気のない庭へと出た。 冬の庭は、白い雪に覆われて幻想的な雰囲気を醸し出していた。『タマキ、踊らないか?』『はい。』 空から白い雪が舞う中、環とルドルフは二人だけでワルツを踊った。『冷えて来たから、もう中に入ろう。』『はい。』 庭から大広間へと戻ったルドルフと環を、周りの貴族達は好奇の視線を送った。『申し訳ありませんが、少し体調を崩してしまいましたので、これで失礼いたします。』主催者の公爵にそう詫びたルドルフは、彼の返事を待たずに環と共に舞踏会を後にした。『あのような事を為さっても大丈夫なのですか?』『後でお詫びの手紙でも書けばどうとでもなるさ。それよりも、わたしはお前と早く愛し合いたい。』『ルドルフ様・・』環がルドルフの唇を塞ぐと、彼は環の柔らかなそれを激しく貪った。にほんブログ村
2015年12月14日
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自分に向かって肉切り包丁を振り翳す男に、環は持っていた長剣で男の胸を突き刺した。男は無言で肉切り包丁を持ったまま、床に倒れた。『タマキ、大丈夫か?』『はい。ルドルフ様、早くここから逃げましょう。』環は男の胸に突き刺さった長剣を抜き、ルドルフと共に厨房から外へと出た。『居たぞ、あっちだ!』『逃がすな!』 環とルドルフが森の中を走っていると、遠くから追っ手の声が聞こえてきた。二人が森を抜けると、そこは逃げ場がない断崖絶壁だった。『どうする、タマキ?』『逃げるのが無理なら、戦うしかありませんね。』『そうだな。』互いに背中を預けたルドルフと環は、自分達の前に現れた追っ手を睨みつけた。『タマキ、行くぞ!』『はい!』次々と襲い掛かる追っ手を長剣で倒しながらも、環は呼吸を乱さなかった。『なかなかやりますね。』自分が放った追っ手が力なく地面に倒れているのを見たハインツはそう言うと、ルドルフに銃口を向けた。『昼間、貴方を殺そうと思ったのに、舞姫が邪魔をしたので失敗してしまいました。』『わたしを昼間暗殺しようとしていたのは貴様か。』『貴方付の侍従の中に、わたしが金で雇った間者が居ましてね。貴方の予定を逐一こちらに報告するように命じたのですよ。』『そうか。中々の策士だな。』『お褒め頂き有難うございます。皇太子様、貴方を殺すのは惜しいですね。ですが、この世界の為に貴方には犠牲になって貰わなければなりません。』 ハインツが引き金を引こうとした時、彼は胸に銃弾を受けて地面に倒れた。『皇太子様、ご無事ですか!?』『エルンスト、何故ここに?』『この男の間者に、皇太子様の居場所を吐かせたのです。』 エルンストはそう言うと、まだ煙が立ち上っている銃を下ろしてルドルフ達の方へ駆け寄った。『その間者は今何処に居る?』『皇太子様の居場所を吐いた後、彼は毒を飲んで自害しました。』『真実を闇の中へと葬ったのか・・貴様は優秀な部下を失くしたな。』 ルドルフは地面に倒れたハインツを冷たく見下ろしてそう言うと、彼は弱々しい笑みを浮かべた。『わたしが死んでも、わたしの遺志を受け継いだ同志達が歴史を作る・・そして、貴方が大切にしていたものは崩壊する。』『それは、どういう意味だ?』『そんなことは、自分でお考えなさい。』ハインツは口端を上げて笑うと、そのまま息絶えた。 二時間後、スコットランド・ヤードがハインツの屋敷を家宅捜索すると、屋敷の地下室から悪魔崇拝の儀式の生贄となった犠牲者達の遺体が発見された。 犠牲者達は皆、近隣の村に住む少年達だった。ハインツの指示を受け、ウィーンで連続猟奇殺人を繰り返していた彼の部下二人は警察に逮捕され、事件は無事解決した。 だが、ルドルフはハインツが死に間際に残した言葉が気になって頭から離れなかった。“わたしが死んでも、わたしの遺志を受け継いだ同志達が歴史を作る・・そして、貴方が大切にしていたものは崩壊する。”『ルドルフ様、どうなさったのですか?』『いや・・あいつが死に間際に遺した言葉が気になってな。』『彼の言葉の何が、気になったのです?』『あいつの遺志を継ぐ同志が、何処に居るのかが解らない。つまり、まだ油断できないという事だ。』『そうですね。』にほんブログ村
2015年12月14日
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『ここは何処だ?』『ここは我が先祖から代々受け継いで来た儀式場です。満月の夜に、新たな贄を我らが神に捧げるのです。』ハインツは恍惚とした表情を浮かべながら、ルドルフにそう語りかけた。『お前達の神だと?』『ええ。我らの神・・それは天にましますイエス=キリストではなく、地の底を司る暗黒の神・サタンです。』『悪魔崇拝者(サタニズム)か。ウィーン市内で起きた連続猟奇殺人事件の犯人はお前か?』『あの事件は、わたしの信者達がやった事です。』ハインツはそう言うと、口端を歪めて笑った。『何が可笑しい?』『貴方と再会できた喜びでつい・・』『お前は何を望んでいる?』『わたしは何も望んではおりません。ただ一つ望むのは、貴方の心臓を神に捧げる事です。』『そんなことをして、何の為になる?』『貴方の心臓を食すことで、わたしは偉大なる力を得ることが出来るのです。』『狂っているな。』『褒め言葉として受け取っておきましょう。さてと、お喋りはもう終わりにして、貴方の心臓をいただきましょうか?』 ハインツはルドルフの胸に白銀の刃を向けると、そう言って彼の髪を掴んだ。その時、一発の銃弾が彼の右腕を貫いた。『ルドルフ様から離れなさい!』『生きていたのですね。貴方もしぶとい人だ。』 ハインツは呆れたような顔をして、自分に銃口を向けている環を見た。『タマキ、生きていたのか?』『ルドルフ様、ご無事ですか?』『ああ。タマキ、どうしてここが解った?』『それは後でお話しいたします。』環がそう言ってルドルフの方へ近づこうとすると、ハインツがルドルフの頸動脈に刃を押し当てた。『それ以上動くと、皇太子様の命はありませんよ。銃を床に置きなさい。』環はハインツの命令に従い、銃を床に置いた。ハインツの背後に控えていた黒髪の女が、床から銃を拾い上げた。『その者を縛り上げろ。』『かしこまりました。』女が自分の方に近づいてくるのを見た環は、咄嗟に彼女の手首を掴むと、彼女の身体を放り投げた。 環に投げ飛ばされた女は大理石の床で頭を打ち、気絶した。『貴様!』怒り狂うハインツの向う脛を蹴りあげた環は、痛みで呻く彼の手から長剣を奪い、ルドルフの身体を拘束していた荒縄をその刃で切った。『ルドルフ様、ご無事ですか?』『ああ。』『あいつらを追え、逃がすな!』 儀式場から逃げ出した環とルドルフは、長い廊下の奥にあった扉を開けた。 するとそこは、様々な調理道具が並べられた厨房だった。『どうやらここから外へと出られるようだな?』『ええ。』二人が周囲の様子を窺っていると、コックコートを着た長身の男が、肉切り包丁で何かを切っていた。『ったく、なかなか切れやしねぇ。切れ味が鈍くなっちまった。』そうブツブツと言った男の前には、心臓を抉りだされ絶命している少年の遺体があった。悲鳴を上げそうになった環がそこから後ずさろうとした時、彼は壁に掛かっているフライパンにぶつかってしまった。『誰だ、そこに居るのは?』 咄嗟に食器棚の中に身を隠した環を、男は目敏く見つけ出すと、環の腕を掴んで自分の方へと抱き寄せた。『これは別嬪だな。それにとっても美味そうだ。』血走った目で環を見つめた男は、そう言って舌なめずりし、右手に持っていた肉切り包丁を環の頭上に振り翳した。にほんブログ村
2015年12月14日
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渡英したルドルフとエリザベート皇妃は、一度も互いに顔を合わせることなく、別行動を取っていた。 乗馬好きのエリザベート皇妃は、専ら狩猟を楽しみ、ルドルフは英国を産業革命へと導いた工場や議会の視察などを行っていた。『タマキ、どうした?』『いえ、何だかさっきから視線を感じて・・』 環がそう言ってルドルフの方を向こうとした時、茂みの中から何かが光った。『ルドルフ様、危ない!』 空気を切り裂くような銃声が響き、環は暗殺者の銃弾を胸に受けて倒れた。『タマキ、目を開けろ!』『ルドルフ様、ご無事でよかった。』環はそう言うと、ルドルフの腕の中で意識を失った。『ルドルフ様、ご無事ですか!?』恐怖で蒼褪めたロシェクがルドルフの元へと駆け寄ると、彼は環を抱いたままその場から動こうとしなかった。『わたしは大丈夫だ、それよりもタマキを医者に診せてくれ。』『承知しました。』『わたしはここを少し調べてから戻る。』ルドルフはロシェクに背を向け、暗殺者が潜んでいた茂みへと歩き出した。(何者かが潜んでいた気配がある。暗殺者はわたし達がここを通る事を予め知っていた。) 暗殺者の正体は、自分の計画を知っている者―内部の人間だ。ロシェクや他の侍従、従僕達など、ルドルフの傍に仕えている者は星の数ほど居る。その中から暗殺者を絞り込むなど、不可能に近い。(一体暗殺者は何処から来た?) ルドルフが茂みの周りを見渡した時、彼は何者かに背後から羽交い絞めにされた。『う・・』『タマキ様、目を覚まされましたか?』 滞在先の屋敷の部屋で環が目を覚ますと、寝台の近くにはロシェクが立っていた。『ロシェクさん、ルドルフ様は?』『ルドルフ様は、暫く一人で調べたいことがあるとおっしゃって・・』『案内してください。』『ですがタマキ様、胸を撃たれたのではないですか?』『それなら心配ありません。宝石を縫い付けたコルセットを着ていましたから、それで命を救われました。』『そうですか。タマキ様、案内いたします。』 環とロシェクが屋敷から出た頃、何者かに背後から羽交い絞めにされ、薬品が染み込んだハンカチで口を塞がれて気絶したルドルフは、窓から入り込んでくる潮の匂いでゆっくりと目を開けた。『どうやらお目覚めのようですね、皇太子様?』『お前は・・』『こんな形で貴方と再会できるなんて驚きましたが、嬉しくもあります。』 黒いフードを被ったハインツは、そう言うと優雅な動作でそのフードを脱ぎ、美しい銀髪を潮風に靡(なび)かせた。 氷のような冷たい蒼い瞳をルドルフに向けながら、彼はフードの下に隠していた長剣を取り出した。『皇太子様、貴方には悪いのですが、わたし達の贄(にえ)となっていただきます。』にほんブログ村
2015年12月13日
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1877年12月。 ルドルフと皇妃・エリザベートは、英国へ向かう事となった。勿論環もルドルフに同行するかたちで、渡英することになった。『何だか寂しいですわ、お兄様だけではなくてタマキも英国に行ってしまわれるなんて。』『そんなに寂しがらないでください、ヴァレリー様。すぐに戻ってきますから。』 渡英前夜、そう言って寂しがるヴァレリーを環は優しく宥めると、彼女は環に抱きついた。『お兄様ばっかり狡いわ、タマキを独占して。』『ヴァレリー様・・』『でも、お兄様にはタマキが必要なのよね。』俯いていた顔を上げたヴァレリーは、環に笑顔を浮かべた。『タマキ、お兄様の事を頼むわよ。お兄様が倒れないように見張っておいてね。』『解りました。』ヴァレリーとそんな約束を交わした環は、ルドルフと共にウィーンを離れ、海を越えて渡英した。『ここが、ロンドンですか・・』 初めて兄・涼介の留学先であったロンドンの街を馬車の窓から眺めた環は、そう言って嘆息した。『今やロンドンは世界に誇る大都市だからな。ウィーンとは違った雰囲気が漂う街だ。』『ええ。この街で、兄が暮らしていたのだと思うと、何だか兄に会いたくなりました。』 環はそう言って、ハンカチで目元を押さえた。『タマキ、泣きたい時は泣けばいい。』『わたしはまだ、兄が死んだ事が信じられないのです。漸く会えたのに、どうして・・』 環は、涼介を捜す為に日本から遠い異国の地へとやって来た。だが、兄と再会したのも束の間、彼は己の命が永くないことを知り、自らその命を絶った。『タマキ、リョースケは病に罹っていた。』『兄が病に罹っていたのですか?』『ああ。彼を診察した医者のカルテによると、彼は梅毒だったそうだ。重篤な状態で、余命一ヶ月と医者から宣告されていた。』『そんな・・兄からの手紙には、そんな事は全く書かれていませんでした。』『お前を心配させまいとしていたのだろう。リョースケは、最期までお前の身を案じていた。お前にわたしと幸せになって欲しいと、それだけを彼は願っていたんだ。』『そうですか・・』『ユーシュンも、お前の事をわたしに託した。きっと二人は、天国でわたし達の事を見守ってくれている。』『そうですね。』 環はルドルフの胸に顔を埋めながらそう言って鼻を啜ると、馬車の窓の外に広がる青空を見た。『珍しいな、英国では滅多に晴れる日はないと聞いた。きっと二人が悲しんでいるお前を慰めに来たのだろう。』『師匠と兄を心配させてしまってはいけませんね。二人の為にも、強くならないと。』『その意気だ。』 渡英した日の夜、環はルドルフに抱かれながら夢を見ていた。 夢の中には、亡くなった優駿と涼介が環に会いに来てくれていた。「環、皇太子様と仲が良さそうだな。彼の手を決して離すんじゃないぞ?」「はい、師匠。」環はそう言うと、優駿を見て涙を流した。「全く、大きくなったのに泣き虫は治らないな。」「すみません・・」「環、俺達はいつでもお前の事を見守っている。その事を忘れるな。」「はい、兄上。」「また会おう。」 兄と優駿の姿が見えなくなり、環はゆっくりと夢から覚めた。『おはようございます。』『タマキ、元気になったな?』『昨夜、夢に師匠と兄が出て来て、わたしの事を励ましてくれたんです。だから、もう二人の事を想って泣くのは止めました。』『そうか、お前は泣き顔よりも笑顔の方が似合う。』にほんブログ村
2015年12月13日
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教会でささやかな結婚式を挙げたルドルフと環は、その足でエルンスト達の元へと向かった。 エルンストとエリザベスの間には、二ヶ月前に第一子となる女児が誕生したばかりだった。『エルンストさん、エリザベスさん、お久しぶりね。』『大変ご無沙汰しております、タマキ様。』『エリザベスさんとパールちゃんはお元気?』『ええ。生まれて数週間位は夜啼きが激しくて、毎日寝不足になりましたが、今は落ち着いたみたいです。』 エルンストが玄関ホールで環とそんな話をしていると、奥から愛娘・パールを抱いたエリザベスがやって来た。『まぁタマキさん、ようこそいらっしゃいました。』『エリザベスさん、お元気そうでよかったわ。パールちゃんも、大きくなったのね。』『ええ。』エリザベスは自分の腕の中で眠っているパールを見てそう言うと嬉しそうに笑った。『どうぞ、中へお入りください。』『では、お言葉に甘えさせて頂きます。』 エルンストとエリザベスの家に入った環とルドルフは、窓際に真新しい揺り籠が置いてあることに気づいた。 女児らしい、レースがふんだんに使われた可愛らしいものだった。『パール、パパでちゅよ~』エルンストがそう言って娘に呼びかけると、彼女は突然火が付いたように泣き始めた。『パールはわたしの事を嫌っているのかなぁ。』『そんなに落ち込まないで、貴方。』エリザベスは愚図る娘をあやしながら、そう言って夫を慰めた。『エルンスト、お前はすっかり父親の顔になったな。』『そうですか?』『女は子供を産むと強くなると言うが、男は子供が出来ると頼もしくなるのだな。』『まぁ、そうでしょうね。独身の頃は皇太子様から優柔不断だとよく怒られていたのに、パールが生まれたら何だか自信がついてきました。守りたい者が出来たからでしょうかね?』『そうだろうな。』ルドルフはそう言うと、自分が見ぬ間に精神的に成長している侍従を見た。 彼と出会った頃、優柔不断でいつもおっちょこちょいな彼に、自分付の侍従が務まるのかと不安を覚えた時が何度かあったが、今はもう違う。彼には―エルンストには妻と娘という、守るべき者が出来たのだ。『なぁエルンスト、ひとつ聞いてもいいか?』『何でしょうか?』『お前は今、幸せか?』『はい、とても幸せです。』『そうか。』 エルンスト達と楽しい昼食を終えた後、環は王宮へと戻る馬車の中で、ルドルフが何かを考えていることに気づいた。『ルドルフ様、今何を考えていらっしゃるのですか?』『別に。ただ、守る者が出来ると、人は強くなるのだなと、エルンストを見て思った。』彼はそう言うと、環を抱き締めた。『わたしは、いつまでもこうしてお前を抱き締めたい。お前はどうだ?』『わたしも、貴方の下から離れたくありません。』『その言葉を聞いて安心した。』 ルドルフは環に微笑むと、彼の艶やかな黒髪を梳いた。『お前の傍に居るだけで、心が安らぐ。わたしは今まで、こんな気持ちになったことはない。』『ルドルフ様・・』環がルドルフを見ると、彼は今にも泣き出しそうな顔をしていた。『何故、そのようなお顔をされているのです?』『時折、わたしは孤独の中で死ぬのではないかと思ってしまうことがある。わたしは・・』『ルドルフ様、わたしは永遠に貴方のお傍から離れません。』環は幼子をあやすかのように、そう言ってルドルフの癖のあるブロンドの髪を撫でた。にほんブログ村
2015年12月13日
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1877年7月27日、オーストリア=ハンガリー帝国皇太子・ルドルフ=フランツ=カール=ヨーゼフの成人が認められる。『成人おめでとうございます、ルドルフ様。』『有難う、タマキ。』『何だか、出逢った頃よりも大人びたような気が致します。』『馬鹿な事を。』ルドルフはそう言って笑うと、環の唇を塞いだ。『お兄様、成人おめでとうございます。』『有難う、ヴァレリー。』自分に祝いの言葉を掛けたヴァレリーにルドルフはそう言って微笑むと、ヴァレリーは彼に右手を差し出した。『お兄様にお願いがあるのですけれど・・』『何だ?』『タマキを、一日お借りしても宜しいかしら?』『却下。お前、よからぬことを考えているな?』『あら、お兄様は鋭いのね。』 ヴァレリーはそう言うと、頬を膨らませて拗ねたような表情を浮かべた。『じゃぁ、わたしと一日中一緒に居てくださらないかしら?』『さてと、そろそろ閣議の時間だな。ヴァレリー、今日も一日勉強を頑張れよ。』『お兄様の意地悪~!』 自分に背を向けて歩いて行くルドルフにそう怒鳴ったヴァレリーは、その日一日中不機嫌なままだった。『いい加減機嫌を直しなよ、ヴァレリー。』『お兄様はいつもわたしに意地悪なのよ。』『ルドルフ様はご成人されて色々とお忙しいのですよ。』『大人って、色々と忙しいのね。』ヴァレリーはそう言って溜息を吐くと、環の方を見た。『ねぇ、タマキはお兄様といつ結婚式を挙げるの?』『え・・』突然ヴァレリーからそう聞かれ、環はその答えに窮した。『だって、結婚指輪をしているのにいつまでもお兄様とタマキが結婚式を挙げないのはおかしいでしょう?』『止めなよ、ヴァレリー。人には事情ってものがあるんだから。』フランがそう言ってヴァレリーを窘めたが、彼女は不服そうな表情を浮かべていた。『ヴァレリーが、お前にそんな事を言ったのか?』 その日の夜、スイス宮にあるルドルフの部屋で環が彼に昼間の話をすると、彼はそう言って苦笑した。『確かに、結婚指輪を嵌めているのに式を挙げていないのは不自然だな。』『ですが、わたし達の関係は公に出来ないものでしょう?』『ああ。公にお前と結婚式を挙げることは出来ないが、ヴァレリーに納得して貰う為には結婚式を挙げるほかないだろう。』『それは、本気でおっしゃっておられるのですか?』『何を今更。』ルドルフはクスリと笑って、環の唇を塞いだ。 数日後、環とルドルフはウィーン市内の教会で再び結婚式を挙げた。『まさか二度も結婚式を挙げることになろうとはな。』『ヴァレリー様も納得されているようですから、いいではありませんか。』『まあ、そうだな。』 ルドルフはそう言うと、信徒席に座っているヴァレリーを見た。『タマキ、とても綺麗ですわ。』『有難うございます、ヴァレリー様。』『どうだ、タマキの花嫁姿は美しいだろう、大公?』『ああ。』ルドルフの惚気話を彼の隣で聞きながら、ヨハンは溜息を吐いた。にほんブログ村
2015年12月13日
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1875年12月18日、ウィーン市内の教会で、エルンストとエリザベスは結婚式を挙げた。 結婚式の参列者には、両家の家族と友人、そしてルドルフと環が居た。『ご結婚おめでとう、お二人とも末永くお幸せにね。』『有難うございます、タマキ様。』『エルンスト、生涯の伴侶を大切にしろよ。』『解りました、皇太子様。』新郎新婦の元へ挨拶に向かったルドルフは、幸せそうな二人の姿を見て思わず頬が弛んだ。『その様子だと、家族が増えるのは時間の問題だな?』『皇太子様、そんな・・』『照れなくてもいいだろう?』エルンストがルドルフの言葉を聞いて頬を赤く染めていると、そこへ盲導犬を連れたゲオルグと、彼の長兄であるマリウスが彼らの元にやって来た。『殿下、お忙しい中弟の結婚式にご出席してくださり、有難うございます。』『ゲオルグ、元気そうでよかった。そちらの方は?』『初めまして皇太子様、ゲオルグとエルンストの兄の、マリウスと申します。』ダークブラウンの髪と翠の瞳を持ったマリウスは、そうルドルフに自己紹介すると彼に向かって右手を差し出した。『貴方のお話は、弟さん達から聞いておりますよ。盲導犬の育成に力を入れていらっしゃるとか?』『はい。少し興味があるので、後でお話を伺っても構いませんでしょうか?』『解りました。』 ルドルフとマリウスが話しているのを見た環は、エリザベスが着ているドレスに見惚れていた。『エリザベスさん、そのドレス素敵ね。ブリジット様が仕立ててくださったのでしょう?』『ええ。』 エリザベスが着ているドレスは、ヴェネツィアンレースが使われ、美しい刺繍が細部にわたり施されていた。『このドレスを、いつかわたしに娘が出来たら着て貰おうと思っているの。』『いいわね、世代を越えて受け継がれるドレス・・何て素敵なのかしら。』『ねぇタマキ様、皇太子様とは上手くいっていらっしゃるの?』『ええ。』『わたし達、貴方達のようにお互いを支え合って生きてゆくわ。』『そんな・・』『二人とも、仲が良いのはいいことだが、いつまで教会に居るつもりだ?』 話に夢中になっていた環とエリザベスが我に返ると、教会の入り口で呆れたような顔を浮かべているルドルフが自分達を見ていることに気づいた。『申し訳ありません、話に夢中になってしまって・・』『謝るな。それよりもタマキ、今夜予定は空いているか?』『はい・・』 その日の夜、エリザベスとエルンストの披露宴に出席した環とルドルフは、環の屋敷で愛し合った。『16歳の誕生日、おめでとう。』『有難うございます、ルドルフ様。』『やはり、アメジストのネックレスはお前の黒髪に映えて似合うな。』 ルドルフはベルベッドの箱からアメジストのネックレスを取り出すと、それを環の首に掛けた。『このような高価な物、頂けません。』『わたしは、お前に美しい物を持って貰いたいんだ。』ルドルフはそう言うと、環の唇を塞いだ。『ルドルフ様、今夜は王宮にお戻りにならなくても宜しいのですか?』『ああ。』 翌朝、屋敷に憤怒の表情を浮かべたヨハン大公がやって来た。『ルドルフ、お前昨夜王宮に戻らないと思ったら、こんな所に居たのか!?』『どうした、大公?』『どうしたもこうしたもねぇよ、恋人と過ごしたいからって閣議や視察を全てキャンセルするなんて聞いていないぞ!』『ルドルフ様、それは本当なのですか?』 ヨハンとルドルフの会話を聞いていた環は、蒼褪めた顔をしてルドルフを見た。にほんブログ村
2015年12月12日
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その姿を見た環は、彼が皇帝主催の舞踏会を途中で抜け出したことに気づいた。『皇帝陛下主催の舞踏会を抜け出しても宜しいのですか?』『適当に体調を崩したと嘘を吐いて、抜け出してきた。』『あの、これから何処へ行かれるのですか?』『それは着けば解る。』 数分後、二人を乗せた馬車はウィーン市内の教会の前に停まった。夜中とあってか、教会の中は人気がなく、静まり返っていた。『あの、ここで何をなさるおつもりですか?』『結婚式を挙げようと思ってな、お前とわたしの二人だけで。』『そんな・・結婚式ならもう挙げているではありませんか?』『あれは時間がなくて手早く済ませただけだ。お前と結婚式を挙げる日は、わたしにとって特別な日にしたいんだ、駄目か?』『いいえ。』ルドルフと環が暫く見つめ合っていると、法衣姿の司祭が教会に入って来た。『そろそろ、宜しいでしょうか?』『はい。』『ではお二人とも、祭壇の方へどうぞ。』 司祭にそう促され、環はルドルフと共に祭壇の前に立った。『タマキ=ハセガワ、貴方は健やかなるときも病める時も、夫のルドルフ=フランツ=カール=ヨーゼフを愛し、生涯を共にすることを誓いますか?』『はい、誓います。』『ルドルフ=フランツ=カール=ヨーゼフ、貴方は健やかなるときも病める時も、妻のタマキ=ハセガワを愛し、生涯を共にすることを誓いますか?』『はい、誓います。』『二人は、神の下で夫婦となりました。おめでとうございます。』『司祭様、わたし達の為だけに式を挙げてくださって有難うございました。』『いいえ。お二人とも、お幸せに。』 司祭はそう言って環とルドルフに向かって微笑むと、そのまま教会から出て行った。『今日は、わたしにとって忘れられない日になるな。』『ルドルフ様・・』『お前の屋敷に行こうか。』『はい。』 環の屋敷に二人が馬車で向かうと、小春は既に眠ってしまったのか、二人が居間に入るとそこには誰も居なかった。 環の寝室に入ったルドルフは、ドアを閉めた後、環を背後から抱き締めた。『ルドルフ様・・』『いつもお前を抱いているが、今夜は新婚初夜だ。誰にも邪魔はさせない。』ルドルフは環の唇を塞ぐと、何度も角度を変えてその柔らかな唇を啄(ついば)むようなキスをした。 環もルドルフからのキスに応えながら、彼を抱き締めた。『ルドルフ様、早くわたしを抱いてください。』『わかった。』ルドルフは環を静かに寝台の上に寝かせると、ゆっくりと彼が着ているドレスを脱がし始めた。 ルドルフが舌で彼の乳首を愛撫すると、環は荒い呼吸を繰り返しながらルドルフの背に爪を立てた。自分の腰に彼のものが当たっていることに気づいた環は、それを欲しがるかのように腰を揺らした。『今夜は随分と積極的なんだな?』『今夜は、貴方と過ごす大切な夜ですから・・』『優しくしてやろうと思ったが、止めた。』 ルドルフはそう言って環に微笑むと、充分に濡れた環の蕾の奥を、自分のもので貫いた。 環とルドルフは何度も快楽の波に溺れた後、そのまま互いの腕の中で蕩けた。『お兄様、何処へ行ってしまわれたのかしら?』『さぁね。今頃タマキとお楽しみ中なんじゃないのか?』『お楽しみ中って、何ですの?』『さぁてと、俺はもうそろそろ寝るとするか。』『お兄様もヨハン大公様も、大嫌いよ~!』 夜の王宮に、マリア=ヴァレリーの怒声が響き渡った。にほんブログ村
2015年12月12日
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1875年8月21日―この日、ルドルフは17歳の誕生日を迎えた。『タマキ、今日はお兄様の誕生日よ。』『今日がルドルフ様のお誕生日でしたか。最近忙しくてすっかり忘れてしまっておりました。』環はそう言いながら、ルドルフの誕生日プレゼントを用意することを忘れていたことに気づいた。『ルドルフ様の誕生日プレゼントを忘れてしまいました。』『大丈夫よ、お兄様はそんな事であなたを怒らないから。それじゃぁ、またね。』 ヴァレリーは、そう言うと慌てて自分の部屋へと戻った。『ルドルフ様、おはようございます。』『おはよう、タマキ。』『ルドルフ様、お誕生日おめでとうございます。何もプレゼントを用意できなくて申し訳ありません。』『そんな事、気にしなくていい。わたしは、お前さえ居てくれればいい。』『ルドルフ様・・』『今日は色々と忙しくなりそうだ。夜に迎えをよこす。』『解りました、失礼いたします。』 環がルドルフの執務室から出ると、そこへエルンストがやって来た。『エルンストさん、こんにちは。お式の準備は進んでいるの?』『はい。後四ヶ月しかないので、招待状や結婚式当日に出す料理の事でエリザベスと色々と相談する事ばかりが多くて、大変です。でも、それが楽しみでもあります。』『結婚式は、一生に一度しかないものだからね。エリザベスさんのウェディングドレスは、ブリジット様がお作りになられるのでしょう?』『ええ。どんなドレスをエリザベスが着るのかは、彼女とお姉さんだけの秘密なのです。何でも、結婚式当日にわたしを驚かせたいのですって。』『いいじゃないの、楽しみがひとつ増えて。』『タマキ様、少しお話したいことがあるのです・・皇太子様の事について。』エルンストが急に声をひそめたので、環は彼と共に王宮図書館へと向かった。『ルドルフ様の事で、わたしにお話ししたい事とは何かしら?』『皇太子様も17となられ、皇帝陛下が皇太子様の成人を認める日がそう遠くないことは、タマキ様もご存知でしょう?』『ええ。』エルンストが、自分にこれから何を話そうとしているのか、環は解ってしまった。『ルドルフ様のご結婚の事ね。』環の言葉に、エルンストは静かに頷いた。『皇太子様は帝国の唯一の後継者であり、婚姻し跡継ぎを儲けなければならない義務があります。陛下は貴方の事を認めてはおりますが、最近皇太子様がいつまでもご結婚されないのは、貴方に原因があるのではと勘繰っておられます。』『ルドルフ様の結婚問題は、避けては通れない問題ね。』環は溜息を吐くと、天を仰いだ。『エルンストさん、何故わたしは男として生まれて来てしまったのか、いつも思っているんです。たとえルドルフ様と結ばれていても、一生自分は日陰の身。けれどももしわたしが女だったら、ルドルフ様の子を産めるのにと・・そんな下らない事で苦しんでいるんです。』『タマキ様・・』『わたしがルドルフ様と出逢えたのも運命なら、わたしとルドルフ様が決して結ばれない不毛な関係であるのも、神様がお決めになった運命なのかもしれませんね。』 環はそっと手の甲で涙を拭うと、唇に自嘲的な笑みを浮かべた。『皇太子様は、もし結婚することになっても、本当に愛するのはタマキ様だけだとおっしゃっておりました。』『そう・・エルンストさん、エリザベスさんと幸せになってね。』『はい。』エルンストはそう言うと、環の左手薬指に光る金の指輪を見た。『その指輪、皇太子様とお揃いのものですね?』『ええ。昨日、閲覧室でルドルフ様と密かに結婚の誓いを交わしたの。』『タマキ様、皇太子様の事を信じてあげてください。』『解りました。エルンストさん、わたしの事を励ましてくださって有難う。』『お礼を言われるほどの事をしてはおりません。では、わたしはこれで失礼いたします。』 その日の夜、環の屋敷に迎えの馬車が来た。『殿下が中でお待ちです。』 環が馬車の中に乗り込むと、そこには夜会服姿のルドルフが居た。にほんブログ村
2015年12月11日
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環は突然ルドルフの機嫌を損ねてしまったことを気にして、彼と余り会わないようにしていた。『タマキ、どうしたの?』『ヴァレリー様、申し訳ありません。少し考え事をしておりました。』『もしかして、お兄様の事を考えていたの?』ヴァレリーは、子供らしく素直に環に向かってそう聞いて来た。『ええ。ルドルフ様の機嫌を損ねてしまいまして・・どうルドルフ様と接すればいいのか、わからないのです。』『あら、じゃぁお兄様に機嫌を損ねた理由を聞けばいいじゃないの。』『そんな・・』『二人とも、図書館で何の話をしているんだ?』 ヴァレリーと環が背後を振り向くと、そこには軍服姿のルドルフが立っていた。『お兄様、ごきげんよう。わたしはこれで失礼いたしますわ。』 空気を読んだヴァレリーは、そのまま図書館を後にした。『タマキ、こっちへ。』『は、はい・・』 ルドルフに環が連れられたのは、人気のない閲覧室だった。『あの、ルドルフ様・・』『お前が最近、わたしの所に来ないから、お前がわたしを嫌ってしまったのではないかと恐れていた。』ルドルフはそう言うと、環を抱き締めた。『わたしは、ルドルフ様を嫌ってなどおりません。逆にわたしが、貴方に嫌われてしまったのではないかと思ったのです。』『ああ、宝石店での事か。あれは、わたしが勝手に結婚指輪を買った事をお前が怒っていることに気づいて、少し腹が立っただけだ。』『まぁ、そうだったのですか。』 ルドルフに嫌われたのだと思った環は、彼の口から真実が聞けて安堵の表情を浮かべた。『タマキ、改めてこれを受け取ってくれないか?』『はい。』 ルドルフは背中に隠していた箱から金の結婚指輪を取り出すと、小さな方の指輪を環の左手薬指に嵌めた。『指のサイズを測っておいてよかった。ピッタリだ。』『ルドルフ様、わたしは・・』『今度は、わたしにこの指輪を嵌めてくれ。』ルドルフはそう言うと、環の前に左手を差し出した。『はい・・』環は恐る恐る大きな方の指輪を、ルドルフの左手薬指に嵌めた。『これで、わたし達は夫婦だな?』『夫婦なんて、そんな・・』羞恥で頬を赤く染める環に、ルドルフは微笑んだ。『わたしは、お前の事を手放すつもりはない。それだけは憶えておいてくれ。』『はい。』『指輪の交換が済んだから、後は誓いのキスだけだな。』 ルドルフはそっと環の顎を掴むと、そっと環の唇を塞いだ。「姐さん、只今帰りました。」「お帰り。あんた、その指輪どうしたんだい?」「ルドルフ様から、頂きました。」「嬉しそうな顔を見ると、ルドルフ様と仲直りしたんだね?」「はい。」「あたしの言った通りだろう、ウジウジと悩んでいても仕方がないって。」「そうですね。それよりも姐さん、少し浮かない顔をしていますね。職場で何かあったんですか?」環からそう聞かれた小春は、渋々と職場であったことを彼に話した。 リリスの嫌がらせに暫く耐えていた小春だったが、大事な仕事道具を捨てられた事を知り、彼女の堪忍袋の緒が切れた。『あんた、いい加減にしな!』『目障りなのよ、新入りの癖に!』『その新入りに常連客を取られたからって、陰湿な嫌がらせするんじゃないよ!』小春はついに、リリスと取っ組み合いの喧嘩をしてしまい、暫くの間休みを貰うことになったのだった。『それで、リリスさんは?』『あの女は店を辞めていったよ。まぁ、あたしとしてはせいせいしたけどね。』 小春はそう言ってコーヒーを一口飲んだ。にほんブログ村
2015年12月11日
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「へぇ、そんなことがあったんですか。」「まぁ、そのリリスって女は、あたしにお得意様を奪われて気に食わなかったんだろうさ。」「まぁ、そういうこともありますって。」「あたしの話はいいけれど、あんたもうじきルドルフ様の誕生日だろう?何かプレゼントでも用意しているのかい?」「それが、まだ用意していないのです。ルドルフ様に贈る物が、中々解らなくて・・」「まぁ、そうだねぇ。でも、大切なのは値段ではなくて真心なんじゃないかい?」「そうですね。」 翌日の昼、環はウィーン市内の宝石店へと入った。『いらっしゃいませ、何をお探しですか?』『あの、指輪を贈りたいのですが・・』『男性用の指輪ですか?』『はい。』『少々こちらでお待ちくださいませ。』店員が店の奥へと引っ込んでしまったのを見た環は、所在なさげに店内をウロウロとしていた。その時、誰かが彼の肩を叩いた。『タマキ、こんな所で何をしている?』『ル、ルドルフ様・・』『お客様、こちらが男性用の指輪となります。』間の悪い時に店員が指輪の入ったケースを抱えながら、そう言って環に微笑んだ。『指輪?』『貴方の誕生日プレゼントに、何か贈ろうと思いまして・・』『そんな物、要らぬ。』ルドルフはそう言うと、環の唇を塞いだ。そして彼は、店員の方へと向き直った。『結婚指輪を見せて欲しいのだが・・』『結婚指輪でございますか?』店員はルドルフの方を見ると、再び店の奥へと向かい、今度は結婚指輪の入ったケースを抱えて彼の元へと戻って来た。『こちらが結婚指輪となります。』ケースの中には、金の結婚指輪が並んでいた。『左端の指輪を貰おうか。』『ルドルフ様、そのような物は要りません。』『何故だ?』『わたしばかりが高価な物を頂くわけには参りません。』『いいだろう、別に。』ルドルフはそう言うと、その場で金の結婚指輪を購入してしまった。『ルドルフ様、わたしは・・』『お前は何を遠慮することがあるんだ?わたしの愛が信じられないのか?』『いいえ、違います。』『ならば、どうしてそんな浮かない顔をするんだ?』『わたしは・・』『もういい。』ルドルフは突然不機嫌になり、環に背を向けて馬車に乗り込んでしまった。「どうしたんだい、溜息なんか吐いて?」「いいえ、何でもありません。」「あたしでよけりゃぁ、話を聞くよ。」環は、宝石店での事を小春に話した。「恋人同士でも、相手の事が解らなくなる時だってあるさ。暫く、距離を置いた方がいいかもしれないね。」「そうですか?」「まぁ、あたしがこうしてあんたの話を聞いてあんたに助言しても、最終的にどうするのかを決めるのはあんただから、一晩じっくりと考える事だね。」「はい・・」 同じ頃、ルドルフもヨハン相手に宝石店での事を話していた。『タマキはもうわたしの事を愛していないのだろうか?』『痴話喧嘩ごときで悩むなよ。』『聞き捨てならないな、大公。わたしは真剣に悩んでいるんだ!』『はいはい、解りましたよ。』にほんブログ村
2015年12月11日
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きっかけは、些細な事だった。『マダム・コハルに髪をセットして貰ったら、素敵な髪だってお友達に褒められたのよ。』『あら奥様、それは良かったですね。』 小春が美容室の常連客であるヘーベルク伯爵夫人からそう褒められ、彼女に笑顔を浮かべた。『前の担当の方は腕が悪かったわ。ねぇ、貴方わたしの担当にならないこと?』『そんな奥様、あたしみたいな新参者が先輩のお客を取ったりしてはいけませんよ。』小春がそう言って彼女の誘いを上手く断ろうとすると、そこへ美容院のオーナーであるエミーリアが通りかかった。『いいじゃないの、やってみたら?』『エミーリアさん、宜しいのですか?』『貴方、技術も接客もいいから、大丈夫よ。やって御覧なさい。』『決まりね。』 小春がヘーベルク伯爵夫人の担当となってから、彼女の私物がいつの間にかなくなったり、捨てられていたりする事が多くなった。 長い間花柳界で生きて来た彼女にとって、それらの嫌がらせは大したものではなかったので、犯人探しもせずに放っておいた。しかし―『貴方、以前は刑務所に入っていたって本当なの?』『奥様、何処からそのようなお噂をお聞きになられたのです?』『そんなの何処だっていいでしょう。ねぇ、刑務所に入っていたのは本当なの?』『いいえ、そんな噂、全くの出鱈目(でたらめ)ですよ。誰かがわたしを妬んで、そんな噂を流したのでしょう。』『そうよねぇ。』 その日、仕事が終わって小春が店の後片付けをしていると、そこへ同僚で以前ヘーベルク伯爵夫人の担当をしていた美容師・リリスがやって来た。『貴方、少しお客様に人気があるからって調子に乗らないでよ。』『あたしは調子なんか乗っていませんよ。それよりも先輩、あたしの私物を捨てたり隠したりする暇があったら、もっと腕を磨くことを考えたらいかがです?』 小春の言葉にリリスは怒りで顔を赤く染め、ドアを乱暴に閉めて外へと出て行った。『コハルさん、少しお話があるの、宜しいかしら?』 翌朝、開業前の準備を小春がしていると、エミーリアから突然事務所の方へと呼ばれた。『お話って、何でしょうか?』『リリスから話を聞いたのだけれど、貴方あの子に色々と酷いことを言ったそうね?』『いいえ、あたしはただ自分が思ったことを彼女に言っただけです。』『そう。この仕事は、チームワークで出来ているの。反りの合わない相手が居ても、多少の辛抱が必要よ。』『解りました。』 エミーリアからの忠告を受け、小春は暫くリリスが自分に突っかかってきても、相手をしないことにした。『お疲れ様でした。』『お疲れ様。コハルさん、早いけれど今月分のお給料よ。』『有難うございます。』 異国の地で初めて働いて貰った給料を手にしたとき、小春は嬉しくて胸が弾んだ。「ただいま。」「お帰りなさい、姐さん。今日も遅かったですね?」「今日は立て続けにお客さんがひっきりなしに来てね、休む暇がなかったのさ。」「そうですか。じゃぁ夕飯の後、按摩をしてあげますね。」「有難う、環ちゃん。今日、初めて給料を貰ったよ。」小春がそう言ってバッグから給料袋を取り出すと、環は歓声を上げた。「良かったですね、姐さん。」「異国の地で働いて、初めて貰った給料を何に使おうか迷っちまうよ。」「別に今すぐに使わなくてもいいじゃないですか。」「そうだねぇ。」 結局小春は美容室で稼いだ給料を貯金に回すことにした。「ねぇ環ちゃん、何処に行っても嫌な奴って居るんだね。」「どうしたんですか、姐さん?職場で何かありました?」「それがねぇ・・」 環から按摩を施されながら、小春は彼にリリスの事を話した。にほんブログ村
2015年12月11日
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「姐さん、その傷どうしたんですか?」「ああ、これかい? 昼間エリザベスさんと道を歩いていたら、突然誰かに背中を押されてねぇ。危うく馬車に轢(ひ)かれるところだったよ。」 環は夕飯の支度を小春としていると、彼は彼女の右手に包帯が巻かれていることに気づいた。「一体誰が、そんなことを?」「さぁね。エリザベスさんも誰だか解らなかったって言っていたよ。何だか気味が悪いねぇ。」「そうですね。手は痛みますか?」「ただの掠り傷だったから、大したことないよ。それよりも今日は、エリザベスさんは来ないのかい?」「ええ。今夜は顔合わせのお食事会なのですって。」「上手くいくといいねぇ。」 環と小春がそんな話をしている頃、エルンストとエリザベスは互いの家族と初めて顔を合わせて食事をすることになった。『貴方が、エルンストさんね?妹から話は聞いているわ。これから妹の事を宜しくね。』『は、はい・・』『エルンスト、そんなに固くならなくてもいいだろう?』『でも・・』『済みません、弟はてっきり貴方達に怒られるのではないかと不安になっているのです、どうか許してやってください。』『許すも何も、エリザベスにこんな素敵な方がいらっしゃるなんて嬉しいですわ。ねぇあなた?』『ああ。エリザベス、エルンスト君と結婚したらウィーンに住むのか?』『はい。』『結婚式が今から楽しみね。』『エリザベス、結婚式のドレスはわたしが作ってあげるわね。』『有難う、お姉様。』 両家の食事会は、終始和やかな雰囲気のまま終わった。『あぁ、少し食べ過ぎて胃がもたれてしまったわ。』『本当ね。コルセットを付けていなかったらもっと沢山食べられたのに。』 エリザベスは姉と両親と共に、彼らの宿泊先のホテルで久しぶりの家族団欒(かぞくだんらん)を過ごしていた。『エリザベス、その指輪はエルンストさんが?』『えぇ、素敵でしょう?』『素敵ね。何だかわたし、貴方が急に羨ましくなってしまったわ。』『どうして?お姉様は仕立屋として上手くやっているじゃないの。』『仕事は上手くいっているけれど、それだけでは幸せになれないことだってあるのよ。幸せの形は、ひとつだけじゃないわ。』『そうね・・ねぇお姉様、結婚式のドレスの事なんだけれど・・』『今から採寸しましょうか。こうして貴方と二人きりで過ごすのも、後少しだし。』『ええ、お願いするわ。』 エルンストとエリザベスの結婚準備が着々と進んでいる中、ウィーン市内では降霊会による霊感商法絡みの事件が相次いで起きた。「ねぇ環ちゃん、こんな壺で運気を呼び寄せられるのかねぇ?」「さぁ・・」「詐欺師何てものは、金の為に何でもやるものだね。」小春はそう言って溜息を吐くと、ソファから立ち上がった。「姐さん、何処に行くのですか?」「ちょっと仕事を探しにね。一日中家の中でじっとしているのも退屈だから、何か手に職をつけようと思ってね。」「そうですか。姐さんの幸運を祈ります。」「有難う、それじゃぁ行ってくる。」 職探しに出掛けた小春は、早速美容室で髪結いの仕事を見つけた。『貴方がマダム・コハルね。これから宜しくお願いしますね。』『ええ、こちらこそお願いします。』 髪結いとして働き始めた小春は、たちまち美容室の客達の人気者となった。だが、彼女の人気を妬む者もあらわれた。にほんブログ村
2015年12月10日
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「姐さん、只今戻りました。」「あらお帰り。エリザベスさんなら、厨房であんたを待っているよ。」「わかりました、すぐに行きます。」 帰宅した環が厨房に入ると、そこにはエプロン姿のエリザベスが彼を待っていた。『タマキ様、いつもわたしに家事を教えてくださって有難う。』『いいえ。それよりもエリザベスさん、最近料理の腕を上げたわね。これならいつでもお嫁に行けるわよ。』『そうかしら?』環の言葉に、エリザベスはそう言って照れくさそうな顔をして笑った。『エルンストさんとは、どうなの?』『エルンストさんとは、色々と結婚式の事について話しています。ただ、いつお互いの家族と顔合わせの食事会をするのかどうかを、まだ決めていなくて・・』『焦らずにじっくりと考えればいいわ。』『タマキ様は、ルドルフ様とはどうなの?』『まぁまぁって所ね。つかず離れず、適度な距離感を保っているわ。』『余り極端すぎると疲れると言いますものね、家族でも恋人同士でも。』『そうね。』環はそう言うと、オーブンの中を覗き込んだ。『丁度いい焼き具合になってきたわね。』手袋を嵌めた彼は、オーブンからミートパイを取り出した。「おや、いい匂いだねぇ。」「エリザベスさんにミートパイの作り方を教えていたのです。姐さん、一口いかがですか?」「いいのかい、じゃぁお言葉に甘えて頂くよ。」小春はそう言うと、フォークでミートパイを一口大に切ってそれを頬張った。「美味しいね。」『あの、そのパイ、わたしが作ったのですけれど、お口に合いましたでしょうか?』『とっても美味しいよ。』『有難うございます。』『エリザベスさん、その指輪素敵だねぇ。エルンストさんからのプレゼントかい?』『はい。エルンストさんは、趣味で彫金をしていらっしゃるのです。この指輪は、婚約指輪としてわたしに彼が特別に作ってくださった物なのです。』そう言って照れくさそうに笑ったエリザベスは、左手薬指に嵌められているエメラルドの指輪を環と小春に見せた。『ふぅん、良い物じゃないか。その指輪、大切にしなよ。』『はい。』その日の夜は、三人で素敵な夜を過ごした。『それにしてもエリザベスさん、あんたのお姉さんはいつ英国からこっちに来るんだい?』『来月辺りに姉は来ると思います。その時、両家の顔合わせの食事会を開こうと思っているので。』『そうなのかい。エルンストさんとお幸せにおなり。』 季節は爽やかな初夏から、本格的な夏を迎えた。『こうも日差しが強くっちゃぁ、歩いている内にいつか焼け死ぬんじゃないかと思うよ。』『まぁコハルさん、大袈裟な事をおっしゃるのですね。』 日傘を差しながら小春が溜息を吐きながらそんな事を言って歩いていると、彼女の隣を歩いているエリザベスがそう言って笑った。『日本では、夏の暑い日を乗り切るとき、何をするのですか?』『そうだねえ、かき氷を食べたり、花火をしたり、怖い話をしたりして涼んだりしたねぇ。』『怖い話をして涼むのですか?』『ああそうさ。怖い話をして精神的に涼むって事かねぇ。まぁ、あたしゃぁ幽霊の類は信じないよ。』『そういえば最近、降霊会がロンドンで流行っていると、姉からの手紙で知りました。何でも、霊媒師の方が幽霊を呼び出すとか・・』『へぇ、面白そうだねぇ。一度は行って、幽霊さんと話をしてみたいものだね。』小春がそう言って大声で笑った時、彼女は誰かに路上へと突き飛ばされた。 小春のすぐそばに、一台の馬車が猛スピードで突っ込んできた。『コハルさん、大丈夫ですか?』『あぁ、大丈夫さ。それよりも、一体誰があたしの事を突き飛ばしたんだろうねぇ?』『さぁ・・』 エリザベスはそう言って小首を傾げると、そのまま小春とともにその場から立ち去った。にほんブログ村
2015年12月10日
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『只今戻りました。』『エルンストの所に行っていたようだな?』『はい。ゲオルグさんにもお会いしてきました。元気そうでした。』『そうか。エルンストから先ほど手紙が届いた。どうやら、あいつはわたしがお膳立てしなくても、運命の相手を見つけたらしいな。』『ええ。』『今にして思えば、お前をあの冬の夜にブタペストの街角でわたしが見つけたのは、運命なのかもしれないな。』『そうですね。』環がルドルフに抱きつくと、彼は環の唇を塞いだ。『夜にわたしの所に来ないのは、何故だ?』『仕事が色々と立て込んでおりまして・・』『仕事を口実に、浮気でもしているのか?』『いいえ、そのような事は・・』『では、何故わたしの所に来ないんだ?』ルドルフは環のドレスの上から彼の内腿を愛撫すると、彼は甘い喘ぎ声を漏らした。『実は、エリザベスさんに家事を教えているのです。』『お前が、エルンストの恋人に家事を?』『結婚前に家事を一通り出来るようになりたいとエリザベスさんがおっしゃったので、わたしがエリザベスさんに毎晩家事を教えているのです。だから、ルドルフ様の元にお伺いできなくて・・』『そうか。それでは、仕方がないな。だが、今ならいいだろう?』『いけません、こんな昼間に・・』『生憎今日の午後の予定は全てキャンセルした。だから、お前と二人きりでいられる。』 環は、結局ルドルフに流されるままに、彼に抱かれたのだった。『また痕をつけましたね?』『いいだろう、減るものでもないし。』ルドルフはそう言うと、環の首に残した痕の上に強く吸い上げた。『隠すのが大変なのですよ。貴方の場合、軍服の詰襟で隠せますが、ドレスや着物ではそうはいきません。』『ではどうしろと?付ける場所を変えたらいいのか?』『そういう問題ではありません!』自分を揶揄ってくるルドルフに腹を立てた環は、床に散らばったコルセットを着た。『何処へ行く、もう終わりか?』『はい。』『つれないな。』ルドルフはそう言うと、環が結んでいたコルセットの紐を解き始めた。『わたしは、貴方と違って仕事があるのです!』『わたしに独り寝させる気か?』『もう子供じゃないのですから、それくらい出来るでしょう?貴方が寝付くまで、枕元で子守唄を歌って差し上げましょうか?』『人肌が恋しいんだ、それくらい解るだろう?』『もう、仕方がありませんね。』環はルドルフに抵抗するのを止め、彼の口づけに応えた。『まだ、持っておいでだったのですね。』 環はシーツの中で寝返りを打つと、ルドルフが首に提げている懐剣を見てそう言った。『お前から貰った、大切な物だからな。』『そうですか。』『長く引き留めてしまって悪かったな。仕事に戻れ。』 ルドルフに着替えを手伝って貰った環は、寝室を出る前に寝台の端に腰掛け、そこで眠るルドルフの髪を優しく梳いた。『良い夢を、ルドルフ様。』 寝室の扉を環が閉めて執務室から外へと出ようとした時、ソファにはルドルフから待ちぼうけを喰らったヨハンがしかめっ面を浮かべて座っていた。『もう、用事は済んだのか?』『はい。ルドルフ様がお目覚めになるまでまだお時間がかかります。』『ったく、今日はツイてねぇなぁ。』ヨハンは環の言葉を聞くと、そう言った後溜息を吐き、天を仰いだ。 ルドルフが起きると、寝台の前には仁王立ちをしたヨハンの姿があった。『漸くお目覚めか、皇太子様。』『どうした大公、そんな不機嫌な顔をして。』『お前の所為だろうが!』にほんブログ村
2015年12月10日
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宮廷で暴力事件を起こしたエルンストは、数か月間の自宅謹慎処分となった。彼をいじめていた侍従達は皆、自主退職した。それは表向きの事で、裏でルドルフが根回ししたに違いないという噂が、宮廷中に広まりつつあった。『ねぇタマキ、あの噂についてどう思う?』『噂などいちいち気にしていられません。それよりもヴァレリー様、これからピアノのレッスンではないのですか?』『ああ、そうだったわ!じゃぁタマキ、後でね!』ヴァレリーはそう言うと、慌てて環の前から走り去った。『タマキ様、おはようございます。』『エリザベスさん、おはようございます。』『エルンストさんの事、聞きました。わたしの所為で、彼が・・』『悪いのは、彼をいじめていた者達です。エリザベスさん、今日の午後、何か予定はありますか?』『いいえ。』『貴方を一度、連れて行きたい場所があるのです。』環はそう言うと、エリザベスに微笑んだ。 彼がエリザベスを連れて行ったのは、エルンストの自宅だった。『あの、ここがわたしを連れて行きたい場所ですか?』『はい。』 環がドアノブをノックすると、中からエルンストが顔を出した。『タマキ様、エリザベスさんも。』『エルンストさん、こんにちは。差し入れを持ってきました。』『どうぞ、お入りください。』 二人が居間に入ると、そこにはソファに座っているゲオルグの姿があった。『タマキ様、お久しぶりです。』『ゲオルグさん、お元気そうで何よりです。』環はそう言ってゲオルグに挨拶のキスをした。『今日は弟の事でわざわざこちらにいらしたのでしょう?』『ええ。ゲオルグさん、貴方ならばエルンストさんが何故あの事件を起こしたのか、その理由が解ると思って、こちらに伺ったのですけれど・・』『弟は、わたしの為に慣れない喧嘩をしてしまったのです。』ゲオルグは一旦言葉を切ると、カップを持って紅茶を一口飲んだ。『貴方の為に?』『ええ。弟は、自分をいじめていた連中がわたしの事を中傷しているのを聞いて激昂して暴力を振るってしまったと、事件の後話してくれました。』 環がエルンストの方を見ると、彼は恥ずかしそうに俯いていた。『タマキ様、弟は優しい子で、人に理由なく暴力を振るう子ではありません。殿下もその事を理解し、弟に自宅謹慎処分を下したのです。』『そうですか。』『わたしは、自分の事は何も言われてもいいと思いました。けれど、尊敬する兄の事を中傷され、我慢できなかったのです。』『エルンストさん、貴方は素敵な方ですね。』『え?』エルンストがエリザベスの言葉に虚を突かれ、俯いていた顔を上げると、彼女は自分に笑顔を浮かべていた。『わたし、貴方の事をもっと知りたいです。』『エリザベスさん、わたしは自分で言うのも何ですが、頼りない男ですよ。それでもいいのですか?』『わたしは、喧嘩が強い殿方は嫌いです。でも、いざという時に守ってくださるような殿方は嫌いではありません・・貴方のような。』 エリザベスの言葉に涙したエルンストは、無意識に彼女の手を握っていた。『これから、宜しくお願いいたします。』『はい、こちらこそ。』『ゲオルグさん、エリザベスさんのような方はどうですか?』『彼女ならば、弟と上手くやっていけそうです。彼女がわたし達家族の一員になる日も、そう遠くはないようですね。』ゲオルグはそう言うと、口元に柔らかな笑みを浮かべた。にほんブログ村
2015年12月10日
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その日から、エルンストは先輩達から次々と雑用を言いつけられた。“出る杭は打たれる”とはこの事だろうかとエルンストがそう思いながら王宮の廊下をモップで磨いていると、そこを通りかかった女官が足を滑らせて大理石の床の上に尻餅をついてしまった。『貴方、危ないじゃないの!』『すみません、お怪我はされていませんか?』『貴方、この前エリザベスさんとお話ししていた方ね?』女官を助け起こそうとしたエルンストは、彼女から怒りの目を向けられて慌ててその手を引っ込めた。『あの人も困ったものだわ、仕事が出来ない癖に男に媚びるのは得意なのね。』『そういう貴方は、他人に自分のお仕事を押し付けて、他人の粗探しをするのが得意なのですね?』そんな言葉が咄嗟に口から出て、慌ててエルンストは口を閉じたが、遅かった。『貴方、今何とおっしゃったの?』『いえ、あの、わたしは・・』『新入りの癖に、生意気ね!』激昂した女官は、エルンストを殴ろうと右手を振り上げた。だがその手が振り下ろされる前に、彼女は廊下の向こうに居た人物の姿を見て慌てて逃げ出した。『この前は洗濯女の真似事をしていると思ったら、今度は掃除婦の真似か?』『す、済みません。』『謝らなくてもいい。さっきの対応は見事だったぞ。』ルドルフはエルンストに微笑むと、彼の手からモップを取り上げた。『侍従達にはわたしから言っておくから、お前は本来の仕事に戻れ。』『はい。』慌てて廊下を駆けてゆくエルンストの背を見送りながら、ルドルフはクスクス笑った。『ルドルフ、お前はあいつが先輩達からいじめられていることに気づいているのに、何もしないつもりか?』『わたしからあいつらに言ったところで、あいつらが素直にわたしの言う事を聞くわけがないだろう?それに、この問題はあいつの問題だ。』『スパルタだねぇ、お前は。ああ、言い間違えた、飴と鞭の使い分けが上手いんだったな?』『何とでも言え、大公。』 エルンストは先輩達から雑用を押し付けられても、理不尽な要求を突きつけられても、黙って耐えていた。だが、そんな彼の堪忍袋の緒が切れる事件が起きた。『これだけかよ?』『すみません・・』『ったく、使えない奴だなぁ。お前の兄貴の方が、結構気前よく金を出してくれたぜ?』そう言ってエルンストの手から数枚の紙幣を奪った侍従は、それをズボンのポケットに入れた。『女みたいな綺麗な顔をしているから、俺達の相手もしてくれていたしな。』『まぁ、あんな事があってお役御免になったから、どうでもいいけどな。』ゲオルグの事を馬鹿にされたエルンストは、殺意で視界が赤く染まるのを感じた。気づけば彼は、すぐ近くに置いてあった火掻き棒で自分から金を奪った侍従を殴りつけていた。『てめぇ、何しやがる!?』『わたしの事は何も言われてもいい。だが、兄の事を馬鹿にすることは許さない!』そう言ったエルンストの目は、怒りで滾っていた。『ただいま。』『お帰り、エルンスト。お前、職場でいじめられたのか?』『違うよ、いじめられてなんかないって。』 帰宅したエルンストは、ゲオルグが、唇が切れて血が滲んでいる自分の口元を優しく撫でるのを見て、今まで堪えていた涙を流した。『お前は昔から優しくて、喧嘩が嫌いだったよな。』『ごめん、兄さん・・』『謝るなって。よくやった、エルンスト。』 兄から頭を撫でられ、エルンストは子供の頃、兄をいじめていたガキ大将と取っ組み合いの喧嘩をしたことを思い出した。 あの時も兄は何も言わずに、自分の頭を撫でて褒めてくれた。 いつも優秀で冷静沈着な兄は、エルンストにとっては一番の理解者で、親友だった。 それは、今でも変わらない。にほんブログ村
2015年12月10日
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『手伝いますよ。』『有難うございます。でも、わたし一人で大丈夫ですから。』『いいえ、お手伝いいたします。』 エルンストはそう言うと、洗濯物の山を洗濯板で洗い始めた。『洗濯、お上手なのですね。』『子供の時から家事をするのが好きですから、これ位どうってことありませんよ。それよりもさっきの女官、嫌な人ですね。新人の貴方に辛く当たるなんて・・』『わたしはまだ、ウィーン宮廷入りして日が浅いので、色々と先輩達から見ると未熟者だと思われてしまうのでしょう。』エリザベスは洗い終わったシーツを干しながら、そう言って溜息を吐いた。『わたしに比べてタマキ様は仕事を器用にこなしていて羨ましいです。わたし、いつも愚図だとか鈍間(のろま)とか言われて・・』『わたしだって似たようなものですよ。わたしには二人の優秀な兄達が居て、親戚からはいつも兄達と比較されましたから、長所よりも短所の方が目立って仕方がないんですよね。』『まぁ、そうなの。わたしも優秀な姉が居るから、いつも両親から姉と比較されて育ってきたわ。』 洗濯物を干しながらエリザベスとエルンストが互いの事を話していると、そこへルドルフがやって来た。『エルンスト、こんな所に居たのか。』『こ、皇太子様・・すいません、彼女が困っているのでちょっと手伝いを・・』『お前は困っている者を見ると放っておけないからな。それが終わったら、すぐにわたしの所へ来い。』『はい。』 ルドルフが去っていくと、エルンストは安堵の溜息を吐いた。『てっきり怒られるのかと思ったけれど、良かったぁ。』『皇太子様って、貴方にはいつも怒るの?』『まぁ、時々ね。ゲオルグ兄上が優秀な侍従だったから、いつも抜けているって言われるんだよ。ホント、優秀な兄弟を持つと苦労するよね。』『そうね。エルンストさん、今日は手伝ってくれて有難う。』『わたしに出来ることがあったら、何でも頼んでくれていいよ。それと、一人で何でも抱え込まないで、話だったらいつでも聞くから。』エルンストからそう励まされ、エリザベスの顔に笑顔が戻った。『皇太子様、エルンストです。』『入れ。』『失礼いたします。』 エルンストがルドルフの執務室に入ると、部屋の主は淡々とした様子で書類仕事をしていた。『さっきお前と洗濯物を干していた新入りの女官、古株の女官達からいじめられていたのか?』『まぁ、そんなところです。』『宮廷は誰かが常に足の引っ張り合いをしている世界だ。新入りの女官は、必ず古株の女官達から目をつけられる。無論、お前もな。』『ええ、わたしもですか?』『まぁ、これからは気を付けることだな。』ルドルフは書類から顔を上げると、そう言ってエルンストに向かって笑った。その笑みの意味を、エルンストは身を以て知ることとなった。『おい新入り、これ全部運んでおけ。』『え、これを全部ですか?』ルドルフの執務室から出たエルンストは、先輩の侍従達に突然雑用を次々と言いつけられた。『ほ~ら、言わんこっちゃねぇな。』『サルヴァトール大公様。』 エルンストが雑用を必死にこなしていると、ヨハン大公が呆れたような顔をして彼を見ていた。『お前はルドルフに気に入られているから、あいつらやっかんでいるんだよ。』『宮廷は誰かが常に足の引っ張り合いをしている世界だと、皇太子様から言われました。どうやらわたしは、恐ろしい世界に足を踏み入れてしまったようです。』『気づくのが遅いんだよ、馬~鹿。』そうエルンストに憎まれ口を叩きながらも、ヨハンは彼の雑用を手伝ってくれた。にほんブログ村
2015年12月10日
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「ほら、出来たよ。」「姐さん、いつも有難うございます。」「いいんだよ。あんたは日本髪も洋髪も似合うから、髪結いとしては結い甲斐がある。」小春は満足そうに、鏡に映った環の洋髪姿を眺めた。『もう終わったのか?』 浴室からルドルフが出て来ると、環が鏡台の前から立ち上がった。『新しい髪型を試してみたのですが、似合いますか?』『ああ。キモノを着ていた時の髪とは違うのだな。』『ドレスに日本髪は似合いませんから、洋髪にしてみたのです。』『そうか。だがちょっと物足りないな。』ルドルフはそう言うと、環の髪に真珠の簪を挿した。『まぁ、素敵な簪ですね。』『お前がわたしにプレゼントしてくれたカフスを作った職人から貰った。真珠はお前の黒髪に映えるからと。』『有難うございます。』『さてと、そろそろ閣議が始まる時間だ。お前の入浴に付き合っていて遅刻しそうになったから、朝食抜きだな。』『あら、それはご自分の所為でしょう?』『お二人さん、これどうぞ。』小春がそう言ってイチャついているルドルフと環に、弁当を手渡した。『姐さん、済みません。』『ちゃんと食事を取らないと倒れちまうよ。さ、行っておいで。』『行って参ります。』 小春に玄関ホールで見送られ、環とルドルフは王宮へと向かった。『タマキ様、美味しそうなお弁当ですわね。どなたがお作りになったの?』『小春姐さんが、作ってくださったのです。』 一通り仕事を終えて一段落した環が、王宮庭園にある東屋で小春から渡された弁当を食べていると、そこへエリザベスがやって来た。『まぁ、美味しそうね。おひとつ頂いてもよろしいかしら?』『ええ、どうぞ。』エリザベスは環の弁当箱から、サラダとハムを挟んだサンドイッチを一つ取り、それを頬張った。『美味しいわ。このサンドイッチの作り方、今度コハルさんに教えて頂きたいものだわ。』『今度、うちにいらしてくださいな。小春姐さんからは、わたしから言っておきますから。』『解りました。ねぇタマキさん、貴方お裁縫は出来て?』『ええ。今まで家の事は母の手伝いをしていましたから、一通りできますし、自分の事は全て自分でしなければ生活できませんから。』『そう。わたくしは仕立屋の姉をもっていながら、お裁縫が大の苦手なの。ボタン付けどころか、玉止めや玉結びも出来ないから、散々姉から馬鹿にされて来たの。』『わたしも最初針仕事は苦痛以外の何物でもありませんでしたけれど、やるうちに慣れてきました。苦手な方でも、慣れれば楽しくなりますよ。』『そうかしら?じゃぁ今からでも遅くないわね。』 エリザベスはそう言うと、環の手を握った。『タマキ様はわたしよりも年下なのに、しっかりしているわね。』『いいえ、エリザベス様だってしっかりなさっておりますよ?』『ふふ、そうタマキ様から言われると少し元気になったわ。』『ねぇ、何かあったの?誰かにいじめられたとか?』『それは後で話すわ。それじゃぁ、またね。』 エリザベスは環の言葉に一瞬ぎこちない笑みを浮かべると、そのまま東屋から去ってしまった。『エリザベスさん、随分と遅かったわね?』『申し訳ありません。』『これだから新人は嫌になってしまうわ。遅刻した罰として、今日中にこの洗い物を全てして頂戴。』 エリザベスを睨みつけた先輩格の女官は、そう言うと洗濯物の山を指した。『はい、解りました。』『貴方は素直でいいわね、助かるわ。』 エリザベスが洗濯物の山と格闘している姿を、木陰からエルンストが見ていた。にほんブログ村
2015年12月09日
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環が浴室で身体を洗っていると、そこへルドルフがやって来た。『何をしているんだ?』『見ればわかりませんか?』『マダム・コハルから、お前が毎日風呂に入っていると聞いて驚いた。お前はそんなに潔癖症だったのかと。』『潔癖症も何も、わたし達日本人は毎日入浴するのが当たり前です。小春姐さんや師匠だって、渡欧してからも時間があれば髪や身体を洗っていました。』『今のように温かい季節ならまだしも、冬だと風邪をひかないか?』『冷たい水で髪を洗った方が、髪に虱(しらみ)が集るよりもマシです。』環は清潔なタオルで濡れた身体を拭くと、水を張った桶に長い黒髪を浸し、柘植の櫛で梳き始めた。 その時、環の背に残る醜い刀傷をルドルフは見てしまった。あの時彼が自分を庇ってしまった所為で、彼の美しい肌に醜い傷をつけてしまった。『タマキ、背中の傷、痕が残ってしまったな。』『この傷は名誉の負傷です、後ろ傷でも何でもありませんから。』『“後ろ傷”とは何だ?』『武士は背に傷を負うと、敵から逃げた卑怯者と言われました。その傷を“後ろ傷”と呼んで恥としておりました。わたしも、幼い頃から敵と戦うときは逃げるなと父から言われて育ちました。』『サムライの世界は厳しいのだな。だが、そんなサムライの家に育ったお前は、芯が強くて凛々しい。』『有難うございます。』環はそう言ってルドルフに微笑むと、彼の唇を塞いだ。『昨夜は娼館でお楽しみだったようですね?』『何故分かった?』『さっき貴方とキスをした時、微かに香水と白粉の匂いがしました。』ルドルフは背中にどっと汗が流れるのを感じながら、環にどう弁解すべきかどうか迷っていた。『タマキ、わたしは・・』『貴方の物を切り取りはしませんから、安心してください。』環は自分に怯えるルドルフにそう言って笑うと、彼に抱きついた。『貴方が気晴らしの為に娼館に行く時は、必ずヨハン大公様がご一緒だと知っておりますから。』『そんなことを、誰から知った?』『貴方と付き合い始めてから、ゲオルグさんに色々と教えて頂きました。』『優秀な侍従を持つと、困るものだな。』ルドルフは溜息を吐くと、近くに置いてあったタオルで環の濡れた髪を優しく拭いた。『昨夜、あいつの弟が自分に恋人が出来ないことを嘆いていたから、大公と一緒に行きつけの娼館で女を抱いて来たんだ。』『それで、エルンストさんに恋人は出来たのですか?』環の言葉に、ルドルフは首を横に振った。『自分の隣で娼婦が寝ていることに気づいたあいつは、素っ頓狂な叫び声を上げた後、逃げるように娼館から出て行った。全く、同じ血を分けた兄弟でもあんなに性格が違うのかと、呆れてしまったよ。』『ゲオルグさんは、ルドルフ様と娼館へお供するとき、どんな顔を為さっていたのです?』『何も言わずに、ただ“余り羽目をお外しにならないでくださいね”とだけ釘を刺して、わたしが娼婦としけ込んでいる間、外で見張りをしていたさ。』 ルドルフの話を聞き、環の脳裏に娼館の外で見張りをしているゲオルグの仏頂面が浮かび、思わず環は噴き出してしまった。『どうした?』『いいえ、何でもありません。さてと、もう服を着ないと。』『つれないな。ここでするのもいいじゃないか。』『いけません。』自分の胸を執拗に愛撫するルドルフの手をそっと払い除け、環は浴衣を着て浴室から出た。「随分と長い風呂だったねぇ?」「もう姐さん、揶揄わないでくださいよ。」「さっさとそこに座りな。」「はぁい。」 小春に髪を結って貰いながら、環はまた新しい一日が始まる気がした。にほんブログ村
2015年12月09日
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『有難う、大切にする。』ルドルフは環から贈られたカフスボタンを付けた。『どうだ、似合っているか?』『はい。』『もう、あの男の事は忘れろ。』『はい。』ルドルフに抱き締められ、環は久しぶりに安らぎを得た。『ルドルフ、そのカフスは誰から貰った?』『タマキから貰った。わたしがあいつに贈った指輪と揃いのデザインを、無理を言って宝石職人に作って貰ったそうだ。』そう言ったルドルフは、嬉しそうにヨハンにカフスボタンを見せつけた。『どうだ、羨ましいだろう?』『馬鹿にするな、俺だってそれくらい持っている。』ヨハンはルドルフを呆れ顔で見ると、彼にミリから贈られたカフスボタンを見せた。『ほぉ、それは麗しの舞姫殿からの贈り物か?』『ああ、そうだ。今まで俺はお前達の惚気話を聞いてきたが、今日はお前に俺達の惚気話を聞いて貰うぞ。』『聞きたくない、そんなくだらない話に付き合うほど、わたしは暇じゃない。』『ルドルフ、お前なぁ・・』『ルドルフ様、エルンストです。』『入れ。』『失礼致します。』 エルンストが執務室に入ると、そこにはソファを挟んでルドルフとヨハンが互いに睨み合っていた。『どうなさったのですか、お二人とも?』『何でもない。』『ルドルフ様、素敵なカフスボタンですね。タマキ様からのプレゼントですか?』『ああ。珍しいな、いつも鈍いお前が細かい事に気づくなんて。』『兄から、注意深くルドルフ様の様子を観察するようにと言われましたので、それを早速実践してみました。』『へぇ、お前にしてはやるじゃねぇか!』『あ、有難うございます。』ヨハンに肩を強く叩かれ、エルンストはその痛みに顔を顰めながら笑った。『サルヴァトール大公様も、素敵なカフスをしておられますね。』『ああ、これか?これはミリから貰ったのさ。』『お二人とも羨ましいなぁ、恋人から素敵なプレゼントを貰って。わたしも恋人が欲しいなぁ・・』『そんなに落ち込むな、青年よ。俺達がお前の相手を見つけてやる。』 その日の夜、エルンストはヨハンとルドルフに連れられて、ルドルフ行きつけの高級娼館・暁の館へと向かった。『あらぁ、誰かと思ったら皇太子様じゃございませんか。可愛い恋人がお出来になられてもうこちらにはいらっしゃらないと思っておりましたのよ。』『マダム、暫くこちらに顔を見せなくて済まなかったな。それよりも、折り入ってマダムにお願いがあるのだが・・』『わたくしにお願いしたいことって、何かしら?』 胸元を大きく開けたドレスを着たマダム・ヴォルフは、そう言うとルドルフの背後に控えているエルンストを見た。『皇太子様、この可愛らしい坊やはどなたですの?』『わたしの侍従の、エルンストだ。こいつは真面目なんだが女にモテないことを悩んでいてな。マダム、こいつと相性のいい女を紹介してくれないか?』『あらぁそれは困ったわねぇ。坊や、どのような娘がお好みなのかしら?』マダム・ヴォルフに突然迫られたエルンストは、顔を羞恥で赤く染めて俯いてしまった。『まぁ、恥ずかしがり屋さんねぇ。』『す、すいません・・』『まぁ、時間はたっぷりとあるのだから、焦らなくてもいいわよ。』 翌朝、エルンストは自分の隣に見知らぬ女が寝ていることに気づき、素っ頓狂な叫び声をあげた。『どうした、そんな声を出して?』『こ、皇太子様、わたしの隣に女が・・』『お前馬鹿か、ここを何処だと思っているんだ?』にほんブログ村
2015年12月08日
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『大丈夫か、タマキ!?』『大丈夫です、少し休めば治まりますから・・』環はそう言ってルドルフを安心させようとしたが、下腹の激痛は治まらなかった。ルドルフは環を寝室へと運ぶと、侍医を呼んだ。『タマキ、服を脱がせてもいいな?』『はい・・』ルドルフが環のドレスを脱がせると、コルセットの股の部分に赤黒い血のような染みが広がっている事に気づいた。『もしかしてお前、昨夜あいつから乱暴されたのか?』ルドルフの問いに、環は力なく頷いた。『わたしが男だということに気づいた夫は、無理矢理わたしを抱きました。そして、決してわたしと別れないと・・別れたらわたしがルドルフ様と一緒になるつもりなのだろうと言われました。』『酷いことをする。』ルドルフはそう言うと、環の頬をそっと撫でた。そこには、昨夜ミヒャエルに殴られた時に残っていた痣がうっすらと残っていた。『タマキ、わたしがお前をあいつから救ってやる。』『ルドルフ様、それはどういう意味でおっしゃっているのですか?』『お前は何も考えなくていい、ここで身体を休めていろ。』 ルドルフは環の手を握り、寝室から出て行った。『ルドルフ、何処へ行く?』『タマキの夫に挨拶に行くだけだ、心配するな。』 ルドルフはそう言うと、ヨハンに向かって微笑んだ。 一方ミヒャエルは、環の屋敷で朝から酒を飲んで管を巻いていた。『おい、酒が足らないぞ、早く持ってこい!』『うるさいね、あたしはあんたの下女じゃないんだ、酒が欲しいのなら自分で買ってきな。』『俺を誰だと思っているんだ!』小春に口答えされ、激昂したミヒャエルはそう叫ぶと彼女に空の酒瓶を投げつけた。『貴族の子息だからといって、無条件に自分に対して赤の他人に傅(かしず)かれて当然だと思っているのか?そう思っているのなら、お前は愚か者だな。』 怜悧な声が居間に響いたかと思うと、一発の銃声が部屋に響いた。『な、何をする!?』突然自分に向けて発砲したルドルフをミヒャエルが怯えたような目で彼を見ると、ルドルフは煙が上がっている拳銃をミヒャエルの額に押し当てた。『さっきは外したが、今度はお前の脳天を粉々にしてやる。』『やめてくれ、殺さないでくれぇ!』『命乞いなどわたしにとっては無意味だ。これ以上タマキを傷つけたら、わたしがお前を殺してやる。その前にタマキを自由にしてやれ、いいな?』 ルドルフにそう言われたミヒャエルは、ただ彼の言葉に頷くことしか出来なかった。 数日後、環とミヒャエルの離婚が成立し、環はバイエルンの家を出て、再びウィーンで暮らすことになった。「あの男と縁が切れて良かったよ。あの男は最初からいけすかなかったのさ。」「姐さん、今回の事で心配をおかけしてしまってすいません。」「いいんだよ。まぁあんな男の事は忘れて、皇太子様とお幸せにおなり。」「はい。」 ミヒャエルと離婚した後、宮廷では環の悪い噂が広がりつつあった。それは、“ミヒャエルと愛人を脅迫し、離婚を迫った。”というものだった。『退屈な人間ほど、噂を流すのが好きなようだな。』『ルドルフ様、わたしは・・』『お前は何も気にするな。』『ルドルフ様、お渡ししたい物があります。』『わたしに渡したい物?』『はい。』環はそう言うと、美しい包装紙に包まれた箱をルドルフに差し出した。『何だ、これは?』『いいから開けてみてください。』 環に言われるがまま包装紙を剥がし、ルドルフが箱の蓋を開けると、そこにはダイヤモンドが鏤(ちりば)められた真珠のカフスボタンが入っていた。『わたしの指輪とお揃いの物を、宝石職人の方にお願いして作って貰いました。』にほんブログ村
2015年12月08日
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『そ、それは・・』『話は皇太子様から聞いたわ。その続きを聞かせて頂戴。』環はエリスに、ミヒャエルには愛人が居て、その愛人が妊娠しているという事を話した。『それで、その愛人と貴方の旦那は一緒になるとか言ったのかしら?』『いいえ。ですが、ミヒャエルさんとはもう夫婦として暮らしていけませんし、向こうはわたしが男だとは知りません。』『それじゃぁ、さっさと離婚してしまいなさいよ。』エリスはそう言うと、コーヒーを一口飲んだ。『後腐れなく別れた方が、貴方の為にも、貴方の旦那の為にもなるわよ。』『そうですか・・』『まぁ、貴方の旦那さんは、皇太子様に嫉妬しているだけでしょう?皇太子様から貴方を奪う為に、当てつけで貴方と結婚した。でももう貴方には愛情がない、ただそれだけの事よ。』『エリスさん・・』『それじゃぁ、わたしはもう帰るわね。早くプラハに帰らないと、マダムに怒られちゃう。』 エリスはルドルフと環に向かって手を振ると、そのままカフェから出て行った。『ルドルフ様、わたしはミヒャエルさんと別れます。』『そうか。あいつとよく話し合った方がいい。』『はい。』 ルドルフとカフェの前で別れた環が屋敷へと戻ると、居間のソファにミヒャエルが座っていた。『今まで何処に行っていたのかな、タマキ?』『貴方には関係のない事でしょう。それよりも、あの娼婦とはどうなさるおつもりなのですか?』 環がそう言ってミヒャエルを睨むと、彼はソファから立ち上がり環の頬を打った。『わたしの妻だというのに、わたしに向かって何だその口の利き方は!』『わたしは貴方の妻になった覚えはありません、どうかわたしと離縁してください!』『嫌だ、わたしと別れて皇太子様と一緒になるつもりなのだろう?そんな事、わたしは許さないぞ!』 ミヒャエルはそう言うと環をソファの上に押し倒すと、環のドレスを脱がし始めた。『嫌、止めて!』『うるさい、黙れ!』ミヒャエルは環の頬を殴ると、彼のドレスを乱暴に脱がした。すると、平らな男の胸がドレスの下から現れた。『君は、男なのか?』『一度もわたしは貴方に女だと教えませんでしたが、それが何か問題でも?』ミヒャエルは環の言葉に逆上し、環を殴り彼を乱暴に抱いた。 翌朝、小春は居間のソファで気絶していた環を医者に診せた後、ミヒャエルに殴られた傷の手当てをした。「酷い亭主だね、自分の言う事を聞かないあんたに暴力を振るうなんて。さっさと別れちまった方があんたの為だよ。」「はい。」 環は鏡台の前に座り、痣が残る顔に真珠の粉を混ぜたファンデーションを叩いた。「これで痣は目立たなくなりました。」「あんた、今日は休んだからどうだい?」「いいえ。行って参ります。」 環がルドルフの執務室へと向かうと、書類から顔を上げたルドルフは、環の顔に痛々しく残る痣を目敏く見つけた。『どうした、その痣は?』『昨夜、夫に殴られました。』『離婚話が拗れているのか?』『はい。夫に娼婦の話をしたら、彼は突然激昂してわたしを殴りました。』『タマキ、今日はもう休め。』 環はルドルフに頭を下げて執務室から出ようとした時、急に視界が暗くなるのを感じた。『どうした、タマキ?』『大丈夫です・・』そう言って無理に笑顔を浮かべた環は、突然下腹部に激痛が走り、その場に蹲った。にほんブログ村
2015年12月08日
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それから環はエリザベスと取り留めのない話をした後、彼女と王宮図書館の入り口の前で別れた。『タマキ、何処へ行っていたの?』『王宮図書館です。そこで、ブリジット様の妹の、エリザベス様にお会い致しました。』『ブリジットって、お兄様のドレスをお仕立てになった方よね?その方の妹さんとどんな話をしたの?』『それは秘密です。』『狡いわ、タマキばかり面白い話を聞いて!』ヴァレリーがそう言って拗ねると、環はルドルフの女装姿が映っている写真を彼女に見せた。『まぁ、これは?』『先ほどエリザベス様から頂きました。ルドルフ様は何を着ても似合いますね。』『そうねぇ、ドレス姿はお兄様には似合わないと思いましたけれど、写真を見る限りお兄様が女の方に見えますわねぇ~』 ヴァレリーと環がそんな話で盛り上がっていると、そこへヨハンが通りかかった。『二人とも、そこで何を話している?』『お兄様の写真をタマキがブリジット様の妹さんから貰ったのですって。』ヴァレリーがヨハン大公に写真を見せると、彼は突然腹を抱えて笑い出した。『どうなさったの?』『いや・・いつも俺の事を振り回してばかりいるあいつが、この写真ではお上品な貴婦人に見えて、その違いが面白くてつい笑っちまった。』『まぁ、言われてみればそうですね。』『お前達、随分と楽しそうだな?』 三人の背後から玲瓏な声が聞こえ、彼らが振り向くと、そこにはプラハを視察中である筈のルドルフが立っていた。『お兄様、プラハに視察へお行きになったのではなくて?』『予定より早く終わって、ウィーンに戻って来た。タマキ、背中に何を隠している?』『いいえ、何も隠しておりませんよ。』環はそう言うとルドルフから逃げようとしたが、無駄だった。『こんな物、何処で手に入れた?』環から写真を取り上げたルドルフがそう言って彼を見ると、環はブリジットの妹・エリザベスからその写真を貰ったと白状した。『ほう、そうか・・』『ルドルフ様、彼女を叱らないでやってくださいませ。彼女に悪気はないのですから。』『わかった。それよりもタマキ、マダム小春からお前がまた体調を崩していると聞いたが、もう大丈夫なのか?』『はい。お医者様に診て貰ったところ、以前罹った胃潰瘍が再発していると言われました。』『余り無理をするなよ。』ルドルフはそう言うと、別れ際に環にメモを握らせた。 環が屋敷に帰ってそのメモを開くと、そこには“今夜9時に、いつものカフェで”というメッセージが書かれていた。「あんた、こんな遅くに何処かに出掛けるのかい?」「はい。ルドルフ様に会いに。」「解ったよ、夜道は危ないから、気を付けて行くんだよ。」「はい、行って参ります。」 環がルドルフに指定されたカフェへと向かうと、そこにはルドルフとエリスの姿があった。『久しぶりね。』『エリスさん、わたしに何かご用なの?』『ええ。貴方にこの指輪を返そうと思って。』エリスはそう言うと、バッグからダイヤモンドが鏤められた真珠の指輪を取り出した。『これ、てっきり失くしたのかと思って、諦めていたのに・・』『貴方に意地悪をしようとして、エヴァに命じて指輪を盗ませたの。貴方に返そうと思って屋敷に行ったのだけれど、出産でそれどころじゃなかったから、結局返せなかったの。だから、皇太子様にお手紙を書いてわざわざ貴方に指輪を返しにここに来たって訳。』『有難うございます、エリスさん。』『礼を言われるような事はしていないわ。それよりも貴方、好きでもない男と結婚したのですってね?』 エリスはそう言うと、環を睨んだ。にほんブログ村
2015年12月07日
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娼館の若い娘―もとい、ミヒャエルの愛人は、マリアと名乗った。彼女の話によると、マリアはミヒャエルの子を身籠っているので環にミヒャエルと別れて欲しいということを告げに、遥々ウィーンまでやって来たのだという。『そうですか。ミヒャエルさんは、貴方が妊娠されていることをご存知なのですか?』『ええ。彼は喜んで、子供を産んでくれと言って来たわ。』『元気な子をお産み下さいね。』環は笑顔でマリアを玄関ホールで見送ると、再び寝室で休んだ。「環ちゃん、誰か来たのかい?」「ええ。ミヒャエルさんの愛人が来ました。彼女はミヒャエルさんの子を妊娠しているから、わたしと別れて欲しいと言って来ました。」「へぇ、そうかい。お医者様を連れて来たよ。」 小春が連れて来た医者から診察を受け、環は以前罹った胃潰瘍が再発していると彼から言われた。『ここ数か月間、貴方が吐き気や食欲不振などの症状に襲われたのは、胃酸が逆流していた所為でしょう。それと、微熱はただの風邪ですね。一週間分の薬を出しておきますので、必ず食前食後に服用してください。』『解りました。』医者が屋敷から出て行った後、環は彼から処方された薬を飲んで寝た。 翌朝、環が王宮へと出勤すると、マリア=ヴァレリーが彼の方に駆け寄って来た。『タマキ、結婚したら会えなくなると思っていましたわ。』『ヴァレリー様、お久しぶりです。ルドルフ様はどちらに?』『お兄様はプラハへ行かれましたわ。入れ違いになってしまいましたわね。』『ええ。』『ヴァレリー様、こちらにおいででしたか。』ヴァレリーの世話係は、そう言うと彼女を睨んだ。『タマキ、またあとでね。』『はい。』ヴァレリーと廊下で別れた後、環は王宮図書館へと向かった。朝の早い時間帯だからか、図書館内には誰も居なかった。 環は以前から読みたいと思っていた本を書棚から取り出し、近くにあった席に座ってその本を読み始めた。『お隣に座っても宜しいでしょうか?』突然頭上から声を掛けられ、環が本から顔を上げると、自分の前には栗色の髪を結い上げた女性が立っていた。『どうぞ、お構いなく。』『初めまして、わたしはエリザベスと申します。貴方は、タマキ様ですね?』『何故、わたしの事を知っているのですか?』『実はわたしの姉が、ロンドンで仕立屋をしておりまして・・その姉から貴方の話を何度か聞いたことがあります。』『貴方のお姉様って、ブリジット=フォースリー様ではなくて?』環の言葉に、女性はクスリと笑って頷いた。『皇太子様から以前姉がドレスを依頼されて驚いたという話を聞きました。それと、貴方の事について、姉が貴方と皇太子様はお似合いのカップルだと申しておりました。』『エリザベス様は、何故ウィーンにいらっしゃるの?』『母がウィーンの出身なので、わたしは家族の居る英国を離れて、伯母の家で暮らしております。実を言うと、今日が宮廷勤めの初日なのです。タマキ様、色々と教えてくださいね。』『わたしはまだ若輩者なので、エリザベス様のお力になるかどうかわかりませんが、こちらこそ宜しくお願いいたします。』 環はそう言ってエリザベスに微笑み、彼女と握手を交わした。『貴方のお姉様・・ブリジット様は、他にはどのような事を話されていたのですか?』『あの舞踏会の時に皇太子様用のドレスを仕立てる時、皇太子様の長身が目立たないようなデザインを考えるのに苦労したと姉は言っておりました。』『わたしも見たかったです、ルドルフ様のドレス姿。さぞや素敵だったのでしょうね。』『姉から写真を預かりました。』エリザベスはそう言うと、バッグの中から一枚の写真を取り出し、それを環に手渡した。 そこには蒼いドレスを着て化粧を施したルドルフが映っていた。『美男子は、女装をしても似合いますね。』『ええ、本当に。』にほんブログ村
2015年12月07日
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環とミヒャエルの新婚生活は、二人がバイエルンで暮らし始めてから暗雲が垂れ込めていた。 環はミヒャエルに対して常に事務的な態度を取り、夜は自室で寝ていた。ミヒャエルはそんな彼の冷たい態度に傷つき、次第に夜遊びをしては明け方に帰る事が多くなっていった。そんな息子夫婦の関係に心を痛めたフライベルク伯爵は、環をバート・イシュルの自宅へと呼び寄せた。『お話とはなんでしょうか、お義父様?』『タマキ、ミヒャエルと最近上手くなっていないと聞いている。子供はまだ出来ないのか?』『ええ。わたしはお医者様から病弱で妊娠は望めないと言われました。』フライベルク伯爵には男である事を知らせていない環は、そう言って彼に嘘を吐いた。『そうか。』『わたしはミヒャエルさんの夜遊びに口を出すつもりはありません。わたしと二人きりで気まずい時間を過ごすよりも、夜の街で娼婦達と戯れていた方があの人にとっては良い事でしょう。』『お前がそう言うのなら、わたしはお前達の関係にはもう口出しはせん。』フライベルク伯爵はそう言って咳払いすると、すっかり冷めてしまった紅茶を飲んだ。『若奥様、お帰りなさいませ。』『ミヒャエルさんは?』『ミヒャエル様なら、お部屋におります。』『そう。』 バイエルンの家に戻った環は、ミヒャエルの部屋へと向かった。『ミヒャエルさん、いらっしゃいますか?』環がそう言ってドアをノックしたが、中から返事はなかった。 彼がドアに耳を寄せると、中からは情事の最中と思われる男女の喘ぎ声が聞こえた。『若奥様、あの・・』『ミヒャエルさんは、“お楽しみ中”だから、暫く放っておいてもよさそうね。わたしはこれからウィーンに行くから、留守をお願いね。』『お待ちください、若奥様!』環はメイドにそう言うなり、荷物を纏めてそのままウィーンへと向かった。「あんた、旦那さんを放って置いて大丈夫かい?」「ええ、大丈夫です。あの方は、ひっきりなしに女を家に連れ込んでは楽しんでいますから。」「へぇ、そうかい。」環から荷物を受け取った小春は、彼の顔色が少し悪いことに気づいた。「あんた、最近顔色が悪くないかい?一度医者に診て貰った方がいいよ。」「そうしたいのですけれど、色々と忙しくて、つい後回しにしてしまうのです。」環はそう言うと、ソファの上に横たわった。「皇太子様から、あんたの事情は一通り聞いたよ。あんたの旦那、あんたが男だって知っているのかい?」「いいえ。今日はお義父様から子供はまだ出来ないのかと聞かれ、医者から妊娠できない身体だと嘘を吐きました。その嘘が、いつまで吐き通せるのかどうか・・」環は溜息を吐き、小春の方を向こうとした瞬間、何かが内側からせり上がって来る感覚に襲われ、慌てて口元をハンカチで覆ってトイレへと向かった。「大丈夫かい?」「はい。」「また気持ちが悪くなったのかい?」「ええ。暫く横になっていると吐き気が治まるのですが、ここのところ毎日吐き気が治まらず、食事も満足に取れなくて・・」「あんたは自分の部屋で休んでいな。あたしが医者を呼んでくるよ。」「すいません。」「謝るんじゃないよ。」 環が自室に入って寝台で休んでいると、誰かがドアをノックする音で目が覚めた。「姐さん、もう帰って来ていらしたのですか?」『貴方が、ミヒャエルの奥さん?』 環がドアを開けると、そこにはミヒャエルが最近足繁く通っている娼館の若い娘が立っていた。『ええ、そうですけれど・・貴方は?』『貴方と話がしたいの。今、宜しいかしら?』にほんブログ村
2015年12月07日
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ミヒャエルと環の婚約が決まったのは、その年の6月のことだった。『タマキ、解っているとは思うが、ミヒャエルとの結婚は形だけだ。』『ええ。本当にわたしが愛しているのは貴方だけです。』 ミヒャエルとの『結婚』を決めた日の夜、環はルドルフの腕に抱かれながらそう言うと、彼の胸に顔を埋めた。『バイエルンとウィーンなら、余り離れていない。それに、お前は結婚しても宮廷に勤めるのだろう?』『はい。ミヒャエルさんには、結婚後も宮廷で働くことを許してくださいました。』『それなら、いつでも会えるな。』『ええ。ですが、今のようにルドルフ様の寝所へ伺うことは出来なくなるかもしれません。』『そうか。だが暫くの辛抱だ。ミヒャエルの精神が安定したら、必ずお前を取り戻してみせる。』ルドルフは環の髪を優しく梳いた。 翌朝、環はルドルフの部屋から出ると、そのまま婚約者であるミヒャエルの元へと向かった。『遅かったですね。もしかして、皇太子様との逢瀬を楽しんできたのですか?』『ええ。』『貴方の婚約者はこのわたしです、皇太子様ではありませんよ。』ミヒャエルの蒼い瞳が、剣呑な光を放って環を睨みつけた。『申し訳ありません・・』『タマキ様、皇太子様の事は忘れて頂きたいのです。これからはわたしと、人生の伴侶として生きて欲しいのです。』ミヒャエルは上着の内ポケットからベルベットの箱の蓋を開け、ダイヤモンドの婚約指輪を箱から取り出し、それを環の左手薬指に嵌めた。『結婚式まで、忙しくなりますね。』『そうですね・・』ミヒャエルに抱き締められながらも、環はルドルフの事を想っていた。 ミヒャエルと環の結婚式は、8月の中旬に挙げられた。 結婚式は、アウグスティーナ教会で行われた。 美しい花嫁衣装に身を包んだ環は、ゆっくりと新郎の元へと向かった。ふと彼が信徒席の方を見ると、入り口の近くでルドルフが憂いを帯びた表情を浮かべながら自分の方を見ていることに気づいた。(ルドルフ様、愛しています。)環の唇が象る言葉にルドルフは気づいたのか、彼は環に優しく微笑むと、祭壇の方に背を向けてアウグスティーナ教会から去っていった。 祭壇で環はミヒャエルと永遠の愛を誓うと、涙を堪えてミヒャエルと腕を組み、教会から外へと出た。空は、まるで環の心を表しているかのように、雲に覆われていた。『雨が降ってきましたね。』『ええ。』バイエルンへと向かう馬車の中で、環はミヒャエルとそんな短い会話を交わした後、窓の外を見つめた。『このまま無事にバイエルンまで着けるといいのですが・・』ミヒャエルがそう言った時、馬車が激しく揺れた。『どうした、何があった?』『申し訳ありません、馬が泥濘に嵌ってしまいまいた。』『そうですか。余り無理はしないでくださいね。』 馭者にそんな優しい言葉を掛けた環の姿を見たミヒャエルは、何故か無性に腹が立った。二人を乗せた馬車がバイエルンに着いたのは、数時間後のことだった。『漸く貴方と愛し合えますね。』『ミヒャエルさん、申し訳ありませんが、体調が優れないので先に休ませていただきます。』 環はそう言うと、夫婦の寝室へと入ろうとするミヒャエルの手を払いのけて自分の寝室に入って行った。にほんブログ村
2015年12月06日
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『ルドルフ様、お待ちください!』『うるさい、黙れ。』ミヒャエルを殴った後、ルドルフは環をフライベルク伯爵邸から連れ出し、彼を馬車へ押し込めた。『何故、あのような事を・・』『タマキ、あいつに何かされなかったのか?』『はい。』『さっきは頭に血が上って、気が付いたらあいつの顔を拳で殴っていた。』環はルドルフの両手が痣だらけになっていることに気づいた。『両手、後でお医者様に診て貰った方がよいかもしれません。』『あぁ、そうだな。それよりも、ミヒャエルがこれからどう出るのかが気になるな。』ルドルフはそう言うと、深い溜息を吐いた。 二人を乗せた馬車がホーフブルク宮に到着すると、フランツが憤怒の表情を浮かべながら彼らの方へとやって来た。『ルドルフ、お前は何てことをしてくれたんだ!』もうミヒャエルの事が父の耳に入ったのかーそう思いながらルドルフはフランツに向かって頭を下げた。『父上、今回の事におきましては、わたしが責任を取ります。』『お前に話がある。タマキ、お前もわたしと共に来て貰うぞ。』『はい、陛下。』 環とルドルフが皇帝の私室へと入ると、そこには顔に絆創膏を貼ったミヒャエルと、気まずそうに俯いているフライベルク伯爵の姿があった。『伯爵、この度はルドルフが貴殿の息子に申し訳ないことをしてしまった。』『いいえ、陛下。皇太子様は何も悪くありません。タマキ様を手籠めにしようとした息子が皇太子様に殴られて当然です。』『父上!』『お前は黙っていろ、ミヒャエル。』フライベルク伯爵はそう言うと、息子をじろりと睨んだ。『息子の事を、どうかわたしに免じて許してやってくださいませんか、陛下?』『だが・・』『では陛下、わたしとタマキ様の結婚の許可を頂きたいのですが。』ミヒャエルが突然そんなことを言い出したので、環は再び彼に殴りかかろうとするルドルフを慌てて止めた。『貴様、何をふざけたことを・・』『わたしはふざけてなどいませんよ、本気です。』ミヒャエルはそう言うと、ルドルフを睨みつけた。ルドルフも負けじと、ミヒャエルを睨み返した。『タマキ様、わたしと結婚してくださいませんか?』『それは出来ません。わたしはルドルフ様を愛していますから。』『わたしは貴方を一生大事にするとここで誓えますよ、それでも駄目なのですか?』『はい。』『ミヒャエル、もうタマキ様の事は諦めろ。お前には相応しい家柄の令嬢を見つけてやる。』『嫌です、わたしはタマキ様以外の人とは結婚したくない!』 ミヒャエルは上着の内ポケットから拳銃を取り出し、その銃口を自分のこめかみに当てた。『止めろ、ミヒャエル!』『タマキ様と結婚できないのなら、わたしはこの場で命を絶ちます!』『よかろう、お前とタマキとの結婚を許す。』『父上、本気なのですか!?』 フランツの言葉を聞いたルドルフは、驚愕の表情を浮かべて彼を見た。『ルドルフ、これは一時しのぎだ。今、ミヒャエルの精神は不安定な状態にある。彼が落ち着いたら、わたしが彼とタマキとの結婚を無効にする。』『ですが・・』『ルドルフ様、わたしは大丈夫ですから。』 環はそう言うと、怒りで拳を象ろうとするルドルフの手を優しく握った。にほんブログ村
2015年12月06日
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朝食を終えた環は、ミヒャエルに会いにフライベルク伯爵邸へと向かった。『どちらへお出かけですか、タマキ様?』『ミヒャエルさんに会いに行こうかと思って。』『わたしもお供致します。』『一人で大丈夫よ。それに、すぐに戻って来るから安心して。』『は、はい・・では、お気をつけて行ってらっしゃいませ。』 玄関ホールで馬車に乗り込んだ環を見送ったエルンストは、すぐさまウィーンに居るルドルフに宛てて電報を打った。『ルドルフ様、バート・イシュルから電報が届いております。』『イシュルから?』 ウィーンに戻って来たルドルフは、従僕から自分宛の電報を受け取った。それを読むなり、彼は執務室を飛び出した。『お待ちくださいルドルフ様、どちらへ?』『イシュルに戻る。』『お待ちください、今は・・』『ええい、離せ!』従僕とルドルフが揉み合っていると、そこへフランツがやって来た。『ルドルフ、そこで何をしている?』『父上、急用が出来たのでわたしはイシュルへ戻ります。』ルドルフの言葉に、フランツは渋面を浮かべた。『ルドルフ、何故イシュルへ戻らねばならんのだ?』『それは貴方には申し上げることが出来ません。黙ってわたしをイシュルへ行かせてください、父上。』『それは出来ん。』『父上!』『タマキの事をこれまで大目に見てきたが、お前はこの国の皇太子としての自覚を持て。』フランツは頑なにルドルフの話を聞こうともせず、彼に背を向けて去っていった。 一方、フライベルク伯爵邸を訪ねた環は、ミヒャエルと共に客間に居た。『わたしにお話とは何ですかな、タマキ様?』『今朝、ヨハン大公様から貴方がこちらへ夜中に伺ったという話を聞きました。貴方は、何故夜中に・・』『皇太子様に、宣戦布告をするためですよ。』ミヒャエルは徐にソファから立ち上がると、環の唇を乱暴に塞いだ。『何を為さいます!』環はミヒャエルを睨みつけてそう叫び、彼の頬を平手で打った。『わたしはあの時からーシュタルンベルク湖で貴方の日傘を拾った時から、貴方の事をお慕い申し上げておりました。』『そんな・・』『タマキ様、わたしのものとなってください。わたしは皇太子様よりも財力や家柄は劣りますが、貴方を一生大事にすると誓います。』『やめて、離して!』 環は自分の上に覆い被さるミヒャエルを退かそうとしたが、彼の身体はビクともしなかった。『わたしは貴方以外の伴侶など考えられません。どうか、わたしの子を産んでください。』ミヒャエルは環のドレスの裾を捲り上げ、彼の蕾を指先で探った。(誰か、助けて・・)屈辱の涙を流すまいと、環がきつく目を閉じていると、慌ただしい足音が聞こえて誰かが客間に入って来る気配がした。『いけません、ミヒャエル様は今・・』『タマキ、無事か!?』 フライベルク伯爵邸の客間に入ったルドルフが見たものは、ソファに環を押し倒し、そのまま彼を自分のものにしようとするミヒャエルの姿だった。 ルドルフはそれを見た瞬間、頭に血が上り、気が付くと拳でミヒャエルの顔を何度も殴っていた。『貴様だけは、許さん!』『ルドルフ様、おやめください!』 客間に入って来たメイドが、ルドルフに殴られているミヒャエルの顔を見て悲鳴を上げた。にほんブログ村
2015年12月06日
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ルドルフが身支度を整えて寝室から出て客間に入ると、ソファに座っていたミヒャエルがルドルフの姿を見てゆっくりと立ち上がった。『皇太子様、夜遅くにお訪ねして申し訳ありません。』『ミヒャエル殿、こんな夜中に何の用ですか?』『実は、タマキ様についてお話がございます。』『タマキについて?』『ええ。皇太子様、タマキ様をわたしにくださいませんか?』ルドルフはミヒャエルの言葉を聞き、間髪入れずに彼の胸倉を掴んで彼の身体を壁際へと叩きつけた。『お前などに、タマキは渡さない!』『貴方は、タマキ様を傍に置いてこれからどうなさるおつもりなのですか?』ミヒャエルは冷たい目でルドルフを睨むと、ルドルフの手を邪険に振り払った。『皇太子様がご結婚為さったら、皇太子様はタマキ様の事を諦めるおつもりですか?』『結婚しても、わたしはタマキの手を離さない。タマキも、わたしの傍を離れないと約束してくれた。』『そんなもの、貴方を安心させるための嘘ではありませんか?』『何だと?』ルドルフが自分の挑発に乗ったことに気づいたミヒャエルは、薄笑いを浮かべた。『お前は、一体何がしたいんだ?』『わたしは何も致しませんよ。ただ、時が来るのを待っているだけです。』『それはどういう意味だ?』『夜分遅くにお訪ねしてしまい、申し訳ありませんでした。わたしはこれで失礼致します。』 ミヒャエルは、そう言うと客間から出て行った。 寝室へとルドルフが戻ると、寝台の上では環が安らかな寝息を立てて眠っていた。月明かりに照らされ、環の艶やかな黒髪が緑色に美しく輝いた。 ルドルフは、そっと環の髪を優しく梳いた。“皇太子様がご結婚為さったら、皇太子様はタマキ様の事を諦めるおつもりですか?” 客間でのミヒャエルの言葉が、ルドルフの脳裏に浮かんだ。 結婚などしたくはないが、婚姻し後継者を儲けることが、皇太子として課せられた自分の義務である。その義務を果たした後、形だけの結婚生活を送れればいいのだ。ただ、環が自分の傍に居て欲しい―それが、ルドルフが望む唯一の願いだ。(わたしは、タマキの手を離さない。たとえこの国が滅びるとしても、わたしは・・)『ルドルフ様・・』環が寝言で自分の名を呟いた時、ルドルフは思わず彼の顔を見た。『タマキ、わたしは決してお前を離しはしない。』ルドルフはそう言うと、環の唇を塞いだ。 翌朝、環が起きると、寝室にはルドルフの姿はなかった。『あらタマキさん、起きたのね?』『ミリさん、ルドルフ様はどちらに?』『皇太子様なら、ウィーンへ一足先に戻ったわよ。何でも、急用を思い出したみたいで。』『そうですか。』『着替え、手伝ってあげるわ。』『有難うございます。』 ミリに着替えを手伝って貰った環が、彼女と共にダイニングルームに入ると、そこには仏頂面を浮かべたヨハンの姿があった。『あの、どうされたのですか、ヨハン大公様?』『朝っぱらからあいつに昨夜の惚気話を聞かされてうんざりしていた所だよ。』『そ、そうですか・・』『そういえば、あいつも不機嫌な顔をして、夜中に客が来ていた事を話していたな。』『夜中にお客様が?』『フライベルク伯爵の息子が、夜中に急に会いに来て迷惑だったとあいつは言っていたよ。まぁ、朝っぱらから惚気話を聞かされる俺もかなり迷惑だったがな。』(ミヒャエルさんが、どうして夜中にここへ来たのだろう?)にほんブログ村
2015年12月06日
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後半性描写有です。苦手な方は閲覧にご注意ください。『誰だ、あいつは?』『さぁ、存じ上げませんね。それよりもルドルフ様、もう失礼しても宜しいのでは?』 環はそう言うと、ルドルフにしなだれかかった。『そうだな。折角の休暇だ、もっとお前と二人きりで楽しみたい。』ルドルフは少し体調を崩してしまったとフライベルク伯爵にそう嘘を吐き、舞踏会を途中で抜け出した。『タマキ、体の具合は大丈夫なのか?』『はい、今のところは・・』『そうか。』 館に戻ったルドルフは、馬車から降りて環と共に寝室へと向かい、環を寝台の上に押し倒した。『随分と濡れているな?』『やめて、見ないでください・・』ルドルフは環のドレスの裾を捲り上げると、彼の蕾に顔を埋め、舌でその入り口をほぐし始めた。『駄目、もう・・』ルドルフは環が絶頂に達しそうになるのを見ると、蕾から顔を離した。『あぁ、どうして・・』『一人だけイクなんて許さないぞ、タマキ。』ルドルフは環の前でズボンを脱ぐと、自分のものを環に咥えさせた。『上手いぞ、その調子だ。』『ルドルフ様、もう・・』『わたしも限界だ。』ルドルフは環の両足を掴むと、深い角度で自分のものを彼の蕾に挿入した。『あぁ~!』『ドレスが邪魔だな。』ルドルフは環のドレスを脱がすと、白い花が絨毯の上に広がった。『わたしだけ裸じゃ、恥ずかしい・・』『ああ、そうだな。』一旦自分のものを環の蕾から抜くと、ルドルフは服を脱いで裸となり、環の蕾に自分のものを再び挿入した。ルドルフが動くたびに、結合部から淫靡な水音が響き、環は恥ずかしさで耳を塞ぎたくなったが、両手をルドルフによってシーツの上に縫い付けられているので出来なかった。『そんなに恥ずかしがってどうする?』『だって・・』『気持ちいのなら、もっと声を出せばいい。』ルドルフはそう言うと、腰の動きを早めた。環は両足を腰に絡め、絶頂を迎えた。『今日は、かなり感じていたな?今までこんなにお前と気持ちいい事をしたのは、初めてだ。』『ルドルフ様だって、今までこんなに激しくわたしを攻め立てなかったじゃないですか。』 環はそう言うと、ルドルフの額に軽くキスした。 刺激的なセックスの後、環はルドルフの胸に顔を埋めて眠った。そんな彼の髪を、ルドルフは優しく梳いた。『皇太子様、今宜しいでしょうか?』『どうした、エルンスト?』『皇太子様にお会いしたいという方がいらっしゃいまして・・』『こんな夜中にか?』 ルドルフがあからさまに不機嫌な表情を浮かべると、エルンストは少し怯えたように彼から後ずさった。『フライベルク伯爵ならば、追い返せ。』『いえ、フライベルク伯爵なのですが・・息子さんの方が、皇太子様にお会いしたいと・・』『客間に通せ。今行くと伝えろ。』『かしこまりました。』にほんブログ村
2015年12月06日
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暫くして、ルドルフの視線に気づいた青年が、ゆっくりと彼の方へと振り向いた。『バイエルンでお会いして以来ですね、皇太子様。』『失礼ですが、貴方は?』『初めまして。わたしはミヒャエル=フライベルクと申します。』青年はそうルドルフに自己紹介すると、彼に握手を求めた。『皇太子様、息子とお知り合いなのですか?』『ええ。一度、バイエルンでお会いしました。』『貴方が、皇太子様の恋人の、タマキ様ですね?そのドレスと髪飾り、良くお似合いですよ。』『まぁ、有難うございます。』『ミヒャエル殿、少しあちらでお話しいたしましょうか?』ルドルフは有無を言わさずミヒャエルの腕を掴み、彼を人気のないバルコニーへと連れ出した。『貴方は一体何を企んでいるのですか?』『はて、何の事でしょう?』『とぼけるのもいい加減にしろ。バイエルンで、タマキに貴様がちょっかいを出していたことをわたしが知らないとでも思っているのか?』ルドルフがそう言ってミヒャエルの胸倉を掴むと、彼は薄笑いを浮かべてルドルフの手を乱暴に振り払った。『全く、言いがかりも甚だしい。わたしはただ、タマキさんの日傘を拾って差し上げただけだというのに、それをそんな風に言われるなど、心外です。』ミヒャエルはルドルフに乱された胸元を整えると、そのままバルコニーから去っていった。『ルドルフ様、どうされたのですか?』『いいや、何でもない。それよりもタマキ、わたしと踊ってくれないか?』『はい、喜んで。』 ルドルフと環が大広間でワルツを踊りはじめると、招待客達は一斉に私語を止めてじっと二人が踊る姿を見つめた。 環が踊る度に、彼の黒髪に飾られた星形の髪飾りが、シャンデリアの下で美しい輝きを放ち、ドレスの裾がひらり、ひらりと舞う様は、まるで天上から遣わされた天使が美しくダンスを踊っているようだった。『ミヒャエル、さっきからタマキ様の事ばかり見ているね?もしかして、タマキ様に惚れたのかい?』『リーネ、いつからそこに居たんだい?』ミヒャエルが遠巻きにルドルフと踊っている環の姿を見ていると、背後から従兄弟のリーネが姿を現した。『さっき君と皇太子様がバルコニーで話をしているのを聞いてしまってね。一体君は皇太子様を怒らせるような事をしたのかい?』『いや、わたしは何もしていない。それよりもリーネ、どうしてお前がここに居る?』『君の父上から招待されたので、来ただけさ。』リーネはそう言うと、ミヒャエルの手を掴み、そのまま踊りの輪の中へと加わった。突然始まった男同士のダンスに、招待客達は唖然とした表情を浮かべていた。『筋がいいね、ミヒャエル。何処で女性側のダンスを習ったんだい?』『貴族の子息として生まれた以上、ダンスは必須だからね。男女両方のステップを踏めるように子供の頃から習っていたのさ。』『へぇ、それはすごいね。』ミヒャエルが呆れ顔を従兄弟へ向けると、彼はへらへらと笑いながらミヒャエルの手を掴んだまま離そうとしなかった。『もうダンスは終わったんだろう、いい加減離してくれないか?』『わかったよ。いつもつれないね、君は。』リーネはそう言うと、漸くミヒャエルの手を離した。『リーネ、何故お前がここに居る!?』『叔父様、お久しぶりでございます。』リーネは怒りで頬を赤く染めている叔父に向かって笑みを浮かべた。『いつ舞踏会に潜り込んだ?ここはお前が来るような所ではない!』『そう言うと思っておりました。では、失礼いたします。』にほんブログ村
2015年12月06日
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『フライベルク伯爵、何故貴方がここに居られるのでしょうか?貴方を昼食に招待したお覚えはないはずですが。』『どうしても、皇太子様とお会いしたいとそこの方に無理を言いましてね。』 ルドルフから冷たい眼差しを向けられ、フライベルク伯爵はそう言って大声で笑った。『申し訳ありません、皇太子様・・追い返そうとしたのですが、押し切られてしまって・・』『エルンスト、後はわたしに任せておけ。』『はい、ではこれで失礼致します。』エルンストは肩を落としながらダイニングルームから出て行った。『フライベルク伯爵、わたしに怪しい投資話を持ち掛けても無駄ですよ。わたしは貴方のような胡散臭い方は信用しないと決めているのでね。』ルドルフは慇懃無礼(いんぎんぶれい)な口調でそう言うと、フライベルク伯爵に微笑んだ。だが、彼の目は全く笑っていなかった。『皇太子様、わたしは貴方様に投資話を持ち掛けて来たのではありませんよ。今夜我が家で開かれる舞踏会に、貴方をお招きしたいと思いましてねぇ。』フライベルク伯爵はそう言うと、蜜蝋で捺された招待状をルドルフに差し出した。『珍しいですね、また何か悪い事でも企んでいるのですか?』『いいえ、決してそのような事は企んでおりませんよ。そちらの美しい恋人と共に我が屋敷においでください。』『解りました、是非伺います。』 フライベルク伯爵が去った後、ルドルフは押し黙ったまま昼食を取った。『全く、一体あいつは何を考えているんだ?』『ルドルフ様、今夜の舞踏会はどうなさいますか?』『出席するに決まっている。向こうが何を企んでいるのかも知りたいからな。』 自室に戻ったルドルフは、そう言うと環の唇を塞いだ。『ルドルフ様?』『まだ夜まで長い。暫く二人きりで過ごそうか。』 その日の夜、ルドルフと環はフライベルク伯爵邸で開催される舞踏会に出席した。 環は、長い黒髪にダイヤモンドの髪飾りをつけ、真珠色のドレスを纏っていた。このドレスは、何処か見覚えがある―皇帝の私室に飾られていた皇妃の肖像画に描かれた姿そっくりだ。『ルドルフ様、この格好は皇妃様の肖像画と同じドレスではありませんか?』『お前に一度、肖像画に描かれている母上と同じ格好をさせたかった。良く似合っているぞ、その髪飾り。』ルドルフはそう言うと、環の髪に飾られているダイヤモンドの星を眺めた。『皇太子様、今夜は舞踏会にいらしてくださり有難うございます。』 フライベルク伯爵は、ルドルフと環が大広間に入って来たのを見ると、そう言って二人の元へと駆け寄った。『タマキ様、美しい髪飾りでございますね。ドレスも素敵です。』『有難うございます・・』フライベルク伯爵のお世辞に、環はそう言うと愛想笑いを浮かべた。『わたしはお客様に挨拶をしないといけませんので、これで失礼致します。』フライベルク伯爵は二人に背を向け、そのまま他の招待客達の元へと向かった。『妙に胡散臭い方ですね。』『それよりも、随分と盛況だな。』『ええ。料理も豪華ですし、装飾も綺麗です。それに、花瓶に活けられたお花も素敵です。』『細かい所によく気づくな。』ルドルフは環の観察眼の鋭さに感心しながらも、フライベルク伯爵の隣に立っている長身の青年の姿に気づいた。(あいつは、シュタルンベルク湖でわたし達を見ていた・・)『ルドルフ様、どうかなさいましたか?』『いや、何でもない。』にほんブログ村
2015年12月05日
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ルドルフと環が館に戻ると、館の前には見慣れぬ馬車が停まっていた。『これは、どなたの馬車なのでしょうか?』『さぁな。』 二人が館の中に入ると、客間の方から賑やかな笑い声が聞こえた。『あらお二人さん、お久しぶりね。』『ミリさん・・』 客間に入った環は、ソファで寛いでいるミリを見て驚愕の表情を浮かべた。『どうして、ここにわたし達が居るとわかったのですか?』『ジャンナから、皇太子様が突然休暇届を皇帝陛下にお出しになったから、ここしかないとか言って、わたしを連れて来たのよ。』『そういう事だ、二人きりになれなくて残念だったな、ルドルフ。』 客間のドアが開き、嬉しそうな顔をルドルフに向けながらヨハンが入って来た。『いつもわたしに振り回されている仕返しのつもりか、大公?』『まぁ、そういうことにしておいてくれ。それよりも、さっきフライベルク伯爵がここに来たんだって?』『ああ。会わずに追い返した。あいつは信用できない。』『俺もだ。あいつは怪しい投資話を持ち掛けては、沢山の貴族から金を騙し取っているとかいう噂を聞いている。あいつとは余り係わらない方がいい。』『大公にそう言われなくとも、フライベルク伯爵の顔すら見たくない。』ルドルフはそう吐き捨てるような口調で言うと、ヨハンからミリへと視線を移した。『ミリ殿、ようこそお越しくださいました。本日の昼食は、タマキが仕留めた雉のローストです。』『さっきの大きな雉を、貴方が仕留めたの?』『ええ。』『タマキは、弓の腕前もなかなかのものですよ。タマキ、何処で弓を習ったんだ?』『父から教わりました。時代は変わっても、己の身を守る術は身におけと言われ、母からは薙刀を教わりました。』『そうか。タマキは正真正銘のサムライの子だな。』『いいえ、そんな・・お褒めする程の腕前ではありません。』環がそう言って謙遜すると、ルドルフは彼を抱き締めた。『自分の腕前を鼻にかけないところも、わたしは好きだ。』『まぁ、ルドルフ様ったら・・』『お二人とも、大変仲がよろしいのねぇ。タマキさん、赤ちゃんはまだなのかしら?』ミリは冗談のつもりでそう環に尋ねると、彼は顔を赤く染めて俯いた。『あらら、その反応はもしかして・・』『実は、タマキは最近悪阻のような症状に悩まされているそうです。その事を知っていたら、彼を狩猟に誘わなかったのですが・・』(おいおい二人とも、自分達が男同士だってことを忘れてそんな話をするな!ミリ、何か言ってやれ!)『まぁ、それはおめでとう。タマキさん、元気な赤ちゃんをお産みなさいね。』ミリは環に満面の笑みを浮かべながらそう言うと、紅茶を一口飲んだ。(ミリ、それは冗談だと解って言ってるのか!?) 心の中でミリに突っ込みを入れながら、ヨハンはミリ達の会話を黙って聞いていた。『ルドルフ様、わたしは妊娠などしておりません。』『そんな事、解っている。少しお前を揶揄いたくなっただけだ。』『まぁ、悪い方ですね。』環がそう言ってルドルフの額を軽く小突くと、彼は大声で笑った。『あら、雨が降って来たわね。』『雨に降られる前に館に戻って来られてよかった。』『皆様、昼食のご用意が出来ました。』 ルドルフ達がダイニングルームに入ると、そこには彼らが会いたくない人物が椅子に座っていた。にほんブログ村
2015年12月05日
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館のダイニングルームへと入った環とルドルフは、二人だけで朝食を取った。『吐き気はもう治まったか?』『はい、何とか。』『そうか、それは良かった。』環の言葉を聞いて安堵の表情を浮かべたルドルフは、オムレツをフォークとナイフで一口大に切り始めた。『いつから、そんな症状が出始めたんだ?』『そうですね、数ヶ月前からです。はじめは疲れが溜まりすぎてそれが身体に来たのかと思いましたが、そうでもないようです。』『つまり、原因不明だと?』ルドルフの言葉に、環は静かに頷いた。『一度、医者には診て貰ったのか?』『はい。その時は、過労からくるストレスが原因だと言われました。』環がそう言いながらオムレツを食べていると、ダイニングルームのドアが誰かにノックされた。『皇太子様、お客様がいらっしゃっております。』『わたしに客だと?』『はい、フライベルク伯爵とおっしゃる方です。』『フライベルク伯爵とは、どなたなのですか?』 従僕の口から出た客の名を聞いたルドルフの眦が微かにつり上がったのを見た環は、そうルドルフに尋ねると、彼は吐き捨てるかのような口調でこう言った。『わたしや父上に何かと媚を売ろうとする、コバエのように煩くて不快な奴だ。』そして彼は従僕の方へと向き直り、フライベルク伯爵をこの館から追い払うように命じた。『申し訳ありません、皇太子様は貴方様にはお会いにはなりたくないようですので、どうぞお引き取り下さいませ。』『おやおや、すっかりわたしは嫌われてしまったようだね。』 ルドルフに会いに来たフライベルク伯爵は、そう言うと皇太子付の従僕に背を向けて館を後にした。『父上、また皇太子様の元へお行きになっていたのですか?』『ああ。だが、門前払いを喰らったよ。』 馬車に乗って自宅へと戻ったフライベルク伯爵は、自分に駆け寄って来た長男・ミヒャエルに向かってそう言った後、大きな溜息を吐いた。『皇太子様が父上の事を嫌っていることはご存知の筈でしょうに。何故懲りずに皇太子様を会おうとなさるのか・・』『解っていないな、ミヒャエル。人間というものは、得難い宝を得る時の喜びほどこの世に勝るものなどないのだよ。』 そう自分に熱く語る父親の姿を、ミヒャエルは何処か冷めた目で見ていた。 一方、朝食を終えたルドルフは環を連れて森へと向かっていた。『タマキ、向こうだ!』環は、ルドルフの声がした方に矢を射つと、それは叢(くさむら)から飛び出してきた雉(きじ)の胸に命中した。『初めてにしては上手いじゃないか?』『有難うございます。』環は馬から降りると、自分が仕留めた雉を拾い上げた。『この雉は料理長に調理して貰おう。』『ええ。そろそろ曇ってきましたから、一旦戻りましょう。』『ああ、そうだな。』 ルドルフと環が館へと戻る最中、一台の馬車が二人と擦れ違った。『あの馬車、どなたの馬車でしょう?』『さぁな。雨が降る前に戻ろう。』にほんブログ村
2015年12月04日
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最近疲れが溜まり、夜充分な睡眠をとっていても疲れが取れない。それどころか、微熱や身体の怠さといった症状があり、環は風邪でもひいたのだろうかと思いながら、厨房で朝食の支度を始めた。 パンを焼いてコーヒーの豆を挽(ひ)いた時、コーヒー豆の香りを嗅いだ環は急に胃のむかつきを覚え、咄嗟にハンカチで口元を覆った。「どうしたんだい、環ちゃん?」「いえ、急に吐き気がして・・」「もしかして、あんた・・」「姐さん、冗談は止してくださいよ。わたしは男ですよ?」「そうだね。あんたが妊娠するなんてあり得ないね。ここはあたしがしておくから、あんたは少し部屋で休んでおいで。」「はい・・」 厨房から出た環が二階へと向かおうとすると、ドアが誰かにノックされた。『どちら様ですか?』『タマキ様、エルンストです。』環がドアを開けると、そこには苦しそうに息をしているエルンストの姿があった。『エルンストさん、どうしたのですか?』『あの・・皇太子様がお呼びです。』『ルドルフ様が?何かあったのですか?』『いえ、その・・』『タマキ様、おはようございます。』エルンストの背後に、皇太子付きの馭者が立ち、環にそう挨拶して被っていたシルクハットを脱いだ。『あちらで殿下がお待ちになっております。』 てっきりルドルフは王宮に居るのだろうと思っていた環は、少し目立たたない通りの角に簡素な馬車が停まっていることに気づき、エルンスト達と共に馬車へと向かった。『遅かったな、今まで何をしていた?』『朝食の支度をしておりました。ルドルフ様こそ、こんな朝早くに何故・・』『質問は後だ。出せ。』 環の背後に立っていた馭者は、ルドルフの言葉を聞いて馭者台に上り、馬車を通りの角から出した。ガラガラという車輪の音を響かせながら馬車が王宮とは違う場所へと向かうことに気づいた環は、先程から黙り込んでいるルドルフの横顔を見つめた。『どうした?』『いえ、何も・・あの、どちらへ向かわれるのですか?』『今から、バート・イシュルへ向かう。いつも執務室で書類仕事ばかりでは身体が鈍るから、たまには息抜きをしたいと父上から休暇を貰って来た。』ルドルフはそう言うと、視線を窓から環へと移した。『お前、狩猟に興味はあるか?』『余り興味はありませんが、一度どんなものなのか、体験したいと思っております。』『そうか。それならお前と過ごす休暇は退屈せずに済みそうだ。』ルドルフは環の腰を掴んで自分の方へと抱き寄せ、彼の唇を塞いだ。その時、彼の身体から微かに煙草の臭いがして、環は吐き気を覚えて口元を右手で覆った。『どうした?』『いいえ。最近、体調が優れないのです。今朝も、コーヒー豆を挽こうとしたらコーヒーの香りを嗅いで吐き気がしました。』 環の言葉を聞いたルドルフは、何処か嬉しそうな表情を浮かべた。『お前、まさかとは思うが・・妊娠したのか?』『そんな馬鹿な事がある訳がないでしょう、わたしは男ですよ。』『そうか、そうだったな。』ルドルフは少し落胆したような表情を浮かべつつも、その視線は環の下腹へと向けられていた。 二人を乗せた馬車がバート・イシュルにある館の前に停まると、ルドルフは先に馬車から降りて環に向かって手を差し出した。『一人で降りられます。』『駄目だ、お前は今大切な時期なのだから。』ルドルフは完全に誤解しているー環はそう思いながら、彼の手を取り馬車から降りた。にほんブログ村
2015年12月04日
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『大公様、つかぬことをお聞きいたしますが・・』『何だ、急に?』『タマキ様は、本当に男なのですか?』 その日の夜、エルンストを飲みに誘ったヨハンは、彼の言葉を聞いて飲んでいたワインを思わず噎せそうになった。『タマキは俺達と同じ男だが、それが一体どうしたっていうんだ?』『いやぁ、何だか男に見えないんですよねぇ、タマキ様。それに、皇太子様とはまるで長年連れ添った夫婦のように息が合っているし。』エルンストはそう言うと、ワインをグラスに注ぎ、それを一口飲んだ。『お前はまだあいつらのイチャつきぶりを少ししか見ていないから、まだいい方だ。俺なんて、ルドルフからは恋の悩みを相談され、惚気話を聞かされて、毎日うんざりしているんだ!』『ゲオルグ兄さんもそのような事を言っていましたよ。仕事中に皇太子様が溜息をお吐きになる時は、タマキ様の事で悩んでいらっしゃる時だと。』『お前の兄貴は、ルドルフの私生活に一切干渉せずに一線を引いていたからいいが、俺はあいつの身内だからな。それに年が近いから、色々とあいつの方からトラブルを俺に持ち込んでくるんだ・・いや、俺があいつの起こしたトラブルに巻き込まれて、散々あいつに振り回されると言った方が正しいな。』 ヨハンは溜息を吐くと、グラスに残ったワインを勢いよく呷った。『大公様、余り飲み過ぎると明日のお仕事に差し支えますよ。』『うるせぇなぁ、お前の指図は受けねぇぞ!』 泥酔したヨハンの肩にエルンストが手を回しながらそう言うと、ヨハンはエルンストの手を振り払った。『あらあら、こんな夜道で、男二人で何をしているのかしら?』『ミリ・・』ヨハンが背後を振り向くと、そこには呆れた表情を浮かべながら自分を見つめている恋人の姿があった。『まったく、貴方は嫌な事があるとすぐに自棄酒を呷るんだから。』泥酔したヨハンをエルンストと二人がかりで自宅へと運んだミリは、ヨハンをソファに座らせると、水が入ったグラスを彼に無理矢理飲ませた。『俺が自棄酒を呷るのは、全てあいつの所為だ。』『なぁに言ってるのよ、いつもルドルフ様の事が心配で堪らない癖に。』『う、うるせぇ!』ヨハンはそう叫んでミリを睨むと、力が抜けたかのようにソファに横たわり、そのまま眠ってしまった。『いつも嫌な事があるとわたしの所に来るのよねぇ、この人。あ、自己紹介がまだだったわね。わたしはミリ。』『エルンストと申します。あの、ミリ様は大公様とどのようなご関係で・・』『恋人というか、腐れ縁の延長みたいな感じ?まぁ、わたしはこの人の相棒兼恋人ね。それよりも、貴方があのゲオルグさんの弟さん?』『はい。兄と違ってそそっかしくて、失敗ばかりしては皇太子様から怒られています。』『まぁ、そう落ち込むことはないわよ。ルドルフ様は気難しい方だから、最初の内は慣れないとか言ってたわねぇ、貴方のお兄さん。』『兄が、そのような事を言っていたのですか?』『ええ。よくうちに来ては、この人と愚痴を言い合っていたわね。ほら、宮廷っていつも誰かに見られているじゃない?気が休まるのは、ここしかなかったんじゃないかしら。』ミリはそう言ってクスリと笑い、寝ているヨハンの黒髪を優しく梳いた。『もう遅いから、うちに泊まりなさいよ。部屋なら一杯余っているから遠慮せずにどうぞ。』『有難うございます。』 エルンストが二階の部屋に入り、ベッドで横になっていると、ミリとヨハンが居る一階の方から賑やかな笑い声が聞こえて来た。(タマキ様と皇太子様も仲が良いけれど、大公様とミリ様も、仲が良いなぁ。)そんな事を思いながら、エルンストは翌朝までぐっすりと眠った。『おはよう、昨夜は良く眠れたかしら?』『はい。あの、大公様は?』『あの人ならコーヒーだけ飲んでさっき出て行ったわ。急用を思い出したとかで。どうせまた、ルドルフ様に呼び出されたんでしょう。』 翌朝、ミリはエルンストにそう言いながら、彼のマグカップにコーヒーを淹れた。にほんブログ村
2015年12月04日
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『ルドルフ様、環です。』『入れ。』『失礼いたします。』 環がコーヒーとキプフェルを載せたワゴンを押しながらルドルフの執務室に入ると、ソファには緊張で身を固くしているエルンストの姿があった。『エルンストさん、コーヒーとキプフェルは如何ですか?』『あ、有難うございます、頂きます!』『エルンストさん、そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ。ねぇ、ルドルフ様?』『ああ。エルンスト、わたしはお前を取って食ったりはしないから安心しろ。』ルドルフはそう言うと、エルンストを見た。『そうですか・・』この部屋に入って初めて、エルンストは安堵の表情を浮かべた。『いやぁ、噂なんて嘘なんですね。皇太子様は氷のように冷酷で、気に入らない者は容赦ないと言った奴は・・』『その噂、何処からだ?』『え?』エルンストは、自分を見つめるルドルフの瞳が怒りを含んだ冷たい光を放っていることに気づいた。『何処からそのような噂が出て来た?』『いえ、それはあの・・』『ルドルフ様、ただの噂でしょう?』険悪な空気が漂いつつある中、環がそう言ってルドルフの肩にそっと手を置いた。『噂など、暇な者が立てるものです。』『だが・・』『そんな噂にいちいち目くじらを立ててどうなさいます?貴方には、そんな事を気にする時間がありませんでしょう?』 まるで駄々を捏ねる幼子を優しくあやすかのように、環はそうルドルフを静かに諭し始めた。『そうだな。済まない、みっともないところを見せてしまったな。』『いいえ。わたしが悪いのです。』エルンストはソファから立ち上がり、ルドルフに向かって頭を下げた。『それにしても、わたしが冷酷で人非人のようだとは・・酷い言われようだな。』『ルドルフ様は、自分に敵対心を持っていらっしゃる方に対しては手厳しいですからね。』環はそう言うと、ルドルフに笑った。『お前は、いつもわたしに容赦ないな。』ルドルフの言葉に、環はクスクス笑い、キプフェルを一つ摘んだ。『良かった、初めて作ったので上手く作れるのかどうか不安だったのですが、美味しく出来ていました。』『お前、まさか味見なしでわたしにそれを食べさせるつもりだったのか?』『あら、バレてしまっては仕方がないですね。』環はそう言うと、舌を出した。そんな二人の様子を、エルンストはソファに座ってボーっとしながら見ていた。『エルンスト、何をそこでボーっとしている。この書類を皇帝陛下の元へ持っていけ。』『は、はい!』慌ててソファから立ち上がったエルンストは、一口も口をつけていないコーヒーを零してしまい、その熱さに悲鳴を上げた。『まったく、何をやっているんだお前は!』『す、すいません・・』『エルンストさん、ここはわたしが片付けますから、行ってください。』ルドルフから書類を受け取ったエルンストは慌ててルドルフの執務室から出て行った。『おっちょこちょいだな、あいつは。この先あいつと上手くやっていけるのかどうか・・』『まぁ、何とかなりますって。』『タマキ、書類仕事をして目が疲れた。お前の膝の上で休んでもいいか?』『えぇ、どうぞ。』 環がそう言ってソファに座ると、ルドルフは彼の膝の上に頭を乗せ、靴を履いたままソファに寝転がった。 ルドルフが数分もしない内に寝息を立てるのを傍で見ながら、環は彼を起こさぬようそっと少し冷めてしまったコーヒーを飲んだ。(エルンストさんとルドルフ様、これから仲良くなれそうですね。)にほんブログ村
2015年12月04日
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