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2010年01月25日
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http://sensouhantai.blog25.fc2.com/ 米側が合意する見通しがない なんて 時事通信記者は どこで確かめたのか??まして、米軍が世界戦略の一環として決定しているグアム移転が白紙化される可能性など、誰に聞いたというのか??口から出任せで、名護市民の英断につばを吐くことは、断じて許されない。名護市長選挙については、なごなぐ雑記さんの記事から、緊迫の様子を感じつつ、同時に、日本全体の問題を名護市民になすりつけるな という主張に たしかにその通りだと思い、あまり当ブログでは論じてこなかった。たしかに、名護市民に下駄を預けた鳩山首相の戦術は、誉められたものではなかったかもしれない。しかし、65年間続いた属国という立場から、民意を頼りにしてなんとか前に進もうという現政権の基本戦略は、これはこれで正しいと私は思う。民意を発揮する場を設定し、その結果を根拠にして次のステップを決めていく。これは、リーダーシップには欠けているかもしれないが、オカミ意識に毒されてきた日本人には、とても大きな体験になる。民主主義というものを、初めて体験しているのである。どんなに声を張り上げても、何の意味もないと諦めきった、ささくれ立った心象風景は、今、わずかではあるけれども血流が流れ始めている。今回の名護市長選挙での稲嶺氏の勝利を、他人事でもなく、わが事でもなく、次は自分の番だという意識でとらえたい。敵は、明らかに焦りまくり、オロオロしている。 「民主主義というものを、初めて体験しているのである。」・・そうか? ほんとうに、そうなら、、
2010年01月24日
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人々が目にしてはいけないことになっている戦争写真-Chris Hedgesのコラム亡くなった息子を抱くイラク女性。この六歳の子は、小学校の入学手続きを終え、帰宅する途上で殺害された。AP Photo / Adem HadeiChris Hedges2010年1月4日 "Truthdig"戦争は残虐で、人間味の無いものだ。個人の勇気ある行動といった夢想や、民主主義といった夢想的な目標のばからしさをあざわらうものなのだ。産業技術を駆使する戦闘は、攻撃してくる相手など見たこともない何十人、いや何百人もの人々を、一瞬で殺害できる。こうした高度な工業生産による兵器の威力は無差別で、信じがたいほどだ。瞬く間に、団地にいる全員を生き埋めにし、粉砕することが可能だ。そういう兵器は、村々を破壊し、戦車や、飛行機、船舶を灼熱の爆発で吹き飛ばすことが可能だ。生き残った人々にとって、傷は、酷い火傷や、失明や、四肢切断や、一生続く痛みやトラウマとなって残る。こうした戦闘から戻ると、人は変わってしまうものだ。しかもこうした兵器が使われてしまえば、人権にまつわるあらゆるあらゆる論議も茶番劇と化する。(略)「道端にしかけられた爆弾が、乗っていた車両に命中し、ガソリン・タンクを発火させ、他の二人の兵士も焼死させた際、この兵士は体の90パーセント以上に火傷を負った」アットマールの写真集にある、手術室にいる血塗れの兵士の写真には、横にそう説明がある。「彼の迷彩服は、ヘリコプター上で彼を処置した衛生兵によって引き裂かれ、ベッド中に垂れ下がっていた。皮膚の塊ははげおち、わずかに残った皮膚は半透明になっていた。彼は意識を失ったり、回復したりしており、数秒間、彼はかっと目を見開いた。担架から、ERのベッドに移される際に彼は叫んだ。「父さん、父さん、父さん、父さん」そして「眠らせてくれ、頼むから眠らせてくれ。」ERには、もう一人のカメラマンがおり、上からの場面を撮影しようとして、医療スタッフの頭上からカメラを突き出した。兵士は叫んだ。「クソ・カメラを目の前からどけやがれ」彼の最期の言葉はそういうものだった。六ヶ月後、ある冬の午後、私は彼の墓にお参りした。」アットマールは書いている。「彼の最期の光景は脳裏から離れない。」「車内には三人いて、ジープに火がつきました」イスラエル兵士ヨッシ・アルディティは、グリンカーの本にある引用で、火炎瓶が車中で破裂した瞬間について語っている。「燃料タンクは満タンで、今にも爆発しそうで、私の腕や顔からは皮膚が垂れ下がっていましたが、動転はしませんでした。誰も入ってきて、助けてくれることなどできず、火をくぐり抜けて、ドアに向かう他に脱出方法がないことは分かっていました。銃をもって出たかったのですが、両手が火傷していて、触れませんでした。」 [『戦後』の抜粋と、Chris Hedgesによる前書きを読むには、ここをクリック。]アルディティは六ヶ月入院していた。退院後の三年間、二、三ヶ月毎に、合計20回の手術を受けた。「私を見る人は、戦争が本当は何をするのかを見るのです」と彼は言う。映画のような、非常に写実的な戦争の画像は、心臓がドキドキするような恐怖、すさまじい悪臭、耳を聾するような轟音、戦場における極度の消耗が、はぎ取られている。そうした画像は、戦闘の主要要素である混乱や混沌を、巧みな戦争物語へと転換する。そうした画像は戦争をポルノに変えてしまう。兵士や海兵隊員達、とりわけ戦争を体験したことがない連中は、ビールをケース買いし、"プラトーン"のような、戦争を糾弾することを意図して制作された映画を見るのだが、そうしながら、そこで見せられる兵器の卑劣な威力を大いに楽しむのだ。暴力の現実は違う。暴力によって形作られたあらゆるものは、意味は無く、使い道も皆無だ。何の展望も無い存在だ。それが後に残すものと言えば、死と、深い悲しみと、破壊ばかり。戦闘の画像や光景を控えた、この二冊の写真集のような戦争の記録が、戦争の現実を活写しはじめている。国家や、戦争を商売にする連中の侍女たるマスコミは、戦争の結果として本当に起きることを、懸命に、隠されたままにしておこうとする。戦争が、若者の心と体に、一体どのような影響を与えるのかを、もしも私たちが本当に見てしまえば、戦争の神話を奉じることは、より困難になるだろう。一週間前に、アフガニスタンで殺された八人の学童の、ずたずたになった亡骸の前にたたされるようなことになれば、そしてその子達の両親の泣き声を耳にすれば、アフガニスタン女性の解放やら、アフガニスタン国民に自由をもたらすなどという決まり文句など繰り返せなくなるだろう。それが、戦争の好ましからぬ部分が、入念に削除されてしまう理由なのだ。それが、戦争の歪んだ暗いスリルは、我々に与えられても、戦争の本当の結果が、我々には見せられずにいる理由なのだ。戦争の神秘的な幻想が、戦争を、英雄的で、わくわくするものにする。だから、報道機関は、ハリウッド同様に罪深い。イラク戦争の開始時に、テレビ報道は、暴力の本能的なスリルを与えてはくれたが、銃弾、戦車の一斉射撃、破砕性爆弾や、迫撃砲の一斉射撃の結果は、我々には隠して、見せなかった。私たちは戦争の刺激の一端こそ味わったものの、戦争が本当に引き起こすことは見ないようにされていたのだ。この偉大な茶番において、負傷者、身体障害者、死者は、舞台の外に速やかに運び去られてしまう。彼等は戦争の廃物なのだ。私たちは彼らを目にすることはない。私たちは彼らの声を聞くことはない。彼等は、我々の意識の周辺に漂う、彷徨える魂のように、無視され、罵倒さえされるべく、運命づけられている。彼等が語る言葉は、我々が耳にするには余りに悲痛だ。人は、戦闘においてはの空虚で無意味となる言葉をである、栄光、名誉、愛国心という神話を受け入れ、自らと国家とを讃えることの方を好むものなのだ。そして、戦争の本当の結果と直面するべく運命づけられた人々は、向きを変え、逃げてしまうことが多いのだ。グリンカーの本の中で、エルサルバドルでの戦争で両足を失ったサウル・アルファロは、陸軍病院の病床に横たわっていた時の、恋人による最初で最後のお見舞いについて語っている。「軍隊では、彼女が恋人でして、結婚する計画でした」と彼は言う。「ところが、彼女は病院で私を見ると、何が起きたのか私には良くわかりませんが、皆が言うには、私を見て泣きだしたそうです。その後、彼女は私から去り、決して戻っては来ませんでした。」公的な感謝の宣言は、国家から手渡された原稿を忠実に読む退役軍人向けとして、予約済だ。そうした公式の席に出席させられる退役軍人は、従順で、我々が、ぞっとせずに、その姿を見守ることができるような、心地良い人々であり、戦争は、愛国心であり、最高の善であるという嘘を、進んで支持する人々なのだ。「軍務に服して下さって有り難うございます」と言うことを、我々は期待されているのだ。彼等は神話を持続させることに慣れている。我々は、それを讃えることに慣れている。湾岸戦争症候群を患って、テキサス州ワコにある両親の家の特別に閉鎖された環境で暮らしているゲーリー・ザスパンは、グリンカーの本の中で、戦争が終わった後でさえ"戦争捕虜"のように感じていると語っている。「本質的に、連中は、私を縁石において、さあ自力でやっていきなさい、と言っているのです」と、彼は本の中で語っている。「我が国の政府は、我々兵士のことを気づかってくれるし、政府自身も、自らのことを処するはずだという、空想の世界に、私は暮らしていたのです。万一、戦争で軍務に服している間に、不具になったり、負傷をしたりした場合には、面倒をみてもらえると、契約書に書かれているのだと信じこんでいました。今、私は怒っています。」ニューヨーク・タイムズで、戦争報道をした後、1990年代に、サラエボを再訪し、何百人もの身障者が、エレベーターも車椅子も無い団地の室内に閉じ込められているのを私は発見した。大半は若者で、多くはいずれかの四肢を失っており、年老いた両親による世話を受け、輝ける戦争の英雄は朽ちるままに放置されていた。生き残った人々を、絶望と自殺が、とらえて離さない。戦争中に亡くなった人数より多くのベトナム戦争退役軍人が、終戦後に自殺した。戦時に、兵士や海兵隊員に叩き込まれた非人間的な資質が、平和時に、彼等を打ち破るのだ。・・多くの人々は、決して再適応することができない。彼等は、妻や、子や、両親や友人達と、再び意思を通じ合うことができずに、自己破壊的な苦悶と憤激という、孤独の地獄に引きこもる。「連中は、兵士がいかなる感情も持たないよう、条件づけるのです。隣に座っている誰かが殺されても、黙って自分の仕事をやり続けるという具合に」フォークランド戦争に従軍したイギリスの退役軍人スティーブ・アナベルは、グリンカーに、こう語っている。「退役した時に、そういう状況から戻った時に、退役した人間の感情を、押すだけで、よみがえらせることができるボタンなどありません。そこで、退役兵士は、ゾンビーのように歩き回ることになるのです。連中は、感情を殺すように条件づけした退役兵士を、条件づけから解除できないのです。退役兵士がやっかい者になると、連中はそうした人物を隠してしまうのです。」(略)戦争が終わった時、退役軍人達と一番多く共通点を持つ人々は、彼らが戦った相手だ、というのはよくあることだ。「誰も、人格が変わらずに戦争から戻れることはありません」と、フォークランドで、イギリスと戦ったホラシオ・ハビエル・ベニテスが語っているのが、グリンカーの本に引用されている。「戦争に派兵された、ホラシオという人物は、もはや存在していないのです。普通の生活に熱心になるのは大変なことです。余りに多くのことが瑣末に見えてしまって。狂気と、うつ状態との戦いです。」「マルビナス諸島で軍務についた連中の多くが」彼は諸島のアルゼンチン名を使って言った。「自殺しました。友人の多くが。」(略)戦争を正当化するために使われる、国粋主義の決まり文句の先を思い描こう。武器の誘惑と、暴力のポルノの先を思い描こう。仕事を完遂するだの、テロとの戦いだのというバラク・オバマの奇妙な論理の先を思い描こう。戦争の悪に焦点をあてよう。戦争は、相手側を絶滅させようという呼びかけで始まるが、究極的には自己破壊で終わる。戦争は、魂を堕落させ、体躯を切断する。戦争は家や村を破壊し、通学途上の学童達を殺害する。戦争は、優しく、美しく、神聖なものすべてを粉砕し、泥と化してしまう。戦争は、卑しむべき暴力という言語しか話すことができない奇形人間、つまり、軍閥、シーア派暗殺部隊、スンナ派武装反抗勢力、タリバン、アル・カイダや、わが国の人殺し連中に権限を与える。戦争は災いだ。戦争は大規模な疫病だ。工業殺人だ。だから、戦争を、とりわけイラクとアフガニスタンの戦争を支持する前に、それを知っている男達、女達、子供達のうつろな目を覗き込む必要がある。
2010年01月24日
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沖縄の叫び 議場圧倒 先の戦争で唯一、住民を巻き込んだ地上戦を経験した沖縄。赤嶺氏は、上陸した米軍が住民を収容所に強制的に入れ、その間に軍用地・民有地問わず接収し基地を建設し、住民が収容所から帰ると、鉄条網が張られ、自分たちの土地が基地に変わった事実をつきつけました。 「普天間基地がつくられた場所には、民家も役所も郵便局も墓地もあり、各集落には黒糖製造所もあった」と赤嶺氏。さらに、「サンフランシスコ条約が締結された1951年以降も、米軍は銃剣とブルドーザーで住民を強制的に排除し、基地をさらに拡張した」-。これが沖縄の歴史です。 赤嶺議員は、自らが生まれた那覇市小禄(おろく)地区についても、「水道タンクをつくるといって実際に設置されたのはガソリンタンクだった。米軍は、大勢の武装米兵、装甲車、トラックで押し寄せ、座り込む住民を銃剣で殴り、軍靴でけり、頭から毛布をかぶせ追放していった」と述べ、「沖縄の米軍基地が不法・不当な土地取り上げによってつくられたという認識はあるのか」と迫りました。 鳩山首相は、「普天間基地は戦争が終わらないうちに米軍が接収し、その上につくったもの。県民は早く返してもらいたいと思っておられると思う」と答弁しました。 赤嶺氏は、県民の耐え難い苦しみについて、自身が小学校に入学した時に起きた、6歳の少女が嘉手納基地で米兵に暴行され殺されゴミ捨て場に捨てられた"由美子ちゃん事件"、同6年生の時に起きた石川市(当時)宮森小学校に戦闘機が墜落し児童を含む17人が死亡した宮森小事件など、米軍による数々の事件・事故の事実を、自らの生い立ちに重ねて紹介しました。 赤嶺 米軍による直接統治下で県民は虫けらのように扱われてきた。県民は忘れられない悲劇を胸に秘め基地問題を考えている。 首相 あまりにも多くの悲劇が米軍基地により起きている現実の話をうかがった。このようなことが決して繰り返されないような状況をつくっていかなければならない。米軍の存在を必要とするなか、どのような解決があるのか知恵を絞らなければいけない。 ここで赤嶺氏は、「琉球住民赤嶺政賢は、日本へ旅行するものであることを証明する 琉球列島高等弁務官」と印字された、復帰前に使っていた自身のパスポート(パネルも)を掲げ、本土復帰に込めた沖縄県民の思いを語りました。 「沖縄は外国だった。すべては軍事が優先され、県民は無権利状態だった。だから平和憲法がある日本に復帰したら、当然米軍基地はなくなる、少なくとも縮小されると思った」 しかし本土復帰から38年、基地をめぐる沖縄の現実は何も変わっていません。 赤嶺 県民は95年の米兵少女暴行事件で由美子ちゃん事件を、沖縄国際大への米軍ヘリ墜落で宮森小事件を思い出した。復帰されても不条理な状況が繰り返されている。政権が代わったいまこそ、約束どおり、米軍基地の縮小・撤去に努力すべきではないのか。 首相 大変なつらさ、思いをしんしゃくしていくなかで、基地のあり方、将来的に米軍の再編、安保のあり方を考えるべきかというなかで、結論を見いだしていきたい。 この後、赤嶺氏は具体的に、沖縄の基地問題を追及していきます。 「代替施設なき返還」首相は野党時代の主張貫け 普天間「移設先」として嘉手納、伊江島、下地島などを挙げ、「県内たらい回し」を模索してきた鳩山政権。赤嶺氏は、「鳩山内閣は沖縄の基地問題の深刻さを理解していない」と厳しく批判しました。 極東最大の空軍基地と言われる米軍嘉手納基地では、昼夜分かたぬ爆音や戦闘機の墜落・事故が相次いでいます。岡田克也外相も「昨年沖縄を訪問した際、嘉手納基地を抱える2町1市の長から、嘉手納への(普天間基地)移転は反対だと言われた」と認めざるを得ませんでした。 下地島を抱える宮古島市、伊江村の両議会も相次いで普天間「移設」に反対する決議を可決しています。 赤嶺氏は、「県内のどこにも新たな基地をつくる場所はない」と述べ、「移設先探しは必ず行き詰まる。だから普天間は13年間、動かなかった」と指摘。普天間基地問題の解決は無条件撤去しかないと力を込めました。 ところが岡田外相は、「沖縄を訪れた際、確かに基地が多いと感じたが、米軍の抑止力で日本の安全が保たれていると感じた。普天間基地移設について、沖縄県外・県内ゼロベースで検討している。日本からすべてなくしてしまうと抑止力が失われてしまう」と答弁。"抑止力"を口実に、今後も沖縄に基地をしばりつける可能性を排除しませんでした。 赤嶺氏の声が議場を震わせました。「沖縄の広大な米軍基地を見て、これが日本を守る抑止力と感じるのか。基地のもとで、虫けらのように扱われてきた県民に思いをはせるべきではないか。抑止力、抑止力というが、これが65年間、沖縄に基地をおしつけてきた論理だ。軍の論理より民の尊厳を大切にすべきだ」 赤嶺氏はさらに、鳩山首相が野党時代の衆院本会議(2005年7月26日)で「普天間基地の代替施設なき返還をアメリカに求めるべきだ」と求めていたことを指摘。「政権についた今こそ、この主張を実行に移すべきではないか」と迫りました。 首相 かつてはそのような思いを持っていた。しかし、現実の中での米軍の存在があり、抑止力のため、日本のどこかに存在しないといけない。 赤嶺 首相は沖縄県民の気持ちも大事、アメリカも大事というが、これが両立できないのなら、主権国家の首相として県民の思いを優先するべきだ。 赤嶺氏は、1997年の名護市民投票以来の「普天間基地の即時撤去、新基地建設と県内移設反対」という総意を正面から受け止め、対米交渉を始めるよう求めました。 はとやま、しっかりしろ!!アメリカは、抑止力か?現実をみろ!海兵隊は、どこへ出撃しに行った?そこで何した?ちゃんと、見ろよ!! 「民意」を、住民=国民の、選択を胸にきざめよ!それが、おまえの生きる道じゃないのか!
2010年01月24日
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22日の段階で、提出署名は3,967筆、累計42,149筆です。http://blogs.yahoo.co.jp/henoko_osaka名護市長選:県外移設派、稲嶺氏当選 辺野古案困難に毎日jp米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設問題を最大の争点とした沖縄県名護市長選が24日投開票され、県外移設を主張する無所属新人で前市教育長の稲嶺進氏(64)=民主、共産、社民、国民新推薦=が、条件付きで移設を容認する現職で無所属の島袋吉和氏(63)を破り、初当選した。これにより、自公政権が06年に米政府と合意した米軍キャンプ・シュワブ沿岸部(同市辺野古(へのこ))への移設は困難となった。鳩山政権は移設先の見直しを加速させる方針だが、米側は合意の履行を求めており、解決のめどは立っていない。 投票率は76.96%で、過去最低だった前回(74.98%)を上回った。当日有権者数は4万4896人だった。名護市長選で移設の是非が争点となるのは普天間飛行場返還に日米が合意した96年4月以降、98年2月を最初に今回で4回目。これまでの3回は移設容認派が当選しており、反対派の勝利は初めて。09年8月の衆院選で県外移設を訴えた鳩山由紀夫首相率いる民主党中心の連立政権が発足し、移設見直しへの期待が高まっていた。 稲嶺氏は、島袋氏が06年に辺野古移設を容認した経緯などに不満を持つ一部保守系市議が擁立。国政与党の民主、社民、国民新党のほか、共産党の推薦も受け、県外移設を求める立場を明確にした。選挙戦では「辺野古に新基地は造らせない」と主張。鳩山政権との連携による地域振興などを訴え、無党派層にも支持を広げた。 自民、公明両党や市経済界の支援を受けた島袋氏は、選挙戦では移設問題にほとんど触れず、市政継続を訴えたが及ばなかった。 鳩山政権は12月、普天間移設問題の結論を5月に先送りすることを決め、政府・与党の沖縄基地問題検討委員会(委員長・平野博文官房長官)を設置して見直し作業を進めている。鳩山首相は名護市長選の結果が移設先の検討に影響する可能性に言及しており、辺野古移設の選択肢は事実上消えたことになる。 稲嶺氏の当選により県外移設への期待が沖縄県内でさらに高まるのは確実。これに対し、平野長官は10日、沖縄本島や離島を上空から視察するなど県内移設を模索する構えも見せている。米側との調整も難航は必至で、鳩山首相が設定した5月の期限へ向け政府は難しい対応を迫られる。【三森輝久】米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設問題を最大の争点とした沖縄県名護市長選が24日投開票され、県外移設を主張する無所属新人で前市教育長の稲嶺進氏(64)=民主、共産、社民、国民新推薦=が、条件付きで移設を容認する現職で無所属の島袋吉和氏(63)を破り、初当選した。これにより、自公政権が06年に米政府と合意した米軍キャンプ・シュワブ沿岸部(同市辺野古(へのこ))への移設は困難となった。鳩山政権は移設先の見直しを加速させる方針だが、米側は合意の履行を求めており、解決のめどは立っていない。 投票率は76.96%で、過去最低だった前回(74.98%)を上回った。当日有権者数は4万4896人だった。名護市長選で移設の是非が争点となるのは普天間飛行場返還に日米が合意した96年4月以降、98年2月を最初に今回で4回目。これまでの3回は移設容認派が当選しており、反対派の勝利は初めて。09年8月の衆院選で県外移設を訴えた鳩山由紀夫首相率いる民主党中心の連立政権が発足し、移設見直しへの期待が高まっていた。 稲嶺氏は、島袋氏が06年に辺野古移設を容認した経緯などに不満を持つ一部保守系市議が擁立。国政与党の民主、社民、国民新党のほか、共産党の推薦も受け、県外移設を求める立場を明確にした。選挙戦では「辺野古に新基地は造らせない」と主張。鳩山政権との連携による地域振興などを訴え、無党派層にも支持を広げた。 自民、公明両党や市経済界の支援を受けた島袋氏は、選挙戦では移設問題にほとんど触れず、市政継続を訴えたが及ばなかった。 鳩山政権は12月、普天間移設問題の結論を5月に先送りすることを決め、政府・与党の沖縄基地問題検討委員会(委員長・平野博文官房長官)を設置して見直し作業を進めている。鳩山首相は名護市長選の結果が移設先の検討に影響する可能性に言及しており、辺野古移設の選択肢は事実上消えたことになる。政府は、普天間基地の「県内移設」、辺野古基地建設を、あきらめるべきです。辺野古浜通信あの、読売新聞にこんな記事が載ったよでも、まだ基地建設に向けた動きを止めるといった事業者(政府=防衛省=沖縄防衛局)はいない。さあ、これから本当に止めるよ!稲嶺さんに県民世論の追い風、賛成派はぼう然「もう基地は造らせません」--。 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設受け入れの是非を争点に、24日投開票された沖縄県名護市長選。県外移設を求める県民世論の追い風を受け、初当選を果たした稲嶺進さん(64)は力強く宣言した。 移設受け入れに「ノー」を突きつけた市民の審判で、辺野古案は頓挫する可能性が高まった。 市中心部の稲嶺さんの事務所で、移設反対派の住民らは抱き合って喜んだ。反対派が過半数を占めた市民投票から13年。嘉陽宗義(かようむねよし)さん(87)は「満ちあふれる喜びを感じている。政府は住民の声を尊重すると言った。基地は来ないと信じている」と話した。 辺野古地区の住民は、経済振興策への期待から容認派が多いが、鳩山政権誕生を受け、「やはり騒音はないほうがよい」「移設を止める最後のチャンス」と次々に反対へ回った。 一方、移設賛成派の地元建設業者らでつくる「代替施設推進協議会」のメンバーたちは「基地が来なければ、すたれるばかり」「これまで積み上げてきた事はどうなる」とぼうぜんとした表情で語った。 稲嶺さんは1972年に名護市役所に入庁。99年12月に岸本建男・前市長(故人)が辺野古への条件付き受け入れを表明した際は、総務部長として、飛行ルートの制限や使用期限の設定など、「事実上の受け入れ拒否」とも言われた7条件の策定に力を尽くした。 沖縄米軍基地に反対する一坪反戦地主でもあり、「市職員時代から、心の中では、いつも移設に反対していた」と話す。立候補を表明した昨年3月時点では「これまでの経緯は無視できない」と慎重に言葉を選んでいたが、昨年8月の衆院選を転機として11月に共産党と候補者を一本化。移設反対の姿勢を鮮明に打ち出した。移設見返りの振興策では生活水準の向上を実感できない市民の不満の受け皿となった。(2010年1月24日23時50分 読売新聞)
2010年01月24日
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辺野古浜通信 から、http://henoko.ti-da.net/稲嶺氏が、当選確実 とびっきり、きれいな辺野古の海辺野古沖に停泊している、海兵隊の強襲揚陸艦また、強襲揚陸艦が沖に来ています。あんなに遠くにいるのに、とても大きく見えます。先ほどヘリが着艦しました。ゴムボートも出ています。間もなく水陸両用戦車の訓練がはじまるのでしょうか。またジュゴンの棲み、人々の暮らしてきた大切なリーフを破壊しながらの訓練が行われるのでしょうか・・・この船は、日本を守るための船ではありません。あくまで、敵国を強襲するための戦艦です。これが、海兵隊の本来目的です。この侵略と殺戮の海兵隊のための巨大基地を日本の予算で、沖縄の海を毀してつくろうとしているのが、今の計画です。このような日米関係、或いは日本と沖縄の関係に・・・私たちは合意できません。
2010年01月24日
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司会冒頭。 ペシャワール会は、ご存知の方も多いと思います。20年も前から、アフガニスタンの、よりによって誰も行きたがらない僻地で医療活動を行い、井戸を掘りだした変人の医者がいて、アメリカのアフガン空爆時には、爆弾をかいくぐって食糧をとどけたと。とうとう、中央アジアの大干ばつにあっては、農村の復興を目指し、用水路を掘り出した。彼ら、丸腰九条の会の 、地をはうような平和活動が、どれだけ人々の信頼を得てきたか。しっかり、見て帰ってください。大マスゴミのセンセイショナリズムとも、白を黒と言いくるめる政治の言葉ともちがう、地道で、確かな手ごたえを。人間が何のために生きているのか、生きるのに大切なことはなにか、根源につながるものを、繰り返し、繰り返し、突きつけてくる人々です。命をいかすこと、そのために必要な水。それによって、大地を、生活を、よみがえらせること。 日本の平和貢献、かくあるべし。 では、ペシャワール会事務局、ふくもとみつじさん、よろしくお願いいたします。 会の紹介もしよう、ということで 私たち、戦争と平和を考えるつどい、実行委員会、も、回を重ねて、四回目になりました。アジア・太平洋戦争の体験を語る回、いま現在の占領というパレスチナの報告会、を経て、今回は、平和とは何か、を、広く皆さんと考えられることを、うれしく思います。アフガニスタンに長く関わってこられた、ペシャワール会から、現地での取り組みを、報告していただきます。 を、あたまに。 それから、「変人」はどうか、と(まじめな方です)言う意見が、でまして、じゃ、「ユニーク」でいこう、ということになりました。 カンパアピールアフガン・ペシャワール会への、カンパ箱を入り口の設置しております。よろしくお願いいたします。 交流会に参加される方は、受付に、この休憩時間の内に、連絡ください。 平和貢献、かくあるべし、というのは、どうか、、と。うん、ほんとは、日本の、と限定できることではなく、行なわれていることは、普遍的なことなのだけど、それを、口に出していってしまうことは、違うような気がして。ことばの方向、誰かに、言わなきゃ、ならない。そうでなければ、この、攻撃、良心への攻撃、に耐えられない。市民に向かって、じゃない。市民は、その普遍性に、必ず、気づく。目が曇っていなければ、誰の目にも、届く。違うのは、政府だ。 「国際貢献」を、下心あって口にする、権力のあるやつらへの、鉄槌のつもりだ。ペシャワール会のしてきたことそのものが、平和の名の下に、戦争する、(PKOも含めて)ウソつきどもへの、反証なのだ。また、ふわふわ、浮いて本心を明かさない新政府に、改憲派である、小沢を筆頭とする民主党政府に、政策変換をして欲しいのだ。 で、どうしようかな、、
2010年01月24日
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2010年01月23日
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2010年01月23日
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2010年01月23日
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CO2を酸素に変えて葉緑素柳並木にオアシスをみる 絶え間なく自動車騒音吸い取れり柳並木の枝のすだれが 台風に我が町守り倒れけり柳並木の防風林は 真夏日の熱をさえぎる傘の列みどりしたたる並木の柳 大都市の異常高温当然の報いなるべし緑を伐りて ぶつかりて死なずに済みし運転手柳の幹のゆらぎを拝す 気のすさぶコンクリートのジャングルに柳のみどりなごみを呼べり けなげにも生木は炎を阻みけり地震の神戸の人々守り 杉伐りて滅びし都パレスチナ憂千年今後も続かむ 世界中都市の威厳のシンボルは続く並木よ幹の太さよ ゴルフ場日本で一番多い県木霊怒り地の神震えり 並木切り電柱建て替え許可せしは今後百年責めを負うべし 肩黄色日光街道杉並木花粉症無く喘息もなし はげ山も伐られし森も営林省国想う心今失せにけり 悟りしも涅槃も釈迦は樹にもたれ生きもの集いて暮せと さとせり 植樹祭行事は楽し地方自治一万本伐りて一本植えて 木を伐りて洪水呼びし朝鮮の田畑流れて民飢えるまで 如是我聞三部経にて極楽は七重の並木続く街角 鳴きながら並木の間を鳥の飛ぶ地を極楽と釈迦は宣う 青葉して長生きの街残さばや孫も生き延ぶ大阪の街 肩に降る枯葉の音を聞きながらいつか帰らむ古里の山 せめてもと無農薬にて蕪つくり入院患者の菜とは なさむ くすしらはアフガンの地に水引て蘇らさむペシャワール会 生まれ来て納得残す職ならむ吾もゆきたやアフガンキャンプ 立派だった柳並木の伐採の中止を求めて、訴えた父の歌。昔よく、添削をさせられた。
2010年01月15日
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列車のスピードがおかしい。地下鉄では、加速と減速が簡略化されて、消費電力の最小となる加速を行なうはずだ。それが、さっきから、減速と、加速をわずかに繰り返している。運転手の眼前に吊られた液晶画面が、シルエットを浮かばせる。運転座席では、トランシーバーの絶え間ないラジオボイス。車掌との連絡?にしては、長い。交信が止まらない。とうとう運転手の手がブレーキにかかり、止まってしまった。アナウンス。神戸線内で・・ 私は、小学校入学からの、地下鉄のりだ。地上線より、地下鉄の方が近しい。その私に、地下鉄は、乾いた場所だった。 再度走り出した電車の片側を、いつの間にか、水が流れている!暗い溝に、さざなみが光った。水は幅を増す。ゆらりゆらりと、構内の蛍光灯の光が、真っ黒な水面をなめっていてわかた。レールを支えるコンクリートの橋架だけが水より上に立ち、漆黒の水面は広がる。光る水面の起伏が、絶え間なく起きては沈み、前を追いかける。あるのは、重油のような重い液体。もともと底があるのか。その間を、地下鉄は、ヘッドライトで駆け抜ける。地下は底なし。確かな岩盤、と思っていたのに。地下鉄は、駆け抜ける。水面すれすれに走る、走る。このまま、水に入って!ホームだ。黒い水面は、一気に嵩をまして、ホームの下にもあふれ出る。ホームの皆さん!皆さん、足元は岩盤を削って、立っている、と思っているでしょう?皆さんの足元は、地底の湖なんですよう!この水は、集まってどこへ行くのか。向かいの線路に止まっている電車、行き先に覚えが無い。電車は、走り出す。水がレールを超えてしまう。みんな、日常の、通勤や、ちょっとした小旅行、今日の続きは、明日だと、隣の人と、打ちしゃべっている。または、水中翼船を楽しんでいる。足元に、水が上がってくる。隣の人が、大丈夫、地下鉄なら、水が来るのは当たり前だと、笑って説明してくれる。前方に、光が見える。傾斜して地上に昇ってゆく。トンネルを出るのだ。 東西線を、乗り換える。宝塚に行く線。その三つ先。大阪の、北のほう。知らないトコ、いっぱい。ドアをねえ、ボタンで開けるの!
2010年01月13日
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2010年01月13日
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2010年01月13日
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この一行、一行から、血の滴る思いである。全ページに、自分の傷の血がにおうようである。くまさんは気づいていると思うが、この分野での発言は、生々しすぎて、自分には出来ないで来た。患者さん側の窮乏を訴えることは出来ても、自分の、医療従事者の側のことを話すのは。現場で十分傷ついているのに、さらにまた、文章のうえで、再確認などしたくない。怒りにしかならない言葉、もしかしたら、目の前の患者さんにーそれは、政府の「構造改革」が投影され主体性を失った影かもしれないー彼らの本質、人間はどこか別のところにある、と信じたい、信じたい、叫びは、彼らの薄っぺらいホログラム映像を透かして、後ろ、いや、頭上を彼らは知らないが、覆っている「敵」に向けられるべきものだ。目の前の「人」に浴びせることは、自分が最後の砦としなければならない絆を、-敵の手に乗ってー自ら壊すことだ。口をつぐまねばならない、よく考えろ、一時の激情に流されて、築いてきたものを失うことの痛さを。こちらから、敵の手に乗ってはならない。信じれば、応えてくれる、きっと。相手は、自分の鏡だ。でも、耐え切れない、澱が溜まるー周りがスローになる、何回も兆候は出る、それも、良きもの、笑顔、感謝、信頼、持続した関係、、、それらをかき集めて、乗り切ろうとする。悪いことは拘るな、忘れろ、忘れろ・・感情が、即時的になる。一滴足しても、沸騰したり、こぼれたりしてしまう。背を向ける、他のことなら、しゃべれる。ペシャワール会とか。 「社会保障の再構築」読んでください、としか、私は、また、言わないだろう。 新日本出版社横山 壽一 著よさそうです。 昨日は、一月31日予定の、ペシャワール会福本さんの、講演会の、実行委員会(えへへ)。言いだしっぺは、進行係をおおせつかってしまいました。遅刻しないように!!!! 往診もいけた。ああ、すっきり。 今日は、早起き。7時に出発準備して、親を驚かすつもりです。2時の電話は、取りませんでした。気が小さいので、7時に起きるぞー!と言うだけで、眠れません。じっとしてても、手につかないので、移動します。
2010年01月11日
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応募する事にしました。http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000002k37.html
2010年01月10日
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アメリカの政策決定過程についてhttp://neokinokai.ti-da.net/e2918327.htmlネオキの会 から。
2010年01月10日
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財政が破綻したから、今度は金融で市中銀行にある預金がマネーで、中央銀行にある預金がベースマネーである。日本は長期の不況にあえいでいる。景気がよくならないから、税収は増えない。50兆円くらいである。それでもばら撒こうと、50兆の収入で、80兆の予算を組む。今や、日本政府に対する外国の金融機関、投資家の信用は地に落ちている。もう財政ではだめだ、と、次に目をつけたのが金融である。実は、ここのところが現在の日本経済の最大の問題で、将来の国民生活がどうなるかにかかわっているのである。政府の無理強いで、日銀が市中銀行に貸す。銀行は日銀借入金と言う借金が増え、それと見合いに日銀当座預金残高と言う資産が増える。また、政府の無理強いで、日銀が銀行が持っている国債を買う。貸したり買ったりで日銀は近郷の日銀当座預金残高を増やしてやる。ベースマネーを増やしてやったのだから、銀行は企業にお金を貸せ、と政府は言うわけである。中央銀行がベースマネーの供給を増やせば、その何倍かのマネーが増えるはずだという、非常に誤った理論が、アメリカでまかり通っているからだが、大変な間違い、大嘘である。企業が借りなければ、預金は増えない。金融緩和策も、景気をよくする効き目はないのである。そこで、マネーをふやせられるという触れ込みで登場したのが、誤っている上に危険な、インフレ目標論である。日銀が利子の率を下げ続け、ほとんどゼロにして、銀行が企業にうんと低い利率で貸せるようにしても、マネー=貸し出し=預金、は増えない。仕事を広げてお金を儲けるチャンスだと企業が思わなければ、幾ら利子を低くしても、企業が借りようと思わなければそれまでである。借りなければ、預金=マネーは増えない。このことは、金融が元で景気が後なのではなく、景気のほうが先で、金融のほうは後、結果なのだと言うことを示している。にもかかわらず、政府・与党・アメリカは、金融政策、金融政策と、まるで、景気がよくならないのは日銀の責任であるかのように言っている。とんでもない言いがかりである。(じつは、超低金利政策は、日本のマネーをアメリカに流すための政策であり、もともと、政府・アメリカには、日本の、景気をよくするつもりなど、ないのだ、ということは、他の本の紹介で述べた。)そうやって、金利をメチャクチャに低くするから、国民の貯金はちっとも増えず、年金や保険会社は、運用が予定したように出来ないから、年金給付や保険金の支払いが出来なくなっている。超低金利政策は、国民に大きな損失を与えるだけで、景気をよくするためには、全く役に立っていない。低金利だろうが、量的緩和=ベースマネーをジャブジャブ増やそうが、景気の底上げに、効き目はゼロである。こういった低金利の金融政策は、景気の先行きに明るさが見え、景気が走り出してから、それをスピードアップする促進剤としての効果が、あるので、それが証拠に、株価は下がり続けた。日銀と市中銀行という、金融の仕組み自体には、貸し出しを自由自在に増やせる力などなく、まして、物価を上げる力などない。お金を貸さないようにして、景気にブレーキをかけ不景気にして、物価をあがらないようにすることが出来るだけである。どの国の中央銀行も、その使命の一番大事なものとして、「通貨価値を守ること」つまり、インフレにならないようにすることを掲げるのである。現在あるべき正しい景気対策は、個人の負担を減らし、超低金利を止めて、傷ついた年金や保険を救い、国民の将来の不安を取り除き、個人消費支出を増やすのが第一である。第二に、近隣諸国と共同して経済協力を進めることである。だが、政府・与党は、個人を虐待するばかり、小泉政府は徹底したアメリカ追随、アジア軽視をやった。 景気が向上しない理由の背景には、長い間、景気をよくするのに使ってきた、財政支出のばら撒きが、限度に来たことが、在る。ただしかし、一人だけ、幾らでも借りるやつがいる。しかも市中銀行からではなく、直接日銀から借りる。政府である。お金を借りさえすれば、すぐ購買力を発揮する浪費家が、ただ一人、しかも、二階の日銀と取引が出来る特殊な金融。やり方としては、日銀が政府から直接国債を買う。日銀が直接国債を買ってくれるとなれば、政府はまるで、打ちでの小槌を持ったようなものである。タダ同然の安い利子でどんどん発行し、日銀に買わせる。そして、政府はそれで得たお金を湯水のように使う。物を買う。何を?物価が上がり、インフレになる。物価が上がれば、例えば、倍になれば、企業の売り上げも、利益も、税金も、倍になる。しかし、借金は、倍にならない。返済しやすくなる。 政府が借金をするのだから、お金の使い道に、国民の同意がいる。簡単である。政府は、国際緊張を創出すればよい。そして、軍需産業に支払う。例えば、10万トンの空母を10隻作るのに軍事予算をつける。海外派兵も出来るようになった。戦争と、軍備拡張ばんざいである。いくらでもお金の使い道がある。盧溝橋事件、トンキン湾事件、大量破壊兵器、北朝鮮の脅威、、、、国民は興奮して政府を支持する。そして、物価が何倍にもなり、弱者、老人、年金生活者は、死に追いやられる。
2010年01月10日
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マネーとベースマネーの関係企業や個人が使うお金は、一階の銀行に預けてある預金で、これをマネーと呼ぶ。銀行同士がやりとりに使うお金は、銀行が二階の日銀に預けてある当座預金で、これをベースマネーと言う。日銀件は銀行の日銀当座預金の化身だと思えばよい。統計上のベースマネーは日銀当座預金残高の総計に、日銀券発行残高を足したものである。日銀の金庫に眠っている日銀券は、統計上も単なる印刷物、発行残高とは、市中銀行の向かって後の(=発行された)日銀券である。貸した金は預金口座に入れる。預金は、借りた企業の従業員の給料に、日銀券として出てゆく。事業を大きくしようと思って借りたのだから、仕入れ・機械の購入で、こっちの銀行は企業の預金残高を減らし、その額だけ、こっちの銀行の日銀当座預金残高を、買い入れ先の銀行の日銀当座預金に付け替えてもらい、減らす。買い入れ先の銀行は、日銀当座預金残高が増え(資産が増え)る。その代わり、日銀当座預金残高の増えた銀行は、自行の取引先企業の預金残高を増やしてやらなければならない。(負債が増加する。)こうして、企業と企業の、取引銀行と取引銀行の、支払い決済が済んで、支払う側の銀行の日銀当座預金残高が減る。だから、銀行が商売をして儲けようと思って貸し出しを増やすと、借入企業は給料支払いが増え、仕入先企業や設備発注先企業への支払いが増え、銀行の日銀当座預金残高の減少に繋がる。日銀当座預金残高は、その銀行の商売の源であり、種銭であり、それだから、ベーズマネーと呼ばれるのである。だが、幾らたくさん日銀当座預金残高があっても、肝腎の企業が、借り入れてくれなければ、何にもならない。利息が取れない。
2010年01月10日
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金融市場全体として日銀当座預金が不足してきて、どうしても借りたい銀行は、もっと高い利息を払うから、是非とも日銀当座預金残高を手に入れたい、と思うようになる状態を、金融が引き締まった、という。この状態を解決するには、金融市場の構成メンバーの中の立役者、日銀がお金を供給してやればよい。日銀は、まず、短資会社に貸付け、短資会社の日銀当座預金残高をつくってやる。短資会社が、お金の欲しい銀行に貸す。短資会社の日銀当座預金口座はトンネルで、銀行の残高が増え、銀行はホッとする。また、日銀は銀行の持っている国債を買ってやる。国債が日銀の手に移り、その金額だけ、銀行の当座預金残高が増える。(買いオペ)こうして、日銀は貸し出しと、買いオペで、銀行の当座預金残高を補強する。これを日銀が資金を供給した、という。十分に供給したら、金融緩和ということになる。 金融は二階建て。お金と銀行の組織は、二つの層に分かれている。一階の銀行などに、企業や個人が預けている預金が貨幣である。企業同士の取り引きの際、企業は、企業の預金口座の付け替えをしてもらって決済するが、銀行には、銀行の間の支払いが発生する。銀行は、二階に上がって、日銀に預けてある日銀当座預金の付け替えをしてもらう。一階の銀行の預金は企業や個人が使うお金である。二階の日銀の預金は一階の銀行が使うお金である。だから、お金の種類がちがうのである。日銀当座預金は特別のお金である。一階のお金と、二階のお金が、同じになる時がある。個人が、預金を引き出すときである。銀行が渡すお金は、銀行が、二階の日銀に行って、当座預金の一部を引き出してきたものである。このときは、二階のお金が一階のお金になる。日銀当座預金というお金が、日銀券というお金に変わり、一階に下りてゆく。その分だけ、二階のお金が減る。 銀行は、預金を信用創造で無から有を手品の如く、ひねり出して、商売するが、どの程度の商売が出来るかは、二階にいる日銀への当座預金がどれだけあるかで決まってくる。 実は、ここのところが、大変重要なのである。銀行の日銀当座預金が足りなければ、日銀が銀行に、無から有を創りだす信用創造をして補給してやればいい。日銀当座預金は銀行の商売の源である。日銀当座預金がありさえすれば、銀行はお金を借りに来たお客さんにどんどん貸し、利息を稼げる。社旗の経済活動の中で動くお金、(預金など)マネーの元になる、日銀当座預金と、一階の連中が持っている日銀券を足して、ベースマネーと呼ばれる。日銀が銀行に貸付や、国債の買いオペをしてやって、日銀当座預金を創り出してやれば、必ずそれを元にして、銀行が企業にお金を貸し、銀行の預金(ベースマネーではない、普通のマネー)が増えるかどうか、が問題である。企業はお金を借りたら利息を取られる。だから、企業はお金を借りて、商品を製造したり、商店なら、仕入れて、もうかると思えば借りる。だが、不景気で作ったり仕入れたりしても売れない、と思えば借りない。個人も同じである。だから、銀行が取引先に貸し出して預金を創造し、マネーが社会全体で増えるかどうかは、皆の懐具合と、皆が景気の先行きをどう見ているかによる。預金=マネーは銀行が増やそうとしても、勝手に増やすことは出来ない。貸し出しが増え、日銀当座預金からの現金引き出しや、他行への支払いが増えると思わなければ、銀行も日銀当座預金を補給したいとも思わない。日銀から借りれば、当然利子は取られるのである。銀行は、日銀からやたらと借りない。日銀が銀行にどんどん貸し、日銀当座預金を増やそうとするのを、金融の量的緩和、という。そうしろと、政府とアメリカが、日銀に無理強いしているのが現在である。銀行の日銀当座預金残高はとてつもなく膨らみ、もう金融市場では他の金融機関から日銀当座預金を借りる必要はなくなる。金融市場で商売をしている短資会社はすることがなくなって悲鳴を上げたのである。無理な日銀のベースマネー供給は、いろいろなところに歪みをもたらした。
2010年01月10日
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経済が発展するにつれ、貨幣(金)が足りなくなった。忙しく働き回転するが、世の中に生産が増え、商品の売買が増すとどうしても不足する。そこで、銀行券が登場し、さらに、預金がそのままで貨幣として働くようになった。経済はますます成長する。すると現代の貨幣である、預金を、もっと増やしたいと感じられるようになる。預金は、おいそれ、とは増えてくれない。どうやったら増えるか?「銀行が貸すことによって、増える」のである。不景気だと、誰も借りにこないから、増えない。銀行に返すほうが多く、借入をあまりしないと、預金も増えず、つまり、貨幣は減る。 銀行が貸せば、預金通貨が増える預金は貸付によってふえる。預金は銀行にとって債務である。銀行は、預金通帳の右側に、債務が増えるか、資産が減るかすると記入する。右側は、銀行が預かった金額の記入欄である。ある企業が一億円借りたとする、銀行はその企業の預金口座に、右側に一億円記入する。お金をそのまま持って帰れば別だが、通常は、そのまま預金口座に置いておくので、銀行はお金を貸した途端に、預金という債務が増える。他行への支払いと日銀券の引き出しという、請求に応えなければならなくなったからである。と、同時に、銀行は、貸し出し先に対し、「お金を返せ」という請求権(金銭債権)が発生する。請求権は資産であるから、銀行には預金という、債務が発生すると同時に、同額の「貸付金」という資産が発生する。以上が、銀行が貸付(貸し出し)によって預金を、つまり「貨幣」を、創造する仕掛け、である。帳簿に記入するだけで、無から有をひねり出す、カラクリ、である。現代の銀行は、無から有をヒネリ出して貸し、利息を儲ける。なんという素晴らしい商売であろう!リスクはないのか?小切手や、手形を持ち込まれた銀行は、支払い側の企業の、取引銀行にその金額を請求し、受け取ったら、持ち込んできた企業の預金口座に入れてやる。だから、預金というものはいつも、かなりの部分、他の銀行に流れてゆく。また、全ての取引に現金が使われなくなることも強要できず、個人の店頭での支払いに、現金が便利である事に代わりはない。プライバシーの秘匿ができるからである。(機密費の担当官、犯罪組織、大口投資家、など。)そのため、預金は、日銀券となって流出する。これらを、もれる、という。いい気になって、預金を創造していたら、受け取るよりも他行に流出する方がずっと多くなって大変な事になる。他行への支払い、と、日銀券の引き出し。この二つが、信用創造で儲ける、銀行の、頭痛の種である。銀行の、預金「もれ」対策現代の貨幣である預金を、銀行は貸付を行なうことで創造できる。しかし、その預金貨幣の一部、あるいは全部が、よその銀行への支払いや、現金の引き出しによって、出て行ってしまう。銀行券を、各銀行が独自に発行できて、それが兌換紙幣だったら、簡単に、何時でも対応できるが、そもそも、金が足りないとか、銀行が持っている金の量に縛られて、貨幣が足りなくなったからこそ、金本位制というのは、やっていけなくなったのである。そこで、現代の制度は、銀行券を発行する銀行は、国を代表する一行だけ、中央銀行だけ、日本なら日銀だけ、という事になっている。どの銀行でも、預金を下ろせば、同じ日銀券が出てくるということで、銀行の信用が保たれているのである。では、銀行は、その日銀券をどうやって手に入れるか。それは、銀行が日本銀行に預けている当座預金の残高から下ろしてくるのである。そして、ある銀行が他の銀行に支払うときも、その銀行の日銀当座預金から引き落として、支払い先の銀行の日銀当座預金口座に移してもらうのである。だから、銀行が無から有をヒネリ出す信用創造で作り出した預金通貨が、客先企業の取引や給料の支払いによって「もれて」出てゆくとき、その源は、日銀に預けてある当座預金(準備預金)だということである。もしこの準備預金がないとか、少ないとかいうことになると、他行への支払いも、現金の引き出し請求に応じることも出来ない。取引企業に貸し出して、預金を作り出すことも、できない。「もれ」に、対応できないからである。つまり、銀行の商売は、日銀当座預金=準備預金の残高の上に成り立っている。日銀当座預金は、何処から来たのか。日銀当座預金は、銀行が企業から買った手形や、政府あるいは、証券市場から買った国債などを、日銀がかってやったり、日銀が銀行に貸し出したりして、その代金を銀行の準備預金に入れてやると、出来るのである。注!!!現代の貨幣である預金と銀行券(日本では、日銀券)は、銀行が貸付をおこなうことによって生み出される(信用創造)。銀行がその貸付を行なうためには、日銀の当座預金口座に残高を持っていなければならない。 銀行券は、預金が姿を変えたものだと考えてもよい。預金者が銀行から引き出す日銀券は、銀行が、日銀に行って当座預金残高から下ろしてきたものである。銀行券の本元は、銀行の日銀当座預金だ、ということになる。日銀券は、銀行の、日銀当座預金が姿を変えたもの、となり、この二つは、同じもので、あわせてベースマネーと呼ぶ。 硬貨の発行元は、政府である。銀行は、日銀の預金口座から、必要な額を政府の日銀預金口座に移してもらい、その額の硬貨をもらう。日銀預金というお金で、コインというお金を政府から買うのだ、と思えばよい。 お金は、取引代理店である納税者の取引銀行を経由して、政府の日銀預金口座に入る。銀行は、納税する預金者の口座から引き落とし、その額だけ、自分の日銀当座預金口座残高から、政府の日銀口座に移してもらう。だから納税でも、銀行の日銀当座預金は減る。ボーナスシーズンや、納税シーズンには、銀行の日銀当座預金残高はドンと減る。銀行の日銀当座預金残高の出入りは、他行への支払い、他行からの受け取りで大変激しい。企業の取引銀行が違うと、同じ銀行の預金口座の数字の付け替えでは済まないから、銀行間のお金のやり取りをすることになる。これも、日銀券など使わず、日銀当座預金の付け替えで行なわれる。その金額は、一日なんと、150兆円という巨額である。足りない銀行は、日銀当座預金残高が余っている銀行や、その他の金融機関から借りたり、日銀から、借りたりする。その仲介役をする、専門の業者もいて、短資業者という。各銀行、金融機関、短資会社、日銀で、毎日巨額の日銀当座預金残高を貸し借りする組織を作り上げている。これが、金融市場といわれるものである。
2010年01月10日
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預金で決済する銀行と貯蓄銀行は違う銀行に預金口座を持つのは、貯蓄銀行と違ってお金を貯めるためではなく、他の企業に支払う(決済を銀行に代行してもらう)ためであること。企業は皆、銀行に預金口座を持ち、同一銀行の中であれば、預金口座の上での数字の付け替え(支払う企業の口座から落として、受け取る企業の口座に加える)で、取引代金の決済を済ませる。そうすると、銀行券の引き出し、入金、という手間が省ける。預金が、預金の姿のままで、銀行券に化けなくても、貨幣の働きをすることになる。これを、預金通貨という。銀行とは、何よりもまず、企業から支払い決済のための預金を受け入れて、企業の経済活動のための支払い決済の業務をしている所である。(そういう仕事をしていれば、つまり、信用金庫、信用組合、農協、なども、皆、銀行を名乗らない銀行である。)こうした働きをする預金を決済性預金といって、貯めるのが目的の貯蓄性預金と分ける。口座でしうと、前者は当座預金、後者は(郵便貯金や、)普通預金、と異なる。決済性預金の大切な性質は、預金者本人でなくても引き落とせることである。小切手を考えてみよう。預金者は、小切手や手形を作って(振り出して)支払い相手に渡す。小切手は「この紙切れを持ってくるものがあれば、それが誰であろうと、そこに書いてある金額を私の口座から引き落とし、銀行券で渡すか、その者の口座に入れるかしてくれ」という指示書である。小切手を振り出すことの出来るのは、当座預金だけである。小切手を振り出せない普通預金や定期預金だと、これらの預金は預金通貨(貨幣)では、ない。狭い意味での預金通貨は、180兆円ほどである。 売り上げが増えて、経済が大きく成長しても、お金、通貨が増えるわけではない。大きくなったのは、「富」である。商品の売り買いのときに出てくる貨幣は、プラ・マイ・ゼロである。人類がこれまでに掘り出した金は、体積にして、大体25メートルプール一杯分くらい、と計算されていて、たいしたことないのである。経済が発展・成長することは、お金を溜め込むこととは、別なのである。
2010年01月10日
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預金は実は通貨と同じそもそも銀行券が出てきたのは、お金が足りないからであった。貨幣の不足に対する根本的な対策の一つ目は、銀行の金貸し業である。もう一つの対策は、貨幣の節約である。代金の支払い(決済)の代行を、銀行が手数料を取ってするようになった。この場合、貨幣を動かさず、預金の付け替えだけで決済する。今までは金貸しの話であった。貨幣が不足する中、高利貸しが経済の発展を阻害しないために、高利貸しが金貨を貸していたのが、近代的な銀行が銀行券を貸すようになった。近代的な銀行が発達すると、段々と貨幣をやり取りしないで支払いをすませる方法(手形、小切手)が発達した。銀行は、お金を貸すという、昔の金貸しの仕事を役割に引き継いだと並んで、商人たち、今の事業会社が、商品を売ったり買ったりした代金を事業会社に代わってするという、代行としての決済をも、預金を利用して行なうようになった。大勢の者がある銀行に預金しているとき、AがBに商品の代金を支払うとき、Aの預金を減らしてBの預金をそれだけ増やせばよい。 貯蓄を業務とする銀行を、貯蓄金融機関という。世界で一番典型的な貯蓄銀行は日本の郵便局である。まず、銀行(貯蓄銀行ではない)とは、お金を貸す所である。それで利子を儲ける商売が、銀行である。次に、企業や商売をやっている人々のために、お金を支払ったり、受け取ったりして、決済の業務をするところである。そして、副業として貯蓄も受け入れる。お金を庶民のために預かる貯蓄銀行のほかに、商工業者にお金を貸して利子を取る商売と、決済を行なって手数料を取る商売をする、「銀行」と呼ぶビジネスが成立した。金貨を貸すわけではない。最初借りたお客さんは紙幣を持って帰った。その内、紙幣も持って帰らず、そのまま預金に入れて置くようになった。紙幣=銀行券はそれぞれの銀行が発行しないで、中央銀行だけが発行するようになった。だから、銀行券は、預金者が預金を引き出して、中央銀行券を持って帰るときだけいるわけだから、それに備えて、銀行が中央銀行に預金を預ける。これを準備預金という。銀行はこの預金から中央銀行券を多少引き出して手許に置いて置けばよい。中央銀行券を持って預金に来る人がいたら、すぐ、中央銀行に運んで預けてしまう。イングランド銀行の初期のころは、銀行券は大口の支払いに使われ、小口の日常の支払いには、硬貨が使われた。現代では、銀行券も日常の小口の支払いに使われる。大口の支払いには、銀行券も含めて、現金を使わない。預金口座の帳簿上の付け替えで済ませる。支払うほうの預金を引き落とし、受け取るほうの預金額を増やす。預金が預金の姿のままで、貨幣の働きをしている。預金は貨幣だといってよい。そこで、預金を預金通貨と呼ぶようになった。
2010年01月10日
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政府に借金させて、それを浪費させる財政の役割生産と消費がうまくかみ合わなくなったので、政府に色々な仕事をさせて、政府にたくさん消費させることにした。政府が使うお金は誰かから取り立てたものである。取り立てられたほうはその分だけ購買力が減る。財政の働きというのは、一方の購買力を減らしてその分を政府が使っているだけ、プラスマイナス・ゼロである。また、別の見方からすると、個人と法人の所得の一部を取り上げて、政府を通り抜けて他の個人化、法人の所得を増やしている事になる。つまり、所得の移転あるいは所得の再配分である。お金持ちやもうかっている銀行、会社から税金をとり、貧しい家計や老人介護の方に移転したり、警察官や消防官の給料に移転して、火付け、盗賊を取りし丸野が、所得移転の本来の役割である。ところが、これじゃダメだ、ということになった。元はといえば、企業が際限もなく儲けようとしてたくさん作り、一方消費財を買ってくれる大切なお客様である労働者には給料をなるべく払うまいとするからである。労働者には、もっとたくさん給料を払えばよい。経済もちょっと離れて全体をよく観察すればこの通りで、簡単明瞭である。しかしそうは絶対にしない。社会が人間の基本の理屈、理念で動いてないからである。ひたすらもっとたくさん儲けようと言う、企業の勝手、難しく言うと、資本の論理で動かされているからである。作りすぎたものを減らすのではなく、なんでもいいから誰かに買わせればいい。一番手っ取り早く、大口に買わせることが出来るのは政府である。政府を企業が支配して、政府に浪費させればよい。しかし、プラスマイナス・ゼロでは何にもならぬ。事に、法人・富裕な個人から重税を取るなどもってのほかである。こういう至極勝手な理屈から、プラスにしろ、政府がもっとお金を使え、という事になった。取った税金よりも、もっとたくさん使えといわれる事になる。それには、どうすればよいか。借金しかない。一番まとまった借金は国債である。65年ごろ日本経済は出来上がり、商品は常に余り、不景気が深刻になった。65会計年度からついに、それまではドッジ・ラインで禁止されていた国債を発行し、政府に浪費させる経済に突入した。 議員買収資金も元は財政支出企業が政府を握ればよい。そうすれば企業がどんどん生産を増やしても、政府が支出をそれに見合って増やしていけば売れ残りが出なくて済む。政府を企業が握るには、議院内閣制(議会の多数党が総理大臣を選び、内閣を組織すること)の日本では、国会議員を握らなくてはいけない。その方法は簡単で、議員の選挙資金を企業が出せばよい。買収である。企業が政治家に政治資金を出せば立派なワイロなのであるが、日本では政治資金規正法を作って、ワイロを合法化してある。そのカネを分けてやって、党内の議員を子分にし、派閥を作って多数を握った者が総理や幹事長になり、政権をとる。企業から集まってくるお金は政府の支出したお金である。一番大きいのは公共事業費である。公共事業を請け負った業者は何割かを懐に入れて下請けに出す。下請け業者はまた何割かフトコロに入れて孫受けに出す。ひどい例は何層も、何層も下請けに出して、実際の工事費は十分の一ぐらいだったというものさえある。このようにして企業は議員を買収し、そのカネが政党の活動を支え、選挙費用をまかなう。その金の大元は、財政支出である。金融の仕組み財政と金融を一緒に理解する 貨幣と金融の話大陸ヨーロッパを追い抜いて急に経済が発展したイギリスでも、貨幣は不足した。皆が必要とするものが不足していると、それを持っている者は強くなる。金貸しー高利貸が強くなって、人々をいじめる。何の商売をしようにも、利息が高くてダメになる。貨幣の不足が経済の発展を阻害するようになった。明治新政府も、深刻な貨幣不足に悩まされた。江戸の消費物資の多くは生産の先進地帯である上方から輸送された。各藩の財政収入を大阪商人に依存し、得た貨幣をまた大阪商人に支払った。米価が下がり、幕府も各藩も財政収入は減った。鎖国の間、輸出産業は発達せず、巨額の貿易赤字であった。その上、ハリスのペテンにかかって、さらに、金・銀が流出した。明示世親政府の財政・金融は金属欠乏状態からスタートした。イギリスでは、1694年、ついにイングランド銀行が紙幣を発行して、大口の取り引きに皆がこれを信用して使い、相手も代金として受け取ってくれるようになった。成功の原因は金貨と兌換したからである。発行元のイングランド銀行にもっていけば1ポンド金貨に換えてくれる。その後、イングランド銀行以外の銀行もまねするようになり、紙幣の発行によって、貨幣の不足が解消した。お金がなくて困った明治新政府は、地主。自作農から効率の固定資産税(地租)を取った。が、もちろん足りない。そこで政府紙幣をむやみに発行して支出をまかなったが、信用を失い、インフレーションになる。大急ぎで銀行という制度をアメリカから輸入した。 以後、銀行が貨幣の供給元になった。現在のやり方は、現行券の発行を一行だけ(これを中央銀行という)にすることである。この場合は座かんする金貨の準備があるかどうかの心配は、中央銀行だけがする。さらに、20世紀の30年代頃から以後は、中央銀行も兌換をやめた。日銀の取引客は、政府や政府の機関のほかは、金融機関だけである。一般の会社とも、個人とも取引してくれない。これに対し、個人や企業が取り引きする銀行は、預金取引を商売にしている民間金融機関である。
2010年01月10日
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それに反して、生産は減らさない。とにかく需要を何が何でも増やそう、というわけで、重要視されてきたのが、別の二種類の書い手である。まず第一は外国、つまり輸出。自国の製品を大人しく買ってくれる相手先を増やそうと、外国に侵略の手を伸ばす。日本は資本主義になった明治から順次侵略していったが、何時でもどこでも、戦争は必ず「生命線を守る、平和の礎だ、平和のために」起こされた。植民地をふやし、製品を売りつけ、工場や鉱山に進出してひどい労働条件で現地の人々を低賃金でこき使う。お金を貸して利息を取り立て、そのお金で鉄道や土木工事をやらせ、機械や資材を売りつけた。もう一つは、政府に買わせようとした。ニューディールでは、公共土木工事を大々的にやって政府の需要を作り出した。労働組合の組織を奨励し、労働者の所得を増やし、個人消費を増やした。業界団体を作らせて製品の乱売を防ぎ、企業の利潤を回復させて企業の投資を増やさせた。日本は、30年代の不況を脱出するのに、戦争と軍備拡張という形で政府の需要を大幅に増やし、中国人民と日本軍兵士の犠牲によって生産と消費の辻褄を合わせる方法を取った。アメリカの00年代の好景気は無惨な首切りと、株バブルのおかげである。資本主義経済はこのように、お金儲けから全てがスタートするから、そのためには従業員(労働者)を首にする。クビにされたらもちろん消費などできない。資本主義は、人が消費するため、生きてゆくための経済ではないのである。生産物を買う需要は、個人(労働者)の最終消費と民間設備投資であるが、20世紀になって作りすぎて売れ残って仕方ないから何とかしろ、というので登場したのが、輸出と政府の需要である。支払う賃金が企業の中で増えるのは、最後である。日本の長期の不況においても、景気対策、脱出策と叫ばれるものは、公共事業を増やせとか、効率の悪い産業を整理せよとか、銀行の不良債権処理だとか、そんなことばかりで、個人消費は首切りが増えて減る一方である。一番大切な、一番比重が大きい、-大体50~60%をしめる、需要を増やすことを横に置いといて、景気が早く立ち直るわけがないのである。 日本経済の成長と行き詰まり江戸時代、鎖国のおかげで、輸出向けの製造業が伸びず、外国製品を鉱産物で買った。この貿易赤字という日本経済の体質は長く続き、脱却できるのは第二次世界大戦後、60年代からである。日本を占領したアメリカ軍にとって最大の問題は、日本人ー復員、植民地からの引き上げで人口が戦後急に増えたーをどうやって食わせるかであった。極端に飢えさせると必ず暴動が起き、占領の手間とコストが掛かるから、である。占領軍の遺構に従わない者は容赦なく弾圧すると同時に、基本的には占領軍は日本人に稼がせる政策を採った。つまり、日本人に何か作らせて、それを輸出することである。素原材料は日本に無いから、輸入させる。この代金を払うためのお金も輸出で稼がなければならない。輸出するには、外国よりも安くて良い物を作らなければ、言い換えれば、国際競争力を高めなければならない。そのためには良い機械、優れた技術を輸入しなければならない。生産されたものは国内で消費するのを控えて、輸出しなければならない。コストを低くするためには、賃金も低く抑えなければならない。60年代に産業の基本的なところは出来上がった。鉄鋼、ガソリン・重油、エチレンやプロピレンを作る産業(1)がそろった。それらの素材を加工していろいろなものを作る産業(2)も出来上がった。産業で使う産業機械(1)、とりわけ金属を加工する工作機械を作る技術も出来上がった。そこで、素原材料・食糧を輸入する以上に日本製品が海外に売れるようになった。つまり、貿易が黒字になった。45年に戦争が終わり、65年に貿易の黒字が定着されるまでの20年間、あらゆる産業を発展させた。この貿易黒字安定達成までの経済発展を、「高度経済成長」と呼んでいる。そして、70年代からの後の日本は、過剰の国になった。生きるために働いて物を生産するのではない、会社が利益を上げるために、働きモノを生産するのである。とりわけ営業部員は、十分に生産できて休みが多く取れる時代に入ったのに、逆に労働時間が長くなった。これから以後、日本は狂って来たのである。企業は売りたくて作るくせに、それを買う購買力である給料はなるべく払うまいとするのだから、売れ残るのが当たり前である。生産物を買うお金は、企業が直接買うにしろ、労働者の家計を通過するにしろ、どっちも元の素性を質せば企業の投下した、資本なのである。まず、個人にいかに消費財を買わせるかの工夫である。借金させるのである。自動車を買わせる為に、自動車ローンを、家を買わせる為には住宅ローンを用意する。マスコミを動員して消費をあおる。情報操作する。もう一つの工夫は、生産の迂回化、経済のサービス化である。消費財を多様化し、情報操作して、家庭で作っていたものを多様化し、商品化して売るのである。外食産業、ワイン消費の急増などが、これにあたる。ほかに、カネを扱う金融業や証券業で、雇用を吸収しないと、給料が支払われなくなって物が売れなくなって困るのである。個人も企業も余った生産物を買って景気を立ち直らせる力が無いとなれば、残っているのは、政府と外国である。言い換えると財政支出と輸出である。第一次世界大戦後、戦争していないときでもとにかく、なんでもいいから政府にたくさん買ってもらわなくちゃ、という時代に入ったのである。世界中で政府は大きくなった。
2010年01月10日
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近代経済の仕組みは、どのようにして生まれてきたのか最初の交換・最初のしょうひんは、共同体と共同体との間の接触で生まれたといわれている。部族の中では、所有という概念ができていなくて、なんとなく皆のもの。そして、強い者がタダで、たくさんとる。他の人、他の地方の生産物との交換に回るものが少しずつ増え、腐らないお金というものがあると便利だ、とたくさんの人が感じ始める。生産力が発展し、商品流通が盛んになって、貨幣流通が盛んになる。現物の交換より、貨幣経済の部分がだんだん大きくなる。生産されたものがそれを消費する人のところに届くのに、貨幣の働きが必要になる。商品経済が発展すると、商人が貧民を指揮して革命を起こす。商品の生産と流通がますます発展すると、初めから大勢の人に買ってもらうつもりでたくさん作る。そうすると家族労働だけでは人手が足りず、賃銀を払って人を雇い、生産する。これが資本主義。その国の生産の大部分が資本主義で行なわれるようになると、その国の経済に資本主義が確立した、という。現代の国が取り上げる税金は、個人つまり労働者から取る所得税、会社からとる法人税の二つである。明治の初め、日本にはまだ会社がない。税金が確実に取れるのは地主だけであった。そこで、日本政府は、土地に対する税金(地租)をたくさん取った。地主も所得が無ければ払えない。地主の所得は小作料である。政府は、世界的に見ても大変高い、5割という小作料を取ることを地主に認めた。人口のほとんどが農民で,その半分以上が小作人だから、結局日本人は全体として貧窮のドン底に突き落とされた。そして政府は、小作人ー地主というルートで巻き上げたお金で、殖産工業・富国強兵政策、つまり企業家を援助し、軍備を拡張した。この結果どういうことになったかというと、世の中の大部分の人には所得がないことになる。食うや食わずの水のみ百姓といわれ、商品を買うお金があるわけがない。つまり、政府の殖産興業政策でだんだん産業を盛んにしても、国内では物が売れない。これを「国内市場が狭い」という。どんな低賃金でもいいから働きに出される。労働者の人口ガ多くなったが、低賃金だからやはり所得がない。こうして国民の大部分である工場労働者も農民も、所得がないからロクに商品は買えない。一方で産業を盛んにしてたくさん商品を作る。売れるわけが無い。だからダンピングして欧米に輸出し、強兵政策で作った軍隊で近隣諸国の侵略に乗り出し、日本製品を強制的に売りつける事になった。だから日本の資本主義は、そのスタートから帝国主義だった、とも言われる。労働者の賃金、貨幣所得が、企業の生産物の市場、言い換えれば、企業が幾ら労働者に払うかが、幾ら売れるかを決めるのである。 労働者はこうしてうまれた資本主義が育ってくると、当然だが工場で働く労働者がいる。その労働者は貧乏でなければならない。もし、労働者がお金持ちだったり、お金は無くても農村で平和な自給自足の暮らしをしていてそれで満足していたら、誰も働きに来ない。企業は困る。一番簡単なのは、農民が土地を失い、小作もさせてもらえなくて、企業で賃金をもらう以外に生きていけなくなるようにすればよい。イギリスの地主の農地の牧場化、大農場化。農家は焼かれ、壊されて、農民はロンドンなど都会、貧民街の労働者になった。大ブリテン島のイングランド地方の田舎が美しく見えるのは、このせいである。徳川時代の大商人が全て潰れたのだから、明治政府には、企業を作り、産業を興そうにもお金がない。あとで説明するが、これをひねり出すのが、金融の問題である。税金は本来、売り上げの中の利益に対してかかるのである。これに対して、労働者の払う勤労所得税は、利益にではなく、労働者が持っている労働力という能力を会社に売った代金=給料に対して課税されている。ここには、労働力を再生産するコストを含んでおり、利益ではない。労働者は、本来勤労所得税など払う謂れは、ないのである。日本とドイツを除く世界の大方では、企業、人とも税金を払わない。だから、それらの国々で仕方なしに、間接税を取っているのである。収穫した小町ちゃんの、てんぷら。失礼しました。生産と消費の構造生産物には、消費財と生産手段の二種類がある。消費財は主に労働者が買い、生産手段(生産機械や原材料)は企業が買う。生産手段を生産する部門の企業を、第一部門、消費財を生産する部門を、第二部門ともいう。両者は、重なり合う。人類は世界中どこへ行っても、生きて行くために生産して、消費している。生産して消費することを経済という。資本主義では、だいたいみんな売るために作る。ものは、企業によって商品として生産される。労働者の家計から支出されるお金も、企業が給料として払ってお金であり、消費財も、間接に企業が買っている事になる。資本主義経済では、生産も消費も、企業の活動として行なわれている事になる。企業は、お金を儲けるために、商品を作ったり、仕入れたり、売ったりする。この企業の活動は、お金、貨幣から始まる。儲けるために貨幣として登場し、次々といろんな姿に化けて運動するものを、資本、と名づける。資本が増えるためには、生産手段とか労働力とかに姿形を変えて運動しなければならない。めでたく売れると、またもとの貨幣の姿に戻る。売れないのは需要よりもたくさん作りすぎたからで、難しく言うと過剰である。過剰設備とか、過剰投資とかいう、商品が売れないで資本が廃棄される問題を理解する分野が、マクロ経済と呼んでいる分野である。企業で動く資本が、まずお金の姿をとり、それが二つの部分に分かれる。生産手段の生産部門(第一部門)からの購入、と、労働者の賃金に当てられる。生産された消費財は、労働者の家計から、消費財部門(第二部門)企業に支払われて、消費される。これが、国民経済の生産(供給)と消費(需要)の動きである。生産手段の生産額+消費財の生産額>労働者の購入+企業の購入が、生産過剰。 ものを作りすぎて余った、生産したものを皆で分けて生きてゆける十分なモノがあるなら、その分だけ人類は休めばいいのである。ところが、今どうかというと、モノを作るのは、お金を儲けるためである。お金儲けが目的で、ものづくりは手段に過ぎない。時短すればいいのに、「自由」の名の下に、各会社がバラバラにモノを作って、ヨソノコトハどうなっても知ったことではない。ヨソよりより安く作って、よそのものが売れなくてもウチノモノガ売れるようにする。これが、コスト切り下げ競争である。それでも、もともと作りすぎているのだから、全部売れるわけがない。それを売って来いというから社会全体に歪が来る。生産過剰は資本主義の宿命である。値下げさえすれば必ず売れるという経済学者は大うそつきである。大切なことは、生産はお金儲けのためにするのではなく、人々の生活を少しでも幸せにするという基本原則を忘れないことである。
2010年01月10日
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そういえば、って、イラクに味方する国は、なぜ、一国もいない?アフガンに味方する国も、なぜ、一国もいない?みんな、アメリカが怖いから?非協力の抵抗、という手だってあるのに。(私が知らないだけか。)イラクは、国としてアメリカと戦争したが、アフガニスタンは、宣戦布告さえしていない。アメリカが、アメリカを攻めてもいないアフガンの上に、一方的に爆弾の嵐を降らした、非対称の戦争だ。アフガン政府がアメリカと戦っているわけではないから(既に、政府は傀儡政権だから)、アフガニーレジスタンスとアメリカが戦っているのだから、レジスタンスに味方する者は、テロリストと、レッテルを、アメリカに、貼られるけど、どうってことないじゃん。アメリカさんがうそついてることなど、皆知ってるのだから。じゃ、義勇軍でいいか、というと、これも困る。アヴァターみたいな強力な助っ人が来ても、一族を破滅に追い込む事に違いはない、強大な火力の前に。イスラームに共感し、アフガンの自給自足に涙して、救世主に寝返る西洋はいないのか。映画だけか?映画に掛けた資本の、何分の一でも、レジスタンスに援助しようというーヒモなしにー御仁はいないか。アラビアのロレンスは、どこいった?(こいつは嫌いだけど)資本か。儲け話もないのに、加担する分けない、わかってるけど、いたとして、アメリカは近すぎる。5光年くらい、離れてないと。最後は、力の勝負か?強いものが勝つか?ほんで、向こうから仕掛けてきた、とか、相手方の中に対立があって反対派が攻撃してきた、とか、虚偽の報告を株主と政府にする。トンキン湾、いや、911みたいに。遠くても、彼らは来るだろう。欲で。だって、15世紀、「新」大陸は、スペインから、遠かったはずだ。唯一の解決方法は、アメリカの撤退、しかないなあ。アメリカで革命が起こるといい。ロシアみたいに、停戦に持ち込むだろう。誰か、資本主義国、革命を援助しないか?アメリカの自滅を早めるため。後釜に、座りたいだろ? この映画に、多くの人が共感を寄せるなら、レジスタンス側から描いた映画、が、撮れないだろうか。一緒じゃないか。被害民の報道は、かなりある。映画もある。でも、立ち上がったアフガン民衆の映画は、まだない。そう、タリバンと呼ばれるレジスタンス、武装、自衛の、農民の映画だ。ただ、パンドラと違い、アフガンは、自然が旱魃で弱ってるから、美しい豊かな生態系は、描けない。なんにもないのだ。ヒンズークッシュの嶮しい神々しい、岩山以外。そこの、むき出しの生に捕らえられた人だけが、彼らと喜びをともにし、カラカラに乾いた土漠の岩を削り、水を通し、緑を、農村を再生する。事態は、甘美でも、なんでもない。後進的とされて、破壊され、再構築されて、西洋化されようとしている、アフガン。「現代の西洋人が忘れた、自然と一体化した生き方」などという、甘い文句はここには、ない。西洋人が「残す価値がある」と考える、エクアドルとかコスタリカとかの、緑の館のような、豊かな自然もない。価値ではなく、そこに人がいる、生活がある、とういことを、それを、尊重できるのか。尊重しろ、といっているのだ。金よりも。ームリ?
2010年01月10日
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( 幼い物言いが多くて、あとで顔をあからめることになるだろうけど、アップしておく。) AVATAR これは、インディアンの物語である。どう見ても、ナヴィはインディアンに見える、滅ぼされた。それだけ、アメリカ人の先住民に対する原罪意識は強いのだろうか、と思う。ナヴィの精神文化、民族衣裳、インディアンを原型にしているように見えて仕方なかった。結局、彼らは滅ぼされるのか。ヨーロッパの後継者、アメリカの、強欲と火器に。 アメリカ人=スカイ・ピープルが仕掛ける侵略は、目的からイラクに対するそれとまったく違わないが、ナヴィは、イラク人ではない。イラク人の意匠を全くまとわない。ある意味、対抗的ともなる一神教であり、ヨーロッパより先進文化であったイスラームをイメージさせるものは何もなく、表象として巧妙に避けられている。ジェイクのトラベルは、全くの異文化へのトランスポートであり、これはこれで、自分の、西洋の出自と、あまり葛藤がないため、スムーズ。むしろ、怪鳥を征服して乗りこなすところなど、西洋人が抜け切っていないな、と苦が笑いしてしまう。大佐との最後の決着は、肉弾戦で、ほとんど、ターミネーター。何も、解決しない。大佐は代わりの幾らでもある枝葉である。彼らは、また来るだろうか。私たちは既に知ってしまっている。イラクのレジスタンスが抵抗しても抵抗しても、繰り返し侵略するアメリカの姿を。アフガンを9年爆撃して、抵抗する彼らからまだ手を引かず、ファルージャの虐殺を再現しようとしているアメリカを。そして、先住民は滅ぼされたことを。どこかに、ほぼ民族絶滅に至らしめたアメリカ先住民に対するー言い換えるなら、もう何を言っても言い返してこない種族に対するー理想化、アリバイ工作のような苦々しさを伴う。私は、何を見たかったのか。有りもしないアメリカの悔恨と懺悔、資源強奪の欲から解放される地球人。アメリカ大衆こそ、この映画を見るがいい。露骨な政府批判のはずだから。彼らが今殺そうとしているのは、地球の自然なのだ、という隠れテーマは否定しない。だけど、もっと、生々しい現実、今現在、行なわれている資源を略奪するために「どけ」と言われて虐殺されている、イラク、アフガン、その他の人々はどうするのだ!絆、という。コンピューターのネットワークに擬せられたパンドラの生物のつながりは、情報というよりは感覚、知覚神経のようで、相手の痛みをわが身に感じるような物のようだ。聖なる樹は、高次の中枢神経。だから、共生関係にある動物達に、人間の体がそうであるように、自律神経や運動神経を介するような指令を発することが出来る。(攻撃機は人体に侵入したウイルスやバクテリア、迎え撃つ白血球等免疫機構、っていうイメージね。)ここで、救いは、相手の痛みを感じよ。という、単純な、でも大事なこと。イラクの人々の痛みを感じよ。アフガンの人々の痛みを感じよ。映画の中、欲に眩んだ「株主」には見えなくとも、現場の責任者レベルまではーただしモニター越しにだがーそれを感じている。空から落ちてきて、目の前で、馬が吹き飛ばされ、人が撃ち殺されるのを見る者の目には、何が起こっているか、もっと、はっきり見える。せめて、見よ、と。もっと、地面から、侵略されるさまを、見よと。希望は、大衆が地上から、侵略される側の痛みを、感じ取ることを始めることからしかないのだろう。それでも、資源や権益の独占から得る利益を獲得する戦争は常に、大企業や政府から起こされるだろう。守るべき自然も、全て失った、と想定される地球から来たジェイクには、優しいもの、弱々しいものをそっと手に乗せることさえ、知らなかった。自然は、利用できるかどうかでしか、価値を測られなかったのだろう。BGMは、Switched-On-Lotus利益、ビジネスに動機付けられたミッションも、現場の無欲なーもう一度自分の足で歩きたい、という希望、しか、もたないー青年の、ある種、かな、純粋な、でもこれは、ほとんどの一般の人々の気持ちに近いだろ?の先住民とのふれあいのなかで、ひっくり返される。でも、それが可能なのは、彼らの身体を手に入れる、という不可能なことを、経由して、だ。しかしそういうことが出来れば、人は変わるとおもう。少なくとも、切れば痛い、と知っている、現場にほり込まれる人間は。人間はそのようにできているから。殺しやすさと戦場の兵と敵の距離には、正の相関がある。だめだ、だめだ、軍は、そういうことはとうに承知。こんなことをしていたのでは、巨額の経費を掛けて、ドライバー全員に寝返られる、と知っている。(海兵隊の訓練が、新兵に、邪魔者は敵だ、敵は人間じゃねえ、と刷り込んでいくのが現実と同じだった。)だから無人攻撃機だ。コンピューターゲーム感覚で、モニター映像をメディアに流す。あ、でも、こういう見方はどうだろう。90年、マトリックスで、繋げられた現実は虚構だった。コンピューターを介して見せられる悪夢という、虚実を逆手に取った欺瞞の提示、世界の虚偽の端的な代替イメージになりえた来るべき仮想現実の、ウソ寒い得体の知らない手触りは、2010年、我々をマスゴミや政府の垂れ流すウソ情報を回避して、直接真実に近づける手段、と評価を一変した。現にこの20年、我々は経験してきた。イラク戦争のとき、アフガン侵略のとき、ガザ侵攻のとき、ベイルート爆撃のとき、我々はどうやって、地上の、言い換えれば政府やマスゴミの流す情報より確かな、情報を得たか。痛みを彼らとともに感受するメディア、共感のメディアとしてのインターネットという位置づけがはっきりしている。映画のネットの扱いも、それに対応している。話を元に戻す。 我々は、まだ闘える。虐殺される人々の心に少しでも近づき、今目の前にいない人の声に耳を澄ませ、それには、技術を使ってもいい。彼らの破壊力に対抗するため、技術の迂回路を通って、人間性に立ち戻るのだ。それと並行して、もっと身体性を取り戻し、感覚を磨き、壊される自然に親しみ、痛みを感じる力を取り戻す。(例えば、八つ場の現場に行ってみるのも、そのような回帰と結合にあたるのだろう。)上層部は変えられなくても、下から変わってゆける。上なんか、あてにするな。自然と調和する生き方、というのが、具体的に我々にとってどういうものなのか、まだ、よくわからないのだが。
2010年01月02日
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やさしい日本経済の話大槻久志新日本出版 意外にも、経済学の基礎から説き起こす本であった。生産物と、労働者、資本(企業)の関係をしっかりと読者のアタマに定着させ、貨幣論から明治維新の財政政策にいたり、戦後の日本経済の「出来上がっちゃう」までと、恐慌論(資本の過剰、ね)を概観し、解決者としての政府財政出動の姿をあらわにし、日本経済の行き詰まりに納得する。信用創造と預金貨幣、銀行の本質を説く。預金通貨と中央銀行の関係、ベーズマネーとマネーの二階建て構造を明瞭にイメージさせる。んで、これらの道筋は、なんでもさかさまの「アリスの国」から、目覚めるための巡礼。アメリカに追従した小泉政権と金融政策、アメリカのエセ経済学者竹中のアホさ加減をこれでもか、と論じ、値打ちのないドルを「売らせない」アメリカにヘイコラするばっかりに、日本の労働者の労働を無駄にし、崖っぷちに追い詰められている日本国民よりアメリカ政府の言うことを聞く、日本政府の情けない姿を見せ、目覚めよ、と呼びかける。アメリカの一部になってしまえば、アメリカにとって貿易赤字はなくなるわ、日本の貯蓄は奪えるわ、問題なんて、消滅してしまう、日本とともに。あ、そうならないわ、だって、彼らには、人種差別がある。
2010年01月01日
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すみっち通信(http://sumichi7878.cocolog-nifty.com/blog/) なぜ、しつこくこの問題にこだわるのか、それは冷戦が終わったにもかかわらず、無駄な米軍を日本に駐留させることはアジアだけでなく世界の平和を損なうことになるとともに、日本が思いやり予算として膨大な支援を米軍にしていることを許すことは、いまこの瞬間にも、イラクやアフガンで死んでいく市民(イラクやアフガンの抵抗勢力や米軍兵士を含む)を殺すことに税金を支払うことを通じて加担していることになるからです。 イラク戦争が米国の嘘によって作られた戦争であることははっきりしました。先日の情報公開で、航空自衛隊が多くの米兵をイラクで運んだことも分かりました。私たちは、米国の勝手な都合で人を殺すことに参加させられているのです。 幸い、米国でも民主党政権が発足し、戦争は終結の方向に向かっています。私たち日本の市民も第2次大戦での多くの犠牲に思いを馳せ、沖縄にこれ以上無駄な米軍を駐留させないようにしなければならないはずです。 しかも、思いやり予算を国内の自殺対策や景気対策に回せば、日本の多くの市民がよりよい生活を送ることができることも間違いない。 なぜ、あれだけ多額の思いやり予算を支払わなければならないかを合理的に説明できる人が、この世の中に一人でもいるのだろうか...。普天間についていえば、海兵隊のジャングル戦訓練場が沖縄にあるがゆえに、グアムあるいはその周辺にその訓練場ができるまでの間、訓練用ヘリの離着陸場が必要というだけの話なのに、日本の土建屋が話を大きくしてしまった。日本が、グアム移転費用は削減しないこと、グアム完全移転までの訓練用離着陸場は確保すること(例えば、浮島)を約束すれば、米国はノーとは言わないはずだ。なぜ、そういう事実に基づいた議論をメディアはしないのだろうか...
2010年01月01日
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辺野古浜通信 からhttp://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/ccfd06ee190fafcd355c9c8bda5b4adfhttp://henoko.ti-da.net/e2683248.html(大新聞の汚らしいウソは、もう想定済みで無視しているが、それにかわる事実は何であったのか、事実を記憶する、事実を検証することはいるなあ。) まずは、完全に欠落している点を指摘したい。それは、現行案を前提にしたロードマップについて日本側の負担が定められた「グアム移転協定」が国会で承認された際の経緯だ。2009年5月13日、衆院で承認した「グアム移転協定」は、参院では民主党を含む反対多数で承認されなかったが、衆院優先で承認された、つまり、現与党民主党は、「グアム移転協定」に反対をしてきたという事実だ。これは、辺野古移転を語るに際して忘れてはならない事実だ。私たち有権者は、辺野古移転に反対をした民主党に投票して、政権をとらせたのであり、民主党が辺野古移転を見直すのは当り前のことだからだ。そのことに3紙はまったく触れていない。いかにも辺野古移転が既定事実だったかのように歴史を捏造している。もう一つの問題は、1996年12月の日米特別行動委員会(SACO)の最終合意の内容だ(実は、産経は、この最終合意を年表から削除している。さすが、産経だと指摘しておこう)。最終合意されたのは、「撤去可能な海上施設」だった。つまり、期間限定の海上ヘリポートだったのだ。これは、辺野古埋め立てなどまったく必要がないことを明確に示す事実だ。アメリカが計画変更しないなどと偉そうなことを言っているのは、ただの脅し、国家の国家に対する恐喝であることを示すはっきりとした事実だ。3紙は、同じようなタイミングで、同じような年表を使って、米側の言い分を擁護している。本来、新聞社がするべきことは、普天間移転で無駄な税金が使われないように厳しくチェックすることだろう、それを米側の言うとおりじゃぶじゃぶ金を支払えっていう記事を書くなんて、「あんたら、米国からいくら金をもらっとんじゃい」って気になりませんか?日本は沖縄からグアムに移転する8000人の米兵及びその家族のための3520戸の建設費用25億5000万ドル(一戸当たり約7500万円)を負担することになっているが、
2010年01月01日
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マスコミに載らない海外記事 さん から、http://eigokiji.justblog.jp/blog/2009/12/--3da9.htmlhttp://eigokiji.justblog.jp/blog/2009/12/post-8b89.html
2010年01月01日
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