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日米交渉-V(12月1日の御前会議-1)よりの続きです。■12月1日の御前会議(「杉山メモ(上)」よりの概要で表現は資料と異なる)●御前会議に於ける軍令部総長説明(大本営両幕僚長を代表しての説明) 米英蘭に対する戦争準備は完整した。 ソ連に対しては兵力配置より不安はない。●内務大臣説明(日米問題に関する国民の動向並びに治安上の措置)○共産主義者・不逞朝鮮人・一部宗教上の要注意人物の反戦反軍などの取締○国家主義団体の軽挙妄動の視察取締○流言蜚語の取締○容疑外国人に関しては調査完了、時機を見て検挙拘禁○戦時犯罪対応は刑事裁判の簡易化措置など○非常警備(警察官吏、消防官吏、警防団員)は計画準備完了○民心の動向に注意●大蔵大臣説明要旨○別紙1(対英米開戦に伴ふ財政金融の持久力判断に関する説明要旨) 本年度予算額は、 79億9千余万(一般会計)、58億8千万円(臨時軍事費、第76回議会協賛分) 合計純額132億余万円(第77回帝国議会成立分を除く) 今後巨額の長期に亘る戦費調達が必要となる、最低限の国民の生活が確保されることが必要 南方作戦地域は従来各種の物資を相当に輸入している所、 占領した場合に経済を円滑に維持する為には日本から物資を供給すべきだが、日本は余力がない 現地の物資労力などを獲得するため軍票などを発行するが価値の維持は困難。 現地自活の方針で追送物資は現地治安の維持など最小限度に止める。 現地の通貨価値の下落・現地経済の混乱は度外視する。○別紙2(非常金融対策に関する件) 預金取付に関する対策: 預金支払制限を行わない、金融機関の債務を保証 戦災被害者の金融機関に対する債務の処理: 損害を受けた営業所を有する者には積極的な融資図る 緊要産業等に対する金融的保護: 緊要産業等を営む事業会社の直接責任がない場合、貸出金の肩替・保障を行う 戦災地及避難先に於ける生活維持資金確保の為の預金の簡易支払: 金融機関の店舗が爆撃を受けた場合の預金の限定保障 株価対策: 株価崩落の場合、無制限買出動と株式価格統制令を発動●井野農林大臣御説明要旨○米麦 米麦の1942年米穀年度(1941年11月1日~42年10月30日)予測 需要は8500万石、供給は7390万石(朝鮮台湾よりの輸入見込みは1000万石) 1110万石の不足 対策は酒米の節約などの消費規制の強化、朝鮮・台湾産米の移入の確保、輸送船舶の確保○蛋白質・脂肪 水産物・畜産物は石油の消費規制・漁船の徴用・飼料の供給減の為に供給の減退 大豆・油料種実は満州・支那よりの船腹難の為に供給の減退 対策は代用燃料利用、自給飼料の確保、船腹の重点配船○長期戦への対応 食料自給強化、日満支の総合食料対策〓勝手な感想(12月1日の御前会議)〓 其々の説明担当者の主張の裏づけ資料が存在すると思われる。 例えば「杉山メモ(上)」での11月5日の御前会議の記述はp406~p516に亘り、 資料だけでも80pを超える。 当然、天皇・政府・統帥部は担当者の主張を理解し資料を熟読していると思いたい。 (官吏が膨大な時間を使い情報収集・分析し、上の命令で数字合わせをした物かもしれないが) 御前会議では対米英蘭との開戦を日本の最善の選択として選んだのか。 現在からの判断ではなく、当時の情報での判断として考えるのは難しい。 御前会議では、日本本土でさえ食料は不十分、 南進し資源確保するも占領地区の経済的混乱は想定内で、基本は現地調達。 対米英蘭との戦いも勝てる確証などない、戦争に至った経緯も最善の道を選択したのではなく、 仕方がなかったんだの説明に思える。 敗北した場合を冷静に考えたのだろうか、負けたら日本国民が全員死んで終わりと考えたのか。 「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ。」 は戦陣訓(1941年1月8日陸軍大臣東條英機による)「本訓其の二」の第八(名を惜しむ) 「米国と戦うのは米国が悪いんだ」の主張での開戦。 短期的な優勢は確信するも、長期的には分が悪いのに長期戦の可能性大。 味方はドイツとイタリア、敵は米国・英国・中国・(ソ連)。 まず、南方の資源を確保と輸送路の確立。 最初の優勢な間にドイツが勝ってくれないとどうにもならない。 一年ほどの期間、日本は米英に善戦し、欧州ではドイツが優勢となり、 日独伊米英での講和条約が締結され、日独伊は勝側で、英仏蘭の植民地の再配分が行われる。 中国に関しては日本の主張が通り、米国は欧州・東アジアに干渉できない。 を夢見たと思う。 「日独伊共同行動協定」に日本の不安と希望が見える。●「日独伊共同行動協定」(大意):1941年12月11日調印、12月16日公布 米国・英国に対する共同の戦争が完遂するまでは戦争を継続するの決意で日独伊政府は協定する第一条:日独伊は米英に強制させられた戦争が勝利に終わるまで遂行する。第二条:日独伊は相互間の同意に依り米英との休戦・講和を行う。第三条:日独伊は勝利による終結後も「三国条約」に基づき新秩序招来の為に密接に協力する。第四条:本協定は署名と同時に実施、「三国条約」と有効期限は同じ、また延長に関しても同様。
2005.11.29
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1941年12月1日となり対米外交交渉期限が終了。 準備を終えている対米英蘭戦のスケジュールが本格稼動する。 12月1日の御前会議では開戦が決定された。 海軍は大海令第9号、陸軍は大陸命第569号により、 戦争決定が軍令部総長と参謀総長により伝えられた。■12月1日の御前会議(「杉山メモ(上)」よりの概要で表現は資料と異なる) 御前会議議題:対米英蘭開戦の件 11月5日決定の「帝国国策遂行要領」に基づく対米交渉は遂に成立するに至らず 帝国は米英蘭に対し開戦す□質疑応答(質問は原枢密院議長、答えは各担当者)○「ハル・ノート」の支那に満州国を含むのか 外相:11月26日に於いて野村・来栖両大使はハル国務長官に対して未確認 今回は米国に確認した場合、満州国を含むと主張するかもしれない。○英米の極東に於ける軍備(軍艦)の増加による作戦行動の影響 軍令部総長:(まず、英米の軍艦をの配置を述べる) 米国の軍艦の増加はない、英国の増加は戦艦2(その他不確実な情報として戦艦4) 作戦に影響はない○陸兵の状況は? 参謀総長:香港にカナダの兵が2千名増、星港(シンガポール)に約6千か7千、 ビルマ方面にも情報あり、想定内で作戦実行に支障なし。○泰国は日本につくか英国につくか、英国についた場合の対応 総理:泰国が日本・英国どちらにつくかは中間、日米開戦直前にきりだし平和裡に抱込む予定。○内地に及ぼす影響(空爆に於いて、特に東京に大規模の火災が発生した場合の対処) 企画院総裁:食料の準備は充分、以外は考えている段階○原枢密院議長の所見 日本は対米交渉で譲歩を重ねた 米国との交渉が不成立の場合は開戦も止むなき次第 開戦当初の日本の勝利は間違いないが、長期戦となる為人心の安定が重要□12月1日:御前会議後両総長南方軍に対する任務に関する命令上奏の際の御下問奉答 お上:此の様になることは止己むを得ぬことだ、どうか陸海軍はよく協調してやれ 杉山:誠に有難い御言葉を拝し感激に堪えませぬ、両総長は幕僚長として死力を尽くして、 将兵指導し聖慮を安んじ奉ります お上:今朝以来米の状況に変化はないか 杉山:本朝上奏致してから米「マリーン」が400名づつ2度「マニラ」に入った外、 変わったことは御座いませぬ□御前会議に於ける担当者の説明(項目のみ、内容は「杉山メモ(上)」で確認願います)●内閣総理大臣説明 日米交渉に於いて、米国は日独伊三国条約の死文化等一方的譲歩を強要、 経済的・軍事的圧迫を強化、このまま推移するのは問題、自存自衛の為に米英蘭に開戦する。 日本の戦力は支那事変前に比べて遥かに向上している、国難突破を行う。●日米交渉に関する外務大臣説明(11月5日の御前会議以降を主に)○日本側の譲歩(11月5日御前会議決定)、甲案での交渉 三国条約に基づく自衛権の問題は、日本は日米共に自衛権の概念を不当に拡大しない。 (甲案では、米国が欧州に参戦した場合に日本は三国条約ではなく独自の判断で行動する) 通商上の無差別原則は、全世界に通用するなら支那に適用することに異議なし 支那に於ける撤兵は、平和成立後の治安確立2年後撤兵を完了 (北支蒙彊の一定地区・海南島を除く) 仏印に於ける撤兵は、領土主権の尊重を約束し、支那事変の解決か極東平和確立後直ちに撤兵○乙案による交渉1.日米両国政府は孰れも仏印以外の南東亜細亜及南太平洋地域に 武力的進出を行わざることを約す2.日米両国政府は蘭領印度に於て其の必要とする物資の獲得が保障せらるる様 相互に協力するものとす3.日米両国政府は相互に通商関係を資金凍結前の状態に復帰すべし 米国政府は所要の石油の対日供給を約す4.米国政府は日支両国の和平に関する努力に支障を与うるが如き行動に出でざるべし5.日本国政府は日支間和平成立するか又は太平洋地域に於ける公正なる平和確立する上は 現に仏領印度支那に派遣せられ居る日本軍隊を撤退すべき旨を約す 日本国政府は本了解成立せば現に南部仏領印度支那に駐屯中の日本軍は之を 北部仏領印度支那に移駐するの用意あることを闡明す○11月26日にハル・ノートが野村・来栖両大使に渡される。○27日ルーズベルト大統領は両大使に、 一時的な暫定処理では根本方針が異なると結局無効となる趣旨を述べる。○外相による「ハル・ノート」を加味した現状分析 蒋介石政権は英米依存を強める、日本は支那から全面退去、満州国の地位も動揺する 英米はこれらの地域の指導者として君臨し、日本の権威は地に落ち、東亜新秩序建設は瓦解する 三国条約は死文となり、日本の信は海外に失墜する ソ連を加えた集団機構的組織で日本を控制し、北辺の憂患が増大する 通商無差別を先ず太平洋地域のみに適用する企画は英米の利己的政策遂行、物資の獲得に支障●日米交渉の経緯(自昭和16年4月至11月)○1941年4月中旬に米側は交渉基礎として非公式試案を提示 日本側の案は5月11日、米国案は6月21日となる。○近衛内閣が第二次から第三次になる、南部仏印進駐により日米関係はさらに悪化した。 近衛首相は日米首脳会談を希望。 9月6日に日本案が提示されるが米側は受諾せず。 9月25日案を日本側は提出。 米側の6月21日案と日本側の9月25日案により論議がされる。 交渉は停滞し、第三次近衛内閣は総辞職した。(10月16日)○東條内閣での日米交渉(東郷外相) 日米交渉-W(12月1日の御前会議-2)へ続く。
2005.11.26
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使い始めて、一週間ぐらい、初心者の使い勝手の感想です。 Netscapeのブラウザーは「Netscape Browser」となり、「Firefox」をベースに作られた。 現在の最新バージョンは「8.0.4」で日本語の正式版はない。 日本語パック (Japanese Language Pack) 1.04 ロケール補填パック (Locale Fix Pack) を、導入するとかなり日本語化されるが、よく落ちる。(私の使用した環境(XP)では) 日本語化は諦めて、英語バージョンのまま使うことにした。 使い始めた動機は「Firefox」の拡張機能(Tab)をUpdateした際に、 複数のWindowsユーザで使用していると、拡張機能(Tab)の設定がうまく行かなくなった。 ユーザ単位の設定の初期化を行こなわないと正常に戻らない。 ユーザ単位の設定の初期化は、 「Documents and Settings」の該当ユーザフォルダーにある「Firefox」の設定データを 削除により初期化を行った為に設定やり直しなり、ちょっと「Firefox」に嫌気が、 それで「Netscape Browser」ではどうかと思ったのがきっかけ。 まず、外見 テーマによるが、上記のようにカッコいい。(と思うがどうでしょうか?) Toolbarには、「Navigation Toolbar」と「Personal Toolbar」があり、 「Personal Toolbar」は矢印(←、→)等で押すだけで表示項目を変える事が可能。 上記のように、 「Personal Toolbar」が「Personal」から「Local」に、クリック一回で変更可能、 「Personal Toolbar」の設定は簡単に行え、3個以上の設定も可能。 問題は英語での設定と日本に住んでいて便利な情報を得る設定がデフォルトではない事と、 正式日本語版がなく、「Netscape Browser」の米国のサイトはあるが、日本のサイトはない。 書いていて、お勧めとは思えなくなってきた。 それでも、導入してみようという人には、 私的にはインストール時に「Netscape Browser」のみを導入しゲーム系を入れないがお勧め。 「Weather」は無視した。 導入後に「My Netscape」では「Weather」で「東京」「大阪」等は設定可能、 私の住んでいる県(都市)は指定できなかった。 「Rendering Engine」は「Firefox」と「ie」の選択が可能のようだが、 サイト毎に「Rendering Engine」が異なって表示される、よく解っていない。 (特にサイトコントロールの設定が解らない) 正式日本版があれば使うのにと思う。
2005.11.24
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●連絡会議(政府首脳と統帥部の会議)/「杉山メモ(上)」よりの概要○11月27日の連絡会議(14時~16時)の議題 重臣の御前会議出席問題、宣戦に関する事務手続き、国論指導要綱、開戦詔勅案 重臣に対しては説明と天皇との会談が行われるが、御前会議出席は行われなかった。○11月29日の連絡会議(16時~17時)の議題 戦争決意に関する御前会議議題、独伊に対する外交措置、開戦決意に伴う国内外に対する措置 独伊に対する措置では、大島・堀切両大使に以下の趣旨の申し入れを指示、 独伊に日米の武力衝突が近い事、日本は独伊に対米戦を期待、単独不講和の申し入れ。 ソ連を共同の敵としない事について会議で検討された。 東郷外相は、米国との開戦日を要求、永野軍令部総長が答える。 海軍側(永野・嶋田・岡)は「戦いに勝つために外交を犠牲的にやれ」と強く主張。●11月30日の高松宮と昭和天皇○「木戸幸一日記(下巻)」よりの概要 今日の午前に高松宮は天皇に 「海軍は手一杯で、出来るなれば日米の戦争は避けたい。」 と述べた事に対して、天皇は木戸内大臣に、本当の所はどうか訊ねる。 木戸は11月26日の重臣との会談について春秋した天皇に答えたときと同様に、 天皇が行う今回の決断は決断すれば後へは引けない重大な事なので、 少しでも不安があれば念を入れて納得する為に、 木戸は海軍大臣・軍令部総長を呼び直に確かめることをすすめる。 東條首相を呼ぶ、その後に海軍大臣・軍令部総長を呼び聞く。 天皇は海軍は相当の確信を持って答えた為、予定通り進めるを首相に伝えるよう木戸に命じる。○「昭和天皇独白録」の「開戦の決定」よりの概要 高松宮が重臣との会談の様子を聞きに来た、高松宮は 「今この機会を失すると、戦争は到底抑へ切れぬ、12月1日から海軍は戦闘展開をするが、 已にさうなったら抑へる事は出来ない」 との意見を述べた。 戦闘の見通しについて高松宮は「統帥部の予想は5分と5分の無勝負か、よくても6分4分」 天皇は「負けはせぬかと思ふ」に対して高松宮は 「それなら今止めてはどうか」と述べたが天皇は戦争を止める事については返事をしなかった、 「立憲国の君主としては、政府と統帥部との一致した意見は認めなければならぬ、 若し認めなければ、東條は辞職し、大きなクーデタが起こり、 却て滅茶苦茶な戦争論が支配的になる」と天皇は思った。〓勝手な感想〓 政府と統帥部は対米戦の開戦に向けて進んでいる。 高松宮は対米戦反対で、海軍の意見として「対米戦は避けたい」を天皇に述べる。 天皇は海軍側に確認するが、海相・軍令部総長は確信を持って答えた。(必ず勝つ?) 天皇は予定通り進めるように東條に伝える。 また、高松宮は天皇の「負けはせぬかと思ふ」に対して、対米戦を止める事を進めるが、 天皇は止める事については答えなかった。 11月30日の時点で、高松宮は天皇が対米戦を止めると言えば止めれると思っている。 (天皇なら止めれるとこの時点でも止めれるの両方の意味がある)●昭和天皇が対米戦を止めれなかった理由に関して、○「昭和天皇独白録」の寺崎版では、 「立憲国の君主としては、政府と統帥部との一致した意見は認めなければならぬ、 若し認めなければ、東條は辞職し、大きなクーデタが起こり、 却て滅茶苦茶な戦争論が支配的になる」○「昭和天皇独白録」のフェラーズ版では、 「もし、1941年の11月あるいは12月ごろ、私が天皇として拒否権を行使していたら、 恐ろしい混乱が生じたかもしれない。 私の信頼する周囲の者は殺されたであろうし、 私自身も殺されるか誘拐されるかしたかもしれない。 実際、私は囚人同然で無力だった。 私が開戦に反対しても、それが宮城外の人々に知られる事は決してないだろう。 ついには凶暴な戦争が展開され、私が何をしようと、 その戦いを止めさせる事は全くできないという始末になったであろう。」 「昭和天皇独白録」のフェラーズ版を「極東国際軍事裁判」での判事・検事が読んだ可能性は高い。○「極東国際軍事裁判」の個別意見でウエッブ裁判長は 戦争をおこなうには、天皇の許可が必要であった。 もし彼が戦争を望まなかったならば、その許可を差し控えるべきであった。 彼が暗殺されたかもしれないということは、問題の答えにはならない。 この危機は、自己の義務を危険があっても遂行しなければならない統治者のすべてが 冒しているのである。 いかなる統治者でも、侵略戦争の開始という犯罪を犯しておいて、 そうしなければ命が危うかったのであるからといって、それを犯したことについて、 赦されるものと正当に主張することはできない。 天皇は進言に基づいて行動するほかはなかったということは証拠と矛盾している。 彼が進言に基づいて行動したとしても、それは彼がそうすることを適当と認めたからである。 それは彼の責任を制限するものではなかった。 しかし、いずれにしても、大臣の進言に従って国際法上の犯罪を犯したことに対しては、 立憲的君主でも赦されるものではない。 (「東京裁判/朝日新聞東京裁判記者団/朝日文庫」より )〓勝手な感想〓 ウエッブ裁判長の指摘は、マスコミ・教育者・官僚・財閥等にも当てはまる内容となっている。 (一般国民の戦争参加は自分たちの利益の為ではない、判断材料の情報を得る事が困難な立場)注)「極東国際軍事裁判」において「対米英蘭」への侵攻を侵略戦争で国際法上の犯罪としている、 この項では、侵略戦争・国際法上の犯罪、について考えない。 11月末の時点でも、対米戦開戦を高松宮や重臣の多くは反対だった。 陸軍は賛成、海軍は米国の石油禁輸以降は賛成、東郷外相もハル・ノート以降は賛成となる。 天皇は対米英蘭との開戦決定を防ぐ気があれば防げたのか。 「マッカーサー大戦回顧録(下)」では、10月16日のマッカーサーの声明として、 きょう日本全国にわたって、日本軍は復員を完了し、もはや軍隊としては存在しなくなった。 歴史上、戦争平時を通じ、米国でもその他の国でも、 これほど敏速かつ円滑に復員が行われた例を私は知らない。 <中略> 約700万の兵士の投降という史上に類のない困難かつ危険な仕事は、 一発の銃声もひびかせず、一人の連合兵士の血も流さずに、ここに完了した。 <後略> 昭和天皇が玉音放送等で命じた為、混乱が少なかったのか。 タイミングが良かったのか、国民の意思か。 天皇の命令は絶対で日本国民・政府・統帥部・軍隊はそれに従ったのか。 「ポツダム宣言受諾を連合国に通知」と「8月15日の玉音放送」の間に問題は発生したが、 2.26事件の様な事は起こらなかった。 玉音放送では、ソ連に対する宣戦布告が発表されると思っていた者もいたが、 ポツダム宣言の受諾の放送を国民・政府・軍部・官僚・財界は受け入れた。 開戦時に天皇が開戦に反対した場合、政府・軍部は従ったか、 天皇は対英米蘭戦に納得してGOサインを出したのではないのか。 天皇は9月6日の御前会議での決定を東條が首相になった際に白紙還元を命じている。 天皇は10月17日には、開戦の決定を見直させる力を持っており、東條首相は従っている。 また、天皇が企画院が作成する資料を読み込み判断する能力を有していたかの疑問があるが、 天皇は「杉山メモ」等に存在する「企画院が作成する資料」を読んでいないように思う。 天皇が情報を得るのは、 木戸内大臣・侍従長・侍従武官長・内閣の大臣・統帥部首脳からと皇族からの意見が主。 天皇に最も近いと思える木戸内大臣は多くの人たちから意見を聞いている、 木戸は天皇にどのように伝えたかは不明な部分が多い。 天皇は、対米英蘭戦を無謀と思っていた、 9月6日に、米国との交渉が不調であれば10月中旬開戦と決定されたとき、 陸軍以外は開戦に積極的ではなかった。 石油禁輸とハル・ノートで政府と統帥部は開戦一色になってしまった。 重臣の意見では抑える事が出来ない、最終的には高松宮の意見の影響か海軍に確認するも、 海軍側は調子のいい事を言う。 それぞれの専門家が開戦を主張、天皇は勝てるわけはないと思いながら開戦を決意する。 立憲君主制だから政府・統帥部の決定に従ったのではなく、 政府・統帥部に賛同されない行為の回避と思う。<蛇足> 米国が連合国(英国・中国・(ソ連))に武器貸与法等を適用せず、中立を守っていれば、 当初日米戦はなく、対英蘭戦が行われたと思う。 米国は独伊が支配する欧州を拒否、日本の対米戦と独伊の米国への宣戦布告は米国の予定通り?
2005.11.22
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○「ハルの所謂最后通帳が来たので、外交的にも最后の段階に立ち至った訳である。」 (「昭和天皇独白録」:閣議の決定(昭和16年)より)○「今度の御決意被遊は真に後へは引かれぬ最後の御決断でありますので、 御不審の点其の他こうもして見よう、ああもして見ようと云ふ様な御気持がある様であれば、 御遠慮なく仰せ戴き、御上としても後に省りて悔いのない丈の御処置が願はしいと存知ます。」 (「木戸幸一日記(下巻)」:昭和16年11月26日11時15分からの木戸の奉答) 上記の木戸の昭和天皇への奉答の時点では、「ハル・ノート」は手交されていない。 (米国時間で26日に「ハル・ノート」は野村・来栖駐米大使に手交されている。) 天皇の開戦への迷いは存在し、最終決定が12月1日になるとしても、 「ハル・ノート」以前に天皇の意思が開戦となってもおかしくない状況だった。 対米開戦以外では臥薪嘗胆が存在する。(米国に経済制裁を解いてもらい、大陸からの撤退) 何れにせよ、天皇は決断を迫られている。 天皇は重臣の意見を聞くことを望む、 11月29日に重臣(総理経験者)に対して、政府側からの現状説明及び質疑が行われ、 14時から1時間半、昭和天皇は重臣の意見を聞く。■重臣との会談(1941年11月29日) 午前からの重臣に対する説明は、「岡田啓介回顧録」によるといい加減なものだった。 岡田(2.26事件の時の首相、海軍大将)は、 迫水企画院一部一課長より政府資料を取得していた為、政府側説明者の企画院総裁鈴木貞一が 船舶の一ヶ月の消耗を1/10に割り引いて説明や、 東條が掛け値してものを言っていた事を指摘し、 物資の補給能力の点で、アメリカと戦争などやれるものではない事がはっきりした。 と書いている。□「木戸幸一日記(下巻)」による天皇を交えた会談。(概要)○若槻:国民は物資の方面に於いて長期戦に堪えれるか、慎重に研究する必用あり○岡田:物資補給能力について充分成算があるか心配、政府説明では納得できない○平沼:4年の戦争が遂行されており、更に長期の戦いで困苦欠乏に堪える為に民心を引締める○近衛:政府説明では外交交渉の見込みなし、開戦ではなく臥薪嘗胆で打開を見出す○米内:ジリ貧を避けんとしてドカ貧ならないよう注意願いたい○廣田:今回の危機で直ぐに戦争突入は反対、開戦しても外交交渉での解決を目指すべき○林 :政府が大本営と充分協力研究した結果を信頼する○阿部:政府の研究はこれ以上は望めない、支那人の動向は慎重に対処する必要あり○若槻:自存自立なら敗戦を予想しても戦うべき、大東亜共栄圏の確立など理想に国力使用は危険 陸軍出身者(林・阿部)は政府の主張に反対しないが、他は対米戦に反対。 政府の資料は重臣たちにも公開されていないようで、 米内(海軍)・林(陸軍)は資料を持たないと断りを入れて自分の判断を述べている。 8人の重臣の内、政府支持は2名でその2名も対米戦賛成とは思えない、昭和天皇の判断は?□「昭和天皇独白録」からの該当部分をチェックする。(概要)○近衛:外交では平和の道がなくなった、それでも平和が求められないか○平沼:開戦となると思想が混乱するから面白くない○米内:石油の問題で戦争するのは反対、戦争終結方法に対して意見がない○岡田:米内と同意見○廣田:玄洋社出身の為か戦争賛成、皇族内閣を推薦、内閣は統帥部の意見を聞いて作ると述べる○阿部:「已むを得ぬ」という意見○林 :戦争謳歌論 上記は昭和天皇の記憶による重臣の発言内容、また感想は 「戦争に反対する者の意見は抽象的であるが、内閣の方は数字を挙げて戦争を主張するのだから 遺憾ながら戦争論を抑える力がなかった」〓勝手な感想〓 重臣は午前中から午後にかけて、政府から説明を受け質疑を行っている、 14時から1時間半の間、昭和天皇が参加し重臣の意見を聞いた。 政府資料に関しては、岡田は例外として他の重臣は見ていない。 「昭和天皇独白録」では若槻の意見が記されていない。 廣田の発言内容が「木戸幸一日記」とは異なる。 廣田の戦争賛成の記述は木戸日記では戦争反対となっている、 内閣云々は開戦とは関係ない、玄洋社出身(何をもって出身とするかは問題)の記述は変。 「皇族内閣」に関しては、「昭和天皇独白録」の「近衛の辞職と東条の組閣」では、 東久邇宮を総理大臣には、陸軍が推薦した。 もし、皇族総理の際、万一戦争が起こると皇室が開戦の責任を取る事となるので、 良くないと思った。 の記述がある。(「木戸幸一日記(下巻)」でも同様の記述がある) 重臣の意見に対する昭和天皇の感想 「戦争に反対する者の意見は抽象的であるが、内閣の方は数字を挙げて戦争を主張するのだから 遺憾ながら戦争論を抑える力がなかった」 重臣が政府以上の数字を挙げる事は不可能だろう、 政府の機密情報を重臣が述べだしたら、機密漏洩が行われている事となり他の問題が発生する。 天皇が望むことは、天皇が政府や統帥部とのやり取りで解決すべき事。 御前会議では、資料が提出されているし、裁可を願う際も説明を受けている。 重臣からは、経験に照らした意見を求めるしかないと思う。 重臣は基本的に対米戦には反対を示したが、天皇は東條内閣の主張に説得力を感じた。○「杉山メモ(上)」での重臣の所見 積極論は廣田・林・阿部で特に阿部は強弁に主張、 現状維持論は岡田・若槻で最も強く主張したのは岡田 ここでは、「木戸幸一日記」・「昭和天皇独白録」と趣が異なる。 廣田の積極論がどのような意味かは興味深い。 東郷外相の「時代の一面」では、 「ハル・ノート」に対し連絡会議のメンバーは自衛の為に戦うの外なしとするに一致。 廣田と東郷の間で何らかの話し合いがあったのかもしれない。
2005.11.20
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「ハル・ノート」はワシントンで1941年11月26日にハル国務長官から 野村・来栖大使に渡されたが、「暫定協定案」も同時に渡される可能性があった。 「暫定協定案(日本の提案に対する国務省の未発表対案)」は3ヶ月間有効の一時的暫定協約。 日本が南進をストップ、南部仏印から引き上げれば、 日本の輸入は、 船舶用石炭、同供給品、食料及薬品、毎月価格60万弗までの綿花、石油少量、の輸出を許可。 日本の輸出は、 米国は生糸価格が輸入品価格の少なくとも3分の2に達することを条件として 一般的輸出を許可する。注)「暫定協定案」はハル国務長官からグルー駐日米国大使に12月1日に送られた、 日本は送られた暗号を解読している。 全文は「日米交渉-2」の【暫定協定案】を参照願いたい。 日米の問題解決を3ヶ月先送りする事が日米どちらに有利か、 その間にドイツと英ソとの戦争の動向に変化が発生し、日米のスタンスに変化が発生するか、 は仮定の話。■「時代の一面/東郷茂徳」より 東郷茂徳の日米開戦感(戦後に於いて): 「即ち、ハル公文を受諾した後の日本の位地が、 敗戦後の現在の地位と大差なきものとなるべきであることは又疑いの余地はない。 されば戦争による被害がなかった丈け有利ではなかったかとの考えがあるかも知れぬが、 これは一国の名誉も権威も忘れた考へ方であるので論外である。 以下はハル・ノートに対する記述付近からの抜粋。 「暫定協定案(暫行協定案)」が協議された、 ルーズベルト大統領・ハル国務長官・最高軍事官憲による協議、 関係各国大公使とも協議がされた、支那側(胡大使)が反対、英国も支那の主張を支持。 ハル国務長官はルーズベルト大統領と協議、「暫定協定案」の提案をやめて、 26日に「ハル・ノート」を手交した。 「スチムソン陸軍長官」の日記の11月25日の概要 12時より1時半まで「ホワイト・ハウス」でルーズベルト大統領と「ハル」「スチムソン」 「ノックス海軍長官」「マーシャル陸軍参謀総長」「スターク海軍作戦部長」 が会合した、大統領は日本による攻撃が程なく行われるについての対応方法を問題定義。 米国の損害を少なくして、日本人に初撃を発射させるを行わせる事は困難な仕事。 「スチムソン」は、大統領は既に8月日本に対して武力的進出に就き警告した、 「タイ国」への進出は警告違反であることを指摘すればよい、国務長官が其の案を作成。 米国首脳の関心は、翌日の「ハル・ノート」の手交により日本との交渉成立を望むのではなく、 如何にすれば日本に第一放火を発射させることが可能かということであった。 26日の「ハル・ノート」の発送直後、ハル国務長官はスチムソン陸軍長官に、 「最早自分の仕事は済んだ、之からは君と「ノックス(海軍長官)」の仕事だ」と語った。 上記より、「ハル・ノート」は日米交渉が決裂し戦争になる事を前提で作成された。 欧州戦争の始めより米国の「中立違反」は顕著だった。注)中立違反 戦争法の16:陸戦の場合に於ける中立国及び中立人の権利義務に関する条約(陸戦中立条約) 戦争法の17:海戦の場合に於ける中立国及び中立人の権利義務に関する条約(海戦中立条約) に於いて、武器貸与法などで、米国は中立国で無くなっている。■「木戸幸一日記(下巻)」の1941年の記述より○06月21日:木戸は近衛首相に毅然とした指導力を発揮することを希望する 独ソ開戦の場合 米国参戦の場合 米国より回答のありたる場合○06月22日:14時に鈴木総裁から電話で独ソ開戦の報が入るの連絡あり 木戸は松岡外相と近衛首相の間に意見の相違があり、近衛の意見を採る事を言上する 17時半に松岡外相参内・拝謁、松岡拝謁後の木戸と天皇、 松岡外相の対策は南北両方に積極的に進出する結果となる(松岡は北進を言上したと思われる)○07月16日:近衛首相は辞表を提出、7月18日に第三次近衛内閣発足、外相は松岡から豊田へ○07月31日:永野軍令部総長の奉答について天皇が木戸に話す(要旨) 戦争(対米)は避けたい 三国同盟には反対、日米国交調整は三国同盟の為不可能 日米国交調整は不可能、油の供給源を失えば2年の貯蔵量で戦争なら1年半、打って出る外なし 米国に勝つ事は覚束ない(天皇は捨て鉢の戦で危険との感想)○08月02日:木戸は石油が断たれた場合は外交交渉がだめな場合は陸海軍での収拾を述べる○08月06日:木戸は臥薪嘗胆を述べる○09月06日:御前会議○10月10日:武官長より、伏見宮が拝謁の際、急進論を進言し天皇は失望する○10月13日:天皇から木戸への話 日米交渉の成立は望みが薄い、日米開戦の際の詔勅に「世界平和」の文言を入れたい 対米英戦決意する場合には、独の単独和平を封じ日米戦に協力させる外交交渉の必用あり 戦争終結の手段を考慮しておく、ローマ法皇庁との関係をよくしておく○10月15・16日:近衛首相は辞意、次期首相に東久邇宮(皇族内閣は不可)○10月18日:東條内閣発足(東條は現役のまま、大将に昇任)○11月05日:御前会議、対英米蘭の方針決定、来栖の米国派遣の話あり○11月26日:天皇と木戸日米会談の見通し 最悪の結果になる、重臣を会して意見を聞くことを望む、 木戸は天皇が悔いのない決定する為に遠慮なくする事を進言○11月28日:11時20分に東郷外相参内、米国の対案を天皇に説明、形勢逆転なり。 (「形勢逆転なり」は「暫定協定案」のような提案がされると予定していたの意か?)〓勝手な解釈〓 米国は「暫定協定案」による日米の問題先送り提案を日本に行わなかった。 「暫定協定案」に日本が3ヶ月延長を承諾した場合、石油の供給もあるので日本の備蓄物資は 減らないとしての3ヶ月間は戦争準備の充実が、日本より米国がより進むと思える。 中・英は日本と米国が一刻も早く戦争状態になることを望む。 米国は日本との友好関係を結ぶ事より、被害の少ない戦争への参加を望んでいる。 昭和天皇は日米開戦の決断を重臣の意見を聞いた後に行う予定。●ドイツの単独和平を封じる 「木戸幸一日記(下巻)」の1941年10月13日には、昭和天皇が木戸内大臣へ、 「対米英戦決意する場合には、独の単独和平を封じ日米戦に協力させる外交交渉の必用あり」 の内容を述べている。 日独伊共同行動協定(単独不講和及び新秩序建設に関する日独伊三国協定) の第二条 日本国、ドイツ国及びイタリア国は相互の完全なる了解によるに非ざれば アメリカ合衆国及英国の何れとも休戦又は講和を為さざるべきことを約す 上記の協定は12月11日調印され、「独の単独和平を封じ」が実現された。 「杉山メモ(上)」の2月3日の連絡懇談会では、「対独、伊、蘇交渉案要綱」に於いて、 日本が欧州戦争に参加する場合には独、伊等味方諸国に単独不講和協定の締結を望んでいる。 「昭和天皇独白録」の三国同盟(昭和15年)の項では、 「日米開戦后出来た三国単独不講和確約は結果から見れば終始日本に害をなしたと思ふ。 確約当時政府の見透しでは日米戦争の勝負は五分五分、うまくいって日本が勝っても、 二分の勝ちで完勝は到底見込みが立たぬ、 之に反してドイツは完勝すうるであろうと云ふ事であった。 それで若し左様な状態となった際、日本が見捨てられては困るといふ訳で、 単独不講和を確約した訳である。」 「昭和天皇独白録」での昭和天皇は日米開戦当初に予想に反して成果を上げたので、 其の機会に和平交渉を進めることができたが、単独不講和が足かせになった事を悔やむ。 連合国との講和がドイツの降伏後本格化するのは、 「単独不講和」を守った事も理由の一つに挙げられる。 「昭和天皇独白録」での「小磯内閣」の「3.講和論の胎動」では、 天皇は「ニューギニア」の「スタンレー」山脉を突破されてから(1943年9月) 勝利の見込みを失った。 と述べ、 ドイツとの単独不講和の確約があるので国際信義上、 ドイツより先にには和を議し度くない。 それで早くドイツが敗れてくれればいいと思った程である。 と続くが、1945年2月の近衛上奏文に対しては 近衛は極端な悲観論で、戦いを直ぐ止めたが良いと云ふ意見を述べた。 私は陸海軍が沖縄決戦に乗り気だから、今戦いを止めるのは適当でないと答へた。 4月に米軍は沖縄本島に上陸、5月にはドイツが降伏する。 沖縄・東京・広島・長崎・ソ連の満州侵攻、 ポツダム宣言の受諾を連合国に通知し玉音放送は8月15日。
2005.11.18
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〓勝手な結論〓○ルーズベルト大統領の認識 ドイツの侵攻を英国・ソ連で抑えるのは不可能。 英国とソ連が敗北し欧州がドイツの勢力圏となる事は米国にとって損失。 英国とソ連が敗北後にはドイツと米国の戦いが始まる。○米国民の基本的スタンス 欧州に不介入、攻撃されたら戦う。 戦争は自分たちの為に戦うのであり、欧州(英仏)の為に戦うのではない。 ソ連を援助はとんでもない。○米国の欧州戦争に対するスタンスの変遷 英仏のドイツへの宣戦布告(ドイツのポーランド侵攻に対して)時には、 米国は欧州に於ける戦に対して中立の立場だったが、 米国は連合国側への武器供与、輸送船の護衛、アイスランド進駐、大西洋憲章の発表、 と立場を変えていく。○ドイツと米国とソ連 ドイツは米国の参戦を避けたい。 英国船による英国への物資輸送に米国は護衛艦を付けている、ドイツは英国船は沈没させたい。 9月11日のラジオ放送でルーズベルトは 「今後ドイツまたはイタリアの戦艦がこの海域(アイスランド・合衆国保護下)に入るとき 彼らはおのれの責任においてそうすることになる」と宣言 ヒトラーは「米船に攻撃されたら即座に自衛するように」と命じていたが、 10月31日には米国駆逐艦を沈没させてしまう、しかし米国は参戦しなかった、 ソ連に対しての軍事・経済援助の為に10億ドルの予算が計上された。○日本と米国 日本では11月5日の御前会議にて「帝国国策遂行要領」(9月6日の改訂版)が決定され、 対米交渉を11月末までとし、米英蘭への武力発動を12月初旬とした。 9月6日に決定された日米交渉の期限を一月半延長した事になる。 「ハル回顧録」によると、 ハル国務長官は11月5日に東郷外相から野村駐米大使への電報により、 日米交渉の期限が11月25日で、 米国が日本案を拒否した場合は日本は米国との戦争を辞さない事を確信する。○日米開戦 米国は欧州戦争との関わりを強めながら日本からの攻撃を待ち、日本は米英蘭と開戦する。 ドイツが日米開戦に際し米国に宣戦布告をしたのは微妙な判断で、 米国の力は主に日本に対して使われるが前提での判断と思える。 米英の誤算は日本の攻撃が思った以上の力を持っていた。 日独の誤算は米国の力を過小評価、米国は大西洋・太平洋の戦いと英ソ中への援助が行えた。 米国の参戦で日独の戦いはさらに長期化する、国の体力が戦争の勝敗の要因となり始める。 ハル・ノート(11月26日:米国)の時点では、3ヶ月有効の「暫定協定案」が存在し、 米国では開戦を3ヶ月延ばす事が考慮されていたが、英中の要望も顧慮し提案していない。 米国は日米開戦を遅らせる作業を終了した。 (日本の更なる南進への警戒か、英ソ中の要望か、冬の間に独のソ連での形勢悪化の判断か) 米国の欧州戦への参戦はルーズベルトが参戦に対する内外の問題を解決した結果と推察する。 日米開戦とドイツの米国への宣戦布告により、米国は欧州戦争へ本格的に参戦した。 結局本格的な参戦は、米国からではなく日独伊から行われた。 米国は枢軸国との開戦をコントロールしたと思えるが、日独の協力がないと困難。 欧州・西太平洋での独・日の勢力拡大は米国との共存共栄はなく、 元の領域に戻る事ができなければ、米国への屈服か戦うかの選択となったと思える。■「真珠湾の真実/ロバート・B・スティネット」よりの参考資料○マッカラムの八項目覚書(日本を対米戦に導く為の行動/1940年10月7日作成)A.太平洋の英軍基地、特にシンガポールの使用について英国との協定締結B.蘭領東インド「現在のインドネシア」内の基地施設の使用及び補給物資の取得に関するアランダとの協定締結C.中国の蒋介石政権に可能な、あらゆる援助の提供D.遠距離航行能力を有する重巡洋艦一個船隊を東洋、フィリピンまたはシンガポールへ派遣することE.潜水戦隊二隊の東洋派遣F.現在、太平洋のハワイ諸島にいる米艦隊主力を維持することG.日本の不当な経済要求、特に石油に対する要求をオランダが拒否するよう主張することH.英帝国が日本に対して押し付ける同様な通商禁止と協力して行われる、日本との全面的な通商禁止○1940年9月下旬からの日蘭交渉(バタビアにて) 日本側の要求は年間最低で315万トンの石油供給を5年間 オランダのムック経済相は小林十三商工大臣を叱責し非常識と述べる 日本は1941年6月まで交渉を続ける 1941年3月19日オランダ外相クレフェンズ博士はルーズベルトと会談、 会談後に「我々はこれまで、日本のあらゆる要求を拒否してきたし、今後もこの態度を貫く」、 と報道記者たちに話した。 日本は石油を入手する事はできるが、先細りになっていく、 石油輸送はオランダのタンカーではなく、日本のタンカーを使用、代価は米ドルでの支払いとなる。○1941年1月30日のルーズベルト大統領の誕生日に行われた世論調査 リンドバーグの提案(ヒトラーと和解しよう)は79%が反対 欧州戦争介入に88%が反対○1941年、日本は平時の石油使用量は年間350万トン 内訳は、海軍:200万トン、陸軍:50万トン、民間100万トン 1941年7月の時点で平和時であれば2年分の700万トンを保有していた。○1941年11月5日の御前会議では米英蘭との戦いが再度決定されたが、 密告者がグルー米国駐日大使に内容を伝えていた。○1941年11月15日にマーシャル陸軍参謀総長は新聞記者7名に対してオフレコで、 日米戦争は12月の最初の10日間に開始されると予測。○1941念11月25日に閣僚会議でルーズベルト大統領は 米国は数日のうちに日本と開戦するかもしれないと発表。○発:海軍作戦部長、発令日時:1941年11月28日 (真珠湾では午後2時40分に受信された) HOT ZZ 本官第272338番電関連 陸軍は次の電報を西部防衛司令官に送った。 「日本との交渉は合意に達することなく中断した模様で、日本政府がこの(交渉)継続を提案してくる可能性はわずかとなった。 日本の今後の動きは予測不可能だが、いつ何時武力行使に出るかもしれない。 戦闘行為を避けることが出来ない 繰り返す、出来ない のであれば、米国は日本が最初に明白な行動をとる事を希望する。 この政策は貴隊の防衛力を危険に陥れるかもしれない行動方針をとるよう貴官を制限している解釈さえるべきではない 繰り替えす、解釈されるべきではない。 日本の武力行使に先立って貴官が必要と思う偵察及びその他の手段をとるよう貴官は指示されたいるが、しかしこれらの手段は市民に警戒心を与えたり、もしくは意図を明かさないよう 繰り返す、警戒心を与えたり、意図を明かさないよう 実施されるべきである。 実施した手段を報告せよ 第九軍団地区にはアメリカ国内での破壊活動に関して別電が送られている。 敵対行動が発生した場合はレインボー(計画)第5号に定められている貴隊の任務は、日本に関するものに限り遂行するものとする。 この極秘情報の配布を、この情報を是非必要としている、最小限の将校に限定すべし」 戦争計画第52号は太平洋地域には適用されず、また将来もその地域に適用されることはないだろう。 但し現在南東太平洋地域下位区分及びパナマ沿岸地帯で施行されているものはこの限りではない。 日本が明らかな行為に訴えるまで攻撃作戦を行うべからず。 戦争行為が発生した場合に備えて、戦争計画第46号に規定されている任務を遂行する用意をなすべし ZZ BABY (出典:RG38 監視局US文書 MMRB 第二公文書館)
2005.11.16
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○英国の日本に対する宣戦布告(英国外務省は1941年12月8日に駐日英国大使に書簡を送る) 閣下、 12月7日夜、イギリス政府は、日本軍が宣戦もしくは条件付き宣戦を含む最後通達の形式による事前警告もなしに、マライ沿岸に上陸を試み、シンガポールと香港を爆撃したことを知りました。 国際法および特に日本とイギリス両国が参加する戦争行為の開始に関する、第三ヘーグ条約第一条を明らかに侵してなされた、この挑発されざる侵略の暴挙にかんがみ、東京駐在イギリス大使は日本帝国政府に対し、イギリス政府の名において、両国間に戦争状態が存在することを通告すべく命じられました。 敬具 ウィンストン・S・チャーチル (「第二次世界大戦3/チャーチル」p58より)○第三ヘーグ条約 第一条 開戦に関する条約(第一条[宣戦]) 締約国は、理由を附したる開戦宣言の形式又は条件附開戦宣言を含む最後通牒の形式を有する明瞭且事前の通告なくして、其の相互間に、戦争を開始すべからざることを承認す。■駆逐艦ルーベン・ジェイムズと米国の動向 1941年10月31日、駆逐艦ルーベン・ジェイムズは 護衛の任務でアイスランドの西を航行中に魚雷攻撃によって沈没。 ルーズベルト大統領は記者会見で、米国の国際的立場が何ら変わるものではないと慎重。 最近別の二隻の駆逐艦(グリアーとカーニー)がドイツ潜水艦と交戦魚雷攻撃を受けた、 カーニーには魚雷が一発命中沈没は免れたが11人が死亡。 ルーベン・ジェイムズは武器貸与計画で英国へ輸出した50隻の駆逐艦と同型、 4インチ砲と対空機銃を装備、最新の探知機器を搭載していた。 (上記は「『ニュヨーク・タイムズ』が見た第二次世界大戦(上)」よりの抜粋)●「アドルフ・ヒトラー3/ジョン・トーランド」によると○6月22日のドイツのソ連侵攻後にルーズベルト大統領は 国務長官代理サムナー・ウェルズにヒトラー阻止のため別の全体主義国家を援助する声明の発表を許可 ソ連の凍結資産約4000万ドルを解除 中立法の条項がソ連に適用されないと発表(ウラジオストック港を米国船舶の為にあけておく) 米軍がアイスランドに進駐していた英軍と交代する目的で米軍が到着した事が明らかにされた 大西洋憲章の発表 9月11日のラジオ放送でルーズベルトは「今後ドイツまたはイタリアの戦艦がこの海域(アイスランド・合衆国保護下)に入るとき彼らはおのれの責任においてそうすることになる」と宣言 輸送船団を護衛中の米国駆逐艦ルーベン・ジェイムズが魚雷攻撃を受け沈没。 沈没から一週間後、武器貸与局はソ連への軍事・経済援助をおこなうよう全力をあげるよう指示され、10億ドルの予算が計上された○ヒトラー総統は レーダー提督に「十月なかば以前には商船とのいかなる偶発事件を避けるよう」命令、それまでにロシア作業が事実上終わっていると理由を説明 11月8日にヒトラーはミュンヘンでの演説で、「ルーズベルト大統領はアメリカ船舶にドイツ船舶を見つけ次第砲撃することを命じた。わたしはドイツの船にアメリカ船舶を発見しただけで砲撃してはならない、攻撃されたら即座に自衛するようにと命じた、わたしは自衛手段をとらなかったドイツ海軍将校を軍法会議にかけるつもりはない」○日本関連 11月28日夜、リッベントロープ外相は大島大使を呼び日本の英米に対する宣戦布告を勧告、大島はドイツと米国の間に戦争状態が生じるかを質問、ドイツ外相は日本が米国と戦うならドイツも歩調を合わせる、また単独講和を結ばないと述べる。 大島は日本より日本とアングロ=サクソン諸国間に戦争が突発する可能性をドイツ側に極秘裏に伝える命令を受けていた。 12月1日夜、大島は単独講和を結ばない盟約の草稿を持参した、リッベントロープ外相は総統と協議する必要があると述べる。 7日に日本と米国が戦争状態になった事を聞いたヒトラーは、喜びの声を隠せなかった。 「われわれは戦争に負けるはずがない!、われわれには三千年間一度も負けたことのない味方ができたのだ!」〓勝手な感想〓 10月31日に駆逐艦ルーベン・ジェイムズが魚雷により沈没した事は、 ヒトラーが望む「米国を欧州戦に参戦させない」を危うくさせる事件。 米国は参戦しなかったが、ソ連への軍事・経済援助が始まる。 三国条約によれば、 ドイツは、日本から米国に戦いを仕掛けた場合は米国への参戦義務はない。 日本から米国に攻撃を仕掛けさせても、ドイツが米国に宣戦布告を明言しないと、 米国の欧州への参戦はスムーズに行われなかったり、参戦が数ヶ月延びた可能性がある。 ただ、日本は米国と同時に英国に対しても戦争を開始している。(ソ連には行っていない) 12月11日調印の日独伊共同行動協定(単独不講和・新秩序建設)は日米開戦から3日後、 日本の米・英・蘭への攻撃にドイツと日本は何らかの合意があったと思える。 (米国がどの程度知っていたかが問題) 米国は日本ではなくドイツに対して多くの軍事力を動員する。(4対6の記述があり/記憶) ドイツは米国に宣戦をしたが、米国には日本と戦えよと言いたくなるだろう。 枢軸国(日独伊)と連合国(米英ソ中)との戦いだが、ソ連はドイツ、中国は日本が相手、 日本は米英中と戦い、ドイツは米英ソと戦う、負荷(?)が大きいのは日独米。●米国の欧州戦対応関連(「第2次世界大戦 欧州戦線」をベースに作成しました) 1933年 03.04:ルーズベルトは米国大統領に就任 1935年 08.31:米国、中立法成立 1939年 09.05:米国は欧州の戦いに中立を宣言、中立法により交戦国への武器輸送を禁止 11.04:米国は中立法を修正、武器禁輸を撤廃 12.22:グルー米大使は日米新通商航海条約ないしは暫定取決めの締結を拒否 1940年 01.03:ルーズベルト大統領は年頭一般教書で中立維持と軍備充実を強調 01.04:米国、国防費18億3900万ドルを計上 06.03:米陸軍省、英国に武器・弾薬・飛行機貸与 06.10:ルーズベルト大統領は中立を放棄し非交戦主義に移ると演説 06.27:ルーズベルト大統領は国家緊急事態を宣言 06.28:米議会、全外国人に登録と指紋押捺を義務づける外国人登録法(スミス法)可決 07.20:米国で海軍増強法成立 07.26:米国は石油・屑鉄を輸出許可制適用品目中に追加 07.31:航空用ガソリンの西半球以外への輸出を禁止、対日経済封鎖を強化 08.18:米・カナダ、共同防衛委員会成立 09.03:米英防衛協定調印、米国は英領諸島の・軍事基地の租借(99年)を条件に駆逐艦50隻を供与 09.16:米国で選抜徴兵制実施 10.12:ルーズベルト大統領は日独伊三国同盟に対抗し英・中国政府に援助を続けると宣言 11.05:ルーズベルト大統領3選される 12.29:ルーズベルト大統領は炉辺談話で米国が民主主義の兵器庫となると述べる 1941年 01.06:ルーズベルト大統領は年頭一般教書で「4つの自由」を述べる。 01.27:ワシントンで米英参謀本部の秘密戦略会議が始まる(米の欧州参戦を想定して) 02.03:米英豪の間で太平洋共同防衛の了解成立 02.11:ルーズベルト大統領は日米戦が始まっても英国への援助はかわらないと言明 03.11:米国にて「武器貸与法」成立(連合国への億ドル単位での武器貸与) 03.30:米国は停泊中の独伊商船を押収 04.09:米・デンマークは協定締結、米国はグリーンランドの防衛と引き換えに基地使用権を得る 04.19:米・英・蘭はマニラで軍事協定を結ぶ 04. :4月にルーズベルト大統領はハイドパーク宣言、米・カナダの軍事物資交換が可能になる 05.27:ドイツ潜水艦が米国貨物船を撃沈、米国大統領は国家非常事態を宣言(参戦の為経済路線の切り替え) 07.25:米国は在米日本資産を凍結 07.30:米国大統領特使ホプキンスはモスクワでスターリンを対ソ援助について会談 08.02:米ソ覚書、ソ連への経済援助を規定 08.01:米国は対日石油輸出を全面禁止 08.14:大西洋憲章を発表(9月24日にソ連・自由フランスなど15カ国が参加を表明) 10.01:米英ソの議定書がモスクワで調印、米英がソ連に武器貸与を約束 10.08:米国は武器貸与局を設置 10.27:ルーズベルト大統領は連合国への支援強化に向け、議会に中立法全廃を要求 10.31:米国駆逐艦ルーベン・ジェイムズは護衛の任務でアイスランドの西を航行中に魚雷攻撃により沈没 11.06:米国はソ連への10億ドルの武器貸与借款を決定 11.13:米国下院は中立法修正案可決 11.26:ハル・ノートが野村大使に渡される 12.07:日本は英米蘭と戦争状態になる 12.08:米英は対日宣戦布告 12.22:ルーズベルト大統領とチャーチル首相による「アルカディア」戦争指導会議、「欧州第一」原則を再確認
2005.11.13
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バルバロッサ作戦(ドイツのソ連への侵攻)は1941年6月22日に発動された。 ドイツは西の英国・東のソ連との両面戦争を始める。 独ソ不可侵条約は消滅し、三国条約が破られた。 対ソとしての三国条約が検討された平沼内閣時には独ソ不可侵条約が結ばれ解散している。 日本はドイツの三国条約に反する行為(ソ連侵攻)に対して、三国条約の破棄を行うか、 ソ連に宣戦布告しドイツとの連携でソ連を東西で挟み撃ちにするか、 またその他の選択、 日本は蘭印・仏印・英領への資源獲得を目指し南仏印へ進駐、 英米蘭より石油禁輸の経済制裁を受ける。 英米のドイツへの対応は「大西洋憲章」で表現された。○日独伊三国条約(一部の概要) 第1条・第2条: ドイツ・イタリアの欧州に於ける新秩序建設に関し指導的地位を認め且つこれを尊重す 日本の大東亜に於ける新秩序建設に関し指導的地位を認め且つこれを尊重す 第3条: 三締約国中何れかの一国が現に欧州戦争又は日支紛争に参入し居らざる一国に依て 攻撃せられたるときは三国は有らゆる政治的、経済的及び軍事的方法に依り 相互に援助すべき事を約す 第5条: 日本国、独逸国及び伊太利国は前記述条項が三締約国の各と 「ソヴィエト」連邦との間に現存する政治的状態に何等の影響をも及ぼさざるものなることを 確約す○ヒトラーのムッソリーニ宛書簡の概要及び意訳(1941年6月21日) イギリスはソ連に期待して為に和平に応じない。 米国からの大量の武器が1942年に英国・ソ連に届く ソ連は国境に巨大な戦力を集結している、ドイツが引けば威信に関わる、日本に悪影響を与える フランスは信用できない、スペインは決定的にならないと態度を決めない 米国の参戦は米国がドイツの敵を全力で支援するならどうでもいい事 イギリス国内の状況は食料・原料の供給など非常に悪い、英国の希望はソ連と米国 米国を破滅させることは出来ないが、ソ連の排除は可能 ソ連の排除は日本に大きな安心を与え、日本の米国への干渉により米国の行動の抑止になる クレムリンへの偽善的行為をやめることに決めた注)「『ニューヨークタイムズ』が見た 第二次世界大戦(上)」より■大西洋憲章 以下は、大西洋憲章の概要と意訳 1941年8月14日大西洋上にて署名 米国大統領ルーズヴェルトと英国首相チャーチルが両国政府を代表して、 今後の両国国策の共通原則を公にした。1.両国は領土的其の他の増大を求めない。2.両国は関係国民の自由意思と一致しない領土的変更を行わない。3.両国は国民の政体選択権利を尊重、主権及自治を強奪せられたる者にその返還を希望する。4.両国は大国・小国又戦勝国・敗戦国を問わず、 経済的繁栄に必要な世界の通商及原料の均等条件に於ける利用享有を促進する。5.両国は労働基準の改善・経済的向上・社会的安全を全ての国に於いて確保する為、 経済的分野に於いて完全なる協力を行う。6.両国は「ナチ」の暴虐の最終的破壊の後、 全ての国民に対し其の国境内に於て安全に居住するの手段を供与する、 全ての国の全ての人類が恐怖・欠乏より解放され生を全うできる平和の確立を希望する。7.前項での平和に於いて、全ての人類に妨害なく公の海洋を航行することを得る。8.両国は世界の全ての国民は実在論的・精神的理由を問わず強力使用の抛棄必要を信ずる。 陸・海・空の軍備が自国国境外への侵略の脅威を与える国の武装解除は不可欠と信ず。 平和を愛好する国民の為に軍備負担を軽減する全ての実行可能措置を援助し助長する。---------------------------------------- 「大西洋憲章」は米英が行わなければならない義務を明示したのではなく単なる主張。 (主張は何らかの影響がドイツ・英国・米国に発生する) 米英両国は「ナチ」(ドイツではない)の消滅と侵略国家の武装解除を述べる。 また、侵略された領土に対しては国民の意思の尊重による国家と政体の選択を希望するが、 植民地(アフリカ・アジア等)領域に関しては不明確である、考慮はしているように感じる。 (米国の原住民やアフリカなどよりの元奴隷に対する配慮は不明確) 日本に関しての明示的な記述はない、また米国の欧州戦争への参戦も述べられていない。 「ナチ」の消滅と侵略国家の武装解除を誰が行うのか。 米国の認識が英国・ソ連・中国に援助する事により達成できるとは思えない。 1941年8月14日の「大西洋憲章」発表はドイツのソ連侵攻と日本の南部仏印進駐後で、 8月1日には日本への石油全面禁輸の経済制裁が発動されている。〓勝手な感想〓 米国は6月14日に独・伊の在米資産凍結、領事館の封鎖(独:16日、伊:20日)、 英国とは「大西洋憲章」、ソ連には「物資の支援」、南進した日本に対しては対日全面禁輸、 枢軸国にプレッシャーをかけ、連合国には援助を行う。 (「ルーズベルト秘録(下)」によると、ドイツのソ連侵攻38日後の7月30日に、 米国大統領特使のポプキンスはモスクワに到着、翌日スターリンにソ連支援を伝える。) 「大西洋憲章」(1941年8月中旬)の時点では、 ドイツは米国の参戦を望まない。(日本が参戦する場合は別?) 米国は大西洋と太平洋の両面での戦いは避けたい。 英国・ソ連は米国の欧州戦への参戦を望む、日米戦は米国の欧州戦参加に繋がると認識している。 日本は目減りする石油に対して、蘭印への進出か米国に屈服する事への選択が近づいている。 ドイツは米国がバックアップする英帝国・ソ連と戦っている、 その上に味方が増えずに敵(米国)が増えるのは望まない。 米国は迷っている、また準備不足の一面があり、議会と国民を納得させる事ができるかである。 日本に対する制裁は、7月26日の資産凍結、8月1日の石油全面禁輸となり、 7月24日、ルーズベルト大統領は野村大使に 「これまで石油禁輸をしなかったのは日本が蘭印に進出する口実を与えない為」 と述べる。 英米の洋上会談の8月11日にルーズベルト大統領は日米交渉に関して、 「米国は30日間の時間を稼ぐため、交渉を続けるべき」 と述べる。 日本は、 7月2日の御前会議に於いて、 米国の欧州戦への参戦は外交手段等で防止、米国が欧州戦へ参戦した場合は三国条約に従う。 9月6日の御前会議で決定された「帝国国策遂行要領」では、 日米交渉の記述はあるが、自存自衛をまっとうする為に対米(英蘭)戦争を辞せずとし、 外交交渉を10月上旬までとして、日米開戦を決意している。 7月2日と9月6日の間には、ドイツのソ連侵攻と日本の南部仏印進駐と、 それに対する経済制裁の石油全面禁輸がある。 「米国とドイツの戦争」から「米国と日本との戦争」に日本の認識は変化した。 英国にすれば大成功、ルーズベルトにとっては予定通りだったのか。●この辺りを「第二次世界大戦2,3/チャーチル」から見てみる。 ドイツ軍のソ連への侵攻をチャーチルは1941年3月末まで確信がなかった。 ドイツがバルカン地域の処理を終えるまでにソ連との戦争を始めるとは思えなかった。 海峡を挟んだ、英国との戦いにおけるドイツ軍の兵力が減じている様子はなかった。 4月19日にチャーチルからのドイツ軍のソ連侵攻の情報がスターリンに届く。 ソ連はドイツの攻撃直前まで物資の輸送を実行した、 最後の数日間は極東からのゴムの輸送は急行列車により急送した。 チャーチルは6月22日の夜の放送で、ロシアの危険は英国・米国の危険であると述べる。 9月にルーズベルト大統領がロシア戦線は持ちこたえ、モスクワは占領されないだろうと宣言。 スターリンがイギリス帝国をスターリンとヒトラーで、分割できるかもしれないと思っていたが、 現在は不足している軍需品を送ってくれるよう訴えてきた。 ソ連は英国が欧州本土に上陸して第二戦線を作る事を希望。 イギリスの共産主義者は「資本主義的・帝国主義的戦争」を非難していたのに、 「今こそ第二戦線を」のスローガンを書きなぐり始めた。 7月7日にチャーチルはスターリンに親書を送り、ロシア国民に援助を与える意思を伝えた。 9月4日:スターリンからチャーチルへ(一部の概要) ドイツの30~34師団と大量の戦車・戦闘機が東部戦線に移動した、全軍力を東部に移動。 ドイツは各個粉砕(ロシアその後イギリス)が可能と考えている。 敵はレニングラードに迫っている、 西部戦線に第二戦線(欧州本土への英国軍の上陸)を作り、 10月の始めまでにアルミニュウム3万トンと、 毎月最低400機の戦闘機と500台の戦車の援助をソ連に保障を希望。 (現状ソ連だけがドイツと戦っている、ソ連が負ければイギリスは勝てないの意) チャーチルは、欧州本土への上陸を行わないず、空軍での戦いを述べる。 また、中東の軍を75万にし1942年夏までには100万にする予定。 イギリス帝国の4つの問題点(英国首相官邸7月24日、米国のチェーニー陸軍少将による) イギリス本土と大西洋航路の防衛 シンガポール・オーストラリア・ニュージーランドに至る航路の防衛 大西洋航路全般の防衛 中東の防衛 ポプキンス(米国大統領の使節)は中東はイギリスにとって防衛不可能の地での損失が大きい、 大西洋の戦いが最終的・決定的戦いとなるため、それに集中すべき、 大統領は中東の戦いを支援したい意向。 イギリス空軍はドイツ空軍より昨年九月に比べると巨大になっていると、英国側の主張。 チャーチルは「大西洋憲章」に対して、 中立国である米国が交戦国である英国と宣言をした事、 「ナチ圧制の最終的壊滅」が含まれている事を、 平時であれば戦争行為を意味したであろうと述べる。 戦争終結後に米国が英国と共によりよい秩序が確立されるまで世界の治安維持に加わるを、 明確で大胆な告示と評価している。 また、海軍・陸軍の首脳間で連続して会議が開かれ、広範囲に一致が見られた。 帰路の護衛艦には合衆国の駆逐艦が二隻含まれ、大統領の子息の少尉が乗っていた。 チャーチルはルーズベルトの子息をかたわらに、帰国に際して熱狂的な歓迎を受けた。 チャーチルはマラヤよりエジプト・スエズ運河・中東を優先を述べ、 日本軍の南進はマラヤの英軍、フィリピンの米軍、東インド諸島の蘭軍を攻撃する構え、 と認識する。 【推測】 チャーチルは蘭印を石油が断たれた日本が侵攻する為の餌としてとして使おうとしている。 ルーズベルトとの会談で合意したのか?
2005.11.10
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ブラウザーを更新した(「Mozilla Firefox 1.0.7」と「Sleipnir 2」/Windows XP)。 「Sleipnir 2」に関しては「Sleipnir」も使用しているので、新規と同じ。 (「Opera8」に関してはパス、beta版(英語)を音声対応で使ってみたが、私の発音ではダメ) 「Mozilla Firefox 1.0」の「Tab」機能は「Tabbrowser Extensions」を使用していたが、 今回は「tabmix」にした。 前回は「Tabbrowser Extensions」は日本語の改良バージョンを使用したが、 今回は捜すのが面倒なので、「Tabbrowser Extensions」の最新バージョン(英語)を入れたが、 いまいち良くない。 「tabmix」も入れてみたが機能が重なって動作が不安定になり、 結局「Tabbrowser Extensions」を外し、「tabmix」だけを使用している。 と思っていたら、 今回のブラウザーを更新は、新しいWindowsユーザを作成して行ったのだが、 元のユーザではバージョンアップ後も、「Tabbrowser Extensions」は日本語版が正常稼動、 「tabmix」は導入されていない。 「Mozilla Firefox 1.0.7」の機能拡張は、Windowsユーザ毎に行える事が解った次第。 「Mozilla Firefox 1.0.7」の話が続くが、「名前を付けてページを保存」では、 保存したHPがブラウザーでは正常に見えない場合がある、 「IE」でセーブしたHPは正常に見える、 また、HPのセーブデータはそれなりにファイルに落ちている。 (上位階層のデータなどはセーブされていないが) 結局「Mozilla Firefox」のフォーラムでチェックすると、フォルダー名の対応不備のようで、 回避方法は、HPのセーブデータを「Mozilla Firefox 1.0.7」に新しいタブでも開けておいて、 D&D等「Mozilla Firefox 1.0.7」に渡す事で正常(IE並み)に見ることができた。 「Sleipnir 2」は使い込まないと解らない部分が多い(現在は問題が出ていない)、 ただ、遅くなったと感じる。 また、「Mozilla Firefox 1.0.7」での右クリックでの機能の「リンクURLをコピー」 がないのが辛い、プロパティで見ても「gif」にリンクが貼ってある場合は、 リンク先ではなく「gif」になってしまう。 何故そんな機能が便利かは、(^^); 単純に知識不足で、問題が発生しているばあいが多いが、昨日から今日の顛末でした。
2005.11.03
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今日11月1日の21時から野坂昭如氏原作の「火垂るの墓」が放送されている。 見る気にならないが、気にはなる。 以前スタジオジブリの高畑勲監督によるアニメバージョンを見た時には、 始めから終わりまで泣き続けて、周りには呆れられた。 また、見た後は2週間ほど影響から抜けられずに落ち込んでいた。(^^; その後は原作も読まず、二度と「火垂るの墓」には近寄らないようにしている。 今日の「火垂るの墓」では、 二人の兄弟を追い出した張本人である、おばさん(久子)を松嶋菜々子さんが演じたようだ。 それなりに納得できる久子の立場が説明されると思う。 見れば良いのにと思うが今回はチラチラ程度、 反町隆史氏が杉原千畝を演じた「命のビザ」は、それなりに楽しんで見れたのに。 以前、何かの本(「二十四の瞳」と思う)で、戦争末期に於いて、 「昔はこんなに良い世の中だった」の意味を親が子に話す場面があった。 昔を懐かしんで言っているのではなく、 食べ物にそれほど困らない、人が戦争で次々死なない、 もう少し生きやすい世の中だったの意味。 (こんな事は子供には言いたくない、良くなって行くんだと言いたい。今でも難しいかな-) 私の記憶の中での「火垂るの墓」の兄妹は、食料不足が主な原因で亡くなった。 兄は守るべき者たちが亡くなってしまった事に生きる意欲を失ってしまったようにも思えた。 現在に於いて、「食料不足が主な原因で亡くなった人たち」は存在しないのか、 日本ではどうか? 知識不足。 武力での問題解決は、代替の手段があれば行うべきではない。 経済制裁も同様。(単純には言えないが) 食糧不足・病気・戦争・反対派の粛清・災害などが原因で人は多量に死ぬ。 人口増加が問題の原因にもなりえる場合もあると思う。 アフリカに住む人たちの命より北朝鮮に住む人たちの命が重要とは言えない。 (どちらが重要とは言えないが、アジアの隣国だから近隣諸国が重要の考えもあると思う。) 日本に於いては日本人の命と生活が最も重要。 ただ、日本は日本だけでは幸せになれない。(勝手なことを書いている) 世界の問題解決の為に地道に頑張っておれる方に感謝。
2005.11.01
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