全9件 (9件中 1-9件目)
1
外宮 内宮 を参拝する機会がありました。
2024.03.18
コメント(0)
心を一方に置けば九方は欠けるなり不動智神妙録より心を一方に起き続ければ、それ以外のものは起こらない心を呼吸する動きに心を置けば、他の妄想など起こらないひかりを見続ければ、想いは起こらないただ観ていれば、想いはながれさり おこらない思考の激流が流れ続けるなか、その場所が一つの安全地帯になっている
2024.03.13
コメント(0)
昨日京都の下鴨神社に参拝する機会がありました。それにしてもこの神社もすばらしいものです。ひかりの神社、安定したひかりの神社でした。明るくて全てが綺麗に見えます。おどろくばかりです。また神社の境内を離れると風があるのですがその中は全くありません。数メートルしか離れていないのにこの神社は金鶏八咫烏を祭っている神社でもありますのでなるほどと思えるところです。京都で最も古く、格式も一番高い神社であり京の都がおかれる前からある大変重要な神社なのですから
2024.03.11
コメント(0)
覚鑁(かくばん)上人の著作の阿字観(阿は梵字)の中に目を閉じ阿字観するとあるまた上人の阿字観儀の著作があるこれは上人の御母儀にその方法を伝えた文章なのらしいのだがその中に閉目開目(めを閉じる、目を開ける)という記述がある目を閉じる そして目を開けるという動作を指導している。ただ阿字観の第一の注釈書である阿字観用心口訣があるこれは大師より口伝によりその高弟の実慧があらわしたとあるがそこには目は開けず閉じず半眼という記述になっている。閉じてはいないただこの成立年代はもう少し後ではないかとの研究もでている。ここから私の仮説なのだが、阿字観がピンと来ないのはその人がこの阿字の光を感じていないからだと考えられるこれは上座部(パオメソッド)の言う二ミッタが必要なのだと思う(マハシでは使っていない)そこの記述にはニミッタ"だけに集中する瞑想を毎日1時間続けることができるようになったら、心臓にある"意門"に2・3分だけ意識を向けます。そうするとそこに光がみえます。とあります。阿字観では身体の中にこの阿字があるのは、まさにこのことを言っているように思えます。実際光輪の形成に従って、心臓の付近にもそれがあることが感じられます。如意宝珠もおそらく同じ物ではないかと燃えます。つまりにみったの形成が無ければ、阿字観が光り輝くという記述(wikiより)その人がこの観想に熟達したならば、この「阿字」が心中より光を放って、あまねく三世十方法界の諸仏の浄土に届く。その際に、この光は瑜伽行者の頭頂から足先まで体中を巡ることになる。が理解出来ないはずでそれは閉目開目(めを閉じる、目を開ける)を行うと阿字が光るという現象が発生する。通常ではこれは外部には見えないのだが、この阿字の上で光るという現象が見えるはずで外部に引っ張り出すことが出来るように出来ているおそらく、にみったが形成できているとこの光は体中を巡るようになる。つまりこれこそ、仏像にある光輪である。前も書いたけど弘法大師もアーナーパーナを修習されていた記述がある。この固定化にはアーナーパーナーが必要になっている阿字観を残されたのも、これを知ってほしいと思い残されたのではないかと思えるのです。多くの人がこの光を観る能力を有しているのですが知らないだけ、気がつかないだけなのだと思います。
2024.03.08
コメント(0)
不空三蔵の口説を恵果和上が録し、あるいは恵果和上の口説を空海が記したとされる。その中に我が心に月輪を観ぜよ輪の上に阿字を観ぜよ阿字変じて、如意宝珠となる。宝珠法界に遍満す。口に阿字をようせよ。疲れるに従って寝よ。印は卒塔婆印を用いよとあります。
2024.03.06
コメント(0)
大唐西域記第9摩渇陀国の段に大迦葉を中心とする結集に参加しなかった者達が改めて結集をした。これが大衆部のはじまりである。とある文殊菩薩の件も前にあるように、結集はもう一つあるように思える
2024.03.06
コメント(0)
わたしはいないいまAIが急速に進歩しているそれが生み出す言葉は、日々洗練を加えており本当に機械が生み出したとは思えないレベルに来始めている見分けがつかないのだおそらくそうならざる得ないだろうそうなったときこの私という人間、全ての人間、実はおなじ物ではないかAIなんてものは、ただの機械なのだからずっと言っている わたしはこの身体が作り出す幻影言い換えるなら AIのわたしはこの機械がAIによって作り出す幻影
2024.03.06
コメント(0)
観ているものは慈悲の目それで観ていることは、何も無い世界観ていることは私の世界なのでそれだけで、全てがそうなっていくずっとはできないかもしれないそれでもいい観ているものがわたしを包んでいくから観ているみんなが、だれもがしあわせになるように
2024.03.01
コメント(0)
どのような思いも1分30秒程度しか残らないそれ以上続くのは、その燃料を自分が補充しているからとなる怒りの感情は、脳内の怒りの誘発する化学物質が放出され血液中に回るのだがそれはこの時間くらいで消滅していく全ての感情の誘発はこのように身体が作り出しているのでそれを選択しなければ、それは消えていくようになっていくだからその怒っている身体を静かにやさしく観てというのはそういうことをしているんです。怒っている 苦しがっている身体 それをいたわるように観ているその観ているものは、ただ静かに、しあわせになるようにと観ている としか
2024.03.01
コメント(0)
全9件 (9件中 1-9件目)
1