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木昌1777さんComments
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3・11のアフター・エフェクトで衰えた体力回復を狙ってのリハビリ低山歩き、その3回目は、七ツ森の残りの3峰、鎌倉山、遂倉(とがくら)山、たがら森(たんがら森)である。現在では、たがら森は七ツ森に加えられておらず、少し離れた場所にある独立峰の
笹倉山
を加えて七ツ森とされている。
七ツ森のそれぞれの山名についている「倉」は岩の意らしい。確かにどの山も岩(大石)の登山道が特徴である。ところで、たがら森の「たがら」の意味は何だろうと、ずっと不思議に思っていたが、分からないままでいた。Wikipediaには「仙台弁ではたんがら森」と記されているけれども、仙台人(高校から住んでいるので、「約・仙台人」だけれども)の私にも「たんがら」は分からないのであった。このブログを書こうと、再度、ネット検索をしてみると「
宮城県:七つ森一つ、たがら森
」というブログ記事に次のような記載があった。
「黒川郡大和町(歴史の町、伝説の町)に、七つ森という七つの山があり(山でなく森である。)プラス一つの森「たんがら森」とか「たがら森」とか「宝森」とか呼ばれる山である。」
「宝」だった。「宝」であれば、「たがら(たんがら)」の「が」は鼻濁音ではないのに、私はずっと鼻濁音として読み、発音していたので、まったく「宝」に行きつかなっかったのである。私よりもっと純粋に仙台人である108才の義母もその娘である妻も、分からなかったのは当然である。仙台人度が高いほど、かえって不明の言葉になるのであった。仙台人にしてみれば、鼻濁音で発音されなければ「たがら」も「たんがら」もそのまんま「宝」そのものなのである。どうして私は鼻濁音だと思い込んでいたのだろう。
さて、山歩きである。
登山口は、前の4山のときと同じく、国道457号を東北理工専門学校から左折して、その道を南川ダム(七ツ森湖)まで出て、ダム湖にかかる七ツ森大橋を渡って右折、ダムサイトの下まで行くと見えてくる。

南川ダムサイトから見る二つの笹倉山。(2012/4/19 6:13)
七ツ森遊歩道入口から、ダム右岸の旧道(車通行不可)をダムサイトまで上がっていくと湖の向こうに 笹倉山 (大森山)が見えてくる。曇っているのがいささか残念だが、立派な「逆さ笹倉」である。写真の真ん中に見えるのが、さっき渡ってきた七ツ森大橋である。ダム湖に沿ってほどされた道を進むと、湖の入り江に架かる旧道の赤い鉄橋の手前左に案内板があって、そこが登山道(遊歩道)の始点である。
遊歩道入口から100mも歩かないうちに鎌倉山登山道が遊歩道から左に分かれる。道はすぐに急坂になって、七ツ森に特徴的な岩だらけのロープの伝い上りを強いられる。

ロープを頼りに鎌倉山頂上へ。(2012/4/19 6:47)
道はひたすらまっすぐ、直線的に頂上に向かう。時々は、岩と岩の間に咲く日本春蘭の花などを眺めては息を整える。途中、「岩すべり展望所」の表示があった。まだ芽吹いていない雑木林の見通しは悪くないためか、とくに展望所として良いスポットだという実感はないのであった。
遊歩道入口から40分ほどで頂上である。この鎌倉山頂の薬師如来は立派な屋根付きの小屋に祀られている。また、「七薬師がけ由来」の看板が設置され、現在の七ツ森山頂の薬師仏は1762年(宝暦12年)に運び上げられたものだという旨が記されている。
南から頂上に登ってきて、下りは北の方、遂倉山方向にまっすぐ向かっている。下る途中に大きな自然石が立っていて、脇を通り抜けて北面を見ると文字が彫られている石碑である。その文字はまったく読めなくて、上の二文字が「南無......」らしいことと、脇に「但木成行代建...」と記されていることが分かっただけである。
鎌倉山と遂倉山の間のもっとも低いと思われる鞍部で、十字路に出る。交差する道は、車を止めた場所からさらに300mほど北から入って七ツ森を縦断する遊歩道である。十字路に下る15mほど手前から、この交差する道を走っていく狸くらいの大きさの獣を見つけた。連れ(イオ)も気づいたらしく、リードを強く引っぱって、獣が消えた薮に入ろうとするのを、とにかく宥めて、まっすぐ遂倉山への上りの道に入った。
遂倉山は、他の七ツ森の山々とは異なり、ずっと土の道が続いている。しかも、つづら折りの緩やかな登山道となっている。山の形状がほとんど対称的な円形のせいで、道の設定が自由にできたためだろうと思われる。この道の途中に「たがら森頂上へ」の表示板がある。
十字路から20分ほどで遂倉山頂上である。もちろん、ここにも薬師仏があって、「やはり「宝暦十二年」の記載がある。また、見晴らし用らしい鉄塔も建てられている。この鉄塔の裏手に廻ると、崩れ落ちた建屋の木材が朽ちかけているのが見られる。木組みから見ると、社かお堂らしいと思われた。
ちょうど午前8時だったので、ここで朝食とした。相棒は、あいかわらず自分の食事は見向きもせず、私の弁当が気になってしょうがないのであった。
同じ道を途中まで下り、たがら森への道をとる。この道は、じつに狭い尾根道の場所が多く、とくに右手には崩落したような地形になっていて、相棒のリードを短めに持って慎重に歩かなければならない個所もあった。鞍部になると左手の杉林に入る分岐がある。この分岐は帰りに利用しようと思っている道である。
杉林のちょっとした急斜面を登ると、たがら森頂上である。遂倉山の分岐から20分ちょっとでたどりついた。たがら森にも石仏が祀られているが、どうも薬師仏ではないらしい。

たがら森頂上の石仏。 (2012/4/19 8:50)
薬師如来は左手に薬壺を持つはずである。この仏様は、左手に巻物(経文?)、右手に剣らしいものをもっている。如来像でも菩薩像でもこのような形の像を私は知らない。剣といえば不動明王を思い出すが、左手は縄のはずである。私の知識ではどうにもならない石仏ではあった。
しかも、この石仏の頭部は横に真っ二つに割れ、光背も無残に割れ落ちている。たがら森は七ツ森からはずされたうえ、石仏も例外的な扱いで、何とも気の毒なのである。加えて、ここには他の6山の頂上に設置されている金属板製の立派な頂上標もない。その代わり、「たがら森山頂!232m」という木製手書きの頂上標が「たんがら森 232m」という木板も添えられて木に括りつけられてあった。6山の「官製」に対して「民製」である。しかしこれは、この山を愛してやまない「ある人」が確実に存在することを顕示しているのだ。他の山は、官が認めた、観光行政的に処理された事実しか顕在していないのに、である(他の山を愛している人がいないと言っているのではない、少なくも外形的には、という意味である)。
気分的には、私も「たがら森応援団」の一員になりたいのである。判官贔屓なのだ。
たがら森の頂上からは西へ下る道がみえるが、分岐標には「頂上より下りは廃道注意」とあったので避けることにした。登って来た道を引き返し、途中の分岐から杉林に下る道に入った。
杉林が終わりかけるころ、急に立ち止まった連れが杉木立の向こうをじっと見ている。よく見ると、大きなカモシカがこちらを振り返った姿勢のままで、じっとこちらを見ているのであった。カモシカとイヌとニンゲンは、しばらくの間、すくんだように互いを見つめ合っていたのである。
連れは、鎌倉山から遂倉山へ向かう十字路で見せたような興奮も見せないのである。相手が大きすぎてビビっていたのかも知れない。騒がないでじっとしている方が無難だと思っていたようなのだ。

杉木立の向こうにカモシカが。 (2012/4/19 9:05)
いつまでもカモシカとイヌのにらみ合いに付きあってはいられないので、連れを促すと、何ごともないかのように歩き出した、道は、鎌倉山から遂倉山へ向かう十字路で交差した道に出会い、そのすぐあとに遊歩道は終わり、その向こうは田圃である。舗装道路には出ないで、あぜ道や、小川の土手を通って出発点の駐車場
にたどり着いた。6:06発、9:30着の山歩きであった。
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