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木昌1777さんComments
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私は宮城県北部の小さな農村で生まれ育ったのだが、卒業した中学校はこの二月に閉校となった。平成の大合併で同じ行政自治体となったかつての隣町の中学校に併合されたのである。しばらく前には郵便局も統合されてわが故郷から姿を消した。
母校が閉校になったのだが、さほどの感興がない。感興がない自分に少しばかり驚いた。生まれ故郷を出てから50余年、いまは仙台を死に場所と定めて生きている。感傷的になる理由が全く見当たらないのだ。私にとって、故郷とは母親や兄、姉たちであったらしい。今は誰もその地にはいない。
10日ほど前、その同じ中学校を卒業した一人の同級生から電話があった。中学卒業とともに東京に就職した人で、卒業以来(つまり58年もの間)まったく会うことのなかった同級生である。2013年、15年、17年と最近の三回の同級会を私が幹事として開いたのだが、そのときの案内状を手にして、私に電話してきたらしい。ずっと同級会に出ていなかった、この秋に妻が亡くなって突然暇になってしまった、もう同級会はやらないのか、出てみたい、そんなことをぼそぼそと語るのだ。
三回の同級会の幹事をしたのであとはだれかに譲ると宣言していたのだが、誰も同級会開催を言い出す気配がない。母校閉校の話にはあまり心が動かなかったが、この同級生の話にはだいぶ心がざわついた。そういう一人の同級生の思いのために幹事を名乗り出てもいいかな、そう思ったのだ。
私が幹事のときに一生懸命手伝ってくれた仙台在住の同級生に電話をした。そして、二人で準備をすることにした。電話をくれた同級生にその旨を伝えたことで、予定は決したのである。仕事を増やしてばっかり、と妻はきっと呆れるだろう。




勾当台公園から一番町へ。(2019/3/1 18:22~18:35)
勾当台公園に着くと、宮城県議の中嶋廉さんがスピーチをしていた。当然のことながら女川原発再稼働の賛否を問う県民投票条例の話である。県議会に条例案が上程されたのだが、知事は曖昧な態度、ごまかしの答弁に終始している。知事のペテンを追求し、県民投票を何とか実現したい、そういう旨のスピーチだった。
集会が終わりかけるころに宮城県議の大内真理さんが到着され、コーラーを引き受けられて30人のデモは勾当台公園を出発した。





一番町(1)。(2019/3/1 18:41~18:44)
膨大な量の放射能汚染水を海洋に投棄することは国際問題に発展するのではないか、そんなことをずっと以前にこのブログで書いたような気がする。東電1Fから放出された放射能は太平洋を拡散して拡がる。そしてその影響を太平洋沿岸の国々や、公海を利用する諸国が問題にし始めたら、「放射能の影響はありません」などと国内向けのごまかしのような言い訳は国際的には通用しないだろうし、実際に被害を言い立てられて損害賠償を請求されたらその額は想像を絶することになるだろう。そのような可能性が将来絶対にないとは言い切れない恐ろしさがある。
「日本は福島第1原発からの放射性汚染水の太平洋への放出を禁止すべきだ」とロシア外務省が発表したのは、2年前である( 2017年12月20日付けSputnik日本
)。「数十万トンの放射性汚染水」が「太平洋の環境や水産資源に大きな損害を与える恐れがあると考えている。これは日本の漁業関係者、そしておそらく沿岸地域の住民全体にも打撃を与えるだろう」と主張していた。
何度でも言うが、放射能の影響は「ただちには影響がない」と言えても「将来の影響は十分にありうる」のだ。それが生物に与える放射線障害の特徴なのだ。放射線被曝の影響は蓄積するばかりの非可逆過程なのである。海水で薄められるとは言っても、薄められた放射能によって被曝は延々と続くのである。そして生きとし生けるものに放射線障害を蓄積させていくのである。
日本の法律においても、放射能を定められた濃度以下に希釈すれば放出できるとされている。この法の前提は人間が取り扱いうる量のさらにその一部の処理量についての許容限度を考えることで成り立っている。しかし、東電1F事故では溶融した核燃料残滓(デブリ)にすらいまだに放射線量が高すぎて触れられないでいる。つまり、その放射能の量は人間が処理しうる量をはるかに超えてしまっている。
希釈してしまえば自然界に放出できるという論理に縋りつくのは極めた危うい思考である。たとえば、東電1Fの燃料デブリも核分裂生成物もその他の放射性廃棄物もすべて強酸か何かで溶液化したうえで大量の海水で希釈することで規制値以下にしてことごとく太平洋に放出すると主張したら、世界はいっせいに目を剥き、強烈に反発するだろう。法で認める希釈放出と東電1Fの現実とは、前提条件自体において大きく隔絶しているのである。
そして、残念ながら希釈して自然界に放出できる総量限度を誰も知らない。議論すらしていないのではないか。トリチウムを希釈して放出したいという自公政権の思惑が依拠しているのは「人類は総量限度についての知識を持っていない」という事実なのである。
目の前にあるキノコが毒キノコかどうかわからなければ、誰でも決して食べはしない。ところが、自公政権はそれを「食え」と主張しているのである。





一番町(2)。(2019/3/1 18:45~18:47)
仙台をもう冬を終えようとしている。デモにはありがたいが、どうもきちんと冬を暮らしという気がしない。寒さもたいしたことがなかったし、雪も少なかった。老いた身には助かるが、季節を過ごした気がしないのである。それでも春はやってくる。
為さざりしことのみ春の落葉焚
石田波郷 [1]
真向かへば春の光に透きてゆく果たしきれない約束ばかり
今野寿美 [2]
何かをなした実感がないのに季節が巡っていくのはどこか苦しい。やってくる季節が春だとそれはなおさらである。
高齢の義母のために、遠く離れて暮らす娘の一人がひっきりなしに季節の果物を送ってくれる。昨日もひと箱の蜜柑が届いた。温州蜜柑らしくないやや大振りの蜜柑で酸味が温州蜜柑よりやや強い。
義母は蜜柑が大好物なのだが、もう袋ごとは食べられない。入れ歯を支えられないほど歯茎がやせてしまったのだ。袋をきれいに剥がす方法を考えなければならない(妻の指令である)。ジュースなどにせず果物そのものを食べさせたいのである。




青葉通り。(2019/3/1 18:55~19:01)
「なさざりしことのみ」のまま春がやって来た実感には、じつのところ、この冬まともに本が読めなかったということが大きい。集中力が衰えたのか、読み始めるものの続かないのだ。切れ切れに読むので、理路につながりを欠き、理解できた気がしない。それで嫌になっていっそう読まなくなる。その繰り返しである。
これではいけないと、とにかく目の前に読むべき本を積み上げることにした。まずネットで目にしたエルネスト・ラクラウとシャンタル・ムフの『民主主義の革命』を注文した。「ヘゲモニーとポスト・マルクス主義」という副題に惹かれたこともあるが、ラクラウは少し読んだがムフはまったく読んだことがなかった。せっかくなのでムフの『政治的なものについて』と『左派ポピュリズム』も注文した。
また、福島の被曝線量は著しく低いという結論を(誤った計算で)導き出し、自公政府が行っている棄民政策に大いに寄与した「宮崎早野論文」が厳しく批判されていることもあって、牧野純一郎さんの『被曝評価と科学的方法』と『原発事故と科学的方法』という2冊も購入した。牧野さんは「宮崎早野論文」を厳しく批判している学者の一人である。
そしてもう1冊。山本宗補写真集『戦後はまだ…』という本だ。戦争の記憶を残しておこうという本である。「生き証人がいなくなった時、歯止めが効かなくなる」と帯に書いてある。証言者の写真と証言記録が収められている。
6冊をこの一週間の間に手に入れた。読書が罰ゲームのようになってしまったが、目の前に6冊の本を重ねて読み始めることにしたのだ。今は1冊目の『民主主義の革命』で、429ページ中188ページまで進んだ。まだまだ先は長い。
[2] 今野寿美《花絆》『現代短歌全集 第十七巻』(筑摩書房、2002年)p. 41。
[3] 葛原妙子《橙黄》『現代短歌全集 第十一巻』(筑摩書房、1981年)p. 135。
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