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ご無沙汰です。皆さんはもう仕事納めされましたでしょうか。私の勤める会社は、うまくいけば明日(30日)で仕事納め。場合によっては大晦日にも工場が動くかもしれませんが、そうなればパワフルな志願兵たちが対応することになっています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さて、またしても遅ればせの日記です。京都から帰ったその週、例のダンナから電話。不吉な予感を胸に出てみると。「函館行かない?」「なんや、いきなり!」「ヨメのアネキ夫婦と行くはずだったんだけど、新型でドタキャン。キャンセル料もったいないから、どうかなって」「めちゃめちゃ忙しいねんけど…」「土曜朝出て、日曜夕方に帰れるから、都合付けようよ」「そう言うたかて京都行ったばっかしやしなぁ…」「宅建主任者の試験受かった祝いだからさ」「リベンジ果たしたんか! おめでとう」・・・という次第で、急きょ函館1泊旅行となりました。羽田空港から見た朝焼け富士土曜日早朝、羽田空港で合流してJALで函館へ。函館空港はみぞれ雪です。昔から、ダンナの家にはジンクスがあって「ダンナが張り切ると雨が降る」。土曜日も日曜日も強風と一時雨(ときどき雪)の中であちこちをうろうろ。トラピチヌス修道院、函館朝市、金森倉庫群などベイエリア、立待岬、元町教会群、大沼公園など。右肩写真は大沼公園で見つけたハマユウの実です。函館を覆う灰色の空と、荒波が激しくうねる海は、まさに津軽海峡冬景色でした。函館・住吉漁港に打ち寄せる荒波行きたかった五稜郭(というより土方歳三に会いたかった)はパスしました。メインイベントの函館山夜景。土曜日は強風のためロープウェイ運休。日曜日、フライトに間に合うギリギリの時間まで粘って、強風の中、なんとか夜景を見ることができました。うっすらと靄のかかった函館市街でしたが、やっぱり美しい。惜しむらくは、私の持っていた三脚の高さが足りなくて、手すりパイプにカメラを押しつけて撮影するハメに。辛うじて成功したと思える写真がこれです。年内はこれで終了です。来年はもう少しマジメに更新します。皆さま、良いお年を!
2009年12月29日
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京都第3日はJR東福寺駅から歩いて紅葉散策。14時台の新幹線で夕方には帰宅したかったため、他には予定を入れませんでした。東福寺駅から緩い上り坂を約20分。母ちゃんの「弱い(細いということではありません)」足でも歩いていけるところに古刹があります。境内奥に多くの天皇陵墓があり、皇室の菩提寺としていまだに天皇家の参拝を受ける「御寺(みてら)泉涌寺(せんにゅうじ)」です。東山南端の峰奥にあるせいか、上まで観光バス、タクシー、マイカーで行けるようになっていて、広くもない参道は排気ガスだらけ。杖に頼って参道を歩いて登るお年寄りも多い中、何とか配慮してほしいと思いました。今熊野観音寺の鐘楼山内に9つもの寺院を抱えているのですが、坂の上り下りがきつく、母ちゃんの足腰に負担がかかるので「今熊野観音寺」に寄っただけ。こちらの紅葉はずいぶん枝ぶりも良く、石段を大きく覆っています。境内や周辺に駐車スペースがあって、絵になりにくく残念でした。あとは、脇目もふらず泉涌寺へ。大門をくぐるとすり鉢の底のような感じの広場に伽藍が立ち並んでいます。受付左には世界3大美人・楊貴妃の面影を持つ観音様を祀る小さなお堂。坂を下ると重文指定の仏殿、舎利殿。そのずっしりとした佇まいが歴史を感じさせます。小泉孝太郎と麻生祐未が共演した、松本清張作「波の塔」のロケが行われたのはこの仏殿です。この日、泉涌寺では仏前結婚式がありました。急ぐ予定もないので新郎新婦が登場するまで待って、写真をパチリ。スキンヘッドの青年と可愛いお嫁さんです。「ここの坊さんかしら。普通あんなにピカピカに剃り上げないよねえ」「そうか? 僕の甥っ子は知恩院で結婚式挙げたし、いまどきは普通にスキンヘッドのサラリーマンいてるよ」「いや、先導の坊さんと同じ剃り方だから」「でも、坊さんが羽織袴で結婚式か?」「袈裟を着る時は仕事のときでしょ!」「そうかなあ…」と、何とも失礼な会話をしながら、舎利殿に向かう新郎新婦を見ていました。この寺の舎利殿は、謡曲「舎利」の舞台です。この舎利殿に収められている仏舎利が足疾鬼に奪われたのを足の速い韋駄天という神が奪回したという寺の伝承が能の演目になったと言われています。「舎利ってなに?」「いま君は、すし飯のことを想像してるやろ? こんな立派な堂に酢飯祀ってどないすんねん。舎利というのはお釈迦さんの骨や。死なはったときに遺骨を分けていろんなお寺に祀ったんや」「どうして、舎利が寿司のシャリと同じ呼び方なの?」「どっちも古代インドの言葉サンスクリット語や。米のことはシャーリというねん。仏さんの方は肉体とか遺体とかを意味するシャリーラ。これらが中国に渡って漢字表記されたときどっちも舎利となってしもてん。日本ではお釈迦さんの遺骨を舎利、すしのご飯をシャリとカタカナで書いてるんや」「ふーん。じゃあ、お釈迦さんが死んで長いこと経ってるのに、なんでここに舎利があるの?」「でっかい遺骨をボンボンと分けたんと違ごうて、細かく細かく砕いて分けたんや。米粒くらいの骨や。あーっ、骨が米粒に似ているからシャリ…? 違う違う! なんやった? ああそうや、舎利殿の代わりに五重塔の土台の中心に埋められてる寺もある。その小さい骨がインドから中国、中国から日本に渡ってきたんや」パンフレットによると、この寺の舎利はお釈迦さんの歯だそうです。「全部の寺にあるの?」「そんなにあるかいな。無い寺の方が多いやろなあ」中央の緋楓は散り透いて根元を赤く染めていた母ちゃんの、突然勉強熱心な女学生になったような質問攻めに辟易しながら、歩いていくと御座所の社殿です。侍従の間、女官の間、皇族の間、天皇の間…その前に泉涌寺の庭園があります。鮮やかな紅葉が園地を染め、カメラのシャッター音がそこここで響きます。撮影のベストポジションは、やはり御座所の目線位置なんでしょう。人が群がっていました。泉涌寺から東福寺へは通常徒歩で坂道を下っていくのですが、下りになると足の小指が靴に当たって痛がるので、ワンメーターだけどタクシーを利用することにしました。ところが、その運転手は当日の交通規制とタクシーOKの道を知らなかったようで、なんと東福寺駅から1駅離れた伏見稲荷まで迂回して東福寺へ。江戸っ子の母ちゃんは「運転手さん、勉強不足じゃないの。道路規制くらい覚えてなきゃ」と、けっこう優しく言ったのですが、そのドライバーは逆切れ。「そんなもん、毎日コロコロ変わるのに分かるかいな!」天秤座の僕は「そうなんや、そんな規制の仕方やったら運転手さんらも困るわなあ」となだめ役。途中で見かけた案内板では、前日から規制がかかってたはずなので、腹の中では「もっと、上手なウソつけや、おっさん!」とののしっていました。東福寺六波羅門そばの正覚庵料金で揉めるのも大人げないので、2.5倍くらいの料金を払って六波羅門から東福寺境内に向かいます。この寺は京都で一番人気の紅葉の名所。昨年は開門前の長蛇の列に嫌気がさして外から眺めました。今年は時間をずらしたので拝観券売り場の列はそれほどでもなかったのですが、名所・通天橋と庭園は人だらけ。歩くのも容易でなさそうなので、ことしも中には入らず、真向かいの臥雲橋から眺めることに。臥雲橋から通天橋を見る。変色もあるがやはり圧巻ついでに東福寺三名橋の偃月橋へも回ってみました。こちらは小規模で、橋上にあまり人はいません。ささやかな紅葉でしたが、趣きのある佇まい。橋の先の龍吟庵は竜が舞うといわれる石庭と、紅葉の美しさで、知る人ぞ知る好ポイント。今回はパスしてしまいました。偃月橋からの紅葉。通天橋とは違って人も疎ら東福寺もドンピシャの見頃は1週前だったのでしょう。何はともあれ、母ちゃんの誕生祝い・京都紅葉の旅、今年も無事に終わりました。
2009年12月19日
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朝8時、ホテルそばのニッポンレンタカーで小さな車を借り、かさばる体を押し込んで、まずは大原三千院へ。前日と打って変わり気温は低く大原周辺は6℃。三千院直近の駐車場に車を止めて、そこのオバちゃんと立ち話です。「今年は、夏に夕立をもらわれしまへんかったんで、葉の先まで水が行きわたらしまへんでしてん。見はったら分かりますけど、葉の先が枯れたみたいにチリチリに縮んでますやろ~。せっかく東京から見えはったのになあ」と京都弁。「いやいや、ぼくらは奉納した観音様と楓に会いに来ましたんやさかい、どうってことありまへんよってに。もうとっくに終わってると思うてましたから、こんだけ赤かったら感激ですわ」と、こちらは東京人らしくコテコテの標準語(どこが?って言ってはいけません)。三千院前の呂川にかかる紅葉。すでに色褪せた葉も三千院まで移動しながら、母ちゃんと先ほどのオバちゃんの話を振り返ります。「エエ表現やなあ。もらわれへんかったという言い方は、雨とかの気象も天の恵みと捉えてるんやねえ」「昨日の嵐山の紅葉も含めて、すごく納得できる説明だったよ」「地元の年寄りというのは“学者”やなあ」三千院では、券売所の列を横目に観音講会員のフリーパスカードを提示。子どもじみていますが、ちょっと優越感に浸れます。けっこうな人出なので、一気に観音様のお堂へ。母ちゃんがお身拭いして、小さな数珠を肩から懸けて拝礼。家内安全・商売繁盛をお願いしました。ついで、献木した楓に会いたいのですが植樹された場所は知りません。事務の人に尋ねると台帳を調べて案内してくださるとか。少し待っていると若い坊さんが青々と剃りあげた頭から湯気を立てながら境内の坂道を走ってきました。音無の滝に向かう参道沿いにあるとのこと。案内されて行き着いたところに細いながらもしっかりと枝を伸ばした楓が植えられ、母ちゃんの名札がそばに立てられています。他の献木者には申し訳ありませんが、参道に面したいい場所に植えてくださいました。感謝です。左は母ちゃんのひ弱な楓。近くに立つ楓のように早くな~れ「どれくらいで立派に成長するのかな」「そうやなあ、僕が死んで、君がおばあさんになる頃には大きな木になってるんとちがうかなあ」「これからも毎年見に来なくちゃ」「来年の秋は早めに来てみよか? 根付いてたら、うっすら紅葉してると思うで」「ちゃんと根付いて欲しいよね」「そうやなあ、うまいこと行ったら何百年か後の人らが喜んでくれるやろしなあ」この木にも手を合わせて三千院を後にしました。市内に戻る途中、八瀬をチェック。ここは毎年真っ赤に燃え立つ紅葉が目を楽しませてくれます。山の上はすでに茶色がかっています。川沿いの紅葉は今年も見事です。ただ、川沿いの楓の向こうに駐車場があって、いささか興醒めの感があります。八瀬の紅葉は毎年、期待に応えてくれる午後からは、市内を通り抜けて京都市の最南端・山科方面へ。最初は、JR山科駅から程近い毘沙門堂という小さな寺院です。側方通過も困難な細い住宅街の道を抜ければ、いきなり毘沙門堂境内。真っ赤な紅葉が参道の階段を多い、石段は赤いじゅうたんを敷き詰めたようです。参拝客はそれほど多くありませんが、高級そうなカメラを担いだマニアがベストポイントを探してウロウロしています。みんな苦労をしているようです。参道を行き来する参拝客も紅葉に見惚れて、そう簡単には動いてくれないのですから、ガマンしかありません。私は、幸運にも参拝客が木の幹に隠れた瞬間にパチリ。構図やピントは相変わらずコンデジ任せのずぼらカメラマンです。絵画的な毘沙門堂参道の紅葉。見続けていたい景観境内の小さな庭園、その先のお堂がいい感じです。葉をすっかり落とした楓もありましたが、なかなかの光景です。続いて、毘沙門堂よりさらに南の醍醐寺。昨年も立寄りましたが、今年はどうでしょうか? 特に境内奥の弁天池周辺が楽しみです。境内はそれなりの人出。おりから、揃えの法被を着た信者の団体が、静寂を激しく破って本堂あたりに登場しました。信心深さには敬意を表しますが、我がもの顔の参拝はいかがなものかと、首をひねります。弁天池も昨年より色が褪せているようです。大原のオバちゃんの台詞がよみがえります。「夕立をもらわれしまへんかったんで…」ここも葉先がチリチリになった楓が目立ちます。その分、蛍光色のように光を放つドウダンツツジの紅葉が引き立ちます。境内の茶店。緋毛氈に野点傘が風流「ドウダンはエライねえ」と母ちゃん。「うちのドウダン、やっぱり大きな鉢に移した方がよさそうやなあ。アレこそ、夏に水が足らんのと違うか」などと話しながら、醍醐寺を後にしました。あとは夕暮れの清水寺。ライトアップ狙いの観光客で、二年坂・三年坂・清水坂とも人・人・人の洪水。私たちはライトアップには行きません。気に入った店を覗きながら、母ちゃんと雑踏の中を優雅に(タラタラと)散歩です。人の流れとは逆向きにふらりと歩くのもちょっと粋かもしれません。第2日も無事にクリア。前夜けっこう眠っているので、まだ元気です。第3日は早めの新幹線なので、東福寺方面だけののんびり日程。つづきます。
2009年12月17日
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母ちゃんの誕生祝いは、この10年ほど京都紅葉見物。ことしは誕生日に日光ゴミ拾いボランティアで不在だったため、次の週に京都行きを敢行しました。遅ればせながら、京都紅葉だよりを簡単に綴ります。早朝の東京発新幹線に乗車。完全徹夜だった私は列車の中で爆睡して、気がつけば滋賀を通過中、もうすぐ京都です。スッキリした気分で京都着しました。今年の第1日は、昨年に続き京都定期観光バスでの嵐山~保津川下り。昨年の楽しかった川下りをもう一度体験したいという母ちゃんの希望で、予約しておいたのです。京都随一の宝筐院紅葉。さほど広くない境内が赤く染まる嵐山にバスが到着。バス駐車場から片道15分くらいかかる嵯峨野の宝筐院をめざして、バスを降りるや一気に歩き始めました。葉先のチリチリになった楓が目立つものの、京都随一の紅葉スポット。庭園を染め上げています。帰路は、野々宮神社から竹林の道に入り天竜寺境内を通って嵐山駅の集合地点へむかいました。天竜寺曹源池の紅葉は色あせています。1週前くらいがドンピシャだったのでしょうか。そう言えばガイドさんが「今年の嵐山は2度目の紅葉が今見頃です。早い時期に一気に紅葉した所と遅れて紅葉しているところがあります」と。方丈の池から出口に向かうと精進料理の「篩月」(写真上)があります。そこの紅葉が見事な色づきでした。さらに、庫裏の脇にある亀山天皇陵の紅葉も見頃を迎えています。ここは門内に入ることができませんでしたので写真(下)も遠景です。今回も嵐山では昼食を摂らず、お弁当を買っただけ。紅葉を見ることに全ての時間を費やしたのです。トロッコ列車に乗って保津川下りの起点亀岡市へ。相変わらず船待ちの観光客が多く、人気の高さがうかがえます。乗船! 今年は2列目の座席です。嵐山で買ったお弁当は、船がゆったりと亀岡市内を下っている間に食べました。激流に船が突っ込みます。写真(下)でも分かるように、水が船べりを越えて船内に流れ込み、2列目の私の靴の中まで水浸し。こんな体験が楽しめる川下りです。続いての景色は川面にせり出した紅葉。鮮やかさに足の冷たさも忘れてしまいます。嵐山に近づきました。日が翳り始めているので、影の部分の紅葉を写真では再現しにくいのが残念。写真(下)の楓はトロッコ電車の社員たちが沿道に植えたものです。桜といい、楓といい、観光客を楽しませようとする彼らの努力に頭が下がります。第2日は、北の大原三千院から南の醍醐寺までレンタカーを走らせます。「今日はとにかく眠らなくては…」と、21時には就寝しました。第2日に続きます。
2009年12月14日
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という状況で、1ヶ月以上日記を書くことも皆さんのブログ訪問することもできず過ごしてきました。いささかバテ気味で今日は早めに帰宅したので、ブログ画面を開いています。年末年始に向けての繁忙はますます激しくなりますが、徐々に書いていきますので、お見捨てなきようお願いします。出来事を「エイヤッ!」と吹っ飛ばして、11月23日から再開します。昨年も実施された「日光徒歩行軍」。今年は「Good job プロジェクトon日光街道」と銘打って、清掃ボランティを各所で実行する企画になりました。日光街道すべてを清掃するわけにも行かないので、清掃ポイントを定めて沿道のゴミを拾うのです。別働隊の過激な青年たちは日本橋から日光まで145キロの道のりを4日間で歩き通します。多い日は47キロも歩く強行軍。まるで軍隊なみです。早朝、出発前の行軍メンバー私が参加したのは最終日。栃木県の下野大沢という地点から東照宮まで17キロのコースです。この区間は日光杉並木道で、一部は未舗装の遊歩道になっています。前月の男鹿川河川清掃も栃木県。どうも今年は栃木県をきれいにする役回りのようです。いくつかのチームに分かれて、ゴミを回収しながら歩き始めましたが、日光へのメイン道路だけあって交通量も半端ではありません。マナーの悪いドライバーも多いらしく、ポイ捨てゴミの多いこと。瞬く間に袋が満杯になります。河川清掃でも同様ですが、ゴミというのは一旦気になりだすと、ドンドン敏感になり、小さなゴミにも目のセンサーが反応します。おかげで、事務局が想定しているスケジュールがドンドン遅れていき「このスピードだと東照宮到着が夜になる!」というありさま。「急ごう!」と歩き始めるのですが、やっぱり目が反応して、ゴミを拾ってしまいます。清掃予定区間が終わったところで、ゴミ袋を車に納め、歩くことに集中しました。杉並木を行くわがチーム。ゴミ袋がかっこいい前々日、栃木県入りしたときの様子を、栃木県の有力地元紙「下野新聞」が写真入りで報じたこともあって、沿道の住民などが「ご苦労様」「新聞見たわよ、頑張って」と声をかけてくれます。右肩写真は下野新聞Webニュース。日光駅前や東照宮などでは外国人観光客などからも「どういう趣旨か」「足は痛くないか」と質問されたりしました。私は出発時に膝をサポーターで固定していましたので、17キロ歩いた後も平気でしたが、145キロ歩きとおした青年たち(ほとんどが社会保険労務士さん)は、ふだん歩き慣れていないのでしょう、全員が足の裏にマメをつくり、あるいは靴擦れや膝の痛みのため脚を引きずっていました。今回の「Good job プロジェクトon日光街道」でも、たくさんの出会い、交流がありました。また各自が掲げた目標、たとえば「楽しく元気に歩き通す」「いたわりと助け合いの気持ちを大切にする」「誠実に清掃活動をおこなう」などを目指して、成果を挙げたと思います。
2009年12月11日
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