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いつ開けるとも知れない梅雨。高温多湿の毎日でいささかウンザリ気味です。このところ、スーツで出勤する日が多いのに、雨に濡れてズボンはスジが消えて煙突のよう。蒸し暑い中の完全装備ですから、肌の弱い私は、ベルト周辺に汗が溜まって、汗疹が出来て痒い~! また、ガンガン冷房の効く(エアコンの温度センサーが壊れているのでただ冷え続けるだけ)、事務所に数時間いると、左膝が固まって階段を下るときに痛みます。そんな鬱陶しい毎日ですが、新規事業の準備とクレドプロジェクトは、私たちに晴れ間を提供してくれています。久しぶりに、クレドプロジェクトの活動を紹介します。クレドについての説明は以下の日記を参照してください。http://plaza.rakuten.co.jp/kazutama58/diary/200805210000/http://plaza.rakuten.co.jp/kazutama58/diary/200809050000/http://plaza.rakuten.co.jp/kazutama58/diary/200812260000/http://plaza.rakuten.co.jp/kazutama58/diary/200902020000/めざましかい早い話が朝礼です。他社と少し変わっているのは、「上意下達」はないのです。クレドプロジェクトと生産管理の主催で開かれるこの朝礼は、クレドと同じく社員の手づくり。だから、社長も私も原則として参加できません。司会などに慣れていないメンバーが司会進行しますから、モタモタしています。たとえば、私の喋り方が「立て板に水」とすれば、彼らは「横板に水性ボンド」状態、あっちにベタベタ、こっちにベタベタくっつきながら進んでいきます。生産管理から当日の工程と作業上の留意点について説明があり、各営業マンの行動予定が報告され、最後に「誰か話したいことありますか」などとクラス会のような微笑ましい誘いがあります。話の中身に制限はありません。通勤途中で見かけた光景でも、昨夜のテレビでも、あるいはカッコ良く自分のクレド実践でも、何を話してもかまわないのです。たった一つのルールは「否定語を使わないでポジティブ発言をすること」。なかなかうまく話せませんし、誰も発言しない日も。「めざましかい」がクレド実践か?と言われると、「う~ん」と首をひねることも少なくありません。しかし、毎日全員が集まって顔を見せ合う、みんなでおはようの挨拶をする、それだけであっても、コミュニケーションは一歩進んでいると思います。みんな、楽しんでくれ!!ズバ新聞またしても意味の分からない名称。「ズバ」というのはわが社独自の作業用語で、お客様からお預かりした原稿を、入力・編集工程をすっ飛ばし、「ズバリそのまま」カメラ撮影して印刷するケースに使用します。だから「ズバ撮り」とも言います。クレドプロジェクトが「ズバ新聞」と命名したのは、歯に衣を着せず、ズバズバ本音を掲載していこうということでしょう。プロジェクトメンバーの誰かが言っていました。「社長の前で、会社の悪口を言える会社にしよう」と。その思いが込められているのです…きっと。この新聞は「社内報」ではないので、編集に総務が関与することも、役員が介入することはありません。だから、内容が他の会社さんの「社内報」のようではないのです。最新号の内容は「わが社の法則」。前書きには、こんなことが書いてあります。「『何回も起きてしまう、あのミスって、もしかして法則のせい?』『なぜかいつも、うまく進む、あの作業。もしかして法則のお陰!?』 よい法則には身をまかせ、そうでない法則は、変えてゆきましょう! 法則と戦って、同じミス・ロスを繰り返さなければ、かなりのミス・ロスが減らせるはずです!!」 いかにも狭い! オペレータの後ろを通るときは扁平ガニにそして、その法則の中身がマジメからズッコケまでいろいろ。一部紹介しましょう。( )内は私の注釈です。「社内向けの忘年会のお知らせでも、キチンと(プロが)校正して赤(修正)を入れる」「仕事量が多い日ほど、あまりミス・ロスが起きない」「時間に余裕のある日ほど、ミス・ロスが、やたら起きる」(緊張感の差かな?)「会議の時のお茶は、(会社負担なので)遠慮して、(自販機の)100円のものを頼む」「久しぶりに会ったと、思ったら6ヶ月ぶり(昼・夜勤は交代しないので、昼勤者と夜勤者が年に1回しか会わないこともある)」「ミスが、同じ番組で連発する(これは本当に怖い法則!!)」「明日、どんな仕事が来るのか、明日にならないとわからないから、(明日でよい仕事でも今日できる)仕事は追い込んでおく!」「廊下をすれ違う時はカニ歩き」「トイレですれ違うときもカニ歩き」(とにかくあっちもこっちも狭い。デブにはツライ会社)
2009年07月30日
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きつねを題材にした昔話はいろいろありますが、イソップにしても、日本昔話にしても、きつねはズル賢い役回りが多いようです。しかし、近年、きつねを愛すべき存在として描く童話が少なくありません。たとえば、新美南吉の『ごんぎつね』『てぶくろかいに』、戸田和代の『きつねのでんわボックス』、安房 直子『きつねの窓』などは、その代表でしょう。たくさんの「きつね童話」の中で、私が一番好きな話を紹介します。その作品は『きつねのはなびら』というタイトルで、1977年7月に旺文社から発行された絵本です。はじめて私がこの本を手にしたのは発行直後でしたから、もう32年も前のこと。涙が出るほど感動し、友人にも読んでもらおうと、保有していた本を贈りました。その後、友人とは音信不通になり、絵本は手元に戻りませんでした。そのころには、既に購入できなくなっていましたので、図書館で借りて絵と文をスケッチブックに写し所蔵していたのですが、引越しを繰り返すうち行方不明になったのです。誰かに貸したのかもしれません。以来、絵本図書館などにも問い合わせてきましたが入手できず、先日やっとamazonで発見できました。古本として出品されていたのです。15年ぶりくらいの再会です。インターネットの威力を実感しました。改めて読み直して、やはり心が揺さぶられました。その感想を私の拙い文章で伝えるより、皆さんに直接味わっていただいた方が良い、と考えましたので、全文紹介します。なお、スペースの関係で改行は原本と異なります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『きつねのはなびら』 矢崎節夫・山中冬児 発行所:旺文社 初版発行:1977年7月 ●絶版あるいは重版未定 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・きつねのはなびらやざき せつおやまなか ふゆじ・えきつねが はじめて おんなのこを みたのは ゆきが とけはじめたころでした。おんなのこは ふもとのむらから やまをこえて がっこうに かよっているのでした。きの かげから おんなのこを みたとき、きつねは どきんと しました。こんなに かわいい にんげんを みたのは はじめてだったのです。 ――すてきだな、ともだちになりたいな。 まるで はるが ようふくを きて あるいているみたいです。 つぎのひのあさ、きつねは おなじところで おんなのこを まちました。「おはよう」って いってみようと おもったのです。 ――そうしたら ともだちに なれるかもしれないものね。でも、おんなのこの すがたを みると、きつねは なにも いえませんでした。「どうして いえないのかな」きつねは がっかりして かわに おりていきました。みずに かおを うつして、「おはよう」って いってみました。ちょっと くびを まげて「おはよう、こんにちは」 ――うん、こんどは うまく いえそうだ。おじぎも いっかいしてみました。しかし、がっこうから かえってくる おんなのこの すがたをみると、やっぱり なにも いえませんでした。「だめだな ぼく」きつねは ふっと ためいきを つきました。それでも、つぎの ひも きつねは おんなのこを まちました。 ――こえを かけられなくても いいよ。 かおを みられるだけで うれしいもの。それに いいことを おもいついたのです。みちは きのあいだを ふもとから ふもとまで つづいています。きつねは そのよこを、おんなのこに しられないようにふもとまで ならんで あるくことにしたのです。まいにち あさと ごご、きつねは ならんで あるきました。もちろん おんなのこは そんなことは しりません。やがて アシビの はなが さきました。アシビの はなを みたとき、きつねは うふっ て うれしくなりました。 ――すてきなこと かんがえたよ。ひとばんじゅう、きつねは やまを はしりまわりました。せっせと なにかを ほっては みちの りょうがわに うえていきます。「まあきれい」あさ、いつものように ふもとまで きた おんなのこは びっくりしました。やまの いりぐちから しろい アシビの はなのかきねがみちに そって つづいて いたのです。おんなのこが あるくと、しろい アシビのはなが しずかに ゆれます。あるくたびに すんだ すずのねが そらに ひびいていくようです。おんなのこは たのしそうに スキップしながら あるいていきました。 ――いいな、ぼく あのこと いっしょに スキップしているんだ。つきみそうが かぜに ゆれて さきました。いつのまにか みちのよこに、もう いっぽん ほそい みちが できました。きつねが あるいて できた みちです。きつねは ならんで あるいているうちに、おんなのこが すきになって いきました。あめのひは きのえだをあんで みちにやねを つくりました。かぜのひは かぜよけになって あるきました。きつねは おんなのこの ために なにかを してあげられるのがとても うれしかったのです。よるは やさしい つきのひかりのような こもりうたを うたいました。ひるまは がっこうのほうを みつめて だまって すわっていました。きつねの こころは いつも おんなのこの ことで いっぱいでした。いちねんがすぎて、さくらの はなが さくころに、きつねは すこし やせてきました。ならんで あるくのを やめる ひも でてきました。 ――どんなに たのしくても ふもとまでしか ならんで あるけない。そこから さきは さよならだものね。 それに ぼくの ことを あのこは ほんとは しらないんだ。それでも みちを とおってくれなければ さびしいのです。 ――いやだなあ。あしたは にちようび。 がっこうは やすみだよ。あのこは このみちを とおらない。きつねは そらを みあげました。めのなかで ほしが にじんで ながれました。 ――みちを とおらなくても いいから、 やまのほうを みあげて くれないかな。きつねが あまり かなしそうなので、やまが ゆさっと ゆれました。はなびらが ぱらりと ちりました。「そうだ、いいこと かんがえたよ」きつねは さくらの はなびらを かごに たくさん ひろいあつめました。かごを もって、きつねは やまのてっぺんの きに のぼりました。「あのこの いえまで とんでいけ」きつねは そら いっぱいに はなびらを まきました。「まあ、はなびら」おんなのこは やまを みあげました。やまじゅうの さくらが はなびらを まきちらしているような、いちめんの はなびらです。きつねは よるまで まきつづけました。おんなのこも ずっと やまを みあげていました。こんなに ながいあいだ おんなのこを みることが できたのは はじめてです。 ――うれしいな。まだ こっちをみてる。 ぼくたち ともだちに なれたみたい。そのよ、きつねは けっしんしたのです。「ふもとの むらまで いってみよう。あぶない ことが あっても いい。あのこの いえまで いってみたいもの」よるの マントに かくれて、きつねは はじめて やまを おりていきました。だれかが はなしを しています。おんなのこの ようです。「わたし あのやまが だいすきなの。いつも だれかが わたしの そばにいてくれるようで、ひとりで あるいていても さびしくないんですもの。だから あのやま だいすき」 ――だいすきだって。それに ぼくのこと しってるみたい。 きつねのかおが ぽうっと あかくなりました。「でもね、あしたは ひっこし しなければ いけないの。おとうさん ひとりだけ まちの こうばへ いってもらうわけには いかないものね」 おかあさんが おんなのこに いいました。 ――ひっこし するんだって。それも あした。きつねは しっぽを ひきずりながら やまに かえっていきました。そのひ いちにちじゅう、きつねは おんなのこの いえを みていました。トラックが やってきて すぐに にもつが のせられました。にもつが ひとつ のせられる たびに、きつねの こころから なにかが ひとつずつ おちていくような きがしました。こころが からに なっていくようです。おんなのこが トラックの にだいに のったとき、きつねは さけびました。「いっては いやだよ。ぼくを ひとりにしては いやだよ」おんなのこが やまを みあげました。「わたし どこにも いきたくないわ。このやまが すきなんですもの。でも、しかたないのよ」おんなのこは かなしそうに いいました。トラックが はしりだしました。きつねは きに のぼりました。ほそい えだの さきまで どんどん のぼっていきました。「ぼくも つれてって」きつねは さけびました。さけんでいるうちに、きつねは そらを とんでいけそうな きがしました。「ぼくも いくよ」きつねは おもいきり おんなのこ めがけて そらを とびました。いいえ、とんだのは きつねでは ありませんでした。はなびらでした。はなびらは ひらひら まいながら かぜにのって、おんなのこの ところに とんでいきました。「あっ、はなびらが」おんなのこは うれしそうに それを てのひらに のせると、つつむようにして むねに おしあてました。やまは しずかに くれていきます。かなしかった おんなのこの こころに あかるい ひが ぽっと ともりました。
2009年07月24日
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「海の日」の3連休。昨年は沼津でアオリを釣ってご満悦でしたが、今年は特段予定なし。パズルのような他社の損益計算書を分析(なんでって? わが社の新規事業に関連する重要資料なんです)しようと持ち帰っていました。働き者です。結果は、遅々として進まず圧倒的に無駄な時間を過ごしてしまいました。2日目の日曜日、午後になって頭の中がウニのように。気分転換が必要です。発作的に「パエリア食べに勝浦行こう!」と思い立ち、「えっ!」と驚く母ちゃんに、18時半から19時到着で予約を入れてもらいました。千葉方面の道路事情は悪評高い渋滞の巣ですが、この時間なら大丈夫だろうと、15時半ごろ2人で出発しました。外房の中核都市・勝浦は漁業と海のリゾートで有名。10年ほど前までよく行っていたところで、母ちゃんの叔父さん保有のリゾートマンションを借りて、海釣りをするのです。温泉付き、プール付きなので季節を問わず、使わせてもらっていました。海釣りをやめ、本格的に渓流釣りをやるようになって、すっかり足が遠のいていました。本当に久しぶりです。高速道路も、長い一般道路もすいていて、3時間を予定していた移動時間が30分以上も短縮され、18時前に勝浦着。「海でも見に行くか?」と海中公園の磯へ。海中公園とは、海中に立つタワーの海底部(水深10メートルくらい)から海中の魚たちの様子を観察する施設です。この時間には閉館されていますが、周囲は自由に散歩できます。風が強くて、長くは居られませんでしたが、磯に砕ける波の音、悠々と岩場を歩むカニたち。久しぶりに海を身近に感じ、風に髪をなぶらせ、潮の香りを満喫しました。予約時間に、国際武道大学そばの住宅地にある『えるまあの』へ。勝浦辺りで獲れる地魚中心にした、スペイン料理と和風創作料理が得意の小さなお店です。釣り好きのご主人とお話上手の奥さまだけで切り盛りされています。昔は、地元の人たちが通う「隠れ家」的なお店でしたが、10年位前に雑誌で紹介され、旅行雑誌に取り上げられるようになってから、予約しないと入れないほどの人気店になりました。調理場はご主人、ホールは奥さま。2人だけで何もかもやるのですから、どうしても予約優先。席が空いていても、店が混んでいるときは「申し訳ありません」となります。それくらい良心的なのです。『えるまあの』の看板メニューはパエリア。特に奇を衒ったものではありませんが、いつ食べてもおいしいのです。スペインで開かれるパエリア大会入賞者がいるお店で、凝ったパエリアを食べたこともありますが、この店の素朴な味は格別です。この日の注文も第1にパエリア。そのほか、地魚の刺身盛り合わせ、地ダコのサラダ、米ナスの洋風田楽など。ドライバーの私はウーロンハイの焼酎抜き(つまり、ウーロン茶)ですから、相も変わらず食う!食う!食う!! 飲兵衛の母ちゃんも今日は軽く1杯でした。ちなみに、10年ぶりというのに、私たちのことをキッチリ記憶しておられて、当時小学生だった息子のことまで話題に。久しぶりの勝浦でしたが、気持ちよく食事させていただきました。
2009年07月21日
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元箱根から湖北端の桃源台までは芦ノ湖海賊船で移動。船はかなりの乗客です。雲が厚くなり富士山は全く見ることができません。湖面を渡る風は冷たく感じるほどですが、船室には下りず、ずっと上部甲板に立って湖上遊覧を楽しみました。港を出るとすぐに『平和の鳥居』が見えてきます。晴れていればバックに富士山がそそり立つ芦ノ湖随一の風景。『平和の鳥居』を見ると十数年前の「あわや遭難事件」を思い出してしまいます。その年、解禁早々の3月初旬。親子3人でマスをねらって手漕ぎボートで鳥居から少し沖合まで行きました。寒空の下釣りを楽しんでいたのですが、急に空が暗くなり風が強まって、雪も降り始めました。これはヤバイと感じ、錨を上げて港に向かって漕ぎ始めました。が、強い向かい風のため、いくら漕いでも鳥居と横並び。風はますます強く、吹雪はひどくなるばかり。波が高くなって、ボートに横揺れ、縦揺れ、上下揺れが間断なく起こり、いよいよ前に進めません。(私にはエラそうな態度なのに)めちゃめちゃ怖がりの母ちゃんは、「パパ~ッ(ときたま私のことをそう呼びます)! 死んじゃうよ~、何とかして~」と悲鳴をあげ、息子は声も出せず、震えながら母ちゃんにしがみついています。2人は雪と波しぶきで顔面蒼白。私は水洟を垂らしながら汗びっしょりで漕ぎ続けました。普通なら10分もかからない距離を30分以上もかけて漸く漕ぎ戻ったのでした。甲板で連れのダンナにその話をしたところ、気の毒がるどころか大笑い。あげくに、「風に逆らわないで、桃源台に向かえばよかったじゃん」ふざけた人でなしです。「アホか! ほんまに死んでまうがな」と喝を入れ、続きを話してやりました。沖合いですれ違った海賊船岸にようよう上がって近くの食堂へ。母ちゃんと息子は真っ蒼な顔で唇も紫色。私は体から湯気を立て汗まみれ。しかも、3人とも風と雪と波しぶきで髪はボサボサ、服はビショ濡れ。グズグズのベタベタのボロ切れみたいな3人の入店に、食堂のおばさんは驚きを通り越して、怯えの表情です。それでもストーブに近い席に案内してくれました。このとき食べた熱いうどんは「地獄に仏」そのものでした。話を聞いていたダンナは反省するどころか爆笑して、またしても思いやりのかけらも無い発言。「歩く雑巾かよ。よく店が入れたよなぁ。カネ倍払うからと言ってもバイバイするぜ、ふつうは!」と下手な駄洒落を飛ばします。私も負けずに言い返しました。「そうか、4倍払うと言えば、もっと親切やったんやなぁ。来年一緒に行こか?」そんな話をしている間に40分の船旅は終了。桃源台到着です。ロープウェイ駅と一体の桃源台港桃源台からロープウェイで大涌谷を経由して強羅に向かい、そこで観光ガイドにも掲載されている有名そば店で昼食です。老舗らしくもなく、店員さんの言葉づかい・態度は最低。数組の順番待ちがあったのですが、「すいませんね」も何もなし、「あ、外で待っててください」で終わり。「なんじゃあれは」と憤慨しつつも、そこは大食い。「そばさえ美味けりゃええわい」と楽しみにしていましたが、期待は大きく裏切られ、極細のそばはのびきって、だんご状態。コシも香りもありません。混んでる店で文句を言うのも大人げないので、サッサと食べて店を出ましたが、箱根旅行の最後にいやな思いをしました。観光客を舐め切ってるよね。ケーブルと登山鉄道を乗り継いで箱根湯本に戻り、風祭駅まで行って「かまぼこの鈴廣」が運営する「かまぼこの里」へ。製造工程を見学したり土産を買ったりして、箱根の地ビールと試食の板ワサでちょっと休憩。ビールを一口飲んだだけで、私はいい気分になりました。帰りの電車も『メトロはこね』。お疲れの父さんは、食べ物の夢を見ながら爆睡中です。ドタバタ続きの騒々しい箱根珍道中はトゥラブゥ(trouble)もなく、雨にも降られず無事終了したのでありました。
2009年07月18日
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「どっこいしょ」とご飯で膨れたおなか(普段から出てるって、どこで見たの?)を持ちあげて珍道中第2日スタート。ゴンドラの乗り降りに苦労しながら宮ノ下まで上がり、国道1号線を走る路線バスに乗車。バスには子供連れの団体と青年たちの団体が乗っていて、ギュー詰め状態。間なしに1シートが確保できて、母ちゃんと足弱の私は座らせてもらえました。停留所を1つ行ったところで、足首を固定された松葉杖の欧米系外国人とその彼女(私は日本人と思った)が乗車。母ちゃんはすぐに席を立ち、青年を座らせようとします。母ちゃん「プリーズ、どうぞ」(なんで同時通訳やってんねん)彼は遠慮して、手を横に振り(断るときの手ぶりは万国共通か?)「センキュー、ドント ウォーリー(と言ったような…)」「山道やから座ったほうがええよ」と、私は席を詰めます。彼は恐縮しながら(そんな風情)頭を下げて(これも万国共通や!)「センキュー、アリガトゴザマス」(なんでアンタも同時通訳やねん)「僕もヒザ骨折してますねん。骨折つながりですなぁ」と、私は同行の女性に話しかけたのです。彼女はにっこり笑って頭を下げてくれました。(無口な、つつましやかな人や~)この場面の解説1母ちゃんの意見では、彼女も外国の人、父さんの日本語は全く理解してない、と言います。でも、僕の話にニッコリしてたよ。あれは雰囲気でそうした方がいいと思ったんよ、持っていた観光案内も全部英語、運転手さんに話した時もカタ言の日本語だったそうです。この場面の解説2私はどうして欧米人にも日本語なのか? 忘れもしない高校での出来事。英語のリーダーの授業中に読まされたのは、小泉八雲ことラフカディオハーン作『怪談 KWAIDAN』。その中に収録されていたのが『むじな MUJINA』。この作品はTôkyô 、Akasaka、 Kii-no-kuni-zaka 、Jinrikisya 、O-jochû、Soba-man、Kore Koreなど日本語がたくさん出てきます。読んでいる途中で教師からストップがかかりました。「もうええわ。君のは英語と違うで。大阪弁やで」「えー、なんでですのん、ちゃんと読んでますやん」「Tokyo にしても、Jinrikisyaにしても大阪弁のアクセントになってるで。そのままのアクセントで英語読むから全部大阪弁に聞こえんねん。soba-manも君が読むと蕎麦饅頭かと思うで」「はあ? なんでTokyoをトオキョー言うたらアカンのでっか。トキョーのほうが変ちゃいますの?」「いや、それはともかく、troubleかてトラブルと発音してるけど、トゥラブゥと発音せえへんかったら、ただの大阪弁や」「はあ、そんなもんですか~?」かくして、同レベルのN君と私は2度と指名されること無く…(こんな2人が、ちゃんと一期校現役合格ですから、日本の英語教育はダメなんですね)。そんないきさつがあって英語が遠いものになってしまったのです。ついでながら、大学で第2語学にロシア語を選択してまた失敗。ジでもなくズィでもなく、声でもない発音(歯茎前舌摩擦音)とかで苦労しました。国道1号線・笛塚辺りの急カーブ閑話休題。バスの運転手は、相当のベテランらしく、箱根の山道をギュイ~ンとハンドルを切ってすごいスピードで走ります。そのうち、後部座席に座っていた青年グループの中から「気持ち悪いの? 我慢できる?」という声が。「いったん降りよう。このまま乗ってたらヤバイよ」とリーダーらしき女性の声。青年の団体さんは途中下車してしまいました。私と外人さんは足と脚がぶつかるたびに、言葉は交わさず、エヘヘと照れ笑い。(もうちょっと優しく運転してくれよ!)外人カップル(いまどきアベックは居てません)は元箱根で下車。私らは、本日の第1目標・箱根関所で降りました。箱根関所は、ご存じのとおり江戸を守り参勤交代制度を守るため、東海道の最大の難所・箱根に設けられた検問所。特に「入り鉄砲に出女」の詮議は厳しかったそうです。東海道を塞ぐように設けられた関所の江戸寄りの門を「江戸口御門」、反対は「京口御門」と呼ばれます。門をくぐると、湖側に大番所、向かいに足軽番所があり、それぞれの前面には、槍や刺股(さすまた)など捕り物道具が威嚇的に立てられています。写真左上:人見女、右上:頑丈な牢屋、左下:大番所前の捕り物道具、右下:姫に扮した私と雲助の母ちゃん関所では出女の詮議をするのに「人見女(通称:改め婆)」がいて、出女の髪を解き、「証文」に記載されている髪形や特徴を調べるのです。このとき「袖の下」を差し出すと検査は甘くなり、出さないと髷の中をくまなく調べ、着衣まで調べあげ、そのうえ不利な報告をして通行させないようにしたと言います。江戸口を出たところに資料館があり、当時の衣装や武器など展示されています。赤穂浪士で有名な大石内蔵助の宿泊記録や通行記録が当時のまま残っていました。資料館内は撮影禁止なので写真はありません。関所から元箱根への移動は、当時の面影を今に伝える杉並木を通りました。杉の大木が大きく枝を広げ日光を遮るため、道は湿り所々にぬかるみがあります。歌詞のとおり「昼なお暗き杉の並木」。母ちゃんと手をつないで「箱根の山は天下の険…」と歌いながら、江戸時代の往還に思いを馳せていました。杉並木を行く現代のアベック(死語ですが…)旅人本当は石畳の旧街道も歩きたかったのですが、防衛上の配慮でわざと石をでこぼこに敷いてあったり、急な登り下りがあるので今回は見合わせたのです。次回いよいよ最終回 乞うご期待!
2009年07月16日
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アジサイ電車をじっくりと見て、今夜のお宿『対星館・花かじか』へ向かう途中お立ち寄り。母ちゃんが隠していた企画「足湯に浸かりながらお茶する」です。宮ノ下駅から東海道(国道1号線)に向かう急な坂の途中にある喫茶店『NARAYA CAFE』。廃業した旅館の従業員宿舎を改装してできたユニークな喫茶店で、オススメのポイントは足湯! 道路沿いの洒落たオープンカフェですが、足元を見ると可愛いお嬢さんたちがGパンの裾をまくり上げ、コーヒー・ブレイクを楽しんでいます。お客さんは若い女性やアベック(これは死語。今風に言うとカップル)がほとんど。そんな店に、どういうわけか、私ら(ゴツイおっさんとハイテンションおばさん)がデ~ンと陣取っているのだからミスマッチ感はぬぐえません。なんと思われようとワシは平気! 厚かましく生きてきた団塊の世代は無敵じゃ。ガッハッハ!!箱根散策の疲れをここで少しは癒せます。席は10人くらいも座ればいっぱいかな? 混んでいる時は相席が当たり前の和やかなお店。スタッフも感じがいいです。一息入れて、『花かじか』へ。箱根八湯のひとつ堂ヶ島温泉は、国道から60メートル以上も下った早川渓谷の谷底にある由緒正しい温泉地。あまりの急崖のため車では下りていけない秘湯で、2軒しかない旅館へは専用ケーブルカーかロープウェイで行くしかありません。私たちが泊まる『花かじか』は300メートルのケーブルカー。しかし今は改修工事のためお隣の『大和屋』のロープウェイを使わせてもらっています。ゴンドラは定員5人、全長150メートル。落下するような角度で谷底に下りていきます。高低差60メートルのゴンドラ。左は降りるのに苦労している私定員5人なのでゴンドラは小さく、天井も立っていられない高さ。当然乗り口も小づくりです。「とうさん、乗れる?」失礼な母ちゃんの言い草。「誰にそんな口利いてんねん」「かずたま~」 どこまでもバカにします。「君が乗れるんやから大丈夫にきまってる」「バッカじゃないの、何キロ」 体重で攻めてきます。そんな会話を聞いていたゴンドラの係員さん曰く、「石ちゃん(デブと大食いが売りのタレント)が乗れましたから」 おいおい、フォローになってないぞ。比較の対象が違うだろう。大騒ぎしながらゴンドラに乗り込み、無事に到着しました。早川渓谷の美しさ。渓流と緑に佇む秘湯の宿2軒渓流の美しさ、谷の深さ。歌に出てくる「千仭の谷」そのものです。部屋に通されて、すぐに貸切露天風呂へ。建物を出て、渓流に架かる橋を越え、1万坪に及ぶ庭園の脇に露天風呂の柴戸があります。渓流を望む温泉は、なんと上下2段になっていて、上は熱め、下の湯はぬるめ。2つの温泉の間をスッポンポンのまま行き来します。「釣り人が来たら丸見えだよね。どうしよう」「誰が見るかい、そんなもん」「この美しい裸体が、他の人に見られてもいいの」「アホか、逆に迷惑料払えて、言われるぞ」「バカじじい!」相変わらず騒がしい二人ですが、聞こえてくるのは川の流れと小鳥の声。あっ、どこかで河鹿の鳴く声も聞こえます。汗ばんできた肌に川面を渡る風が心地よい。ああ、極楽、極楽。左は部屋から見た庭園。足元を渓流が流れマスが跳ねる。右は2段構えの露天風呂夕食は会席料理。アワビの踊り焼き、新鮮な刺身、しんじょう…。海のものと山のものが巧みに取り入れられ、またしてもお櫃を空にしてしまいました。トホホ、せっかく入院中に減量したのに「元の木阿弥」です。温泉は、貸切露天以外に男女入れ替えになる大浴場が2つ。どちらも露天風呂がついています。夜、高いびきの母ちゃんたちを寝かせたままで、男子2人で大浴場へ。私は、ゆっくりと足のマッサージ。歩きすぎて華奢な脚が象サンの脚のようにむくんでいます。「やっぱりきつかったのかなあ」とボヤキながら、湯の中で屈伸にも精を出しました。風呂あがり、部屋の窓を開け、涼をとっていると河原になにか光るもの。時期遅れのホタルが2匹、発光しながらフワ~と飛んでいます。きけば、6月には光の乱舞が見られるのだとか。惜しい!せせらぎと河鹿の声に包まれて、この夜は熟睡! 早朝、母ちゃんとさわやかな目覚め。連れだって温泉に行きました。昨夜とは男女入れ替わっています。大露天風呂は19時から5時までは女性用。入ってみて、その理由が分かりました。木製の目隠し塀がありません。対岸に渡る橋上や散策路から丸見えです。朝の散歩をしている中国人旅行者たちがこちらを見ています。あれっ、カメラを向けている。手を振って応え、はい!ポーズ!! どうです、このサービス精神。国際親善に役立ったかな?それとも、邪魔な日本人だと怒ってるかな? いやいや、この美しい筋肉を見れたんだから、きっと謝謝(シェイシェイ)だよね、きっと。お互いにとって幸いだったのは、この露天風呂は結構深く腰あたりまであります。見たくも見られたくもないシロモノは湯の中だったこと。なんですと、脚が短いだけじゃないかって! 失礼な、上半身に栄養が回りすぎて長くはならなかったけど、ごく普通の長さです。温泉に浸かりながら水中歩行訓練。なかなかいいぞ! がんばるんだ、かずたま! 自分で自分を励ましながらイッチ・ニイ、イッチ・ニイ。段々と温まってきて汗が噴き出してきます。適度な運動の後は、美味しい朝食。板ワサ、アジの開き、やっこ、卵焼き…。こんなにおかずがあったらメシを何杯でも食べられる! お櫃おかわり!!茶碗がお上品なこともあって、連れのダンナと母ちゃんは3杯、連れのヨメは4杯(大食い女です)。わたしは、「少なめに」と言ってお代わりしたお櫃が結構な量だったのと、みんなが残したおかずを板前さんに悪いから(言訳か?)と、6杯も食べてしまいました。最後の1杯なんぞテンコ盛り。食った~。まあ、山道をバスで揺られている間に消化できるから、心配ない(昼飯には)!さあ、第2日の行動開始。次回、乞うご期待。
2009年07月13日
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今回の旅行は「箱根フリーパス」という割引周遊券を利用。旅行コーディネーター・母ちゃんの徹底調査の結果、これが一番お得!ということになったのです。小田急線往復運賃プラス箱根登山鉄道・箱根ケーブルカー・箱根ロープウェイ・箱根登山バス・芦ノ湖海賊船の乗り放題、ショッピング・レストラン割引、箱根関所など名所旧跡・温泉施設・美術館・植物園・娯楽スポーツ施設など割引が付いて2日間有効なら1人5000円(特急指定席は別料金)。ちなみに、今回利用した各運賃の合計は1人9000円。さらにレストランなどの割引があるので、なんと!1人5000円のお得。4人連れですから合計20000円も稼いだことになります。母ちゃん、あんたはエライ!!経済問題(?)はさておいて、箱根歩行訓練+温泉療法ツアーのはじまりです。足に故障があるというのは何かにつけて不自由なもの。負傷して分かる障害者や故障者のつらさ、です。箱根湯本に降り立った私らは子供みたいにはしゃいで、駅員さんに頼んで『メトロはこね』の前で記念撮影したり、車両の写真を撮ったり。ここで思わぬタイムロス。旅館まで手荷物を運んでくれるキャリーサービスに大きな荷物を預けに駅構内から出ることに。「とうさんはここで待っててね」と言われたけど、逆らってノロノロと後から付いて歩き、よせばいいのに、受付から少し離れた喫煙所で待っていました。ふと気づくと、母ちゃんたちは受付から駅舎に移動しています。追いつこうとしたところでガードマンに止められました。道とも言えない所へゴミ回収車がバックで入ってきたのです。やっと遮断が解かれ駅舎に急ぐのですが、スピードは出ません。エスカレーターに乗ったところで携帯電話。「どこにいるの!」「エスカレーター」「なんで、そんなトコにいるの! 電車が出るよ!!」「走られへん!」「バカ~ッ!」結局、電車に乗り遅れました。次の電車まで15分待ちです。「なんで、言われたとおり待ってられないの!?」「人が多すぎて、捨て子になった気持ち…」「子供か~!」「あぁ、還暦過ぎてるからね」「バカじじい!!」次の電車も超満員。線路脇に咲くアジサイで有名な登山電車ですが、アジサイを見る余裕などありません。膝の安全を確保するのが精一杯で汗が流れます。「この電車には何回も乗るから、まあエエか」と達観ぶりを発揮して、車内の写真などパチリ・パチリ。電車は、世界第2位の勾配をスイッチバック方式でゆっくり登って行きます。切り替えポイントは3ヶ所、その度に運転手と車掌が場所を交代。その歩き方が、これまたゆったりしているのです。強羅までの9キロメートルを約40分かけて登り切りました。ついで、箱根ケーブルカー。軌道脇にはアジサイが咲き誇っています。ふと、何か違和感に見舞われて、母ちゃんに、「このケーブルカー、なんか変ちゃうか?」「べつに~」「わからへんか、普通やったらケーブルカーは山の中を登るやろ。ここのは横にマンションやらホテルが建ってるから、おかしいんとちゃうやろか?」「そう? 横に道路が走ってるんだから、当たり前でしょ」「そう言ってしまえば、そうやけど…ええ~い! この鈍感女!」(これは声に出しては言えませんが…)この感受性の違い! 問題意識の差! 母ちゃん、頼むで、ホンマに!読者の皆さん、あんたこそ変やとは、言わないでください。さらに、ロープウェイ。箱根のロープウェイは、余所と違って2本の腕で2本のケーブルをつかんでいます。風が強く、1本腕では揺れが激しくて運行できなくなるのだそうです。運転間隔は1分。スキー場のゴンドラと一緒で、次から次へとやってきます。先ほどのケーブルカーは20分間隔で長蛇の列でしたが、こちらの方は待ち時間なしと言っていいくらいスムーズです。左は2本腕のロープウェイ。左は大涌谷の源泉地帯いよいよ眼下に大涌谷の荒涼とした景色が見えてきます。吹き上げる源泉の蒸気。山肌のあちこちに固着する硫黄。圧巻です。地底の荒々しい活動が伝わってきます。中腹にある玉子茶屋(湧き出る熱湯を使って、箱根名物の黒玉子を作っている)へ、多くの観光客が登って行きます。オイラも挑戦するぜ!ロープウェイを降りて、まずは腹ごしらえ。大涌谷を望むスカイレストランで名物カレーライスをいただきます。温泉玉子付きですが辛い(私は、カレーが大好きなくせに、お子様みたいは甘口から中辛程度しか食べられないのです、ググッ)。でも、美味しい!!さあ、大涌谷玉子茶屋めがけて長い長い階段を登りましょう。膝が心配だなぁ。左右交互に登って行きますが、膝が悲鳴を上げ始めました。右で登り左足を引き上げるやり方に変えましたが、今度は右に負担がかかりすぎて、両膝がズッキンズッキン。またしても母ちゃんたちから遅れ始めました。一歩一歩に力が入るので汗が滴り落ちます。やっと到着! 茶店脇の高熱源泉では鶏卵を篭に入れて、黒玉子を作る作業。時たま、作業の青年が「アッチー」と悲鳴を上げています。本当に熱そうです。名物黒玉子は、1個食べると7年寿命が延びます(ほんまかいな!)。ということで、さっそく買い求め、いただきま~す。「1つで7年、2つで14年…約束どおり長生きするで~」「たんとお食べ!」「3つ食べたら21年、4つ食べたら…」「え~っ、そんなに生きるの~」「ひ~ぃ、鬼嫁じゃ~(と心の中で)」早速食べました。クルクルッと殻をむいて、パラパラッと塩を振ってバクッ!「あれっ、ひと口で食べたの?」「あぁ(千と千尋の顔なし風に)」「玉子は、パクパクでしょ」「いやぁ、玉子が早う食べてくれと飛び込んできた」「バッカじゃないの! もう食べるな」「それは早よ死んでまえということか? (心の中で)ひ~ぃ、鬼嫁じゃ~」下りはさすがにつらく、ミズノの登山サポーターを膝に巻き、ガクンガクンと長い時間をかけてロープウェイ駅に向かいました。宮ノ下駅に進入してくるレトロな登山電車。アジサイとの調和が素晴らしい線路は単線。宮ノ下駅ですれ違う新旧車両予定時間(ホントはどうでもいいような)をオーバーしながらも、ロープウェイ~ケーブル~登山電車を乗り継いで、本日の宿泊地・宮ノ下に到着。戻りの時間帯は電車も比較的すいていて、沿線のアジサイを堪能することができました。この続きは次回。乞うご期待!
2009年07月10日
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箱根の山は天下の険 函谷関も物ならず万丈の山 千仞の谷 前に聳え 後に支う 雲は山を巡り 霧は谷を閉ざす 昼猶暗き杉の並木 羊腸の小径は苔滑らか一夫関に当るや万夫も開くなし 天下に旅する剛毅の武士大刀腰に足駄掛け八里の岩根踏み鳴す斯くこそ在りしか 往時の武士友人たちと箱根へ行ってきました。歩行訓練と温泉療法を兼ねての旅行です。なんで箱根かって? 新宿と箱根湯本を結んでいた小田急ロマンスカーが、地下鉄との相互乗り入れで、週末だけ東京23区の最北(大げさな)足立区の北千住駅から直通運転するようになりました。わが家の旅行コーディネーター(つまり母ちゃん)がパクッと食いついたというわけです。人生全てにこれくらい熱心だったら、とんでもなく出世したかもしれない、と感じるほどの集中力で旅行日程を組み立て、現地での交通機関のダイヤも綿密に調べていました。梅雨本番中の旅行ですから、家の中にテルテル坊主をやたらぶら下げて、ひっきりなしに天気予報をチェックして…もう大変!地下鉄北千住駅に入線する『メトロはこね』母ちゃんのテルテル坊主は効果覿面、当日はみごと傘マークが消えました。出発です。今回は松葉杖なし。装具もなし(きめ細かい柔肌がかぶれてしまいました!)。歩くスピードは遅いし、下り階段では相変わらずズッキーンと痛みますが、とりあえず頑張ることに。念のためミズノの登山用サポーターと湿布をバッグに入れました。ブルーのロマンスカーは『メトロはこね』と呼ばれ、ブルーの新型車両。内装もすっきりとして乗り心地はまずまず。シートが少し硬く、2時間座っていると結構つらかったです(お尻の肉がやせた私にとっては!)。『メトロはこね』は北千住駅を定刻9時13分に発車。特急なので地下鉄線内は3駅しか止まりません。小田急線に合流するまで17駅。すごい! 先行電車をガンガン抜いていくぞ~!と思いきや、複々線でないこの路線は追い越しができません。何のことはない、止まらないだけ。ずっと各駅停車のあとについて走っているのです。かったる~。ロマンスカーの車内。絶賛するほどのことはない小田急線内に入っても、特段スピードアップするわけでもなく緩やかな走り。ナンじゃこの電車は! ノンビリと景色でも見てくださいというスローライフの見本か? 沿線の大半は住宅街やないか!? まあエエわ、焦ってもしゃーない! 定刻に着きさえすれば文句は言えんはなあ。どうです、この達観。それでも町田・小田原間はそれなりのスピードで、丹沢山系を望む田園地帯を走り、鮎釣り師が長竿を振っている相模川や酒匂川を渡ります。これはなかなかいい感じ、と思ったのは小田原まで。単線区間に入るや対面の電車待ちの連続です。小田急ロマンスカーの辛いところです。それでも、定刻11時14分には箱根湯本駅に到着しました。めでたしめでたし。この先の珍道中は次回から紹介します。乞うご期待!!
2009年07月07日
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「出逢いからすべてが始まる」という認識を一層深める機会がありました。まさに、人との出逢いは可能性の出発点!です。 その話を紹介します。先々週、水泳指導やプール運営管理をしている会社の創立20周年を祝う会に出席しました。当日は、昔の仲間が集まり、場の雰囲気は一気に若いころに戻ったようなにぎやかさ。みんな50歳前後のオジサン・オバサンになってはいましたが、体型は相変わらず筋肉マン状態。太い腕、ごつい三角筋・僧帽筋がやたら目立ち、会場全体が狭く感じるほどです。全員が水泳指導・ライフガードの仕事でつながっていますが、それぞれ水泳以外のスポーツマンたち。空手、剣道、レスリング…。会社の代表者・I君は、大学ではなぜか哲学専攻。でも容貌・歩き方・声はヤクザが道をあけるほどの魁(怪か?)偉さ。スキンヘッドは近年特に迫力が出てきました。当然、日本水連の競泳コーチ資格、日本赤十字のライフガード資格も持っていますが、彼の専門は柔道。講道館5段で師範有資格者。おっそろし~!彼らと私の出逢いは30年近く前になります。当時大学や高校を卒業したばかりの彼らは、荒川を中心に活動していた水泳指導者のもとで、夏のプール監視や障害者・主婦などの水泳指導のアルバイトをしていました。そのうち、彼ら自身がグループを結成して、個々のアルバイト収入からグループでの一括請負を始めるようになったのです。しかし、海千山千のビルメン業者(プール管理なのに!)から、いいように利用され、請負代金を不当な言いがかりをつけられてピンハネされたり、苦労の連続でした。私は業者側の「手代」として彼らと行動を共にし、同時に彼らとの窓口としてピンハネに手を貸していました。20周年記念の置き時計。この文字盤は彼らのオリジナルにも拘らず、彼らは私を兄のように慕ってくれ、付き合いが深まりました。私がその仕事を辞めたあとも交際は継続。たいした知恵も力もない私に、さまざまの相談を持ちかけてくれ、彼らが会社を設立して本格的に事業活動を始めるときにも協力し合ってきたのです。プール管理や水泳指導に明確なポリシーと一本気な誠実さを持つ彼らは、あちこちの自治体やプール関連企業から信頼を得て、業績を伸ばしてきました。しかし、「出る杭は打たれる」のことわざ通り、何事にも筋を通す彼らは、「談合」を常としていたビルメン会社にとって鬱陶しい存在で、さまざまな嫌がらせを受けました。挙句にかつて関わりのあった水泳指導者からも、ひどい場合には役人からも、手ひどい仕打ちを受ける始末。そのたび、それに対する対処方法やメンタル的アドバイスを求めて彼らはやってきました。たいして役には立たなかったとは思うのですが、ビジネスの基礎知識、プレゼンの仕方、業者撃退法など、私の知識と経験をフル動員して答えを導き出していきました。そんなこんなで早や20年。彼らは見事に自立したと感じます。ただし、いまだにビジネスマンというよりアスリート集団の雰囲気で、ヒヤヒヤさせられることも少なくありませんが…。当日、挨拶を求められて「出逢いの妙」について、おおむね次のように述べました。人生さまざまな出逢いがあります。その出逢いの一つひとつが自分の人生に何らかの影響をもたらします。太陽の黒点活動が地球に重大な影響を与えるように、人生そのものを決定づけるほどの出逢いかもしれません。あるいは、注意しなければ気づかないレベルの揺らぎをもたらしたかもしれません。20周年を迎えるまでに出逢った多くの人々、水泳指導者・嫌がらせをした業者との出逢いは苦い記憶かもしれませんが、その人たちとの出逢いがなければ、水泳関係の仕事で起業し、成功することはなかったでしょう。また、私との長い長い交際も、筋肉マン(ウーマン)との親密な付き合いも生まれなかったでしょう。私自身、アドバイスをする立場でありながら、逆に彼らの純粋で真摯な生き方に影響を受けています。この20年間、それより以前の出来事を振り返ってみると、出逢いは可能性の出発点であり、人生のすべての事柄が出逢いから始まる、ということが実感できます。イワナとの出会いを通じて、じねんと倶楽部のメンバーと出逢った(写真提供は、先の源流域生態調査に同行された海悠出版さん(C)海悠出版2009,6,30曹洞宗を開き、永平寺を建てた道元禅師は、中国に渡り禅の真髄を究めるため、師たるにふさわしい僧との出逢いを求め遍歴しました。その中で出逢った料理番の僧の姿に禅修行の在り方を気づかされました。また、幾人もの高僧に師事しましたが納得できず、諦めずに師を求め続け遂に出逢えました。その経験を踏まえて「我逢人(われ、人と逢うなり)という言葉を残しています。多くの出逢いの全てが道元禅師の教えの根本を作り、今なお曹洞宗では修行の基本形として生かされています。稚内旅行で出逢えた宗谷バスのガイドさん、ブログあるいは釣りを通じて出逢えた人々、仕事上で出逢えた多くのビジネスマン・社長…古くは幼稚園・小学校はじめ巡りあった先生たち、友人たち…60数年の人生で出逢った全ての人々が、私の物の見方・考え方、生き方に影響を与えています。出逢いによって、嬉しいこと楽しいことばかりでなく、嫌なこと腹立たしいこと悲しいことも体験するでしょう。でも、その出逢いが自分の人生の糧となり、新たな可能性を拓くことを肝に銘じ、これからも歩んでいきましょう。
2009年07月02日
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