全31件 (31件中 1-31件目)
1

宮沢賢治が花巻農学校教師として、1924(大正13)年5月に、生徒を引率した北海道修学旅行復命書(出張報告書)について連載36回、まとめ5回で読み解いて参りました。 復命書本文はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 通して読むなかで、当時の賢治先生の考えがみえてきたような気がします。 前回は、農産物加工、今はやりの言い方なら六次化にたいする高い関心について考えました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103300000/ 今回は農村環境改善とドイツトウヒについて考えます。 画像はWikipediaより ドイツトウヒ(独乙唐檜)という樹木を見て、賢治と生徒たちが大喜びする場面が何度かでてきます。 まず、札幌の植物園です。 (引用開始) 植物園博物館、門前より既に旧北海道の黒く逞き楡の木立を見、園内に入れば美しく刈られたる苹果青の芝生に黒緑正円錐の独乙唐檜並列せり。下に学生士女三々五々読書談話等せり。歓喜声を発する生徒あり、我等亦郷里に斯る楽しき草地を作らんなど云ふものあり。 (引用終了) https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102280000/ 次は、札幌から苫小牧へ向かう車中です。 (引用開始) 車窓石狩川を見、次で落葉松と独乙唐檜との林地に入る。生徒等屡々風景を賞す。 (引用終了) https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103190000/ また、東北の農村景観の暗さを指摘したのち、ドイツトウヒ等がこれを救うと書きました。 (引用開始) 而して之を救ふもの僅に各戸白樺の数幹、正形の独乙唐檜、閃めくやまならし赤き鬼芥子の一群等にて足れり。寔に田園を平和にするもの樹に超ゆるなし。 (引用終了) https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103200000/ 賢治とドイツトウヒの関係、そして、それが生徒たちにも影響を与えているようで、興味深いです。 ドイツトウヒ 樹高1.0m前後(根鉢含まず) 単品価格:5000円(税込、送料別) (2021/3/31時点)楽天で購入 画像は楽天アフィリエイトです。 #宮沢賢治 #花巻農学校 #修学旅行 #北海道 #独乙唐檜 #農村景観
2021.03.31
コメント(0)
![]()
宮沢賢治が花巻農学校教師として、1924(大正13)年5月に、生徒を引率した北海道修学旅行復命書(出張報告書)について連載36回、まとめ5回で読み解いて参りました。 復命書本文はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 通して読むなかで、当時の賢治先生の考えがみえてきたような気がします。 そのひとつは、農産物加工、今はやりの言い方なら六次化にたいする高い関心です。 1918(大正7)年から続く第一次世界大戦後の不況により疲弊する農家、農村を救うために、農産物加工による売上げ増加、高付加価値化、農家所得増加をねらったものと思われます。 復命書から、該当部分をぬきだしてみます。 1924(大正13)年5月20日午前に、小樽高等商業学校(現 国立大学法人 小樽商科大学)を見学した際の記録です。ジャガイモや穀物を原料とした農産物加工品をよくみるよう生徒に注意を促しています。 (引用開始) 商品標本室にては粗なる農産製造品と精製商品との連絡に就て参考となるべきもの多く殊に独乙の馬鈴薯を原料とせる三十余種の商品見本、米国の各種穀物を炙熬膨脹せしめたる食品等に就て注意せしむ。 (引用終了) 賢治先生の北海道修学旅行9 小樽で六次化 2021.02.24 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102240000/ 5月20日午後、小樽から札幌へ向かう列車の車窓から、スグリ(グーズベリー)が植えられているようすに着目しています。 スグリは生で食べるよりジャムなどに加工することが多い果物です。 北海道にはさまざまな作物があります。そのなかでスグリが目について、書き残すのは、農産物加工について関心が高かったからではないでしょうか。 (引用開始) 零時半小樽市一瞥を了り再び汽車に上る。 銭函附近 海色愈々勝る。南方丘陵地に美しく須具利を栽へたる耕地あり、今正に廐肥を加い耕耡行はる、農具、操作共に郷土に異り興多し。 (引用終了) 賢治先生の北海道修学旅行11 小樽から札幌へ 2021.02.26 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102260000/ ベリー 苗 【グーズベリー】 約0.3m ポット苗 セイヨウスグリ キイチゴ 木いちご ベリー 苗木 果樹苗価格:759円(税込、送料別) (2021/3/30時点)楽天で購入 そして、なんといっても中島公園の植民館(拓殖館)では、地元観光業とコラボレーションした、具体的なお土産品の開発まで生徒に指導しています。 (引用開始) 他に本道物産を陳列するあり。 中に諸種農産製造品及所謂名物に関して町出身の生徒に注意す。蓋し花巻に独創的産物なく然も近時温泉地方の発達に伴ひてその需要大なるものあればなり。西伯利亜風の蜜漬の胡桃、みづの辛子漬、菊芋の富錦など製造さへ成らば販路更に大ならんのみ。 (引用終了) 賢治先生の北海道修学旅行 28 北海道の農具と物産を見る 2021.03.16 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103160000/ シベリア風のクルミのシロップ漬け、ミズ(ウワバミソウ)のからし漬け、キクイモの混ぜご飯、と具体的で個性的です。本当に売れそうな気がして、作ってみたくなります。 温泉の発達に伴って、お土産品の需要が増大している、との分析は、さすが商家の息子、と言いたくなります。 ■良品果樹苗■再入荷!菓子胡桃(カシクルミ)5号ポット苗価格:1180円(税込、送料別) (2021/3/30時点)楽天で購入 2021年産 予約6月上旬〜出荷予定天然・赤ミズ(ウワバミソウ、ミズナ、ミズブキ、カタハ、ヨシナ)500g(大小バラ詰め)※送料別(クール便)価格:800円(税込、送料別) (2021/3/30時点)楽天で購入 北の国から 毎日手堀り 寒暖差で大ぶりで綺麗 生でシャリシャリ 煮てホクホク 専用ジップ発送 1kg 有機 長期保存発送 きくいも キクイモ おつまみ スーパーフード 旬 kikuimo おかず 前菜 健康 美容 ダイエット イヌリン 札幌ラーメン お取り寄せ 贈答品 ギフト価格:1480円(税込、送料無料) (2021/3/30時点)楽天で購入 宮沢賢治と六次化というテーマは興味深いと思います。 画像は楽天アフィリエイトより。 #宮沢賢治 #農産物加工 #六次化 #花巻農学校 #花巻温泉
2021.03.30
コメント(0)

前回は、旅行4~5日目、苫小牧周辺についてまとめました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103280000/ 今回は、5~6日目、室蘭港から青森港を経由して花巻に帰るまでのまとめです。 一行は、1924(大正13)年5月22日午後5時室蘭港発から客船に乗り船中泊し、23日午前4時すぎ青森港に着きました。賢治は「船首マストの上に来て」という詩を書きました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103230000/ 青森から東北本線で花巻に5月23日午後2時前に着きました。 賢治は、詩「つめたい海の水銀が」「夏」を書きました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103240000/ 5月18日夜から23日午後まで、6日間、車中泊2回(花巻青森間、函館小樽間)、宿泊2回(札幌、苫小牧)、船中泊1回(室蘭青森間)の強行軍でした。 #宮沢賢治 #修学旅行 #稗貫農学校 #花巻農学校 #農業教育
2021.03.29
コメント(0)

前回は、修学旅行3~4日目の札幌についてまとめました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103270000/ 今回は4~5日目の苫小牧、白老をまとめます。 一行は、5月21日午後4時すぎ札幌駅発の列車で苫小牧に向かいました。 車窓から北海道の農家住宅をみて、賢治先生は農家住宅の改善について考えました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103180000/ また農村景観を改善するには美しい樹木を植える必要があると考えました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103190000/ 午後6時ごろ岩見沢駅で乗り換え、午後8時に苫小牧駅に着きました。一行は、駅前旅館富士館に入りました。賢治は、詩「牛」を書きました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103210000/ 一行は、翌日、5月22日に王子製紙苫小牧工場、白老アイヌ集落を見学しました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103220000/ 5月22日夕方、室蘭港から青森に向かいました。 次回は、室蘭から花巻に帰るまで、旅行5~6日目のまとめです。 #宮沢賢治 #修学旅行 #稗貫農学校 #花巻農学校 #苫小牧 #白老 #アイヌ #室蘭
2021.03.28
コメント(0)

前回は、修学旅行3日目の小樽をまとめました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103260000/ 今回は、賢治先生の北海道修学旅行まとめ第3回、旅行3~4日目の札幌です。 2日前の1924(大正13)5月18日夜、花巻を出発した一行31名は、鉄道と青函連絡船を乗り継いで函館、小樽を見学しながら車中泊2回、出発から約40時間後、5月20日午後1時40分に札幌駅に着きました。 一行は北大植物園を見学。生徒たちは美しい芝生と樹木に感激し、故郷にもこんなに素晴らしい緑地を作りたいと叫びました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102280000/ 札幌駅近くの山形屋旅館から夜の札幌見物にでかけます。「「ビュウティフル サッポロ」の真価は夜に入りて更に発揮せられたり。」と賢治先生は感激を記しました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103030000/ 翌5月21日はビール工場見学です。賢治先生の農業発展のための文明論がほとばしります。校長先生が理解のある人でよかったと思います。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103070000/ 製麻工場を見学したあと、北海道帝国大学に行きました。大学総長みずからお菓子と牛乳で大歓迎してくれました。総長は花巻出身でした。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103100000/ 北大の温室では、花巻の温泉でもおなじような温室栽培ができないか、生徒に考えさせました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103120000/ 次に中島公園の殖民館(拓殖館)に向かい開拓の歴史を学びました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103140000/ また、北海道の農産物加工に学んで、花巻の温泉の新たなお土産品開発ができないか、生徒に考えさせました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103160000/ 中島公園から札幌駅に向かう途中、石灰工場を見ました。北上山地を砕いて、石灰岩で農地を改良したいと賢治は書きました。晩年に石灰工場技師となる伏線が張られました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103170000/ 一行は、札幌駅午後4時過ぎの列車で、苫小牧に向かいました。 #宮沢賢治 #修学旅行 #稗貫農学校 #花巻農学校 #札幌 #植物園 #中島公園 #ビール工場 #北大 #北海道大学 #石灰 次回はまとめ4回目、旅行4~5日目の苫小牧周辺です。 #宮沢賢治 #稗貫農学校 #花巻農学校 #修学旅行 #農業教育
2021.03.27
コメント(0)

前回は、花巻から函館まで修学旅行1~2日目をまとめました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103250000/ 今回は、賢治先生の北海道修学旅行まとめ第2回、旅行3日目の小樽です。 2日前の1924(大正13)5月18日夜、花巻を出発した一行31名は、鉄道と青函連絡船を乗り継いで車中泊2回、出発から約35時間後、5月20日午前9時小樽駅に着きました。 小樽高等商業学校(現 国立小樽商科大学)を見学します。 模擬取引の実習室を見学しました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102220000/ 小樽高商は、科学と商業の融合を研究教育方針としていました。 科学と、農業、文化、宗教の融合を考えた賢治には、共感するところが大きかったかもしれません。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102230000/ 一行は、小樽公園で休憩と見学をしました。公園のバナナの値段も教材です。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102250000/ 一行は、5月20日昼12時33分小樽駅発の札幌行き列車に乗ります。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102260000/ 次回はまとめ3回目、旅行3~4日目の札幌です。 #宮沢賢治 #稗貫農学校 #花巻農学校 #修学旅行 #農業教育 #小樽 #小樽高商 #小樽商科大学
2021.03.26
コメント(0)

賢治先生の北海道修学旅行の連載を36回まで書きました。多くの方に見ていただき、ありがとうございました。 たいへん長くなってしまいましたので、今回から、数回のまとめを書きます。 花巻農学校の教師だった宮沢賢治は、1924(大正13)年5月18日から、5泊6日の北海道への修学旅行を引率しました。 行き先は、函館、小樽、札幌、苫小牧、白老、室蘭でした。 出張報告書である復命書のうち、小樽、札幌、苫小牧の部分が現存しています。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行は、教師2名(宮沢賢治、白藤慈秀)、保護者3名、生徒(二年生)26名の計31名でした。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102160000/ 残念ながら二年生全員が参加できたわけではなく、8名ほどが欠席しました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102170000/ 一行は、5月18日午後8時59分花巻駅発の青森行き夜行列車に乗り、車中泊して、翌日5月19日午前7時55分発の青函連絡船に乗り、昼の12時55分に函館に着きました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102200000/ 賢治は船上で詩「津軽海峡」を作りました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102190001/ 函館では、リン酸肥料を作っている大日本人造肥料株式会社函館工場を見学しました。古い製造法の工場のせいか、賢治の反応は薄いものでした。 むしろ、函館公園の花見の情景に心をひかれ、詩「函館港春夜光景」を書きました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102200001/ 5月19日午後11時15分函館駅発の夜行列車に乗り、小樽へ向かいました。花巻駅を出発してから約27時間、2回目の車中泊です。一度も宿には泊まっていません。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102210000/ 次回は、まとめ2回目です。修学旅行3日目の小樽です。科学と商業の融合、小樽高商などを見学します。 #宮沢賢治 #花巻農学校 #稗貫農学校 #青函連絡船 #函館
2021.03.25
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。札幌では20日と21日に、北大植物園、北海道帝国大学などを見学し、21日夜に苫小牧に到着。22日は室蘭から青森行きの客船に乗りました。 賢治先生の北海道修学旅行 35 室蘭から青森へ 2021.03.23 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103230000/ 一行は、1924(大正13)年5月23日午前4時20分、室蘭からの客船で青森港に着きました。 賢治は、青森近くの海を見ながら、詩「冷たい海の水銀が」を書いたとみられます。 (本文開始) 一三三 一九二四、五、二三、 つめたい海の水銀が 無数かゞやく鉄針を 水平線に並行にうかべ ことにも繁く島の左右に集めれば 島は霞んだ気層の底に ひとつの硅化花園をつくる 銅緑(カパーグリン)の色丹松や 緑礬いろのとどまつねずこ また水際には鮮らな銅で被はれた 巨きな枯れたいたやもあって 風のながれとねむりによって みんないっしょに酸化されまた還元される (本文終了) 青森駅発午前6時15分の東北本線上り列車に乗り、約7時間半後の午後1時49分に花巻駅に着きました。 5月18日夜から23日午後まで、6日間、車中泊2回(花巻青森間、函館小樽間)、宿泊2回(札幌、苫小牧)、船中泊1回(室蘭青森間)の強行軍でした。 たいへん疲れたと思います。 しかし、27才の若い賢治は、花巻でその日に詩「夏」を書いています。 (本文開始) 一三九 夏 一九二四、五、二三、 木の芽が油緑や喪神青にほころび あちこち四角な山畑には 桐が睡たく咲きだせば こどもをせをったかみさんたちが 毘沙門天にたてまつる 赤や黄いろの幡をもち きみかげさうの空谷や だゞれたやうに鳥のなく いくつもの緩(ゆる)い峠を越える (本文終了) 復命書で賢治先生は、こう書きました。「若し生徒等この旅を終へて郷に帰るの日新に欧米の観光客の心地を以てその山川に臨まんか孰れかかの懐かしき広重北斎古版画の一片に非らんや。」 旅によって、ふるさとの景色を新たな気持ちで見て感じることができる、ということだと思います。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103190000/ 旅を終えて気持ちを新たに故郷の風景に向き合ったのは、生徒たちだけではなく、賢治先生も同じだったようです。 今回で36回にわたる北海道修学旅行復命書の読み解きは、一応終了です。 次回からは、少しまとめを書きます。 #宮沢賢治 #修学旅行 #稗貫農学校 #花巻農学校 #つめたい海の水銀が #夏
2021.03.24
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。札幌では20日と21日に、北大植物園、北海道帝国大学などを見学し、21日夜に苫小牧に到着。22日は苫小牧の製紙工場、白老のアイヌ集落を見学、室蘭から青森行きの客船に乗りました。 賢治先生の北海道修学旅行 34 苫小牧製紙工場、白老アイヌ集落 2021.03.22 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103220000/ 一行は、1924(大正13)年5月22日午後5時室蘭港発、青森行きの客船に乗りました。青森着は午前4時すぎの船中泊でした。 賢治は、客船で「船首マストの上に来て」という詩を書いています。 (本文開始) 船首マストの上に来て あるひはくらくひるがへる 煙とつはきれいなかげらふを吐き そのへりにはあかつきの星もゆすれる ……船員たちはいきなり飛んできて 足で鶏の籠をころがす 鶏はむちゃくちゃに鳴き 一人は籠に手を入れて 奇術のやうに卵をひとつとりだした…… さあいまけむりはにはかに黒くなり ウヰンチは湯気を吐き 馬はせはしく動揺する うすくなった月はまた煙のなかにつゝまれ 水は鴇いろの絹になる 東は燃え出し その灼けた鋼粉の雲の中から きよめられてあたらしいねがひが湧く それはある形をした巻層雲だ ……島は鶏頭の花に変り 水は朝の審判を受ける…… 港は近く水は鉛になってゐる わたくしはあたらしく marriage を終へた海に いまいちどわたくしのたましひを投げ わたくしのまことをちかひ 三十名のわたくしの生徒たちと けさはやく汽車に乗らうとする 水があんな朱金の波をたゝむのは 海がそれを受けとった証拠だ ……かもめの黒と白との縞…… 空もすっかり爽かな苹果青になり 旧教主の月はしらじらかゝる かもめは針のやうに啼いてすぎ 発動機の音や青い朝の火や ……みんながはしけでわたるとき 馬はちがった方向から べつべつに陸にうつされる…… (本文終了) 詩は創作ですから、どのくらい現実を反映しているか、わかりませんが、馬やニワトリも乗った、にぎやかな船だったようです。 青森室蘭航路は、当時、北日本汽船株式会社が運航していました。 北日本汽船は、大阪商船の関連会社で、青森、北海道、樺太(現 サハリン)を結んでいました。画像は航路の絵はがきです。 一行がどの船に乗ったかわかりませんが、画像は北日本汽船の三国丸の絵はがきです。 絵はがきの画像は、下記からダウンロードしました。 函館市中央図書館デジタル資料館 http://archives.c.fun.ac.jp/ #宮沢賢治 #修学旅行 #稗貫農学校 #花巻農学校 #室蘭 #青森 #北日本汽船 #船首マストの上に来て
2021.03.23
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。札幌では20日と21日に、北大植物園、中島公園、北海道帝国大学などを見学し、21日夜に苫小牧に到着、駅前旅館富士館に宿泊しました。 前回は苫小牧までの車中で北海道と東北の農村景観について考えました。 賢治先生の北海道修学旅行 33 岩見沢、苫小牧の旅情 2021.03.21 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103210000/ 駅前旅館富士館を出発した一行は、1924(大正13)年5月22日午前、王子製紙苫小牧工場を見学しました。当時、東洋一の製紙工場で、現在でも新聞紙製造では世界一の大きな工場です。 賢治は、前年の1923(大正12)年に、同じ王子製紙の樺太(現在のサハリン)の分社と工場に出張しています。生徒の就職の依頼が目的でした。苫小牧での見学も、生徒の就職も目的のひとつだったのかもしれません。 次に白老のアイヌ集落を見学しました。 賢治は、10年前の盛岡中学校の修学旅行でも生徒として白老を見学しています。今回の修学旅行出発前にアイヌが登場する詩も書いています。 賢治先生の北海道修学旅行3 出発当日 2021.02.18 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102180000/ 賢治先生なら、アイヌの狩猟採集農耕文化と、東北の農村との比較文化論を熱く展開しそうな気がします。残念ながら、5月22日の復命書は現存していません。 画像は札幌市中央図書館デジタルライブラリーより白老の絵はがきです。 http://gazo.library.city.sapporo.jp/shiryouInfo/shiryouInfo.php?listId=5&recId=104208 一行は、午後3時まえの白老発の列車に乗って、室蘭に午後4時ごろに着きました。室蘭港を午後5時発の客船に乗り、船中泊で青森に向かいました。 賢治先生の北海道修学旅行 35 室蘭から青森へ 2021.03.23 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103230000/ #宮沢賢治 #修学旅行 #稗貫農学校 #花巻農学校 #苫小牧 #白老 #アイヌ #室蘭
2021.03.22
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。駅前に宿泊。札幌では北大植物園、中島公園、北海道帝国大学などを見学し、札幌駅21日午後4時すぎの列車で苫小牧に向かっています。 前回、賢治先生は、ドイツトウヒやオニゲシを植えることで、暗い東北の農村景観を明るくしたい、と書きました。 賢治先生の北海道修学旅行 32 田園を平和にするもの 2021.03.20 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103200000/ 今回は車窓の風景が賢治先生の旅情をかきたてます。 (引用開始) 岩見沢を過ぎて夕日白樺と柏との彼方に没す。この附近好摩滝沢辺に似たり。 (引用終了) 函館本線で岩見沢駅に着いた一行は、室蘭本線に乗り換え、午後6時前の列車で苫小牧に向かいました。 車窓からは、シラカバとカシワの林に夕日が沈む景色を見ました。シラカバはもちろん北海道に多い木ですが、カシワも海岸林などによく植えられているそうです。北海道らしい雄大な景色だったと思います。 好摩駅、滝沢駅は、盛岡駅から10~20kmほど北にある、東北本線の駅です。標高は盛岡とあまりかわりませんが、北海道の岩見沢付近の景色と似ていると、賢治先生は書いています。 (引用開始) 新墾の畑に焼土法を行へるものあり。その煙青く漂ひて旅愁転た深し。 (引用終了) 焼土法は、火入れともいわれ、原野の草や木を焼いて開墾する、縄文時代以来の伝統ある農業の方法です。 (引用開始) 苫小牧に近く遙に樽前火山を望む。噴煙ありと云ひ又雲なりと争ふ。薄明既に青くして孰れとも定め難し。 (引用終了) 苫小牧に近付いて樽前山が見えてきました。前年の1923(大正13)年8月には水蒸気噴火で負傷者も出している活発な火山です。噴煙か雲か生徒たちは論争となったようです。 画像はWikipediaより樽前山。 (引用開始) 八時苫小牧に着、駅前富士館に投ず。パルプ工場の煙赤く空を焦し、遠く濤声あり。 (引用終了) 午後8時に苫小牧駅に着き、駅前旅館富士館に宿泊しました。富士館は当時、苫小牧で一番大きな旅館だったようです。1977(昭和52)年の駅前再開発で取り壊され現在は残念ながらありませんが、道路には跡地のプレートが埋められ賢治と苫小牧の縁を伝えているそうです。 苫小牧再発見! 第20回宮沢賢治と苫小牧 http://www.city.tomakomai.hokkaido.jp/files/00003600/00003698/saihakken.pdf 賢治は、この日、詩「牛」を書きました。 (本文開始) 牛 一九二四、五、二二、 一ぴきのエーシャ牛が 草と地靄に角をこすってあそんでゐる うしろではパルプ工場の火照りが 夜なかの雲を焦がしてゐるし 低い砂丘の向ふでは 海がどんどん叩いてゐる しかもじつに掬っても呑めさうな 黄銅いろの月あかりなので 牛はやっぱり機嫌よく こんどは角で柵を叩いてあそんでゐる (本文終了) 残念ながら復命書は、ここまでしか現存していません。 次回、一行は、5月23日、苫小牧のパルプ工場、白老のアイヌ集落、を見学し、室蘭から青森行きの客船に乗ります。 賢治先生の北海道修学旅行 34 苫小牧製紙工場、白老アイヌ集落 2021.03.22 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103220000/ #宮沢賢治 #修学旅行 #稗貫農学校 #花巻農学校 #札幌 #車窓 #農村景観 #苫小牧 #岩見沢
2021.03.21
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。北大植物園、中島公園を見学、札幌駅前の山形屋旅館に宿泊。21日はビール工場、製麻工場、北海道帝国大学、中島公園の植民館(拓殖館)を見学し、札幌駅午後4時すぎの列車で苫小牧に向かっています。 前回は車窓から見たカラマツやドイツトウヒに生徒たちが大喜びしました。旅行によって故郷の景色も新鮮に見ることができるだろうと、賢治先生はいいました。 賢治先生の北海道修学旅行 31 札幌発 車窓から林を眺める https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103190000/ (引用開始) じつに修練斯の如くならざるよりは田園の風と光とはその余りに鈍重なる労働の辛苦によりて影を失ひ、農業は傍観して神聖に自ら行ひて苦痛なる一のskimmed milkたるに過ぎず。 (引用終了) 修学旅行で景色の新たな見方を身につけるような修練をしなければ、農業労働の苦しさの中で、田園の美しさを感じとることができなくなってしまう、ということでしょう。現在のスキムミルクは、それなりに美味しいものですが、当時の脱脂粉乳は相当不味かったようです。苦しい農業労働、修行のたとえとして使われています。 (引用開始) 且つや北海道の風景、その配合の純 調和の単 容易に之を知り得べきに対し、郷土古き陸奥の景象の如何に複雑に理解に難きや、暗くして深き赤松の並木と林、樹神を祀れる多くの古杉、楊柳と赤楊との群落、大なる藁屋根 檜の垣根、その配合余りに暗くして錯綜せり。 (引用終了) わかりやすい北海道の田園美にたいして、東北の農村は複雑で暗くて理解しにくい、といいます。 (引用開始) 而して之を救ふもの僅に各戸白樺の数幹、正形の独乙唐檜、閃めくやまならし赤き鬼芥子の一群等にて足れり。寔に田園を平和にするもの樹に超ゆるなし。 (引用終了) しかし、東北の農村でも白樺、ドイツトウヒ、ヤマナラシ、オニゲシを植えれば、景色がぐっと明るくなる、ということでしょう。 まことに田園を平和にするものは、樹木以上のものはない、といいます。 ヤマナラシはポプラに似た樹木です。 写真はWikipediaより。 次回、賢治は岩見沢、苫小牧の景色に旅情をかきたてられ、詩「牛」を書きます。 賢治先生の北海道修学旅行 33 岩見沢、苫小牧の旅情 2021.03.21 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103210000/ #宮沢賢治 #修学旅行 #稗貫農学校 #花巻農学校 #札幌 #車窓 #農村景観 #ドイツトウヒ #ヤマナラシ #オニゲシ
2021.03.20
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。北大植物園、中島公園を見学、札幌駅前の山形屋旅館に宿泊。21日はビール工場、製麻工場、北海道帝国大学、中島公園の植民館(拓殖館)を見学し、札幌駅午後4時すぎの列車で苫小牧に向かいました。 前回は車窓から見た、農家住宅改善についての考察でした。 賢治先生の北海道修学旅行 30 車窓から農家住宅を考える 2021.03.18 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103180000/ (引用開始) 車窓石狩川を見、次で落葉松と独乙唐檜との林地に入る。生徒等屡々風景を賞す。 (引用終了) 列車の窓からは、石狩川が見えました。次に列車は、カラマツとドイツトウヒの林の中を走ります。北海道らしい景色に生徒たちはたびたび歓声をあげて喜んだことでしょう。 カラマツは岩手県にも多い樹木ですが、線路沿いに広大に広がる林地は、北海道らしさを感じさせます。 ドイツトウヒは、前日に札幌の植物園でも生徒を感動させました。 賢治先生の北海道修学旅行13 北大植物園の芝生に感激する生徒たち 2021.02.28 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102280000/ 画像は線路沿いではありませんが、札幌市郊外の道路沿いの針葉樹の絵はがきです。 札幌市中央図書館デジタルライブラリーより http://gazo.library.city.sapporo.jp/ (引用開始) 蓋し旅中は心緒新鮮にして実際と離るゝが故に審美容易に行はるゝなり。 (引用終了) 旅行をすると、わずらわしい現実から離れて精神状態が新鮮になり、美醜を見分けて素直に美を感じとる心がうまれるようです。 (引用開始) 若し生徒等この旅を終へて郷に帰るの日新に欧米の観光客の心地を以てその山川に臨まんか孰れかかの懐かしき広重北斎古版画の一片に非らんや。 (引用終了) 生徒たちが修学旅行を終えて、故郷に帰ったら、まるで日本を訪れた欧米の観光客のように新鮮な気持ちで故郷の自然を感じることができる、と賢治先生はいいます。歌川広重や葛飾北斎の懐かしい版画のように感じるだろうと、いいます。 次回は農村景観改善のため、どんな樹木を植えたらいいか、賢治先生が考えます。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103200000/ #宮沢賢治 #修学旅行 #稗貫農学校 #花巻農学校 #札幌 #車窓 #カラマツ #ドイツトウヒ
2021.03.19
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。北大植物園、中島公園を見学、札幌駅前の山形屋旅館に宿泊。21日はビール工場、製麻工場、北海道帝国大学、中島公園の植民館(拓殖館)を見学し、札幌駅午後4時すぎの列車で苫小牧に向かいました。 (引用開始) 車窓見る処苗代稲苗漸く伸び直播又今正に行はる。 (引用終了) 現在の5月21日ごろの札幌周辺では田植えの時期ですが、大正時代当時はビニールハウスもないので、まだ育苗中だったようです。いっぽう、直播栽培は種まきの真っ最中だったようです。当時の北海道では、田植え時の寒冷害を受けない直播栽培が盛んだったようです。 (引用開始) 本道独特の散点状村落並にその家屋の構造多少移住者の郷土を示すものあるを見る。 (引用終了) 農家一軒一軒が、離れて建っている散村は、岩手県の奥州市や、富山平野などにも見られます。しかし、北海道では、一軒一軒がさらに遠いうえに、集落の間も遠く、独特の印象を賢治に与えたようです。 北海道入植者の農家住宅の構造は、出身地の影響を多少受けているようだ、賢治はいいます。 例えば、北海道には内厩といって馬小屋が農家住宅と一体化している構造が見られるようですが、岩手県の南部曲がり家との関連があるのかもしれません。 (引用開始) 而もその近時の築成に斯るものクレオソートを塗れる粗板二色の亜鉛版を用ひて風致津々たるあり。 (引用終了) 防腐剤のクレオソートを塗った板壁に、二色のカラートタンの屋根の農家住宅でしょうか。 現代人からみると、茅葺き屋根に土壁のほうが風情があると思ったりします。しかし、明治以前の農家住宅は通風、採光が悪く、特に農家の主婦の家事の負担が大きかったといわれています。板壁のほうが窓も設置しやすく、採光、通風が良いということなのでしょう。 (引用開始) 早く我等が郷土新進の農村建築家を迎へ、従来の不経済にして陰鬱、採光通風一も佳なるなき住居をその破朽と共に葬らしめよ。 (引用終了) 「破朽と共に葬らしめよ」とは、ずいぶん強い表現です。それだけ昔の農家住宅は暮らしにくく、賢治は生活改善を望んでいたのでしょう。 参考資料 1925 - 1935年の『家の光 』にみる農村住生活改善(久保加津代) https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhej1987/55/4/55_4_325/_pdf 次回は賢治先生が、農村景観などについて考察します。 賢治先生の北海道修学旅行 31 札幌発車窓から林を眺める https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103190000/ #宮沢賢治 #修学旅行 #稗貫農学校 #花巻農学校 #札幌
2021.03.18
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。北大植物園、中島公園を見学、札幌駅前の山形屋旅館に宿泊。21日はビール工場、製麻工場、北海道帝国大学、中島公園の植民館(拓殖館)を見学しました。 楽しく有意義だった札幌見学も終わりに近づきました。中島公園植民館(拓殖館)から札幌駅に向かう途中に、石灰工場に関する重要な記述があります。晩年、賢治が石灰工場で働くことになる伏線といえます。 (引用開始) 植民館を辞し停車場に向ふ。 途中北海道石灰会社石灰岩抹を販るあり。これ酸性土壌地改良唯一の物なり。米国之を用ふる既に年あり。内地未だ之を製せず。早くかの北上山地の一角を砕き来りて我が荒涼たる洪積不良土に施与し草地に自らなるクローバーとチモシイとの波を作り耕地に油々漸々たる禾穀を成ぜん。 四時三分案内の大学生二氏に行進歌を以て謝意を表し札幌を発し車中苫小牧に至る。 (引用終了) 中島公園から札幌駅に向かう途中で、石灰工場を見たようです。 画像は、札幌市中央図書館ホームページからダウンロードした、「札幌市大地図」(大正9年)です。南の中島公園から北の停車場(札幌駅)のあいだに石灰工場は残念ながら記載されていませんでした。 どんな工場がどこにあったのか、今後調べてみたいと思います。 「石灰岩抹」が「酸性土壌改良唯一の物」は少し大げさです。当時の日本では、酸性土壌改良には消石灰(水酸化カルシウム)が主に使われていました。消石灰は効き目が早い長所がありますが、値段が高く、アルカリ性が強く散布時に失明の危険がありました。石灰岩抹(炭酸カルシウム)は、効き目はゆっくりですが長く、値段が安く、安全です。 アメリカで石灰岩抹を酸性土壌改良に使っていることは、恩師の関豊太郎から聴いていたのだと思います。 まさに、北上山地から石灰岩を採掘して、粉砕して炭酸カルシウム肥料にする工場で、晩年の賢治は働くことになります。 岩手県の洪積台地の酸性不良土壌を、クローバーやチモシーの豊かな草地にしたいという夢をかたっています。乳牛や肉牛の産地にしたいと考えたのでしょう。 また、耕地でぴかぴかつやつやできれいに揃った(油々漸々たる)禾穀を栽培したいと、いっています。禾穀(かこく)は、水稲、小麦、大麦など、イネ科の穀物全般を指すことばです。台地は水の不便なところですから、水稲よりも麦類、特に酸性に弱い大麦を、賢治は念頭においていたと思います。 また、「油々漸々」(ゆゆぜんぜん)は、大麦の葉がぴかぴかで、穂が揃って伸びていることを誉める古代中国の表現です。紀元前12世紀ごろの殷王朝時代の箕子(きし)が詠んだ詩が起源のようです。 麥秀歌「麥秀漸漸兮、禾黍油油。彼狡僮兮、不與我好兮。」 「麦の穂秀でて漸々たり、禾黍の葉光て油々たり。かの狡童、われと好からず。」 案内してくれた北海道帝国大学の学生二人に行進歌を歌ってお礼をします。 賢治先生が作詞などをして、生徒に愛された行進歌といえば、「黎明(れいめい)行進歌」「角礫(かくれき)行進歌」「バナナン大将の行進歌」があります。バナナンはなさそうなので、黎明か角礫だと思います。 #宮沢賢治 #修学旅行 #稗貫農学校 #花巻農学校 #札幌
2021.03.17
コメント(0)
![]()
宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。北大植物園、中島公園を見学、札幌駅前の山形屋旅館に宿泊。21日午前はビール工場、製麻工場、北海道帝国大学を見学、電車で中島公園の殖民館に向かい、開拓の歴史を模型で学びました。次に二階で農具と物産を見学します。 (引用開始) 階上にては各種本道内に用ひらるゝ農具陳列せらる。これ殆んど日本各地の旧農具の集成なり。 (引用終了) 2階で北海道の農具を見学しました。現代ですと、本州ではめったに見ないような大型トラクターなどが、北海道では使われています。この当時でも、アメリカやヨーロッパの大型の農具なども使われていたはずです。残念ながら、展示は本州などからの古い農具だったようです。 (引用開始) 他に本道物産を陳列するあり。 中に諸種農産製造品及所謂名物に関して町出身の生徒に注意す。蓋し花巻に独創的産物なく然も近時温泉地方の発達に伴ひてその需要大なるものあればなり。西伯利亜風の蜜漬の胡桃、みづの辛子漬、菊芋の富錦など製造さへ成らば販路更に大ならんのみ。 (引用終了) 当時、花巻温泉では温泉リゾート開発が進んでいました。賢治自身は父親を含む資本家によるリゾート開発には、やや批判的だったようです。数年後に自分も温泉の花壇の設計に協力しながら納得できない気持ちで「悪意」という少し意地悪な詩を書いています。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103150000/ また、ここで農産物加工について生徒たちに教育しています。温泉リゾート開発にあわせてお土産品の新商品開発とは、商人の息子らしい賢治の一面がみられます。 シベリア風の蜜漬けのクルミ。クルミは花巻でも採れる農林産物です。寒いロシアではカロリーが必要なせいか、蜂蜜漬けやシロップ漬けがよく作られているようです。ベリー類などの果物のほか、松ぼっくりまで蜜漬けにして食べるようです。 ミズのカラシ漬け。ミズは花巻でも採れる山菜です。ウワバミソウとも言われる初夏の味覚です。漬物にすれば保存ができます。 下記はミズの楽天アフィリエイトです。 天然山菜 みず( ミズ 赤みず うわばみそう)1kg初夏の味覚 山の幸 採りたて新鮮山菜を産地直送 香り高く甘くみずみずしいシャキシャキ歯触りが人気の秘密 お浸し 山菜蕎麦 焚き物 浅漬 日本に生まれて幸せ 2021年6月15日頃からご注文受付順にお届け価格:2100円(税込、送料別) (2021/3/16時点)楽天で購入 どちらも確かに花巻のお土産によいかもしれません。 菊芋の富錦。富錦とは米に混ぜて炊く、粒状の食品です。寒冷地のため米不足だった当時の北海道では主にジャガイモの富錦が良く食べられていたようです。ここではキクイモを原料にしています。キクイモはカロリーが低く食物繊維が多いため、むしろ現代人に人気が出そうです。カロリーを取りすぎな当時の都会からの観光客にもいいかもしれません。 楽しく有意義だった札幌での見学もまもなく終わります。 #宮沢賢治 #修学旅行 #稗貫農学校 #花巻農学校 #札幌 #中島公園 #拓殖館 #温泉 #土産
2021.03.16
コメント(0)

花巻温泉のリゾート開発には、父親などの資本家が参加していました。農学校教師を退職して羅須地人協会を主宰していた賢治も花壇の設計で協力しています。教え子が花巻温泉株式会社園芸部で働いていたので応援したい気持ちがあったのでしょう。 しかし、賢治は、農村が不況にあえぐなかでの、資本家による温泉リゾート開発そのものには批判的で、こんな意地の悪い詩を書いています。 アンテリナムはいわゆる金魚草です。 ハーデイフロックスは、いわゆるオイランソウ、クサキョウチクトウのようです。 画像はいずれもWikipediaから、です。 (本文開始) 悪意 一九二七、四、八、 夜のあひだに吹き寄せられた黒雲が、 山地を登る日に焼けて、 凄まじくも暗い朝になった 今日の遊園地の設計には、 あの悪魔ふうした雲のへりの、 鼠と赤をつかってやらう、 口をひらいた魚のかたちのアンテリナムか いやしいハーデイフロックス さういふものを使ってやらう 食ふものもないこの県で 百万からの金も入れ 結局魔窟を拵えあげる、 そこにはふさふ色調である (本文終了) #宮沢賢治 #花巻温泉 #花壇 #遊園地 #悪意
2021.03.15
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。北大植物園、中島公園を見学、札幌駅前の山形屋旅館に宿泊。21日午前はビール工場、製麻工場、北海道帝国大学を見学、電車で中島公園の殖民館に向かいました。 賢治のいう殖民館は、いわゆる拓殖館のことと思われます。 1918(大正7)年に、中島公園で開道50周年記念北海道博覧会が開催され、そのときのパビリオンが残されて、当時、拓殖館になり北海道開拓の歴史を展示していました。旧拓殖館は警察本部などとして使用されたあと1979(昭和54)年に取り壊され、現在はありません。 (引用開始) 直ちに電車に乗じ中島公園の植民館に赴く。 中に開墾順序の模型あり。陰惨荒涼たる林野先づ開拓使庁官用によりて毎五町歩宛区画を設定せられ、当時内地敗残の移住民、各一戸宛此処に地を与へらる。 然も初め呆然として為すなく、技術者来り教ふるに及んで漸く起ちて斧刀を振ひ耒耜を把る。近隣互に相励まして耕稼を行ふ。 (引用終了) アイヌ等先住民からみれば、別の見方も当然ですが、内地(本土)からの開拓民の苦労にも頭が下がります。 耒耜(らいし)は鍬とスコップのことです。 岩手県からは1871(明治4)年に札幌近郊の花畔(ばんなぐろ)村(現 石狩市花畔)に39戸が開拓に入り、1874(明治7)年には旧盛岡藩士が琴似村(現 札幌市西区琴似)が屯田兵として配備されたそうです。戊辰戦争で敗れた「内地敗残の移住民」は岩手県から北海道へ4万戸以上が移り住んだそうです。 開拓における、技術者の役割を強調していることも、技術者賢治の気持ちとして注目されます。 (引用開始) 圃地次第に成り陽光漸く遍く交通開け学校起り遂に楽しき田園を形成するまで誰か涙なくして之を観るを得んや。 恐らくは本模型の生徒将来に及ぼす影響極めて大なるべし。 (引用終了) 大正当時の札幌近郊の進んだ農業・農村をみたあとだけに、明治初期の開拓の苦労が感じられたようです。岩手県民の入植は修学旅行当時からみて53年前ですから、今よりいっそう身近に感じられたことでしょう。 生徒への影響が大きかったと書いていますが、賢治自身への影響もあったかもしれません。賢治はこの2年後に農学校を退職し、羅須地人協会を設立します。そこでは新しい作物を栽培したり、音楽会を開いて、「楽しき田園」をめざしています。 (引用開始) 望むらくは本県亦物産館の中に理想的農民住居の模型数箇を備へ将来の農民に楽しく明るき田園を形成せしむるの目標を与へられんことを。 (引用終了) 岩手県物産館は、明治時代に作られた現在の岩手県立博物館の源流となる施設です。実は、修学旅行当時より前の1921(大正10)年に、国の指導により岩手県商品陳列所と改名されています。賢治は、趣きのある物産館という古い名前のほうが好きだったのでしょうか。 拓殖館の模型による教育効果を強く感じたようで、岩手県の社会教育施設でも農家住宅改良の模型展示を行うべきと主張しています。 #宮沢賢治 #修学旅行 #稗貫農学校 #花巻農学校 #札幌 #中島公園 #拓殖館
2021.03.14
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。北大植物園、中島公園を見学、札幌駅前の山形屋旅館に宿泊。21日午前はビール工場、製麻工場を見学、北海道帝国大学に向かい、花巻出身の佐藤北大総長の大歓迎を受けました。水産標本室、農学部温室を見学し、農場、畜舎、医学部に向かいます。 (引用開始) 農場未だ播種匆々にして見るべきなし。唯亜麻の連作跡地土色まで異れるあり。 去て畜舎に入る。牛はみな給飼搾乳新式の固定器によりて危険なく操作せらる。 次で医科教室に到る。医学諸標本解剖中の人体腹部等甚常識に資せり。 斯て大学を辞し農事試験場参観の予定なりしも時期未だ早く見学その効なきを以て直ちに電車に乗じ中島公園の植民館に赴く。 (引用終了) 残念ながら、5月の北海道は種まきをしたばかりで、農場はあまり見るものがなかったようです。 亜麻の連作をした畑で、土色が変わっていたとの記述があり、調べましたがよくわかりません。亜麻は、連作に弱い作物で、小麦や大豆などの畑作物との輪作で6~7年おきに作るのが望ましいようです。 畜舎では、牛が新式の固定器で固定されていて、エサをやったり、乳をしぼったりするときに、蹴られたり、踏まれたりする危険がなく、安全だと感心しています。 北大では、1918(大正7)年に牛舎を焼失して建て直した設計図が保管されていて、そこにはスタンチョンとの書き込みがあるそうですので、固定器とは、スタンチョンのことと思われます。 スタンチョンとは https://www.weblio.jp/content/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%B3 設計図は、中井和子氏ほか著「北海道帝国大学第一農場のギャンブレル屋根牛馬舎について」より なぜか医学部も見学して、人体標本を見たそうです。 このあと、農事試験場を見学する予定でしたが、大学農場と同じで種子をまいたばかりで見るものがないだろうと考えたのでしょうか、予定を変更します。電車で中島公園の殖民館に向かいます。 #宮沢賢治 #修学旅行 #稗貫農学校 #花巻農学校 #札幌 #北海道大学 #農場
2021.03.13
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。北大植物園、中島公園を見学、札幌駅前の山形屋旅館に宿泊。21日午前はビール工場、製麻工場を見学、北海道帝国大学に向かい、花巻出身の佐藤北大総長の大歓迎を受けました。 水産標本室のあとは農学部温室を見学します。 (引用開始) 次に農学部温室を視る。温室中桃実熟し蕃茄胡瓜花謝して既に盛夏の情あり。特に温泉地方出身の生徒に温度湿度等を注意せしむ。温泉を利用しグラスハウスを設け斯の種促成栽培を行ふこと浅虫の例もあればなり。 (引用終了) 農学部の温室では、5月の北海道だというのに、まるで真夏のように、桃の実が成り、トマトやキュウリの花が咲いている様子を見ました。 写真はイメージでフリー素材です。 特に温泉地方出身の生徒たちには、温度や湿度を注意してみるよう指導しました。青森県青森市浅虫温泉地区で、ガラス温室で野菜などの促成栽培をしている例を話し、岩手県の温泉でも応用を考えるように指導したものとみられます。 賢治の教え子で稗貫農学校第一期生、修学旅行の生徒たちの先輩の、冨手一(とみてはじめ)氏は、花巻温泉株式会社園芸部に就職し、温泉を活用した温室でバラなど園芸植物を栽培する仕事をしていました。そうしたことも賢治先生の念頭にあったと思います。 #宮沢賢治 #修学旅行 #稗貫農学校 #花巻農学校 #札幌 #北海道大学 #温泉 #温室
2021.03.12
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。北大植物園、中島公園を見学、札幌駅前の山形屋旅館に宿泊。21日午前はビール工場、製麻工場を見学したあと、北海道帝国大学に向かい、花巻出身の佐藤北大総長の大歓迎を受けました。 次に一行は大学内の施設を見学します。 (引用開始) 終て各学部を参観す。清楚なる芝生と黒き楡の間馬蹄形に配置せられたる教室中先づ水産標本室を見る。鯡の年齢を鱗の輪によって数ふる恰も家畜の年齢を歯によりて見分くるが如き、又養魚池に人造肥料を施与し燐酸の成績顕著なる恰も麦の圃場試験に類せる、又海水中数知らぬプランクトンの統計や模型等その土壌微生物との対照その他興趣甚深し。 (引用終了) また「清楚なる芝生」と芝生を誉めています。 水産標本室では、ニシンの年齢、養魚池へのリン酸肥料散布、プランクトンの研究成果を見学しました。「鰊」は良く使いますが「鯡」もニシンのことなのですね。 展示されている北大の水産学の研究成果と、農学校で教えている農学・畜産学との関連が、賢治先生の関心を引いたようです。 現代の農業技術は高度化、細分化が進んでいます。現代の農業技術者は細かな違いを観察することを心がけていて、分野の違うものの共通点に気づくことには、疎い傾向があるような気がします。水産学など近接する学問分野の研究成果と、農学の成果との共通点について、関心を持つ必要を感じました。 なお、明治時代の札幌農学校後期キャンパスの校舎である、旧昆虫学養蚕学教室が当時の位置に遺されているようで、当時の校舎の姿をしのぶことができるようです。写真はWikipediaより。 #宮沢賢治 #稗貫農学校 #花巻農学校 #修学旅行 #農業教育 #札幌 #北海道大学
2021.03.11
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。北大植物園、中島公園を見学、札幌駅前の山形屋旅館に宿泊。21日午前はビール工場、製麻工場を見学したあと、北海道帝国大学に向かいました。 (引用開始) 一行は午前十時半北海道帝国大学に至る。 門を入るや学生二名出迎へ講堂に案内す。此の日総長 旅行出発を延期して一行を待つ。蓋しその花巻出身なるによる。 (引用終了) 北海道帝国大学初代総長、佐藤昌介は、盛岡藩士の息子で、花巻出身でした。札幌農学校一期生でクラーク博士に学び、教授、校長、日本初の農学博士となり、札幌農学校を北海道帝国大学に昇格させた偉人でした。この年、1924(大正13)年6月に勲一等を受けるぐらい地位の高い人ですが、わざわざ旅行の出発を延期してまで、修学旅行一行を待っていてくれました。ふるさとを大事に思う人だったのでしょう。 写真はWikipediaより。 (引用開始) 即ち総長より生徒に対し一場の訓辞あり。 要旨まづ新開地と旧き農業地とに於る農業者の諸困難を比較し殊に后者に処して旧慣幣風を改良し日進の文明を摂取すること棒茨の未開地に当るよりも難く大なる覚悟と努力とを要する所以並に今日は大切なる農業の黎明期にして実に斯土を直ちに天上となし得るや否や岐れて存する処なりといふにあり。 (引用終了) 佐藤総長は生徒たちに訓辞をしました。 北海道の開拓にくらべて、むしろ本州のように古い習慣の残る地域のほうが、日進月歩の文明の成果を取り入れて農業を改良することが難しい、と佐藤総長はいったようです。いま、この大正時代は、新しい農業の夜明けの大切な時代であり、郷土を天国のような素晴らしい土地にできるか、どうかの分岐点だ、という話だったようです。 (引用開始) 引卒者は立ちて答辞を述べそれより学生食堂に於て菓子牛乳の饗を受く。牛乳甘美にして新鮮且つや勧の切なるまゝに恐らくは各人一立を超ゆるまで総長の好意を辞せざりしが如し。 (引用終了) 賢治先生は立ってお礼を述べました。 それから、学生食堂に案内されて、お菓子や牛乳のもてなしを受けました。大学の農場の新鮮な牛乳で、とても美味しかったのでしょう、すすめられるままに、ひとり1リットル以上飲んだようです。賢治先生も生徒たちも佐藤総長の好意に感激したようです。 次に一行は大学内の施設を見学します。 #宮沢賢治 #稗貫農学校 #花巻農学校 #修学旅行 #農業教育 #札幌
2021.03.10
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。北大植物園、中島公園を見学、札幌駅前の山形屋旅館に宿泊。21日午前はビール工場見学のあと、製麻工場に向かいました。 (引用開始) 社を辞して帝国製麻会社に行く。楼上に於て茶菓を饗せられ、標本によりて支店長の製麻業に関する講演あり。亜麻は北上準平原地開墾年初最好適なるもの本講演は甚生徒を利せり。 工場は恰も奇数日にて参観を絶対に許さず、切に明日との事なりしも日程の都合上之を辞し一行は午前十時半北海道帝国大学に至る。 (引用終了) 帝国製麻株式会社は、明治時代に消防ホースの初の国産化に成功した繊維製造業者で、現在は帝国繊維株式会社と名称を変更しています。現在も消防ホースや、シーツなどに使われるリネン(亜麻布)を製造しています。 http://www.teisen.co.jp/company/history.html 亜麻は明治時代にロシアから種子を取り寄せ、北海道で栽培が盛んになりました。 写真はWikipediaより。 賢治先生は、岩手県の北上山地の痩せた開拓地で、開墾の初めの年に亜麻を栽培することを考えたようです。 標本や支店長の講演は、有意義だったようです。 しかし、ここで賢治先生たちのミスが明らかになります。奇数日は工場見学ができない日だったのです。事前に確認しておくべきでした。 工場の方からは、ぜひ明日来てください、と言われます。しかし、日程上難しく諦めざるをえませんでした。 一行は、北海道帝国大学に向かいます。 #宮沢賢治 #稗貫農学校 #花巻農学校 #修学旅行 #農業教育 #札幌 #亜麻 #リネン #帝国繊維
2021.03.09
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。北大植物園、中島公園を見学、札幌駅前の山形屋旅館に宿泊し、21日午前はビール工場見学です。 瓶詰めの機械の流れ作業を見学した賢治先生は、工業にできることは、農業にもできるのだ、思えば、できるのだ、と訴えました。さらに、農家の窮状を救うべく論を進めます。 (引用開始) 夫、長方形密植機の如き太陽光線集中貯蔵の設備の如き成らんか今日の農民営々十一時間を労作し僅に食に充つるもの工業労働に比し数倍も楽しかるべき自然労働の中に於て之を享楽するの暇さへ無きもの将来の福祉極まり無からん。 (引用終了) 明治時代にまっすぐ正方形に田植えをする、正条正方形植えが普及しましたが、大正時代にはさらに太陽光の利用効率の高い正条長方形植えが、広がりました。 また、田植機の普及は戦後のことになりますが、大正時代にも、各地の農家が田植機の開発に取り組んでいました。工業のように農業も機械化できるのだと、賢治先生は述べているようです。田植機と土地の改良を組み合わせて、「太陽光線集中貯蔵の設備」というのは、なるほど物理学も得意だった賢治らしい、独特の表現だと思います。 農民が1日あたり11時間も働いても、わずかに家族が食べる分を少し上回る程度の収穫しかない、といいます。 また、本当は、建物の中の工業労働よりも、自然の中の農業労働のほうが数倍も楽しいのに、楽しさを味わう時間もないと、農家・農村の現状を嘆きます。 しかし、「長方形密植機」「太陽光線集中貯蔵設備」のような機械化ができれば、農業・農村・農民も将来、無限の福祉を手に入れることが可能なのだ、といいます。農業機械化に対する希望に溢れています。 (引用開始) 旧慣の善良を確守し勤労を習得せしむると共に之今日の農業の旧態に甘んぜしめざるを要す。麦芽製造室と本醗酵室は参観を遠慮せり。 (引用終了) 古い慣習の良いところはしっかり守り、良く働く態度を身につけることはよいことだが、それだけでなく、古いやりかたの悪いところに、生徒たちが安住してしまわないように教育する必要があると、賢治先生は言いたいようです。 時間の関係か、衛生上の問題か、麦芽製造室と本発酵室の見学は、遠慮したようです。 ビール工場見学を終え、次は麻の製造工場に向かいます。 ここで賢治先生は、ちょっとしたミスを犯してしまいます。 イラストは1898(明治31)年に宮崎県の農家、河野平五郎の発明した田植機特許第1号です。 #宮沢賢治 #稗貫農学校 #花巻農学校 #修学旅行 #農業教育 #札幌 #サッポロビール #札幌ファクトリー #ビール工場
2021.03.08
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後ついに、札幌に到着。北大植物園、夜の中島公園を見学。札幌駅前山形屋旅館に泊まり、5月21日午前はビール工場の見学です。現在の札幌ファクトリーと思われます。 (引用開始) 次に瓶詰工場を視る。古き麦酒瓶数十の一列河水の流るゝが如く機上を転じレッテルを剥離せられ磨洗水洗填充賦栓より新なるレッテルを得麦稈の衣を装ひ二打の木函に容めらるゝまでその巧妙なる機転驚嘆せざるなし。 (引用終了) ビールの瓶詰め作業を見学しました。古いビール瓶が川のように次々と流れ、洗われて、ビールを詰められていきます。その機械の流れ作業の見事さ、速さに一同は感心したようです。 しかし、単に機械の速さに感心するだけではありませんでした。賢治先生は工業と農業を比較した文明論、農村発展論を述べはじめます。「先生!これ学校に提出する出張報告書ですよ!」と言いたくなりますが、これが宮沢賢治です。 (引用開始) 然れども斯の如き今日の工業中にありては実に稚態茶飯事に過ぎず。大約人類の苟も思想する処何事か成ぜざらん。工業と云ひ農業と云ふ勢力と云ひ物質と呼ぶ何物か思想に非らんや。唯複雑にして征服し難き農業諸因子の中に於てその進歩容易ならざるのみなり。 (引用終了) ビールの瓶詰め機械は確かにすごいが、これぐらいは、科学の発達した大正時代の工業界では、子供の遊びか、日常茶飯事ていどのものに過ぎない、と突然、賢治先生の巨大な知性がヒートアップ(暴走?)します。 人類が思うことは必ず実現できる、と大正知識人賢治先生は高らかに宣言します。工業、農業、勢力、物質、これはすべて思想なのだ、思想だから人類が思うことは、実現できるのだ、といいます。 ただ、農業は、屋外で自然の力を使って行う産業なので、工業よりも複雑で、人類がまだ征服できないことが多いために、進歩が難しい。それでも、やはり人類が思うことは、工業と同じように農業でも実現できるのだ、といいたいのでしょう。 「勢力」は耳慣れない用法ですが、エネルギーという意味だと思います。宮沢賢治の詩「晴天恣意」(1924.3.25)に「白くまばゆい光と熱、電、磁、その他の勢力は アレニウスをば俟たずして たれか火輪をうたがはん」とあり、熱や電磁気のエネルギーを「勢力」と表現しているようです。 現代では、物質と思想は分けて考える人が多いと思いますが、賢治先生の考えでは、産業も、物質も、すべてが思想であるといいます。これは仏教の影響なのでしょうか。 写真は札幌ファクトリーのホームページです。 https://sapporofactory.jp/sp/shop/detail.php?id=146 #宮沢賢治 #稗貫農学校 #花巻農学校 #修学旅行 #農業教育 #札幌 #サッポロビール #札幌ファクトリー
2021.03.07
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。北大植物園、中島公園を見学、札幌駅前の山形屋旅館に宿泊しました。 5月21日午前はビール工場見学です。 (引用開始) 廿一日(札幌市、苫小牧、) 本日も亦快晴なり。七時半旅舎を発し 札幌麦酒会社に赴く。 案内によりて糖化室より参観す。糖化罐四、各六十石を容る。 麦芽汁スティームによりて六十二度に保たれ二過程に糖化せらる。次に機関室を経て寒冷なるセメントの廊を後醗酵室前に至り本醗酵を終れる液の並列せる小横樽中に貯せらるゝを見る。 (引用終了) 賢治先生たちが見学した札幌麦酒工場は、現在の札幌ファクトリーと思われます。現在はおしゃれなショッピングモールと、レトロなビール博物館、ビール販売所などになっていて、観光名所です。コロナ禍が終わったら、ぜひ行きたいところです。 https://www.sapporobeer.jp/brewery/sapporokaitakushi/ 賢治先生たちは、ビールの原料である、大麦の芽(麦芽)の酵素で、デンプンを糖にし、さらに酵母で発酵させて、アルコールをつくる工程を見学しました。 次回は、ビールのビン詰め工程を見学した賢治先生の巨大な知性が爆発、文明論、農村発展論に展開します! #宮沢賢治 #稗貫農学校 #花巻農学校 #修学旅行 #農業教育 #札幌 #サッポロビール #ビール工場 #札幌ファクトリー
2021.03.06
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後ついに、札幌に到着。北大植物園の美しさに感動しました。夜の札幌へ市内電車で出かけ、中島公園でボートに乗りました。 (引用開始) 端艇を下りてより公園音楽堂にて歌唄す。旅情甚切なり。去りて殷賑の場所狸小路の夜店を観る。九時半帰宿寝に就く。羇具よく備はり夢甚円かなり。 (引用終了) ボートを降りて、中島公園の音楽堂で歌を歌います。賢治先生作詞の「精神歌」や、作詞作曲の「応援歌」も歌ったことでしょう。 当時も繁華街だった狸小路を見学して、午後9時30分ごろ、札幌駅前山形屋旅館に着きました。出発から約48時間、布団で寝るのは久しぶりです。とてもよく寝られたようです。 写真は大正時代の狸小路の絵はがきです。 北海道らしい広い大きな通りに、たくさん商店が建ち並んでいます。生徒たちはきっと驚いたことでしょう。 #宮沢賢治 #稗貫農学校 #花巻農学校 #修学旅行 #農業教育 #札幌 #中島公園 #狸小路 #山形屋旅館
2021.03.05
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後ついに、札幌に到着。北大植物園の美しさに感動しました。夜の札幌へ市内電車で出かけ、中島公園でボートに乗ります。 (引用開始) 一行数組に分れて端艇を借る。生徒等みな初めてオールを把れるもの、当初各艇みな蛇行す。他に市の学生の艇を操るもの数あり、皆笑ひて之を避け敢て冷罵を為すものなし。生徒等之を平原気風に帰せるも統計未だ足らざるを虞る。 (引用終了) 初めてボートに乗った生徒たちは、まっすぐ漕ぐことができません。 札幌市内の学生たちのボートにぶつかりそうになりますが、札幌の学生たちは、笑いながら避けてくれました。 札幌のような広大な平原に住んでいる人は、心も広いのだなあ、と生徒たちは感動したようです。 いっぽう賢治先生は、たまたま寛大な人たちに出会ったのかもしれないし、サンプル数が少なくて統計学的に有意かどうかわからない、と思ったようです。 純朴な生徒たちと、科学者賢治先生の感じかたの違いが面白いです。 写真はWikipediaより中島公園です。 #宮沢賢治 #稗貫農学校 #花巻農学校 #修学旅行 #農業教育 #札幌 #中島公園
2021.03.04
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使って函館、小樽と見学しながら車中泊2日の強行軍で5月20日午後札幌に到着、北大植物園を見学し、夕方、札幌駅前山形屋旅館に入りました。 山形屋旅館についてはこちら https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102270000/ (引用開始) 夜は任意散策とせりしも結局職員に於て希望者を引卒することとなれり。白藤教諭は市内に講演約ありて之に赴く。一同は電車によりて中島公園に至る。途中の街路樹花壇星羅燈影等「ビュウティフル サッポロ」の真価は夜に入りて更に発揮せられたり。 (引用終了) 夜の札幌で16才前後の生徒たちが自由行動というのは、ずいぶん自由で大胆ないい企画だと思います。 しかし、賢治先生といっしょに行きたいと生徒たちが言い出します。ほほえましいと思います。なお、白藤先生は講演会を聴きに外出して別行動で、引率は賢治先生ひとりです。 賢治先生と生徒たちは、札幌駅前から市内電車に乗って中島公園に向かいます。途中の夜景が「ビュウティフル」で賢治たちは感動したようです。夜でも花壇に注目しているのも農学校教師賢治先生らしいところです。 写真はWikipediaより、1920(大正9)~1925(大正14)年に製造されていた名古屋電気鉄道1500型電車です。この時代の札幌市電は名古屋電気鉄道の中古車を購入していたようなので、推測にすぎませんが、この型の電車に乗ったのかもしれません。 #宮沢賢治 #稗貫農学校 #花巻農学校 #修学旅行 #農業教育 #札幌 #北海道大学 #植物園
2021.03.03
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後ついに、札幌に到着。北大植物園で芝生に感動したり、園内博物館でアイヌや植物の勉強をしたり、しています。 (引用開始) 本日は前二夜車中に在りて疲労せるを以て更に多くを企てず夕刻まで茲に止まれり。園丁よりローンモアを借りて交々芝生を刈りて遊びなどす。閉園に近く去りて道庁構内を通り旅館に帰る。 (引用終了) なにしろ花巻を出てから約40時間、車中泊2回、ですから疲れるのも当然です。無理に移動せず、北大植物園に留まるのは良い選択でしょう。 しかし、若い、27才の賢治先生と、16才前後の生徒たちは、なんと芝刈りをして遊びはじめます。 疲れているのに元気なことですね。列車の固い座席で凝り固まった体は運動したほうがほぐれるのかもしれませんが。 以前書いたとおり芝生に感激しただけに、自分たちの芝生を管理することを想像して、芝刈りもしたくなったのかもしれません。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102280000/ ローンモアー(lawn mower)は、やさしくいえば芝刈機です。手押し式芝刈機は、1830年イギリスで発明されました。 イラストはWikipediaから。 1900年代はじめにはガソリンエンジン式ローンモアーも発明されましたが、この時代にはまだまだ高価で特殊な機械でしたから、もし植物園にあっても部外者には触らせないでしょう。きっとイラストのような手押し式だったのではないかと想像しています。 植物園が閉園するまで遊んで、北海道庁の構内を通って、札幌駅前の山形屋旅館に向かいました。 次回、賢治先生と生徒たちは、夜の札幌に繰り出します。「ビュウティフル サッポロ」! #宮沢賢治 #稗貫農学校 #花巻農学校 #修学旅行 #農業教育 #札幌 #北海道大学 #植物園
2021.03.02
コメント(0)

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。 復命書はこちらです。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/ 一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使って函館、小樽と見学し、この間車中泊2日の強行軍です。5月20日午後1時40分ついに、札幌に到着。 北大植物園内の博物館を見学しました。 (引用開始) 先づ博物館に入る。道産の大なる羆熊の剥製生徒等の注意を集む。されど本博物館は特に鳥類標本完備せるを以て特にその部を観察せしむ。その多くは亦岩手県に産するものにして既に形状習性を知れるもの茲に初めて学名を得たるなど効果大なりき。 (引用終了) 植物園内の博物館で、最初に生徒の注意をひいたのはヒグマの剥製でした。 北海道と岩手県に共通する鳥の学名を知ったり、学習効果が高かったようです。 (引用開始) 階上のアイヌに関する標本並に札幌附近雑草の標本亦よき教材なり。後者は、しらねあふひ、ちごゆり、はくさんちどり等殆んど岩手山の二三合目の植物にして、実に之等二地が花巻と比較して年平均四度位低温なること及植物の垂直水平両分布を説明するものなり。芝生に出でて休息し更に観覧するものもあり。 (引用終了) ここで「アイヌ」「標本」とみると、北海道大学最大級の不祥事、いわゆる北大人骨事件を思い出します。 北大人骨事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%A4%A7%E4%BA%BA%E9%AA%A8%E4%BA%8B%E4%BB%B6 しかし、アイヌの墓を盗掘し違法に保管したた人骨事件は、文学部が中心で、人骨発見場所も古河記念講堂であり、植物園の博物館は、まず無関係と考えられます。 現在の展示のように、アイヌの衣類、儀礼用具、狩猟用具などを見学したのでしょう。写真は植物園のホームページです。 https://www.hokudai.ac.jp/fsc/bg/g_n_peoples.html また、植物標本は、岩手県の高山植物が、北海道の平地に生えていることがよくわかり、気温と植物の分布について勉強になったようです。 写真はWikipediaよりシラネアオイです。 #宮沢賢治 #稗貫農学校 #花巻農学校 #修学旅行 #農業教育 #札幌 #山形屋旅館 #植物園
2021.03.01
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1
![]()

