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1927(昭和2)年6月1日の宮沢賢治の作品です。 雨雲を黒く淫らな妖精たちに擬人化しています。また、県の技師による雨雲に対する宣言という形式をとっています。 賢治は県の技師ではありませんでした。農学校教師を退職し民間団体羅須地人協会を設立したところでした。 しかし、盛岡高等農林学校の同窓生には、県の技師が多くいました。また、彼らと賢治は農業技術について情報交換していました。 5月は雨雲によって日照不足だったようです。そのため、イネの苗が無駄に伸びすぎて弱くなったり、イモチ病にかかったり、してしまったようです。 今日は晴れの予報で、安心して峠を越えようとしていました。ところが、遠くの海のほうや、山の上に、雨雲がわきはじめて、技師は雨雲に対して怒りを表明したところのようです。 今も昔も農業は天候に左右されます。まして育苗ハウスも、イモチ病にきく殺菌剤もない時代ですし、また、峠を越えるのは自動車でなく、徒歩でしょうから、天候に対する怒りの気持ちは、今以上だったことでしょう。 (本文開始) 一〇七二 県技師の雲に対するステートメント 一九二七、六、一、 神話乃至は擬人的なる説述は 小官のはなはだ愧づるところではあるが 仮にしばらく上古歌人の立場に於て 黒く淫らな雨雲(ニムブス)に云ふ 小官はこの峠の上のうすびかりする浩気から またここを通る野ばらのかほりあるつめたい風から また山谷の凄まじくも青い刻鏤から 心塵身劬(く)ひとしくともに濯はうと 今日の出張日程に 辛くも得たる数頃を しかく貴重に立つのであるが そもそも黒い雨雲(ニムブス)よ おまへは却って小官に 異常な不安を持ち来し 謂はゞ殆んど古事記に言へる そら踏む感をなさしめる その故けだしいかんとならば 過ぎ来し五月二旬の間 淫らなおまへら雨雲(ニムブス)族は 西の河谷を覆って去らず 日照ために常位を欠けば 稲苗すべて徒長を来し あるひは赤い病斑を得た おほよそかゝる事態に於て 県下今期の稲作は 憂慮なくして観るを得ず そらを仰いで烏乎せしことや 日日にはなはだ数度であった 然るに昨夜 かの練達の測候長は 断じて晴れの予報を通じ 今朝そら青く気は澄んで 車窓シガーのけむりをながし 峡の二十里 平野の十里 旅程明るく午を越すいまを 何たる譎詐何たる不信 この山頂の眼路遥かなる展望は 怒り身を噛むごとくである 第一おまへがここより東 鶯いろに装ほひて 連亘遠き地塊を覆ひ はては渺茫視界のきはみ 太洋をさへ犯すこと 第二にはかの層巻雲や 青い虚空に逆って おまへの北に馳けること 第三 暗い気層の海鼠 五葉の山の上部に於て あらゆる淫卑なひかりとかたち その変幻と出没を おまへがやゝもはゞからぬ これらを綜合して見るに あやしくやはらかな雨雲(ニムブス)よ たとへ数箇のなまめく日射しを許すとも 非礼の香気を風に伝へて送るとも その灰黒の翼と触手 大バリトンの流体もって 全天抛げ来すおまへの意図は はや瞭として被ひ得ぬ しかればじつに小官は 公私あらゆる立場より 満腔不満の一瞥を 最后にしばしおまへに与へ すみやかにすみやかに この山頂を去らうとする (本文終了) 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/31時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #県技師の雲に対するステートメント #雲 #擬人化
2021.05.31
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以前、ご紹介した「装景家と助手との対話 」と同じモチーフの作品です。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202105280000/ この作品には日付がありません。 しかし、作中で6月とあります。上記作品と同様に1927(昭和2)年6月1日に書かれたと思われます。 地平と地殻という惑星サイズのモチーフや、国土が加わり、壮大な詩となっています。 「頬うつくしい娘たち」が数度現れます。電車の乗客のようです。この詩は電車に乗っているあいだの幻想なのかもしれません。娘たちは、現実の時間経過をあらわす時計のような役割をしているようにも感じます。 賢治の詩には、黒い服の農村女性や、警察署長の娘など、女性の電車乗客がよく登場するようです。今は電車に女性が乗ることは当たり前ですが、94年前には新しい時代の象徴として感じられたのでしょう。 聖女テレジアは、前掲作品に続きこの詩にも登場します。 この時期の賢治の詩には、女性が登場する割合が多いように感じます。 「この国土の装景家たちは/この野の福祉のために/まさしく身をばかけねばならぬ」の表現には、造園家、園芸家、装景家、としての賢治のなみなみならぬ決意を感じます。 (本文開始) 装景手記 六月の雲の圧力に対して 地平線の歪みが 視角五〇度を超えぬやう 濃い群青をとらねばならぬ 早いはなしが ちゃうど凍った水銀だけの 弾性率を地平がもてばいゝのである Gillarchdox! Gillarchdae! いまひらめいてあらはれる 東の青い橄欖岩の鋸歯 けだし地殻が或る適当度の弾性をもち したがって地面が踏みに従って 寒天あるいひはゼラチンの 歪みをつくるといふことは ヒンヅーガンダラ乃至西域諸国に於ける 永い間の夢想であって また近代の勝れた園林設計学の ごく杳遠なめあてである ……電線におりる小鳥のやうに 頬うつくしい娘たち 車室の二列のシートにすはる…… 然るに地殻のこれら不変な剛性を 更に任意に変ずることは 恐らくとても今日に於ける世界造営の技術の範囲に属しない ……タキスの天に ぎざぎざに立つ そのまっ青な鋸を見よ…… 地殻の剛さこれを決定するものは 大きく二つになってゐる 一つは如来の神力により 一つは衆生の業による さうわれわれの師父が考へ またわれわれもさう想ふ ……そのまっ青な鋸を見よ…… すべてこれらの唯心論の人人は 風景をみな 諸仏と衆生の徳の配列であると見る たとへば維摩詰居士は それらの青い鋸を 人に高貢の心あればといふのである それは感情移入によって 生じた情緒と外界との 最奇怪な混合であるなどとして 皮相に説明されるがやうな さういふ種類のものではない ならや栗の Wood land に点在する ひなびた朱いろの山つゝぢを燃してやるために そのいちいちの株に hale glow と white hot の azalia を副へてやらねばならぬ 若しさうでなかったら 紫黒色の山牛蒡の葉を添へて 怪しい幻暈模様をつくれ 止むなくばすべてこれを截りとる Gillochindox. Gillochindae! ラリックスのうちに 青銅いろして その枝孔雀の尾羽根のかたちをなせる 変種たしかにあり やまつゝぢ 何たる冴えぬその重い色素だ 赭土からでももらったやうな色の族 銀いろまたは無色の風と結婚せよ なんぢが末の子らのため その水際園に なぜわたくしは枝垂れの雪柳を植えるか 十三歳の聖女テレジアが 水いろの上着を着羊歯の花をたくさんもって 小さな円い唇でうたひながら そこからこっちへでてくるために わたくしはそこに雪柳を植える Gaillardox! Gaillardox! その青くうつくしい三層の段丘から ゆるやかなグラニットの準平原に達するために いくすじのこみちをそこに設計すればいゝか 重い緑青の松林ならば またその下の青い pass ならば 必要によって赤い碍子の電柱を しづかに昇らしめていゝ しからば必らず夏の重い雲が そこを通って挨拶する そのゆるやかなグラニットの高原は 三年輪採の草地として 刈入年の春にはみんなで火を入れる じつに五月のこの赤い冠や舌が この地方では大切な情景なのだ はんの木の群落の下には すぎなをおのづとはびこらせ やわらかにやさしいいろの budding fern を企画せよ それは使徒告別の図の その清冽ながくぶちにもなる かゞやく露をつくるには ・・・や・・・すべて顕著な水孔をもつ種類を栽える 思ふにこれらの朝露は 炭酸その他を溶して含むその故に 屈折率も高ければまた冷くもあるのであらう 頬きよらかなむすめたち グランド電柱をはなれる小鳥のやうに いま一斉にシートを立って降りて行く 平野が巨きな海のやうであるので 台地のはじには あちこち白い巨きな燈台もたち それはおのおのに 二千アールの稲沼の夜を照して これをして強健な成長をなさしめる またこの野原の 何と秀でた麦であらうか この春寒さが あたかもラルゴのテムポで融け 雷も多くてそらから薄い硝酸もそゝぎかかったのだ 熟した鋼の日がのぼり この国土の装景家たちは この野の福祉のために まさしく身をばかけねばならぬ 頬・・・ つく 立つ ……グランド電柱にとまる小鳥のやうに 席につかうと企てゝ みないかめしくとざされてあれば 肩をすぼめて仕方なく立つ…… (本文終了) 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/29時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #装景 #電車 #聖テレジア
2021.05.30
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鈴木誠 著 「宮澤賢治のとらえた「造園家」と「装景家」」 Kenji MIYAZAWA's Recognition of "Zouenka" (Landscape Designer) and "Soukeika" (Landscape Architect) こちらのリンクから読めます。 https://ci.nii.ac.jp/naid/110004305723 以下に抄録を引用します。 (引用開始) 抄録 宮澤賢治の残した「装景手記手帳」と「装景手記」ノートの詩句草稿を検討対象とし, 賢治のとらえた 「造園家」と「装景家」の概念について考察した〇賢治は広義の 「造園」に同じ意である田村剛の用いた 「装景 (Landscape Archltecture) 」のもつ意味を認識しつつ, 詩 「装景手記」の構想を発想したこと。 「この国土の装景家たちは/この野の福祉のために/まさしく身をばかけねばならぬ」という一節に感じる, 賢治が思ったランドスケープ・アーキテクトという職能の重要性。そして, 園芸や造園にも興味を持ち, 語感の優れた宮澤賢治でさえ, 1927年当時に 「造園」 「造園家」の役割, 職能の重要性を感じつつも適切な呼称に迷っていたことを指摘した。 The purpose of this study is to analyze a Japanese famous poet and fairy tale writer Kenji MIYAZAWA's usage and recognition of “Zouenka” (landscape designer) and “Soukeika” (landscape architect). The analyzed texts were two versions of his poem “Soukei-syuki” writen on a poketbook and a notebook. Through the analysis, his changing usage of the Japanese word landscape architecture from Zouenka to Soukeika in verse was considered to mean that he recognized the real meaning of landscape architecture and the role of landscape architect. And the author pointed out Kenji MIYAZAWA used “Soukei” (lanscape architecture) under the influence of Tsuyoshi TAMURA's book “Zouengairon” (1918) which is the first text book of landscape architecture in Japan. He tried to versified the finished poem “Soukei-syuki” but could not. Even the great poet Kenji MIYAZAWA hesitated the correct word for a landscape architect, it must have been a Zouenka or a Soukeika. But he convincingly versified “The landscape architect in the world, For welfare on the land, Certainly at the risk of thire life”. (引用終了) #宮沢賢治 #装景
2021.05.29
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「装景」は、あまり耳慣れない表現です。宮沢賢治の造語と思われがちですが、造園学の用語だそうです。田村剛 著 「造園概論」(1918(大正7)年)が初出で、賢治は盛岡高等農林でこの用語を目にしたものと思われます。 賢治は、園芸、造園の仕事を、美しい景色を作り出す価値ある仕事としてとらえ、「装景」の表現を好んでいたようです。 1927(昭和2)年6月1日に書かれた詩です。現在では田植えが終わる時期ですが、大正当時はまだ育苗期で、苗代がでてきます。 水に何かを溶かすと、屈折率が上がります。糖度計はこれを利用した器具です。しかし、炭酸ガスでは屈折率の上昇はわずかだと思いますがどうでしょうか。 ヘリアンサスはキクイモの別名です。 13歳の聖女テレジアが出てきて歌ってくれるようにユキヤナギを植えるとは、ずいぶんロマンチックな詩です。 「聖女テレジア」は1925年に列聖された、フランスのマリー・フランソワーズ・テレーズ・マルタンと思われます。聖テレジアは10歳で聖母像が微笑む奇跡を目撃し、若くして修道女となりましたが、24歳の若さで結核で亡くなりました。死後、自叙伝がキリスト教の精神が子どもにもよくわかる、とベストセラーとなりました。 テレジアの自叙伝「小さき花」は国立国会図書館のサイトで読めます。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/943804 画像は「小さき花」より8歳の聖テレジアの挿絵です。 賢治もこの詩を書いた6年後の1933(昭和8)年に37歳の若さで結核で亡くなります。賢治の著書も生前より死後に有名になります。 Gaillardoxは、何をさすか諸説あるようです。ヘリアンサスと似たテンニンギクの学名 Gaillardia pulchella からきたのかもしれません。 または聖テレジアの祖国フランスの軽快な三拍子の舞曲ガイヤルド(gaillarde)から、かもしれません。 (本文開始) 装景家と助手との対話 一九二七、六、一、 さうさねえ、 土佐絵その他の古い絵巻にある 禾草の波とかゞやく露とをつくるには 萓や丶丶丶すべて水孔をもつものを用ひねばならぬ 思ふにこれらの朝露は 炭酸をも溶し含むが故に 屈折率も高くまた冷たいのであらう 苗代の水を黒く湛えて そこには多くの小さな太陽 また巨大なるヘリアンサスをかゞやかしむる うん、わたくしは いままで霧が多く溢出水なのに どうして気がつかなかったのでございませう Gaillardox! Gaillardox! そこを水際園といたしましたら どんな種類が適しませうか なぜわたくしは枝垂れの雪柳を植えるか 十三歳の聖女テレジアが 水いろの上着を着 羊歯の花をたくさんもって 小さな円い唇でうたひながら そこからこっちへでてくるために わたくしはそこに雪柳を植える Gaillardox! Gaillardae! (本文終了) #宮沢賢治 #キクイモ #ユキヤナギ #聖女
2021.05.28
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原文の翁は、翁にさんずいで、読み方はオウです。機種依存文字のため翁で代用しました。 1925(大正14)年5月31日に書かれた詩です。 現在では、田植えは5月上旬で、5月末には本田に稲の青い槍の葉がたっていますが、育苗用ビニールハウスのなかったこのころは6月10日ごろが田植え時期でした。そこで、この詩ではまだ苗代がでてきます。 「田植花」は、タニウツギと思われます。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%83%84%E3%82%AE 黒い服の子どもが、リン酸を散布する姿は、賢治の詩に何回か登場するモチーフです。 (本文開始) 三四五 一九二五、五、三一、 Largo や青い雲翁やながれ くゎりんの花もぼそぼそ暗く燃えたつころ 延びあがるものあやしく曲り惑むもの あるひは青い蘿をまとふもの 風が苗代の緑の氈と はんの木の葉にささやけば 馬は水けむりをひからせ こどもはマオリの呪神のやうに 小手をかざしてはねあがる ……あまずっぱい風の脚 あまずっぱい風の呪言…… かくこうひとつ啼きやめば 遠くではまたべつのかくこう ……畦はたびらこきむぽうげ また田植花くすんで赭いすいばの穂…… つかれ切っては泥を一種の飴ともおもひ 水をぬるんだ汁ともおもひ またたくさんの銅のラムプが 畦で燃えるとかんがへながら またひとまはりひとまはり 鉛のいろの代を掻く ……たてがみを 白い夕陽にみだす馬 その親に肖たうなじを垂れて しばらく畦の草食ふ馬…… 檜葉かげろへば 赤楊の木鋼のかゞみを吊し こどもはこんどは悟空を気取り 黒い衣裳の両手をひろげ またひとしきり燐酸をまく ……ひらめくひらめく水けむり はるかに遷る風の裾…… 湿って桐の花が咲き そらの玉髄しづかに焦げて盛りあがる (本文終了) 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/26時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #苗代 #田植花 #桐の花
2021.05.27
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前回は、詩「青い槍の葉」をご紹介しました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202105250000/ 1922(大正11)年6月12日に書かれた詩です。 種まき後、田植え後、何日後ぐらいのイネを見て書いたのでしょうか。 国立国会図書館のサイトで、岩手県内務部 編 「農業督励要項」を見てみます。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1915090 当時の岩手県中部地方の種まきは4月18日前後、田植えは6月10日前後、が標準のようです。 詩の書かれた6月12日は、種まきから約55日後、田植えから約2日後、ということになります。 種まきからの日数は、よさそうです。 しかし、標準の田植えからの日数は短すぎ、青い葉が槍のように立つ可能性は低そうです。 標準より早植えの6月はじめに植えた田をみながら詩を書いたのではないかと、思われます。 #宮沢賢治 #青い槍の葉 #播種期 #移植期
2021.05.26
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1922(大正11)年6月12日、宮沢賢治は詩「青い槍の葉」を書きました。 田植えが終わり、稲が成長すると直立した葉がまるで槍のようです。「気圏日本のひるまの底の/泥にならべるくさの列」と目の前の水田だけでなく、大気圏から地面までが視野に入っているのが、賢治ならでは、だと思いました。 ヤナギは水気を好む樹木で、水田や川の近くによく生えます。 この詩と直接関係はありませんが、2011(平成23)年3月の東京電力福島第一原子力発電所の事故で帰還困難区域となった数千ヘクタールの水田は、10年たってヤナギ林となっています。青い槍の葉がならぶ水田に戻していきたいと思います。 NHKニュース「葛尾村の帰還困難区域で地元の農家が震災後初めて田植え」 https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20210522/6050014586.html 記事より「田植えを行った60代の地元の農家の男性は「この10年間、ふるさとの復興が進まないことに焦りを感じていたので、ようやく田植えという一歩を踏み出せて夢のようです。帰還する人が増えるよう、農地をしっかり管理していきたい」と話していました。」 (本文開始) 青い槍の葉 (mental sketch modified) (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) 雲は来るくる南の地平 そらのエレキを寄せてくる 鳥はなく啼く青木のほづえ くもにやなぎのかくこどり (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) 雲がちぎれて日ざしが降れば 黄金(キン)の幻燈 草(くさ)の青 気圏日本のひるまの底の 泥にならべるくさの列 (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) 雲はくるくる日は銀の盤 エレキづくりのかはやなぎ 風が通ればさえ冴(ざ)え鳴らし 馬もはねれば黒びかり (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) 雲がきれたかまた日がそそぐ 土のスープと草の列 黒くおどりはひるまの燈籠(とうろ) 泥のコロイドその底に (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) りんと立て立て青い槍の葉 たれを刺さうの槍ぢやなし ひかりの底でいちにち日がな 泥にならべるくさの列 (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) 雲がちぎれてまた夜があけて そらは黄水晶(シトリン)ひでりあめ 風に霧ふくぶりきのやなぎ くもにしらしらそのやなぎ (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) りんと立て立て青い槍の葉 そらはエレキのしろい網 かげとひかりの六月の底 気圏日本の青野原 (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) (本文終了) 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/25時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #青い槍の葉 #水稲 #水田 #ヤナギ
2021.05.25
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麦の穂の色を古金とし、徳高く、相さかん、とたたえています。 麦の穂の色がしめされているとする、「竜樹菩薩の大論」とは、二世紀インドの高僧ナーガールジュナの「中論(ムーラマディヤマカ・カーリカー)」のことかもしれません。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%AB%96 竜樹は後世、錬金術師の守護神として崇拝されたそうで、その金のイメージも関係しているのかもしれません。 (本文開始) 一五四 亜細亜学者の散策 一九二四、七、五、 気圧が高くなったので 地平の青い膨らみが 徐々に平位に復して来た 蓋し国土の質たるや 剛に過ぐるを尊ばず 地面が踏みに従って 小さい歪みをなすことは 天竺乃至西域の 永い夢想であったのである 紫紺のいろに湿った雲のこっち側 何か播かれた四角な畑に かながら製の幢幡とでもいふべきものが 八つ正しく立てられてゐて いろいろの風にさまざまになびくのは たしかに鳥を追ふための装置であって 誰とて異論もないのであるが それがことさらあゝいふ風な 八の数をそろへたり 方位を正して置かれたことは ある種拝天の余習であるか 一種の隔世遺伝であるか わたしはこれをある契機から ドルメン周囲の施設の型と考へる 日が青山に落ちやうとして 麦が古金に熟するとする わたしが名指す古金とは 今日世上一般の 暗い黄いろなものでなく 竜樹菩薩の大論に わづかに暗示されたるもの、 すなはちその徳はなはだ高く その相はるかに旺んであって むしろ quick gold ともなすべき わくわくたるそれを云ふのである 水はいつでも水であって 一気圧下に零度で凍り 摂氏四度の水銀は、 比重十三ポイント六なるごとき さうした式の考へ方は 現代科学の域内にても 俗説たるを免れぬ さう亀茲国の夕日のなかを やっぱりたぶんかういふふうに 鳥がすうすう流れたことは そこの出土の壁画から だゞちに指摘できるけれども 池地の青いけむりのなかを はぐろとんぼがとんだかどうか そは杳として知るを得ぬ (本文終了) 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/25時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #麦 #古金 #竜樹
2021.05.24
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今から97年前の今日、1924(大正13)年5月23日、宮沢賢治が花巻農学校教師として引率した修学旅行一行が5日間の日程を終え、花巻に帰りました。 賢治の出張報告書「修学旅行復命書」に、そのようすがいきいきと描かれています。 もうすぐ、100年記念です。 コロナ禍が開けたら、岩手、青森、北海道の賢治たちの足跡をたどる旅に出たいと思います。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103290000/ 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/25時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #修学旅行 #北海道
2021.05.23
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97年前の今日、1924(大正13)年5月22日、宮沢賢治が率いる花巻農学校修学旅行一行は北海道苫小牧市、白老アイヌ集落などを見学しました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103280000/ 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/25時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #北海道 #修学旅行 #花巻農学校 #苫小牧 #白老
2021.05.22
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今から97年前の1924(大正13)年5月21日、宮沢賢治が花巻農学校教師として引率する修学旅行一行31名が、札幌市の北海道帝国大学などを見学しました。北大では総長自ら、牛乳とお菓子で大歓迎しました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103270000/ 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/25時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #修学旅行 #札幌市 #北海道帝国大学 #北海道大学
2021.05.21
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1924(大正13)年5月20日、宮沢賢治は花巻農学校教師として修学旅行を引率して、小樽に到着しました。 小樽高等商業学校(現 小樽商科大学)で、科学と商業の融合をめざす教育方針や、農産物の加工について学びました。 おたる文学散歩 https://www.city.otaru.lg.jp/docs/2020102200175/ 当ブログでは、当時の賢治の復命書の読み解きもしています。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103260000/ 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/25時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #小樽 #小樽商科大学 #修学旅行
2021.05.20
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前回は賢治が麦畑で農作業に疲れて雲からエネルギーをとろうとする詩「疲労」をご紹介しました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202105180000/ さて、この麦は大麦でしょうか、小麦でしょうか。 大麦は、ノゲ(稲や麦などの実のトゲ)が長く小麦より痛いこと、日本人がただ麦という場合、大麦をさすことが多いこと、から大麦とも考えられます。 一方、この詩が書かれた時期から考えると、穂が青いと書かれていることから、小麦とも考えられます。 当時の岩手県の農業指導の教科書によると、 小麦の出穂期は5/29~6/4 成熟期は7/9~7/15 大麦の出穂期は5/22~5/29 成熟期は6/20~6/29 詩が書かれたのは6/18ですから、小麦の穂はまだ青く、大麦の穂は既に黄色くなっている可能性が高いです。 農業督励要項(岩手県内務部)1932年 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1915090 #宮沢賢治 #疲労 #小麦 #大麦
2021.05.19
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1926(大正15)年6月18日の詩です。 大麦か小麦の農作業で疲れた賢治が、入道雲からエネルギーをとろうとしています。 穂が青いということは、まだ収穫作業ではないようです。小麦のほうが収穫が遅いので小麦かもしれません。 (本文開始) 七一四 疲労 一九二六、六、一八、 南の風も酸っぱいし 穂麦も青くひかって痛い えい それだのに 崖の上には わざわざ西の山根から出て来たとか云って 黒い巨きな立像が 眉間にルビーか何かをはめて 三っつも立って待ってゐる あの雲にでも手をあてゝ 電気をとってやらうかな (本文終了) 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/25時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #大麦 #小麦 #疲労
2021.05.18
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前回は空想上の岩手県であるイーハトーブ県のパンケーキの詩をご紹介しました。 今回はその詩の草稿です。 ここでは、現実の岩手県の「せんべい」が描かれています。出稼ぎの鉱山の発破作業で障がい者となった農民が農村に煎餅店を開いて収入を確保しようとしています。いわゆる南部煎餅と思われます。 パンケーキも南部煎餅も、どちらも原料は小麦粉で、冷害で米(イーハトーブではオリザ)が凶作になりやすい地方では重要な食糧です。 英語では煎餅はクラッカー(cracker)、エスペラント語ではセンベージョ(sembejo)と訳されるようですが、賢治の頭の中のイーハトーブでは、パンケーキになるようです。 岩手県の南部煎餅が、焼き方と水分量をかえて、イーハトーブ県のパンケーキになったのかもしれません。あるいは、まったくそのまま、南部煎餅がパンケーキなのかもしれません。 (本文開始) 五一五 朝餐 一九二五、四、五、 苔に座ってたべてると 麦粉と塩でこしらえた このまっ白な鋳物の盤の 何と立派でおいしいことよ 裏にはみんな曲った松を浮き出して、 表は点の括り字で「大」といふ字を鋳出してある この大の字はこのせんべいが大きいといふ広告なのか あの人の名を大蔵とでも云ふのだらうか さうでなければどこかで買った古型だらう たしかびっこをひいてゐた 発破で足をけがしたために 生れた村の入口で せんべいなどを焼いてくらすといふこともある 白銅一つごくていねいに受けとって がさがさこれを数へてゐたら 赤髪のこどもがそばから一枚くれといふ 人は腹ではくつくつわらひ 顔はしかめてやぶけたやつを見附けてやった 林は西のつめたい風の朝 頭の上にも曲った松がにょきにょき立って 白い小麦のこのパンケーキのおいしさよ 競馬の馬がほうれん草を食ふやうに アメリカ人がアスパラガスを喰ふやうに すきとほった風といっしょにむさぼりたべる こんなのをこそ speisen とし云ふべきだ ……雲はまばゆく奔騰し 野原の遠くで雷が鳴る…… 林のバルサムの匂を呑み あたらしいあさひの蜜にすかして わたくしはこの終りの白い大の字を食ふ (本文終了) 15%OFF★【ランキング1位】巖手屋厳選 お味見セット 10種(18枚+3袋)/ 南部せんべい乃巖手屋 小松製菓 / 母の日 子供の日 お花見 おつまみ / 南部せんべい 煎餅 せんべい お土産 岩手県 お供え お菓子 日持ち ギフト 詰め合わせ / いわてや 岩手屋 東北価格:2000円(税込、送料無料) (2021/5/17時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #パンケーキ #南部煎餅
2021.05.17
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宮沢賢治のパンケーキの詩をご紹介します。昭和の半ば生まれの私は、ついホットケーキと呼びたくなります。 賢治は1925(大正14)年4月25日の農学校教師時代にパンケーキの詩を書いています。 1926(大正15)年2月1日に雑誌「虚無思想研究」に掲載されました。余談ですが、この雑誌は、今、再放送中の朝ドラ「あぐり」の主人公の夫のモデルである小説家吉行エイスケが主宰していました。賢治は一般には文学的に無名でしたが、一部の文士には高く評価されていました。 具のないお焼きに近い、小麦粉と塩だけのシンプルなパンケーキを、農家の父親が炉ばたで子どもに食べさせています。 当時の岩手の農家がパンケーキと呼んでいたかどうかわかりませんが、貴重な米を節約するための小麦の利用法として、実際にあってもおかしくないと思いました。 (本文開始) 心象スケツチ朝餐 宮澤賢治 小麦粉とわづかの食塩とからつくられた イーハトヴ県のこの白く素樸なパンケーキのうまいことよ はたけのひまな日あの百姓がじぶんでいちいち焼いたのだ 顔をしかめて炉ばたでそれを焼いてると 赤髪のこどもがそばからいちまいくれといふ あの百姓は顔をしかめてやぶけたやつを出してやる そして腹ではわらつてゐる 林は西のつめたい風の朝 味ない小麦のこのパンケーキのおいしさよ わたくしは馬が草を喰ふやうに アメリカ人がアスパラガスを喰ふやうに すきとほつた空気といつしよにむさぼりたべる こんなのをこそ Speisen とし云ふべきだ ……雲はまばゆく奔騰し 野原の遠くで雷が鳴る…… 林のバルサムの匂を加へ あたらしい晨光の蜜を塗つて わたくしはまたこの白い小麦の菓子を食べる (本文終了) 準強力粉 南部小麦(岩手県産) 500g6袋セット【国産】【小麦粉】価格:3000円(税込、送料無料) (2021/5/16時点)楽天で購入 画像は楽天アフィリエイトです。 #宮沢賢治 #パンケーキ #吉行エイスケ #朝餐 #虚無思想研究
2021.05.16
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1928(昭和3)年3月に旧石鳥谷町の肥料相談所を舞台に描かれた詩「三月」のみに「骨粉」肥料が登場するのは、なぜか調べています。 有力な馬産地の旧石鳥谷町で、骨粉が手に入りやすかったのは、軍縮で軍馬繁殖用馬を処分する農家が多かったから、かもしれません。 1925(大正14)年に、いわゆる宇垣軍縮が行われます。第一次世界大戦終結による世界的な軍縮にあわせ、関東大震災の復興財源を捻出しました。 その一環として、1925(大正14)年に岩手県にある陸軍軍馬補充部六原支部が廃止されます。 現在は「軍馬の郷六原資料館」になっています。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E9%A6%AC%E3%81%AE%E9%83%B7%E5%85%AD%E5%8E%9F%E8%B3%87%E6%96%99%E9%A4%A8 賢治は、農学校教師時代の詩「尾根みちにのぼってから」で、36行目で、六原支部廃止について書いています。 (本文開始) 尾根みちにのぼってから まだ十分にもならないのに づぼんはまるで露でいっぱい 流れを渉ったやうになった 青い朝日がくらくらのぼって あざみも蕗もみんなひかり 東の小友の河谷の方は 手にとるやうに見えるけれども 右手の谷は足もとから 灰いろの霧が平によどんで その木の影も巨きく落ち わたくしの影法師も ばけものみたいにうごいてゐる その灰いろの霧のなかで 鳥がたくさんないてゐる またぶるぶると鳴らしてゐる ぜんたいゆふべの小友のおやぢ あれが名高い山六だらう あいつが案内するといったのを 星のあるうちにすっぽかして ひとりでさっさと来たことは あとの面倒がなくて まことにうまくやったとおもふ すでにこゝらの入口で あざみの花のまっ赤なのは いち応ノートにあたひする ……ああそのノート すでに けい線青く流れてゐる 図板のけいも青くながれた…… 年々草がへるといふのは 一つは脱ろ一つは馬がふむのだらう ……鳥がぶるぶるまた鳴らす 行ったり来たりしてゐるのは よほど巨きな鳥なのだらう…… 軍馬補充部の六原支部が 来年度から廃止になれば 上閉伊産馬組合が それを継承するのだけれども 組合長の高清は きれいに分けた白髪を、片手でそっとなでながら ひとつ無償でおねがひしたいといふのだらう おれの調べもやはり無償は明かだ けれども天気のいゝ日曜日に こっちも教材をとりながら 草のきれいな高原を あるくといふのはあんまり損なことでない それをあの目の鋭いおやじは すっかり見抜いて知ってゐる 何十年の借金で根こそげすっかり洗ひつくし 教会のホールのやうになった がらんとした巨きな室のなかで きれいに分けた白髪へ ピアノを引くときのやうに 指をたてゝこわごわ入れ ふけを掻いているのはかなはない ……谷にゐるのは山鳥でない よほど大きな鳥だけれども 行ったりきたりしてゐるとこは どう考へても山鳥でない…… どこからか葡萄のかほりがながれてくる 東は青い高原の縞 かゞやかに陽は醸造されるけれども この谷の霧の中でだって 何軒かの小さな部落がある その人たちが去年の山葡萄で こっそりつくった酒かもしれない ……けれどもどうして この谷の底の人たちには いくら山葡萄をとっても それをこさえるひまなどはない…… あたらしくながれてきたこの葡萄のかほりは 葡萄でなくて栗の花だ、 送って来たのは西の風だ 霧の向ふのあの尾根は 谷の霧から岬のやうに泛んでゐる 向ふの尾根の見えない斜面に 巨きな栗がたくさんあって こゝでは野原よりは却って遅れて 月光いろの栗の花が いまいっぱいに咲いてゐて それがかういふ西の風にとかされ いくすじもいくすじもここらを通ってゐるのだらう それが葡萄に似てゐるのは 茶いろに熟してこぼれはじめた花のだらう (本文終了) このあと、戦争によって軍馬の生産はまた盛んとなり、馬産地の景気は回復します。 しかし、戦争の激化により、農村からは多数の馬も人も戦場に送られ、その多くは骨さえ帰りませんでした。 写真はWikipediaより、旧六原支部将校官舎です。 #宮沢賢治 #肥料 #骨粉 #軍馬補充部 #六原
2021.05.15
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旧石鳥谷町の肥料相談所を描いた宮沢賢治の詩「三月」だけが、賢治の詩のなかで骨粉肥料を使っていることについて、調べています。 国立国会図書館で検索しますと、当時の岩手県庁の資料「農業督励要項」によりますと、化学肥料の過燐酸石灰のリン酸成分が19.5%に対して、蒸製骨粉は26%とあります。 馬産地で骨粉が安く手に入るのであれば、過燐酸石灰にこだわらず、肥料成分が十分ある骨粉をすすめるのは、合理的な選択だと思います。 #宮沢賢治 #骨粉 #石鳥谷 #肥料
2021.05.14
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1928(昭和3)年3月に旧石鳥谷町の肥料相談所について書かれた詩「三月」では、賢治の詩としては唯一、骨粉肥料が登場します。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202105090000/ 石鳥谷が馬産地であったため骨粉肥料が手に入りやすかったのではないかと考えました。 国立国会図書館のサイトで、「石鳥谷」で検索しました。詩よりも19年前の1909(明治42)年の資料ですが、氏家寅治 編「平・盛岡間鉄道沿線案内」がありました。石鳥谷駅の紹介で、搬出貨物に馬匹とあります。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763377 #宮沢賢治 #肥料 #骨粉 #石鳥谷
2021.05.13
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宮沢賢治の詩に登場するリン酸肥料は、多くが「過燐酸石灰」です。しかし、1928(昭和3)年3月に旧石鳥谷町の肥料相談所を舞台に描かれた詩「三月」のみに「骨粉」が登場します。 ここでひとつの仮説を提示したいと思います。石鳥谷では、馬の骨粉が入手しやすかったのではないでしょうか。 旧石鳥谷町は馬産地として有名でした。農耕馬、軍馬などが多数生産されていました。 東北本線石鳥谷駅は、乗合馬車の駅でもありました。 稗貫郡馬産組合の有力な組合員が多く、同組合主催で1926(大正15)年に始まった花巻競馬でも、石鳥谷産の馬が多く走りました。 こうした状況で、不幸にも事故や病気で死んだ馬の骨粉が、石鳥谷では手に入りやすかった可能性があると思います。 調査を継続します。 #宮沢賢治 #骨粉 #石鳥谷 #馬
2021.05.12
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前回は、宮沢賢治の詩「三月」にリン酸肥料の「骨粉」が登場することに疑問を感じました。その他の詩では「燐酸」すなわち過リン酸石灰が登場することが多いからです。 それでは、まず「骨粉」と「燐酸」の登場回数を数えてみます。 たいへんべんりなことに、宮沢賢治研究家hamagaki氏のホームページ「宮澤賢治の詩の世界 ( mental sketches hyperlinked ) 」では、賢治の全ての詩を検索できます。すばらしいサイトに深く感謝申し上げます。サイドバーにキーワードを入力し、詩テキスト検索を選択します。 https://ihatov.cc/index.html 「骨粉」で検索すると詩「三月」1件のみがヒットします。 「燐酸」で検索すると草稿を含むのべ19件、詩の数にすると7件がヒットします。 1 詩「小岩井農場」より「こやしいれだのすか/堆肥ど過燐酸どすか」「過燐酸石灰のヅツク袋/水溶十九と書いてある/学校のは十五%だ」「燐酸のあき袋をあつめてくる」 2 詩 「Largoや青い雲かげやながれ」より 「黒い衣裳の両手をひろげ/またひとしきり燐酸をまく」 3 詩「電車」より 「黒衣のこども燐酸を播く」 4 詩「あすこの田はねえ」より 「燐酸がまだ残つてゐない?」 5 詩「和風は河谷いっぱいに吹く」より「燐酸のやり方のために/今日はそろってみな起きてゐる」 6 詩「それでは計算いたしませう」より「燐酸を使ったことがありますか」 7 詩「三原」より「燐酸の方はこれからだんだんわかります」 家庭園芸用肥料 大宮GS 過燐酸石灰 1kg価格:350円(税込、送料別) (2021/5/11時点)楽天で購入 画像は楽天アフィリエイトです。 #宮沢賢治 #肥料 #リン酸 #骨粉
2021.05.11
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前回、ご紹介した詩「三月」では、リン酸肥料である「骨粉」がでてきました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202105090000/ 賢治の肥料に関する詩では、リン酸肥料としては「燐酸」すなわち「過燐酸石灰」が登場することがほとんどです。 詩「それでは計算いたしませう」 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202012260000/ なぜ、1928(昭和3)年3月の石鳥谷の肥料相談では骨粉をすすめたのか、気になります。 有機配合 骨粉 3-18-3 20kg価格:4200円(税込、送料無料) (2021/5/10時点)楽天で購入 画像は、楽天アフィリエイトです。 #宮沢賢治 #三月 #骨粉 #リン酸肥料
2021.05.10
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前回は肥料相談会の前にあられにふられてしまった主人公が、日露戦争慰霊碑のまえで雨宿りする詩をご紹介しました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202105080000/ 前回の詩は5月で会場は学校でした。 今回は、3月の肥料相談会の様子を描いた詩です。 賢治は、1928(昭和3)年3月15日から合計8日間、石鳥谷町(現在は花巻市)塚の根で肥料相談所を開きました。 その際の肥料設計書の枚数について以前、考察しています。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202101140000/ この会場にも、熱心な農家が多数詰めかけました。その様子を描いた詩です。 (本文開始) 三月 正午になっても 五分だけ休みませうと云っても たゞみんな眉をひそめ 薄い麻着た膝を抱いて 設計表をのぞくばかり 稲熱病が胸にいっぱいなのだ 一本町のこの町はづれ そこらは雪も大ていとけて うるんだ雲が東に飛び 並木の松は 去年の古い茶いろの針を もう落すだけ落してしまって うす陽のなかにつめたくそよぎ はては緑や黒にけむれば さっき熊の子を車にのせ おかしな歌をうたって行った 紀伊かどこかの薬屋たちが 白もゝひきをちらちらさせて だんだん南へ小さくなる みんなはいつか ひそひそ何かはなしてゐる つゝましく遠慮ぶかく 骨粉のことを云ってゐるのだ 一里塚一里塚 塚の下からこどもがひとりおりてくる つゞいてひとりまたかけおりる 町はひっそり 火の見櫓が白いペンキで、 泣きだしさうなそらに立ち 風がにはかに吹いてきて 店のガラスをがたがた鳴らす (本文終了) 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/8時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #肥料 #肥料相談所
2021.05.09
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前回は、日清戦争後の台湾征討(乙未戦争、日台戦争)経験者の農家との対話の詩をご紹介しました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202105070000/ 今回は日露戦争の戦死者を想う詩をご紹介します。 1927年か1928年ごろの初夏に書かれた詩と思われます。 あられを避けてにげこんだ先が、日露戦争の戦死者の慰霊碑でした。黒溝台会戦では、1905(明治38)年1月に満州の広野で、日露あわせて約15万人の将兵が戦い、あわせて約2万人が死傷し、日本軍が勝利しました。 「東京も見たことがないのに/いきなり満州へ連れて行かれて」「ぼろぼろの着換えや袋をしょって/どんな気持ちで死んだらう」は実に素直な感想です。戦死者に寄り添い共感した感想です。しかし、軍国主義に向かうこの時代には、たいへん危険な感想でもあります。 もちろん、この詩は、戦前には公開されていません。 「学校」、とあるので農学校教師時代かとも思いがちです。しかし、集まるのが成人の農民のようなので、学校を会場とした農事講演会か、肥料相談会で、主人公が講師として呼ばれているのでしょう。 公事(くじ)とは、村役場などが村民に命じる公共工事などの義務労働です。貧しくなった村が公共事業を増やすのはおかしいことのように思えます。公共事業を名目に村民から負担金を徴収するのが狙いなのでしょう。 骨董をいじるというのは、村の文化財を売り払って財政の足しにする、という意味かもしれません。 (本文開始) 霰 霰を避けて 葉桜の下 暗い石碑の前に遁げこむ 黒溝台の戦死者を 三人祀った石碑である 東京も見たことがないのに いきなり満州へ連れて行かれて 荒漠とした雪なか 黄いろな土塀のある村で 頭巾のついたカーキーいろの外套と ぼろぼろの着換えや袋をしょって どんな気持ちで死んだらう 雀がくれの苗代に 霰は白く降り込んでゐる さっき峠の上あたりでは 山鳩もすうすう啼けば ほたるかづらの花も咲き 野馬も光って遊んでゐたが いまはすっかり曇ってしまひ あたりの山もおぼろで見えず みんなも鍬をかついだり のみ水の桶をもったりして はだしで家にかけこむとこは やまと絵巻の手法である 現にいまこの消防小屋の横からあらはれて ちらっと横目でこっちを見 きものの袖で頭をかくし 橋へかゝってゐる人などは 立派にその派の標本である 何分ひるも近いので みんな序でに遁げ込むわけだ 午后にはみんなこの人たちが 学校に来てわたくしを見る なあんだこいづは さっき黄いろなぼろ服を着て 石碑の前に居たやつだなと この人たちがさゝやき合ふ 霰は一さうはげしくなって そこらの家も土蔵もかすむ むかしは富有な村だったのに いまはすっかりいけなくて しじゅう公事をしたり 骨董をいぢったりするといふ この山峡の小さな村で 犬がはげしく吠えてゐる (本文終了) 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/7時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #日露戦争 #霰
2021.05.08
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羅須地人協会時代と思われる、リンゴの出てくる詩をご紹介します。 宮沢賢治自身が投影された技術者と、篤農家が、無言のうちに目で会話するという、面白い作品です。 「会話」の内容をまとめると次の通りです。 ・篤農家は、大きな自作農 ・篤農家は、野武士の末裔のような頑健な風貌 ・篤農家の経営する作物は、水稲とリンゴのようである ・篤農家の息子が技術者の教え子か、息子は技術者の信奉者のようである ・篤農家は、1895(明治28)年の台湾征討(乙未戦争、日台戦争)に砲兵として召集された経歴があるものとみられる ・篤農家は、技術者の体力の無さを心配 ・篤農家は、技術者を山に山菜(みづ)とりに連れていって、もてなそうと考えたが、体力的に無理と考えている ・技術者は、米の収量が二割増収する肥料設計を、篤農家に提案したらしい ・そのぐらいでは、効果が期待できないぐらい、農村は疲弊窮乏している 賢治の肥料設計による水稲の二割増収については、教え子の菊池信一氏の証言があります。 「その年(昭和三年)は恐ろしく天候不順であった。陸羽一三二号種を極力勧められ、主としてそれによって設計されたが、その人達は他所の減収どころか大抵二割方の増収を得て、年末には先生へ餅を搗いて運ぶとか云つてみんな嬉しがつてゐた。」(菊池信一 著「石鳥谷肥料相談所の思ひ出」) 私も、数十年前に、農家に苗の病害対策を伝えたお礼に、と山菜のコゴミのよくとれる場所を、教えていただき、うれしかった経験があります。私の場合、泊まりがけで連れて行かれたのではなく、徒歩5分でつく場所で幸いでした。 篤農家の(無言の)言葉として、「味噌汁を食へ」が連呼され、軍隊での教訓であることが示されています。味噌といえば「雨にもまけず」が思い出されます。それにも農家からの助言が反映されているのかもしれません。 (本文開始) 会見 (この逞ましい頬骨は やっぱり昔の野武士の子孫 大きな自作の百姓だ) (息子がいつでも云ってゐる 技師といふのはこの男か も少しからだも強靱くって 何でもやるかと思ってゐたが これではとても百姓なんて ひどい仕事ができさうもない だまって町で月給とってゐればいゝんだが) (お互じっと眼を見合せて立ってゐれば だんだん向ふが人の分子を喪くしてくる 鹿か何かのトーテムのやうな感じもすれば 山伏上りの天狗のやうなところもある) (みんなで米だの味噌だのもって 寒沢川につれて行き 夜は河原へ火をたいてとまり みづをたくさん土産にしょはせ帰さうと とてもそいつもできさうない) (向ふの眼がわらってゐる 昔 砲兵にとられたころの 渋いわらひの一きれだ) (味噌汁を食へ味噌汁を食へ 台湾では黄いろな川をわたったり 気候が蒸れたりしたときは どんな手数をこらへても 兵站部では味噌のお汁を食はせたもんだ) (たうとう眼をそらしたな 平の清盛のやうにりんと立って じっと南の地平の方をながめてゐる) (ぜんたいいまの村なんて 借りられるだけ借りつくし 負担は年々増すばかり 二割やそこらの増収などで 誰もどうにもなるもんでない 無理をしたって却ってみんなだめなもんだ) (眼がさびしく愁へてゐる なにもかもわかりきって、 そんなにさびしがられると こっちもたゞもう青ぐらいばかり じつにわれわれは 遠征につかれ切った二人の兵士のやうに だまって雲とりんごの花をながめるのだ) (本文終了) 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/7時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #リンゴ #ミズ #台湾征討
2021.05.07
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宮沢賢治は、1927(昭和2)年5月3日に、詩「こぶしの咲き」を書き、自分も協力している花巻温泉の巨大リゾート開発に疑問を呈しました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202104070000/ 同年5月9日には、詩「開墾地検察」で、リンゴを中心とする果樹開墾地の苦労、困難について書きました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202105030000/ いっぽう、同年5月9日に書いた詩「ひわいろの笹で埋めた嶺線に」では、山あいの温泉地の看板娘が結婚して嫁ぎ、焼きリンゴをみんなで食べて祝福したようすが描かれています。 賢治は温泉やリンゴそのものを嫌ったのではありません。これらが農民の生活に密着した幸せをもたらす方向でない利用のされ方をされることに、懐疑的であったのです。 (本文開始) 一〇六一 五、九、 ひわいろの笹で埋めた嶺線に ぼしゃぼしゃならんだ青ぞらの小松である その谷がみな蔭になり その六方石谷みな蔭になり お辰のうちのすももの花がいっぱいにそこにうかんでゐる 一尺角の木の格子で組みあげた 実に頑丈な木小屋である 下の温泉宿の看板娘は嫁に行き おとなもこどももあかんぼも みんないっぱい灼いたりんごを食ったのである そのときお辰は 黒い絹に赤い縞のはいった エヂプト風の雪ばかまをはいて お嫁さんに随いて行ったのである (本文終了) 【新品】【本】宮沢賢治全集 2 宮沢賢治/著価格:1100円(税込、送料別) (2021/5/6時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #花巻温泉 #リンゴ #開墾
2021.05.06
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1927(昭和2)年5月9日には、宮沢賢治はたくさんの詩を書いて(心象スケッチをして)います。 開墾地で過酷な農作業に従事したり、電車に乗って借金をしに町に行く、農村女性に共感する詩を書いたことは、以前に書きました。 宮沢賢治 作 「電車」 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202105040000/ その同じ日にこんな詩も書いています。 まちの古いブルジョア出身の技術者(賢治自身が大いに投影された人物)が、退職警察署長の娘で小学校に勤める女性に、電車で少しの嫌悪の目で見られたようです。 ちょうど、それまでの素晴らしい車窓の景色が、ひどい日影になって、電車がとまってしまうのが、技術者の心をあらわしているようです。 作業用の着物を着た開墾地の農村女性より、水色の上着を着た小学校の教師か事務員の女性のほうが、主人公の男性技術者に社会階級的には近い中上流階級のはずです。しかし、一連の詩を読むと、賢治の気持ちとしては農村女性のほうに共感しているのが、興味深いです。 警察から羅須地人協会の活動に圧力を受けていたことも、警察署長の娘に反発した原因かもしれません。 (本文開始) 一〇五九 一九二七、五、九、 芽をだしたために 大へん白っぽく甘酸っぱくなった山である このわづかな休息の時間に 上層の風と交通するための第一の条件は そんな肥った空気のふぐや あはれなレデーを 煙幕でもって退却させることである ……川なめらかにくすんでながれ…… 実に見給へ 傾斜地にできた すばらしい杉の方陣である 諸君よ五月になると 林のなかのあらゆる木 あらゆるその藪のなかのいちいちの枝 みなことごとくやはらかな芽をひろげるのである 川にぶくひかってながれ 退職の警察署長のむすめが 水いろの上着を着て 電車にのって小学校に出勤しながら まちの古いブルジョア出身の技術者を 少しの厭悪で見てゐたのである こゝはひどい日蔭だ ぎざぎざの松倉山の下のその日蔭である あんまり永くとまってゐたくない けれどもいったい これを岩頸だなんて誰が云ふのか (本文終了) 宮沢賢治全集 2/宮沢賢治【3000円以上送料無料】価格:1100円(税込、送料別) (2021/5/5時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #芽を出したために #電車
2021.05.05
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これも1927(昭和2)年5月9日に書かれた、農村女性に寄り添った詩です。 下記の完成形の「町へ出て行くおかみさんたち/さあっと曇る村長の顔」の部分は、なぜ村長の顔が曇ったのか、わかりにくいです。 実は、草稿では、「町へ出て行く小さくやさしい貴女たちの群/(今日はどこらへおいでです)/(はあ組合へ金策に)/さあっと曇る村長の顔」となっています。 電車が通って便利になったものの、消費も増えて、女性たちが電車に乗って借金をしに行くようになったのでしょうか。 (本文開始) 一〇五八 電車 一九二七、五、九、 銀のモナドのちらばるそらと 逞ましい村長の肩 ……べルを鳴らしてカーヴを切る べルといふより小さな銅鑼だ…… はんの木立は東邦風に 水路のヘりにならんで立つ はんの木立の向ふの方で 黒衣のこども燐酸を播く ……ガンガン鳴らして飛ばして行く…… 田を鋤く馬と白いシャツ 胆礬いろの山の尾根 町へ出て行くおかみさんたち さあっと曇る村長の顔 ……うしろを過ぎるひばの木二本…… 風が行ってしまった池のやうに いま晴れわたる村長の顔 ……ベルを鳴らして一さん奔る…… 栗の林の向ふの方で ざぶざぶ水をわたる音 それから何か光など 崩れるやうなわらひ声 (本文終了) 宮沢賢治全集 2/宮沢賢治【3000円以上送料無料】価格:1100円(税込、送料別) (2021/5/3時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #電車 #農村女性
2021.05.04
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前回は、開墾地の農家女性への共感を綴った作品を紹介しました。 宮沢賢治 作 「これらは素樸なアイヌ風の木柵であります」 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202105020000/ 同じ1927(昭和2)年5月9日に書かれた、やはり開墾地をテーマにした2つの作品があります。 「墓地をすっかり square にして」は「詩ノート」、「開墾地検察」は「春と修羅 第三集」に所収の作品です。同じ題材をもとにしていると思われます。詩は創作ですから現実にこのとおりのことがあったとはいえませんが、描写がリアルなので、これに近い現実の開墾地を、賢治がみたことがあるように思われます。 西方に温泉のある果樹を中心とした開墾地のようです。 花巻温泉の巨大リゾート開発には懐疑的だった賢治ですが、開墾地の農家家族が疲れを癒しに行った温泉から帰ってきた姿には、好意的な視線を向けているようです。 墓地を区画整理して、馬頭観音や、シダレザクラは取り除いてしまい、耕地を増やしたのでしょうか。現代のほ場整備の工事ならこうした文化財は保護して、観光に利用するところですが、当時は食うに困る農家がたくさんいたのですから、信心深い高齢者の反対があっても、少しでも耕地を増やしたいところでしょう。 開墾の際に育苗用の耕地に行政が多量の有機物の肥料を散布したようですが、その後、その耕地を粟畑として6年間無肥料で使ったようです。当初は堆肥などの有機物(腐植)で黒かった耕地は、有機物が消耗して、まだらな茶色になってしまいました。 農家が肥料を買うお金がなかったのと、開墾地まで肥料を運ぶのがたいへんだったためと思われます。 現代の農村でも深刻な、鳥獣害がみられますが、この開墾地では、ノウサギに、リンゴとモモを食べられてしまったようです。リンゴの木の幽霊とは何でしょうか。ノウサギがリンゴの実を食べて糞から種が芽を出したのでしょうか。ノウサギ以外の動物によるものか、別の植物か、幻想か、よくわかりません。 丸五という屋号の会社が凝灰岩の採掘を近くで行いロープウェイのような仕組みで搬出しているようです。 (本文開始) 一〇六二 五、九、 墓地をすっかり square にして 古くからの馬頭観音はとりのけたし 枝垂れの巨きな桜はきれいに伐ってしまった その崖下を昔からのけはしい山川が 春は春らしくながれてゐる 小林区が行ってしまってから 苗圃は荒れた粟畑になり 腐植も減ってあちこち茶いろにぶちてしまった 針金製のインクラインが 鼠いろの凝灰岩を吊して つぎつぎ川からのぼってくる 日あたりの荒い岩かどを 巡礼のこゝろもちで つゝましく 西の温泉から帰ってくる 百姓の家族たち (本文終了) (本文開始) 一〇五九 開墾地検察 一九二七、五、九、 ……墓地がすっかり変ったなあ…… ……なあにそれすっかり整理したもんでがす…… ……ここに巨きなしだれ桜があったがねえ…… ……なあにそれ 青年団総出でやったもんでがす 観音さんも潰されあした…… ……としよりたちが負けたんだねえ…… ……なあに総一ぁたった一人できかなぐなって それで誰(だ)っても負げるんでがんす…… ……苗圃のあともずゐぶんひどく荒れたねえ…… ……なあにそれ お上でうんと肥料したづんで これで六年無肥料でがす…… ……あちこち茶いろにぶちだしてゐる…… ……はあ、 苹果の枝 兎に食はれあした 桜んぼの方は食ひあせんで 桃もやっぱり食はれあした…… ……兎はとらなけあいけないよ それでも兎の食はない種類といふんなら 花には薔薇につつじかな 果樹ではやっぱり梅だらう…… ……桜んぼの方は食ひませんで 苹果と桃をたべたので…… ……そらそら その苹果の樹の幽霊だらう その谷そこに突ったって いっぱい花をつけてるやつは…… ……はあ…… ……針金製の鉄索か この崖下で切り出すんだな…… ……はあ 鉛の丸五の仕事でがあす…… ……そんなにこれが売れるかねえ…… ……はあ 耐火性だって云って売ってます…… ……耐火性さなこの石は あれだな開墾地は…… ……はあ 上流の橋渡って参りあす…… (本文終了) 宮沢賢治全集 2/宮沢賢治【3000円以上送料無料】価格:1100円(税込、送料別) (2021/5/2時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #開墾 #開墾地検察 #墓地をすっかりsquareにして
2021.05.03
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1927(昭和2)5月9日に書かれた詩とみられます。 この時期は、花巻温泉の花壇建設に協力しながら、一方、巨大リゾート開発を批判する詩も書いていた時期です。 同年4月8日「悪意」 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103150000/ 同年4月8日「ちゞれてすがすがしい雲の朝」 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202104090000/ 同年5月3日「こぶしの咲き」 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202104070000/ 開墾地の農村女性が過酷な農作業と子育てや家事を両立しているようすを、革命家や芸術家に匹敵する近代の英雄と讃えます。 肥料代を支払うことができず、笹山を切り開いて焼き草木灰を肥料にする焼畑農業で、ソバを栽培する苦しい農業経営のようすが描かれています。 温泉を引き電車を開通させ巨大リゾートをつくるのも、笹山を切り開き畑を開墾するのも、大きくいえば、同じ農村開発です。 賢治は、巨大リゾートに反発しながら協力しつつも、より開墾地の農家女性のほうに共感したものとみられます。 (本文開始) 一〇六三 五、九、 これらは素樸なアイヌ風の木柵であります えゝ 家の前の桑の木を Yの字に仕立てて見たのでありますが それでも家計は立たなかったのです 四月は 苗代の水が黒くて くらい空気の小さな渦が 毎日つぶつぶそらから降って そこを烏が があがあ啼いて通ったのであります どういふものでございませうか 斯ういふ角だった石ころだらけの いっぱいにすぎなやよもぎの生えてしまった畑を 子供を生みながらまた前の子供のぼろ着物を綴り合せながら また炊爨と村の義理首尾とをしながら 一家のあらゆる不満や慾望を負ひながら わづかに粗渋な食と年中六時間の睡りをとりながら これらの黒いかつぎした女の人たちが耕すのであります この人たちはまた ちゃうど二円代の肥料のかはりに あんな笹山を一反歩ほど切りひらくのであります そして ここでは蕎麦が二斗まいて四斗とれます この人たちはいったい 牢獄につながれたたくさんの革命家や 不遇に了へた多くの芸術家 これら近代的な英雄たちに 果して比肩し得ぬものでございませうか (本文終了) 【ふるさと納税】【世界農業遺産の産物】椎葉産 焼畑そば粉 200g 【深山の味と香り】価格:3500円(税込、送料無料) (2021/5/2時点)楽天で購入 画像は宮崎県椎葉村の焼畑ソバ栽培で生産されたソバ粉の、楽天アフィリエイトです。 #宮沢賢治 #開墾 #農家女性 #農家婦人 #英雄 #革命 #革命家 #ソバ #焼畑
2021.05.02
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前回はキクイモが出てくる宮沢賢治の作品をみてきました。 宮沢賢治 作 「そもそも拙者ほんものの清教徒ならば」 キクイモがいっぱいとれたけど、米も食べたい賢治 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202104300000/ 草稿でキクイモが出てきたものの、最終形では、ノバラに変わった作品もあります。 農作業中の突然の雨のなか、何らかの愛憎に悩み憤る青年の殺伐とした心が、目に写る植物などで表されています。 草稿では、それは、枯れたシダの葉、キクイモの茎、アリの塔、スギです。 完成形では、ノバラの根、アリの巣、スギとなっています。 キクイモの茎も、ノバラの根もガサガサとしたあまり美しくないものです。ややマイナーなキクイモより、一般の人にもわかりやすいノバラにしたのかもしれません。 (本文開始) (春と修羅第三集 草稿) 七二八 一九二六、七、一五、 雨はうつゝにそゝぎ 開墾した藪は 土のけむりと湯気とをあげて ……森の向ふのしろびかり…… ぬれてぼうとして ひとりぎしぎし歯噛みする いったいこれがおれなのか ……枯れた羊歯の葉 菊芋の茎 壊れて散ったその塔を いまいそがしく往来する蟻…… 杉には白いしぶきをあげる この七月のひなかの雨 熱く切ないわたしから あゝ愛憎の図式を洗へ (文語詩編 最終形) 驟雨 驟雨そゝげば新墾(にひはり)の、 まづ立ちこむるつちけむり。 湯気のぬるきに人たちて、 故なく憤る身は暗し。 すでに野ばらの根を浄み、 蟻はその巣をめぐるころ。 杉には水の幡かゝり、 しぶきほのかに拡ごりぬ。 (本文終了) #宮沢賢治 #キクイモ
2021.05.01
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