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震災前は、昼に魚を食べるなら女川のニューこのり、夜で高くてもいいなら石巻のふなや、で決まっていたが、どちらも津波で全壊、再開の話も聞かなかった。ところが、つい先日、おかせいさんを訪ねて話をしたら、ニューこのりがオープンしたとのこと。急遽、おかせいさんの寿司は持ち帰りにして(すみません)、このりへ向かった。元の店は高台にあったが、意外と海が近く、少し上の辺りまで全壊していた。さらに少し上っていくと、このりの看板がみえてきた。新店舗は、大きめのプレハブで、砂利だが駐車場も広く、こんな土地あったんだなあ。ちょうど、11月27日に再開したという。従業員はみんな無事で、すぐ奥の仮設にすんでいるそうだ。よかった。 店内は、広く、きれいで、噂を聞きつけた客が次々と訪れていた。人気あるもんなあ。メニューは、上記の通り。看板の活穴子天丼が中心で、ほかに海老天丼、ラーメンなど。まだ、少ない。聞くと、再開したばかりだし、まだ刺身で出す準備がないし、サンマも今年は身の入りが今ひとつなので、とのこと。さすが、このりさん、おいしいのは、妥協しないで厳選された海の幸を使って、それをさばく腕と心があるからなんだなあ。待つこと少し。久しぶりの活あなご天丼とご対面。1050円、前は1470円だったはず、聞くと(しつこい)、冬で小ぶりだし、復興価格とのこと。まいったなあ。活穴子は十分に大きくぶあつくふわふわで風味もよく、衣もからっとでいつもの豪快さがあって熱々、あまじょっぱいたれも合う。夏モノに比べれば脂のりと野性味が少しだけ弱い気がするが、あいかわらず、絶品。野菜は新鮮であまみあり、ごはんはつやもち。アラ汁は、白身が入って、味噌で濃いめ、しっかり味で、おいしい。1050円はお得だし、何より絶品だから。また、女川へ行く理由が増えた。活あなごと海老のミックス天丼1050円。大きな海老2尾でぷにっとして風味もよく、活穴子は半身で分厚くふわふわ(野菜の下にデカイのが隠れてる)、他は同じ。これも安いし、絶品。ニューこのりの復活、とてもうれしかった。ずっと気にしていたし、なんと言っても、活穴子天丼は大好物だから。他にも、刺身盛り合わせ、秋のサンマ定食、冬の白子天丼、夏の殻ウニ丼、どれも絶品で、まだ食べれないが、少しずつメニューは増やしていくようなので、期待して待とう。もちろん、メニューに載ったら、すぐ行きます。女川にニューこのりあり、というか、東北にニューこのりあり、という店なので、ぜひ。ニューこのりhttp://konori0225532134.blog89.fc2.com/女川町小乗浜字小乗87-20225-53-2134(12/2以降)11:00~17:00、不定休
2011年11月30日
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少し前に、女川町について書いたが、つい先日、女川を再訪したので、最近の状況を。国道398号を海沿いに女川へ向かうと、一ヶ月ちょっと前と違って、車とひとけが増えていた。まず、石巻との境にマリンパル女川のおさかな市場ができていた。さらに、万石浦の奥で、町の入り口にあたる浦宿にくると、コンビニやガソリンスタンドだけでなく、工場やいろいろな店も再開していたし、ツルハがオープンしていた。かまぼこで有名な高政は、万石の里という新しい店舗ができていた。高台の女川第一小を少し通り過ぎると、国道398号の沿道から壊滅地域がはじまるのだが、道のわきの高台の阿部養建設跡地に、7月1日、おながわコンテナ村商店街ができた。被災した地元の商店9軒、青果、食料品、総菜屋、飲食店、衣料品、家電、花屋さんなどからなる。道沿いに、のぼりがたって、土留めのコンクリにコンテナ村のカラフルな案内、写真にはうつってないがさらに上にある。おながわコンテナ村商店街女川町鷲神浜字堀切5それより海側は、変わらず、荒野のままだった。右の高台にあるのは、町立病院で、1階が被災し2階より上で営業していたが、だいぶ直って混んでいた。あとは、一部の建物の残骸があるだけ、正面はマリンパル。女川駅あたりから奥の方も、荒れ地のまま、変わりはない。右の高台の上が、女川第一中、奥の高台の上が女川第二小。 女川第二小の隣りには町役場の仮庁舎、奥の運動公園の野球場には3階建ての立派な仮設住宅ができていた。運動場では、10月2日には、秋刀魚収穫祭も行われた。再び、平地に戻ると、海沿いは、被災したマリンパルの建物ぐらい。ただ、海越しにみえる女川港には綺麗な船がとまり、女川魚市場にもひとけが戻っていた。ちょうど、サンマ漁の時期だが、以前の3割ぐらいの水揚げまで回復したそうだ。女川の甚大すぎる被災状況を考えれば、驚異的なことだ。魚が戻ってきて、ウミネコも戻ってきた。マリンパルの岸壁にも漁船が停まっていたが、1ヶ月前より増えていた。あいかわらず、近くは冠水したままだったが。そして、1ヶ月ちょっと前は気づかなかったのだが、女川湾の南側沿いで被災した工場の一つが綺麗に直っていた。その奥の、おかせいさん、営業していた。さらに帰りに、山の上の旭が丘へ寄ると、住宅街はまったく無事で、金華山への船着き場のところにあった金華楼が移転していた。9月1日に再開したとのこと。駐車場には、串やき たろうもあった。金華楼女川町旭ヶ丘1-6-10225-53-336611:00~18:00 月休そういえば、スーパーの おんまえや の移動販売車もみかけた。女川、少し前に行ったときは、津波被害があまりにも大きくて街全体が壊滅していて(女川のおそろしいまでの津波は「宮城県女川町を襲う大津波」、「唯一存在 女川津波」で検索するとみれる)、一部の高台に避難した人達がひっそりと暮らしている雰囲気だったのに、いつの間にか、いろいろな店や工場が再開し、港も水揚げがだいぶ戻ってきて、復興の芽が出て、伸び出ていた。まだまだ、壊滅地区はそのままで、工事の車両ぐらいだが、少しずつ、町の人達の動きがはっきりと見えるようになってきた。何より、人に活気が戻って明るかったし、おいしい魚が復活していた。復興はまだまだこれからだけど、がんばっぺ女川!負げねーど宮城! おだづなよ津波!(高政さんの駐車場の看板を拝借した。)
2011年11月30日
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ハワイアンズといったら、映画にもなって、大人気のフラガール。今回は、フラガールきずなステージで、昼と夜のポリネシアンショーがあるが、13:30からのフラガールポリネシアンレビュー「希望」。ポリネシアは、ハワイ、ニュージーランド、イースター島で囲まれる一辺約800kmの巨大な三角の中にある太平洋の島々で、ハワイ、タヒチ、フィジー、トンガ、ニューカレドニア、サモア、ニュージーランド、イースター島など多数の島が含まれる。ポリネシアンショーでは、それらの島々に伝わる踊りがショーとなる。さらに、今回は、震災後のフラガール全国キャラバンの内容を再現して、明るく希望あふれるショー。最初に、フラガール代表のあいさつ。震災後の大変だった状況、全国キャラバン、そして、再開後の日々。。オープニングは、有名な「タフワフワイ」。赤と黄のウリウリを手にシャカシャカさせて、緑のティリーフスカートをはき、軽快なポップスにのって、あかるくフラダンス。きれかわいくて、元気いっぱいのフラガールに、魅了される。かわいらしいケイキパウスカートにレイを付けて、スローなフラ。出だしは、ソロダンサーの一人、ロゼラニ幸恵さん。愛らしい雰囲気で、ゆったりとくねるように優雅な踊りだった。生演奏にあわせて、流れるように。「月の夜に」の歌にあわせて、「きれいなレイをあげましょう。」チャーミングなお嬢さんで、歌も踊りもかわいい感じ。45期生の大河原綾華さん。今年の4月に卒業した新人さん。フラガールはみんな、常磐音楽舞踊学院の卒業生で、これまで300名を超える専属ダンサーが生まれた。男性二人で、ツボのようなイプを持って、少しコミカルな踊り。夜のファイヤーナイフダンサーの方だ。青のドレスで、流れるように美しく。右手前は、ソロダンサーのプアリリア樹さん。さすが、4人のソロダンサーのうちの一人、華がある。今回はリーダーのマルヒア由佳理さんが出てなかったので、いろんな場面でショーを仕切っていた。スポットライトをあびて、美しい。「フラの娘が言いました ワイキキの浜で踊りましょう ワン・ツー・スリー・フォー 手を腰に ザ フラ オニオニ エー アヘア ザ フラ オニオニ エー」伸ばした手をゆっくりとくねくねさせる、フラらしいダンス。この後、同曲で、一般飛び入りコーナー。手を水平に伸ばして、波打つようにくねくねと。ニュージーランドのマオリダンス。キュートな民族衣装で、みんな若くて、やっぱりかわいい。みんなかわいいけど、真ん中の娘、特にかわいいな。続いて、ポイボールを取り出して、両手でぐるぐるまわして。何をやってもかわいいものはかわいい。男性ダンサー二人で、激しく、勇ましく。夜のファイヤーナイフダンスもみてみたい。タンタンタンタンとハイテンポの中、雄叫びをあげて、総勢18人が集合。イイを手に振りかざし、大きな頭飾り、ココナッツブラ、タヒチアンモレ(腰みの)、露出度も高く、激しい腰の動きもあって、とても色っぽく、魅力的なタヒチアンダンス。おじさんなんで、釘付け状態。。奇声を発しながら、おしりを激しく振りかざす。後半の右側の娘、かわいいなあ、細いなあ。45期生の新人の、須藤水貴さん。おじさん、完全にノックアウト。同期の大河原さんとアイドルユニット組めるんじゃないかな。と思ってよく見てみたら、さっきのマオリダンスの中心の二人、ハワイアンズ側も分かってらっしゃる。青、ピンク、赤、紫、黄、緑、カラフルなパウスカートで、かわいく元気に。濃いピンクはロゼラニ幸恵さん、やっぱり同じ踊りでもソロダンサーはひと味違う。なめらかさが違う。最後は、24人全員そろって(フラガールは学生も入れて総勢34名)、激しいタヒチアンダンス。その中でも、真ん中の女王様のようなお方、気高く美しく、妖しいまでの魅力、切れのある動き、さすが、今回の主役のプアリリア樹さん。ソロフレーズは、さらに激しく、キレキレで、なまめかしく、美しく、すごかった。そして、フィナーレ。照屋実穂 フラガール ~虹を~に合わせて。「雨上がりの虹を追いかけた黒い瞳に映る光を 君の涙をそして笑顔を 僕はいつまでも忘れないから星の見えない夜には 夢みるのさ 目をとじて名もないような花が いのちをふるわせて 咲いている」震災後、いろいろあっただろうが、くじけず精一杯がんばっているフラガールにぴったりなフレーズ。じんとくる。「大地に光を 果てしない夢を 太陽にキスを 変わらぬ瞳を」希望と夢をもって、感謝しながら、生き続ける、これも今の福島、いわき、フラガールにふさわしい言葉だ。感動のフィナーレ。スタッフ紹介。最後の一礼。約40分間、フラガールは、とてもかわいく美しく、元気いっぱい頑張っていた。ハワイアンズの温泉もプールもいいけど、やっぱり、フラガール。まだまだ大変だろうが、来年2月には、フラ・ミュージアムもできて、グランドオープンもするし、ますます魅力を増したフラガールを、また見に行きたい。もちろん、泊まりで昼と夜と。いわきの復興のために、そして、自分の元気のために、フラガール、とってもおすすめのステージだ。フラガールhttp://www.hawaiians.co.jp/show/index.html
2011年11月29日
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3階の更衣室へ戻って、水着を脱いで、まずは、スプリングパークの温泉大浴場パレスへ。男性用大浴場。右手前に洗い場があって、あとは、かけ湯、左の岩壁の中はジャクジー、正面にみかげ風呂。高齢者無料だけあって、年寄りがそこそこ入っていた。水着きるわけないし、温泉大浴場の方に集まるよね。みかげ風呂からつながっている露天。御影石で囲まれ、まろやかで透明で弱めの硫黄泉なんだが、黄色っぽくみえて、一番、温泉らしい湯だった。奥の東屋の中には、檜風呂があって、ここは芋洗いのように混んでいた。あとで、分かったのだが、檜風呂は数少ない源泉掛け流し・加水無しだった。露天に浸かっていると、何気ない周りの山や緑、青空なのだが、平和で心地よかった。 室内に戻り、奥の打たせ湯。さらに奥に入って、サウナ。 更衣室に戻って、服を着て(館内は暖かいので水着でもいいのだがそういう年じゃないし)、もう一つの温泉大浴場へ向かう。いったん、2階のスプリングパークプラザへ戻って、反対側の通路へ。右には休憩所もあった。お年寄りがいっぱいいた。通路をすすむと、途中の売店はやっておらず、右の奥のトロピカルガーデンも休止中。 さらに、歩いて行くと、エスカレーターがあって、やっと与市がみえてきた。与市の入り口付近に、お土産処があって、江戸風の懐かしい小物やせんべいなどを売っていた。また、そば処与市もあって、そこは年配の方で混んでいた。 靴を脱いで上がって、男風呂へ。ロッカーにあずけて、湯屋へ向かう。江戸時代の銭湯の風情を再現したもので、露天で満喫できるようになっている。まず、かけ湯をしてから。露天は、とても広くて、江戸風の建物に囲まれ、風情があった。男女あわせて、1000m2で、ギネス認定の世界最大の露天風呂らしい。いわき湯本の名湯がたっぷり。循環ではあるが、湯はいいし塩素臭も気にならないし、何よりハワイアンズには他にもいっぱいいろんな温泉があって、それを満たせるとはすごい湯量だ。草津の西の河原露天風呂がすごいと思ったが男女あわせて500m2、倍とは恐れ入る。まあ、西の河原は男の方が広くて300m2ぐらいあるし、掛け流しで湯力もすさまじいし、緑あふれるとても開放感のある露天で、個人的には一番だとは思うが。いわき湯本だと、山と空ぐらいだし、開発が進んでいるから、大自然というよりハワイアンズのような巨大テーマパークがふさわしいんだろうな。ちょうど、昼時だったので空いていた。 真ん中の蔵風の建物には、薬草蒸し風呂があって、蒸気が満ちてすごかった。あとは、宿泊すれば、ホテルにも大浴場があるし、来年2月になればウォーターパークもオープンするし、本当に、広くて、温泉とプール巡りだけでも二日はかかりそうなところだ。さて、時間がせまってきたので、急いでスプリングパークプラザへ戻って、「カウカウ」でロコモコカレー1000円を。テーマパークなので、ちょっと割高だが、ハンバーグも大きくて肉しっかりだし、カレーも味が濃いし、ほかもていねいで、なかなかおいしかった。きずなアトリウムにも、どこから来たのか、大勢の客が集まってきた。やはり、若い人は少なくて、年配の方が多かった。時間には、ほぼ満席。混んでいる時だと、席取りとかも大変で、さらに2階席とか立ち見も多いんだろうな。13:30、フラガールポリネシアンショーの始まり。約40分の感動的なショーだった。がんばっぺ、いわき。震災でいろいろあったが、いわきも、ハワイアンズも、フラガールも、頑張って復興への道を歩んでいる。これだけの巨大施設だし、震災前の大繁盛ぶりからの落差を考えると、経営は厳しいだろう。でも、ハワイアンズには、また、観光客があふれるだけの魅力とパワーがある。現状の部分オープンでも、とてもお得になっていて、良さは十分に満喫できるし、来年2月8日のグランドオープン後には一段とパワーアップしたハワイアンズが楽しめる。大変なことだろうが、頑張ってほしいし、応援したい。行こう、行こう、湯の国へ~行こう、行こう、ハワイアンズスパリゾート ハワイアンズhttp://www.hawaiians.co.jp/福島県いわき市常磐藤原町蕨平500246-43-3191
2011年11月28日
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スパリゾート ハワイアンズは、いわき市にある日本の中のハワイ、楽園だ。フラガールで有名で大人気だったが、震災で津波の被害はないも地震でプールやホテルなどの施設が損傷し、営業を中止していた。その間、フラガールは全国きずなキャラバンとして、全国を巡業していた。そして、10月1日に、約200日ぶりに営業再開した。宮城だと、バリハイセンターというのが昔、釜房湖畔にあって、そっちの記憶と混同してしまうが、ハワイアンズ(ハワイアンセンター)には子供の頃に1度だけ行った気がする。温暖な巨大ドーム、大きなプールに流れるプール、ハワイアンショー、子供ながらにすごいところだと思ったような。11月のはじめに、久しぶりにハワイアンズに行きたくて、フラガールを見てみたくて、訪ねた。ハワイアンズは、いわき湯本ICで降りて、南国あふれるロードを少し走ると、巨大な一大テーマパークとしてみえてきた。ゲートをくぐると、以前と違うような。。小さいとき来たときは、メインのホテルと巨大なドームぐらいだった気がするが、いろいろ増設して、さらに右手前にあるモノリス・タワーを2012年にオープンする予定のようだ。ハワイアンズのメイン施設の巨大ドームに大きなプールやスライダーなどのウォーターパークは改修中(2012年2月8日オープン予定)で、もうしばらく入れない。素通りして、日帰り用の第2駐車場へ向かう。駐車場から施設をみると、正面にウイルポートとスプリングパーク、その奥に改修中の巨大ドームがみえる。広い駐車場(無料)だが、右奥の入場口近くに車がそこそこ停まっている程度。 入場口近くに車を停めて、少しだけ坂を上がって、右奥でチケットを買って、仮入場口から中へ入る。 2012年2月8日にグランドオープンするまでは、大人1500円と約半額になっている。さらに、70才以上無料、子ども無料の大盤振る舞い。おかげで、ほとんど年寄りの集会場状態だった。地元サービスなのか、食事代や同行する大人の料金でまかなうのかは分からないが、難しいところだ。施設に入ると、部分オープン中の案内図と説明があった。部分オープン中は、メインのウォーターパークが使えないので、入ってすぐのスプリングパークのショー会場を中心に、いろいろな温泉やプール巡りをすることになる。 スプリングパークプラザ特設会場「きずなアトリウム」。広いドームの中の会場で、昼と夜のポリネシアンショーの場所となる。全国きずなキャラバンを終えたフラガールの活動の様子がパネルやビデオで展示されている。昼の部は13:30からなのに、昼頃から席取りが始まっていた。あとは、端の方に、売店と飲食店。 スプリングパークの売店「ミラス」。本来は、ウォーターパークにたくさんショップがあるのだが改修中なので、売店はこことホテルの売店ぐらい。でも、空いてたなあ。飲食店の「カウカウ」は、ロコモコ丼とかドリンクなどがあるのでそこそこ客がいた。 奥の通路を抜けて、水着などのレンタルショップの前を通り、エレベータでスプリングパーク3階へ。男女に分かれ、更衣室に入り、ロッカーに荷物を入れて、水着にきがえる。おじさんなのに、水着とは恥ずかしいな。で、右の写真の手前から、右へ行くとスプリングタウン、さらに手前に行くとスプリングパレス。 まずは、スプリングタウンへ。水着のまま、足洗い場を通って、広場へ抜ける。スプリングタウンは、3階から5階まで吹き抜けになっていて、ヨーロッパ調の屋内スパ。大きめの温泉浴槽が二つあり、34度なので、プール感覚で入れる。というか、温泉弱めで、塩素臭もあるし、温水プールに近い。あとは、端の方に、オンドル、ジャグジー、打たせ湯、ミストサウナなどもあった。3階にこんなに大きなとっても立派な施設なのに、利用してる人少なかったな。4階に上がって、ピロティーから眺めると、やっぱりでかい。奥の方の明るいところは、スパガーデンパレオ。4階の奥から、ビニールのカーテンをくぐって、外のパレオに出る。スパガーデンパレオ。屋外温泉プールで、奥のオブジェで遊ぶレッドゾーン、手前の落ち着いた雰囲気のブルーゾーン、さらに、右の方に緑の中のグリーンゾーン、ロマンティックなイエローゾーンがある。11月の初めだったが、日差しがまぶしくて、気持ちのいいあたたかさだった。写真にはみえないが(水着だから問題ないんだけど写らないように撮っている)、そこそこ楽しんでいる人はいた。 グリーンゾーンは、西洋ツゲがきれいに刈り込まれ、コニファーなどで西洋庭園になっている。中に、歩行浴などあって、リフレッシュ効果がある。ゴールドクレストの枯れこみが少し気になった。強いけど弱いコニファーなので、震災後の水切れとかのダメージだろうか。イエローゾーンは、広場を中心に音浴風呂などいろいろあった。 レッドゾーンには、洞窟風呂、さらにいろいろなオブジェがあって遊べる。右の写真の奥のブルーゾーンには、ジャグジー、寝湯など、あとUFOみたいなパノラマサウナ。まあ、スパガーデンパレオも、温泉というより屋外温水プールに近い感じ。水着で遊んだあとは、温泉らしい温泉へゴー。ハワイアンズは、ほんとに広い。
2011年11月27日
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いわきマリンタワーは、いわき市小名浜の三崎公園にある展望塔。標高46mの高台の一角に立つ高さ60mの塔で、海抜106mの展望台から、360度のいわきのパノラマを眺めることができる。岬に近づくと、遠くからでも巨大な展望塔があるのが分かる。さらに近くの駐車場に停めて、歩いて行く。高さ60m、海風の強いところに、ガラス張りでよく建てたものだ。大人320円を支払って、中へ。1階の小さな売店を通り越して、エレベータで一気に最上階の展望室へ。展望室からは、いわき市のパノラマを一望できた。天気もいいので、さらに階段を上がって、屋上のスカイデッキへ。スカイデッキに出ると、ビュービュー海風が吹いてくる。11月の初めのころだったが、結構、寒かった。小名浜港側をみると、眼下に広くきれいな三崎公園、遠くに防波堤を何重にも張り巡らせた小名浜港がみえてくる。遠目に見る分には、以前とかわらない美しい港の風景だ。小名浜港は、震災で5mの津波に襲われ、1階相当部分が強い被害を受けた。よくみると被災の跡が残っているが、漁業や工場地帯でもあり、だいぶ戻ってきていた。右手前に小名浜魚市場と埠頭があって、漁船も少ない気はするがあった。6月16日に再開、カツオの水揚げをする予定だったが小名浜港で水揚げすると福島県産となり買い手がつかないため断念。それでも、8月29日に震災後初のカツオの水揚げ、10月15日にサンマの初水揚げがあった。実際は、福島第一原発より半径100km圏内の海域では操業は自粛しており、魚も港も放射線の問題はないのだが、風評被害に苦しんでいる。さらに中央の白い屋根の大きな建物は、いわき・ら・ら・ミュウ。いわき市観光物産センターで、以前はたくさんの海産物など物産が並んで活気があった。ここも被災と風評に苦しみ、何とか11月25日にリニューアルオープンした。その奥のエメラルドグリーンの160mの細長いガラス張りの建物は、アクアマリンふくしま。津波で建物は耐えたが1階全体が浸水し、9割の魚が死亡した。さらに震災後に燃料と餌の調達が難しくなり、海獣など一部は首都圏の水族館へ移送されたが、残った海洋生物20万匹は全滅した。それにもめげず、7月15日に再開した。北側をみると、手前に砂浜が広がり、奥には海岸線と山々が連なる。砂浜のところには、防波堤があって、すぐ内側に、福島県唯一の水産高校のいわき海星高校がみえた。津波で1階の被害が大きく、校舎を利用できなくなり、近くの小名浜高校など他の施設を借りて授業を行っていたが、最近、3階でできる一部の授業を再開したようだ。いわきの津波は最大7mだった。さらに、ここから54km北の海岸線には福島第一原発がある。もちろんみえるはずもないし、爆発時は海風だったのか、南側のいわきの放射線量は宮城と変わらないぐらい低い。駐車場にて。すいません。結局、震災後に買ってしまった。11月はじめで、空間放射線量率は、0.19μSv。まったく、問題ない。福島市、郡山市よりもずっと低かった。ちなみに福島市、郡山市も問題ない範囲。いわきの場合、いわき市が合併で大きくなり、北側の一部にホットスポットがあるが、大部分は問題ないし、いわきの中心街、湯本、小名浜など主要なところは全く問題ない。完全な風評被害といえる。いわきからの帰りの常磐道。左が磐越道、まっすぐが常磐道への分かれ道。広野-常磐富岡間は、いまだに災害通行止め。あの半径20km圏内にあたる。いわき市は、人口33万人、東北地方では、仙台市に次いで多い中核都市だ。今回の震災で、死亡者数310名、行方不明者38名。海際の津波の被害は大きいが、街自体がそこそこ標高があるので助かり、それよりも液状化による段差の被害、そして放射線の風評被害が大きい気がする。いわきは、東北の湘南と言われるだけあって、冬でも比較的暖かく、海も山もきれいで魚もおいしかった。東北で二番目に大きい街でもあり、いろいろ大変だろうが、復興を心からお祈りするとともに、「がんばっぺ いわき」。ということで、しばらく、福島の話をします。風評被害に苦しんでいるところが多いので、現状をきちんと知ってほしいし、福島には頑張ってほしいのです。
2011年11月26日
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和風レストラン 田園 山元店は、山元町の国道6号沿いにあり、海から2.4km、すぐ下の田んぼまで津波がきたが、10mの高台にあるため無事だった。夏頃に、活穴子天丼が食べたくて訪ねた。いつも、田園というと、手前の亘理の田園に行くのだが、今回、初めて山元店に行った。国道沿いの和風ドライブインのような雰囲気で、駐車場も広かったがほぼ満車だった。運良く、片付け終わった席が空いたので、少し待って座れた。もちろん、満席だった。 活穴子天丼は、穴子が少なかったからか無理で、活穴子海老天丼定食1627円にした。厳選された近海産の大きく分厚い穴子はふっくらやわらか、風味も上品で、からっとながらしっとりめの衣と薄めのダシも合った。海老もおおぶりで身がしっかり、からっと揚がって、御飯はやや硬めだった。女川のニューこのりの豪快な活穴子天丼が一番好きなのだが、全壊して目処も立っていないし、田園のは、少し上品な気がするが、これも十分な絶品だ。漬け物、サラダ、味噌汁は、家庭的な味でよいが、亘理の田園の方がていねいでいいかも。 夏場だったので、四季の名物めしは、ほたてめし定食1575円だった。でかくてぶあついほたてがいっぱい、上品な薄醤油味、しょうがも合って、御飯はつやっとやや硬め、これもとてもおいしかった。お吸い物、きんぴらゴボウで、使い分けがしてあった。亘理と山元町の名店、田園。和食定食や寿司、さらに、四季のめしとして、ホッキめし(12月中旬頃~4月初旬頃)、シャコめし(5月頃~6月頃)、活穴子天丼(5月~9月)、はらこめし(9月頃~12月中旬)がある。特に、はらこめし、そして元祖のホッキめしが人気だ。ちょうど今がシーズンで、おすすめの店だ。和風レストラン 田園 山元店http://r.tabelog.com/miyagi/A0402/A040204/4002127/宮城県亘理郡山元町高瀬字南下高瀬900223-37-033410:00~20:30、火休駐車場あり以上で、宮城県内の津波で被災した地域の現状は、おしまい。あとはもっと、復興に向け頑張っている店とか載せたいんだけど、少しだけ寄り道を。
2011年11月25日
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山元町は、宮城の海沿いの一番南の町で、人口約1.5万人、今回の震災と津波で死亡者671名、行方不明者19名。ここも被害が甚大だったところ。津波の高さは約10m、海際には約6mの防潮堤と広い防潮林があったが破壊され、海から400~1900mのところに高さ7mの常磐線があったが破壊され、さらに海から3km前後の高台にある国道6号でやっと止まった。写真は、夏頃だが、今も変わりないと思う。遠くの海側の防潮堤は壊れ、防潮林はほとんどなくなり、田園に点在していた民家はほとんどなくなってしまった。一部で残った建物も1階部分が強く破壊されていた。山元町の津波は、YouTubeに「東日本大震災の大津波が山元町坂元を飲込む瞬間」であがっている。山元町も、亘理と同じ、イチゴ栽培が盛んなところで、両地区で95%以上のイチゴ農地が被災したが、除塩やハウス修復に取り組み、11月19日に今期の初出荷をはたした。ただ、山元町の方が主要道路の国道6号が海に近く、中心街の一部まで浸水してしまった。さらに、福島第1原発から北に60km離れているが、震災後間もなくは放射能の風評被害もあった。(空間放射線量率も農作物の測定も全く問題ない。)今後は、防潮堤の修復、農地の除塩、国道6号付近への高台移転、常磐線の移転など、大変だろう。亡くなった方のご冥福と山元町の復興をお祈りする。
2011年11月25日
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宮城の秋といったら、亘理のはらこめし。冬になったら、ほっきめし。しかし、はらこめし と ほっきめし で有名な亘理町荒浜は、大津波に襲われ壊滅してしまった。一番人気のあった あら浜は、全壊、でもこの前、店主が仙台三越のフードガーデンではらこめしを売っていたので、ほっとした。昔からの根強い人気の 田園は、国道6号沿いなので無事。いつも行列ができていた 浜寿しは、全壊。(店の人は無事。)温泉と物産が人気だった わたり温泉 鳥の海は、建物は残ったが被害がひどく、休業中。名だたる店が、ほとんど被災してしまった。それでも、亘理町では、12月15日まで、はらこめし満喫スタンプラリーなるキャンペーンをうって、一部の店が頑張っている。今回は、田園はいつも食べているので、前から気になっていた海仙を訪ねた。東部道路より西で、海から3km近いが、この辺りでも床上浸水。なんとか復旧して、6月18日に再開した。はらこめしをやっているところが少なくなったのもあって、店の中で待ちができていた。はらこめし 折 1470円。いくらは新鮮でぷちっとして、鮭はやわらかで味もよく、ごはんは上品な薄めの味付け、おいしかった。具が多くてうれしかった。和風れすと 海仙http://www.kai-sen.com/index.html宮城県亘理郡亘理町逢隈高屋字倉東57-60223(34)344711:00~15:00、17:00~21:00 火休駐車場ありみやぎ生協 亘理店。海から約4km、この辺りまで津波がきた。今は、前と同様、地域の食卓を支えている人気店。はらこめし598円。ごはんは少しぱさっとしてるが味もしみ、鮭はほっくりだがちょっと茶色みあり、イクラは新鮮めぐらいでそこそこの量、まずまずおいしかった。まあ、この値段だから立派。あとは、適当に刺身とお総菜を。荒浜港は6月25日から再開しているだけあって、地物も入って、赤身はまずまず、ハマチは脂乗りよくぷにっとめ、サーモンは味わいよく新鮮、ほたては大きく甘みあり、どれもおいしかった。はらこめしは、阿武隈川の鮭が昔から有名で、荒浜漁民が漁師料理だった鮭の腹子を御飯に炊いた「腹子飯」を伊達政宗公に献上したところ、とても喜んだのが始まりとされている。秋になると、県内外から大勢の人が食べに来る、まさに宮城の秋を代表する味覚だった。少しずつ、再開はしてきているが、また、荒浜で絶品のはらこめしが食べれるようになる日を信じて待ちたい。もちろん、今年やっているお店でも味わえる。海仙は11月末まで、田園は12月15日までなので、ぜひどうぞ。
2011年11月24日
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亘理町は、約8mの大津波に襲われ、海沿いの荒浜など甚大な被害を受けた。人口約3.4万人のうち、死亡者257名、行方不明者13名。国道6号方面から、亘理の町を東西に走る県道10号を東へ走っていくと、亘理駅近くの中心街はほとんど被害がなかったが、東部道路がみえてくるあたりから、少しずつ被災の跡がみえてくる。そして、東部道路をくぐって、荒浜の方へ向かうと、写真のような荒野が広がる。夏頃なので少し前になるが、全壊した建物の撤去もだいぶ進んで、海の方に膨大な瓦礫の山が巨大な堤防のようにみえた。海の方は、被害がすさまじくて、工事車両もめだち、とても行ける状況ではなかったので、北へ進路をかえると、やはり、一面の住宅街は消えて、右の奥に荒浜雨水ポンプ場の建物が残っているだけだった。道路の奥の田んぼは冠水したままだった。さらに遠くに見える青いシートは、阿武隈川の堤防。北上して、阿武隈川の堤防わき。5m近い堤防は一部壊れ、修復されていた。一部の強い建物は残っていたが、1階部分を超えて壊れていた。亘理町荒浜の津波は、YouTubeに「東日本大津波15m壊滅衝撃瞬間の宮城県亘理町荒浜小学校」であがっている。最大8mの津波がぶつかり、波しぶきが15mまであがったということで、民家のあたりは5mぐらいだと思う。それでも、恐ろしいまでの勢いだ。あとは、海から約2.5kmの東部道路(常磐道)が堤防の働きをして勢いが弱まったが、泥水は5km近くまで達した。亘理の場合、町の中心が亘理駅と国道6号線にあり、そこが無事だったのは不幸中の幸いだった。亘理といえば、海近くのきれいな平野で、のどかな田園風景が広がり、海沿いの荒浜は漁港や鳥の海、そしてきれいな海があって、秋のはらこめし、冬のほっきめしがとてもおいしいところだった。また、東北最大のイチゴの産地でイチゴ狩りも有名だった。一部は再開しているが、ほとんどが失われてしまった。ここも、復興には膨大な時間とパワーが必要なところだが、がんばってほしい。
2011年11月24日
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仙台空港は、名取市と岩沼市に跨がる海の近くの平野にあり、海から約1km離れているが、最大5.7mの津波に浸水した。空港としての機能を失ったが、あの米軍の「トモダチ作戦」によって被災後5日でメイン滑走路が使用可能になった。以後、物資輸送の重要拠点として機能した。4月13日、東京便、大阪便を再開、7月25日ANAの定期便が再開、9月1日JALの定期便が再開、9月25日に国際定期便の再開と空港ビルの完全復旧をもって全面復旧となった。駐車場は9月1日から再開、仙台空港アクセス鉄道は10月1日に全線運行再開した。久しぶりの仙台空港。9月に国内線が復旧してから利用したが、周囲にあった有料駐車場の建物はほとんどなくなり(駐車場は運営していた)、以前とは違った光景だった。左の奥にみえるのがターミナルビル。道路もデコボコや汚れが残り、被災のあとが痛々しかった。仙台空港は、標高1.7mあったが、1階の床から3mまで浸水したそうだ。9月に行ったときは、駐車場からの連絡橋のエスカレータ側が修理中で使えなかった。2階の国内線出発ロビー。ANA、JALの受付カウンターが並び、広々としてきれいで、まったく、前と同じにみえた。本格再開して間もなくだったからか、ひとけが少なかった。国内線出発口。その奥に売店があって営業していたが、ロビー側の売店が前より少なかった。国内線搭乗待合室。仙台空港らしい、丸いトンネル状の待合室。大きなガラスからは滑走路がみえる。ここも2階なので、まったく以前と同じ。滑走路とターミナルビル。利用した飛行機が、バス移動だったので、滑走路側から全容を眺めることができた。なんとなく、滑走路が汚れているぐらいで、変わりなかった。ただ、遠くの海側の林が寂しくなっていた。仙台空港の海沿いにも5mの防潮堤と幅広い防潮林があったが、破壊されてしまった。あとは、帰りの到着ロビーが1階になるが、そこも変わりなくきれいだった。仙台空港の津波は、YouTubeに「仙台空港を津波が襲う瞬間」であがっている。仙台空港は、宮城と札幌、成田、小松、名古屋、大阪、広島、福岡、沖縄と日本各地をつなぐ大切な空港で、国際線もグアム、ソウル、台北と結ぶ。近隣の県からの利用も多い。まさに交通の要であり、完全復旧は果たしたが、今後の津波対策、そして、最近は便数の減少が目立っていたので更なる充実が望まれる。仙台空港http://www.sdj-airport.com/
2011年11月24日
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閖上の名店、浜や。津波で、閖上店は全壊し、甚大な被害を受けたが、8月4日、あすと長町店として再開した。閖上のことを書いているうちに、どうしても行きたくなって、今日のランチで行ってきた。。あすと長町は、仙台の新都心として、仙台の南側のJR長町駅を中心とした土地区画整理事業でできた新しい街。「明日」or「us」+「都(と)」で、未来のわたしたちのまちという意味。その中でも、長町駅の東となりに今年の6月にできたのが、エスアールジータカミヤ スポーツパークだ。あすとスポーツタウンの一つで、ほかに、今年の11月にできるスーパースポーツゼビオ、さらにプロバスケットぼーるbjリーグの仙台89ERSのホームアリーナとしてゼビオアリーナも建設する予定らしい。エスアールジータカミヤ スポーツパークは、ちょうど、JR東北本線、東北新幹線の高架橋の隣りにあって、道路側にお店が入ったテナント棟、その奥に屋根付きフットサルコート、さらに奥にインドアテニススクールとバスケット用のドームがあった。 テナント棟と歩道をはさんで、巨大なゼビオが建設中だった。遠くの空き地は、杜の広場という公園で、その高架橋側にゼビオアリーナが建てられるようだ。更に奥の空き地には市立病院が移転する予定。スポーツパークの中のフットサルコートもでかかった。さて、漁亭 浜や あすと長町店は、道路側のテナント棟にあって、大きなのぼりが立っていた。店の外壁や窓には、閖上の風景や復興へかける意気込みが書いてあった。閖上の町がどうなるかは分からないが、再興するとしても数年は難しいし、閖上から近い長町で再開するのを決めたのだろう。中に入ると、細長い店舗にカウンター席が並び、左手に小上がり、奥の方にテーブル席もあった。板前さんと従業員の声、活気があった。開店間もなくだが、休日ということもあって、待ちができていた。事前に、混むという情報があったので、予約していて良かった。小上がり席へ。一人は、浜やの浜丼850円。どんぶりいっぱいの海鮮丼に、大きなアラ汁、漬け物が付く。ガラおきの器など。海鮮丼は、赤身、タイ、カンパチ、ネギトロ、蒸しえび、カニ身がのって、どれも新鮮で脂ののりとかもよくおいしかった。酢飯もよかった。アラ汁もおいしく、とてもお得なメニュー。もう一人は、海鮮ちらし2200円。豪勢に、旬の魚介が12品盛られ、アラ汁と漬け物は同じ。 一番手前のオレンジからサーモンピンクでタコ足のような切れ目を入れた貝は、閖上の赤貝! 赤貝漁、12月からと聞いていたし、メニューに赤貝丼がなかったので諦めていたが、少量なら入ってくるのだろうか。とにかく、日本一の赤貝、じっくりとかみしめて、いつものぷにぷにと上品な貝の味わいを楽しんだ。ほか、ボタン海老は大ぶりで甘くくにっと、シャコは味わいよくぷにぷに、ホタテは甘みありぷにっと、ずわいかには新鮮で甘みもあり、生ウニは色も鮮やか新鮮で甘くこってり、大トロは脂のりきれいで味わいよくとろける、カンパチは脂がのってぷにっと、タイは上品で新鮮、ネギトロは脂がとろとろ、ホッキ貝は風味よくくにくに、カニ身が隠れているけど味わいよく、どれもおいしかった。酢飯も上品でつやもっちり、わさびも風味よかった。久しぶりにとてもおいしい海鮮丼を食べた。2200円以上の価値がある。アラ汁を飲んでいくと、鮭、鯛、カンパチなどの身がそこそこ入っていた。しっかりとした魚のダシと旨みがしみこんだ味噌味で、おいしかった。天ぷら盛り合わせ980円。エビは大きく新鮮、ズワイガニは甘みあり新鮮で大ぶり、キスはほっくり上品、野菜も新鮮、うすめの衣でさっくりからっと、上品な天つゆか抹茶塩で。どれもおいしかった。はらこめし 持ち帰り折詰め1480円。上品に脂がしっとりとのったほっくりとした鮭、大粒でぷちっと割れるイクラはヅケで甘く新鮮、あふれるようにのり、ごはんは適度にダシがしみてつやもっちり。亘理も大変だし、ここで食べても十分といえるおいしさ。 3年前に閖上店で食べた赤貝丼2480円。漁がある日のみで限定5食、東京の高級料亭に卸している閖上の赤貝を7個、わずかに甘くやわらかく弾力があって、おいしかった。ひも、肝も入って、ぷにぷにやいろいろな風味が楽しめ、さらに下にはツブ貝も隠れて、こりこり新鮮、ワサビ醤油に合って、おいしかった。カニのアラ汁もダシがよくでていておいしかった。閖上の浜やは全壊してしまったが、心意気と味は、以前と同じか、もしかしたら前以上によくなった気がした。刺身と天ぷらがおいしく、はらこめしは亘理の田園なみのおいしさ、さらに閖上の赤貝。サービスもていねいで、きれいで、メニューも豊富でお得感もある。震災前は、昼に魚を食べるなら、女川のニューこのりだったが再開の目処もたってないし、今現在、宮城で昼に手頃においしい魚を食べるならココだろう。超おすすめ店だ。漁亭 浜や あすと長町店http://r.gnavi.co.jp/t352500/宮城県仙台市太白区あすと長町1-4-30 S306022-748-411511:30~14:30、17:00~23:00(L.O.22:00) 不定休駐車場あり
2011年11月23日
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朝市と赤貝で有名な閖上(ゆりあげ)は、名取市の海沿いにある港町。10m近い大津波と、名取川を遡上した津波があふれ、地域ごと壊滅してしまった。びっしりと民家が建っていた街並みはなくなり、コンクリの強い建物などの残骸は残っていたが、瓦礫の整理もだいぶ終わり、辺り一面、更地になっていた。海際には高さ5mの砂丘と松林があって、防潮の役目をしていたのだが、乗り越えられたし、漁港や名取川からもあふれてきたので、かなりの修羅場だっただろう。右端の遠くにわずかに残った松林がみえるが、海まで何もなくなってしまった。閖上地区には、7103名の人達が住んでいたが、死者・行方不明者845人と、女川の約1割の比率を超える甚大な被害だ。亡くなった方のご冥福をお祈りします。右に小さく写っているのは、名取IC。海からここまで2.5km、こんなところまで、船が乗り上げたままだった。ずっと平地で、いくら逃げても追いついてくる。恐ろしい光景が想像される。この辺りは、東部道路の土手が最後の砦になった。東部道路の東と西では様相が違う。震災前の写真を一枚だけ。閖上港。広浦を利用した内港になっていて、ひなびてはいたが、小舟がずらーっと並んで、活気があった。朝市の時はすごいにぎわいだった。港の奥にみえるのは、閖上魚市場。約100隻あった漁船は全て流失した。宮城県にある9個の魚市場は、どこも甚大な被害を受けたが、今はすべて再開しているが、閖上が10月24日で最後だった。それだけ、閖上の被害は恐ろしいものだった。閖上と言えば、朝市、そして、日本一の赤貝。浜やの赤貝丼、おいしかったなあ。何を食べてもおいしかったなあ。浜やは、あすと長町で再開しているが、いつかまた、閖上の港をみて朝市でお買い物、赤貝などおいしい海産物を食べたい。(12月上旬に赤貝漁が再開するそうだ。)
2011年11月23日
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仙台市は、人口105万人の政令指定都市で、仙台港の辺りと若林区の海沿いが津波で甚大な被害を受け、死者704名、行方不明者26名だった。若林区の沿岸部は、仙台平野でまったいらなところで、海岸線に高さ5mの防潮堤と幅300mぐらいの防潮林があって、その内陸に田園風景が広がり、民家など点在していた。過去の津波の高さは3m以内であり、万全の対策のはずだった。しかし、千年に一度の大津波は、約10mの高さで襲いかかり、堤防は破壊され、松林もほとんどなくなり、内陸5kmぐらいまで及んだ。リアス式海岸などでは津波の高さが倍増することもあるが、仙台平野のようなまっすぐな海岸線で高さ10mというのは世界最大級らしい。震災後しばらくは、田んぼが泥だらけで、瓦礫や車などが置き去りになっていたが、最近は片付けも終わり、電信柱が新しく立て替えられ、海まで一面の荒野で、何もなくなっていた。YouTubeに「仙台市沿岸部を飲み込む津波」で恐ろしい動画があがっている。今後、6~7mの防潮堤を建設する予定らしいが、いずれにしても、同様の10mの津波には耐えられないので、住宅は集団移転して、農地は再生する方向のようだ。
2011年11月22日
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仙台港は、約7mの津波におそわれたところ。さらに、港湾が2.5kmほど深く入り込んでいるので、その周辺の工業・商業施設も海からの距離ではなく港からの距離に応じて被災してしまった。YouTubeに「三井アウトレットモール仙台港周辺に押し寄せた津波」で動画があがっている。アウトレットの辺りは、新しい商業地区で慢性的な渋滞もひどく、車で逃げようとして渋滞にはまり飲み込まれてしまった人も多かった。三井アウトレットパーク 仙台港は、甚大な被害を受けたが、6月25日に再開した。仙台東部道路は高架上にあるため無事だったが、下を走る産業道路と沿線の会社などは1階相当が強く破壊された。いまだに、被災したまま残された建物もそこそこある。仙台港と東部道路を活用し、多くの工場と会社、大型店が立ち並んでいた地域だけあって、早期の復興が望まれる。
2011年11月21日
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パティスリーカズノリムラタは、多賀城に行ったらムラタのマカロン、それぐらい有名な店だ。多賀城市の街中にあり、海から3kmちょっと離れているのだが、陸に入りこんだ仙台港からは1.7kmのため津波が押し寄せ、胸近くまで浸水したところだ。シェフパティシエが、YouTubeに「太平洋沖地震 津波の時の多賀城市町前の様子」で被災の様子をあげている。震災後、しばらく休業していたが、7月に再開した。1階部分は改装したはずだが、以前と変わらないように見えた。メイド風の従業員も。ちなみに、大きなポスターに書かれているように、駐車場は黄色のお店から少し離れた路地に入った緑色のところ。再開まもなく、行ったときのもの。モモのケーキは、やさしい甘さの風味、マンゴーのムースだったかな、甘く濃いめでよかった。クレメダンジュは、チーズが濃厚すっぱめ、中にジャムのアクセントで、よかった。マカロン カシスショコラ150円は、さくっふんわりで中のクリームも濃いめでおいしかった。エルメパリとかアオキのマカロンと比べるとちょっと弱いが、東北では一押し。最近のもの。タルトショコラバナーヌは、サクサクのタルトに、チョコレートクリームとバナナソテー、上品なチョコバナナでおいしかった。アジュール390円は、軽めのヘーゼルナッツクリームと桃のソースでやさしめの味、おもしろいけど、主張が弱いかな。和栗の極上モンブラン420円。栗の香りと味が濃厚で、やさしい生クリームと軽いサクサクメレンゲが引き立て役、絶品だろう。やはり、秋からは、ここのモンブランは外せない。中に栗が入ってないが、このモンブランはマロンクリームを味わうものだから。風味が濃い、早いうちに食べたい。あとは画像にはないが、パリパリにあぶった濃厚なクレームブリュレ330円も定番。いろいろあるが、宮城を代表するケーキ屋さんの一つ。特に、マカロン、和栗のモンブラン、クレームブリュレは東北を代表する味だ。被災にも負けずに頑張っているし、近くに行ったら、ぜひとも行きたいところだ。http://r.tabelog.com/miyagi/A0404/A040404/4002939/パティスリーカズノリムラタ宮城県多賀城市町前3-2-25022-362-77679:30~19:30(日・祝19:00) 火休・月1水曜不定休(祝日の場合は翌日)駐車場は近くにあり
2011年11月21日
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塩竃は、塩釜湾の奥にある街で、人口55828人、仙台港と塩釜港を合わせて仙台塩釜港というぐらい仙台からも近い港町だ。松島と同じ湾の奥にあるのだが、松島は津波の高さ3mといっても少し高さがあるので軽い被害ですんだが、塩竃は5mだったのと埋め立て地が多かったために被害が大きかった。死者33人、行方不明1名。実際の津波の様子は、YouTubeに「塩釜港の津波」であげられている。マリンゲート塩釜。1階部分を被災したが、5月から松島観光遊覧船と塩釜復興市として一部の店舗が再開した。12月からは金土日祝日だけ夜の営業も復活するようだ。街の方をみると、一階部分を強く壊された建物も残っていた。右のマリンゲート塩釜の駐車場の奥には、仮設店舗が並んでいた。この辺りは、場所によっては大潮で冠水するところもあるし(マリンゲートはしない)、津波がまた来たら危険な気がするが、マリンゲートの屋上とかに避難すれば大丈夫というか、埋め立て地の多い塩釜だから土地がないのだろう。さらに奥では、イオンタウン塩釜ショッピングセンターが6月末から順に再開した。さらに、街の方では、フランス料理の有名店、シェヌーが5月から、塩竃料理の翠松亭が7月から、寿司の有名店のすし哲が4月末に再開した。同じ塩竃でも、仙台港とつながる貞山運河沿いだと、酒のやまや や 本屋など閉じた店が多かった。やはり、海、川、港沿いは厳しい。また、被害の大きかった浦戸諸島も塩竃市に属しており、復興は大変だろう。塩竃は、日本有数のマグロの水揚げ港、寿司店の密度・かまぼこなど日本一を誇る、東北を代表する港町だけあって、頑張って欲しい。
2011年11月20日
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多聞山は、七ヶ浜町にある標高56mの小さな山で、松島四大観の一つ、偉観とされている。七ヶ浜町は太平洋に突き出ており、高さ12mの大津波に襲われた。人口2万弱のうち、70人が亡くなり、行方不明は5人。小さな半島自体が高台になっていて、その上に住んでいる人が多かったので、津波の割には死亡者数が少なかったのだろう。多聞山展望広場公園の駐車場に停めて、偉観の場所まで少しだけ歩く。すぐ右手に、東北電力仙台火力発電所が見えてきた。5mの津波で1階部分が被害を受け、来春を予定に復旧を目指している。 展望広場公園の遊歩道を通り、多聞山頂上の広場を過ぎて、少し階段を下る。 毘沙門堂に到着。地震で石灯籠などが倒れたようで直していた。堂の裏にまわると、小さな展望台があって、偉観となる。眼下に馬放水道、灯台のある地蔵島、大きな馬放島、さらに右奥に浦戸諸島が連なる。左には、塩釜湾と松島湾。遠くに見えるのが奥松島。さすがに、偉観といわれるだけあって、島々と海、白い灯台とその前を通っていく船、絶景だった。ただ、浦戸諸島も10mの津波の被害にあったところで、複雑な気分だ。さらに右下をみると、火力発電所の施設が2階まで破壊されたままだった。帰りに、お堂でお参りをした。
2011年11月20日
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ようやく暗くなってきた。ラウンジのシャンデリアとステンドガラスが光り始めた。 ラウンジバーでは、ドリンクサービスが始まっていた。アロエドリンク、アセロラドリンク、アイスコーヒー。コーヒーマシーン。イレブンテンの人も飲んでいいとのこと。 湯上がり用のフローズンシャーベット。お月見台へ出ると、ちょうど夕暮れ時で、夕日は背中側でみえないが、夕焼け色から紫がかった夜のとばりへ移りゆくさま、福浦橋や島々の微妙ないろあい、寂れた漁港、絵になる景色だった。足湯へ。夕暮れ時も、また違った絶景。漁港では、船も戻って後片付け、一日の終わり。風情がある。海風が冷たく、湯上がりで心地よい。シャーベットも忘れずに。夕焼けの福浦橋もいい雰囲気で、やはり、いいとこ取りのロケーションだ。18時になったので、夕食へ。昼と同じレストラン。 内側の席だったが、港の灯りが少し見えるぐらいだし、昼が窓際だったから。それなりの広さのレストランで、遠くに炭火焼き用の紅殻(べんがら)色のかまどがみえた。シックな中に差し色になっていてよい。夜10時に帰るまでにビール一杯ぐらいは余裕で分解できるので、瓶ビールを。テーブルにあったグラスで。まあ、宿泊2万前後の宿だからいいか。先付けは、昼に出たのでなし。前菜は、名大烏賊の塩辛はねっとりでコクがあっておいしい、小魚の南蛮漬けはすっぱめであっさり、三陸産蛸の軟らか煮もやわぷにでほどよいあまじょっぱさ、鴨旨煮はクセもなく美味、もずく加減酢はすっきりと、ツブ貝はくにっとほどよい味のしみ具合、夕顔の酢味噌和えはさっぱりと、どれも食べやすくなかなかの味。お造りは、近海地魚の盛り合わせ、おさしみさらだ。サワラは淡泊ながらうまみあり、マグロは赤身にほどよい脂で美味、マキエビはぷにぷに、ホッキガイはくにっと新鮮、どれもおいしかった。昼と重ならないのもいい。 台の物は、山形加茂港共和丸漁 極上紅ずわい蟹。二人で、そこそこの大きさ1ハイ。身もいっぱい、甘く味わいもよく、ミソもしっかりたっぷり風味よし、とてもおいしかった。 油物で、松島天然穴子と旬の野菜の天麩羅。身の厚い穴子はふわふわでほのかに甘く上品な味、からっと揚がって、スイートコーンなど付け合わせもていねい。抹茶塩で。とてもおいしかった。松島らしい名産でよい。 焼物は、名代松島牡蠣グラタン、あしらい。ぷにっと新鮮な牡蠣に、こってりマヨ風グラタンでおいしかった。これも冬の松島らしい。煮こごりもしっかり味でよかった。強い肴で、宮城県産荏胡麻豚の仙台味噌焼き。脂っぽいがうまみがあってやわらかく、味噌も甘めで濃くてよく合って、おいしかった。ゴボウの素揚げも合うし、地物焼き野菜の黄味酢掛けは、ぼっちゃんかぼちゃ、ムラサキイモ、銀杏でていねいな味だった。 ダッチオーブン焼き。なんとサービス品。エビ、カニ、白子、キノコに野菜がごろっと入って、甘めでダシがきいて、なかなかの味だった。止め椀で、おくずがけは、あまじょっぱさのあるあんかけ風お汁で、豚バラ、キノコ、糸コンなど入って、おもしろい味、ごはんに合いそう、で、おじやにしてみた、やっぱりぴったり。お食事は、ひとめぼれで、つやもち、こめどころだから御飯がおいしいのは重要。香の物は、ていねい。食後のデザートは、ラウンジバーへ移動して。ていねいに誘導してくれる。 席に着くと、パティシエが、キャンドルを灯しにきて、しばらくして、パリパリに焦げ目をつけたカボチャのクリームブリュレ、温かいハーブティーを持ってきてくれた。ブリュレはカボチャ濃いめでよく、ティーはレモングラスとオレンジピールの香りと味ほどほどで飲みやすかった。あとは、ドリンクサービスのコーヒーを。外は、庭のライトアップぐらいで暗闇だが、キャンドルの雰囲気もあるし悪くはない。最後まで、きちんとサービスがあって、印象もよかった。料理は、海の幸主体で、ちょっと垢抜けない感じはあるが、食材も豊富だし、味付けもよく、頑張っている。やまきダイニング 風の光 お献立表がきたので、昼の先付と夕食を合わせたものが標準のダイニング食(今回の部屋だと17850円)なのだろう。あとは、レストラン食の、一部は好きな食材4品を選んで炭火焼きというのが、昼に出た焼き物3品だろう。おいしいどころ取りのメニューだ。となりの海風土の方がおいしいけど価格帯も違うし、宿泊2万を少し切る宿ではいい方だと思う。特に今回の昼夜で1万を切るプランの食事でこれだけ出されたら、最高としか言いようがない。普通のレストランとかで食べても、食事代だけで1万は行きそうだ。 夕食後も帰るまでまだ3時間ぐらいある。夜の大浴場へ。夕食が早めなので、やっぱり貸し切り状態。外は真っ暗、島がかすかにみえるかなぐらい、窓に映っているのは室内の明かり。窓際だと、漁港のライトもみえた。部屋に戻ると、窓の外は、庭と月見台の明かりが少しあるぐらいで、海と松島は真っ暗。福浦橋、ライトアップされるはずなんだけど、震災の影響なのか、されてなかったな。 最後に、足湯に入って。港の灯りが、ひなびた感じでよかった。あとは、夜の10時まで、ゆったりして、チェックアウトしたら、家に帰って、寝るだけ。以上で、9450円、破格。十二分に、松島を満喫した。参考までに、施設の案内図を。全室オーシャンビューが売りなので、海がみえない部屋は、繁忙期に格安で提供するのかな。あるいは使ってないか。高台というか、崖の上にあるので、一階と二階の、海に近く眺めのいいところを、大浴場や足湯、展望風呂付きの部屋にして、あとは、二、三、四階に客室、最上階の角部屋に貴賓室の海庭。陸側の方は、レストランとラウンジ。松島の眺めを、有効に使っている。伊豆とか九州とかだと、おそろしいまでの眺めの宿がそこそこあるが、東北だと、泊まったことがある範囲では、青森の不老不死温泉、秋田の栗駒山荘、岩手の湖山荘、宮城ではここ、福島の熱海荘の清流の部屋ぐらい。小松館は、料理とコスパもいいし、個人的には宮城で一番おすすめの宿だと思う。(いわゆる高級旅館ではないので、過剰に期待されても困るが。)特に、今回のイレブンテンはコスパ最高なので、近くの人は、震災後の疲れをゆったり優雅に癒やしにどうぞ。小松館 好風亭http://www.new-komatsu.co.jp/index.html
2011年11月19日
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昼食は、レストラン「さざ波」で。温泉と同じ1階の陸側にある。 昼食をとっている人はそこそこいたが、昼のプランではイレブンテンが一番高いからなのか、窓際だった。と言っても、外は、カキ処理場と漁港がみえるぐらいだが。まあでも、窓も広いし、海も見えるし、悪くはない。 まずは、サーモンと海鮮の土佐酢ゼリー掛け。夜の先付相当品。ウニは時期が時期だけに新鮮程度だが、トマト、サーモン、カニ、イモ、ジュンサイなどが入って、あっさりひんやりとした中に、いろいろな海鮮が楽しめおいしかった。 刺身盛り合わせは、ボタン海老は甘くぷにっと、ホタテも甘みがあってぷにぷに、サーモンも新鮮、氷できっちり冷えて、おいしかった。焼き物は、海老がでかくてくにっとして、醤油と味噌だれも適度、サバ焼きも脂乗りよく美味、シャモ肉の手羽先は噛むほどに味わいが出ておいしかった。これ、夕食の炭火焼きメニューでは?最後は、ごはんはひとめぼれ、つやもっちりでよい、漬け物しょっぱめも粕漬けうまい、しじみ汁ていねい、ほうじ茶。昼で、これだけ出して、夜はどうなるのだろう。。食後は、散歩。温泉旅館の定番。坂をおりて、海沿いの小道を歩くと、1階の大浴場部分、貸切露天、その上の足湯と月見台、さらに進むと、本館、奥の離れ風の展望風呂付きの部屋がみえてくる。この小道もあるし、足湯もあるから、窓の外の松は必要なんだろうな。しかし、海に浮かぶ小島の松といい、すごい生命力だ。少し歩くと、福浦島がみえてくる。日本三景が散歩コースとは、このうえない楽しみだ。遊覧船乗り場の方まで行って、お土産屋さんのあたりを巡って、ぐるっと、回ってきても小一時間。 運動したら、温泉。予約していた貸切露天風呂個室、離れ湯庵 潮彩の湯。15:30から予約可能で、昼からいるので、もちろん一番のり。45分間、無料。部屋に入ると、立派な踏み込みと洗面所とトイレがあって、奥が休憩部屋、左手が脱衣室になっている。休憩部屋も10畳あって、マッサージチェアとテーブルがある。テレビがあると書いてあるんだけどなかった。ガラスをはさんで、ベランダのようなところに立派な露天がある。普通に、露天付き宿泊部屋として使えるような気もするが、売りの一つなので、貸切にして回した方がいいのだろう。 脱衣所を通って、露天へ。二人は楽に入れる広さで、半露天のような感じで、窓を閉めたり開けたりできる。窓はすべてオープンにすることができて、角部屋を利用して、松島と港の両方が楽しめる。たまに、ウミネコが飛んでいたり、港に小舟が着いたり、下で作業している人もいて、それも一興、立っていると顔ぐらいみられる気もするが、細かいことは気にしないで、絶景を堪能しよう。すばらしい眺めだ。ずっと、浸かっていたい。松島の小島が近くて、ここが一番の眺望の温泉かも。あとは、夕方まで、昼寝もよし、ごろごろもよし、足湯や温泉に行ってもよし、適当にくつろいで。普通の昼プランだと、昼を食べて、一風呂浴びて、少し休むと15時とかで終わりになってしまうが、イレブンテンなら夕食18時としてもさらに明るい時間に3時間も余裕がある。松島は昼の眺めの方がいいし、松島をゆったり飽きるほどほぼ独り占め状態で満喫できて、とてもよかった。つづく。
2011年11月18日
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小松館 好風亭は、全35室の松島の眺めが自慢の宿だ。もとはホテルニュー小松で、温泉になったので行こうと思っていたら、震災で一時休業、8月25日に小松館 好風亭としてリニューアルオープンした。最近、イレブン・テン、昼11:00~夜10:00で0泊2食(昼夜)、部屋付きのプランに行ってきた。ホテルは、福浦島の近くの漁港付近の高台にある。大きなガラス窓は、ラウンジの吹き抜け部分。ちょっと年数はたっているが、高級そうな雰囲気。坂を車で登って、玄関前が駐車場になる。昼のプランもいろいろあるので、団体客と個人客がそこそこいた。玄関を入ると、右手にフロント、目の前にラウンジが広がる。前進松島、この辺りは、下の広い駐車場で膝下ぐらいの浸水で、ホテルは津波の被害はなかったが、地震と風評被害はあって苦労したことだろう。ラウンジの吹き抜け。そこそこの広さだが、全面ガラス張りで開放感がある。窓の外は、漁港と松島の眺め。あとは、かき処理場とカキ小屋など。フロントの向かい側には小さな売店。しゃれたお土産などが飾ってあった。手続きをして、早速、部屋へご案内。3階の足湯よりの部屋だった。目の前は、エレベータと吹き抜け。 部屋に入ると、すぐ左にトイレ、右に洗面所とバス、踏み込みがあって冷蔵庫と冷水が置いてあった。 トイレは狭め、ウォシュレット。洗面も簡素、バスはユニットで小さい。まあ、宿泊でも2万円を少し切る部屋なので、必要最低限あれば十分。部屋は、10帖和室。広縁や床の間もあるので、そこそこの広さで、二人なら十分。窓の外には、大きな松、その向こうに松島の小島達。いい眺めだ。 反対からみると、こぎれいな部屋で、液晶テレビ、冷暖房、金庫など、温泉宿らしい設備。部屋でお茶をいただいて、浴衣に着替える。ただ、ホームページの部屋の説明にインターネット接続可能と書いてあったのでノートを持って行ったのだが、部屋では使えず、フロントの脇のネット接続パソコンを使ってくださいとのこと。少しだけ苦言を呈すなら、ここのホームページ、些細な間違いが結構ある。細かいことで目くじらを立てる人がいるので直した方がいいかな。(個人的には、値段相応であれば、少々のことは気にしない。) 窓から外を見ると、左下に足湯と漁港、右には松越しに福浦島と福浦橋がみえる。正面だとこんな感じ。松は気になるが、しっかりと松島の小島はみえる。まあ、足湯もあるし、漁港もあるし、目隠し用に松が必要なのか、風情を出すためなのかもしれないが、日本旅館らしくていい。 お茶請けとお茶。あとは、夜遅くまでいるので、安心して、昼からお酒がのめる。冷蔵庫の缶ビール350円、ミネラルウオーター150円、良心的な値段だった。一段落したら、お風呂へ。大浴場、みはらしの湯。手前が女風呂、奥が男風呂、早朝入れ替え制。さらに左奥が貸切露天の潮彩の湯。男風呂。脱衣所は、こじんまりとしているが、きれいにはしてあった。浴場はそこそこの広さ、一面ガラス張りで、さすが松島という眺め、気持ちがいい。 左側には漁港、右側には福浦島。たまに漁港を行き来する小舟などあるが、遠めだし、風呂の方が暗めなのでほとんど見えないんじゃないかな。個人的には、漁港も景色の一部として楽しめるし、いいと思う。正面には、松が一本あるが、松島の小島がきれいにみえて、絶景だ。来て良かった。温泉につかって、ゆったりと、松島をながめる。きれいな小島と海、飛び交うウミネコ、たまに漁船、いつまでも入っていたい。昼時なので、ほとんど独り占め。朝日や夕暮れ、月明かり、どれもすばらしいだろう。泉質は、無色透明でまろやか、塩素臭はほとんど気にならない。いい湯だ。右側、遠くを見ると、少しだけ赤い福浦橋もみえた。湯上がりには、冷たいレモン水。女性側の大浴場。連れに撮ってきてもらった。こちらの大浴場は、老松がいい雰囲気で、きれいに朱塗りの福浦橋がみえる。文句なしの絶景。女性用とはいえ、福浦橋から小松館の方を見たときは、建物自体が点みたいなもんだし、ガラスは真っ暗だったので、全く気にすることなく、景色を堪能できる。こちらの大浴場には、露天風呂 汐のころてんが付いている。小さめだが、大浴場の眺めも抜群だし、男女交代制(朝から10時が男性、日中から24時は女性)になるわけだが、ほかに貸切露天や絶景の足湯もあるので、十分だろう。岩風呂に、潮風、松島の最高の眺め。まあ、欲を言えば、もう少し広くて、両方の大浴場に露天があればいいかな。湯上がりは、ラウンジバー「汐風」へ。ここも、松島の絶景。ビールやソフトドリンクなども頼める。外に出ると、手前に足湯、奥にお月見台。展望足湯「さゆりの湯」。JR東日本の宣伝で、吉永小百合が浸かった足湯だ。松島には、たくさんの旅館があって、いろいろなお風呂があるが、宣伝に使われただけあって、ここが一番ではないだろうか。足湯と月見台からの眺め。漁港、たくさんの小島、福浦島、福浦橋、松島の魅力がここに凝縮されている。すばらしい景色だし、ここも、昼の明かり、朝日、夕焼け、月夜、刻々と眺めが変わって、何度も楽しめる。月見台から、ホテルをみると、4階建てで、松を通して、客室が並んでいる。もう一度、松島をみると、何回見ても絶景は絶景。近いので、松島には何度もきているのだが、不思議に、いつも違った魅力を見せてくれる。一通り、温泉を満喫したら、昼食へ。とりあえず、字数制限もあるので、つづく。。
2011年11月17日
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円通院は、瑞巌寺の隣りにあり、伊達忠宗の次男光宗の死を悼んで開創された。入り口の山門。画像は2年前のものだが、ほとんど被災していないので同様だと思う。ちょうど、今の時期は、松島の紅葉、特に有名なのが円通院だ。庭園の木々は、色とりどりの紅葉で、素晴らしい眺め。コケ寺と言われるだけあって、コケの緑もきれいだ。情けない話だが、夜がメインなので、有料だし、外からちょっとのぞいただけ。今、思えば、昼も夜も見た方がよかった。外の通路を歩いただけでも、庭園の紅葉が見事なのが分かる。真っ赤だな~。夜に再び、山門へ。かがり火が燃えさかり、提灯がともり、観光客もそこそこいた。大人300円を払って中へ。山門を入ると、灯道がのびて、一面に、赤・黄・緑に紅葉した木々がライトアップされ、幻想的かつ感動的な光景が広がる。画像がぶれがちだけど、邪魔にならないよう三脚禁止なのだ。さらに、漆黒にきれいな明かりでフラッシュもためらわれる。となると、ひたすら、高感度のカメラで手ぶれに注意して撮るしかない。(一脚はok)左手をみると、石庭。きれいな白砂、石、石塔、照らし出された木々、すごいなあ。年をとったからか、日本庭園の良さがしみじみと分かるようになった。 いやあ、見事としか言いようがない。東屋のあたり。休憩所と日傘があるのだが、ちょうど、向かいに丸窓があって、むこうには灯道。さりげない中に、日本の美を感じる。ヨーロッパの緻密に計算された整然とした庭園もいいが、日本の奥深く趣のある庭もすばらしい。御霊屋(三慧殿)。緑に照らし出され、おごそかに鎮座する。中には、金屏風に、豪華な霊廟、白馬に跨がった光宗の像があった。御霊屋の脇を通り過ぎると、緑のカーテン。とても幻想的だった。あとは別の道を戻ってくる。洞窟群と墓標があった。バラ園の辺りだろうか。円通院は、支倉常長がヨーロッパから伝えた西洋文化の影響を受け、古来からバラが植えられていて、バラ寺の愛称もある。真っ暗だし、晩秋なので何もみえないが。。2年前の作品で、光のチューブが配置されていた。ちょっと変な感じがするが、和洋融和の円通院ならでは。あと、歩いていて、どこからともなく古代笛の音色がしたところもあった。よくみたら、遠くで着物姿で横笛を吹いていた。本堂の前には、庭園が広がり、心字の池がある。真っ赤な紅葉、紅葉や落葉した木々、緑に照らされた竹林、暗闇のツツジ、灯火、さまざまなものが色とりどりに照らし出され、漆黒の池に鏡のように映し出される。言葉が出ない絶景。まるで、自分の姿と心も吸い取られ、映し出されるようだ。まさに心字の池。あとは、本堂でお祈りをして、さらに戻る。入り口のところの庭園まで戻って終わり。帰り道。昼間見た真っ赤な紅葉もライトアップされ、すばらしかった。ついでに、近くの観瀾亭のライトアップも。観瀾は、さざ波を観るという意味で、豊臣秀吉の茶室を政宗がもらい受けたものを忠宗が移築した。昼は、入場料 大人200円で、さらにお茶を飲んだりもできる。ライトアップは庭を観るだけだが無料。大きな岩と、紅葉した木々が幻想的に照らし出されていた。やっぱり、暗闇には緑のライトが合う。最後のキメは、五大堂と福浦橋。ため息しか出ない。。松島、やっぱり、いいところだなあ。そう言えば、この前、松島に行ったときは、福浦橋、暗かったよーな。ライトアップ期間になったから、光ってるかなあ。松島は、本当に奥が深い。紅葉の松島、夜の松島もすばらしかった。紅葉ライトアップだけでも、見に行く価値がある。今年はちょうど、今が見頃。ぜひどうぞ。円通院http://www.entuuin.or.jp/松島紅葉ライトアップ平成23年10月29日(土)~11月23日(水) 17:30~21:00円通院、瑞巌寺洞窟群、比翼塚・三聖堂、天麟院、観瀾亭円通院は500円(他は無料)近辺に有料駐車場あり
2011年11月16日
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瑞巌寺は、828年に慈覚大師円仁によって開創された奥州随一の禅寺。現在のものは、伊達政宗が丸4年の歳月をかけ、1609年に完成した。荘厳な建物に、桃山様式の豪華な装飾がほどこされている。国宝に指定されている。津波の被害はほとんどなく、地震で白壁にひびが入ったぐらいで、問題なく再開している。画像は2年前のものだが、ちょうど同じ時期だし、ほとんど変わりないので。松島の観光船乗り場のところの商店街から少し入ると、総門がみえる。今頃の時期は、瑞巌寺の灯道が開催されているので、提灯が飾られている。長い杉並木の参道。津波で、途中まで泥水がきたそうだ。参道の辺りには洞窟群があり、本堂の手前には延命地蔵などが立っていた。境内からは、拝観料 大人700円かかるが、平成20年11月から平成30年3月頃までの間は、平成の大修理で、本堂、中門、御成門などがみることができない。本堂は前に見たことがあるが、荘厳な大きな建物で、桃山様式の装飾と豪華な絵画があり、美しい庭園があった。代わりに、庫裡、陽徳院 御霊屋などが公開されているが、今回は見送った。毎年8月6日~8日、毎年の紅葉のライトアップの期間は、瑞巌寺灯道として、夜になると総門に提灯の灯火がつき、参道にろうそくの明かりが灯る。長い参道の漆黒の中、竹の燭台にろうそくの灯火が延々と続く。紅葉ライトアップの期間だと、さらに、近くの瑞巌寺洞窟群が幻想的な緑で照らし出される。鎌倉時代から、納骨や供養として使われてきて、墓標などが立っている。きれいなんだけど、ちょっと怖い気もする。参道の終点には、たいまつが燃え光り、奥は境内になるが、夜は入れない。松島の瑞巌寺、無事でよかったし、修理中で本堂がみれないのは残念だが、今の紅葉の時期なら、自由に夜の灯道と洞窟群のライトアップが見学できるので、ぜひ見に行ってみてください。瑞巌寺http://www.zuiganji.or.jp/index.html
2011年11月15日
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福浦島は、松島海岸に浮かぶ綺麗な島で、朱塗りの長い橋で結ばれ、松島のシンボルとなっている。福浦島入り口。観光船乗り場の駐車場の奥にある。大人200円、子供100円支払って、チケットを片手にレッツゴー。松島には赤い橋が3つあり、雄島の渡月橋(縁切り橋)で悪縁を切って、福浦橋(出会い橋)で良縁に出会い、五大堂の透橋(縁結び橋)で縁を結ぶ順に回るのが良いとされている。知らなかった。。今回は、連れが、福浦橋を一緒に渡ると別れるとかいう迷信を気にして?来なかったので、一人で渡った。そういえば、前に来た人とは、、っていう気もするが、有名観光地=最初の頃につきあった人と行くことが多い、大勢のカップルが訪れる→別れることが多い、ということだと思う。福浦橋にかんしては、間違って縁切り橋と思い込んでいる人もいるかも。橋の入り口。朱塗りの252mの福浦橋を渡って向かう。津波の時は、冠水したようだが、ほとんど被害はなかった。橋の途中。パノラマで。福浦島の周りには大小の様々な小島があって、松島らしい風景だ。水平にカメラをスイングして撮るのだが、意外と、水平を出すのが難しいし、ゆがみを出さないようにとるのも大変。なにより、カメラを振り回している姿が怪しくて、恥ずかしい。懲りずに、向かって右側のパノラマ。右の方に見えるのは、遊覧船乗り場などの街並み。遠くを見ると、小島のわきを、遊覧船が通り過ぎていく。左側のパノラマ。左に見える建物は、白い二つがホテル絶景の館、その右となりの松に隠れたものが小松館 好風亭。さらに奥に、小さな港がある。欄干にはウミネコ。宮城の海岸でいつも思うのだが、カモメより圧倒的にウミネコの方が多い。カモメよりクチバシも含めて全体に鋭くて、ちょい悪な感じ。ミャーミャー鳴いて、飛んでいる。手前は若鳥で、まだやわらかそうな茶色い羽、これから、奥のウミネコみたいに白と黒になっていくのだろうか。しかし、逃げないね。やっと、島に到着。まず、案内板をみて、コースを決める。右手の海沿いを奥の見晴台まで歩いて、帰りは左側の別の道を通ってこよう。海沿いにきれいに遊歩道が整備され、まずは、最初の休憩所。どこを歩いていても、木々の合間から海と島々がみえて、絶景の連続。途中、売店があったが、開いているかどうか分からなかった。 島全体が県立自然植物園となっており、松林の中に、ツバキ・カエデ・竹・スギなど、250種の草木が自生しているらしい。一つ一つに、名札が書いてあった。また、何気なく咲いている花などもよかった。弁天堂。被災してからは、神社やお寺をみかけると、必ずお祈りすることにしている。亡くなった方のご冥福と、被災した人と物の復興、そしてみんなの幸せ。海の方をみやると、説明板があって、小島がいっぱいみえてきた。右端の半島が双観山、その奥にみえる陸地が塩釜。ちょこんと見える小さな山が七ヶ浜の多聞山。その手前の小島が毘沙門島。間近の大きな二つの小島が引通島、元は一つの小島だったのが浸食で分かれてお互い引き合っているという。その間の奥に見えるのが、浦戸諸島の桂島。海を少し離れて山道になった。奥の方へ向かう。四阿(あずまや)。高台にあって、林越しに、近くの島がみえる。一番奥の、見晴台。ここまでで700m。目の前が開けて、たくさんの小島が目に入ってくる。すばらしい眺め。ただ、看板の落書きがすごかった。五大堂の落書きもひどいんだよな。自分の車に傷を付けられたら激怒するくせに、なぜに公共の貴重な財産に傷を付ける?、日本人は礼儀正しいとかいうが、他国に比べればの話で、けして正しくはない。特に震災後、被災地ではマナーが悪い人が増えて、残念だ。右の手前の二つは、引通島。間の奥が大黒島。左の小島が徳浦島。遠くの細長いのが桂島で、そのすぐ右の点のようなものが有名な仁王島。さすが、時代を超えて愛されてきた松島だけあって、時が止まる。別の道を戻って、天神崎へ向かう。途中、ふっと海をみると、、小さな松島、きれいな砂浜、紅葉、絵になる景色だった。名も無い場所だったが、気に入った。天神崎。見晴台とは反対側の岬。天神崎からは、松島の街並みがみえる。右から、ホテル海風土、小松館、絶景の館、赤い福浦橋の奥に遊覧船乗り場とお土産屋さん街。多目的広場。けっこうな広さがあった。花壇などあって、きちんと整備していた。福浦橋に戻って、散策は終わり。早足で30分だった。ゆっくり回れば1時間ぐらい、松島を堪能できる。松島を眺める場合、五大堂あたりをぶらぶらする、遊覧船で間近を通る、四大観など山の上から一望する、展望のよいホテルに泊まる、いろいろ楽しみはあるが、福浦島を散歩しながら眺めるのもいいものだ。さらに、時間や天候が変わると、眺めも変わる。朝日、快晴、薄曇り、雪、夕焼け、月明かり、どの松島もすばらしい。あと、松なので冬でも緑が残っていて楽しめるのもうれしい。松島は、時間をかけてゆっくりと、条件を変えて何回も訪ねると、様々な感動があるところ、福浦島も何度も散策したいところだ。福浦島松島町松島 福浦島022-354-3457無休、8:00~17:00(11~2月は16:30)通行料:大人200円、子供100円駐車場なし、隣りに有料駐車場あり
2011年11月14日
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日本三景のひとつ、松島は、宮戸島や浦戸諸島などに守られ、津波の被害は少なかった。乗船所付近で3mというデータだが、海沿いの国道45号沿道の商店街で一部、1階部分が被災して閉じていた店があったぐらいで、多くは膝下ぐらいで商品など物が水没した程度だろう。死者も2名。低めの防波堤には、ウミネコが前と同じようにとまっていた。右奥は、五大堂。海抜3mぐらいの島なので、ほとんど被害はなかった。松島は、2~3mと津波が低めだったことと、沈降した高台が島として残るぐらい険しい地形で、海沿いでも海抜1~2m上にあったことが幸いしたと思う。左側の遠くにみえるのが浦戸諸島。小さな島の集まりで、10m近い津波が直撃して被害が大きかった。 国道45号沿いにずらーっと並んだ、お土産屋や飲食店も、泥水の被害はあったが、ほとんどが再開していた。観光客は、以前にも増して寂しくなった感はあるが、少しずつ戻ってきているようだ。松島の場合、津波の被害は少なく、ほとんど元に戻っているので、あとは、有名観光地として観光がどこまで回復するかだろう。松島、いいところなので、ぜひ来てみてください。近くの人も、松島にはいろいろな良さがあるので、たまには行ってみてはどうだろう。
2011年11月14日
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12、13日と、石巻線小牛田-石巻駅間で、SL宮城・石巻復興号が走った。毎年10月に、小牛田-女川駅間でSLが往復するイベントがあり、画像はそのときのものだが、エンブレムが違うだけで同じ。駅とか鉄橋とか海沿いなど、人気のスポットは、行列ができるので、穴場として佳景山駅をすぎたあたりの田んぼの中を狙ってみた。それでも人影がちらちらあった。レトロなんだけど、かっこいい。田園風景に見事に溶け込んでいる。まあ、毎日みるのはアレだけど、年に1回のお楽しみとしてはいいものだ。乗車することもできるが、あっというまに切符は売りきれる。フルHDの動画で。シュシュシュシュというか、動力を伝える棒がシャカシャカ動いて車輪を回して、駆けていく。これだけの車両を機関車だけで引っ張るとは、石炭のパワーは凄い。駅とか踏み切り近くでは汽笛を鳴らすのだが、石巻で仕事をしていると、昼間から、ポーポーッとうるさくて気になる。1km以上は、聞こえる。本当は、おすすめの見どころは、石巻駅-女川駅間の、旧北上川を渡る鉄橋のところ、さらに海と山に挟まれながら海辺を走るところなのだが、被災して不通区間で今は運行してない。女川の町自体、ほとんどなくなってしまったので、いろいろ問題はあるだろうが、また海と山をバックにシュシュポッポッ駆け抜けるSLが見たい。
2011年11月13日
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野蒜(のびる)は、海水浴場のある野蒜海岸で有名なところで、東松島市の西側の海岸線にある。ここは、高さ最大10m、速さ10m/sの大津波が押し寄せ、人口の1割の468人がなくなり、甚大な被害を受けたところ。野蒜海岸は、宮古島入り口から鳴瀬川河口まで2.5kmに渡って延びる砂浜だ。高さ3m、幅も頂部で2mぐらいはある立派な防波堤があった。津波で、北の方は陸側が削られたぐらいだったが、南側(写真の奥)では破壊された。応急の工事で、元のレベルまで直していた。砂浜側をみると、雑草が生えて荒れてはいるが、片付けも終わり、少しだけ砂浜が減った気はするが、前とあまりかわらないきれいな海だ。陸側は、堤防の内側がけずられ、うっそうとしていた松林もだいぶ少なくなった。その奥には壊滅地帯が広がり、点在していた建物もほとんどなくなった。人気の食堂 えんまん亭も全壊したが、最近、矢本運動公園に仮設店舗で再開したようだ。震災前は、青々とした緑が茂っていた。夏の海水浴シーズンは、沿道の空き地が駐車でいっぱいになって、にぎわうところだった。少し、鳴瀬川の方へ進むと、沿道の家屋は破壊され、すでに撤去されていた。一番奥にみえるのは矢本消防署鳴瀬出張所。1階部分が破壊されていた。野蒜郵便局のあたり。海からは1km近く離れている。一階相当部分が強く破壊され、道路はへこみ、ガードレールも曲がっていた。道沿いにあった民家もほとんどなくなり、運河沿いの林も寂しくなった。さらに300mほど山際にある野蒜小学校では、体育館に約330人が避難していたが、3m近い津波がきて、なんとか2階のギャラリーに上がった人は助かったが、高齢者など30名近く、命を落とした。野蒜の大津波の恐ろしさは、野蒜だけでおさまらず、となりの松島湾側の東名地区まで襲った。津波が、野蒜海岸から陸地を西に2km走り、東名地区でも高さは1階天井まで達し、勢いも強く、松島湾の堤防を陸地側から破壊したのだ。ここも、住宅が点在していたが、ほぼ壊滅、老人ホームの不老園では、入所者58人中55人が犠牲になった。もともと塩田と使われていたぐらい低い土地で、いまだ、写真右側の田園は冠水したままだった。さらに、奥松島も、大浜海水浴場など壊滅的な被害を受け、大好きだったデリ&カフェ ヤマグチさんも全壊してしまった(人は無事とのこと)。石巻と矢本は、おそらく、牡鹿半島に守られて津波の高さは4~5m、松島はたくさんの島々に守られて3m、その間にある野蒜は、ほんの少しの角度の差で、約10mの大津波に襲われた。過去の三陸沖の津波なら、野蒜も牡鹿半島に守られて、今までの3mの堤防で助かったのだろうが、貞観津波や今回の津波は宮城、福島県沖からも西に向かってきたので、まともに直撃してしまった。堤防だと10m以上必要、ただ、あれだけ分厚い堤防でも壊れたとなると堤防では無理かもしれない。となると、集団移転、あるいは、千年に一度は置いておいて従来程度の堤防にする、いろいろ意見が分かれるところだが、頑張って欲しい。また、亡くなった方々のご冥福をお祈りします。
2011年11月12日
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東松島市は、石巻の西に隣接し、大まかには矢本と鳴瀬に分けられる。海岸沿いの町で人口4万1千人と比較的多かったため、死者1044名、行方不明者94名と、宮城では石巻、気仙沼に次ぐ数だった。矢本の国道45号のあたり。海から2.6kmぐらいあるのだが、膝下ぐらいの冠水した地域。さらに、津波の泥水は、場所によっては仙石線を超えるぐらいまで達した。ただ、床下浸水だったところが多く、今は写真のように以前と変わらないぐらい回復している。同じ45号でも、赤井のあたりは、海から3km近くあるのだが、石巻工業港からつながる定川を遡上してあふれ、床上までの浸水でひどかった。今でも、定川の水かさが多いし、堤防も低く、早めの対処が必要なところ。このあたりは、パチンコ屋が多いが、再開して、そこそこ流行っている。矢本の町の海側となると、大半を占めるのが、航空自衛隊松島基地。ブルーインパルスで有名な基地だ。海辺の松林で守られてはいたが、高さ2mの津波に襲われ、全域が冠水し、航空機28機すべてが水没した。隊員は無事。ブルーインパルスは、九州新幹線の祝賀飛行に行っていたため無事だった。3月15日には、滑走路が復旧し、以後、救援活動に使用された。被害総額は、2000~3000億円。パイロットの養成にも支障が出ており、復旧が望まれるが難しいところ。近くの大曲地区。海沿いは6mの津波に襲われ、壊滅的な被害を受けた。写真の場所で、松島基地と同じく海から1kmぐらいの地点だが、1階部分は大きなダメージを受け、船などの残骸もまだあった。さらに、大曲地区の内陸側は、田んぼが広がるが、まだ、ところどころ泥水が残っていた。地盤沈下で、大潮の時に冠水するのだろう。45号近くの住宅街は冠水はしたが無事で、有名な三浦屋も営業している。東松島市では、矢本から野蒜までの防波堤をかさ上げし4mにする予定だが、海岸線が長いので大変だろう。大曲あたりは、さらにかさ上げか、集団移転が必要だろう。でも、またいつか、青空をきれいなブルーインパルスが飛ぶ姿を見てみたい。
2011年11月11日
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気仙沼での用事が済んだので、昼食に、気仙沼プラザホテルを訪ねた。気仙沼ホテル観洋、南三陸ホテル観洋の姉妹館で、ホテル観洋グループにあたる。気仙沼湾を見下ろす高台にあり、ホテル自体は地震の影響ぐらいで津波被害はない。志津川の観洋と同じで、震災後は復興関係者を受け入れ、一般の宿泊も再開している。 玄関を入り、ロビーの奥にある和食処 海舟へ。ここは、一面のガラス窓で、気仙沼港のパノラマが広がる。窓の外を眺めると、一見、以前と同じ、きれいな港町だ。ただ、よくみると、各所に被害が残り、取り壊された空き地も目立つ。遠くに見えるのが、大島の亀山。さらに右奥が、気仙沼湾の出口になる。大島の手前に、湾に突き出た部分。YouTubeで「気仙沼市津波」としてあがっている衝撃的な津波の動画の場所だ。動画は、茶色の気仙沼土木事務所のビルの屋上から、その奥の気仙沼合同庁舎方面を撮ってある。合同庁舎の2階までの大津波が押し寄せ、コンクリートの強いビル以外は流失した。合同庁舎は、移転し、今は補修中なので関係の車両が写っている。右下にあるのは、気仙沼市魚市場。左手をみると、気仙沼湾の最奥部の商店街のあたり。コンクリートの建物は残っているが、よくみると被害の跡が残っている。海鮮三色丼800円。気仙沼といえば、日本一の水揚げのカツオ、大ぶりで脂がのっていた。ネギトロも脂乗りよく、イクラも大粒で味わいよく、酢飯もつやっともっちり。味噌汁と漬け物は、田舎なのでちょっとしょっぱい。おいしかった。しみじみと味わった。被災したのに営業しているのも大変なことだし、気仙沼産の魚が食べられることもすごいし、さらにこれだけのおいしい魚を格安で提供できるのはすばらしい。 気仙沼お魚いちば。系列で、専用のエレベーターで移動できる。海の市とくらべると小さめだが、津波に被災したのに頑張って営業している。 中はきれいでピカピカ、改装されたのが分かる。まだ、海鮮物の品揃えは十分ではなく、お土産主体で観光客向けの施設だと思うが、気仙沼自体、観光がほとんど戻っていないので、客はまばら。でも、頑張らないと始まらない。おすすめの気仙沼チャウダーとふかひれスープを買った。しっかり味で、そこそこ具も入っておいしかった。 新鮮物は限られていたが、とりあえず、気仙沼産で、するめいかとモーカの星。モーカの星は、モーカサメの心臓の刺身。フカヒレの町、気仙沼らしい。独特の生臭さは少し残るが、くにくにした噛み応えのある新鮮な馬肉の赤身のようで、おいしかった。気仙沼プラザホテル、おすすめです。頑張っています。他には、気仙沼湾を一望する温泉露天もあります。気仙沼に行ったら、寄ってみてください。気仙沼プラザホテルhttp://www.pkanyo.jp/
2011年11月09日
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さらに国道45号を北上して、目的地の気仙沼へ。階上(はしかみ)地区。10月の初め。ENEOSの看板は、上まで破壊され、点在していた民家も2階まで壊され、被災した車が片付けられて山積みになっていた。電柱は新しく建て替えられていた。気仙沼湾の入り口にあたり、まともに津波がおそってきたのだろう。国道45号から東浜街道(県道26号)へ降りて、気仙沼市街へ向かう。松崎のあたり。田んぼの中に、民家や工場があったのだが、気仙沼湾まで一帯が荒れ地になっていた。何もなくなり、遠くに、大島の亀山がはっきりとみえる。しばらく、海際を離れ、市街地の中を進む。イオン気仙沼店のあたり。震災後に、ますます、ジャスコがおおはやりで、近くが渋滞するのは石巻と同じ。市街地は、冠水した跡はあるがだいぶ復旧していた。ただ、前より渋滞が多くなった。大川を渡って、南気仙沼駅のあたり。舗装も剥がされ、全壊地域なのだが、木造でも強い建物は構造が残っていた。電信柱は真新しく、工事車両が通るぐらい。リアスシャークミュージアムのあたり。やはり、強い構造物は残っているが、2階の一部まで壊され、1階部分は特にひどかった。ミュージアムの他に、氷の水族館、海鮮市場 海の市が一体となった大施設だったのだが、休館中。さらにとなりには、巨大な気仙沼市魚市場があり、地盤沈下した岸壁をかさ上げして直し、6月から再開していた。信号は消えたままだが、被災地ではよくあること。石巻でも全壊地域は、信号が壊れたままだし街灯すらないところが多い。交差点1カ所で約500万~1千万円かかるので、予算がつかないうちは直せないのだ。しばらくは、交通量が多いところは、警察官が誘導して、優先して信号を直していたが、最近は残ったところは放置のまま。あと、どこの全壊地区でも、タクシーがめだつ。東京の方のお金持ちがタクシーで被災地めぐりをするのが流行っているそうだ。また、大型バスなどで訪れる、自治体などの視察ツアーも多い。被災地では観光でもいいから来て欲しいという人たちもいるが、なんか微妙だ。港の岸壁沿い。取り壊された建物と復旧した建物が混在していた。汚れも目立つ。震災前は、こんなかんじで、賑わいがあった。だいぶ復旧したとはいえ、失われた物も多い。でも、気仙沼、漁船が少しずつ戻ってきたし、頑張っていた。石巻も、一部再開はしているがまだまだだし、いろいろ問題があるのだろうが、もっと頑張って欲しい。しかし、タクシー多いなあ。気仙沼湾の最奥に進むと、昔ながらの商店街がある。どの建物も1階から2階にかけて破壊され、まったくひとけがなかった。気仙沼では、気仙沼湾の入り口近い階上、松崎、湾の中で突き出ていた朝日町のあたり、湾の奥の商店街のあたりが、全壊地域だった。沿岸部や川の近くで、津波が直撃したところは、被害が大きい。気仙沼市全体では、10月の時点で、人口約7万人、そのうち、死亡者1028人、行方不明者371人。気仙沼も石巻と同じで、広大な市で、沿岸部で壊滅した地域、その奥で浸水した地域、津波がこなかった地域に分けられ、復興に地域差が出てきている感じだった。市も大きいし、被害も大きい分だけ、復興は大変だろうが、頑張って欲しい。
2011年11月09日
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大谷海岸は、本吉町の北部の海沿いにあり、約13mの津波に襲われた。海沿いを走る国道45号、右手にはきれいな海、のどかな街並みが広がるところだった。震災で、荒れ地となってしまった。いたるところで工事が行われていた。日本一海水浴場に近い駅の気仙沼線「大谷海岸駅」と、道の駅「大谷海岸」が合わさった観光施設「はまなすステーション」。建物は残っているようにみえるが、高台にあるのに2階まで被災し、何とか直して、右側の道の駅だけ一部再開していた。震災前は、左側の観光ステーションと屋上の展望台、右側の道の駅の物産で、大人気だった。震災後の画像と比較すると、違いがわかる。観光ステーションの中は、いろいろな観光資料とお土産コーナー、レストランがあった。 道の駅の中は、生け簀にいろいろな魚貝が生きていたり、新鮮な海産物など地の物がいっぱい売ってあった。特に、うにごはん400円、あわびごはん400円!、ありえない値段、量、味、飛ぶように売れていた。いつも、ここを通ると楽しみだった。10月の段階では、昼にラーメン程度の軽食コーナーで再開していたが、また、あの海鮮ごはんに会いたい。。以前は、展望台の上から、左側を眺めると、まっすぐのびた線路と綺麗な松林と砂浜、日本一海水浴場に近い駅だけはあった。震災後は、展望台の建物には入ることができない。駅も線路も荒れ果て、松林も砂浜もなくなった。大潮対策なのか、土嚢がつんであった。展望台から右手にも、大きな海水浴場が広がり、海辺の街もそこそこ栄えていた。震災後は、被災した線路と建物の一部は残っているが、荒れ果てて、街並みも、美しい砂浜も林も消えてしまった。気仙沼線は、海岸線を走るため、大半の高架橋が落ちて、線路も使い物にならなくなった。ここを電車が走るのはいつの日になるのだろう。震災後の大谷海岸の崖の地層調査で、千年周期で6000年に6回の巨大津波の跡が発見された。貞観津波と推定されるものもあり、千年前の貞観津波が、今までの宮城・福島沖の連合型ではなく、今回と同じ岩手・宮城・福島沖の連合型でM9級だった可能性がでてきたそうだ。次は、3000年。人類は、それまで生きているのだろうか。まずは、大震災からの復興を。
2011年11月08日
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さらに国道45号線を北上していくと、リアス式海岸のぐねぐねした道の中に、ところどころに平地がみえてくる。気仙沼市本吉小泉地区。このあたりは、津谷川の河口に広がる小さな平地で、のどかな田園風景の中に民家などが点在していた。10月はじめに通ったときは、何もなくなっていた。奥に見える橋は、国道45号の小泉大橋、津波で流失し、6月末に架け直された。45号線の海側を平行して、気仙沼線の高架橋が走っていたのだが、すべて流され、土台と下を通る道路のトンネルしかなくなっていた。遠くの林の奥の高台には、本吉駅のある津谷があるが、本吉病院で一階まで浸水した。津谷を通り抜けて、国道346号を内陸へ向かうと、さらに驚いた。高台を通り越して更に山側で、海から2.5km離れ海抜6mぐらいあるのだが、一階部分が破壊されていた。津谷川を遡上した津波が、内陸のここまで及んだのだろう。やはり、海から伸びる川の近くも危ない、痛感した。本吉は、9月の時点で、人口約1万人、死亡者72人、行方不明者71人。意外に人口が多いのと、町の中心部が高台にあったためか、被害のわりには死亡数が少ない。壊滅した小泉地区も高台移転を計画しているが、三陸道の予定地とぶつかり、問題になっている。いろいろ問題は多いだろうが、頑張って欲しい。
2011年11月08日
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志津川から国道45号を北へ進むと、しばらくして、南三陸町 歌津がみえてきた。このあたりはきれいなリアス式海岸で、けわしく入り組んだ海岸線の高台に国道45号が通り、少し開けた平地に町が点在する。約5千人が住み、死者行方不明者あわせて113名(4月のデータ)。町は壊滅状態で、わずかに強い構造物が残っているぐらい。奥の青い橋は、伊里前川にかかるウタちゃん橋、2002年に話題になったアザラシのウタちゃんにちなんで名付けられた。かろうじて残っていた。その奥は、国道45号の歌津バイパス、歌津大橋が陥落して、通行止めになっており、平行する旧道を走る。震災前は、旧道沿いには古い商店街が立ち並んでいた。すべて、なくなってしまった。歌津と言えば、歌津半島が張り出し、その湾曲部にきれいな長須賀海水浴場があり、民宿が散在していた。今は、建物の残骸と瓦礫だけが残り、みるも無残な景色になってしまった。明治三陸大津波では、三陸沖を向いている歌津町石浜では10mの津波だったが、歌津半島に守られた歌津では3m程度。今回は、想像を遙かに超えた15m。不幸中の幸いは、歌津の場合、きれいなリアス式のために高台が近かったこと、何度も津波に襲われているので避難が徹底していたこと。おかげで、津波のひどさの割には、逃げのびた人たちが多かったのだろう。歌声が聞こえそうなぐらい、きれいで波の音が心地よかった歌津、ここも、町全体が壊滅したところで、ご冥福と今後の復興をお祈りしたい。
2011年11月07日
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南三陸町は、石巻の北にある三陸海岸の南に位置する人口1万7千人の町で、大まかには、旧 志津川町と旧 歌津町に分けられる。ここも、典型的なリアス式海岸のため、津波の被害が甚大だったところだ。南三陸町全体で、死者は564人、行方不明333人にのぼる。国道45号の津山町柳津の付近は、北上川と山に挟まれたところを通っていて、いまだ、土砂崩れで通行止めになっている。北上町から志津川へ抜ける新北上大橋も少し前に復旧したが、結構、遠い。三陸道を通って、桃生津山ICで降りて、国道45号で、海の方へ向かう。山道をしばらく走ると、前と違う光景が。。陸前戸倉駅のあたり。点在していた民家や工場がなくなって、見通しがよくなって、遠くにかすかに海がみえる。湾から遡上してきた津波で被災したのだろう。志津川の悲惨さは聞いていたので、覚悟をして、海沿いの国道を北上する。少しして、ホテル観洋がみえてきた。ここは岬の高台にあるが、2階まで津波がきて、海辺の露天風呂と大浴場などが被災した(人的被害はなし)。それでも、南三陸町が全滅に近い状態だったため、被災者と復興関係者を受け入れ、ずっと支えてきた。7月になって、ようやく水道が通り、7月末にリニューアルオープンした。何度か泊まったことがあるが、海の眺めと露天風呂は最高で、おすすめのホテル。フロントは5階なので、まったく何事もなかったようにみえるが、大変だったろう。もう何も言うことがない。コンクリートの建物の残骸がわずかにあるだけで、町全体が壊滅している。山側をみると、辺り一面、荒野のみ。国道398号を山の方へ向かうと、合同庁舎より更に高台に 志のや という海鮮がおすすめのお店があったのだが、そこまで破壊されたそうだ。海から、1.6km、海抜6m、街中を通ると遠く感じたが、こうしてみると意外に海が近い。それより山奥には家はほとんどなかったので、町のすべてが津波に飲み込まれたと言っていいだろう。死者行方不明者は、南三陸町全体で5%なので、志津川はさらに割合は多いだろう。残りの人は、よく生き延びたものだと思う。町の中心部。左は、志津川病院。右は、ブライダルパレス高野会館、その奥にショッピングセンターのサンポート。結構な街だったのだが、それ以外の店や民家は、すべて流失してしまった。病院は残っているようにみえるが、実際は、津波は高さ16m、病院の4階まで達し、屋上に逃げ遅れた入院患者109人中67人、誘導中のスタッフ4人が亡くなった。さらに、病院はすべての機能を喪失し、救出されるまでに7人が亡くなった。現在は、山の上の沼田地区に、公立南三陸診療所としてプレハブで営業している。国道45号から海まで300m、辺り一面、残骸と瓦礫だけ。これでもほとんど片付いたのだろう。さらに45号を郊外へ。荒れ地のままだ。左の朱色のバスは、蔵八ラーメン。バスと外にテーブルを並べて、営業していた。志津川の町で、店をみたのはここだけ。10月初めの頃だったので、今は不明。志津川は、リアス式海岸の湾奥にあり、過去に何度も津波に被災している。明治三陸大津波やチリ地震津波の時は、3m程度の津波が押し寄せ、それに対し、沿岸部には高さ5.5mの堤防、湾から伸びる河川には写真のような水門が作られていた。対策はしてあった。しかし、高さ16mの津波の前には、海辺の堤防も河川の水門も役には立たなかった。これも震災前の画像になるが、海辺の松原公園。チリ地震津波の件で、チリと友好関係にあり、モアイ像と国鳥のコンドルの碑をもらったそうだ。すべては、今回の震災で海の藻屑と化してしまった。YouTubeに「南三陸町志津川高校から見た津波の様子」で、志津川の町全体が津波に飲み込まれるおそろしい動画がある。志津川の場合、明治三陸大津波やチリ地震津波などもふまえて5m規模の津波まで対策はしてあったはずだが、千年以上も前の貞観津波までは考慮できず、16mの大津波になすすべもなく、町のほとんどは壊滅してしまった。ただ、高台にある小中高等学校や住宅街は残っている。動画をみるととても堤防で防げる津波ではない。志津川地区だけで7千人近くの人たちを高台移転するのは困難だとは思うが、なんとか頑張って欲しい。また、死亡した方々には、心より哀悼の意を表します。
2011年11月07日
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石巻市北上町は、北上川河口にある旧 北上町で、2005年に石巻と合併した。人口約4千人、最近のデータは見つけられなかったが、5月末で、十三浜地区のみで死者128名、行方不明88名だったので、5%以上の方は亡くなっていると思う。国道398号を進んで、北上町がみえてきた。遠くにみえるのが北上川の土手、手前一面は田んぼで荒れ地のままなのだが、冠水していた。このあたりは、海から4kmも離れているが、海抜は1m前後、80cm近く地盤沈下したので、川の水などがあふれて引かないのだ。道路沿いの奥に被災したJAの建物があった。10月初旬だったので、新北上大橋は通れなかったが、10月17日に仮設橋が開通した。全長565mのうち、奥の方の150mが津波で流失したが、補修された。新北上大橋といえば、あの大川小学校の児童が避難に向かった場所。大川小学校は、ちょうど、この画像より右側の土手の下にある。橋の高さは6mぐらい、Youtubeの動画をみると津波の高さもほぼ橋と同じ6m、しかし、川と川からあふれた津波が遡上するスピードには勢いがあった。おそらく、橋まで到達する前に、飲み込まれてしまったのだろう。全校児童108人中74人、教員13人のうち10人が死亡か行方不明の大惨事となってしまった。海から4kmも離れていて、明治三陸大津波でも約2kmまでの津波で、小学校自体、避難所に指定されていた。ただ、大津波警報は出ていたし、地震から津波まで約50分あった。1枚目の画像に写っている右側の森の裏に小学校はあって、校舎裏には斜面もあったが急なので危険と判断された。新北上大橋は近くで高さ6m。想定外、臨機応変、想定内、いろいろ騒がれているが、やはり、天災は想像を超えるので仕方がないとは思うが、万全の対処をして欲しかった。北上町では、河口にある北上総合支所も避難所に指定され、57人が避難し、助かったのは3人だけだった。想定した津波の高さが5.5mで、建物は6.5mの場所に建てられていたが、津波は2階を超えた。ここも仕方がないのだろうが、結果論では500mぐらいのところの裏山に逃げていれば助かった。周り一面が低地だったり、津波がすぐに押し寄せるところでは、頑丈な高い建物に避難するしかないが、移動できるのならできるだけ遠くの高いところへ、災害は想像を超えると考えて備えと対処をする、今後の課題だと思う。北上川をさらに上流へ。この辺も北上町だが、津波が堤防を越え、1階部分を破壊していた。北上川を遡上した津波は、海から6km程度まであふれかえったのではないだろうか。海の近くだけでなく、川の近くも危険、痛感した。また、80cm近く地盤沈下したとはいえ、北上川の水かさの高いこと。さらなる災害がおこらないよう対策が必要だ。おそらく、今回の津波で、海から遠くまで犠牲になったところの一つだろう。教訓として、今後の防災にいかすとともに、亡くなった子供達、大人達のご冥福を祈ります。
2011年11月06日
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石巻市雄勝町は、旧 雄勝町で、2005年に石巻市に合併された。牡鹿半島の北の付け根にあり、典型的なリアス式海岸の入り江にある。人口約4千人、死者290名以上、今回の震災で壊滅的な被害を受けた。10月初旬、国道398号を海沿いに北上すると、遠くに雄勝の町がみえてきた。防波堤は壊れ、道路も一部は舗装が剥がされていた。大きな建物だけみえるが、壊された跡が目立ち、被害のひどさが遠目でもわかる。町並みは、荒野へと変わり、すずりの形をした、雄勝硯伝統産業会館、その右隣りの雄勝B&G海洋センター、正面に石巻市図書館分館がみえるが、それ以外は何もない。細々と民家が建ち並び、海鮮もので人気の あさや などおすすめの店もあったのだが、跡形もない。石巻市図書館分館。よくTVなどで写される、2階の屋根の上に、観光バスがのっかったまま。ここだけ時が止まっている。国道398号を山の方へと向かう。山際まで、町全体が消失していた。奥の方にある、小中学校も被災し、廃墟となっていた。雄勝の人はどこへ行ってしまったのだろう。生き延びた人たちは、わずかに残る山の谷間にある集落や仮設、あるいは他の地区へと移住したのだろう。亡くなった方のご冥福と、雄勝町の再建を祈る。
2011年11月06日
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石巻は、今回の大震災で死者3180名、行方不明者688名(10月末)で、最大の被災地ではあるが、人口が多かったことと牡鹿半島の全壊地域が含まれているためでもあって、実際に壊滅的な被害を受けたのは海沿いの一部で、津波の高さも工業港で5m程度と松島に次いで低く、石巻の街自体は津波が一番にひどかったところではない。TVなどマスコミは、いつも石巻の街ばかり取り上げるけど、宮城で一番被害が大きかったのは、女川町、南三陸町だと思う。10月の初め頃に、女川町を訪ねる機会があったので、その時の画像を載せる。1ヶ月近くたってはいるが、ほとんど今も同じだと思う。女川へは、石巻から海沿いの国道398号を通って向かう。海沿いの民家や線路の被害もひどいのだが、女川第一小学校の交差点を過ぎたあたりで、言葉を失った。街がない!、とにかく何もない!沿道には、すえひろ などのお店や民家がびっしりあったはずだが、一部の山際の家を除いて土台だけに片付いている。この辺は、海から離れた高台だったはず。。しかし、現実には、海から1.4km、海抜15m程度で、今回の女川をおそった高さ18mのおそろしい津波から逃れることはできなかった。遠くにみえる女川湾、茶色のマリンパル女川、実際にはこんなに海が近かった。瓦礫の撤去や取り壊しも進み、ほとんど更地になってしまった女川の街、呆然とするしかない。さらに進んでいくと、本当に何もない。海近くの茶色のマリンパル女川まで、ぎっしりと立っていた建物が全くない。一部で作業をしている人はいるが、ひとけもあまりない。マリンパルの方から、逆に西の方の高台を眺めると、荒野に、取り残された主要道と新しくひかれた電柱だけ。左の方の南の海岸沿いに少し上がっていくと、お気に入りのニューこのりがあったのだが、残念ながら全壊していた。従業員が無事だったのが幸いだが、女川での再開は厳しいだろう。マリンパル女川。建物は残っているが、廃墟と化し、1mの地盤沈下もあって、大潮の時は冠水する。大きな水たまりができていた。一部の岸壁を利用して、漁船も少しだけあった。10月中旬に、女川の尾浦漁港で、被災地見学にきた車が海に転落して、一人死亡した事故があったが、海辺には近づいてはいけない。マリンパルの裏側の街の中心部のあたり。一部の頑丈な建物の残骸があるが、ほとんど破壊されていた。左の奥のコンクリで固められた高台にあるのは、女川町立病院で、海抜16mにあるが一階まで津波がきた。女川と金華山を結ぶ定期船の船着き場のあたり。右側は駐車場と公園、左側には金華楼などのお店が建ち並んでいたが、跡形もなくなってしまった。遠くに見えるのは、女川魚市場。7月に再開になったが、漁船が少しあるだけで、以前の活気はなかった。魚市場の方へ向かう道。アスファルトが津波ではがされ、砂利ででこぼこになっている。まだ、瓦礫も残っている。被災地を走るには、つねにパンクの危険がともなう。一部の店が営業しているという話だったが、とても店などがある状況ではなかった。女川の人口1万人のうち、約1割の方がなくなり、残った人は、わずかに残った女川高あたりの高台や女川第二小の高台に住むか、他の地域に移ったか。マリンパル女川が、最近、女川の手前の398号でさんま祭りを開催したり、金華楼が女川高の近くの住宅街で再開したりはしているが、高台移転といわれても土地がほとんどないし、高さ20mの堤防を作るわけにもいかないし、女川原発の問題もあるし、正直、女川の未来はかなり厳しいと言わざるをえない。でも、女川の将来がどのような形になるとしても、頑張って欲しい。心から、亡くなった方のご冥福と、女川町の復興をお祈りしたい。
2011年11月05日
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とりあえず、石巻が一番近い街なので。 去る8月1日に、石巻川開き祭りの花火大会が開催された。いつもは、旧北上川の開北橋下流河川敷で上げるのだが、今年は慰霊の意味もあって、中瀬で打ち上げられた。時間も規模も小さく、慰霊花火から始まり、諏訪湖、土浦、県内、大曲、長岡など全国からの支援の花火が上がった。写真は、フィナーレの長岡の復興祈願花火ミニフェニックス。2004年の新潟県中越地震で被災した長岡の復興を祈願し、世界一の壮大な花火として、復興のシンボルになったフェニックス。石巻のミニフェニックスは、半分程度の規模かもしれないが、不死鳥がはばたく姿、感動した。他の地域の花火や祭りが自粛されている中で、最大の被災地の石巻で、大勢の人が死んで、まだ信号も道路も直っていなかった中瀬付近で花火を打ち上げること、いろいろ意見はあったが、鎮魂と復興の象徴として、前向きにとらえたい。最近では、少しずつ、元の姿に戻ってきたところも増えてきた。 大街道、ヨークベニマルのあたり。カメラのキタムラがあった中浦ほどひどくはないが、腰ぐらいまで冠水した地域。5月あたりから、店も少しずつ開くようになって、新しくホット横町などもできたし、今はだいぶ戻ってきた。中里バイパスのあたりも、再開する店が増えてきて、チェーン店はほとんど戻ったし、鮨一八、くろしお、とんかつ庄内、ロマーナ、くるまやラーメン、丸亀製麺、アルパジョン中里店などもやっている。友福丸も移転してきた。先日、牛正も営業をはじめた。間もなく、ヨーカドー跡地に、ヨークタウンがオープンするので、浸水地域としてはだいぶ頑張って戻っているところだと思う。蛇田バイパスとあけぼの地域は、浸水をまぬがれ、軽い被害ですんだところが多いので、一部で修理が残っているぐらいで、ほとんど元通りになった。ますます、店と人口の集中がすすみ、平日も混んでいるし、土日(特にジャスコ)は渋滞がひどい。夜の居酒屋チェーン店も混んでいる。三陸道は、矢本から石巻間の片側二車線化もだいぶ進み、大型トラックの無料化も終了したので、少しは混まなくなった。ただ最近は、罹災証明で無料のため、地元の仕事やお出かけの車で朝の石巻行き(特に鳴瀬奥松島料金所)と帰りの仙台行きが渋滞するようになった。また、朝夕の仙台港北IC、仙台南部道路の各IC、東北道の泉ICは、料金所が小さくて捌けきれずに渋滞している。東北道の仙台から石巻間は、混む時間帯は少し遠回りでも、仙台北部道路経由の方が早い。石巻市街で、残るは、津波に半壊以上になった地域。。全壊地域だと、魚町は魚市場が一部再開となった程度で、被災したまま、石巻工業港のあたりも一部再開になった工場もあるが、まだまだ。そして、南浜町などの民家の全壊地域は瓦礫の撤去が終わったぐらいで、ほとんど更地のままで手つかずになっている。今後のプランも明確でないし、予算の問題もあって、どうなるか難しいところ。半壊以上ぐらいのところも、再開か移転で分かれている。特に問題なのが、駅前通りから、石巻中央にかけての昔からの商店街、飲食店街。駅前は、市役所もあるし、駅も稼働しているし、やる気のあるところは再開している。あとは、もともとシャッター街と言われており、閉じる方向だった店は厳しいかもしれない。 ことぶき町通り。瓦礫の撤去はとっくに終わったが、1階が壊れたままの店が多く、ほとんど営業してない。昼だと、大王(ラーメン)は移転してしまったし、路地にある まきいし(ハンバーグ)ぐらいだろうか。夜は、街灯がともるがネオンは光らず、営業しているのは、銀玉水、酒房ふ、扇屋などのチェーン店ぐらいだ。タクシーもたまに通るぐらいで、人もほとんど歩いていない。右側で唯一光っているのが、酒房ふ。おすすめの店。路地に入って、立町の飲み屋街は、一部だけ看板が光り、営業していた。居酒屋の汐だまりも元気にやっていた。再開している店が少ないので、混んでいる店は混んでいるが、人もこないので、空いているところも多い。アイトピア通り。ここは、ふなや、夢屋、鳥辰など、石巻の名店がいろいろあった。夜は全く営業していない。昼で、もりや(そば)、寶来寿司ぐらい。更に旧北上川に近い、中央2丁目のあたり。奥の方(川のすぐ近く)には、友福丸、滝川、すき焼き石川など、有名店があったが、どれも全壊してしまった。(友福丸は、中里バイパスへ移転して営業中。)以上のように、だいぶ、元には戻ってきているが、被災したままのところもある。生活と仕事も戻っている人も多いが、仮設に住んだり仕事がない人も多い。モンスター被災者は論外だが、被災したままの人達がどうするか、今後の大きな問題だろう。あとは、もし、他の地域の人が石巻を訪れるのなら、被災者の感情を逆撫でする態度は控えた上で、南浜町や牡鹿半島の全壊地域をきちんと見て欲しい。仮設等に暮らす被災者の現状を知って欲しい。その上で、いろいろな面で支援するなり、未来への意見を述べて欲しいと思う。と、堅いことを言いましたが、、石巻、海や景色がきれいというと、震災後は複雑ですが、魚がおいしいというと、漁港が機能してないし、ふなや、夢屋、助六鮨、女川だけどニューこのりなどのお気に入り店が目処がたっていないけど、、まだまだ、白謙のかまぼこ、さかな処 三吉(お得感は一番)、寿司正(おまかせだと高いから、特上で十分)、仙台牛の牛正、鰻の 八幡屋、どら焼きの岡埜栄泉、回転寿司のスシローと うまい鮨勘など、おすすめのところはあります。海沿いなので、ちょっと気性は荒いけど、おもしろい人も多いです。ぜひ、石巻(を含めて被災地)に来てください。
2011年11月04日
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春バラを載せ終わったので、少し、近況について。家は、バラと人は無事だったが、塗り壁のヒビなど一部損壊の判定。役場で、罹災証明書を数部、とった。一部損壊でも、東松島市などでは見舞金が出るが、住んでいる市では一切なし。もちろん、義援金や支援金もない、補助もない。最近、よく宣伝している所得税の還付も、地震保険でおりた金額が引かれるので、結局、かえってこなかった。逆に、保険の分、ちゃんと申告して税金払ってくださいと言われた。。被害が少なかったこと、保険金がおりたことはよかったのだが、なんか微妙。。唯一のメリットは、高速道路の無料、いろいろ使わせてもらっているが、被災者がお出かけしまくるというのも変な話だし、高速の渋滞がひどくて仕事の車も巻き添えを食っているし、ただでさえ税金が足りないのに無理して使うというのも、これもなんだか微妙。地震保険は、一部損壊で無事におりた。一部損壊だと、補償額の5%、半損に近い一部損壊だと全然足りないが、少しぐらいの損傷なら治せるかも。ただし、修理業者には頼んでいるのだが、まったく音沙汰なし。仮設住宅や施設、被害の大きい家、一部のコネなどのある家が優先されて、一般庶民の家にはまだまだ順番が回ってこない。まあ、クレームを言えばいろいろ来そうな気もするが、みんながモンスターになったら、国が食い荒らされて滅びてしまうので、できることは自分でやって、後は気長に待とう。
2011年11月04日
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1階の窓からの眺め。ガゼボを取り囲むバラ達が、咲き乱れている様子が分かる。 お風呂からの眺め。目隠し越しに、ガゼボとラティスで囲まれたバラ達が見れる。家中のいたるところには、連れが摘んだバラが飾られている。色も鮮やか、香りも豊かで、元気になる。ガゼボでは、ゆったりとお茶を。今年は、屋根の隙間からいろんなバラが顔を出して咲いて、花を添えてくれた。窓からは、取り囲むバラ達の緑と花いっぱい。
2011年11月02日
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フラワーカーペットローズは、世界のベストセラーのバラで、病気に強く、花付きも四季咲きもよく、乾燥にも強く、グラウンドカバーに最適、という触れ込みだったので、空いたスペースに植えた。ピンク。6月下旬。低めで横張り、葉っぱも花も小さく、大きめのミニバラみたい。濃いローズピンクで無香。病気には強い。ホワイト。6月下旬。これもミニバラみたい。白の方が、少し弱めかな。
2011年11月02日
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残るは、その他のバラ。といっても、あるのは、ハイブリッド ルゴサのサラ バン フリートだけ。 早咲きで、鮮やかなローズピンクのひらっとした花を咲かせる。濃厚な甘い香りも強く、花持ちは悪いが花付きはいいし、ハマナスの系統だが、少しずつ返り咲く。写真は、6月中旬の二番花、春の間は蕾がにょきにょき出てきて次々と咲く。病気にはかかったところをみたことがない。ノバラといい、ハマナスといい、野生のバラだから、めちゃくちゃ強いのだ。前に鉢で育てていた時に、すぐに鉢底の隙間から根を伸ばして根付いてしまうという、超強健種だったため、ガゼボの裏の日陰のきついところに地植えしたが、まったく苦にせず、さすがだ。
2011年11月01日
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