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東北以外の地域の方で問題になるのは、貞観地震と並ぶ日本史上の超巨大地震、1707年 宝永地震(南海+東南海+東海の超巨大連動、富士山噴火)でしょう。この連動型地震は、約90~150年周期で繰り返しています。ほとんどは、東海・東南海地震がおきて、ほぼ同時に南海地震が発生しますので、それぞれの地震による被害は推測するしかありませんが、南海地震:四国沖から紀伊半島沖(南海トラフの西側)が震源。四国、紀伊半島中心に大被害、九州、中国地方、三重県あたりまで被害が出る。東南海地震:紀伊半島沖から遠州灘まで(南海トラフの東側)が震源。紀伊半島から静岡を中心に大被害、大阪あたりまで被害。東海地震:駿河湾(駿河トラフ)が震源。静岡を中心に大被害、愛知、神奈川あたりまで被害。1498年明応地震(南海・東南海・東海)M8.2-8.4、震度6。伊勢・駿河に大津波。死者3~4万人。1605年慶長地震(南海・東南海・東海)M7.9-8.0、紀伊・阿波・土佐で大津波、関東から九州まで津波。死者1~2万人。1707年宝永地震(南海・東南海・東海)M8.6、最大震度7、静岡から大分の広範囲で震度6と推定されている。津波は、伊豆から九州までの太平洋沿い、瀬戸内海まで。下田5-7m、紀伊半島5-10 m、阿波5-7m、土佐5-8m。死者2万人以上、全壊6万以上、流失2万以上。49日後に富士山が噴火し、宝永山ができた。1854年安政地震(南海・東南海・東海)M8.4x2(東海地震の32時間後に南海地震がきた)、震度7。静岡から四国に大津波。伊豆下田6~7m、江浦湾6~7m、伊勢大湊5~6m、志摩から熊野灘5~10m、紀伊半島4~7m、土佐11m。死者約3万人。1944年昭和東南海地震M7.9、震度6。津波は、尾鷲市が最大で9m。死者行方不明者1223人。戦争中で資料が少ないが、中京地域を中心に大被害。1946年昭和南海地震M8.0、高知・徳島と紀伊半島などで震度5。津波は、高知、徳島、三重で4~6m。死者1330名。全壊11591、流失1451、焼失2598。なぜか昭和だけ、間隔が90年と早く小規模で、東海地震だけ連動しませんでした。すでに157年たっています、南海や東南海もパワーは溜まっているはずです、今回の地震で静岡県東部で震度6強の地震が誘発されました、、東海地震がおきて、南海や東南海まで連動したら、静岡から四国までの太平洋沿岸は大被害を受けるでしょう。東日本が大ダメージを受けて、さらに人口と生産能力の多い太平洋ベルト地帯がやられたら終わってしまいます。過敏になるのもいけませんが、一番注意が必要な地震だと思います。静岡には、立派な防波堤と水門がありますが、少しでも穴があれば入り込まれますし、市街地に浜岡原発もありますから。。津波は早いところは地震直後です。今回、来ないとしても、南海・東南海・東海地震は40年以内には80%の確率でくると推測されています。あとは、噂される富士山です。781年、800年、802年、864年、937年、999年、1033年、1083年、1435年、1511年、1707年と噴火しましたが、その後は静かです。小学校では休火山と習った記憶がありますが、1923年に噴気、1987年に山頂で有感地震がおきるようになり、今は活火山とされています。もし、東海地震が起きてその影響で噴火したら、もしかしたらこの前の富士宮の余震で誘発されたら、いつ噴火するかは誰にも分からないそうですが、前兆の地震などから直前になれば分かるようです。大昔のような大爆発で関東ローム層を形成するような激しさはないでしょうが、周辺への溶岩流と火山灰の可能性はあるでしょう。首都圏地震に関しては、南関東では200~300年周期でM8級(関東大震災並)が発生しており、前回が1923年ですから、大丈夫でしょうが、M7級の可能性はあるようです。どうして、日本はこんなに地震と津波が多いのかと言われると、プレートテクトニクス理論でプレートの境界が近いから、それによって活断層も多いからです。以下の資料が参考になると思います。http://www.jma-net.go.jp/sapporo/knowledge/jikazanknowledge/jikazanknowledge.html地震の基礎知識 (札幌管区気象台)http://www.jishin.go.jp/main/p_hyoka02L.htm主要活断層帯の位置および海溝型地震の発生領域と主な長期評価結果
2011年04月29日
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今回の石巻や仙台の浸水図は、869年の貞観地震と似ていると言われています。前に、津波の高さ4mと書きましたが、新しい資料を見つけましたので訂正します。http://web.bureau.tohoku.ac.jp/manabi/manabi16/mm16-45.html津波災害は繰り返す、陸奥国府を襲った貞観年津波箕浦教授の資料で、長さ200kmの連動型地震で、仙台平野で9m、相馬市で9mと推定されています。そして、堆積物の測定結果から800年から1100年に一度発生しており、ちょうど1100年が経過していると警告していました。http://unit.aist.go.jp/actfault-eq/seika/h19seika/pdf/03.satake.pdf石巻・仙台平野における869年貞観津波の数値シミュレーション佐竹教授の資料で、モデル8か10と推定していますが、おそらく、福島でもひどい被害を受けたことを考えるとモデル10を考えていると思います。長さ200km幅100km、すべり量7m、M8.4で、仙台平野で高さ6mで海から1~3kmまで浸水、石巻平野で高さ5mで3km以上浸水と推定されています。600~1300年間隔とのことです。http://media.yucasee.jp/posts/index/7280今回の津波、貞観地震超えた今村教授の資料で、M8.3~8.4で、仙台平野で高さ7m(今回10m)、浸食3.4km(今回5km)と推定しています。いずれにしても、貞観地震は、三陸沖、宮城県沖、福島県沖の連動型の巨大地震による過去最高の津波で、死者1000人と推測されています。今回の地震は、三陸沖、宮城県沖、福島県沖、茨城県沖の連動型地震で、長さ500km幅200kmすべり量20m、M9.0の日本史上最大の超巨大地震でした。津波は、仙台で高さ10mで、仙台でも石巻でも5km程浸水して、貞観津波を超えていること、岩手県の海岸部では明治三陸級の大津波に襲われたこと、福島の被害が過去最高だったこと、以上を考え合わせれば、貞観津波を少し大きくして明治三陸大津波と更に茨城県沖津波を合わせたぐらいの日本史上最悪の超巨大津波だったと判断していいと思います。1300年代に慶長と同規模の津波記録にはありませんが、貞観津波の地層研究から、石巻は海岸線から1km程度まで浸水したと推定されています。1611年 慶長三陸地震岩手県三陸沖 N39E144.4(昭和三陸とほぼ同じ震源域と推定)、M8.1、震度5程度。津波高さ(遡上高):岩手県田老町20m、岩手県山田町22m、大船渡市9m、仙台市若林区7m、福島県相馬市5m。石巻は3mと推定され、地質調査では1km程度まで浸水。死者約2000~5000人。http://www.bousai.go.jp/jishin/nihonkaikou/10/siryou2/siryou2_3_10.pdf1611年慶長三陸地震1793年 寛政地震三陸沖、宮城県沖の連動型で、長さ100km、M8.0~8.2、震度6。浸水高:釜石市両石9m、大船渡綾里4.5m、牡鹿半島4m、七ヶ浜2m、相馬市4m。死者 約1000人。宮城県の想定していた宮城県沖と三陸沖地震の連動型の割には、震度も津波の被害もそれほどではなく、これで仙台は最高でも3m程度と推定したのは結果的に甘かったです。http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_19/16-Namegaya1.pdf寛政五年(1793)宮城県沖に発生した地震の詳細震度分布と津波の状況1896年 明治三陸地震岩手県沖200km(N39.5E144)のため震度3と小さかったが、実際はM8.2、長さ200km幅50kmずれ6mと大きく、さらに周期がゆっくりで津波を起こしやすく、典型的な津波地震。津波の高さ:宮古市7~22m、大船渡市5~22m、石巻市3m、宮城野区4m、相馬市4m遡上高:大船渡市綾里38.2m(過去の本州観測史上最高)、田老村15m、釜石8m、歌津10m、女川町3m死者21959人http://www.bousai.go.jp/jishin/nihonkaikou/10/siryou2/siryou2_3_9.pdf1896年明治三陸地震1897年 三陸沖地震M7.7 寛政地震と震度と津波の被害が似る。宮城県沖の東どなりの三陸沖で、1793年は宮城県沖と連動したが、1897年は同年半年前に宮城県沖地震がきており、連動を免れたが誘発されたものと推定される。1933年 昭和三陸地震岩手県沖200km(N39.1E144.1)、長さ170km幅50kmすべり6.6m、M8.1、震度5。明治三陸地震の影響で起きたアウターライズ地震(沈み込む海洋プレート内でおこる地震)とも言われており、今回も起きる可能性が指摘されています。慶長三陸がほぼ同じ震源域と考えると、繰り返し性もありそうです。津波の高さ:大船渡市21m、石巻市2m、女川2.5m、宮城野区2m、相馬市3m遡上高:大船渡市綾里28.7m、歌津10m、牡鹿半島5m、宮城野区2m、福島県新地町5m死者不明者3064人http://www.bousai.go.jp/jishin/nihonkaikou/10/siryou2/siryou2_3_14.pdf1933年昭和三陸地震1960年 チリ地震津波チリ南西沖、長さ800kmずれ20m、M9.5という世界最大規模の地震。チリでは津波18mと震度6の激震で、全土が壊滅状態になった。日本には、ジェット機並の速度で太平洋を移動し、22時間半後に津波がきた。死者142人。大船渡市で被害総額80億円以上。津波の高さ:北海道霧多布3.3m、釜石2.8m、大船渡4.9m、気仙沼2.6m、女川4.2m、石巻3m、塩釜2.8m、小名浜2.4m、銚子2.1m、三重県尾鷲市3.4m、高知1.3m遡上高:大船渡 5.5m、気仙沼港3.4m、女川5mhttp://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/kyoukun/rep/1960-chile%20JISHINTSUNAMI/6_chap3.pdf日本沿岸でのチリ地震津波http://dil.bosai.go.jp/library/saigai/s16chile/f1chiledenpa.htmチリ地震津波の伝播図チリ地震にとって、日本はちょうど反対側、17000km離れても太平洋上には何も減衰するものがなく、逆に収斂して大きくなり、さらに三陸のリアス式で集中して高さを増したようです。ちなみに、チリ地震津波は、地球の反対側でほとんど考えられていなかったようですが、10~100年に一度は来ており、1877年のチリ地震も3m程度の津波だったようです。宮城県沖地震宮城県沖は、1793年寛政地震: 三陸沖との連動型で、M8.2と大きく、津波は宮城県は2~4m。死者約1000人。1835年: M7.3 仙台城の石垣崩落程度。1978年に似る。1861年: M7.4 死傷あり、1978年に似る。1897年: M7.4 震度5、小規模の被害。1936年: N38.3E142.1深さ61km M7.4 震度5。今回の4/7の余震と酷似。負傷者4人。1978年: N38.2E142.2深さ40km M7.4震度5だったが今の高性能で設置箇所が多い震度計だったら震度6弱はあったと推定されている。死者28名、住家全壊1183、被害総額2700億円、初めての都市型地震で、古い建物や塀の倒壊やそれによる死傷者が多いこと、ライフラインの途絶が問題になった。http://www.jishin.go.jp/main/chousa/kaikou_pdf/miyagi.pdf宮城県沖地震の長期評価http://www.bousai.go.jp/jishin/nihonkaikou/10/siryou2/siryou2_3_7.pdf津波高さの比較:1793年宮城県沖地震、1897年宮城県沖地震、1978年宮城県沖地震宮城県沖地震は、マグニチュードがそれほどでもないし陸地に近く震源域も小さいので、津波は弱いです。1793年は連動型の寛政地震なので、釜石6m、牡鹿半島5m、宮城野区2m、福島県新地町4mと広域で中規模の津波が来ました。1897年は、大船渡市と陸前高田市で6m、女川で3m、岩沼市で1.5m、1978年は最大49cmでした。http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E0E4E2E6868DE0E4E2E6E0E2E3E39180EAE2E2E2;at=DGXZZO0195583008122009000000地震予知連、宮城沖地震「起きていた」 長期予測に影響も今回の東北地方太平洋沖地震の本震の際に、宮城県沖地震の想定震源域も含まれていたとのことです。南北500km東西200kmもの広範囲で20mもずれた千年に一度の超巨大地震で、東日本各地の地震を誘発してますから、一番近い宮城県沖地震も起きたのは当然というかそうであって欲しいです。2005年宮城県沖地震N38.1E142.3深さ42km M7.2で、最大震度6弱。負傷者91人。これはほとんど宮城県沖地震ですが、Mが小さいため認定されませんでした。でも、この地震で半分ぐらいのパワーを使ってくれたのも不幸中の幸いでした。http://ncmro.org/news/pdf/050821.pdf2005年宮城県沖地震以上、1800年より前は資料が乏しく、特に1608年の伊達正宗が台頭する以前は資料がほとんどないので、漏れている大地震や津波もありそうです。今回や貞観地震級の超巨大連動地震は千年毎;次回は3000年?、明治三陸地震級(今回含まれた)は百年から六百年毎?;次回は2100~2600年?、昭和三陸地震級(アウターライズ地震?)は三百年毎?;次回は2200年?、宮城県沖地震連動型(今回含まれた)は二百年毎?;次回は2200年?、宮城県沖地震(今回含まれた?)は37年毎;次回は2048年?。このように想定(希望)すると、生きている間には宮城県沖地震ぐらいで、耐震性の高い建物であれば大丈夫な気がします。あとは、昭和三陸が周期性じゃないただのアウターライズ地震の場合、30年以内に来る可能性が高いので要注意です。ただし、宮城では、2003年宮城県北部地震宮城県北部の須江断層 深さ12km M6.2、矢本など震度6強。負傷者649人、全壊4892008年岩手宮城内陸地震栗駒山岩手県側の断層 深さ8km M7.2、岩手県と宮城県の栗駒山近辺で震度6強ですが、非公式で、一関市厳美町の4022ガルは世界最大の加速度、石淵ダムでも震度7相当でした。死者17人、行方不明者6人、全壊23棟。などの活断層による直下型地震の被害も多いです。宮城には、ほかにも、有名な長町-利府断層帯などがあり、過去4~5万年間に最低3回活動し、最後は約16000年前以後で時期不明で、おそらく3000年に一回の確率とのことです。ただ、1998年に仙台市愛子の深さ約12kmでおきたM5.0の地震が、この断層の最深部でのすべりと推測されており、阪神大震災や日本海中部地震は最深部が壊れた20~80年後に本震がきたと言われており、70年以内に来そうです。今回の地震では、いわき市の活断層による地震が起きており、誘発される可能性はありそうです。直下型では震源から近いので震度7が出やすいですし、断層のずれめ上の建物は全壊する可能性大です。警戒は必要ですし、断層上に新しめの住宅街(仙台のベッドタウン)や大型建築物も多いのは国が規制できなかったのか残念です。
2011年04月29日
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今回の東北地方太平洋沖地震による津波について、自分なりにまとめてみました。地震発生後約30分で、岩手県から福島県にかけて、大津波が襲ってきました。津波の高さは、いろいろな資料を統合してみると、(久しぶりにエクセル使いました)気象庁調べ2011.4.5(痕跡等から推定した津波の高さ)http://www.coastal.jp/ttjt/index.php 東北地方太平洋沖地震津波情報毎日新聞2011.3.25(港湾空港技術研究所と都司嘉宣・東大准教授の調査による)東京電力発表2011.4.9河北新報2011.4.11http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/4363b.html 社会実情データ図録ちなみに、津波の高さは、平常潮位(月と太陽の影響のみで変化する規則的な海面の水位)から上昇した高さのことを言い、以下の測定法があります。検潮所などでの津波の高さ海際にある気象庁の検潮所、津波観測計で計った高さ。正確ですが、今回のように異常に高いと振り切れてしまう場合があります。痕跡高建物などに残った津波の跡から推定した津波の高さ。遡上高津波が駆け上がっていって、最終的に到達した高さ。リアス式海岸のような険しい地形では、2倍ぐらい駆け上ることがあります。http://outreach.eri.u-tokyo.ac.jp/eqvolc/201103_tohoku/#kitasanrikuhikaku北三陸の津波高さ-明治・昭和との比較三陸では、過去最大だった明治三陸大津波と同規模かそれ以上だったようです。特に、リアス式でV字型の入り江のところはパワーが集中するので高くなり、大船渡市綾里(明治三陸大津波で遡上高38.2mの史上最高記録を残した地区)高さ3mの防波堤を乗り越え、波高約20m、遡上高30m。ただし、住宅は高さ38m以上に建築したため、被害なし。宮古市姉吉今回、遡上高38.9mで過去最高記録となった地区。ここも、高所移転しており、建物の被害はなし。宮古市田老防波堤10mで、チリ津波は防げましたが、今回は20mの津波で乗り越えられました。ただし、明治三陸でも15mの津波だったので、堤防は時間稼ぎとみて、逃げて助かった人も多いようです。ほかの、大船渡市、陸前高田市などは、もともと海沿いの大きな街で、高所移転はできず、被害は大きかったようです。宮城県でも、歌津あたりはリアス式海岸で、明治三陸、昭和三陸でも10m近い津波に襲われ、今回は15mで壊滅的な被害でした。宮城県、福島県のなだらかな海岸部は、明治三陸大津波などは三陸沖が震源のため牡鹿半島に遮られ、さらにリアス式のような津波の集中もないため、高さ3m程度で、貞観津波は高さ7mの推定も千年以上前で考慮されず、どこも想定3m程度でした。堤防も3~5m程度で、今回の貞観津波を超える5~9mの津波に超えられてしまいました。また、最初の予想が3mだったためか、逃げなかった人、海近くの自宅や会社に戻った人も多くて、大被害となってしまいました。石巻と矢本の「浸水範囲概況図(国土地理院)」。http://www.gsi.go.jp/common/000059847.pdf石巻は、海岸沿いの、魚町、湊、南浜町、門脇町、工業港のあたりは壊滅的でした。石巻駅前、大街道、中里といった中心街も床上浸水地域で、遠くは、三陸道を越えて5km近く、田んぼに浸水しました。旧北上川を遡上して氾濫し、旧河南町鹿又地区まで浸水しました。旧石巻市で浸水しなかったのは、日和山、蛇田の中心地区だけでした。矢本も、大曲地区は壊滅的で、ロックタウン周辺以外はほとんど浸水してしまいました。仙台市近辺の「浸水範囲概況図(国土地理院)」。http://www.gsi.go.jp/common/000060133.pdf松島は海沿いの道路と店が冠水しましたが、島々で津波が緩和されたのか、他の沿岸部ほどではありませんでした。塩釜は、港周辺が浸水しましたが、坂の多い街なので高所は無事でした。多賀城は、仙台港近くは45号線あたりまで浸水。仙台市の海沿いの宮城野区と若林区は、10m近い津波が襲ったところで、平野を圧し進み、仙台東部道路付近まで甚大な被害で、一部は5km以上浸水しました。名取市は、仙台空港あたりの田んぼはほとんど冠水、岩沼市と亘理町も海から5km程度までと膨大な被害でした。今回の被害を大きくした原因の一つに、地震による地盤沈下がありました。GPS連続観測から得られた電子基準点の地殻変動 (国土地理院)http://www.gsi.go.jp/chibankansi/chikakukansi40005.html震源地に一番近い、牡鹿半島では東に5.3m、下に1.2m移動し、陸前高田では84cm、石巻市渡波では78cm、相馬市で29cm地盤沈下しました。その分、堤防と陸地が低くなってから津波が押し寄せてきたので、高さが増しました。この地震による地盤沈下の説明がどこにもされていなくて、普通、陸側のプレートが持ち上がったら地盤上昇するような気がするのですが、自分なりに解釈してみました。(間違っていたらすみません。)陸側の北米プレートが千年かけて、太平洋プレートが西に沈んでいくのに押されて、黒線のように弓なりにしなっていきます。それが今回の地震で解放され、青線のように陸側プレートの先端が24m東にずれ5m上昇し、津波を起こすと同時に牡鹿半島の辺りでは東に5m引っ張られ移動、弓なりが直線化して地盤が1m低下したと考えられます。もともと、北日本の北米プレートは太平洋プレートに西側に押されて移動してますから、その反動で東に伸びて戻った分、東への移動が大きかった可能性もあります。この解釈だと、千年たてば、また弓なり状態になって元の高さと位置に戻りそうですが、その間にも満ち潮や台風や他の地震や津波などは来ますから、低くなってしまった分、今まで以上の対策が必要でしょう。以上の被害状況は、国土地理院の航空写真でも分かりますし、Googleマップが被災後の航空写真を反映しており見やすいです。http://saigai.gsi.go.jp/h23taiheiyo-hr/index.html 国土地理院http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&tab=vl Googleマップこうして、画像や動画だけでみると、映画やゲームのように感じる人もいるかもしれませんが、実際は本当に命がけで、大勢の人が亡くなって、膨大な建物や資源が被害を受けました。心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。そして、今回の地震の情報が、将来の復興と防災に役立つようお祈りいたします。
2011年04月22日
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宮城は、桜が咲き始めている春なのに、一昨日の夜は雪、冬に戻ったようです。1ヶ月前の地震の日に雪が降っていたことを思い出します。さて、1ヶ月ちょっとたって、少しずつ状況も変わってきました。石巻では、向陽町の市営住宅となりの空き地に、仮設住宅が建ってきました。まだまだ、避難所にいる人、自宅避難の人、親戚宅に同居している人、いっぱいいますが、少しずつ、復興への芽吹きが見え始めてきました。ただ、石巻の街では、壊滅的な被害を受けた海岸沿いの、魚町、湊、南浜町、門脇町、石巻港あたりは、ガレキが片づけられてきて、残ったのは荒野のようです。渡波、湊、南浜町の海沿い、門脇町の川沿いは、地盤が70cmぐらい沈んでしまって、ここ最近の大潮で冠水してしまう問題も出てきています。漁港と工業港は絶対必要で再建中ですし、渡波の国道398は更にひどい被害を受けた女川や牡鹿半島への主要道路なので早急に冠水対策が必要です。それ以外の壊滅してしまったところをどうするかは、難しいところだと思います。石巻駅前、大街道、中里といった中心街も床上浸水地域で、だいぶ片づけは終わり、ライフラインもかなり戻りましたが、まだほとんど機能してません。床上浸水では、ガレキを片づけて、ヘドロをかきだして、洗浄して、それでも臭いと泥が残りますので、木造だと、床や合板の張り替え、畳やクロスなどは交換までしないとだめで、大変な被害です。粉塵が飛び交って、健康の問題もあります。現在、何とか機能しているのは蛇田と一部の床下浸水地域だったところです。その蛇田地区も、名前の通り、蛇が出るくらい深い田んぼだったところなので、向陽町やあけぼのは液状化がひどいところがあり、被害がほとんどなかったところとなるとかなり限られています。石巻は、今回の津波の被害を受けた地域の中では人口16万と一番多く、それを蛇田地区だけで支えるのは到底無理です。あけぼの、蛇田バイパス、45号線沿いのお店がだいぶ開くようになりましたが、道路は渋滞、銀行・電気屋・家具屋・スーパー・ホームセンターなどのお店もかなり混んでいます。おそらく、あと1ヶ月以上して、中里や大街道や駅前が少しずつ動き始めないと、石巻の町は機能しないし、復興には最低でも数年はかかりそうです。津波で全壊になった地域は元の姿に戻ることはないでしょう。さらに、石巻市全体となると、雄勝、北上川河口の北上町などの全壊地域の問題も出てきます。膨大な月日と資金とパワーが必要だと思います。http://www.city.ishinomaki.lg.jp/hishokoho/zisinn2011_5.jsp石巻市のホームページに東日本大震災による被災の情報があります。仙台は、桜の季節です。いたるところで綺麗に咲いています(花見客はいません)。仙台の街は、ほとんどの店が営業するようになって、ところどころに壊れたところがあったり、道路が混んでいたり、地下鉄や新幹線が動いてなかったり、品不足が残っているぐらいで、傷跡はあるものの活気が戻ってきました。でも、海沿いの若林区荒浜の辺りは、いまだに、田んぼに泥がたまって、ガレキと車が散乱しています。桜は咲いても、宮城の春は遠いです。。それでも、生きているだけでも幸せ、家族や家や仕事が残っただけでも恵まれていますから、一歩一歩、前へと進んでいきたいです。
2011年04月21日
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ここからは回復状況を。12日の朝から少しずつ浸水地区も水が引けてきて、数分に一度は余震はあるものの大きいものは減ってきて、14日あたりで何とか浸水地域で屋上などに取り残された人が救出されはじめ、避難所に発電機の電気がきました。15日に、避難所に24時間診療所ができ、衛星電話が設置されました。16日夕方に衛星電話が通じるようになり、やっと実家に電話できました。宮城県沿岸部で、連日、テレビで被害画像が流されているところの近くだったので、かなり心配をかけたと思います。16日には、電気が通りました。久しぶりのTV、ようやくみる被害のおそろしい画像に声も出ませんでした。暖房が動くようになり、明かりもとれ、電気製品も使える、とてもうれしかったです。水も通りました。やっと、水が使える、シャワーができる、水洗トイレが使える、これも大きかったです。18日にやっとDoCoMoが通じるようになりました。auは、臨時基地局を設置したせいか14日頃には、たまに繋がるときもありました。20日には、仙台市は電気は全面復旧、水道は月末まで順に、ガスは1ヶ月、ネットは一部、固定電話は一部、携帯も一部、店は一部、下水の完全回復までには2年、津波の被害地域は予想不能とのことでした。石巻は、電気はほんの一部、水道もほんの一部、店は店頭でわずかでした。20日夕方にネット(光ファイバー)が復旧しました。いろいろな被災のニュースや画像が知らされ、これも衝撃でした。固定電話も復旧しました。23日にやっとガソリンスタンドが開きましたが、2kmぐらいの大行列でした。スーパーも被害のないところはほとんど営業するようになって、少し並ぶぐらいで、肉や魚や飲み物など以外はそこそこ買えるようになりました。久しぶりのお総菜、肉、手の込んだ料理です。24日、ようやく、自宅避難者向けに、救援物資の配給が始まりましたが、最初はあっというまになくなる状態でした。スーパーに並べば買える地域でしたので、行きませんでした。24日に、東北道が一般車にも解放、30日に三陸道が一般車も通れるようになり、朝は石巻行き、夕は仙台行きで渋滞していましたが、少しずつ解消してきました。4月4日頃にはガソリンの列がほとんどなくなりました。スーパーも行列はなく、品揃えと品数もだいぶ戻ってきました。(一部のチェーン店は、いっこうに開きませんが。)4月7日深夜に宮城県沖地震がおきて、停電、断水の悪夢が再びとなるも(携帯は可)、翌日にはほぼ復旧しました。いまだに、津波でやられた地域では、電気も水もきていないところがいっぱいあります。捜索活動も続いています。まだまだ、助けが必要なところはいっぱいあります。ご支援よろしくお願いします。ライフライン、まさに命の線、本当に大切だと実感しました。全国各地の車をみかけ、復旧に携わった方々には、本当に感謝感謝です。
2011年04月10日
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今回の東日本大震災で更に大変だったのが、ライフラインでした。3月11日の東北地方太平洋沖地震(本震)後すぐに、東北全域で停電、断水、ガス停止、固定電話も携帯電話も不通、情報も遮断、お店もクローズのまま、いたるところの道路や橋が通れなくなりました。午後2時46分に地震が起きて、夕方5時ぐらいから暗くなってきて、停電で夜は真っ暗闇。懐中電灯の明かりだけ。電気製品が使えなく、電池で動く製品頼り。予備の電池がそこそこあったので助かりました。ソーラー式のライトも役に立ちました。しばらくすると、携帯の電池がなくなってきて、予備の電池があったのと、車のDC12V->AC100Vコンバーターが役立ちました。友人でポータブルの発電機を持っている人もいましたが、非常用には使えても、今回のような長期になるとガソリンもなくて使わなくなりました。停電のもう一つの問題は、オール電化なので暖房ができないことでした。高断熱高気密住宅なので、ひたすら、残った熱を逃がさないように暗くなったらカーテンをしめ、日が差すうちは少しでも日射熱を取り込むようにするしかありませんでした。あとは、ホッカイロがあったのと、できるだけ厚着をして、夜は毛布にくるまって寝るだけでした。もともと、冬でも全館22度の状態でしたが、徐々に室内の温度も低下し、翌夕には14度(外10度)、13日朝は外2度まで冷え込み室内11度でした。あとは、朝で外3度ぐらいの寒さで、日射熱で日中14度、朝には10度ぐらいで平衡に達しました。ただ、16日に電気が通って暖房が使えるようになりましたが、、17日は雪で朝-1度で日中も1度とすごく寒く、18日の朝が-2度でしたので、無暖房の人はかなりきつかったと思います。昔の家なら、電池式の石油ストーブや豆炭こたつなどが使え、暖はとれたし、プロパンガスで被害がなければ使えるし、お風呂の水も多いし、ぼっとんトイレもあるし、食料の蓄えも豊富なので、昔の家の方が災害には強い気がしました(地震には弱いですが)。断水は、買い置きしてあった牛乳やジュースで飲用はすまし、電気温水器の水を取りだし、料理に使ったり、食器を洗ったり、身体をふいたりしました。風呂水がたまっていれば使ったり、近くのわき水を使ったり、川に水をくみに行ったりする人もいました。給水車もきましたが、最初の頃はペットボトル2本までで電気温水器の水もあったので並ぶのはやめました。その後、ポリタンクなどに給水可になったのですが、給水用のポリタンクがなかったので買っておけばと思いました。しばらくして、内陸の知り合いのところに水が通ったので、タンクで水をもってきてもらって、いろんな容器にためてもらいました。感謝です。 意外とひどいのがトイレでした。水洗なので、水がないと流れません。タンク式だとタンクに水を入れれば流れますが、一回でかなりの量を使用するので水がほとんどない時には使えませんし、我が家のトイレはタンクレスで、水を少し便器に入れたぐらいでは流れませんでした。小便は、なぜか尿瓶があったのでそれを使って、外の排水口に流し、大便は最初の頃は避難所に行っていましたが、衛生的にもちょっときついところがありましたし、ジャスコに簡易トイレが設置されてからはそちらを利用させてもらいました。最終的には、トイレの度に行くのも面倒ですし、ゆっくりできないですし、ガソリンももったいないので、バケツのような容器にゴミ袋を入れて、中に新聞紙を入れて、それにするようになりました。最近は、小便は固めて、大便は消臭するタイプの簡易トイレ袋もあるようなので、それがあると有り難いかもです。しばらくは店がまったく開いてませんので、食料も不足し、最初の頃は、残っていたパンやお菓子、冷凍していたご飯などに頼るしかありませんでした。 コンビニは震災当初は、被災したままで開けてくれたところもあったのですが、すぐに使えなくなりました。ジャスコでは、被災翌日に喜久福やお菓子やジュースを配ってました(その後は開いてませんでした)。避難所でも地元企業がカマボコやお菓子などを配ったりしていました。13日頃までは救援物資がほとんど届いていなかったので、厳しいときこそ、ありがたみが分かりました。13日に、被害の少ないところでヨークベニマルなどが開き始め、店頭で最低限の食料や水やティッシュなどの備品を販売し始めました。朝早くから長蛇の列でした。しばらくして、物置に昔キャンプで使っていたカセットコンロがあることを思い出し、大活躍しました。火があれば、冷蔵庫に残った材料で温かい料理が食べられる、これはデカかったです。冷蔵庫も数日すると常温に近くなり、冷凍ものも溶けてくるので、料理して保存すればもう数日持ちますし。スーパーなどの店は、電気と水が通ってからは少しずつ開くようになりましたが、行列もひどいし、物資も少なく、点数制限もあり、肉・魚・野菜・水・カップラーメン・電池・備品などはほとんど買えませんでした。避難所にも時々いきました。トイレ、衛星電話を使用させてもらいました。多くのボランティアが働いており、ありがとうございました。いろいろな理由で避難所に行かないで自宅で避難している人も多く、同じように暖房や水・食料の調達やトイレで苦労している方が多かったです。ガスは、オール電化なので関係ありませんでしたが、プロパンガスでも点検や修理が必要で動かなかったり、都市ガスは復旧も遅くどうしようもなかったようです。固定電話と携帯はしばらく通じませんでしたので、実家や知人に安否確認をしようにもできず、大変でした。そうこうするうちに携帯の電池切れになった人も多かったです。情報は、とにかく、ラジオ頼みでした。関東以西の人は、地震や津波の恐ろしい画像をほぼリアルタイムでみれましたが、被災地では電気が通るまではほとんど分かりませんでした。唯一、カーテレビでみることはできて、最初の数日は時々みたり、あるいは車に寝泊まりして暖をとる人もいましたが、想像以上の絶望的な状況とガソリンの見込みがまったくたたなかったので、車中避難の人はほとんどいなくなりました。また、電波局がやられたのか、地デジも入りが悪く、アナログもあまりうつりませんでした。道路は、三陸道がところどころ地盤沈下で段差ができて、緊急車両のみでしたし、沿岸部の45号線近辺は津波の影響でところどころ通れなくなってました。ガソリンもないし、店も開いてないので、自転車や徒歩で家と避難所を移動するぐらいの人がほとんどでした。ガソリン不足も致命的で、郡部ではもともとスタンドが少ないですし、石巻では蛇田の方しか開かないので泊まりで待って買ったり6時間待ちで入れてもらってました。そんな中で、近場の用事は自転車が活躍しました。折りたたみでも、さすがDAHONのOEMだけあって、性能もよく、カゴも別付けしていたので買い物に重宝しました。こんな状況でも、仕事はありましたし、かえって、ほとんどのところが営業してないので客が殺到して休みもなく大変でした。今回の地震の被害は巨大すぎて、東日本ほとんどがダメージを受けましたので、しばらくは助けがまわってこないので、被災者が被災者を助けるという事態でした。
2011年04月10日
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4月7日23時32分、突如、すさまじい揺れの地震がおこりました。夜中でまだ起きていたのですが、ぶるぶる震えたと感じたら、まもなく激しい横揺れと縦揺れがきたので、震源が近そうだと思いました。地震の途中で停電、何とかつかまりながら懐中電灯とラジオを探し出し、崩れてくる本や揺れ動く家具をよけて、真っ暗の中リビングに逃げるので精一杯。宮城県沿岸部なので震度6弱、これでも大地震なのですが、3月11日の震度6強の本震の方が揺れ幅も持続時間も倍以上に感じました。それでも、本震とその後の津波と避難生活のトラウマがあって、真っ暗闇の中に津波警報のサイレンが響いて、恐怖感はすごかったです。ただ、幸い、ラジオで大きな津波はこないとの報告でしたので、外に少し避難したぐらいですぐに家に戻りました。被害は、せっかく片づけた書類や家具がまた散らかってしまったのと、食器が少し割れたのと、塗り壁にひびが少し増えたぐらいでした。発表された宮城県沖 北緯38度、東経142度、深さ40km、M7.4、このデータは1978年の前回の宮城県沖地震とまったく同じ、ついに史上最高規模の東北地方太平洋沖地震の影響で、宮城県沖地震が誘発されたのかとすぐに思いました。その後は、停電で真っ暗だし、とりあえず寝て、停電、断水は続いているものの、会社が休みという連絡はないので、しかたなく出勤。昼ぐらいから、各地で電気も復旧し、夕方に帰ったら、家も電気は通っていて、断水は続いたままの状況でした。 本震の断水で慣れているので、電気温水器から水を取り出します。(取り出し口の脇に説明書きがあります。)で、よくみると、度重なる地震で、電気温水器の固定金具が外れていました。電気温水器があれば、2週間の断水は問題ないぐらいの水は保証されますが、地震で倒れる被害も多いようです。ネットもつながるようになって、情報収集すると、、M7.1、深さ66kmに修正されてました。宮城県沖地震は、最近は26~42年周期でM7.3~7.4程度で発生しており、前々回の1936年は北緯38度、東経142度、深さ61kmなので、規模が小さめになったぐらいで、やはり、宮城県沖地震といっていい気がします。2005年の宮城県南部地震がM7.2で、宮城県沖地震の一部が起きたと言われており、推定されるM7.4のうち、2005年ので半分、今回の地震で1/2.8、あわせて86%のエネルギーを消費したことになるので、たぶん、宮城県沖地震も終わったと判断していいのでしょうが、少しでも別の可能性があれば断定できないのであくまで余震と発表されているのでしょう。といいつつ、今回の震源地単独で宮城県沖地震と考えて、1.8/2.8に相当するM7.3の宮城県沖地震が少しして発生したとしたら、、おそらく度重なる余震で弱くなっている地盤と建物には震度7規模で襲う可能性があり、想像するだけで恐ろしいです。東北地方太平洋沖地震は千年に一度の三陸沖連動型超巨大地震と考えられており、想定外と片づけても被災してしまったら事実なわけで、わずかの確率でも備えは必要な気がします。
2011年04月08日
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