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昨日は投票日でした。私の行く投票所は柏崎市役所であります。いつも市役所ロビーが投票所になります。先日までボランティアの受付や、救援物資の配布などで戦場のようであった場所であります。市役所前は仮設トイレが並び、国土交通省や数多くのテレビ局の車輛が陣取り、パラボラアンテナを立てていたのですが、テレビ局の車両は話題の選挙区に散って行ったようでNHKだけになっておりました。選挙で震災のことは忘れ去られそうであります。庁舎裏の議員駐車場には自衛隊車輛が並び、なにやらたくさんのケーブルで庁舎内と結ばれていて、そこだけ見るとまるで軍事クーデターが起きたみたいであります。市役所職員である同級生が選挙管理委員会の投票所立会人をしていました。震災対応で、すっかりお疲れの様子でした。市役所のみなさん、ご苦労様です。ありがとう。結果的に投票日が一週間伸びたのは、この場合良かったということになるようです。柏崎市内では地震直後から選挙の街宣車の音を一度も聞きませんでしたね。各陣営からの電話も一本も掛かってきませんでしたよ。政党や候補者は、当地域での選挙運動を、わずかなチラシ配布以外はすべて自粛したようです。元々これでいいのであります!我々はマニフェスト、人物、言動、実績、将来性なんかで選ぶのであります。選挙カーでうるさい音をたてていた人を選んでいるわけではないのですから。普段から本来の仕事を真面目に一生懸命やっていてくれれば、いまさら改革、実行なんて大声で怒鳴らなくてもいいのであります。選挙戦なんていう言葉自体が、元々、市民・有権者を無視した言葉なんであります。選挙戦なんていう、戦争の戦の字なんて、政治家だけの期間限定の戦いなんであります。市民は戦争よりも対話、協調、安心、発展なんかを望んでいるのでありますよ。有権者不在の政治家同士の戦争なんて市民には迷惑ですらあるのであります。震災後、選挙カーは来ませんでしたが、市民の求めに応じて天子がいっぱいきているのを感じます。笑ってしまうほど、今天使がいっぱい来ていますよ。何を寝ぼけたことを?・・言ったもん勝ちなんであります。フッフッフッフ・・・でも私には分かるのです。やっぱり浄化が進んでいるようであります。
2007.07.30
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今日はちょっと愚痴っぽくなりますが、聞いてくださいな。建設関係の仕事をしていると、震災で景気のいいのは建設関係だけですね、なんてよく言われるのであります。仕事が、無いよりはいいかもしれませんが、でも所詮「災害復旧」なんであります。災害復旧工事はマイナスをいかに元のゼロまで戻すか、という程度の話なんであります。ゼロまで戻せればオンノジで、たいていはゼロまでは戻せません。災害でマイナス50になったとすると、ああでもない、こうでもないといった挙句、マイナス10あたりで我慢しておこうかという程度の話なんであります。これを契機にプラスに転じるなんて要素はまったく無いのが、シャッター通り商店街を抱える地方都市の災害なのであります。そりゃあ、中には悪徳業者も、災害に便乗する不心得者もいるようではありますが、先回の中越地震でも、まともな商売で儲かったなどという業者はまったくないのであります。忙しい思いをしたという事実だけが残るのであります。地震の揺れが収まっても、産業の地盤沈下をくいとめるのは大変なわけで、これから人口流出だっておきそうなんであります。地方都市で千戸を超える仮設住宅とはそういう事態なんであります。震災の直前に比較的元気のよかったある市内の会社が、市内メインストリートで空家になっていた中古ビルを買いました。今回の地震でそのビルが傾き、解体を余儀なくされております。しかもそのビルにはアスベストが使用してあることも判明し、ビル全体を風船のように外から覆ってからアスベストの除去をしなければならないのだそうです。踏んだり蹴ったりなんであります。その費用が噂では六千万円だとか、さらに傾いた建物内でのアスベスト除去作業は危険だということで、なんとか真直ぐに起こす工事を先にしなければならないのだとか。内外装のリフォームをする前だったのだから、まだ良かったと思いなさいなんて、そんな気休めはとても言えませんね。そのビルの前の通りは、地震以来ずっと通行止めであります。災い転じて福となす・・・これって中々難しいのであります。「浄化」が進んでいるということなんでありましょうか?本当に守るべきものとはなんなのか、本当に大事なものとはなんなのか、この震災で波打つ地面に立ちながら倒壊した家屋を眺め、大いに考えさせられたのであります。この考えさせることが、神のご意思なんでしょうかねえ。
2007.07.29
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商店街の方が自主的に炊き出しをしてくださったときは、我が身を省みない献身的な奉仕に、その炊き出しをいただくことにためらいを感じていた被災者も、自衛隊の炊き出しには長蛇の列であります。自衛隊員は市民の為の炊き出しを、決して口にしません。彼らはいったいいつどこで何を食べているのかと思うほど、市民の前で何かを食べるということはありません。徹底して規律正しく献身的であります。本当に立派です。任務とはいえ、感謝の気持ちでいっぱいであります。挨拶だってきちんとしてくれます。日本の若者はどうして、どうして、まだまだ捨てたものではありません。今日息子夫婦が手伝いに仙台からきてくれるそうですが、なんのもてなしもできません。たまには、そういうのもいいでしょう。片付けのいいところはもう終わったんですけどね。みんなで一緒に自衛隊員の作ってくれる炊き出しをいただこうと思っております。今月の我が家のエンゲル係数とガス水道費だけはかなり安くあがっておりますです。
2007.07.28
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我が家の融雪用の井戸水が飲用にも使用できるか、ペットボトルにサンプルを入れて保健所に検査をしてもらいに持参いたしました。正式な検査は五十項目以上の検査で、数十万円の費用と数週間の日数がかかるのだそうです。だいたい素手で触ったようなペットボトルでの水質検査なんてありえないとのことであります。昔、空調関係の仕事をしていたときは、栗田工業なんかでクーリングタワーの水質検査を只でしてもらった記憶があるのですが、それとは根本的に違うようであります。ですから水道の復旧を待って、それまでは飲用には給水車かペットボトルの水を飲むようにとのことでありました。はあ、そうなんですか・・・スゴスゴと退散してまいりました。保健所の前にはNPOによるペットの救援センターなるものができていて、飼い主とはぐれたのでしょうか、状況をのみ込めていない様子のマルチーズがケージの中でうろうろしていました。夕方暗くなってから犬の散歩をしていると、濡れた髪の女性の一団が現れました。我が家の犬は怯えて情けない声を発します。なんてことはない、自衛隊提供の仮設風呂で入浴洗髪してきた女性たちであります。通りすがりにシャンプーの香もしました。昔家庭風呂がなくて銭湯が主流だったころには、夕方などに洗い髪姿の女性を見ることはありましたが、今は市街地でそういう女性を見ることはありませんね。家に帰ると犬は、ちょっとやそっとでは動じない私のことを尊敬の眼差しで見つめておりましたですよ。・・・気のせい?ここで災害対策ミニ情報。地震対策にタンスを鳥居型の器具で天井とつっぱり固定するタイプの器具は、結果的にあまり効果が無かったようです。やはりL字型の固定金具で柱にネジで留めるタイプが有効なようです。そして転びやすいのは和タンスで引き出しタイプのものです。引き出しが全部飛び出てしまうと簡単に転びます。特に着物などが上段に入っていると重心は上にありますし、タンス本体も積み重ね式のセパレートタイプが多いですから、なおさら倒れやすいのであります。家が地震で倒れずとも、人間が家具の下敷きになっては元も子もありません。柱に傷ができるなどと、けちなことを云わず、ガンガン留めましょう。私は事務所のスチールデスクも引き出しのカギを掛けることにしました。特にサイドデスクはスルスルと引き出しが出て、すぐに転ぶのであります。
2007.07.24
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自衛隊の災害派遣部隊が各駐屯地からきています。海岸公園にはその自衛隊車両がずらりと並んでいます。部隊名を見れば陸上自衛隊ばかりでなく、航空自衛隊もありましたよ。へえ、そういうものなの?という感じです。自衛隊員の皆さんは海水浴場の近くでテント暮らしです。いかに慣れているとはいえ、テントの中の生活は大変でしょう。私たちが家で寝ているのが、申し訳ないようであります。でも海岸近くにキャンプして余震による津波の心配はないのでしょうか?報道各社の車両やスタッフの多いこと!彼らが市内の交通渋滞の原因のひとつでもあります。住民は「お前ら手ぶらで来たのかよ!」という感じで冷ややかに見つめております。総理大臣はヘリコプターで視察に来たようですが、私は社民党の福島党首がテレビカメラを引き連れて現地視察をしている姿を見ました。どこのおばちゃんかと思いましたよ。滝川クリステルはお人形さんかマネキンみたいに綺麗でしたね。倒壊家屋の前に立つ彼女は、泥沼に咲く蓮の花のようでありました。福島党首と比べると・・・いや、やめましょう。比べるのは・・・お祭りも中止になったことだし、ストレス発散になるようなお笑い芸人の避難所への慰問なんかもこれからは喜ばれるかもしれませんね。家の被害が比較的少なかった私でさえ、もうすっかりお疲れですから。
2007.07.23
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我が家に水道が来ました!近所の人からそのことを聞いて蛇口をひねったら、ゴボゴボと音を立てて水が出ました!みんなが一斉に使い始めたせいか圧力は弱い気がします。あれ?浴室の浴槽の水を張る蛇口だけが出ません・・・?ううううう・・・。壁のタイルにはひびが入っていますから、きっと水道管がそこだけ外れているのであります。これでは水道菅に水が流れ始めたときから、床下か壁の中の水道菅が外れた所がきっと水浸しになっているはずであります。こんどは自ら水道の元栓を締めました。これでは水が来ないのと同じです。業者に電話をしましたが、いつ来てもらえるやら・・・。ガスは元栓をガス水道局で各戸を締めてまわったようですから、水のように知らないうちに漏れる心配はないでしょう。ここで災害時便利グッズのご紹介。釣りに使うプラスチックバケツは便利ですよ。何故かというと、バケツに蓋がついているのであります。蓋があると、特に家の中をバケツの水を運ぶ際に、こぼれる心配がないのであります。私の場合魚釣りに使ったものですから、飲用には使いませんが使いかってはポリタンクより数段も便利です。汲みやすい、運びやすい、流しやすい。三拍子揃っております。是非ミニ知識として覚えておいてくださいませ。
2007.07.22
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救援物資が全国から寄せられているようです。心より御礼申し上げます。でも、救援物資が余っているという話を鵜呑みにしないでください。行き渡っていないだけです。いまだに、おにぎり一個を分け合って食べている避難所だって実際にあるのです。我が家の場合、非常時持ち出し袋の中身はまったく要る物がありませんでした。怪我人がいなければ、医薬品も必要ではないですからね。赤ちゃんがいる家はミルクが必要なように、その家によって、必要なものは違うわけであります。そして時の経過と状況によって、必要な物も変わるわけであります。例えばこれから復旧が始まると、埃や粉塵が舞いますから、マスクが必需品になります。これから暑い季節で汗をかきますから、作業をする人は一日一枚というわけにもいかないでしょう。ですから、やはりお金です。義援金、寄付をお願いしたいです。倒壊している建物は、やはり古い木造建築が多いです。そして一階を店舗や車庫などにして、柱や壁の少ない木造の建物が、家財と共に一階店舗の商品や自家用車と一緒に被害にあっているのが目立ちます。彼らは生活の糧まで失っているのであります。私の町内は、昭和52~53年に県道の道幅拡幅の為に、建替えた家が多いので、通りに面した建物はほとんどが無事でした。でも一歩路地に入るとまったく世界が変わります。空襲を受けたような悲惨な情景が嫌でも目に入ってきます。弱者、負け組み、勝手に名前をつけていますが、まったく失礼な話であります。栄枯盛衰は時の流れであります。日本列島はいつどこで同じような災害が起きても不思議ではありません。今日は人の身、明日は我が身と肝に銘じておきましょう。ちなみに、あなたの非常時持ち出し品は季節にあったものですか?我が家の持ち出し袋にはホッカイロが入っておりました。そういえば、先回の中越地震のときは冬に向う時期でありました。
2007.07.21
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今朝も、朝5時から犬の散歩に出かけました。多くの家を失った人の手前、悠長に散歩しているのは申し訳ないのであります。我が家の犬もストレスが溜まっています。すっかりトイレのタイミングが狂ってしまいました。同級生の実家が二軒、見事に全壊しておりました。新花町(しんはなちょう)という町内名は昔の赤線花街、遊郭であります。友人C君の倒壊したその家は、昔は女郎屋といわれ、つまり公認売春宿だったわけです。通りに面して玄関の脇に格子戸が連なり、時代劇で吉原などの遊郭が出るたびに、私はその家の建物を思い出していたわけで、公的な資料には載ることのない歴史的建造物だったわけであります。子供の頃にC君の家に遊びに行ったことを思い出します。広い玄関を入ると、また格子戸があって、その高い敷居をまたぎ、さらに土間が続き、客を茶でもてなす炉がきってあるタタミの部屋があり、そこから見える日本庭園には織部燈篭と松の木が立派でした。余って使っていない床の間のついた部屋が、二階だけで十室以上あり、C君の子供部屋は遊びに行くたびに部屋が替わっていました。気分転換だそうです。子供部屋など、どの家も無い時代だったので、すごく羨ましかった覚えがあります。トイレが十個並んでいて、家族は一番右端だけを使っていました。その歴史的な大きな家が、みごとにぺしゃんこ状態でした。住人は家を失い、町は歴史を失い、人は思い出だけが残るものの、それもその人が生きている間だけのことであります。変わり続けることが、人類の使命であります。せめて無事に生きている間、みんな仲良く楽しく過ごしたいものであります。では、避難所に陸上自衛隊の給水車による飲料水を貰いに行ってまいります。
2007.07.20
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新潟県柏崎市東本町に住んでいます。テレビによく出る避難所になっている柏崎小学校は私の母校であります。昨夜倒壊したお寺で見つかった十人目の死亡者は私の高校の恩師であります。親戚は土蔵が崩れました。いつも行く特定郵便局は隣の住宅が倒れて寄りかかっている状態であります。いやー、まあ、ホント凄かったです。先回の中越地震とは比べ物になりません。中越沖地震から三日目でようやく自分のパソコンが一台だけ使えるようになりました。ご心配くださいました各位に改めて御礼申し上げます。私は揺れたときにパソコンの前にいましたが、机からパソコン類が落ちないように手でおさえようとしたのですが、自分の体が飛んでしまいました。こんなにきれいに人間の体が飛ぶものでしょうか。プリンター、スキャナー等周辺機器が皆繋がっていますので全部飛び散りました。結果、液晶モニターが一台使い物にならなくなりました。スキャナーはまだ動かしていませんが、?です。自宅の食器棚だけは先回の地震の後に壁に固定したので倒れませんでしたが、ワイングラスなど高いものだけが戸棚の中で転び割れていました。家の中はその他のタンスや本棚、洗濯機が転び、足の踏み場も無いとはこのことでありました。本棚のガラス戸が割れてタタミに突き刺さっていました。仏壇の中の物が飛び、父母の位牌も空中浮遊をしたようであります。もう、かなりくたびれましたので、後は少しずつ片付けることにします。今日、判定員の方が来て我が家は安全の緑の表示を貼っていきました。でも、我が家の近所には全壊した家が沢山あります。倒壊を免れても隣の家が倒れてきて、これから倒れる家もまだ沢山あります。今日の三日目になると、上空のヘリコプターの数も減って、テレビでの報道も少なくなりました。二日間は上空のヘリが煩くて、会話もならないくらいだったのに。でも被災地はまだまだ大変な状況であります。水道、都市ガスはまだ復旧していません。こうしていても、我が家の前を救急車がサイレンを鳴らして通りすぎていきます。
2007.07.19
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昨日、所要で金沢に行き、空いた時間に足を伸ばし、能登半島の羽咋にある気多大社(けたたいしゃ)に行ってまいりました。神社の名前からして、気が多いのであります。 天気も良かったので、能登有料道路で日本海を間近に眺めながら走るのは、爽快でありました。若者はサーフィンやらジェットスキーなどで青春を謳歌しています。どういうわけか覚えたての大黒天のご真言「オン・マカキャラヤ・ソワカ」が口から出ました。 行く前に神社のホームページを見ると、縁結びに力を入れて(?)おられるようで、わたし的には少々門外漢かなとは思ったのですが、「まあ、一度は」ということで行くことにしたわけであります。 鳥居は珍しく木製です。手水舎で身を清め顔をあげたら、上に清めの手順がご丁寧にも書いてありました。我ながら手順に寸分のくるいもありません。石段を上がった山門では若い巫女さんが、境内入り口で参拝順序を説明されておりました。こういうお出迎えスタイルは初めてであります。 彼女の説明する順路からいうと拝殿正面の階段は昇らせないのでありましょうか。左側の幸せ結びどころに昭和天皇ご行幸の折の写真などが展示されているから、まずそちらを見学し、拝殿横の手摺のついた階段を上がり、拝殿正面で参拝し、右側の階段から降りるようにとのことであります。 私が中に入ると「幸せむすび所」は縁結び祈願所でした。中にいた巫女さんは見るからに縁結びとは関係なさそうな私に、昭和天皇の写真説明だけをしてくれました。傍に立派な御幣があります。ここでお参りするのですかと尋ねましたら、そこは若い二人がかしこまって縁結びの祈願をするところらしいです。じゃあここはパスさせてもらおうと申しましたら、巫女さん二人は笑っていました。 拝殿で私は二拝二拍一拝して天津祝詞を一人で奏上し、ご神縁をいただきありがとうございましたと礼を述べました。拝殿の中を覗けば、天井までも長年風雨にさらされたように木材は白くなっております。歴史というよりメンテナンスの悪さを感じたのですが、木材とは風雨に直にさらされずとも、数百年の間にはこうも白くなってしまうものかとも思いました。 右側の拝殿降り口におみくじがありましたので、箱の中を覗くと、おみくじが竪にぎっしり詰まっています。その上に一枚だけ横になり、誰かがそれを引こうとしてためらい戻したのか、二枚引いてしまって一枚を戻したのか分かりませんが、それだけが横になっておりましたので、百円を入れてそれをいただくことにしました。 おみくじをポケットに入れたまま、境内の写真を写しておりましたら、宮司さんに声を掛けられました。そしてこちらが頼んだわけでもないのに、色々とこの神社の説明が始まりました。今まであちこちの神社を訪れていますが、拝殿での祈祷もお願いせずに、宮司さんに説明を受けるなどということは、まあ、こんなことは初めてであります。神社の後ろに威容な山を担ぎ、そのお山そのものがご神体という話はよくありますが、こちらは山ではなくて平地の森、しかも原生林であります。原生林は異様であります。自殺願望者を呼び寄せる富士の樹海を思わせるような原生林が目の前にあるのであります。 木が多い、気が多い。気多神社であります。植物学者であらせられた昭和天皇がこの気多神社を訪れたいと思われたのは、このいらずの森の植物生態を観察なさりたかったかららしいのであります。入らずの森で、陛下が「からたちばな」というかなり珍しい植物を見つけられ、その赤い実を一個掌で転がしながら微笑んでおられたそうあります。私は思わず尋ねました。「いらずの森に天皇陛下は入ってもいいんですか?」シロートの質問はこれだから駄目なんであります。説明の話の腰を折られた宮司さんは、きっぱりと「いいんです!」ですって。 歌碑の前で昭和天皇が参拝されたときに詠まれた御製(和歌)の説明、それを英訳した福田陸太郎教授の説明。いらずの森での陛下のご様子は、ご案内役の里見信生・植物学教授が前日に他の地で陛下が尋ねられた植物に関するご質問に、教授が即答することができず、それを一晩のうちに調べ上げ、教授が陛下にご説明申し上げていたそうです。宮司さんはその内容を側で聞いていたのですが、内容は専門用語がいっぱいで、まったく理解できなかったということでありました。 それからどういうわけか、この神社には各国大使がよく訪れることなどなど。神社の歴史に関しては、あとはこれを読みなさいということで、「説明要記」をくださいました。それでお礼を言って宮司さんとはお別れしたのですが、私がまだカメラを持って拝殿の周囲をうろうろしていると、拝殿の上から宮司さんがまた声をかけてくださいました。「拝殿が三百年前、奥の本殿は四百年前、山門は五百年前だ」と建物の説明をしてくれましたが、かなり大雑把でした。若いカップルが来てこれからご祈祷をされるようでした。肝が据わると周囲の対応が変わるというのは本当でありました。 引いたおみくじは大吉。願望「思うまゝなりされど油断する事勿れ」であります。帰り際に売店でご朱印(三百円)とお札(八百円)をいただき、二千円を差し出し、残りはお玉串でと申しましたら、朱印帳を書いてくださった少々年配の巫女さんは、それではと言って、大黒様と恵比寿様の絵が描かれ、神社名が書かれ朱印が押された塗り絵のような厚手の紙(B4)をくださいました。お車でお越しですかと言われ、そうですと答えましたら、それでは折らないようにしてこのままでお持ちください、ということあります。駄洒落好きのオヤジとしては、紙は神に、折らずに、は居らずに持ち帰れ、に通じるわけであります。おみくじの待人は、「来る早かるべし」でありました。おお、なんとお早いお越しでありましょうか。宮司さんが書かれた気多大社説明要記には十二項目の説明書きがあり、一項目目にこう書いてあります。「御祭神大国主神(おおくにぬしかみ)事代主神(ことしろぬしのかみ)世に、大黒様、えびす様と申し上げ開運・縁結びの神として有名です。」そうです。私は来る道中、大黒様のご真言を唱えて運転していたのです。でも大国主命と大黒様を繋げて考えることは無かったのであります。そういえば前にそんなことを読んだ記憶もよみがえりました。考えてみれば、縁結びとは男女の仲だけではないわけであります。円も結んでくれたと理解することにいたしました。 また金沢に戻り、兼六園の傍の店で九谷焼の杯を買いました。若いころは土の香漂うような素朴な陶器が好きでしたが、今は白磁、青磁のようなシンプルな物の方が好きになりました。そして九谷焼のような、きらびやかな物まで好きになったのですから、人間の嗜好というものは変わるものであります。巷では守護霊が変わったのだなどと申しますが、真偽のほどは私には分かりません。求めた杯は八角形で内側が金箔で仕上げられおり、24金の金杯よりよほど光り輝いております。まさに目がくらむばかりの成金趣味であります。フッフッフッフッフこれでまあ、ケタケタ(気多)と笑うような、三杯(参拝)だけでは済まぬ話のオチがいつ現れるのかお楽しみであります。
2007.07.02
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