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1965年に,日本初のNゲージメーカーとして関水金属が名乗りを上げた後,第2の国内Nゲージメーカーはなかなか現れませんでした。1967年には,銃玩具で知られる多田製作所が「ロコメート」ブランドでC58や0系新幹線を発売しますが,玩具的色彩の濃い製品であり,Nゲージ鉄道模型とは言いがたいものでした。その後,1973年にトミーの2軸貨車,1974年にマックスの客車キットといった製品が発売され,ようやく今日につながる各メーカーが出揃うこととなります。この間,16番で有名な鉄道模型社も,Nゲージに関わっています。鉄道模型趣味(TMS)誌の広告から見てみましょう。まず,TMS1969年12月号に掲載された鉄道模型社の広告は,以下のとおりです。「≪Nゲージ≫ フラットカー 新発売No.SF-697 (プラ車輪付)400円 (真鍮車輪付)440円模型界の新メーカー精機産業≪商標TECMO(テクモ)≫が放つ第1弾[Nゲージ]フラットカーが出来上り,当社より発売する事になりましたカラーは,ブラック,ブラウン,スカイグレー,ダークイエロー,オレンジイエローの5色セットぜひ一度お近くの店でごらん下さいなお第2第3弾として≪真鍮製≫ナイアガラ,サンタフェハドソン,ビッグボーイ,C62,D51等を順次発売の予定です。 御期待下さい!!」(鉄道模型趣味1969年12月号(258号)より)(精機産業のフラットカー・キット)このフラットカーキットは,プラ製で,グリーンマックスや中村精密の客車キットのようなビニール袋に入れられています。「鉄道模型考古学N」等の文献にも見当たらず,謎の多いモデルです。外国型で,しかも余りにも地味な題材であることから,注目を惹かないのかもしれません。[追記]イカロス出版から刊行された「ビンテージモデルメンテナンス」にこのフラットカーキットの写真が掲載されていますが,詳細は不明とされています。(「ビンテージモデルメンテナンス」(イカロス出版)より)そして,1972年に発売されたのが,真鍮製の10系客車です。TMSでは1972年9月号の新製品紹介で取り上げられています。翌10月号の広告は,以下のとおりです。「9mmゲージ ナハ10系 全真鍮製・塗装済車体 発売中●ナハ10 ●ナハフ10 ●ナロ10 ●オユ10 各1200円(台車別)9mmゲージの国鉄軽量客車ナハ10系4形式はただいま好評発売中です。ナンバーは、ナハ・ナハフが各12種、オロ・オユが各6種用意してございます。」(鉄道模型趣味1972年10月号(292号)より)(キャブのオユ10。ナンバーは「オユ10 2017」となっている)この真鍮製10系は,当時,科学教材社の「模型とラジオ別冊 Nゲージ」の製品一覧に掲載されており,後に「鉄道模型考古学N」や「新・鉄道模型考古学N」で取り上げられるなど,比較的有名な製品です。鉄道模型社とNゲージとの関わりについては,あまり情報が見当たらず,これらの製品やTMSの広告が数少ない手がかりと言えそうです。今後,新たな情報が得られれば,追記していきたいと思っています。<余談>先日,ドイツのニュルンベルクにあるDB(ドイツ連邦鉄道)博物館に行ってきました。Nゲージもたくさん展示されていましたが,「考古学」的観点から感動したのは「Nゲージの歴史」が紹介されていたことです。最新のNゲージ製品を実車の登場順に並べた「Nゲージでたどる実車の歴史」はあちこちで見かけますが,Nゲージ製品の販売順に並べた「Nゲージ(そのもの)の歴史」を展示した例は大変珍しいと思います。
2019.06.05
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以前,TMSに掲載された初期の自作Nゲージ車両として,池末弘氏らの作品をご紹介しました。池末氏と並んで,Nゲージで蒸気機関車を多数自作された方として,平石久行氏がおられます。平石氏は,TMS226号(1967年4月号)で6250,8550,4030,247号(1969年1月号)では2800,8800,281号(1971年11月号)では2120といった古典機を発表され,295号(1973年1月号)では一転して近代機C57を発表されています。さらに,それら蒸気機関車の舞台として,275号(1971年5月号)でレイアウト「三江鉄道」(のち「Nゲージレイアウト2」に収録)を発表されました。(TMS295号(1973年1月号)より)(TMS281号(1971年11月号)より)(TMS247号(1969年1月号)より)(TMSTMS226号(1967年4月号)より)蒸機では,池末氏,平石氏に加え,長谷部満則氏の8620(345号(1977年3月号)),小川謙二氏の古典機と客貨車(369号(1979年1月号))などが印象的です。電気機関車の古典機としては,宮崎不二夫氏が349号(1977年7月号)で発表されたED17がありました。(TMS349号(1977年7月号)より)機関車以外で特徴的な作品としては,金子泰巳氏が,308号(1974年2月号)で発表されたキハ82が挙げられます。関水金属のキハ82発売に1年先んじた作品で,透明な材質でボディを作り,窓の部分以外を着色するという方法で製作されました。これは,箱物向きの方法で,イギリスのGRAHAM FARISH製品で同様の方法が採用されているほか,370号(1979年2月号)に掲載された池末弘氏の京急デハ230形も同様の方法です。(TMS308号(1974年2月号)より)また,Nゲージの建物では,片野正巳氏が209号(1965年11月号)で発表された駅本屋(のちNゲージレイアウト5に収録),戸蒔勝美氏が255号(1969年9月号)で発表された各種日本型建物などがありました。(TMS209号(1965年11月号)より)(TMS255号(1969年9月号)より)
2018.12.25
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以前,TMSで取り上げられた,Nゲージの自作・改造車輌に関する記事についてご紹介しました。今回は,昭和40年代前半までのTMSにおける,市販のNゲージ車輌製品や,レイアウトに関する記事をご紹介したいと思います。<車輌製品>市販のNゲージ製品が少しずつ充実する中で,TMSでは,それらの製品を比較,紹介する記事も掲載していました。例えば,250号(昭和44年4月号)ミキスト欄では,9mmゲージ大型蒸機の紹介として,ATLASの4-6-2,関水の4-6-4,MRCの2-8-4,MINITRIXの4-6-2が取り上げられています。(TMS250号より)また,269号(昭和45年11月号)では,海外の9mmテンダー機特集として,ATLAS(製造はRIVAROSSI)のDB10形,FLEISCHMANNのDB50形,PECOのジュビリーが取り上げられています。(TMS269号より)さらに,275号(昭和46年5月号)では,9mmの輸入小型蒸機特集。ARNOLDのT3,MINITRIXのT3,ATLASのCタンク,ARNOLDのドイツ国鉄80形,ATLASのB&Oテンダー機,BACHMANNのBテンダー,BACHMANNのドックサイダーが取り上げられています。また,318号(昭和49年12月号)では,Nゲージのドイツ型機関車特集。ARNOLD,MINITRIX,FLEISCHMANN,ATLAS,LIMA,PIKOの製品が紹介されています。そして,やや時代が下って356号(昭和53年2月号)では「9mm電車誌上展」,358号(同4月号)では「9ミリゲージ貨車カタログ」としてそれぞれ国内各社の車輌製品が紹介されています。また,352号(昭和52年10月号)では,国内各社(トミックス,GM,学研)のホームの比較が行われました。(TMS356号より)(TMS358号より)<レイアウト>日本における元祖Nゲージレイアウトというべき,TMSのレイアウトについては211号(昭和41年1月号)のグラビア頁に登場していましたが,238号(昭和43年4月号)のミキスト欄であらためて紹介されましたので,若干引用しておきます。「TMSのスタッフが約1帖の9mmゲージのレイアウトを製作してから2年半すぎた。日本で9mmゲージの線路が発売されるのとほとんど同時に製作を始め,ポイントなどは特にメーカーから取りよせたマシンなしの試作品を用いて特急工事をおこない,65年秋の交通博物館での運転会にまにあわせた。当時はまだアメリカでは9mmゲージは認識されておらず,またヨーロッパの9mmも多分に玩具的であり,スケールのレイアウトはほとんど発表されていなかった。…このレイアウトは日本はもとより世界でも恐らく最初のスケール的なレイアウトではなかろうかと思う。…16番のプラ枕木のアメリカ的な色になれている人は関水の枕木の色にかえって奇異の念を持つかもしれない。しかし,バラストをまいてレイアウトに落ちつかせてみると,始めてその真価がわかるはずである。」(TMS238号263頁)さらに,このレイアウトについては,261号(昭和45年3月号)から263号(5月号)にかけて,「9mmゲージレイアウトの製作例 ループのあるレイアウト」として連載されています。また,Nゲージの充実に伴い,それまで16番をメインにされていたモデラーの方も,Nゲージレイアウトの製作に取り組まれています。いくつかご紹介します。243号(昭和43年9月号)で発表されたのは,柴田市蔵氏の「第2次銀河鉄道」です。2100mm×900mmで,複線8の字エンドレスを中心とした線路配置となっています。「第2次」とあるのは,185号(昭和38年11月号)で発表された16番のレイアウト「銀河鉄道」の名を受け継いだもの。(TMS243号より)車輌関係については,「さて第2次銀河鉄道は,国産9mmゲージ売出しの初期に作ったため,製品には気に入らぬ点もたくさんあります。レタリングや,一部ディテールの粗末さも気になりましたが,一方性能・外形ともすばらしい製品も出はじめたことでもあり,今後はやはり国産品に期待したいと思っています。…今のところ車輌は外国製をふくめて客車類が19輌,貨車群が9輌,機関車関係が3輌です。」とあります。なお,「第2次銀河鉄道」は270号(昭和45年12月号)の表紙を飾っています。さらに,346号(昭和52年4月号)では,「第3次銀河鉄道」が発表されました。これは何と「第2次銀河鉄道」の裏につくられたものです(写真参照)。(TMS346号より)246号(昭和43年12月号)で発表されたのは,加藤一夫氏の「新八里九里観光鉄道」です。1650mm×910mmで,3列車の同時運転を可能とした線路配置となっています。「新」とあるのは,147号(昭和35年9月号)で発表された16番のレイアウト「八里九里観光鉄道」の名を受け継いだもの。(TMS246号より)車輌関係については,「車輌は日・独・伊3ヵ国の製品を使用しており,カプラーが完全に統一されていないため,すべてのメーカーの車輌をたがいに連結することはできません。現在活躍している車輌は,次の41両です。・機関車 ドイツ66形タンク機1,イタリアE424形電機2,日本EF70形電機2,アメリカPA1クラス流線型ディーゼル2,以上7両。・客車 ナハネ20形4,ナハネフ20形1,アメリカ・サンタフェ流線型客車3,イタリア国鉄客車5,以上13輌。・貨車 アメリカ型ボギー貨車13,コキ・コキフ・トキ等8,以上21輌。」とあります。なお,「新八里九里観光鉄道」は,250号(昭和44年4月号),269号(昭和45年11月号)の表紙を飾っています。さらに,249号(昭和44年3月号)では,北市正弘氏の「第2次新諸国鉄道」が発表されました。柴田氏や加藤氏と同様,「新諸国鉄道」(234号(昭和42年12月号))の名を受け継いだものとなっています。新諸国鉄道はその後もTMSで紹介されたほか,最近ではRMM260号(平成29年4月号)で大きく取り上げられています。
2018.02.25
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今回は,Nゲージのカプラーについて振り返ってみたいと思います。トミーOOOゲージやロコメートは,英国ロンスター製品同様,ベーカーカプラー風のカプラーを備えていました。一方,1965年から発売された関水金属の初期製品は,X2Fカプラーを備えていましたが,結局,アーノルトカプラーに置き換えられていくことになります。この点について,当時の資料として,鉄道模型趣味1968年1月号の『ミキスト』欄がありますので,抜粋します。「9mmのカプラーは,現在アメリカでも西ドイツのアーノルト形が主であり,日本製9mmも輸出用にはこれを付けている。とにかく,今の予想ではまず世界中の9mmがアーノルト式になるだろう。このことは9mmが,アメリカではレーシングカーにかわるおもちゃとして流行する可能性が大きいことに関係する。特にオーロラ製品などの大宣伝が,テレビの野球番組の間に入れたCMなどを通じて,夏すぎから開始されている。日本でも今年は今までと違った普及体勢が起るだろう。」(鉄道模型趣味1968年1月号『ミキスト』より)また,鉄道模型趣味1968年5月号掲載の池末弘氏と山崎主筆との対談でも,山崎主筆が「9mmは関水製も(注:アーノルト)ラピードタイプのカプラーになるよ。」「まあ,世界共通だから,しかたがないだろう。」「もともと,ラピードの生立ちが玩具的で,そこのカプラーがスタンダードになると,こういう点(注:大きさや解放ランプ)で問題が出てくる。」と述べられています。アーノルトカプラーへの統一について,加藤祐治・関水金属社長は,後年,次のように回想されています。「(注:昭和)四十三年二月,ニュールンベルグのトイショーでメーカーが全部集まりますのでそこで連結機の統一を図ろうではないか,ということで私共もアメリカ側も行きました。そこで先発メーカーとしてアーノルトの連結機を採用しようじゃないかということで現地で意見調整しました」(日本模型新聞 鉄道模型版第5号(1978年11月)より。同第2号(1978年7月)にも同旨の記載あり)余談ですが,X2Fカプラーという呼称については,鉄道模型趣味1967年8月号の『ミキスト』欄で以下のとおり記述されていますので,あわせて紹介いたします。「(引用者注:NMRA型カプラーという呼称は)いかにもNMRAの標準カプラーのように聞こえてぐあいが悪い。数年前,NMRAでは各雑誌社やメーカーに『現在NMRA型と呼ばれているものは今後ホーン・タイプと呼ばれるべきである。NMRAはこれを標準カプラーと決めたことはない』という意味の手紙を出した。これによって雑誌ではX2Fとかホーン・タイプと書くことが多くなった。しかしメーカーの広告などでは相変らずNMRA型と呼んでいる方が多い。(以下略)」さて,オーロラ社は,ミニトリックスなどヨーロッパのNゲージを,自社ブランド「POSTAGE STAMP TRAINS」の下,米国で販売していました。鉄道模型趣味1968年5月号の『ミキスト』欄では,「オーロラ社の『ポステージ・スタンプ・ライン』」について,「オモチャ的な感じであるが,このことによってアメリカの鉄道模型業界は飛躍的に売上げがのびようとしている。」と紹介されています。その中で異色の,オーロラ社オリジナルと思われるメキシコ製車両があります。それが,これです。このモデルの特徴は,関水製品と同じX2Fカプラーを備えていることで,大田治彦氏の「紀元前N世紀」や「KATO Nゲージ50周年記念誌」には,関水製品とメキシコ製オーロラ社製品を連結させた写真が掲載されています。さて,このオーロラ社製モデル。機関車は,バックマンやリマからも製品化されたプリムス社のディーゼル機関車がプロトタイプのようです。(オーロラ(左)とリマ(右)のプリムス社製機関車。オーロラ製品の方がわずかに大きい)そのリマは,当時,同社のHOゲージと同様のループカプラーを採用していました。ループカプラーを備えたリマ製Nゲージは,今日でもたまに中古市場で見かけます。(鉄道模型趣味1966年8月号『ミキスト』欄より)外観の優れたX2Fカプラーを関水が早々に放棄したことは少し残念な気もしますが,やはり,Nゲージのカプラーが早期に統一されたことは,ユーザーにとっては英断であったと言えるのではないでしょうか。この点は,他のゲージも大いに見習ってほしいと思います。
2017.12.24
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昭和50年代に入ると,画期的なトータルシステムのNゲージ・トミックスの発売など,今日へ続くNゲージ全盛時代への基礎が固められます。また,当初,そのサイズからレイアウト中心と考えられていたNゲージにおいても,この頃になると車両工作の細密化が進んでいくことがわかります。TMS341号(昭和51年11月号)では,新製品紹介として「Nゲージのシステム化 トミックス 近く発売」,すなわちトミーナインスケールに代わるトータルシステム・トミックスの発売が告知されました。また,同じく341号では,片野正巳氏による,「9mm工作アラカルト」と題したNゲージの様々な軽加工が特集されています。これらは,後のプレイモデルやNゲージマガジンに通じる内容といえるでしょう。さらに,341号では,「東急ステンレスカー8500系を作る」として,珊瑚模型店発売の東急8500系エッチングキットの組み立て方が紹介されています。翌342号(昭和51年12月号)では,フジミのプラキットを加工した8620形,C58形蒸気機関車の製作例(中村文一氏)が掲載されました。少しさかのぼって,326号(昭和50年8月号)では,初の日本型ストラクチャーとなる,グリーンマックスの信号所・詰所キットが紹介され,336号(昭和51年6月号)では,同社の客車キットの組み立て方が解説されています。372号(昭和54年4月号),373号(同年5月号)では,カトーの蒸気機関車に発煙装置を組み込む工作が,373号では,やはりカトーの蒸気機関車にサウンド装置を組み込む工作が紹介されました。(いずれも373号より)378号(昭和54年9月号)では,東京・科学技術館で開かれた第1回鉄道模型ショウが取り上げられています。カトー,トミー,GM,しなのマイクロ,学研,エンドウといった当時のNゲージメーカーが勢ぞろい。その後,会場を東京・松屋百貨店銀座店に移し現在も盛況が続いているのはご承知のとおりです。昭和53年夏には,増刊号としてNゲージに特化した「プレイモデル」が刊行されました。その後,「プレイモデル」は年2回発行され,昭和58年冬のNo.12まで続いた後,翌59年夏からは「Nゲージマガジン」に移行。平成27年のNo.64まで年2回の発行が続きました。
2017.04.23
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昭和40年代から50年代にかけては,Nゲージの車種はまだまだ限られたものでした。そこで,鉄道模型趣味(TMS)誌上で発表された自作・改造作品,キット等をいくつかご紹介したいと思います。早くもTMS204号(昭和40年6月号)の「ミキスト」欄では,西ドイツ・アーノルド社の蒸気機関車にかぶせて用いる,イギリス・PECO社製のボディキットが紹介されています。(TMS204号より,PECO社製のボディキット)212号(昭和41年2月号)では,片野正巳氏が,関水のC50形蒸気機関車を改造した8620形蒸気機関車を発表されました。(TMS212号より,片野正巳氏の8620形蒸気機関車)早い時期からNゲージの車輛を自作されたモデラーとしては,池末弘氏がおられます。特に,205号(昭和40年7月号)掲載の,C59形蒸気機関車は有名です。もちろん市販パーツなどないころですから,ほぼ全て自作という驚くべき作品です。(TMS205号より,池末弘氏のC59形蒸気機関車)そして,213号(昭和41年3月号)ではキハ41000形気動車を,220号(昭和41年10月号)では,関水製103系の下回りを利用したキハユニ26・キハ25形気動車を発表されています。(TMS213号より,池末弘氏のキハ41000形気動車)(TMS220号より,池末弘氏のキハユニ26・キハ25形気動車)日本型Nゲージのパイオニアである関水金属からは,昭和41年には103系,昭和45年にはキハ20形といった今日までロングセラーを誇る製品が発売されました。また,20系寝台客車も,当初は2形式のみでしたが(TMS245号(昭和43年11月号)「ミキスト」欄では,「私の机上には,2形式だけでは走らせようもないブルートレインが泣いている。」と記載されています。),数年後,90年代まで続く旧製品が発売されています。一方,TMS285号(昭和47年3月号)では,片野正巳氏による「Jubileeを国鉄型に!」と題する記事が掲載されています。これは,英国PECO社から発売されていた英国型蒸気機関車(製造はイタリア・リバロッシ社)を,大正期の国鉄型に化けさせようというもので,記事のリードには「16番国鉄型蒸気の盛況にひきかえ,9mmゲージの現状は僅かにC11とC62の2種という淋しさです。せっかく17m級ダブルルーフのオハ31系も揃っていることですから,せめてもう1種,中間クラスのテンダーが欲しいと考えるのは9mmファン共通の思いでしょう。しかし9mmゲージともなれば簡単に自作するわけにもまいりません。そこで考えられるのが豊富に出まわっている外国製品の改造,それも簡単な加工で国鉄型に生れ変るものがあれば申し分ありません。近代国鉄型はともかくとして,大正期に生まれたロコの多くは英国風のスタイリングが基調になっていることはご存知のとおりです。したがってドイツ型をはじめとするヨーロッパスタイルの蒸機よりも,英国型蒸機をベースにするのが適していると言えます。ここではピイコ社製のジュービリーをベースに,種々加工をおこなってみました。イメージチェンジは考えたよりも簡単で,1日あればゆっくり完成させることができます。各自工夫を加えればいろいろなタイプに発展するでしょう。この種の改造はあまり凝り過ぎず,気楽に工作をたのしんでください。」とあります。(TMS285号より,片野正巳氏によるPECO製品の加工例。上が加工前,下が加工後。英国型蒸機が見事に大正期の日本型に化けた。)当時,機芸出版社がPECO社の総輸入元となっており,広告によれば,Jubileeは8500円となっています。カトーのC62(昭和46年発売・5000円)に比べ少々高いのは仕方がないところでしょう。TMS291号(昭和47年9月号)の新製品紹介では,キャブの10系客車が登場。ようやく,関水に続く2社目のNゲージメーカーが現れました。ちなみに,西ドイツ・メルクリン社は同じ年にZゲージを発売していますから驚きです(TMS287号(昭和47年5月号),296号(昭和48年2月号)参照)。その後,TMS308号(昭和49年2月号)でトミー製2軸貨車が,313号(昭和49年7月号)で同じくトミー製ED75形電気機関車が登場。TMS321号(昭和50年3月号)でマックス(現・グリーンマックス)製の客車キットが,329号(昭和50年11月号)では学研製0系新幹線が登場するなど,Nゲージに参入するメーカーが徐々に増えていきます。このように,Nゲージの種類が,少しずつ増えつつあったものの,まだまだ限られていた状況を背景に,TMS328号(昭和50年10月号)では,「9mmゲージ流線型C55を作る」として,しなのマイクロ製作,機芸出版社発売のC55形蒸気機関車(流線型)のエッチングキットの組み立て方が特集されています。このキットは,エッチング板から組み立てたボディを,西ドイツ・トリックス社製ペンシルベニア鉄道K4S型蒸気機関車の下回りに被せるものです。テンダーはカトーのD51(昭和48年発売)を加工することとされていたため,D51戦時型テンダーがあわせてエッチングされていました。これにより,「流線型C55と戦時型D51という既製品にない2形式が,あなたの機関庫に加わるわけである。」(TMS)とされています。トリックス社のNゲージ・ミニトリックスは当時,学研から輸入販売されており,K4S型は8900円でした。(TMS328号より,流線型C55形の組み立て解説)(追記)その後も池末氏は様々なNゲージ作品を発表されていますが,特に印象的なのは,TMS386号(昭和55年4月号)に掲載されたC58形蒸気機関車でしょう。(TMS386号より,池末弘氏のC58形蒸気機関車)
2017.04.10
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TMS192号(昭和39年6月号)から194号(同8月号)まで,ミキスト欄では,日本型Nゲージの縮尺などについての論が展開されました。(TMS192号から194号。日本型Nゲージの幕開けがすぐそこまで迫っていた)192号では,「ヨーロッパではTTの普及に続いて9mmゲージの時代に入ろうとしているようだ。…171号と172号の小欄で紹介したアーノルト・ラピード製品が建造物もそなえ,各種の車輌の種類を増し,製品の細密度も高めてきた。…まだTTの足元にも及ばないかもしれないが9mmゲージの進出はめざましく,これが世界の模型界の大勢であろうという判断は間違っていまい。本誌上でも108・111・113号などでマイクロゲージの可否について論議されたことがあったが,現在の私の意見を一言でいえば,我国ではTTより前に9mmの時代が来るかもしれないと思う。いまデパートの玩具売場にはトミー製の9mmゲージ新幹線3輌編成のセットが売り出されている。線路やパック付で2450円。日本製最初の9mmであるが,車体は簡易なプラスチック製で短かく台車も初期のラピッド製以下で,この限りではモデルとはいえないが,モーターを車体中央に置いて床下に出さず,平ギヤー1段で減速してゴムベルトの全軸伝動というのは車体に似合わずしっかりした設計で感心した。今後ポイントなどを売出していくわけでもないと思われるから,今後の日本の9mmゲージの基本となるものではなく,電気玩具と考えてよかろうが,とにかく日本最初の9mmゲージ製品であることは間違いない。車体巾だけを測ったら約1/150であった。」とあります。この「トミー製の9mmゲージ新幹線」こそが,このブログの第1回の記事でご紹介した,トミーOOOゲージです。(ネコ・パブリッシング刊「Nゲージモデル・アーカイブス」よりトミーOOOゲージ)193号では,Nゲージの名称について述べられています。「世界的にいままで知られている名前はOOOゲージである。TripleO(トリップル・オウ)と読む。OOゲージがダブルオウであるのと同じである。OOの場合オウオウと読むこともないではないらしいが,OOOはオウオウオウとは読まないだろうし,ましてやトミー製の新幹線電車の箱にフリガナがふってあるスリーオウというのはおかしいと思う。今評判の映画のスパイ007はダブルオウセブンと読むのと同じである,といった方が話は早かろう。…ところがおもしろいことに,9mmゲージのメーカーはイギリスのローンスターもドイツのラピードも両方ともOOOの名を使わない。ローンスターは自社の2mmスケール・9mmに対しTreble-O-Lectricという商品名しか使わないし,又ラピードも1/160・9mmとうたっているだけであった。…ところが,昨年から新しい名称がドイツの雑誌に見られるようになった。…N縮尺とかN軌間…という文字である。」まだ,「Nゲージ」という名称が「新しい名称」であって,「世界的に」知られている名称が「OOOゲージ」であったことがわかります。そういえば,以前,インターネットオークションで,シズキョーという会社の新幹線のプラモデルを見たことがあります。あいにく落札できませんでしたが,パッケージには「O.O.O.GAUGE スリーオーゲージ」と明記されていました(注1)。194号では,アメリカ,ヨーロッパ大陸,イギリスの鉄道模型の縮尺を比較検討した上で,「日本型のサイズは?…ズバリ1/150である。」として,日本型Nゲージの縮尺として,1/150を推奨。そして,最後は次のように締めくくられています。「3回にわたって9mmのことをのべた。16番に満足していない人々には興味があったと思うが,いくら日本型は1/150がよいといっても,実際に作るメーカーがなくては仕方がない。またそれも,サイズが小さいだけに良心的なメーカーでなければせっかくの9mmを台なしにするだろう。既存のメーカーがやるならば,頭を切替えてかかってもらいたい。」カトーから日本最初のNゲージ(縮尺1/150)が発売される前年,東京オリンピックが開かれた昭和39年のことでした。その後のわが国におけるNゲージの隆盛はあらためて申すまでもありませんが,Nゲージの名称について少し補足しますと,230号(昭和42年8月号)のミキスト欄では,「外国ではOOO(トリプルオウ)という語は廃語に近くなり,わずかにイギリスでロンスター製品(玩具的)とスケールの9.5mmゲージ(2mmスケール)に対して使われることがある程度で,すべてNゲージとなっている。これは一般に1/160であるが,イギリスのように2mmスケール(1/152)を使っているところもNである。すなわち,すでに書いたように,Nが欧米語のnine(英) neun(独) neuf(仏)など9の頭文字からきているからで,ほんの少しのスケールの差に関係ないわけである。…とにかく,話は日本でもNゲージの名でいくかである。TMSで9mmゲージという名を使っているのは,ナローのnとの混乱を心配しているのが一つの理由である。…Nゲージと9mmゲージは全くの同義語と考えてもよい。」として,「OOOゲージ」の語は「廃語」に近いと評されるに至りました(注2)。ただ,ここにも記載されているとおり,TMS誌では,表紙・本文とも「9mmゲージ」の語が多く用いられており,表紙が「Nゲージ」表記に切り替わるのは,359号(昭和53年5月号)からになります。皆さんは「9mmゲージ」「Nゲージ」どちらが馴染み深いでしょうか?(注1)その後,シズキョー(静岡教材社)のOOOゲージは線路のみ入手できました。ロンスターの線路に似ているようにも思いますが,コピーではないようです。「日本プラモデル50年史」(日本プラモデル工業協同組合編)付属のCD-ROMによれば,シズキョーの「夢の超特急」製品群には,HO,TT,OOOの3種があり,HOゲージ版の発売は昭和38年,TTとOOOは翌昭和39年とのことです。昭和39年であれば,NゲージではなくOOOゲージと表記したことも納得がいきます。それにしても,OOOゲージを名乗る製品が,トミーOOOゲージ以外にも存在していたとは実に興味深い事実です。また,TT9を別とすれば,TTゲージの日本型製品というのも,おそらく唯一の存在ではないでしょうか?(シズキョーと同じ頃に発売されていたタミヤの「走る超特急」(1/122)など,TTスケールに近似した縮尺の製品はありますが,TTゲージと明記した製品はシズキョー以外にちょっと思い浮かびません)余談ですが,CD-ROMによれば,シズキョーでは,青函連絡船のプラモデル(初代十和田丸,初代摩周丸。縮尺1/280)を製品化していたとのことで,こちらも興味深いところです。シズキョーの連絡船については,艦船模型スペシャルNo.30の88ページ以下に詳しい記事があります。鉄道連絡船のプラモデルというと,他には有井製作所から発売されていた(もとは中村産業製品)MV-PP5(縮尺1/80)くらいではないでしょうか。カラー・デカール違いで4種のバリエーションがあり,「No.2 国鉄ホーバーフェリー かもめ」として,宇高連絡船のホバークラフトが製品化されていました。再販してくれると嬉しいのですが…。(シズキョー(静教)の「スリーオー・ゲージひかり号用レールセット」)(少年ブック1963年11月号付録「日本プラ模型全集」よりシズキョーの青函連絡船キット)(注2)トイジャーナル1967年4月号に掲載された「電関模型の現状」(國際貿易・手塚英二氏)では,「電関の一般的な分類はレールの幅により、次のようになる。Oゲージ=三二ミリ HOゲージ=一六・五ミリ T・Tゲージ=一二ミリ スリーOゲージ=九ミリメーカーでいうと、メルクリン、フライシマンはHO、ローカルはT・T、イーガーバン、アーノルドはT・TおよびスリーOといったところである。」とあり,OOOゲージの語が用いられています。(追記)科学朝日1962年1月号に掲載された,哲学者・篠原正瑛氏の「16mm機関車にご乗車願います」と題する記事は,篠原氏の戦前のドイツでの思い出や,ドイツの鉄道模型メーカーの紹介に始まり,科学雑誌らしく,直流2線式と交流3線式の比較,ギヤーの構造,動力車に取り付けるテレビ・ラジオの雑音防止装置,発煙装置などが詳細に解説されています。気になるのが,Nゲージとの関連での,次のような記述です。「8mm」の「Kゲージ」なるものが紹介されているのですが・・・??「そのころ(注:昭和10年頃)は,日本では,50mmのゲージが一般に普及しており,32mmゲージなどは“小さなゲージ”と考えられていた時代だったから,トリックスの00ゲージは文字どおり豆鉄道という感じがした。それは,ちょうど,今日のHOゲージを見慣れた目が急にKゲージ(8mm,HHやQOともよぶ)を見たときのような感じだった。」(147ページ)「現在,西ドイツには世界的に有名な大メーカーがあって,それぞれ特徴のあるHOゲージの鉄道模型を作っている。そのうちの一つは前述のトリックスだが,他の二つは“メルクリン”(略)と“フライシュマン”(略)である。この他に,HOゲージではないが,有名なメーカーに“ロカール”(Rokal),“アーノルト”(Arnold)などがあり,前者はTTゲージ(12mm),後者はKゲージ(8mm)を作っている。」(147~148ページ)
2017.01.12
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鉄道模型趣味(TMS)誌における,8ミリゲージとTTゲージをめぐる論争を以前ご紹介しました。続いて,その後TMS誌に登場した,8ミリゲージとTTゲージの作品をご紹介したいと思います。まず,TTゲージについて見ますと,TMS36号でハドソン式蒸気機関車を発表された佐藤昌武氏は,その後も90号(昭和31年1月号)でC59蒸気機関車(1/105),220号(昭和41年10月号)ではEF58電気機関車(1/105)といった素晴らしいTTゲージのフルスクラッチ作品を発表されています。他にも,169号(昭和37年11月号)では,木村洋三氏が名鉄デキ400電気機関車を発表されています。(TMS220号より。佐藤昌武氏によるTTゲージのEF58)(同じく佐藤氏によるTTゲージのC59)また,市販品を活用した例としては,213号(昭和41年3月号)に掲載された,青木保雄氏の英国型レイアウト「ウースターサザン線」があります。大きさは915mm×1830mmで,英国のTri-ang社やKitmaster社の製品を主体に,一部は東ドイツのZeuke社製品が用いられています。(TMS213号より。青木保雄氏の英国型TTゲージレイアウト)しかし,TMS226号(昭和42年4月号)に掲載された,片野正巳氏による京浜急行デハ500系2連(1/110)あたりを最後に,TTゲージはTMSからほとんど姿を消してしまいました(なお,軌間9ミリ,縮尺1/120としてファインスケールの日本型を実現しようとするTT-9規格が提唱されるのは,ずっと後の平成12年頃になります)。(TMS226号より。片野正巳氏によるTTゲージの京急デハ500)一方,8ミリゲージの作品としては,根本悌二氏の作品が挙げられます。根本氏は,TMS172号(昭和37年10月号)で,クモハ11,クハ16,サハ17,クモニ13の4両を発表されています。縮尺は1/140で,モーター以外は,車輪,台車,パンタグラフ,車体などすべて自作されたもの。(TMS172号の表紙を飾る根本悌二氏の8ミリゲージ国電)続いて,根本氏は,TMS185号(昭和38年11月号)で,D62蒸気機関車を発表されています。やはり縮尺は1/140で,モーター以外はほとんど自作されています。(TMS185号より。根本悌二氏による8ミリゲージのD62蒸気機関車)根本氏が8ミリゲージのD62を発表された185号には,読者からの質問コーナーに,8mmやTTゲージの縮尺などについての質問が掲載されており,これに対するTMS編集部の回答は,TTについては「日本型では1/105~1/110位を採用しています。」,8mmについては「日本型には1/150が適当でしょうが,TTや13mmほど確たる縮尺は定まっておりませんし,外国にもメーカーはありません。」とあります。このように,8ミリゲージの「確たる縮尺は定まって」いない状況の一方で,9ミリゲージが勃興しつつありました。根本氏が旧型国電4両を発表されたTMS172号のミキスト欄で,西ドイツのアーノルド・ラピードの9ミリゲージが紹介されています。(アーノルド・ラピードを紹介するTMS172号のミキスト欄)ただし,この当時,アーノルド社は,縮尺1/200を採用しており,特に客車はかなりデフォルメの強いデザインとされるなど,今日のNゲージとは少し違っていました。山崎氏も,「本号には我国の8mmゲージの国電がのっており,8mmとしては一応の細密モデルといえようが,これとアーノルド社の9mmとを一緒に考えてはいけない。」として,アーノルド社製品を「細密モデル」とは別物と捉えていたことがうかがわれます(アーノルド社が縮尺1/160に変更し,今日のNゲージの規格が確立されるまでの経緯については,大田治彦氏の「紀元前N世紀」を参照)。(1/200を採用していた,初期のアーノルド製品。なお,当時,ドイツでは,WIKINGのプラ製HOスケール市電にアーノルドの動力を組み込んだ製品があり,鉄道ファン1966年2月号66頁で言及されている)
2016.12.18
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11月21日,加藤祐治・関水金属会長が逝去されました。今日のNゲージの世界を築かれた故・加藤会長に心から感謝と哀悼の意を表します。加藤会長は,昭和20年代,実家の加藤金属でHOゲージ用の台車などの製造を開始され,昭和32年には関水金属彫工舎として独立されました。関水金属がNゲージの製品化を公表したのは,TMS(鉄道模型趣味)199号(昭和40年1月号)掲載の広告「1965年から始まる9mmゲージ」でした。そして,昭和40年,関水金属から,記念すべき日本初のNゲージ,C50蒸気機関車とオハ31客車が発売されました。(TMS211号より。快走するC50蒸気機関車とオハ31客車ほか)TMS211号(昭和41年1月号)で,二井林一晟氏とTMS編集部による,C50蒸気機関車とオハ31客車のレビューが掲載されています。編集部は,「2年前にTTゲージのC50を持って訪れた関水金属に,9mmゲージを一貫したシステムのもとに作ることをすすめたのはTMSである。その後,再び今度は9mmのC50の試作品が編集部に姿を現わし,最終的に決定した。このような関係で生れ出た製品だから,本誌ではこの欄で扱ったどの製品よりよく知っている。既に試作ポイントによってレイアウトの製作も進行し,2日間の公開運転もおこなって,その十分な牽引力や走行状態もよく判っている。」とコメント。二井林氏は,「鉄道模型界に一紀元を画すともいうべき関水金属の9mmゲージが,10ヵ月の予告期間を経ていよいよ発売された。『まずは見参』と,とりあえずC50と客車3輌を求め,仮設エンドレスを走らせてみた結果はまずまずの結果で,一応の自信は十分ついた。…」と述べた上で,牽引力や客車の転がりなどを詳細に検討しています。最後に,編集部は「結論を書こう。関水の9mm製品は今後出現する電車やアクセサリィへの期待を含めて,日本の9mmゲージの基礎を作ったといえる。9mmを始める人が求めるべき日本唯一の製品である。」と締めくくっています。(カトーのC50とオハ31客車。C50先頭部のダミーカプラーは欠損している)(TMS41号(昭和27年2月号)より,加藤金属時代の広告と,TMS編集部が加藤金属に注文して高松吉太郎氏に贈った,HOゲージの玉電デハ80)関水金属のNゲージ誕生の経緯は,TMS403号(昭和56年7月号)のミキスト欄でも触れられており,昭和30年代末を懐古した,以下のような記載があります。「ひさしぶりに加藤祐治氏(関水金属社長)が私(注:TMS山崎主筆)をたずねてきた。それまで各社のドロップの台車枠を製造してきたが,ぜひ車輌を生産したい。ついてはこういうものを試作してみたが,と言って取出したのはTTゲージの蒸機であった。非常によくできた12mmゲージ1/110のC50である。これをプラで大量生産したいのだという。見てすぐに,これはだめだ,TTは世界的に見ても下り坂で,東ドイツとイギリスに少し商品として残っているだけだということを話した。…TTはだめだが,Nなら応援しようと言って,縮尺は日本形は1/150と一致し,それから2ヵ月たった。加藤氏は9mm1/150のC50を持って再びTMSを訪れた。」一方,昭和30年代末頃,関水金属とは別に,Nゲージの製品化を模索する動きがありました。TMS208号(昭和40年10月号)のミキスト欄には,以下の記述があります。「9mmゲージについていろいろ書いて以来1年たった。その間にさまざまなことがあった。その一つは有名な電気メーカーS社が9mmゲージを発売する,という話である。このことは本年2~3月頃に見本を持って関西中心に市場調査をしたのち,業界紙やクラブ紙上に書かれたこともあるから一部のファンは御存知のはずである。私は1年以上前から知っていたが,立場上から活字にはしなかった。このモデルはヨーロッパ式の考えの設計で,たとえば車輪の寸法などはメルクリンやフライシュマンのようなタイプである。16番のフランジよりも9mmの方が高い。これが良いかどうかは別の話で今はふれないが,構造的にはパンタグラフなど興味をひくものがある。全般的に見てこの9mmが『予定通りS社からの発売』になるならばゲージは別としてモデル全体の普及のために役立つことで,大いに歓迎されるべきと考えている。一方,関水金属の9mmは日本またはアメリカ式の設計である。平たくいえば16番ゲージを小さくしたようなものであるが,9mmには9mmの道があるから,適宜新らしい材料や新らしい設計も使われている。この方は発売もまぢかだし,本誌上の広告でもわかることだが,ファン諸兄が手にとって評価されるとよかろう。」また,TMS210号(昭和40年12月号)においても,二井林氏の「9mmゲージ・その新らしい魅力」で,関水金属と,もう一つのNゲージに言及されています。「工作技術の進歩によって16番でも細密車輌の実現が可能になって以来,運転を中心とした,もっと小さいゲージがあってもいいのではないかと,誰しも考えるようになった。ひところは自作可能という点から一応TTが限度だという論もあったが,世界の大勢は感覚面・技術面の両方から9mmゲージを急速に台頭させてきた。昨年夏のミキストにもある通り,イギリスのローンスターや西ドイツのラピードが製品を出しており,我国でも新年号以来広告を出してきた関水金属がC50とその列車を発売し,また春ごろには,別に発売計画中のED75とスハ43系の見本を持って関西の模型店を打診してまわったメーカーもあった。…9mmゲージはスペースが小さいために,限られた面積に従来のゲージでは不可能に近かった新しい運転法をとることができるのである。…9mmは,やま氏(注:TMS山崎主筆)が(注:TMS6号(昭和23年5月号所収『16番への招待』)で)16番を呼びかけた頃よりもずっと具体化され,便利な形で,いまあなたの前にある。大いにハッスルしたいものである。」として,関水金属とは別に,ED75電気機関車やスハ43系のNゲージを製品化する動きがあったことが記述されています。関水金属とは別の「有名な電気メーカーS社」による「発売計画中のED75とスハ43系」というもう一つのNゲージ,それがソニーマイクロトレーンでした。残念ながら,ソニーマイクロトレーンは,結局発売中止となってしまい,市販はされませんでしたが,試作品がいくつか現存しています(詳細はTMS403号(昭和56年7月号)のミキスト欄参照)。また,ソニーマイクロトレーンのリレーラーが,関水金属に受け継がれていた事実が,後年,故・加藤会長によって明かされています(RM MODELS 123号『Nゲージ開発物語 新たなる挑戦から誕生前夜まで』参照)。なお,縮尺については,ソニーマイクロトレーンのレイアウトマットには「S 1:150」と記載されていました。(ネコ・パブリッシング社「Nゲージモデル・アーカイブス」より幻のソニーマイクロトレーン)(鉄道ファン昭和41年1月号より。関水金属のC50とオハ31の紹介)(RM MODELS123号より。初期の関水金属のNゲージカタログ)
2016.12.06
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前回ご紹介した,二井林氏の「こんな話が……」を受けて,益田昌氏が,TMS111号(昭和32年9月号)で,「関西模型人に反論する こんな話があつたとは!」と題する文章を寄稿。「6月号の“こんな話が……”を読んで…僕を驚かせたのは8粍ゲージの登場である。…それがTTの対抗馬として本気で(注:原文では「本気で」に傍点)懸念されていると云う事実,これには僕も聊か意外だつた。TTを語るのになぜこんな荒唐無稽な物を引合いに出さねばならぬのか。必然性の無い単なる例え話なら兎も角,『8粍が考えられるが故に』TTが中途半端であるとか,或は運転ゲージとは言い得ぬなどと結論されてはかなわない。…『8粍はTTに優越する』と云う見方は合理的なようだが実際はおよそ非現実的な空論だと思う。…16番ゲージャーにTTを見せると,まず誰もが『こんなに小さいとは思わなかつた』と言う。…16番の倍程度の0番を『バカでかい』と思う人々も,同じく七割強のTTを,見ぬうちはその7割と云う数字にごまかされて,恐らく『中途半端だ』と考えていたのだろう。…こゝで例の8粍を仮に1/150サイズとして計算すると断面積にして,実に16番の2/7と云う小さなものとなる。成程この位小さくなれば充分すぎる程の大きなレイアウトが出来るだろう。併しレイアウトとは単なるパノラマでは無く,車輌を走らせて楽しむものだ。その車輌がこんなに小さくては,極端な簡略化を余儀なくされるから機構美も失われようし,メカニックな律動感も充分には味えぬだろう。そんな車の運転が果して面白いだろうか。オモチャの様な車輌,単調な走行ぶり―車輌は単なるストラクチュアと化し,車輌模型と云うジャンルがレイアウトの規模の中に完全に併呑されてしまう。―…僕は8粍を荒唐無稽であると言つたが,その根拠は前述の通りまづ第一に大きさが不適当である事であり,また第二には技術的に現実性が全く無い事である。そう言う非具体的な代物を,現実に何人かの人の手によつて造られているTTと比較する事が,果して正当と云えるだろうか。…TTはすでに,普及し得るゲージとしての『今日』を持つているのだ。…」とあります。 8ミリゲージの縮尺として,今日の日本型Nゲージと同じ1/150が想定されていたこと,TTゲージを自作されていたモデラーの方から,8ミリゲージについて「荒唐無稽」「技術的に現実性が全く無い」と断言する声があったことなど,非常に興味深いものがあります。 さらに,益田氏の論稿を受け,TMS113号(昭和32年11月号)では,「9月号益田昌氏の御意見に関して関西から答える こんな話になろうとは!」と題する,なかお・ゆたか氏の論稿を掲載。 なかお氏は,「益田氏が6月号の意味を曲解されているのではないか」とした上で,「もう一度よく読んで下さい。…あの文章は19人の意見をまとめたものですから,一人一人は同じ16番に対してもそれぞれ少しづつ異つた考えを持つています。その中の少数の人は,列車中心の運転主義を実現するためには,特にレイアウトを中心として考えた時,どうも大きすぎる面があると感じており,そのためには今の16番の7割程度のTTでは不充分,半分位の8ミリ程度のものができないと完全に慾望を満たされないのではないか,と考えているのです。…TTはダメなどとは決して云つてありません。従つて益田氏は,16番ゲージャーがTTに対して持つている疑点について,納得のゆく解説をされるのが当然であつたと思います。…16番で満たされない運転面の欲求を満たすには,TTではまだ不充分と云うことになり,それがひいては16番の1/2程度,即ちあそこにある8ミリへの欲求となつて現れているのです。ですから現在はもしこれが実現できたらと云う,夢と希望に似たものにすぎませんが,将来この種ゲージが実現しないとは断言できません。又もし生れるとしたら,それは従来の0番やS,16番や(TT)と全く別個の目的と手段と方法を持つて現れるでしよう(注:原文では「目的」「手段」「方法」に傍点)。…この記事を読んで,逆に今の16番は大きすぎて困つていると云うふうに,一途に思いこまれても困ります。これは『16番より小さなゲージは採用しない』と云つている人が60%あることでも判るでしよう。…今の16番の長所短所は何か,TTより更に小さいゲージへの望みが何故あるかを冷静に考慮して下さい。益田氏や佐藤氏は現在日本のTTのパイオニアであり,リーダーの立場にあるのです。…もしTTが現在の16番程度に発展すれば,『TTはやらない』と云つてる人も,必ず食指を動かすに決つています。喰わず嫌いとはそう云うものです。どうか御安心下さい。」と述べられています。 今から60年前に,8ミリゲージにつき,「将来この種ゲージが実現しないとは断言できません」と述べられていること,「この種ゲージ」が16番等とは「全く別個の」鉄道模型になるだろうと予言されていたことは,驚くべき先見性と言えるのではないでしょうか。 なかお氏の論を受け,益田氏は,TMS115号(昭和33年1月号)で,「8ミリ論争拾遺 TTファンより再びお答えする…」と題した文章を寄稿されています。「8ミリなどと云うゲージが,例え夢や希望でしかないにせよ斯うして話題に取上げられるようになつたと云う事は,それだけ鉄道模型の世界が安定して来た事の証拠なのだと云えぬ事もありませんし,事実そのように考えて傍観している人もあるようですから,今どき慌てて8ミリの心配をする必要などないのかもしれません。併し乍ら,もしその『夢』にTTが押流されるような事態が生じたら―と,やはり私としてはその点にこだわらぬわけには行かないのです。TTの存在価値を認めて戴くためには,どうしてももう一度8ミリと対決する必要があるように思います。…具体的にこの8ミリの可能性を考えて見ると,それが運転して楽しめるかどうかは全く疑問です。16番やTTに比べて有利と思われるのはレイアウトスペースだけで,技術的には勿論,視覚的にもまた無理があります。こうした点をどうするかについては,中尾さんは『ただ夢と希望に似たもの』或は『次元も目的も異つた別のジャンル』と仰言つているだけです。これでは私も納得が行き兼ねますし,やはり『不可能だ』と判断せざるを得ないのです。…尤も,私とて1/110が作り得る最小のサイズだとは思いません。或はもつと小さくても作れるかもしれない。併し,それとてもTTよりほんの僅か小さい程度,せいぜい1/120位迄ではないでしようか。その程度の違いなら,TTの国際性の方に軍配が上ります。…」として,一連の応酬の締め括りとされています。 その後のTMS誌における8ミリゲージ,TTゲージ,そしてNゲージの展開については,次回以降追っていきたいと思います。
2016.11.25
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鉄道模型趣味(TMS)誌の記事を集めた「鉄道模型趣味特集シリーズ」の第1巻として昭和32年に発行された「鉄道模型作品20題」では,主に昭和20年代の同誌に収録された傑作の数々を見ることができます。作品はOゲージとHOゲージが中心で,HOゲージより小スケールのものとしては,TTゲージと8ミリゲージという,2つのゲージの作品が掲載されています。まず「8ミリゲージの流線型ディーゼル列車“サンビーム号”」は,伊藤剛氏の作品です(初出はTMS20号)。(『鉄道模型作品20題』より,伊藤剛氏の8ミリゲージ列車。流線型ディーゼル機関車を先頭に連節式の客車が続くのは,スペインのタルゴに通じるところがあるかもしれない)交流3線式で,製作されたのは何と日米開戦の年,昭和16年。伊藤氏は「なんとか膝の上で工作出来るものとして遂に8ミリを作ることを決めました。…軌間は河北一久氏が子科展で9.5ミリを発表して居られたのでもう一段下まわるつもりで8ミリにしたのです。幸いに空襲にも焼けず現在まだ動きます。」と述べられています。驚くことに,ギア以外はほぼ全て自作されています。(RM MODELS 平成25年11月号より)なお,ここで伊藤氏が紹介されている河北氏の9.5mmゲージとは,昭和9年に発表されたBB型電気機関車で,後にTMS32号に掲載されています。(TMS 昭和63年4月号より,河北一久氏の9.5ミリゲージ機関車。「Postage Stamp」すなわち切手と比較してその小ささが強調されている)[追記]小スケールの鉄道模型を切手と比較した例としては,他に,「ラジオと模型」(少年文化社)昭和24年2月号に掲載された「郵便切手大の機関車」があります。軌間10ミリで縮尺は1/150とされています。(「ラジオと模型」(少年文化社)昭和24年2月号より)一方,TTゲージは以前ご紹介したとおり,縮尺1/120,軌間12ミリという規格であり,「20題」では,佐藤昌武氏のハドソン式蒸気機関車(初出はTMS36号),荒川弘文氏のドックサイド型蒸気機関車(初出はTMS40号)の2作品が掲載されています。佐藤氏は,昭和12年2月に1/100・軌間11ミリのED17電気機関車を製作され,戦後の昭和25年6月には,TTゲージを踏まえ,軌間12ミリのスロ60客車を製作されたそうです。そして,湯山一郎氏のすすめにより,スロ60では1/110を採用したと「20題」には記載されています。その後,8ミリゲージとTTゲージをめぐり,TMS誌上ではちょっとした意見の応酬が行われることになりました。(8ミリゲージとTTゲージをめぐる意見の応酬の舞台となった,昭和32年から翌33年のTMS各号)きっかけとなったのは,当時,二井林一晟氏がTMS誌に不定期に連載されていた「こんな話が……」というコラム的な文章です。TMS108号(昭和32年6月号。表紙を飾るのは,新車(!)・小田急SE車)の「こんな話が……」では,二井林氏が関西の16番ゲージャー18名に対して行ったアンケートの結果を元に,16番ゲージについて述べられています。そして,質問の3番目で,「TTについてどう考えているか?」と問うたところ,「やはりこの質問は時期尚早と見えて『今の所何も考えていない』とか『パーツが多く出て見ないと何ともいえない』という意見が30%も出ていささかガッカリしました。しかし約60%を占める最多数の意見は『16番より小さいゲージは採用しない』とはつきり言い切つて居り,その理由としては先づ工作上の点でTTは普通の腕の人がヤスリや半田鏝を使つて工作を楽しむには小さすぎる,16番が限度だとする人が多く,又アメリカ型ならいざ知ず日本型それも小型車輌の工作はTTでは甚だ困難で,大きな20米車の様な限られた車輌しか動かす事ができないともいつています。この点はTT用の本格的パーツが出来れば或程度楽になりましようが,一方運転面でも『16番からTTに移つた処でそれなりに欲が出るから決してスペースは小さくならず,むしろ8ミリゲージ位に迄小さくならないと日本の家屋で20米車が楽に通るレイアウトを作るのは無理ではないか』といい,この点で『TTはOに対するSゲージの様に中途半端だと思う』といつている人も少なくありません。…関西にはどうもTTのパイオニヤになつてやろうという程の人は見当りませんでした。…『TTは完全な運転主義ゲージといえるかどうか? 将来もし8ミリゲージ等の更に小さいゲージが普及して来たときに果してTTは8ミリに対するゲージ上の優位性を持つているかどうか?』という疑問をいだく人もあり,今後共TTは多難の道を歩んで行かねばならぬのではないかと思います。」として,当時,欧米のいくつかのメーカーから発売されていたTTゲージについて,その将来性に疑問を呈する意見が紹介されました。こうした意見に対し,TTゲージの8800形蒸気機関車・客車(TMS103号掲載)を発表されるなど,TTゲージの製作に取り組まれていた益田昌氏が反論を寄稿されるのですが,それについては次回ご紹介したいと思います。
2016.11.23
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