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Twitterで軽便鉄模アンテナ管理人のうかいさんが,グリーンマックスの歴史について述べておられます。そこで,今回は,グリーンマックスの歴史を探ってみたいと思います。別稿と重複する点も多いですが,ご容赦ください。1956 第1次須津谷急行発表(TMS1956年6月号の表紙を飾る,第一次須津谷急行。右側の青年が鈴木氏)1956年,鉄道模型趣味(TMS)誌上で,3線式Oゲージの庭園レイアウト「須津谷急行」が発表されました。1933年生まれの鈴木氏は当時,早稲田大学に在学中。東武東上線大山駅近くで鈴木氏の父が営む洋品店「スズヤ」の裏庭に建設されました。当時のスズヤを含む大山商店街の動画がYouTubeにアップされています(3分48秒頃~4分10秒頃)。https://www.youtube.com/watch?v=AM0PTkT5Jzo1957年頃,鈴木氏は早稲田大学英文科を卒業。兄と共にスズヤを引き継ぎます。1966 第2次須津谷急行発表1966年,TMSでHOゲージの室内レイアウト「第2次 須津谷急行」が発表されました。「昭和38年より赤字路線として家中を騒がした須津谷急行も,その後,政治的に強引に問題が解決され,土地買収,測量を終りました。しかし何分にも資金ぐりに苦しみ,工事も牛歩的でしかも気まぐれに行われ…しかし,39年度ともなりますと沿線に工場や団地等が開発され,40年初頭からは…急行電鉄の名に恥じない線に昇格いたしました。」(TMS1966年8月号520頁)とあります。1968年6月には,後にグリーンマックス大山店が入るスズヤビルが竣工し,鈴木氏は同ビル2階でレストラン「ピノキオ」を開業します(※商業界1978年4月号ではレストランの開業は1967年となっています)。1971 第3次須津谷急行発表1971年,TMSでHOゲージの室内レイアウト「第3次 須津谷急行」が発表されました。「第2次須津谷急行は218号に紹介され…その折,すでにこの第3次須津谷急行の構想がたてられていたが,自宅新築と共にその一室がレイアウトルームとして確保されここに三たび誌上に登場することとなった。」(TMS1971年2月号105頁)とあります。1972年9月15日,スズヤビル1階に模型店「マックス」が開店します(開店日は日本模型新聞991号による)。当初は8坪(日本模型新聞991号による。商業界1978年4月号では6坪)の小さな店でした。(TMS1973年3月号より)(グリーンマックス Nゲージ総合カタログVol.17より。円筒形階段室と,東武電車を模した1階部分の位置関係がよくわかる)1974年,「マックス」は,Nゲージの勾配道床や旧型客車のプラキットを発売しました。広告にはHO用クーラーも記載されています。後年,鉄道模型店「電車くん」を開業する大内裕司氏は当時,鈴木氏から「大内君、今度ね、ウチは9mm専門になるよ。だから16番の商品は処分しちゃうんだ。それからこれがウチで出す9mmの新製品だ」とカーブ勾配道床を見せられたということです(RM MODELS2005年10月号39頁)。(TMS1974年5月号より)(TMS1974年12月号より)1975年,店名を「グリーンマックス」と改めます。「グリーンマックス」ブランドで初の日本型Nゲージストラクチャーである,信号所/詰所キットを発売するとともに,スズヤビル2階のレストランを模型店に変更し,25坪に拡大します。(TMS1975年6月号より)(TMS1975年9月号より)1976年には,Nゲージの完成品車両(通称グリ完)111系,103系高運車を発売します。当時は,関水の103系の動力を流用することを前提とした製品でしたが,翌77年には111系動力車が発売されています。他にグリ完としては72系全金車と,そのバリエーションとしての小田急1800系がありました。1976~77年には「国鉄列車編成ガイドブック」を発売。緑色の「客車編1 LINE UP 80」(「カタログ付き改定版」もある),青色の「客車編2 BLUE TRAIN」,赤色の「電車・キハ82系 LINE UP 173」があり,背表紙には「1976年3月国鉄から全てのSLが姿を消しました。」と記されていました。(国鉄列車編成ガイドブック)(いずれも日本模型新聞991号より。1976年当時の大山銀座商店街の略図,商店街に面した「男子専科ファッション店・ブティック」スズヤの外観,グリーンマックス大山店内の略図。同号には,「当面の課題は売場の再拡張と大改装であり,この夏休み時期には実施したい,としている。レストラン時代の調理場などを現在,そのまま倉庫にしているが,それを売場に改装すれば面積は今の倍になる。」との記述がある)(日本模型新聞991号より。大山店のレイアウト)(前掲TMS1971年2月号より第3次須津谷急行。日間名市駅の駅ビルは上記大山店内レイアウトのビルに引き継がれたようだ)(グリーンマックス Nゲージ総合カタログVol.7(1986)より初期のグリーンマックスの製品)1978年には,1/700艦船キット「スカイウェーブシリーズ」を発売。先行するウォーターラインシリーズを補完するように,小艦艇や建物などを精力的に製品化しました。「スカイウェーブシリーズ」は現在,ピットロードに引き継がれています。また,同年,初のチェーン店として巣鴨店が開店しました(※)。(※グリーンマックスまたはグリーンマックス・ザ・ストアーとしては,大山店,巣鴨店,下北沢店,大井町店,田端店,鶴見店,大阪あべの店(現・大阪日本橋店),秋葉原店,海老名店(のち横浜店),ナゴヤ大須店がありましたが,2004年に大山店が閉店するなど再編が進み,現在は秋葉原,大阪日本橋,ナゴヤ大須の3店舗となっています。)(日本模型新聞1044号より)(「模型とラジオ」1979年10月号より第1回鉄道模型ショウで自社製品をPRする鈴木氏)1979年からは総合カタログを刊行。工作のヒントや実車の知識,レイアウトづくりの視点など,情報満載の読み応えあるカタログとなっていました。(RM MODELS2005年10月号より。歴代のGMカタログ)1979年頃には,しなのマイクロが金属製でNゲージ私鉄電車を製品化し,GMキット向けに分売も行われます。(プレイモデル79年夏号の,しなのマイクロ広告より)(GMカタログ79年版と80年版より,動力ユニットに関する記載の変遷。79年版では「しなのマイクロ製動力ユニットを御使用下さい。」とあるが,80年版では「G.M製、又はエンドウ製動力ユニットを御使用下さい。」とある。この時点では20メートル用動力のみ)1981年には「カスタムキット」として,初の18メートル車キットとなる,京急1000系キットが発売されます。これは,エンドウからの動力供給により実現したもので,それまでのしなのマイクロ製動力に替わり,エンドウ製動力がGMの標準となっていきます。(グリーンマックス Nゲージ総合カタログVol.4(1983)より大山店の内外。1階の東武電車を模した部分は無くなっており,円筒形の階段室が露出している。壁面には1981年に登場した185系踊り子号を模した斜めの緑帯が入れられている)1982年 第4次須津谷急行発表(TMS増刊 PLAY MODEL 9より)1982年,Nゲージの室内レイアウト「第4次 須津谷急行」が発表されました(グリーンマックス Nゲージ総合カタログ'82にも掲載)。車両・ストラクチャーともグリーンマックスのキットがふんだんに用いられています。グリーンマックスは,科学技術館での鉄道模型ショウに出展していましたが,1982年から1986年にかけては,銀座・松屋百貨店に隣接する文具店・伊東屋において,下記のような独自の鉄道模型展を開催しています。1982 鉄道模型レイアウト展 7/25-7/311983 創るNゲージ鉄道模型ショー 7/23-7/301984 創る鉄道模型展 8/2-8/81985 鉄道模型レイアウト展 7/29-8/81986 GM鉄道模型ショウ 7/31-8/51983年には,箱根登山鉄道モハ1・2キットが「バリエーションキット」として発売されました。また,「NEW電車シリーズ」「カスタムキット」といった各キットは「エコノミーキット」に改められていきました。1992年には,グリーンマックス20周年と銘打って「スペシャルキット」東武スペーシアを発売。同キットは,ステッカーまたはデカールにより複雑な塗装を容易としていました。さらに,翌1993年には初の塗装済みキットとして,東武10030系が発売されます。(GMカタログ96年版より。上二つは,ウエイトが黒色に変更された動力ユニットで,2016年にコアレスモーター動力ユニットが単品販売されるまで,GMキットの標準指定品だった。上から三つ目の小型動力ユニットは,もともと箱根登山鉄道モハ1・2や,キハ04といったバリエーションキット用に発売されたが,なかなか性能が安定せず,1998年に刷新された(これも現在は絶版)。上から四つ目の新性能小型動力ユニットは,トミックスのベルニナ用で,箱根登山鉄道モハ1・2,京阪京津線600形,江ノ電1000形タイプに使用することができた)2000年代以降,グリーンマックス製品も完成品の比重が大きくなり,マイクロエースや鉄道コレクションのように,同一形式であっても細かい差異が作り分けられるようになるなど,新しい時代を迎えているようです。一方で,ストラクチャーキットも塗装済みが登場するなど,従来の製品も引き続き発売されているのは嬉しいことです。<参考文献>日本模型新聞991号(1976年5月1日)32面以下日本模型新聞1044号(1978年7月15日)41面商業界1978年4月号164頁以下RM MODELS2005年10月号39頁グリーンマックス Nゲージ総合カタログVol.17(2017)
2022.11.21
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自動車,飛行機と取り上げて来ましたので,次は船でしょう。グリーンマックスカタログvol.7(1986)には,船のあるNゲージレイアウトとして,以下のような例が挙げられています。「① 外国航路の白い客船の停泊している岸壁,「ボートトレイン」の着く臨港線の背後の丘上には洋館と外人墓地。云う迄もなく,横浜や神戸をモチーフにした港町のレイアウトです。対岸はコンビナートや造船所のメカニカルなストラクチュアが並び,両者を結びつけるレイアウト中央の高いトラス鉄橋が大型客船のマスト上をひとまたぎしています。貴方なら複線エンドレスの上で京浜急行をビュンビュン飛ばしますか? それとも銀色のタキの行列をゾロゾロ走らせましょうか―。② ひなびた漁村を巡る田舎電車のレイアウト。銚子電鉄や江の電クラスの小型電車をのんびり走らせる為のものです。レイアウト全体が手前の海面,中段の漁村のある平地,背後の山地と3段階に階段状になっているのがミソで,単純な線路配置でも風景,高低差の変化によって飽きのこない運転が楽しめます。視覚的にどうしても不自然になる急カーブ,上りこう配の部分はトンネルでスッポリかくしておきました。漁村の背後の山の上に寺院や祠があるのは良く見るパターンで,航海の安全を祈ったり,近海で起きた海難事故の慰霊の為に建てられたものだと思います。さびついたイカリや昔の軍艦の大砲が奉納されて境内に置いてあったりして,おもわず難しい漢字の碑文を必死に読んでいたりするのです。③ 鉄道連絡船の出る北国の終着駅。大半が海底トンネルにかくれた本線エンドレスはほんの付け足しで,運転の主眼は云うまでもなく可動桟橋と連絡船,手前のヤードを使った貨車の入換にあります。9600が独特の控車を長くつなげて(重い機関車は直接船内に入れないのでこうする。)桟橋の上を行ったり来たりする様は忘れられません。山上には北方をにらむ自衛隊レーダーサイトの白いドーム。ふもとの街はロシヤ正教会のネギ坊主型尖塔が目立つ異国情緒あふれる北国の町です。」(グリーンマックスカタログvol.7(1986)より)<鉄道連絡船のプラモデル>上でも鉄道連絡船との接続駅が挙げられていましたが,市販の鉄道連絡船のプラモデルとしては,古くはシズキョーの十和田丸(1/280),摩周丸(同),また特殊なものではアリイのホバークラフトかもめ号(1/80)がありましたが,なかなか手軽な製品というのはなさそうです。GMクラフツマンズマニュアルには,ブルマァクの客船ふぇにっくす(1/200。姉妹船「せんとぽーりあ」としても発売されていた)を連絡船に改造する方法が紹介されていますが,今日では入手は難しそうです。そもそも,軍艦以外の近代的な客船のプラモデルというのが限られているようで,他にNスケールに近そうなものとしては,かなり古いですが東京プラモ→岡本模型のむらさき丸(1/250。姉妹船「くれない丸」としても発売されていた?)くらいでしょうか。アリイのさんふらわあ(1/500,1/700)はNゲージと縮尺が違いすぎますし・・・(シズキョー・カタログより。鉄道連絡船のプラモデル2種)(GMクラフツマンズマニュアルより。一番下の客船はブルマァクの客船ふぇにっくす(1/200)を連絡船に改造したもの)<Nスケールの船>Nスケール(1/150)の船として市販されているものとしては,古くから,レベル社のトロール漁船(1/142。漁船偽装のスパイ船としても発売)がありました(さらに古くは,とみやま→トミーから1/150の捕鯨船のプラモデルが発売されていましたが,現在,入手はかなり困難でしょう)。国内メーカーの製品としては,グリーンマックスの漁船,ジオコレの漁船・タグボート・艀(はしけ),アオシマの帆船日本丸・海王丸,フジミのヒミコ(東京都観光汽船)あたりが挙げられます。またタカラの「世界の艦船」シリーズでは,1/144の潜水艦や深海調査艇を製品化していました。<船のあるNゲージレイアウト>船のあるNゲージレイアウトについて,グリーンマックスカタログのアイデアをご紹介しましたが,他には,どんな光景が考えられるでしょうか。例えば,トミーテックのトレーラーコレクションなど,Nスケールの海上コンテナが豊富になった現在では,コンテナターミナルを再現されている方も多いかと思います。また,トミーテックから発売されたタグボート・艀は,臨海工業地帯のレイアウトには特に似合うことでしょう。タグボート・艀は川で見ることも多いので,路面電車など街中の電車と組み合わせるのも似合いますね。あるいは,より大型の艀を作って,新幹線車両を車両工場から輸送する光景を再現するのも楽しいかもしれません。英国・HORNBYのOOゲージレイアウトでは,ナローボートと呼ばれる運河に合わせた細長い船がよく登場しますね。客船ではなく,軍艦はどうでしょう? その昔,鉄道唱歌に「見よやドックに集まりしわが軍艦の壮大を」とうたわれたJR横須賀駅を降りると,今も,海上自衛隊やアメリカ第7艦隊の軍艦を間近に見ることができます。これをNスケールで再現するとどうなるか。ドラえもんの「ラジコン大海戦」には,1/150の戦艦大和が登場しますが,レイアウトに置くにはいくらなんでも大きすぎるでしょう(笑) そうかといって,ウォーターラインシリーズの1/700では,Nゲージとの差が大きすぎます。遠近法を強調するというのも一つの手でしょうが,はてさて・・・。他には,1/144の潜水艇などは,さすがに日常風景にはなじみにくいでしょうから,博物館や公園の展示物という形で置いておくことになりましょう。また,横浜のみなとみらいや,富山県の海王丸パークのように,帆船のある公園というのも中々ロマンチックなものになりそうです。<グリーンマックス・スカイウェーブシリーズ>最後に,Nゲージと艦船との関わりとして,忘れてはならないのが,グリーンマックスの「スカイウェーブシリーズ」です。1970年代末から1980年代初頭にかけてグリーンマックスでは,1/700の「スカイウェーブシリーズ」として,小艦艇や航空機に加え,航空機格納庫や軍需工場といった建物,さらにはジオラマベースとこれらの製品を組み合わせたセットなどを,同社Nゲージとよく似たデザインのパッケージで発売していました。当時,すでに静岡各社の「ウォーターラインシリーズ」があった中で,それらと重複する大型艦艇ではなく,建物などジオラマを構成する要素を製品化したことは,いかにもグリーンマックスらしいといえるでしょう。その後「スカイウェーブシリーズ」はピットロードに引き継がれています。グリーンマックス スカイウェーブシリーズ(1978~)No.1 米国DD型駆逐艦 フレッチャー級No.2 高速魚雷艇 米・英・独No.3 英国0級駆逐艦 オンスローNo.4 米国戦車・車輌用大型揚陸艇 L・S・TNo.5 ドイツ Sボート・Uボート基地 ブンカー No.6 米・英上陸作戦の軍用車輌群No.7 ドックNo.8 上陸支援艇No.9 小艦艇用係留地 海軍基地No.10 米国爆撃機 B-17・カタリナNo.11 日本爆撃機 2式大艇・96陸攻No.12 米国戦闘機 P-38・P-40・P-47・P-51No.13 格納庫No.14 ドイツZ級駆逐艦No.15 ノルマンディ 史上最大の作戦(ジオラマベース付きセット)No.16 太平洋飛石作戦 硫黄島の攻防(ジオラマベース付きセット) No.17 ドイツ機甲師団No.18 米国潜水艦ガトー級No.19 B-29vs月光・雷電 No.20 戦略空軍基地(ジオラマベース付きセット)No.21 海軍工廠(ジオラマベース付きセット)No.22 市街戦(ジオラマベース付きセット)No.23 陸軍基地No.24 軍需工場No.25 欧風建物No.26 ドイツ爆撃機・輸送機 Ju52・He111No.27 ドイツ秘密基地(ジオラマベース付きセット)No.28 海と空の闘い(ジオラマベース付きセット)No.29 スクランブル!(米原潜,Tu-95,P2V-7,F-4EJ)(グリーンマックス・スカイウェーブシリーズより1/700のストラクチャー各種。箱は同社Nゲージ用ストラクチャーキットに近似したデザイン)
2020.11.14
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国鉄最後の通勤型電車となった205系は,Nゲージで各社から製品化されています。まず,グリーンマックスが,1986年に,エコノミーキットで製品化。続いて,カトーから,翌1987年に,山手線,関西線仕様が完成品で発売されました。これらは,後に前期型と呼ばれる,客用扉の窓が小さいタイプを製品化したものです。(グリーンマックスカタログvol.8より)民営化後のJR東日本では,客用扉の窓を拡大した後期型が各線に配備され,JR西日本では阪和線用の1000番台が登場しました。また,1990年から1991年には,京葉線・武蔵野線に前面形状の異なるタイプが,相模線には500番台が現れるなど,実車が一気にバラエティに富むことになりました。(京葉線東京開業時のイメージキャラクター「マリン」。この時に登場した205系は前面形状が大きく変更された)これを受け,Nゲージの世界でも,グリーンマックスが1990年に後期型のエコノミーキットを,カトーが1992年に京葉線,武蔵野線仕様を発売。グリーンマックスのキットは,前面が3種類(一般用,京葉・武蔵野線用,1000番台用)用意され,後期型の各タイプが再現できるようになっていました。(グリーンマックスカタログvol.10より)(グリーンマックスカタログvol.10より。前期型キットは生産休止となった)また,カトーは,1994年に山手線用の6扉車サハ204を製品化。埼京線,横浜線仕様も製品化されました。(「ビンテージモデルメンテナンス」(イカロス出版)より。カトーショールームで販売された205系風塗装201系の特製品)エコノミーキットからトータルキット中心に移行していたグリーンマックスでは,2001年に500番台のトータルキットを発売。また,この頃,衣料品店のユザワヤでは,GMキットを組み立てた総武線や武蔵野線の205系セットを販売していました。(「鉄道模型Nゲージ―Enjoy N gauge railroading」(成美堂出版)より)2002年頃からは,山手線からの転出が進み始めます。これに伴い,カトーでは,武蔵野線用の5000番台,新たに前面を取り付けた八高線用の3000番台,仙石線用の3100番台を製品化。また,2004年には,埼京線で走った「KATO TRAIN」を製品化しています。その後,実車は既に撤退済みながら,京浜東北線仕様,中央・総武緩行線仕様が発売されました。ラウンドハウスブランドでの仙石線「マンガッタンライナーⅡ」も印象的ですね。グリーンマックスは,クロスポイントブランドで,3000番台の一体ボディキットを発売。マイクロエースは,2006年,他社と競合しない量産先行車(2段窓)を山手線,京葉線の両仕様で製品化。その後も,阪和線用の1000番台や相模線用の500番台など,カトーとバッティングしない展開が続いています。そして,2012年には,とうとうトミーテックの「鉄道コレクション」からも205系が登場しました。トミックスでは,205系は今日に至るまで製品化されていませんが,「鉄道コレクション」では,南武線(1200番台)・南武支線(1000番台)や鶴見線(1100番台),600番台(日光線・宇都宮線)といった,独自のラインナップを築いているほか,富士急行に譲渡された6000系もいち早く製品化されています。さらに,2019年に発売された,Newdays限定鉄コレ第1弾では,山手線量産先行車,京浜東北線仕様,武蔵野線仕様が製品化されたほか,京浜東北線から山手線に貸し出されていたヤテ35編成(鉄道ファン1991年8月号参照)がシークレットとされています。同じく2019年には,グリーンマックスから,完成品で武蔵野線用の5000番台が発売されることになりました。[追記]2020年,トミックスからも205系の製品化が予定されています。気が付くと,山手線は205系からE231系に,E231系からE235系に代替わりし,時の流れの早さを感じますね。令和の205系はどのような表情を見せるでしょうか。
2019.09.11
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今回は,飛行機模型と鉄道模型について,思いつくままに振り返ってみたいと思います。グリーンマックスの1985年版カタログには,1/144スケールの飛行機プラモデルを利用し,レイアウトに空港をつくる記事が掲載されました。当時は,Nゲージに近似した飛行機模型の種類も限られていたためか,日本軍の飛行機を塗り替えて,航空自衛隊や海上自衛隊でも採用されていた,米軍のT-6練習機・テキサン(Texan)に見立てるといった方法が紹介されていました。(グリーンマックス1985年版カタログよりNスケールの空港の作り方。「テキサン練習機はゼロセンを黄色く塗ってごまかしておけば良い。(シロウトはだませる)」とある。)(1992年版グリーンマックスカタログより。「劇場」「格納庫」は残念ながら未発売に終わった)Nゲージに近似したスケールの飛行機模型としては,古くは三共のピーナツシリーズ(1/150)やオオタキのYS-11(1/150),日東のコンコルド(1/132)などが有名ですが,近年では,F-toysの食玩を中心に精巧な1/144スケールの飛行機模型が揃っています。また,ドイツのFALLERでは,Nスケールの熱気球や軟式飛行船を発売しています。(RM MODELS1998年7月号より童友社の1/144・フォッカーF27フレンドシップ)(RM MODELS1999年4月号より童友社とハセガワの1/144・YS-11)海外では,ルフトハンザやアリタリアといった航空会社が空港連絡列車や空港間の列車などを運行した例があり,これらの列車の模型は,鉄道車両に航空会社のロゴが表示された,楽しい模型となっています。(レイルマガジン1992年11月号よりドイツのルフトハンザエアポートエクスプレス特集)(レイルマガジン1993年9月号よりイタリアのアリタリアエアポートトレインを紹介する,モデルバーンの広告)日本で,空港連絡列車に航空会社のロゴが大々的に表示された例としては,近年,南海ラピートにピーチ・アビエーションのラッピングを施した「Peach × ラピート ハッピーライナー」があり,マイクロエースから製品化されています。その他に,Nゲージで航空会社のロゴを表示した車両としては,全日空のロゴをあしらったビッグスニーカートレイン,日本エアシステムのロゴ・帯をまとった土佐電鉄JASレインボーセブン号があります。(ネコ・パブリッシング「プラレールのすべて」より。プラレールでもフラノエクスプレス/ビッグスニーカートレインの2種が発売された)1986年にデビューした,キハ84・83形フラノエクスプレスは,翌1987年,さっそく,カトーとトミックスの競作となりました。同年,全日空とタイアップした「ビッグスニーカートレイン」が運行され,両社とも製品化しています。ビッグスニーカートレインは,全日空のツアー客用の列車であり,空港連絡列車とは違いますが,純白の車体にさわやかな青帯が印象的な車両で,模型でもその特徴が再現されています。カトー,トミックスともビッグスニーカートレインが先に絶版となっており,また,トミックスでは,1999年に「ラストランフラノエクスプレスセット」として,テレホンカード付きの限定セットを発売しています。フラノエクスプレス/ビッグスニーカートレインの他にも,1980年代後半には,名鉄パノラマDX(1986,トミックス),伊豆急リゾート21(1986,カトー。独特のドローバー連結器で有名),パノラマエクスプレスアルプス(1987,カトー),小田急HiSE(1988,トミックス・カトー),近鉄アーバンライナー(1988,トミックス・カトー)といったレイアウトに彩りを添える華やかな車両が相次いで製品化されており,Nゲージの成熟を感じさせます。トミックスでは,フラノエクスプレス,HiSE,アーバンライナーにはそれぞれ専用の室内照明ユニットを製品化しており,室内照明ユニットの箱に描かれた車両のイラストが印象的でした。一方,カトーでは,これら3種は室内灯標準装備となっており,Nゲージが新しい時代に入っていたことを感じさせます。(RM MODELS1999年11月号よりビッグスニーカートレインを塗り替え,日本航空のロゴを入れたフリーランスモデル。1/200旅客機プラモデルのデカールを流用している)ハセガワ(モデモ)から1999年に発売された土佐電鉄600型JASレインボーセブン号は,同社のNゲージ路面電車シリーズとしてはかなり初期の製品で,同じく土佐電鉄600型の「桃太郎電鉄7」と並んで,複雑な塗装が美しく再現された,見た目にも楽しい広告電車のモデルとなっています。JASがJALに統合された今となっては,非常に懐かしさを覚える製品でもあります。(モデモの土佐電鉄600型JASレインボーセブン号)
2019.06.13
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旧型客車を気動車に改造したキハ08・09形は,まるで模型のようなユニークさがありますね。今回は,そんなキハ08・09形のNゲージにおける歴史をたどってみたいと思います。まず,TMS1979年3月号で,羽田二郎氏が,グリーンマックスのオハフ61をベースに,同社クモハ73・クハ79キットのおまけであるクモヤ90の前面パーツを用いて,キハ08形をモデル化されています。このクモヤ90の前面パーツは,グリーンマックスでは初めてとなるおまけ前面パーツです。(TMS1979年3月号より。羽田二郎氏のキハ08形)(山下貴久雄『新・鉄道模型考古学N』より。クモヤ90の前面パーツ紹介)そして,1985年頃には,グリーンマックスの61系客車を含む5両セットシリーズに,キハ09形用の前面パーツ,運転台の側面パーツが含まれるようになりました。(山下貴久雄『新・鉄道模型考古学N』より。キハ09の前面・側面パーツ紹介)(『鉄道模型Nゲージ―Enjoy N gauge railroading』(成美堂出版)より。GMキットの作例)グリーンマックスのカタログには,キハ09系列のみで組成した編成例が掲載されていますが,実車はキハ09系列のみで運行されることはほとんどなかったようです。また,1998年には,ジーエムストアーで,キハ09形の限定キットが発売されています。(RM MODELS1998年2月号より。キハ09形の限定キット紹介)そして,2015年にはトミーテックの鉄道コレクション第22弾で加悦鉄道のキハ08が製品化され,この少数派形式にもとうとう完成品が登場することとなりました。
2018.10.02
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今年2月,京成3500形のうち,更新工事を受けていない車両が,さよなら運転を行いました。3500形は京成初のステンレス車両として,それまでの京成車とは大幅に異なった新しいデザインで昭和47年に登場。Nゲージの世界では,昭和58年,グリーンマックスから,板キットとして製品化されています。同じくステンレス車の3600形が登場したのが昭和57年なので,おそらく企画段階では,3500形が京成の最新車両だったのでしょう。後年,塗装済キットで3700形や3400形が製品化されるまでは,京成を名乗るGMキットは,これが唯一の存在でした。(「鉄道模型Nゲージ―Enjoy N gauge railroading」(成美堂出版)より)さて,京成3500形キットでは,GMキットの「お約束」となっていた前面パーツは,都営5200形と京成3150形(更新車)が含まれていました。都営5200形は,京成と直通する浅草線の車両であり,まず順当な選択であったといえるでしょう。京成3150形(更新車)の前面は,GMの京急1000形キットと組み合わせて利用するもので,実車は昭和58年に更新が始まったばかりですから,いち早く製品化したことになります。その後,3200形など他の形式も同様の前面に更新されたので,このパーツは京成ファンにとっては,大きな福音であったといえるでしょう。京急1000形キットに含まれる京成3100形(非冷房車)の前面,京成3500形に続いて発売された「阪神通勤車」キットに含まれる京成3300形(未更新車)の前面を合わせ,いわゆる赤電の多くがGMキットで揃えられることになったわけです。平成13年に刊行された「鉄道模型Nゲージ―Enjoy N gauge railroading」(成美堂出版)では,「民鉄グラフィティー京成電鉄編」として,京成のNゲージが特集されていますが,この時点では,3700形や3400形の塗装済キットも存在しておらず,プラの京成Nゲージ製品は,以上のGMキット3種のみとなっていました。(「鉄道模型Nゲージ―Enjoy N gauge railroading」(成美堂出版)より)さて,京成3500形に話を戻しますと,実車は平成8年以降,更新工事により顔つきが変わりましたが,GMキットは大きな変化はなく,他社製品との競合もありませんでした。ところが,平成28年に,鉄道コレクションとマイクロエースの2社から,相次いで3500形が製品化されました。RMM268号(平成29年12月号)では,鉄道コレクションとマイクロエースの製品が,あわせて紹介されています。鉄道コレクションは,未更新車を製品化。まず現行のK'SEIロゴ入りを,次いで,登場時の赤帯仕様が製品化されています。マイクロエースは,更新車と未更新車の両方を製品化。未更新車は今のところ,登場時の赤帯仕様のみとなっています。また,更新車のバリエーションとして芝山鉄道3500形まで製品化されているのは,いかにもマイクロエースらしいところです。優れた完成品が登場している昨今ですが,GMキットの存在意義は決して失われていません。私は以前,都営5200形として作りましたが,パーツの合いもよく,まさに「創る楽しみいっぱい!」のキットだったと思います。
2017.11.17
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105系をはじめとするいわゆる新性能1M国電は,1両または2両で編成を組んで走ることから模型化には好適の車両といえるでしょう。Nゲージの世界では,119系,123系の製品化が先行する一方,最近では105系のバリエーションもかなり充実してきました。その歴史を少し振り返ってみたいと思います。<119系>実車では105系をもとに119系がデビューしていますが,Nゲージの世界では,グリーンマックスの119系未塗装キットが先行しました。TMS昭和59年10月号で組み立て方が解説されています。民営化後には,分散型冷房を搭載した5000番台のキットが加わりました。なお,この5000番台キットは,同社の小田急1800形キットや103系3000番台キットと同様「限定版」と銘打たれています。さらに,平成15年からは,新たに塗装済み完成品が製品化され,国鉄色,東海色試験塗装,東海色,するがシャトル色,復活国鉄色といったカラーバリエーションや,両運・片運といった形態の違いにより,かなりの種類となっています。平成16年の105系(西日本車)に続き,平成20年に119系を製品化したマイクロエースも,同様にカラーバリエーションを展開していますが,今のところ,両運車は製品化していません。さらに,平成24年からは,鉄道コレクションが加わり,グリーンマックス同様に,各種カラーと両運・片運車が製品化されているほか,5300番台(ワンマン対応車)も製品化され,唯一の存在となっています。さらに,鉄道コレクションでは,えちぜん鉄道に譲渡されたMC7000形も製品化されています。[追記]さらに,カトーから飯田線シリーズの一環として,119系(旧塗装・片運転台)が製品化されています。(グリーンマックスカタログVol.6より。製品化が予告された119系が表紙を飾った)(鉄道模型趣味昭和59年10月号より。119系キットの組み立て方を解説)(グリーンマックスカタログVol.11より。119系のバリエーションが模型で紹介された)<123系>・東日本クモハ123-1は昭和61年に登場。辰野支線に投入されました。Nゲージの世界では,古くはシバサキ模型のコンバージョンキットなどがありましたが,プラ製品としては,鉄道コレクション第20弾が初めての製品化となりました。クリームと緑の旧塗装を製品化した第20弾に加え,第24弾で白とピンクの新塗装が製品化されています。(NゲージBOOK2(機芸出版社)より,カトーのクモニ143を改造して123系とするエッチング製パーツ(シバサキ模型)の紹介)・東海クモハ123の40番台(41-45)は昭和62年に登場。身延線に投入されました。Nゲージでは,昭和63年,グリーンマックスの未塗装キットで製品化されています。同社お得意の2種類の側板(東海,西日本)を1本のランナーにおさめた構成です。クロスポイントブランドでは,このキットをJR東海カラーとした塗装済板キットが発売されています。鉄道コレクション第20弾では,富士山と身延線の頭文字「M」を図案化した旧塗装が製品化されています。なお,民営化後の昭和63年に登場した3扉の600番台(601,602)のプラ製品は,今のところありません。・西日本クモハ123-2から123-6は昭和62年に登場。クモハ123-2から123-4は可部線用で側面の大きな窓が特徴です。先ほどふれたグリーンマックスの未塗装キットでは,東海車とあわせてこちらを製品化。平成5年に可部線から宇部線・小野田線に転属し,直後に前面に貫通扉が取り付けられます。マイクロエースは,平成21年,前面扉取り付け前の姿で製品化。鉄道コレクション第20弾では,マイクロエースと同じく非貫通時を製品化。さらに,平成28年には,オープンパッケージで貫通扉取り付け後の姿が製品化されています。実車は近年,黄色に塗り替えられていますが,このカラーの製品はまだありません。クモハ123-5,123-6はもともと阪和線羽衣支線用で田の字型の2段窓が特徴です。平成21年,マイクロエースから,103系と組み合わせた3両編成セットとして製品化。翌22年には宇野線転属後のカモメが描かれた姿も製品化されています。鉄道コレクション第20弾では,阪和線時代の姿を製品化。平成28年には,オープンパッケージで,カモメが描かれた姿も製品化。実車は宇野線から福塩線・赤穂線を経て宇部線・小野田線へと転属していますが,宇部線・小野田線仕様の製品はまだありません。<105系>・東日本マイクロエースは,平成14年に仙石線旧塗装を製品化しました。実車は,昭和62年に103系を改造したもので,白,赤,青の派手な塗装が特徴です。鉄道コレクションからも,平成24年に仙石線旧塗装が製品化されています。・西日本105系(西日本車)を最初にプラで製品化したのはマイクロエースで,平成16年以降,各種バリエーションを展開しています。形態的には,新製車(0番台),103系改造車(500番台),0番台30N更新工事施工車を揃え,カラーバリエーションとしては,旧広島色(朱色),新広島色,旧和歌山色,新和歌山色,福塩色,瀬戸内地区地域統一色(濃黄色),和歌山地区地域統一色(青緑色)があり,特に,旧和歌山色に果物の絵が描かれた「フルーツ列車」は,マイクロエースらしいユニークな存在です。一方,鉄道コレクションでも,平成24年以降,積極的にバリエーションを展開。新製車,103系改造車の双方がありますが,30N更新工事施工車はまだありません。カラーバリエーションとしては,旧広島色(朱色),新広島色,旧和歌山色,福塩色,瀬戸内地区地域統一色(濃黄色),和歌山地区地域統一色(青緑色)があり,新和歌山色を欠きますが,同じ色でも編成ごとの細かな差異が再現され,豊富なバリエーションを誇っています。<その他>この他,新性能1M国電では,ステンレス車体の121系,213系がマイクロエースから製品化されています。121系,213系は,鉄道コレクション第26弾でも製品化が予告されていますね。また,民営化後に登場しているので「国電」とはいえませんが,165系の機器が流用され,105系の発展型というべきJR東日本107系は,119系同様,グリーンマックス,マイクロエース,鉄道コレクションの3社競作となっています。また,マイクロエースでは,上信電鉄への譲渡車も製品化されています。こうなると,旧性能車ですが,クモハ84あたりの製品化を期待したいところです。
2017.11.08
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Nゲージの小型車両製品は,キハ02レールバスやDD13ディーゼル機関車の動力を用いる奄美屋のメタルキットがその先駆けとなりました。1980年代に入ると,カトーのポケットライン,トミックスのCタイプディーゼル機関車やベルニナ号,マイクロエースのCタイプ機関車シリーズなど,新たな小型車両が充実していきます。グリーンマックス(GM)のバリエーションキットシリーズもその一つです。今回は,GM・バリエーションキットシリーズについて振り返ってみたいと思います。(1984年版GMカタログより。表紙では「Vol.4」とあるが「Vol.5」の誤り)バリエーションキットNo.1は箱根登山鉄道モハ1・2のキットでした。当初は,グリーンマックス製の小型車用動力が指定されていましたが,調整が非常に難しかったようで,トミックスから同じ箱根登山鉄道1000形「ベルニナ号」が発売されると,ベルニナ号の動力に切り替えられました。後年,塗装済みキットも発売されています。その後,箱根登山鉄道については,2004年にモデモがモハ2形で参入。同社はモハ1,2000形も製品化しています。また,トミックスは,1000形に加え,2000形,3000形「アレグラ号」も製品化。さらに,「鉄道コレクション」(鉄コレ)では,2013年の第17弾でのモハ3形をはじめとして,モハ1から3の旧型車を製品化しています。カトーでは,本家スイスの「ベルニナ」「アレグラ」を製品化していますので,それらと共演させるのも,模型ならではの醍醐味といえるでしょう。バリエーションキットNo.2はキハ04で,元々はカスタムキットの頁で予告されていましたが,バリエーションキットとしての発売となりました。このキットについては,RMM167号で山下貴久雄氏の詳細な解説がありますので,今回は割愛させていただきます。(1986年版GMカタログより。京阪大津線をイメージした路面レイアウト等を掲載)バリエーションキットNo.3は京阪600形です。動力は,当初からトミックス・ベルニナ号のものを用いることとされました。このキットには,600形以外にも500形,300形の前面が入っており,260形の両運・片開き扉の車体が「オマケ」として付属していました。そのため,260形から600形に至る大津線の車輌のほとんどをカバーできるようになっているという優れものでした。やはり後年,塗装済みキットも発売されています。その後,京阪大津線の車輌としては,2012年にモデモが60形「びわこ号」を製品化。マイクロエースからは,地下鉄直通用の800形が製品化され,「鉄道コレクション」からは,80形,600形,700形などが発売された結果,70年代以降現在に至る大津線の車輌はほぼ全てNゲージで楽しむことができるようになっています。GMキットも,プラッツから発売されたラッピング電車キットのベースとされているため,決して存在意義を失っておりません。(1987年版GMカタログより。江ノ電が加わり,バリエーションキットは4種となった)バリエーションキットNo.4は江ノ電1000形タイプです。「タイプ」としたのは,ベルニナ号の動力を使用することを前提としたため,車体が窓1個分延長され,連接車ではなく通常のボギー車とされたためです。この程度の「セミフリー」化であればほとんど違和感はなく,小型車用動力の少ない当時としては,きわめて優れた「割り切り」であったといえましょう。また,江ノ電600形のボディが「オマケ」として付属していました。後年,塗装済みキットも発売されています。なお,このキットについては,「新・鉄道模型考古学N1」で紹介されています。その後,モデモから次々と江ノ電がモデル化され,800形以外のほとんどの車輌が優秀な完成品で楽しめるようになったのは周知のとおりです。[追記]2022年には,鉄道コレクションの事業者限定品として,800形の製品化が発表されました。(1992年版GMカタログより。名鉄モ510形キットは未発売に終わった)その他,1992年版カタログでは,バリエーションキットNo.5として,名鉄モ510形のキットが予告されていました。恒例の「オマケ」として,モ600形のボディも予告されていましたが,残念ながら,他の予定品(営団05系キット,映画館,地方銀行)共々,幻の製品となってしまいました。また,1986年版カタログでは,バリエーションキットシリーズNo.4として,日車標準タイプ17m級両運車が予告されていましたが,1987年版カタログでは消えてしまい,No.4としては江ノ電1000タイプが発売されています。その後,日車標準タイプは,クロスポイントブランドで「地方私鉄タイプ電車」キットとして発売されます。クラシック(運輸省規格型)とモダン(日車標準型)のボディが1両ずつで1800円という価格設定はなかなか魅力的でした。鉄道コレクション第6弾で日車標準型が,第14弾で運輸省規格型が製品化されたため,クロスポイントのキットは影が薄くなった感もありますが,付属のステッカーは今でも使いでがあります。余談ですが,日車といえば,GMには古くから,「日車ロマンスカー」のNゲージとして,名鉄5500系キットがありました。18メートル車中心のカスタムキットシリーズとして発売され,京急1000系や東急7000系のようにエコノミーキットシリーズ入りすることなく,今日にカスタムキットの名を伝えています。このキットは,5500系の先頭車2両をプロトタイプとしており,5000系や5200系へ改造する際のヒントも図解されていたほか,長野電鉄2000系(名鉄5000系と共用),富山地方鉄道10020形,同14760形の前面もセットされている非常に楽しいキットでした。このキットから名鉄5000系の独特の断面形状を再現するには相当の根気が必要でしたが,2008年,クロスポイントから名鉄5000系キットが発売されており,一体成形ボディで5000系の独特の断面形状が再現されています。最後に,1987年版カタログ掲載の文章の一部を引用しておきます。江ノ電のジオラマ写真3点と,500形の横をサーフボードを積んだ車が走るイラストが描かれ,次のような文章が掲載されていました(無署名ですが,おそらく鈴木社長の手になるものでしょう)。「無個性なマスプロ20m電車はもう飽き飽き、時代は今、小型車!!正面を取り換えて色を塗りかえればどれも皆同じの国・私鉄の新型通勤電車。(略)かつて強烈な個性・体臭を発散させていた○○電鉄タイプと云ったものが近代化、合理化の名の下に跡かたなく消え去って行くのを見るのはやはり淋しい事です。低いサイドシートの背もたれから外にこぼれ落ちそうに窓の大きかった京急電車、深いマルーンの車体にニス色の窓枠、グリーンのモケットが何とも上品だった昔の阪急、豪快の一言につきる近鉄2200系6連急行の電制音を轟かせての青山越え、……みんなモデルの世界にその想い出を留めるだけになってしまいました。-しかし、小型車の世界は違います。工芸品の如き木造車の時代はもちろん、今も各地にしぶとく生き残る小電鉄、小路線に時折り出現する新車にはキラリと光る個性に目を見張るものが多いのは、やはり各路線の特殊性、マスプロのきかない少数手造り(?)品の良さがデザインにもあらわれているからでしょう。そして、それら新車を引き立たせてくれるのは路線のヌシの如きリベットゴツゴツ、楕円窓も楽しい古典車、また、各地を渡り歩いてやっと安住終えんの地を得た歴戦の古強者達です。これらが一体となって、その地域風土に溶け込んだ小電鉄には、緑の自然を高架で切り裂いてひたすら大量輸送に邁進する大電鉄とはおのずと異る魅力があるはずです。(略)ひとつ、うんと小さな固定レイアウトを作って個性豊かな小型電車を走らせてみませんか? びっしり作り込まれた木造家屋(~と云ってもNではプラキットでカンタンに作れます。)の重々しい瓦屋根を縫って車体をきしませる京津線に、色とりどりの漁船、ヨットのもやう港をかすめて堤防の上を快走する江の電に、貴方はこれまで知っていたのとは全然別のNの新しい世界を発見して驚くはずです。-まず手はじめに新発売の江ノ電キットでも作って見ませんか? そして電車がうまく出来たら漁船と燈台でも組み立てて見ましょう。そこから貴方のイメージはどんどんふくらんでゆくと思うのです…。今、GMキットは小型電車が面白い!」モデモや鉄コレのおかげで小型車輌が豊富に揃う今こそ,あらためて読み返したい文章ですね。
2017.10.15
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東武鉄道の看板特急として長年,日光・鬼怒川と浅草の間を走り続けた1720系デラックスロマンスカー(DRC)を置き換えるべく,平成2年に登場したのが東武100系電車「スペーシア」です。Nゲージでは,平成4年,グリーンマックスから20周年記念製品として,未塗装キットが発売されました。東武東上線沿線にある同社としては,伊勢崎線系統とはいえ東武の看板特急は,記念製品にふさわしい題材であったといえましょう。品番も,400番代のエコノミーキットから飛んで,701が与えられています。このキットは,スペシャルキットと銘打たれ,未塗装・板キットながら,成型色が白となっておりステッカーまたはデカールにより,実車の複雑な塗装を容易に再現できるようになっていました。(Nゲージマガジンvol.17よりGM製未塗装キットの組み立て方解説)その後,グリーンマックスの新製品は塗装済みのトータルキット(品番は1000番代)が中心となったことを受け,平成6年には,スペーシアも一体成型ボディ・塗装済みのトータルキット(品番1003T)に移行しました。そのため,スペシャルキットは,701番で打ち止めとなっています。一方,トミックスも,平成7年にスペーシアを完成品として発売したため,グリーンマックスの塗装済みキットと競合する形となりました。両社製品の違いはいくつかありますが,顕著な点としては,妻面の塗装があります。グリーンマックス製品では,実車同様,帯が妻面まで回り込んでいたのに対し,トミックス製品の妻面は真っ白で,付属のデカールを使って自分で妻面に帯を入れる必要があったことです。この辺は,妻面の塗装へのこだわりを説いていたグリーンマックスらしいところですね。ただし,平成15年頃からは,実車でも妻面の帯は省略されてしまいました。(成美堂出版・日本と世界の鉄道模型カタログ'95~'96より。トミックス製品は,妻面にデカールを貼る必要があった)(GMクラフツマンズマニュアルより。製品では省略されがちな妻面を実車どおりに再現することを勧めていた)近年,スペーシアには様々な変化が生じ,トミックスはそれに合わせた商品展開をしていますが,グリーンマックスにはその間動きがありません。平成18年には,東武・JRの直通運転が開始され,Nゲージの世界でも,トミックスからスペーシアのリニューアル製品が,カトー(ラウンドハウス)からは「485系日光・きぬがわタイプ」がそれぞれ発売されました。そして平成23年,翌年に控えた東京スカイツリーの開業に合わせ,スペーシアの塗装が変更されたため,トミックスも,平成24年に「粋カラー」「サニーコーラルオレンジカラー」「雅カラー」を発売。平成27年には金色も眩しい「日光詣スペーシア」を発売しています。さらに,先日「日光詣スペーシア・新エンブレム」が発売されたのは記憶に新しいところです。(スペーシアは玩具でも各色取り揃えられている。一例としてニシキのダイカスケールを並べた。同シリーズではDRCや200系りょうもう号も製品化されており,軌間はいずれも一応9ミリである)
2017.02.22
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グリーンマックスの創業者・鈴木雅夫氏は,須津谷急行(すずやきゅうこう)というレイアウトを四次にわたり製作されていました。それらはいずれも鉄道模型趣味(TMS)誌上で発表されていますので,簡単にご紹介します。(TMS96号の表紙を飾る,第一次須津谷急行)第一次須津谷急行は,TMS96号(昭和31年6月号)に掲載。当時,鈴木氏は早稲田大学に在学中。東武東上線大山駅近くの洋装店の裏庭に建設されていた,3線式Oゲージの庭園レイアウトでした。「花咲きみだれる模型の国 須津谷急行訪問記」と題された山崎主筆の紹介文を引用します。「運転室が須津谷急行の御自慢の一つであろう。…公衆電話のボックスを一廻り小さくしたものと思つて頂けばよろしい。窓まわりは黄色,上下が茶色と2色に塗り分けられ,モハ601と白ペンキでレタリングしたこの運転室は,実物に似せたコントローラーを始め,数々の運転設備が備えられている。」とあります。何と,自宅から張り出すように「運転室」があるという,大変凝ったつくりでした。そして,山崎氏による鈴木氏へのインタビューが行われていますので,一部を抜粋します。 山崎氏「雨や雪は?」 鈴木氏「雨は問題ではないです。降つている最中でも走ります。屋根から雨ダレをたらしながら走るのはいゝものですね。しかし何と云つてもすばらしいのは雪の日の運転です。中央レールが殆ど見えなくなり,両側だけで走つているみたいです。ところがこのあとが困ります。御覧の通り,三方が家でかこまれていますので,屋根の雪がドスンと落ちる。これでレイアウトの細部がこわされるのです。それから,雨のあとは日に照らされると道床とセメントの間に隙間があく時もあります。」(TMS218号の表紙を飾る,第二次須津谷急行)第二次須津谷急行は,TMS218号(昭和41年8月号)に掲載。設置場所は室内となり,ゲージはHOとなりました。TMS編集部によると,「ほとんど部屋いっぱいをしめた約2400mm×2300mmのスペースが主要部となり,そこから本線の一部が隣接した部屋へと高架で延長されて,終端駅に達している。カーブ半径450mmの,電車用レイアウトと言ってよいタイプで,合計3つの駅がある。」とあります。また,鈴木氏によると,「昭和38年より赤字路線として家中を騒がした須津谷急行も,その後,政治的に強引に問題が解決され,土地買収,測量を終りました。しかし何分にも資金ぐりに苦しみ,工事も牛歩的でしかも気まぐれにおこなわれ,やっとのことで第1工区の日間名市(ひまなし)駅と秋内(あきない―商い)駅間が陽の目を見ました。当初は急行電鉄とは名ばかりで待避も追抜きもなく,急行と各停は表定速度を変えて運行するありさまでした。しかし,39年度ともなりますと沿線に工場や団地等が開発され,40年初頭からは,かねてから要望されていた範城(はんじょう)駅までの路線延長がなされ,追抜き,待避線もそなえて,急行電鉄の名に恥じない線に昇格いたしました。」ということです。(TMS272号の表紙を飾る,第三次須津谷急行)第三次須津谷急行は,TMS272号(昭和46年2月号)に掲載。第二次と同様,室内に設置されたHOゲージのレイアウトです。鈴木氏自身の手になる紹介文を引用します。「日間名市駅と秋内温泉駅を結ぶ電車線で,途中に4つの駅があり,つつじヶ丘以外は待避線または側線を持っています。基本プランの第一は,ポイント・ツー・ポイントとし全線単線,一部のみは複線に見せるようにしました。…スペースは,2階の洋間1部屋いっぱい,3500×2600mmで,部屋の入口あたりが運転席として残っているだけで,あとは修理用の穴が2個所あいているにすぎません。…車輛は,須津急独特のイメージを出すように統一をはかり,フリーランスが主力となっています。特急車以外は2扉車とし,また,車種をあまり増さずに同一形式の増備をする方針です。」(プレイモデルNo.9より)(1982年度版グリーンマックスカタログより)そして,1982年版のグリーンマックスカタログと,TMS増刊・プレイモデルNo.9に掲載されたのが,第四次須津谷急行です。もちろん,Nゲージのレイアウトであり,グリーンマックスのストラクチャーが随所に用いられています。コの字型のレイアウトに,日間名市駅から秋内温泉駅までの6駅を結ぶ路線が,折りたたむように巧みに展開されており,ターミナルである日間名市駅ビルには,西武デパートが入居し,屋上に「ポートピア’81」の広告が入っています。1982年度版カタログに掲載された「須津谷急行電鉄への御招待」を抜粋しておきます。「須津谷急行電鉄(略称スズキュー)、この不思議な名前の鉄道を御記憶の方はかなり古いマニアでしょう。Oゲージ庭園鉄道として25年程前スタートし、専門誌上に何度となく発表されてきたこの電鉄も、すでに最後の発表(第3次須津急-HO固定式レイアウト)から丸10年が経過し、ここにNゲージへと改軌なった第4次須津急の完工をむかえることになりました。…国鉄某線の終着駅であり、須津急のターミナルでもある日間名市…唯一の地元資本だったターミナルデパートもついに大手の傘下にくだり、建物も一新されて都会センスあふれるショッピングセンターへと変身しました。…そうこうする内、ホームには当社自慢のA特急の入線です。何?どこかで見た事のあるデザイン?-それもそのはず…1号車パーラーカー(なつかしい呼び名です……。)は西武特急の運転台と国鉄払下げのオシ16の客室を接続するというまさに木に竹を継ぐ如き狂気の大工事の結果生まれたもので、現場工場の苦労は言語につくせぬものがあったと聞きます。…視野はパッと拡がり左手に海!車内が急に明るくなります。…B特急の停車駅でもあり、国鉄よりの乗入車の折返駅でもある矢根浦海岸は、地形の関係で島式ホーム1本、それも3連で一杯の苦しさで、運行上一つのネックとなる処です。…ここから先は単線。カーブと急勾配の連続する山岳線です。須津谷渓谷の河口を渡り、頭上歴史に名高い須津谷城(知らない人はもう一度教科書を見よ!)を仰ぎつつ長大なループトンネルに突入します。トンネル内に新設された新つつじが丘駅も瞬時に通過し、ぐんぐん急勾配を登ってトンネルを出ると風景はがらりと一変し、清流岩をかむ渓谷の上流を再び渡ってスイッチバックの大山駅。…列車は更に山間の勾配を登り続け、山並が真近にせまる頃車内放送がまもなく終点秋内温泉到着を告げ車内はざわめきはじめます。…」グリーンマックスの歴史と切っても切れない関係にある須津谷急行の歴史を,駆け足で振り返ってみました。「創る楽しみいっぱい!」の原点ここにあり,というわけですね。<追記>2017年版のグリーンマックス製品カタログでは,須津谷急行について特集が組まれていますね。特に,第四次須津谷急行については,車両の詳細な解説も掲載されています。なお,日本模型新聞991号(昭和51年5月1日)には,板橋区大山にあったグリーンマックス店舗の取材記が掲載されており,グリーンマックスファン必見というべき内容です。また,雑誌「商業界」昭和53年4月号にもグリーンマックスの紹介記事があります。
2017.02.12
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国鉄新性能電車の祖となった101系。弟分である103系はNゲージ黎明期から製品化される一方,101系は少し製品化が遅くなりました。(NゲージBOOK2(機芸出版社)より,カトーの103系初期型を改造して101系とするエッチング製の前面パーツ(シバサキ模型)の紹介)プラ製品は,まず,昭和61年にグリーンマックスから板キットとして製品化。板キットの特長を生かし,前面パーツが3種類(原形ライト車,シールド2灯車,900番代)用意されているほか,屋根パーツの切り継ぎにより800番台(低屋根車)が製作できるようになっていました。(GMクラフツマンズマニュアルでは,1986年の新製品として,211系や205系初期車キットと並んで紹介されている)一方,101系のプラ製完成品を最初に発売したのは,意外にも(?)WINでした。同社ではキハ55に続く第2弾製品となります。平成11年にまず先頭車を発売。オレンジ,カナリア,南武支線色の3色が製品化されました。特に,南武支線色は複雑なカラーリングであり,歓迎したユーザーも少なくなかったと思います。続いて,中間車や,関西線,京浜東北線といったカラーバリエーションも展開されました。WINはその後,荷物電車,103系,113系,115系,伊豆急200系といった製品を発売しましたが,残念ながら倒産してしまったことは周知のとおりです。(RMモデルズ99年9月号よりWINの広告)続いて,マイクロエースも平成12年に101系を製品化。様々な新しい取り組みを行っていた同社らしく,史上初の吊り革付きモデルとなりました。中央線(800番台),総武線・赤羽線,京浜東北線,関西線の各色が発売されたほか,変わったところでは,平成15年のJAMで発売された「シーサイドライナーヨコスカ」と「茶色塗装」があります。茶色塗装はまったく架空のものですが,もともと101系は72系全金車の延長線上というべきデザインですので,意外に違和感はないように思います。(マイクロエースカタログvol.3よりJAM限定品の紹介)21世紀に入ると,大手2社にも動きがありました。まず,平成17年には,カトーから「レジェンドコレクション」として,中央線快速10両セットが発売。その後,総武線,関西線,中央線(800番台),鶴見線も同社から発売されています。特記事項としては,平成24年の再生産に当たり,前面形状が改良されたことが挙げられます。また,平成22年以降,トミーテックの鉄道コレクションからは中央線,同試作冷房車,鶴見線,南武支線色が発売されているほか,鉄道博物館限定モデルとして,同館所蔵のクモハ101-902が単品で発売されています。大手メーカーから優秀な製品が発売されている今となっては,WINの101系をわざわざ探し求める方も少ないと思いますが,このような製品もあったということは後世への記録として記しておきたいと思います。
2016.09.26
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以前,東急5000系のNゲージについてご紹介しました。東急5000系は様々な地方私鉄に譲渡されていますが,岳南鉄道と松本電鉄(アルピコ交通)ではいずれも京王3000系によって置き換えられています。京王3000系は,東急車輌によって生み出された,わが国の初期のステンレスカーの一つです。Nゲージでは,まず,1982年にエンドウから金属製品が登場。次いで1985年にグリーンマックスから板キットが発売されました。(NゲージマガジンNo.5より。グリーンマックス製キットの組立方法の解説記事)そして,2000年以降,グリーンマックスの板キットをベースにした塗装済キット(クロスポイントブランド。更新車,未更新車の各色)をはじめ,2008年には片開き扉の1次車(クロスポイントブランド。一体ボディの塗装済キット),2011年にはマイクロエースの完成品(更新車,未更新車),2015年には鉄道コレクション第21弾(北陸鉄道(元1次車),上毛,岳南,アルピコ)が発売され,バリエーションの多くが網羅されるに至りました。変わったところでは,アルピコ交通の「なぎさTRAIN」の塗装済キット(2014年,ネコ・パブリッシング発売)や,クロスポイントから発売された北陸鉄道8900系のキットがあります。さて,私の手持ちの京王3000系を二つご紹介したいと思います。いずれも京王井の頭線の終点,吉祥寺で購入したものです。一つは,手芸用品・模型を販売するユザワヤによる,前述したクロスポイントの塗装済キット(更新車)を組み立てた製品です。プロの手によるスッキリとした仕上げであり,箱の裏には「この車両セットは,株式会社グリーンマックス様のご協力によりGM422の組立キットを使用しております。」と明記されています。もう一つは,吉祥寺の歌川模型店が製造・販売するペーパーキットです。A4程度の厚紙に印刷されており,同店では「型紙シリーズ」と称しています(窓抜き用のUカッターも同店で発売)。Nゲージ,HOゲージの各シリーズがあり,Nゲージは「1.京王3000系先頭車,2.京王3000系中間車,3.国鉄クハ76,4.国鉄モハ70,5.モハ80系・クハ85」というラインナップです。また,同店には「エッチング板シリーズ」もあり,Nゲージでは,やはり京王3000系の先頭車と中間車が発売されています。今後,鉄道コレクションの更なる展開(北陸鉄道のバリエーション,オリジナルの京王仕様,伊予鉄道等)に期待したいところです。(追記)歌川模型店は,以前は吉祥寺駅前にあり,現在も吉祥寺駅近くの住宅街で営業を続けています。歌川模型店について書かれた文献はいくつかありますが,入手しやすいものとしては,RMモデルズ115号(2005年3月号)に,同誌編集部の山内玄氏が執筆された,「さようなら,歌川のおじさん」があります(「おじさん」とは2004年11月に逝去された歌川勝吉氏のこと)。最近久しぶりに同号を読み返しましたが,RMモデルズ70号(2001年6月号)で快走していた山内氏所有のライブスチーム(アスターホビー製45mmゲージ木曽森林鉄道ボールドウィン型蒸気機関車)が歌川模型店で購入されたものだったとは意外な発見でした。
2016.01.05
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