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今日のニュースで世界で住むのにもっとも理想的な場所のトップ10が出ていた。 1.メルボルン (オーストラリア) 2.ウイーン (オーストリア) 3.バンクーバー (カナダ) 4.トロント (カナダ) 5.カルガリー (カナダ) 6.シドニー (オーストラリア) 7.ヘルシンキ (フィンランド) 8.パース (オーストラリア) 9.アドレード (オーストラリア) 10.オークランド (ニュージーランド)選んだ基準は安定性、健康施設、文化、環境、教育、そして市の生活の基礎となる設備を総合的に見て採点して決めたそうです。人により、寒い所、暖かいところ、海、山、都会、田舎とそれぞれ好みが違うので、果たしてこの選び方で理想の住む所と言えるかどうか疑問に思います。昔から「住めば都」と言うように、自分の住みなれたところが一番かもしれません。ワースト・10も出ていましたが、割愛します。
2011.08.31
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先日、日本のテレビのクリップを見ていて、番組のゲストの人が、「拳銃を自由に持ち歩く野蛮なアメリカ人」的な発言がありその発言に同意する会場からの歓声と拍手が聞こえた。ふと思ったことは、この人々は果たしてアメリカの銃所持の事情を知っての批判なのだろうか。銃所持はアメリカ憲法で認められている。(もちろん、各州によっていろいろな規制はあるが。)アメリカがイギリスから独立を勝ち取り、その後この独立を守り続けるためにも当時個人の武器所持が必要と考えられたからだ。 その後、未開発の西部に移住する人達は自分達の身を守りながらフロンティアを開拓して行った。食料にする野生の動物を殺すためにも銃は必要品であった。インディアンとの戦いにも使われた。大都会を離れて旅行すると、広大な土地を持つアメリカは小さな町が点々と存在して時には隣の家までは車で30分もかかると所も珍しくない。そのような所に住むと家族を守るために銃を持つ事情がなんとなく理解できる。アメリカのガン・カルチャーはこのような歴史と環境のもとで育ってきた。 この記事の目的は銃所持(gun control)の賛否論ではなく、物事を批判する時には、いろいろな事情を理解しなければならないと言う意見です。
2011.08.30
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コンピューターの進歩、普及のお陰で世の中が非常に便利になったが、その反面、悪用されての弊害も出てきている。大変便利で、非常時に役立つ携帯電話が犯罪に悪用され、最近大きな話題になっている。 インターネットのお陰で容易に情報が手に入ることは良いのだが、情報があまりにも多すぎて、そのお陰で、たとえば体の症状を情報に当てはめて心気症になって悩んでしまうケースも多くみられるようだ。と言うことは、いくら良い物でも使い方により結果が変わってくるので、使用者の健全な動機と正しい判断力が必要になってくる。薬も、もともと病気を治すのが目的だが、使用方法を間違えると毒にもなるのと同じで。
2011.08.25
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毎年、夏になるとこの花が咲きます。今年はなんと二つもの花が。何の手入れも無くても、このように美しい花が2ヶ月ぐらい、咲き続けます。月下美人も最近なんどか咲きました。
2011.08.20
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雑記帳に時々出会うインスピレーションな言葉を書き留めています。久しぶりにノートを取り出して読んでみた。マザー・テレサの言葉。人のために生きる人生こそ、その価値がある。Unless life is for others, it is not worthwhile.
2011.08.16
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旅行の最終地オスロに向かうため朝早くホテルを出発。我々を乗せたチャーターフェリーでフィヨルドを行きます。途中、大小の滝をいくつも見る。そして、アザラシや山ヤギなども。2時間ほどのフェリーを終えて、今度は汽車に乗り換え。大きな滝のある所では写真撮影のため、特別停車。 汽車を降りてバスで最終目的地オスロへ。何も知らずに旅行を楽しんでいる時に、例の惨事が起こっていたのです。フィンランドとノルウェーイの旅行、たいへん美しい景色、おいしい食べ物、親切な人々、楽しい、思い出旅行でした。素晴らしい国ですが、決してユートピアではありません。アルコール依存、開発国からの移民、高度社会保障、高い税金による勤労意欲の低下など、両国とも多くの社会問題を抱えています。ノルウェーイは昔から船乗りが活躍した国。世界を航海した船乗りのリタイアメント・ホームを訪ねました。 部屋の中の壁は数々のコレクションで飾られていて。私達が日本人だと分かると昔尋ねた横浜、神戸の名前を口にし、日本はとても良い国だったと眼を潤ませながら懐かしそうだったのが印象的でした。
2011.08.07
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バーゲン、二日目は一日中自由行動だったので、フニクラに乗ってバーゲンの港を一望できる、海抜320メーターのフロイエンの丘に登りました。帰りは途中下車して、丘に建ついろいろなデザインの家々を見ながらゆっくり下山。ここでもやはり、フィッシュ・マーケットがあり、あちらこちらの公園ではストリート・パーフォーマンスをやっていました。街の道端には何かをアピールするようなこのような像が。 とてもきれいな街で遠くの丘に建つ家などはまるで絵葉書のようです。街の真ん中には教会や広々とした公園があり。かわいい幼稚園の子供達とも出会い。ヘルシンキと違って、バーゲンではかなり方々で落書きがあったのが残念です。
2011.08.06
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バーゲンはノルウェーイの第二の大都市です。一年365日のうち275日位雨が降り、天候が予測できないほどすぐに変わると聞いていたが、我々の2日間の滞在中は幸運にも良い天候に恵まれた。場所的にはアラスカと同じ緯度だが、周りを流れる北方暖流のため、比較的温和な気候に恵まれている。 バーゲンは中世のハンザ同盟最盛期に北方基地として栄えた街で市は何度も火事の被害を受けたが今でも当時を偲ばせる建物の一部が残っている。街を歩いていてマクドナルドの看板が見えた。 なにしろ、魚料理が多かったので、ハンバーガーが無性に食べたくなった。一緒に行動していたグレッグ夫婦も同じ考えだったようで、店に飛び込みオーダーする。 こんな真剣な眼差しのグレッグを見たのは初めて。たかがハンバーガーだよ、リラックス、グレッグ。アメリカとほぼ同じで、味も似たハンバーガー、フレンチフライ、飲み物で一人分アメリカドル換算で19ドル。アメリカだと多分5,6ドルで食べられるハンバーガー。もちろん、今アメリカドルの値打ちが非常に低いことも影響しているが。ノルウェーイの物価高は聞いてはいたが、びっくり。ノルウェーイには法律で決められた最低賃金は無いが、大体一時間あたり20ドルだそうで、これを聞いてノルウェーイに移住すると誰かが言って大笑い。
2011.08.05
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6日間の短いクルーズも終わりを告げて、ノルウェーイ第二の都市バーゲンへ。クルーズ・シップの下船はたいへん合理的に計画されてはいるが、人間のエゴの強さが邪魔して、通常いつも混乱が避けられない。わずか700名の乗客だが荷物がグループに色分けされて、秩序良く計画されるが、それでも下りるのを急ぐ人が出口付近に集まり、通路をさえぎってスムーズな人の流れを止めてしまう恐れがある。前の日にツアーリーダーのリンダから説明会があった。我々の荷物には特別のタッグがつけられて船の従業員がバスに乗せてくれるので、手荷物だけ持って、特別室に待機し、到着後最優先で下船する手続きをリンダは船側とアレンジしてくれた。誰かから、「たいへんありがたい配慮なんだが、我々アメリカ人グループだけそのような特別扱いするから、他の乗客からアグリー・アメリカン(醜いアメリカ人)と批判されるのだよ」とのコメントがでた。クルーズ会社は毎年毎年、お客さんを送ってくれている我々を扱っているツアー会社に対する特別待遇なのだとリンダは説明した。降りる際はなるべくローキーで行くことに決めた。 テキサス・ボーイのハーロルド、この写真ではあまりローキーには見えませんが。 (苦笑)アメリカ人は世界中どこへ行っても、横柄だとの批判がありますが、このようなエピソードがあったので。
2011.08.04
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フィヨルドには幅の非常に広いものから、とても狭く、船がやっと通り抜けることができるものまで、いろいろあるようです。外洋と繋がっているので、もちろん潮の干満があります。波がほとんど無いフィヨルドの航海はとてもスムーズです。沿岸の町で見受け、こんなのが目に留まりました。ノルウェーイのお墓です。屋根が草で覆われた農家のストーレッジ。バイキングを形とった銅像。
2011.08.02
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旅行中、たくさんの楽しい仲間と一緒に時を過ごしたが、ジェイクとグレッグ兄弟とは特に仲良しになった。 グレッグ(左) ジェイク(右)二人は私よりもかなり年上だが、まるで悪戯小僧のようだ。1960年代、アメリカとソビエトが冷戦状態の真っ只中、オスロに3年間米軍の仕事で駐在していたジェイクに任務の話を聞いたら、横から兄のグレッグが真剣な顔で「classified(極秘だ)」一言。「かなり危険な任務だったのだね」と言えば、「あまり多くは語れない」 とジェイクも真剣な眼差しで言う。そして、自分のいた基地はその後完全に取り壊されて今では地図から抹消されていると言う。「詳しく言えないだろうが、もう世界情勢も変わったので少しぐらい話しても大丈夫だろう」と言うと、ジェイク曰く「U2スパイの話は聞いて知っているだろう」とにやりと笑う。兄のグレッグが横から「あまりこれ以上言うとCIAがうるさいから」と秘密ぶったことを言う。このような調子で彼等のスパイのふりにおかしさをこらえながら数日間付き合った。ある時はビタミン剤のカプセルを持ってきて、いかにも中に何か機密機器が仕組んであるように振舞う二人。グレッグが小さなペンチをいつも持ち歩いているので、何故と聞いたら、機器修理のためと言う。後で奥さんがこっそりと、バゲッジのジッパーが壊れて開けにくいので使うためだと笑って教えてくれた。グレッグ、ジェイク夫婦とツアーリダーのリンダアメリカのアイダホ州にモスコーというソビエトのモスコーと同じ名前の街がある。ジェイクがある時、オスロのバーでロシアの外交官と飲んでいて、生まれ故郷を聞かれたので、モスコーだと言ったら、詳しい住所を聞かれ、アイダホ州の通りの名前をいったらロシア人はそんな名前の道は聞いたことが無いなと怪訝な顔をしていた話には、お腹を抱えて笑った。旅行の最後の方で分かったのだが、ジェイクは元ドクター、グレッグは元パイロット。帰ってすぐに二人から、また一緒に旅行しようと言うメールと写真が来た。
2011.08.02
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クルーズは朝、昼はバッフェ・スタイルの食事、ディナーはコース・ディナーだが、正装の必要はありません。 ツアーリーダーのリンダが何回かに分けて北欧諸国の政治、経済、歴史、社会事情のスライドを使いながらのセミナーを行ってくれました。もちろん、参加は自由。帰国して彼女から早速帰りの飛行機はスムーズでしたかのメールが届いたので、彼女にお礼の返事を書いた。「いろいろな情報をセミナーで教えてもらえてありがとう。 時々、いやほとんど居眠りしていたけれどね」 と書いておいた。 変わったデザインの教会をいくつも見た。 魚のタラを干しています。町で見かけた自転車修理のお店の看板です。マンホールもその街によっておしゃれなデザインです。方々でかわいいピンクの花が咲いていました。
2011.08.01
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