2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全19件 (19件中 1-19件目)
1
もう2ヶ月ぶり位になるが、税理士が肉屋の店主モトキチのもとを訪れていた。「いよぉ、先生。久しぶりだねぇ」「調子はどうですか?」「うん、絶好調。中畑清もシャッポを脱ぐほど」古い人だなぁ。「で、僕に用ってなんですか?」「そろそろね、年末の特売しようかと思うんですよ。 それで相談にのってもらおうと思って・・・」「特売?それはひょっとしたら・・・」「いいっていいって。それ以上言わなくたって。 どうせあれでしょ?羅列って言いたいんでしょ?」「違うんですか?」「他に何がある?」とうとう開き直りやがった。「またあれやるんですか?評判悪いですよ、羅列」「羅列って言うなってば。と・く・ば・い。 人聞きの悪いことは言わないでくれよ」やっぱり少し後ろめたいらしい。「だってさ先生、今日はもうクリスマス・イブだよ。 もうすぐ『よいお年を』なんて言わなきゃいけないんだよ」「言えばいいじゃないですか、そんなの」「何言ってんのよ。うちの店のカレンダー見て御覧なさいよ。 今日、まだ11月30日やってんだから」「ちょっと待ってくださいよ。 この間のられ・・・失礼、開店セールやったのって10月の半ばですよ それで1ヶ月遅れってどういうことですか?」「どうもこうもあるかい、そんなの。2ヶ月分の1ヶ月って、5割じゃねえか。 ずいぶん出世したもんだよなぁ、俺って。前は3割だったんだから」「この際気がつかない振りして『よいお年を』って言ったらどうなんですか?」「バカにしないでくれよ。そんなの11月に言えるわけないだろ? 俺はこうみえてもね、そういうとこちゃんとしないと嫌なの」さすがはB型。普段ちゃんとしないくせに、どうでもいいようなことにはとことんこだわる。もちろん、悪い意味で。「・・・わかりました。じゃあ特売でも羅列でも好きにやってください。 でもね、これから一気に約30日分ですよ。出来るんですか? この間、ずいぶん苦労したのをお忘れですか?」そうだった。10月の羅列の時は、ずいぶん苦労したんだっけ。たかが羅列ごときでどんな苦労があったのか?それは、明日の日記で明らかになる。なぜ明日まで待たなきゃいけないのか?そんなの、特売品を1個でも減らさなきゃいけないからに決まっているのだ。
2002年11月30日
コメント(3)
さて、テレビ番組も特番が多くなってきてすっかり面白くなくなってきた。テレビが面白くないと「いやあ、正月だなぁ」という気分になってきますね。理想の正月の形、というのはいろいろあるだろうが、ここはやっぱり豪華に温泉旅行なんていうのがいいですね。湯船にゆっくりつかってると、天井からポタンと水滴が落ちてきたりしてね。で、隣の女風呂に声なんかかけちゃう。「おーい、そっちはどうだ?」「こっちは誰もいないわよ」「こっちも僕だけなんだ。 なあ、こっちへおいでよ」「イヤン。恥ずかしい」「恥ずかしがることなんてないさ。 いいじゃないか。おいでよ」「うーん、でもやっぱり恥ずかしい。 そっちに行っても、あんまり見ないでくれる?」「まったく照れ屋だなぁ」なんて掛け合いを一人で自分の家でやってると、ずいぶんバカみたいだ。今日そう思った。まあそれはともかく、旅行に行っての楽しみは食事にもある。こういう時何が嬉しいって、後片付けをしなくて済むことですね。お小皿だって、遠慮なしにもらっちゃう。水切りカゴの許容量を考えなくて済むのって、なかなか心踊るものがある。待て待て、せっかく旅行に来てるんだ。それも、想像上だ。つまらない現実なんか忘れてしまおう。お皿なんていくらでも汚してしまえばいい。それはともかく、やっぱり各地のおいしい料理を食べられるというのも旅の醍醐味の一つだ。せっかくだから、地元の料理屋なんていうのに行ってみるのもいいですね。で、その店の評判というものも一応聞いてみる。すると、「そのお店なら間違いないですよ。 若旦那が東京(大阪でも京都でもいいけど)のなにがしという名店で 5年修行して帰ってきたんですから」なんて言われたりしてね、安心して向かうわけです。で、そのお店でその土地のおいしい料理をいただいて、満足して帰ってくる。いいですねぇ、非の打ち所がない。完璧だ。と書きながら非の打ち所を探してたらありました。きっと誰かが突っ込んでくるので、先に書いちゃう。「若旦那が5年修行したところで、おいしい料理なんて出来るのか?」という点ですね。では、全国の若旦那に成り代わって僕がお答えしましょう。「料理は若旦那が作るわけじゃないから、それでいいのだ」論理としてはけっこう無茶苦茶だな、しかし。でもですね、本当にそうなんだから仕方ないのだ。腕のいい板前さんを雇えば、おいしい料理は出来ちゃうんだからねぇ。じゃあ若旦那は5年も何をしてきたのか?これがけっこうたいへんなんですね。そもそも、修行に行った先では料理なんかさせてもらえない。どんなに出世したところで、せいぜいワサビ立てとかお椀張りくらいしかさせてもらえないんだそうだ。ワサビ立てとは、文字通り料理の横にチョコンとワサビを立てるだけ。お椀張りとは、汁物をお椀によそうだけ。これでもいい方なんだそうである。じゃあそこまで出世しないとどうなるか?あとは庭掃除くらいしか残ってない。つまり、日本全国の若旦那は修行中に庭掃除やワサビ立てやお椀張りをとことんやってから帰ってくる。「なんだ、馬鹿馬鹿しい」という人もあるだろうが、ただ庭掃除だけを覚えて帰ってくるわけじゃない。もっと色々学んで戻ってくるのだ。というのも、だいたい板前さんというものは、けっこう裏で悪いことをしているんだそうですね。板前さんに聞いた話だから、おそらく本当だろう。例えば、まだ十分使える油を捨てちゃったりする。下手をすると、新品を惜しげもなく捨てちゃったりするんだそうだ。というのも、料理屋などから出る古い油は、豆腐屋さんが引き取って行って油揚げやらを作るのに使うんですね。で、この時の油の代金は板前さんの懐に入るというのが慣わしらしい。で、油の代金というのは、油の良し悪しでずいぶん変わるんだって。ふーん、考えたもんだなぁ。あと、マツタケとワイロの関係も教えてもらったんだけど、今日はもう書きません。そのうち書くかもしれないけど、何せ僕の言うことなので当てにはしないほうが、きっといいだろう。とにかくそういうモロモロをいろいろ勉強して若旦那は戻ってくる。で、ここまでは目をつぶろう、というような微妙な呼吸というやつを身につけているんですね。よく「労務管理には左翼上がりを使え。 サボる奴のことを一番知ってるから」なんて言いますよね?まあそれと似たようなものでしょう。僕も、営業なんてしている場合じゃないかもしれない。
2002年11月29日
コメント(12)
ある日の昼下がり(そういえば昼上がりって言葉はないな)、仕事で外回りをしていた若き営業マン・モトキチは突然気分が悪くなった。そうだ。病院へ行こう。別にJRの回し者ではない。あたりを見回すと、一軒の病院が目に入った。なんてラッキーなんだ。日ごろの行いだな、きっと。病院に入ると、そこには異様な光景があった。壁いっぱいに家紋が描かれている。待合室らしき部屋には、なぜか爆笑問題の田中がいた。「すみません」そう言うと、奥の部屋からダークなスーツを着てサングラスをかけた若い男が現れた。「へい。お待たせいたしやした」「あのぉ・・・ここ病院ですよね?」「へい。客人のおっしゃる通りでさぁ」なんだよ、ここは。「どうにも気分が悪くて・・・診ていただきたいのですが・・・」「わかりやした」と、男は奥に向かって大声で叫んだ。「親分!お願いします!」奥の部屋に入ると、どこからどう見てもその筋の人が椅子に座っていた。「お前さんかい?具合が悪いっていうのは」「はい。歩いていたら急に気分が・・・」「そいつはいけねぇ」と親分は、控えていた子分たちに叫ぶ。「手前ら!出入りだ!こいつのタマァ取っちゃるぜ!」「へい!」慌ただしくなる室内。不安に駆られたモトキチは、若い男に問いかけた。「ねぇ、出入りって何なんですか?」「手術のことをそう言うんですよ」「タマ取るって・・・」「患部を摘出することですね」「じゃあさっきみた爆笑問題の田中は?」「お忘れなさい。世の中には、カタギの人は知らない方がいいこともあるんですよ」「今回の出入りは負けらんねぇ。 おい!菅原のオジキを呼べ!」親分が叫ぶ。モトキチはもう言葉が出ない。ほんのちょっと具合が悪かっただけなのに、いきなり手術って言われちゃあねぇ。そもそも、病名を教えてもらってない。しばらくすると、文太と名乗る男が現れた。親分はその男に頭を下げた。「オジキ。かたじけねぇ。 どうしても力を借りたくて」 「おお、いいってことよ」「オジキ、最近はどうです?」「俺か?外は寒いが、家にいりゃあったかいからな。調子はいいぜ」「オジキのところ、あったかいんですかい?」「そりゃそうよ。朝日ソーラーじゃけん」これが言いたいだけだったんだな・・・「じゃあそろそろ始めようかい?」「おお。じゃあ景気よくいこうか」お願いだ。普通にやってくれ。「ドス」親分が若い衆に言う。この病院では、メスなんて生やさしいものは使わないのだ。やがて親分の手には、刃渡り30センチはあろうかという短刀が握られるのであった。そしてその後、若き営業マン・モトキチの姿を見たものは誰もいない。
2002年11月28日
コメント(8)
僕は普段、仕事中にカーラジオを聞いていることが多い。それもAM放送だ。FMってほとんど聞かない。聞いてるとイライラすることが多いですからね。もともと僕は心が狭い人間なので、FMチックなものって上手に受け入れることが出来ないのだ。だいたいDJの喋り方が気に入らない。みんなインチキ小林克也に思えて仕方がないのだ。CM入りの時や、曲紹介の時になんだかベラベラっと英語なんか喋りだしたりしてね。うるさいったらない。しまいには、日本語まで英語訛りになっちゃってやんの。あと、何でもかんでも英語で言いたがるのもカッコ悪いねぇ。文明開化じゃないんだからさ。「リクエストはこちらへ。アクセスナンバーは052・・・」なんてやってますね。 「電話番号」で、事は足りると思うんだが・・・中部地方にはZIP・FMというのがあって、この局ではやたらとリスナーを「ジッピー」と呼ぶのだ。おそらく「ジップを聞いている人」の意だろう。何がジッピーだか。やれやれ。まあそんなことはどうでもいい。さて、僕がいつも聞いている放送のCMに、愛知県薬剤師協会、という所のものがある。字で書くと普通だが、耳で聞くとちょっとおかしいんですね。僕にはこう聞こえるのだ。「愛知県ヤクザ医師協会」なんだかすごそうだ。竹内力と哀川翔なんか出てきそうですね。織田裕二と石黒賢なんてとても歯が立たなそうだ。というわけで久々に予告。明日の日記は「モトキチ刑事・ヤクザ医師編」どんな話か、すぐわかっちゃいそうですけどね。
2002年11月27日
コメント(8)
だんだん暮れも押し迫ってきた。気の早い人は、もう年賀状を書き始めているらしい。せっかちだなぁ。さて、年の瀬が近いということは、冬も本番を迎えているということだ。こう言い切ってしまうと南半球の人から抗議が来そうだが、どう考えてもこの日記を南半球在住の方々が読むとは思えないので(北半球でだって、ほとんど読まれていないのだ)このまま話をすすめてしまう。でも、冬について書くのかというと、そういうわけじゃない。じゃあ何だと言う人もあるだろうが、実は僕にもよくわかっていない。と言ってしまうと今度は北半球から抗議が殺到しそうなので、とりあえず冬の話を一つだけしてみることにしよう。「冬は、星がきれいに見える」はい、冬についてはこれでおしまい。待てよ、これだけで終わると各方面から「少しは考えて書いたらどうだ」とかなんとか言われちゃうかもしれない。できればもう少し冬の話をしてみたいものです。でも哀しいことに、ここで話は冬から星へと変わるのだ。さて、冬の星空は本当に美しいものだ。これには沢山の理由がある。が、字数制限もあることだし、ここでは割愛させていただく。だいたい、星の話なんてしたくはないのだ。でもとりあえず続けてみる。ここで最初に書いてしまうが、今日のテーマは「女性と激しい一夜を過ごすことについて」である。星の話なんかしている場合じゃない。星(恒星)の色は、温度によって違うことはよく知られていますね。まああくまでも、大気というフィルターを通してどう見えるか、ですけど。赤い星は温度が低く、白い星は高い。赤い星の代表、さそり座のアンタレスなんて、けっこう温度が低い星だということになる。きちんとした文を書く人であれば、ここで白い星の代表について書くだろう。ことによると、オレンジや黄色まで引っ張り出すかもしれない。多分お気づきでしょうが、僕はそういうことには触れないで続けます。我々のもっとも身近な星(恒星)と言えば、やっぱり太陽でしょうね。太陽がなければ、地球の様子はガラリと変わっていたでしょうから。まず、イソップの代表作が一つ減ってしまう。いわんや石原プロをや。さて、そんな事はともかくとして、太陽は他の恒星に比べると温度が低いことは確かだろう。我々が太陽の絵を描く時、たいてい太陽は赤色だ。が、世界的に見ると、太陽を赤く描く民族はあまりいないみたいなんですね。この間イギリスのクロスワードパズルを見たら、ヒントは「太陽の色」と書いてあって、マス目は6つだった。Y・E・L・L・O・W答は黄色。うーん、お国柄ですねぇ。黄色い太陽だってさ。僕が黄色い太陽と聞いて思い浮かぶのは、あのことしかない。つまり、荒淫の夜を過ごした翌朝、太陽が黄色く見えるっていうやつです。これはどうも、徹夜をすればよい、というものでもないらしい。徹夜マージャンの後にはこういう言葉は聞かないし、夜勤明けにもしっくりこない。アノ時だけ、である。もうこうなったら年賀状には黄色い太陽を描いてしまおう。初日の出、なんて添え書きしてね。そしてその年賀状を受け取った人が「おおっ、太陽が黄色いぞ。 モトキチ君もあれでけっこう凄いんだなぁ」なんて考えるだろうと思うと、お正月が楽しみで仕方ない。それより何より、ちゃんともう一度冬の話をすることが出来てとても嬉しい。
2002年11月26日
コメント(9)
羽田発のジャンボ機が、長い飛行を終えてロス・アンゼルス国際空港に着陸しようとしていた。「君、問題はないか?」モトキチ機長が尋ねる。「はい、キャプテン。障害は何もありません。 しかしロス上空は今、風雨が強いようです」と、副操縦士が返事をした。「うん。さっきからだいぶゆれてるもんな。 ところで、着陸は君がやってくれないか?」「えっ?僕がやるんですか?」「うん。君がやってくれると助かる。 僕、着陸どころじゃないんだよ」「どうかされましたか?」「酔っちゃった、僕」「へっ?酔ったって・・・」「うるさいな。いちいち細かいことを気にするなよ。 僕さぁ、昔から乗り物に弱いんだよねぇ」「わかりました・・・」副操縦士は悩んだ。昔から乗り物に弱いってどういうことだ?それで機長になんかなれるのか?だいたい、機長になるには3000時間の飛行が必要なのに、この人は本当にその条件をクリア出来たのか?副操縦士は知らなかったのだ。キャプテン・モトキチは確かに3000時間の飛行経験があるが、その飛行時間には、コウノトリによる飛行の2950時間が含まれているということを。
2002年11月25日
コメント(8)
去年の今頃、友人の結婚式に招待された。どうやら今も幸せなようで、なによりである。彼の名はヒデノリだ。これ、実名。僕とは中学からの付き合いで、中学・高校と同じ剣道部にいた。僕らは密かに、ヒデノリが結婚できるかどうか危惧していたので、決まった時にはたいそうホッとしたものである。なぜ僕らは心配していたのか?ヒデノリには大きな悩みがあったのだ。若きウェルテルもずいぶん悩んだようだが、若きヒデノリはハゲに悩んでいた。文学になるような人物とはずいぶん違うけど、本当のことだから仕方がない。僕の披露宴に出てもらった時なんて、大騒ぎだった。友人代表としてスピーチしたSげお君が「僕たちの恩師です」と紹介したら、ほとんどの人が信じちゃったくらいだ。後で式場の人が「申し訳ございません。 ヒデノリ様の肩書きを『新郎の友人』としてしまいました」と謝りに来たくらいだったのだ。まあそれはともかく、僕らは彼のことを事ある毎に「ハゲ」と呼んでいた。ずいぶんストレートな物の言いようだ。ある日、ヒデノリは静かに僕らに言った。「なあ、ハゲハゲって言うのやめてくれよ。差別だぜ」」そうか・・・人知れず傷ついていたんだね、ヒデノリ君。心優しい僕らは、ヒデノリに約束した。「よし、わかった。 もうお前のことをハゲなんて言わないよ」 ヒデノリ君はたいそう喜んでくれた。しかし、誰かが言い出した。「でもさ、ハゲの代わりに何て呼べばいいんだ?」本名で普通に呼ぶことは、思いつかなかったのか?僕らはしばし考えた。ハゲなんていうストレートな言葉じゃいけないんだ。僕に一つ名案が浮かんだ。これなら差別用語にはあたらないだろう。「毛髪の不自由な人」こう告げられたヒデノリはしばし考えた後、重い口を開いた。「今までどおり、ハゲって呼んでくれないか?」
2002年11月24日
コメント(10)
師走である。年賀状の時期でもある。ちゃんと季節に応じた日記が書けるようになってきた。1年もやっていると、このくらいのことはなんとか出来るようになった。今日は、夏の事なんか思い出さずに書き続けてしまいたいものだ。なお、今日の日記の内容は昔書いたことがある。だから全部読まなくたって一向に差し支えない。年賀状のデザインには、わりと凝るタイプだった。最近はどこに出しても恥ずかしくないようなやつだが、独身時代はそうじゃなかった。正月からずっと、翌年の年賀状について考えていたと言っても過言ではないほどだ。昔はワープロもパソコンもなかったので、一枚一枚手書きでたいへんだった。挙句に絵心というものがないので、文字だけで勝負していた。15の頃のことだ。いろいろ考えるのが面倒だったので(今でもだけど)「明けましておめでとうございましゅう」とだけ書いて、差出人の欄には「フグタタラオ」と書いておいた。翌年、波野イクラとかアナゴさんなどから年賀状をいただいた。波野イクラからの年賀状には「バブー!ハーイ!」と書いてあった。こういう友を持って、僕は幸せだ。まだ20代前半の頃だったと思うが、毛筆にチャレンジしたことがある。字の巧拙については、あまり気にしなかった。古き良き日本文化が香ればいいと思ったからね。例えば花札なんていい例ですね。赤タンに「あのよろし」とか「みよしの」なんて書いてあるけど、お世辞にもほめられたような字じゃない。でもそれぞれに、和の心があるように感じませんか?しかし残念ながら、あの花札の印刷の色づかいを見ると、どうも明治以降みたいだ。わりと新しい文化なんですね、きっと(よく知らないで言ってるけど)。まあとにかく、僕も和の心に触れたかった時期があるのだ。筆ペンを買ってきて、練習までしてしまったほどだ。このへんの努力が、どうしてほかの事に生かせなかったのかが悔やまれる。まあそれはいいとしよう。いいとしたくない方もいらっしゃるだろうが、今回は目をつぶってください。話が進まなくて困る。せっかく毛筆(筆ペンだけど)で書くのだから、それに似合うようなものにしたいと思った。が、これがなかなか難しい。その頃の僕は「エーゲ海の風をまとった少年」というキャッチフレーズだったのだ。和については、あまり詳しくなかった。そんな洋風少年が思いついたのは、おめでたそうな短歌を詠むことくらいだった。が、知ってる短歌なんてあまりないんですね。・千早振る 神代もきかぬ 竜田川 からくれないに 水くぐるとは (在原業平)・七重八重 花は咲けども 山吹の 花ぞ昔の 香に匂いける (太田道灌)・瀬を早み 岩にせかるる 滝川の 割れても末に 会わんとぞ思ふ (崇徳院)・風誘う 花よりもなお 我はまた 春の名残を いかにとやせん (浅野内匠頭)この4つしかない。上の3つは落語に出てくるから覚えてるだけだし、最後は辞世の句だ。どうにもおめでたくならない。だいいち、漢字が多くてたいへんそうだ。仕方がない。五七五七七だったら何でもいいことにしよう。そして採用されたのは、大橋巨泉翁の詠んだ一句だった。これ、毛筆で字を続けて書くと、けっこう雰囲気出ますよ。わりと評判はよかった。・みじかびの きゃぶりきとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ
2002年11月23日
コメント(9)
どうしたもこうしたもあるものか。僕は今、ショックに打ちひしがれている。原因は、先日の日記だ。今までさんざん、やれ二枚目だのモテモテだの言い散らかしたことを深く反省し、きっぱりと自分の非を認めてしまったのだ。潔い。そして、偉い。チャーミングで、愛くるしい。素敵だ(おしまいの2行は、気にしないでもらいたい)。が、さっきふと思い出した。自分の先見性の素晴らしさを。僕はすでに思いついていたのだ。過去の反省をしなくて済む方法を!というわけで8月24日・25日(←ここをクリックしても無駄ですよ)の日記を、もしも興味があれば、見てください。今までの僕は「~というような事を日記に書いた覚えがあるが」と書くだけで、具体的にいつ頃どんなタイトルで書いたか、なんて教えてあげませんでしたが、今日はヒマなので書いてみます(日付だけですけど)。次はどうだかわかりません。気が向けば書くし、向かなきゃ書かない。そういえば「犬が西向きゃ尾は東」って言うけど、横向いた場合はどうなるんだろう?身体は西向きだけど、顔だけ南向いてる犬だって世の中には多いはずだ。ビクターの犬なんて、尾は東かもしれないが、顔は西南西向いてるもんなぁ。そんなことはどうでもいい。とにかく、せっかく温存しておいた策を忘れていた自分が情けない。本当はもっと悔しがりたいのだが、今夜は7代目理事長選挙があるので、これで失礼します。
2002年11月22日
コメント(7)
昨日の日記で僕が明らかにしたことは2つだ。1、竹野内豊と反町隆史を足してみても、決してかっこよさが倍になる というわけじゃないということ。2、二枚目という言葉を安易に使うと、あとで自分が恥ずかしい思いを するということ。1についてこれは、ゴレンジャーの例えでわかっていただけたと思う。そもそも足して2で割るといったって、両方の悪いところを足す場合だってあるのだ。もし良いところを足したとしても、2で割らなきゃいけないのを間違えて、カナヅチで割っちゃう場合だってある。そして、それが僕だ。2について「竹野内君と反町君を足して2で割ったような顔」と言い切るだけなら「だけどかっこいいとは言ってません」と自己弁護をすることは出来た。「みなさんが勝手に誤解しただけです」ってね。が、特に異議を唱えられなかったのを追い風にして「僕は二枚目と言われる」ってうっかり書いたのがマズかった。けっこう自分でも「これは言い過ぎたな」と反省はしていたのだ。で、昨日「足して2で割る」の言い訳を書くついでに、「二枚目」の方も言い訳しとかなきゃと思った次第です。でも、困ったことにこれに関しては上手い言い訳がちっとも見つからなかった。こういう時、皆さんはどうしますか?「ないならば 作ってみせよう ホトトギス」これは、僕の心の俳句だ。えーとですね、昨日の日記に書いた「ニーマイメーとは、偽り・偽物という意味のオランダ語」っていうのはまるっきり嘘です。そんな言葉はありません。ちなみに、英語のプラスチックにはちゃんとこういう意味はあります。こっちは本当のこと。昨日の段階では「まさか誰も信じないだろう」とは思ったのですが、世の中何が起こるかわからない。昔、解りもしないクイズの答えを知ってるふりをして(あの人、まだ怒ってるかなぁ?)たいへんだったことをさっき思い出したので、こうしてあわてて白状することにしました。・・・まさか、信じた人っていないですよね?
2002年11月21日
コメント(9)
「天はニ物を与えず」という言葉がある。「両雄並び立たず」という言葉もある。つまり、良い物が二つくっついたところでその良さが倍になるわけではなく、かえって良くない結果になることが多い、ということを僕は言いたいのだ。子供の頃を思い出していただきたい。僕の子供の頃のヒーローはゴレンジャーだった。中でも人気を二分していたのは赤レンジャーと青レンジャー。黄レンジャーも人気がないわけではなかったが、それはヒーローとしての人気ではなかったので今回は気にしないことにする。だいたい、カレーライスとなぞなぞが好きなヒーローじゃ、敵に勝てそうにないしね。さて、ここで先ほどの理論を検証してみたい。赤レンジャーと青レンジャーがいくら強くてかっこいいとはいえ、二人を足していいものだろうか?答えは簡単。良くないに決まってるのだ。紫レンジャー。通称ムラ。強そうじゃないし、だいいち呼びにくくてかなわない。と、いろいろ回り道をしているが今日の日記のテーマはなんだろう?それはズバリ「モトキチは二枚目かどうか?」である。僕は常々自分のことを「竹野内豊と反町隆史を足して2で割ったような顔」と言ってきたが、それがかっこいい顔を指すのかどうかは、先ほどの紫レンジャーで明らかになったと思う。2で割ろうが3で割ろうが、失われた良さは戻っては来ないのだ。僕が正直者ということを証明するには、もうこれで十分であろう。さてもう一つ実証しなければならない。二枚目についてである。そういえば学生の頃、僕は相棒のY木沢君とよくお酒を飲んだりした。多人数で飲んでいると、Y木沢君の恋愛についての話がよく出たものだ。彼はよく「俺の恋愛は、プラスチックなんだよ」とプラトニックと引っかけて笑いを取っていた。僕も笑いました。が、他の人とはずいぶん違う。僕もY木沢君も、プラスチックという英語には「偽り・偽物」という意味があることを知っていたのだ。つまり、Y木沢君はあれでけっこう(って彼を知らない人にはわからないだろうが)正直者だったのだ。僕が自分のことを「二枚目」というのも、正直者ゆえである。さて、皆さんは杉田玄白と前野良沢が「解体新書」を書いたときの逸話をご存知だろうか?たいていの日本史の教科書に載っている話だ。彼らはオランダ語で書かれた医学書の翻訳に取り組んでいたわけだが「フルヘッヘンド」という言葉を訳せないで困っていた。で、いろんな例文を読んでいるうちに「フルヘッヘンド=うず高く」であることにたどり着くのである。「木の切り口がフルヘッヘンドする」とか「木の葉を集めた庭がフルヘッヘンドする」なんていう具合にね。この頃の長崎の貿易商人たちもわからない言葉があって困っていたらしい。「オランダ貿易と出島文化」という本で読んだのだが、オランダ商人が口にする「ニーマイメー」という言葉がどうしてもわからなかったということだ。「この品物はニーマイメーだ」とか「中国製のこれはニーマイメーだ」なんてオランダ人は言っていたらしいのだが、当時の日本人にはこれが理解できなかった。しかし、長いことやり取りしてると段々わかってくる。オランダ語の「ニーマイメー」は、英語の「プラスチック」であることが判明する。ここまで書けばもうおわかりですね。つまり、僕が常々書いてきたのは、日本語ではなくオランダ語であったということが。さっきまで長かった鼻が、やっと普通の長さに戻りました。
2002年11月20日
コメント(7)
年をとると、色々と変化してくることがある。僕の場合でいえば、床屋とお風呂がそうだ。まだ小さい頃(これが実に可愛らしかった)、お風呂に入るのが苦手だった。湯船にゆっくりつかるなんて、修行の一環かと思うほど苦痛だった。だいたいは父親と入っていたんだけど、こっちが早く出たがるので「10まで数えたら出ていいぞ」なんて言って、父親自ら数えだすのが常だった。「いーーーーち、にーーーーい、さーーーーん・・・」子供ごころに「ちょっと待てよ。いーーーーちって、長すぎるよ。 いち、に、さんってちゃんと数えてくれ」と思ったものだが、元来性格が素直に出来ているので(本当だ)、そういうことは口に出さずに大人しくつかっていたものだ。いたいけで愛くるしい少年と言わずして、何と言うべきだろうか。もちろん、「今でもそうだと思います」と言っていただいても、一向に差し支えない。もう一つ、床屋に行くのも苦手でしたね。別に床屋で嫌な目にあったことなんか無いんだけど、なぜか苦手だった。強引に連れて行かれるので仕方なかったのだが、とにかく早く散髪が終わることだけを祈っていた。多分この幼少期の名残りなのだろうが、今でも早く終わるにこしたことはないと思っている。ただ、床屋に行くこと自体は苦痛でも何でもなくなったけど。まあだいたいが芸のない髪型なのだ。しかし、今はちょっとたいへんなことになっている。先日丸刈りにしてしまった(今思い出しても腹が立つなぁ)余波が、まだ続いているのだ。丸刈りがそのまま伸びてくると、これはずいぶん見苦しくなってくる。自分で言うんだから間違いない。二枚目が台無しだ(反論はしていただいてもかまいませんが、どっちみち意に介さないのでするだけ無駄です)。僕の髪の毛は性格同様とても素直なので(ここも反論可です。でもやっぱり気にしません)、放っておくと上へ上へと伸びてくる。横のほうもまっすぐ伸びてくるので、タンポポの綿毛みたいになっちゃう。というわけで先日床屋に行った。「もういい加減髪を伸ばしたいので、前髪はこのままにしておいて欲しい。 横と後ろは短く刈っていただきたい」と頼んだ。丸刈りにする前までは、前髪がたいてい眉の下くらいまではあったのだが、今は額の真ん中くらいまでしかない。そういえば学生時代には床屋に行くお金がなかったので、伸びてきてしまってもなかなか切ることが出来ず、時代遅れのマッシュルーム・カットみたいだったという、ちょっと辛い過去がある。それが今はどうだ。マッシュルームは見る影も無い。なんと言っても綿毛ちゃんなのだ。まあとにかく、床屋のお兄ちゃんは綿毛と格闘を始めた。格闘はお兄ちゃんに軍配が上がった。と言っても別にかっこいい髪形にした訳ではない。ただ、横と後ろを短くしただけのことだ。綿毛はその短い生涯を閉じた。が、輪廻転生と言おうか因果応報と言おうか(怒りにまかせて丸刈りになんてするもんじゃない)、僕の人生においてもキーポイントになりそうなほどの髪形になってしまった。後年、僕の年表なんていうものが書かれるとしたら、この髪形については絶対に載せられてしまうような気がするほどだ。「2002.8 珍しく腹を立てて、丸刈りになる 2002.11 その修復を試みて失敗」なんてね。床屋に行った翌日、会社で言われた言葉。「おい、モトキチ。 お前、セサミ・ストリートに出てくる人形みたいな頭だな」 きっと年表には「綿毛・セサミ時代」なんて書かれるに違いない。
2002年11月19日
コメント(12)
賑わっていた町に静けさが戻った午前0時。闇の静寂を破る1本の電話が鳴り響いた。「もしもし!火事です!」司令室勤務のモトキチ(趣味:日記を書くこと)は慌てる電話の相手から的確に情報を聞き出し、火災現場付近の消防署に指令を送る。「○×町3丁目にて火災発生。 至急出動せよ(本当は火災の程度とかけが人の有無なんかも知らせるのだろうが、 今はそんなことを言われても困る。 どういう指令をするかなんて、僕が知るものか)!」瞬時にして出動態勢に入る消防士たち。とそこへ、司令室からの声が聞こえてきた。「諸君。本日は11月の第3木曜日である。 えー、わかる人にはもうわかっちゃったかもしれないけれど一応言っておく。 この消火活動は、ボージョレー・消防だ。 健闘を祈る」(作者あとがき)1週間ぶりに書いたのがこれだ。ひょっとすると「まったくこんなことばっかり書いて・・・ もう11月の4週目ですよ。 スランプですか?」なんていう感想があるかもしれぬ。しかし、ここは落ち着いてよく考えていただきたい。そもそもスランプとは、不調ということだ。好調の反対だもんね。僕はこのページを開設して以来、好調だったことなんて一度もない。だからスランプなんかじゃなくて、ずっとこういう調子なのである。バカにしてもらっちゃあ困ります。
2002年11月18日
コメント(8)
予報官モトキチは、仕事の手を休めてふと窓から空を見上げた。そして、少し驚いたような表情をする。同僚がその様子を見て問いかける。「おい、どうかしたか?」「ああ、あの雲を見てみろよ」そう言われて同僚が空を見ると、まるで夏の日のような雲が広がっていた。彼もちょっと驚いている。「おい、今11月だよな? なんでこんな雲がこの時期にあるんだ?」モトキチはカレンダーを見ながら答えた。「そうだよな。おかしいよな。 だって11月も半分以上過ぎてるぜ。 今日は・・・第3木曜だ・・・ 何か異常気象の前触れなのか?」彼らは言葉を失い、再び空を仰いだ。そこにはやはり、大きな大きな雲がモクモクと広がっているのだった。しばらくして、モトキチはふと気付いた。そうだ、あの雲はあれなのかもしれない。彼は同僚に言った。「なあ、ひょっとしたらあれは、ボージョレー・入道なんじゃないか?」
2002年11月17日
コメント(11)
僕は基本的に占いを信じない。全面的に、とは言わないけどあまり信じていない。これは別に占いを否定しているわけではない。そもそも占いなんて確率論のある一部分が発展していったものだから、おおよそは放っておいても当たるのだ。だからインチキだとも思わないし、話を聞けば「確かに当たってるな」と思うこともあるんだけれど、ただその程度のことだ。僕の本名はなかなかすごいもので、ちょっと姓名判断に詳しい人ならたいてい驚く。ものすごくひどい名前だ。ごく控え目に言って。控えないで言うと「将来的には犯罪者になる」ような名前だ。とある本にそう書いてあった。そりゃまあ確かに「恵まれた人生」だとは思わない。でも、何も悩みがない人間なんて、そうはいないものだ。たまにそういう人はいるだろうけど、よっぽど馬鹿なんだろう。僕個人のことを言えば、良い時も悪い時もいろいろあって、今に至っている。幸せか不幸せかはよくわからない。そんなの視点(生き方のスタンス)を変えれば、どっちにでも取れますからね。まあ本当にひどい事はこれから起こるのかもしれないけど、今までの暮らしの中で友達だって出来たし恋だって、ささやかな数だけど、してきた。それなりに楽しい思いもした。例え明日牢屋に入れられようが、とりあえずは今までの分と相殺すれば、それでチャラみたいな気がする。だから姓名判断で言われるほど不幸ではないと思っている。でも、日常のちょっとした運だめしのようなことはやったりするんですね。本当は運だめし、なんて大げさなものでもないけど。この運だめしは日曜の夕方行われる。「サザエさん」の来週の予告が舞台だ。方法はいたって簡単。1、来週の予告は、誰がするのか?2、じゃんけんに勝てるか?この二点だけだ。結果から言うと、来週の予告を誰が言うのかを予想するのはけっこう難しい。多分順番にやってるんだろうけど、直感だけで当てるのはたいへんなのだ。じゃんけんは3分の1の確率だから、これは本当に運だけですね。これも順番なのかな?まあどちらでもいい。33にもなって真剣に考えるようなことではない。という訳で、実は昨日もこの運だめしをやってみようと思ったのだが、あることに驚いてそれどころではなくなってしまった。「いったい何が起こったんだ?たかが来週の予告で」と思われたみなさん。正解は教えません。それは24日のサザエさんを見れば、おのずとわかることです。3本目の話に隠れているので、ご注目あれ。
2002年11月16日
コメント(9)
会話が苦手である。そもそも性格が暗く出来ている上に、言葉を知らない。さらにひどいことに、B型である。B型に生まれてよかったと思うことは、たった一つしかない。つまり、何か困ったことが起きたら「すみませんねぇ、B型なもんですから」とさえ言っておけば「ああそうだった。こいつ、B型だったんだ。 じゃあ何言っても無駄だ」ということになり、平和な日々が訪れやすいのだ。こういうのっていいですね。この先の人生の見通しが、ちょっと楽になるような気がする。「人生は長く曲がりくねった道だ」とポール・マッカートニーさんも言っておられる。なるべく障害は少ない方がよい。もっとも、こういうスタンスで生きていると、辛いことも多少はある。人間的にまず向上なんてしないし、世間的評価も低い。人の上に立つなんていうのも無理だし、出世もまず間違いなく出来ない。アナタがそういうものを望むのであれば、この手の人間と関わりあいになるのは避けた方がよいだろう。もし不幸にしてアナタがB型だったら、自分で考えなさい。そこまで面倒は見られません。だいたい人間なんて、百人いれば百通りの考え方があるのだ。僕が人生で望むのはそういった事柄ではないので、他人のことは解りかねる。まあ例えいいアドバイスがあったとしたところで、僕は最初に書いたとおりそれを上手に伝えることが出来ないタイプなのだ。そう、僕は自分が思ったことを人に伝えるのが下手くそだ。女の子を口説く時だって、失敗することがかなり多かった。若い頃の話だけど、女の子とドライブしたことがある。朝からわりと順調にデートをこなしたと思う。特筆すべき失敗は見当たらなかった。夕食も済ませ、ある場所に車を止めた。近くに灯りはなく、月明かりだけが僕らを包み込んでいた。ふと横を見ると、そこにはかわいい女の子がいる。明るいところで見るのとは雰囲気が違った。暗い車内だけど、彼女の顔には月のやわらかい光が差し込んでいたので、横顔がちょっと幻想的に見えたりして僕は戸惑ってしまったほどだ。その想いを伝えたかった。いつもの君で十分素敵なんだけど、なんだか今は特別なんだ。君の違う面を見ているようで、新しい発見をしたような気分だ。とにかく、君はとてもきれいだ。そう言いたかった。再び言う。僕はB型だ。言葉が思考に追いつかない。「えーと、こういう暗いところで見ると顔がよく見えないから、 君がとてもきれいだと思うよ」この先は言わずもがなである。資質向上も世間的評価も出世も、そして女の子も僕から遠ざかっていくのだ。
2002年11月15日
コメント(8)
本当に久しぶりなんだけど(多分、約1年ぶり)、今日あった事を書いてみようと思う。だいたい僕の日記は、冬に夏休みの思い出を書いたり、夏に年賀状のことを書いたりと、季節感に乏しかった。「書くようになっただけ、進歩している」と自分では思うが、他人の評価はすこぶる低い。でも初期の頃「今日で3日も続けて書いた。我ながらすごいと思う」なんて平気で書いたりしているくらいなので、いかに今の僕が優秀かがわかるだろう。さて、今日帰宅してテレビをつけると、どっちの料理ショーをやっていた。肉マン対カレーパンである。番組後半、それぞれの応援団と称して、お店の紹介がある。そしてカレーパン応援団の3軒目、どこかで見た景色がテレビに映し出された。ショーケースからみえる用賀中町通り、僕がよく腕を火傷するはめになった罐(カマ)・・・度々この日記に登場する、僕が学生時代に3年半バイトをしていたパン屋だった。ついにテレビで取り上げられるほどになったんだ・・・と、ちょっと嬉しい夜です。
2002年11月14日
コメント(9)
ジャンヌ・ダルクとフランス革命は関係ないけど気にしないでいただきたい。ほかにフランス人が思い浮かばなかったのだ。今日こそしっかりとフランス革命のことを書くのだ。決めたのだ。多分、大丈夫だと思う。さて、世の中の物事を大別すると、二つに分類される。大事なことと、大事ではないことだ。かなり乱暴な意見かもしれないけど、大まかに分けるとこれ以外の区分ってないような気がする。例えば僕にとって、夕飯のメニューなんてどうでもいいことの一つだ。作ってもらったものを、喜んで食べるだけのことだ。味付けとか栄養価なんていうものはあんまり気にしない。本来は気にするべきなのかもしれないけど、毎日同じおかずが出てこないだけでも、もうそれで食事については十分だという気がするのだ。じゃあ大事なことってなんだろうと思ってさっきから考えているのだが、さしあたって何も思い浮かばない。浮かばなければどうしようもない。だいたい、大事な事だって忘れてしまえばそれまでなのだ。というわけで、僕は33年にわたりいろいろ覚えてきた挙句、いろいろ忘れながら現在にいたっている。物事を一生懸命覚えようと思ったのは学生の頃だが、この頃に覚えたはずの大事なことって、今となると忘れていることが多い。でもそのわりに、どうでもいいようなことはちゃんと覚えているから不思議なものだ。高校生の頃、世界史の授業中に聞いたことで、今でも忘れられないことがいくつかある。中世ヨーロッパで、ギロチンという人が処刑道具であるギロチンを考案したが、その当人がよりによってギロチンで処刑された、という話である。それだけなら「へぇ。そういうこともあるんだ」で済まされるのだが、この手の話は結構あるのだ。名前は知らないけど、やはりヨーロッパで投石機(ペリエールって名前だったような気がする)を発明した人は、誤って発射された石に当たって死んだそうである。そして、お待たせのフランス革命がやっと登場する。ほんの少し触れる程度なんだけど、一応はフランス革命に関係あるんだから、これでいいのだ。フランス革命と言えば、何と言ってもバスチーユ監獄である。バスチーユ監獄は、パリの刑務官だったオーブリオなる人物が建てさせたものであるが、最初に投獄されたのはなんと彼である。罪状は忘れた。異端だったっけな?はい、フランス革命はもうおしまい。先を続ける。だいそれた発明や発見のあとには、思いもかけない災難が待ち受けていると10代にして悟った僕は、極力何も考えないようにして生きてきた。いろんな事に情熱的じゃないのは、これもひとえにギロチンさんのせいなのである。そういえば、これはずいぶんあとから知ったんだけど、ギロチンを発明したギロチン氏は医者で、処刑されたのとは別人だということだ。なんだか話が面白くなくなったけど、まあそれは仕方ない。最近の明るいニュースと言えば、日本人がノーベル賞を受賞したことでしょうね。あのノーベル賞が人名から来てるのはよく知られています。で、そもそもノーベル氏がなぜノーベル賞を創設についてはいろいろな説があるけれど、ダイナマイトの特許で大金持ちになった彼の頭の中に、投石機で死んだ人やギロチンさんやオーブリオさんのことがよぎったからという可能性もあるような気がしてならない。罪滅ぼしの要素が多いと睨んでるんだけどなぁ。
2002年11月13日
コメント(6)
もうかなり前のことだけれど、仕事で2度ばかり中国に行った。滞在期間はそれぞれ1ヶ月。ずいぶんとカルチャーショックもあった。中国と言うと皆さんはどこを思い浮かべるでしょう?北京・上海などでしょうか。が、僕が行ったのはそういう都市部ではない。香港の隣にある、シンセン(本当は漢字だけど、うまく表示されないからカタカナ。ちなみにシンは深で、センは土ヘンに川と書く)という経済特区をさらに奥へ進んだ町だ。中国で何があったかはまたそのうちに書こうと思う。なかなか強烈だったので、とても1日分や2日分で書けるものではない。とかなんとか言っているうちに、きっと書くのを忘れるだろうけど、まあそうなったらそうなった時で潔くあきらめていただきたい。とにかく中国へ行くのはなかなかたいへんなのだ。まず、飛行機で香港へ行く。そして電車に乗り九龍駅から中国との国境の羅湖駅へ行く。ビザやら何やらがあり、そのまま歩いて中国に入る。ここがシンセン市だ。で、ここからタクシーに小一時間揺られて目的地まで行ったのだ。しかし、僕が2度目に行った時はまず香港に降りるのがたいへんだった。今は変わっちゃったけど、昔の香港の空港は街の真ん中にあり、ビルの間を縫う様にして着陸したものである。日本で言うと、大阪空港があんな感じだったはずだ。その日はあいにく天気が悪く、窓側の席に座ってたのだけどあんまり景色は良くなかった。だから雲の間をくぐり抜けて行くと、突然ビルが見えたりしてなかなか楽しかった。が、楽しかったのはここまでだ。飛行機が着陸態勢に入り、高度をどんどん下げていくと、僕にも滑走路の状況がわかる。何気なく見ていると、とんでもないことに気づいた。窓の下に、運河(用水)が見えたのだ。確か最初に来た時は、滑走路よりずいぶん向こうにあったはずなのだ。なのになぜか、このときはすぐ横にある。「これ、ずれてるんじゃないの?」と思った瞬間である。キュイーンともグォーンとも何ともいえないような、とにかくすごい音を立てて飛行機は急上昇を始めた。客席は半分パニックである。おばちゃん達のものと思われる、けたたましい叫び声が機内に響いた。だいぶ上昇した後、飛行機は空港上空を旋回していた。そして再び着陸開始である。結果から言うと、我々は再びパニックに陥ることとなった。同じことをもう一度繰り返しやがったのだ、日航機の野郎は。高度を下げる→運河(用水)→キュイーンだかグォーンだか→おばちゃん達の悲鳴(更にパワーアップ)→急上昇→旋回。そしてこの間、一切のアナウンスはない。まあ3度目の正直で、なんとか着陸は出来た。まったくやれやれな話である。着陸後、飛行機がノロノロ走っている時「快適な空の旅が出来なくて申し訳なかった」というようなアナウンスが流れた。が、きっと喋っているスチュワーデスさん自身も「この馬鹿機長め!いい加減にしろ!」と思ってるんだろうなぁ、なんて思いながらも、まだまだ油断は出来ないぞとばかりにシートベルトは最後まで外さなかったのであった。
2002年11月12日
コメント(6)
全19件 (19件中 1-19件目)
1