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来月、結婚式の招待を受けた。学生時代のかわいい後輩からだ。彼は僕が3年の時に同じアパートに入ってきた。当時誰もが憧れた、六畳一間風呂なし共同トイレ、である。Y木沢君(久々に登場)が悪の道に引きずり込むのを、僕が必死に止めたものである。言ってみれば、僕は彼の恩人というところであろう。ただ、深谷まで出て行くのが面倒なので「なあ、結婚式は熱海くらいでやったらどう?」と電話したら「どうしてモトキチさんのためだけに、熱海まで行かなきゃいけないんですか?」とこきやがりやった。恩義を何と心得るのだ。だって深谷ですよ。たいへんじゃないか。深谷といえば、2年前まではNHKしか映らなかった所だ。付け加えるなら、深谷へ行くには関所だって通らなきゃいけない。もっとも岐阜だって、一昨年やっと電気が来たばかりなので、人のことは言えないけど。って、例によってタイトルと何の関係もない話が続いているので、少々不安な方もきっといらっしゃることだろう。でも心配は要らない。謎は最後に明かされるのだ。では本題に入ろう。10年近く前のことだが、友人の結婚式の2次会の幹事をしたことがある。この時はずいぶん熱心にやったものだ。「新婦側からも幹事を一人出してよ」というお願いを聞いてもらって、その子と2人でやったのだ。ビンゴ大会の景品を買いに行ったり、会場の下見と称して飲みに行ったりね。新婚旅行の下見と称して旅行に出かけたりホテルに泊まったりまでしたかどうかは、皆さんのご想像にお任せする。女の子がはずかしがるといけないので、ここではっきり書くわけにはいかないのだ。さて、その時僕は、案内状の担当をした。往復はがきを出して参加人数を確認し、会場の予約をしたりね。新郎新婦は共に銀行員だったので、おのずと出席者の多数を占めた。が、この時ちょっと驚くべき事が起きたのだ。僕宛に戻ってきたはがきの宛名に、数枚おかしなものがあったのだ。普通往復はがきの返信をするときは、返信面の宛名の下の「○○行」の「行」を消して「○○様」に直しますよね。こういうのはリクルート時代に覚えるし、社会に出てからだって何度もお目にかかる。特に営業職や事務職なら、無意識のうちにそのぐらい身体が勝手にやっちゃう。僕のところに戻ってきたはがきの中に、数枚「行」を消してないものがあった。まあ人間はうっかりする生き物だから、そのくらいの事で僕は文句を言わない。でも、「金融不安」という言葉が頭を少しよぎったのは言うまでもない。だってみんな25過ぎてるっていうのに・・・って、実はそんなことは大したことじゃないのだ。世の中は広い。もっとすごい事だっていくらでも起きる。はっきり言って、50枚のうち3枚もすごいやつがあった。どのくらいすごいかをこれから書くので、皆で驚いてください。この3名は、きちんと「行」を消すことが出来た人だった。まあここまではよしとしよう。でも、お楽しみはこれからだ。はがきの宛名欄には、どう書かれていたと思いますか?「モトキチ 御中」僕はただの男(気が小さくて嘘が苦手な)である。法人になった覚えはないし、これからだってなる気なんてないのだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さて、ここまで読んでタイトルの意味がわかった方はたいてい30代でしょうね。といって、意味がわからないからといって若いということにはならないので、そんなことでいちいち浮かれてみたりなんてことはしないように。
2003年01月31日
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昨日(の日付。いちいち言わなくてもわかるね)の日記を読めば、僕が巨人ファンだということは改めて書かなくたっておわかりだろう。改めて書け、といわれてもこっちだって困るけど。とにかく今日は、昨日(の日付。もういいってば)の日記の続きを書く。つもりだったけど、少し趣を変えてみる。中学・高校のころの話はまた今度にします。その話は早ければ来月(あくまでも日付の上で)早々、書くことになるでしょう。遅くなるとしたら、もう想像もつかない。さて、今シーズンの巨人は不調である。困りましたね。とはいえ僕は、巨人が負けるとご飯が美味しくない、なんていうタイプではない。巨人が負けた翌日は仕事中ずっと仏頂面をして周りを困らせる、ということもない。昔はこうじゃなかった。巨人が負けると、ゲンかつぎにデートする相手をいちいち替えたりして大変だったものである。今はそういうことはしなくなりました。「だったら巨人が負けたって、そんなに困んないじゃん」という人もいるだろう。いないかもしれない。まあどっちだっていいけど。しかし実際に、僕は困っているのだ。早く調子を取り戻してもらわねばならない理由があるのだ。ひょんなことから、今月の27日のナゴヤドームでの巨人戦のチケットが手に入ってしまった。であるならば、当然行かなければなるまい。いくら調子が悪いとはいえ、目の前で巨人が負けるのを見るのだけは勘弁願いたい。実を言うとそういう経験が数回あるけれど、そういう夜は非常に気分がすぐれないものだ。今度のナイターは、とある20代の女性と行くので、気分がすぐれないなんて事態になったら、こちらは何かと不都合なのだ。「なんかガッカリしちゃった。もう帰るね」なんて言われたら、誰が責任を取ってくれるというのだ。断じて負けることは許されない。だってその日は仕事を午後からサボる段取りだってつけたのだ。どんなに苦労しているか、岡島や河原に少しは理解していただきたい。打たれてる場合なんかじゃないよ、ほんとに。しかし、僕には祈らなければならないことがまだまだある。例えば、3塁側へのファールをカメラが追うと、僕はかなり困った立場に追いやられる。ほんの少しだけわがままを言わせてもらえば、巨人が勝つのはもちろんのこと、両チームの皆さんにちょっと努力していただいて、なるべく3塁側の内野席がテレビに映らなくても済むようなゲームをしていただきたい。プロなんだから、それくらい簡単なことのはずだ。再び言う。なにせこっちは仕事サボって行くのだ。そのくらいの気はつかってもらったって、ばちは当たらないと思う。
2003年01月30日
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さて、多摩川の橋の下で拾われた僕はその後を神奈川県で過ごすことになる。そしてこのことは、僕の人生に大きな影響を与えた。話は昭和50年に飛ぶ。いきなりだけど気にするな。当時はいろんなことに選択肢が少ない時代で、子供の娯楽って言ったら人生ゲームとエポック社の野球盤の2つしかなかった。大人で言えば、一人の旦那につき奥さんだって一人しか認められてなかった。不遇の時代である。まあそんなわけで、僕らは野球ばかりやっていた。となると、ヒーローだって野球界から現れる。当時の横浜市の子供たちを熱狂させたのは、東海大相模の原選手である。「原・津末・村中」この3人の名前にピンと来るのは、神奈川県民の特権ですね。開港記念日だけではないのだ。もっとも、この時代の高校野球には定岡もいたけれど、敵役なので端折る。今でもそうだけど、大学野球の人気はあんまり高くはなく、東海大時代の原君についてはあんまり知らない。日米大学野球にはずっと顔を出していたので、たまにニュースで見たくらい。ところが、小学5年生の秋に重大事件が起こる。ドラフト1位で指名され、巨人入りが決定するんですね。これは嬉しかった。というのも、その頃はもう岐阜県に引っ越してきていたので、周りにはバカな中日ファンしかいなかったのだ。ああ、はっきり書いちゃった。まあいいや。何故ここまで言い切るかというと、理由は簡単。僕が「原君が巨人に入れるといいなぁ」なんて言っていると「原って誰だよ?」と言う奴ばっかりだったからだ。だから岐阜なんて嫌だったんだよなぁ・・・見事に原君は1位で巨人に入り、2位は(僕の記憶が確かなら)駒田だった。二枚目と馬の取り合わせは、なかなかのものがある。そしてこの原君の入団を機に、僕のジャイアンツ・ファンとしての明るい人生が始まることとなるのだ。実を言うと、それまでもずっと巨人ファンだったけど、熱心ではなかったのだ。王さんのホームラン記録なんかは印象に残っているけれど、あんまりナイターを見ていた覚えってない。阪急に日本シリーズでしょっちゅう負けていたようなイメージだけがある。小学生の頃見てたテレビ番組なんて、けっこう覚えているのになぁ。しかし、6年生の春からの僕は違った。もう巨人一色である。中学にあがると、ついに巨人戦観戦デビューだって果たした。そのへんの経緯については・坊主頭の中学生編・青春18切符の高校生編でこの後明らかになるのだ。気が向けば。
2003年01月29日
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昨日はフランク・ロイド・ライトに申し訳ないことをした。今日こそはいろいろ捧げてしまいたい。さて、ライトといえば帝国ホテルだが、あくまでも現在のものではない。だけど、ライトが設計した旧帝国ホテルを見ることが出来る場所がある。愛知県の北の方にある(実を言うと北の方なんてもんじゃない。要は最北だ)犬山市というところの明治村がそれだ。ここは広大な敷地の博物館で、明治時代の建物がズラリと並んでいるのだ。なかなか良いところです、地元びいき抜きにして。明治時代のドラマのロケにもちょくちょく使われたりしますし。最近では「大きな古時計・ズーズー弁バージョン」のプロモーション・ビデオの撮影でも使われていた。確か平井堅のビデオでは、彼が古時計のある部屋のソファに腰掛けて歌う場面があったが、伊藤秀志の方は腰掛けた途端ソファが壊れる、というシーンになっていた。そんなのいちいち明治村まで行って録るなよな、と思わないでもない。そういえば今思い出したんだけど、チャゲ&飛鳥の「黄昏を待たずに」という曲のプロモーション・ビデオには、17歳の時の僕が映っている。いやぁ、なっつかしいなぁ(水谷豊風に)。まあとにかく、明治村に来ると旧帝国ホテルの玄関部分にお目にかかれるのだ。玄関部分と言っても、これがかなり大きい。馬鹿にしたもんじゃない。その他のライトの設計した建物についても知ることが出来るしね。ついでに言うと、その中の喫茶店でお茶を飲むことだってできる。明治村自体、はっきり言ってしまうとそんなに何度も行こうと思う場所でもないので(僕らは遠足で何度も行っているので、プライベートで行きたいとはあんまり思わない)、知り合いに会いたくないデートの時にはうってつけである。こういう場所は、やはり大人としては、いくつか持っておきたいものです。ライトさん、ありがとう(関係ないけど)。その他いろんな重要建築物がある。蒸気機関車だって走ってる。切符を買うと「やごな⇔うゃきうと」なんて書いてあったりして、実に明治チックだ。おもわずザンギリ頭にして、牛鍋を突付こうかという気にさえなる。というように、ここは明治時代に想いを馳せる場所であり、それと共に、当時の文化を知るための場所である。ところが、一つだけ趣の違う建造物があるんですね。これは昭和に起こった歴史的事実があまりにも重要なため、慌てて明治時代のものをここに保存することにしたという代物である。そしてその建造物とは「六郷川鉄橋」である。では、昭和に起こった歴史的事実とは何か?その前に六郷川(現・多摩川)鉄橋がどこに架かっているかを考えましょう。六郷とは多摩川べりにある地名で、東京都大田区の端っこだ。昔々、六郷から渡し舟に乗ると神奈川県の川崎に着いたのである。察しのいい皆さんなら、もうおわかりでしょう。ここで起こった昭和の重要な歴史的事実とは、今を去ること30数年前、僕がこの六郷橋の下で拾われた、ということに他ならないのである。時は1969年。「素敵な二枚目モトキチくん」という覚え方が一般的で1192年の「いい国作ろう」の次の次くらいには覚えやすく出来ている。慎み深い僕は明治村に頼んで、僕が拾われたことを記念して明治時代の鉄橋をここに移築したこと(事実だ)は伏せておいて欲しい、と頼んだのである。明治村を訪れる人が僕について知らないのには、こういう深い訳があるのだ。
2003年01月28日
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なんたって、名建築家である。ル・コルビュジェもアントニオ・ガウディもすごいけれど、日本人になじみがあると言えば、やっぱりライトが一番だろう。ライトと言えば、もう誰がなんと言ったって帝国ホテルだ。かくいう僕も、帝国ホテルには本当にお世話になった。僕が学生時代に貧乏だった(今もそうだけど)話はここで散々書いてきているので今さら説明の必要はないだろう。「私は最近ここの日記を読み出したので、そういうことは知りません。 だからもう一度ちゃんと説明しなさい」という人があるかもしれぬが、まあ落ち着きなさい。物には順序というものがあるのだ。よくよく考えると、本当に順序どおりにやりたいのならやっぱり学生時代のことをもう一度書くのが筋というものだろう。日本史だって世界史だって、時代の古いほうから学ぶのが基本だ。が、順序というものは、元来時々すっ飛ばされるものなのだ。それは泉重千代氏によって証明された。だから僕がちょっと順番をはしょったからって、責められるようなことじゃないだろう。そんなことはどうでもいい。帝国ホテルに話を戻そう。学生時代に僕は、たまに銀座でデートをしたものである。さっき書いたように貧乏だったので、ただブラブラすることが多かったんだけど。で、銀座に行く前によく寄ったのが日比谷公園だ。のんきに鳩にエサなんかあげてると、なかなか気分がよかったものだ。でもまあ、問題がまったくないわけじゃない。なかでも特に困ったのが、トイレである。日比谷公園は良い公園だと思うけれど、トイレについては合格点はあげられない。まあ、そんなのどこの公園だって似たようなもんだとは思うけどね。それでも何度か日比谷公園に通ううち(他にどこか思いつかないのか?)、いい方法を見つけました。答えは風に舞っている、とボブ・ディラン歌ったけれど、日比谷公園については何も教えてくれていない(当たり前ですね。でもスティービー・ワンダーなら井の頭恩賜公園について歌いだしそうな気がする。特に意味は無いけど)。それはともかくとして、僕が見つけた答えは風の中にはなく、帝国ホテルにあった。要は、あそこのトイレをよく借りた、ということです。「おい、結局そんなことだけ書いて終わるつもりか。 まったくいい加減しろよな」という声が聞こえてきそうなので、帝国ホテルに関する情報を一つ二つ書きます。今やどこででも見かけるバイキング・スタイルのレストランの「バイキング」って実は帝国ホテルのレストランが最初に言い出したということだ。確かカーク・ダグラスの「バイキング」っていう映画から採った、という説と沢山の料理の中から好きなものを選ぶスタイルの北欧料理のレストランを開店したのでその時に海賊の名にちなんで「インペリアル・バイキング」という名をつけた、という二つがあったはずだ。どちらにせよ、僕が生まれる前の話なので詳しくはわからない。それともう一つ。帝国ホテルのアメニティの使い捨て髭剃りは、貝印カミソリのものだ。これはあまりにもミクロな情報なので、誰かに話したところで「へぇ。そうなの」の一言で片付けられがちである。ちょっと無念だ。ちなみに我が家の包丁は貝印製の「関・孫六」だし、僕の使ってる髭剃りだって、ここが大事なとこだけど、貝印製なのだ。我が家が「帝国ホテル・別館」と名乗る日も、そう遠くはない。
2003年01月27日
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「すみません。ちょっとよろしいですか?」彼が振り向くと、そこに一人の年配の女性が立っていた。「は?何でしょう?」「実はわたくし(彼女は確かに『わたくし』と言った)、27歳の娘と一緒にここまで来てるんですが、差し支えなければこの先の日本平のサービスエリアまで乗せていっていただくわけにはいかないでしょうか?」彼は少し考えた。が、すぐに答えた。「日本平までですね。いいですよ。空気だけを乗せるのも、人を乗せるのもそんなに変わりはないですから。ちょっとトイレに行って、煙草を吸ってきます。10分後にここにいてください。」彼はそう言って歩き出した。歩きながらも考えていたが、犯罪に巻き込まれる可能性は少なそうだし、どうせ日本平のサービスエリアの横は通るのだ。遠回りをするわけでもないし、時間だってロスするわけじゃない。やっぱり約束どおり乗せていってあげよう。それに自分にも、いつか隣のサービスエリアまで誰かに乗せていってもらいたいような事情が出てくるかもしれない。先に誰かのために同じことをしておいたってバチは当たらないだろう、と思ったのだ。ただ、どうしたらそんな事情が出てくるのかについては、さっぱり見当がつかなかった。10分後に彼が車に戻ると、先ほどの女性とその娘が立っていた。特に身なりに不審な点は見当たらなかったが、かなりくたびれた洋服と、女性にしてはかなり黒く日に焼けた顔と、そして二人の表情にどっぷりと見える疲労感が少し気にかかった。「さあどうぞ。狭くて申し訳ないですけど」彼は二人を乗せると、本線へ向かった。日本平までなら、20分そこそこで着くはずだ。「本当にありがとうございます。」母親が彼に礼を言った。「いいえ、気にしないでください。そんなに大したことじゃないですから。それより、日本平まででいいんですか?僕ならもっと先まで行きますからかまいませんよ。」「日本平で本当に結構です。あそこの高速バスの出入口から、下へ降りなければならないので・・・」「そうですか。じゃあ、日本平まで行きますね。」いつしか雨がやみはじめていた。前方の西の空が、ほんの少し明るくなっているのがわかった。ふいに母親が娘に話しかけた。「まったく雨は嫌よねぇ。もう、あの音を聞いているだけで苦痛だわ。」娘はそれについては答えなかった。あるいは、うなづいていただけなのかもしれない。何となくルームミラーを見るのを遠慮していた彼には(自分達を気にしている、と思われるのが嫌だったのだ)、どちらなのかはわからなかった。彼は無言のままハンドルを握っていた。由比の海岸沿いを通る頃には、雨上がりの西日が眩しくて、サンバイザーを下ろした。「雨がやみましたね。本当に良かった。」ふいに母親が彼に語りかけた。「そうですね。このまま晴れてくれるとありがたいんですけどね。」「ええ、本当に。それより、娘が居眠りなんかしちゃってごめんなさいね。」彼がちょっと後ろを向くと、確かに助手席側に座った娘は下を向いて眠っているようだった。「気にしないでください。でもせっかく眠っているのに残念ですけど、もうちょっとで着いてしまいますよ。」「本当にごめんなさいね。今日は朝から山梨の親戚のところへ行ったりして疲れちゃったみたいで・・・まだこれから行くところがあるっていうのに・・・」何だかこのヒッチハイクについての事情が絡んでそうだったので、彼は口を挟んだ。どう考えたって楽しい事情であるわけはなさそうだし、それに逆の立場だったら絶対に嫌な事情なんて話したくないだろうから。「出来れば目的地まで送って差し上げたいのですが、僕も8時に人と会う約束があるものですから。」「いいえ。本当に乗せていただいただけで十分ありがたいと思ってます。でも、人間眠れないというのは辛いものですね。娘もね、ご飯が食べられないのは我慢できるけど眠れないのは本当に辛いって言うんですよ。今日もね、2・3時間しか寝てないものですからね、安心したのかこんなに眠り込んで・・・」確かに、車が動き出してからまだ10分と経っていないのに、彼女は本当にぐっすりと寝ているようだった。見ず知らずの他人の車でこんなにすぐに寝てしまうなんて、本当に疲れているのだろうと彼は思った。駐車場で受けた印象は、どうやら正解のようだった。その後は、大した会話はなかった。やがて車は、日本平のサービスエリアに着いた。「あの、ここに高速バスの停留所があるはずですので、そこで降ろしていただけませんか?」「わかりました。」彼は停留所に車を止めた。母親が娘を揺り動かし、目を覚まさせた。「着いたわよ。この荷物を持って、早く降りなさい。」娘は荷物を持って、先に歩き出した。「こんなにお世話になっておいて、こんなことを言うのもまったくお恥ずかしいのですけど、もしも使いかけのテレホンカードをお持ちでしたら、いただくわけにはいかないでしょうか?」最近はテレホンカードは使ってない、と彼は答えた。「そうですよね。最近は皆携帯電話を持ってますものね。すみません、図々しいことばかり言って。」そしてしばらく言いよどんだ後、彼女は意を決したようにこう言った。「図々しいついでにもう一つお願いしてしまいますが、実は風邪をひいている娘に薬を買ってあげたいのです。できれば2・3千円お貸し願いませんか?」彼は考えた。貸すって言ったって、多分この母娘と会うことはもうないだろう。要はあげるか、あげないかだ。彼は自分の財布の中身のことを思い出していた。突然の出発だったので、彼の財布には2万円しか入っていなかった。最初にガソリンを満タンにするのに4千円使った。行きの高速料金が約6千円だった。ということは、まだ1万円残っている。帰りの6千円を引いても、まだ4千円残るはずだ。そして、4千円をもしあげたとしても、明日から自分が飲まず食わずになってしまうわけではない。ほんの少しコーヒーと煙草を我慢すれば、すぐに月末になり給料が入るのだ。しかし、彼はこう答えていた。「すみません。僕も今日のこの出張は昼過ぎに急に決まったので、ギリギリしか持ち合わせがないんです。小銭を集めれば、少しくらいなら何とかなるでしょうけど・・・」彼はそう言うと小銭入れを取り出した。そして、500円玉と100円玉を引っ張り出すと、母親に差し出した。「すみません。1000円にしかならなくって・・・」「いいえ、とんでもありません。これなら娘におにぎりくらい買ってやれますので・・・」「じゃあ、この後もどうぞお気を付けて」彼はそれだけ言い残すと、車を静かに発進させた。ミラーはまったく見なかった。おそらくは頭を下げているであろう、その母親の姿を見たくなかったのだ。彼はその後、自分のとった行動を考え続けていた。あの二人は本当に困っていた。そして、とても疲れ果てていた。彼は4千円を与えることが出来た。そして、与えたところで特に困ることはなかった。でも、彼はそうしなかった。実のところ、最初からこうなるような気がしていたのだ。だから事情は聞きたくなかったのだ。聞いていたら、おそらく有り金をすべて手渡していただろう。彼は自分の矮小さについて考えた。困っている人に手を差し伸べられない自分が嫌だった。でも、と彼は思う。少なくとも僕は、車に乗せてあげたじゃないかと。そもそも、それしか頼まれていないじゃないかと。最低限の必要十分は、それで満たしたんじゃないかと思ってみた。結局答えが出ないまま、彼は帰り道を走り続けた。あんなに楽しみにしていた日本坂トンネルの3車線のことは、何も覚えていない。多分いつものように、必要以上に追い越し車線を走ることなく通り抜けてきたのだろう。いつしか、雨がまた降り始めていた。彼はワイパーのスイッチを入れる。と、彼は思い当たった。あの母娘は、ひょっとしたら野宿を重ねているんじゃないだろうかと。であるならば、雨をあんなに気にした理由も説明がつく。かなりくたびれた洋服も、ひどく日に焼けた顔も、なにもかもそれで納得がいく。雨は段々ひどく降るようになってきた。彼の頭の中に、雨の中の暗い道をトボトボと身を寄せ合って歩く母娘のイメージがいつまでも残った。そしてそれは、いくらワイパーを動かしても決して消えることはなかった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これで話は終わりです。僕には彼の行動が正しいのか正しくないのか、さっぱりわかりません。そして彼にも、まったくわからないでいるのです。彼は日本平まで車に乗せて行ってあげた。そして、1000円を貸してあげた(返ってくることはないにしても)。でも、彼にはそれ以上のことが出来た。でもしなかった。だけど、少なくとも富士川サービスエリアよりは目的地に近づいた。おにぎりだって、きっと買えただろう。たとえ4000円あったとしたって、どこかの旅館に二人で泊まれるとは思えない。彼は考える。もしもこういうことがもう一度あったとしたら、いったいどうすればいいのかと。あくまでも善意でしかないのだから、見返りなんてはなから期待しているわけじゃない。それを吹聴して、誰かに褒められたい訳でもない。第三者的に言ってしまうのなら「そこまでしてあげれば、それで充分なんじゃないの?その二人が抱えている問題を解決してあげられる訳じゃないし、家に連れてきて泊まらせるわけにだっていかないだろ?」と割り切れるかもしれない。ただ、あの二人を実際に見ている身としては、そう簡単に割り切れるものじゃないと彼は言う。僕には、その気持ちがよくわかる。なぜなら、この話は僕の身に起きた話なのだから。僕は冷静になってみようと、自分を3人称に置き換えて書いてみた。それで少しは割り切った気持ちになれて、気分が落ち着くかもしれないと思ったからだ。でも、実際には何も変わりはしなかった。実を言うと、この日記も途中で書くのをやめたほうがいいんじゃないかと何度も思った。こんな日記を書くと、誰かに慰めて欲しいみたいに思われるのが嫌だったからだ。でも、結局は書き上げて、皆さんの目に触れることとなる。いろんな意見をいただくことにだってなるだろう。ただわかっていただきたいのは、僕は自分の行動について褒められたい訳でもけなされたい訳でもないということだ。僕は単純に、もしもこの次にこういう状況になった時に今度こそ自分で自信の持てる、そして自分なりに納得が出来ることをしたいだけなのだ。誰かの役に立つことくらい、ためらわずに出来るくらいの人間性を持ち合わせてみたいだけなのだ。
2003年01月26日
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その日彼は忙しかった。急な用事で、富士市まで行かなくてはならなかったのだ。用事そのものはすぐに済むし、誰が行ってもよさそうな仕事だった。別に彼が行かなくても良かったのだが、それでも少し迷った末、彼は自分が行くことにした。理由があるとすれば、トンネルくらいのものだった。というのも、彼は数年前までよく東名高速を走って大井松田まで行っていたのだ。その頃、日本坂トンネルは拡張工事中だった。下りに3車線の新しいトンネルを作り、古い2車線の下りのトンネルは、上り車線に変更され4車線になる予定だった。彼は、新しく生まれ変わる上り車線右ルートを走ってみたかったのだ。そして帰りには、新しい下り車線だって走ることが出来る。彼はこの辺りを東京方面に走るのが好きだった。特にサッタ(サッは薩、タは土扁に垂という字だ)トンネルを抜け、由比の海岸に出た瞬間に目に飛び込んでくる富士山を見ると、素直に感動する。実際、彼は富士山が好きだ。彼は自分が幼い頃住んでいた、横浜市戸塚区の小高い岡の上の団地の駐車場から見えた富士山のことを良く覚えている。そこには生まれてから3年しか住んでいなかったので、ほとんどその頃の記憶はないのだけれど、富士山が見えたことは30を過ぎた今でも思い出すことが出来る。学生時代を過ごした世田谷でも、運が良ければ富士山を見ることが出来た。駒沢通りを西へ走り、日本体育大学を過ぎてもうすぐアミューズスタジオという辺りで、道はちょっと下り坂になる。視界が下にひらけた時、ほんとうにごくまれなことだけど、富士山は目の前に小さく現れてくれた。そして今、久しぶりに東名を走った彼はちょっとがっかりしていた。ここ数日天気が悪く、この日は雨のドライブ(そんな気楽なものではなかったけど)になってしまっていたので、富士山は望むべくもなかった。それでも、念願の日本坂トンネル上り右ルートを走り、興津トンネル・さったトンネルをくぐって、懐かしの由比の海岸沿いを走ると気分は少し晴れた。無事に富士インターを降り、富士市内を少しだけ走って無事に用事を済ませた。とにかく、びっくりするほど簡単な用事だった。目指した場所は先月、旧ヤオハンビルの解体工事中に崩落事故があった場所から数十メートルというところであった。彼はほんの一月前に起こった事故を思い、少し胸を痛めた。そして彼は岐路についた。もう一度来た道を戻り、富士インターから東名高速の下り車線に入る。このまま走れば、やがて日本坂トンネルを抜けることになる。雨がやんで、西の空が少し明るくなっていた。相変わらず厚い雲が残っていたので富士山は見えないだろうが、どっちみち晴天の時だって、ここからはバックミラー越しに少し見えるだけだ。そう思うと、ちょっと気が楽になったように感じた。彼は、富士川のサービスエリアに寄ることにした。というのも、用事そのものは大したものじゃなかったけど、けっこう時間には追われていたのだ。出発してから目的地到着までの3時間、彼はノンストップで高速を走った。どこのサービスエリアにも寄らなかった。とにかく1分でも早く着くことだけを考え、雨の中をほとんど120キロ以上をキープして走ってきたのだ。運転免許の残りの点数があまり多くない彼としては(駐車違反でよく捕まっていたのだ)、走っている間の意識のほとんどはバックミラーに集中し、覆面パトカーがいないことだけを願っていたのだった。彼は普段、そういう走り方はしない。必要以上に追い越し車線を走ることはないし、そもそもこれ見よがしに速く走っていく車を見ると、ちょっと憐れみすら覚えるほどだった。車なんて、アクセルさえ踏めばスピードが出るように作られているのだ。そんなの、どんなバカだってしようと思えば出来るのだ。たまに「高速では、1台も抜かれたくない」なんて言う人がいるけれど、彼にはその感覚が理解できなかった。はっきり言って、所詮アクセルを強く踏んでいるだけのことじゃないか。それで人より速いスピードで走ったからといって、だからなんだと言うんだ?彼は環境問題の立場から排気ガスのことを憂慮しているのでもなく、遵法精神に溢れているわけでもない。ただ単に、スピードを出して走っているドライバーがバカに思えて仕方がないし、自分がバカに見えるようなことはしたくないだけのことである。レーシングドライバーはいかにも車を走らせているという感じがするが、スポーツカーが公道を高速で走っているのは、それは車が速く走っているだけのことであって、運転手は単に乗っているにすぎないのだ。何度も言うようだけれど、車なんて、アクセルさえ踏めばスピードはあがるんだよ。その気にさえなれば、犬だって出来るんだよ。もっとも、犬は賢いのでそういうことはしないけれど。まあとにかく、彼は往きにそういう走り方をしたので、帰りは普通に走りたかった。それに喉も渇いていたし、トイレにだって行きたかった。そこで彼は、高速に入ってすぐの富士川サービスエリアに寄ることにしたのだ。彼は本線を外れてサービスエリアに入り、駐車場に車を止めた。車を降り、ドアにロックをかけようとした時のことである。一人の年配の女性が、彼に声をかけた。「すみません。ちょっとよろしいですか?」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さて、本題はここからです。この時起こったちょっとした出来事が、今でも彼の胸の中を支配している。後悔しているような、でも他にとるべき道は見当たらないような・・・僕は彼から話を聞いて、なんと答えて良いのか見当がつきませんでした。。そこで思い切ってここに書いてしまうことにしました。続き(そしてこの話の本題)はこの後書くつもりです。皆さんにはそれを読んだ後に意見をいただければありがたいのだけれど、今日のこの日記にはどう考えたって感想の書き様がないでしょうから、読みっぱなしで放っておいてくれて一向にかまいません。
2003年01月25日
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さて、唐突に続きは始まる。「まったく色気も何にもないなぁ」と思われる方もいるだろうが、そんなことは気にしないでください。だいたい、色気があるというのは困ったことなのである。僕は若い頃ずいぶん「何もしないから、ねっ」なんて言われてホテルに連れ込まれたりしてしまった。ところがそう言って連れ込む女の子が何もしないなんてことはまずなく、あんなことやこんなことをされたりして、本当にたいへんだった。世が世なら、セクハラで訴えてしまいたいほどだった。まったく何度枕を口惜し涙で濡らした事か。いい加減にエンガチョのことを書こう。危なく忘れてしまうところだった。子供の思考回路なんてとても単純に出来ているので(今でもそうだけど)、横浜と名古屋では違うテレビ局が放送をしているなんてことも知らなかった。テレビのチャンネルで言えば、1・3・4・6・8・10・12というのは全国どこででも共通だと思っていた。引っ越してきてまず驚いたのがこれですね。当然、CMが違うということもよくわからないでいた。横浜で暮らしていた幼い時は、やっぱりお味噌ならハナマルキだし、ナボナはおかしのホームラン王だし、週刊新潮は明日発売されると相場が決まっていた。あれは転校早々のことである。きっかけはまったく覚えていないけど、僕はテレビでやっていたように「お味噌なっらぁハーナマールキ、おかあーさーん!」と鋭く雄叫びをあげてみた。ところがである。中部地方ではこんなCMはやってなかったんですね。僕は「なんだかよくわからないが、もう小学生なのに『おかあーさーん』なんて叫ぶ、とにかく乳離れはしていないらしい子」という印象をクラスメートに持たれてしまった。まったくやりきれないったらなかったのだ。後は言わずもがなだ。ナボナでも週刊新潮でも、とにかく決め台詞が一つも決まらなくて難儀したものである。そして、この手の地方色の違いの中で最たるものが「エンガチョ」だったのだ。あれは遠足の時のことだった。我々一行は名古屋へ向かい、名古屋城でお弁当を食べることになっていた。お城の近くの、芝生の広場が休憩場所となっていた。いよいよ広場へ到着し、それぞれのグループに分かれて車座に座ろうとした時のことである。同級生のW辺君が「あっ、犬のフンだ!」と大きな声で叫んだかと思うと、何のためらいもなくそれを踏んづけてみせた。W辺君のすぐ後ろを歩いていた僕は反射的に「うわっ、きたねぇ。エーンガチョ!」と言ってそれぞれの中指を人差し指の上に重ねて、両手を耳の辺りまで上げてみせた。幼い頃なら後から後から「うわっ、エンガチョ!」という声が聞こえてくるのが常だった。なのにどういう訳か、この日は僕の後に続くものは誰もいない。どうやら岐阜ではこういう時は「エンガチョ」とは言わない、とその時初めて知ったのだった。何やら自分たちと違う言葉を喋り、違うポーズをとる男の子。周りの同級生はそう感じたのだろう。犬のフンを故意に踏んづけたW辺君よりも、もっと珍しい物を見るような視線が痛かった。「エンガチョ」が通じないために「エンガチョ」されちゃった過去を持つ僕としては、あのシーンがアメリカ人に通じたのかどうかが気になって仕方ない
2003年01月24日
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さて、どうでもいいことと言えばそれまでだが、タイトルに嘘はない。とはいえここに戸籍抄本を貼り出すわけにもいかないので(別にやろうと思えば出来るんだけど、そうしてみたところで何かいいことがあるとも思えないし)そういうことはしないでおく。最近は仕事中にお客さんと話す時なんか極力こっちの言葉を使うようにしているし(その方がうまくコミュニケートできることに気付いたので)その甲斐があって僕の名古屋弁だってかなりのレベルになった。このまま上達していけば、赤味噌だってエビフライだって美味しいと思うかもしれない。しかし、これだけ上達してもDNAとは恐ろしいもので「あっ、やっぱり僕はハマッ子だったんだ」と気付く時がある。先日久しぶりにハッとしたのは、例のアカデミー賞の発表の時のことである。と、ここまでを読んだ皆さんは何の疑問もなく読み続けているかもしれませんね。しかし気弱な僕としては、アカデミー賞の発表とこの日記の日付にはあまりにも大きな隔たりがあることが気にかかって仕方ない。できればその辺のことは忘れて読んでいただきたい。百歩譲って、ちょっとくらい気になるのは仕方ないにしても、それをいちいち掲示板に書いたりしてはいけないと思うし、そういうのはどう考えても大人気ない態度ではなかろうか?という気がする。試しに皆さんもやってみるとよくわかります。日付と内容の辻褄が合わない日記を書いてみてください。いちいちそういうことを掲示板に書き込むのは、きっと僕くらいのものだ。ほら、あいつと一緒にされるくらいなら絶対するもんかって思うでしょ?さて、一ヶ月日記をサボっても、なかなか本題に入らない癖はそんなに簡単に治るものじゃないということにもたった今気付きました。まったく色々忙しいねぇ。日記を書くのもなかなか骨が折れるものである。やっぱり明日からもサボるほうがよさそうだ。で、やっとアカデミー賞である。皆さんご存知の通り「千と千尋の神隠し」が長編アニメーション部門の受賞を果たしましたね。すごいことである。多分発表された頃には、楽天でも話題にした方が多かったんじゃないかと思う。が、僕はサボってたから知りません。この映画はかなりの人が見たはずである。それぞれにいろんな感じ方があり、いろんな思いがあっただろう。もちろん作り手だって、いろんなメッセージを込めたに違いない。でも、まったく申し訳ないのだが、僕が引き込まれた部分はわりと瑣末な部分のとある一ヶ所だけであった。あの映画を見た人は、千がハクの身体からハンコと共に出てきた小さな虫を踏み潰す場面を覚えているだろうか?虫を踏み潰した千に向かって、釜爺が叫ぶ場面がある。「千!エンガチョ!」それを聞いた千が両方の親指と人差し指で円を作り、釜爺がそれを切ったシーンを皆さんは覚えていらっしゃいますか?僕はよーく覚えている。あのシーンを見た瞬間、僕は突然タイムスリップして小学2年生になってしまった。脳裏にまざまざと甦る、幼いある日の教室での風景。「あっ、僕はハマッ子であって岐阜には多分一生なじむことなんてないだろう」と強いショックとともに感じたあの日。本当はこの先が大事なところなんだけど、続きはまた今度書くことにする。もったいぶるとかそういうことはないんだけど、1ヶ月ぶりに文章を書いていたらまったく情けない話だけど、とても疲れたのだ。このへんの堪え性のなさについては、いくらコメントしていただいても一向にかまわない。あんまり疲れたから、反論する余裕だってなくなっちゃいました。
2003年01月23日
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もうここ何年も前から、ガーデニング・ブームだそうだ。ただ唯一難点なのは、ガーデニングの定義が広過ぎることでしょうね。僕には庭いじりとの違いがよくわからない。「ガーデン」って言うくらいだから庭がなきゃいけないかと思ったらそうでもないらしい。ベランダ・ガーデンなんていうのもあるらしい。ということは、観葉植物も仲間に入っちゃうんだろうか?台所に転がってる使い忘れた野菜から芽が出てても「私はガーデニングが趣味なんだからいいの!」なんていうのも正論としてまかり通る日もきっと近い。イングリッシュガーデニングは最近のブームだけど、もちろん日本にもガーデナーはいたし、現在だって活躍していらっしゃる。我々はその高貴なお姿を「天才バカボン」で目にすることが出来る。これを幸せと言わずして何と言う?日本で一番古いガーデナーが誰かなんてことは知らないけど、少なくとも600年前に京都辺りにいたことだけはわかる。有名なところでは慈照寺銀閣や枯山水の竜安寺石庭でしょうね。東山文化華やかなりし頃、だから確か600年前でいいはずだ。さて、この600年に渡る日本式ガーデニングを担うガーデナーの腕前といったらすごい。僕がすごいと思うのは、その構図でもわび・さびでもなんでもない。それもすごいけど、他の事にもっと感心してしまう。我々が現在目にする東山文化の名残は(お庭のことね)、実際に足利将軍が目にしたものとほとんど同じであるらしい。「まあそりゃそうだろう。戦争で破壊されたんじゃないし、誰かが作り直してもないし」と思ったアナタ。僕だってこの前まではそう思っていた。アナタは何も悪くない。しかし、よーく考えてみて下さいね。足利君が見たのは、今から600年も前なんですよ。ということは、そこにある樹木だって600年分年をとったということだ。今アナタの家の庭(この際植木鉢でも何でもいいけど)にヒョイっと幼木を植えたとしましょう。で、子供部屋の引き出しからタイム・マシーンに乗って600年後に行くのです。そこでアナタは何を見ることが出来ますか?そこには、順調に育ってしまった樹齢600年の大きな木がドーンとそびえているはずでしょう(やっぱり植木鉢はダメだったな)。つまり、600年後の人と我々は同じ景色を見ることは出来ない、ということです。しかし実際には、我々は足利君と同じものを見ている。これはどうしたことか?これが日本のガーデナーの腕前らしいんですね。彼らは木を太くならないように育てることが出来るということだ。これはすごいですね。当然(と言っていいのかどうかは知らないけど)、細くすることも出来るそうである。我々はサザエさんを見ながら「波平の髪の毛は抜けやしないだろうか?」とハラハラしがちだけど(僕だけか?)、案外心配いらないかもしれない。盆栽が趣味の波平になら、1本の髪の毛を守るなんてきっとたやすいに違いない。
2003年01月22日
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僕もそろそろ世間的には「いい年」になってきたので、いつまでも若いつもりはない。もっとも、もともと若々しさはないんだけどね。それどころか、最近は若い人に対してイライラすることも多いくらいだ。たまに高校生が沢山いるようなところへ行くと「なんだかワーワーキャーキャーうるさいな」と、ずいぶん嫌な気持ちにさえなる。しかしよく考えると、この傾向は昔からあるみたいだ。自分が高校生の時だって「まったく女の子っていうのはワーワーキャーキャーうるさいな」と思っていたような覚えがある。そういうわけなので、女子高生とデートしたのは自分が高校生の時が最後だった。多分、もう一生女子高生とデートなんかしないんだろうなぁ。別に残念でもなんでもないからいいんだけど。いや待てよ。意外と話が合うかもしれないぞ?だって僕は小学生の頃からマギー司郎が好きだったもの。マギーの話ならけっこう出来るからね。若い人とだって大丈夫かもしれない。でも僕は、マギー司郎も好きだったけど、ゼンジー北京だってけっこう好きだった。「ハーイ。ワタシ中国ハ広島ノ生マレ」なんて好きだったんだけど、これはさすがに知らないんだろうなぁ・・・冗談のレベルが合うっていうのは、人と付き合う中では重要なファクターですからね。うん、これはとても大事な問題だ。例えば、僕が一番好きな冗談があるんだけど、これは聞いてすぐに笑えるような話じゃない。聞き終わって2秒後にクスクス笑う種類のものなので、ここらあたりの呼吸がずれてしまう人と仲良くしていくというのはなかなか難しい。少なくとも、家庭内によき理解者の姿はない。まあ話の流れなので、どんな冗談か一応書いておきます。これを読んだアナタが数秒後にクスクス笑うことを切に願う。「ねぇ、お母さん。アメリカって遠いの?」「いいから黙って泳ぎなさい」・・・・・・とても若い人とは解り合えない気がしますね。まあ解り合うつもりはないし、解りたくもないからいいんだけど。って言うか(これ、いっぺん使ってみたかった)、どちらかといえば腹の立つことの方が多い。これはいちいち数え上げればきりがないから書かないけど、このへんは皆さんも同じようなものではないでしょうか?ちょっと街中へ出れば、思わず眉をひそめたくなるような子供たちはいくらでもいる。こういう感情はどうやら普遍的みたいですね。それも洋の東西を問わずに。昔々、世界史の授業中に聞いた話がある。ある学者が、古代エジプトで書かれたクサビ形文字の解読に挑んだ。これは難しい作業だったが、なんとかそこに書かれた文章の解読に成功した。そしてその文は「まったく最近の若い者は・・・」という言葉で始まった、とのことだ。いつの時代でも、若者は批判の矢にさらされるらしい。僕が家庭内で批判ばかりされるのも、きっと若すぎるのがいけないんだろう。
2003年01月21日
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新郎は嫌な予感がしていた。自分たちの披露宴の司会者が気になっていたのだ。彼はさっきこう言ったのだ。「本日の司会を努めさせていただくモトキチでございます」たしか打ち合わせのときは「本吉(もとよし)」と名乗ったはずだ。なぜ、今になってモトキチなんて言い出すんだろう?披露宴自体は淡々と進行していく。なんと言うか、感情が表れない司会っぷりだ。どこかで読んだ、誰かの日記(それも3日に1回書かれる)に似ていなくもない。そろそろウェディング・ケーキ入刀の時間だ。司会者が盛り上げようとするが、感情移入が高田純次並みのせいだろうか、やっぱり淡々としている。ひょっとしたら、30%しか力を出していないのかもしれない。「新郎新婦による、初の共同作業の前に、皆様におしらせがあります」ん?何だ?何も聞いてないぞ?「実を言いますと、本日のこの披露宴が当式場で行われます11・・・」まさかあれじゃないだろうな?今日は11月の第3木曜なのだ。ボージョレー・入刀なんてことは・・・「・・・11組目でございます!」おい、そんな半端な数をいちいち発表するなよ。新郎の胸のうちを知ってか知らずか、司会者モトキチは喋り続ける。「これを記念いたしまして・・・」何の記念だ?「・・・特別ゲストによるスピーチをさせていただきます」おい、そんな話聞いてないぞ。でもまあいいか、ボージョレーは出なかったんだし。新郎はこの時、まだこれから起こる災難を知る由もなかった。ただ、司会者の横にいる特別ゲストとやらを不思議な顔で見ているだけだった。そして思うのだった。どうして僕らの披露宴に、乳腺外科医と気象予報士と消防司令室職員がいるのだろうと。
2003年01月20日
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そこら辺りをチョイチョイと車で走っていると、梅の花が咲いているのを最近はよく見かけるようになった。この間の日記にも書いたけれど、春の季語は梅や桜あたりのわかり易いやつでよいと思う。ブランコが春の季語って、やっぱりおかしいよ。「木下サーカス 夏季公演」に行ったら、空中ブランコだって見たいもの。僕がこれだけ梅や桜に肩入れするのは、もうこれは仕方ないことだ。古来日本では、樹木の代表といえば梅・桜・松・檜って決まっているのである。あと、別格として竹がありますね。ところが、いつの頃からかここへ割って入ろうとする輩が現れた。その名は白樺。細くて色ばっかり白くて、どうにも頼りないやつだ。でもむやみに人気があるようだ。庭に植えたり写真を撮ってみたり、挙句の果てには額縁にしちゃったりする。そうかと思えば、雑誌の名前にまでなっちゃってる。これはすごい。だって白樺派といえば、確かにそうそうたるメンバーが顔を並べているからね。志賀直哉、武者小路実篤、有島武郎、高村光太郎などなど。確か学習院のお坊ちゃまの一派じゃなかったっけ?そういえばアララギ派っていうのもありましたね。これは短歌の方だったっけ?うーん、よく覚えてないな。そもそも、アララギってイチイのことでしたっけ?駄目だ。昔聞いたことってほとんど覚えてないや。こういう頼りなさでは、いくらお坊ちゃんという共通項があるとはいえ、モトキチ派の創設は無理ですね。だいたい、「この派に属そう」という人の気が知れない。モトキチ派【もときち-は】 楽天のmotokiti1に代表される、なげやりな文章を書く者のこと。 社会通念上大切とされることでも、自分に都合が悪いと 『そういう細かいことをゴチャゴチャ言ってはいけない』 などと、強引に話をまとめようとする。 日記も書くが、日付の概念が希薄。 3月5日に1月19日付けの日記を書いたりするが、ここを指摘すると 地震予知とか天体のことを持ち出してごまかそうとする。 家事は得意だが、これは奥さんを気遣うとかそういう意味は無く、 ただ単に離婚調停で負けないための作戦だったりする。 代表作として 『句集・羅列と呼ばないで』 『兵士はどこへ行った』 などがある。 また、詩集『しおこしょう』は 『東京にはディズニーランドがないと智惠子は言う』 という一文であまりにも有名。
2003年01月19日
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先日「大きな古時計・秋田弁バージョン」について書いた。その中で「全国的に話題となっているが本当だろうか?」というようなことを書いた。伊藤秀志に悪いことをしてしまった。本当だったのね。2、3日前のフジTV系の「とくダネ!」に出ていたんだそうだ。すごいなぁ、師匠を超えたね。師匠とは、つボイノリオのことですけどね。師匠は「オールナイト・ニッポン」をやっていたけど、2部だったもんなぁ。ん?待てよ?「プリンプリン物語」で、花のアナウンサーもやってたぞ。あっちは天下のNHKで3年もやってたから、格は上だろうか?しかし、今度このCDは4月に全国発売することが決まったそうである。さらに、春の甲子園の入場行進曲にも決まってめでたい限りである。メロディーだけなら、平井堅も伊藤秀志も変わりゃしない。それはさておき、大半の勤め人がそうであるように、僕だってこれでも一応は社会人なので、朝のワイドショーは見ることが出来ない。しかし、フジ系の「とくダネ!」ならば一度だけ見たことがある。というのも先日、インフルエンザで倒れた友人から「とくダネの小倉のズラがずれている。ビデオ録っておくから帰りに寄れ」というメールが入ったので、すばやく見に行ったのである。とてもいい物を見せていただきました。さて、話を戻そう。伊藤秀志の地元の秋田放送でもすごい反響なんだそうである。「どうすれば手に入るんだ?」というのはまだしも「秋田弁ってフランス語みたいだな」という感想まであるらしい。秋田って広いのね。県北と県南ではずいぶん言葉が違うんですね。まあ当たり前といえば当たり前だが、中部地方にもずいぶんいろんな方言がある。僕はもともとは共通語を覚えたのだが、岐阜で周辺住民と仲良く暮らしたり、仕事で付き合うお客さんとのコミュニケーションを図るために必要だったので、一応こちらの言葉も覚えてみた。ところが、これがすこぶるたいへんなんですね。まず、僕は岐阜に住んでるので、岐阜弁というものを覚えなくちゃならない。更に、やっぱりこの辺りの主流は名古屋弁なのだが、名古屋弁と言っても一種類だけ覚えればそれでいい、というものじゃない。大きく分けると、尾張弁と三河弁に分かれるのだ(もっとあるかもしれない)。そしてもう一つ、年寄りだけしか使わないような、古い方言もあるんですね。まあ早い話がですね、僕には岐阜弁と尾張弁と三河弁の区別があんまりつかない、ということです。そういう「名古屋弁8級クラス」の人間が、大きな古時計の歌詞を名古屋弁に翻訳してみるとこうなる。「どできゃあ、ほんでもって背がたっきゃあ、ふっるい時計があるんだけどよぉ、 それはうちのじい様の時計だがや(だぎゃ、も可)。 百年もよぉ、ずっと動いとったもんだで、どえらけにゃあ自慢だったわさ、ほんなもん。 じい様が生まれた日の朝によぉ、買って来やーた時計なんだわ。 ところがだわ、その時計はよぉ、今はもう動かせんでかんの。 ほんでもってよぉ、百年いっぺんも休まんとチックタックチックタック言っとらっせるんだわ。 そうするとさいがぁ、じい様まで一緒になってチックタックチックタック言うだわさ。 ほんでもよぉ、その時計はよぉ、今はもう動かんくなってまったんだわさ、ほんなもん」うーん・・・、ここにはフランスの香りがまったくない。もっとも名古屋の姉妹都市はロサンゼルスとメキシコと南京とシドニーだから、それはそれでいっこうに構わないのかもしれない。
2003年01月18日
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春ですね。春といえば花粉症だ。町には、大きな眼鏡とマスクをかけた人があふれている。この現代社会の、一つの大きな象徴とも言えるんじゃないか?家に帰ってきた奥さんをぶん殴って「ごめん。強盗かと・・・」って言えば許してもらえるだろうか?しかし、いろんな意味で賢明な僕は、そういう無茶はしない。さてここ数年、花粉症の症状で春を感じるという人は多いみたいだ。僕は花粉症ではないので、そのへんのことはよくわからない。でも、花粉症が好きか嫌いか?と訊かれれば、間違いなく嫌いだと答える。花粉症で辛いのはわかるが、八つ当たりされるのは困るのだ。まあ冗談はともかくとして(けっこう本気で困ってはいるのだけれど)、春の感じ方というのもずいぶん様変わりしているようだ。古来日本では、新しい季節を花によって知るなんてことが多い。春の季語にも、花の名前はよく出てきますね。梅を筆頭として桜、土筆、椿、雪割草などなど、かなりたくさんある。クレソンやレタスやアスパラガスも春の季語っていうのは、ずいぶん引っ掛るけど。これは先日知ったんだけど、「猫の恋」なんていうのも春の季語なんだそうだ。なるほどねぇ。これはわかるような気がする。のどかな雰囲気が良く出ていますね。ところが、「獣交る(けものさかる)」とか「鳥交る(とりさかる)」とかもっとはっきりと「種付け」なんていう春の季語もあるんですね。その伝でいくと、我が家には一昨年も去年も今年も、春はやって来なかった。これを読んだアナタ、じゃあ僕が家の外で何してるかなんてことは、みじんも気にしなくっていいですからね。実を言うと、今日の日記は梅や桜なんかのことを書くつもりだったんだけど、もうやめた。今唐突に決定しましたが、今日の日記は「春の季語あれこれ」でいくことにします。ここから先は、以前友人たちと酒を飲んでるときに話したことをつらつら書いていくので、細かい間違いがあるかもしれない。そもそも、話してる時だって正解かどうかなんて考えずに喋っていたんだもの。うろ覚え同志が酒を飲んで話すことくらい、信憑性に欠けるものはない。それをこうしてご披露するのもどうかとは思いますけど。とにかく飲んでる時に出た話題を一つ二つ。ブランコ、も春の季語だということだ。これもよくわからない。これは季節とは関係ないことだが、、ブランコは元々中国の宮廷での遊びだったというようなことを聞いたことがある。そしてここから先が問題なんだけど、どうも女性の遊びだったらしいんですね。それでですね、ブランコ遊びとは、ある行為の象徴なのであると。うーん、書きにくいな。つまりですね、女性が一人で何やらするようなことを指した言葉であると。その、宙に浮く感じがですね、どうもそのようなことを指し示すらしいと。そう考えると、案外春で正解みたいな気がする。まだまだよくわからないのはある。「踏み絵」も春の季語だという。さっぱり見当がつかないや。復活祭と関係でもあるんだろうか?だいたいこれを教えてくれた当人だって「なんで春なのかなんて、俺に訊くな。俺だって誰かがそう言ってたのを聞いただけだ」と言ってたくらいなので、真偽の程はよくわかりません。そうそう、ボートレースというのもあった。これは競艇が年中やってるからへんだという意見もあったけど、よく考えると隅田川の早慶レガッタは確かに春にやるから、競艇のことじゃないのだろう。まだあります。建国記念の日や春分の日や憲法記念日だって春の季語らしい。当然、メーデーやエイプリルフール(これは四月馬鹿の方がいいな)も春ですね。なるほど、この手のやつは動きようがないから春に決まってる。さて、僕は俳句をたしなむわけではないので詳しいことはわからないのだが、新旧の歳時記を持ってる人がいたらぜひ調べていただきたい。天皇誕生日って、春なのか冬なのか、いったいどちらが正解なのでしょうか?
2003年01月17日
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最近、心が安らぐ曲を聞いた。それは「大きな古時計・秋田弁バージョン」である。もともと中京地区の「サンクス」だけで発売されたものだが、今や全国で話題沸騰中だという。本当だろうか?歌っているのは秋田出身の歌手兼DJ・伊藤秀志である。そしてつらつら考えると、僕が生まれて初めて有名人にもらったサインは、伊藤秀志のものだった。ちなみに、伊藤秀志の名前は愛三岐でしか有名じゃないだろうけれどね。中学1年の時、テレビの仕事で我が母校に彼が来たのだ。で、移動用のマイクロバスに生徒手帳を放り込んだら、サインがされて終礼時に戻ってきたのであった。さて、この「大きな古時計・秋田弁バージョン」の歌詞は、僕にはほとんど理解不能である。「爺っこの時計っこ」「まんずさっぱり」「動がねぐなった」「チクタク」あたりがなんとか聞き取れるけれど、あとはもうお手上げである。先日、伊藤秀志が歌う横でつボイノリオが同時通訳をする、というパターンのこの歌も聴いたけれど、どう考えてもフランス語の同時通訳でしかなかった。なかなか味わい深いものがありました。さらに秀志がズーズー弁で歌う、マイペースの「東京」も聴いたことがあるが(こういうのって、FMなんかじゃ聴けないだろう。ちょっと優越感)「おめぇさ住む、花の都」以外はやっぱりフランス語だった。実を言うと、僕もふと寄ったサンクスで訊ねてみたが、「次回入荷日は不明」とのことなので、そのままいまだに手に入れていない。が、伊藤秀志のホームページでは聞けるらしいので、興味がある方は一度聴いてみてください。「秋田弁(ズーズー弁)=フランス語」という、新たな発見を味わえることだろう。と、まあどうでもいいようなこと(もっとも、そういうことしかこの日記には書かれないんですけどね)を長々と書いてきましたが、例によって例の如くタイトルと本文が結びつかない。「まったく、お前はいつもそうだ」とお嘆きの貴兄。どうぞご心配なく。実は今日のタイトルはちゃんと本文とリンクしているのだ。歌の中で「♪百年いつもぉ」と歌われている所って元々の英語の歌詞では「ninety years」となっているそうである。歌いにくいから、変えちゃったんでしょうね。僕はこういう姿勢、わりと好きです。好きが高じて、本当は三枚目のくせに自分を二枚目と言ったりしてしまう。でも、90年を100年と歌うよりはよっぽど謙虚だし、よくよく考えると可愛らしささえ感じませんか?
2003年01月16日
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さて、今日は1月の15日である。これ以上書くと余計なことを言われかねないので、すぱっと言い切ることにする。今ちょっと携帯電話を見たら「2月20日 1:32」と表示されていたが気にしないでおこう。例えば地震予知なんて、誤差と言えば数十年単位なのだ。人の生き死にに関わる重大なことを、それも権威と呼ばれる人たちがよってたかってウンウン頭をうならせて考えたってそのぐらいの誤差が出てしまうものなのだ。たかが個人のホームページの日記の日付に1ヶ月の違いがあったところで、そんなのは何の問題もないはずだ。と、深く考えもせずにこういうことをスラスラ書いてしまう自分がちょっと哀しい。でも、誰も言ってくれないけど、本当は良い人に違いない。話を戻そう。1月15日と言えば、これはもう誰がなんと言ったって成人式に決まっているのだ。これにもいろいろ異論はあるだろうが、勘弁してください。眠いから早く書いてしまいたいのです。成人式はほぼ全国的なものだから、たいていの人は「1月15日=成人式」という図式を頭に浮かべるだろう。が、何にでも例外は存在する。「There is no rule without some exception」なんて必ず英語のテキストには出てきた。僕はある時期、この例外なるものに該当していた。学生時代のことである。当時僕は桜新町という、貧乏な方の世田谷区(昔は、だ)に住んでいたのだが、世田谷区で1月15日といえば、世田谷ボロ市に決まっているのだ。今でも思い出す光景がある。僕はその頃パン屋でバイトをしていて、主にレストラン向けの配達をしていた。車に山ほどバケットを積んで、世田谷区・渋谷区・目黒区あたりを走っていた。そして1月15日。僕はいつものように中町から桜新町を抜けて、桜小前交差点から世田谷通りに入った。やがて、世田谷区役所が近づいてくる。その辺りには、晴れ着を着た女の子たちがたくさん歩いていた。みんなニコニコとして、楽しそうである。そして楽しげな彼女たちの頭上には、道路いっぱいの横断幕が張られている。しかしそこには大きな字で「世田谷ボロ市」と誇らしげに書いてあったのだ。「確かにボロだなぁ」と思うような子もいたけど、たいていはかわいかったですよ。尚、タイトルの石原良純氏は、1月15日のお生まれということでご登場いただいた。三田にはボロ市なんてなかっただろうから、本文とはまったく関係ないんですけどね。
2003年01月15日
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人間、嫌なことを書くのはなかなか辛いものがある。僕の日記にあんまり奥さんが出てこないことが、それを何よりも雄弁に物語っている。しかしまあ、約束なので徳川光圀のことを書くとしよう。僕が彼を嫌う理由は、実はたいしたことじゃない。「大日本史」の編纂で莫大な金を使い、水戸藩を窮地に立たせたから、なんていう庶民感情のレベルの話なんかではないのだ。だがそれよりももっと、同じ男として許し難い言動があったのだ。ここから先は何かで読んだことを書くつもりなんだけど、いったい誰の何という本だったか、実を言うとすっかり忘れてしまった。そういう訳なので、うろ覚えの面も少なからずある。だけど僕は、まるで全てが真実のごとく書いてしまうので、そういう態度が嫌いな人は今すぐにさっさと読むのをやめるべきです。さて、紀州の姫君にお松さんという絶世の美女がいたそうである。で、どういうわけだか知らないが、若い頃に光圀(ついには呼び捨てだ)とお松さんは一緒の邸内に住んでいた。ここだけでずいぶん腹が立つ話ですね。僕だって絶世の美女と暮らしてみたい。更に気に入らないのは、このお松さんが光圀を気に入ってしまったことだ。この光圀という男、けっこう美男子だったということである。僕を100としたら、92くらいまでは来ていたのかもしれない。そこでこの屋敷の女主人がお女中たちと相談して、二人の仲をいっそう親密にしようと企てた。ある日、庭の茶室にいる光圀のところへお松さんを一人で行かせたんだそうだ。ところが光圀は手を出さないで「こういうことがあってはいけない。 早くお帰りなさい。私も帰ります」と促した(らしい。あくまでも本で読んだだけだが)。まあここまでは許そう。世の中にはそういう男の一人や二人いたっておかしくない。「もったいない話だ」くらいで済む。が、ここから先が問題なのである。ここで僕の怒りがヒートアップしました。光圀はこの話を後日家臣に語ったそうである。このときの言い草がひどい。「同姓をめとらぬ聖賢の作法を破るのは、実に無念なことだからなぁ。 自分は畜生の仲間に入らなくて本当に良かった。 戦場で討ち死にするのも立派なことだが、これはする人が多い。 だけど、色欲に溺れないという者は、そうはいないだろう。 我ながら、自分で自分を褒めてもいいような気がする」こんなことをほざきやがった(らしい)のだ。でも、この理屈はどう考えてもずいぶんおかしい。だいたい、同姓をめとらぬなんていう中国の道徳を日本に当てはめるのは無理がある。そんなことを言えば、徳川家なんて畜生ばっかりいたことになる。そもそも光圀の奥さんなんて、近衛家のお姫様じゃないか。ここの祖先の藤原氏なんて、同姓をめとりあって続いてきた家柄だ。もう一つ言うと、戦と色恋を同列に並べること自体が変だ。戦の合間に皆が励んだからこそ、人類はここまで続いてきたのだ。戦をしなくなった世の中だからこそ、徳川幕府だってあんなに続いたんじゃないか。そうでなきゃ、光圀だってのんびりと全国を廻ることなんて出来なかったはずなのに。まあここまでは、理屈の部分である。人によっては「そんなの言いがかりじゃん」と思うかもしれない。言いがかりでも何でもかまわない。やっぱり気に入らないのだ。で、いよいよここからが本論だ。そもそも、女性に言い寄られて振った後で、それを言い触らすとはいったいどういう神経をしているのだろうか?仮にうっかり喋ったとしても、事実をそのまま言うとは何事だ。普通だったら「実はその日は風邪気味で具合が悪くてね・・・」とか「その日穿いていたパンツに穴が空いてたから恥かしくて・・・」なんていう具合に、別の理由をくっつけるのが筋というものだ。こんな奴、男の風上に置けない。姫君の名誉を何と心える。と、ここで僕ならいったいどういう理由をつけるだろう?と考えてみたりもしてみたのだが、どうにもいい知恵が浮かばない。よく考えたら、そもそも強く言い寄られてしまったら断ったりできるタイプじゃないのだ、僕は。自分がどうして妻帯者になったのか、今になってやっと理解できました。
2003年01月14日
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先日、大岡越前のことを書いたので、今日は水戸黄門です。で、その次は銭形平次かと言うと、多分そうじゃない。いつまでも同じようなネタを書くのは、性にあわないのだ。兵士や野菜や肉のことは、きれいさっぱり忘れていただきたい。まあ別に忘れなくったってよいのだけれど、口に出したり掲示板に書いてみたりなんていう行為は差し控えるべきだと思う。さて、僕が水戸黄門のテレビドラマを見始めたのは、小学校4年生の頃からである。たしか「学習発表会」というやつがあって、そこで劇をすることになったのだ。クラスの男子が2班に別れて、それぞれ劇をすることになった。で、僕らのグループは「水戸黄門」をやることになったのである。ちなみにもう1つのグループは「プリンプリン物語」だった。僕は脚本担当だったので(とはいえ、茶店の主人と町人Bと大黒屋の若旦那という一人三役もこなした。特に大黒屋の若旦那は、悪代官の悪事を知って殺されるというたいそう重要な役だった)、勉強のために水戸黄門を見始めた。なにせそれまでは、登場人物だってよく知らなかったのだ。登場人物どころか、正常位も騎乗位も知らない、ウブな少年でした。はっきり言って、今とほとんど変わらない。と、わりと僕と水戸光圀の付き合いは長いのだけど、実を言うとあんまり好きなタイプの男じゃなかった。本で読んだり日本史で習ったところによると、この光圀という男(ずいぶんな言い方だねぇ)はあんまり面白味がない。そもそも、ドラマの水戸黄門だってたいして面白いとは思えないし。ところが、僕の光圀に対するイメージを払拭するような話を聞いてしまった。それは何かと言うと「日本で最初にラーメンを食べたのは、水戸光圀である」という話である。僕は名のある店に並んだりとか、全国の名店を訪ね歩いたりするようなラディカルなラーメン愛好家ではないが、好きなことは好きである。でも、ここのあたりが30過ぎて情けないのだが、味がよくわからない。食に対する感想は、せいぜい「美味しいか美味しくないか(それも、自分にとって)」くらいしか持ち合わせがない。更にいうと、母親が東京の下町っ子ということもあり、濃い醤油味が付いていればたいていの食べ物は美味いような気さえするほどだ。この味オンチで得したことといえば、食事の時の奥さんとの喧嘩が、味にうるさい人より少なくて済む、くらいのものだろう。まあ奥さんと口をきくのは喧嘩でさえ面倒だ、という思いもあるんですけどね。それはともかく、日本で最初にラーメンを食べたなんて、少し光圀を見直してしまった。そういう人は、少なからずいるんじゃないだろうか?人間、好き嫌いせず何でもたべなくっちゃいけないという見本みたいなもんであろう。と、ここまできてこんなことを書くのもはばかられるけど、先日本を読んでいたらまたまた光圀の嫌な面を知ってしまった。まったくイライラさせる男だ。もっともそれについては8時45分まで印籠を出させないこと一つとってもよくわかってたけどね。段々嫌な気分になってきたので、今日はもうおしまい。光圀がどれくらい嫌な奴かは、明日書くことにします。女性の敵です、あの男。
2003年01月13日
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突然ですが、昨日は「正常位」について書いたので今日は「騎乗位」についてだ。とはいえ、僕の日記は僕同様に性的な匂いが一切ないので、その手のことを期待したりしてはいけない。僕の経験談とか、そういうのはありませんからね。はっきり言って、僕はウブなのだ。そもそも、今日のネタは以前どこかの掲示板にちょこっと書いたことの書き直しみたいなもんです。もう15年くらい前になるけれど、TBSの午後11時(多分)の番組は「JNN スポーツチャンネル」という、その名の如く、スポーツニュースだった。司会は江川問題で阪神にトレードされた小林繁と、今やKBS京都の競馬中継の顔となっている出光ケイだった。確かこの頃のTBSの夜の番組って滅茶苦茶になっていたような記憶がある。ニュース・ステーションに対抗すべく、10時台に似たような大型ニュース番組をやっていたはずだが、森本毅郎がよりによって番組スタッフの女性と何かいけないことをしちゃったので番組終わっちゃったりね。そういえば「ピリッとタケロー」なんていう番組も打ち切りになっちゃったし。ったく。少しはピリッとしろよ、タケロー。タケローはもういい。出光ケイだ。彼女がその番組の中で、乗馬をする女性にインタビューした時のことだ。一通りインタビューが放映され、小林繁との簡単なやりとりがあった。そしてその後、その女性の乗馬シーンが映されることになったのだ。出光ケイは、そこでものすごい発言をした。当時高校生だった僕は、あまりの出来事に言葉を失ってしまったほどだ(ウブ)。おそらくは「それでは、○○さんの騎乗ぶりをご覧ください」というつもりだったのだろう。ところが、そうは問屋が卸さない。彼女の口から出た言葉は、次のとおりだった。「それでは、○○さんの騎乗位を、とくとご覧ください」とくとご覧になりたかったが、普通のスポーツニュースではそういったシーンは流してもらえなかった。ただ、馬に乗っている姿だけでした(当たり前)。って、騎乗位についての話はおしまい。エッチな雰囲気のかけらもありません。ん?それじゃもの足りないですか?では、騎乗位にまつわる僕の話を一つだけ紹介しましょう。たしかハタチくらいの時だったが、僕は騎乗位の真っ最中に、あろうことか眠ってしまったことがあります。すべてのことにあまりやる気を見せないという、まったく僕らしいエピソードではある。微笑ましくて、愛くるしい。「もうちょっと(せめてその手のことくらいは)真面目にやったらどうだ?」という声もあるかもしれませんが、これは性分なので仕方がないのだ。 モトキチだもの。 みつを
2003年01月12日
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いつだったか忘れちゃったけど、「ケダモノのようなセックスとはなんぞや?」という日記を書いたことがある。趣旨としては非常に簡単なもので「ケダモノのようと言うとものすごいことを想像してしまいがちだけど、年がら年中そんなことばっかりしてるのは人間だけだ」ということと「だいたい、いろんな格好でするのも人間だけだ」の、せいぜい2つである。人間はずいぶん思い上がったところがあるので、自分たちが行いやすいものを「正常位」なんていう名前で呼んでいる。浜田省吾氏もこの体位がずいぶんお好みだったようで「セイ・ジョーイ(J・BOY)」という歌を作ったという話を聞いたことがあるが、もしそうだとしたらこれからカラオケに行く時は、心して行かなきゃいけないような気がする。正常だと思うから正常位なんていう名前を付けちゃったんだろうけれど、動物学的に見たら、人間の方が異常なことは明らかだろう。動物たちもいい迷惑である。まあ動物にだって異常性癖を持つのがいたって不思議ではないんですけどね。でも、そういうのは仲間達に「アイツ、人間みたいなセックスするんだぜ。嫌だねぇ」なんて言われて、仲間はずれにされているかもしれない。繁殖期でもないのに奥さんにちょっかいを出して「ちょっと、何すんのよ。いやらしいわね。 あなたがそんな人間みたいだとは思わなかったわ。 ああ、嫌だ。私、実家に帰らせていただきます。」と言われたりしてオロオロするオスだって、この広い世界には1匹や2匹、もしくは1頭や2頭、ひょっとすると1羽や2羽くらいいるかもしれない。なんて僕は常々思っていたのだけれど(そんなことを常々思うというのもずいぶん問題があるような気がするけど)、最近新たな事実を知ってしまった。人間的な動物は、人間だけじゃなかったのである(ややこしいな)。もっとも、「動物」と呼ぶのはちょっとはばかられるんだけど・・・その人間ではない人間的生物とは何か?ずばり、ザリガニくんである。ザリガニくんの生殖器は足の付け根にあるので、抱き合ってじゃないとうまくコトをいたせないんだそうだ。すごいねぇ。画を考えると、なかなか迫力がありそうだ。おサルさんの仲間とエビの仲間に、とんでもない共通項を見つけてしまった。「人間は海から来た」って、なんだかしみじみと実感してしまいました。って、生命の神秘をこんなことで実感するのもどうかなぁ、とは思いますが。
2003年01月11日
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外務省に勤めるモトキチは、日本の外交をリードする男としてもっぱらの評判だった。世界情勢に詳しく、インドの首相の名前だってすぐわかる。ブッシュ大統領よりも、数段上ですね。ここでいきなり余談だが、今、世界で最も危険な人物といえば、ブッシュじゃないかという気がしますね。いつも泣きそうな顔をしているくせに、すぐ喧嘩したがる。そんな奴に追随しなきゃいけない、某極東の島国の国民はどうしたらよいのだ?だいたい、その島国の首相にもずいぶん問題がありますからね。どうも彼も戦争賛成論者のようですね。例えば、何かちょっとした諮問機関を作る時でも「○○戦略会議」なんていう名前をすぐ付けたがる。そのくせ戦略はたいてい失敗に終わる。ここ数年、彼が何かやって成功した試しがないけど。大戦末期の旧日本軍みたいなもんですね。見苦しいったらないや。まあ、もともと変人という触れ込みで首相になった人なんだから、今さら文句を言うほうが間違っているのかもしれない。さて、話を戻す。外務官僚モトキチに異動命令が出た。事務次官がモトキチに言う。「モトキチ君。君には海外でぜひ勉強してきてもらいたい。 そこで、プラークに行ってもらいたいのだがどうだね?」「プラークですか? そんな臭そうな所は嫌です」「そうか・・・それじゃ仕方ない。 だったらワルソーはどうかね?」「そんな治安の悪そうな所は嫌です。 わがままを言って申し訳ありません。 ですが、どこか他に候補はありませんか?」「うーん、困ったな・・・ おっ、そうだそうだ。いい所があるぞ。 連合王国なら問題ないだろう?」「連合王国?春闘でもさせる気ですか?」そんなこんなで駄々をこねたためか、結局モトキチの海外赴任は立ち消えとなり、出世コースからも外れていってしまったのだった。モトキチはわりと普通の考え方をする人間なので・プラーク=プラハ・ワルソー=ワルシャワ・連合王国=イギリスだとは思わなかったのだ。さすがは外務省。我々平民と、同じ地名を口にするのもお嫌らしい。
2003年01月10日
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ここ最近のスポーツニュースでは、ヤンキース入りした松井選手の話題が多い。もともとが巨人ファンということもあるけれど、個人的には応援しています。野茂・佐々木・イチローが活躍したこともあり(活躍してない人もいますが)、アメリカでも松井への注目度はずいぶん高いそうだ。今回の入団記者会見なんて、ものすごい騒ぎだった。「ゴジラ、ニューヨーク上陸」なんて、誰でも思いつきそうな見出しが新聞紙上をにぎわせていた。スポーツマスコミの語彙って、ずいぶん問題があるような気がしますね。たいてい、ガッカリするようなダジャレのオンパレードだ。まあ、限られたスペースで端的に伝えようとすると、ダジャレに頼らないとどうしようもないんだろうけど。話はゴジラに戻るが、ゴジラという名前の由来はけっこう有名なような気がするんだけど、違いますか?「ゴリラ」と「クジラ」の合成語ってやつ。どうも、陸と海のそれぞれ一番強い奴を合わせたらしい。まあこのへんは「小学館刊・怪獣大百科」(実在するかどうかは知らない)あたりに載ってそうな話だけど、ゴジラが実は人名だったとなると、話は俄然面白くなってくる。人名というよりも、あだ名といった方が適切ですけど。ゴジラっていうのは、東宝のある部長さんのあだ名だったという話があるんですね。これはあくまでも聞いた話なので、真偽のほどは僕にはわからない。でも、こんなに壮大なスケールのあだ名を頂戴するような人物なんてちょっと興味がありますね。このあだ名が風貌から来たのか、バイタリティから来たのか興味がある。不思議と悪意はまったく感じられません。さてこのゴジラ、英語になると「GODZILLA」って書くそうである。何がすごいって、「GOD」なんていう言葉が入っている。東宝映画のオープニングは、波がザッパーンと打ちつけるところから始まるけれども、アメリカ版ではモーゼの如く、波が左右に分かれるシーンから始まるんじゃないか、という気がするほどだ。すごいねぇ、神様だもんなぁ。たかが(一日本人という意)東宝の部長が神様にまでなっちゃう。こういうのを、本当のアメリカン・ドリームというのだろう。
2003年01月09日
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今年は記入率を気にしないことにしたので気楽なものなんだが、それでも「ああ、誰か代わりに日記書いてくれないかなぁ」と思わないでもない。先日の日記で「今年は90日分書くつもりだ」なんて誓ってしまったのだが、出来ることなら自分では3日分しか書かないけど、「モトキチならきっとこう書くはず」なんて皆でよってたかって残りの87日分書いてくれるのっていいなぁ、なんて思う。「あのねぇ、そういうバカなことがあるわけないでしょ? もうちょっと真面目にやったらどう?」なんていう抗議が来そうだが、今日の僕は負けない。なぜなら、強い味方がいるからなのだ。ずいぶん強いですよ。なんたって南町奉行だもの。って、ここまで書けばもうおわかりですね。僕の味方は、大岡越前守忠相である。さて、どうして大岡越前が僕の味方なのか?もうこれはいたって簡単。かの大岡越前守忠相は、実に20年の長きに渡って南町奉行を務めたとのことだ。で、その後寺社奉行もやったんですね。さてここで一つ問題がある。ドラマの大岡越前は、僕が調べたところによると、実に402回の放送があった。ということは、402回のお裁きをしたと言ってもいいだろう。実際は1回や2回、お裁きのシーンが無い回もあったかもしれないけれど、水戸黄門には印籠を見せびらかす場面がどうしても必要不可欠なように、大岡越前ではきっと毎回お裁きがあったに違いない。「いや、ちょっと待て。それでいいのか? ちゃんと調べましょうよ。 そういういい加減なことは良くないよ」と仰る方は、勝手に言ってて下さい。僕はもう眠いのだ。さて、ここからが本題です。本物の大岡忠相って、実際には2,3回しか裁いたことがないらしいんですね。実際には政治の方が忙しくて、それどころじゃなかったらしい。大岡忠相ほど僕が忙しいかどうかはこの際置いといて(細かいことだしね)、2,3回しかお裁きをしていないくせに名奉行なんて呼ばれちゃうばかりでなく、自分でやってもいないことを誰かが(早い話がテレビ局の人たちだけど)代わりにやってくれるなんて実にうらやましいではないか。そういう素晴らしいことが、江戸時代の南町奉行と、どこか遠い国の町の靴屋の爺さんの2人にしか与えられないなんて、そんな理不尽なことがあってたまるか、と思う今日この頃だ。
2003年01月08日
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先日のクイズの結果ですが、正解は「2月1日」でした。理由は「旧暦の元日だから」です。正解者が一人もいらっしゃらなかったのは、実に残念なことである。何でも差し上げるつもりだったのに。正確に言うともう2月2日になっちゃったけど、ゴチャゴチャ言わないでいただきたい。日本時間だけのことを言ったわけじゃないのだ。そういうわけで、今日からレス開始である。画期的ですね。僕にとっては。レスは100%書いちゃう自信がある。日記は未だに1月7日だが、このへんはあんまり気にしないようにすることにした。相撲取りなんて、年間90日しか働いてないことを考えれば、たかだか一介のサラリーマンが月に6回も7回も書くなんて、これはものすごい偉業と言っても差し支えないと思われる。だから僕も今年は90回日記を書くのが目標だ。相撲取りが年間90日であんなに大きな顔をして威張ってるんだもの、僕だって威張りたい。去年なんて、記入率100%だったんですよ。すごいねぇ。「365と90じゃずいぶん違うじゃないか」という抗議の声も聞こえそうだが、なーに、そんなの大したことじゃない。365から羅列の分を引けば、だいたい90くらいが適当なのだ。365分の90。平均して4日に1回。30代前半なら、これで十分じゃないでしょうか?
2003年01月07日
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むかしむかし、午前7時24分になると徳光和夫が「7時中畑になりました」と言って、ウィッキーさんの英会話のコーナーになったものだった。懐かしいですね。僕が大学に通うようになってすぐ、桜新町の駅にウィッキーさんが来た時は、走って見に行ったりした。我が栄光の6畳1間のアパートから、歩いて5分だったしね。その後、中町のパン屋さんでバイトしている時にウィッキーさんが客として店に来た時には「ハヴァ・ナイスデイ!ミスター・ウィッキー!」とお見送りしたこともある。彼に話しかけられた人はかなりいるだろうが、「ハヴァ・ナイスデイ!ミスター・ウィッキー!」と呼びかけたのは、僕と徳光さんの他にはあんまりいないだろう。当時、英会話を習ってる人なんてたいしていなかったような気がする。少なくとも僕の周りにはいなかった。数人いたことはいたのだが、彼らは習うのではなくて飛び込んでしまった。早い話、留学である。今とは違って、お茶の間で留学なんて出来ない時代である。ちょっとした流行ではあったんだけどね。でも留学の理由というのもいろいろあった。就職のことを考えた奴や、単位が足りなくて留年しそうだったから休学するために留学した奴もいた。帰って来た奴の話を聞くのもなかなか楽しいものだった。みんないろんな土産話を持ってくる。失敗談が多いんですけどね。たいていの場合は「そりゃお前が悪いんじゃん」と笑い飛ばせる話が多いんだけど、A斉君の話だけは同情してしまった。彼はアメリカで就職までしちゃったぐらいなので、英会話に関してはなかなか自信があったそうだ。そんなA斉君がデートした時の話である。ある女の子と、初めてのデートで美術館に行った時のことだ。二人でゆっくり絵を見てまわり、なかなか良い雰囲気だったそうである。そこまでは満点の出来だったらしい。本人がそう言ってる。問題は美術館を出た後にあったそうだ。彼女は彼に言った。「私は、私が見たいと欲するところの絵が見られなくて、残念だった。 私が見たいと欲するところの絵を描いた男の名前は、パイキャッソーだ」どうにもわかりにくい文だけど、僕は正しい日本の英語教育を受けたので、直訳風にしか出来ない。僕が悪いんじゃない。関係代名詞のせいだ。彼女は続けて問いかける。「ヘイ、あなたはパイキャッソーのことをどう思いますか? 私は、パイキャッソーが日本で最も人気がある画家の一人であることを 知っています。 あなたは、彼によって描かれた絵のうちの一つを見たことがありますか?」しかし疲れるな、この会話。かわいそうなA斉君。彼女が気に入っているところの画家(しつこいな)である、パイキャッソーなる人物に心当たりがなかったそうだ。そして当然のようにその後の会話は盛り上がらず、やっぱり当然のようにその後デートすることはなかったという。「俺だってピカソくらい知ってるよ。でもさ、いきなりパイキャッソーって 言われたって、ピンとくるわけないよ」とブツブツこぼしていた。気持ちはわかるねぇ。しかし、そもそもアメリカ人と簡単に分かり合えるなんて思うほうがどうかしているのだ。ニワトリの鳴き声が「クック・ドゥドゥドゥー」と聞こえる感性と、日付変更線をバカにしてはいけない。
2003年01月06日
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昨日付けの日記で「掲示板にレスを書く」と高らかに宣言したが、まだ書いてない。理由はたくさんあって書ききれない。細かく分けると、実に1385もの理由があるのだ。だから、代表的なやつを1つだけ書いておくことにしよう。「うっかりしてました」悲しいことだが、これを読んだ皆さんのせせら笑う声が聞こえてくるようだ。「うっかりとか何とか言っちゃって。 要は面倒なんでしょ?わかってますよ」とかなんとか。だけどね、たかが1385分の1ですよ。とりたてて騒ぐようなことじゃないので、そっとしておいて下さい。僕にだって、触れられたくないことがあるのだ。じゃあついでにもう一つだけ、書かなかった理由を発表しましょう。今度のは、さっきのよりも説得力があると思う。「誰よりも秩序を重んじるB型の血」どうです。ちょっといいでしょ?今これを読んだ相当数の方が「私もB型に生まれてきたかった」と悔し涙を流しているに違いない。明日あたり、全国各地の病院に「どうかB型を輸血して欲しい」なんて長蛇の列が出来た、なんてニュースが流れたりしてね。まあそんなことはどうでもいい。レスを書かなかった訳を説明する方が先だ。つまりですね、何か新しいことを始めるのなら、きっちりとした日からじゃないとどうにも心持ちがよくないのだ。そういう中途半端なことは嫌いなのだ。あっ、そうそう。このページは10月17日というとんでもなく中途半端な日に開設されているが、どうか気づかなかった振りをしていただきたい。この日に始めたのにも、実に3572もの理由があるので説明は省略したい。まあとにかくそういう訳で、掲示板にレスを書くのをためらっていた。ためらっているうちに、うっかり日にちが進んだだけだ。大したことじゃない。だけどここでまた問題があるんですね。こういう態度でいると「ほらみろ、やっぱりあんたは嘘つきだ。書く気なんかないくせに」と、うちの奥さんみたいなことを言い出す人が現れかねない。それは困る。そんなの、一人でもうたくさんだ。だから、近々レスを書くつもりである。それもきっちりとした日にちから。ここでクイズ。さて、いったい僕はいつから書き始めるつもりでしょうか?正解者には、その人が希望する賞品を差し上げるつもりだ。今までは賞品をこちらで決めていたので、今回はそちらで考えてください。金にいとめはつけません。わかった方は・何月何日からか・どうしてその日なのか・欲しいものを書いておいて下さい。では、諸君の健闘を祈る。
2003年01月05日
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一年の計は元旦にあるそうだ。それについては異論はない。なんといっても、新しい年の始まりだもの。じゃあ今年の元旦に何かしようと思い立ったか?というと、それはまた別の話だ。元旦は、仲間との信頼感について考えたり、過去の正月に想いを馳せたり、デフレについて考察したり、政治への不信感をあらわにしたり、さらには身体を清めたりと、これでなかなか忙しかったのだ。わかりやすく言うと「2・3日の箱根駅伝で、駒沢が優勝するといいなぁ」「子供の頃はお年玉をもらえてよかったなぁ」「高校生に五千円のお年玉では少ないような気もするけど、一万円は痛いよなぁ。 でも全部で7人もいるもんなぁ。しょうがない。今年は五千円で勘弁してもらおう。 そもそも二千円札なんて作らないで、八千円札にしてくれりゃよかったんだよ。 二千円札なんて使い道が一つもないけど、八千円札なら少なくとも一つはあるぞ。 まったく小渕のバカめ。もっとも首相なんてみんな馬鹿だけど」なんて思いながら酒を飲んでいた、ということだ。これでは一年の計なんて入る隙間がない。「ふうーん。それで今年も何もしないわけね。あなたって結局はそういう人よ」なんて思った、まるでうちの奥さんのような人はいませんか?アナタとは、別に理解しあえなくってかまわないです。「まあ、人間なんてそういうものよ。♪ララーラーララララーラー」なんて思った、吉田拓郎のようなアナタにだけ読んでいただければうれしい。さて、じゃあ僕が新年を迎えるにあたって何も思わなかったか?というと決してそんなことはない。ちゃんと考えてある。実を言うと、去年から考えてあった。昨年10月に楽天1周年を迎えた時、僕も掲示板のカキコに対するレスを書いてみようと思い立ったりしたのだ。だけどその頃は、たくさん羅列をしなくちゃいけなくて、ちょっと忙しかったのだ。スーパーの精肉売り場に佇まなくちゃならなかったしね。だから1周年記念にそういうことをするのはやめて、新しい年を迎えたらやり始めようと思っていた。一年の計は、2ヶ月以上も前に予約済みだったのだ。自分でも偉いな、と思う。JRの指定席よりもかなり偉いはずだ。しかし、先ほど書いたように元旦は何かと忙しくて、すっかり忘れていた。そもそも正月休みということで、僕は家にいることが多かった。いわんやうちの奥さんをや。あんまりそういう環境に慣れてないので、すっかり疲れてしまっていたのも忘れてしまった大きな理由の一つだ。どちらかというと、後者の割合のほうがずっと大きい。せっかくの新年だ。嫌なことは思い出さずに話をすすめよう。まあそういう訳で、いまだに掲示板レスは書いていない。「思い立ったが吉日って言うだろ。 さっさと始めたらどうだ」というご意見もあるだろう。なるほど、確かにそれはそうだ。だが、ここにも大きな障害がある。それは、B型だ。秩序を重んじる、このB型の血だ。せっかく新しいことを始めるというのに、こんな中途半端な1月の真ん中が、果たしてふさわしいのか?という思いが邪魔をする。あまり世間には知られていないようだけれど、実はB型ほどの完璧主義はいない。何かを始めるのなら、ちゃんと1月1日とか4月1日なんていうようなきっちりした日からじゃないと納得がいかない。そしてその歯車がちょっとでもずれると、途端にやる気はなくなる。あまりの完璧主義が招く悲劇なのである。「B型は何か始めてもすぐやめちゃう3日坊主」とか「そのくせ、飽きっぽいわりには妙にしつこい」なんていう指摘は的外れなのだ。「なんでも完璧に仕上がらないと気が済まない」という気持ちが強いため、ちょっとミソが付くとやる意味を失うのだ。中途半端でも続けりゃ偉い、と言いがちなA型やAB型やO型の人にはなかなか理解しにくいとは思うけれど。「そうそう、その通り。よくわかった。 あなたはただの飽き性なんかじゃない」と思う、B型に理解あるアナタと友達になりたい。「ふうーん。B型のことはわかった。まあいいや。 で、なんだかんだ言っても、要はレスが面倒なのね」って片付けられるのも癪なので、意地でも書いてやるつもりだ。今日は特にきっちりとした日付ではないけれど、それはかまわない。僕は世間にあふれる単なるB型とはちょっと違い「完璧主義だけど、細かいことは気にしない」ということまでも身に付けてしまった、付加価値の高いB型なのだ。
2003年01月04日
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今日カーラジオを聞いていて、すごく面白い話を聞いた。あまりのおかしさに涙が出るわ腹は痛むわで、思わず路肩に車を止めてしばらく笑い続けたくらいだった。対向車のトラックの運転手もすごいバカ笑いをしていたので、きっと同じ放送を聴いていたのだろう。あんまり面白かったので、ここに書いておこうと思う。が、こういうのって落語と同じで、文章で読むとそんなには笑えないものである。僕は志ん生がとても好きなのだが、テープで聴くのと活字で見るのとではやっぱりずいぶん違うものだ。しかし、状況を頭に思い描けさえすれば、相当笑えます。これを読んだアナタが、明日にでも職場や家庭で「ねぇ、面白い話があるんだけど・・・」とご披露してくれたりすると、僕はうれしい。じゃあ始めましょう。「これは僕が東京でサラリーマンをしていた時のことです。毎日乗車率200%の電車で通勤してました。その日も電車はものすごく混んでいました。が、僕の目は、一人の女性に釘付けでした。彼女は赤いスーツを着て、身体を斜めにしながらもつり革に掴まっていました。とてもきれいな人だったので、車内でも注目していた人は多いはずです。しばらくすると突然『ブビブババッ』という大きな音がしたかと思うと、車内は異臭に包まれました。ちょっとこの世のものとは思えない、腐った硫黄のような異様な臭いでした。臭いのする方向と周りの乗客の視線から、彼女がオナラをしたことは、もう間違いないようでした。乗客みんなの『こんなキレイなのに、こんなすごい臭いなんて・・・』という視線に気づいたのか、彼女はとんでもない行動に出たのです。彼女は、自分の前に座ってスポーツ新聞を読んでいたオヤジに向かい『お腹の調子でも悪いんですか?』と訊ねたのです。このスケベそうなハゲおやじに、罪をなすりつけようとしたことは、言うまでもありません。が、ここでハゲおやじが一言『俺の腹の調子が悪くて、なんでお前が屁をこくんだ?』と、見事に切り返したのです。さすがにいたたまれなくなったのか、彼女は次の駅でさっさと降りていきました。」あぁ、書いてる間も笑いが込み上げてきてたまらない。が、文章力に限界があるので、これを読んだ皆さんが僕と同じくらい爆笑出来ないかもしれないのが、とても悲しい。最後のおやじのセリフを口に出して読むと、おかしさがアップするはずです。
2003年01月03日
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昨日は新年について書いたので、今日は当然のように大晦日について書く。どのへんが当然なのかにはっきりとした理由はないけれど、元日と大晦日は年末年始界の両横綱なので、ここは両方の顔を立てないとまずいのだ。さて、大晦日と言えば紅白歌合戦である。これも言い切ってしまっていいかどうかが気にかかるが、少なくとも12月30日よりはしっくりくるだろう。だからいいのだ。と、一応肩を持っておく。日本国史上において、最もどっちが勝っても負けてもどうでもいい勝負のくせに合戦なんて大げさなことを言い出すあたりに、ちょっとシンパシーを感じてしまうのかもしれない。そういえばレコード大賞も大晦日にしかやらないけれど、よりによってザ・グッバイを最優秀新人賞にするような番組については、特に何か書こうなんていう気にならないので知らんぷりしておく。とはいえ、NHKに好意をもっているとかそういうわけでもない。まあ昔ほど毛嫌いはしてないけど、朝起きたらNHKをつけないと気が済まないとか、寝る前は君が代と国旗と地球が回ってる映像を見ないと1日が終わったような気がしない、なんていうことはまったくない。とりあえず毎日存在するのだけど、別に1週間やそこら見なくたってどうってことない。このへんは結婚生活とか奥さんを彷彿とさせますね。まあそれはいいや。僕にとっての紅白名場面と言えば、加山雄三が「仮面ライダー!」と叫んだあのシーンだが、NHKもなるべくなら忘れてしまいたいらしくて「懐かしの紅白名場面集」なんていうのにもまったく出さない。自分の失敗はなかったことにしてしまおうという魂胆だろうか?素直に失敗を認めれば、まだ少しは可愛気があるのにねぇ。このへんも奥さんを思い出させるなぁ。よその奥さんについては知らないけれど。今年の名場面ってなんだろう?もう小林幸子と美川憲一には辟易してるし、安室奈美恵は見苦しかった。モーニング娘。には華の無い子が数人いる始末だし、顔も知らなければ知りたくもない子供たちも何やら歌って踊っていた。頼みの綱は平井堅が「♪大きなのっぽの和田アキ子」と唄ってくれる事くらいだったが、夢はかなわなかった。するともうこれしかない。中島みゆきですね。2番の歌詞を間違えちゃったやつ。しかし、彼女のオールナイト・ニッポンを聴いていた人なら知ってるだろうが、彼女はコンサートでもよく歌詞を間違えるので有名なのだ。しかし、今回の彼女は偉かった。実に堂々と間違えてましたからね。普段のツアー中、彼女は歌っている途中で歌詞がわからなくなると、とっさに口パクにするのだそうだ。するとお客さんもスタッフも、マイクの調子が悪いと思うらしいんですね。「音響さんなんか真っ青な顔してるわよ」と豪快に笑い飛ばしていたのを今でも覚えている。もしも今回も彼女がいつもの癖で口パクで歌い、自分の失敗をNHKの音響スタッフのせいにしていたとしたら?僕は奥さんのことを思い出しながら年を越すという、ひどい正月を迎える羽目になっていたかもしれない。
2003年01月02日
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本来ならちゃんと1月1日に「明けましておめでとうございます 今年もよろしくお願いいたします」くらいのことを書くのが筋というものだろう。そのためにちゃんと12月31日分までの日記を書いたのだ。事実、僕もきちんと元日に書こうとはしていた。が、ちょっと考えるところがあって今日まで日記を書かずにきた。何を考えたかというと「正月は本当にめでたいのか?」という、ただその一点である。この日記には極めて個人的なことしか書かないし、そもそも難しいことを書けなんて言われてもすごく困る。例えば、自・公・保連立与党とその他もろもろの野党とでは、どちらが政権を握るのが良いか?なんて訊かれたって、そんな難しいこと、僕には答えようがない。マイナス98とマイナス100を比べたって、どっちも良いわけがないじゃないか。そんなことはどうでもいい(本当にどうでもいいのだ、政治家なんて)。問題は、僕がどうして素直に正月を喜べないか?ということである。しばし考えた後、僕が出した結論は以下の通りである。「教育が悪い」もうこれしかない。異論のある方もいることとは思うが、僕の日記なのでほっといてください。小・中学生の頃、冬休みの宿題にはたいてい書き初めがあった。で、廊下に張り出すんですね。迷惑この上ない。出来の良い生徒(先生の受けがよい子達)なんて、いかにもってやつを書いてくる。「継続は力なり」とかそういうの。そもそも僕は、この言葉が嫌いなのだ。「どんなことでも、やり続けていれば必ず身に付く」という意味のありがたいお言葉ではあるが、本当だろうか?極めて疑わしい。もしも何でも長年続ければ上手になるというのなら、どうしてアグネス・チャンの日本語はいつになってもまったく上手にならないのだろうか?
2003年01月01日
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