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タイトル変更しました
欧州のポスト 1 郵便事業のルーツと黄色いポストの由来
公的な書類の輸送から発展した郵便事業
庶民向け郵便サービスの始まり
黄色のポストのルーツは黄色い馬車から
いつか黄色のポストの特集をしようと写真を撮っていたが、驚いた事に日本でも最近わざと黄色いポストを設置する所が出てきたらしい。
日本の場合は、「黄色い幸せのハンカチ」に引っかけたのか? 幸せを運ぶ黄色いポストとして縁起担ぎと観光誘致が目的らしいが・・。
欧州の場合、長い歴史の結果が今の形を作ったわけで、そこに至った理由はまさに必然。
今回は元祖欧州の黄色いポストに由来する欧州の郵便事業のルーツを再度紹介。
以前紹介した内容に加えて編集しました。
2009年07月07日「 馬車と駅馬車 」
リンク 馬車と駅馬車
2009年12月07日 「クリスマス臨時郵便局 1 (クリストキンドルと郵便ポスト) 」
リンク クリスマス臨時郵便局 1 (クリストキンドルと郵便ポスト)
フランス シャルルドゴール空港ゲート前のPOST
公的な書類の輸送から発展した郵便事業
15世紀まで馬車は王侯、高位聖職者、豪商の私有物に限られていたそうです。
実際 初期の郵便のルーツは神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世( 1459年~1519年)のもと、皇帝の領地間などの文章の輸送業務の為に開かれた定期便が初め と
考えられています。
その時に皇帝マクシミリアン1世に郵便主任を命ぜられたのがフランチェスコ・デ・タシス1世( Francesco I de Tassis)(1459年~1517年)
最初のルートは皇帝の弟であるブルゴーニュ公フィリップ(美公)が統治していたブルゴーニュとネーデルラント地域間の物資輸送。
補給拠点や馬の交換の中継拠点をルート途中にもうける事で長距離輸送をも可能にしたのである。
フランチェスコ・ デ・タシスが
郵便主任として開拓たルートは
ブリュッセル=インスブルック、パリ、レンヌ、リヨン、グラナダ、トレド、ブルゴス、ローマ、ナポリ。それは
神聖ローマ皇帝を世襲にしたスペインハプスブルグ家とオーストリーのハプスブルグ家をつなぐルートである。
「これは商売になる」と考えたフランチェスコ・デ・タシスはマクシミリアン皇帝の許可の元、独占権を獲得。商業ベースでの駅馬車郵便事業を立ち上げたそ
うです。
時は 1516年。それは公用郵便をタダで運送する代わりに、民間郵便の独占権を認めてもらう契約だった
と言います。西はスペイン、南はイタリア、北はドイツ各地を広範囲に網羅する神聖ローマ帝国内の独占権を1805年まで一人締めです。(18世紀になると各国が国営化。)
庶民向け郵便サービスの始まり
手紙や小荷物を運ぶ・・と言う庶民の郵便のルーツは駅馬車の登場につながります
。
中世が安定して商業や手工業が発達。商いが広域に拡大してくると、水路を利用する輸送から、陸上輸送の方にも需要が生まれてきたようで一般庶民も乗る事のできる乗り合いの駅馬車の需用も増えたようです。
最初は注文要請された場所まで行くチャーター便だけ。そのうちに一定の区間、(街道や街、港等の往復)を走るようになり、運行時間が決まった、定期輸送便へと進化。
長距離便では、何泊もするものも登場。パリ~リヨン間を結んだ駅馬車(Diligence)は、夏は5日、冬なら6日もかかって両都市間をつないだと言われています。
※ 以前 「ロンドンバス(London Buses )」で紹介しましたが、 ロンドンではこの
辻馬車の屋根に椅子を乗せて 乗客を増やした・・と言う2階建ての駅馬車の
発想が、2階建てバス(ダブルデッカー)の誕生となっています。(ロンドンに辻馬車が登場したのは欧州本土より遅れる事、
1625年)
フランチェスコ・デ・タシスはこれに目をつけ、 もとは手紙だけを配送する荷馬車から客の乗れる少し高級な駅馬車に発展。あるいは、路線が既にできていた他社
の駅馬車に
手紙を一緒に運ばせたりして事業を拡大 して行ったようです。
考えれば、
これが郵便車のルーツ
となります。
今に残るクレムスのポスト・ホテル(Post Hotel)
駅馬車は各都市の主要ホテルを発着場所にしたので、当時郵便物はホテル止まり、あるいはホテルで委託を受ける・・と言う形
になっていたようです。
それが ポスト・ホテル(Post Hotel)と 呼
ばれる存在です。
上の写真は前 に「ヴァッハウ渓谷 (Wachau) 9 (クレムス)」の所
で紹介したものです。
郵便自転車の色も黄色だった
スイスでは現在も郵便バスが存在している。
これは郵便物を運ぶ車に登山客を乗せてあげる為にバス化した珍しいパターン。
スイスのPOST
オーストリーのPOST
スペインのPOST
スペインのPOST
ドイツのPOST
スウェーデンのPOST
スロバキアのPOST
ギリシャのPOST
黄色のポストのルーツは黄色い馬車から
フランチェスコ・デ・タシスは御者に華やかな制服を与え、馬車は全車美しい黄色に塗って走らせた
そうです 。 鮮やかな馬車は宣伝効果も満点で、片手間の辻馬車メールから定期便の配達馬車に変え、さらに、ホテル止めの
メールを地元の飛脚に顧客の家まで配達させたと言うことで現代の郵便事業そのものの基礎を作った人
なのです。
現在に観光で復刻され走っているニュールンベルグの黄色の郵便馬車
長く欧州での庶民の郵便物を配送していた黄色の馬車。
それ故 、「黄色い馬車=郵便」 のイメージは強く、欧州のほとんどの国のポストは黄色になった
。
そして、 御者が馬車の到来を告げる為に鳴らした角笛は、今も郵便のシンボル・マーク
となって現在に継承されている。
因みにイギリスではポストは赤です。日本はそれを真似したわけですが、イギリスがポストを赤に変えた理由は、その方が霧のイギリスで目立ったからのようです。
現在赤いポストに変わっているのは、イギリス、イタリア、ノルウェー、アムステルダム、ベルギー、モナコは確認済みです。
アイルランドはグリーンです。
容量オーバーなので赤いPOSTは次回。
リンク 「欧州のポスト2 赤色-ポストの誕生と緑のポスト」
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