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静岡県袋井市出身。大蔵省(現・財務省)官僚から政界に転じ、衆議院文教委員長、国土庁長官、金融再生委員会委員長、金融担当大臣を歴任。自由民主党宏池会(古賀派)に所属。東京大学法。金融担当大臣就任当時、「日本の銀行はいたって健全であり、公的資金の投入は必要ない」などと発言し、その姿勢から、経済財政政策担当大臣の竹中平蔵と対立した。 この対立は、そのまま内閣府経済財政諮問会議などの場で議論が繰り返され、最終的には、内閣改造時に柳沢が更迭され、竹中が金融担当大臣を兼務することで決着した。 日本の憲政史上稀に見る「政策の対立による閣僚更迭」となった。 旧大蔵省(現・財務省)出身で、自由民主党税制調査会会長を務めた経歴から、自民党屈指の「増税による財政再建論者」と評される。法人税減税には反対していないが、消費税増税を強く主張しているという。「ホワイトカラー・エグゼンプション(残業代ゼロ)」法案を強力に推進した。 一定時間を超える残業代の支払いを行わない(サービス残業合法化) 週40時間労働基準の撤廃 雇用者の健康管理義務削除・労災対象からの除外(過労死合法化) 非正規雇用の正社員化を法案から除外 安倍内閣の支持率が急低下し、自民党内部から批判がでてもなお、諦めず厚生労働大臣として強行しようとしたが、安倍首相が審議見送りを決定し、見送られることとなった。 2007年1月27日、島根県松江市で開かれた自民党県議の集会で少子化対策に触れ、「機械って言っちゃ申し訳ないけど…15~50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、機械というのはなんだけど、後は一人頭で頑張ってもらうしかないと思うこういう風に並べると。ひどいね。安倍さんは、こういうひとをよく選んだね。明日にでも、辞任するだろうよ。任命責任もいわれるだろう。
2007.01.31
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「言葉にできない」がシングルとして発売されたのが1982年2月1日、25周年の記念すべき日を迎えます。当時、オリコンの最高順位は37位に終わったこのシングルですが、オフコースが解散して10年が経過した1999年に明治生命のCM曲として使用され、大きな話題となりました。小田さんの歌になってしまいましたが、もともとは、小田さんが、オフコース5人時代ヤスが抜けて、その彼のために感謝の気持ちをこめて作った。これほどに、長いこと愛されることになろうとは小田さんも、つらいでしょう。もう、この歌のことはぼくのこのサイトでは何回も取り上げているので、割愛。25年も、リバイバルだが、残る、歌なんて、そうない。最期の武道館ライブでは、涙につまって歌えなかった場面に僕は感動した。小田さんがリメイクし、安田生命のCMで放送され好評を帰した、この作品のありかたが、人生を生きるうえで大切な人にオクル。その感謝の気持ちが「言葉にできない」。CMでは、難病でも生きることにがんばった子供に親が送るきもちとして放送された。日本の名曲のひとつだ。
2007.01.31
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TBS系列・HBC北海道放送制作「たった一度の雪SAPPORO・1972年」放送日:2007年2月25日(日)14:00~15:24(予定)主題歌『サッポロSNOWY』出演:神田沙也加 、他 1972年の札幌冬季五輪に雪の降らない台湾から選手たちが参加。彼らは政治的な問題で国連脱退を余儀なくされた台湾の存在を、世界にアピールするため五輪に派遣されたのだった。その台湾人選手・孫台生(チェン)と、アルペン女子回転競技に地元の期待を背負って出場した日本代表・下村千穂(神田)との、時代と国境を越えたラブストーリー。神田・・東京都世田谷区出身。母は歌手の松田聖子、父は俳優の神田正輝。両親が離婚後、親権は母親の松田聖子にあり、沙也加の本名も、母親の蒲池家の戸籍に入るはずだった。しかし、学業の途中で娘の姓が変わることを問題と考え、しかも娘と同じ姓にしたいと思った聖子が、新しく神田の戸籍を作り、母娘一緒にそこへ入ったため、本名は神田沙也加となった。決してタメ口をきかず、きちんとした日本語を話し、また礼儀正しいことで知られる。中学時代は囲碁将棋倶楽部のキャプテンで、本人いわく、それなりに強かったそうである。松田聖子の娘ということ、また母・松田聖子とのCM共演などから、母親のイメージをダブらされたりするが、文才があり、また自作の詞は内省的で、母親の聖子とは違ったキャラクターと才能が注目されている。
2007.01.31
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佐野 元春(さの もとはる、1956年3月13日 - )は、東京都千代田区神田生まれのミュージシャン。立教高等学校(現立教新座高等学校)、立教大学社会学部卒業。血液型はB型。大学在学中、後に「スパイ」でブレイクする佐藤奈々子とユニットを組む。大学卒業後は広告代理店Jウォルタートンプソンに勤務、ラジオ番組のディレクターをつとめる。バブルガム・ブラザーズのブラザー・コーンとは中学校の同級生。1980年にEPIC・ソニーのレーベルプロデューサー小坂洋二に才能を見出されメジャーデビュー。彼の音楽が衝撃的であったのが彼の音楽は、いまの音楽につながる扉を開けたとおもう。彼の音楽は、16ビートに言葉を巧みに乗せ、ラップ的な要素、もしくはヒップホップ的要素巧みに取り入れ、のちの尾崎豊に影響を与えようの感じる。言うまでもなく、彼が受けた影響が海外のものでもあるはずだが、松本隆、大瀧詠一、山下達郎などの路線であることは間違いないと思う。ぼくは、オフコースやLIPや、さだまさしの世代でもあるが1980年、下宿の後輩が、レンタルレコードで借りてきたLPを聞いて驚いた。かっこいいのである。オフコースが、もっさく感じて、恥ずかしくなるほど洗練された音。「ファーストアルバムってのは一番最初にファンとの約束をとりつけるアルバムだから、自分の音楽性はすごく多面性を持っているので、なるべく幕の内弁当的にいろんな要素のものを入れておこうと考えた。そういう風にやっておけば、あとで自分がどの方向に発展しても合点がいくから。」86年の音楽冊子でそう語った。Back To The Street/佐野元春 1980年の春にそのLPはでた。元春の母は、ジャズ喫茶を経営していたらしい。彼の音楽の原点は、誰でもおなじように、なかなか、実現しない。彼は、ボブ・ディランやビートルズを聴いてロックに魅せられ、中学時代にバンド活動を開始、平行してソング・ライティングも行うようになって行きました。18歳の時に、ヤマハのポピュラー・ソング・コンテストに出場し、1977年には、佐藤奈々子のデビュー・アルバム「ファニー・ウォーキン Fanny Walkin'」にソング・ライターとして参加、一時はサラリーマンになりますが、ミュージシャンになる夢が捨てきれず、1980年念願のソロ・デビューを果たしました。ファースト・アルバム「Back To The Street」は、あきらかにブルース・スプリングスティーンを意識した作りでしたが、ソング・ライティングの素晴らしさは、それまでの日本のロックの常識を覆すものでした。元春は伊藤銀次とであい、そのすごくセクシーなLPを仕上げる。オフコースやLIPなどの「 愛の世代 」が終焉になり。かっこよさや、スタイルなどを重視した。 「 シティーPOPの見せ掛けの時代 」に入る。その時代は、重厚壮大なものより、軽薄短小の時代となる。実際に聞くと、元春の音楽はそうでない。重厚な音楽である。それにハートフルな、メッセージが溢れる歌詞。しかし、彼のロックンロールの要素だけ表面の理解しかせらてないことでセールス的にも90年に頭打ちとなってゆく。しかし、彼はスタンスを変えず、自分のメッセージをきちんと伝えている。
2007.01.31
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ぼくは、さんまはすきだった。でも、いまのさんまはぜんぜん、おもしろくない。パターンがおもしろくない。三枝が、テレビで面白くなくなったのは、あの、「がははー」と笑う、笑いやのおばハンたちの声である。笑屋とは、番組を見にきて、笑うことだけするのである。どんなことをいっても、笑うので。笑いのセンスがおかしくなり。テレビの見てる人は、しらける。さんまは、裸の王様になった。まわりは、さんまに、だめだしをされないように緊張する。さんまの番組にでようと、媚を売る。気がつけば、裸の王様になってしまった。きずけよ。さんまの話題で申し訳ないが。斉藤哲夫さん「さンま焼けたか」いい歌なんです。 歌詞 試聴ほのぼのとしたかんじでリズミカルな曲。この歌で、ドラマができそうです。
2007.01.30
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民主党の小沢代表、社民党の福島党首、国民新党の綿貫代表は30日昼、国会内で会談し、「(女性は)子供を産む機械」と発言した柳沢厚生労働相の辞任を求め、辞任しなければ31日以降の衆院予算委員会の審議に応じない方針を決めた。 与党は、野党が欠席しても審議を続けることにしているが、与党内でも辞任を促す声が出るなど、波紋が広がっている。 野党3党の党首会談では、「人として許されない暴言で、容認できない」という見解で一致した。3党首はその後、塩崎官房長官を首相官邸に訪ね、厚労相の辞任を求める安倍首相あての文書を手渡した。これに対し、塩崎氏は「誤解を与える発言だったことは事実で、申し訳ない」と謝罪した。追求するので一番よかったのが、手塚治の顔みたいなあのおっさん。辻元清美がでてきたのは、まいった。ああ、うそつきな女、問題がくもる。柳沢のおっさんも、あほやな。ほんま、あほやな、小学生でも、あんなこといわないぞ。国会議員の人間の真性の低さが証明できましたね。はやく、やめなさい、それしかないよ、どう考えても、ぼくが安倍さんら往復びんたして、「あほか。やめ!田舎かえれ、だぼか。」そういってやります。それが、本当のやさしさです。奴らは建前の自分のことしか立場しか守れないみにくいのです。追求する、小沢さん、パッションを感じないのです。
2007.01.30
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【ニューヨーク=大塚隆一】AP通信によると、ギネスブックで長寿世界一と認定されていた米コネティカット州の女性エマ・ファウスト・ティルマンさんが28日、同州の介護施設で死去した。114歳だった。安らかな死だったという。 これにより、ティルマンさんと同年齢ながら誕生日が43日遅い福岡県福智町の皆川ヨ子(よね)さんが世界最高齢者になる見込み。 ティルマンさんは1892年11月22日、解放奴隷の一家に生まれた。長寿の家系で兄弟姉妹22人のうち4人が108~102歳まで生きた。今月24日、それまで長寿世界一だった米自治領プエルトリコの男性が死去したのに伴い、世界最高齢になったばかりだった。 長生きは幸せだろうか。悲劇かもしれない。自分以外のひとびとの葬儀にすべて参加し、友たちは先立ち。どうだろうか。いまの世なのか、60歳で定年して、そのあとの人生の時間のほうが長い。べらぼーな時間。酸化老化しながら、ボケや大腸癌などを向き合い脳にも爆弾を抱え、生きることは大変なことだ。いまの医学はもっと進歩しようとしている、「延命治療」ぼくは、拒否したいね、生きる尊厳は、死ぬことの裏返しだ。114歳か、長いな、それにくれべらば俺なんかくそがきだあ。きんさんぎんさんも、老齢になってからマスコミにいじられて、たいへんだったらしい。
2007.01.30
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1975年この年は、おそらく1600年の関が原の戦いのような歴史的な意義をもつ年だ。おおげさでわるいが。音楽フォークとしてだ。1975年頃、青山学院大学で活動が始まり、現在までも引き継がれている音楽サークル“Better Days”(ベター・デイズ)のメンバーだった桑田を中心に母体となるバンドが結成される。初期の頃は“温泉あんまももひきバンド”、“ピストン桑田とシリンダーズ”、“ピストン桑田と脳卒中”、“桑田佳祐とヒッチコック劇場”など、奇抜なバンド名でコンテスト毎に何度もバンド名とメンバーを変更していたが、最終的には原由子参入の際、桑田の友人が風呂の中で安易に思いついたという、サザン・ロックとファニア・オールスターズを組み合わせた“サザンオールスターズ”を使用する。この「オールスターズ」には、これ以上バンド名を考えるのが面倒で、また、メンバーチェンジがあっても良いように流動的に入れ替わる全てのメンバーを総称してのバンド名という意味もあった。当初は“ピストン桑田&サザンオールスターズ”、続いて“桑田佳祐&サザンオールスターズ”と名乗っていたが、後にサザンオールスターズに落ち着く。その後、幾度かのメンバーチェンジがあったのち、1977年にアマチュアバンドのコンクールである「ヤマハEastWest'77」に出場し桑田がベストボーカル賞を獲得。この頃には、青学の学生ではなかった松田弘・野沢秀行も加わりメンバーはデビュー時の6人に固まった。一方、長渕は、鹿児島から福岡に出た年が1975年。九州産業大学に進学。あのライブハウス(照和)で活躍を始まる。客に「なんばうたっとうね、演歌やらんねー」泥酔の客にどなられても。なんとか、歌う。財団法人ヤマハ音楽振興会主催の、第15回ポピュラーソング・コンテスト(通称ポプコン)、現在のTEENS' MUSIC FESTIVAL)に出場。『雨の嵐山』で入賞を果たしたいまでこそ、ヤマハは・・だが。音楽の歴史を変えたヤマハは、じつにえらい。ヤマハのコンテストがなければ、サザンも長渕もオフコースも中島みゆきもあみんも。いない。ぼくは、その後の長渕の苦悩を感じる。「雨の嵐山」もう演歌の世界。それから、80年に風はみなみからが売れるまで下積みを重ねる。憧れの拓郎の篠島のライブの前座で、やじられ。帰れーといわれ。当時は、帰れコールの洗礼がおおかった。長淵の繊細なイメージといまを比較すると、彼の苦悩を感じる。テレビの家庭教師役がきて、そればっかりの仕事がきたり、「うその歌ばかり、もう、自分が嫌で、死のうとおもった」テレビのトップランナーの番組でそうコメントをしていた。桜島をみて、いまの歌ができて、新境地にいたったそうだ。離婚をし、薬でつかまり、体をまっちょにし。高い澄んだ声をだみごえにかえようとした。長渕は常に自己否定と自己研鑽とをくりかえしてるようにみえる。一方、桑田、その音楽性は高い、彼の中に暗さも微塵も感じない。明るい湘南のイメージ。これが、かれのつかみ。それから、あの歌い方である。日本語にリズムをつけた歌い方は彼が家元であるともう。桑田の「すべての歌に懺悔しな!」の歌詞をめぐり、当時マスコミを巻き込んだ大きな論争となった。ここを参照同時ころのデビューでその生き様はぜんぜん違う。おそらく、長渕の気持ちは否定されたくない強い思い。弱い自分を否定したいと、強い自分を見せたい。そういうことが、マスコミの餌食(飯の種)になったにすぎない。人間の弱さと、強さ、苦悩を長淵は教えてくれる。でも、むりな、まっちょは、辞めるべきだ。桑田は王道をゆく。彼の中には歌謡曲で培ったセンスがあり、チームワークの力を感じる。しかし、そのSASの身内からも大森が抜けて、薬でつかまる。音楽をプロとしてやってゆく上では大変な苦労がある。それと、ヒットを次に出してゆくのが、かなりの精神的な圧迫になる。聞くもの大衆は簡単だ、。奸悪で、「おちめだなー」それでおわる。じっくりと、向き合った音楽などほとんどにひとが持ち合わせていない。アーチストたちには敬意をもつ。CDをレンタルせずに買うことやコンサートにいくことは大事なことだ。芸能人でなく音楽家として、どうあるべきか。そこに執着したい。テレビマスコミの餌食になっては、うかばれない。
2007.01.30
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ジ・オフ・?コースが多分、正式な最初の名前だろうか。地主道夫さんの ジをとったのかな。地主さんは、オフコースを辞めて、建築にもどった。竹中工務店のひとのログが、ぼくのこのプログの足跡に。。。「 おおお!もしかして。地主さんか!」そう勘違いして、もしくは、思い込んでみて彼の検索をしてみた。まず2005年 日本建築学会賞(作品)受賞者記念講演会「作品を語る」<主催> 日本建築学会・東海支部<協賛> 日本板硝子株式会社・東京ガス株式会社<受賞作品> 積層の家 大谷弘明(日建設計大阪設計室設計室長) プラダ ブティック青山店 ジャック・ヘルツォーク(ヘルツォーク&ド・ムーロン代表) ピエール・ド・ムーロン(ヘルツォーク&ド・ムーロン代表) 株式会社竹中工務店設計部<プログラム>□名古屋会場(東海支部)日 時:2005年10月12日(水) 18:00-20:30(開場17:30)会 場:名古屋国際会議場232+233会議室 (名古屋市熱田区熱田西町1-1)記念講演:大谷弘明(前掲) 地主道夫(竹中工務店営業本部専門役(当時:総括 設計部設計部長))これを発見した。すごいね。地主さん、もう定年ですよね。がんばりましたよね。小田さんの夢の建築の夢の分までがんばったのかな。建築がすきだったのか。かな。小田さんも建築と訣別して音楽でがんばってます。鈴木さんも、あいかわらず。アコギで、こつこつやってます。どうですか、3人で、やりませんか。もう一度。ジ・オフ・コースコンテストにでてもいいし、定年のあとは長いくて果てしないですよ。竹中にのこるの?どうです?やりましょう。長七ぷろぢゅーすジ・オフ・コース 復活コンサート横浜教育会館小ホールチケット 500円すべて、寄付。(日本育英記念財団に)
2007.01.29
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ぼくの中ではときどきに忘れられない歌がたくさんある。佐野元春の SOMEDAY丁度、ミニFMをやりだしたころで、就職と人生の行き先になやんでいたころ。オフコース 「愛をとめないで」「さようなら」高校のときの失恋を思い出すあの歌。小田さん 「マイホームタウン」故郷がかわりつつあるでも自分の街であるという震災の変化を感じる。中島みゆき 「 狼になりたい」忘れれらない名作 親愛なるものへ高校の時の深夜ラジオできいて、翌日、LPを買いに行った。TULIP 「サボテンの花」死んだ友人とギターで下宿の2階で歌った。もう、歌えない。浜田省吾 「愛の世代を前に」ブレーク寸前の彼を学園祭でみた。歌、それを聞くたびにあの頃をあのシーンを思い出す。あの時の匂いさえもかんじる。タイムスリップしたようだ。拓郎の歌を歌うことも背景の画像の積丹かもいYHで歌った。「遠い世界に」すべて思い出のアルバムにいい音楽をあの時聴けて幸せだ
2007.01.29
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ぼくはもう2000年のころからそのまんま東のことが、WEBで知っていた。このインフォシークの無料のサイトを作って日記をかいていた。政治の勉強で大学にいきながら仕事をして、ライフワークのマラソンもしていた。淫行逮捕事件のことを思えば、想像しがたい。いつ出るのか、ファンたちもどうなるかと、で、宮崎で知事の逮捕の事件。ああ、でるな、そう感じた。で、かとうかずこをまきこまないためにも離婚して、迷惑かけないようにした。たけしにも、芸能界やめてから、いけ、そういわれ。選挙応援にタレントをよばなかった。ノックさんは、よびまくった。というか、集まった。「選挙に金がかかりすぎる」そういっていた、そのとうりだ。今の選挙はまったく、意義も意味もない。選挙関連の業者とバイトが潤うばかりだ。あの、あほみたいに、歯をむいて笑ってバックはたいてい青空で念仏のように 「改革」といってる、みんなそうか。あの、ポスターだけでも、相当金かかってる、名前の連呼の選挙カー供託金。で、選ぶひとびとは、真剣にえらんでない。たしかに、そうだ。判らない、じゃまくさい。どうでもいい。どうせ、誰がやっても同じか。。それで、いいことだけ並べる人にだまされる。それで、再び財政赤字をふくるますような、はこものを作る。いまの政党政治は、はっきりいって、「破綻」してる。財政赤字の実感のなき、おぼっちゃま二世議員は、みなさん、裕福。知事の多選を制限しないので、権力が集中し贈賄、談合が発生する。県がおこなう土木工事は河川や港湾など、おおきなものが市町村にくらべて動くかねの桁が違う。したいほうだいの知事が、おこるのはむりもない。しかし、そのまんま東が議会の県議とどう向き合うかが一番の問題。それに、鳥インフルエンザの問題。ぼくは、彼を応援する。
2007.01.28
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野党各党は28日、柳沢厚生労働相が「(女性は子供を)産む機械、装置」と発言したことについて、「厚労相として許されない発言だ」と一斉に批判した。 共産、社民両党は厚労相の辞任を要求する考えを明らかにした。29日から本格的に始まる今国会の論戦にも影響を与えそうだ。 関係者によると、柳沢厚労相は27日に松江市で開かれた島根県議の会合で講演し、「(女性という)産む機械、装置の数は決まっている。あとは1人頭で(多くの子供を産むように)がんばってもらうしかない」と発言した。厚労相はその場で「機械と言ってごめんなさい」と謝罪し、「産む役目の人」と訂正した。 柳沢氏は28日、記者団に「少子化問題はわかりにくいので、モノの生産に例えて機械などという表現を使った。適切でないと気づき、言い換えた。女性を蔑視(べっし)する考えは全くなかった」と釈明した。まあ、なんというか、あほというか、このおっさんは、大臣であるまえに人間として、あかんな、こういう人間が政治家に当選し、大臣になることがいまの、政治家のレベル。
2007.01.28
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僕が大学を出て、周囲の顰蹙や静止もきかず。ファミレスに入社していろんな経験をつんだ。今にして思えば、本当に人生の修業をさせてもらった。だいぶ昔、部長から或る社員を預かった。なんとか、使ってくれ。まあ、仕事はできない。人はつかえない。「おまえ、辞めたほうがいいんではないか。」そう、僕は評価の時に言った。しかし、彼は辞めなかった。あるときである。ヤンキーの子どもと、バイトのリーダーの女のこが衝突した。ヤンキーたちが、騒ぎ、ベルスターを連打、女の子がきれた。その社員は、割って入った。「君たちは、もし、別の立場でそういうことをされたら嫌だろう。お客さんであるまえに、人間として、やってはいけないことがあるんだ。」ぼくは、ヤンキーに説教する話を聞いて、目から鱗が落ちた。すごい、すごすぎる。彼がそんなことをいうなんて・・・「お客様は神様、王様・・」のような思想が蔓延していたなか。「お客様であるまえに、ヒトとしてどうなんだ。」まあ、僕たちもそうだ。「従業員であるまえに、ヒトとしてどうなんだ。」僕は大いに反省した、彼の言葉に感動して、いまだに、そのことを念等においてる。客であるといばるのは、どうでもいいこと、うっすっぺらな人間のこと、ぼくも、そのお客さんが、人としてきちんと扱えればそれでいいのだ。彼に学んだ、ぼくはもう辞めて8年に近くになるが、そいつは辞めずにがんばってる。お客様は神様なんかじゃない。ヒトとしてお互いどうあるかだ。媚びない。へつらわない。せいっぱい、胸はろう。
2007.01.28
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去年にたのんだ。斉藤哲夫のソニーからでている、ベストが届いた。おそらく、ぼくみたいに、小田さんのクリ約をみて感化、感動して動いた人々が殺到したんだとおもう。GOLDEN J-POP/THE BEST 斉藤哲夫1. バイバイ グッドバイ サラバイ 2. 今日から昨日へ 3. ねえ君 4. 吉祥寺 5. グッド・タイム・ミュージック 6. ハローハロー 7. MR.幻某氏 8. あんたのあの娘に 9. ランランラン 10. さんま焼けたか 11. 夜空のロックンローラー 12. 僕の古い友達 13. まさこ 14. ヘイ!ドクター 15. 思い出のレター 16. 旅に寄せて 17. Good Night Mr.Moonlight 18. ラブ・ソング サラバイという、いみは、なだろうか。残念ながら、「悩み多き者へ」ははいっていないのだ。でも、グットタイム・・は、ある。あのクリ約は、原曲に忠実だっいたことがわかった。あの演奏のfar east cafe bandたちのうまさも息を呑むようだったが。斉藤哲夫がおしえてくれたのは、僕のような人間に、「時代がかわってゆくのだと」ということ。国がわるいとか、経済がわるいとか。いろんな作用反作用あっても、ずんずん、時代がながれて変貌してゆく、どこにいくのかわからないのだが。音楽を愛し、食堂やに生まれ。音楽を志最初はいいが、あとの苦労、売れない時代が長くてもプロでも、アマでも音楽は音楽だ。音楽は、そうだ、音を楽しむことだ。音符がはねて言葉が返し僕たちの耳をうるおし、心を熱くさせる、魂の光に力を与えてくれる。ガードマンやっても、トラックの運転をしても音楽を続けていった彼の生き様こそフォークの真髄ではないだろうか。MR.幻某氏 この言葉があの掛け合いで違うかんじに。さんまやけたかこの歌も最高。風景画みえてくる。試聴
2007.01.28
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あのおっさんが、誤用引用古語。「断腸の思い」。猿の親子の悲しい物語、100里も追いかけて悔しくて死んだ母猿、昨日のことだった、いつもルーチンでデリバリーしている会社にいくと、いきなりトイレで、ジャバーといわし、おばさんが出てきて。「 もう、明日から弁当もってこなくていいから。付き合いでよそでたのむようになったから。」俺 「ああ、はい。」言葉を飲み込んで帰る、まあ、仕方ないか、しかし、お客さんのことを悪く言うのはよくないが500円のを400円にしろとか、みそしりだたでつけろとか、つけにしろとか、翌月15日ばらいとか、量が少ないとか、さんざん、いろいろいわれて、これか。。。これが、まさしく、断腸である。そういうことがあって。妻に伝えて、ぼくは、おこってしまった。怒る相手がいないまま。妻も献立を考え、毎日考えていそがしなか、なんとか、配達して・・・「おいしいだけでは、うれないな」そう思った、むかし、テレビで アイコがデビュー前にある、プロヂュサーに、デビューしたいといったらそっけなく。「うまいだけでは、売れへんし、 演奏ができるだけでも、食えへんぞ。 やめとけ!あまいんじじゃ」といわれたらしい。このアイコはその後、インディーズから、自分の力でCDをだしメジャーの世界に入る。小田さんもそうだ。ソロになり、ラブ突がミリオンになった。その後遺症になか、映画もすべりさんざん、いわれて、マイホームタウンを出す、このCD、売れなかった。エッセイでも書いてるがああ、そうか、僕の歌は受け入れてもらえないんだ。そう思ったらしい、この音楽の世界もセールスの数の世界。そして、セルフリメイクしたあの。LOOKING BACKを出し、自己ベストをだして。予想ドウリ。売れる。オフコースの小田和正。としか、受け取ってもらえない。俺は俺だ!そして、開き直り。個人主義 を出す。もう、恋愛がどうのこうの、というのはいい僕が感じて僕のことを好きにかけばいい。それが。僕の心を留めた。そうかな。のCDは、最高に僕の気持ちを揺るがした。そこが、やはり、小田さんのすごいところ、僕もめけずに、また、セールをするよ。開きなおって、弁当、売るよ。
2007.01.27
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夢花風さんが教えてくれた。先日のしゃぼんだまとんだの歌の意味。そひて、野口雨情。彼の作品はたくさんあるのに彼がなくなった日、誰もきずかない。もう、62年もまえのことだけど、あの父親に殺された子どもの気持ちはどんものだったろうか。信じるものは、なにか、あったのだろうか。寒いと感じて、この世を恨んだだろうか。恨むことすら知らなかったのだろうか。
2007.01.27
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角田義一参院副議長は26日、国会内で会見し、01年参院選時の政治資金不記載問題の責任をとり副議長職の辞任を表明した。会見に先立ち扇千景参院議長に辞職願を提出した。角田氏は民主党の会派を離脱中だが、同党にとっては「政治とカネ」問題が焦点となる通常国会冒頭で大きな痛手を被る形となった。 角田氏は01年参院選群馬選挙区から民主党公認で当選したが、その際に「陣中見舞い」として受け取った寄付金約2500万円の裏帳簿が発覚。角田氏は23日に関与を否定する記者会見を行った。しかし、同党は7月の参院選をにらみ今国会では「政治とカネ」問題などで政府・与党に攻勢をかける方針で、国会審議への影響を懸念する同党内では早期辞任論が強まっていた。 参院副議長が不祥事で辞任するのは初めて。参院議長では02年に井上裕氏が秘書の収賄疑惑で辞任。00年には斎藤十朗氏が選挙制度改正をめぐる国会混乱の責任をとって辞任している。政治資金規正法(基本理念)第2条 この法律は、政治資金が民主政治の健全な発達を希求して拠出される国民の浄財であることにかんがみ、その収支の状況を明らかにすることを旨とし、これに対する判断は国民にゆだね、いやしくも政治資金の拠出に関する国民の自発的意思を抑制することのないように、適切に運用されなければならない。2 政治団体は、その責任を自覚し、その政治資金の収受に当たつては、いやしくも国民の疑惑を招くことのないように、この法律に基づいて公明正大に行わなければならない。このおっさんは、旧社会党から群馬の県連のえらいさんであり、政治家として長い。このおっさんは。会見で、要点をのべなかった、感想文のような会見で「 断腸の思いで、辞任する・・」といった、別に国会議員はやめない。この断腸の思い。これが、ぼくが腑に落ちない。思いが発した。なんで。。。断腸の思いとは・・・・中国、晋の武将、桓温が三峡を旅したとき、従者が捕らえた子猿を追って母猿が百里あまり岸伝いについてきて、やっと船に飛び移り、そのまま息絶えた。その腹をさくと腸はみなずたずたに断ち切れていたという「世説新語」黜免(ちゅつめん)の故事による。誤用ですね、おっさん。あなた、政治規制法の理念を忘れたのですか。まあ、同じな金だから、どう使おうとまぜこぜにして、ベンツかったり、クラブいったりするのだろうけど、反省してないやん。旧社会党の体質はほんとうによくなかったんですね。それにもまして、民主党。もう、見てられません、何処を応援すればいいのか。わかりません。
2007.01.27
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自宅敷地内の作業用小屋に、小学4年生の二女(10)をロープで縛り、放置したとして、宮城県警築館署は27日までに、逮捕監禁の疑いで、同県栗原市築館、バス運転手遠藤忠男容疑者(52)を逮捕した。二女は低酸素脳症が続き、4日後に死亡。同署は同日、司法解剖を行い、縛ったことと死亡の因果関係を調べる。 遠藤容疑者は「言うことを聞かせるため、しつけのつもりでやった」と供述。同署はこれまでにも、縛ることがあったとみて追及している。 本当に痛ましい事件だ。躾のために縛り放置するとは、低酸素脳症というからには、寒くて凍死状態になったのだろうか。事件の詳細がわからないので、あまり、批判めいたことはやめよう。安らかに、ご冥福をお祈りします。
2007.01.27
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アーサー・コナン・ドイル(Sir Arthur Conan Doyle, 本名 Arthur Ignatius Conan Doyle, 1859年5月22日-1930年7月7日)はイギリス、スコットランド、エディンバラ生まれの小説家で、推理小説や歴史小説を多く著したほか、SFや戯作など、多岐にわたる活躍を示した。『シャーロック・ホームズ』シリーズに登場する史上最高の名探偵シャーロック・ホームズを生み出した事で知られ、エドガー・アラン・ポーとともに現代の推理小説の生みの親とされている。現実社会でも、ジョージ・エダルジ事件、オスカー・スレイター事件で被疑者の無実を主張し、冤罪を晴らすために力を尽くした。また、冤罪を防ぐために刑事事件の控訴院を設立することに尽力した。SF分野では『失われた世界』、『毒ガス帯』などチャレンジャー教授が活躍する作品群を、また歴史小説でも『白衣の騎士団』、『勇将ジェラールの回想』などを著している。1859年5月22日、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国に属するスコットランドの首都エディンバラで、10人兄弟の第3子で長男として出生。父母ともにアイルランド人のカトリック教徒で、祖父ジョンはダブリンで生まれロンドンに出てHBの筆名で著名な風刺画家となり、伯父は妖精作家のリチャード・ドイルとドイル家はアイルランド系で芸術の職につくものが多かった。イエズス会系のパブリックスクールであるストーニーハースト校に学んだが、学校を離れた1875年にキリスト教やカトリシズムを拒絶して不可知論者となった。その後1876年から1881年にかけてエディンバラ大学で医学を学んだ。このときアストン(現在はバーミンガムの一地域となっている)の町で医師の助手として働いている。父親がアルコール中毒により精神病院に入院したため、在学中に捕鯨船に船医として乗り込み、一家の家計を支えた。大学卒業後は、アフリカ航路の汽船の船医となった後、山師の気を持つ級友とプリマスで診療所を共同経営したが喧嘩別れした。その後ポーツマス市のサウスシー地区に診療所を開いた。彼の診察所はふるわなかったが、患者を待つ間に彼は作品を書き溜めた。なおそのころ、現在FAプレミアリーグに属しているポーツマスFCの創設時に同チームに所属しており、初代ゴールキーパーを務めていた。1884年、『J・ハバクック・ジェフソンの証言』(J.Habakuk Jephson's Statement)という1872年のメアリー・セレスト号(Mary Celeste)乗組員失踪事件に基づいたフィクションであるマリー・セレスト号(Marie Celeste)事件についての短編小説が『コーンヒル・マガジン』(Corn-hill Magazine)1月号に匿名で投稿掲載され評判になる(この小説のためメアリー・セレスト号失踪事件がマリー・セレスト号と誤った名称のまま有名となる)。1885年、彼は患者の姉であったルイーズ・ホーキンズと結婚した。彼女は結核のために1906年に死去した。彼はその後1897年の出会いのときに一目ぼれをしたものの、妻を気遣って精神的なかかわりをもち続けていたジーン・リッキーと1907年に結婚した。1887年彼の最初のホームズ物である『緋色の研究』が『ビートンクリスマス年鑑』にシャーロック・ホームズの登場として発表された。発表後はしばらく売れなかったが、アメリカの出版社の依頼により『四つの署名』を発表してから、ホームズは莫大な人気を博した。だが、ドイル自身は自らの歴史小説やSF物のほうに価値を感じ、シャーロック・ホームズ物を快くは思っていなかった。1890年、ドイルはウィーンで眼球の研究をし、翌91年ロンドンへ移り、眼科専門医として診療所を開いたが、患者が訪れない暇を執筆時間に充てた。ドイルは医者を止めて作家として暮らしを立てていくことを決心したが、作者が望む以上のホームズ人気の高まりに、1891年11月の母親への手紙で「僕はホームズの殺害を考えている……そして彼を永久に消してしまいたい。ホームズは僕の心をよりよいものから取り払ってしまった」と書いた。93年に「悪の組織の首魁」として登場させたジェームズ・モリアーティ(モリアーティ教授)と共に『最後の事件』でスイスのライヘンバッハの滝壷へとホームズを突き落としてしまった。しかし読者はシャーロック・ホームズの復活を声高に要求した。「ホームズの死」を悼んでこれ見よがしに喪章を着けて外出する熱狂的読者もいたという。これに押された作者ドイルはホームズが日本の「バリツ」という武術を用いてモリアーティを滝壷へ突き落とし、自身はモリアーティの手先から逃れるために身を隠し、辛くも助かったことにして復活させた(『空家の冒険』冒頭部)。シャーロック・ホームズは結局、56の短編と4つの長編に登場した。最終作『最後の挨拶』で引退した事になっている。ドイルを最も有名たらしめたシャーロック・ホームズ物ではあるが、その甚大な人気のゆえに実際の事件が作者ドイルのもとへ持ち込まれたり、時にはドイル自身が名探偵と思い込まれることもあり、随分閉口させられたようである。19世紀と20世紀の世紀転換点の時期に南アフリカで起こり、世界中からイギリスによる露骨な帝国主義的行動に非難が集中したボーア戦争に従軍し、『南アでの戦争: 原因と行為』と題された小冊子を執筆した。この冊子は他国でも広く翻訳出版されることとなった。この冊子の功績により、1902年にイングランド南部のサリー州副知事に任命され、また同年ナイト爵に叙せられた。したがって「サー」の称号はシャーロック・ホームズ・シリーズの功績とは無関係である。20世紀初頭に、彼はエディンバラとボーダー・バラズの議員にそれぞれ立候補した。かなりの票を得たが、いずれも落選した。1903年、『勇将ジェラールの冒険』(Adventures of Gerard)を執筆。1912年、『失われた世界』(The Lost World)というチャレンジャー教授、ロクストン卿、マローン記者らが猿人、恐竜と遭遇する小説を執筆。後に同一登場人物シリーズで『毒ガス帯』、『霧の国』を出版。晩年は、第一次世界大戦での息子の死もあってか、心霊学に傾倒し英国心霊現象研究協会会員となるが、科学的すぎるとして脱退。交霊会や心霊学の講演、それに関する執筆などを行ない、「心霊主義の聖パウロ」の異名を取った。そして、コティングリー妖精事件において大失態を演じてしまったコティングリー妖精事件(―ようせいじけん)とは、イギリスのブラッドフォード近くのコティングリー村に住む幼い2人の従姉妹フランシス・グリフィス(1907年9月4日 - 1986年)とエルシー・ライト(1901年7月10日 - 1988年)が撮ったという妖精の写真の真偽をめぐって起きた論争や騒動のことを言う。結論から言うと、この写真は2人による捏造であった。捏造ですな!
2007.01.26
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創価学会。この組織には独特の雰囲気と「膨張」するサガがある。ぼくははっきりいって、その組織は嫌いだ。学生の時、バイトさきのところで、おばさんにことばたくみに集会にさんかさせれたらのが、悪い出会いであった。ぼくはそのおばさんに、猛烈に抗議した、しかし、逆に、あなたにたたりがある、といった。まあ、そのおばさんだけの言動であったようだが、最近、まあ、地域柄、その学会さんたちがおおい。しかし、どのひとも、なぜか。「いいひと」なのである。いろんな人間に、出会い、もまれて、騙されたり、脅されたり。人間をいろいろ、みてきたが、学会の人々は、なぜか、さわやかで、純真で、信じ込みやすいのか、もしくは、「いいひと」なのだ。ぼくは、学会に入ろうともおもわないが、最近、やっと、きずいた、彼らは、いまの人々に欠乏している。何かを信じること。ヒトとの付き合いを大事にし、挨拶や感謝をかかさないのである。しかし、政教分離の法則はぼくは支持する。学会のことを批判したり、ほめたりするのでなく。宗教がどうあるべきかの、答えの一つと感じた。いまの宗教が葬儀ビジネス化っし、戒名も金をつみ、まったく、本来の目的から逸脱っしているとおもう。いとーさんの、書いた。「宗教とは死ならびに死後の説明者である」と宗教を定義します。ということに、背中を見せてぶつぶつお経を上げることが宗教でなく。お経の中の意義を教えることが大事であるはず。死んだら終わり。終わらないければ大混乱。また次の人生に同じ轍をうまぬよう。いまの人生のいろんな問題を克服して乗り越えるそのことが、大切なこと。ぼくがおもうが、さだまさしや、小田和正、松山千春、浜田省吾などの彼らのほうが、宗教的な意義を帯びて演奏してるようなかんじをうける。自由恋愛になったいまの、愛をはどうあるべきか。性とは、どうむきあうものか。あああ。またつまらぬことをかきました。ごめんなさい。寝言でした。
2007.01.26
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人生観とは別に、死生観というのがある。「人間はしんだらどこえゆくか。」ぼくは、ずっと疑問に思う。臨死体験、これも不思議だ、ぼくは、かなり前、喘息がひどくなり、呼吸ができなくなり、ひとり暮らしだったので、自分で119に電話し、なんとか、病院についたが先生がくるまで、放置され、そのときにはげしい発作に見舞われ気を失った。あのとき、或る空間にぼくがいて、むこうのほうで、看護婦さんが僕の名前を呼んでるのがわかった。先生がきたけど、僕は上から見ていて、自分が見えた。自分の顔が真っ青で、「チアノーゼだ!、酸素を用意して、ICUに即入院!」そういってる光景が見えた。お花畑もなく、死んだ友人も出てこなかった、それから、ぼくは、死ぬということがどういうことか考えるようになった。魂というのは、あるのだろうか?あるとすれば体の何処にあるのだろうか?死んだらどこにいくのだろうか・・この世に未練を残すとやっぱり心配であの世に行くのをためらうだろう。僕のいまの憶測に近い考えは、人間の非常事態におちいると、脳の終焉プログラムのようなものが作動し、自分が行きたい光景や会いたい人々が現れ死への恐怖をやわらげてくれるのではないだろうか。母親が子どもを生む時の痛さは相当らしい。しかし、その生んだあとの脳にある快感の脳内物質がでてきてその痛みや恐怖をやわらげ、次への誕生のためにあるという。僕が最近、痛ましい事件を思うに、この世は、あまりにも悦楽すぎて、死というものさえゴミ箱のような扱いを受けていると感じる。生きることは死ぬことを感じてこそ生きている実感を得る。いまは、ただ生かされているというのではなくあまりにも、傍若無人なことが多すぎて、生きているという実感も、尊敬の念もないのではないだろうか。粗末にする人の命や体、それらは、人間そのものを否定するもので、許されるべきでない事象である。もし、自分の家族がそうなることで、どう感じるだろう。歯科医師のあの兄弟のいさかいでは、一方が犯罪者一方がバラバラにされて殺される。どういう家庭なんだろうか。裕福な家庭であるこそ、心の豊かさがとぼしくなる。ないときに判るいろんなことが、贅沢な虚栄心で消滅するのかな。問題の解決手段が短絡すぎる。死ぬということが尊いことであるはずが、いまは、忌み嫌われ隠される、本当の魂は、あるのか。彼らは悪魔に魂を売ったのか。
2007.01.26
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米Googleは25日、2006年11月に買収を完了した動画共有サイト「YouTube」の今後の運営方針について見解を表明した。その中で「Google Video」を通してYouTubeの動画検索を開始したことを発表した。 Google Videoを通して検索を行なうと、YouTubeにホスティングされている動画の結果も表示されるようになる。検索結果でYouTubeのサムネイルをクリックすると自動的にYouTubeのサイトに移り、ビデオを視聴できる。 発表の中でGoogleは、Google Videoをより普遍的なサービスに昇華させていくことを目標にし、将来的にはどこにホスティングされている動画であってもGoogle Videoを通して検索できるようにするという決意を明らかにした。 また、今後のYouTubeの運営方針として、YouTubeはGoogleとは独立した子会社として存続し、別々に運営されていくことを改めて強調した。GoogleはYouTubeに対して検索サービスと収益化プラットフォームを提供し、YouTubeが国際展開する際には必要なリソースも提供するとしている。著作権の問題は棚上げ状態でグーグルは、採算が散れると判断し実施してゆくようだ。それにもまして、グーグルのすごさはどうであろうか。検索機能は一番の上手。。。それもすごいのが。グーグルアースだ!地球上のすべての写真を搭載した画像はすごい、むかしなつかしいところは、どうなっているのかとか。僕の町は、見えるかな、とか、見えてしまう。飛行機から撮影したり衛星からの画像を使ったりしている。
2007.01.26
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当時は音楽業界は、演歌主。歌謡曲の作られていた世界。シングルが売れて何ぼの世界。しかし、今聞いてもすごくいい歌「夜明けを告げに」「群集の中で」「おさらば」これらが売れなかった。で、そろそろオリジナルでやらないといけない雰囲気になる。もともと、歌を作ったことがなかった。小田さんは・・中島みゆきは、デビュー前のときにはすでに、何十曲も作品があった。荒井由実は、ピアノをひけば、歌ができた。小田さんと鈴木さんは、そこが違う。デビューしてから、音楽の勉強をはじめた。演奏がすきで、洋楽が好きでたまらない。大学生のときにアマチュアで友人たちががんばって、5000人も集めることのできたグループがその会館もつかえず、まえの横浜教育会館で600人も集めることが難しかった。ゲストを、たくさんよんでブレッド&バター、こうせつ、杉田二郎をよんでなんとか。コンサート開けた。そのときのためにできたというか作ったのが「僕の贈物」であった。しかし、彼らの同期の目標とすべき「赤い鳥」は、もううれまくり、解散のほうに。。。アンドレカンドレを解散した、ようすいもひっと。。後からでてきた、チューリップもヒット。友人のガロもヒット。バズもヒット。NSPも最初からヒット。ふきのとうは、デビューからヒット。屈辱とあせりの中。彼たちは、1969年からデビューして「さよなら」のヒットまで、6年もかかってます。そこが、オフコースの醍醐味であり。あの、言葉でできないで、泣いた小田さんの涙は、深いものがあるのです。売れるためにどうするか。音楽を続けるためにはどうするか。自分たちでやるには、どうするか。「いつも、必死だった。」小田さんの発言は、納得するものである。音楽を止めて、解散して、いや待てよ、小田さんは鈴木さんをみて鈴木さんは、小田さんをみて、そのがんばりに答えようと、音を合わし、続けた。その気持ちを、ずっと持つはずのグループは、鈴木さんの脱退の気持ちになってしまう。まったくきずかず、小田さんは呆然とし、音楽を続ける自信もうしなう。それが、あの、1982年の6月のDVDの あの 涙。簡単にはいえないけど。何度も泣かすようなDVD。だしやがって、EMIとぼくは、腹も立ちます。なぜに、オフコースが再結成しないかは、もう。あのときの、小田さんの気持ちだともう。立ち上がり、解散を目指した4人時代。晴れ晴れとした表情の小田さん。ソロでやる。その道を歩く。しかし、ソロになっても、またまた、苦難が訪れるのであったそれは、次回。
2007.01.25
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なんか、最近、この文字の羅列。牛の解体でも、ぼくはしたくない。それにもまして、どういうこういうひどいことがおこるのか。そのニュースを見ると、それがどれで、それがこれでともうー。いい。それほど人が憎いのであろうか。遺体を切断するほど、憎いのであろうか。チンパンジーの集団をあるドキュメントでみたが、熱帯雨林の中で、彼らはたまによその集団をおそう。攻撃する。メスを狙い、子どもを奪い、その子どもを殺し、みんなで、食べるのである、あの温厚そうなチンパンジーだが・・その真実がまだ解明されていない様子だが、ぼくは、生態圏のなかで、こういうむごいことが自然と行われていることが衝撃的であった。バナナ食べてるだけかと、おもっていた。心理学者がいうに、オスのハーレムを崩すために攻撃し殺し合い、その肉を食うのである。そういうことが先天的にでてくると、では、僕たちのこの社会でこういう陰惨な事件がおこるのは関連があるのだろうか。人間がずっと、殺しあうことをやめないのは、数を減らすの目的なのだろうか。。僕はこの陰惨な事件の裏に隠れているキーワードがあるとおもう。たとえば、殺人ゲーム、たとえば、テレビのサスペンス劇場。たとえば、電磁波の影響。もしくは、社会の根本の論理の間違い。根本の論理とは難しいものでよくわからないくせに思いついたのだが、この社会にはいろんな問題がある。しかし、一向に解決しない。人々は自己主義でかつ利己主義で他人を省みないし、人の迷惑を考えない人々が増えている。個人の権利や主義、社会の平和と秩序。どちらに重きをおくかでかわった。どちらも大切であるが、死体の始末をニュースが示唆しているようにもおもえる。個人の権利があるならば、死んだヒトには権利がないのか、ああ。よくわからない。ひどい、ひどすぎ。神も仏もない。宗教家たちは、感じないのか?どうすれば、「よくなるのか?」わからない。とにかく。人を殺すな暴力をふるうな。それは、自らに帰る仕打ちにつながる。遺体を傷つけるな。大切にあつかえ美しい国どころか、怖い国であるぞ。
2007.01.25
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オフコースが、もともと3人であった。ジオフコースという名前。地主道夫さんが、抜けた。彼が抜けて、小田さんがいったことばが「しかたないな・・」でも、その言葉とは裏腹に衝撃的な感情を持つ。僕たちも、止め!そういってしまえば、簡単。3人のハーモニーのイメージ、小田さんの中には絶対、くずせないものがあった。「 ふたりで、コーラースできない・・」鈴木康博は、そういう小田和正を励ます。1972年5月19日入梅が早い時、ある大きなホテルのラウンジの横でオフコースは仕事を依頼された。鈴木 「今日から僕たちはふたりでやることになりました。」客は、オフコースなどしらない、3人であろうとふたりであろうと、興味がない、それだけ。彼らは、それでも、歌を続けた。ふたりでやる。そのことは彼らの力ではまだ無理だった。杉田二郎のコンサートについていき、何曲かしたり。あべ静江のコンサートに前座をやったり。MCは、ほとんど鈴木さん。鈴木 「 今日は、小田君もなんか、はなしませんか?」小田 「 エーとはなすことはなにもありません。」なんと、小田さんは、MCが苦手。しゃべるのが苦手。そういう中。やっと、初の自分たちのリサイタルを実施。しかし、そこにも困難が待ち構えていたのだ。
2007.01.24
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文部科学省は24日、学校給食費徴収状況に関する初の全国調査の結果を公表した。それによると、2005年度の学校給食費未納額は計約22億円に上り、人数では児童生徒数の1%に当たる約10万人が給食費を支払っていない実態が明らかになった。 調査は、学校給食を実施している全国の国公私立小中学校計3万1921校を対象に06年11~12月に実施した。未納額の推移を尋ねたところ、約半数が「かなり増えたと思う」あるいは「やや増えたと思う」と回答。未納の主な原因については、全体の約6割が「保護者の責任感や規範意識」と答えており、経済的に余裕があっても「払わない親」が増加していることがうかがえる複雑な思いだ。もし、払わないのなら、食べれません。そういったら、払うかな。僕の知り合いでは、教師が自腹を切ることもあるそうだ。いくら、払えないといっても金額てきには、たかいのだろうか。北九州市予算かつかつでやっているそうだな。財政難で余計に自治体に負担をかけてしまう。では、給食を止めてはどうだろうか。全部自分で弁当を持参する。これもむずかしいな。親の責任の範囲で、中止してはどうだろうか。これも、むずかしいな。全部無料にすれなどうだろうか。これも、財源がない、増税の理由になるな。98%の親がはらっているので、地道に催促しかないか。しかし、学校の現場にそれを強制するのはむごいしな。しかし、この現状が日本のげんじょうである。「恥ずかしい」ということが、少なくなっている。意識の低い、道徳心のない人間。こういうのが、増えてる。そういうのが、育ちの悪い、ずっと、連鎖できている。複雑な問題だ。一概には言えない。
2007.01.24
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オフコースがやっと、初めて念願のLPを作れる。彼らのとっては、感動、まちにまった。アーチストとしての仕事できる。しかし、何もかも自分たちでしきることはできない。デレクターやプロヂュサーなどが、やいやい、いうわけ。この小節で、タンバリンをいれたいんですけど。小田青年は、遠慮がちにディレクターにいう。しかし、Dは、そっけなく、 「 タンバリン、いれても、体制には影響しないだろう。」小田さんのパーカッションアレンジや、のちの、オフコースのコンサートで必ずおこなった、タンバリン投げは、あの時を忘れないためだろうか。小田さんはそのことをエッセイでも書いている。その作品 「僕の贈り物」その中で、僕がすきなのは、「 もう花はいらない。」「 水曜日の午後 」水曜日の午後は、小田さんが、音楽か建築家か?悩んでいた頃の作品らしい。とりあえず、東北大学を卒業した小田青年と東京電機大学を卒業した鈴木青年は、音楽家になるかどうか。まよっていた。プロでやるか、アマでいくか、アマなら音楽を楽しめる。プロなら食わなければならない。それぞれ、保留期間のために、大学院に進学。小田さんのみが合格、早稲田にいくことになる。しかし、そこでまた、商業的な建築の世界に辟易する。大学院にいきながら、音楽活動もしていた小田さん。唯一、水曜日の午後 だけは、ゆっくりと、できた。そのときに、感じたことを、唄にしている。ベスト盤にもはいっている。で、この唄のでだしは。エルトンジョンをイメージするのだが小田さんがピアノやキーボードに挑戦するのが初め手の作品。もう、すこしだけ、はやくきがつけば、夢さえあれば、自信も誇りもすてて、がんばってみようを早稲田のキャンパスの中庭で雨があがるのをみている若き、小田さんを思い浮かべることができる。あのとき、彼らが挫折していたら、音楽シーンもかわっただろうよ。あきこさんの家庭もなかったかもしれない。ありがとう。もう一度 はじめよう。最後のフレーズ・
2007.01.23
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僕が最近、感動したのがここのプログのあきこさんのかきこみ夫婦の愛をカンじれれる。奥さん多分、僕と同世代だろう。その娘さんがお父さんがおかあさんにいまのベスト盤 aiをプレゼントしたということ。夫婦の仲はいいということ、娘さんは、子ども頃お母さんがいつもきいていた。オフコースのレコードを聞いて育ったということ。いいね、武道館のコンサートとか、いっていた、あの女子高生はもう40代後半に差しかかることだろう。僕が、オフコースが残したものは、かけがえのない少女の淡い恋の思い出そんな感じがする。一番大事にすべき、「愛」そこにあるものは、人を愛するということ。song is loveまさしく、そのあきこさんの家庭には、愛を感じる。不思議な感じがする。オフコースを聞いていた女の子が、或る男子と出会う。恋愛がはじまり、人生をともに生きようと誓う。やがて、子どもが生まれ、女の子は母になる。子育ての間、昔のレコードをききながら赤ちゃんをあやす。やがて、子どもが大きくなり、それどころではなくなる、音楽も聞く暇もなく、生活がいっぱいとなる、こどもが、やっと、成人し、やっと、一段落する、父 「 おかあさん、昔、よく、オフコース、聞いてたね。」娘 「 そうそう、ベスト盤がでたらしいよ。」父 「 そうか、クリスマスプレゼントしよう。」そういって、父は 「 いつもありがとう、これ、聞いてね、」母 「 まあ、ありがとう、うれしい、オフコースのベスト盤!」聞きながら、武道館のライブを思い出す。オフコースの残したものは、みんなの中のそれぞれの思い出、それぞれの、唄にまつわる出来事。オフコースがすきだった。淡い初恋が砕けた僕の中のオフコースの思いでも遠い、もう20数年前の思い出。でも、僕はベスト盤はかわない。
2007.01.23
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テレビの世界はうそばかりだ。あんまり、テレビを最近みない。僕の友人は、テレビを処分、もう「テレビはみない」しかし、あの制作会社日本テレワークの対応はどうだろうか・・関西テレビがぜんぜん番組を作らず、下請け。孫受け。おいおい、おまえら、どっかの土木工事みたいじゃないか。責任になすりあいか・・・どっちでもいい。最初から信用はしてない。しかし、今の世は、どうしてこうなんだろう。雪印のおっさん、あの言葉「寝てないだよー」そう、いっていたね。あの、ガスのパロマのあの社長の会見「ぼくたちは、おこっています。。バイパス工事をしたひとびとに。。」それに、今回もそう。どうせ、あとからごめんなさいと、いって、すごいことになるのなら最初から誠意ある対応でしておけばいいものを・・・大きな会社や、チエーン店舗のおおいところは、はっきりいって、経営者が2世3世の場合、知らない報告を受けてないことがおおく、元来、苦労してたたき上げてきてないから、馬鹿殿様になってしまう。ぼくがいた、会社もそうだ。絶対、自分の不利なことは報告しない。言い訳をする。要領よく、保身をする、そういう人々が生き残る。そして、要職を得る。しかし、その幕末の旗本みたいなやつらは、その組織をつぶす。そこで情報がとまり、上にはいいことだけを報告し、動脈硬化のように組織疲労がおこる、そこから、腐ってゆく。腐敗した会社は経営者が怠慢であるだけであるが、不二家のあの会見「52歳パート社員のおっさんが、勝手に腐った牛乳をつかっていたようです。」そう、あれも、同じ。責任転嫁の発想と、現場を把握してないということを自ら露見させてしまう。これからも驚くようなことがおきるとおもいます。でかい企業より、個人やちいさいところのほうが、信用できます。なぜなら、現場でお客さんみながらやっている。自分たちの食べる分だけ稼ごうとする、その発想だ。うそをついて商売できるのは、泥棒と詐欺師だけだ。おまえら、全部、一から人生やりなおせ!納豆こそが、えらい迷惑だ。
2007.01.22
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内容:出演:鈴木雅之/山本潤子/佐橋佳幸 (1)忘れてた思い出のように(2)FAR EAST CLUB BAND SONG(3)春風に乱れて(4)眠れぬ夜(5)真夏の恋(6)夏の日(7)秋の気配(8)さよなら(9)ためらわない,迷わない(10)歌を捧げて(11)翼をください(12)woh woh(13)夜空ノムコウ(14)風のように(15)Little Tokyo(16)the flag(17)もっと近くに(18)恋は大騒ぎ(19)だからブルーにならないで(20)そのままの君が好き(21)恋人(22)め組のひと(23)ラブ・ストーリーは突然に(24)またたく星に願いを(25)YES-YES-YES(26)風の街(27)こんな日だったね(28)勝手に寂しくならないで(29)YES-NO(30)my home town(31)夢で逢えたら(32)same moon今でも、感動が残るライブです。クリ約やいまのツアーの原点のようなかんじです。小田さん気合が入ったライブ。。。ヤフオクでさがしてもビデオなら安く手に入るかも。。。
2007.01.21
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さっき、夢花風さんが、書き込んでくれたことでまた、感動したので検索して、のせておきます、日本の歌は、童謡という形でかろうじてのこっているが戦後僕たちの音楽は海外に影響を受け言葉の持つ力や、日本語の持つ綺麗さをわすれているようにもおもえたりします。竹田の・・や五木の・・も、そうです。野口雨情。[1882~1945]詩人。茨城の生まれ。本名、英吉。大正中期、全国に歌謡行脚し、民謡・童謡の普及に尽力。詩集「都会と田園」「沙上の夢」、童謡集「十五夜お月さん」、民謡集「波浮(はぶ)の港」など。 しゃぼんだまとんだ やねまでとんだ やねまでとんで こわれてきえた しゃぼんだまきえた とばずにきえた やねまでとばず とちゅうできえた かぜかぜふくな しゃぼんだまとばそ大正9年、疫痢(赤痢のうち、小児にみられる重症型のもの)のために2歳の娘を亡くした野口雨情さんが、我が子への哀切の思いをしゃぼん玉に込めて綴ったのが、この詞だといわれます。
2007.01.21
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あの名曲、竹田の子守唄。あのうたが放送禁止になったいきさつはもう古い話。なんでも放送禁止にしたがったね。しかし時代は、かわっていったね。なにしろ、OZMAがNHK紅白でやらかしたことは、紅白のレクリエムになるとおもうし、僕は紅白見なかったんだが、その程度の番組になりさがったんだとおもう。オフコースの小田さんや鈴木さんがほれこんだ、あの歌声。山本潤子さんの声は、ソングフォ・・でやっさんと。小田さんとはなんども、コンサートのコーラスを担当。まるで、取り合いみたい。話戻す。竹田の子守唄は、被差別部落のことだと知ったのはかなりあとこと。在所、という言葉は京都では、被差別のことをいう、言葉・・近世以降、封建的身分制度のもとで最下層に位置づけられた人々を中心に形成され、今なおさまざまな形で差別を被っている地域。1871 年(明治 4)の太政官布告により法制上の差別は撤廃されたが、現在に至るも社会的な差別や人権侵害が残っており、部落解放運動が続けられている。部落。未解放部落。しかし、このうたがどこがいけないのか、さっぱりわからなかった。時代だな。赤い鳥は、意図してこのうたをえらんだんだろうか?あのコーラスは最高である。合宿をなんでもして、音を合わせたおうである。しかし、この美しいうたこそ。日本の音楽の原点ではないだろうか。親を離れて子守りをして過ごす風景などいまはないが、
2007.01.21
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官製談合事件による前知事辞職に伴う出直し宮崎県知事選は21日投開票され、無所属新人で元タレントのそのまんま東氏(49)が、元林野庁長官の川村秀三郎氏(57)、元経済産業省課長の持永哲志氏(46)=自民、公明推薦=の両無所属新人ら4氏を破り、初当選した。 東氏は政党や団体から一切支援を受けず、「しがらみ」の無さをアピール。タレント色を一掃した地道な草の根選挙に徹したほか、具体的な数値目標や期限を設定したマニフェスト(政策綱領)も提示し、都市部の無党派票を集めた。談合事件や選挙戦での保守分裂で、既成の政治勢力に嫌気が差した一部政党支持層にも浸透した。 彼のことはいろいろいわれているが、僕は支持する。彼がかなり前から日記のようなものやBBSを見ていたので彼が早稲田で政治学を学んでいたりすることや、離婚したことなど前の逮捕のことなど、いろいろ判断した。彼に期待したい。しかし、長野の二の舞をならないようにしてほしい、はっきりいって、康夫ちゃんには、がっかりした。
2007.01.21
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僕の大学時代の友人が、女の子んあですが、といっても、もう45歳ですが。戦国時代あたりから続いている老舗の和菓子屋に嫁いだ。そりゃまあ、たいへん。らしい。で、まあ、いろいろあったらしいのだが、何がたいへんだというと、存亡の危機だそうだ。「ええー。400年続いたのは。。。やばいの?」彼女「そう、たいへんで、うれないの。」そうです、一番の敵は、中国産あずきであるという、老舗であるから、国産しかつかわない。国産じゃあないと、だめなことがあるらしい。でも、ぼくは、ふと考えてみた。おそらく、天明の大飢饉、安政の三つ子地震、幕末の物価高騰、コレラ流行、明治維新、大正時代の混乱。大東亜戦争。それらよりもグローバル競争のほうが、大変かよー。とんでもない。時代か。安ければいい。その論理、スーパーなどの独占的な商売。あずきの味がわかる人なんてのは。いないだろう。しかし、違うのらしい。ぼくの、長七の名前もその昔、菜種油を六甲山脈の水車小屋で精製した、油や長七であった。そして、江戸時代中ごろから起きた灘の酒造りで樽を作る、樽屋長七として、昭和初めまで続いた。が、戦争ですべて灰になり、当主もしんで、廃業。そのリベンジをいま、ぼくはかけている、老舗というのは大変だが、連続体で存在する店舗はそのたびに新規店舗の気持ちでいどまなくてはいけない。歴史は続くし、歴史は繰り返す、老舗の水羊羹、うまいのだが。。。ネットでうればいいのだが。
2007.01.21
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関西テレビ(大阪市北区)は20日、今月7日にフジテレビ系で全国放送したテレビ番組「発掘!あるある大事典2」で、事実とは異なる内容が含まれていたと発表した。「納豆を食べるとダイエットができる」との内容だったが、研究者のコメントや被験者の検査データをねつ造していた。同テレビは社内に調査委員会を設け、原因の究明を行うとともに過去の放送分についても検証を行い、番組を継続するかどうかを含めて検討する。また、21日に放送予定だった同番組は、テーマは納豆ではないが、別の番組に差し替え、冒頭で一連の経緯を説明する。 同テレビによると、(1)被験者がやせたことを示すのに別人の写真を使用(2)米の大学教授の発言の日本語訳の一部をねつ造(3)被験者の一部の中性脂肪値が正常値になったとしたが、測定せず(4)納豆を朝2パックまとめて食べた場合と、朝晩1パックずつ食べた場合の比較で、被験者の血中イソフラボン濃度の結果をねつ造(5)被験者の血中のDHEA(ホルモンの一種)量検査のデータをねつ造、また、許可を得ずグラフを引用――していたことが分かった。 千草宗一郎社長は「報道機関でもある放送局として、視聴者の信頼を裏切ることになった。誠に申し訳ない」と謝罪した。以前から、あるある・・の番組は、おおげさであるというのが定評であった。本まででていること、あの放送の翌日から、納豆が売れて売り切れだった。ぼくは、考えた。これは、メーカーとテレビ局の陰謀だな。あるあるとんでもない実験隠されたことはやまのようにあります、世の中、うそばかり。人はすぐにだまされます、この分だと、日本はいつでもヒットラーのようなひとがあらわれたら、ころっとだまされるだろうよ。健康とか、自然を大事にとかやたら、のーがきのおおいのは、危険です。ぼくはひとにやさしい、いいやつ、というのにかぎって実は利己主義だったりするように。
2007.01.20
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ごうけん君のえです。ごうけん君はやさしい子どもでした。きっと、天使になって、神さまのちかくにいるそうおもいます。
2007.01.20
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彼女が忽然と、いなくなり。もう3年8ヶ月。もう、ほんとうなら。中学生になった彼女はクラブ活動あけくれたり。もしくは、彼氏ができたり、初恋をしたり。そういうことを考えると。実にかなしく、実に腹立たしい。いま、未解決な事件、行方不明の事件。それだけおおいのだろう。僕たちの生活は、一見平和そうにみえて、実はそうでない。目撃者がまったくいない、そういうことはありうるだろうか。それに、不審なやつは、すぐにみればわかる、行動不審であれば。なぜに、つかまらないのだろう、捜査上の問題。捜査妨害の問題。捜査方法の問題。個人の権利やプライバシーの保護の問題でもある、盗聴やおとりそうさ、強制不当捜査は日本では禁止されている。ぜがひでもやれば、見つかるのかもしれない。しかし、うその犯人をでっちあげても、しかたないこと。友梨さんの家族は、どんなきもちだろうか。どんな言葉でなぐさめても、無駄だろう。生きることのつらさを、その家族は背負い生きている、世の中のほとんどの人は無関心である。ちらしくばりのボランテイアのひとが、スーパーの前でくばっているとある、おやじが「 もう、死んでるにきまってるやろがー」といって、チラシを捨てて捨て台詞をはいてさったそうである。デリカシーのない。暴力的なそのおやじは、なぐりとばしてやりたくなる。疑いをかけてみても、仕方ないが、素人がぼくは、必ず見つかると思う。生きていると、そう信じている。今の仕事を放置して捜査に参加したぐらいだが、ぼくには、できない。悲しいが、何もできない。祈るだけだ。
2007.01.20
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自転車にのって / なぎら健壱&高田渡&坂崎幸之助なぎらさん、いいな。本当の姿だなタカダワタルさんなぜ、あんなにふけていたのだろうか。コックンサンに捧げる
2007.01.19
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高田渡インタビューコックンサンに捧げる
2007.01.19
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見つけましたYOUTUBEで。。ここ
2007.01.19
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さよなら多分すぐ消えると思うけどオフコース1982.6の武道館ライブだとおもう。さよならいい歌、僕の中では、高校3年生における。工業高校から外国学部へ進学を決定しながらその喜びを伝えるひとは、いなかった。5人のラストのコンサート応募者はがき507.367通1982.6.15から16日間で10回のコンサートを開く11万人が参加した。スタッフ動員数2450人ステージ費用2億2千万。当時、武道館には音響が常に問題だった。くしくも、ビートルズ日本公演、20年前すごくでかいソニーのアンプが並べられその熱、会場の熱気。。。オフコース。今聞いても、す晴らし演奏。
2007.01.19
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エグゼンプションは、免除とか言う単語だとおもうがなぜ、あの法案を挙げたのかといえばやはり、財界の人々からの要望があったからだともう。そもそも、労働基準法とか、そういうものがあるのは、管理するものと管理されるものの最低限のルールを形成すること。はっきりいって、いま、残業とつかないのは、当たり前であろう。変形労働時間制度を採用し、御用組合の間で締結した労働規約を会社、人事はやりわけだが、問題が起こるとすれば、過労死、残業不払いの直訴くらいであろう。そもそも、その施策は見当違いであり、企業の収益の中での人件費率は派遣や海外拠点などでかいけるしてるとおもう。財界の連中が、消費税あげろとか、言う筋でもないくせに自分たちの法人税は、特例で下げるという。で、この騒ぎだ。まったくをもって、不思議な奴らだ、作用反作用の法則をしらないのであろうか。小泉政権の作用が、いま、安倍政権で 反作用として動いている。格差社会をうみだしていたのは規制緩和、資本者優遇、競争が激化し力のないもんが敗れ去るのは、当然の方程式。ああ、俺たちは騙された、そう感じている国民はかなり、多いはずだ。資本家は金をもって、献金した、選挙にかねがいる。しかし、選挙では、一票の重みは貧乏人でもトヨタの会長でも同じだ。自民党は、資本家などが応援するもの。では、ぼくたち、ピラミッドの下のほうの人間は、どうするのか。安倍政権は、短命でおわる、妻がそうつぶやいた、できて早々である。あの、ホリエモンが近鉄を応援してるときにあれは、うそつきの顔だ。そういった。予言するのは、止めてくれ。とにかく。謎の多いことだ。教育基本・・でも、この法案でも。美しい国、ということ事体、謎だ。旅行会社のパンフレットかな。もっと、具体的にどうするのか、していかないと。夕張のようなとこはたくさんあるし、北は狙ってるしいじめの自殺はおおいし。問題山つみですよ、安倍さん、美しい国、ではなくまともな国日本に!のほうが、いいよ
2007.01.19
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』移動: ナビゲーション, 検索山平和彦(やまひらかずひこ、1952年1月23日 -2004年10月13日 )は、秋田県出身のシンガーソングライター。1970年URCレコードから、山平和彦とザ・シャーマン名義でシングルをリリース。1972年アルバム『放送禁止歌』(ベルウッド)でアルバムデビュー。タイトル曲の放送禁止歌が文字通り放送禁止に、収録曲の入れ替えなど物議をかもす。『風景』(ベルウッド)、『ライヴ』(ベルウッド)、『星の灯台』(日本フォノグラム・ニューモーニングレーベル)、『女郎花の譜』(ポリドール)などの作品をのこす。また、バックバンドだったマイペースをプロデュースし、“東京”のヒットも生んだ。活動をほぼ休止していたが、1990年代末頃から再開していた。2004年10月12日夜、東京都内でひき逃げ事故に遭遇し、13日未明に死去。享年52。加害者は'05年1月26日に検挙された。URC時代のシングルは、1960年代のロックを意識した曲で、後の作品にはない攻撃性が伺われる内容。 ベルウッドレコード在籍時には、民謡とフォークソングの融合された素朴な作品がアルバムに多数収録されている。放送禁止歌など、現代詩に繊細なメロディーをつけたものも多く見られる。 マイペースは、日本のフォークグループ。秋田県潟上市の羽城中学校の同級生である、森田貢、伊藤進、根次男らが結成。 1974年に3人組「マイペース」として、曲「東京」でデビュー。25万枚の大ヒットを記録。1975年、「東京」をふくむアルバム「とうきょう」を発表。1976年、デビューからわずか1年半で活動を休止した。森田 貢(Vo Cb Gt) 1954 1/26伊藤 進(Fl Vo) 1953 8/15根 次男(Gt Vo) 1953 5/27あの独特のうたは、東京にいくときにいつも口ずさむできたようなきがする。東京は特別なイメージが、あった、憧れとか、緊張とか。そういうとことが、感じたね。このうたは。ほとんど、いま、このメンバーはどうしてるんだろうか。
2007.01.19
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黒酢ダイエットとは、黒酢に含まれる成分「BCAA(分岐鎖アミノ酸)」、「クエン酸」によってダイエット効果が期待できると言うダイエット方法です。お酢に含まれている酢酸には、細胞内でエネルギーを作るクエン酸回路を活発にする作用があります。クエン酸回路では、エネルギーの原料として脂肪が燃やされるため、ダイエット効果が期待できるのです。体内で脂肪の分解を促進すると考えられている「アミノ酸」は、お酢に含まれています。アミノ酸が豊富なお酢を摂れば、糖と脂肪を燃やすクエン酸とのダブルパワーでさらなる効果が期待できます。米酢やりんご酢でも効果はありますが、特にアミノ酸が豊富な黒酢の方がダイエットには適しています。黒酢とは厳密には「穀物酢のうち、原材料として込め(精白していないもの)もしくは大麦を、酢1リットルあたり180g以上使用し、かつ発酵や成熟によって黒褐色になったもの」を言います。アミノ酸とは全部で約20種類あり、そのうちの9種類は人間の体内では合成できず、食べ物から摂取しなければなりません。この9種類のアミノ酸が、必須アミノ酸と呼ばれています。この中でも、脂肪を分解する酵素リパーゼを活性化する効能、効果をもつ「BCAA(分岐鎖アミノ酸)」と呼ばれる物があります。BCAAは、イソロイシン、ロイシン、バリンの三つのアミノ酸の事で、このBCAAを黒酢や香酢は豊富に含んでいます。私達の体の中では、摂取した食べ物をエネルギーに変えるときに、一度ブドウ糖に変わり、その後クエン酸を含める数種類の酢と、酵素、ビタミンにより燃焼されエネルギーになります。燃焼するときに使われたクエン酸は老廃物として排出されるわけでは無く、その後のサイクルにより、またクエン酸に戻りますつまり、クエン酸が少ないとエネルギーへの変換がスムーズにすすまず、体脂肪として蓄積されてしまうのです。クエン酸が十分にあると、カラダの代謝機能が活発に働き、太りにくい体質になっていきます。
2007.01.18
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鹿川君いじめ自殺事件昭和61年2月1日中学生マット圧死事件平成5年1月13日1997年の「神戸少年A事件」、1998年の「黒磯ナイフ事件」をきっかけに「少年法」は厳罰化され、1999年の「広島県世羅高校・校長自殺事件」を機に国旗・国歌法が制定されるなど、ナショナリズムへの回帰が加速し、「教育基本法」までもが改正されようとしている。これらは戦後教育の流れを変える「教育改革」が、常に“事件”を契機に進化することを証している。教育をめぐる事件と犯罪の実態を、教師としての知性と感性と経験をもとに解読し、教育の今日的状況を検証する。1945~2001の戦後教育事件史年表収録。拓郎のうたではないが「忘れちまった悲しみ」の上で、まったく基本的な問題が繰り返されてる現状。今日もまた、どこかでいじめがあり、どこかで幼児虐待がある。とことん向き合える政治家、教育指導者が、いない。
2007.01.18
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授業時間(「1時間」は小学校で45分、中学校、高校で50分)の10%増が実施された場合、年間で小学校では約80時間から約95時間、中学校では約100時間、高校では約85時間が、現状より増える見通し。学習指導要領の見直しなどが必要となるが、実現すれば、1970年代半ばから続いてきた授業時間削減の流れを、約30年ぶりに転換することになる。児童・生徒の規範意識育成のため、学校教育での社会奉仕活動必修化を打ち出すと同時に、不適格教員の排除を狙った教員免許更新制度導入や、学級崩壊対策として体罰禁止基準の見直しなどが盛り込まれた。「ゆとり」教育なんてのは絵に描いたもちであったようだ。この提案もおそらく座礁するだろう。現場のことを考慮し、学校が活性化していかないとだめだとおもう。
2007.01.18
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震災のイベントが終わり通常の日々にもどる。犠牲者の肉親にとっては、それもこれも毎日がときがとまったおもいだろう。震災のことは、もういいかな、とおもうが、なんか、通常の街を見ていて、人間はほんとうにおろかだとおもったよ。ガスや電気が水道があってあたりまえ。119も110も電話ひとつでとんでくるし、スーパーでは、やすいものが溢れている。そういうのが崩れ去る時がクルのは、そうとうくない。僕が思い出すあの空気に綺麗さはわすれられない。震災でなにもかも、麻痺したとき、工場の煙突も出せない煙綺麗な空気を実感した。電気がない夜は怖い、実に闇は怖い。「ああ、太陽よ沈むのか」そう、感じた。あったかいものを食べれることのありがたさ、それもわすれはしない。水道がきたときやガスが使える感動をわすれない。何事もなくなってこそ、ありがたさを感じる。いまの世の中はほとんどがそういう虚像でできている。僕たちの町は多くの人々の支えで運営している、しらずしらずに、ひとりひとりが協力して生きている事実、その実感がないのが現実。ひどい事件、ひどい事故。そういうのがおこる、目的目標、夢などがない若者。危機に瀕するときにこそ、人間本来のばかちからがでてくる。生きる、ということは、死ぬということを実感して感じるもの。そういう世の中はだめだ、生きている実感がわくようなものにすべきだ。
2007.01.18
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大手菓子メーカー・不二家が消費・賞味期限切れ原料を洋菓子に使うなどしていた問題で、不二家は17日、同社ホームページ上で「スーパーなどで販売している菓子・飲料は安全です」と呼びかけた。洋菓子だけでなく「ミルキー」や「ネクター」など一般の菓子・飲料にまで広がる不信感を沈静化したい狙い。買うわけない、買わない。ここまで、マスコミもいろいろでてくるでてくる。探せば、たたけばほこりがでるわ。ぼくは、思います。大きな会社、たくさんの店舗数のお店、そういうのは、ほんとうにどうなのか?マクドナルドにしてもそうだ、あんな高カロリーのものテレビでじゃんじゃんながして要するに、テレビからは毒も薬も垂れ流し。大企業はその経営にあたる人々が、ジュニアなどではないか確認すべきであろう。そういうところは、経営方法が好くない場合がおおい。だいたい、パート社員のせいにしたような会見を開き、なんか、ぜんぜん、事体を理解してない、もう買わない、ぺこチャンにはわるいがミルキーもネクターもいらないよ、
2007.01.17
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ぼくはむかし作った地震のサイトHPもう、地震のことは、いい、そう思う。前に向いて生きてゆかなければ。生きる。生きてりゃいいさ。英五、ありがとう。
2007.01.17
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斉藤さんが、「若き哲学者」というレッテルを張られてしまい、そのイメージを覆すことが必要であった。なかなか、難しいことである。なんでも、つかみは大事だ。客の心をつかんでも、つぎにつながるもの(作品)が必要である。印税で喜んでいてはど壷にはまる、URCで、あの 「悩み多きものへ」を出して結果2年後にLPをだす。「きみは英雄なんかじゃない。」それで、URCは、終わってしまうのである。あまりにも遅すぎるLP.で、CBSソニーに移り、心気一転、73/10 「バイバイグッドバイサラバイ」をだす。74/10「グットタイムミュージツク」を出す。6年もたってようやく、コンサートを開く。6年も!!75年3月22日オフコース 小さな部屋 コンサート テーマ 「なぜ、音楽をつづけるか?」に、出演する。テーマがすごいね、小田さんは斉藤さんの苦悩をしっていたのだろうか。まさしく、2006年12月 小田さんのクリスマスの約束のあの質問。。。「音楽をやってきて、よかったか?」75年に、なぜ、音楽を続けるのか?その答えが、06年、31年後有明コロシアムで4000人の前で、答えた。「本当にやってきてよかった。」不思議だ、小田さんが言うように、不思議なことだ。オフコースの小さな部屋のことはほとんどの人が知らない。ドラマがあった。31年間も。斉藤哲夫は、大森にある食堂の息子。もう、ないんだろう、コックンさんがいったとか、いっていたが、食堂やって、子ども大学いかせるのは、さすがに、たいへんだったろう。斉藤がデビューして10年後1980年、青いビキニのあの、CMいまの君がぴかぴか・・が、ヒットする作詞は、糸井重里。斉藤の声だけが、必要だったのか。彼は「僕が本当に歌いたい歌じゃない。」そう悩む。「むかしから、応援してきてくれたファンが、怒るんじゃないか。」まあ、横領のいい、いろんな顔のできるタレント性のあるひとならがまんしたり、次にまた変えてみたりするのだが、斉藤哲夫さんは、その後の作品が低迷し、音楽をする傍ら、食うためにいろんな仕事をされる。92年に自主制作版「ダーダ・ファブラ」をだす。まだまだ、生田さんとかの作品とかあるみたいですが。大筋で斉藤さんの歴史をおってみました。ぼくは、彼の生き様を尊敬します。人間としてのいろんな悩みや生きてゆくうえでの道筋、彼のそういうところが自分もそういうところがおおいにあり、共感できます、自分の声で自分の言葉で斉藤さんの言葉で、うたをかたってほしい。19のころの斉藤さんに別れを告げてまた、歩き出してほしい。その道は、自分のたどり着く道。
2007.01.16
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