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James H. Fetzer (Ed.), “The Great Zapruder Film Hoax”Catfeet Press, 2003を読了。2003年5月のミネソタ大学でのシンポジウムでの発表を収めたもので、内容は、表題のとおり。どの発表も、それぞれの方々が専門(技術)を駆使して導いた研究の結果で、読みごたえがあった。とりわけ面白かったのが、以下の5つの章。成書に現れた順に記す。Jack White, “Mysteries of the JFK Assassination: The Photographic Evidence from A to Z.”アメリカ人だな、と感じるプレゼン資料。“Lee & Harvey”には驚いた。John P. Costella, “A Scientist’s Verdict: The Film is a Fabrication.”物理学でPh.D.を持つ、このかたならでは、という内容。Jack White, “Was Mary Standing in the Street?”現場での検証に基づく、Mary Moorman の「背の高さ」。John P. Costella, “Mary Moorman and Her Polaroids.”コステラ博士、この章では、文書の精査に基づく成果。David S. Lifton, “Pig on a Leash: A Question of Authenticity.”個別の発表の最後のもので、110ページ以上にわたる。Robert Grodenとの経緯も延々と語られ、少々ヘキエキさせられるが、リフトンさん御自身の年代記にもなっていて、退屈はしない。O. J. Simpson事件にも関係してくるとは知らなかった。この“Pig on a Leash”を拝見すると、リフトンさん、もう言いたいことは言いつくしたのではないだろうかとも思える。“Final Charade”は未完らしい、と昨年末に書いたが、このまま未完で推移することも有り得るかなという気がする(もちろん、完成し世に出たならば、うれしいが)。
2011年02月20日
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これまで書名も著者名も知らずにおり、書店で目にして買った本、二冊。ハリー・クレッシング 『料理人』 (ハヤカワ文庫)書店で初めて目にしたのだから、当然なんの予備知識も無しに読んだ本なのだが、その面白さは、一級品だった。冒頭で、なんとなく退屈な設定だと感じたが、その後、すぐに物語に引き込まれ、終りまで読みとおしてしまった。読み終えた後も、謎は謎のままで残るのだが、不満は残らない。ストーリーがいいので、何故そうなのか、を気にする暇がないのだ。ところで、クレッシングという作家の正体を知りたいと思ったが、少々検索したぐらいではわからなかった。そのかわりに(といっては不適切かも知れないが)、既に高校生のときに読んだというかたの文が見つかった。なんと、nshさん、だった。さすが。平松洋子 『買えない味』 (ちくま文庫)食を、その楽しさを、探求するかたというのが読後の印象。求道というほどに肩肘を張ってではない。その対極である、自分の手を(頭も)使わずに評判の店や商品を訪ねるというのでも、もちろん、ない。生活の一部であり、欠かすことができない食というものを、楽しもうという姿勢に好感を覚える。きびきびとして、読んで楽しい文章。ただし、これ以上、くだけすぎると、目も当てられないという気もする。
2011年02月12日
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福岡伸一 『世界は分けてもわからない』 (講談社現代新書)このかたの本を読むのは、二冊目だ(一冊目は『生物と無生物のあいだ』)。「マップラバーとマップヘイター」(p.88ff.)。僕は、前者だ。それも、強度に。「部分とは、部分という名の幻想である」(p.114)。第8章以降、この本の終りまでのストーリーは、いっきに読んだ。休憩など考えなかった。堪能した。[蛇足]読み終えて、念のために『背信の科学者たち』を確認して、自分の情けなさに愕然。上記「ストーリー」は、事例31として、この成書の第4章に詳述されているではないか。
2011年02月11日
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『梅棹忠夫 語る』 (日経プレミアシリーズ)小山修三さんによる聞き書きをまとめたもの。「君、それ自分で見たのか」(p.18)が中尾佐助さんの言とのこと。『栽培植物と農耕の起源』は、このかただから書けた本なのだと改めて感ずる。「学問とは、ひとの本を読んで引用することだと思っている人が多い」(p.105)。今西錦司さんの「本ばかり読んどォる連中」と共に、京大「ベンゼン核」の方々に共通の信念なのだろう。『風土』を「まちがいだらけの本」(p.26)、その著者を「ほんまに大スカタン」(p.117)。原著を読んでいない高校生や、教養課程の大学生が、これらの箇所だけを読んだら、この点だけが刷り込まれてしまう(その結果、『風土』を読まずに通り過ぎる)かと思ういっぽう、梅棹さんの言葉は、『風土』を読んでみようかという気にさせてくれるかという気もする。僕が『風土』を初めて読んだ(正確には、その本の文字をたどった)のは、高校一年生のときだったが、正直に言って、何が書かれているか理解できなかった。自分の能力不足が疑いもなく主原因であるが、それに加え、和辻哲郎という偉い方がいて、その方が書かれた本を理解できないということが日本人としてはあり得ないという強迫観念で、思考自体が停止していたのではないかと、今では思う。
2011年02月06日
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