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亡き義弟田中崇雄くんの誕生日の30日、小林さん(写真左)、植松さん(写真右のロマンスグレーの人)らの声がかりで彼のご子息さんがオーナーシェフの逆瀬川イタリアンレストラン「ロッソ・ネロ」で追悼コンサートが開かれたので行ってきた。 吉田拓郎の歌が大好きなのぶさん 小林さんは今年からカフォーンを手がけはじめ初舞台 生前一緒に音楽活動をしていた友人たちが集まり、崇雄くんの好きだった曲を中心にさまざまに披露してくれた。 みよし・おがた・こばやしコンボ 姉よりの御礼の挨拶 ロッソ・ネロのイタリア料理もとてもおいしく、心あたたまるライブの夜は更けていきました。そして、また巡ってくる崇雄くんの誕生日を期してそれぞれ腕をみがき続けることを心に刻みながら夜のとばりの向こうに帰って行きました。
2013年04月30日
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この四月より、ムックきのこクラブの人たちを対象にきのこポエムの集中講座を初めてほぼひと月が経ったところで、それぞれの作品を当夜の席に提出した。 そして、選を終えそれぞれが公表したところ意外や意外!!。高点作品は短詩はもとより詩をつくったことのない新人作家たちで占められ、俳歴うん10年の作家たちは総倒れの清々しい一夜となり、2次会では、まだ見ぬ未来の作家たちの噂で持ちきりとなった。以下に当夜の作品抄を高点順に。わたくしは蝶になりたい蝌蚪に足 たか女 蝌蚪(カト)の変態と呼応するかのように蝶になりたいと切り込んだところが味噌。ユニクロの服が行き交い見なくなったねおたまじゃくし 和恵 当夜のダントツの高点句は新人作家で占められました。たか女さんは「わたくしは貝になりたい」という映画など知らない世代です。また和恵さんは、ユニクロの服に現代を象徴させたところがお手柄の作品。雨上り水の鏡に首かしげ 成行 大方は愛犬を詠んだものと思えなかったらしく、しかし、それでもよく選ばれていました。人に疲れて遠くぽつんと春の月 恭範「人に倦み」なら定型に納まるのになとの意見も。今日の失敗浮かんではいちごひとつぶ口に入れ 存子 今回生まれてはじめて作ったという存子さん。苺食べつつの反省にはどこか救いがあると好評。蝌蚪の水掌サイズの宇宙あり たか女 樹上生の蛙アイフィンガーカエルのことらしいですが、そうでなくとも普遍性があり当会久々の大ホームランだと。簡単なサラダのレシピ花の冷え 恭範 自炊生活の作品ですが、花の冷えとお手軽サラダとの格闘が共感されました。アマリリスの吐息ガラス曇らす深夜花舗 享 アマリリスが大挙しても窓を曇らせられるかな?との意見も。横の客の退屈が気になる句会前 俊美 句会というより苦界へ赴く寸前の心境がにじんでいます。貧乏ゆすりになやまされたのかな?。あの世でも母は土筆の袴とり 恵子 亡き母への哀惜の情が素直に表出している点が評価されました。 子を売ったこともある歴史を学べ勉強の飴 輝彦 当夜、石垣島土産の頭のよくなる飴をふるまわれ、輝ちゃん、即吟で大ヒット。春の暮母なき家の台所 恭範 恵子さんと同趣の厨俳句、春の暮で採用されました。遠足の先生左右に乳房ゆれ 享 「<乳房割れ>だったら文句なしに採ったのにね」と男性たちから茶々が入りました。山笑うここからはじまる悪夢の坂 道博 郷土史家みっちゃんの生まれて初めての作品。地獄坂なら当たり前。後日聞いてみれば、悪夢の坂には深い意味があるそうな。聞きましたが忘れました。花見酒季を狂わせる名残雪 鳳陽 昔とった杵づか、当会2度目の参加ですが、なかなかのもの。下戸だそうです。山笑う東は生駒大阪の当たり前節 諒子 諒子ちゃんも初めてのトライアル作品。「当たり前節がなつかしい」とひとしきり大阪の苔むしたメンバー同志が話しあっていました。春寒滑稽な我が身に苦笑い 英津子 今回 選外でしたが、この作品より当夜の兼題<売る>での即吟「いらっしゃいませ! 何処も同じ娘の売り声」の方がえっちゃんらしくて好きです。孕み猫腰をふりふり三十路女の前を行く たか女何か当てつけのような猫ちゃん。しかし、三十路とは微妙な年代ですな。ダブルスタンダードだめと云うなら売るな春と煙 成行 酒たばこ大好きは今や非国民の典型。曳かれ者の小唄めくが、しげちゃんらしくってよろしい。春が来たシジミの殻に立つ女神黒髪おかっぱ 輝彦 ボッティチェリの春のもどき。日本画にすればこうですな。ただつつがなき日をと手を合わせる春分の墓前 成行 反骨男も祖霊の前では意外に素直な面が前面に。陽炎や方丈の沓脱石へ紅い靴 享 紅い靴とくれば光男作品と思いきや、享さんの作品でした。ボッチェッリをボッチルルリと誤記のヴィーナス 光男 シジミ貝の輝ちゃんと一緒に絵画鑑賞にいったのかな。お茶の名はプランタニェ―春よ来い香り立つ湯気 きみこ 「金色のたんぽぽの野に立つごとにナウシカになる」 掲句よりもこの方を恭範くんはいたく感動していましたっけ。 通勤列車吐き出す貌々殺気立ち緑雨の街へ マダラ 本日は丸坊主かと思いきや、優しいシゲちゃんが採ってくださいました。 と、ざっと見てきたようにこの夜大逆転が起こり初参加美女たちの作品が席巻し、老練作家たちはタジタジになりました。これはうれしいことで、いよいよこの不思議な俳句会もNEXT STAGEへ。代表の享さんも当夜出していた作品の「男の中の漢(オトコ)キノコ大将の四月尽」を「男の中の漢キノコマダラの四月尽」と書き変えて小生に献じてくれたくらいですからよほどうれしかったのでしょう。古壷新酒(ココシンシュ)という言葉がありますが、ようやく古い器に新酒がなみなみとたたえられる日も近いような雰囲気に。「老兵は去れ」なんて言われないように老練作家たちもご健吟のほど。
2013年04月25日
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臨時休暇を賜り、今回はどう逆立ちしても行けそうにないなと思っていた京都市立美術館と別館で開催中の菊池享の南画院展と澤山輝彦の東方展に去る4月13日の土曜日早朝より行ってきた。淡路震源の地震で交通機関がマヒ状態であったが、3時間半かけて痴漢もお手上げのすし詰め状態の電車で京都へ。数日前に余裕で鑑賞されたSさんからは「今回の作品は両名とも渾身の作なのでこれを見逃せば後顧に憂いを残しますよ」とメールで脅かされていたものだったのでなおのこと溜飲を下げる思いすらあった。 なるほど、享さんの作品には来し方のさまざまな自身の投影が散見でき、画風も院展に新風を注がんとする意欲溢れるものであった。この南画院展はこれまで享さんの勧めで足しげく通ってきたが、何か会場全体にそれぞれの作家たちのペダンティックで鬱屈した妄執のようなものが過剰に充満していて、ほとほと疲れるので、余り根を詰めずに流すように観てきたが、そんな中で、享さんの作品にはホッとするものを感じた。 続く東方展では日本画とはいうものの、アクリル絵具と顔料の絵画が混在する作品が居並ぶ中で、岩絵の具、胡粉を用いた作品でポストカードでは実作品の良さが伝えられないのが残念だが、近年とみに明るくなってきた画調の澤山さんの作品はここでも光っていた。今年度で主催者の高齢化が理由で東方展の京都開催は無くなる可能性があると聞かされてきたが、そんなこととは無関係にそれぞれの作家が、常と変らぬわが道を行く作風を貫かれていたのが何よりもうれしく感じられた。 この両美術館の連絡通路にあたる岡崎公園ではおりしも京の手づくり市・平安楽市が開かれていて、きのこグッズ花盛りの様相にきのこ新時代の到来をあらためて確認するとともに、その中でもきのこをつくって独自な骨のある作家数名のブースで名刺交換をしてきた。とりわけArt Shop PIPPIの沖縄在住の鈴木剛くん(スーザン、鈴ヤンの意か)には注目すべきものを感じた。 それから、Mくんを伴い京阪で東福寺へと下り、共通の友人であった故安藤純くんの墓所へ案内した。Mくんは僕以上に彼の恩恵に浴しつきあいも深く、当時神戸にあった彼の焼鳥屋「鳥羽」で人生全般について深夜まで語り合ったと聞く。墓前で小一時間、駅前のコンビニで伏見の酒を買い、墓前で分かち呑みしながら震災前まで続いた僕たちそれぞれの往時の思い出を語り合った。そうこうするうちに、伏見桃山に焼鳥と地酒のうまい「鳥せい」のことを思い出し誘うとふたつ返事が返ってきたので安藤もともない森崎くんと3名でかけ込むことにした。かくして京都の夜は・・・。
2013年04月20日
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ムックきのこクラブの4月探訪会は、昨今のクラブとしては珍しくなったきのこオンリーの旅となる万博公園。今回は、メンバーのFさんの民博就職を祝って、この公園をゲレンデとする素晴らしいきのこ写真家のTさんに引き合わせることと、公園のきのこたちに挨拶を果たすためだ。 チャアミガサタケ カバイロサカヅキタケ 博識のクラブメンバーのほとんどがのっぴきならぬ理由で欠席する中、足の便がよいことも伴い22名が参加。こうなればDr.マダラ―ノフの独壇場で、彼のどうしようもなく怪しい解説にうなづき、メモを取る人まで現われる始末、皆どことなくだるい状態になりながらも、毒奪(と)るの名にふさわしく、ひとりの悪酔い症状を呈する人とてなく、公園出口近くのスマウグさんおすすめのショップでコーヒー、ソフトクリームで乾杯して午後遅くに解散。 ウラスジチャワンタケ ツバキノキンカクチャワンタケ 僕の春きのこは、ここに掲載したアミガサタケ数種とウラスジチャワンタケ、カバイロサカヅキタケ、ツバキノキンカクチャワンタケなどの子のう菌、それにヒラタケ、キクラゲ、ハルシメジなどの担子菌が少々あればそれで充分なのだが、名ガイドのTさんはヒメコンイロイッポンシメジ、ムジナタケ、イタチタケ、ミイノモミウラモドキ、イヌセンボンタケ、キララタケ、キクラゲ、それにサルノコシカケ数種をガイドしてくれて皆をもてなしてくれた。ありがとう。Tさま。 キララタケ アラゲキクラゲ 八重ではなく千重咲きと呼ばれる見事な花の渦の乙女椿 皆には内緒だが、僕がこの日もっとも心に残ったのはオトメツバキの花弁の究極の曼荼羅を見る如き見事な花弁の渦だった。 このリーフレットは今回初参加のナカガワ・ノンちゃんのなかなか現代的なイラスト作品。彼女とはオガサワラミチさんや堀さんのきのこ展で作品には接していたが、ご本人とは初めて。
2013年04月20日
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奈加靖子さん 大森ヒデノリさん 岡崎泰正さん 白猫チャリダ―のガッキ―ちゃんに誘われて、久々にムジカ主催でサロン・コンサート、しかもアイリッシュ音楽の夕べをやるというので、ふらりとのぞいてきた。 歌とアイリッシュハープ 奈加靖子、ギター 岡崎泰正、フィドルと作編曲 大森ヒデノリのトリオでなつかしいアイリッシュ・ミュージックの数々を愉しませてもらった。楽曲は、映画「タイタニック」のメイン・テーマにはじまり、昔なつかしいアイルランド民謡の数々で、このヴォーカルの元宝塚花組の奈加さんはじめ演奏者それぞれに追っかけがいるらしく、ムジカ・レストラン部のカフェ トゥレジュールには100名余りの客が詰めかけ大盛況でした。 満員の会場風景 ビューリーズ紅茶の山口さん ビューリーズ紅茶と軽食つきで、南インドのニルギリ茶葉のお土産までついて、堂島の水木しげる こと、堀江敏樹さんのこのコンサートに対する情熱のほどが伝わってきて同志愛さえ感じとてもうれしいひとときとなりました。 コンサートの合間にティーブレイクをはさみ、アイリッシュ紅茶をマグカップでたっぷりお替りできるとあって、お茶はがぶ呑みにかぎると思っている僕にとっては願ってもない機会でしたので3杯飲んじゃいました。 コンサートの後、協賛の(株)大友商事の山口さんからビューリーズ紅茶のCTC製法によるケニアの丸い茶葉とアッサム茶葉をブレンドし、2010年の英国グレーティスト・アワードで金賞を獲得したアイリッシュ・アフタヌーン・ティーにはじまり紅茶消費国世界一のアイルランドの興味深い紅茶事情を詳しくお話しいただき、なんとも満足満点の夕べとなりました。 ガッキ―ちゃんに感謝です。 帰りに地下街でラーメンに凝っているというガッキ―ちゃんおすすめのとんこつラーメンを頬張りながら、学術文庫の中村元「中論」を読破したというこの不思議な乙女と仏教の「空」を達観して生きるとは?にはじまり、彼女からダライ・ラマの事を教えてもらったのも楽しいおまけでした。 もう一度あらためて感謝。 その後お友達の猫ちゃん急逝で落ち込み、お会いする機会を失っていますが、そろそろ立ち直ったでしょうか?!。心配しています。
2013年04月19日
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この置物は日本キューピー協会の12月それぞれのキューピーアイコンの1つです。 きのこポエムは行楽弁当づくりの要領で。 さて絶好の行楽日和が続きます。行楽にはお弁当がつきものですね。このわくわくするお弁当づくりがきのこポエムづくりと全く同じなのです。 きのこポエムは俳句や短歌と同じく定型詩です。24音で自分の思いを述べる。この定型こそが弁当箱に相当します。そのお弁当箱にさまざまな具を入れますね。その場合、味つけはもちろん、色合いや栄養バランスにも気を配って具材をアレンジします。この具材のアレンジを言葉に置き換えてみればよいのです。このアレンジ感覚にそれぞれの個性がきらりと輝くとOKです。 定型詩の利便性 定型詩の利便性は決められた字数で言葉をアレンジするだけで詩とみなされるところでしょう。交通標語であっても定型に準じる限り詩とみなされます。「せまい日本そんなに急いで何処へ行く」も「交差点みんなで渡れば怖くない」も俳句の定型17音に準じていますので立派な詩です。 弁当箱に玉子焼やかまぼこ、ウインナー、季節の野菜、旬のお魚やお肉などをきちんと蓋のしまる程度に盛りつければハイできあがり。 俳句や短歌はお弁当づくりでいうと幕の内弁当や松花堂弁当に当たり、きのこポエムはそれぞれの家庭のお弁当と言ったところでしょうか、具材や盛りつけに定番やきまりがなく自由そのもの。むずかしく考える必要は全くありません。きのこポエムはあそび心がもっとも大切です。そして誰もがおいしいと思う言葉を選ぶこと。 そして、最初は五音、七音の組み合わせで始めて、やがては五音、七音にこだわりなく独自のリズム感をともなう24音でそれぞれの人生の一刻一刻の感動を言い止めるようになればしめたものです。 きのこポエムは2ビートのジャズを8ビートで歌うこと 俳句や短歌がジャズでいうところの2ビートならきのこポエムは4ビート、8ビートです。韻文ではなく散文化を目指します。ジャズのメリハリをボサノバ風の歌い方で表現することを目指しましょう。また、携帯のデジカメで写真を撮る要領で、その撮りたかったものを中心に主観を入れず見た通りに言葉に置き換えること。 以上できのこポエムのへその話しは終わりです。2句1章、毎日のお弁当づくりの要領で言葉遊びを楽しんでください。
2013年04月18日
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「カエルやキノコにヘソはあったっけ」と思う人もいるかも。でもきのこポエムにはへそがあります。そのお話しです。 俳句的、短歌的ということ 俳句は携帯のデジカメ的表現、短歌は携帯の動画的表現と繰り返し述べてきました。短歌は動画世界の表現。俳句は、とめどない時の流れ、広大な世界から1ショットスナップで一瞬の断片を切り取ってくる作業です。きのこポエムはそんなより少ない言葉で、その切り取った小窓から広大な世界を暗示させるような俳句的手法を活用しながら、文語体(韻文)を極力用いずに、僕たち現代人が普段使っている言葉で無理なく思いを述べるために7音プラスして24音を基本とした短詩です。 きのこポエムの詩的表現 2句1章と1句1章 大須賀乙字という河東碧梧桐門下の俳句作家は大正期も終わりの頃、<俳句は「2句1章」だ>と唱えました。それは臼田白亜という同時代作家の<俳句は「1句1章」>論に対抗するものでした。2句1章とは、短詩の中に更に切れ目をつける作風。1句1章は単一の主題をすらりと切れ目なしに詠み込む手法と考えてください。僕の好きな水原秋桜子の作品を例に出すと、2句1章の作品はたとえば「菊の香や奈良には古き仏たち」1句1章の作品には「冬菊のまとふはおのがひかりのみ」があります。 短い詩形で多くのことを詠み込めば、何が言いたいのかが曖昧になることから、一つの対象に絞り込んで徹底追及するのが1句1章。芭蕉はそれを<黄金を打ち延べたる句>、現代俳句では同じくそんな作風の作品を<一元俳句>とよんでいます。 しかし、僕は2句1章をきのこポエムでは大いに推奨したいと考えています。短い言葉の作品を2部構成にして1章とすることから生じる不思議こそが象徴詩の醍醐味だと考えるからです。 2句1章の不思議 「菊の香や」という文章と「奈良には古き仏たち」という文章の2部構成にして並べて1作品とすると「菊の香」と「奈良には・・・」の間に意味の断絶が起こります。この明らかに意味上では切れるが、後続の全く次元の異なるものやことを読んだ言葉とがそこはかとなく繋がって1作品となっているのがおわかりいただけるでしょうか。この断絶が強ければ強いほど、意味上の飛躍が大きければ大きいほど、そこに短詩形に独特の詩性が生まれる可能性が大きくなってきます。や、かな、けり、体言止めなどの切れ字はそのための方法です。ただ、その断絶がもう一つの言葉たちにつながらなければ単なる言葉を並べただけに終わってしまう。夜の顔不思議な俳句会で説明的だと言う場合、多くはそんなただ言葉の羅列に終わっている作品のことを指します。 季語という言葉の壁 俳句が季語を用いてその季語に託して自身の思いを述べるのも、多くは2句1章を活用しています。 叱られて姉は二階へ柚の花 鷹羽狩行 この場合、前の5・7文字で1句、後の7文字の季語の1句で1章が成り立っています。現代人にとって俳句の分かりにくいのは、この飛躍してつながっていると思われる季語そのものがまず理解できなくなっているところから来ています。柚子の花を知らなければこの作品そのものが言葉として理解できません。 柚子の花あるいは柚(ゆ)の花は、初夏から梅雨季に白色5弁の芳香を放つ小花が開き、蕾は香味料とされ、柚子の実は秋の季語です。この作品では白い小花とともに柚子の木が枝に棘をもつことも伏線として込められているように思えます。でも、そんな作家の努力も柚子の花を見たことも聞いたこともない人にはお手上げなのです。 スーパーでパックにはいったきのこしか知らない読者にきのこをポエムにする場合、直面する困難は作ってみればただちに了解されます。僕がきのこにカルチャーショックを受けた四半世紀前も今もそれは全く変わりません。きのこは、それほど特殊な生き物なのです。 摩天楼より深緑がパセリほど 鷹羽狩行 同じ作家の作品でもこちらは分かりやすい。きのこポエムを現代に流通させるには言葉の勉強(季語を取捨選択することをも含みます)を強化することと併行して、ムックきのこクラブのさまざまな探訪会が必要なことがおわかりいただけるでしょうか。こうした地道な数十年の努力の果てに特殊であったきのこに代表されるヘテロソフィア文化が定着する。スーパーきのこの文化創造とはそういう性質の気の長ーい試みなのです。 スケートの濡れ刃たづさへ人妻よ 鷹羽狩行 これは僕の大好きな作品ですが、ここでは季語ではなく下5の人妻で意味上の飛躍がありますが、上5、中7の言葉と絶妙につながっていますよね。とりわけ濡れ刃なんて言葉、エロくってなかなか使えませんよね。この作品からは快活でさわやかなフェロモンを発散する女性像が文句なしに浮かびあがってきます。 以上が、言葉の上では断絶しながら、意味の上でかろうじてつながることで生まれてくる詩性を味わう俳句に固有の面白さであると同時に、現代の人たちに俳句を分かりにくいものとしてきたこえがたい壁でもあるのです。 きのこは言葉、きのこポエムのへそを探そう きのこポエムも結局はそれぞれの作家、読み手の言葉の習熟が大前提となります。僕が感覚的にきのこが大好きという人たちにきのこポエムを勧めるのは、世代間で失われつつある言葉を世代を超えて協同して回復していくための基本コースと考えるからです。その大前提に立ってはじめてきのこ・菌類という特殊な世界の生きものに対する慈しみの感情にもとづくきのこの文化(ヘテロソフィア文化と当面の目標としてのきのこシアター構想)というものが花開くのです。まずは、きのこポエムのへそを探りながら作品づくりに励み、言語感覚を磨いていってくださいませ。外国語学習でも最終的には単語力がものを言います。語彙が増えれば表現の多様性も可能になります。そのためには、考えるための言葉を少しでも多く身につけることです。
2013年04月17日
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ムックきのこクラブの探訪会はきのこ観察会ではありません。きのこを通して先人の行き来した土地の記憶を辿り、それぞれの来し方をふりかえり、行くえをととのえる集いです。 きのこポエムは、そんなスーパーきのこ大学の文学部必修課目といったところでしょうか。文学部といえば筒井康隆の『文学部唯野教授』という愉快な小説がありましたね。でも、きのこのような非生産的な生き物におまけにスーパーがついたような大学の文学部なんて、もう気が遠くなるほどの無意味さで、世の我利我利亡者さんたちにはまったく無縁の世界です。打算のきつい人はきのこは敬して遠ざけます。たまたま間違ってこのきのこ世界に入ってきてもやがて去ります。スーパーきのこを志向するムックきのこクラブは「このきのこ食べられますか?」という思いしか持てない人には無縁の世界なのです。まして、スーパーきのこなんてわけわかめ?!(=わけわかんないのマダラ言葉)なことをいう人なんて異星人としか思えないでしょう。 そんなムックきのこクラブのスーパーきのこ志向には、その根底に大乗仏教の「空」(そらではなく空っぽのくう)思想が流れています。 まず、<文学やアートはこの世の未練でしかない。>というところからスタートしましょう。これが競争原理の世界の中で拡大再生産される差別を根絶できないまでも最小限に食い止める唯一の方法であると僕は考えてきたからです。 そして「空」思想では全く無意味であるとされるほんわかアート活動に生涯を通して従事するための最初の一歩が「きのこポエム」なのです。 仏教の大乗運動は、「空」理論を究極にまで推し進めながら、自分以外の世界の存在を認めるという矛盾を犯します。「空」思想では、他者とか自分自身のまわりにひろがる世界とかは一切夢幻とされます。しかし、そうであるにもかかわらず、利他行を説くのです。その個人と社会の矛盾を埋めるものとして菩薩行が編み出されました。いわば苦肉の策なのです。そこにはこの人生に対するするどい洞察、すなわち魂の救済なんてどこにもなく極楽も地獄もない。しかし、生きよ、励めよ。そして、虚無を抱えて突っ走りなさいという教えのみがあるのです。 僕はきのこと決定的な出会いを果たした青春期(今はもっと青春しちゃって青ざめていますが・・・)の山旅の途中で「人は、きのこのように生まれきのこのように死んで、そのあとさきは一切ありませんのよ。なぜおわかりにならないの」と問いかけられたことできのこにぞっこん参ってしまったのです。そのときのきのこたちは絶世の美女以上の魅力を漂わせていました。 矛盾だらけの「空」思想では、その人間の基本である言葉も不要とされます。アートなんてますます不必要。しかし、あなたや僕が、文学やアートに憧れ、鑑賞者、表現者となろうと試みること。それを未練だと僕は言ったまでのことです。でも、この未練、僕にとってはなんとも捨てがたいもので「未練でもなんでもいい。もっともっと楽しまなくっちゃ」と思ってきました。 人は生まれ落ちてしばらく、みじかくて数秒、長くて100年余り生きなければなりません。その間、「空」「くう」と言ってみても「食う」のも必要ですし、セックスもしたい、ちょっぴりお金もばらまきたい。しかし、同じ生きるなら自分以外のいのちにいささかでもお役に立つ生き方(=利他)をするほうがよろしいのではないでしょうか、ということから文学やアートが生まれたのです。その基本は言葉です。 この一言で未練といってもさまざまな表情をもつ事を「色」と言い、そんなのは死ぬ時になったらようやく分かりますが結局はあほくさいものでっせというのが「色即是空」「空即是色」ということなのです。 ムックきのこクラブはそんな淡い未練を形にするクラブなのです。きのこシアター構想の思想的な核はここにあります。 この世に対する未練。この未練はこの世のもの(=身体)と心という二元的にとらえれば分かりやすい。僕の好きな文学者に上田三四二がいますが、彼の『この世 この生』(新潮文庫)はそんな観点から西行・良寛・明恵・道元といったあほくさい人生をもっとあほくさく生きた4名の人物の生の軌跡を辿りとってもさわやかです。地に足をつけた状態の身体を未練を見つめていくことで浮かしていくそこに異質な文学・アートとしての言葉が生まれてくる情況をピタリととらえています。 ムックきのこクラブ、とりわけきのこは言葉であるという僕の思いを受け止めてポエムをはじめた方たちには是非読んでもらいたいもの。 それじゃきのこポエム新しい週の課題に入りましょう。
2013年04月15日
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キコガサタケ Conocybe lactea はじまりの「スーパーきのこ」世界への旅立ちの第一歩として、きのこポエム24音詩の講座をはじめて10日が経ちました。「学ぶよりまず作ってみる」ことからはじめて、そろそろ自身の癖がみえてきたところで、きのこポエム・ベーシックを伝授いたします。「松のことは松に習え、たけのことはタケに習え」 ムックきのこクラブのきのこ探訪は、ひたすらきのこを観察することに終始します。それは無心になってきのこと接することから見えてくるものを自身の人生の糧にすることです。このきのこに代表される自然観察の態度は、そのまま「きのこポエム」に転用可能です。自然を観察し、見たまま聞いたままを言葉にするとそのままポエムになるのです。T・T・K(Through The Kinoko=きのこの彼方・スーパーきのこへの第一歩) 観察する対象を言葉で正確に描写する。この描写はすでに自身の主観で見たものなので、それに言葉で自身の感想を付け加えることは蛇に足をつけるようなものでまったく不要です。見たもの、聞いたものに語らせることで自分が出てきます。 芭蕉の「タケのことはタケに習え」とは「タケのことはタケ自身に語らせなさい」ということなのです。「バラが咲いた。きれいだ」という場合、「きれいだ」は不要で、もっとバラそのものに語らせなさいということなのです。「きれいだ」を言うかわりに「紅いバラ」とか「ちいさいバラ」とかいってバラの美しさをバラそのものに語らせることで、その表現者のあなたがきれいに思っているなと読者に感じさせることで成り立つ詩なのです。そんなささやかな象徴詩がきのこポエムです。 俳句に準じる最短詩きのこポエムは坪内捻典の「過渡の詩」です。 日本の短詩、伝統詩の元祖は和歌31文字です。それを5・7・5と7・7に分けてそれぞれを別の人が詠むことから連歌が生まれ、その形式に庶民性を盛り込んだものが連句、そしてさらに連句の冒頭の句5・7・5を独立させたものが俳句です。和歌は貴族社会の伝統を踏まえています。雅びな世界からぬけられません。しかし、連句と俳句はその伝統に逆らって生まれたものです。骨の髄まで庶民的な反骨の精神で貫かれていることが俳句であり、固定した伝統をたえずくつがえすことでかろうじて成り立っている詩形なのです。それを坪内氏は過渡の詩と語っています。 なぜきのこポエム24音詩か 和歌はハイソで雅びな世界のルールを守ることで成り立っています。俳句もそれにならって伝統詩という人があとを絶ちません。俳句を隆盛ならしめている家元(結社)制度は、季語の勉強、短い詩形ゆえに文語体を基本とし、言葉の省略や飛躍を解釈する独特の方法を教えます。 しかし、それは結社という狭い「村」社会の中で読み手が固定化されていれば可能ですが、ポエムは万人に開かれたものだと考える僕たちには、高齢化と朝令暮改の戦後の教育の結果、世代間の分断化が進み、世代を超えた意思の疎通が閉ざされ、もはや定型詩の独特の読み方や個々の言葉のイメージさえもまちまちになって言語体系そのものがあやうくなってきていることに危機意識を抱いています。そんな時代に入った21世紀、読み手を回復し、世代を超えた意思の疎通を図る努力をはじめようとして編み出されたのがきのこポエム24音詩です。 それは、俳句より7音長い詩形ですが、外来語の多用で日本語1単語の字数が増えたこと。そして、多少散文調にはなっても韻文としての文語(古典語)の表現を極力排して日常的に使われている言葉を用いて、なおかつ短詩として和歌や過去の伝統的な詩からも自由であるためには24音がぎりぎりのところだろうと考えた結果です。 また、私たちの日本語の単語は、七五調からなかなか脱することができないほど馴染んでしまっていますので、七五調は当面そのままで(もちろんきのこポエムは将来的には七五調からの自由こそが究極の課題です)、「めっちゃ!」とか「まじ?!」とかの口癖に近い俗語を極力さけて、将来的にも残したい言葉を用いて、生まの言葉でつづる短詩としての努力を重ねていきましょう。 10日目のきのこ地蔵(クラブの実作者たちへのメッセージ-1) 「バラがきれい」と言う場合の「きれい」は、きのこポエムでは<小主観>と呼んでおきましょう。多くのバラの中から自分の心の琴線に触れるバラを見つけたことで充分作者の思いは伝わっているのにわざわざ自分の主観を重ねて短い詩形を台無しにしてしまう。 この知性が邪魔する現代人の蛇足を、これまで日々のテーマ(季節感の再確認作業)で作品づくりをしてきた自作を振り返り、まず訂正、克服することからはじめましょう。 きのこポエムは「もの」や「こと」に託して最小限度の言葉で自身の思いを述べる短詩であることをまず最初の一歩としてください。 いよいよ4月15日からは第3週目に突入します。どうぞ以上のことを参考にご精励のほど。
2013年04月12日
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アート展エントランス 自動手記の森崎作品 猿澤さんをはじめとする神戸の現代アーティストたちの月替わりアート展の3~4月(1ケ月)の課題は「リサイクル展」。 今回は友人の森崎くんのアート世界への復帰第一弾としてかって手がけたシルクスクリーン作品が出品されると聞き、飛んで行ってきた。 北京一さんのパントマイムボディペインティング作品ほかの2壁面 毎月テーマを出して作品を継続して制作を続けることはムックきのこクラブで進行中の「きのこポエムの言葉のフィットネスクラブ」よりもはるかに大変なことだが、精力的に続けて来られたことは尊敬に値する。 猿澤さん作品ほかの2壁面 猿澤恵子さんは言うまでもなく、ギャラリー草の豊川さん、パントマイムアーティストの北京一さん、ドイツへ旅立った書家の池上博子さんほか馴染みのアーティストたちが精力的な作品をところせましと展示されており、エネルギッシュそのもの。
2013年04月11日
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去る3月20日より31日まで神戸のKIITOホールで開かれた加川広重展に最終日手前の30日の土曜日、何とか間に合い駆けつけることが出来た。 この企画展はギャラリー島田のオーナー・島田誠さんの悲願でかろうじて成就したもので、神戸の震災、そして福島の惨劇以後、彼のライフワークとなりつつあるアートによる静かな一石を投ずる事業のかけがえのない断章なのである。この日は板橋文夫さんのピアノソロ・ライブがあり、作家の広重さんも居合わせ挨拶するのも聴くことができた。 この巨大絵画の原型となった小品と広重さんの常の作風を伝える作品も同時展示されていて一挙に東北が身近に感じられる夕べとなった。 巨大絵画制作者の加川広重さんと板橋文夫のインタープレイに震えたスタインウェイピアノ 展示を堪能したあとは、板橋文夫さんのピアノ・ライブ。僕は初めて出会った方だが、親友のMくんには古くからのジャズ仲間だと聞く。 神戸の震災で微塵になったものを再生させたスタインウェイ・ピアノがまた壊れるのではないかと思われるほどの執念を感じさせる彼の演奏に黙想スタイルで聴いていた僕は、いささか違和を感じて目を開いたが、やがてその演奏は巨大絵画の細部にくまなく視線を移動させながら聴くものだと言うことを納得させられた。それほど、彼の思い溢れるピアノタッチは、この会場に1cmの余裕もなくピタリ納まるべくして東北よりやってきた広重の水彩絵画にストレートに届くものだった。僕にはとりわけ3曲目のロータス・ブロッサムスが印象に残った。
2013年04月08日
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「色即是食 食即是色」を貫き、美酒・飲食(氏によればびしゅ・おんじきと読むそうな)に徹してきた画伯の人生を象徴するようなカクテル・パーティが開かれた。 氏のご人徳か、下戸の美女たちや赤ちゃんまでもがかけつけ、18名の人たちが彼の温めてきた3種の秘酒を疲労?!、いや間違えました披露。 美酒にはおいしい肴はつきもの。画伯持参のものはアボガドに海葡萄とキャビアモドキの洋風ぬた(写真上右)。ギャラリーからは世界のチーズアラカルトとカナッペ、そしてスペアリブのメインディッシュ(写真下右)。 秘酒の筆頭は、ビ―カル(ビールのカルピス割り・写真上左)、ついで、しら梅(にごり酒に梅酒)、そして極めつけは桃源郷(ピーチネクターにブランデー・写真下左)。かっこを付せばな~んだと思われる凡人もおられることと思うが、これには画伯のスクリュー・ドライバー的人生のエッセンスが込められており、この秘酒を口にするとき、下戸もうわばみもそれぞれが納得する色即是食の世界が舌先にひろがってくるのを禁じ得ないのだ。 会もたけなわになって澤山画伯のオカリナ演奏と西村存子さんの『家守奇譚』(梨木香歩)朗読も加わり、しみじみと心愉しいパーティとなった。 西村存子さん澤山輝彦さんのオカリナ演奏と小説朗読
2013年04月07日
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3月24日(日)、川西きのこクラブの皆さまと昼までで別れて、天下茶屋にあるギャラリーで開催初日を迎えた北京一さんのオープニングに参加してきた。彼のパントマイム人生もたけなわ、次なるステップに向かうための個展だと納得した。この日、パントマイムは彼の18番と思しき「自殺志願」。またギターの弾き語りも聴かせてくれてあっと言う間に1時間ほどが過ぎた。その後、おもんちゃんこと猿澤恵子さんのボディペインティング。かなり過激だと聞いていたので、雨合羽を着て行ったが、やはりギャラリーでのオープニングで春爛漫の頃でもあり、さくらさくらの顔面メイクと相なった。 幾人かの知り合いと旧知を温めての帰るさに北方向に天王寺のハルカスビルを望む聖天坂にある知る人ぞ知るうどんや「春日」さんを覗いて半世紀前のうどんやさんの味が懐かしいきつねうどんを食べてきた。 うどんやさんではうどんや風邪薬のレトロな看板も現役で活躍しており、この界隈はチンチン電車風の阪堺電車の駅もあり、懐かしさいっぱいの町並みだった。
2013年04月03日
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井上さん、澤山さんが世話役を務める川西きのこクラブ、今年は1ケ月早いスタートとなり、去る3月24日の日曜日、五月山を鼓が滝方面から辿り日ノ丸展望台を経て池田に降りるコースを歩いた。ムックきのこクラブの人たちを中心に16名参加で盛会となった。僕たちは午後皆さまと別れて北京一さんの個展オープニングに参加のため大阪南の天下茶屋へ駆けつけたが、探訪の帰路ではアミガサタケも出そろい、きのこ目のするどいO君はツネノチャダイゴケの小塊粒が飛散した跡の外皮を見付けたりで、いつもながらの春きのこ爛漫の一日となった。 とっつきの中川原社鳥居 登山道わきに築かれた古墳 この池田の五月山を裏から登るコースは猪名川流域に秦氏が入植する以前の豪族の古墳が散見され、山道脇には無造作に石棺の蓋が転がっていたりするので僕にとってはうれしいトポスだ。 同じく石棺の蓋 ヒメアジロガサモドキ 川西では初見のヒメアジロガサモドキはさして珍しいきのこではないが、今回は熱心Charさんが参加していて、見つけてくれた。このケコガサの仲間にはドクアジロガサがありこのキノコもその特徴を幾分かは備えているのでよく見て記憶にとどめておくことだ。 モリノカレバタケ ツバキノキンカクチャワンタケ 春の風物誌の1つヒトクチタケ 厳冬期にも出会うセンボンクヌギタケの近縁種 ヒメツチグリ ミイノモミウラモドキ
2013年04月01日
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