全22件 (22件中 1-22件目)
1

こうしたきのこと出会うと僕は法華経の大地を割って出現する従地湧菩薩たちを思い浮かべてしまう。 摩訶止観(マハ―=偉大な、止=乱れた心を集中し、観=その集中した心でものごとのありのままの姿を認識する)とは、坐禅による悟りの境地へ至る方法を示したものだが、その止観には次の3つがあるとされる。漸次止観(ぜんじしかん) 徐々に心が定まり悟りをひらく。円頓止観(えんとんしかん) 坐禅に入りただちに悟りの境地に至る。不定止観(ふじょうしかん) 修行者の性格、能力により、実践の順序が定まらないもの。 悟りの境地なんてあってもなくても自分にとって無縁であるという立場をとる僕はさしずめよくできて不定、いや不浄止観くらいのものだろうが、仏教の教えをつらつら考えてみるに、この頓悟や後世(ごせ=のちのよ)などを軽々と超えてしまうことこそが悟りだと、生涯を通じてほとんど唯一の師であった犬のクロちゃんは切々と教えてくれたものだ。 しかし、僕はさほど強靭な精神の持主ではないので、たえず、たのみにしているものがある。それが祖霊だ。(きのこのある自然といいかえてももちろんOK、唯一神の創造物と無縁のありのままの世界)。一念三千のうちに擦過する肉親、縁者はすべて僕の幸せを願っていると考えることで、その時々に最良の道を示してくれると脳天気に信じてきた。心の安定はそれだけで十分だ。そしてなによりも常に恃みにできる友人がまわりにちらほらいて懸命に支えてくれているので今日まで生きながらえて来れたと思っている。 そんな僕が、仏教では迷いとされる言葉やアート、すなわち色(しき)を最重要視してきたことは、「きのこと唯識の彼方へ」のところで語ったように、仮の世界にもうひとつの仮の世界を対置させることに他ならない。文学ではそれを仮構(かこう)と言いならわしてきた。 非力きわまりないちょっと背伸びするだけで精一杯の庶民の僕たちが、とめどなく肥大化して自爆へと暴走していく現実(仮)世界に、ブレーキをかけ、方向転換させるのは言葉しかない。しかも、そんな言葉は不揃いのきのこたちがめいめい思い思いにダブル・メタファー(仮の仮=隠喩の隠喩)としての文学やアートを打ち出すのではなく、ゆるやかな連帯をともなうトレンドを形成することが必須なのだ。それを僕はヘテロソフィア・ム―ヴメント、あるいはネオ・シュ―ル・リアリズムと呼んできた。 ハイパー資本主義の到達点である原子力発電という人類最悪の「アラジンの魔法のランプ」を、鼻先のぶら下げられた餌につられて選択しつつあるとりかえしのつかないほどのアホゥな現実(仮)の世界に、かって剣よりも強いとされた言葉をどう奪回していくかに始まり、原子力発電という制御しがたいエネルギーに対置するもっとも有効な言葉を編みださねばならない。そんな意味で僕はわが国の天平時代の仮の現実世界に華厳世界の具象というもうひとつの仮を仮構しおおせたダブルメタファーのアート・モデル・東大寺大仏を造立した無名の人物群像に関心を寄せるものである。 僕が震災後の1997年の「アートするきのこたち展」以来、ヘテロソフィア・アートを運動体(ム―ヴメント)としてとらえ、さまざまなアート展を展開してきたのは、ひとえにトレンドづくりの努力につきる。 きのこのアートはきのこという類いまれで特異な生き物にわけへだてのない愛情をそそいできた人たちのアートのトレンド形成の中で語られなければならない。これがもっとも火急の僕の課題だ。 夜の顔{脱}俳句会の試みも、ムックきのこクラブの月々の観照旅行も、その試歩の試みだ。きのこ愛好家は、もっと自身の無意識を自覚すべきだ。そんな気の遠くなるような共同事業を思い至って26年、新たな試歩の日々がはじまって3年目の春がもうそこまできている。きのこを通してようやくスタートラインが見えてきた人からぜひどうぞ、スタンバイをお願いしたいものだ。
2013年01月31日
コメント(0)

澤山画伯に教えられ、駆けつけた<TABIBITO>展は、卑小ないのちにたいする慈しみに満ちた生きもの曼荼羅そのもので、会場に居合わせた高田光治さんとは一目みて旧知の仲となってしまった。 ノアの方舟を摸したボートには聖書の乗客名簿に痕跡すらなかったきのこたちを満載しており、さながら秦の始皇帝を見事出し抜いてわが列島の各地に蓬着伝説を残した徐福を彷彿させるものであった。 会場に一歩足を踏み入れると、来廊者はすべて壮大なスケールのいきもの宇宙に放り出される。そして、多様ないきものに圧倒されたのち、しばし冷静になって会場の行き来を繰り返すうちに、旅人・某は、上の絵画の山の彼方より方舟を掉さしやって来て、此岸の世界をさすらい続け、ほうぼうで稀有ないのちと出会う設定であることが納得される。 この会場のすべてのいきものは、高田氏自らが野山を巡り心に触れたものを丁寧に集め、整理したもので、そのもっともふさわしい居場所を与えられ、かってなじんでいた世界以上の現実感をただよわせながら訪れる者に笑みをふりまいていた。 この作家が、単なる造形や絵画の制作者を超えた世界を観ずるまなざしの持主であることは、一粒の種子や胞子となって個々の作品をあらためて眺めればただちに理解される。 西洋の博物学が、神の意志が地球の隅々の取るに足りない生きものにまで貫徹されていることの証明でしかない(近代日本のアカデミア自然史博物学が退屈なのはそこに基因している)のに比べ、このささやかなギャラリー空間にちりばめられたしたたかないのちの営みの数々の痕跡は、熊楠曼荼羅に通じる相互扶助に満ちた世界をあり態のままに感じさせる工夫に溢れ、それが僕にとってはなによりもうれしく受け止められた。 いずれの作品も高田氏の熱っぽい想いが凝縮しており、作品そのものが尽きせぬ物語を問わずがたりに語りかけてくれるので、あっと言う間に時間が過ぎて行き、しかも居るほどに心地よさが増すのだ。 きのこ、昆虫、木の実、種子、草絮、山繭、ジオラマ風に仕立てたミクロの人物像などのところどころに貼付された手づくりのきのこ切手は、旅の手すさびにあてどない心の恋人に贈った玉章の便りを彷彿させ、たとえようのないほどの洒脱さを感じる。 上の作品はきのこをこよなく愛したジョン・ケイジへのオマージュ。もちろん高田氏自身も彼に触発されてきのこの世界にはまりこんだという。 随所にみられるきのこ切手は世界の郵政発行のものも点在するが、ほとんどが、作者の手書きの作品だ。 会期は残すところあと2日だが、いきもの好きは看過ごすとトラウマになるほどのかけがえのない個展なので、ぜひ駈けつけるべし。2013年1月15日(火)~31日(木) 11:00~18:00TAKADA MITSUJI <TABIBITO>展ギャラリー 風大阪市中央区北浜2-1-23 日本文化会館9F地下鉄・京阪「淀屋橋」「北浜」駅下車18号階段上がる斜め向かい1Fが関西棋院・囲碁サロン のビルの9階。TEL・FAX06-6228-0138
2013年01月29日
コメント(1)
2013年1月24日、短詩形文学の無頼派集団ともいうべき夜の顔{脱}俳句会がなんばOCAT学習センターで開催された。参加者10名、不在作品2名の計12名。当夜の兼題は「曖昧」。 いつものように一人5作品(1点)と特選1作品(2点)の6作品を選出。得点数の多い順に合評ののち作者に名乗りをあげていただき、自作品自解してもらうという手順ではじまった。高点順に列記する。ホッチキスの針を入れ替えるように新年始まる 英津子砂糖菓子舌にのせあてなくめくる昆虫図鑑 輝彦夕闇が街を映画に変えて行く 博子枯すすき照りてあめ色桂川 存子結界を侵す楽しさヌスビトハギにさえぎられ マダラ泥積んだハシケが下る寒の川水面は暗く 輝彦曖昧は人の世にあふれる隠し味 英津子蝶凍てて三角神獣鏡いちまいの墓 享初空やぽつんとひとつ飛行機の影 恭範線を引いても引いても現われてくる新しい線 英津子独り身でくらふ雑煮のあほらしさ 恭範あり得ない方向に脱ぎ捨てられた靴冬ぬくし 英津子さかしまに自由だなぁ海上の雪横に降り 俊美血の色に咲き綻びぬ寒椿 享冬障子閑かな部屋の照り翳り 恭範大納言杵つき餅と出あう椀 恵子雲の刷毛六甲山を墨絵にし 博子まどろみに同じ夢みる犬と僕 成利浅葱は陰なる香の粥にしてああほっこりと 享茸の字はにこげと読めり毛深き茸ににこりとす 存子初春は茶筅遊ばし花びら餅 恵子曖昧もこもこ村娘味噌汁にフキノトウ 輝彦冬の闇に横たわる下弦の月 恵子アルジェリアカミュ不条理クロワッサン 輝彦賽銭握り足踏みしながら初詣 恵子生き残り今日も酒のむ震災の街の夕暮 恭範目肩腰しんどい店の大安売 成利賀状届かぬ郵便受けにも初日輝く 恵子右左曖昧MEはちょっと赤 成利将来と未来は曖昧冬の蝶 享曖昧に曖昧に君と離れる日ありき 光夫嫁はんに頼んまっせと善哉忌 成利国境も善悪の境も越して大砂漠イメージの決壊 光夫大寒にかけ込む先は唐獅子牡丹かATG 成利昭和を過ぎ平成の春の終り近くに戦後思想死ぬる 光夫 今回新たに2名、先般の普茶きのこの会の闘句ショウで初お手合わせした、朗読の会の西村存子さん、書家の池上博子さんが、作品を寄せてくれました。2人とも文学的な下地のある方で、初回より素直で印象ぶかい作品を発表され、会場を沸かせました。今後が楽しみです。
2013年01月27日
コメント(0)

きのこは早いものでは数時間、長くても数日で跡かたもなく消え失せてしまうはかなさのきわみ、諸行無常を感じさせる生きものである。地表下にひろがる数ミクロン(千分の一ミリ)の目に見えない細胞の連なる糸状体が本体で、それに比べれば格段に大きくその存在を誇示するきのこが単なる胞子をつくる器官であり部分であることを知ればとても一筋縄ではいかない生きものであることが理解できるだろう。きのこは常識でかたまった人間を欺く生きものなのだ。スポーツ登山に興じていた僕がこの生きものとはじめてじっくりと対面したのは日本アルプスの高嶺ではなく、丹波篠山のどこにでもあるような低山で、その日は山全体がきのこの山と言った形容がぴったりするような一日だった。以来、きのことの一期一会の出会いを期して端山をさすらいつづけて三十年近い年月が流れた。このきのこ、付き合えばつきあうほど不思議な生き物で飽きることがない。それは仏教思想でいうところの「空(くう)」に通じるとらえどころのなさに魅力を感じているからかもしれない。 釈迦の教えは「無我」ということに尽きる。抜(ばっ)苦(く)は我執(がしゅう)を消し去ることで得られる。なんとなれば諸行無常、「色即是空 空即是色」ゆえに。これが釈迦の到達した悟りの境地であった。誤解を恐れずに言ってみれば、「この世に永遠不変のものなどなく我欲の根を断ち死(し)に態(てい)で生きよ」という教えである。この自己の魂の救済の観想と行法は、個人レベルの次元では完臂なきまでの徹底した洞察に満ちており、禅やヨーガでも基本的にはこの方法を踏襲してきた。ただ、そうした自分一人の解脱をめざす部派仏教は衆生救済という本来の目的を忘れているとして紀元前後から釈迦への復帰運動が起こった。部派仏教の自利(じり)行(ぎょう)に対して利他(りた)行(ぎょう)をもっぱらとする大乗仏教がそれである。この大乗運動はその性格上、他者すなわち社会を意識する点で最初から矛盾を抱え込むことになった。大乗的なものの見方・考え方の基底を成すものは「般若経(はんにゃきょう)」に基づく「空」思想と「解(げ)深(じん)密(みつ)経(きょう)」に基づく「唯識」だが、前者は龍樹(ナ-ガールジュナ)(紀元一五〇~二五〇年頃)によって大成され中(ちゅう)観派(がんは)を形成するが、悪(あく)取(しゅ)空者(くうじゃ)(空を誤って解釈し、虚無に陥る者)が続出したため、一切が「空」であるが、少なくとも「識」すなわち心だけは存在するという思想が現われ唯識瑜伽(ゆいしきゆが)行派(ぎょうは)を形成した。唯識では唯だ識、すなわち心だけしか存在しない。すべては心の中にある。心を離れてはものは存在しないとする。この一切は空であるにもかかわらずあるが如くに見える自分の周りに展開するさまざまな現象(外界)の捉え方についての精神の葛藤の記述が、唯識思想を仏教でありながら、科学、哲学、宗教を超えた世界に通用する普遍的な思想にしている。宮澤賢治は「世界が全体幸福にならないかぎり個人の幸福はありえない」と書き残したが、彼の奉じた「妙法蓮華経」の精神はこの菩薩行に尽きる。しかし、この考えを展開するためには「人人(にんにん)唯識(ゆいしき)」すなわちひとりひとりが識によって自ら作り出した個別の世界のほかに、言葉で語られ、しかも人間同士が「ある」と認めあった共通の抽象的な世界が必要となってくる。その場合、唯識の考え方は、個人レベルでは見事な洞察だが、社会的動物として外界依存を強めた現代人には受け容れがたいものがあり、この打開策を示したのが天台大師智ぎ(ちぎ)(紀元五三八~五九七)だった。彼は従来の仏教の俗諦と真諦の二諦(諦は悟り)に修正を加え、世の中のすべての存在現象は実体がなく(=空)、それは縁起(因果関係)によって仮りに存在しているにすぎない(=仮)。だが、われわれの現実は仮(け)の中にあるので、「空」を追い求めれば、現実の生活、人生は空虚である。しかし、「仮」を否定すれば、「空」そのものも成り立たず、悟りを求めることができない。そこでどちらにも偏らず中間の立場である「中」を重視するという三諦(さんたい)円(えん)融(ゆう)を打ち出した。要するに、「仮」の世界と「空」と観ずることのバランスをとることこそが肝要としたわけだ。しかし、二十一世紀の世界は、この「仮」の世界がとめどもなく肥大化して破局へまっしぐらの状態となりつつある。僕はこの、仮りの世界に対置させたもうひとつの「仮」こそがきのこであり、それが智ぎの言うところの「中」なのだということをきのこを通して理解したのだ。僕の「きのこは文学・アートである」とはこのことを意味している。ただ、現代の文学・芸術、そして宗教は、「仮」の世界の論理にまみれ、その持てる力をそがれてしまっている。僕はその「仮」の世界を超えて現前するきのこという没価値な生き物に意をそそぐ人たちに共通するかけがえのない優しさとシュールなアート感覚を湛えたさまざまな事業を展開したいと考えている。力の論理とマネーゲーム一色の世界に静かに一石を投じていく試み、それが僕にとってのキノコの教え、きのこシアタープロジェクなのだ。
2013年01月26日
コメント(0)

北野天満宮のあとはスイ―ツラリーのリーフレットにいざなわれ、嵐電の嵐山駅へふたたび車上の人となる。 嵐電嵐山本線と北野線の分岐駅の帷子の辻は、MOOKきのこ9巻に掲載した荒井良さんの張り子作品(写真下)の通り、嵯峨天皇の妃であられた檀林皇后が禅の無常の教えを知り、多くの人が悟りの道に目覚めるよう、自らの遺骸を人の目につく辻に捨てさせたという説話から。 余談になるが、荒井良さんの張り子は、水に湿らせた紙を貼り重ね、乾燥させた後に型から抜くという単純作業のかぎりない繰り返しから生まれるが、その作品は、完成後も人の手で簡単に握りつぶすことができてしまうあやうさが生命だ。僕は神戸のギャラリー島田で彼の作品と出会い、その場で釘付けになってしまった。これぞ究極のきのこアートだと思ったからだ。 掲載の写真は彼の2003年75cmの張り子作品「帷子が辻(かたびらがつじ)」である。興味のある方はMOOKきのこ9号か、木耳社の荒井良の妖怪張り子「化けものつづら」2500円+税をどうぞ。 嵐山駅での楽しみは今日をかぎりに改修工事のためしばらくお休みになる駅構内の足湯だ。さて足湯場へ行くとガッキ―ちゃんがいない。山口親子に聞くと、「おねえちゃんは更衣室に入ったよ」とのこと。以前水着姿で足湯に横たわって温泉気分を味わう話しを聞いたことがあったので、用意の良い方だな。しかし、あの人ならやりかねないなと楽しみにして待つこと3分。着衣のまま更衣室から出てきたのでがっかりしながら聞くと、ストッキングを脱いだんだって。まあそうした期待はずれもありましたが、座る位置によってかなりな温度差のある足湯で訥々と爺々婆々の会話を楽しんで熱い順番に退場。嵐山駅を出て、琴線に触れるスイ―ツ・スポットを探りながら少し歩いて天竜寺の外周道路のふれあい地蔵(写真上)にご対面。そしてまもなく本わらび餅で意見は一致し、入ったところがカフェ・稲。ここの本わらび餅を用いたパフェ(写真下)にはじまり、ぜんざい、あんみつ、アイスクリームなどなど思い思いのスイーツを楽しみとりあえず現地で流れ解散しました。といっても全員大阪方面まで一緒だったのですが、それから後の楽しみはな・い・しょ。
2013年01月25日
コメント(0)

嵐電北野白梅町駅から北野天満宮への道なかば、腹の虫が催促しはじめたので、昼食に。グルメ乙女たちは宮前の豊受豆腐がおすすめだったが、すでに長ーい行列。ガッキ―ちゃんが機転を効かせて名物うどんのたわらやさんに皆を誘導。アマゾンのみみずのような極太うどんに興味をそそられてここに決まり。 この名物うどん、食感だけでいえば、味の無いういろう。僕はきつねうどんにしたが、京風のうどんとしては美味いほうに属するので満足。ここで小一時間つぶしてもいよいよ空腹もみたされたところで北野天満宮へもうでることに。閑静な天満宮で、御霊信仰のメカニズムでも話そうと思っていたが、すごい人出で「おどろき、うめのき、みかんのき」。
2013年01月23日
コメント(0)

きぬかけの道に面した三門 中門の毘沙門天像 嵐電のレトロなすてんしょ・御室仁和寺の改札を出ると『徒然草』でおなじみの仁和寺の二王門が存在感を示している。前年の我が国古代より飛鳥時代へとタイムスリップする旅を終え、平安時代の時空をきのこを求めてさすらう1年のはじまりにまずは京都のきのこ文化普及の立役者であられた御室霊園に眠る吉見昭一さんにご挨拶。そうでもなければ、最高位の門跡寺院(皇室寺院でやんごとなき人たちを対象とする)のこの寺には詣でる機会はなかっただろう。 藤原を斥け菅原道真を重用した宇多天皇が、藤原時平たちの陰謀に屈したのち、醍醐帝に若くして譲位して、この地で法務を行う執務室をもうけたことから、このあたりの地名として御室(おむろ)が定着した。また、山門前の道を右に登り金閣寺竜安寺へと至る道路が衣かけの道とよばれる所以は、この宇多法王が「初夏に雪景色をみたい」といったので衣笠山に白絹をかけたことからそう呼ばれると伝えられる。 仁和寺五重塔 中門へつづく広大な参道 三門を抜けると中門へと続く広大な参道があらわれ、そのどんづまりの中門の奥には御所の紫宸殿を移築した金堂が立つ。すべてが寺院というよりは御殿と言う感じのいなめない不思議な場所だ。ただ小ぶりの五重塔のみが寺であることを必死に主張している。 遅咲きの御室桜で有名な当地だが、僕には寺域の片隅にひそかに花こぼれる山茶花、あるいは寒の椿がよく似合うように思える。 墓の霊位にきざまれたキアミズキンタケ オトメノハナガサ(ハダイロガサ) 吉見昭一さんの墓の霊位には、一子さんを伴った採集旅行で見つけたと思われる石垣島のキアミズキンタケが刻まれていて、心なごむ。 仁和寺の疎林の広場でムックきのこクラブの女性たちがみつけたハダイロガサHygrophorus pratensis は別名オトメノハナガサといい、可憐のきわみのようなヌメリガサだ。 カサの径2~7cmでくすんだ黄橙色。ヒダは長く垂生し厚く疎で脈状のしわで連絡している。柄は3~7cm×6~12mmで下方は細まり種小名pratensis (草原生の)の通り、草地、林地、竹林内などに点々と発生する。発生時期は夏から晩秋だが、厳冬期に発生するものはとりわけ肉が固くしまっており、小型ながら食用にされる向きには歓迎される。 大寒の日の仁和寺、吉見さんは僕たちにこのきのこと引き合わせることで精一杯の歓待をしてくれたように思え、この一年幸先の良い滑り出しとなった。
2013年01月22日
コメント(0)

はやいもので吉見昭一さんが逝去されて10年の月日が流れんとしている。ムックきのこクラブでは2013年の初春の探訪会を吉見昭一さんの墓参とし、仁和寺から北野天満宮の御室から白梅町界隈を散策することにした。うれしいことに、ムックきのこクラブの美女たち13名(男性はマダラと山口ダンくんのみ)が墓前に参集、それぞれ晴れやかに、かつ、しみじみと祈りを捧げた。 吉見昭一さんは1928年8月6日徳島県生まれ。1951年以来京都市立小学校教諭として各地の小学校で教鞭をとり、1984年錦林小学校校長となり1987年定年退職された。この校長時代に小生は関西菌類談話会で出会い、以来「きのこをメジャーに」する小生のさまざまな試みに親身のお力添えを賜った。僕の敬愛するきのこ世界の盟友のひとりである。 2003年3月25日逝去。享年74歳。小学校教員時代の教え子に松岡正剛がいて彼は自身のホームページ『千夜千冊』でその忘れ得ぬ思い出を綴っておられる。 うれしいことに、先生の心づくしの真冬のヌメリガサが御室桜や梅の冬芽のかたい仁和寺域に点々と発生して乙女たちの心をなごませてくれた。 この御室と白梅町界隈、とりわけ北野天満宮はわが国の怨霊史の発祥の地。この御霊信仰(ごりょうしんこう)の中に、わが国に固有のねじれた心的現象が見られ、これこそが我が国宗教の落とし穴そのものだと僕は考えてきたので、そのことについてはまた日を改めて述べたい。 真冬のヌメリガサ。一見してカラマツ林に特有のキヌメリガサ Hygrophorus lucorum の色合いに似ていると思った。とりあえず真冬のヌメリガサとしてフユヤマタケHygrophorus hypothejus グループとしておいた。帰宅して写真を詳細に調べた結果、ヌメリガサの中では、傘にぬめりがなくツバを欠く特徴が顕著なオトメノカサ属のハダイロガサ Camarophyllus pratensis と判明。してみると、吉見さんも僕同様、美女に囲まれて大喜びであったようでこのきのこのメッセージ、とてもうれしく思ったことである。 ホコリタケ このきのこも吉見先生が生涯かけて追い求めた腹菌類の代表種で、ハダイロガサともども、この日、奇しくも吉見昭一先生の側近を固める近衛兵たちが総出で美女たちを出迎えてくれたことになる。
2013年01月21日
コメント(0)

東大阪日下から石切方面で見かけた蝋梅バスを待ち大路(おうじ)の春をうたがわず 石田破郷 いろいろと気がかりなことはあるにしても、1月17日も過ぎました。いよいよ日脚の伸びに合わせて春に向けて助走をはじめる時がきました。 明日の大寒の日は再び京洛のきのこ探訪を始めるにあたって、御室界隈を歩き、吉見昭一さんの墓前にぬかづき、今年の抱負を語りさまざまな示唆を得たいと考えています。 昨18日金曜日の朝日新聞朝刊に1月17日の記事が掲載されていますと知らせが入ったのでついさっき買い求めて帰ってきました。久しぶりに手にした新聞、じっくり隅から隅まで読んでみましょう。 また、本棚の必要書籍の配置を変え、興味に任せて書棚から出し散らかして部屋一杯に積み上げていた書籍をまとめて棚に並べ、いささかシステマチックに閲覧できるようにしましたので、いよいよ咋年来の奈良探訪で発酵させてきた思いのたけを書き下ろすことにしましょう。
2013年01月19日
コメント(0)

十三峠の途次、出会ったマリオのきのこ。しばし止まりて瞑想せよと語っているかのようだ。 すべての存在現象は実体がない(=空)が、縁起(因果関係)によって仮に存在しているように見えるに過ぎないのであれば、僕たちの現実も「仮(け)」の中にあり、空を追求すれば僕たちの現実生活や人生は空虚でしかない。しかしこの「仮」の世界を否定すれば、「空」それ自体も成り立たなくなり、悟りを求めることなどできなくなる。したがってそのどちらにも偏らない中間の立場こそが肝心であるとした天台ちぎの『法華玄義』の三諦円融ではじめて、僕たちは大乗仏教の世界観に安心して身をゆだねられることになった。しかし、この人生、「空」でしかないという事実にはいささかも変りはない。これは先人たちの遺言をたどればたちどころに明らかになる。 この「仮」の世界に身を置く僕たちがこの人生の虚無に向き合いながら「仮」から抜け出すという中道の立場を不断に貫くために必須な手段こそがアートであり文学であると思ってきた。「仮」に対してもうひとつの「仮」の世界を対置・仮構することにより中道(心身のバランス)をとりもどすことができると考えてきたからだ。言葉もアートも唯識では本来否定すべきものとしてあるが、それなくしてはすべてが空疎になってしまうことから、必要悪として認めてきた。ぼくが「自分を少しだけ勘定に入れて」という立場を強調し、アートと言葉の芸術による心の安定を取り返そうと促すのはそのためだ。したがって、きのこは好きだけど、アートや文学は自分には無縁と思っている人たちというのは、僕とは無縁の人たちなのだ。哲学者でも知識人でなくともまったくOK。しかし、きのこは言葉であり、アートであるということを理解するためには常にちょっと背伸びが必要でその努力を続ける人たちこそが僕の親友・菌友なのだ。 きのこを愛する人と言うのは、その必要最小条件を満たしており、欲望や自己中心の考え方から大なり小なり距離を置く人たちだと言うのが僕の25年を費やして得たほとんど唯一の真実である。そんな人たちの中からきのこという現象(仮)の彼方をしっかりと見すえる極く少数の人たちとこれからの人生を共に歩いていきたいと願って、ムックきのこクラブを始動させた。宮澤賢治という優れた詩人は「農民芸術概論」のよびかけの言葉「おれたちはみな農民である。ずゐぶん忙がしく仕事もつらい。もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい」と言う言葉を借りれば「おれたちはみなちょっと背伸びの庶民である。ずゐぶん忙しく仕事もつらい。もっと明るく生き生きと生活をする道をみつけたい。そのためにこそ、月一度くらいきのこと出会いバカバカしい話に打ち興じるというずいぶんと暇な遊びを繰り返しながら、その仮の世界の向こうに見える世界をか細い手で手繰り寄せる努力をつづけようではないか」<ちよっと背伸びの庶民芸術概論 by Dr. Madaranov)>ということになる。 僕はきのこは生物学・自然科学の対象ではないと考えてきた。自然科学・生物学としてのきのこは微生物学であるべきで、野山で出会うきのこと何十年つきあっても微生物学の世界とは大きな溝があり、そのアプローチの方法が全く異なるのである。これがきのこに固有の一大事の問題なのだ。 しかし、ほとんどの人は不幸にしてきのこのそうした特殊な事情を勘案せずに普通の昆虫や山野草と同様に取り扱い、きのこにこだわりつづけ、きのこと心中してしまうのだ。僕はそんな人たちと数年前から絶縁してきた。きのこを生物とみることの果てに到達するゴールは浜辺の貝殻拾いに似た狭義の博物学くらいのものだ。きのこの哲学、文化人類学のシンボルとしての役割をしっかりと見届けるべきなのだ。これが僕の近年の到達点だと言っておこう。
2013年01月18日
コメント(0)
阪神大震災のあった1月17日は僕にとって特別な日だ。この日はできるだけ阪神間から遠くに身を置きたいと思いそうしてきた。ただ今年は正月以来、抜き差しならぬ事態が続き、今日も阪神間の3ケ所を走り回っていた。 風花舞う昼下がり、日の当たる羽束山は春そのものといった笑みを湛え、近くの木立では鵯(ヒヨ)がナンキンハゼやネズミモチ、シャリンバイの実をついばみ鳴き交わしていた。メジロもホオジロも群れを成してやってきて、ツバキやキンモクセイの枝でお喋りしていた。のどかである。 仕事がはねてただちに千刈、西谷経由で宝塚へと車を飛ばし、神戸まで足を伸ばした。18年目にして遠ざかるどころか、その中心部へ向けて車を走らせている自分がうつろな影そのものになったようで面白かった。得もいえぬあかね色に染まった夕空がさまざまな角度からのぞむことができ、やがてインディゴの空にずいぶんとふくよかになった上弦前の三日月が浮き出してきた。 しずかに、しずかに旧暦師走6日の一日は更けていく。冬の土用入りの今日、真っ白な心で六甲を越えて午後10時前に帰宅した。ずいぶんと凍ても厳しくなってきた。明日は小雪の便りが届くかも。
2013年01月17日
コメント(2)
弥勒下生の救済が実現するのは56億7千万年後。他者のために生きるという誓願を起こして菩薩として生きる期間は、3阿僧祇劫。まあ菩薩は地上の最後の一人が成仏するまで仏にならないと誓願した人だから、数万遍生き死にを繰り返して他者の幸せのために尽力するのは当然だとしても、それにしてもしびれの切れる時間である。これら救済にまつわるすべては、結局一個人の寿命と比べてあまりに現実ばなれしてしまっている。これは本当のところ、救いなんて一切無いことを意味しているのではないだろうか?。 以前から繰り返し述べてきたように仏教の教えは「生きているうちに死んでしまうに等しい生き方を選びなさい」ということに尽きる。 ただ、小乗仏教と大乗仏教の根本的な違いは、個人の魂の救済をもっぱらにする小乗に対して他者の利益のために生きると言う点で異なるのみである。人の生きる目的は自身を虚しくして他者のために生きることだという発見(献身、自己犠牲など)は宗派の違いを超えて人間の為し得る最高最大の崇高な行為であろう。 したがって、紀元前後から起こった仏教の革新運動としての大乗仏教では菩薩行が中心となったのは当然の帰結であった。と、同時に仏教の根本理論としての「空」理論の考察がはじまり、それらは数万巻にも及ぶと言われ、主だったものだけをとりあげても大般若経→小般若経→金剛般若経→般若理趣経→般若心経と順次作られていき、すべて「空」思想の理論書としての一貫性をもって考察されつくした。とりわけ、般若心経は膨大な般若経典の内容を262文字に凝縮したものでもっとも愛されてきた。ただしこのお経が愛された本当の理由は「空」理論をやさしく説いた部分のあとにつづく一切の苦を除く呪文で、末尾のギャーテイ、ギャーテイにはじまる陀羅尼文にあり、この部分なからましかばと思うのは僕だけではあるまい。なんとなれば釈迦の教えは呪文を用いることを厳しく戒めていたからだ。しかし、これ抜きにしては大乗運動はかくも広汎な宗教とはなりえなかっただろう。仏教をメジャーにするための代償としては余りに痛々しい事実だ。「きのこをメジャーに」する際にもちょっと背伸びをやめるとその最良の部分がたちどころに損なわれるということは心にとめておく必要あり。ここのところは、日本キノコ協会を封印したことと深く関わっている。 紀元7世紀、玄奘三蔵はこれらの膨大な般若経典をひとまとめに訳述し、大般若経600巻とした。 これら般若経群を精査して紀元1世紀ころからの大乗思想を体系的にまとめ、「これが大乗仏教だ」とまとめた最初の人が龍樹(ナ―ガールジュナAD150~250年頃の人)で、中観(ちゅうがん)派を形成、「大品般若経」に注釈をほどこした彼の代表作「大智度論」は密教、華厳、天台、浄土、禅などのあらゆる宗派の理論的根拠となっている。 ただ、「空」思想は、結局「生きる意味など何もありまへん」「この世界はすべてお前の幻想だよ」「即、死にたまえ」という教えだと勘違いして(悪取空者と呼ぶ)虚無的になった真面目な人たちが当時わんさか居たので、その流れの中から現われた唯識思想では、「少なくとも識はありますさかい安心しておくんなはれ」という修正案が出、他方、選ばれた少数の者しか救われないという小乗批判が強すぎて小乗の者だけは決して救われないと言う流れになってしまった大乗運動の行きすぎは、法華経の方便品で小乗の者たちの修行も無駄ではなかったよと強調し、その万人救済の教えがやがてわが国の鎌倉期に悪人、女人の成仏も可能だとする道が開けるきっかけとなった。この大乗運動の究極の教えが「法華経」で、僕はわが国の仏教世界の根本経典だと思っている。 法華経(正しくは妙法蓮華経)は、紀元406年鳩摩羅什(クマラジ―ヴァ344~413)が漢訳。彼はインド人を父に持つ西域出身の僧で、さきほどの「空」思想の体系が般若経群でとても難解だとするとこちらはもっと実践的で一般の人たちの心の欲求に応えたもので、28のドラマティックなストーリーから成り、それぞれ広い地域で別々に流布されてきたものを集め、整理し、まとめたものだ。 釈迦の教えは一つであるはずなのになぜさまざまな形で説かれるのか。この大乗仏教の進展とともに深まってきた疑問に答える形で成立したのが法華経だと瓜生中さんは語っている。 現代人の僕たちに必要なのは、この大乗運動の結果、登場してきた浜の真砂ほどある宗教としての仏教思想のエッセンスは、自分を中心としてあるがごとくに見えている世界の捉え方であり、これに関しては仏教は現実に即した深い洞察を示してくれる。しかし、「般若心経」について触れたように、個人の瞑想のための方法であった教えが、大乗化、大衆化の時点で呪文や霊感、怨霊につながる霊の障りといったまったく仏陀の教えと相反する流れが多々発生してきて、むしろこちらの方が主流になってきているのが実情ではないだろうか。 学究派の官許の僧・最澄は中国天台山へ赴き、智ぎ(ちぎ538~597)の教えを我が国に請来し比叡山で天台宗をひらいた。中でも智ぎの「法華玄義(ほっけげんぎ)」は「空」思想の発展的修正案であり、仏教の二諦、すなわち現実世界の中で経験する世俗的な立場(=俗諦)と真に悟った者の立場(=真諦)という世界観を空・仮・中の三諦円融(さんたいえんゆう)とし、空(世の中のすべての存在現象は実体がないとする「空」思想そのもの)と仮(世の中のすべての存在は実体は空だが、縁起・因果関係によって仮りに存在している)という従来の二諦に、僕たちの現実は仮の中にあるから「空」を追い求めれば現実の生活、人生は空虚だ。しかし仮を否定すれば空も成り立たず悟りを求めることもできない。だからどちらにも偏らない中間の立場であることが大切として中を打ち出し、釈迦のもっとも重要な教説である中道思想を導入して現実と悟りの世界の関係をあらためて打ち出した。この三諦が融合して一体となっていることを円融と名付けた。 この智ぎの打ちだしたバランス感覚こそが現代人の僕たちにもっとも求められるところだ。僕が、賢治の言う「自分を勘定に入れずに」ということを修正して「すこしだけ自分を勘定に入れて」というのは「悟っちゃって上がってしまったら駄目だよ。あくまでこの仮りであろうがなんであろうが、現実世界でも我利我利にならぬ程度に生きなくっちゃね」といった意味である。 智ぎのぎは転換できず御免。豈+頁です。 はっきり言うが、この人生、生きるに値いするような生き方はない。そして極楽も地獄もない。虫けら同様に生きて雑巾のようにぼろぼろになって朽ちるだけなのだ。職業や肩書など何の値打もない。そんな中で、与えられたいのちを自分以外の一人でも多くの他者のために精一杯生きようと決意することですこしは違った毎日が開けてくるのではないか?。という可能性に生きるのみなのだ。これが気の遠くなるような時間の中で死ぬまで頑張れよという仏の教え、菩薩行の中身だ。 僕の今は亡き愛犬クロの教えといっておこう。きのこの教えでもOKだ。 僕は、俳句和歌に対してはきのこポエムで対抗するように、宗教は阿片だという正にその元凶を成す怨霊思想につながる仏教とは厳密に一線を画して、ちょっと背伸びの自身の非力さを十分に意識した庶民として、肉体と精神のバランスを回復するためのぎりぎりの自然回帰を訴えるものである。その念持仏のようなものがきのこだ。きのこという仮の現象とたえず接してきのこの彼方を常に見つめる目をやしなうことからはじめよう。 去年の暮れ、澤山画伯が奈良からの帰りの電車の中で現今の日本の政治の貧困に憤りつつ「今、日本人に必要なのは哲学ではないかと考えています」といみじくも語っていたが、僕が「きのこは言葉である」とか「ちょつと背伸びの庶民であれ」ということもその辺りに落着するように思える。
2013年01月16日
コメント(0)

ここでまた寄り道。 ムックきのこクラブの前身の日本キノコ協会を創始したとき、そのピンク色の観音開きのパンフレットで図解入りで1ページ割いて呼びかけたのが、「スーパーきのこの研究を始めよう」だった。始めた人はもちろんいません。当時は、きのこさえ全く未知の領域でしたので。それでもきのこ暦の2クール・16年待って、いよいよ清水の舞台から飛び降りたつもりで隔月刊MOOKきのこ13巻を出して特殊化進化したがる(変人やきのこおたくと呼ばれてまんざらでもないと感じる)人たちにもう半歩、あるいは1歩踏み出せばきのこを通して見えてくる前代未聞の一般化進化の世界の筋道が開けるよと促したのです。それで10指に満たない人たちが登場。それが目下のムックきのこクラブのメンバーたちの中の数名です。 僕の聖トポロジーのきのこ旅とは、いわゆるパワースポットや歌枕の地のみならず、映画館やアート展会場など、先人や同時代人の想像力のオ―ラが強烈な磁場を成してビシバシ伝わってくるトポス(場)に身を置いて、きのこ目を通して全身全霊で見聞きし、その共通体験を他日さまざまなアートや文学の形で表現し、21世紀のありうべき世界像(仮象世界)の軌道修正を力の限りつづけて行くといった法華経や唯識で言うところの一種の菩薩行を教団という背景を持たずにアーティスト一個人として貫くのです。このきのこ目を養う努力を続けるムックきのこの人たちとともに流動的なきのこそのものといった新しい文化の形をそれぞれの生活の中で築き上げていく協同事業。これこそがきのこシアター構想の中核部分です。 この地球、<もの>に対する執着こそが人生の目的と勘違いしている1%にも満たない人たちとそれにあやかろうとする人たちで満ちています。そんな人たちを静かに笑いとばしながら、自分もその世界の端くれで息づくものとしてちょっとだけ自分を勘定に入れたこだわらない生活の流れに乗っていくのです。大乗とはおおきな乗り物。今の日本は、それぞれが自身の<もの>に対する執着を満載したカチカチ山の泥の船状態。やがて沈むのは目に見えています。超宗教、実践哲学としての大乗、小乗の違いは、きのこと同じ地面すれすれの目線で捉えた無数の他者のよろこびのために生きるか、自己救済そのもののためにのみ生きるかの違いといって良いでしょう。 人牛倶忘の円相 いつか仰いだ極月の望月 円相を描きて茶のむ夢幻境 博子 釈迦と同じく瞑想による頓悟を目指す禅の思想を図解したものに南宋の廓庵(かくあん)さんが考案したイラストの十牛図がある。悟りの境地を牛にたとえ、旅人が牛を尋ねる10のストーリーで図示し、人が悟りを求め、悟りを得、さらにそれから後の人生を如何に生きるかを示したものだ。1. 尋牛(じんぎゅう) 牛を求める。悟りの境地を求める状態2.見跡(けんせき) 足跡を見つける。悟りはわが心にあると合点する状態3.見牛(けんぎゅう) 牛を見つける。悟りの境地に近づいた状態4.得牛(とくぎゅう) 牛を捕まえる。悟りの境地に達した状態5.牧牛(ぼくぎゅう) 牛を飼いならす。到達した悟りが更に深まる状態6.騎牛帰家(きぎゅうきか) 牛に乗り家へ帰る。悟りの境地を自分のものとした状態7.忘牛存人(ぼうぎゅうそんじん) 人のみある。悟ったことすら忘れているが主体がある状態8.人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう) ただの円。主客を完全に超越した「空」の境地に入った状態9.返本還源(へんぽんげんげん) 牛も人もなく梅花の咲く情景。「空」の絶対的静寂の状態10.入鄽垂手(にゅうてんすいしゅ) 悟りの境地に安住せず人のために働く この第8図の人牛倶忘の「空」の境地はひとつの円で示される。これが過日、普茶きのこの会の闘句?ショウで池上博子さんの提出された生まれてはじめてつくった作品の円相である。人牛倶忘ののち10図にいたって大乗に特有の菩薩行が示される。 ここにいたって、菩薩が覚者となるための三阿僧祇劫という気の遠くなるような数字が何を物語っているかという僕の疑問を検討する地点にまでようやくのことで到達したことになる。人生ってすべてこんな展開だからあーあ、結構疲れます。 ムックきのこクラブは、隔月刊MOOK『きのこ』13巻の到達点を先へと誘う飯沢耕太郎さんの『フングス・マジクス』、小川眞さんの『きのこの教え』の登場を得て、スーパーきのこの世界へ旅立つ発酵期間を終えたことになる。どうか、僕の身ほとりを擦過するきのこファンの皆さまは、ご自身のスーパーきのこ人としての自覚をもって、地球の最底辺からの目線で他者のしあわせのために生涯を捧げてくださいませ。そんな人たちが力を合わせて築き上げる共同事業体を僕はこの9年とことん追求したいと思います。
2013年01月11日
コメント(0)

仏教の気の遠くなる数字は何を意味するかについて語る場合でも、お経に八万四千法門(教えに84,000流)言われるように、一筋縄ではいかずその前座について語ることを抜きにすれば、殆ど意味をなさないので面倒だけどおつきあいのほど。もちろん、お経はそんなことにこだわりを持っても持たなくても同じだよと言っているので事態は益々こみ入ってくるのだが。 まず開祖・釈迦牟尼世尊の身辺を洗うことからはじめる。シャカとはシャカ族という部族名、ムニは聖者、セソンは尊敬に値する人という意味。 釈迦(幼名シッダ―ルタ)は、約2500年前、インドのマガダ国の支配下にあったカピラヴァストゥ王国(現ネパール領)で生まれた。父はこの国の王で浄飯王(じょうぼんおう)、母は隣国の王女の摩耶夫人。生まれて7日目に摩耶夫人を亡くし、乳母に育てられた。王子として何不自由ない暮らしをしていたが、何の因果か人生について悩みはじめ29歳のとき出奔し、以来6年死ぬほどの苦行を自らに強いたが、苦の種は解消できなかった。そこで「もうヤンピ(やめるの関西弁)!」と発作的に決めてナイランジャナ―川のほとりの菩提樹の樹下で坐禅を組み瞑想、その効あってか、三日目の明けがた近くあっけなく悟っちゃったとされる。35歳の時だ。ところが、僕の悟ったものはあまりに深く甚大で言葉でも到底言い表すことができないのでもう僕ひとりだけのものにしておこうと決意したのだ。しかし、梵天がその様子を知り、やきもきして、誤解されてもよろしいではありませんか。でもどうか独り占めだけはしないで教えてくださいよと頼んだ。その梵天の三度に亘る懇願で、ようやく「それなら言ってみるか」と決意を翻し、苦行をともにしていた5人の修行者にその内容を話した。この最初の説教を「初転法輪」という。それから延々45年間インド各地を巡り教えを説いて80歳で沙羅双樹のもとで弟子たちに遺言を残して逝っちゃったのだ。その遺体は荼毘にふされ、遺骨(すなわち仏舎利)は8つの部族に分配されたという。 この遺骨は、1998年ペッペというイギリス人が釈迦の遺骨をまつった仏塔を発見、考証の結果シャカの骨だったとされ、のちにタイ国王が譲り受け、その一部が大正時代に日本に贈られて名古屋の覚王山 日泰寺に納められているという。(以上、瓜生 中 『お経の学校』より) この当時、画期的な新興宗教だった仏教は開祖のシャカが存命中、あるいは死後数十年のシャカ自身によって説かれた教説を中心としたものを原始仏教と呼んだ。彼の入滅後100年余りの後教団の内部で論争が生じ、まず保守的な上座部と進歩的な大衆部とに分裂しそののち更に分裂を繰り返し18の部派が成立、これらを合わせて小乗二十部と呼ばれ、この時代の仏教を部派仏教(または小乗仏教)と呼んでいる。部派仏教の時代にシャカの教説が詳細に検討が加えられ整理分類され内容的にも発展解釈されることになった。この部派仏教のことを阿毘達磨(アビダルマ)仏教とも言うが、ここでは教理の研究に没頭する余り、仏教本来の目的である衆生の救済を忘れてしまったとされ、その反動から紀元前後より自己の解脱よりも他者の救済を目的とする大乗運動が起こった。 その大乗運動の中心的な課題が膨大な量の般若経群によって究められた「空」思想で、やがて中観派を形成。続いて唯識思想が登場、唯識瑜伽行派を形成します。その心は、中観派では非有非無の存在の究極の真理を悟ることを目ざす思想だったが、虚無に陥る人たちが続出したことから、唯識瑜伽行派は少なくとも「識」だけは存在するという思想を打ち出した。 事態は当然こんなに簡単なことでは言い表せないが、だからお釈迦さんは僕ひとりの心の中にしまっておいて黙っておこうとしたのですが、ひとたび喋ってしまったことで火がついてしまった。仏教であれなんであれ、インドの人はなんでもとことん追求し、そのあらゆる教説が一理も二理もあるところが面白くとにかく常識を超えて飛んじゃっているのがすごい。 インド哲学では数千年以前にすでに近年ようやく量子力学の到達した認識方法をすでに持っていたことになる。また、唯識では心というものの世界を認識する方法についても、心というものは常に「自分」が関与しない力(因縁変)と「自分」が関与する力(分別変)の2つに分かれて知るとし、この二つの力によってさまざまな存在が作りだされてくるとされる。 この心すなわち識の、認識されるもの(客観)、と認識するもの(主観)、の影像の中に生きる私たちには、常に「残されたもの」「知られていない領域」すなわち「知られない自分」があり、だから無知、無明であり迷い苦しむのだとされる。この二分法による世界認識のひずみを戻すのが(転識得智てんじきとくち)、念→定→慧と展開するヨーガの心だと横山紘一さんは語る。 益々複雑怪奇になってきましたが、仏教勃興以前のバラモン教に属する諸派の教えはアートマン、すなわち「我」の存在を認めそれが輪廻の主体だとした。そのアートマンはありてあるもの、同一なるものとして存在しつづけ、しかも自分で自分を統御できる力のあるものと考えられたのに対し、シャカはそのような我は無いとし無我説を主張したことが画期的だったということです。 それが部派仏教では外界実在論として展開されたのに対し、大乗仏教や唯識では「空」思想とその発展形としてまとめあげられ、外界非在論に結実することになる。 ここに至って僕たちの意識にのぼる世界は、ひとりひとりが自ら作りだした世界(具体的世界)と、言葉で語られしかも人間同士が「ある」と認めあった世界(抽象的世界)とされる。 僕は、このひとりひとりが自ら作りだし見つめている具体的世界と、人間同士が「ある」と認めあった抽象的世界との間を架橋するものこそがアートであり、言葉・文学であると考え、そのふたつの世界を媒介するモデルこそが「きのこ」だと考えてきた。ムックきのこクラブがきのこポエムとアートを最重要視する所以である。 きのこポエムによる言葉の洗練、きのこが大好きという薄明域に根差した視点から世界というものを捉えなおすアートによる共同幻想へのいざないが21世紀型のあたらしい連帯の形を形成する。これこそがグループきのこ星雲から日本キノコ協会を経て今日まで営々と続けてきたムックきのこクラブの活動だと理解していただくとうれしいかぎりだ。
2013年01月10日
コメント(0)
釈迦族の王子だったゴ―タマ・シッタ―ルタは人はなぜ生まれ、老いて、死んでいくのかについて悩みぬき、こうした苦が生まれるのは自分とものへの執着から生じると思い至りました。この苦には生・老・病・死の四苦に加えて愛別離苦(あいべつりく・愛する者と別れなければならない苦しみ)、怨憎会苦(おんぞうえく・恨みあい憎みあう者と会わねばならない苦しみ)、求不得苦(ぐふとっく・欲しいものが得られない苦しみ)、五蘊盛苦(ごうんじょうく・心身の苦しみ)と合わせて八苦。四苦八苦とはこのことを言います。 五蘊とは存在を構成する五つの要素で色(身体と物質的なもの)と受・想・行・識(心の諸相)でこれを自分のものと認識してしまうことから執着が生まれるとされる。 したがって、釈尊が6年の修行の後、到達したものとは無我の境地だったと言えます。自分への執着をなくす。ものへの執着をなくす。仏の教えはこの二つをどう実現するかに終始するといっても過言ではありません。 それは畢竟、如何に死に態で生きるかということ、いかに生きたまま死んでしまうかということに尽きます。 諸法は空(くう)である。この最終出口は「人間やめますか」ということに等しい洞察です。釈尊は人間存在のおぼつかなさ、あわれさを徹底的に観察し、生きるも死ぬも大して意味はなさないと言うところまで到達してしまったのです。 さて困った、こまった。どうしましょう。彼はエィヤーッとばかりに悟りを開きさっさと逝っちゃいました。しかし、「僕たちはどうするべぇ?」 これが後に残された者たちの悩みのすべてだったのです。
2013年01月09日
コメント(0)

東大寺ビルシャナ仏の脇侍菩薩 弥勒下生まで56億7千万年。 上求菩提・下化衆生(上を向いては悟りを得る努力、下を向いては苦しむ人たちを救う)という誓願を起こし発心した菩薩=菩提薩埵(bodhi-sattva ボーディ・サットヴァ)が覚者、すなわち仏陀になるための期間は三阿僧祇劫。 阿僧祇劫とは原語でアサンキヤ―・カルパといいアサンキヤーは数えることができないという意味で、カルパとはこれまた気の遠くなるような時間で、1劫は四里四方の岩に100年に一度天女が降りてきてその羽衣で岩肌をサッと撫でていく。そしてその岩がすべて磨滅してしまうまでの期間をいうらしい。その劫だけ聞いてもクラッと来るのに、加えて数えきれないほどの劫を3倍かけた期間かけても仏陀になれるかどうかわかんないってことを三阿僧祇劫という数字は示していることになる。 インドの人たちは古代よりこのような無限に近い数字をイメージできたことも驚きだが、果たしてこれらの気の遠くなるような数字は何を意味するのか?。 これが僕の理解する仏教のへその部分に当たり、また「きのこの教え」に通じる超宗教世界を目指すムックきのこクラブにとってもぜひ理解しておいてほしいことなのでここに綴っていきたいと思っていますが、残念なことにちょっと今、身辺ギクシャクしてあたふた走り回っていますので、落ち着いてパソコンの前にすわる時間がとれません。で、小刻みになるかもしれませんが、明日より少しずつ展開していきます。それでは御免!!。
2013年01月08日
コメント(0)

登頂成功の鍵は、方向音痴のガイドか!光か!!Key coffeeか!!!・・・。 この年末年始は、私事で釘付けになり、Something Newのトライアル・ウィークをみすみすやりすごしてしまったので、本日、昨年肩まで辿りつきながら登頂の機会を逸した天保山再登頂に挑戦することにした。タイムリミットは小一時間のみ。大阪港駅に降りると、聞きつけた迷ガイドが仕事をホッ散らかして駈けつけてきたので正直言って登頂目前にして一抹の不安がよぎった。というのはこのガイドは何を隠そう、多くの知人が認める天才的な方向音痴だからだ。 しかし、聖書に「光あるうちに歩みて暗闇に追いつかれないように・・・」とある通り、明るい内に登頂を敢行したお蔭か、迷ガイドのお導きのお蔭かは定かならぬまま、登頂は成功。ただ、三角点は幼児に先を越されてしまい処女峰征服とはならなかった。しかし、たったの2度目にして目的を達したというのは僕の長い寄り道人生の中では特記すべき事件だ。うれしいことに20分ほど時間が余ったので、Key Coffeeで乾杯して別れた。この成功でいよいよ、本年度踏破すべき更なるたおやかな峰々が新たな目標として俯瞰できるまでになった。めでたしめでたしだ。ガイドさんありがとう。
2013年01月06日
コメント(0)

待望の書が出た。 去る年の11月半ばに飯沢耕太郎さんの『フングス・マギクス』が届いた。夜遅く帰って手に取り開いた瞬間から、その徹底した探究・考察の姿勢に打たれ、そのまま読み進み、数時間で読み終えてしまった。 今年は僕の長いきのこ人生の中でも大きな節目の年で、小川眞さんの『きのこの教え』、奥澤康正さんの『冬虫夏草の文化誌』に引き続き、本書の世に出たことでそれぞれの分野での渾身の名著が出そろったことになる。 本書は、本来なら僕が手がけねばならないものだったが、すでに僕はものとしてのきのこを突き抜けてしまって、きのこにときめく乙女たちの心に写る影像のゆくえを凝視し、「きのこをメジャーに」という僕のモットーを実現すべくNEXT STAGEを準備しはじめており、後戻りはできないのだ。これを世間的には上がっちゃったというらしいが、僕の場合は正確にはまさにきのこのあちらとこちらの世界を自由に回遊するパスポートを手に入れたと言うべきだろう。そんな訳でこのブログにはその時空のすきまからきのこではなく僕自身がまさにきのこになって見え隠れしていてその影絵のようなものが日々報じられていることになる。 閑話休題。本書はわが国で最初で最後の『きのこ書誌学』の集大成として一挙にきのこ世界を突き抜けてしまった記念すべき書物として輝きを放っている労作で、後にも先にも本書を超えるものは何人も為し得ないであろう。 とりわけ、「きのこは文学である。」という捉え方こそが僕が30年近くも以前より待望していたもので「きのこは言葉である。」と言い散らしてきた僕と合わせてほとんど世界で二人ぼっちの境地であること。よくぞお出ましくださったと諸手を挙げて歓迎した次第である。 彼以前にフングス・マジクスを言葉に定着した人物にアメリカのジム・デコーンがいるが、きのこに限って言えば、本書の先にはジム・デコーンの『ドラッグ・シャーマニズム』(竹田純子/高城恭子訳)の世界が広がるのみだと僕は感じている。彼はきのこにこだわり、きのこの彼方を垣間見た極く少数の人物で、当然、耕太郎氏も彼から多くの示唆を得ていることは本書の端々にあらわれている。ここで言うシャーマニズムとは、私流に言えばヨガと同じく人間という裸のサルの自然とのバランス回復の方法のすべてであり、神々との交信などといううすっぺらな幻想とは無縁のものだ。 小川眞、奥澤康正と飯沢耕太郎の20世紀の総括的書物の登場で、ようやくきのこを本当の意味での21世紀の地球生命圏の智慧として捉えうる視座が定着されたことになる。いくら感謝してもしきれない思いだ。 僕のきのこシアター構想はきのこそのものをどうこうするというのでは全くなく、きのこを愛する人たちのコンミューン構想なのだが、本書の登場できのこの前で足踏み状態の人たちに後ろ髪ひかれることなくNext Stageを脱構築していくことができる地点に立つことが出来たようだ。 ただ、耕太郎氏も僕同様、近代最大のコピー芸術・写真からきのこに入ってきた人物だ。写真芸術ときのこの親和性は優に一巻の書物を成すほどのバック・グラウンドをもっている。本書のあとがきで述べられている『きのこ文学大全 日本文学篇』なんて蛇足に近いことは後進に任せておいて、耕太郎氏のNext Stageは、写真ときのこの哲学的考察を著わし、スーザン・ソンタグの『写真論』を超えることのほうが急務だと考える。僕のきのこシアター構想もきのこが終わった地点から発想されたもので、きのこの唯識的展開を現実世界に根付かせる試みとなるだろう。 きのこは深追いすれば、必ず足をすくわれる。僕が親しいきのこ仲間には口を酸っぱくして語りつづけてきた言葉だ。きのこは地球最後の征服されざる野性生物だ。それだけにきのこは少しでも気を抜くと人を欺く。 鏡花と賢治のきのこ度の比較の問題を本書でも取り上げていたが、賢治の時代を超えた素晴らしさはきのこにこだわらなかったからだと言うことをお忘れなく。
2013年01月05日
コメント(1)
今回は出句数が多いので、5句(1点)特選1句(2点)の計6句選句してもらい高点順に列記します。句の冒頭の数字が得点数ですが、高得点かならずしも素晴らしいということでないのはいつもと同じ。当日話題になった作品と受け止めてくださいませ。*印は註。ただし註の必要な作品は推敲不足につながるので要検討。6 雁鳴いてきのうの乳房仕舞いけり 勢鯉*某ストリップ劇場閉鎖にさいしての感興5 過去未来時空も知らずてんとう虫冬至を生きる マダラ4 来る年はちゃんとせえよとあら煮の鯛に睨まれる 成行4 即席のサンタクロース晴れ時々加齢臭 輝彦*子供会で連年サンタ役を依頼された図とか3 ひとりふたりと飴くれるおばちゃんのクリスマスイヴ 享2 ひらかなの似合うハレルヤ・ハレルヤの息白し 享2 電話鳴る居留守きめこむ十二月 恭範2 War is over, if you want it レノン忌に歌う 成行2 十字架の手に釘さされ呆け聖夜のライヴかな 享2 駅降りて心満ちたる雪月夜 たか女2 帰り道軸がぶれお茶会の効き目あり息白し 俊美2 マヤ暦果つ笑い納めた龍の年 輝彦2 亡き母に旅の案内冬紅葉 恭範2 金金ドレスで狼狽夢幻の律語ジャズは雪 享2 冬至の夜更けて何処かで水の音 恭範1 夕方から雨カボチャもユズも無い冬至 輝彦1 いつもいつも師走の風は身にしみる 久雄 1 折り返し地点の未だ見つからず天のオリオン 恭範1 三寒四温築地見物仏蘭西人 勢鯉1 波頭の白さ冬来たる 英津子1 熱燗ともつ鍋に決まり! なにわゴスペルコンサート マダラ1 風花のごとききのこ女(め)みな美人 たか女1 ランゲルハンス島来た見た真白の雪女郎 享 1 てのひらの雪片炎えてクリぼっち マダラ*原案はひとりぼっちのクリスマス。若者言葉ではクリぼっちといいそれに決まり1 冬の月青々と暮れゆく 年など知らん顔さ 俊美 1 菌友(きんゆう)の茶めしを食んで冬の帰路 たか女1 透明な光の中すべてが冬に染まる 英津子1 妻が聞くほんまに仕事?今年も出来ぬ煤払い 成行 1 着ぶくれの娘のスマホの指せわし 嘉隆1 やめてくれよ防寒着オレははなよりワイルドだぜ 成行*犬のことと聞き納得1 牡蠣たべて酒はカ―プの"うまいじゃろう" 俊美*うまいじゃろうはワンカップの銘柄1 底冷えのさざめく夜の冷蔵庫 恭範1 耳凍る御堂筋寄らずにおれよかよ正宗屋 成行*正宗屋は居酒屋チェーン 1 ゆく年やたまりたまりしゴミの山 恵子1 借景の刈り込み終わり衿ただす 恵子 当夜の作品で、こうしてまとめてみて境涯作品として面白いと思ったのは享氏の「十字架の手に釘打たれ」と澤山さんのカボチャも柚子もない冬至にこめられた師走の表情と、同じく氏の近況を伝えるサンタの加齢臭も面白い。作品の新しみは俊美さんの「冬の月青々」と英津子さんの「透明な光の中に」の言葉使いにちょっと片鱗が。言葉の綾では勢鯉さんの高点句「乳房」「仕舞い」はなかなかのものだが、ただ「雁鳴いて」がいささか浮く。恭範氏の亡き母に来る旅の案内のDMには季語の選択も的確でそこはかとない俳味が。成行さんのWar is overのレノンは24音詩ならではの作品。恵子さんのゴミの山はそれぞれの歳晩の実感であろう。久雄さんの「師走の風」はやや常識的な表出に終わっているが、作品の骨格がととのいはじめているので次年度がたのしみだ。常にちょっと背伸びの視点を磨くことで言葉のアートが生まれる。かくして選句のみやって、会場を早々と移して中華のコースを肴にビールと紹興酒で乾杯となった。アルコールが入ればまた歯に衣着せぬ意見も飛び交い楽しい納め会となった。
2013年01月04日
コメント(0)

神戸護国神社で出会った干支灯籠 今朝も西宮方面へ挨拶に行くのに先だってお天気の具合を見ようと何気なくテレビをひねると、白川義員さんの近況をドキュメンタリーフィルムで報じていた。30年以上も前に大阪の百貨店ギャラリーで写真展「中国大陸」でお出会いして以来のことである。お元気で活動をつづけ、ここ6年ほどは「永遠の日本」をテーマに海岸の奇岩、大山の紅葉、日本アルプスの航空写真などで日本のかけがえのない自然を追いつづけてきたことを知り感慨無量であった。当時、山岳写真を手がけはじめた頃でもあり、彼の写真展の評論を書いたところ『岳人』誌が採りあげてくれた。僕が駄文ではじめてギャラをもらったので鮮明に覚えている。 山屋の端くれだった僕にとって、山の美しさ、素晴らしさは写真では到底伝えられないと考えてきたのを、30歳を過ぎた頃からやはり、寄る年波のせいか、この素晴らしさの1/100でも伝えなくてはと考え直し、白旗史朗の「山岳写真テクニック」を精読し、西宮の高島屋ローズカレッジで写真講座を開いていた大阪芸大の今は亡き高田誠三、岩宮武ニという正反対に近い表現手法を指導する両先生に写真撮影の基本の手ほどきを受けた。その頃、作品で出会ったのが白川氏だった。僕は彼の作品からかくし味としてのフィルターワ―クの多くを学んだ。 僕の私淑したさまざまなジャンルの人たちが次々と鬼籍に入る昨今、生きて現役で活躍していくお姿に接して「こいつは春から縁起がいいねぇ」と素直に思いました。おそらく小学館あたりから氏の作品集『永遠の日本』は出てくると思うので今からたのしみである。
2013年01月03日
コメント(0)
きのこポエム常にちょっと背伸びを心がける無抵抗の庶民の非暴力・抵抗の詩(うた)をその本質とする。伝統の中身 やまと言葉の伝統につながる詩形は和歌である。その和歌の分かち詠みから連歌が生まれた。だが、そうした格式を重んじるセレブのための詩をやがて台頭してきた武家・庶民が自らの表現手段として換骨奪胎したものが俳諧連句であった。したがって俳諧、連句は本来的にセレブの美意識である雅びや格式といった伝統と無縁であったと言っても間違いではない。この詩形に川柳や狂句が共存しているのはそんな経緯を辿れば一目瞭然に理解されることだろう。 俳句詩成立以後の動き ただ、この非伝統、反骨の精神の系譜は近代に至って虚子により歪められた。明治になって新しい文学運動の一環として正岡子規が俳諧の発句を独立させて俳句詩を創始したが、その直弟子には河東碧梧桐と高濱虚子がいた。前者は俳句を世界でもっとも短い詩としての側面に注目し、その持ち前の国際感覚から「層雲」に拠り自由律俳句を提唱し、この短詩の前人未踏の領域を目指したのに対し、後者はいったん子規の後継者依頼を断ったにもかかわらず、やがて「ホトトギス」に拠り当時の中流意識をもった階層の座の文学としての側面に着目、のちの家元制度、結社制度につながる型芸としての方途を整備し有季定型を墨守、のちに自由律俳句との対比から伝統俳句と呼ばれ俳句詩の主流を成して今日に至っている。 自由からの逃走 「僕の前には道がない」といった自由律俳句はその意味で近代詩精神の伝統を体現していたといえるが、いつの時代にも自由というのは庶民にとってはいささか荷が重過ぎる嫌いがあるのに対し、花鳥風詠の有季定型は茶華道の手習い同様、江戸期にまとめられた季語集を整備した「歳時記」をもとにしたいわゆるマニュアルつきのポエムで、形式のみの巧拙を先人にまねび競うものであったので庶民にも手の届く手習いの詩として、それに加えて伝統に参入するという庶民に中流意識のステイタスを植え付ける形で一世を風靡して今日に至っている。 戦後詩の中での俳句 戦後、俳人や四季派の詩人たちの戦争責任追及にはじまり、近現代詩の詩精神からみて「俳句は詩とは言えない第二芸術だ」といった批判が桑原武夫らから提出されたが、この時も虚子は文学者の戦争責任を一蹴したのみならず、「俳句は第二芸術というよりも第三、第四芸術で結構」と居直ったくらいだから庶民根性というものを熟知しており、当時の文学者、批評家よりも数枚うわ手であったわけだ。 ただそうではあっても俳句に結集し、有季定型という型を守りながら、近代の100年余りの歳月の中で、時代精神を先取りする俳句詩ならではの作品があまたの俳人たちによって為されたことの業績は決して無視できるものではない。僕は俳句をまっこうから否定するものではないし、俳句からまだまだ学ぶことは多いとさえ思っている。 手垢にまみれて非鳴をあげる短詩の新しい夜明け しかし、戦後詩が文学の戦争協力加担の深い反省から出発し、七五調の韻律やリズムを「奴隷の韻律」として忌避してスタートしたことは事実であり、そのため現代詩は袋小路におちいってしまった。70年代のはじめに台頭してきたユーミンはメロディーに乗せて言葉をつけていくことで、詞人としてあっという間に現代詩を軽く超えてしまった。「詩はリズムをはなれてあり得ない。」その時僕はそう感じて現代詩と訣別した。しかし、150年余りの歳月の中で季語と17音で綴る俳句詩は、ちょっと背伸びの庶民の心情吐露の詩としてはあまりに手垢にまみれすぎていると感じてきた僕は、新しい詩形の可能性をずっと探りつづけてきた。ところが、そのきっかけは意外に早く訪れた。僕の40年来の俳句仲間の菊池くんから招かれて超結社を標榜する夜の顔俳句会に参加したことであっと言う間に解消したのだ。 ここで俳句、短歌の伝統意識と無縁の一個人としての立場で心情吐露の詩世界を開発しようと提案したところ、たちどころにきのこポエム24音詩が独り歩きをはじめたのだ。時期が来ていたというべきか?!。この会は2年余り前に脱俳句の会としてリニューアルしてからすでに28回目を閲し、きのこポエム、俳句詩の自由闊達な表現が飛び交っている。 これらの試みをすべて、脱俳句の試みとして、世代を超えた新しい韻律、リズム、ポエジーを盛り込みうる表現に磨きあげようと目下全員が情熱を燃やしているところだ。 きのこポエムは永遠に過渡の詩 きのこポエムは短くても詩である。我が国の近現代詩の流れを短詩というジャンルで超えて行くものであってほしい。それには庶民感情べったりではなく、稚拙ではあっても自身の言葉で、日々生起しては消滅していく心の機微を、常にちょっと背伸びの脱庶民の立場で、可能なら旧来の俳句にみられる言葉のマニュアル化からなるべく遠い地点から見つめつづけ、自身に固有のリズムをまさぐりつつ、短い24音につづっていく習慣をまずは身につけること。そんな思いから今年もますます過激に続けて行きたいと願っている。咋年末にトライしたムックきのこの茶会参加の若い人たちや酒脱なミドルの積極的な参加を期待している。
2013年01月02日
コメント(0)

公的には、新しい世界のイメージが海市(しんきろう)のような像をむすびはじめた。が、私的には昨年来、正に見えない伏兵の影に脅えながら地雷原を突っ走っている日々が続いているなとひそかに感じてきた。ところが、未だに夢にしばしば登場するわが師である愛犬のクロちゃんに聞くと、常に一声ワンと応えるだけでいとも簡単に一蹴されてきた。かくしてみんな去年と同じでいささかも欠けることのない元日を迎えることができた。極楽トンボ!万歳!!と言ったところか。 墓参、お地蔵さんにご挨拶、北方異民族慰霊碑のある神戸護国神社の初詣で、おせちで小春にめぐまれた元旦を祝う。こうした去年と同じ恒例の家族行事が今年も出来たということがこの上なくうれしい。元日はその後もまだまだ続いて、たった今帰宅した。 今年も、折々に擦過する人たちといのちの洗濯、そして精一杯のおつきあいをし、ようやくちらほら見え隠れしてきた友らときのこの彼方の話題でお茶を濁しながら共通の小宇宙のイメージを描いていきたいと思っている。 おせち 神戸護国神社 冬きわまった慰霊碑のほとり 墓苑に佇むお地蔵さん 本年もどうぞよろしく。
2013年01月01日
コメント(0)
全22件 (22件中 1-22件目)
1
![]()

