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メンバーの書家の池上博子が通信用に篆刻作品を寄贈してくださいました。感謝 50回をさらりとクリアして快進撃を続ける夜の顔、いよいよ100回へ向けての課題を提案できるところまで来たように感じています。 まずは、1月29日夜の作品からピックアップしてみましょう。(悪が入った作品は当夜の課題で即吟です)悪筆で堂々と書く借用証 博子(17音)七種(ななくさ)を確かめもせず粥啜る 恵子(17音)冬空の大観覧車骨だらけ 享(17音)里人の掛けたる大根甘く凍て 彪生(17音) 以上の作品からは、省略の利いた俳句表現17音詩の面白さが伝わってきますね。カラシニコフ悲し冬のセーヌは滔々と 輝彦(21音)目が語るのは細胞の言葉砂漠の冬 英津子(21音)悪人の往生知りて呪いの言葉闇に吐く 仁美(24音)セロ傾げ持ち自転車漕ぐ彼女の早春 恭範(22音)カリコリと冬三日月の切っ先で心の網目掃除する 俊美(29音) 以上の5句は、定型を意識しない表出で、俳句の17音、きのこポエムの24音、短歌の31音を基準にしながらも定型に収まるまでには至っていない作品。いずれも力作揃いですが、俳句に比べて冗長な気がするのも事実ですね。 しかし、この俳句でも短歌でもない、これら「三界に家なき」定型へと向かう作品の作家たちが、より明確な定型意識を持てば、これからの時代をリードする作品になりうると僕には思えます。 「夜の顔不思議な俳句会」は、関西俳誌連盟・所属結社の凄腕俳人たちの超結社の集いとして始まったものですが、文学や言葉を磨くことに不馴れで、俳句みたいな安直で庶民的な詩でも敷居が高いと思う人たちが、肩ひじ張らずに自分のささやかな感動や思いをできるだけ的確に言葉少なに記録していくサロンとしてリニューアルしたもので、それが50回を超えて、活況を呈していることはご同慶の至りです。 俳句もへちまもなく、そもそも言葉やアートにほとんど無縁に齢ばかり喰ってきた人達が集まって、ああでもない、こうでもないと言いながら毎月の個人的なつぶやきに近いメモ書きをより思いの丈に添った表現にするための合評会が、こうも面白い形になるとは「お釈迦さまでも知らぬ句会のきのこさま?!」でした。 さあ、これから100回までますますスリリングなサロンにするために、以下のことに自覚的にそれぞれのメモ書きを強化していきましょう。1. 有季定型、俳句臭さや短歌くささからの脱却。 かって、季語にこだわる中村草田男に「草田男よタヒチへ行け」と揶揄した評論家がいました。しかし、季語は、四季のある温帯モンスーンに住む僕たちには雄弁な詩語です。が、季語を2つ3つ使った作品に対して、有季定型の立場から「季重なり」は絶対駄目と言うのは控えましょう。要は、季語に自分の表現したい何かを託して選んだはずなのに、その季語が複数あると伝えたい詩因を言葉少なに読者に伝える際に、季重なりによってイメージが分散して読者への訴求力が薄まることから禁じ手にしてきただけのこと。 「唐崎の松は花より朧にて」 芭蕉のこの句に対して、季重なりだとイチャモンをつけた近江の作家がいました。芭蕉は微笑んで「ただ眼前なるは」(見たままを詠んだだけだ。文句あっか!!)と応えました。 僕から言わせれば、伝統的な季語とは雪月花くらい。後は江戸時代後期に、歳時記の形でまとめられていったもので、俳人の忌日などが季語となるに至っては笑止千万と言うべきでしょう。四季に敏感な日本人の共通意識の中にある季節の言葉は、詩語としての働きがまだまだあるとくらいにとらえてその印象を大切に作品化すればよいのです。2. 定型という器の考え方。 そして、問題は俳句の17音、短歌の31音という長さの基準ですが、定型詩は17音、31音という型にはめることで、交通標語も、猥談も詩とみなしますという暗黙の了解があればこその詩なのです。これは我が国独特のきまりで、和歌や短歌形式に収めれば寝言もなにもかもが一応すべて詩だという便利さがあります。きのこポエム24音詩はそんな歴史のある詩型からも無縁な一応の取決めと考えてください。 それは「山中できのこの生えた倒木を見つけた場合、その倒木が、2本以上平行に並んでいたら栽培ものの可能性があるので採らないように」というのと同じくらいの取決めです。きのこポエムはそうした取決めからも自由であるべきです。 ただ、僕達は、5音、7音の紋切型の言葉を用いて意味伝達を図る便利さに、余りに長ーい年月を親しんできましたので、日本語を母国語とする人にとっては奴隷の韻律めく形式であることも事実です。この5音、7音の組み合わせに馴染みながら、感動を自分自身の言葉で盛り込んでいって、やがてはこの5音、7音の拘束からも自由になろうというのが僕の究極の目的です。 ただ、長さの目安として24音を基準にし、ひとまずは複雑な現代生活の起き伏しを17音より少し長い語数の24音に過不足なく収める努力から始めることは、700年に近い先人の凡類想句で満ち満ちた俳句表現をなぞっていっぱしの俳人ぶるよりも、はるかに意味のあることだと思います。庶民にも親しめる詩形式としての17音、31音の俳句・短歌形式からも自由であるということで、常に過渡に身を置くことこそが、唯一の詩の根拠となりうると僕には思えますし、21世紀にふさわしいスタイルだと思います。要は、言葉の芸術とは形式ではなく、コンテンツの問題につきますので・・・。 そのためには、僕の大好きなユーミンの歌詞などを参考にするのも良いと思います。 講談社現代新書『ユーミンの罪』 税別800円 著者の酒井順子さん の本文中の言葉より ユーミンを聴かずにもっと自分の足元を見ていたら、違った人生があったかもね、とも思います。しかし、自分の感情と生活が描くカーブと、ユーミンの曲が提示したカーブとがぴったり一致したと誤解することができた、若い頃。あのシンクロ感に伴うぞくぞくするような興奮は、今もユーミンの曲のイントロを聞くと湧き上がるのであり、その感覚に軽く鳥肌を立てつつ、「これにはとても抗えなかった・・・・・・」と、思うのです。 「開けられたパンドラの箱」より 僕は不幸にして女性ではありませんが、詩としての俳句を考え、『現代詩手帖』などを読みふけっていた僕にとって、ユーミンの音楽と歌詞に出会ったとき、これこそが70年代をリードする音楽であり、詩であると思えて、酒井さんとはちがった意味でぞくぞくしました。袋小路に入り込んで窒息死寸前だった「現代詩手帖」もその時以来放り投げて今日に至っています。 「夜の顔」のメンバーも、新しくこの世界に入りたいと思っている人も、「詩はむずかしい」なんて思わずにどうぞ気楽に参加のほど。 毎月1回、基本は最終週の木曜日夕方6時~ 大阪・なんばで開いています。お試しとして不在出句3句からはじめるもよし。 ちょっとのぞいてみたいと思われたら hetero8@j-fas.com マダラ―ノフまで。
2015年01月31日
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昨年末にギャラリー島田で開催された大竹茂夫展は、この20年余りの彼の回顧展の趣きのある作品展となった。大竹さんとは元町にあった海文堂ギャラリーではじめて出会って以来25年の長きにわたり親交を深めてきたきのこ世界の盟友だが、今回の新作で特に印象に残った作品は、いずれも、パネルに漆喰・ミクストメディアの冒頭0号の「湿地」と以下の4Mの「ネムリプカに会いにいく」の2作品だ。この漆喰には震災にまつわるいわくのあるものだが、それはさておき、彼の心象風景はこの25年の間に随分と深化して、きのこの前で足踏みしている大方のきのこ愛好家からはるかに遠く旅立ち、すでにスーパーきのこ時代に突入した感すらある。 冬虫夏草の世界でも、研究者としてもめきめき頭角を現し、極東のガラパゴス・日本の枠を超えた活動を展開している。 とりわけ「ネムリプカに会いに行く」は、古生代の生物群を作品世界に取り入れることから特異なスタートを切った彼のいきもの世界観を見事に定着させた作品で、この四半世紀の彼の意識の来し方・行く末がみてとれるものだ。 以下は比較的初期の1995年の「廃墟の肺魚」(キャンパスにテンペラ・50F)と、2001年の「ピレネー越え」(パネルにテンペラ油彩・4M)。特に「ピレネー越え」は僕の記憶が正しければ、漆喰利用の作品としても最初の頃のものだ。 彼の生真面目で真摯な人生に相渉る態度は、どの作品からも立ち上ってくるもので、好感がもてるが、この個展のために新たに制作した作品は冒頭2作品のほかには以下の通り。「アマニタ倶楽部」(パネルにテンペラ 油彩・2014年6P)「木乃伊取り」(パネルにテンペラ 油彩・2014年8P)「きのこ狩り」(パネルにテンペラ 油彩・2014年10P)「アカイカタケ採集の思い出」(パネルにテンペラ 油彩・2014年3P)「お辞儀する人々」(パネルにテンペラ 油彩・2014年3P) などなど。 さて、ここ数年来、彼の作品世界はNEXT STAGEへ向けて開かれ、陣痛も始まっている感すらあるが、きのこにまつわる自己意識に足をとられ、いまだ踏み出せずにいる。そのもどかしさが、これらの新作からは聞こえてくる。いよいよ、「飛ぶときがきたな」と画廊を後にしながらに思ったことである。
2015年01月30日
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右が、ドミニカ・パラオナ(浅煎り) 左はキューバのトルキーノ・ラバト(浅煎り) ドミニカ共和国についての僕の知識はとても乏しい。 首都がサント・ドミンゴだということと、メレンゲ・バチャータ音楽の発祥地であること。大アンティーユ諸島の2番目に大きいイスパニョーラ島の2/3を占め、ハイチとこの島を2分していること。 また、山がちの国土のドミニカには、カリブ海諸国で最大のものが2つあり、ドゥアルテ峰(3175m)と今回取り上げるパラオナに近い塩湖のエンリキージョ湖あると言うくらいだ。そんなドミニカの珈琲を飲む機会を得ました。 ドミニカの珈琲栽培は18世紀初頭、仏領マルティニーク島から伝わり、今では主要輸出産品になっていると言われます。しかし、国内消費が伸び、近年は輸出量が少なくなっていて、日本では希少豆になっているとのこと。バラオナ地区はピコ・ドゥアルテ峰の麓の高地・標高1400mあたりに位置しています。 ドミニカ産の珈琲は、多分にハイチの西隣りの島、ジャマイカの珈琲豆・ブルーマウンテンを意識して、ブルーアンバーの別称で親しまれていますが、それは同国の至宝の青琥珀に由来する呼び名です。この琥珀は、約3000万年前の広葉樹・ヒメネアプロテーラの樹液が化石化したものとされ、室内光では普通のアメ色ですが、太陽光の下では、コバルトブルーに輝く幻想的なもの。 バラオナ・コーヒーは、一口飲んでめまいを感じるほど(僕の最高の褒め言葉)気に入りました。青くささが感じられるほどの浅煎りで、酸味はほとんど感じられず、ほんのりとした甘味がゆっくりと立ちあがります。香りもとても素晴らしいものです。 ドミニカ・ドンファン ゲレロ農園の中煎り(左)と深煎り(右) さて、続いて入荷した限定品、ドミニカ・ドン・ファン ゲレーロ農園の珈琲豆を「まなぶおじさん」から勧められて試してみました。ファンさんのゲレーロ農場は地図でたしかめると、島の南部のやや東にある首都サント・ドミンゴと同じく南西部のバラオナの中間地点に当たるサン・ホセ・デ・オコア州のロス・アノネス市の標高1100m辺りにあります。 かっては天日干しが多かったと言われるドミニカコーヒーですが、現在は衛生上の問題からか、政府がウォッシュタイプを推奨しており、大半が水洗式になっています。浅煎りのバラオナから入ったぼくにとっては、このファンさんのゲレーロ農場の中煎り、深煎り豆はかってのバラオナの天日干しタイプの豆を彷彿とするものでした。 この中煎りのものは完璧と思われたおだやかな味わいのバラオナのほんの少しの物足りなさと不安定さを一掃し、僕がこれまで飲んだコーヒーの中でも最高に近いもので、酸味はほとんど感じないのですが、甘味、コク、口に含んだときと飲んだ後の爽快感は抜群。「めまい」を通り越して「ひきつけ」を起こしそうになるものでした。 深煎りは、ナッツ風味がどっと加わり、それに青臭さがドンと増して、それを色々な人が「完熟レモン風味のバターピーナッツ」とか「フルーツ風味」。激しいところでは「樹皮臭」とまで表現しています。しかし、苦味はさほど強くなく僕にはありがたいものです。 キューバにはじまり、ドミニカに来て早くも海洋性熱帯サバンナのカリブの爽快な風が吹き抜けるような感覚が走り、珈琲三昧を味わうことになりました。 しかし、上には上の珈琲世界。まだ珈琲・新世界(ヌエボムンド)の旅ははじまったところです。早急に結論を出すのは控えて旅を続けましょう。 コーヒーは赤道の上下25度の珈琲ベルト地帯と呼ばれるトロピカル・ドリンクです。それは僕の大好きなクレオール音楽、すなわちトロピカル・ミュージックに通じる「悲しき熱帯」ゾーンに重なり、この旅はこれから音楽も併せて語りたい衝動にかられます。
2015年01月27日
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目覚めれば、冬霧に閉ざされた街。9時を過ぎた頃から千丈寺山が霧の彼方にうっすらと姿を現しはじめた。 深い霧の中で、昨日までホオジロが囀っていたケヤキの木には、今朝も鳥影がひとつ。しかし、ホオジロではなく「ツツピー ツツピー」とシジュウガラの何か訴えるように鳴きしきる声のみが届く。 いつもの朝、いつもの風景、しかし、いつもと何かが違う。そんな不安な朝。 深い霧はやがてはれるが、その時世界は、そしてわが国は・・・。
2015年01月27日
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千本今出川の上善寺で見た雀の巴紋の瓦。ホオジロでなくて残念。 ここ数日、ホオジロが木の葉を一切放下したケヤキの高いこずえで毎朝10分以上囀り始めた。 今日も午前9時過ぎにいつものところに陣取って「チョピー チチチョ チーチョチョ」と言った具合にひとしきりさえずり、僕しか耳を止めるものがいないことが分かると「あーぁ、やってられんわ!!」とばかりに飛び去っていく。 この時期は、スズメかメジロくらいしか小鳥は見ないので、つい眺めてしまう。 旧暦の師走7日。昼前からに雨になり、次第に本降りとなってきたので、今夜は月は望めないだろう。
2015年01月26日
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今年は、阪神大震災20年の節目の年。マスコミは口を開けば「がんばれ 日本!」調で染め抜かれていて僕の心の届いた言葉はごくわずか。そんな中で、たまたま繙いた関西学院大学通信『KG』の1月15日号(246号)は、「ねばならぬ」震災記念日特集は一切なく、キャンパスライフ一色のさわやかな誌面が印象的だった。その巻末の編集後記に当たるページにさりげなく寄せられた経済学部宗教主事の舟木譲さんの言葉に今年僕はもっとも心をゆすぶられました。その全文を以下に。 聖書に聞く 「『さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか』。律法の専門家は言った。『その人を助けた人です』。そこで、イエスは言われた。『行ってあなたも同じようにしなさい』」 「ルカによる福音書」第10章36-37節 2015年1月17日午前5時46分に、私たちは阪神大震災発生から20年目を迎えます。今、あらためてこの出来事に思いを致すとき、その日を境にこれまで当たり前のように過ごしてきた「時」が突然瓦解し、一人ひとりが乱れた「時」を少しでも整った「時」に回復しようと努める日々が始まったように思われます。一方、大きな災害や事故に限らず、私たちは、自らの病や失恋、受験・就職でのつまずき、親しい人の老い・病・死などの悲しみによる「時」の乱れといった予期せぬ重荷を背負うことも避けられない事実であり、逆に結婚や入学・就職、子供の誕生等の喜びによる「時」の変化に心躍ることもあります。 この端的な事実に向き合うと、普段無意識に身を委ねている「時」が、実は均一ではなく、極めて濃淡と波乱に満ちたものであり、また今自らの傍らにある人の中にも、今まさにそうした「時」の乱れによって押しつぶされそうになっている人が存在している事実に気づかされます。 個人としても社会としても「時」の乱れに傷ついた人々にどのように寄り添い、その乱れを受け止め、回復への希望を与えることができるのか、今この「時」あらためて一人ひとりが自らの問題として問われているのではないでしょうか。 この1月17日の1日前よりわがマンションの壁面に貼りついて達磨大師よろしく瞑想を決め込んだモスラくんがいます。まもなく10日になろうとしますが、微動だにせず、今日も一心不乱の様子。 この2cm足らずの黒衣のモスラくんは、関東以西では比較的出会うのが稀なクロバネフユシャク Alsophila foedata。越冬隊かと思いましたが、真冬が活動期のシャクガの仲間で、幼時クヌギ・コナラを食草として育つと聞きます。雌はもっと小さく、しかも無翅といいますので樹木から離れないのでしょう。是非みたいものです。 この正月は、僕の人生のステージが戦士の休息の日々をほぼ全うし、音を立てて急旋回しはじめたことを強く感じています。 死者のためにこそ生者は生きねばならぬこと。「時」の乱れに直面している他者に対する愛もその中にこそある。との思いを、少しずつ現実のものとしていかねばならぬ責務のようなものを感じています。
2015年01月24日
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ドッテコ、ドッテコ・・・、ちょっと一休みしょっか!。 <ツブカラカサタケの独り言> 葉巻とサトウキビの国・キューバのもうひとつのお国自慢は、実は珈琲豆です。珈琲通は、キューバ産と言えば、クリスタル・マウンテンとこたえるでしょうね。このカリブ海最大の島の珈琲栽培の歴史は古く、1748年ドン・ホセ・ヘラルドがハイチのコーヒー園から豆を持ち帰ったのが始まりと言われています。 今ではキューバの全島で栽培されており、東部で70%、中部で20%、西部で10%が収穫されています。さきほど述べたクリスタル・マウンテンはエスカンブライ山脈にあり、この山の名前を冠した珈琲豆は、ジャマイカ ブルー・マウンテンと並ぶキューバの最高級品でマイルドでソフトな香り、ほのかな甘みが口一杯にひろがります。 僕は、戦後のドサクサに生まれましたが、コーヒがまだレアものであった子供の頃友人の家でたまたま飲ませてもらった(恐らくうすーィ)珈琲の味と香りが忘れられなくて、それを求めてきました。しかし、現在の日本では深煎り全盛の時代で、味も素っ気もないものばかりでうんざりしていましたが、昨年来とても素敵な焙煎工房に出会い、ドップリとはまって、豆々しくも珈琲テイスターに変身しています。 今回、ここでお話するのは、 トルキーノ・ラバト トルキーノは、山の名前に由来する珈琲豆。トルキーノ山は、キューバの最高峰(1974m)で、島の南部、クルス岬からマイン岬まで延々約250km続くマエストラ山脈にあります。クリスタル・マウンテンの蔭になってあまり聞きなれない銘柄ですが、これがなかなか行けるのです。 僕が気に入ったのは、豆本来の野性味を残す浅煎り。その青臭さがなんとも言えないところです。まずはノン・シュガー、ノン・クリームでストレートで楽しみましょう。口に含み、しばらくするとナッツの香りと上品な甘みがほんわかとひろがります。 キューバのコーヒ―豆は、ドン・ホセさんが導入し、スペイン系移民が栽培を広げ、そののち、フランス系移民が引き継いだことから、ヨーロッパ、とりわけフランス、そしてコーヒー途上国の日本向けに主に輸出されてきたと言います。フランス・日本向けでほぼ8割を占めるとか。 キューバ・トルキーノ浅煎り(左) ドミニカ・パラオナ浅煎り(右) そんな中でも、このトルキーノ・ブランドは貴重品。賞味したいと思った人は以下のまなぶおじさんちで自家焙煎の上、販売してくれますのでどうぞ。キューバ・トルキーノ・ラバト 100g 520円+税「まなぶおじさんの珈琲工房」は、ストレート珈琲だけでも20数種を常備。オリジナルブレンド13種。アイスも3種用意してくれています。豆の販売のみで、喫茶コーナーはありません。 これから、お番茶タイムとして、このコーナ―で時おり、まなぶおじさんちの珈琲豆を試飲した感想にはじまり、よもやま話をいたします。珈琲でめぐる世界旅行をご一緒いたしましょう。まなぶおじさんの珈琲工房電話079-551-1625 水曜定休。全国発送OK。珈琲豆3240円以上で送料無料。(未満の場合、送料一律540円 東北・北海道・沖縄は別途)
2015年01月23日
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鰯の頭も信心から 人の心の作用一つでこの石も神になる 僕個人の1月17日の新春を迎えるにあたって、神や死者の魂のことなどを少し述べましたが、神vs.人の二元論のモデルこそが西欧一神教の世界理解で、これが究極のデジタル世界に直結していること。 マルクスはその下部構造(身体)が生み出すイリュージョン(脳の意識)が独り歩きしたことで神が誕生したと考えます。彼は自分が生み出した幻想が物神化したものに呪縛されてきたことに警鐘を鳴らし、「宗教はアヘンだ」と言ったのも、その発見にもとづいています。 それは彼の「資本論」、「プロレタリア独裁」の行動原理にまで貫徹されている発想で、その意味で彼もキリスト教1神教世界の申し子と言えます。 人類の歴史は、自身や集団の生み出した幻想が独り歩きして、あたかもそれが実在するかのように信じてきたこと。それが神であり、信心の対象なのです。 なぜ、そんな依存現象が根絶されないかと言うと、その根底に「一瞬先は闇」の世界に生きる「不安」があるからです。生きる不安が解消されないかぎりさまざまな霊感商法まがいの詐欺に近い宗教は絶えることはありません。 世界の普遍宗教と言えども最初は巷の霊感商法まがいのものから出発しました。キリスト教も初期の段階では、不治の病に苦しむ人をイエスが奇蹟によって治したことが評判を呼んだのです。 でも、仏教やキリスト教、そしてイスラム教が、ちまたの拝み屋さんと少し異なるのは、膨大な作家群がその雑多な霊験あらたかぶりを示す事象をつなぎあわせ、膨大な物語を紡ぎ出し、それをなるべく整合性をもつ体系につくりあげたことにあります。 さらにもうひとつは、それらの物語を儀礼化したことです。神話化と儀式。この二つを抱き合わせにし、完璧に近い洗練化に成功したものが普遍宗教の普遍たる所以なのです。「なにごとのおはしますかはしらねどもかたじけなさになみだこぼるる」西行法師が伊勢神宮に参詣したときの印象ですが、このサムシング・グレートを匂わせる装置こそが神社・仏閣、教会なのです。 原初、自然現象に対する素朴な畏怖の感情から、大いなる力を感じてそれに実体を与え、信仰してきたものの究極の洗練が現行の諸宗教なのです。 僕は人は卑小で哀れな存在だと痛感していますので、こんな感情をアヘンとして遠ざけることはできません。 しかし、他者に対して思いきり優しく、そして自分の対してなるだけ強くなろうと努力することが、さまざまに手を変え品をかえ、次から次へと現れ誘惑する神というアイコンの意味を薄めていくことになると思っています。 そのためには、頭脳の生み出した神というものに人格を与えず、神をその原初の姿にもどして親しむこと、すなわち自然に親しむことが一番だと考えてムックきのこクラブの旅を続けてきました。 それは畢竟、自然(身体)と人間(精神・頭脳)のバランスを回復することだと思っています。 そして人間の生は一回かぎりで、いかなる人の死も純粋に個人的なものだと思っています。誰にも後世も再生もないと考えています。残された人がどう思おうとどう願おうと、甦りも、往生極楽世界も、地獄もないというのが僕にとっての唯一の真実です。 だからこそ、個人的な死を自分の事同様に受け止めた人が最後の1人になるまで、時おり生存を確認し合う集いは必要だと感じています。この少数の人たちが同じく亡くなったときその心の中の碑(いしぶみ)と言うべき記憶も風化することになります。それは、完全に自然に戻ることなのですからむしろお祝いすべきことだと思います。 僕はそんな無宗教の人間ですが、親父が残した北方異民族慰霊碑の碑前で毎年、4月29日の昭和の日に慰霊祭を斎行しています。 神戸市灘区の護国神社境内に建立してこの4月29日に40年目を迎える慰霊碑 これは戦争という100%人為の愚行を犯しつづけ、敵味方に分かれて牙を剥き出して殺し合うことの愚かさを根絶したいという親父が伝えたかった真の思いを、残された者が命のかぎり伝えることに主眼を置いたものです。 自民党・安倍政権が戦略的平和という安直な言葉で、国の根幹をなし崩しにしようとしている2015年は、戦争の語り部の殆どが虚しくなった戦後70年を経た節目で、とりわけ重要な意味をもっていると思います。 それは、この世に生を享けた人は何人を問わず、なべて純粋に個人的な死を迎えられるような世界を実現するために伝えることに特化した鎮魂の集いだと考えて細々と続けています。 二度と繰り返してはならない悲惨な戦争の事実を、統計的な数字に還元してしまう大量死の次元からではなく、純粋に個人的な死の事実から掘り起こし訴えつづける鎮魂の事業なのです。
2015年01月22日
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神鉄六甲山駅前の多聞寺は、かって六甲修験のセンターとして栄えました。有馬街道に沿う当寺は、道路から見るとこじんまりとしていますが、意外な奥行があります。 多聞寺より裏六甲の古寺山を経て奥の院に当たる雲ケ岩・心経岩の磐座までの往復が基本コース。ここから西へ天狗岩、三国岩から奥摩耶天上寺の磐座群に至るコースと 東の最高峰から石の宝殿をめぐり芦屋奥池のゴロゴロ岳・荒地山、そして甲山の鷲林寺、神呪寺へ至るコース、あるいは南の保久良神社方面へ辿るコースなど縦横無尽の修験行者の山として近世まで法脈を継承してきました。 多聞寺や摩耶天上寺はインドより飛来したと言われる伝承を持つ法道仙人の開基と伝えられ、六甲以西、播磨諸地域の修験道は法道系。 一方、六甲以東は弘法大師空海や役行者系寺院や行場が多く残されています。 近代アルピニズムの洗礼を受ける以前の六甲は純然たる行者の山だったのです。 多聞寺山門(上)と本堂へと続く女坂に当たる石仏の道(下)。 毘沙門天(多聞天)の神使の虎と寺紋の百足(むかで)をフィーチャーした寺苑。 今年のムックきのこクラブでは、この六甲・摩耶修験道のパワースポットはもちろん、播磨地方の巨石信仰の地や石仏・磨崖仏といにしえの山伏たちの信仰の山もスケジュールに入っています。 いよいよ明日の20日は、待ちに待った大寒と師走の朔が重なる日。僕の1年のはじまりです。なかば籠り、なかばひたすら孤高の磐座を目指す1年にしたいと思っています。そして少しずつ心身のパワーアップを図り、新たな潮を招いていきましょう。 こなしきれないほどの課題を自らに課して、ちょっと背伸びの一年を今年もご一緒しましょう。 多聞寺より古寺山、奥の院方面を望む。
2015年01月19日
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小禽の群れ鳴く森を抜きんでて極寒の巌 マダラ いよいよ僕の2015年が今日からスタート。 この正月以来、気息が充実、とても快適な日々が目の前に開けてきています。この感覚に忠実に、思いきり舵を切り新たなステージに乗り上げたいと思います。
2015年01月18日
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1月17日は冬の土用の入りです。20日の大寒を経て、2月3日の節分まで続き、2月4日立春を迎えます。また、この日は阪神大震災の20年目の節目の年でもあり、慰霊・鎮魂の行事が各地で開催されています。 この日は晴れましたが、風花の舞う1日となりました。この青空にフワッと湧いては消える風花を見ていて、人の命というものの頼りなさを改めて思いました。 僕は、人が死んだ後の世界を信じていません。死んだ時点で完全に終わると考えています。そして神仏もわれわれの意識と無関係には存在しないと考えています。神は僕達とは全く無関係の別個の存在としてあるのではなく、僕達の意識が生み出すものだと考えています。 小学時代にキリスト教に親しみ、兄が病死してからは浄土系仏教、そして高校時代にジャズにくっついてきた実存主義、大学で初期マルクスの宗教論などの洗礼を受け、大学卒業後は天皇制の問題から神道に興味を覚え、海山の間をさすらうことが大の楽しみになってからは、きのこと決定的な出会いを果たし、その間、多くの死を見守り、やがて気がつけば無宗教人となっていました。 マルクスは「下部構造が上部構造を規定する」といいましたが、宗教というものの基本構造は、このモデルに尽きます。人にたとえれば身体が意識(脳)を規定するというものです。 こう考えることがさまざまな死を見まもってきたあとではもっとも納得がいったのです。 僕に神にかわるものがあるとすれば、それは自然でしょう。自然の中に身を置くとき、なんともいえない爽快さにつつまれます。自分の身体も自然の一部であり、それを包むもうひとつ次元の高い自然。「高きに登りて告げよ」とは聖書の言葉ですが、この身ほとりの自然環境こそが神にもっとも近いものと考えています。そして、きのこはもっとも人間に近い自然のモデルと言えましょう。 したがって、神も、仏も、霊の障りも、祟りも、ご加護も、個々の、あるいは集団の脳の切実な欲求がもたらすものだということです。そして僕達より先立っていった祖霊というものは、僕にとっては良い相談相手です。僕は色々な問題にぶつかった時、この人ならどうするだろうか?と考え、他者から見れば独り言でしかありませんが、肩押ししてもらってきたのです。 また、死というものはどんな人にとっても個人的なものでしかありません。その人の社会的な役割からさまざまなメモリアルの催しがあっても、死んだ個々のいのちそのものは風花のたちまち溶けてなくなる微細な雪の結晶でしかありません。 その人の生きた時間は、それをたまたま共有した人の心にのみ風花ほどの印象で残るだけです。碑や位牌も神社仏閣のどこにも居場所はなく、ほんの一握りの家族や友だちの心の中にあるのみだと思われてなりません。 人の記憶は、脳の中でのみ生き続けるだけなのです。だからこそ、残された人たちに1日でも長く生きていただきたいと思うのです。 「生きる不安」は誰にでもあり、その不安を霊の力や神仏の御利益によって解消するのではなく、ともだちとして、あるいは僕より経験豊かな先輩として相談するのです。 既成宗教は大なり小なりそんな誰にもある「生きる不安」すなわち、そんな人の弱みにつけ込んでビジネスとしています。心の栄養になる法話だけでは信者さんのほうが不満なのです。医師から病名を是が非でも貰い、どっさりと薬を処方してもらわないと患者さんが安心しないのと同様です。だからビジネスとして立派に成り立っています。 僕の家族は、生きている人より死者のほうが圧倒的に多くなってしまいました。まもなく僕も、無に帰るときが近づいてきます。 この1月17日は土曜日に当たっていたので、折りに触れ墓参して花やお酒をそっと置いて帰る人や、日頃から僕達とおつきあいを続けてきている、娘、息子同様の若い人たちが(といっても初老に近い年齢になっています)訪ねてきてくれ、これまで、僕に遠慮して言えなかった風花のような記憶を出会った友たち同志で語り合い、僕にとっては思いがけない1日になりました。
2015年01月17日
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化野・愛宕念仏寺の羅漢像 この正月、画伯が面白い音楽テープを貸してくれた。 古代楽器と声による「ふるべゆらゆら」 柴田南雄 作曲 ふるべゆらゆらとは、石上神宮に伝わる生ける者の魂を奮い立たせ、肉体から魂を遊離させないための魂鎮めの呪法のこと。そもそも古代にあっては、袖をふったり領巾(ひれ)を振ることは死者をよみがえらせることに始まり魂を引きとどめる力を持つと考えられてきた。 古代楽器と声による・・・とある通り、全国から石上神宮に参集した神職45人の祓の言葉と仏教の声明をベースに縄文の銅鐸や岩笛、縄文から弥生にかけての土笛と琴などの復元楽器が絡み、その祝詞のような呪の響きに現代を対置させる試みだという。 一聴してみるととても面白く、以来、毎日仕事から帰ってくると、まずは30分ほどうとうとしながらこれを聴いて、それからおもむろにアフター・ファイヴの個人的な楽しみに取り掛かることにしている。その陰画の部分に当たる現代の部分の音楽と詩は以下の通り。原詩・ボードレールの「秋の歌」 訳詩・福永武彦 を田中のぶあき指揮による東京混成合唱団吉増剛造の「地獄のスケッチブック」より ご本人の朗読のようだ。かけろま島の民話朗読 島尾みほ声 矢野顕子音楽(ロック・ミュージック) キーボード 坂本龍一、ギター 渡邊香津美 ベース 小原れい、ドラムス 山木ひでお 「藝術における詩と音楽の根源に迫る」というこの作品。構成メンバーをみてもなかなかの意欲作であることが伝わってくる。 北条の無縁墓を守る切支丹六地蔵 伏見・石峰寺の若冲設計の羅漢群 本作品とは直接関係はないが、僕はこんな作品を聴くと、無名のままに果てていったおびただしい数の死者生者が脳裏に浮かんでは消えるので、過去に僕が行く先々ですれ違った野辺の仏たちの写真を添えておく。
2015年01月16日
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昨年末も押し迫ってから、きのこ写真家のM君からお誘いのあった三人展。どうしても調整がつかず、しかし、パスするのも惜しいと思っていると、ムックきのこクラブや夜の顔でお世話になっているS.Tさんが、巨石巡りの須田郡司さんの講演会で京都へ行くと聞いたので、頼み込んで立ち寄っていただくことに。したがって撮影もS.Tさん。 タイトルもさることながら、長井一馬さんの作品は、無数の神々がこの地球の大地からその棲みかを奪われていったことへの悲しみがにじみ出ていて注目してきたが、今回はその彼の仲間たちとのグループ展なので、見逃すわけにはいかない。 迷える神々 三人の美術家による古今東西 さまざまな信仰へのオマージュ長井一馬 彫金高木智広 絵画・立体玉野大介 絵画・立体於 マヤルカ古書店2014年12月16日(火)~27日(土) 長井さんの作品ではインカの太陽神への人身御供を思わせる上のものが僕の好みだ。 ムックきのこクラブを代表して行ってもらったSさんの好みは、おそらく今回大人気のムーンストーンだったか?をちりばめたインディオの神を思わせる作品。なるほど、宝石が見事だ。写真は縦位置だが、寝コロンボ状態ですみません。 この作品は作家が今回のフライアーに登場させた真鯵人間の一夜干しの開きを思わせる解体新書めく作品。 この窓越しにみえるマヤルカ書店裏の荒れ庭を挟んだ右手に見える旧家が森の酵母の八八さん。一馬さんの作品も、こんな爽やかな小春の光の中で見るのが一番。 高木智広さんのドラえもんもどきの木魚か?。 これと以下の2点の図像は、いかにも一癖ありそうなアンチクリスト風の世界で、玉野大介さんのものだろう。日が暮れるとドラキュラが顕ち現れてきそうな雰囲気。 以下は会場風景。 この作品展のご縁で、正月にはきのこをフィーチャーした女性二人の作品展「はつゆめ」があると聞き、ムックきのこクラブの初春探訪会は、ここマヤルカ書店を最終目的地にした次第である。その折の記録はすこし前の1月11日の探訪会をご覧ください。
2015年01月15日
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日本全国「手帳の日」にきのこ星雲人たちに提案 僕のことを訳知り顔したマダラ鬚のおっさんがアンズタケだって言ってた。ホントかな?!。 手帖・スケジュール帳は、年末買うものと相場が決まっていますが、1・13「手帳の日」を契機に、今日から毎日数行でもいいから、手書き文字でお手許の手帳の空白部分に書き込み、その空白を埋める努力をはじめましょう。そして時折ひもといて、その文字面をじっと眺め、声を出してそれを耳に伝えることをはじめましょう。きのこポエム風に、思いついたことを24文字でメモすることでもOK。 デジタル時代、手の微妙な動きを再認識し、それを駆使し、併せて視聴覚の感覚を回復させることが目的です。 そして、スケジュール帳は最低10年のスパンで捉えた2015年という意識を持ちましょう。 これは、雑誌『プレジデント』や日経ビジネス『Associe』などの能率や効率的な時間管理からは離れて、言葉をもった生き物、すなわち頭脳の生み出すバーチャルな幻想世界と本能の命ずるままなる身体部分があべこべになった不思議な生き物としての日々を10年後の自分に向けて書き分け読み分け進んでいくことが目的です。 そして、この数行ずつの言葉は、テレビのニュースやその日の気候、好きな本、ドラマ、その他の雑多なその場限りの関心に触発されたものからはじめて、可能なかぎり自分の意識と身体をそれぞれ拡散させる内容で満たしていきましょう。 これを半年ばかり続ければ、自分の日々の歩みがどこかへ注がれていることに気がつきます。これが見えてきたら、それがあなたに固有の人生の目標。 それは、何者かになることを決して目指さず、自分の雑多な興味に忠実に雑多な方向へ拡散していくことでもあります。今ある自分から益々わけのわからない自分へと逃走していくのです。 かってエールリッヒ・フロムという人が『自由からの逃走』という書物を著わしましたが、僕は40年以上前に読み、大いに感動しました。が、今となっては感動したことしか覚えていません。でもおそらく「あいつ、わけがわからんな」と自他ともに思わせ、益々そのようになっていくことが、長いものによろこんで巻かれながらこの現代という愚かな流れからイチ抜けて行く唯一の方法だと彼は言っていたように思えます。 蕪村は籠り居の詩人で、冬ごもりをしながら、遂に何でもない色呆け老人の生涯を完遂します。この見事なまでの「逃げ尻の光けうとき蛍」的人生を大いに学ぶべきでしょう。 「野性生物の本能に生きよ」というムックきのこクラブの旧感覚派的なきのこ探訪会が目指すところもそんなところにあります。 いっぱしの人間になることを全身全霊で拒否する。おとなしく市井の片隅で棲息してはいるが、常識的ではあっても分別はもたず、青い気炎を吐く修羅であり続けること。 宮澤賢治は、『春と修羅』第1集の世界ですごい人間像を提示しながら、そこから無限に遠ざかり、ナショナリスティックな法華宗徒となってからというもの、益々分別ざかりになることを自己に課して、ただのつまらない人に回帰していったことをしっかりと頭に刻みこんでおくことです。 賢治は超凡人をめざし、ただの凡人になってしまった。初期詩集に比べて、童話の世界に駄作が多いのはそんなところにありそうです。 反対に、蕪村は凡人を目指しながら、はからずも超凡人になってしまった。僕の蕪村、賢治の評価はそんな微妙な違いを噛分けていくことでもあります。 はい、それでは今日のまとめにいたしましょう。 21世紀のきのこ星雲人は、このどこから眺めても評価の下しようのない超(英語のスーパー、フランス語のシュール)のつくシュールレアリスト、すなわちハチャメチャな人間像を目指しましょう。それがデジタル化1色の世界、すなわちグローバル化の世界からイチ抜けて行く方法です。 そして、賢治の『雨にも負けず』の人間像とは似て非なる、もっと怠惰で猥褻で色気たっぷりの人間像を目指すのです。色気とは自分と他者へのドキドキワクワクする関心そのもの。そのためには10年後、少なくともスケベニンゲン(オランダの地名ではありませぬ!)である自分が青息吐息を吐きながら、この世にしぶとく生き残っていることが大前提となります。だから石の上にも3年ではなく10年なのです。 このきのこ星雲人の葉っぱの暗号もマダラひげのイノブタは、虫食い痕だと言ってた。「嘘つき!!」
2015年01月13日
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霜月21日の朝月が嵐山の端にかかるのを左に、愛宕山の雪化粧を右に見ながら渡月橋を渡り、嵐山鉄道で北野白梅駅へと向かう。益々深化し続けるきのこと宗教文化の接点を探る2015年きのこ探訪会のはじまりである。 この日1時間余り早く現地を訪れ、桓武帝の外戚である渡来系諸神を祀り、今は桜の名所となった平野神社。北山天神社として創建され、今は安産祈願の神となったわら天神を巡りメンバーと合流。 本日の旅の本命は、マヤルカ書店で開かれている後藤ゆうこ+中村あやこの二人展「はつゆめ」をのぞくこと、そのついでに上京の社寺9ケ所を巡る旅だ。 地蔵院(椿寺)、大将軍八神社、北野天満宮、引接寺、浄光寺、石像寺(釘抜き地蔵)、大報恩寺(千本釈迦堂)、上善寺、浄土院がその立ち寄り地。 しかし、出たとこ勝負のきのこ旅。数々のハプニングがあり、忘れがたい旅となった。 上の写真は、ゆくりなく出会った蕪村の命の恩人、かつ生涯唯一の師となった宋阿(巴人)の墓。これは意外な出会いで驚いた。 地蔵院ではそのほか、行基ゆかりの地蔵と十一面観音にも対面。 北野天満宮で度々ある休憩の1回目を。今日は画伯持参の「白州」のウィスキーに存子さんの熊野大社土産の「八咫烏饅頭」。きのこライターの博美さんの「きのこの山」、クラブ世話役・俊美さんのキッスチョコ。 合格祈願でごったかせえす北野天満宮では「平成琴姫」だったか何だか聞き漏らしたが、改造大正琴でライブを続けているかわいこちゃんたちとも遭遇。 浄光寺では池大雅の墓所におまいりしました。 そして、いよいよ午後3時半をまわってマヤルカ書店へ。 ここのオーナーは素敵な女性で、マトリョ―シカ、こけし人形のコレクターで、店名も「私の手」のロシア語МАЯ РУКА(マヤ・ルカー)に由来するという。 神戸のトンカ書店と同じく店長の多彩な夢と興味をそのまま集めたような古書と雑貨で満たされていて楽しいことこの上ない。 急な階段を上がった2Fがギャラリーになっており、ここの「はつゆめ」展でデジカメ映像を特殊な手法で定着させたラムダプリント作品の中村さんとテキスタイルデザインの手法できのこや食品サンプルを制作している後藤さんに出会い、いろいろな話をしてきた。 この3名のアーティストたちとの出会いは、また僕の新しいきのこのトレンディ・アートの展開が期待できるものでうれしくなってしまった。 しかし、この日最大のハプニングは、このマヤルカ書店隣りの(といってもなかなかたどり着けない路次奥にあった)注文の多いパン屋さん「八八」と、それに輪をかけたような御幸町夷川の「王田珈琲」でした。 森の酵母を用いた天然酵母のライ麦パンが主体のそれはそれはおいしいパン屋さんも、こだわりまくったコーヒーを飲ませる王田珈琲も、京都以外の土地では1日たりとも営業を持続することは不可能と思わせるに十分な、それはそれは貴重な個性の持ち主で、一緒に押し掛けたメンバー9名、店をあとにしてからと言うもの、その強烈な印象を語り合うことで話題沸騰、三条木屋町筋の「鳥貴族」で、9時過ぎまで語り合って別れました。 実にこの日は、今年のムックきのこクラブ1年の歩みを暗示するような1日に終始し、新春初顔合わせにふさわしい集いとなりました。下の3点の写真はマヤルカ書店の店舗部分の1F。 以下の3点の写真は、2Fギャラリー部分の「はつゆめ」展の世界。 ナカムラさんのラムダ・プリントの作品 後藤さんの作品(上・下) さて、以下の写真の廃屋めくパン屋さんこそが、自家製天然酵母のライ麦パン&カンパーニュの店「八八」(はちはち)。 買い帰って賞味しましたが、日々の主食にするには価格的に難ありですが、実にうまかったです。 また、王田珈琲さんのブレンドコーヒーも一口なめた分には店主同様、ただ苦味走っただけのようですが、ジワーッと口に広がる甘味には、こだわるだけのことはあると思いました。 小一時間眺めて過ごしましたが、店主もおそらくこのコーヒーと同様のハートの持ち主のようです。 ただ、嗜好品としてのパンやコーヒーは、日本国中まずいものが主流であることからうまいだけで「大したもんだ、やるもんだ」と思いがちですが、茶の湯の心と同じで「もてなしの心」こそが問われる世界。 こうして、さまざまな人生模様を眺めるにつけ、生きて世渡りし、雨後のきのこほど居る他者と渉りあい「素晴らしきかな、わが人生」と言うことの困難さをあらためて考えさせられる1日でした。
2015年01月12日
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大竹茂夫さんの個展に訪ねたギャラリー島田で、大竹さんの会期に合わせて島田誠さんが配慮してくれたという内海聖子展をのぞいてうれしくなった。 こんな作家が同じ兵庫県で営々と個性を磨いていることがまずうれしかったこと。 そしてこのマチエールが顔料系のボールペンと和紙というのが益々気に入りました。 僕の注目する同系の作家に蔵書票から作家活動をはじめたと聞く、MOOK「きのこ」でおなじみの螺旋作家の水谷カエコさんという方がいるが、是非彼女と引き合わせると面白いことになるだろうなと感じたことである。 この無限増殖するケルティックな文様こそ、僕の大好きな世界だ。 この螺旋世界自体がきのこ・菌類の造形そのものだが、おまけにきのこの作品(下の作品)まで飾ってくれていました。 ネットのメール環境にはいささか無頓着なようで、あやふやなアドレスを頂戴したので、ムックきのこクラブのお知らせが届いているかどうか不安だが、まあいずれきのこ繋がり、慌てることはない。 この作品たちを思い浮かべる度に、セロニアス・モンクの彼自身のピアノ演奏によるピュアそのものの「ラウンド・ミッドナイト」がへそのあたりで鳴り響いている。 絵画と音楽がこんな形でつながることは僕の場合多々ある。 「なんか文句あっか!!」
2015年01月10日
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シロイボカサタケ 今年も基本は、第2日曜日・午前10時現地集合・現地解散。カメラ・筆記具・図鑑・酒肴と飲み物・弁当各自。 いよいよ佳境に入る巨石文化の旅も4年目。深化を遂げてきてはいますが、目指すは秘められた聖地のきのこたち。01月11日(日) 新年初顔合わせ。北野天満宮から椿寺・大将軍八神社など上京を歩きマヤルカ書店まで。嵐電北野線終点 北野白梅町駅改札付近。 02月08日(日) 高砂市 石の宝殿、黒岩13仏 界隈。JR山陽本線曽根駅改札付近。 03月22日(日) 加古川市南西部 鶴林寺界隈から白旗観音まで 鶴林寺の秘仏・植髪の太子像拝観のため第4日曜日JR加古川駅南改札付近。04月10日(日) 南生駒暗越え峠道に沿い枚岡神社まで近鉄生駒線南生駒駅改札付近。 05月10日(日) 加古川水系・黒田庄の修験の磐座、妙見山から白山へJR加古川線本黒田駅改札付近。神鉄粟生駅で乗り換え、おすすめはJR福知山線谷川駅からの接続。06月10日(日) 野洲・三上山から福林寺・妙光寺のきのこスポットJR東海道線野洲駅改札付近。07月12日(日) 京都・南田原行者の山・鷲峰山金胎寺めぐり笠置と同じ行者の山でスリル満点です。 JR宇治駅からバスです。 08月09日(日) 洛北賀茂川最源流部、雲ケ畑・志明院の磐座界隈京都地下鉄北大路駅南のもくもくバス乗り場。午前中1本切りの8時40分発のバスに乗ります。09月13日(日) 六甲山上の磐座めぐり。三国岩から経ケ岩など六甲ケーブル山上駅改札付近集合。10月11日(日) 富田林、太子寺から竹内街道沿いに二上山麓・岩屋まで。近鉄長野線貴志駅改札付近。バスで太子四ツ辻停留所まで。 竹内街道は古代の難波と大和をつなぐ主要幹線道路。この界隈には不思議スポットが点在します。11月15日(日) 雄岡山・雌岡山から押部谷・性海寺界隈と性海寺和尚と歓談。神戸電鉄粟生線緑が丘駅改札付近集合。立冬8日の第2日曜はマダラ―ノフの都合で難しく、第3日曜日でお願いします。 12月13日(日) 納めの会は、有馬三山から鬼ケ島 神戸電鉄有馬温泉駅改札付近集合。六甲山系の中でも変化に富む気持ちのよいところです。 訪問地の変更は可能ですので、是非今年中に行きたい場所の希望があれば、当月中にお申し出くださいませ。ご意見を検討し、その上で決定と致します。
2015年01月09日
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楽書の壁あわれ也今朝の雪 蕪村 大寒へと向かう日々。雪ではじまる朝もある。今朝は午前中ぼたん雪が舞っていた。 雪つみて音なくなりぬ松の風 蕪村 仕事を早目に切り上げて帰ってきてまずはドミニカ・バラホナ産のコーヒーを飲みながら、冷えた身体を温め蕪村発句集をちらほらひもとき半ばうとうとしながら今朝の雰囲気にふさわしい雪の句を抜き出してくる。松籟の句はやや深い雪を思わせるので、目覚めると思いがけず一面の銀世界。そんな中で落書があわれを誘う壁が降り残されている冒頭の句が今朝の雰囲気かな。 雪中のクリタケ 水仙に狐遊ぶや宵月夜 蕪村 ここ数日来僕の蕪村への関心はキツネに注がれているが、そんな折もおり、蕪村の可愛い狐の句を見つけた。宵月夜とは三日月のことだ。水仙とたわむれる狐を繊い眉月がみつめている図だ。 蘭の夕狐のくれし奇南を炷かむ 蕪村 中国では、四君子の蘭と菊は狐をかくまうと言われていることから、夕迫る庭の蘭の香は、狐が与えた伽羅香木をたきしめたと思われるほどだかぐわしいとの意のようだ。 蕪村の狐狸にまつわる話好きには、尋常でないものがあり、狐の作品は僕がチェックしたものだけでも10数句が伝えられている。 ところでCoffee Breakのついでに、珈琲の話をすると最近、市販のコーヒーがどうも不味くなったと感じるのは、僕だけではなかったようだ。 それは、コスト高と市場の1/3の生産量を誇るブラジルが2011年の大干ばつ以来、豆が不足して高品質のアラビカ種の豆に低品質の缶コーヒーやインスタント・コーヒーに用いられるロブスタ種をブレンドすることを余儀なくされた結果だという。 なにはともあれ、ここ数年を振り返って、「歳月人を待たず」という感慨が一入である。 今は亡き母親と最後の旅で眺めた淡路島から四国を望む夕暮れ 本年も日々忙殺はいたしかたないが、一日一日をいとおしみながら暮らしたいものだ。
2015年01月08日
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緋おどしも色褪せたるか凍て蜂の己が影を守り 昨春から始まったジャズ100年のCDも溜まりにたまって、21集が昨日出た。この正月は、毎日1~20までを流しながら良からぬことを考えていた。このCDに収録されているものはほとんどLPレコードで持っているのだが、こうして流していると僕の幾度となく繰り返してきた青春時代の初期の頃の思い出が風花のように湧いてきてなかなかよろしい。ジャズ100をBGMにしながら気がつくと、きのこポエムの現在、未来を考えているので、今夜はその話を少ししよう。長くなるので続きということになるかも。 きのこポエム きのこポエムで僕が目指す究極のものは、俳句や短歌の否定ではなく、五七調・七五調の超克だ。その遠大な計画の第一歩を「夜の顔不思議な俳句会」でやりたい。 僕は20歳になる直前に俳句というものの魅力にはまって今日まできた。 それは俳句詩が手軽で、安直で、間口の広く、しかも世界に冠たる「詩」であることだ。 五音七音を組み合わせて17音の定形にはめるだけで、交通標語も川柳も単なるうわごとも「詩」であるというガラパゴス進化を遂げた日本語ならではのこの不思議な詩型。 この魅力は他の何物にも替えがたいものだ。この間口の広さを確保しながら、詩と無縁に育って来た人も、自由詩や現代詩と取り組んで格闘してきた人も、直ちに詩作に取り組める短詩を求めて、有季定形なんて料簡の狭い伝統意識を金科玉条とする権威主義者とは無縁なところで詩作をするという意味で24音詩を提唱したのだ。 冒頭の24音詩ポエムは冬の蜂が寒気の中でじっと息を凝らしているのを見ていて、すでに戦さの装束も色あせ、それでも戦士としての誇りを失わず、自身の影だけとなった最後の砦を死守している様を詠んだものだ。 読み方は「ひおどしもいろあせたるかいてばちのしがかげをもり」とでも・・・。 俳句形式では、さしずめ「己が影の孤塁を守る冬の蜂」となる。しかし、この表出は後続の七七を誘うような切れ方なので「言いおおせて何かある」発句の体裁にはなりえていない平句である。「己が影を守るのみなり冬の蜂」で中七で切れを入れると発句に近くなる。 これでほぼ言いおおせている。しかし、それでもなぜ冗語とも言えそうな七音を加えてきのこポエムにするのか。 それは、俳句表現では、厳密にいえば「己が影」云々も言わずに季語ひとつに語らせるべきなのだ。 しかし、それが可能なのは、文化の熟成・発酵の著しい鎖国時代の島国で、共同幻想が当たり前の「座の文学」の中だけだ。「冬の蜂」というだけで凍て蜂のもつ象徴性のさまざまなイメージを共有できることが詩の前提になっている場合に限られるのだ。 世代間の断絶が著しい21世紀の日本では、そんなイメージの共通基盤を失って久しい言葉を手放しで信頼していると断絶は益々深まり、遂には恢復不能にさえ陥ってしまう。 従来の俳句表現の定石を逸脱しても、噛んで含めるように説明を入れて、より具体的な冬の蜂のイメージを伝えなければ、デジタル時代の文字ばなれした人たちと到底理解しあえる言語状況をつくり得ないというのが、まず第1の理由。 また、日本語の特殊性は、かな書き文字の発明によるところが大きい。かなの発明によって日本語は独自のガラパゴス進化を遂げたのだった。そして、先輩格の中国語も、返り点や訓読で全く異なる言語体系をものともせずに和様に解読する手段を考案した。このことひとつとっても我が国の知識人の頭の柔らかさは天下一品のものだ。 そして、女文字とされたかな文字を駆使して、エリートの常用語であった中国語による漢詩漢文から和歌という独自の詩の形式を編み出し、漢語の世界とは別個の宇宙をもつ詩世界を創り上げてきた。その和歌の表出にふさわしい言葉として洗練を加えられてきたのが、五七調の言葉なのである。 それゆえ、五七調こそが唯一の日本語の伝統なのである。 唐十郎が韻文定型詩を「奴隷の韻律」といったのはこのことである。 僕はあえてごちごちの文語を用いて詩作しているが、これはひとつの試練だと考えている。どうぞ各自それぞれの方法で、五音・七音の自然律と思しき鼓動に近い伝統律と格闘してほしい。その上でこれにひれ伏すか、とんずらするかは自由だ。 しかし、この五音・七音とのバトルの中にこそ、僕達、ちょっと背伸びの庶民の「詩」の未来があることを知るべきだ。 「詩」がなければ「青春性」も永遠に失われる。きな臭さが増す一方の日本にあっては、いかなる方法を講じても僕らの「詩」を奪還することがまず求められている。 これがきのこポエムを提唱する僕の第2の理由だ。 そんな意味でも、今年からはいよいよ「夜の顔」も、否が応でもNEXT STAGEに突入することになるだろう。 グローバル化は、そんなわが国の言語状況の荒廃に更なる拍車をかけている。しかし、だからこそチャンスと言うべきなのかもしれない。 そんな言葉の焼け跡的状況の中で再び世代を超えて人々が相互に理解しあえる世界、すなわちネオ・ローカルとでもいうべき言語世界の再創造に向けて切磋琢磨することは、しんどいことではあるが、絶対に面白いと思わないか?。
2015年01月07日
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大地裂き生(あ)れし地蔵を雪が抱く峠はるけし 初春より思いがけぬ訃報やささやかなお慶び事がないまぜになってちらほら届く。 そんな風花の便りに明け暮れする年明けもすでに小寒。寒の入りだ。 日一日、日脚も伸び大寒を過ぎればいよいよ春定まる予感。 雲が畑で出会った地蔵は、モダンな雪の白装束まとい、立ち尽くしていた。 大地を蔵する如しという地蔵は、まさにきのこそのもの。「生まれてはきたものの、まだ自身の居場所も見つけられず低迷している僕。峠はまだはるか彼方だが、心の渇きと焦りも、しばし雪に抱かれながら潤おして、焦っても仕方がない。まあのんびり行こうぜ。」との思いをきのこポエムに。
2015年01月06日
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このきのこはおフランスの言葉で「死のトランペット」と呼ばれるクロラッパタケです。 これまでのきのこファンはきのこに魅入られてしたり顔になってきました。オタクたちは「菌類学のために」と研究対象にしている人でさえ、きのこと微生物学としての菌類との間には深くて暗い河があることを忘れて、きわめて特殊な世界と繋がりをもつ自分にうっとりして、一般の人から「ちょっと変ね」と言われる度にいっぱしの満足感を得てきました。きのこに魅入られ、憑依されることに選民意識をくすぐられてきたのです。 しかし、一旦野山に出かけると、そんな人たちにかぎって、シイタケ一つ同定できないのです。昆虫や植物と異なり、名前のついたきのこはたかだか3000種ほどですが、自然の中で目に触れるきのこは、中国、韓国、ベトナムなどの同じアジア人と日本人を区別するよりはるかに難しいのです。 それを僕は、きのこに憑依されて喜んでいる能天気ぶりにあるとみてきました。 そんな時代は本当はもうとっくの昔に終わってしまっているのですが、いまだにきのこ・キノコ・奇の子と、きのこにとり付かれてうわごとをいっているのが現在のきのこ情況です。 『アラビアンナイト』の<アラジンの魔法のランプ>こそがきのこだ。と言えばもっと分かりやすいかと思われます。 ランプの精とは、お金であり、核利用の原子力発電所であり、核爆弾であり、デジタルの単純明快なゼロ・ワン思考が支配するグローバル世界の欲望そのものです。 曖昧な領域を度外視しても世界は把握できるとデジタル社会の担い手は皆、そううそぶきます。魔法のランプのランプの精は、ランプをもったものの命ずるままに動きますよね。 そんなデジ呆けの少数の人たちがランプを持った姿を想像してください。身の毛もよだつ思いがしませんか。現在わが国が置かれている状況はそれに近いと思います。 ひるがえって、超アナログの個々の人間は、そんな世界にぐるぐる巻きにされながら、イチ抜けて行く方法を野性のきのこに学ぶほかありません。 きのこの驚異の力。それは、ひとつ間違えば善にも悪にも転びうる危うさを秘めています。 きのこに魅入られたなんてうっとりしている時代ではもはやありません。 スーパーきのこ時代とはそんな危うい時代の先駆けなのです。 この危うい時代を、地球最後の征服されざる野性生物・きのこを学ぶことにはじまり、きのこに学ぶことでかろうじて生き抜こいていこうという魂胆こそが、ムックきのこクラブの存在理由です。 核兵器に対するに水鉄砲で立ち向かうように見えますね。でも、きのこをなめんなよ。 野性のきのこは、人間と同様に両義的で危うい存在です。この何ともはや、ナイーブなペニス。これが、マダラ―ノフがきのこを面白いと直感し、つきあってきた唯一の理由です。 未曾有の危機意識をもって水鉄砲に等しいきのこと遊ぶ中で、いわゆる「おいしいもの」の嘘を見抜く直覚力を身につけてほしいものです。そのときはじめて、目の前の曖昧そのもののきのこの区別が噛み分けられるようになりましょう。 原子爆弾の雲を遠くに望めばきのこ形にみえることからきのこ雲と言われてきました。スーパーきのこ時代とはそんなきのこ雲を他岸の火事のように眺めるのではなく、きのこの形なんてどこにもない暗雲にまみれ、真下から見つめる想像力をもつことなのです。これはきのこと親しみ、同時にアートや文学の力を借りなければ成し得ません。飯沢耕太郎さんが「きのこは文学だ」と語ったことの真意もこのあたりにありそうです。
2015年01月05日
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この正月3日は、前夜急に思い立って京都の最後の秘境・雲が畑へ急遽足を伸ばしてきた。「一年の計は元旦にあり」と言うではないか。 この雲が畑は、空海の刻んだ不動明王が本堂に安置され、修験道の磐座が奥の院めく岩峰にあり、賀茂(鴨)川の最源流部にあたる志明院を筆頭に、惟喬神社、石清水八幡宮の豊蔵坊にあった秀吉の守護仏・十一面観音や阿彌陀坐像を安置する福蔵院。惟喬親王の隠棲の地であるとされ、親王自らが写したとされる般若心経600巻を蔵する高雲寺、厳島神社などを擁する桟敷ケ岳の山懐。一年の計を立てるにふさわしい場所である。 惟喬親王の愛育した雌鶏を葬った雌鶏社という異名をもつ社 近年まれな豪雪に見舞われた洛北の地は膝までの雪。この地はかって1日7本走っていた京都市バスが廃止されたのちは弥栄タクシーが代行し、1日2往復、定員9人の「もくもくバス」が走っていると聞き、地下鉄・北大路駅へ。 この大雪にもかかわらず、運行してくれるとのことで、実家が雲が畑にあるという京都在の母娘とともに雪道を、スリップ、滑走しながら「もくもく」ならぬ「悶々」状態のバスに同乗して向かった。 近年まれに見るなんともうれしくなる山行であった。 終点の岩屋橋で放り出されると、惟喬神社隣の料理旅館の畑嘉(はたか)から、あるじとは思えぬ正体不明の人物が飛び出してきて、「こんな日にどこへ行くのか」と問われたので志明院までというと、「そこまでならなんとか行けるだろう」と。「そばがあるなら帰りに立ち寄るぜ」と言うと、「よし委しとけ」とばかりにもどっていった。 2時間余り志明院で雪遊びをして帰りに立ち寄ると、女将が出てきて、鍵をさした玄関を開けてくれ、温風機と炭火の火桶であらかじめ温めてくれていたこの料亭でも最高の部屋に通され、赤貧の僕は天然なめこそば800円也を賞味した。余り申し訳ないので熱燗1本を追加注文して京都人のおもてなしの心に感謝しつつ別れたことである。 亭主らしき主は居たが、別人なので、客引きめいたあの人物は、一体全体、この料理旅館とどんな関係だったのか謎のままだ。 帰路に出会ったナンテンのカーマインと四十雀の一群は、この日の雪景色の中の唯一の華であった。 志明院では、遠方から車で訪ねてきた2組の檀家?の人たちが居たが、すべて社務所で足止めを食っていた。しかし、僕が「もくもく号」でやってきたと知って、立ち去りがたくしていると、本堂と飛龍の滝より奥へは行かないことを約束した上で、特別に許可をもらった。赤字覚悟でボランティア営業している「もくもく号」の威力である。 そこで本堂周りで雪掻きをしていた住職とも挨拶を交わし、社務所へもどると茶菓子の接待まで受けて、磐座と加茂川最奥部の滴りのある場所へ行くのなら、石楠花の頃に来なさいと言われたので、そうすることを決めて下山。 さて、これからたそがれを経て13番目の月を見つめながら夜まで、北大路へ向かう1本道を途中の寺社に立ち寄りながら、ウイスキーとナッツチョコレートを友の雪中行軍こそが実に爽やかで、久々に蘇生(生まれ変わり)を実感したことであった。 志明院の山門 福蔵院の千手十一面観音 この雪しずる雪深い府道に迫る崖に点在する院や社をたどる道行は痛快そのもの。 この延々とつづく雪道を踏破しながら、惟喬親王に連なる山の民や木地師たちに思いを馳せ、僕はこれまでの山屋人生を反芻し、僕自身常民ではなく非・常民であることを再確認することしきり。 きのことは畢竟、「奇の子」であることにはじまり、ちょっと背伸びを続けて「貴の子」を目指す、常民からみれば常に「鬼の子」でしかない存在。宮澤賢治の『春と修羅』の修羅そのものだと感じ入ったことだ。 きのこには、過去も未来もなく今日唯今しかない。このことの自覚と徹底こそが僕の唯一の生きる意味だと心に刻んで山を降りてきた。 そこで忘れぬうちに。 今年以後のムックきのこクラブの旅は、益々辺境をめざし、交通費だけでもバカにならない負担増なので、1. 恒例化というより因習化しつつある下山後の酒宴は、新しいメンバーが参加した場合の歓迎の宴に限り、山中の持ち寄りの酒で出来上がるようにし、下山後の最寄りの駅付近では、珈琲かお茶で気分を引き締め、次の逢瀬に期待する握手を交わし、少しでも早く帰途に着き、ムックでしか体験できないその日の一期一会の山旅の印象を胸に深く刻みこむことにする。 高校時代、山旅では水を飲むことを極力控えるように教えられたが、それが全くの根拠のないことは、その当時から疑い、乾いたら水をがぶ飲みし、飲酒も同様として実践してきました。歩行中の飲酒は、心臓疾患のある人と体質的に酒が受け付けない人以外は健康そのものの行為だと僕は思っています。それはこれまでのムックきのこクラブの旅が証明してきたことです。酒は適度の運動と汗をかきながら山中でこそ呑むもの。アセトアルデヒドを発散することなく身体に溜め込むだけの平地で呑むものではないことを肝に銘じましょう。2. 上記に関連して、観察ではなく直感によるきのこ把握というきのこ目の精度アップと、それを日々の起き伏しにも応用し、生きる刻々をすべて表現していく努力にこそ心を砕くメンバーの涵養を強化。3. 太陽と月のリズムを日常のあらゆる局面にこれまで以上に意識的に取り入れ、自身のバイオリズムを野性状態に近づけて行く。4. 地球生態系の最底辺を占める菌類、とりわけその生活史のほんの一部の時を地表に顔をのぞかせるまさに地蔵そのものの大型菌類・きのこの不思議な生態を再発見しつつ、グローバル化とは似て非なる、多元的な世界を受け容れるもうひとつの国際感覚を有したきのこ人の育成に努める。といった目的を達成するための旅としたい。 そんな意味で、僕はこの元旦から2日にかけて、賀状に替えて久々に僕が同行者(スプートニク)と考えるムックきのこクラブの同人・支援者に向けて20通余りの手紙をしたためました。これがきのこ暦第4期へと向かう僕の盟友ということになりますか。 この両手両足の指の数に等しい20余りの人たちを核にして第4期8年にふさわしい見事なきのこを打ち上げる準備をはじめたいと思っています。 僕は88歳まで現役で生きる決意を固めていますが、僕も「木の子」以前に「人の子」、いつポキッと行くとも限りません。しかし、遥かな前途を思うと力が湧いてきます。生きるということは青春を持続することですから。 さて、どんなきのこができるか、行き当たりばったりの僕のきのこ人生のすべてを賭けていよいよ動き出しましょう。 僕がきのこというものに託してきた思いは、図らずも盟友の1人が捉えたきのこ夢幻の図像に限りなく近いものです。 きのこ星雲時代に初めて開いた写真展「きのこ夢幻」展以来変わらぬ思いこそが僕の真正きのこイメージであり、それを図像化すれば、太陽光がカメラレンズのフレアで奇跡的に生まれた残像のようなもの(画面中央やや右のRED CAPとBLUE STOCKINGのMUSHROOM)。 これに向かって見果てぬ夢を紡いでいくのですから大変なことには違いないですね。
2015年01月04日
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東雲の菌鎮もる森も靡けこの大旦 マダラ 穏やかに明けた元旦は、午後より打って変わってたちまち銀世界に変貌。今年のお正月にふさわしい幕開けとなりました。 祖霊たちに会いに行くのが新春最大の行事ですが、すでにあっち者の数の方がこっち者より圧倒的に多くなって久しい21世紀。 やがて誰もいなくなる日もあるんだなということが実感できるお正月で、いささか身の引き締まる思いも・・・。 さあ今年は、いよいよ諸般を整えて来たるべき時代に備える年。 墓参の後は、その足で親父の思いのこもる北方異民族慰霊碑にご挨拶。 正月三ケ日を甲斐甲斐しく立ち働くお父さんの時代からお付き合いしてきた宮司さんに挨拶をすませ、ドンド火に当たり、掻き曇ってきた空を仰ぎながら、兄弟たちと新年の挨拶を交わしたことです。 その後わが町は日暮れを待たず、雪がしまく状態に。こんな中でも働いている人が実に多くいることを思いながら静かに元旦の夕べを過ごしたことです。 冒頭の新春所感は「しののめのきのこしずもるもりもなびけこのおおあした」と読んでくださいませ。
2015年01月02日
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