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NHKプラスで「東北ココから~東北古墳調査最前線」を見ました。東北地方のローカル番組ですが、先日のNスペ「古代史ミステリー」を補完する内容。とくに狗奴国にかかわる話だったように思う。簡単にいうと、東日本の《弥生系》勢力も《続縄文系》勢力も、ヤマト王権の影響を受けていて、交易もしてた!…みたいな話です。以下は、番組内容のメモ。1.東日本の《弥生系》勢力福島県の会津盆地では、弥生時代から稲作がおこなわれていて、そこは北陸と郡山盆地をむすぶ交通の要衝だった。その証拠に、木製の農具が出土した湯川村の桜町遺跡(3世紀ごろ)では、在地の土器だけでなく、北陸系の土器や北関東系の土器が出土してる。…会津盆地にある杵ガ森古墳は、3世紀末~4世紀初ごろの初期の前方後円墳。形は約6分の1スケールの「箸墓類型」で、箸墓古墳の時代から半世紀の隔たりしかない。やはり会津盆地の大塚山古墳は4世紀末の築造で、ヤマト王権から授かった三角縁神獣鏡や、ヤマト王権が朝鮮半島から輸入した鉄の製品が出土。埋葬された豪族はヤマト王権と対等な関係だったらしい。郡山盆地からすこし南下すると…須賀川市の団子山前方後円墳(4世紀中頃)では、2種類の円筒埴輪を交互に配置してる。その様式は山梨や静岡の前方後円墳と同じ。須賀川市の東にある小野町でも、在地の首長を埋葬したらしき前方後円墳が発見された。東海地方から東北南部の山間地にいたるまで、ヤマト王権の影響を受けた文化が共有されてたってこと。ただし、番組を見てても、弥生人が東北南部まで進出したのか、縄文人が稲作や古墳文化を取り入れたのかは分かりませんでした。徐々に混血が進んだのかもしれません。◇2.東日本の《続縄文系》勢力新潟市の角田浜妙光寺山古墳(4世紀前半)も、やはりヤマト王権の様式であろう前方後円墳。その近くの遺跡で出土したのは、続縄文文化と古墳文化の特徴を合わせた折衷土器。鉄や米を得るために海産物などと交易してた可能性がある。さらに新潟市からすこし北上すると…胎内市にある城の山古墳(4世紀前半)は、楕円形の円墳ではあるものの、副葬品の構成が近畿地方の古墳と同じだった。中国製の盤龍鏡、翡翠の勾玉、鉄製の太刀、高度なデザインの靫ゆき(=矢を入れる革製の筒)が出土。◇日本最北にある前方後円墳は、岩手県奥州市にある角塚古墳。5世紀末~6世紀初につくられてる。近くにある中半入遺跡は、その角塚古墳をつくった人々の住居跡で、馬の歯が出土してるのだけど、儀式として馬の生贄を埋めるのは大陸文化の影響っぽい。なお、魏志倭人伝には「馬無し」と記述されてるので、日本へ大陸の馬が移入されたのは、4世紀末~5世紀の「倭・高句麗戦争」以降のこと。それから半世紀ほどのあいだに、東北へも馬がもたらされて交易・運搬に利用された。東北地方から中央へ輸送された産物は、鎧のひもや馬具などに用いる大型動物の革など。◇6世紀中頃に仏教が伝わると、日本の古墳時代は終わります。今、全国で #ヤマト王権 の謎を解き明かす発見が相継ぐ東北でも新発見が!!古墳時代の最新調査研究から知られざる東北の姿を解き明かす!東北ココから古代史ミステリー 東北古墳調査最前線#NHKプラス で配信中!https://t.co/T6iNnp5ujo— NHK仙台放送局 (@nhk_sendai) May 11, 2024
2024.05.14
NHK歴史探偵「平安のスーパースター 空海」を見ました。今年は空海の生誕1250年にあたるそうです。大河「光る君へ」も平安時代が舞台ですが、空海が活躍したのは平安初期で、藤原道長や紫式部よりも200年ほど前の人です。774 - 835:空海966 - 1028:藤原道長970? - 1014?:紫式部北海道から鹿児島にいたるまで、さまざまな空海伝説が3000ほどもあるそうです。しかし、その真偽はかならずしも定かでない。ぶっちゃけ、かなり嘘っぽい(笑)。番組では、富山県上市町の護摩堂にある弘法清水を取材してました。いわく「空海が杖で地面を突いたら水が湧いた」ってやつ。空海は、ふつうなら10年はかかる唐での修行を3ヶ月で終え、日本人ながらも中国密教の正統な伝承者になったほどだから、さぞかし超人的な能力の持ち主だったのでしょう。しかしながら、地面を杖で突いただけで水が湧いたりはしないよね。そもそも空海が入唐する前の29才(西暦802年)のときに、ほんとに富山なんぞへ行ったかどうかも疑わしい。◇番組では言及しませんでしたが、こうした真偽の怪しい伝説に関連して、よく知られたものに、いわゆる《大同2年伝承》の問題がありますよね。たとえば、「大同2年に神社仏閣が創建された」「大同2年に鉱山が開坑された」「大同2年に火山が噴火した」「大同2年に温泉が湧いた」「大同2年に鬼が退治された」…などの伝承が日本各地に存在しており、その多くが空海や坂上田村麻呂の事績と結びつけられる。しかし、考古学的には、ほとんどデタラメっぽい。大同2年:円仁や空海、坂上田村麻呂に関連した伝承で、この年号がよく使われる。空海が日本に帰国した年がこの年と言われることも多いが、史実としてはっきりとしない。東北各地の神社の創建に関する年号はこの年とされる。茨城県の雨引千勝神社の創建はこの年である。早池峰神社、赤城神社なども同様である。また福島県いわき市の湯の嶽観音も、この年の3月21日に開基されたとある。清水寺、長谷寺などの寺院までこの年に建てられたとされ、富士山本宮浅間大社も、大鳥居の前に堂々と大同元年縁起が記載されている。香川県の善通寺をはじめとする四国遍路八十八ヵ所の1割以上がこの年である。各地の小さい神社仏閣にいたるまで枚挙にいとまがないほど、大同2年(807年)及び大同年間(806 - 810年)はそれらの創建にかかわる年号である。阿仁鉱山や尾太鉱山が発見された年号にも使われている。高根金山、吹屋銀山をはじめとする各地の鉱山の開坑も、大同年間や大同2年とするものが多い。那須連峰の茶臼岳旧火山の噴火、尾瀬ケ原の燧ヶ岳の噴火、蔵王刈田岳の噴火、秋田駒ヶ岳の噴火もこの年である。会津磐梯山の噴火は大同元年だが、その噴火を鎮めるために、大同2年に山麓に恵月守が建てられたといわれる。日光の男体山で旱魃を静めるために勝道上人が祈祷したのもこの年である。三湖伝説で八郎太郎が大災害を起こすのもこの年である。八溝山や森吉山、気仙郡などの鬼退治もこの年と伝えられている。山形県の肘折温泉に伝わる「温泉之縁起」史料の中に、大同2年あるいは大同年間に温泉が開かれたという記述がある。江戸時代の安永年間に相原友直が仙台藩の風土を記した『平泉雑記』の「田村将軍建立堂社」では、田村麻呂建立とされる仙台藩内の堂舎21ヶ所を挙げ、それらの観音は「大同2年」のものが多く、悉く信用が不足していると述べている。それらの記述を受けて1955年に堀一郎は、研究対象の寺院の地区を東北地方に広げ、12社をあげ研究している。https://ja.wikipedia.org/wiki/807%E5%B9%B4史実では、大同2年(807年)の前後に、坂上田村麻呂や空海にかんする次の事績があります。延暦17年(798年)坂上田村麻呂が清水寺を建立。延暦21年(802年)坂上田村麻呂の蝦夷征討によりアテルイが降伏。弘仁14年(823年)空海が真言宗を立教。しかし、かつては、「坂上田村麻呂による清水寺の建立」も、「空海による真言宗の立教開宗」も、大同2年(807年)の出来事と考えられたらしい。中世では清水寺の建立を「大同2年」と説くのが一般化していた。謡曲の『田村』、『花月』、室町物語の『田村草子』では全て大同2年は清水寺の建立に関わる年号とされている。https://ja.wikipedia.org/wiki/807%E5%B9%B4大同2年、唐で恵果阿闍梨から伝授を受け真言宗第八祖となった弘法大師空海は、京にのぼって平城天皇から真言宗宣布の勅許を得たとの記述が『金剛峯寺建立修行縁起』に登場するそうです。ただ通説では、大同4年7月に太政官符が下るまで空海は太宰府に留め置かれたり和泉の槙尾山寺に滞在したりしていて、上洛していないことになっています。また大同2年11月8日、大和の久米寺で『大日経』を講讃したとされていますが、これもあくまで伝説であるとして学術的にはスルーされているようです。とはいえ、伝統的にはこの「大同2年説」が最も重視されていて、実は高野山でも、明治39年(1906年)に金堂で「弘法大師開宗1100年記念法要」が厳修されたといいます。http://ww35.tiki.ne.jp/~komyoin/buddhism-and-society202310.htm◇今回のNHKの番組では、空海伝説が日本各地に残っている原因として、のちの高野聖による布教活動を挙げてました。つまり、彼らこそが、デタラメな空海伝説を日本中にばらまいたってこと。でも、たぶん高野聖だけじゃなく、山伏の影響もありますよね。奈良時代の南都六宗が「都市仏教」だったのに対し、平安時代の密教が「山岳仏教」だったこともあり、それは修験道の形成に大きく関係してるはず。簡単にいえば、山の神々を仏教へ統合する神仏習合の過程で、修験道が体系化されていったのだろうし、その結果、日本各地の山伏たちも、密教の伝道者として活動したにちがいない。◇土着の神々への信仰が、仏教のシステムを借りることによって、概念化され、体系化され、歴史化されていったなら、山伏や高野聖のような密教系の勢力によって、作為的な「正史編纂」が行われた可能性もあります。古事記や日本書紀の場合もそうですが、つねに正史というのは権力者に都合よく記述される。おそらく日本各地の「大同2年伝承」も、なんらかの権力側の意図によって作られたのだと思う。はたして「大同2年伝承」が、口承史なのか文書史なのかは分からないけれど、たとえば経典を学んだ密教僧にとって、土地の歴史を文書化するぐらいは容易だったはずです。◇とくに坂上田村麻呂が平定した蝦夷の地域において、デタラメな歴史は作り放題だったはず。大河ドラマ「光る君へ」でも、都の人々の識字率の低さを紫式部が嘆いてましたが、蝦夷の人々ならなおのことだったろうし、そもそも歴史を記述する文化すら存在しなかったでしょう。おそらく蝦夷の土地の歴史記述は、坂上田村麻呂による平定以降に始まったのだと思う。蝦夷の人々にとっても、仏僧が土地の縁起や由来を文書化してくれることが、ありがたく思えたのかもしれません。たとえ、それが権力側に都合のよい捏造だったとしても。◇おそらく「大同2年伝承」は、すべての歴史を「大同2年に始まった」とする神話であり、逆にいえば、それまでの土着の歴史を、すべて「なかったこと」にするような捏造だったでしょう。それはちょうど、「ビートルズからすべてが始まった」とか、「はっぴいえんどから日本のロックが始まった」とか、そういう神話と同じ発想のものであって、過去の歴史を「なかったこと」にしたがる人たちは、いつの時代にも存在するのだろうなと思います。NHK 総合 04/17 22:00 歴史探偵 平安のスーパースター 空海 📱NHKプラスで配信予定💻 #nhkgtv #歴史探偵 https://t.co/oZhNQOGYK1— NHK総合 (@NHK_GTV) April 17, 2024
2024.04.21
磯田道史が、読売新聞で富雄丸山古墳のことを書いてます。▶磯田道史の古今をちこち「もう1人の埋葬者 破格の謎」◇奈良の富雄丸山古墳の話は、NHK「古代史ミステリー」第2週にも出てきましたが、卑弥呼(3世紀)よりも後で、倭の五王(5世紀)よりも前、すなわち「空白の4世紀」に造られた円墳です。前方後円墳ではないので、たぶん大和政権の王墓じゃないはずですが、それでも直径109mという国内最大級の円墳です。きっと「丸山」という地名も、この円墳に由来するのでしょうね。◇この円墳には、頂と麓に、すくなくとも2つの棺がある。磯田道史は、頂の棺の埋葬者は「記紀神話に出てくるレベルの王権の功労者たる豪族」麓の棺の埋葬者は「盾持ち人のような祭祀の女性」…だと推察しています。そして注目すべきなのは、祭祀の女性を埋葬したらしき麓の棺のほうです。足元に「9本の竪櫛」があり、棺を封じる粘土に「蛇行剣」と「盾形銅鏡」が貼りつけてあった。◇一般に注目されているのは、巨大な「蛇行剣」と鼉⿓⽂の「盾形銅鏡」のほうですが、磯田道史が注目してるのは、むしろ「9本の櫛」です。日本書紀によると、イザナギは、イザナミのいる黄泉国から逃げ帰るときに、8人の黄泉醜女に櫛を投げつけたとされてます。(櫛の歯の一本一本がタケノコに変わったらしい)磯田道史の推測は、9本の櫛は「イザナミ+8人の醜女」の分ではないか、(あるいは、それにちなんでいるのではないか)…ってことですね。◇一般に、黄泉国の出入口は、島根の出雲にあったと考えられますが、その出雲には「8」という数がよく出てきます。そもそも「八雲立つ出雲」といわれるし、そこは八百万の神々が集う土地でもある。怪物の八岐大蛇ヤマタノオロチは、八人の娘を食べて、八つの頭と尾をもってる。そして秋田では、八岐大蛇が八郎太郎になったんじゃないかと思います。黄泉醜女も、やはり八人なのですね。◇一方、棺の外側に貼りつけてあった蛇行剣は、日本最古かつ最大のものであり、長さが2.37mという東アジア最大の鉄剣です。蛇行剣は西日本各地で見つかってますが、もともと、それらは、ヤマタノオロチから抜き取った「草薙剣」に由来する、…との説があります。蛇の体内から抜き取ったために、ぐにゃぐにゃに曲がっているのかもしれません。クサナギという語も、じつは「草薙」の意味ではなく、「臭蛇クサナギ」「串蛇・奇蛇クシナギ」の意味ではないか、との説があります。この場合の「ナギ」は、鰻ウナギの「ナギ」と同じ語源で、すなわち蛇のことだというわけです。◇草薙剣(≒串蛇剣)は、スサノオが八岐大蛇の尾から抜き取り、のちにヤマトタケルの東征のために授けられました。スサノオも、八岐大蛇と戦う際に、クシナダヒメの姿を「櫛」に変えて頭に挿しました。櫛になったから「クシナダヒメ」だという説もある。ヤマトタケルの妻オトタチバナも、夫の身代わりとして入水し「櫛」の姿で葬られています。いずれにせよ、女性の櫛には、男性を守護する霊力があったのでしょう。
2024.04.10
NHKスペシャル「古代史ミステリー」を見ました。第1集のテーマは邪馬台国です。1.纏向遺跡いちおう九州説にも配慮して、佐賀・吉野ケ里遺跡の石棺墓のことも取り上げてたけど、やっぱり近畿説のほうを重視してた感じ。建築木材の年輪から伐採年を測定できるのね!奈良・纏向遺跡で使われた木材は、西暦231年に伐採されたものだと判明。卑弥呼が魏に使者を送ったのは239年だから、その8年前に宮殿が建設されたってことかしら?箸墓古墳の築造も240~260年ごろと分かってて、これも卑弥呼の埋葬が247年とする魏志倭人伝に合致する。2.倭国乱魏志倭人伝に書かれた「倭国乱」について、2021年のETV特集「誕生ヤマト王権」のときは、戦争の頻発を示す証拠は少ない、と言ってたけど、▶ https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202103290000/今回は、西の邪馬台国と東の狗奴国が対立してたこと、さらには、鳥取の青谷上地遺跡で見つかった大量の人骨に、金属の矢じりが刺さってたり、埋葬もされず捨てられてることを取り上げました。3・連合政権2021年のETV特集でも、邪馬台国は平和的な経済連合だった、との話でした。水害の多かった時代だからこそ、災害が起こりにくい大和を中心に小国が連合した。今回も、気候変動と食糧難の時代に、卑弥呼が連合国家を束ねる存在になった、との話。4.親魏倭王卑弥呼は、連合国家を束ねるべく魏の後ろ盾を得た、とのこと。つまり、中国の三国志時代に乗じて、魏・呉・蜀のパワーバランスをうまく操ったのね。具体的には、海上から魏を攻めようとした呉に接近しつつ、それを魏と交渉するための外交カードに利用した。その証拠に、邪馬台国は魏から金印をもらってますが、列島各地では呉からもらった鏡も出土してる。5.大陸系の技術中国の三国志時代には、大量の難民が朝鮮半島経由で日本に押し寄せた。彼らははるか東に理想郷の「蓬莱」があると信じた。なお、鳥取の青谷上地遺跡の人骨の9割も、DNA型が縄文系&大陸系の混血だそうです。こうした大陸系の人々は、鉄器などの軍事技術や、風雨に強い盛土などの土木技術をもたらしたので、邪馬台国は、狗奴国の勢力圏にまで進出することができた。その証拠に、前方後方墳の多い東日本でも、前方後円墳が見つかりはじめてるそうです。◇◇◇番組はドラマ仕立てになってて、歴史を学ぶ生徒役には、NHKにも重用されつつあるっぽい(?)原菜乃華。歴史館の館長役には、なぜか歴史再現ドラマの役が多い(笑)前川泰之。そして、邪馬台国を束ねてたのがシシドカフカで、狗奴国を束ねてたのが宍戸開でした。西のシシドと東のシシドってこと?シシドカフカが弥生顔で、宍戸開が縄文顔ね。でも、狗奴国の人々は、アイヌみたいに顔に入れ墨をしてたらしいけど、ゴリゴリの縄文人ってわけでもなく、赤いパレススタイルのおしゃれな弥生土器を使ってた。◇ドラマでは、卑弥呼が、連合国の首長たちと会議するシーンもありました。でも、魏志倭人伝によれば、彼女は侍女や弟にしか姿を見せなかったらしいよね。手塚治虫の「火の鳥・黎明編」では、姉がアマテラスで、弟がスサノオみたいになってる。女王というよりも、伊勢神宮の斎王みたいな存在だったかもしれないし、実在しない神様だった可能性もあるのでは??魏志倭人伝に書かれてる「卑彌呼」の名は、当時の日本語に漢字を当てたものだろうけど、意味としては「日見子」なのかなと思ってました。そのほうがアマテラスっぽいし。実際は「日巫女」「姫御子」などの説があるようです。◇鳥取の青谷上地遺跡の人骨も、なぜ殺されたのかが判明してるわけじゃありません。当時から大陸系との混血が進んでたようですが、最近の東大の研究によれば、むしろ山陰地方は現在も「縄文度」が高いのよね。▶ https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202304050000/もしかしたら外来系の人たちが、土着の出雲王権に迫害・虐殺されたのでは??…なんてことも思ったりする。◇次回の第2集は「ヤマト王権・空白の世紀」です。#NHKスペシャル #古代史ミステリー第1集「邪馬台国の謎に迫る」3/24(日)夜まで見逃し配信中▼https://t.co/1w51Qyl93f邪馬台国の女王・卑弥呼。最新研究で迫る外交戦略とは?未知の古墳のAI調査や、大規模実験も交え、謎に迫る。出演 #シシド・カフカ #前川泰之 #原菜乃華 #宍戸開 #濱正悟 ほか— NHKスペシャル(土曜夜10時 日曜夜9時) (@nhk_n_sp) March 17, 2024
2024.03.20
NHK「ダーウィンが来た!」を見ました。龍のナゾを大研究!辰年にちなんだ特集でしたね。◇一般に「龍/竜」は、獅子・麒麟・鳳凰などと同じ架空の生物と見られていて、今回の番組も、そういう前提で作られてましたが、わたしは、以前から、そういう捉え方があまり妥当じゃないと感じている。…まだ地球上を遠くまで移動できなかった時代に、ライオンやキリンやクジャクを見たことのなかった人々が、アフリカや中東や南アジアからの伝聞に頼ったのは仕方ないし、その伝聞の過程でさまざまな誤解が加わっても無理はない。たしかに現代の知見に照らせば、獅子も麒麟も鳳凰も「実在しない」との判断になるけど、けっして荒唐無稽な空想から生まれたわけじゃなかろうし、すくなくとも昔の人たちは、その実在性を信じてたはず。それは龍についても同じだと思う。古代の中国人が、十二支のなかで、龍だけを空想上の生き物だと思ってたはずはない。◇おそらく龍のイメージは、恐竜の化石にもとづいている。実際のところ、現代のような科学文明が発達してなくても、恐竜の化石を見つけることは可能だったはず。崖とかの地層を掘ればいいだけなのだから。事実、恐竜の化石は、古代から洋の東西で発見されてたらしいし、中国では、あらゆる生物の化石をことごとく「竜骨」とみなして、現在にいたるまで生薬として利用しています。◇中国やインドの龍にも、西洋のドラゴンにも四つの足がありますが、北米や南米、アフリカやオセアニアでも、手足があるかどうかは別として、やはり虹蛇のような巨大生物の実在が信じられていた。それらに共通するのは、・水中に棲息している・空を飛ぶ…ということ。こうしたイメージには必然性があると思います。◇今回の番組では、青銅器時代の中国に生息していた体長7mのマチカネワニが、龍の起源だった可能性に言及してましたが、わたしに言わせれば、頭に角が生えてたり、体毛が生えてたり、空を飛んだりする龍のイメージは、現生の爬虫類を見ただけではけっして生まれてこない。中国の龍や、西洋のドラゴンのイメージは、角や体毛や翼の生えた恐竜の化石を発見しなければ、けっして出てこないものだと思う。逆にいうと、恐竜の化石から得られる断片的な情報を蓄積すれば、角や、鱗や、体毛や、翼の生えた、巨大な蛇のような水中生物の実在を信じたとしても、なんら不思議なことではないし、むしろ翼があれば空を飛ぶと思うのが自然です。現代人が、「巨大な蛇が空を飛ぶわけがない!」などといって笑うのは傲慢であって、むしろ翼をもって空を飛ぶ巨大な恐竜が、かつての地球に実在していた事実のほうに驚くべきでしょう。◇おそらく昔の人々は、地中から発掘される恐竜の化石を、古生生物ではなく、現生生物の死骸だと誤解してたはずだし、ふだんは姿を見せない巨大生物の死骸が、なぜか地中で発見される事実から、それらが水中や洞窟や海底に潜んでいると考えたはず。実際、中国や日本では、いわゆる「竜宮」が海底にあり、鍾乳洞などを通じて沼や湖に繋がっていると信じていた。同時に、魚類のタツノオトシゴを、龍の子供と信じた可能性も高いだろうし、それは「角が生えている」とか「水中生物である」という、龍のイメージを補強するものでもあったと思う。◇なお、今回の番組では、ボルネオに生息するグールドカグラコウモリの群れが、空を飛んだときに龍のような形になる事例を紹介してましたが、中国や日本で「龍は洞穴に住む」と信じられたことから見ても、鍾乳洞から出てきたコウモリの群れが龍の形になるのは興味深い。…日本のフタバスズキリュウの話も出てきましたね。ドラえもんの「のび太の恐竜」は、卵からかえったフタバスズキリュウを、のび太が "ピー助" と名づけて育てる物語でしたが、じつはフタバスズキリュウは卵生ではなく、体内で孵化させる胎生だった可能性があるとのこと!…ちなみに、フタバスズキリュウの化石は、1968年に福島県双葉で高校生の鈴木くんが発見したのですが、↓音楽惑星さんは、http://manzara77.blog.fc2.com/blog-entry-368.html#honda円谷英二が福島県の出身だったことや、ゴジラが放射能に汚染された恐竜だったことや、原発事故によって化石のあった双葉が汚染されたことに、ある種の因縁を感じてるようです。
2024.01.16
サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん。伊勢神宮&出雲大社の特集でした。◇たまにしか見ませんが、いい番組ですよね。日本の教育は、とかく協調性ばかり重視しがちですが、安易な同調主義は異質な能力への抑圧やいじめに繋がるし、むしろ、はみ出すほどの個性を伸ばすほうが大事であって、その意味でも、オタクへの敬意は重要な教育文化です。◇◇さて、わたしの関心はあいかわらず出雲!本州と島根半島が、トンボロの原理によって砂州で繋がったことは、すでにブラタモリの境港の回で学びました。出雲の側は弥生時代に本州と陸続きになり、境港の側は奈良時代の終わりごろに本州と繋がった。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202208290000/https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202212210000/◇今回の番組によれば、いまも稲佐の浜には砂が押し寄せていて、昭和初期までは「島」だったはずの弁天島が、いまでは完全に砂で繋がっているのだと。#出雲大社 pic.twitter.com/GVw8k5BqFJ— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 28, 2023↓くわしくはこちらを参照。https://kinkitaisyakai.net/fukei/fukei2/syowa.htmlhttps://voiceofstone.blogspot.com/2015/05/blog-post_3.html◇出雲大社では、稲佐の浜に押し寄せる砂が、神々と同一視されて信仰されている。なぜか、その砂を、大国主じゃなくスサノオのところにもっていくのね。pic.twitter.com/wfSglN8RE5— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 28, 2023現在の島根半島は、出雲の側も、境港の側も、砂州で繋がっている。出雲側は《神々の流れ着く場所》で、境港側は《妖怪の流れ着く場所》です。これらの場所が陸続きになる前は、神々も、妖怪も、おそらく松江に漂着していたのだと思う。とにもかくにも、島根半島の周辺は黄泉の国との境界なのだけど、それらはすべて「漂着」という概念で説明がつくはず。先日の黄泉比良坂の記事にも書いたとおり、砂と一緒にさまざまなものが漂着するからこそ、そこは《異界と出会う場所》になるのだ、ということ。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202310070000/◇今回の番組では、小学生の女の子が出雲大社を案内してましたが、神話の解説などもとても分かりやすかったです。海幸彦と山幸彦の龍宮(蛇神)神話。pic.twitter.com/ypb9r7gV69— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 28, 2023 因幡の白兎とサメ(ワニ)の神話。pic.twitter.com/Kcltak6bvG— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 28, 2023因幡の白兎とはいうものの、ヤカミヒメが因幡(鳥取県)出身なのであって、白兎はもともと隠岐島にいたのですね。なんとなく国引き神話とも関係がありそう。野見宿禰と当麻蹴速の話も聞きたかったな。pic.twitter.com/ZEuopBv8nl— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 31, 2023追記:あとで調べてみたら、野見宿禰の話は、出雲大社の荒垣正門にある「銅鳥居」の話に繋がっていたようです。1666年に毛利綱広が寄進した銅鳥居には「大江綱広」と書いてある。これは毛利の本姓が「大江」だから。彼が鳥居を寄進したのは、大江氏の先祖が「アメノホヒ」にあたるから。アメノホヒは、アマテラスとスサノオが誓約をしたときに生まれた五男三女神の一柱。大国主に仕えて、出雲(現在の松江市)にイザナミを祭る神魂神社を建てた。その子のタケヒラトリは「出雲国造家」と「土師氏」の祖神。もともと出雲国造家の起源は松江の神魂神社にあり、そこから798年に杵築大社(現在の出雲大社)へ移ったわけです。土師氏は、垂仁天皇のときに野見宿禰が「相撲の祖」になり、殉葬者に代わる埴輪を創製したことで「土師姓」を賜った。ちなみに出雲の野見宿禰は大和の当麻蹴速を蹴り殺したのだそうで、相撲というよりもキックボクシングだったのですね。蹴速の土地は没収されて野見宿禰の土地になったらしい。土師氏は、のちに秋篠氏、菅原氏、大枝氏(のちの大江氏)へ改姓。大江氏からは「中古三十六歌仙」に大江千里、大江匡衡、大江嘉言らが、女性では和泉式部、赤染衛門(匡衡の妻)らが選ばれている。大江匡衡の曾孫には、平安時代屈指の学者にして源義家(八幡太郎)に兵法を教えた大江匡房がおり、その曾孫として源頼朝を支えた大江広元がいる。そして、大江広元の四男の季光が「毛利氏」の祖になるわけですね。このほか、徳川家康に仕えた酒井忠次や、NHKの黒崎めぐみアナも同祖にあたるはずです。
2023.10.29
NHK「ドキュメント72時間」で、島根の黄泉比良坂よもつひらさかの回を見ました。川栄李奈の素敵なナレーションでしたね。AKB時代にアホの子だったのが嘘のようです(笑)。ちなみに昨日は、おととしに書いた岸辺露伴の記事のアクセスが増えました。思うに「岸辺露伴・黄泉比良坂」で検索した人が多かったのかな?◇わたしとしては、もうすこし地形的なことも知りたかったのだけど、番組を見ただけでは、それがよく分からなかった。曲がりなりにも「坂」というのだから、そこを登りきったら、あるいは降りきったら、どこかへ通じる道なのかと思ってましたが、実際は、巨石のある場所が行き止まりになってる。この巨石がどうやら「千引ちびきの岩」らしい。イザナギはこれで黄泉の国との境界を塞いでしまった。◇ネットで調べてみると、道を塞いでるのは巨石だけじゃなく、近くには「塞の神」もあって、そちらも行き止まりになってるようです。かつては、そこから先の道が存在したらしい。この小道は、古くは、揖夜神社から塞の神を通り、尾根沿いに意東・広瀬・安来方面につながる重要な古道のひとつと言われてきました。現在は通り抜けることができません。地元では、塞の神から東に広がる谷を夜見路谷、谷を抜けることを夜見路越えと呼び、今でもその呼び名が語り継がれています。https://yamap.com/activities/17057907/articleイザナミが黄泉の国に隠れた後をつけて通った谷を、今もつけ谷(付谷)といい、山坂道を追っかけ上がった坂は追谷坂(大谷坂)とよばれている。その峠には塞の神(道祖神)が祀ってあり、そこを越した所がヨミジ谷であって、ここに神蹟伝説の碑が建っている。この碑から西に行けば前記の付谷を渡り山越えして五反田、そこから勝負を越して須田方面に向かう。東方に行けば中意東超坂から、馬場に出て雉子谷を越えて高丸から安来市の岩舟方面に通じる。南方には山の峰道より上意東から荻山(京羅木山)や星上山に通じたのが大昔の道であったとは古老の語りぐさである。http://www.yuyuyu.jp/ancient/yomotsuhirasaka.htm…境港のある弓ヶ浜半島も、地名の由来は「夜見ヶ浜」であって、砂州で陸続きになる前は「夜見島」だったのだけど、やはり松江にも「夜見(≒黄泉)」という地名があるのね。◇Googleの上空写真で見ると、黄泉比良坂のある場所は、ギザギザした山地の先端部分です。わたしなりにブラタモリ的な推測をすると、太古の昔は海に面した岬の先端だったのだと思う。早い話、黄泉比良坂ってのは、太古の海岸通りじゃないかしら?ギザギザした地形なのは、火砕流が流れた痕跡か、川や海で削られた結果か。巨石がゴロゴロしてるってことは、火山の影響がある気もする。◇去年の「ブラタモリ」の境港編によれば、本州と島根半島をつないでる砂州は、海流がトンボロの原理で形成したものだから、その砂州ができる前には内海があったはずです。※その名残が2つの汽水湖(宍道湖&中海)になってるわけです。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202208290000/そして、砂州ができはじめたころ、黄泉比良坂のあたりの岬の先端は、さまざまな漂着物が流れ着く場所だったと思う。実際、昔の境港の海岸には、死体が流れ着くこともあったらしい。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202209030000/だからこそ、黄泉への入口と思われたのではないでしょうか。◇今回の番組で取材した人たちの話によれば、黄泉比良坂は「呪術廻戦」や「鬼灯の冷徹」にも出てくるのね。
2023.10.07
鬼滅の刃の「刀鍛冶の里」のモデルが、山形の銀山温泉ではないかと話題になっています。真偽のほどは分かりませんが、わたしもアニメを見てすぐに、福井の一乗谷か、山形の銀山温泉かなと思いました。どちらも谷あいの細長い土地なのですよね。◇福井の一乗谷は、幅が500mで、長さが3000mぐらいの細長い土地。山形の銀山温泉はもっと小さく、幅が50mで、長さが200mぐらいの細長い土地です。銀山温泉が有力視されているのは、土地の規模が小さいうえに、大正時代の町並みが残っているからでしょう。ここは「千と千尋」の湯屋のモデルとも言われています。このような谷あいの集落や温泉地は、おそらく日本中に存在するはずなのですが、福井の一乗谷や、山形の銀山温泉の場合は、見た目にも細長い地形であるのが分かりやすい。◇なぜ「谷あい」の土地が重要なのか?それは、外界と集落とを隔てやすいからです。三方を山に囲まれているので、集落への入口が一箇所にしかありません。したがって、そこさえ守れば外敵の侵入を防ぐことができるし、そこを閉じれば集落の存在自体を隠すことが出来る。鬼滅の「刀鍛冶の里」は、その存在を鬼に知られてはいけない場所なので、あえて「谷あい」の土地が選ばれており、里への入口は一箇所だけで、普段は閉じられています。…なお、朝倉氏の居城があった一乗谷は、1573年に織田信長によって焼き払われました。NHK大河「どうする家康」では、ムロツヨシの演じる秀吉が、小谷城で浅井長政が自害したと語ったのみで、一乗谷の滅亡の場面は描かれませんでした。◇ところで、鬼滅の「刀鍛冶の里」には川が描かれていません。しかし、谷あいの細長い土地は、かならず川に削られて出来るわけだから、どこかに小さな川があるはずだし、刀鍛冶をおこなうためにも川の水が必要です。福井の一乗谷には一乗谷川が、山形の銀山温泉には銀山川が流れています。…ちなみに、LiSAの地元の岐阜県関市は、かつて刀剣の産地だったことで有名ですが、それは、飛騨山脈と長良川の恵みによって、水はもちろん、砂鉄も木炭も焼刃土も採れたから。一方、山形の銀山温泉は、その名のとおり銀の産地ではあったはずですが、鉄が採れたかどうかは分かりません。【鬼滅新章モデルに銀山温泉? 話題】https://t.co/XfOBXFIvs8— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) June 1, 2023
2023.06.01
NHK「歴史探偵」西遊記の回を見ました。玄奘三蔵の地誌「大唐西域記」が、ファンタジー小説の「西遊記」へと変貌した謎について。あとで調べたことも含めて内容をメモしておきます。◇玄奘は身長180㎝もある大男だったそうです。砂漠や山脈を超えて往復3万キロを踏破するくらいだから、たんなる知識人じゃなくて、冒険家・アスリート的な人でもあったんでしょうね。京都の臨済宗興聖寺には、世界最古の「大唐西域記」の写本があるそうです。◇番組を見た後にネットで確認したら、Wikipediaに「西遊記の成立史」という詳細な記事がありました。簡単にいうと、宋の時代に生まれた都市講談が、『大唐三蔵取経詩話』という形で刊行され、それを原型として元の時代に雑劇などが発展し、さらに明の時代になって、全100回からなる小説が完成したとのこと。これは「世徳堂本」と呼ばれるもので、最初は南京で刊行されましたが、現存するものは福建省南平市建陽で刊行され、すべて日本で保管されてきたのだそうです。番組でも、福建省南平市を取材していましたが、ここは千年前から木版印刷が盛んだったらしい。◇孫悟空のルーツも、やはり福建省にあります。ここには、もともと猿を神として祭る風習があって、それは畑を食い荒らす猿への餌付けに由来するそうです。Wikipediaによると、江西省と広東省にまたがる山中には、旅する婦人をさらう「斉天大聖」という妖猿の伝説があり、2005年には、福建省順昌県の宝山で、元末~明初期の頃の「斉天大聖」の墓が発見されたとのこと。番組でも、この墓を取材していました。さらに、敦煌の壁画には「馬を曳く猿を連れた唐僧の像」もあり、遼の墳墓の彫刻には「雲に乗る猴行者の像」もあるらしい。※猴行者こうぎょうじゃとは、宋の時代の孫悟空の呼び名です。◇猪八戒のルーツは、摩利支天の御者(御車将軍)のブタです。これが日本ではイノシシと誤読されたため、鎌倉時代からは摩利支天が軍神として崇められ、上野アメ横の徳大寺にもそれが祀られています。沙悟浄のルーツは古く、もともとは砂漠に倒れた玄奘を水場に導いた「大神」でしたが、これがやがて「深沙神」と呼ばれ、元の時代には「沙和尚」と呼ばれ、明の時代には水怪の「沙悟浄」に変わり、それとともに弟子としての地位もどんどん下がったあげく、日本では滝沢馬琴の翻案でカッパになってしまった。またもや馬琴ネタ!牛魔王のルーツは、チベット仏教の伝説の妖牛だそうです。
2023.05.25
1ヶ月ちょっと前になりますが、東大の研究者が都道府県別の「縄文度」を発表…というニュースがありました。以下、NHKの解説から抜粋です。従来の研究で現代日本人の多くは遺伝子的に1~2割が縄文人由来、8~9割が渡来人由来とされています。今回東大グループは民間の遺伝子検査を受けた全国1万人のデータの分析などから、住んでいる県別の言わば“縄文度”=縄文人由来の遺伝的変異をどれぐらい多く持っているかを初めて明らかにしました。東北地方や鹿児島など濃い青色の県は縄文度が高く、近畿や四国などオレンジ色は縄文度が低い、逆に言えば渡来系の血が濃い人が多いエリアということになります。この地図には沖縄と北海道が入っていませんが、沖縄は他の県より飛び抜けて縄文度が高く、この色分けに収まらなかったとされます。また北海道はアイヌの人たちはとても縄文度が高いと考えられますが、人口の上では明治以降に各地から移り住んだ人が多くを占めるため特徴がはっきり出ないと言います。また、中国地方で島根だけ濃い青、つまり縄文度が高いと言う結果で、はっきりした理由はわかりませんが、出雲の国はオオクニヌシの国作りの神話などがある地域でもあり、もしかすると古くから縄文系の人たちが多く住む国が実際にあったのかも?など古代史への想像も色々と広がる結果でした。https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/480441.htmlこちらが都道府県別の「縄文度」を示した地図。https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2023/8252/◇四国や近畿の「縄文度」の低さは、ヤマト王権が弥生系であることを示していますし、いわゆる神武東征や、四道将軍の動きや、桃太郎伝承の解明にもつながるかもしれません。もちろん、これは邪馬台国論争にも影響する話だと思います。大陸から渡ってきた弥生系の人々は、九州に上陸するよりもまず、まっずぐ瀬戸内海へと入り込んだように見える。◇一方、縄文人を列島の周縁に追い詰めたのは、大伴旅人や坂上田村麻呂だと思いますが、鎌倉幕府の奥州征伐の影響もあるかもしれません。そう考えると、鹿児島や青森の「縄文度」が高いのは想像がつきますし、そこから海を渡って、沖縄や北海道にまで逃げのびた縄文人もいるのでしょう。あるいは、沖縄や北海道には、はじめから縄文人が先住していたんでしょうか?◇しかし、わたしが、今回の分布図でいちばん興味深いと思ったのは、・東日本では太平洋側のほうが「縄文度」が高い・島根と秋田の「縄文度」が有意に高いってことです。坂上田村麻呂の蝦夷討伐にしろ、源頼朝の奥州征伐にしろ、征夷大将軍が東国へ進出した際に、日本海側の人々の抵抗が弱かったのに対して、太平洋側では、アテルイとか、奥州藤原氏みたいに、頑強な抵抗勢力が多かったんだという気がする。奥州藤原氏は弥生系かもしれませんが、その統治下の人々の多くは縄文系だったのでは?◇かたや、島根と秋田にかんしては、日本海側にありながら有意に「縄文度」が高い。これは第1に、出雲王権が強力な縄文系であった可能性と、第2に、東湖八坂神社の統人行事や、松本清張の「砂の器」や、高橋克彦の「東北=出雲説」が暗示しているとおり、出雲の人々が、国譲りの際に、秋田のほうまで逃げのびた可能性を感じさせます。◇◇◇なお、今回の研究では、縄文人のほうが、遺伝的に身長が低めで太りやすい体質であり、血糖値や中性脂肪が上がりやすいと分かったそうです。弥生人のほうは、ぜんそくなどアレルギーになりやすいそうです。なんとなく、わたしは弥生人っぽい?(笑)とくに母方のほうは。海外では、ホモサピエンスに交わったネアンデルタール人のことも、同様の手法で研究されているそうです。
2023.04.05
ブラタモリを見ました。テーマは「神話の里・高千穂はどうできた?」です。しかし、見終わっても、なぜ高千穂が「神話の里」になったのか、ますますわからなくなるばかり…(笑)。◇高千穂峡には、阿蘇の溶岩が生んだ神秘の渓谷があるし、現在では美しい棚田に稲穂が実っているけれど、明治以降に用水路が引かれるまでは、じつは稲穂が実るような豊かな土地ではなく、けっして神さまが降り立つような場所ではなかった。ここが「神話の里」だと世間に認知されたのは、昭和以降の地域プロモーション活動のおかげだった。…って話。ぶっちゃけ、高千穂は、「後世の人達の努力で無理やり神話の里になった」と言わんばかりの内容でした。◇あまりに不可解だったので、ためしにネットで調べてみたら、どうやら考古学の世界では、天孫降臨=高千穂説に対して異論があるようです。…簡単にいうと、じつは宮崎県には、「高千穂峰」と「高千穂峡」の2つがあって、天孫降臨の地がどちらか分からない、ってことなのですね。(今回のブラタモリで訪れたのは「高千穂峡」のほうです)古事記の記述はどちらとも解釈できるけれど、日本書紀の記述によれば「高千穂峰」のほうが有力で、日向国風土記によれば「高千穂峡」のほうが有力ってことらしい。▶詳細は以下を参照。・高千穂峡と高千穂峰 100キロ離れた宮崎の景勝地に残る神話・なぜか2つある神話の舞台「高千穂」の謎なるほどね~。ようやく察しがつきました(笑)。
2023.01.24
すこし前になりますが、11月30日に放送されたNHKの「歴史探偵」。テーマは、出雲 “神話の国”の謎。面白い話があったので、メモしておきます。◇第1に、古代出雲大社の高層建築について。高層の木造建築を可能にしたのは、大陸的な工法ではなく、横材を格子状に組んで耐震性を備えた、縄文以来の日本独自の工法ではないか、とのこと。つまり、出雲の人々は弥生人じゃなく縄文人ってこと?やはり出雲の蛇神信仰にも、縄文文化からの流れがあるのかもしれませんよね。◇第2に、出雲周辺には、いまでも朝鮮半島からの漂着物が流れて来る、とのこと。ブラタモリの境港の回 でも、島根半島の周辺に漂着物が多いことが取り上げられてましたが、2つの海流(リマン海流と対馬海流)に乗れば、北九州を経由せずに、朝鮮半島との直接的な交流が可能だったかもしれない。◇第3に、ブラタモリの境港の回 でも、島根半島とその内海の地形が、トンボロ(陸繋砂州)の原理で出来ているとの話でしたが、じつは出雲の神西湖は、かつては現在の3倍もの大きさがあって、それが宍道湖や中海を経由して、出雲~松江~境港が一体的な経済圏を成していた、とのこと。これは想像していたとおりでした。出雲国造家の起源が、松江市の神魂神社だった件にも関係する話だと思う。以下はウィキペディア【神西湖】の記述です。・縄文時代現在の宍道湖にあたる湖域全体とその西岸陸域は全て日本海に繋がっていて、島根半島の西側をえぐる大きな湾が存在していた。その湾に南から注ぐ斐伊川と神戸川の強い堆積作用により湾は次第に埋め立てられ、東側と西側に分断された。東側が現在の宍道湖の原型であり、西側に残った湾部が現在の神西湖の原型である。・弥生時代堆積作用が進むにつれて湾は次第に小さくなり、日本海と分断され、汽水湖となった。島根半島の内海は、水産資源の面でも、交易の面でも、防衛の面でも、いわば「コンパクトな瀬戸内海」みたいな世界だったかもしれませんね。◇なお、出雲から大和への国譲りがあった頃のことでしょうが、弥生時代中期の出雲では、青銅器がまとめて埋められており、その時代から四隅突出型の古墳も消滅したようです。つまり、前方後円墳が日本列島の全域に広まっていく。そして、出雲は、地上界を譲る代わりに冥界を支配するようになった、…ってことですね。
2022.12.21
いちど観てみたいと思っていた1959年のブラジル映画『黒いオルフェ』。(仏・伊・ブラジル合作)ようやくGYAOの無料動画で観ました。いつものようにレビューはこちらに書いています。映画の原案は、ギリシャのオルフェウス神話をブラジルに置き代えた戯曲であり、ヴィニシウス&ジョビンの "ボサノバ" コンビによる作品でした。ちなみに、NHK「岸辺露伴」や「ブラタモリ」がらみでも気になっていた、出雲の黄泉の国の話(イザナギ・イザナミ神話)って、そのオルフェウス神話にそっくりなのよね。つまり、あの世から妻を連れ戻そうとしたものの、約束を破って、後ろを振り返ってしまった…という話。このギリシャ神話には、萌歌が出演していたドラマ「金田一少年の事件簿」や、萌音が出演するミュージカル「ジェーンエア」にも関係している、海の怪物セイレーンも登場します。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 10, 2022ただし、戯曲や映画のほうは、もうすこし現実味のある物語に変換されています。ギリシャのオルフェウス神話よりも、むしろ日本のイザナギ神話に似ているかもしれない。つまり、いったんは死体安置所から恋人を連れ戻したのに、嫉妬に狂った黄泉醜女ヨモツシコメみたいな女に石をぶつけられて、恋人もろとも黄泉の国へ転落して死んでしまうのです。◇そんな映画の内容もさることながら、そもそもギリシャ神話と日本の出雲神話が似ていること自体に、わたしは、とても興味をそそられてしまう。考えてみたら、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)ってギリシャ人なわけで、彼が出雲に住み着いた理由も、この2つの神話の類似性に興味をもったからなのかも。ただ、ネットで調べても、そういう話は出てこなかった。しかし、八雲がそれに気づいてなかったはずはありません。◇なぜギリシャ神話と日本神話が似ているのか?これについては、昔から比較神話学のテーマになってるようです。たとえば、アフリカに生まれて北上した人類が、コーカサス山脈の手前で東西に分かれたからだ、…とか、アレキサンダー大王によって、ガンダーラにもたらされたギリシア文化が、奈良時代の日本にも到達したからだ、…みたいな説がありえるし、似たような話としては、ペルシアで生まれた楽器ウードが、西洋に伝わってリュートになり、東洋に伝わって琵琶になった、…みたいなこともある。なお、『黒いオルフェ』の主人公はギター(ヴィオラン)を弾いていましたが、ギリシャ神話のオルペウスは竪琴奏者です。◇ギリシャ神話を黒人の物語に置き代えたヴィニシウスの発想は、たんなる思つきにすぎないかもしれませんが、これは1987年のマーティン・バナールの『黒いアテナ』によって、最終的には学説にまで発展したともいえます。つまり、「そもそも古代ギリシャ人の肌の色は黒かったかもしれない」ということ。現代のギリシャ人はかなりスラヴ化してしまった、と言われますが、小泉八雲にアラブ系の血が混じっていたとの話もあるように、いまもなおギリシャ人には地中海民族としての面があるだろうと思います。まして、そのルーツにおいてアフリカやアラブと接していても不思議ではない。
2022.09.14
先日の「ブラタモリ」 境港・米子編に続いて、日曜美術館「水木しげるの妖怪画」と、100分de名著の「100分de水木しげる」を見ました。やはり、ここでもまた、「あの世との境界に流れ着くもの」というテーマが浮かび上がる。1.鬼と妖怪水木しげるは、柳田國男の「妖怪談義」を読み込む一方で、鳥山石燕の描いた「百鬼夜行」からも影響を受けていたようです。妖怪は、すなわち鬼でもあるわけですね。うすうす感じてはいたけれど、やっぱり「鬼滅の刃」も、鳥山石燕らの「百鬼夜行」のみならず、水木しげるからの影響があるのだと思います。なお、今回の「日曜美術館」を見て、アマビエが不知火海の妖怪だったことを知りました。不知火海といえば、手塚治虫の「火の鳥」が棲む火の国の沿岸ですよね。アマビエは疫病退散の妖怪ですが、「火の鳥」では薬師の男が不知火海から上陸します。2.島根半島の海と山と森水木しげるの「河童の三平」は、少年時代の作者自身をモデルにしてるっぽいとのこと。今回の「100分de水木しげる」では、佐野史郎らが次のように話していました。境港は古代から開かれた町。水木さんの実家は弓ヶ浜の突端にある境水道。境水道を泳ぐと、その向こうは島根半島。そこは高い山じゃないけれど、のんのんばあが住んでる森なんですよ。そのさらに向こうが日本海で、「向こうに何かありそうだ」って思ってる子供だった。その身体感覚。三平が寝てるうちに川に流されて、河童と出会い、河童に連れられて、川の底に行ったら、今度は山が…。悪魔くんも同じだけど、「地」と「水」の二つを絞りきれないのは、その感覚。水の異界も、森の異界も、山の異界も全部ある環境で生きてきた。ちなみに佐野史郎は、松江出身なのですね!3.海岸に流れ着くもの昔の境港の海岸には、人間の死体が流れ着くことがあった。…みたいなことは、ブラタモリでも話題になっていましたが、釈徹宗も同じ話をしていました。すごく死が身近だっていうこと。はしかなどで子供がわりと簡単になくなったりした。境港の海で泳いでると、間引きしてむしろにくるんだ赤ちゃんと当たっちゃった、っていうような話なんかも出てくる。あらためてネットで調べてみると、水木しげるは、間引きした子供の死体や、自殺した女郎の死体の話などもしていたようです。4.この世とあの世の境界先日のブラタモリの内容も、島根半島の一帯が「あの世との境界」であることを感じさせました。以下は、中条省平の話。「あの世とこの世」が対立するとか、「善と悪」とか「光と闇」が対立するとかいった場合には、(ふつうは)二元論的な対立のドラマになっちゃう。でも、そうじゃなくて、水木しげるが描く境界は、つねに対立する概念が地続きなんで、ふっとどっちかに行っちゃうような感覚がある。そして、以下は、釈徹宗による水木しげるの人物評。境界に好奇心が高い人。見える世界と見えない世界、生と死、日常と非日常、聖と俗、エロスとタナトスみたいな、境界線上に近づくのがすごく楽しい、興味津々みたいなタイプの人。境界は大変デンジャラスゾーンでもある。危険地帯なので、古来、人類は境界をすごく警戒してきた。たとえば逢魔が時なんかは昼と夜との境界で、そのときに魔物に会うんだっていうことでしょ。コミュニティとコミュニティの境界には、道祖神とか、地蔵とか、塞の神をまつって、そこは近寄らないっていうような、そういう危険なところでもある。でも、水木しげるっていう人は、そこにすごく関心をもってる。と同時に、水木しげるならではのものとして、その境界の近くに「弱者」がいるんだっていう感覚ですよ。「のんのんばあとオレ」に描かれてる困窮者とか、最後のほうに出てくる美和ちゃんっていう子なんかは、本当に厳しい環境に置かれてるんですけども、すごく境界に精通した女の子なんですよ。強者って、堂々と王道を歩いてるんで鈍感なんです。でも「弱者」だからこそ、境界に繊細に接することができる。そして、伊集院光との会話。境界だからこそ、誰もが見てないものとか、見逃してるものがあるから、クリエイティブです。その代わり、境界に押しやられちゃった人たちが、「こんなとこいたくもない」のにいるところでもあるから、敬意を持てよ、みいなメッセージあるじゃないですか。「絶対面白いぞ」と「敬意を持って」と両方ある理由なんで。豊かで面白いんだけども、軽々しく触っちゃいけない、分かってる気になっちゃいけない。5.一畑薬師とのんのんばあのんのんばあは、少年時代の水木しげるに妖怪の話を教えたお婆さん。本名は景山ふさ。彼女の夫は、一畑薬師の「拝み屋」だったようです。ちなみに「のんのん」とは、観音さまのこと。一畑薬師とは、「目のお薬師様」として知られる臨済宗の仏教教団。その総本山である一畑寺は、島根半島の山中にあります。縁起によれば、平安時代の漁師が、海中から引き上げた薬師如来像を本尊にしたのが始まり。島根半島の海には、薬師如来も流れ着くんですね。水木しげるも、小泉八雲も、海人族の聖地である加賀の潜戸を畏敬したそうですが、のんのんばあは、「十万億土は島根半島の先にある」と教えていたようです。これもまた国引き神話に共通するような世界観。
2022.09.03
NHK「ブラタモリ」の境港・米子編を見ました。水木しげるの生誕100周年にちなんで、鳥取県の境港市にスポットライトを当てていました。この土地は、現在は「弓ヶ浜半島」(=鳥取の尻尾)の一部になってますが、もともとは砂洲で出来た島だったらしい。その名も、なんと夜見島よみのしま!今から1200年ぐらい前、つまり、奈良の終わりから平安の初めごろに、砂洲が拡大して米子地域と陸続きになったのです。弓ヶ浜という名前も、「砂浜の形が弓のようだから」と思われがちですが、その別名は「夜見ヶ浜」です。夜見の語源は、いうまでもなく「黄泉よみ」。というよりも、古代日本語の「ヨミ(黄泉)」が、もともと「夜見」「闇」から転じていると言うべきかもしれません。ちなみに、弓ヶ浜半島は、島根半島の側とは繋がっておらず、幅200~600mほどの「境水道」が鳥取と島根の県境になっています。水木しげるも漫画に描いていましたが、この境水道の南側と北側とでは地形がまったく違います。弓ヶ浜半島が低く平らな土地であるのに対して、島根半島は急峻な山地です。弓ヶ浜半島。境水道を挟んで島根半島の東端部分に向かい合っている。1.国引き神話もともと島根半島の周辺は、神話の世界ですよね。半島の西の付け根には出雲大社があり、海へ突き出した部分には、日御碕神社、佐太神社、美保神社が並んでいる。今回の番組も、まさに「国引き神話」を彷彿とさせる内容でした。…まずは、島根半島の成り立ち。今から2000万年前に、日本列島となる部分がユーラシア大陸から離れ、さらに1500万年前に、フィリピン海プレートの沈み込みによって日本列島全体が隆起。その後のさらなる圧迫により、島根の沖合で断層が隆起し、これが島根半島の原型になったらしい。たぶん最初は島だったのでしょう。…かたや、出雲国風土記に書かれてある「国引き神話」では、八束水臣津野ヤツカミズオミツヌという神さまが、朝鮮半島と、隠岐の島と、能登半島のそれぞれから、あまった土地を綱で引っ張ってきて 現在の島根半島を作ったのだとされています。http://www.route54-shinwa.gr.jp/prof/p_his.htmhttps://www.mapple.net/articles/bk/18942/実際、島根半島から見ると、西側200kmあまりに朝鮮半島があり、正面の50kmほど沖合に隠岐の島があり、東側200kmあまりに能登半島があります。半島の付け根にある三瓶山と大山に縄をくくりつけ、ものすごい怪力で、三方から土地を引き寄せたのですっ!2.漂着する砂~神々と妖怪すでに現在の島根半島は、出雲と松江の2箇所で砂洲が繋がり、本州と陸続きになっています。前述のとおり、境港の砂洲も幅200mのところまで迫っている。番組のなかでも解説されていましたが、島根半島が本州と砂洲で繋がる原理は、離岸堤が海岸と陸繋砂州(トンボロ)で繋がる原理と同じ。つまり、海流が内側に回り込んで砂が堆積するのです。事実、米子市の皆生温泉地区にある離岸堤とトンボロの形が、現在の島根半島の形にそっくりでした!西側の砂洲が出雲、中央の砂洲が松江、東側の砂洲が境港。ちなみに砂洲の根元部分にあるのが三瓶山(西側)と大山(東側)。◇しかし、この土地に流れ着いたのは砂だけではないはずです。神さまが土地ごと綱で引っ張ってきたというのは、さすがに神話的なファンタジーだと思いますが、たとえば朝鮮半島や隠岐の島や能登半島からは、海流に乗って漂流民が流れ着いたのかもしれません。また、ご承知のとおり、西側の出雲(稲佐の浜)には列島の神々が流れ着くのだし、東側の境港(水木しげるの故郷)には妖怪たちが流れ着くのですよね。島根半島の東端にある美保神社は事代主神を祀っていますが、それも漂流の神であるヱビス神の別名なのであり、ある種の妖怪というべきヒルコ神の別名でもあります。3.松江の小泉八雲現在の境港市はかつて「夜見島よみのしま」だったのですが、一般に「黄泉の国」があると考えられているのは、むしろ松江市ですね。それこそ『岸辺露伴』の六壁坂の話じゃありませんが、松江市の揖夜いふや神社にほどちかい黄泉平坂(=平境ヒラサカイ)こそが、黄泉の国との「境界」なのであり、そこを黄泉醜女という妖怪が追ってくるのです。小泉八雲も、松江市でこそ多くの怪談話を収集しました。おそらく「夜見島」が陸続きになる以前は、松江の砂州にこそ多くの神々や妖怪たちが漂着したのでしょう。ちなみに松江市の神魂かもす神社は、出雲国造家の起源だとされています。砂州の北端にあたる大橋川沿いの石屋古墳では、最古の埴輪も発見されています。砂州の南端には、かつての出雲国庁があり、勾玉造りの拠点もありました。トンボロ形成の原理から考えれば、おそらく最初に中央の松江地域の砂洲が作られ、その次に西側の出雲地域の砂洲が作られ、(宍道湖の誕生は約1万年前だとされています)最後に東側の境港の砂洲ができたのではないでしょうか。それにともなって、大社おおやしろの立地が、松江から出雲へ移転したのかもしれません。 ⇒ 「歴史探偵」出雲の回でもこれに関連する話題が出ていました。先の神話によれば、神さまが島根半島を引き寄せる際、三瓶山にくくりつけた綱が出雲の砂洲になり、大山にくくりつけた綱が境港の砂洲になったとされています。おそらく神話的な記憶のなかにも、それらの土地が新しいものだという知見は残っていたのでしょう。◇ところで、こうした砂洲はあくまで黄泉の国との《境界》でしかありません。はたして「黄泉の国」そのものはどこにあるのでしょうか?それは、神々や妖怪たちを運んでくる日本海であり、あるいは、隆起した島根半島全体を覆っている森でしょう。とりわけ島根半島の中央部分は「闇見くらみ」と呼ばれています。古代の神さまが隠岐の島から土地を引いてきたという部分です。その突端には、小泉八雲や水木しげるも訪れたという加賀の潜戸かかのくけどがあります。日本列島に「浦島太郎(山幸彦と海幸彦)」や「かぐや姫(竹取物語)」などを伝えた、いわゆる海人ワダツミ族の聖地だとされています。きっと彼らこそが黄泉の国の住人だったのでしょう。
2022.08.29
NHK「日本人のおなまえっ!」は、カムカムエヴリバディとのコラボ企画で岡山特集。赤木アナも岡山出身。甲本雅裕も、西田尚美も、岡山出身なんですね。宮崎美子は「ボス恋」のときの萌音の母親。番組の内容は、ほぼ一昨年の「ブラタモリ」の復習でした。わたし的には、やっぱり鬼滅がらみの話になります。◇古代の吉備国は、ヤマト王権の四道将軍だった吉備津彦きびつひこに侵略されたのですが、なぜか現在の岡山県民は、吉備津彦=桃太郎のことを地元のヒーローだと思ってる、って話(笑)。まあ、敗戦後の日本が、米英文化を崇拝したのと同じことですね。ちなみに岡山県は、1950年に県の花を「桃」に指定、1994年に県の鳥を「キジ」に指定、2016年には吉備線を「桃太郎線」に改称しています。◇岡山県は、「ブラタモリ」のときにも言ってたけど、倉敷市の平地部分が、もともと海だった。干拓によって陸地化したのです。いまは陸続きになってるけど、早島は、鎌倉時代までは本当の島だったし、児島も、室町時代までは本当の島だったらしい。児島地区が江戸以降に「繊維の町」になったのは、塩分の多い土地で綿花やイ草を栽培したからだそうです。綿花やイ草は、塩分に強い作物なのですね。土地の除塩効果があるそうです。干拓される前の児島は、いわば天然の防波堤&要塞になっていて、内海をはさんで、古代の沿岸には、港にあたる上東遺跡があり、さらに楯築古墳や王墓山古墳や御釜殿(吉備津神社)がならび、その背後に鬼城山(鬼ノ城)がそびえていたことになります。吉備は、まさに天然の要塞と良港をそなえた王国だったのです。記紀神話によると、イザナギとイザナミは最初に淡路島をつくって、そのあと四国、隠岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島、本州をつくり、これら8島をもって「大八洲おおやしま」と名づけたあと、9番目に「吉備の児島(吉備子洲)」をつくったとされています。これって、要するにヤマト王権が侵略した順番じゃないでしょうか?つまり、吉備の侵略に最後まで手こずったのだと思います。楯築たてつき古墳ってのは、文字どおり「ヤマトに盾突いた人たち」のお墓じゃないの?◇一方、吉備の人たちは、港湾都市ならではの気風から、外来文化への適応力が高かったともいえる。もともとも渡来人が多くて、鬼の温羅なんかは製鉄をやってたらしいし、吉備津彦に征服されて以降は、桃太郎を崇敬しながらヤマト政権に順応したのだろうし、太平洋戦争のあとは、稔さんみたいに英語の勉強をして、いちはやく国産ジーンズの製造に乗り出したのですね。◇古代吉備と古代大和の関係は面白いテーマなのだけど、とくに岡山の「楯築たてつき」と奈良の「纏向まきむく」のことは気になる。ちなみに、楯築古墳からは、特殊な「帯状曲線入組文様」のある旋帯文石が見つかっていますが、この模様は、奈良の纏向遺跡の弧文円板に共通しています。さらに、古代の港にあたる上東遺跡からは、弥生時代の桃の種が9606個も見つかっていますが、これも、奈良の纏向遺跡で出土した2765個の桃の種を想起させます。奈良の纏向遺跡ってのは、吉備津彦の姉である百襲姫ももそひめの王宮じゃないかといわれています。この百襲姫こそ卑弥呼じゃないか?とする説もあります。古代中国の神仙思想のなかで、桃は魔除けの呪力をもっていたので、鬼道を用いた卑弥呼が、弟の武力と桃の呪力で吉備の鬼を退治したのかもしれません。岡山の楯築古墳は、前方後円墳のプロトタイプだといわれていますが、奈良の纏向にある箸墓古墳は、百襲姫の墓であり、なおかつ、日本で最古の前方後円墳でもあります。◇最近は「吉備邪馬台国東遷説」ってのもあるそうです。もともと邪馬台国は吉備のほうにあって、それが大和に移った。あるいは、九州や吉備の勢力によって擁立された政権が、奈良の纒向で統治をおこなったというのですね。>>卑弥呼論争に一石 統治は纒向、擁立は九州・吉備中心
2021.11.13
NHK「ブラタモリ」は2週にわたって淡路島でした。虚実入り混じるような内容だったけど、気になった点を(鬼滅の歴史も重ねつつ!)まとめておきます。1.本当のはじまりの島?記紀神話によれば、イザナギとイザナミが、天の沼矛ぬぼこで海をかき回したら、しずくが落ちてオノコロ島が出来たらしいですよね。彼らは、そのあとに淡路島を作ったのです。淡路島の南側には、その名も「沼島ぬしま」という勾玉型の小島があって、これこそがオノコロ島ではないか、という説があるらしい。実際、淡路島と沼島のあいだには中央構造線が走っていて、淡路島の側は8000万年前、沼島の側は1億年前と、地層の年代が大きく違っています。つまり「沼島の地層のほうが淡路島より古い」ってわけです。ちなみに、沼島には激しい地殻変動の痕跡があって、「地球のしわ」とも呼ばれる鞘型褶曲さやがたしゅうきょくが見つかっています。これは世界で2例しか確認されていないそうです。この段階では、まだ島ではなかったはずですね。海だったのか陸だったのかは、ちょっと分かりませんでしたが。なお、淡路島のほうは、中央構造線の境い目にあたる山々が南からの海風を遮るため、島にもかかわらず、乾いた風が吹き降ろしています。それがタマネギの生産に向いてるそうです。タマネギは、収穫したあと、1~2ヶ月ほど乾燥させると甘みを増すのですね。これに対して、沼島のほうは、太平洋からの湿った南風が直接吹きつけます。そんな南側の浜には「上立神岩かみたてがみいわ」がそそり立っていて、これこそが天の沼矛ではないか?と思われているそうです。≫ ここが国作りの原点だった上立神岩2.巨大な沼?上記の話からすれば、「沼矛ぬぼこで搔き回したら沼島ぬしまができた」ってことになります。実際、イザナギとイザナミが掻き回したのは、海じゃなくて「沼」だったのかも。じつは、淡路島あたりを中心として、瀬戸内海東部から大阪あたりまでの一帯は、300~200万年前には巨大な湖だったのだそうです。その後、いったん全域が陸地になったのだと思いますが、50万年前ごろに、圧縮されたプレートの褶曲による陥没(向斜)が起き、まず現在の大阪湾に海水が入り込み、さらに明石海峡が通じて西の湿地帯だったところが播磨灘になり、さらに鳴門海峡も通じたことで、ついに淡路島が本州から切り離されたそうです。おそらく、それと同時期に沼島も出来たのでしょう。その意味でいうと、瀬戸内海の形成は、最初に淡路島の誕生から始まった…とも言えそうです。そして、いうまでもないことですが、交易、防衛、海産資源などの観点からいって、瀬戸内海がなければヤマト王権も存在しえませんでした。つまり、ヤマト王権の成立でさえも、さかのぼれば、すべて淡路島の誕生から始まってる…ってことです(笑)。なお、最初に海水が入った東側(大阪湾側)は水深が深く、もともと湿地帯だった西側(播磨灘側)は水深が浅いので、淡路島の東と西では生息する魚の種類が異なり、さらに南北の狭い海峡も美味しい魚を育てるので、島の周囲は豊かな海産資源の宝庫になっています。≫ 大断層「中央構造線」の活動が豊かな瀬戸内海を造った3.イザナギの御陵と陽のみちしるべ?案内人が「ここからはスピリチュアルな世界です!」と前置きした後に、ブラタモリ一行が向かったのは伊弉諾いざなぎ神宮でした。案内人がわざわざ「スピリチュアルな世界」と前置きしたのは、きっと「学術的にうさん臭い…」との意味を込めてのことでしょう(笑)。その神宮の場所には、かつてイザナギが余生を過ごしたという「幽宮かくりのみや」があり、イザナギの死後には御陵が営まれ、やがて神社になったそうです。神社から神宮に昇格したのは昭和29年です。神宮本殿の下には、イザナギの陵墓に関係するらしき大きな石がごろごろしてましたが、なんだか建物の隙間に無造作に積まれてる感じ(笑)。くわえて、ここの宮司さんは、神々をつなぐ「陽のみちしるべ」なる説も唱えています。それによると、この伊弉諾神宮を中心にして、日出・日没の方角に日本の主要な聖地が立地している…とのこと。とくに注目すべきなのは、以下の4つです。冬至日没の方角:高千穂/天野岩戸神社夏至日没の方角:出雲大社冬至日出の方角:熊野那智大社夏至日出の方角:諏訪大社≫ 淡路島の伊弉諾神宮「陽のみちしるべ」のナゾ古代人にとっては、南北線と垂直に交わる東西線よりも、冬至や夏至のときの太陽の方角こそが重要だったろうから、そう考えると、この、いわゆる"レイライン"の話は魅力的なのですが、それと同時に、いろいろな疑問も生まれてきます。もし、この話が本当だとすれば、まず最初に淡路島のイザナギ御陵が存在して、そのあとに高千穂や出雲や熊野や諏訪の立地を決めた、…ってことになります。そして、いちばん最後に、真東の方角にヤマト王朝(飛鳥藤原京)と伊勢神宮を作ったというわけなのです。…ほんとかなあ?(笑)なお、この説を積極的に報道しているのは産経新聞ですが、どちらかといえば右寄りの人々に支持される話なのでしょう。4.ヒルコとえびす様ここから先は鬼滅がらみの話。イザナギとイザナミは、アマテラス・スサノオ・ツクヨミの三貴神のほかに、カグツチやヒルコといった数多くの神々を生んだのですが、なかでもヒルコは不具の子だったので、葦船に入れられて海に流されました。その後、ヒルコがどうなったのかは分かりません。以前、こちらの記事に書きましたが、わたしはヒルコが鬼の先祖ではないかと思っています。(あくまで鬼滅の物語内の話です…)上述の伊弉諾神宮の境内には、ヒルコを祭る岩楠いわくす神社もあります。しかし、兵庫県の西宮神社などでは、「漂着したヒルコ(蛭子)はエビス(恵比寿)になった」と信じられています。こういう説は室町時代に広まったそうですが、やはり淡路島にも、西宮から「戎えびす舞」という人形芝居が伝わっていて、いまや五体満足な恵比須さまが大漁祈願や航海安全のために踊っています。≫ 淡路人形浄瑠璃をもっと知ろう5.瀬戸内海の製鉄民と鬼師さて、瀬戸内海を見わたせる淡路島西岸の「五斗長垣内ごっさかいと遺跡」では、弥生時代の製鉄炉が確認されています。ちなみに、桃太郎のモデルとされる吉備津彦や稚武彦は、岡山や香川などの瀬戸内海一帯で鬼退治をおこないましたが、そうした鬼たちも、渡来系の製鉄民だった可能性があります。(代表的なのは岡山の温羅です)淡路島において、すでに弥生時代から鉄が作られていたのは驚きですが、もともと弥生人は大陸から来たのですから、大陸との往来があること自体に不思議はないし、あるいは、後続の渡来人が、どこかの段階で製鉄技術をもたらしたのでしょう。はたして彼らが、鬼として中央から恐れられていたかどうか、つまり、ヤマト政権の敵だったか味方だったかは分かりませんが、いずれにせよ、淡路島の人たちが、政権にとって無視できない勢力だったのは間違いありません。≫ 弥生時代の二遺跡、製鉄炉の違いは?◇それとはまた違う話ですが、淡路島には、鬼瓦を作る「鬼師」と呼ばれる人たちもいます。日本では、奈良時代以前から、「鬼面」(蓮華文や獣面文)と呼ばれる鬼瓦が作られていました。淡路島で瓦造りがはじまったのは400年ほど前らしいので、そんなに古いわけではないのですが、古代の鬼瓦と瀬戸内海の鬼との関連も気になるところです。なお、上述した300万年前の太古の湖底に堆積した粘土は、淡路島で美しい瓦をつくるのに適しているそうです。
2021.10.05
先日の世界ふしぎ発見!テーマは「鬼退治で紐解く日本」でした。出雲、吉備、大和、大宰府などを巡って、製鉄や山伏の歴史を探っていました。はじめて知ることもあったので、わたしなりに整理しておきたいと思います。◇まずは予備知識。もともと製鉄の技術は、ヒッタイト、スキタイ、匈奴など、騎馬民族によって西域から東方へ伝えられ、渡来人によって日本に上陸しました。渡来人たちは、大陸の玄関口である出雲や大宰府はもちろん、瀬戸内海をとおって、吉備や大和などにもやってきて定着しました。実際、吉備や出雲には古代製鉄の痕跡があります。☆出雲 /島根古代の出雲国は、ヤマト王権に対抗する最大勢力だったので、ここにこそ鬼がいたのかもしれません。室町時代にはじまった石見いわみ神楽にも、鬼が登場します。ちなみに中国地方一帯は、砂鉄と木炭の産地だったので、古代から製鉄が盛んに行われていました。「出雲風土記」には、 阿用郷あよのさとの鬼という、"一つ目"の人食い鬼についての記述がありますが、この鬼は、じつは鍛冶・製鉄の神だとする説があって、天目一箇神あめのまひとつや金屋子神かなやごとも同一視されます。なぜなら"一つ目"というのは、高炉の灼熱の炎を片目で見つめて失明した姿を意味するからです。ちなみに、片目を開いてふいごを吹く「火男ひおとこ」が、神楽における「ひょっとこ」の起源だと言われています。ひょっとこの鋼鐵塚さん江戸以降になると、出雲のたたら製鉄は松前藩の主要産業となり、日本刀の原料である玉鋼たまはがねの一大産地になりました。☆吉備 /岡山古代の吉備国も、ヤマト王権を脅かす対抗勢力でした。ここには桃太郎伝説があります。鬼ノ城きのじょうを拠点とした温羅うらも、やはり渡来系の産鉄民だろうといわれていますが、大和の四道将軍のひとり吉備津彦きびつひこに討伐され、その首を吉備津神社の土竈に埋められました。そこでは、現在も、鬼首の泣き声で吉凶を占う鳴釜なるかま神事が行われます。☆大和 /奈良飛鳥時代に、役小角えんのおづのが修験道を開きました。彼は、役行者えんのぎょうじゃとも呼ばれる呪術者で、法力をもって鬼神を従えていました。これに端を発する修験者=山伏こそが、鬼の起源かもしれません。山伏たちは、超人的な身体能力をもち、日に焼けた異形の赤ら顔をし、目は爛々と輝いて野性味にあふれていましたから、天狗や鬼のモデルになった可能性があります。片目のつぶれた産鉄民であれば、なおさら恐ろしい迫力だったでしょう。彼らは、薬草・金属・木炭など、さまざまな山岳資源の知識と技術に優れ、異能集団としてのパワーを持っていたため、とりわけ朝廷の人々は、吉野など紀伊山地一帯の山伏を「鬼」として警戒しました。天狗の鱗滝さん実際、役小角は、前鬼・後鬼ぜんきごきという鬼の夫婦を弟子にしていました。その子孫は現在も奈良県内に住んでいます。役小角は、弟子たちに薬草や茶の知識を教えたとされ、山伏たちは、その後、陀羅尼助だらにすけなどの薬を、笈おいに背負って売り歩きました。後鬼の末裔が開いたという天川村の洞川どろがわ温泉には、いまでも陀羅尼助を売る店がたくさん並んでいます。薬草使いの珠世さん笈を背負う市松模様の羽黒修験/出羽三山◇平安時代になると、大江山の酒呑童子しゅてんどうじのような鬼が京の都に出没しました。大江山の鬼退治物語は、前述の石見いわみ神楽の演目にもなっていますが、それによると、じつは酒呑童子は早熟の天才美少年だったようです。そのことで、かえって世間に忌避されたのかもしれません。源頼光らいこうや渡辺綱つならの奇襲を受けた酒呑童子は、朝廷側の卑劣さに「鬼人に横道なし!」と叫んで死にました。現在、大江山には、「日本の鬼の交流博物館」が建てられ、世界中から集められた鬼の資料が展示されています。また、北野天満宮には、渡辺綱が鬼を切った刀(鬼切丸)も保存されています。なお、この時代には、風鈴が《結界》をつくると信じられており、寺院や公家などでは魔除けとして風鈴を吊るしていました。風鈴&ひょっとこの鋼鐵塚さん☆大宰府 /福岡古代より、大陸の玄関口にあたる北九州には、軍備・外交を担う大宰府政庁が置かれました。その鬼門(北東)にあたる宝満山に建てられたのが、宝満宮 竈門かまど神社です。役小角は、宝満山も歩いたとされており、ここにも修験道が伝わっています。宝満山の山伏たちは、繁栄を象徴する「市松模様」の装束を着ています。宝満修験の市松模様/竈門神社◇◇◇今回の番組では、もっぱら西日本を取材していましたが、東日本にも鬼がたくさんいます。松本清張の「砂の器」のことを考えると、秋田のなまはげのルーツは、出雲の鬼神楽に通じている気がします。なまはげ新潟の佐渡金山には鬼太鼓おんでこもありますね。丹後国から山形へ逃げ落ちて、出羽三山を開いたという蜂子はちこ皇子も、修験の装束を身にまとって鬼の形相をしています。蜂子皇子岩手には、坂上田村麻呂と戦って敗れた、アテルイや悪路王あくろおうなどの豪族がいましたし、のちには奥州藤原氏とともに、源義経と武蔵坊弁慶がこの地で倒されました。北上市には「鬼の館」という博物館もあります。アテルイ青森ねぶたの根底にも、坂上田村麻呂による蝦夷討伐の記憶があります。東京には、平将門の首塚もあります…。
2021.05.17
27日のETV特集「誕生ヤマト王権」。日本最初の中央集権国家は、平和的な連合政権によって実現した。その都だったのが奈良県の纏向まきむく遺跡。そのときの大王は箸墓はしはか古墳に眠っている。…といった内容でした。◇◇◇箸墓古墳は最古の前方後円墳です。「日本書紀」によれば、それはモモソ姫の墓だとされています。正式名称は倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)です。彼女は王女(大王の娘)だとされていますが、その墓の規模から察するに、じつは初代の大王なのかもしれないし、それを上回るほどの存在だったのかもしれません。都のあった纏向遺跡からは、巨大な王宮らしき跡も見つかったのですが、その近くからは数千個もの「桃」が出土しました。当時の桃は、大陸から輸入される貴重品で、食べ物というよりも仙人になるための薬だったので、おもに祭祀に使われたと考えられています。◇モモソ姫は、吉備つ彦のお姉さんです。正式名称は彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)または吉備津彦命(きびつひこのみこと)。吉備つ彦は、当時の将軍のひとりで、桃太郎のモデルになった人です。つまり、モモソ姫の弟がモモ太郎なのです。いわば桃の姉弟です。当時、4人の将軍の率いる軍隊が、北陸と東海と丹波と山陽へ派遣されたのですが、いわゆる「四道将軍」のことです。このうち吉備つ彦は山陽地方へと遠征したのです。◇当時の纏向の都には運河がはりめぐらされ、それらが巻向川、五味原川、烏田川などを結び、さらに大和川から大阪湾へと注いでいました。おそらく吉備つ彦は、どんぶらこどんぶらこと川を下って、港町の堺あたりでサルやイヌやキジをしたがえて、大阪湾を出港したのだろうと思います。サルやイヌやキジは瀬戸内海周辺に住む人々だともいわれています。そして、吉備国などの山陽地方を攻略したのです。もうひとりの弟の稚武彦(わかたけひこ)は讃岐国などの四国地方を攻略したようです。◇姉のモモソ姫は、大物主オオモノヌシと結婚しました。大物主というのは、出雲の大国主オオクニヌシの別名(あるいは分身)です。大和の王女が出雲の王族と政略結婚したのでしょうか?ちなみに出雲の王族は、ヤマタノオロチを退治した人たちですが、大物主も、まるで蛇みたいな男性だったらしいです。モモソ姫は、そんな夫との性交(あるいは出産)が原因で死んだっぽい。彼女が「大和=出雲」連合のために身を捧げたとすれば、箸墓古墳の巨大さは、その死を最大限に悼んだ証なのでしょうか?そして「前方後円」という墳墓の造りは、その二大国家の連合を象徴する形式だったのでしょうか?◇纏向遺跡や箸墓古墳は3世紀に作られているので、ちょうど邪馬台国の卑弥呼の時代に一致します。そのため、箸墓古墳は卑弥呼の墓とも考えられます。…ってことは、モモソ姫こそが卑弥呼なのでしょうか?卑弥呼が、桃太郎のお姉さんかもしれません。姉:モモソ姫 ≒ 卑弥呼弟:吉備つ彦 ≒ 桃太郎 …という図式です。この時代には、熊襲や三韓を征伐した神功じんぐう皇后という女傑もいます。「日本書紀」には、神功皇后を卑弥呼と同一視するような記述もあります。中国側の資料によると、卑弥呼は女王だったとされているのですが、モモソ姫も、神功皇后も、女王の地位にはありません。しかし、彼女たちは、女王でないにもかかわらず、なぜか強大な権力をもっていたように見えるのです。◇今回のNHKの番組によると、ヤマト王権は、東北から九州までを広範囲に治めた、とても平和的な連合王国だったということです。実際、戦乱の痕跡はあまり見つかっていないそうです。しかし、いくら平和的とはいっても、けっして対等な関係だったわけではなく、それは非対称な「支配-被支配」の関係だったはずです。現実的に考えれば、あまりにもヤマト王権の軍事力が圧倒的だったので、それに抵抗できる勢力がなかったのでしょう。いずれにしても、圧倒的な軍事力や経済力や技術力を背景にしなければ、平和的な連合を作り出すことなど不可能だと思います。その意味でいえば、やはり桃太郎っぽい人は実在したのではないでしょうか?そして、思うように従わない場合に、彼らに退治されちゃった人たちもいただろうと思います。
2021.03.29
かつて漫画の世界には、男性作家が、少年を主人公にした少年漫画を描き、女性作家が、少女を主人公にした少女漫画を描く、という自然な住み分けがありました。もちろん例外はあって、手塚治虫や赤塚不二夫は、「リボンの騎士」や「ひみつのアッコちゃん」を描いたし、永井豪や和田慎二は、「キューティーハニー」や「スケバン刑事」を描きました。けれど、こうした男女の住み分けが本格的に壊れたのは、やはり宮崎駿が「ハイジ」を手掛けて以降だと思います。その後の宮崎駿は、一貫して少女を主人公にした作品だけを発表しつづけ、女性作家以上に、魅力的な少女像を作りあげたからです。吾峠呼世晴の「鬼滅の刃」では、ちょうどそれとは逆のことが起こっています。ついに女性作家が、男性作家以上に、魅力的な少年像を作りあげる時代がはじまったのかもしれません。「12鬼月」と「9柱」と「鬼舞辻」の由来。禰豆子(ねずこ)の名前と、背負い木箱や彼岸花の由来。LiSAが育った山奥の一軒家。岐阜県関市は刀剣の産地!「鬼滅の刃」ヒットの理由は?分析と考察「鬼滅の刃」ヒットの理由は?分析と考察…その2「鬼滅の刃」と桃太郎伝承のちがい。
2021.01.08
☆「12鬼月」の由来鬼滅の刃には「十二鬼月」と呼ばれる上位の鬼が登場します。この「鬼月きづき」とは何でしょうか。台湾では、旧暦の7月を「鬼の月」と言うそうです。この場合の「鬼」とは先祖のことですから、台湾の「鬼の月」は、日本でいうところのお盆です。一方、鬼滅に登場する12の「鬼月」というのは、6の「上弦」と6の「下弦」に分かれていて、これは、おそらく月の満ち欠けに関係しています。その場合、6+6=12という数は何を意味するのでしょうか?古代日本の冠位が「12階」だったことに関係するでしょうか?それとも、たんに1年が「12ヵ月」であることに関係するのでしょうか?ちなみに、上弦の月は1年間に12回、下弦の月も1年間に12回、それぞれ夜空に昇るのですから、そこから考えれば、上弦と下弦の合計は24でなければならないはずです。これに対して、上弦6+下弦6=12という鬼月の数には、もっと別の由来と意味合いがあるはずです。月は、太陽とは対極的な意味をもつ天体であり、もともと太陽をはげしく嫌う鬼は、ちょうどドラキュラや狼男と同じように、月にこそ親しい存在なのだと考えられます。しかし、たとえ同じ月であっても、その満ち欠けに比例して太陽の影響を受けています。つまり、望の月(満月)は、太陽光を全面に浴びていますが、朔の月(新月)は、太陽光を完全に遮断しています。そして、上弦の月や下弦の月(半月)は、いわば、半分だけ太陽光を遮断しえている状態です。おそらく、このような太陽との関係が、「鬼月」と呼ばれる鬼の階級にも反映しているのです。◇月の周期は、およそ4週間です。最初の7日間で、朔(新月)から上弦(半月)になり、つぎの7日間で、上弦(半月)から望(満月)になり、つぎの7日間で、望(満月)から下弦(半月)になり、最後の7日間で、下弦(半月)から朔(新月)になります。そして、月初の7日間のうち、1日目は月がまったく隠れている新月ですので、この新月を除いて、上弦より細い月が出ているのは6日間ということになります。同じように、月末の7日間のうち、7日目は月がまったく隠れている新月ですので、この新月を除いて、下弦より細い月が出ているのは6日間ということになります。このように月初と月末の合計12日間に現れる、半月よりも細い6段階の月、すなわち、太陽の光を半分以上遮って闇の割合が上回った月のことを、おそらくは「鬼月」と呼んでいるのです。下位の鬼たちが、いまだに太陽を浴びて膨らんでいる月だとすれば、上位の鬼=鬼月というのは、太陽を拒絶して細くなった鋭い形の月なのであり、上弦と下弦それぞれ6段階の細さの月が、あわせて12の鬼月の階級に対応しているはずなのです。…では、太陽光を完全に遮った「朔=新月」に対応するのは何か?いうまでもなく、それこそが鬼舞辻無惨きぶつじむざんです。◇気象予報士の森田正光は、映画『無限列車編』における魘夢えんむとの戦いのとき、夜空には、下弦から細くなっていく「月齢23」の月が出ていた、と述べたうえで、それを、「1916(大正5)年11月18~19日の夜」と推測しています。これは旧暦でいえば、10月23~24日の夜です。ちなみに月の周期は、厳密にいえば 7×4=28日よりも長く、平均でおよそ29.53日ですから、旧暦において下弦の月が現れるのは、毎月21日ではなく、それより少し後の23日ごろになります。かつては各月の23日に、下弦の月を拝むための「二十三夜講」もおこなわれました。このことから、十二鬼月・下弦の壱である魘夢との戦いは、旧暦でいうところの10月23~24日の夜、下弦よりも細い月のもとで行われた、ということになります。陰暦では、毎月1日(月立ち=ついたち)が新月なので、2日から7日までの6日間に上弦より細い「鬼月」が現れ、15日から16日ごろに満月となり、24日から29日までの6日間に下弦より細い「鬼月」が現れることになります。◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ☆「9柱」の由来鬼の上位にいるのは「12」の鬼月ですが、鬼殺隊の上位にいるのは「9」の柱です。この9という数字は何を意味するのでしょうか?一般に、柱といえば、建物を支える木材であると同時に、神々を数えるときの数詞です。したがって、おそらく鬼殺隊の9柱は、仏教ではなく、日本古来の神道に関連しているはずです。ただし、一口に神道とはいっても、日本の神々はけっして一枚岩ではありません。このうち「9の柱」と言ったときに思い出されるのは、とりわけ出雲の周辺にいた神々です。◇伊勢神宮に代表される神明造は「横長」の建物であり、住吉大社に代表される住吉造は「縦長」の建物なのですが、出雲大社に代表される大社造だけは「正方形」の建物であり、それは3:3:3の「田」の字型に並べられた9本の柱で支えられます。もともと出雲周辺には、これと同じ構造の建築物の遺跡が多く、いわゆる「金輪御造営差図かなわのごぞうえいさしず」に描かれた古代出雲の巨大神殿も、やはり9本の柱で支えられていたと考えられています。かりに9本の柱が出雲の神々であるとするならば、それは大和王権の成立以前から日本列島に存在していたわけです。そして、出雲から大和への「国譲り」の歴史を踏まえれば、それは、鬼を退治した神々というよりも、むしろ大和王権によって退治された神々だったといえます。◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ☆「鬼舞辻」の由来「鬼舞辻きぶつじ」という姓を文字どおりに解釈すれば、それは鬼たちが舞う東西と南北の通りの交わる場所を意味します。その場所がどこなのか明らかではありませんが、とりあえず思い当たるのは、京都の「二条大宮の辻」です。これは、その名のとおり二条大路と大宮大路がまじわる交差点で、ちょうど平安京大内裏の東南角に位置していて、通称「あわわの辻」とも呼ばれています。藤原常行や安倍晴明は、ここで百鬼夜行に遭遇したといわれているのです。
2020.12.09
アニメ版『鬼滅の刃』には、禰豆子役の「鬼頭明里」とか、美術担当の「鬼頭裕子」とか、なにやら不穏な名前のスタッフが参加しており、さらに作画監督には、「鬼澤佳代」が「遠藤花織」と対峙しています。◇そういえば、主題歌を歌ってるLiSAには八重歯がありますが、わたしには、あれが「禰豆子の牙きば」に見えてきます。歌っていないときに、竹を噛んだまま眠ってても不思議じゃない気がする。そんなLiSAが鬼滅の主題歌「紅蓮華ぐれんげ」を作詞したのは、まだアニメの放送前、原作も連載途中だったのですが、見事なくらい物語の世界観にぴったりハマっています。アニメの主題歌は、通常なら原作者が作詞することが多く、歌手自身が作詞をするのは稀だと思いますが、なぜLiSAは「紅蓮華」を作詞できたのでしょうか?◇LiSAの地元は、岐阜県の関市ですがここは、もともと「刃物の町」として有名なところです。や、刃?きっと、鋼鐵塚はがねづかさんみたいな鍛冶職人が大勢いる町なのですよね。山から売りにきた炭を買い、鍛冶屋が里で炉を燃やす。きっと、そんな町なのだろうと思います。そして、LiSAの実家は山奥にあるらしいのですが、彼女のブログを見たら、それはなんと築130年(!)のポツンと一軒家で、里のコンビニまで歩いて30分もかかるところ。お祖母ちゃんの野菜畑は、ときどき何者かに荒らされるそうです…。もしかして、実家は炭焼き?つか、竈門家かまどけ?鬼が出る?LiSAの口に牙が生えたのは、岐阜の山奥で鬼の血を浴びたからでしょうか?◇実際は、鬼じゃなくて、猿が出て、畑を荒らすのだそうです。ちなみに、LiSAの本名は「織部里沙おりべりさ」なので、竈門家じゃなくて、織部家です。そうそう。岐阜で「織部」といったら、古田織部ふるたおりべが創始した織部焼ですよね!織部焼の発祥地は、岐阜とはいっても、関市じゃなくて土岐市なのですが、そこには窯元がたくさんあるはずなので、やはり周辺の山々には炭焼の職人がいたはずです!まあ、織部家の稼業は、たぶん炭焼きではないのでしょうけれど、もともと古田織部の名が、古来の織染部署である「織部司おりべのつかさ」に由来しますので、そこから考えると、なにか別の由緒がありそうな苗字にも思えてきます。◇岐阜県の関市は、現在はハサミや包丁などの刃物の名産地ですが、かつては「美濃伝みのでん」という刀鍛冶の流派がありました。初代の村正むらまさも、ここで学んだといわれています。彼は、そこから伊勢に移って「千子派せんごは」を生み出し、その弟子たちは数代にわたって「村正」の名刀を作りました。村正の刀は、凄まじい斬れ味だったらしく、とくに徳川などの三河武士に愛用されたそうです。岐阜には関ヶ原もありますが、きっとそこでも使われたでしょう。奈良県の天石立あまのいわたて神社には、柳生宗厳やぎゅうむねよしが天狗との修行中に一刀両断にしたという、その名も「一刀石」と呼ばれる巨岩があって、いまや鬼滅ファンの聖地になっているのですが、この柳生一族も、徳川方として関ヶ原に加わっていましたし、やはり村正の刀を使っていたのかもしれません。栃木県足利市には「弁慶の割石」ってのもありますが、こちらは武蔵坊弁慶が岩の上に仁王立ちになり、錫杖しゃくじょうで突き割ったものだそうです。そして、岐阜県の鬼岩公園や、長野県の坂田山でも、まっぷたつに割れた巨岩が見つかったらしく、それぞれ「蓮華岩」「龍の割岩」と呼ばれていたそうです。これこそ日輪刀で炭治郎が切った岩なのでは? ※岩に浸み入った雨水が凍って膨張したとかじゃなくて。鋼鐵塚さんの作による日輪刀は Amazon でも売っています。これさえあれば、岩でも切れるにちがいありません。お値段は6000円くらいです。
2020.11.24
11月3日にアップした、禰豆子の名前と、背負い木箱の由来 の記事に、「彼岸花」についての考察も加筆しておきました。興味のある方はご再読ください♪:::::::::::::::::::::::
2020.11.19
『鬼滅の刃』の世界観は、日本の記紀神話に関係しており、山民・山伏などアジールの歴史にも関係するのですが、それはとりわけ、禰豆子のキャラ設定のなかに集約されていると思います。◇『鬼滅の刃』の世界において、謎を解く鍵になる最重要キャラは、すくなくとも3人。まずは、鬼の元祖である鬼舞辻無惨。さらに、鬼殺隊当主である産屋敷耀哉。そして、炭治郎の妹である禰豆子です。なぜ禰豆子は、鬼になっても人を喰わないのか?このことが、鬼舞辻や産屋敷の出自とともに、鬼の謎を解くための大きな鍵になっています。◇禰豆子の名前の由来は何でしょうか?眠ってばかりいるのに「寝ず子」?禰(=父祖の霊力)豆(=鬼を払う霊力)子という意味合いを考えれば、おそらく竈門家の父方が、鬼にも屈しない特別な家系であり、なかでも禰豆子は、その血をもっとも強力に受け継いだ子なのでしょう。この漫画の当初のタイトル候補として、「鬼狩りのカグツチ」「炭のカグツチ」などがあったらしいので、竈門家の父方は、おそらく日本神話のカグツチに連なるはずなのです。歴史学者の岡田英弘は、倭国の最初の王の名が「禰」(でい)だったと唱えていますが、いずれにしても特別な家系であることをうかがわせます。◇日本神話でイザナギとイザナミが産んだ三貴神のうち、アマテラスは皇祖神であり、鬼を死滅させる太陽の女神でもあります。スサノオは草薙剣を振るった武力神であり、桃太郎の鬼退治伝承に重なる部分があります。ツクヨミは月と仁慈の神であり、竹取物語のかぐや姫に重なる部分があります。(ちなみにツクヨミが男神か女神かは不明です)これに対して、カグツチは、火の神として産まれ、そのせいで母のイザナミは焼け死んでしまいました。ヒルコという神も、異形の子として生まれ、海に捨てられてしまいました。◇わたしの仮説ですが、カグツチに連なるのが禰豆子の父方の竈門家であり、ツクヨミに連なるのが禰豆子の母方ではないかと思っています。というのも、禰豆子には、カグツチとツクヨミの両方の要素を感じるのです。竈門家は、アマテラスやスサノオのように、勧善懲悪的に鬼を退治してきた天皇家や桃太郎とは違います。むしろヒルコやカグツチのように、鬼にさえも共感するような不遇な面をもっているのです。(ヒルコに連なるのが「鬼」なのかもしれません。)また、禰豆子の長い髪や、くわえている竹や、大きくなったり小さくなったりする体、さらに一般の人間にはない特殊な能力には、月の住人であるかぐや姫との類似性が感じられるし、人への慈しみはツクヨミに通じるものに思えるのですよね。◇一般には、アマテラスこそが「太陽神」(日の神)であるとされ、だからこそ、それに連なる天皇家は鬼を退治してきました。しかし、『鬼滅の刃』の世界では、カグツチこそが「火の神」であり「日の神」であるとされます。そして、それに連なる竈門家の人々は、たんに鬼を退治するのではなく、鬼を人に戻すことができると信じるのです。◇◇禰豆子は体を小さくして木箱に収まっています。この木箱には、3つの由来が考えられます。1.背負子(しょいこ)本来は、炭焼きの薪を背負うための道具で、木を梯子状に組んで作ったものです。二宮金次郎の銅像も背負子に薪を積んでいます。2.笈(おい)本来は、修験者が法具などを運ぶためのもので、背負子に箱をのせたものを「板笈いたおい/縁笈ふちおい」と呼び、箱そのものに肩帯を付けたものを「箱笈はこおい」と呼びます。炭治郎や武蔵坊弁慶が背負っているのは箱笈のタイプです。3.まわり地蔵江戸時代、日本の各地には、村の家々に地蔵を巡回させる風習があり、現在でも、笈に地蔵を入れて運ぶ地域が残っています。疫病退散や子宝祈願などの御利益があったようです。もともとは旅の修行僧が村にもちこんだものとも言われています。木箱に小さく収まった禰豆子は、修験者や炭焼にとっての守り神のような存在なのかもしれません。◇◇最後に、彼岸花という植物についてまとめておきます。TVアニメのエンディング「from the edge」のときにも出てきますが、仏教における曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも同一視される謎の植物です。英語でいうと「red spider lily」(赤い蜘蛛百合)ですね。柿本人麻呂が、万葉集で、「路邊 壹師花 灼然(道の辺の 壱師の花の いちしろく)…」と詠んだのも、赤い彼岸花だったとされるのですが、これについては賛否が分かれています。彼岸花=曼珠沙華は、球根に毒をもち、日本では墓地に生えていることが多く、「死人花」「地獄花」「幽霊花」などとも呼ばれており、その「罪」のイメージが山口百恵の曲になったり、その「諦め」のイメージが小津安二郎の映画になったりしています。赤い炎のような花の姿は「火」のイメージにも結びつけられます。かつて日本の墓地に多くの彼岸花が植えられたのは、秋のお彼岸のころに花を咲かすからだけでなく、その球根の毒によって、土葬された遺体を食害から守るためでもあったようです。◇彼岸花=曼珠沙華には、しばしば不気味で不吉なイメージがつきまとうのですが、じつは、そこに花の「色」の問題が絡んでいます。仏教における曼珠沙華は、説法をする釈迦の頭上に天から降った聖なる花であり、「मञ्जूषक/mañjūṣaka=赤い」という梵語に由来するのですが、本来は、一目見ただけで悪業から救われるような白い花だった、ともいわれているのです。一方、山口百恵の「曼珠沙華まんじゅしゃか」の歌詞では、曼珠沙華 恋する女は 罪作り白い花さえ 真紅に染める白い夢さえ 真紅に染めるというように歌われています。ここでは、曼珠沙華の赤い色が罪業の象徴になっていますが、もともとの仏教では、むしろ紅蓮ぐれんの花こそが地獄に落ちた者の血のような色だ、とされていたのです。◇『鬼滅の刃』の世界においては、青い彼岸花が存在するとされています。日本原産の青い花といえば、代表的なものは藤です。藤は、マメ(豆)科であるのみならず、強い日光を好む植物でもあるので、『鬼滅』において、鬼はとりわけ藤の花を嫌うとされています。ちなみに飛鳥時代、中臣鎌足は、藤の花のもとで中大兄皇子と謀議をしたことから、蘇我入鹿を討ったのちに「藤原」の姓を賜ることになりました。その次男の不比等が藤原姓を受け継いで、大宝律令選定や平城京遷都や日本書紀編纂などの事業に影響力をふるうと、藤原氏はさらに天皇との結びつきを強めて権勢を誇り、やがて佐藤、斎藤、伊藤、後藤、加藤、遠藤…などの姓を派生させていきます。すなわち、日本史的に見ても、藤という植物は最強だったのです。かりに、 白 から赤にではなく、強い日光を浴びた藤と同じように、 白 から青に変異した彼岸花/曼珠沙華があったなら、それは、鬼の性質をも変異させるのかもしれません。
2020.11.03
前回も書いたとおり、「鬼滅」の物語世界には国家の問題が絡んでいるのですが、とりあえずマーケティングの観点から、現在の「鬼滅」のヒットの理由を説明すると、まずは「あらゆる層にウケている」という話になるはずです。それはもちろん、ふだんはアニメや漫画から縁遠い層を含むわけですが、男女にウケているし、老若にウケているし、ヤンキー層にもインテリ層にもウケている。この広範囲な支持が現在のメガヒットの前提条件です。◇1.男性にも女性にもウケている基本的には少年漫画にちがいないのですが、女性にも受ける要素をしっかりと押さえています。それは「キャラ萌え」と「世界観萌え」に集約されます。1980年代の女性たちが、ガンダムの世界観やシャア・アズナブルに熱狂したのと同じ。もっと近いところでは、三谷幸喜の「新選組」のときに、女性たちが山本耕史や堺雅人に心酔したのと同じですね。とくに「鬼滅」における9人の柱のキャラ立ては、こうした女性のファン心理を意識して作られていると思います。さらに「鬼滅」の世界観は、従来からの「刀剣萌え」や、千と千尋風の「大正萌え」などにも共鳴して波及しています。過去の例から見ても、女性ウケは、アニメヒットのための基本要件です。女性ウケによって、カテゴリーの枠を乗り越えるような、別の角度からの視点が付与されるのですよね。2.子供にも大人にもウケている前回も書いたように、「日本」「チャンバラ」「時代劇」といった要素は、子供よりも、むしろ大人にこそ好まれるものです。また、後述するように、歴史好きな大人にもアピールする要素を備えています。ここから考えると、「子供向けのコンテンツ」が大人にも受け入れられた、と解釈するよりも、「大人向けのコンテンツ」を子供向けのフォーマットに当てはめた、と解釈するほうが正しいのかもしれません。3.ヤンキー層にもインテリ層にもウケている残虐な戦闘シーン、友達への仁義や、先輩への忠義など、ヤンキーの感性にうったえる要素は多く含まれています。「鬼滅の刃」は「きめつのやいば」と読むわけですが、こういった難読漢字の多用も、「夜露死苦」と書いて「よろしく」と読ませるような、ヤンキーの美意識に親和する面があります。おそらく世間のヤンパパやヤンママたちも、自分の子供に「善逸」「禰豆子」などのキラキラネームを、つけはじめるのだろうと予想します。主題歌を担当しているLiSAにも「元ヤン」の要素があります。アニメの主題歌は、原作者が歌詞を書くことが多いですが、「紅蓮華」(ぐれんげ)はLiSA自身が歌詞を書いています。現在の「鬼滅」のヒットににおいて、LiSAのキャラとパフォーマンスがすくなからず反映している、ということを見逃すべきではありません。ただし、これらは「ヤンキー文化そのもの」というよりも、むしろ一周回った「ヤンキー文化のパロディ」というべきもので、その意味では「今日から俺は!」のヒットに近いものかもしれません。◇一方、「鬼滅」は知的なインテリ層をも確実に刺激しています。これはやはり荒俣宏の「帝都物語」との類比で見るべきです。「帝都」では、平安時代の要素を大正時代に置き換えて、平将門の怨念を蘇らせて「敗者の歴史」を浮かび上がらせ、密教、風水、陰陽術など日本文化の裏面に光を当てました。「鬼滅」の場合も、平安時代に起点を置いていますが、本来の「鬼」の歴史は、むしろ古墳時代に遡ります。それは大和王権の成立や、縄文と弥生の相克に関係しています。そして、ここでもやはり、日本史の「敗者の歴史」が浮かび上がってくるのです。4.手塚治虫ファンにも梶原一騎ファンにもウケている上記の2や3ともリンクしますが、もともと日本の漫画には、前回も書いたように、手塚治虫に代表される「モダン漫画」のファンタジー路線と、梶原一騎に代表される「ドメスティック漫画」の劇画路線があります。前者を子供向け、後者を大人向けと見ることができるし、前者をインテリ向け、後者をヤンキー向けと見なすことができるかもしれません。可愛いキャラの登場するコミカルなファンタジーの側面と、シリアスで残虐な日本時代劇の側面を、両方とも備えている。ちばてつやの「あしたのジョー」がそうだったように、「鬼滅」には日本漫画の二大潮流を合体させる力技があります。とりわけ女性ファンの視点によって、カテゴリーの境界を乗り越える力技が現実化しているのだと感じます。おそらく「鬼滅の刃」の異例のヒットを説明するうえで、いちばん重要なのは、この部分だろうとわたしは考えています。
2020.10.26
映画版の『鬼滅の刃』が異例のヒットで、日本中が異様な興奮状態になってて、たぶん、この土日も、さらに動員は伸びるのだろうと思います。わたしもテレビ版と地上波の映画2本を消化して、にわかブームの真っただなか。映画も見てないのに、昨夜のNHK「SONGS」では、LiSA&梶浦由記による「炎」のピアノver.に滂沱してしまいました。◇その一方、すっかりハマっている自分が言うのもなんだけど、なぜこのアニメがこんなに大ヒットしているのか?と考えると、とても不思議です。見た目のショッキングな残虐性と、迫力の戦闘シーンがウケているだけなのでしょうか?じつは、かなり深いお話だけど、子供にとっては残虐すぎるし難しい内容だとも思います。◇「るろ剣」や「犬夜叉」あたりが先行作品とはいえますが、そもそも日本のマンガ・アニメ史において、このような「和もの」がヒットした例は少なかったはず。従来のセオリーからいえば、「宇宙」「ロボット」「近未来」「超能力」などの要素を揃えるのが、子供向けのマンガ・アニメをヒットさせる条件だったはず。でも、この作品の場合は、「日本」「着物」「時代劇」「刀剣」といった和の要素で構成されていて、真逆です。わたしが子供のとき、こうした要素に対しては、ネガティヴな印象しかありませんでした。地味で、暗くて、不気味なイメージ。実際、「鬼滅の刃」も、けっこう地味で、暗くて、不気味だと思います。本来、子供が好きなのは、近未来のロボット漫画、大人が好きなのは、実写の時代劇チャンバラ、それが当たり前の図式だったはず。でも、なぜか「鬼滅の刃」では転倒している。「千と千尋」あたりで潮目が変わって、子供と大人の境界線が消滅しているのでしょうか?◇そういえば、むかしの人気マンガや人気アニメには、ほとんどのカタカナの題名がついていました。「アトム」「ヤマト」「ルパン」「ドラえもん」「ガンダム」「ナウシカ」「ドラゴンボール」…みんなカタカナです。これはおそらく、手塚治虫以来の「モダン漫画」のファンタジー路線なのだと思います。これに対して、漢字タイトルの作品もあったのですが、それはきっと、梶原一騎にはじまる「ドメスティック漫画」の劇画路線だと思います。「巨人の星」「北斗の拳」「火垂るの墓」「君の名は」「進撃の巨人」「鬼滅の刃」…かつては傍流だったはずなのですが、最近では、むしろこっちが主流になりつつありますね。◇いちおう「鬼滅の刃」は時代劇なのですが、大正という舞台設定は、ちょっと不思議で特殊です。「和」と「洋」がせめぎあい、「漢字」と「カタカナ」がまじりあい、「ドメスティックな文化」と「モダンな文化」が溶け合った、「過去」と「未来」が交錯するような不思議な時代です。自由と平等の「モダニズム」と、排外主義的な「ナショナリズム」が、たがいに矛盾しながら炎のようにうねっていました。関東大震災から大東亜戦争に向かって、異様な興奮状態が社会を渦巻いていた時代でもあります。◇この大正という時代に「鬼」が現れます。もともと「鬼」というのは、日本の国家の成り立ちにかかわる根幹的なテーマです。つまり、「古墳時代に大和政権が何をやったのか?」という謎を解くための、最大の鍵こそが「鬼」です。そこには、おそらく、縄文と弥生が葛藤しあった記憶も刻まれています。この国家的な問題が、大正という異様な時代の、「和」と「洋」のせめぎ合い、「土着性」と「近代性」のせめぎあいの中で、亡霊のようによみがえってくるのです。◇このようなテーマ性において、梶原一騎の路線と、手塚治虫の路線が、本質的な境界線を失くしてしまっています。かつて、この境界線上にいたのは、ちばてつやです彼が「鬼滅」を熱心に読んでるのは偶然ではないはずです。おそらく、その意味でも、この『鬼滅の刃』は、日本漫画史上の大きな転換点になるのだろうと思っています。「鬼滅以前」と「鬼滅以後」では、大きく状況が変わるはずです。
2020.10.25
『鬼滅の刃 兄妹の絆』を見ました。ふだんはマンガも読まないしアニメも見ないので、「キメツノヤイバ」というタイトルを聞いたことがあっただけで、どんな内容のものかは、まったく知りませんでした。今回の映画版を見て、おおよその設定は把握できました。◇シネマレビューサイトにも同様のことを書きましたが、この物語の主人公は、絶望的な不幸を強いられたにもかかわらず、自分自身が「鬼」になって復讐の人生を歩むことができません。なぜなら、戦うべき敵こそが鬼だからです。主人公は、あくまで人間の側に立って鬼を退治しますが、内心では鬼の悲しみを共有しています。敵が鬼になってしまった背景を意識せざるをえない。自分自身も鬼と同じ境遇に立たされており、唯一残された肉親の妹もまた鬼だからです。そこに、この物語のユニークな点があり、そもそも「鬼とは何なのか」という社会学的な問いが含まれています。◇この物語のなかで、鬼が出現しはじめたのは平安時代とされています。ちょうど修験道や陰陽道が密教に結びついた時代ですね。とりわけ『鬼滅の刃』の世界観は、山民や山伏の世界と重なっているように見えます。主人公の生まれた竈門家は炭焼きの家系だし、鬼殺隊の人々は天狗などの神楽面をつけている。このアニメは、大正期を舞台にした作品ということで、当時の怪奇・幻想文学や、鈴木清順の映画などに通じるところもありますが、とくに、平安の呪術的な世界を大正期に移し替えた設定は、荒俣宏の『帝都物語』とよく似ています。◇しかし、本来の日本の鬼の伝承は、おそらく平安時代よりももっと古く、さらに古墳時代にまで遡るのではないかと思います。一般に、鬼を退治した桃太郎のモデルは、百襲姫の弟である吉備津彦や稚武彦ではないかとされています。あるいは、雄略天皇とする見方もあるかもしれません。もしかすると、世界遺産になった百舌鳥・古市古墳群にある、最大の大山古墳こそが「桃太郎の墓」かもしれないのですよね。つまり、日本古来の鬼退治の伝承というのは、大和王権が、土着の勢力を駆逐していった、いわば「勝者の歴史」を物語ったものにほかなりません。この勧善懲悪的な皇国史観こそが、戦時中にも利用されて大きな影響力をもちました。『鬼滅の刃』の物語は、そこに「敗者の歴史」をもちこんだものであり、鬼退治の歴史観に対する痛烈な批判になっているはずです。
2020.10.14
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