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昨日は、両親とともに、お花見に行ってきました。桜と、夏の花火大会は自慢できる、我がふるさと桜は、私がいちばん好きな花。3年ぶりの桜です十余年ふるさとを離れていましたし、この時期に帰省することがあっても、通りすがりに見るだけで、もう何年も、地元のお花見に出かけたことはありません。ましてや、両親と一緒にお花見なぞ、初めてです。家からのんびりお散歩して、川沿いを歩き、公園まで行きました満開の時期にはまだ早めでしたが、もうすでに結構な人出。屋台でのんびりとをいただきました。いろんな屋台があって、見ているだけでわくわくしますねトルコのアイスや、シュラスコの屋台もあり、外国の人と思しき人たちが、売っていました。お客さんにも、外国の人と思しき人たちを何組か見かけました。子どもの話す流暢な英語が聞き取れませんでした30万人都市の我がふるさとに、1万2千人ほどの外国籍の人が住んでおり、うち半数あまりがブラジル出身なのだとか。いつの間にやら国際都市になっていました、我がふるさと。定年後はマラウイで、テキ屋さんでもしようかな。今日もぽちっと応援ありがとうございます
March 30, 2009

社会復帰に向け、リハビリのような生活を送っています、この1か月。久しぶりの人づきあいに、いろいろ感じています。自分の都合を優先したり、先入観、一面的な見方をしていないか前回も書いた通り、今の私は、冬ですそんな私にも、冬の暖かな日差しを送ってくださる方もいます荒野で、行き先を見失っている時、一緒に野営をしてくださったり、しばらく一緒に歩いてくださる方もいます。そんな彼らは、私にとって、とても温かく、励まされる存在です。けれど、そんな彼らのことを、批判する人たちもいます傍から見ていると、冬の日差しを送ってくれている太陽に対し、「なぜ、真夏の強い日差しを送らないのだ」と、責めているようにも感じられます。太陽も、地球の傾き加減や、自分の立ち位置により、受けられる温度も異なります。太陽はいつもどおり照らしていても、雨雲がかかっていたり、月が太陽を隠すこともあります。そんな背景に配慮することなく、真夏の日差しばかりを求められても、太陽にもできることの限界があると思うのです。違和感や不安を、どう伝えるかそんな太陽への違和感や不安を、太陽に直接伝えるのではなく、周りの人たちに言いまくることで、ネガティブな感情を共有し、徒党を組む人たちもいます。そうすることで、ストレスや不安が、軽減されるのかもしれません。太陽に対して、言葉で説明するのではなく、自分が不快であることを、態度で表現することもあります。厭味を言うこともあります。私たちはケモノではありませんし、日本語が通じます。言葉を尽くしたり、あきらめずに丁寧に伝えれば、きっとわかりあえると、私は信じたいです。 ちなみに母語が異なる人たちと、いかにわかり合えるか、 私自身のテーマでもあります。 これらのやりとりを傍で見ていて、私の隊員生活を、客観視することもできました。そして、そんな波に巻き込まれず、寂しく、哀しいことだなと、客観視できるのは、帰国後、自分のこれまでの生き方や心の傷、自分の考え方の癖などを、のんびりふり返り、向き合う時間から得た収穫かもしれません。あるいは、まだ完全に社会復帰していない、リハビリ中だからかもしれませんね。現場に復帰したら、余裕をなくし、巻き込まれてしまうのかもたとえ話がすぎて、わかりづらいかな今日もぽちっと応援ありがとうございます
March 28, 2009

先日、面接で東京へ行った際、東京駅に 京都の醍醐寺のポスターが貼ってありました。 豊臣秀吉がお花見をした醍醐寺の桜の写真の横に、 「見事なサクラであればあるほど、 長い冬の時間、 耐えてきたことを思うのでした。」 とのコピーが添えられており、涙しました今の私は、まさに「冬」だなと冬の私に、暖かい日差しを送ってくださる方たちもいます。 こもを巻いてくださる方たちもいます。 冷たい風や雪も、私がより成長するためだと思います。 満開の頃は、ちやほやされていても、 花をつけていない今は、 見向きもされないことが、ほとんどでしょう。 かつて、折られた枝もあります。 年がら年じゅう咲いている、大輪のバラのような人たち、 その横で、しっかり咲き続けているかすみ草のような人たち、 つよい香りで存在を主張する、ゆりのような人たち、 かわいらしく、誰からも愛されるチューリップ・・・ いろんな人たちがいらっしゃるけれど、 今の私は、たまたま冬なだけ。 でも、冬が永久に続くわけじゃない。 私もいつか、きっと花開きますそんなことに気付かせてくれたポスターでした。 子どもの頃、醍醐寺で行われていた「少年少女の集い」という 3泊4日のイベントに参加したこともあり、私にとって 醍醐寺は、京都のお寺さんのなかで最も親近感があります。 数年前、シンガポール人の友達と、醍醐にお花見に行った際、 インドの方と出会い、とても楽しいひとときを過ごしました。 あの頃、せめて今くらい英語が話せたら、インドの人とも、 その後のご縁がつながっていたのかもしれません。 そんなあれこれも思いだされ、 しばらく涙の止まらなかった東京駅でした今は元気ですよ今日もぽちっと応援ありがとうございます
March 24, 2009

先週の金曜、出前講座に行ってきました。今回は、高校生の1クラスを2回、させていただきました。すっごく楽しかったです高校生との接し方に慣れている自分を、再確認しました全日制の生徒たちも、かわいいですね内容は、前回の小学校での反省から、伝えたいことをかなりしぼり、ワークの時間を多めにとりました。これまで、何人かの出前講座に参加させていただいたり、使っているパワーポイントを見せていただきました。テクニック等、参考にさせてもらいながら、扱うテーマは各々の関心や、伝えたいことが反映されますよね。私も協力隊の体験だけでなく、インドでの体験にもちらりと触れ、開発教育でも用いられているアクティビティを参考に、ようやく、自分なりの出前講座のかたちが出来上がった気がします。【高校生のみなさんの感想】マラウイ、アフリカが貧しいイメージが強くて、自分が生きていくためには手段を選ばない、みたいな自己中心的(?)な考えがあると思ったけれど、コミュニケーションの基本であるあいさつから相手を知ろうとしていて、すごいと思った。人のもつ「あたたかさ」ってこういうことなんだなーと思うことができた。どちらかというとあまり話さず、働いてばかりの人が多そうだと思っていたけど、私たちなんかよりもたくさんお互いのことを知ろうとしたり、相手のいろんなところを見ているんだなとわかったし、自分の大切なものを「自分より相手に」っていう精神がすごいなと思いました。それだけ人を思いやる気持ちをもっている、素晴らしい人たちがいっぱいなんだなと思いました。お金がなくても工夫したり、協力して生活して、みんな強いと思いました。お金がないから不幸というわけではないんだと実感しました。マラウイの人々はあたたかいなと思った。 マラウイの子どもは、私より大人かもしれないと思った。人と直接、触れ合ったり、世間話とか、相手にいろんなことを話しかけることで、人と人のつながりをすごく大切にするんだなぁと実感できて、マラウイの人たちの心の温かさとか、やさしさを感じた。まずしいけど、人の心はまずしくなかった。 日本より、人ができていると思った。今まであまり良いイメージを持っていなかったけれど、イメージと違って、一度行ってみたいと思った。「日本に生まれたのはたまたま」ってコトバはよくわかる。たまたまだけど、日本に生まれてよかった。でもマラウイの国の人を見習って、勉強とかがんばらないとって思った。それぞれの感性で、私の発信した情報を受け止めてくださったことが伝わってきます高校生のみなさんの書いてくれた感想も、私の宝物ですねこんな内容でよければ、是非、お招きくださいませどこへでも参上しますよ昨日はTOEIC、初受験でした今日もぽちっと応援ありがとうございます
March 16, 2009
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