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来月1日のオープン目指して、地域ポータルサイトを制作中です。地元密着の情報をなるべくたくさん・・・と思うものの、スタッフの力だけでは、まだまだ(^^;gooのブログに置いた準備サイトに、次々と原稿をアップしてはいますが、本サイトを作るのが追いつきません。連日徹夜でがんばっている所長を横目に、撮りためた写真を眺めては「わ~、かわいい>そのへんの犬」 だの、「おいしそう~」だの、ひとりで騒いでます。やっとウェブ用の画像を自力で作れるようになったので、ここにもアップできるかな。(いままで所長頼みだった)それはともかくですね。なんだか気分的には「時間があるからウェブ作ろう」なんですが、実はそんな悠長なことを言うほどヒマじゃないみたい。半年ほどかかってようやく完成した「子育てマップ」をようやく納品し(例の印刷事故のヤツですわ)、クライアントさんから(子育てサークル向け)チラシ・広報デザインのレクチャーの仕事を打診されて帰りました。一応、プロであるニイチャンに打診し直したけど、無理だったら自分でやらなくてはなりません。うひゃ。(>_
2005年01月29日
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わたしが先日来悩んでいた、人に何かを勧めることにためらいがあるということ。断定して、他人に話すというのが、どうしてもできない。情報はいくらでも手に入り、反証もたくさん目に入るからだ。客観的評価の基準が持てるものならばいいのだが、そんな簡単なモノはあまりない。子育てに関する情報というのも、その最たるもので、親の責任というのは重大である。自分の判断で、他人さんの人生を左右してしまうのだから。それも、我が子という、世にも大切な他人の人生を。子どもを育てるということそのものは、太古から人類が自然に繰り返してきたことで、人から教わらなければできないようなことではないはずだ。けれど、「よりよい子育て」を考えたとき、知恵を持ち、情報をやりとりする手段を得た人類としては、自分のまわりに氾濫する情報の中から何を選び取るか、自分で判断しなくてはならない。探せば探すほど、どれを選べばいいのかわからなくなってくるのが、子育て系の情報。しかも、子どもの健康に関わることについては、一つの説があれば、必ずといっていいほど、その反証がみつかる。それほど子育てというのは、客観的に評価するのが難しいのだろう。自分が選んだ情報は、間違っているかもしれない。でも、選んだ責任を負うのは自分なんだから。たとえば、外傷の治療について。「閉鎖療法」という治療法を障害者関連のMLで知り、そのサイトを訪れたのだが、たいへん客観的なレポート入りで、くわしく紹介してある。いままでにも、小さな傷やけがで実践して、効果は実感していた。先日、上の娘が日曜日に大けがをした。普通なら何針も縫うような傷だった。わたしはためらわず、閉鎖療法を実施し、翌日、その療法を取り入れている病院を受診した。経過は良好である。外傷は、結果がすぐに見える。「早くきれいに治る」という結果は、客観的に評価することがたやすい。だから、それを疑うことなく実践できる。さて、こっちが本題。うちの下の娘は2歳を過ぎて、まだ母乳を飲んでいる。昨年暮れ、1カ月あまり、各種感染症等に続けざまにかかり、食事がまともにとれなかった。食べられるものならば何でもと、おやつも与えた。当然、歯磨きなどもできていない。だが、水も摂れなかった時期、重症の脱水を回避できたのは、母乳のおかげだった。病気の嵐がおさまり、歯磨きを再開してみると、みごとに奥歯が虫歯になっていた。虫歯の治療に訪れた小児歯科では、「母乳をやめて、甘いものを食べさせない」ようにと指導を受けた。もっともなご指導だと思う。プロであれば、そのように言うのはアタリマエだ。しかし、たとえば。「虫歯を作らないために断乳を早くする」ことと、「親子関係の大切な基礎をつくるために母乳を長く続けるのがよい」という情報は真っ向から対立している。ならば、どちらをより重要な要素としてとらえるか、あるいはどのようなバランスで受け入れるかは、その人の子育て次第だろう。じつは、できてしまった子どもの虫歯について、かねてから参加していた小児歯科のMLで相談をした。もちろん、叱られるのを覚悟しての投稿だった。なのに、その場でドクターからいただいた言葉に、わたしは目がさめた気持ちがした。「虫歯を作らない為にその子の生活が窮屈になってもダメだと思います。」「甘いものは感情を豊かにするのだと思います。そういう部分を抜きにして、虫歯の為におやつはだめ!となると本末転倒ですよね。」と。全文を引用したいくらい、子どもと母親のことを思いやった、前向きな言葉だった。そうか。トラブルにとらわれて悩んで、大切なことを見失ってはいけないんだ。砂糖に対する規制を強化するよう指示するよりも、ずっと効果的なアドバイスであり、ほんとうに子どもの歯を守る効果は、この言葉のほうがはるかに高いと思う。一呼吸置いて母親の努力や気配りを受け入れ、失敗を糧に、共に考えようという姿勢。その姿勢に、頭が下がる思いだった。毎日たくさん甘いものを食べ続け、フッ素塗布をしなくても虫歯がまったくできなかった上の娘。たった1カ月、口腔衛生をおろそかにしたばかりに、虫歯ができた下の娘。上は運がよいだけかもしれないが、「運」などという非科学的なものを持ち出すのは、ちょっと医療から離れるような気もする。感覚的には、やはり口腔衛生への配慮、つまり歯磨きによる影響があったと思われる。「虫歯ができる」「できない」は、けがの治療のように、短期間で客観的に評価できるようなものではない。母乳の良し悪しについてもしかり。そういうものは、やはり自分の感覚や経験、それに基づく総合的な判断に頼るよりほかないのではないだろうか。「こうするのが正しい」という人がいくら多くても、自分の生き様と合わないなら、無理に合わせようとしないほうが、余計なストレスを負わずにすむ。そのストレスが子どもに向かう可能性さえあるなら、なおさらのことである。情報に惑わされることが多すぎる昨今。「自分が選ぶ」ことの大切さを、しみじみと思ったことでありました。
2005年01月27日
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ずっと懸案だった、「WindowsキーボードをMacG5につないで使う」というのが、やっと実現しました。うれしいぃ~。たまたま見た、2ちゃんねるの掲示板で、解決方法が書かれていたのです。それも、ごく最近の記事。やはりMiniMac絡みで、キーボードがうまく動作しなくて困ってる人がいるらしい。これで、Appleも対応してくれるかも~。サポートに電話しても、やる気のなさそうな人が出てきて、これはアカンわと。うちだけの問題なのかなあと、ちょっとめげそうなとこだったんです。あ~、やっぱり2ちゃんねるってすごいわ。あの、匿名で言いたいことだけ言えるという場だからこそ、気軽に思ったことを書けるのね。「こんなこと訊ねて恥ずかしくないかな」とかいうハードルを越えて、質問もできるし、その結果として、わたしみたいな「自分だけかも」と引っ込めてしまった不具合に対する解決法が示される。「書いてあることをちゃんと読んで、いちいち(精神的に)反応する」というのは、活字時代に培われた、いまとなっては悪しき習慣かもしれないなあ。2ちゃんねるには、たしかに見るに耐えない書き込みも多々あるのだけど、ああいうのを「見ない」でおく技術って、じつはネット時代では大切なスキルなのではないかしらん。情報を得ることは、カンタンになったけど。文章で書かれていることを、カンタンに信じてしまうという習慣、残ってませんか?よく言われる「情報の取捨選択技術」以前に、読まなくてもいい「文字」を、なかったことにする技術って、これから必要になるような気がします。で、2ちゃんねる。あの混沌の中から、有益かつ必要な情報を取り出せるようになるのは、けっこうな修行になるのでは・・・なんて思ったことでありました。
2005年01月24日
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今日は(故)ダンナの11回目の命日。享年36。生きていれば、もう47歳だ。供養、ってこともないが、たいへん個人的なことを書いてみます。(^^;若くして亡くなったにも関わらず、彼を知る人には「いや、長生きしはりましたよ」と言われる。鮮烈、という言葉があまりにも似合いすぎる人生だった。根っからのゲージツカで、ほんとに純粋を絵に描いたみたいな人物だったからね。乳児期のポリオ罹患による上肢障害3級の障害者。右腕の機能全廃、何度も繰り返した手術とリハビリで指が少し動くようになってたけれど。最後の手術で手のひらを上に向けてつけるか、下に向けてつけるかの選択を迫られて「ピアノが弾けるか、パレットが持てるか、究極の選択やった」というくらい、ノーミソにはゲージツしかない人だった。わたしは彼の臨終に立ち会っていない。お葬式にも出席してはいない。亡くなる前の春休み。北海道にいる友人の結婚式に、彼は一人で出かけた。それまでは、いつでもどこでも、わたしが同行してたので、一人旅は異例のことだった。そこで偶然会った「別々の知人3人」に、異口同音「あんたは今年死ぬから気をつけなさい」と言われたという。そこだけ聞いてたら笑い飛ばしてしまいそうな話だが、もともとオバケと仲良しだった彼には大打撃だったらしい。それから荒れに荒れて、いつしか家庭はDV状態になってしまった。救急車を呼び、警察に保護を頼むことも度々だった。産後うつが完治せず不安定だったわたしは、その状態を回避するため、彼自身も妻と子どもを守らねばと別居。離婚届けを出したのは、その年の大晦日だった。「今年死ぬ」の「今年」最後の日で、不吉な予言は外れたかに見えた。別れてからは何度も二人で会った。うそのように穏やかな時間だった。わたしの30歳の誕生日を一緒に祝おうと約束、いつものうどん屋で他愛ない話をしながら卵とじうどんを食べて。改札口の前で脇目もふらずに抱擁、そしてまたね、と名残惜しげに別れた姿が、彼と会った最後になった。わたしと別れて帰宅したあと、くも膜下出血で倒れた。翌日の無断欠勤を心配した職場の人が見に来てくれて、発見されたという。植物状態で一週間過ごしたが、すでに手遅れだった。それから彼が亡くなるまで、もう詳細は覚えていない。覚えているのは、彼が亡くなった、その日。誕生日が近く、どうしても行かなくてはならなくなっていた、免許の更新に出かけた。写真を撮り終えた時、急にどうしようもなく息苦しくなる。「ああ、彼が逝ったんだな」と、すーっと納得してしまった。苦しさにそれ以上その場にいられなくなり、免許証の受け取りを待てず帰途についた。娘を預けていた実家に着いたら「いま、電話があった」と知らされた。離れて生きていけるなど思わなかったほどに、寄り添い合って生きていた。亡くなる前に起きたいろんな出来事は、少しずつ、離れる準備をしていたとしか思えなかった。離婚したことすら知らされていなかった彼の親族。半狂乱の人たちから「おまえが殺した」と責められ続けた。忘れたくて忘れたくて、そういうことは忘れられないのだと思っていた日々。一緒に祝おうと約束した30歳の誕生日、どんなふうに過ごしたのだったろう。あれから11年。いつか彼のことを書こうと思いながら、どうしても書けずにいた。が。誰に見せることもないなら必要もないかもなぁ、と思っていたけど、ぼちぼち書いてみよう。-------------------------------------------写真は、彼が遺した、わたしと娘と犬たちの肖像画。娘はオーバーオールのお腹の中にいます(^^;。
2005年01月23日
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『怪獣の名前はなぜガギグゲゴなのか』黒川伊保子著って本が図書館から来たので、読んだんだけど。本文は、ざっと読んでいて、なんかやっぱり占いの解説みたいやなあと。でもまあ、時々ふんふんそうかね、なるほどね、と思いながら読み進めて最後まで来て、ぎゃっと叫んでひっくりかえった(by庄司薫)。曰わく「(絶対音感のある)プロの演奏家は(中略)音程のずれている鍵盤を叩き方で工夫し、半音くらいまでなら演奏そのもので調整してしまうのである」 ほ~~んとかよぉぉぉぉぉおお。そんならナニかね。ピアノってのは平均率の楽器だが、そんなコトがほんとにできるならば、純正調にも軽く対応できそうなもんだが。大学の時に公開レッスンで、高名な先生方の演奏を身近に聴く機会が幾度もあった。だから、ほんのわずかな違いで、普通できそうもないことをやるピアニストがいることは知っている。単音でのクレシェンドとか、きれいにハモって聞こえる三和音とか。目の前でそういうのを見た(聴いた)時は、その場にいた一同、狐につままれたような気がしたもんだ。たった1コの音を出すのに、どれだけの技術を用い、心を砕いているか。そういう繊細な技術のことならともかく。いくらなんでも「半音くらいまで」は無理やろう~。箏じゃあるまいに。だって、調律師さんがピアノの音を「半音」上げるのに、どんだけ時間かけると思うのよ。1ヘルツの半分とか言うなら、まだわかるけどさ。こういうことが書かれていると、それまで読み進めた本文が、一気に「オオウソ」に見えてしまう。それとも、わたしの認識が間違っているんだろうか。ほんとうに、著者のいうとおりのことができるピアニストがいるんだろうか。ああああ、ほんまに♪おるなら~会うてみたい(by嘉門達夫)♪誰もヘンやと思わんかったんやろか。編集者も確認しなかったのか。うーーーーん、自分の知識(経験)が間違ってるのかも、と思うと気が気ではないな。
2005年01月22日
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えらいミスをやってもた。最終データの確認をおろそかにしてしまった。あれは、わたしの責任。ほんと、申し訳ない。何が原因でミスが起きたのかというと、もうほんとに確認が甘かっただけ。最後にサイズを縮小した時に、テキストボックスのリフローを招いてしまった。最悪の事態(気づかずに納品するの)は防げたけど、経済的痛手は大きい。(もちろん精神的にも)でも、あまりに衝撃が大きいと、かえって冷静になれるもんだね。こういう時、相手をかばい合って、けんかにならずに済むのは所長の人徳だなあ。もともとボランティア的な仕事だったのだから、地元貢献できるボランティア活動に投資したと思おうか。忙しいという字は「心を亡くす」と書きます。と、カレンダーのおせっかい教訓みたいな言葉が胸をよぎる。ここんとこ、あまりの忙しさに心を亡くしてたんだろうね。きっぱりと、気を引き締めてかからなくちゃ。いや、違う。ちょっと、休まなくてはいけないのかもしれない。ほんとにカラダが悲鳴をあげているのに、だましだまし走ってきたし。命あっての物種って言うからね。ドッカーンと来たから、もうすぐにでも立ち直るしかなくて。落ち込んでるヒマなんかないしな。明日、休めるといいんだけど。
2005年01月21日
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ここにはわりと「音声反訳」のことを書いているけれど、日々やってる業務はDTPが多い。その理由は、うちの事務所が恐る恐る「受注作業」をやり始めたときにさかのぼる。仕事になりそうな「つて」が、友人のグラフィックデザイナーであるオニイチャンぐらいしかなかったのだ。それから、所長がたまたまMacのパワーユーザーだったこともあり、当時、オニイチャンが仕事の合間にしていた「小遣い稼ぎのアルバイト」から、チラシ作成の仕事をもらいながら、イラストレータやフォトショップを覚えていったのだった。(もちろん所長が^^;)他に、なんか小難しいプログラムの仕事もやってたけど(当時のスタッフはプログラマーとかが多かった)、結局、モノにならずに消えていった。その後、わたしが新聞広告かなんかで見つけた、DOSの専用ソフトを使う間取り作成の仕事も長いことやっていた。単価は安いわ、納期は短いわ、原稿は手渡しだわと、今思えばたいへんなものだったけれど、分業もできたしカンタンだしということで、ずいぶんメンバーさんたちにも頑張ってもらった。これは残念ながら、後に、単価の著しい下落と担当者が変わったことで、降りることとなった。でも「アタシの描いた間取り、あの不動産雑誌に載ってるもんね~」というのは、みんなのやる気を、ずいぶん高めてくれた。その間取りの仕事と時期を同じくして、イラレでの間取り作成の仕事をニフティの掲示板で見つけて、さわったこともないソフトであるにもかかわらず、正月返上でお受けした。(まあ、所長たちは、すでにソフトをマスターしてたからという「保険」もあったし)年始に遊びに来ていたニイチャンをつかまえて、線の引き方から教えてもらったり。そのとき、やっぱり恐る恐るサンプルを送ったら、クライアントさんに「うちの外注さんの中では一等ハイクオリティな出来です!」と褒められちゃったのが尾を引いて、どっぷりイラレにはまったんですな。その後はもう、イラレなら任せなさいとばかりに、あちこちに営業に出かけたりもした。・・・・あ、念のため言っとこう。その当時って、わたしゃガッコで働いてまして。だから、いわゆる副業ってことかな。(でも臨時雇いで公務員扱いされてないからええのんよ、ふん。)当時は事務所が狭くて、自宅マンションにスタッフが集まって、ずっと泊まり込みであれこれやってることが多かったの。だから「在宅」の仕事は、主に夜中にやってました。>若かったのね大手スーパーのチラシの仕事とか取ってきて、自分でやるんだけど、どうしてもうまくいかない。ただでさえ短い納期は刻一刻と迫ってくるし・・・・。仕方ない!と、ニイチャンの職場に電話して、「ねぇ~今夜、来てくんない?」とイロっぽく迫る。仕事帰り、お疲れで到着したニイチャンに、「お願いっ!教えてっ」と泣きついて。自分では「うまくできた」つもりの文字配置が「誰じゃ、こんなオブジェクト作ったんわっ(--#」と怒られて、「そんなん知らんねんから、しゃあないやろっ」と冷や汗をかくこと、かくこと。(^^;それでも、プロの仕事を後ろでずーーっと見ることは、そりゃもう勉強になりました。いやはや、もうほんとに手取揚げ足取り、綱渡りの世界。そんなこんなで、今や百戦錬磨のイラレオペレーターに育てていただきました。デザインはね。ちょっとやっぱり、専門的に勉強してないので、あまり好んでしたくはない。(する時もあるけど)いつも言うんだけど、演奏家ってのはオペレーターでして。クリエーターになれる人もいるんだろうけど、わたしゃ、どこまで行っても演奏家的才能しかない。だから、トレースとかはすごく好きなのだけど、デザイン込みのチラシとかは苦痛で・・・。ああ、また「地域ご奉仕価格」の仕事を請けてしまった・・・・。しかもデザイン込み。(涙)区役所の、福祉関係のところで「予算がないから輪転で印刷する」とまで言われりゃ仕方ない。福祉情報を集めた冊子を作るんだけど、毎回、この担当者さんには恐れ入りまする。「強引ぐマイウエイ」って言葉は、彼のためにあるねんわ。(--;;;さあ、作業しよ。
2005年01月20日
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やっと、地域ポータルのサイトが動き出した。今まで下準備というか、調査研究ばっかりで、具体的に動いてなかっただけに、感無量である。XOOPSというお道具を使っているのだが、これで作っているサイトであまり(デザイン的に)気に入ったものがなく、ちょっと気が進まなかった。「このままではいかん!」と、本格的に時間を費やして、XOOPSサイトの探検に出かけたら、30件に1件ぐらいの割合ではあるが、ちょっと気になるところがあった。よし、これぐらいできるなら、やってもいいぞ!・・・と、勢いづいていたら。デザインに凝っている場合ではないと言われて、しょんぼり。そうかあ。やっぱり、中身だよね。と、せっせとコンテンツの中身を準備ブログに投稿している。頭の中にあるものを形にするのは、いやあ、ほんとにたいへん。でも、面白い。なんせ、締め切りの迫った事業なので、気合いを入れてかからなくてはね~。
2005年01月18日
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ちょっとしょーもない話を。(^^;みんなで晩ご飯を食べていたのだけど、そろそろ終わりかなという時になって、所長がやおら冷蔵庫に向かい、黒っぽい瓶を手に取った。他の話をしながら、瓶のふたを開けようと力を込めている。ミシッ! と、新品を開封した音がしたので・・・それ、ブルーベリージャムやけど、何すんの?と、声をかけると「えーーーーーーっ!」好物の海苔の佃煮と間違えたらしい。まあ、ちょっと見た目は似てるかも知れへんけどなあ。けっして、ブルーベリージャムが好きなわけではない。最近、老眼と近眼が同時に進行してきたわたしが、あれこれ種類を変えて買い込んでいるだけだったりする。(^^;開封してあるジャム、いっぱいあるのに~(;_;)責任取って、せっせと食べなはれや。(--#さあて、わたしもベーグルにたんまりつけて、消費につとめようっと。
2005年01月15日
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今年度、助成を受けている「コミュニティビジネス」だが、その道のプロに事業アドバイスを受けられるというメニューがある。恥ずかしながら、うちは昨年末あたり、メインではこの事業に手をつけられずにいたため、ちょっと遅れを取っている。コーディネーターさんが心配して、「相談してみたら」と声をかけてくださったので、今回、はじめてIT強化ということで、相談させていただくこととなった。人と会って話をするのが、なによりニガテなわたしにとって、こういう気の張るお客というのは、もうほんとにアレなんだけど。(なんやねん、アレって)お話しした個々の内容も素晴らしいものだったのだけれど、わたしには「人と話すことをいとわない人の態度」というのが、たいへん勉強になった。自分がなんで営業に出るのがこわいのか。その一端も見えてきた。他人さんにものを勧めるためには「妄信的になる」ことも、ある程度必要なのかなと。自分の考えを人に話すことの気恥ずかしさや、いちばん難儀なのは、それを否定された時の落ち込み。そういうのがしんどくて、外に出ることができないのだ。ネットの世界を見るまでは、ごく一般の人の考えを知る機会というのはそんなに多くなかった。だけどブログなどで、みんなが自分の考えを語るようになった今、自分と違う考えを目にすることも多い。いや「違う」ほうはかまわない。わたしにとって重いのは「同じ」考えの存在なのだ。どんなに自分が考えて「思いついた」と思っていても、他の人の考えをパクったような気になってしまう。それをいかにも自分のオリジナルであるかのように話すのが、心苦しいのだ。先日、某所のコメントに書いたこととよく似た話を他の人が書いておられるのを見て、どよ~んとなったりもしてましてね。ああいうのは辛いなあ。こういうのって、一種の病気なんやろうけどねぇ。いわゆる「自意識過剰」ってヤツ。「これ、ぜったいええで」と言えなければ、営業って難しい。テープ起こしやらDTPならば、「うちの商品はどこにも負けまへん」と、自信持って言うんだけど。モノがWebで、しかも販促のためとなってくると、「あんたんとこのこれ、あかんかったやんか」と言われるのが怖くて動けない。確実なものしか人には勧めたくないって、そう思い詰めて自縄自縛。かくなる上は、確実な技術を身につけるまで、営業しないでおくのか?いままで、そんな慎重なことはしてないのに、なんでここに至ってそうなっちゃったんだろう。考えようによれば「鬱が治った」ということかもしれん。だとしたら、生産的ないい病気だったんだろうか。>んなこと言うと所長にシバかれそう結局「何を誰に売るのか」が、あいまいだということか。制作技術の問題ではないのかもしれない。三洞さんの「プレゼンの本、もう一度、読み直してみるわ~」と所長。(わたしが図書館で借りてきたら、えろう気に入りはって、結局購入しました)・・・・したらば、美容院、行ってくるかね?やる気になってくださって、うれしゅうございます。そうそう、今日のアドバイザーさんのおっしゃってたこと、かなりの部分、三洞さんの本の内容と同じだったしね。どんよりしてる場合じゃないのよ。やっと仕事がとぎれそうなんだから、今のうちに頑張っておかなくちゃ。あ、もう一つ、今日のできごと。本日、来年度から通所予定の「あっちゃん」が遊びに来てくれました。(^_^)彼女って、場の緊張を「ほわわわ~ん」とほぐしてしまう、ステキなキャラクターだなあ。4月からが楽しみ。
2005年01月14日
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やっと、手持ちのシゴトで納期のあるヤツが片づきました。担当者が休みで進まないマップ印刷とか、今週初めに入稿予定だった数学とか、気がかりはあるんだけどね。小さいMacが出たと聞いて、ちょっと見てみたんだけど、ええな~、ほんま小さいなあ。こんなに積み重ねられるなんて、すごいなあ。G4なので、シゴトには使えないという話と、当然ながらOS9は動きません~ってコトなので、アキラメたけど、本気で「しまった」と思いましたわ。ついこの間まで、OS9のG4Cubeちゃんを愛機としていた身には、G5はなかなか馴染めなくて。でもそろそろ本気で諦めて、新しい環境に頭もカラダも切り替えなくちゃと、またしてもカスタマイズに溺れてます。わたしがパソコンを選ぶ基準で許容度の狭い、最大絶対のものが「静か」だということ。うるさいマシンは、他がどんなに良くても、それだけでボツ。職場にはうるさいモノがいっぱいあふれているので、せめて自分の近くだけでも静かにしたいんですよ~。(>_
2005年01月13日
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うちには「家宝」が幾つかある。すごく高価なものでも古いものでもないが、自分たちなりに「いいもの」だと思って大切にしているものだ。そのなかに、上の娘が生まれた時、記念に購入した抹茶茶わんがある。ゲージツカの(故)ダンナがまだ健在だった頃の話なんだけどね。臨月のおなかを抱えて、信楽に土を買いに行った帰り、いつも立ち寄るギャラリーで見つけた。「禾目天目(のぎめてんもく)」といって、深い星空の色というのか、宇宙の色ってこんなかなと思わせるような輝きのお茶わん。(故)ダンナが見つけて、大あわてでわたしを呼びに来た。「これこれ、これやねんけど」と、お目めキラキラ、言葉も絶え絶え。わたしも、一目見て欲しくなった。「ええなあ」とため息をつくが、やはり結構な値札がついている。二人して、「すごいなあ、こんなんどうやったらできるんやろ」と、いつまでもひっくり返したり、ライトに照らしたり。なかなか立ち去りがたく、一旦、戻しては、店の中をうろうろして、何度も何度もまた見に行って。買えるわけないよなと、それでも目に焼き付けたくて眺めていたら、店主のおじさんが声をかけてくれた。「このお茶わんの作家さんなあ、いま、白血病で入院してはるねん。気に入ってくれはったんやったら、勉強させてもらうわ。病気、いろいろお金かかるから、ちょっとでも作品売って、お金にしときたいねんて」聞けば、おじさんのお弟子さんでもあるらしい。ほんとうは手元に置きたい作品なんだけど、まだお若い、これからの方だから、病気が治ったらいくらでもいい作品が作れるだろう。それを聞いて、ぜひにと思うようになった。普通の時なら買わなかっただろうけれど、初めての子どもが生まれる記念にと、気持ちが後押しされた。マケてくれると言っても、安いものではない。その場で購入できるだけの手持ちがなく、ぜひ検討させていただきたいということで帰宅した。細かい経過は忘れたが、娘が無事に生まれたあと、(故)ダンナが一人で買いに走ったと記憶している。---------------------------------今日、ニイチャン夫妻が遊びに来てくれた。昨日、上の娘がお茶の先生のところの初釜(今月から入門したので、いきなり初釜^^;)におよばれして、はなびら餅をいただいてきていたので、普段使いにしてる(故)ダンナやM師匠作の抹茶茶わんでお茶をたてた。ニイチャンは美大卒なので、ある程度、焼き物の知識がある。いろいろ眺めてはうんちくを傾けてくれたので、そんならこれ見てみと、ちょっと自慢したい気持ちもあって、しまい込んだまま久しい「禾目天目」を出してきたのだった。その作家さん、神山賢一さんのお母さんは神山清子さんとおっしゃって、有名な陶芸家だと聞いていた。息子さんが亡くなられたというニュースを聞いて、お仏壇に参らせていただいたこともある。どうしておられるかなあと気になって、ネット検索してみた。そうしたら、『火火』という、女流陶芸家を主人公にした映画がヒットした。へぇ・・・と眺めていると、あらららら。なんと、神山さんをモデルにしたお話なのだった。古い映画だろうと思ったら、なんとこれから公開されるものらしい。長いこと生きてると、時々、びっくりするようなことがある。古い知人が、人質取って銀行に立てこもってるのをテレビで見たときもびっくりしたけどさあ。(^^;あの時も、ニイチャンと「あの人がねぇ」と新年早々盛り上がったっけ。閑話休題。なんていうかね。お茶碗に呼ばれたというか、不思議な気持ちがしたのでありました。呼んだのは(故)ダンナだったのかなあ。おーい、何が言いたかったんだ?映画、見に行って来て欲しいって?自分は酒を飲めなくなっても、正月には仏壇用に「おいしい日本酒」を買ってくれる所長に感謝を込めて。(^_-)今年は、きっといいことがあるよ。
2005年01月10日
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年末年始にのんびりしすぎたツケで、仕事を始めたら大忙しになってしまいました~。(^^;一段落するまで、おせち料理の記録は中断。ああ、三日坊主にも至らないなんて、なんてナサケナイ。久しぶりに数学も入稿するみたいで、やっとベンゼン環から解放されるかも・・・・。ここのところ、ブックマークを整理しがてら、ちょっと休憩と称して、気になっているブログをあちこち渡り歩いてます。みんなすごいなあ・・・。いろいろ考えちゃうけど、その前に目の前の仕事を片づけなくてはね。さあ、がんばろうっと。
2005年01月06日
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しばらく、お正月料理について書いてみようと思います。自分自身の備忘録としてなので、だらだら長くなるのをお許しを(^^;お料理は、まず、買い出しから始まります。毎年、買い物に行く場所が数カ所あります。年に一度、暮れの買い物にしか行かないところがほとんどなのですがね。(^^;個人商店さんは、どこも必ずオマケのおみやげをくださるのです。こういう人情に触れるのがたまらなくうれしい、暮れの買い物です。最初は、古くからおなじみの近隣の八百屋さん。国産の野菜で、やや高いけど質のよいものを扱っています。昔、実家の花屋のお得意さんだったこともあり、気軽によりどりさせてくれたりしてありがたい存在なのです。今回、久しぶりにお会いしたおっちゃんが「咽頭ガン」で声が出なくなってはったのには、びっくりしました。どうぞ、来年も元気でお商売してはりますように。【八百屋さんの獲物】雑煮大根(細い大根。小口切りで丸いまま使います)金時人参(雑煮大根と組み合わせて、紅白に)くわい(なるべく小さいのをよりどり)タケノコの水煮(京都山城産)レンコン(小さくて芽の出たもの)小芋(これも形のいいものをよりどり)鳴門金時(ずんどうで形のそろったのをよりどり)ゴボウ三つ葉ゆず絹さや(オマケ。レタス。グレープトマト。みかん数個)このうち、「くわい」ですが、うちは小さいのがとりわけ好きなんです。おっちゃんの八百屋さんは、大きさがそろってるけど、割と大きめなので、ちょっと残念だなあ・・・という思いがあったので、無意識に別の店もチェックしてたみたいなんですね。そしたら、ありました、ありました! 大阪産だという、小さいクワイ。(くわい、って平仮名の雰囲気なんだけど、文中に埋もれるからカタカナにします)お餅屋さんからスーパーに向かう細い道に開店してた、去年はなかった店です。自慢の動体視力(笑)で、運転しながら店先をチェック。ちょっと先に強引に車を止めて、走って行きましたよ。ここのおばちゃんが面白かった。「こっちのは、大阪の種を中国に持って行って作ったクワイ。こっちは正真正銘大阪で作ったクワイ。」「どっちがおいしいの?」「そんなん好みやから、自分で決めてんか」「いやあ、愛想ないなあ。おばちゃんやったら、どっち食べたい?」「うーん、中国のはきれいやで」(そんなん、見たらわかるって)結局、アドバイスいただけなかったので、価格差もなかったし国産にこだわってみました。これが大ヒット。アカンボの小指の先ほどもないような小さいのもあるのに、とてもきれい。剥くのがたいへんだったけど、香り高くて、おいしいクワイでした。ああ、八百屋さんだけで、一日過ぎてしまった・・・・。すみません、当分続きますわ、これ。m(..)mせっかくやから、最終結果の画像、載せときます(^^;
2005年01月04日
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お正月の仕事は、とにかく「食べる」ことだと、ひたすら食べている。精魂込めてつくったおせち料理も、2日にしてすでに食い尽くし、鯛もアラを残すのみ。そして、まともに食事をしようとしない下の娘に食べさせなくてはと、食われるほう(母乳)をぼちぼち収束させるべく、昨日より説得にかかっている。気を紛らわせるために、歌をうたったり、ブロックで遊んだりと、いろいろ手を尽くしていたが、ネタがなくなってきたものだから、オモチャ箱に入っていたリコーダーを、手なぐさみに組み立ててみた。ヤマハの木の笛。ずいぶん古いモノである。(ついでに言えば、たいへん粗悪な安物なのでオモチャ扱い)まともに音が出ないのは、人体の事情なのか、楽器が悪いのかわからないので始末に負えない。(^^;仕方がないので、上の娘に貸し出しているマトモな笛を「返せ~」とコールしてみたが、応答がない。あきらめて、ちょっと鳴らしていると、少しずつマシに鳴ってくる。次々と吹いていると、ほんとに徐々にではあるが、往年のカンが戻ってきたような気もする。キーボードやら、トイピアノやら、音の出るものはたくさんあるのだけれど。日々忙しくしていると、どうしても音を出そうとは思えない。お正月ということもあり、ちょっと気持ちの余裕ができたので、音を出してみたら、なかなか面白いではないですか。もともと「笛」を吹くのがシゴトだった。リコーダーは本職にはかなわないけど、子どもだましぐらいは間に合うだろう。・・・と、あれこれ吹きはじめると、娘はイタクお気に召した様子。う~ん、リコーダーって手軽でいいかもしれない。お蔵入りしていた、いい楽器も出してこようかな。オモチャにするには、だいぶもったいないんだけどさ。呼吸法とか運指とか、忘れているようで覚えているもんですなぁ。昔取った杵柄ってのは、偉大なもんです。なのになんで、かけ算の九九が覚えられないのか。うーん。(-"-)腹筋使うから、もしかしたらダイエット効果が期待・・・できるわけないか。これでリハビリできたら、次は黒い笛も出してこようかなあ。はははは。お正月なんだから、琴でもかき鳴らしたほうがサマになるんだろうけどねぇ。これまた貸し出した爪がどこにあるのかわからんし・・・。やっぱり、自分で音出すのは楽しいです。(^_^)
2005年01月02日
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わたしが主導権を握って料理を作るのは、年に一度、おせち料理だけです。素材の買い出しも、大阪中を走り回って(オオゲサな)、一日がかり。一年に一度だからできる贅沢を、存分にさせてもらって、日頃の憂さを晴らします。今年は、今までになく、早くから準備をして、少しずつ前倒しに進めることができました。できあがりも上々。(^_^)でも、最初、なかなかエンジンがかからないんですよね。普段、台所に立つことがないので、なんだかカンが鈍くって。煮物を次々と煮上げていくものの、ベランダの焼鯛が気になっては、焦がしそうになったり。わたしの生家の習わしで、祝鯛は一人一匹ずつ。しかも、炭火で焼くのです。実家では火鉢を出していましたが、うちではバーベキューグリルっていうのかな、よくアウトドアで使うようなのを出して来て、串刺しの鯛を4匹並べます。火起こしと、見張りは所長のお役目。寒くてたいへんですが、炭火の端っこでついでに焼くおもちは最高。特にあんもち。今年は、冷凍庫にあったトリモモも焼いて食べました。ああ、焼き肉もしたかったなあ。雑煮は、元日は関西風丸餅と白みそ。雑煮大根の白と、金時人参の赤、勝ち栗と絹こし豆腐が入ります。三つ葉とゆずを添えて。煮詰まるとシチューみたいで、それもまたおいしい。明日、2日はすまし雑煮。これは特にこだわりはなくて、毎日、白みそだと飽きるからね。あ、材料、買ってない(^^;昔と違って、いつでもスーパーに行けばあるから、ちっとも気にしてなかったなあ。わたしは、お正月が大好きです。お正月って、いつもより空気が澄んでいるような気がするのですよね。昔、小学生向けの「なぜなに○○の学校」みたいな本で読んだんだと思うのですが、工場や車が動かないので、大気の状態が一時的によくなるのだとか。今年の大阪は、大晦日に雪が降り、建物のホコリや空気の汚れも洗い流されたのか、いつに増して、清々しい日差しです。どんな一年になるでしょうか。願わくば、今日の決意をずっと持ち続けられるようにと。どんな決意かは・・・・ナイショ。この楽天日記でも、お知り合いになれた方々がたくさん。こんなありがたいことはありません。訪れてくださる皆さんに、今年もたくさんいいことがありますように。どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。
2005年01月01日
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