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Yahoo!セカンドライフ、というウェブメディアから、エッセイの投稿を頼まれました。今回は、第一回の原稿。このまま掲載されるのかどうか分かりませんが・・・ま、ぼちぼちやってみます。「オーストラリア・シドニーで暮らす」オーストラリアは、年齢層を問わず、海外移住を考える日本人の移住先候補として、根強い人気があります。温暖な気候と豊かな自然、恵まれた生活環境、リラックスしたライフスタイル、スポーツを愛するフレンドリーな人々、といった「楽園イメージ」。それに加え、日本に比較的近い西洋文化の国で、時差が少ないこと、英語圏の国であること、教育や福祉が充実していること、大都市を中心に、日本人コミュニティが充実していること。これらも、人気の秘密でしょう。私は縁あって、この国で5年間、暮らしました。私の妻は、中国系のオーストラリア人。台湾留学中に知り合いました。が、学業が終わると、私は日本、妻がオーストラリアに帰国し、その後、なんと10年も、国を跨いだ長距離恋愛が続いたのです!夫婦離れ離れの生活に終止符を打つべく、私は一念発起して、彼女の住む、かの国への移住を敢行したのです。移住先は、この国最大の都市・シドニー。時に、西暦2000年の5月。折りよく、オリンピックが始まる数ヶ月前でした。当時、私は31歳でした。以来5年間。私たちは夫婦揃って、シドニーで暮らしました。それは、本当に内容の濃い、盛り沢山の5年間でした。その間、家を2軒買い、子宝も授かり、シドニー近辺の88のビーチを全踏破し、ラグビー熱狂サポーターとして専門雑誌に取り上げられ、アラビア語やベトナム語を学び、雑誌にエッセーを連載し、自分の手で家のリフォームをやり、自転車のレースに出場し、ホームページで300人以上の移住相談に乗り、シドニー食べ歩きサークルを主催し、職場の仮装大会で優勝し、地球の反対側のヨーロッパを旅行し・・・。「何でもやってみる」の精神で、シドニーという、巨大な対象に思い切り体当たりした5年間。そこから掴んだものを、いくつか言葉にしてみましょう。【シドニーは、楽園ではない】オーストラリアの宣伝によく使われるのが、「楽園イメージ」。楽園とは、想像の中だけに存在するものです。いざ、「生活者」としてシドニーに移住しまえば、そこに楽園はありません。あるのは、日常生活。良くも悪くも、この都市の暮らしの現実が、我々を待っています。シドニーは、自然と都会がうまく共存する、大変魅力的な街ですが、反面、大都市だけにストレスも多いし、交通渋滞もあるし、物価や税金が高い、住宅ローンの金利が高い、医療費が高い、公共交通はボロボロ、ドラッグや治安の問題・・・みたいな「トホホ」な現実も抱えています。せっかく移住してきたのに、「こんなはずじゃなかった」と失望して、帰国する人も少なくありません。人生何事も、「厳しさの中にこそ喜びがある」もの。トホホな現実とうまく付き合い、ひとつひとつクリアしていく。その過程のなかで、シドニー暮らしの喜びが垣間見えてくるのです。【シドニーの豊かな生活は、自ら勝ち取るもの】私たちは、オーストラリア社会の中では「新参者の移民」です。この国で生まれ育った連中や、移住して長年経った古参の移民に比べて、この社会における「経験値」が圧倒的に足りません。したがって、仕事を探すにせよ、家を買うにせよ、英語力はじめいろいろな面で、不利な状況に置かれてしまうものです。身も蓋もない言い方かもしれませんが、この国で豊かな生活をするためには、ある程度の「お金」が必要です。お金を稼ぐためには、専門能力やビジネス能力が必要だし、またお金をうまく使うためには、英語力、交渉力、この国の社会に関する知識や経験値が必要です。そういう能力や知識を、自力で勝ち取ることのできる人は、移住後、生活水準を上げることができるのです。【シドニーという「人種のるつぼ」で、自分の真価が試される】シドニーは、世界のほとんどの国・地域から、移民を受け入れているコスモポリタンな都市。まさに「人種のるつぼ」です。特にシドニーの西部郊外はすごく、各駅ごとに違う国から移住してきたコミュニティがあるほど。病院の説明書きなども、英語以外に10カ国語で書いてあったりします。シドニー(特に西部)で暮らしていれば、クロアチア人、ウクライナ人、パキスタン人、レバノン人、ラオス人など、日本ではなかなかお目にかかれない国から来た人々と、日常的に接することになります。彼らは、日本語はおろか、英語さえ通じなかったりします。そんな彼らと、どうやってコミュニケーションを取り、仲良くなっていくか?そこで、自分の真価が試されるのです。
2006年07月31日
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私がいま住んでいる、都内中央区八丁堀のマンスリーマンションは、8月19日で契約が切れます。それから後は、中国に一時戻り、8月31日まで滞在した後、また東京に戻ってくるわけですが、それから後の住居は、まだ決まっていません。いま住んでいるところは、通勤に便利だし(隅田川沿いの遊歩道を、徒歩15分で会社に着く!)、頑張れば東京駅から歩けるので出張にも便利だし、かつ新築で部屋のデザインもおしゃれでいいんですが、でも、8月31日以降は、たぶんここには住まないと思います。その理由は、二つ。1)間取り的に、子供連れの家族では住めないうちの娘は、生後10ヶ月半。あと1~2ヶ月もすれば、自分で歩けるようになり、そのうち、家の中を走りまわるようになるでしょう。一方、いま住んでいるところは、間取りが単身者向けで、モノが多く、子供が走り回るスペースもない上に、危険がいっぱい。ダイニングテーブルやベッドなど、角の尖ったものが多く、子供が長期間暮らせるところではありません。2)日々の買い物が不便かつ、物価が非常に高いここは東京の都心部。土地柄、オフィスは多いけれど、常住人口は少ない。だから、地元住民向けのスーパーや商店街の類が、本当に見当たりません。野菜や肉ひとつ買うにも、苦労します。しかも、都心部に住める人は皆お金持ちだからでしょうか、物価が非常に高く、「庶民価格」のものが見当たらない。ここから一番近いのは、「ポロロッカ」という都心型のスーパー。一応、生鮮食品も売っているのですが、値段は、もうびっくりする位、高い。銀座の百貨店の食品売り場になると、それに輪をかけて高額な上に、加工食品しか売っていません。築地の魚河岸でも揃うものは少ないし、日常の買い物は、隅田川を越えて、対岸の月島まで行かないと無理なようです。それにしても、うちの地元と、東京都心部とでは、スーパーで売ってる食品の値段が、ざっと2~3倍違うようで、まるで別の国に来たようです。外食、コンビニ中心の単身者ならまだしも、家族持ちとなると、生鮮食品の買い物は、日々絶対に必要ですから、いくら憧れの都心暮らしとはいえ、ここまで不便で物価が高いと、さすがに厳しいです。--------------------------できるだけ職場に近いところで、ファミリーで暮らしやすい街はないものだろうか?・・・と、模索していたところに、救世主のような街が登場しました。それは、木場(きば)という街です。ここは東京都江東区、会社の最寄り駅・茅場町から、地下鉄東西線で2駅目です。職場までの距離は3km。十分、チャリ通勤圏内です。木場は、もともと殺風景な工場街でした。私も十年近く前、木場界隈を歩いたことがあるのですが、「ちょっと、ここには住めないな」という感じでした。ですが、都心から至近距離という立地のため、いつしかマンションが建ち並び、店も増え、風景もしだいに住宅街らしくなってきました。そして、深川ギャザリアという、イトーヨーカドー系の巨大ショッピングセンターの登場によって、今では非常に活気のあるエリアに変貌しました。ここには、大型スーパーのほか、レストラン街、フードコート、シネコン、衣料品・靴売り場、本屋、ゲームセンター、スポーツジムなどがあり。ファミリーの生活に必要なものは、ほぼ何でも揃います。私がなぜ、木場に注目したかというと、ここは、「和室付きのマンスリーマンション」がある、都内でも数少ない街だからなんですね。その部屋(2DK、56平米)も、見に行ってきました。築は古いんですが、そのおかげで、ファミリー向きの間取りになっていました。和室は6畳あり、赤ちゃんが歩き回るスペースは、何とか確保できます。それに収納スペースも十分だし、ダイニング、リビングも別々に確保されているし、また角部屋でバルコニーが「コ」の字型になっていて、なかなか広い。もちろん、欲を言えばキリがないんですが、問題点としては、各部屋が細かく仕切られているため、母親が料理している時、赤ちゃんに目が届かなくなることかな。あと、バルコニーから見える風景が工場街・倉庫街で、やや殺風景ですし、また幹線道路が交差している付近の空気がやや悪いことかな(中国の大都市よりは大分マシだけど)・・・それでも、「家のすぐ前がショッピングセンター」という、誘惑には勝てません。もし木場に住んだならば、朝、昼、晩と、家族と一緒に食事を摂ることも可能ですし(お昼は、職場からチャリで駆けつける!)、また、私の出勤中、妻が赤ちゃんを連れて、ショッピングセンターで気晴らしもできます。シネコンもジムも本屋もあるし、靴や服も買えるんですから、いくらでも時間つぶせますよね♪。また、「食べることが人生最大の楽しみ」と言ってはばからない我々夫婦にとって、敷地内にある「ロータスパーク」レストラン街の存在が嬉しい。ここに入居しているレストランは、どこも美味しそうで、値段も良心的。「深川めし」、「ひつまぶし」、「夏野菜カレー」、「陳健一の麻婆豆腐」などが食べられます。また、例の和室マンスリーマンションからは、地下鉄東西線「木場」駅(徒歩7分)のほか、大江戸線「門前仲町」駅(徒歩15分)、JR京葉線「越中島」駅の3駅が利用できるので、なかなか便利。東京駅からも、タクシー3000円圏内です。とっても、気に入ってしまいました・・・。うちの奥さんがOKすれば、晴れて木場ライフのスタートです♪「深川ギャザリア」まで徒歩1分!こういう、大型スーパーがあるのが嬉しい「ロータスパーク」レストラン街。なかなかオサレな雰囲気個人的には、こういう「お惣菜屋」の存在が、一番嬉しいかも
2006年07月30日
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この週末は、千葉県の実家でのんびりしてます。東京都心からわずか30kmしか離れていませんが、ここは別天地。蝉しぐれ、鬱蒼とした照葉樹の森、草いきれの匂い・・・私の子供時代と全く変わっていません。優しい自然に身も心も癒されて、今週ずっと出張続きでハードだった仕事のことなんか、きれいさっぱり忘れてしまいそうです。とはいえ、今回の日記は仕事のことなんですね。先週から東京勤務になって以来、社外秘の情報を含め、ブログにとても公開できないような情報を、立場上、たくさん知ることになりました。その関係で、私のブログは最近、食べ物のことばっかりで、仕事の話題がほとんど出てきません。それでも、「社名、人名を含めて、固有名詞を出さない」「業界では、すでに周知の事実となっていることに基づいて書く」のであれば、差し支えないと思いますので、ひとつ書いてみますね。------------------------------さて、私の東京勤務ですが、今年末までの、約半年間についてはほぼ確定しています。その後どうなるかは、まだ不透明ですが、現状を考えるに、延長になる可能性が高いとみています。東京勤務のミッションは、一言でいえば、「日本法人が受注した、システム開発・保守などのプロジェクトの一部を、中国法人の現地スタッフに担当させる上での各種計画立案および、見積もり、人員計画、契約締結のサポートまで含む、日中間の橋渡し」です。言葉を換えれば、「日本の仕事を、中国へ持っていく実行部隊」です。この仕事における、私の立場はちょっとユニークです。私は一応、日本人ではありますが、大連を本拠とする、中国法人の常勤スタッフです。今回は中国側の代表者として、日本へ送り込まれてきました。我がチームは大変多国籍です。上司が米国人(米国本社に所属)、数名の同僚はすべて中国人(全員、日本語がほぼ完璧)。来月、赴任してくるアドバイザーがインド人(インド法人に所属)。そして、私が普段接するのが日本人(全員、日本法人のスタッフ)・・・。日々、隅田川を見下ろす東京のオフィスで英語、日本語、中国語の3ヶ国語が飛び交い、会議も、日英中3ヶ国語で対応しています。ところで・・・いま東京になぜこんな仕事があるのか、背景を少し説明しますね。私の勤務先は、米国に本社を持つ、大手IT企業です。昔から海外展開を進め、今では世界160カ国以上にオフィスを持つ、多国籍企業になっています。私は先ほども言ったように、同社中国法人のスタッフです。グローバル経済のご時世、世界中にライバルがひしめくIT業界では、「デリバリー」(ITサービス提供)、生産、販売、研究開発から、資金調達に至るまで、「全世界で最適」な体制を構築する必要があります。このうち、デリバリーに関しては、当社では数年前から、インド、中国、ブラジルを三大戦略拠点として育成してきました。たとえば、「米国プロジェクトのうち、システム開発やサポートの仕事をインドで行い、コストを下げる」、「米国・インドとの協働で得た知識を、全社的に共有・データベース化する」みたいなことを続けてきました。私自身も、これまで大連で、「米国プロジェクトのデリバリーを中国人にやらせる」仕事を、1年4ヶ月間、続けてきました。さて、話は日本に移ります。当社のなかで、日本法人は国別でみれば、世界第二位の売り上げを誇りますが、米国とは国情が違い、プロジェクトの海外法人への発注や共同作業は、ほとんど進んでいませんでした。とはいえ、日本法人も厳しい価格競争に直面してきました。安い海外の労働力を使わずに、どうやってコストを下げるのかというと、要は、「日本国内の外注(SIベンダー)さん」にお願いするんですね。極端な話、当社の日本法人が、プロジェクトマネジメントだけやって、あとの作業は、全部外注さんに丸投げしちゃう、という案件も、決して少なくありませんでした。これは、会社にとってはあまり望ましくない兆候、とされています。仮に日本法人が、このままプロジェクトの丸投げを続けていくと、「知識やスキルが、当社内に蓄積されない」上に、「プロジェクトマネジメント分しか、売り上げを上げられない」ことにもつながります。要は、技術競争力も収益構造も、痩せ細っていくわけです。特に昨年は、日本法人の業績が非常に悪化したこともあり、米国本社ではついに、「日本の立て直し」が緊急課題と認識されました。今年になって、米国人が大量に東京に送り込まれ、プロジェクトのレビューを行うことになりました。「進駐軍」として、東京に乗り込んできた米国人マネジャーたちは、口を揃えて、「中国への受注」の重要性を強調します。インド人の活用などで、コスト構造の改善を目の当たりにしてきた彼らに言わせれば、「中国人を使ってコスト構造を改善し」、「日本・中国の共同作業により得た知見を、全世界と共用する」こと。これ以外に、日本法人復活の道筋は描けない、という意見さえあります。------------------------------しかし、東京の現場では、必ずしも「進駐軍」のシナリオ通りに、事が進むわけではありません。それどころか、現場のマネジャーとの間のコミュニケーションがうまく行かず、重大な誤解や齟齬を生むことも少なくないようです。お互いに長時間働き、大変な努力をしているのに、うまく進展させられないことで、日米とも、ストレスが慢性的に溜まっているようです。それは、個々の能力の問題というよりは、もっと根の深い問題です。文化とか、仕事のやり方の違い。社会背景の違い・・・これら全ての要素が複雑に絡んできます。これは、決してクリアできない問題ではありません。日米、そして中国の文化や仕事のやり方の違いを理解し、円滑なコミュニケーションに貢献できる「橋渡し役」が、現場に豊富に存在していれば、難度は高くありません。皆さん優秀なのだから、できるはず。ところが、そういう人間が現場にいなければ、どうなるのか?米国人は、日本人マネジャーの説明を、米国流のやり方で認識します。それは、日本人の理解と、往々にしてニュアンス面でズレてしまうものです。またその逆もしかり・・・。認識のズレは、会議の場では解決されず、またお互いに確認する術も知らないために、それは後日、「トラブル」というかたちで、顕在化してしまうことが多々あるのです。また、それとは別に、日本人と中国人の間にも、文化の違い、仕事のやり方や意識の違いが存在します。同じ東アジア人だから、米国人と日本人ほど、差異が大きいわけではありませんが、それでも、橋渡し役がいなければ、いつの間にか、暗礁に乗り上げてしまうリスクを孕んでいます。だからこれは、非常にタフで困難な仕事なのです。でも私は、「これこそ、私のやるべき仕事だ!」と思っています。この仕事に、自分ほどの適任者は他にいないだろうと、私は自負しています。「日本語、英語、中国語がビジネスレベルでできる」人間は少ないし、さらに、「日本と、中国と、英語圏で、全て現地スタッフとして働いてきた」人間は、もっと少ないからです。私は、これまでの仕事人生で得た経験、というより「身体で身につけたもの」を、いまの仕事に直接活かせる強みがあります。たとえばの話、日本語の資料を英語に翻訳して、米国人マネジャーに提供する、という作業があります。これは、私のやっている他の作業と比べて、比較的難度が低く、翻訳作業のできるスタッフは、私のほかにも大勢います。ですが、「単に翻訳するだけでは、付加価値のある仕事とはいえない」のです。実際に米国人が翻訳された英文レポートを読む時、どんな風に認識して、どういう風に話を進めると思われるのか?・・・その辺まで想像して翻訳しないと、仕事上意味のある英文にならないのです。ですので、私の翻訳は思い切り「意訳」になります。日本語原文のなかで、日本独特のビジネス慣習や思考方法が反映されている部分は、バッサリ切り捨てるか、注釈をつけて小さく書く。逆に、米国人が問題にしたいだろうと思われるポイントについては、想像力を膨らませて、背景説明も含めて詳しく書く・・・。先日、私が行った英訳が、米国人の上司にたいへん喜ばれましたが、それは、仕事における「異文化コミュニケーションのツボ」を押さえているからでしょう。またそれは、私がこれまで、日本と英語圏のオーストラリアで働き、文化や言語、仕事の進め方における重点の違いを、肌で知っているおかげだと思います。また、これまで大連で多国籍チーム(4ヶ国、5言語)を率いた経験も、今の仕事に大きく役立っています。お互い、全く別の文化で育ち、言葉も違い、暗黙の了解が成り立たない状況のなかで、チームを立ち上げ、リーダーシップをとってきた経験のなかで、「誰にも理解できる普遍的な言葉を使い」、「チームメンバーの文化に興味を持ち、尊重する」ことを身につけ、いまそれが大いに生きています。日米間、日中間、米中間・・・各担当者の文化の違い、コミュニケーションの問題を、うまく橋渡しして、プロジェクトに落としていく。その過程で、質の良い多国籍チームをつくる・・・。これはまさに、私の強みが生かせる得意分野であり、これまで長年求めてきた、「夢の仕事」だという気さえしています。------------------------------私はもともと、就職にあたって、給料や待遇、会社の規模、職場の安定性などには、ほとんど興味がありませんでした。給料が多少安くても、不安定になってもいいから、「働き甲斐」、「自分らしい働き方」を、求めてきました。その結果、日本を飛び出し、オーストラリアに渡り、中国に渡り、いま6年ぶりに日本に戻ってきた、今の私があります。どの会社だった忘れましたが、入社式の挨拶で、「ビジネスの世界で本当に勝負できるのは、40歳になってから。それまでは踏ん張れ!」と、言った人がいました。いい言葉だと思いました。私は40歳になる前に、「夢の仕事」にありつけたことを、非常に幸運に思います。自分の持って生まれたものと、これまでの人生経験が、ほぼ全面活用できる仕事を。自分の得意分野や、本当に楽しいと思えることが、そのまま仕事に直結してしまい、副産物としてお給料までもらえてしまう働き方を。It's my dream job ! 夢の仕事にありつけたからには、私はこの分野で、第一人者になりたい。日本や中国だけではなく、「世界に鈴木あり」と、言われるようになりたい。そして、世界各国を講演して回ったり、多国籍企業のマネジメントに、迎え入れられるようになりたい。明日は、月曜日。夢の仕事に戻ります。どんな一週間になるのかな?今からすごく楽しみです。
2006年07月30日
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京都出張から、先ほど帰ってきました。一昨日の浜松と同様、今回も新幹線を使った日帰り出張でございます。いま、「のぞみ」を使えば、東京~京都間が片道わずか2時間20分ですから、十分日帰り圏内なのは分かっているんですが、それにしても、京都なら、せめて一泊したいよなあ・・・というのが正直なところです。京都は、魅力的な街。これほど散策が楽しい街は、日本では他にないでしょう。だからこそ、しょぼいビジネスホテルでもいいから、一泊して、京の雰囲気を堪能して、英気を養ってから、東京に帰ってきたい。いや、京都らしく、できれば民宿とか宿坊に泊まった方がいいのかも・・・でも、そういう所だと、インターネットやLANが使えないから、ビジネスマン向きじゃないっすね。もし、浜松出張と京都出張が二日連続になってたら、たぶん京都に泊まれてたんだろうな。でも、先方の都合もあり、結局、浜松が水曜日、京都が金曜日になったから、結局、どちらも日帰りになっちゃった・・・。ま、人生そんなものですね。京都はすごい暑かったです。最高気温34℃いったそうで・・・午後1時頃は、外に出た瞬間、熱を帯びた蒸気が身体を直撃し、日傘なしでは歩けないほどでした。でも、お客さんとの会議が一通り終わり、午後6時過ぎになると、さすがに涼しく、過ごしやすい気候になっていました。ところで、京都のタクシーは、クレジットカードでの支払いが便利。今日乗ったタクシーは、VISA、マスター、アメックスなど、6種類のカードで支払い可能でした。あと、「初乗り12%割引」、「深夜割増料金なし」を売り物にしたタクシーもたくさん走っていました。京都は競争が激しいんでしょうね。京都駅鴨川べり(五条大橋の下)新福菜館のラーメン「新福菜館」は、京都駅のすぐ近くにあり、ラーメンの名店として、地元では有名だそうです。私も、食べにいきました。醤油とんこつ、黒い濃厚なこってりスープが大変印象的でした。あと、チャーシューメンの肉の量が、なかなかすごかった。でも、私にはちょっと味が濃すぎたかな。たぶん、20代の頃に食べてたら、たぶん病みつきになったんでしょうけど、年齢を重ねるにつれ、味覚がやや「あっさり」に傾きつつあるそうです。あと、「新福菜館」のすぐ隣に、「第一旭」という、これまた地元では有名なラーメン屋があります。こちらも「こってり濃厚スープ」だそうです。京都、近いうちにまた行ってみたいものです。いよいよ、待ちに待った週末だ!!
2006年07月29日
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この週末は、うちの地元の夏祭り、柏まつりがあります。柏まつりは、千葉県東葛飾地方で最大の夏祭り。毎年、すごい人出で賑わいます。露店が並び、いろんなイベントが開催され、昼から夜までいても、飽きません。イベントとしては、お神輿かつぎ、太鼓、パレード、輪おどり、ステージなど。ユニークなものとしては、花自動車と、ご当地柏レイソル(※サッカーのクラブチーム)選手のサイン会か。これを目当てに、遠方からサポーターが押し寄せてくることもあります。とはいえレイソルも、J2に降格して、昔ほどの勢いが見られないのは残念ですが。お祭りというものは、「見る」より「参加する」方が数倍楽しいですよね。たとえば、お神輿を見るよりは担いだ方がずっと楽しいし、思い出も深まるものです。私にとって、柏まつりの最高の思い出といえば、自分で露店を出したことです。確か、1999年夏のことでした。当時は、オーストラリア移住を間近に控え、家にある不要なものをどうやって始末しようかと、一考していた時、ふと、「そうだ!柏まつりで露店を出せばいいんだ」というアイデアが浮かびました。早速、柏まつりの実行委員会の門を叩き、出店の申し込みをすると、家の中から、処分したい本、CD、音楽テープ、カセットデッキ、置き時計などを、集め回りました。そして、お祭り当日。ビーチパラソルを出して、品物を並べ、値札をつける。パレードが始まる頃から、お客さんがどんどん押し寄せてきて、商品を、信じ難いほどの勢いで買っていきます。そして、1時間余りで完売してしまったのです。売り上げは、2万円を優に超えました。店じまいして、近くの露店を回ってみると、私の露店が、とても異色だったことに気がつきました。他の露店のほとんどは、プロの商売人がやっているらしく、値札も、かなりいい値段がついていました。店で普段買うのと変わらないか、むしろそれより高いくらい。柏は、古着屋の町ですから、売れなくなった古着を、祭りに持ってきて売る業者が特に目立ちました。そんななかで、私の露店だけが、50円とか100円とか、ウソみたいに安い値段で売っていたのです。道理で、あんなに沢山お客が来たはずだ・・・。要は私だけ、商売っ気が全然なかったんですね。今年の柏まつり、私はさすがに露店は出しませんが、地元の友人の出店がいくつかあるので、これは行くっきゃない!今からとても楽しみです。(7/29追記)2006年柏まつりの様子です。夏祭りの雰囲気をお楽しみください。
2006年07月28日
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浜松への日帰り出張から帰ってきました。でも、「浜松で、美味しいものを食う!」という、初期の目的は達せられず。とにかく忙しくて、慌しくてねえ・・・・東京出発直前まで会議が入ってたし・浜松への車中は、駅弁を食べながら打ち合わせ・浜松に着いたら、タクシーで客先に直行して、そのまま打ち合わせ・その後、メシも食わずに浜松駅に直行して、新幹線に飛び乗り東京へ(夕飯は、ミラノサンド&ブレンドコーヒー・・・すげー悲しいぞ!)・車中では、メール書いて、レビューしてもらったら、もう東京駅に着いてた!ま、日本のサラリーマンの日帰り出張なんて、大抵こんなもんなんだろうけど、でも悔しいので、浜松駅で「うなぎパイ」だけ買って帰りましたよ(東京でも売ってると思うけど・・・)。で、明後日は、京都出張です。その日は、もっと忙しくなりそう。・東京出発直前まで、偉いマネジャーとのレビューミーティング・その後、新幹線に飛び乗って、京都へ(たぶん駅弁食います)・京都に着いたら、その足で事業所に行って、電話使わせてもらって、電話会議に参加・その後、同所にて別件の打ち合わせ・その日のうちに、東京に帰らなきゃならないから、京都で夕飯食えるかどうかも分からないそうそう、今日、京都への新幹線の切符を買いました。よく考えると、東京から京都・大阪へ行くのに、正規運賃を払ったことって、私の人生で初めてかもしれない。いつもは、・青春18きっぷ 或いは・夜行バス 或いは・JR東海などが出してる、安いツアー(正規料金より断然安い!) 或いは・金券ショップで買った新幹線切符そんな感じで、いつも安く済ましてきたもんだから、今回、正規の運賃を払うことに、すごい違和感というか、軽い罪の意識みたいなものさえ覚えました。でも、会社に請求できるからいいんですよね。別に水増し請求じゃないし、正規料金を払ってるだけですから。
2006年07月26日
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前回の日記で書いた、「ITエンジニアの働き方」にも関連しますが・・・いま、私が「出向」している職場。そこには労働組合があって、かなり活発に活動しているようです。私はこれまで、オーストラリアと中国で、ITエンジニアやってましたが、私の知る限り、職場に労組らしきものはありませんでした。オーストラリアは、どちらかといえば労働組合運動が盛んなお国柄ですが、なぜかIT産業に限っては低調のようです。一方中国では、社会主義という建前上、労働組合に相当する「工会」に、経営者も含めて全員が参加することになっているそうです。が、これは「資本家に対立して労働者の権利を守る」という、西側世界の労組イメージとは余りにも異質なものです。少なくとも、中国の我が職場に「労組がある」ことを、意識することは全くありませんでした。ですので、日本に来てみて、職場に労組の機関紙が当たり前のように置いてあって、組合員がカンパを募っているのを見ると、「へえ、こんな世界もあったんだ!」と、ちょっとだけサプライズ。----------------------------------さっき、茅場町の「ペッパーランチ」で夕食を摂りながら、機関紙を一通り読んでみました。そこで思ったこと、うーむ。このグローバル経済の時代に、こんな戦略のままだと、資本に勝利するのは難しいんじゃないかなあ・・・なぜ私がそう思ったのか?それは、機関紙の論調では、「正社員の権利を守る」ことが、前面に出てきているからです。仮に、日本でいえば高度成長期かそれ以前、世の中には少数の資本家と、大多数の労働者がいた「牧歌的」な時代ならば、その戦略でも良かったのでしょう。ところが、今は資本主義自体が複雑化し、一言で「労働者」といっても大いに重層化しました。今日の日本は、失業率が昔より高いし、さらに、派遣労働者、パート、フリーターなど、不安定な雇用関係で働く層が、以前より格段に増えています。その結果、現在では「正社員」と「非正社員」の待遇格差が、社会問題になっています。最近読んだ雑誌によれば、正社員の約8割が年収300万円以上なのに対し、非正社員の約8割が年収300万円を下回っているそうです。ごく単純に図式化していえば、同じ労働者でも、「正社員」と「非正社員」に二極分化しているのです。そんな状況だからこそ、仮に「正社員」と「非正社員」(さらには失業者、中小自営業者)を、「労働者」の名のもとに結集して、資本家・財界に対抗したいのであれば、この格差の問題に、正面から取り組まなければならないはずです。そこでは、「ワークシェアリング」とか、「非正社員の正社員化」などが、議論の中心になるべきでしょう。ところが、組合の機関紙を読む限り、その方向性が見えないのです。つまり、非正社員からみれば特権的な「正社員」の立場を守ることに、汲々としているように見える。この路線で突っ走ると、下手すれば「正社員の既得権益を守るだけの運動」に、堕ちてしまいはしないか。----------------------------------さらに、今はグローバル経済の時代。IT技術の活用と規制緩和によって、雇用が、いとも簡単に国境を超えてしまう時代です。現在の日本ではすでに、「非正社員」および、「勝ち組でない正社員」の仕事が、「発展途上国のエリート労働力」との、グローバル競争にさらされているといっても過言ではないでしょう。だからこそ、先進国の労働運動の多くは、経済グローバル化に反対しているわけで、その理屈はよく分かります。が、グローバル化の現実は、それをはるかに上回る速さで進展しています。そういう現状認識の上に立ち、国境を超えて人類に広く受け入れられる「グローバル化反対」の理屈を考えないと、結局、資本のスピードに負けてしまうのではないか。私は、大連の現場で働いているから、それがよく見えています。日本から流出したITの仕事。それを待っているのは、夢に燃え、希望に燃え、高い教育を受け、英語や日本語を自由に操る、若くて優秀な中国の労働力なのです。いまの資本主義は、優秀な途上国労働力を、先進国の仕事とを結びつける術を、すでに身につけてしまった。それに対抗するためには、どんな理屈が必要なのか?私はすぐに思いつかないけれど、少なくとも、「先進国の、それも正社員の雇用を守ろう!」ではないはず。むしろ、グローバル企業、一部の資本家、超エリートが富む一方で、先進国と途上国の労働者が、雇用をめぐって競争させられている経済構造に、鋭く切り込む理屈を考えなければならないはずです。さらにいえば、上記の機関紙では、「独仏など、ヨーロッパ先進国の労働事情を理想化」していました。私はそこに、理屈の脆弱さを感じました。というのは、理想化する対象が「ヨーロッパの正社員」だったからです。独仏などでは日本と同様、労働者のなかに「正社員」と「非正社員」の二極化が進んでいます。さらに失業率が日本より高く、加えて東欧諸国が続々とEU加盟を果たし、安い労働力がどんどん国内に入ってくるという、日本よりもっと複雑な事情を抱えています。かの社会では、現在特権的な地位にある正社員の地位が、経済グローバル化や「失業者の海」のなかで脅かされている、その度合いは、おそらく日本以上でしょう。その辺の事情に全く触れずに、ただただ西欧の正社員を理想化し続けるのであれば、それは労組の「既得権益集団」への堕落の道を、暗示しはしないか?----------------------------------「それは誤解だ!!」、という力強い反論を、私は聞きたいです。私自身、労働運動にはどちらかといえば好意的なのです。というより、労働者の権利を含む、基本的人権の考え方が日本の社会に浸透することを願っています。だからこそ、私は問いたいのです。経済グローバル化の時代における、新しい労働運動の論理とは何なのかを・・・。
2006年07月25日
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ふと耳に挟んだ話ですが、日本ではいま、厚生労働省が「労働契約法」なる法律を検討しているそうです。そこでは、年収400万円以上のホワイトカラー労働者や管理的労働者を、「自律的な働き方」をするもの見なし、労働基準法の「労働時間規制の適用を除外」する・・・要は、残業代を請求できなくするらしいです。これを読んで、私は自分自身のことを思いました。日本を飛び出して、6年。その間、オーストラリアと中国の会社で働きましたが、そういえば、残業代なんて一度ももらったことないんだよなあ。私の給料は、オーストラリアの会社では年俸制、中国の会社では月給制、という違いはありますが、「残業代がない」、という点では共通しています。残業も、少なからずしたんですが、その場合は、お金ではなく「代休」をとって消化する、というかたちしか認められませんでした。もっとお金が欲しければ、成果を挙げてスペシャルボーナスをもらうか、昇進するか、転職するか・・・それしかありません。(あと言うと、海外では会社までの交通費とか、住宅補助みたいなものも出ないんだよなあ・・・)例の「労働契約法」が目指す「ホワイトカラーの自律的労働」というのは、まさに私の状況みたいなことを、指すのかもしれません。ま、法律改正の是非はともかくとして、私は自分の、こんな働き方が、嫌いではありません。残業代が出ない(というより、「投入した労働時間」じゃなくて「仕事の成果」によって労働対価が決まる)という状況に、すっかり慣れっこになってしまったこともあるんですが、仮に次の二つの条件が満たされれば、「残業代なしの自律的働き方」も、そう悪くないんじゃないかなあ、と思います。1)働き方や働く場所を自由に決められる2)残業した分の代休を必ず取れる特に1)は、重要です。私がやってるITの仕事は、ネットさえつながっていれば、世界中どこでも「作業」はできますし、また会議も、ウェブ上で参加することができるわけですから、「自宅で仕事する」「旅先で仕事する」みたいなことが可能です。というか、これまで思う存分、その恩恵に与ってきました。ここ1年間だけでも、「オーストラリアにある、妻の実家で勤務」「香港にある、義姉の家で勤務」「日本の実家で勤務」「旅先の米国ニューヨークのホテルで勤務」「旅先の米国ニューオリンズのホテルで勤務」これだけやりましたし、また残業した分についても、「自分の長期休暇に、代休を合わせて、より長いお休みをいただく」ということも、可能でした。とはいえ、最近は管理職になり、仕事の量も増えて、プロジェクト中は「二日休むと、あとが恐い」みたいな状況もあるので、以前と比べて、休暇がとりにくくなった面もありますけどね。世の中のホワイトカラーを、一律に全部「自律的労働者」と括って良いのかどうかは分かりませんが、少なくとも私がいまやってる仕事は、「ワーク・モジュール(=作業)単位の労働」と呼ばれており、要は、「それぞれの職位ごとに、作業内容や期待水準が定義されており、それをこなすことができれば、何時間労働しても、またはどこで働いてもよい(極端な話、会社に来なくても良い)」という筋書きになっています。残業代は出ないけれど、その代わり、労働時間と場所については、融通が利くわけです。この働き方に慣れちゃえば、ま、そんなに悪いもんでもないなあ、というのが、私の実感です。とはいえ世の中には、労働時間と場所が全然融通きかなくて、職場で連日長時間労働した挙句、なおかつ残業代が出ない、というケースも多々あるのでしょう。その場合、「自律的労働」とみなすべきかどうかは、分かりませんけどね。
2006年07月25日
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築地・場内市場の人気店「仲家」で、また食べてきました。これだけは、やめられない!!!ウニ・トロ・なかおち丼(1800円)40分待った甲斐があった♪東京の友人に、築地・人形町の美味しい店を、いくつか紹介してもらったので、近いうち、全部食べにいきます。
2006年07月24日
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千葉の実家から、東京都心の仮住まいに戻ってきました。窓から見えるビル群を眺めながら、改めて思うこと。「東京の都心に住んでるってことは、すごいことなんだなあ・・・」。ここから、銀座まで、丸の内まで、日本橋まで、すべて歩いていける!!!ってことは、ニューヨークでいえば、マンハッタンに住んでるのと同じようなもので、パリでいえば、シャンゼリゼや凱旋門から徒歩圏内に住んでるようなものでしょう。パリ、ニューヨークと、多少毛色が違うとはいえ、ここはTOKYO。世界最先端の、ハイテク、エンターテインメント、ファッション、ビジネスに触れられる、天下の大都会なのです。その大東京が提供する「都会の楽しさ」を、ほぼ徒歩圏内に収める、こんな所に住める機会は、今後の人生で二度とないかもしれません。とはいえ、自分がここに住んでいることが、ひどく場違いに思うことがあります。やはり私は、千葉の田舎者なんでしょうか?そういえば、私がまだ幼稚園から小学校低学年だった頃、都心近くの文京区小石川に住んだことがあります。東京駅まで地下鉄で5駅、池袋までわずか2駅という、絶好の利便性。しかも周りに、東京大学や御茶の水女子大を控える、都内屈指の文教地区(「お受験」に最適!)。ですが幸か不幸か、わが家族は、東京暮らしわずか2年半で、千葉県に舞い戻ってしまいました(「お金が続かなかった」・・・とは、口が裂けても言えない)。その結果、私は「東京人」になり損ね、「千葉県人」あるいは「首都圏人」として、育つことになったのです。そんな千葉県(柏市)の実家で、この週末を過ごしてきました。でもまあ、東京に近い割には、のんびり、まったりして、実にいい土地だなあと、改めて故郷の良さを実感した次第です。水辺あり・・・田園あり・・・雑木林あり・・・手賀沼畔のウォーターフロント住宅地地元の贔屓目を抜きにしても、うちの実家のある所は、住環境としては、申し分ありません。一応、団地なんですが、非常によく設計されていて、まるで公園と森のなかに住宅地が点在しているような、東京郊外としては贅沢すぎるほどの、緑豊かな環境。空気も澄み、東京とは全然違います。スーパーや店も多く、日常の買い物には苦労しません。ただ、悲しいかな、通勤がとっても不便なんです。だいたい、最寄りの鉄道駅まで4km離れている!!日々の通勤を考えると、これは辛い。辛すぎる。「何て所に住んでるんだあああ!」と、絶叫したくなるほどの遠さ。ま、不便だからこそ、豊かな自然が残っているといえばそれまでなんですが、「最寄りの柏駅までのバス便が、国道16号の渋滞のため、時間が読めない!」という事情が加わり、通勤者にとってはまさに泣きっ面に蜂。せっかくの素晴らしい住環境も、東京への通勤が大変不便なために、その良さをアピールするどころか、若い住民の流出という自体まで招いています。しかし・・・とはいえ、私も幼い娘を抱える身。この水と緑と青空のもと、両親の近くで子供を育てたい気持ちはやまやま、なんです。自分自身、この土地に育ち、その良さを十分知っているから、なおさらです。しかし、通勤が無理なら諦めざるを得ないのかなあ・・・と思いきや、妙案を思いつきました。我孫子駅までのパーク&ライド方式で通勤うちの実家から、柏駅までの距離が4km、我孫子(あびこ)駅までが4km強。百貨店や古着屋が林立し、若者で賑わう大都会となった柏とは対照的に、我孫子は駅前でさえ閑散とした、静かな(何もない?)住宅都市です。駐車場代も、柏と我孫子では大きな差があります。そこで、我孫子の「交通量の少なさ」、「駐車場代の安さ」を逆手にとって、思い切って、我孫子の駅前に駐車場を借りてしまい、朝はバスなどに頼らず、クルマで悠々、我孫子入りして(ドライブ時間10分、渋滞知らず!)、そこから電車に乗って通勤すればいい。また帰りも、我孫子駅までたどり着けば、そこにクルマが待っているから、終バスの時間など気にしなくても家に帰れる。タクシー代もかからない♪さらに良いことは、うちの職場はフレックスタイムだから、朝の出勤は遅くてもいいんです。たとえばの話、我孫子駅8時36分の始発に乗れば、そこから座って、ラクラク大手町まで行けるのです。帰りは、仕事柄どうしても遅くなるけれど、「パーク&ライド方式」を使えば、ドアツードアで1時間強で行けるから、東京のサラリーマンとしては、ま、そう悪くないんじゃないかなと思います。東京都心暮らしもいいけれど、育児、環境、物価、その他もろもろを考えると、どうしても「千葉暮らし」に心が傾く今日この頃です。
2006年07月23日
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いま、千葉県の実家にいます。東京都心にある仮住まいから、電車とバス、渡し船を乗りついで、ここまでやって来ました。これまで、東京と千葉を、数え切れないほどの回数、行き来してきましたが、渡し船で江戸川を越えたのは、これが初めてです。※江戸川は、東京と千葉の間を流れる川です。東京と千葉を結ぶ船、それは矢切の渡し(やぎりのわたし)細川たかしの演歌でおなじみの名前ですよね。あと、ちあきなおみも歌ってました。今から20年以上前の話です。矢切の渡しは、東京葛飾区の柴又(しばまた)と千葉県松戸市を結んでいます。昔ながらの木船で、渡船代は100円(往復すれば200円)。普段は船頭さんが手漕ぎしてくれますが、私の行った時は、モーター使ってました。この忙しい現代、首都圏の「渡し船」は、どんどん姿を消しつつありますが、「矢切の渡し」はいまなお健在です。その理由の一つとして、東京側の「柴又」が、(映画「男はつらいよ」の)「寅さん」人気のおかげで観光地となり、平日、休日問わず、年配者を中心に客が押し寄せてきます。で、その一部が、「矢切の渡し」に流れてくるらしく、おかげで、わずか100円の船賃でもまだまだ商売が成り立つようです。大東京の片隅・柴又から、帝釈天を参道を経て、矢切の渡し、そして千葉県へ・・・。そこには、ゆったり優雅な時間が流れていました。柴又駅(寅さんの像がある!)帝釈天参道入り口帝釈天をバックに、みやげ物屋が並ぶ※帝釈天(題経寺)は、「寅さん」人気に引っ張られている面もありますが、実はなかなかの名刹です。境内には日本庭園もあり(拝観料400円)、一見の価値あり。近くの川魚料理屋「川甚」も有名です。「矢切の渡し」に到着船上にて撮影・・・川風が涼しい♪そして千葉県へ・・・
2006年07月22日
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職場にほど近い、人形町(にんぎょうちょう)の商店街。ここは、無数の定食屋、寿司屋、居酒屋、ラーメン屋、コロッケ屋、エスニック料理屋などが並ぶ、下町屈指の美食天国!!!お昼は、絶対ここで食べると決めています。人形町の顔・甘酒横丁この界隈に、「うまいもの」を食わせる各種ジャンルの店が、集結しています。中乃見家の「まぐろ炙り丼」「まぐろ炙り丼」(1000円)は、一日20食しか出さない限定メニュー。素晴らしきはその鮮度、すごい肉厚!!炙り具合も絶妙・・・「牛ステーキより、マグロステーキの方が絶対うまいっ!」と絶叫したくなるような美味しさでした。もう二日連続で、炙り丼を食べてます。もう、毎日食べ続けてもいい!「寿司中乃見家」中央区日本橋人形町2-4-1003-36692250らーめん「せい家」人形町店背あぶらの乗った、こってりした醤油ベースのスープにモチモチした太麺。これが美味しい!そして安い(ラーメン500円!)。トッピングも充実し、調味料も6種類、自由に使えます。私は、おろしニンニクを少量加えてみましたが、味が一層ひきたちました。世田谷の経堂に本店があって、東京都内に9店舗あるそうですよ。「せい家 人形町店」中央区日本橋人形町2-2-303-5640-8817最後に、有名な「人形町水天宮」。なかなか渋くていい街です♪
2006年07月21日
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今日から、東京オフィスで出勤です。第一日目なのに、いきなり忙しくて、朝から晩まで、ほとんど会議やってました。疲れたー。声かれるー。でも、日本の食べ物は最高ですね。朝ごはんから、いきなり築地の魚市場で、親子丼食べてきましたよ。食後はカフェラテ・・・天国です。来週からは、いきなり、水曜日に浜松出張、木曜日に京都出張を命じられました。浜松から一旦東京に帰って、翌日京都に行くのもばからしいので、その途中のどこかで泊まることになると思います。となると、「浜松のうなぎ&ひつまぶし」vs「京都の鯖寿司&湯豆腐」対決になるのかなあ。あと、浜松と京都の中間ということで、「名古屋のえびふりゃー&味噌かつ」でもいいかなあ。そうそう、今日のお昼、人形町で食べた「鮪あぶり寿司」が最高に美味しかったです。明日も食べてにって、是非とも写真アップしよう。相変わらず、食うことしか考えてません。
2006年07月20日
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うちの奥さんは、現在、娘(生後10ヶ月)を連れてオーストラリア・ケアンズに滞在中ですが、荷物整理のため、近くシドニーに行くことになりました。私たち家族が、シドニーを引き払ったのが昨年2月末のことなんですが、その際、ソファ、ベッドなど、大きな荷物は、シドニー在住の友人に預かってもらっていました。ところがその友人が、急遽、他都市に引っ越すことになったので、荷物をとりあえず、シドニーからケアンズの実家に運び込むことになりました。その関係で、シドニー行きが決まったようです。シドニーでの旅程は、大人3人に、赤ちゃん1人のグループで、できれば3泊くらいしたいとのこと。赤ちゃんがいるため、食器の消毒ができる施設が必要。したがって通常のホテルではなく、サービスアパートメント(アパート式の、炊事洗濯ができる宿泊施設)にする必要があります。幸い、シドニー西郊のパラマタ(Parramatta)で、2部屋のサービスアパートメントが一泊$179という、まあまあリーズナブルな値段でで泊まれることが分かったので、そこに決めることになりそうです。この宿へは、シドニー・オペラハウスの前から、JetCatというフェリーに乗って行きます。うちの娘は、早くも生後10ヶ月にして、世界三大美港のひとつ・シドニー港のフェリー乗船を、間もなく体験することになります。また、この宿の立地の良さは、ベトナム人をはじめとする東南アジア人集住地区Cabramatta、レバノン人など中近東人集住地区FairfieldやAuburnにも近く、本場のエスニック料理が楽しめることです。うちの奥さんは早くも、「朝からCabramattaでベトめし食べる!」、「Fairfieldのラオス料理の電話番号教えて!」などと、すでに食べる気満々です。ま、楽しそうですよね。でも俺には全然関係ねえ・・・。私は今晩東京に飛びます。明日は、焼き魚定食かな。
2006年07月19日
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最近は出張がたいへn多く、ホテル暮らしの機会が格段に増えました。ここ中国の場合、出張で使うホテルは、たいてい4つ星か5つ星クラス、高級ホテルの部類に入るものが多いです。一方、自腹切って泊まるホテルは、良くて3つ星だから、それよりは上のランクの宿に泊まるわけです。こんな生活に慣れてくると、高級ホテルもいいもんだなあ、と思ったりすることもあるんだけど、それでも私は、バックパッカー上がりの人間。以前、インドのカルカッタで、1泊115円の汚いドミトリーに泊まったり、香港・チョンキンマンションの、小便臭い独房みたいな部屋に泊まって、旅の空を眺めていた人間です。だから、高級ホテルが提唱するライフスタイルに、気分的に馴染めないところが多々あります。たとえばの話、私はホテルで食事をとることがまずありません。朝食時には、ホテルを飛び出して、近くで安食堂を見つけて、「粥」、「油条」、「小籠包」、「水煎包」みたいなものを、「豆乳」と合わせていただきます。夕食も、外で麺類や餃子などを食べることが多いです。あと、ホテルが呼んでくれるタクシーも、まず使いません。交通手段は、極力、公共のバスや地下鉄、路面電車などを使います。たとえ、会社の経費でタクシー代が出ると分かっていても、そんな時、「バックパッカー魂」がにわかに頭をもたげてきて、「公共交通機関だけで目的地に到達する」ことにより大きな快感を覚えてしまうのです。ホテルでクリーニングを頼むことも、まずありません。洗濯物は、自分の手で洗い、干し、乾かします。スーツなどは自分でアイロン掛けします。もちろん、クリーニングを頼んだ方がラクだとは分かっているのですが、「自分で手洗い、アイロン掛け」は、バックパッカーとしての長年の習慣なので、変えられません。あと、ミニバーに置いてあるドリンク類やスナック、お酒などを、取ったことは一度もありません(だって高いもん)。そういうものは、外のスーパーや酒屋で仕入れてきます。ホテルの電話は、法外に高いので、やむを得ない事情がある時以外はまず使いません。IP電話や、「スカイプ」などを使って、安く済ませます。あと、有料TVを見たことは、この人生でまだ一回しかないし、ホテルに付設された免税店で買い物したこともないし、ホテルで両替したこともないんだよなあ。ホテルはあの手この手で、宿泊料金以外にもお金を使わせようとするわけなんですけど、私の場合、かかるのはせいぜいインターネット代くらいで、それ以外、ホテルにお金を落とすことがないんですね。たとえ5つ星ホテルに泊まっても、消費パターンはバックパッカー時代とほとんど変わっていないのです。そして、ホテルに備え付けのティーバッグ、歯ブラシ、使い捨てシェーバーなどは、「タダなんだから、もらわな損!」と思って、いつも持っていってしまいます。要は貧乏性。
2006年07月18日
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今日の午後、上海に着きました。上海の第一印象は、暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い蒸し蒸し蒸し蒸し蒸し蒸し蒸し蒸し今日の最高気温は、34~5℃だったようですが、湿気がものすごく、それ以上の暑さに感じました。どれくらい強烈だったかというと、・外に出ると、いきなり、ヘアドライアーの熱風みたいなのが吹いてくる・30秒後に、髪の毛がじとっと汗ばむ・2分後に、シャツが肌にねっとりとこびりつくまるで、スチームサウナに入っているようなもんですが、明日は、これ以上の暑さになるそうです。上海の夏は、厳しい・・・。あまりの暑さのため、日中は外を歩いている酔狂な人はほとんどいませんでしたが、夜になると、ようやく涼風がそよぎ、外の散歩を楽しむ人がにわかに増えます。上海の夏は、夜がいい!今日は、昔の欧米租界、外灘(バンド)地区の対岸まで行ってきました。黄埔江をはさんで、欧米風の特色ある建物が並ぶ超一等地にあるハーゲンダッツ船がひっきりなしに往来しています有名な、上海テレビ塔も、そのすぐ近くにあります。余談ですが、私の泊まっているホテルは、中国ふうの内装で、なかなか素晴らしいです♪
2006年07月17日
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いま、「大連最後の夜」(?)を、一人でしみじみと噛み締めながら、過ごしています。明日は朝から上海へ飛び、木曜日からは、いよいよ東京での勤務が始まります。これは、「日本への永久帰国」ではありません。私は依然として、大連に拠点を置く中国IBMのスタッフです。東京へは「長期出張」という形で行くわけで、いつでも社命で大連に戻される立場にあります。とはいえ、今回の日本での仕事、かなり長引きそうです。今年の当社の至上命令は、「日本とのビジネスを飛躍的に拡大する!」。私はその実行部隊として、極めて戦略的なプロジェクトに関わります。これが成功すればするほど、私は東京に長期間、腰を落ち着けて働くことになるんだろうなと思います。長期戦が予想されるからこそ、私は今住んでいる大連のマンションを引き払う、という決断をしました。荷物や雑務整理のため、8月中旬~下旬にかけて、一度戻ってきますが、その後はいつ大連に帰れるのか、全く分かりません。ですので、大連ともしばらくは、お別れです。---------------------------------私が大連の土を踏んだのは、昨年の3月2日。それ以来、1年4ヶ月の歳月が経ちました。この期間、私は本当に幸せでした。仕事は充実して楽しかったし、昨年9月には、大連で娘が誕生し、我が家に新たなメンバーが増えました。我が人生のなかでも稀にみる、幸福感を味わった日々でした。そして、大連と私との関係も、たいへん幸福なものでした。21世紀初頭、経済グローバル化の時代が、この東アジアの美しい都市と私とを偶然引き合わせました。大連が私の力を必要とし、また私も大連を舞台として大きく成長することができました。その昔、大連と日本人との関係は、ここまで幸福なものではなかったのでしょう。いま私の手元に、「井上ひさしの大連」という本があります。ここでは、中国人の土地である大連を、日本人が武力により強制的に奪い取ったこと。その国家エゴに供するために、日本人兵士や開拓団を、「何も知らせずに」大陸の隅々まで送り込んだこと。やがて戦争になり、ソ連赤軍の侵攻を受け、満州に渡った多くの日本人を難民化させてしまったこと・・・その歴史とは一体何だったのか、という痛烈な自責が、井上ひさし氏一流の筆致で、描かれています。戦前、大連に住んでいた日本人は、同じ都市に住む中国人と、別々のエリアに暮らし、互いに交流することがほとんど無く、それどころか、日本人はこの土地が他人の国だということさえ意識することなく、暮らしていたそうです。まさに支配者と非支配者の、不平等な関係だったわけです。今日の大連には、3000人からの日本人が住んでいますが、昔のように、「支配者」として、この街に君臨しているわけではありません。基本的には、地元の中国人たちと同じような家に住み、同じようなものを食べ、対等な関係で平和的に共存しています。戦後60年経った今日、大連に暮らす日本人が、こういうかたちで大連と関われることを、私はたいへん幸福に思います。そして今や、日本人や韓国人だけでなく、インド人やフィリピン人、英米人やアフリカ人など、世界各地から来た人々が、大連を舞台に平和的に共存しています。大連を見ていると、つくづく、人間の世の中というのは、紆余曲折はあっても、徐々に進歩しているのだという、希望を感じます。そう、大連は希望の街・・・。---------------------------------この私も、大連に住む一員である以上、この街が、いろんな人種民族が楽しく共存する多文化の街になるよう、微力ながら、貢献しようとつねづね思ってきました。私が、会社の仕事のなかで、実現したことといえば、1)私のプロジェクトチームでフィリピン人を採用フィリピンから当社に応募してきたR君は、ガールフレンドがすでに大連に来ており、彼自身も何とか大連に働けないかと思い、履歴書を送ってきました。幸い、私のプロジェクトチームで欠員が出て、R君が面接に見事合格したため、めでたく入社(&彼女との再会)という結果になりました。2)インド人の同僚を、契約社員から正社員に格上げ我がチームメイトのインド人P君は、IBMの正社員になることに惹かれて、はるばる大連まで働きに来たのですが、コミュニケーションが十分とれなかったこともあり、手違いで契約社員になってしまいました。「もし、正社員になれなければ、インドに帰る!」という、厳しいプレッシャーのもと、私は四方奔走して、2ヶ月以上かけて、ついに彼を正社員にすることを会社に納得させました。目標を達成した彼は、大連で幸せに暮らしています。3)大連ソフトウェアパークで働く外国人の生活向上を、市長に提案大連市政府は、この街を外国人IT技術者にとって、より魅力な都市にするアクションプランを、いま検討しています。私は、全社員のなかで、ダントツで発言数が多かったこともあり、市主催のヒアリング(公聴会)に参加を請われました。その後、6月20日付で、戴玉林副市長から手紙が届きました。そこでは、私たちが行った9の提案項目のうち、比較的難易度の低い3つの項目について、「至急対応する」との回答を得ました。また、プライベートでは、何といっても、私の娘が大連で誕生したことが、一番大きかったです。日本国籍の父親と、オーストラリア国籍の母親によって育まれた生命が、大連で誕生する!これほど、21世紀の大連を象徴する出来事はないかもしれません。---------------------------------私は間もなく、東京に拠点を移して、職業生活の新たな段階に入ります。大連での1年4ヶ月が飛躍の時期だったから、東京の仕事では、さらに大きく飛躍したい。「IT業務アウトソーシングの専門家になる」という目標を実現するために、絶好のポジションを得たのだから、このチャンスを是非ともモノにしたい。そして間もなく、家族全員で東京に「移住」します。私の母国・日本で、これから新たな生活が始まるのです。東京では、大連時代にも増して、笑顔の絶えない幸せな家庭を築いていきたい。さようなら大連。私は忘れない。目の眩むような経済成長を遂げるこの街を舞台に、私も大きく成長できたことを。そして、この街で過ごした日々が、最高に幸せだったことを・・・。
2006年07月17日
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私は、主観的にはまだ20代前半ですが、実年齢は、すでに30代後半(まじかよっ!!)・・・。巷で「中年」と呼ばれる領域に、そろそろ差し掛かりつつあります。こんな年齢層になると、当然、世の中で自分より年上もいっぱいいれば、年下もたくさんいるわけで、私の同期の間でも、「最近の若い者はブツブツ・・・」みたいな愚痴を言って溜飲を下げる連中が、少しづつ増えてきました。逆に、自分より年上の世代(50~60代など)に対しても、「オヤジはこれだから困るんだよな」みたいな言い方をする人も、少なからずいます。なお、愚痴というのは、「直接面と向かってのコミュニケーションではなく、陰口のようなかたちで、文句を言う」ことを指します。年上の世代が、年下の若者世代に対して愚痴を言う。それは古今東西を通じて、どこにでもある話です。遠くは仏陀や孔子、アリストテレスやプラトンの時代から、現在に至るまで、人間誰でも、若い頃には、「最近の若い者は・・・」みたいな言われ方をされたに違いありません。もちろん、その逆(若い世代が年上世代に愚痴を言う)も然りです。世代が違えば、価値観や習慣、思考や行動のパターンに、ある程度の違いが出てくるものです。人間を取り巻く環境は、常に変転を続けているし、また人間は、その時代特有の環境に適応しながら、生きていく動物だからです。たとえば、同じ日本で生まれ育っても、いま50歳の人と、20歳の人とでは、育った社会環境がかなり違うために、「分かり合えない部分」が、どうしても出てくる。それが、「なんだあいつらは・・・」みたいな違和感として出てくるのは、ごく自然なことです。人間、年を食ったら若い衆に対して愚痴のひとつふたつ言うのは、呼吸やオナラをするのと同じくらい当たり前なこと・・・。ただ私は、その種の愚痴をできるだけ言いたくない、という気分を持っています。なぜなら、・偉そうに若者批判をしたところで、よく考えれば自分の世代だって、所詮同じくらい馬鹿だろうと思うし、また、・恨みがましくオヤジ(年上世代)批判をしたところで、自分の世代だって、ああいう年齢になれば、似たようなことを言われるに違いないと思うからです。人間(もちろん私自身も含めて)、世代や国籍民族は違えど、極めて不完全な、欠点だらけの生き物であることからは逃れられません。ですので、「自分たちのことを棚に挙げて、他の世代を非難して悦に入る」よりも、・お前らも馬鹿なら、俺たちも馬鹿。馬鹿同士、楽しくやっていこうぜみたいな言い方をする方が、どれだけお互いに気持ちの良いことだろうかと思う。あと一つ言うと、「若者が年上世代に愚痴を言う」のと、「大人(中年や老年)が若者世代に愚痴を言う」のを比べてみると、後者の方が罪深い、という気がいたします。というのは、・現代社会において、若者世代は、社会環境を変える力はほとんど持っておらず、・逆に中年以上の世代は、社会環境を変える力を持っているし、それを良くする責任も負っている。言い換えれば、若者は、中年以上の世代がつくった社会環境に適応して生きていくしかない。・したがって、年上世代が若者を批判する時、彼らが生まれ育った環境をつくった自分たち世代の責任を、常に意識しなければならない。もしその視点がなければ、ある意味、無責任であると考えるからです。とはいえ、中年以上の世代といえども、「そう言ったところで所詮、俺たちに世の中を変えることなんてできないんだよ」と、思う人が多いことでしょう。私も、99%は同意します。人間ひとりひとりは、実に弱いものです。いくら選挙権があっても、企業社会の中堅で頑張っていても、それでも、我々のあずかり知らぬところで、世の中の大勢が決められてしまっており、自分はそれに微塵も影響を与えることはできないように見える。若者と同様、中年以上の世代だって、所詮、社会環境に適応していかなきゃならない生き物であり、その無力感が、若者に対する愚痴みたいなかたちで出てくることもある・・・その気持ちは、よく分かります。ですが、私の心のなかで、「残りの1%」が、ひっかかっているのです。私は、社会を変えるにあたって、「99%の無力感」と「1%の希望」を共存させています。私は、「1%の希望」を、2%、3%と、徐々に向上させていきたい。逆に、希望が「0%」になり、無力感だけになってしまったら、ある意味、人間おしまいだと思っています。そうなったら、世の中の物事や他人に対して愚痴を言うだけの人間になってしまう。生命を持続させていくことはできても、「精神」のない、セミの抜け殻みたいな人間になってしまうと思う。私は、「1%」の希望の灯を消さないためにも、他の世代、特に若い人々に愚痴を言うことは、極力控えようと思う。愚痴を言えば言うほど、「無力感」だけが増幅されて、「希望」が増すことはないからです。若い世代に文句があるのなら、直接面と向かって、「教え導く」、「叱咤激励」みたいなかたちで接していきたいと思う、今日この頃です。
2006年07月16日
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明後日の朝、いよいよ日本へ向けて出発です(途中、上海で2泊します)。これまで、米国とかインドとか、香港とか、いろんな国に出張してきたけど、母国・日本への出張(というか転勤)は初めてです。しかも勤務先が実家の近く(東京)なので、「出張費もらって地元に帰る」というのも、何ともいえず不思議な気分です。東京の一番の楽しみは、もちろん「日本食」!・・・食べ歩きが三度のメシより好き(っていうか、同じことですね♪)な私の目には、美味しい定食屋が集結する東京が、「この世の極楽」に映っております。しかも、今回の勤務先は「茅場町」、宿泊先は「八丁堀」にあり、この一帯は都内屈指の「和グルメ」の宝庫。特に、徒歩圏内に「築地」、「門前仲町」という、「二大グルメタウン」を擁しているのが心強い。1)築地(つきじ)言わずと知れた、「世界最大の魚市場のある街」。日本各地や世界から集められた「美味しい魚」が、巨大な魚市場から街中に溢れ出している、凄い街です。築地を中心に、その周辺の「勝どき」、「月島」界隈には、「魚料理だけで勝負する」定食屋が、それこそ無数に存在しています。この種の店では、とにかく、魚以外のメニューがない!!その代わり、取り扱う魚種がやたら多かったり、魚の部位、調理法のバリエーションが非常に豊富だったりするので、毎日食べても飽きません。今すんごく、「マグロのカマ(頭)定食」が食べたい気分です。絶対に食べるぞ!築地といえば、忘れられない思い出があります。以前、築地で勤務していた頃、連日終電帰りで、妻との時間もロクに取れなかった時期があります。そこで彼女は、「お昼だけでも一緒に食べたい」ということで、手弁当をつくって、柏から片道1時間もかけて、毎日毎日、築地まで届けてくれたのです!これは、うちの家族、親類一同のあいだで、大変な美談になったのは言うまでもありません。ですが妻は、単なる「手弁当デリバリー」だけでは終わりませんでした。築地に出てくるたびに、この界隈の「美味しい定食屋」を、毎日丹念にチェックしていたのです。女性ひとりで、しかも片言の日本語を使って、食べ歩く日々(よくやるよなあ・・・)。時には、「この店すごく美味しいのよ」といって、築地の名もない路地裏の定食屋に、連れていってもらったこともあります。あと、場内市場にある「仲家」のウニ丼も美味しかったなあ。まだ11時過ぎなのに、台湾や香港の観光客を含めてすごい行列でしたが、待っただけの価値はありました♪2)門前仲町(もんぜんなかちょう)略して「門仲」(もんなか)とよばれるこの街は、知る人ぞ知る、「美味しい小料理屋の宝庫」。富岡八幡宮の門前に、軒を連ねる小料理屋・居酒屋の数、計り知れず。門仲には、職場の先輩が住んでいたこともあって、よく飲みにいったものです。特に頻繁に足を運んだのが、「魚三酒場」。この店は、100種類以上の魚料理を扱う大衆居酒屋。短冊メニューが店中に溢れ、何を頼んでも一皿230円みたいな驚異的な安値!でもネタは新鮮だし、とにかく美味しいのです。魚三には、うちの奥さんを連れて、何度も食べに行きました。彼女は、「魚三だったら、30分や1時間並んでも、行く価値はあるよね」と言ってくれます。あと門仲は、裏路地の居酒屋めぐりも楽しい。店の数は半端じゃないし、どこも値段はリーズナブル。5000円札で3軒はしごもラクラク可能。東京オフ会は門仲でやりたいっす♪-----------------------------------築地、門仲のほかにも、由緒ある和定食屋の多い「人形町」、昔ふうの洋食屋が多い「銀座」は徒歩圏内。学生向きのスタミナ系定食屋の多い「神保町」も遠くないし、コリアン料理の集結する「東上野」、ウナギや天ぷら、どじょうの美味しい「浅草」も、十分射程圏内。この抜群の地の利を生かして、「築地・門仲うまいもの探検隊」、是非やりたいっす♪
2006年07月15日
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日本への出発を間近に控え、私の身辺は連日、送別会の嵐です。今日から4日連続で、出発前日びっしり予定が入っております。今日は仕事帰り、職場のプロジェクトチームの面々が、オリンピック広場にある「Samba Barbecue(桑巴製造概念餐庁)」で、送別会をやってくれました。13人も集まってくれて、感謝感激!私のチームは、日中韓をはじめ、インド、フィリピンの出身者までいる、グローバルなチーム。私がいただいた色紙のメッセージも、4つの言語(英日中韓)で書かれており、とても素晴らしい思い出になりました♪ところで、ブログ「大連日記」の今後に関してですが、以前と比べて、仕事の話題はあまり書けなくなるのかなあと、思っていますこれまで、私はシドニーと大連で働いてきました。職場の人間で、日本語を読める人が非常に少なかった。だから、「このくらい、書いちゃってもいいだろう♪」とタカをくくって、職場のいろんな話題を、遠慮なく書いてきました。また、これまでの仕事の内容は、純粋に技術職でしたし、責任範囲も非常に限られたものでしたので、会社の機密情報とか、社外秘情報なども知りようがなかった。だから安心して書けてた面がある・・・。ですが、これからは違います。職場で一緒に働く人が日本人になるわけですし、また立場上、「情報を漏らしたらクビになりかねないような情報」にも触れることがあるので、会社での出来事は非常に書きにくくなるでしょう。ま、自分の趣味でやってるブログのせいで、クビになんかなったら目も当てられません。とはいえ、気を使いすぎた結果、当たり障りのないことしか書かない、つまらない(おとなしい)ブログになってしまっても面白くない。いかにして、今後とも多くの読者に支持させるブログであり続けるか?それが、今後の課題になるでしょう。ま、いくらでも方法はあると思いますけどね。
2006年07月13日
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今から一週間ほど前、私の仕事上の肩書きが、"Advanced IT specialist"から"Associate project manager"に変わりました。開発・サポートなど「技術職」から、チームリーダー・プロジェクトマネジャーといった「管理職」への転身を目指して、はや1年4ヶ月。今年11月には、「管理職」としてさらに上のレベルを目指す、昇進試験が控えています。とはいえ、肩書きが変わったからといって、普段やっている仕事の内容が一変したわけではありませんし、給料も変わりません。ですが、私は今後「技術職」ではなく「管理職」の方向に進むのだということを、周囲に知らしめる意味はあるのかもしれません。概して、私みたいに、これまで技術屋ばっかりやってきた人間は、自分が「管理職」や「リーダー」になることに対して、得体の知れない恐怖感を感じているものです。誰しもそういう立場になれば、マシン相手じゃなくて、生身の人間相手の仕事になるわけで、「自分が、プロジェクト全体に責任をもてるだろうか?」、「自分が引っ張って、皆がついてきてくれるだろうか?」みたいな不安に支配されがちです。私自身、オーストラリアで働いている頃は、自分が管理職をやることは当分ないだろう、と思っていましたし、また自分にそういう天分があるとも思っていませんでした。ですが昨年3月、中国・大連に転職してからは、常にリーダーをやり続けてきました。プロジェクトチームのリーダー、技術部門のリーダー、英語教育のリーダー等々・・・。それをやり続けて、はや1年4ヶ月。今ではさすがに、ずいぶん自信がついてきました。特に、大連で新しく立ち上げたロータスノーツ技術部門はメンバー100名以上を数えますが、そんな大きな組織を、自分が先頭に立って引っ張り、いろんなプロジェクトを立ち上げ、大きく発展させてきました。一年前の自分からすれば、リーダー・管理者としてこんなに成長できるとは想像もできませんでしたし、意外にも、自分にこの方面の天分があったことを、改めて認識させられました。組織においては、人間こそが最大の財産。そして、機会を与えられれば、人間はいくらでも成長できる・・・。改めて、私に成長の機会を与えてくれた中国と、いまの職場の皆様に感謝したい気持ちで一杯です。その他に、ある人物(女性)にも、感謝の言葉を贈らねばなりません。その女性は、昨年の初め、私がまだシドニーのIBMで働いてきた時に、日本IBMから出向してきました・・・みたいに書くと、面が割れちゃいますよね。彼女自身、私のブログを毎日読んでるかもしれないし、そうでなくても、私の読者の誰かが、彼女と面識あるはずですから。彼女がシドニーに越してきたばかりで、まだ右も左も分からなかった頃、私は、当時自分が主催していた食べ歩きサークル、「ウェスタンサバーブうまいもの探検隊」に招待しました。私はとにかく、食べ物が大好きで、美味しい店があると聞けば、居ても立ってもいられず、すぐクルマを飛ばして食いにいく・・・という性分です(おかげでずいぶん太りました)。幸い、「同好の士」が何人も集まったので、月に1~2回は、シドニーの東へ西へ(西が多かったけど・・・)、お食事会を主催していたものです。ですが、「美味いもの」をいろいろ食べて、万事ハッピーに見える私も、当時は、仕事の面で大きな悩みを抱えていました。オーストラリアのIT技術者の仕事が、労働コストの安い海外にどんどん流出していく状況のなかで、「この仕事を続けている限り、早晩行き詰まる。下手したら路頭に迷う!」ことを、強く感じていました。加えて、自分はIT技術者として、さほど優秀でもありません。技術者として、誰にも真似できないような仕事ができるならともかく、自分がそうでない以上、「技術者を使う立場」に立たないと、活路が開けません。となると、狙うべきはプロジェクトのマネジメントという方向性になるわけですが、自分にその方面の経験はないし、適性があるとも思っていませんでした。そんな「重ーい」話が、楽しいお食事会の場で、私の口からふと出てしまったことがあります。その時です。例の女性(いや「恩人」といいましょう)が、とても軽快な語り口で、こう言ってくれたのです。「プロジェクトのマネジメントって、要するに、ウェスタンサバーブうまいもの探検隊みたいなものよ!」この一言で、目からウロコが落ちました。なるほど、仕事の場ではないにせよ、私は確かに、「うまいもの探検隊」で、お食事会を企画したり、参加者を募ったり、連絡したり、みんなが参加しやすいように配慮したり、レストランへの道中、迷ってしまった人をサポートしたり・・・みたいな作業を、日常的にやっていたのです。しかも、ウェブサイトまでつくってマーケティングまでしていた!私は、そういう作業が楽しくて仕方ありませんでした。だいいち「食い意地」が張っていたし、また「食べること」を通じて、新しい友人と出会えるのも楽しかったから・・・。ですが視点を変えて、「プロジェクトマネジメント」の目からみた時、私がやっていることは、まさに「マネジャー」が「プロジェクト」を運営する作業にほかならなかった。「なるほど、難しく考えることなんかない。要は、うまいもの探検隊のノリでやっていけばいいんだ!」。その時、自分が今後、管理職・リーダーを目指すことに対する恐怖感は、きれいに雲散霧消してしまったのです!で、その1年半後、いまの私があります・・・。「本当にできる人は、簡単な言葉で、物事の本質をつく」発言をするものです。その言葉は、人生を変える力を持っています。人間の潜在力、やる気を引き出し、人生の新たな地平を拓く、魔法の言葉・・・。私もいつか、そんな言葉をつぶやけるようになりたい。彼女を目標にして、日々精進していきたいと思います。
2006年07月12日
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私の身辺は、とにかく流動が激しい今日この頃ですが、ここ当面の身の振り方が、ようやく決まりました。7/16(日)まで 大連に滞在7/17~19 上海へ出張7/19夜 東京へ移動7/20~8/19 東京での勤務(一時出張)8/20~8末 中国(大連、上海)へ一時帰国8末~ 再び東京での勤務(赴任)東京の住まいも、とりあえず決めました。職場から歩ける距離にある、マンスリー(月貸し)マンションです。場所は中央区の八丁堀!(広島の八丁堀じゃなくて、東京の八丁堀っすね♪)「職場から徒歩圏」を選んだ理由は、うちの娘がまだ幼い(生後10ヶ月)からです。まだ授乳が必要な年頃、疲労気味の妻をサポートしなくてはなりませんし、また家族団欒(&家庭における父親のプレゼンス)が必要な時期でもありますので、できるだけ通勤に時間をとられたくない。また欲をいえば、朝、昼、晩の三食を、家族と一緒に摂れるようにしたい。八丁堀に住めば、職場まで徒歩12~13分ですから、頑張ればお昼も家族と一緒に摂れるし、また妻や娘に万一トラブルがあった場合、すぐ駆けつけられる距離でもあります。またすぐ近くに、聖路加病院があるのもポイント高いし、3~4分も歩けば隅田川沿いの遊歩道で散歩も楽しめます。築地の魚市場にも徒歩圏内だし、頑張れば銀座まで歩いていけます。(でも、うちの奥さんには、銀座ショッピングにハマって欲しくないなあ。お金がいくらあっても足りなくなっちゃう・・・)ただ、八丁堀みたいな都心部に住むのは、人生のほんの一時期のことだと思っています。これから子供を育てるにあたって、もし首都圏に長年住むのであれば、やっぱり郊外の、自然豊かなところに住みたい。かくいう私自身も、幼稚園から小学校低学年にかけての約3年間、東京都心(文京区)に住んだことがあります。それ以前は、郊外(千葉県の柏)に住んでいました。当時の柏は、本当に田舎で、いろんな意味でダサかったから、私の両親にとって、わずか3年とはいえ、「花の都」に住み、先進的な学問や文物に身近に触れられる環境を得たことは、本当に大きな収穫だったと思います。ですが、「子供の目」は、大人の目と少し違っていました。小学2年生の夏、東京から柏に戻ってきた私は、子供心に、とても嬉しかったのです。柏に帰ってまず思ったこと、・校庭が本当に広い!(東京では、運動会もできないような、猫の額ほどの校庭だった)・野球のできるような空き地がたくさんある!また柏に帰ると、東京ではできなかったいろんなことが、できるようになりました。・「カンけり」や「ドロケイ」が、屋外でいくらでもできる(東京では、室内で「メンコ」くらいしかできなかった)・家の近所で、セミ、カブトムシ、クワガタがとれる(東京では、デパートでお金出して買うものだった)・柏の北のはずれの「布施弁天」まで、家族でハイキングができる・4月になれば、近くの田んぼで「セリ摘み」をして、おひたしにして食べられる・10月になれば、近くの田んぼで「イナゴ採り」をして、甘露煮にして食べられる・手賀沼の揚水機場で「クチボソ」をとって、それを牛久沼に持っていってブラックバス釣りができるあの頃に比べると、柏もずいぶん開けてきて、場所によっては、東京とほとんど変わらなくなってしまいましたけど、でも鉄道駅を離れれば、まだまだ自然が残っていますし、「柏産のこしひかり」が売り出されるほど、広大な農村地域も擁しています。親にとっては(東京への通勤)がちょっとキツいけど、子供の健康や成長のことを考えると、なかなか良い場所だと思います。というわけですので・・・東京在住の皆さん、柏在住の皆さん、一緒に呑みましょう♪7月20日以降ね。
2006年07月11日
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三方を海に面した大連。夏場の海岸は、大勢の白人さんたちで賑わいます。その多くは、ロシアから来た観光客です。彼らは、中国人の町・大連ではビジュアル的に「目立つ」こともあり、「国際都市・大連」の演出に一役買っています。ところが、秋の声を聞く頃になると、彼らの姿がとんと見当たらなくなります。冬になると、ここの観光業界は全くのオフシーズンになり、閑古鳥が鳴きます。「夏しか来ないロシア人を、冬の大連にも呼び込もう!」という特集記事を、先日の新聞で読みました。そこには現状分析と、さまざまな提言が盛り込まれていて、面白かったです。【現状分析】1)ロシア人観光客にとって大連は、ライバル都市である青島や、北京付近の「北戴河」などに比べて、競争力があるとはいえない。2)その理由の一つに、大連が遼東半島の南端にあって、「交通上の盲点」となっていることがある。要は大連に来た後、他の都市に行く際の交通アクセスがよくない。3)また、大連が冬場の観光資源に乏しいことが、ネックになっている。【提言】1)冬場でも楽しめる、「温泉+スキー場」を、もっと充実させる2)中国漢方医療を、観光コースに組み込み、ロシア人シニア層の支持を得る3)観光地やホテルで、ロシア語を話すスタッフを増やすとはいえ、いくらロシア人が裕福になってきたとはいえ、現時点ではまだまだ、最大のお客さんは日本人です。2005年のデータによれば、大連を訪れた外国人観光客は、延べ51万人。そのうち約半分(24万人)を日本人が占めています。日本からの観光客からみて、大連の地理的位置は、むしろメリットです。日本各都市からの直行便も充実し、名実ともに、「日本に一番近い中国の都市」と言えるでしょう。ですが、「大連自体の観光資源がいまいち乏しい」こともあり、日本人観光客の数は、ここ数年伸び悩んでいます。苦境を挽回するために、大連の観光関係者は、同じ東北地方の都市、長春とハルビンと組んで、日本各地をキャラバンで回り、プロモーションに努めてきました。そこで使ったのが「ロマンの都市・大連」「太陽の都市・長春」「氷雪の都市・ハルビン」というキャッチフレーズでした。大連を「ロマン」で売り込むのは、この街に郷愁を抱く、日本人シニア層をターゲットにしたものでしょうか?ここからは私の意見になりますが、大連は、住むには良いところだけれど、観光地としての価値となると、いまいち弱いと思う。なぜなら、1)北京の故宮・万里の長城のような、「圧倒的な観光資源」がない2)海はあるけど、ハワイやバリのような、美しい熱帯のビーチではない3)パリやウィーンのような、しっとりした落ち着いた街並みがあまりない4)香港やソウルのように、ショッピングですごい魅力があるわけでもない5)近隣に大きな観光地がなく、隣り町・瀋陽まで400kmも離れている!確かに、海の景色はきれいだし(水質はともかく・・・)、中山広場もロシア街も、それなりに良いんだけど、「わざわざ、海外から来てまで見る価値のあるものだろうか?」と思ってしまいます。そこで、聡明な大連の指導者たちは、「イベント」づくりに燃えています。これは、正しい方向性だと思う。たとえば、間もなく「国際ビールフェア」が開かれますが、これが将来、「ドイツのオクトーバーフェスト」みたいに有名になれば、世界中からのビール好きを集めることができるかもしれない。あとは、北京など「大観光地」と組み合わせた、魅力的な周遊型旅行商品の開発も必要でしょう。たとえば、「日本→大連→北京→日本」みたいなフライトにして、北京とあわせて遊べるようにするとか・・・。内モンゴルと組み合わせてもいいかも。現時点で、大連は、中国第15位の観光都市だそうです。
2006年07月10日
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昨日の続きです。中国・東北地方は、南から順に、大連、瀋陽、長春、ハルビンという4つの大都市が、鉄道に沿ってほぼ一直線上に並んでいます。緯度でいうと、大連が岩手県の一関、瀋陽が函館、長春が旭川、ハルビンが稚内の北、宗谷海峡あたりに位置します。ここは大陸性気候なので、日本の同緯度の地域と比べて、冬の寒さはさらに厳しく、夏は逆に暑くなります。たとえばの話、稚内で夏場30℃を超えることは滅多にありませんが、同緯度のハルビンでは連日30℃超えが当たり前。「暑くてたまらん!」と、ハルビンの市民は大挙して、涼しい大連や青島に「避暑」に出かけるため、飛行機も連日、盛況です。高緯度にも関わらず、夏場の高温のおかげで、ハルビン周辺は、大穀倉地帯に変貌しました。小麦やトウモロコシの畑が、果てしなく続く風景(米作も可能!)、それは、米国中西部のGreat Plainsを彷彿とさせます。こんな風景が、延々と続く・・・また、ハルビンを中心とする黒竜江省は、古来、日本との関わりが深かった地域です。ここは、伝統的な漢民族地帯ではなく、粛慎、扶余、韃靼などとよばれるツングース系の民族が、漁労、狩猟などで暮らしていました。その彼らが、漢民族王朝の影響を受けて、古代王朝を興すわけですが、その時期は奇しくも、日本史の夜明けとほぼ同じでした。この地域で最初の本格的な古代王朝は、「渤海国」(ぼっかいこく)。その成立は西暦698年で、日本の大和朝廷より1~2世紀遅れただけです。「渤海国」は、日本海を超えて日本の奈良朝廷に使節を送り、積極的に交流(貿易)しました。余談ですが、彼らの首都は「東京」(東京竜泉府、いまの黒竜江省・牡丹江付近)と呼ばれていました。日本の首都が「東京」を名乗るより1000年以上も前に、彼らはアジア大陸で「東京」を首都としていたのです。「渤海国」がその後、モンゴル系遊牧民族「契丹」に滅ぼされ、数世紀を経たあと、今度はこの地域から、「マンジュ」(満州)を名乗るグループが勃興し、「契丹(遼)」を滅ぼし、北京に攻め入り、中国の北半分からシベリアまでを版図に入れる、強大な「金」王朝をつくりました。「金」の首都「上京」は、ハルビンの郊外にありました(その後、北京に遷都)。余談ですが、「マンジュ」というのは、日本人にも馴染みの深い「文殊(もんじゅ)菩薩」のことです。これは、梵語起源の言葉です。「女真」とよばれるツングース系の民族が、仏教化し、文殊菩薩を信仰するようになったので、そう名乗るようになったのです。「マンジュ」族は、中国の歴史文化に多大な貢献をしました。「金」王朝が滅びて数世紀経ったあと、17世紀初頭、彼らの子孫が再びこの地で勃興し、漢民族王朝「明」を滅ぼして、北京を首都とする「清」朝を成立させました。中国全土を支配し、長い歴史時間を経るなかで、「マンジュ」族は漢民族とほぼ同化してしまいますが、その代わり、中国の文化にも大きな影響を及ぼしました。たとえば「チャイナドレス」(旗袍)。これは漢民族の伝統的な服装ではなく、「マンジュ」族の服装文化です。「辮髪」もしかり。また、「北京標準語」も、清朝の宮廷用語をベースとしているため、「マンジュ」語の発音や語彙がたくさん入っています。今回はハルビンの「近代以前」の歴史に触れられる場所を、いくつか回ってきました。1)「極楽寺」(東北4大名寺のひとつ)たくさんの信者で、賑わっていました。ロシア人観光客も、デジタルビデオを片手に、喜んでました。仏像と五重塔が並んでいる!中国でも「お布施」というようです。2)「文廟」(孔子廟)ここは、日本人シニアのツアー客が多かったです。この中に、「黒竜江省民族博物館」という、省内に住む少数民族の生活用具や衣服を展示する、小さな博物館がありました。なかには、日本のアイヌなど、北方少数民族に通ずるものもあります。ホジェン族の、「魚皮でつくった衣服」3)「金上京」(金王朝の遺跡)ハルビンから、ミニバスに揺られること、約40分。「阿城」という小さな町のはずれ、農村地帯に静かに鎮座していました。ここに、「金」王朝の太祖、「完顔阿骨打」の陵墓があります。あまり知られていないらしく、観光客は数えるほどしかいませんでした。ここで面白いのは、「地下宮殿」。冬の酷寒、夏の猛暑をしのぐためか、金王朝の要人たちも、地下で暮らしていたようです。地下に下りてみると、たしかに、鍾乳洞のように涼しい(というか寒い)。外の30℃の暑さを忘れてしまうほどです。地下宮殿の入り口財宝がざくざくとなぜか白馬が・・帰りは、飛行機を使いました。ハルビン空港は、想像以上に立派な近代的空港でした。おしまい
2006年07月09日
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前回の日記で、「ハルビンは暑い」と書いた途端、空がにわかに曇ってきて、小雨まじりの陽気に。おかげで、涼しい一日になりました。今日は、ハルビン観光の定番コース、「中央大街」~「松花江」~「太陽島」~「聖ソフィア協会」を中心に、歩いて回りました。今日だけで、たぶん15kmは軽く歩いたと思います。中央大街~ここはヨーロッパ??ロシア人のつくった欧風の(って当たり前か・・・)街並み。歴史的建造物も多く残り、なかなか素敵です。「いつまでも佇んでいたくなる」ストリート。雨の中央大街も、味があっていいですね。朝からビール♪勤め人にとって最高の喜びは、「朝から堂々とビールを飲めること」。嬉しいことに、ハルビンの街の至るところに「ビールスタンド」があって、手軽に飲めます。お値段は、中ジョッキで2元(30円)の安さ!屋台も併設されていて、「おつまみ」にも事欠きません。中央大街をバックに、琥珀色の液体。至福のひととき・・・明日も絶対「朝ビール」するぞ!松花江昨年の化学工場爆発&汚染事件で、日本でもすっかり有名になった(?)観のある「松花江」は、ハルビン市民の母なる川です。さすがに東北地方で1、2を争う大河だけあって、大陸を感じさせるスケール。多くの市民が、水遊びをしてました(水は泥川で、お世辞にもきれいとはいえない・・・)。凧挙げも、なかなか好評のようです。なぜかドラえもん広い松花江を、ロープウェイで一気に越えてしまう!太陽島風景区松花江の対岸にある「太陽島」は、4ヘクタールもある広大な公園。ハルビン市民にとってお手軽な観光地として、いつも家族連れで賑わいます。冬のハルビン観光の目玉「氷祭り」(「札幌雪祭り」に似たイベント)も、ここで行われます。入園料は30元(450円)と、それなりのお値段はしますが、それだけの価値はあります。なかには、「ハルビン・新潟友誼園」内の和風建築(宿泊も可!)もあれば、リスもいれば、北方の大自然の、片鱗を味わうこともできます。ロシア人観光客東北地方のなかで、大連が日本色、瀋陽が韓国色の強い都市だとすれば、ハルビンはロシア色の強い都市と言えましょう。町中ところどころに、ロシア語の看板が目立ちますし、ロシアからの輸入雑貨も、当たり前に売られています。その割に、ロシア人の姿が見えない・・・と思いきや、いるところにはいました!ロシア人一行は、観光バスをしつらえて、「太陽島」へ大挙して来ていました。そこからハルビン市内にわたるロープウェイも、ほとんどロシア人客で占められていました。太陽島公園の散策路では、中国人男性とロシア美女のペアが、二人づつ歩いていました。どんな言葉で会話しているのか、耳をそば立ててみると、中国人の男が片言のロシア語で、「ダー」とか「ニェット」とか、頑張って話していました。あと、中央大街のマクドナルドにも、ロシア人が結構いました。Supersize me!!外国人料金復活?以前の中国では、観光施設の入場料が、中国人料金と外国人料金の二本立てになっていて、外国人というだけで中国人の2倍3倍、下手したら10倍くらい、とられたものです。それが、中国人の所得水準向上に伴い、多くの都市で、外国人料金が廃止され、中国人と同じ料金で入場できるようになりました。少なくとも、大連では外国人料金は絶滅したように思われ・・・。ところが、ハルビンに来てみると・・・例の「松花江ロープウェイ」の料金体系が、こうなってました。中国人:片道30元外国人:片道50元私はもちろん、中国人料金で乗りました(外国人だってバレないもん♪)。だって、同じサービスを受けるのに、余分に料金払うのって、納得いかないじゃないですか。だから私は、1990年以来、中国で外国人料金を払ったことは一度もありません。ちなみに、ロープウェイの入り口では、英語表記さえなく、中国語とロシア語表記だけでした。要は、「中国語で、片道30元って書いてて」その次に「ロシア語で、片道50元って書いてる」わけです。ま、ロシア人はツアーで大勢で来てるから、団体割引で30元くらいになってるのかもしれませんね。牛肉麺大好き♪ハルビン人は、ビールのほか、牛肉麺が大好きなようで、街の至るところに、「美国加州牛肉面大王」というチェーン店がありました。信じがたいほどの数です。私は、「美国加州牛肉面大王」の牛肉麺は、それほど口に合わないのですが(「兄弟牛肉面」の方がずっと美味いと思う)、それでも、これだけ店がたくさんあると、「もしかしたら、美味しいのかもしれないな」という気になってしまうから、人間の心理って面白いです。ところで、「スシ・ビールヌードル」なる店を発見!さすがに、「寿司」と「牛肉麺」の組み合わせはないだろう・・・と思いきや、"Sushi"は「寿司」の意味じゃなくて、店名「蘇氏」の北京語読みだったんですね。明日に続きます。ではお休みなさい・・・。
2006年07月08日
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今朝7時、夜行列車でハルビンに着きました。朝食をとって、いま駅前のネットカフェにいます。ここは、日本語が入力できていい♪とはいえ、もともとは中国語と英語の入力システムしかなかったので、Windowsの「コントロールパネル」の「地域・言語の設定」をいじって、日本語入力が可能になりました。このネットカフェは、客に「コントロールパネル」をいじらせてくれるから嬉しい。でも、中国のネットカフェはどこもそうだけど、タバコの煙がすごい!健康のこと考えると、早めに出た方がいいな。ハルビンの第一印象は、とにかく暑い!!!まだ朝早いに太陽光線ギラギラ、大連よりずっと暑いぞ。あと、人がやたら多い・・・って、ここは中国だから当たり前なんだけど。まだ駅前しか歩いてないけど、年季の入った建物が多い。バスやタクシーも、大連みたいな真新しいタイプが少ない。たぶん、5年前か10年前の大連は、こんな感じだったんだろうと思う。あと、この街は、スタイルの良い、可愛い女の子が多いみたいです♪これから、ハルビンのどこを歩くか、ぜんぜん決めてませんが、ま、ぼちぼち考えますかねえ。ちょっと奮発して(?)、「軟臥車」に乗りました♪ハルビンの手前、「扶余」駅付近の農村風景。韓国にもこんな地名があったような・・・ハルビン駅到着。やっぱり人が多い!!
2006年07月08日
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東京への赴任の件、勤務開始日は7月17日(月)に決まりそうです。ということは、「今週末は、大連で過ごして」「来週一杯、大連オフィスで勤務して」「来週末は、いよいよ東京への移動」東京に行ったら、当分、(中国に)帰る予定がありません。したがって、今週末こそが、大連で過ごす最後の週末になるわけです。私はいま、妻と娘をオーストラリアの実家に置いて、たった一人だけ大連に残り、気楽な独身生活を謳歌(?)しています。この状態は、昨年9月に娘が生まれて以来、初めてのことです。今月末には、東京で家族と合流するわけですから、今週末は名実ともに、「独身生活最後の週末@大連」なのです。こんなチャンス(?)は、滅多にないことなので、週末どうやって過ごそうか、早くも今からいろいろ思案しています。大雑把にいえば、「どこか遠くへ、旅に出るか?」あるいは「大連に残って、お勉強するか?」の二者択一で、迷っています。今後、家族と合流してしまえば、「一人旅」どころではなくなるので、旅を優先させたいところなんですが、一方で、私はPMP(プロジェクトマネジメント資格)の試験を間近に控えているほか、プロジェクト関連の研修資料も、いろいろ読み込まなきゃならないという、「お勉強漬け」の状況にあります。家に赤ちゃんがいると、なかなか勉強に集中できないから、たった一人でいる、この貴重な時間を利用して、落ち着いて勉強に取り組むのも悪くないかなあ、と思っています。また、今のうち一生懸命勉強しておけば、それだけ後の仕事がラクになるし、逆にいえば、いま勉強しなければ、後で苦しくなることも、よく分かっています。しかし、目の前に広がる、「大満州」の大地を歩くのも捨てがたい!!!どうしよう??今のところ、6:4くらいで、「旅」プランが優勢ではありますが・・・一見お気楽な「独身」生活、フタを開けてみれば、なかなか悩み多きもののようです。
2006年07月07日
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昨日の日記に書いた、「娘の将来資金運用計画」ですが、いろいろ検討した結果、次の線でまとまりました。米ドルについては、浦東開発銀行の固定利率商品で運用人民元については、中国招商銀行の基金(ファンド)で運用今日は早起きして、まず、浦東開発銀行の米ドル口座をつくりました。その後、中国招商銀行の人民元ファンドも一気につくるぞ!と、意気込んで行ったのは良いのですが、申込書に記入した後、なぜか窓口でやたら待たされました。窓口の女性職員は、私の申込書をシステムに入力しようと、いろいろ頑張ったのですが、なぜかうまくいきません。そこで、ベテラン職員(こちらも女性)に助けを求めました。ベテラン職員は、私にこう聞いてきました。「ファンドの口座名は、アルファベットのSUZUKI MANABUではつくれないので、漢字名の"鈴木学"に変更しますが、それでいいですか?」私は、別に異存はないので快くOKしました。が、漢字名に変更しても、なぜか入力がうまくいきません。ベテラン職員は、「なんでだろ?」と、首をかしげつつ、ファンドの詳細を記入した、分厚い資料を持って、それを首っ引きになって調べました。そして約3分後、つれない答えが・・・。「残念ながら、外国籍の方は、中国でファンドに入ることはできないようです」聞くと、中国では、どうやらそういう法律になってるようです。でも、ファンドは買えなくても、保険商品は外国人でも買えるとのこと・・・。よー分からん国だ!それにしても、招商銀行の皆さんは、「外国人は人民元ファンドを買えない」ということを、誰も知らなかったのでしょうか???というわけで、人民元の運用は、後日に持ち越されることになりました。当面は通常の定期預金になりそうです。
2006年07月06日
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1~2週間後の日本(東京)勤務が確実となったいま、今後の生活設計について、いろいろと考えをめぐらせています。我々、中国現地採用のスタッフが、社命で日本勤務になった場合、2種類の「収入」を得ることになります。1)中国でもらう人民元建ての給料(私は米ドル払い)2)日本勤務に伴う、日本円建ての「出張手当」一見、「おいしい」話に聞こえるかもしれませんが、実際のところ、そんなに優雅な話ではなさそうです。中国に比べて物価がずっと高い日本で暮らす場合、1)「中国のお給料」だけではとても足りないので、2)「出張手当」は「物価の差を補填する」意味合いが強くなります。少なくとも、「日本の給料にさらに出張手当を上乗せして、物価の安い中国で暮らす」、所謂駐在員(Expat)ライフとは、全く別物でしょう。我が家の場合、一家3人揃って日本に「一時移住」するわけですが、日本ではあまり贅沢せず、つつましく暮らそうと思っています。理想をいえば、1)日本での生活費を、「出張手当」だけでまかなう2)中国での給料は、全く手付かずのまま毎月振り込まれるが実現できればベストだと考えています。東京の物価で3人が暮らすことを考えれば、難しいかもしれませんが、やってできないことはない。もしこれが実現できると確信がもてたならば、わが娘の将来のために、積み立てをはじめようと思います。具体的には、1)中国での貯蓄の、約80%を娘の「教育資金」として、ファンド(中国語で「理財商品」)で運用する2)残りの約20%を、不慮の出費に備えて確保しておく。中国の「理財商品」は星の数ほどありますが、その大部分が人民元建ての商品で、米ドルや日本円を扱うものはまだ少ないようです。私が今日見かけたものは、「米国債ファンド:年利5.08%」みたいな、ローリスク・ローリターンの商品で、現時点では結局、こういうものしか選択肢がないみたい。だから、娘のファンドは、1)貯蓄の大部分を占める米ドルについては、国債みたいなローリスク・ローリターン商品2)貯蓄の一部を占める人民元については、株中心のハイリスク・ハイリターン商品も視野にいれる (注.中国株への投資は、まだやっていません。)みたいな組み合わせにしようかな、と考えています。貯蓄といっても、大した残高があるわけじゃないけれど、貧乏人なりに、無い知恵をしぼっていろいろ考えてみました♪
2006年07月05日
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急遽決まりました!東京・箱崎オフィスでの勤務。できれば来週月曜日から、東京で働いて欲しいとの要望でしたが、大連でいろいろと引継ぎもあるので、再来週からのスタートにして欲しいと、いま交渉しています。期間は3~6ヶ月だそうですが、プロジェクトの状況によっては、さらに延長になるかもしれません。住む場所はとりあえず、当社が都内で借り切っているウィークリーマンションになる可能性が高そうです。自宅から通うと遠いもんなあ。こんな感じで、事態が急展開している今日この頃です。とりあえず、東京の皆さん、一緒に飲みましょうね。
2006年07月03日
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先々週から先週にかけて、まる一週間、家族で日本に滞在しました。今回の滞在は、妻をして、「日本に住みたい!」という気持ちを、さらに強くしたようです。おかげで私は、「あんた、いつ日本赴任が決まるのよ?」と、妻にいつも圧力をかけられています。確かに、ここ中国と比較した時、日本の生活環境は、魅力的ではあります。街の清潔さ、道路の良さ、商品・サービスの品質の良さ、人々の礼儀正しさ、公共交通の便利さ、そして空気の良さ(中国の都市と比べた場合、それを痛感します)等々・・・。特に幼い子供を持つようになって以来、我が家は以前より一層、生活環境に敏感になったようです。日本は確かに素晴らしいと思いましたが、ただ一つだけ、馴染めないことがあります。それは、「赤ちゃんに対する態度」です。中国人は、赤ちゃんが大好き。大連でも上海でも香港でも、人々は街で赤ちゃんを見かけると、「好可愛的小宝宝!」と言って、満面の笑みを浮かべ、喜びを全身で表現します。生後9ヶ月のわが娘を連れて中国の街を歩くと、さながら、映画スターかセレブの気分を味わえます(でも、なかには汚い手でうちの娘に無断で触ってくる人もいて、困ってしまいますが・・)。幼い娘も、「皆が可愛がってくれる」ことを肌で知っているのでしょう。街で大人を見かけると、ニコリと微笑むようになりました。日本に住む実家の両親も、「ずいぶん愛嬌のある子だねえ!」と、感心していました。ところが日本では、中国ほど、赤ちゃんがチヤホヤされないことに気がつきました。時にはこんなこともありました。娘を連れて日本の街を歩いて、見知らぬ大人に会った時、娘がニコニコと微笑みかけても、大人の方が無視する!無視しているのか、遠慮しているのか、それとも道中急いでいるのかは分かりませんが、中国人と比べて、「赤ちゃんに構ってくれない大人」が多いことは、事実だと思いました。あと一つ思ったことは、関西と関東を比べてみると、関西の方が「赤ちゃんを可愛がって」くれる人が多く、関東人の方が「つれない」感じがしました。あくまで私の主観ですが・・・。ま、中国と日本(そして関西と関東)の文化にはいろいろと違いがあり、赤ちゃんに注ぐ愛情も、それぞれの文化に合った表現方法があるでしょうから、良い悪いは言いません。ですが少なくとも、赤ちゃんが笑顔を見せている時くらいは、周りの大人も笑顔で返してもらいたいものです。また、私も常にそうしようと心に決めました。
2006年07月03日
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日本から大連に帰ってきたばかりですが、休む間もなく、いきなり一泊二日の社員旅行に行ってきました。今回の行き先は、「冰峪溝」。大連北方、約200kmの山岳部にある景勝地で、「北方小桂林」という別名があるように、渓谷と奇岩の織り成す、山水画のような景色が一番の魅力です。行程は、こんな感じでした。【一日目】大連8:00発→バスで冰峪溝12:00着昼食後、冰峪溝で4時間ほどハイキング、16:30ホテル着18:00 夕食20:00よりカラオケ大会【二日目】7:30朝食8:00より、「歩雲山温泉」にて、入浴および温水プールで水泳12:30昼食13:00冰峪溝発→大連16:30着ま、それなりに楽しかったですよ。でも、次回も行きたいかといえば、ちょっと・・・。景色はそれなりにキレイなんだけど、とにかく、人、人、人の海・・・中国はどこ行っても、人が多すぎますよね。今回の社員旅行は、総勢約300人。男性も女性も、例外なく3~4人部屋で宿泊。しかも、部屋の鍵が一つしか渡されないから、「室長」を決めて、お互いに声掛け合いながら外出するという、まるで中高生の修学旅行みたいだ!二日目に行った温泉なんて、4人で1つのロッカーを共有で、しかもキーは一つしか渡されない。だから「ロッカー長」を決めて、4人揃って集団行動。いい歳して、こんなことやりたくないよなあ・・・。ホテルの部屋には、ポットはあるけど水はなく(なぜだ?)、もちろん給湯器なんていうハイカラなものはない。電話もないし、もちろんインターネットなんかできない。ベッドとテレビと浴室があるだけの、いたってシンプルなもの。でもテレビのチャンネル数だけはやたら多かった・・・。おまけに、部屋の浴室は温水が出ないし、だから仕方なく「共同浴場」に行ったんだけど、そこではシャワーが20~30本、無造作に並んでいるだけで、もちろん仕切りもない。ま、温水はちゃんと出たんだけどね(って当たり前か)。ご飯は、大テーブルで10人揃っていただく中国式スタイルですが、味の方はいまいち・・・じゃがいもと豚肉の煮付けみたいな田舎料理が、大きな容器に無造作に盛られきて、味付けはやたら塩辛く、さすがの私もあまり食欲わきませんでした。二泊目の「温泉」もいまいちでした。とにかく、芋洗いみたいに激しい人ごみに加え、お風呂場は清潔感がなく、シャワーの半分以上は壊れていて、温水もチョロチョロとしか出ない。その隣に巨大な「温水プール」があるんだけど、水温が38℃くらいあるようで、少し泳ぐと頭がクラクラしてくるほどの熱さ。おまけに、水面にはプカプカ、白いゴミみたいなものがたくさん浮いており、「湯の華」なのか「人間の垢」なのか、判別がつかないけど、気持ち悪かったのですぐ上がりました。文句ばっかり言っちゃったけど、でも費用は全部会社持ちだから、あまり贅沢は言えないのかも・・・。ですが、一日目の夜のカラオケ大会で食べた、「山羊の丸焼き」だけは美味しかったなあ。もちろん、300人の前でカラオケ歌ったのは言うまでもありません。世界中どこへ行っても男芸者、もといエンターテイナーを貫き通します♪
2006年07月02日
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