2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全29件 (29件中 1-29件目)
1

部下の一人が、先日、大連で家を買いました♪新居を買った、といっても入居はまだずっと先の話です。建物はまだ建築中で、物件の引渡しは今年8月の予定。その後、内装工事をやって、家具や電化製品を入れて、住めるようになるのは早くて今年末、たぶん来年になるだろうという話です。(※余談ですが、中国の不動産売買というのは面白くて、家を買った時点では、とてもじゃないが人間が住める状態じゃありません。中国語で「清水房」と言いますが、内装もない、電気・水道も通ってない、窓もない、壁と部屋の枠組みだけがある「スケルトン」の状態で買うのが一般的です。だから、家を買った人が、内装工事屋さんを使って、住める状態にしなくちゃなりません。)私はその部下と、以前から不動産情報の交換をやっていました。彼はつねづね、「30万元(430万円)あれば、家が買えるんだけどなあ・・・」とこぼしていましたが、今回、彼が買った物件の内容をみる限り、おそらく、40万元(570万円)かそれ以上、払ったのではないかと思われます。もちろん、20年か25年のローンを組んだのでしょう。中国人にとって、40万元の家を買うことは、ちょうど日本人が4000万円の家を買うような感覚になります。彼はその他、内装代や家具代に10万元はかけるでしょうから、推定50万元の出費!思い切ったなあ・・・というのが私の正直な実感です。ですが、不動産の高い大連では、思い切らないととても家など買えません。ちなみに間取りは、3LDKのマンション。5階建ての最上階です。天井にロフトがついているらしく、なかなかおしゃれ♪新居の場所を聞くと、「えっ!」と驚くほど、遠い。「山東路」というところなんですが、ここは大連市街地からも、勤め先からも、約15km離れた新興住宅地です。バスを乗り継げば、通勤に片道1時間かかるような立地で、「職住近接」が基本の大連では、かなりの遠距離通勤になります。ですが、近年は不動産価格の高騰と、都市人口増加のため、ここ大連でも住宅地が遠い郊外まで広がる傾向が目立ちます。「山東路」は、行政区分では大連市甘井子区に属しますが、この甘井子区こそが、現在、大連における新興住宅開発の中心地になっています。いま、大連の都心三区(中山区、西崗区、沙河口区)では、すでに住宅や商業ビルがビッシリ建てこんでおり、まとまった宅地を求めれば、その外側にある甘井子区に行くしかない。実際、大連の大型分譲住宅地の多くは、甘井子区にあり、カルフール、ウォルマートなどの巨大ショッピングセンターも、同区内にたくさんできています。地図で確認すると、「山東路」というのは、郊外でありながらかなり発達した商業地区で、「華南ウォルマート」にも近い。場所的には、大連市街と開発区、ソフトウェアパークのほぼ中間にあって、どこへも通勤が可能です(ちょっと遠いけど・・・)。近隣に大きな公園もあって、住環境もまあまあ良いそうです。但し、空港に近すぎるために、航空機の騒音がかなりすごいらしい。でも、大連の空港は、あと10年もすれば金州湾に移転しますから、それまでの辛抱と考えればいいのかも・・・。今後、大連に長く住むことを考えれば、「なかなかいい所に目をつけたなあ」と思います。マイホーム購入は、彼にとって、「大連永住」の決意の表れなのかもしれません。彼は北隣りの吉林省の出身なのですが、最近、大連戸籍も取り、大連で不動産も手に入れました。それと時期を同じくして、山東省の青島に住んでいたガールフレンドが、最近、大連に越してきました。彼ら二人は、これから「大連の人間」として、山東路のマイホームで楽しく暮らしていくのでしょう。【大連の住宅地】↓人気blogランキング、順位変わらず、現在9位。人気blogランキングへ
2006年03月31日
コメント(6)

私の同僚が、先日、社命を受けて、お隣りの吉林省の都市・延吉に向けて飛び立っていきました。延吉(イエン・チー)とは、吉林省東部、というより、北朝鮮との国境近くにある、人口35万の中規模都市です。特にめぼしい産業はなく、ほとんどの市民が料理屋、サウナ、マッサージなどのサービス業で生計を立てています。そんな街に、なぜ出張に行くのか?といえば、ずばり、「朝鮮語を話す人材を採用するため」です。そう、延吉は、中国No.1の、朝鮮語人材の宝庫なのです。この街では、人口の大多数が朝鮮族。中国語をしゃべらず朝鮮語だけで暮らしている人も少なくないそうです。学校も、やろうと思えば小・中・高・大学と、全て朝鮮語だけで事足りてしまうという環境。そして、この街の名物といえば、本場の朝鮮料理♪なんでも、中国で一番美味しいらしい!うう、行ってみたい・・・。私の勤め先では、いま、数十名単位の「朝鮮語人材」を一気に採用して、韓国向けプロジェクトの要員として使おう、という話が進展中です。韓国向けのビジネスは、日本向けほどではありませんが、今年は大幅に伸びることが予想され、仕事が受注できた時にすぐ人材を配置できるように、早めのアクションが求められます。(※「朝鮮」、「韓国」と、使い分けるのが面倒だから、これからは「コリア」、「コリアン」に統一しますね。)ところで、ここは大連。この街では、日本語人材の募集は比較的やりやすいです。大連だけで、日本語学習人口が10万人を超えるそうで、なかには日本での就労・留学経験のある者もいて、日本語が本当に流暢な人も少なくありません。中国のなかでも、大連・瀋陽を中心とする東北地方の日本語熱は群を抜きます。ところが、コリアン人材となると、極端に少なくなる。大連では、もともと朝鮮族の人口が少ないうえに、コリアン学習者も、日本語学習者に比べればずっと少ないからです(最近は、いくぶん増えてるそうです)。瀋陽や青島に行けば、もう少し採用しやすいんでしょうが、でも短期間に、一気に数十名を採用するのであれば、やはり本場、コリアン人材の宝庫・延吉に行くのが一番良いのでしょう。延吉在住経験のある友人の話によれば、延吉にはすでに、韓国人顧客向けのコールセンターの類があるそうです。但し、中国の朝鮮族の話すコリアンと、ソウルの人の話すコリアンとは結構違いが大きいらしく、意思疎通に問題はないけれど、一言聞いてすぐに、「韓国のオペレーターじゃない!」ことがバレるようです。中には、朝鮮族を韓国に連れてきて、発音矯正トレーニングを行うところまであるらしい!韓国から中国への、IT業務のアウトソーシングは、まだ始まったばかりです。もともと韓国企業は、日本以上に、「なんでも自分の会社(財閥)でやりたがる」傾向があるらしく、アウトソーシングがなかなか国境の外に出ていかないのですが、今後はきっと、増えていくことでしょう。Tips and Trips - 延吉市について韓国焼肉を食べたいです♪↓人気blogランキング、9位をキープ。人気blogランキングへ
2006年03月30日
コメント(4)
北国・大連も、最近、ずいぶん春らしくなってきました。時々、冷たい風が吹きますが、昼間はポカポカ春日和♪・・・日もずいぶん長くなって、午後6:30くらいまで明るいです。あと、外気温が暖かくなったので、私の住むマンションの全館暖房は、あと数日で終わります。4月になれば桜も咲き、いよいよ春本番です。今回は、3月25日の日記「仕事が逃げてきた」の続編です。私が以前、オーストラリア・シドニーで担当していた、アプリケーションサポートの仕事が、大連に移されることは、すでにお話ししました。今日の時点で、すでに2名の「後任」候補が決まり、彼らは明日、いよいよオーストラリアと最終面接です。その面接官はなんと、私がシドニーで4年も一緒に仕事した男!ということで、私は急遽、彼ら2人の「面接対策」をやることになりました。私はここでは、「相手を知り尽くした男」。たとえていえば、ストイコビッチがユーゴ代表の監督になって、日本代表と対戦するようなものでしょうか。でもねえ、自分が昔やってた仕事の面接サポートするのも、なんだか複雑な気持ちなんだよなあ。なんだか、私がオーストラリアで一緒に仕事した仲間の仕事を奪うことに、加担してるような気がして・・・。ですが、私の目の前に、新しい仕事への期待感で目を輝かせた人々が現れると、そんな鬱な気分も一気に吹っ飛んでしまいます。私が一通り、プロジェクト概要および面接対策の講義を終えると、2人から、鋭い質問がバシバシ飛んできました。彼らは、英語力はバッチリ。技術知識もバッチリ。一人はウェブ系のエンジニア、もう一人はUnixとメインフレーム系のエンジニア。スキルの組み合わせもバッチリ!彼らを見ていると、私が以前オーストラリアでやってたサポートの仕事が、本当にシャレにならないくらい、脆弱な基盤の上に立っていたことに、改めて気づかされます。あの種の仕事って、確かに専門技術職ではありますが、それでも労賃の安い国のエンジニアでいくらでも代替できてしまうわけで、マネジメントがその判断を下せば、労賃の高い先進国のエンジニアが途端に仕事を失ってしまう・・・。オーストラリアのIT業界についていえば、英語だけを使ってサポートやテストの仕事をしている層が一番「不安定」というか、職を失いやすいような気がします。Java開発者とか、データベース管理者は、もともと安定しやすい職種といわれていましたが、それでも最近は、インドや中国で簡単に代替できるようになったので、安泰とはいえません。日本語を使うサポートなどは、オーストラリアではできる人が少ないので、いくぶん雇用流出のリスクは低いと思いますが、それでも最近の大連では、日本語のできる中国人を使った、日本向けサポートの仕事が急成長中ですので、将来的には安泰とはいえないでしょう。この業界で生き残るためには、つまるところ、「オンリーワン」になる必要がある。自分にしかできない、或いは他人では代替のきかない仕事の領域を開発して、それを積極的にアピールしていく必要がある。私の場合は、「日・英・中のマルチリンガル」+「IT業務アウトソーシングの専門家」という方向性で、生き残りを賭けていこうと考えています。こう書くと、シビアに聞こえるかもしれませんが、要は、「サラリーマンでありながら、一種の自営業をやっている」と考えれば良いのだと思います。自分の商売であれば、まずお客さんを開拓しなくちゃならないし、また、同業他社が簡単には真似できないような何かを持ち、それをアピールしていかなくちゃならない。ITエンジニアの生きる道も、要は、それと同じことだと思います。もう一つ、気づいたことなんですが、当社の場合、労賃の高い先進国から、安い途上国に仕事を持ってくる際、人員を増やさないケースがほとんどのようです。私にはそれが、不思議でなりません。シドニーの平均的なITエンジニアの労賃は、時間あたり約50米ドルだったと記憶してますが、一方大連の同レベルのエンジニアのそれは、時間あたり約15米ドル。約3分の1の値段で使えます。だったら、3人雇えばいいのに、実際には1人しか雇わない。ひどい(?)場合には、米国やカナダで5人でやってた仕事を、中国に持ってきて3人でやらせることさえある!ところで話は変わりますが、安い労働力を使って「浮いたお金」は、一体どこに行ってしまうんでしょう?株主に還元しているのでしょうか?(それにしては、株価上がらないんだよなあ・・・)、或いは、値引きというかたちで、顧客に還元しているのでしょうか?それとも、業績連動ボーナスみたいなかたちで、上層部のポケットに入ってしまうのでしょうか?(それは十分ありうるかも!)。本当は、私のポケットに入ってくればいいんだけど、それは、今のところないです。↓人気blogランキング、9位に浮上!止まらぬ快進撃人気blogランキングへ
2006年03月29日
コメント(4)

今日は、仕事でとても辛いことがあって、柄に似合わず落ち込んでいます。ことの顛末を、まだまだ書く気にはなれないのですが、なぜ辛いのかといえば、「恩を仇で返してしまった」からです。仕事のなかで、私が下した(成り行き上、下さざるを得なかった)決断が、結果的に、私にとって大事な人の気持ちを大いに傷つけてしまった・・・。とはいえ、今回、私がそれほど間違った判断をしたとは思えません。それは、自分自身の正義感に照らし合わせても、また会社の方針からいっても、家族生活への配慮からいっても、そう悪いものではなかったと思う。ですが、ある種の決断はえてして、誰かを利し、誰かを傷つける。ビジネスとは、組織とは、そういうものなのでしょう。何かを得るためには、何かを切り捨てなければならないことだってたくさんある。私が今後、マネジメントの道を歩んでいくのであれば、今回のような、「こちらを立てれば、あちらが立たず」・・・。しかも、心情的に身を切られるような思いを伴う選択をしなければならない場面が、きっと増えることでしょう。それでも立場上、決断を下さなくてはならない。自分の決断が、誰かを傷つけてしまうことを承知の上で、あえて、それをしなければならない。ま、ビジネスマンじゃなくても、大人は誰でも、多かれ少なかれ、その種の悩みを抱えているものです。両肩にのしかかる責任の重さ、自分の下す決断の重さと、ずっと、付き合っていかなくてはなりません。それは時には、半端じゃなく疲れるものです。大人はつらいよ・・・と思った時、沈んだ心を優しく癒してくれるもの。それは、「子供」だったりします。今日の私も、最高に落ち込んでいた時、娘(赤ちゃん)の笑顔で、ずいぶん癒されました。また、「子供時代の思い出」も、時には、素晴らしい癒しの効果があるようです。昨日書いた日記、「ビニ本の思い出」も、落ち込んだ時に一読してみると、ずいぶん、心がラクになりました。どうしてそうなるのか分かりませんが、私思うに、子供の心って、大人がいま抱えている苦悩とは、全然無縁だからなのかもしれません。ま、子供には子供なりの苦悩があるわけですが、それは、大人特有の、時に重圧に押しつぶされそうになる苦悩とは全く別物なのでしょう。だから、心の清涼剤になる・・・。これからは、気分が向いたら、少年時代の思い出を、どんどんブログの日記に書いていきたいと思いました。自分が悩んだ時、自分で癒すことができるように・・・。↓人気blogランキング、ついにベスト10入り!人気blogランキングへ「ビニ本」エッセイ、なかなか好評でした♪
2006年03月28日
コメント(7)
先日、大連の街角でなぜか、ビニール袋をかぶった本を見ました。どういう理由でビニールがかかっているのか知りませんが、あれを見て、「あっ、ビニ本だ!」と思ってしまうのは、私の年齢、というか、育った時代のせいなのかもしれません。ビニ本とは、1970年代から80年代前半にかけて、一世を風靡した(?)「エロ本」、つまり「女性の裸体の写真を満載した雑誌」のことです。この種の本は、分厚いビニール袋がかかってて、中がよく見えないようになっているので、「ビニ本」(ビニール本)という名がつきました。ビニ本、という言葉が死語になってから、約20年の歳月が経ちました。いま20代の人は、たぶん、この言葉を聞いたことさえないでしょう。でも、この言葉がまだ存在した当時、ちょうど思春期を迎えていた私にとっては、懐かしい響きのある言葉です。今となっては、遠い昔の話です・・・。【1982年、東京郊外の街・柏にて】古今東西を問わず、人類の「性の目覚め」は、11~12歳頃にはじまります。小学校高学年になれば、たいていの女の子が「月のもの」を体験しますし、中学1年生にもなれば、クラスの男の子の大部分のオチンチンが勃起するものです。しかし、男性器が「機能」するようになっても、それをすぐ、「性行為」というかたちで「使いこなす」男の子は滅多にいません。いや、本当のところは知りませんけど、少なくとも私の行ってた中学校では、そこまで「進んだ」男子生徒はほとんど皆無でした。そんな少年たちの性衝動は、自然、「エッチな本」に向かうわけです。セックスの情報が氾濫した今日と比べれば、当時の中学生を取り巻く環境は、いたってシンプルで、牧歌的なものでした。今みたいに、コンビニに当たり前のようにエロ雑誌が置いてるわけでもないし(コンビニ自体が少なかった)、レンタルビデオ屋でアダルトビデオが簡単に借りられるわけでもない(その種の店自体が存在してなかったし、だいいち、「AV女優」という言葉さえなかった)、インターネットのアダルトサイトもない、そんな時代でした。当時のエロ雑誌は、今から考えれば、いたって「おとなしい」ものでした。思い起こせば、「プレイボーイ」という、水着姿のグラビアを売り物にした雑誌とか、「俺の空」という、ちょっとエッチな連載マンガがあるくらいでした。当時の中学生は、私を含めて、そんな程度のもので、「すげーすげー!」と興奮していたのですから、ま、のん気なもんです。私自身も、中学1年の時、「プレイボーイ」を230円も出して買ったことを、今でも覚えています。当時のお小遣いが月500円でしたから、これはかなりの出費です。しかもご丁寧なことに、隣り町の我孫子まで自転車を飛ばして買いにいきました。狭い柏の街でプレイボーイを買って、万一それがクラスメイトにバレたら、翌日、「あいつはプレイボーイを買った!」と黒板にデカデカと書かれて、恥ずかしい思いをするからです。ですが中には、「プレイボーイ」では飽き足らず、もっと強い刺激を求める者もいました。そんな連中にうってつけなもの、それが、「ビニ本」でした。当時の「ビニ本」は、アメリカ直輸入のハードコア、ソフトコアのエロ雑誌が中心で、あと国産ものもいくつかありました。その全てが、ビニールをかぶり、薄暗い店でコソコソと売られていました。地下出版みたいなもんです。当時の柏で、「ビニ本」を扱う店といえば、「桃○郎堂」が有名でした。この店、以前はパンやお菓子を売っていたんですけど、それでは儲からないと思ったのか、いつの間にか鞍替えして、「ビニ本」、「エロビデオ」の類を扱う店に変身しました。店の内装も、いつの間にか薄暗くなって、何とも言えぬ怪しさを醸し出していました。中学2年のとき、友人のひとりが「ビニ本」を手に入れたと聞いて、仲間数人とそれを見せてもらいに行ったこともありました。当時のビニ本は、最低でも一冊600円、普通は1000円程度したので、私のお小遣いではとても手に入らないものでした。で、みんなでビニールを開封し、中のページをめくってみると、金髪女性の裸体が出てきました。でも、当時の私には、どこがイイのか、理解できませんでした。それとは他に、「ビニ本の森」と呼ばれる小高い丘もありました。それは、私の家から4~5km離れた沼南町にある、クヌギの木が多い森で、夏にはクワガタがたくさん取れるところなんですが、そこになぜか、不法投棄されたエロ雑誌の類が散乱しているのです。そこに友人と一緒に、「ビニ本狩り」に行ったこともありました。こんな感じで、思春期の私が、心をときめかせた(?)ビニ本ですが、その数年後、いつの間にか忽然と姿を消してしまいました。その理由は、「ビニ本」と同じくらい、或いはもっと過激な本が、お天道様の下で、堂々と売られるようになったからです。また各家庭にビデオも普及し、「エロビデオ」も多く出回ったために、もはやビニ本の存在価値はなくなりました・・・。しかし、ビニ本が世の中からなくなっても、その記憶は、いつまでも生き続けます。私にとってビニ本は、中学生という多感な時期に、大人への扉を開けてくれた恩人、といえば言いすぎですが、でも懐かしい幼なじみのようなものです。大連の街角で、ふと遠い少年時代を思い出した一日でした。↓人気blogランキング、現在11位。ぜひとも、Manachan's WorldをアジアNo.1ブログに!!人気blogランキングへ
2006年03月27日
コメント(15)

漢詩を読む赤ちゃん春眠、暁を覚えず昨日、不良品の修理をめぐって、近所のスーパー「好又多」の店員と大喧嘩になりました。約30分ほど、大声で怒鳴りあい、周りの中国人の注目を浴びました。こんなに派手にやったのは、久しぶりです。振り返ってみると、私がこれまで大連でやった30分以上の大喧嘩は、すべて返品・交換がらみです。【第1位】今年1月、電気湯沸器の返品をめぐって、「好又多」の店員と1時間口論。【第2位】昨年7月、アダプターの返品をめぐって、「カルフール」の店員と30分間口論。【第3位】昨日、電気湯沸器修理の件で、「好又多」の店員と30分間口論。赤ちゃんのいる家庭では、湯沸器は必需品です。哺乳瓶の消毒、温水、離乳食づくりに、熱湯は一日たりとも欠かせません。ですが運の悪いことに、我が家が大連で使う電化製品のなかで、電気湯沸器に限って、買ってすぐに壊れたり、使い物にならなくなったりするのです。別に安物を買ってるわけではないのですが、値段が高いからといって安心できるとは言い難い、この国の商品事情・・・。年表風にまとめると、こうなります。【昨年9月10日】春柳の「友誼百貨」で、Nilon社の湯沸器を119元で購入。3ヶ月後に加熱ユニットが壊れる。【昨年12月26日】近所の「好又多」で、上記と同じ湯沸器を、特価99元で購入。わずか7日で加熱が不可能に。【今年1月5日】(1時間口論!)上記の湯沸器を返品すべく、「好又多」へ。だが、故障が証明できなかったので、返品できず。もう、Nilon社の湯沸器は使いたくないので、差額を払って138元の伊友電器社の湯沸器と交換(一年保障付き)。ところが、その2ヵ月後に蓋部分のプラスチック部品が壊れる。【今年3月25日】(30分間口論!)上記の湯沸器を返品すべく、「好又多」へ。ところが、これは加熱部分の故障ではないので、一年保障に含まれず、修理費10元を要求される。口論の末、10元払って修理してもらい、その代わり、店に苦情の手紙を書く。特に今回の、店側の対応はヒドいの一言。だいいち、電化製品の1年保障なのに、保障の対象が加熱ユニットだけで、他の部分が保障に含まれないっていう理屈が分からない。だって、湯沸器って加熱ユニットだけじゃないでしょ?本体もあれば、蓋もあるし、電源コードもある。その全てが、1年間普通に使って壊れないことが、製品保障の常識じゃないの?と言いたくなるんだけど、でもまあ、その辺が、「世界の常識は中国の非常識」と言われる所以でもある・・・。もっとひどいのは、修理費10元を客に払わせるのにも関わらず、レシートも出さない、修理を行った会社の実名も電話番号も教えない!。こちらは、「10元払うんだから、その根拠が欲しい」という、当たり前のことを要求しているだけなのに、店員は「それはできない」、「教えられない」の一点張り!。こんなアホみたいなことで、30分も口論してしまいました。私は、こんな頭の悪い奴にいくら理屈を言っても通用しないと思ったので、あきらめて10元払い、その代わり、苦情の手紙を書いて、店に提出しました。「お客様の苦情には48時間以内に対応します!」という貼り紙もあったので、その約束どおりなら、明日までに、何らかの回答があるはずです。でもねえ、私はいつも思うんですよ。客と30分間口論するくらいなら、その時間とエネルギーを、客を満足させる方向に振り向けた方がどれだけいいだろうかと・・・。そうした「顧客満足」というコンセプトが、まだまだ大連の小売店では通じないみたいです。中国民族資本のスーパーだけでなく、カルフールやウォルマートみたいな外資系スーパーだって、店員の対応はどこも同じだもん。客のニーズに応えるよりも、「自分は悪くない」、「規則だからできない」の一点張り。ここは役所か?上海北京のような、もっと先進的な大都市に行けば、もっとマシな近代的スーパーがあるのかもしれませんけど、その辺はどうなんでしょうねえ?↓人気blogランキング、2ランクアップして、現在14位!人気blogランキングへ
2006年03月26日
コメント(18)

先日、国土交通省による2006年公示地価の発表がありました。その数字は、私の当初予想を上回るペースで、東京、名古屋など大都市中心部の地価が急上昇していることを示しました。一方、大都市の活況とは対照的に、地方圏では札幌、仙台、広島、福岡を除き、依然下落に歯止めがかからないようです。地価動向だけを見ると、まるで、日本のなかに「大都市国」と「地方国」の、二つの国があるかのように思えてきます。関連報道を見ると、「大都市の一部では、すでに土地バブルが始まっているのではないか?」という趣旨の記事が、散見されます。その根拠として挙げられるのが、大都市の超一等地における、急速な上昇ぶりです。たとえば、-名古屋駅前「近鉄ビル」で、前年に比べて38.0%の上昇-東京・表参道の「第21SYビル」で、前年に比べて30.5%の上昇-東京・港区の住宅地平均が、前年に比べて18.0%の上昇これまで、バブルの後遺症で15年も低迷していた地価が、一部の地域でいきなり年率30%以上も上昇するのは、確かに驚天動地の出来事であり、「バブルの再来」を懸念する声が上がるのは当然でしょう。ただ、80年代後半の「バブル経済」の規模とは比べ物にならないほど小さいため、「ミニバブル」という表現が使われているようです。今日の日記のテーマは、いま東京や名古屋で起こっている地価上昇が、本当に「ミニバブル」なのかどうかを、Manachan的視点から検証することです。私自身は、「不動産オタク」を自称するほど、三度のメシより不動産の話が好きな人間でして、複数の国で不動産投資をやっています。シドニー在住中は、不動産事情のコラム記事を書き、世界各国に暮らす友人と、不動産についての意見交換を頻繁に行っており、アマチュアではありますが、一家言持っていると自負しております。私思うに、21世紀を迎えた現在、日本の大都市の地価形成メカニズムは、バブル期やそれ以前とは、かなり違ってきているように思います。なかでも無視できないのが、REIT(不動産投信)に象徴される、海外発を含めた投資マネーの流入です。いまの日本経済は、バブル期以前と比べて、海外投資への依存度が断然高まっています。すでに、日本株の4割以上を、外国人が保有しているといいますし、日本の不動産市場にも、海外マネーがどんどん入り込んでいます。海外の投資家は、日本の不動産に投資するか否かの判断を、主に、海外主要都市との比較のうえで行います。そういう視点で見てみると、どうなるか?・NYやロンドンと比べて、東京の地価はまだまだ割安感がある。・米国や英国と比べて、日本の金利は非常に低く、安く資金調達できる。・ここ数年、日本の経済状態が改善し、特に今年の経済成長率は、米国を上回ると予想される。これだけ有利な条件がそろっているなら、彼らが日本の不動産に目をつけないわけがないと、私は思います。そしてもう一つのポイントは、「彼らの投資は、高い投資収益が望める、都心部一等地の物件に集中する」ことです。だから、東京の表参道みたいな超一等地に、投資マネーが集中して、地価が年率30%上がるのは、ごく自然なことだと思います。海外主要都市を見渡しても、この程度の地価急上昇は、超一等地であれば、別に珍しいことでもなんでもない。問題は、現時点での東京の一等地の地価が、「どんな効率的なビジネスをしても、投資が回収できないほどの高額なのか?」ということです。もし、その答えがYesなら、これは明らかにバブルでしょう。ところで、バブルとは何か?-土地・不動産を買ってビジネスをして、それで収益が望めるのなら、これは正常な価格形成-ですが、仮にどう考えても収益が見込めないほどの高額物件を、「将来の値上がり期待」だけを根拠に買う人(&融資する金融機関)が増えれば、これはバブル80年代後半の日本が、なぜバブルだったのか?それは、都心の一等地のみならず、日本全国で、土地の収益性からみて説明のつかない投資が、それこそ「国を傾けるほどの巨大規模で」行われたからです。あの頃は、辺鄙な場所にもリゾートマンションがどんどん建ち、ひどい場合には、使い物にならない急傾斜地に、何億円もの値がついたりしました。だからこそ、破綻したわけだし、その後遺症を克服するまで、15年の歳月を費やしたのです。いや地方圏では、未だに後遺症に苦しんでいるといえるでしょう。ところで、いまの東京の地価はバブル、もしくはミニバブルなのか?個別の土地取引をみれば、バブル的な投資もいくらかあるんでしょうけど、全体をみれば、まだミニバブルにもなってないと思います。なぜなら、ここ数年で地価が急上昇した地点は、いずれも高い収益性を持つ、都心の一等地だけだからです。現時点では、都心の地価上昇が郊外地域にも波及している段階ですが、その他の地域(日本国土の大部分)には、まだ波及していません。だからこれは、土地の収益性を反映した、正常な地価上昇だと思います。ですが今の動きが、将来のバブルにつながるのかどうか?それは分かりません。私思うに、大都市圏に限っては、ここ数年でバブルに向かう可能性は結構あると思います。なぜなら、日本政府は「大都市」と「地方」の、両方の面倒を見ているわけで、たとえ大都市がバブっていても、地方が停滞したままなら、金利もそうそう上げられない。その間にも、低金利につけこんで海外を含めた投資マネーが東京に流れ込む、東京人も必死に不動産を買う、銀行も必死にお金を貸す・・・ことになれば、おそらく数年後の東京はバブる。これがバブル期以前であれば、東京の地価上昇が、地方にもちゃんと波及したわけですけど、21世紀の世界は、経済グローバル化の世だから、一筋縄ではいきません。東京経済の活況が、日本国内を素通りして、海外(中国やインドなど)に行ってしまう可能性も高いわけで、日本政府も難しい舵取りを強いられることでしょう。ま、いまの時代、どの国の政府も似た問題に直面してるわけですけどね。最後に一言。東京で働く若いサラリーマンの皆様、今のうちに頑張って、マンションか一戸建てを買っておくといいと思いますよ。↓東京郊外の住宅地(新築一戸建て4200~4300万円くらいかな?)↓人気blogランキング、第16位に浮上♪ベストテン入り目前!人気blogランキングへ
2006年03月25日
コメント(0)
つい先ほど、日本プロジェクトへの配属が正式に決まりました。4月下旬までに、いま担当している米国プロジェクトの引継ぎを済ませて、それ以降、本格的に関わることになりそうです。ところで今日、驚くべき出来事がありました。午後1時に定時出社して、PCを立ち上げていた時、同じフロアで働いている同僚から電話がかかってきました。お前がオーストラリアでやってたサポートの仕事が、大連に来ることになったぞ!その内容を聞くと、びっくり!私がシドニー勤務中に、主に担当していた2つのアプリケーションのサポートの仕事が、そっくりそのまま、シドニーから大連に移されることになったのです。で、担当者の名前を聞くと、なんと、私が4年間、ずっと一緒に仕事した男ではないですか!これってもしかして・・・もしかすると、シドニーで一緒に働いていた仲間が、仕事を失ってしまう??逆にいえば、仮に私が、大連に来ずに、シドニーでそのままサポートの仕事をしていたならば、たぶん今ごろ、仕事を失っていた???例の同僚は、いま、人材探しで大忙し。大連で中国人エンジニアを数名採用して、トレーニングを行って、私たちが過去数年間、シドニーでやっていた仕事を、ここ大連で行えるようにするのが、彼の仕事なのです。人生とは、実に、因果なものですねえ。シドニーを飛び出して、1年。今ごろになって、シドニーの仕事がここまで追っかけてくるとは・・・。あと、彼がこう聞いてきました。「お前がこの仕事をやってくれれば、助かるんだけどなあ・・・」私はもちろん、丁重に断りました。だって、シドニー時代と同じ内容の仕事をやってたら、数年後、シドニーに帰った時に、職にありつけないでしょ?その種の仕事は、みんな大連に行っちゃってるんだろうし・・・。私は、ここ大連で、もっと高度な内容の仕事を経験しなくてはならない。そうしないと、シドニーに戻れない!!という厳しい現実を、改めて見せつけられました。そのためには、来月下旬から始まる日本プロジェクトで、是非とも成果をあげなくては・・・という決意を新たにした次第です。↓人気blogランキング、いきなり27位にランクアップ!!人気blogランキングへ
2006年03月25日
コメント(14)
今日の夜、日本プロジェクトへの配属を決める最終面接を行いました。感触はまずまず・・・だけど、意思決定がちょっと遅いんだよなあ。「大急ぎで参画して欲しい!」という話だったのに、最初の面接からすでに5日も経ってるぞ。明日には最終回答もらわなきゃね。この仕事では、1ヶ月程度の日本出張がありそうなんですが、うちの奥さんは、すでに日本へ行く気満々です。というか、早く行きたくて行きたくて仕方がないらしい。別に物見遊山じゃないんだけどなあ。日本は、とても清潔だし、痰を吐いてる人もほとんど見かけないし、食中毒のリスクも少ないし、中国と比べると、託児施設も充実してるから、私も是非行きたいんですが、問題なのが、物価の高さ。そもそも私の給料自体、中国では十分すぎるほどの高給であっても、日本の物価水準と比べると、本当に安月給になってしまうし、その上、出張手当はもちろん、私ひとり分しか出ないので、出張期間中、家族3人で日本で暮らした場合、かなりの倹約、というか貧乏生活になってしまいそうです。というか、日本の貯金を取り崩すしかないのかも・・・。ですが、妻が慣れない大連の地で育児のストレスがたまっている昨今、日本行きはちょっと気分転換になって良いのかもしれませんね。ところで話は変わりますが、4月22日(土)午後6時から、NHK地球ラジオに出演することになりました。今回お話しする話題は、「大連のゴミ問題」になりそうです。中国の公害・環境問題は、いま日本でも大きな関心を呼んでいるらしく、大連現地に住む者の視点から、ゴミのポイ捨て、散乱、リサイクル、市の環境対策などについて、話して欲しいとの依頼を受けました。うまく話せるかな?ま、大丈夫でしょう。ゴミ問題について、話すことはたくさんあるもんなあ。↓人気blogランキング、現在39位です。10位以内を目指して頑張ります。人気blogランキングへ
2006年03月24日
コメント(9)

あと数日で、国土建設省による2006年公示地価が発表されます。私がいつも注目しているのは、わが町・柏(千葉県)の地価動向です。柏駅前商業地の地価は、2004年以来、2年連続で年率2~3%上昇しており、今年も上昇すれば3年連続となります。ここまで堅調な動きを示している地点は、千葉県内の商業地としては柏のみ。東京郊外(多摩、神奈川、埼玉、千葉)を見渡しても、数えるほどしかありません。先月、柏へ里帰りしましたが、駅周辺の街並みは驚くほど「上に向かって」伸びており、15階建てクラスの商業ビルや高層マンションが建ち並んでましたから、今年の地価上昇はたぶん確実だと思います。柏の街がこんなに元気いいのは、商業都市として広範囲から集客しているからです。商都・柏の繁栄を支えるのは、地元千葉県のみならず、お隣りの茨城県から来る買い物客を抜きには語れません。今日は、その茨城県をテーマにお話ししますね。休日の柏駅。3番ホームに立つと、常磐線上り列車がすべり込んできます。そこで、茨城方面から来た乗客をほぼ全て吐き出して、代わりに、柏から東京へ向かう客が乗り込む、という珍現象(?)がみられます。要は、柏駅で客層がほぼ入れ替わるのです!また、鉄道と平行して走る国道6号線の休日。そこでは、茨城方面から南下してきた車が、柏駅前のステーションモール駐車場を先頭に、常に500メートル以上の列をつくっています。ナンバープレートをみると、その7~8割が土浦ナンバー。つまり、彼らは茨城県南地域から、車で柏に繰り出す買い物客の群れなのです。茨城県は、千葉、埼玉、栃木、福島の4県と接しており、県外との往来も盛んです。たとえば、県西部の結城や下館の人が栃木県の小山に買い物に行くとか、古河の人が埼玉県の大宮に繰り出すとか・・・。ですが、それをはるかに上回る人数が、取手、竜ヶ崎、牛久、守谷、水海道をはじめ、茨城県南の広い地域から、日々、柏に買い物と遊びに来ています。千葉県の柏。それは、茨城県民にとっては間違いなく、最も身近な県外の都市だろうと思います。ここで一つ、疑問が湧いてきます。茨城県民からみて、柏の向こうには、東京があります。もし、彼らが柏へ繰り出す目的が、「買い物」や「都会の雰囲気」であるのなら、柏を素通りして、東京に出てもいいのではないか?誰がどう見たって、ホンモノの都会は東京にあって、それに比べれば、柏は「中途半端な都会」に過ぎません。ですが実際には、彼らの多くは柏を目指し、東京にはあまり行かないようです。それはなぜか?特に若い人々に、その傾向が顕著なようです。柏には、東京の渋谷や原宿で人気の出たブランドを扱う店が多く出店していますが、それが、茨城に住む若者たちをして、わざわざ東京に出なくても、柏で手軽に渋谷の雰囲気を味わうために大挙して繰り出す!という現象が、数年前から目だっており、それがゆえに柏は、「イバシブ」(茨城の渋谷)と称されることもあります。あと、「東京に出る前に、柏で練習」という言葉もあります。今から6~7年ほど前、ヤマンバという、顔を真っ黒く髪を真っ白く染める、といういでたちが、少女たちのあいだで全国的なブームになったことがあります。その震源地は、もちろん東京(渋谷センター街)なんですが、柏にもその種の少女が、なぜか大量に出現しました。彼女たちの多くは、やはり茨城方面から来ていたようです。ヤマンバとして、本当は東京に出たい。でも、東京の街を歩く自信がまだないから、とりあえず柏に集まって、そこで「練習」して、自信がついたら東京に出ていく、という話だそうです。つまり柏は、茨城の少女たちにとって、「東京に出るための登竜門」みたいな役割を果たしていたのです。柏のように、東京郊外のベッドタウンでありながら、より遠方の客を、東京まで流出させずに途中で「せき止める」ことに成功している商業都市というのは、かなり珍しい。たとえばの話、群馬県や埼玉北部の少年少女たちが都会を目指すとき、途中にある大宮の町は素通りして、素直に都内に出て行くわけですが、なぜか茨城の子たちに限って、都内まで出ずに、柏でストップする現象が目立つ。それはなぜなのか?これは私にとって、かなり興味深いテーマです。商業都市・柏にとって、良いお客さんである茨城県の人々、特に若い人々が、何を考え、何を求めて柏を目指すのか?それが解ければ、将来に向けた柏の発展戦略を描くことにも直結するからです。その答えは、やはり、茨城県民に聞いてみるしかないんでしょうね。私の仮説としては、・茨城の若者にとって、柏は、東京ほど、「気合い」を入れずに自然体で歩ける街である。・茨城の若者にとって、柏は、東京ほど、方言を気にせずに歩ける街である??・大学生以上になると、茨城のライフスタイルはクルマ中心になる。クルマで移動する場合、東京には行けなくても、柏にならなんとか来れる。本当のところ、どうなんでしょう?茨城の方、教えてください。
2006年03月23日
コメント(8)
うちの奥さんの実家のある、オーストラリア北部の熱帯の町ケアンズ一帯に、昨日の朝、超大型サイクロン(台風)が上陸し、大きな被害をもたらしました。このサイクロンは、昨年8月末に米国のニューオーリンズを襲ったハリケーン・カトリーナに匹敵する威力を持ち、オーストラリアでも何十年に一度の規模なんだそうです。なかでも特に被害が大きかったのが、ケアンズから南へ90km行ったInnisfailおよび、南60kmのBabindaで、町全体が滅茶苦茶に破壊されてしまったようです。もちろんケアンズでも被害が出ているようです。数時間前、妻の実家に電話したところ、昨日からずっと停電で家が真っ暗。もちろんエアコンも使えず、「暑くてたまらん!」と言ってました。そりゃそうでしょうねえ。あの超蒸し暑い気候でエアコンが使えなかったら、そりゃつらいぞ。昨日、サイクロンの暴風が一番凄かった時は、海に面した窓が、もう少しで吹き飛ばされそうになったそうです。義理の弟が身体を張って、吹き飛ばされないように室内から窓を支えた、と言ってました。唯一、不幸中の幸い?は、これまで、オーシャンビューを遮っていた松の樹が、暴風でなぎ倒されて、海が見えやすくなったこと、だそうです。ま、そんなわけで、家族一同無事ですんで、ご心配なく♪人気blogランキングへ
2006年03月21日
コメント(8)

この子は将来、読書家になるのかもしれませんねえ。今日はとっても疲れたので、この辺で・・・。人気blogランキングへ
2006年03月21日
コメント(2)
前回の日記で、「IT業務アウトソーシング」が私の天職となりそうだ、ということを書きました。でも、よく考えてみれば、これが天職になるためには、単に適性があるだけでは不十分で、この仕事を心の底から愛することができるか?社会的意義を見出すことができるか?という問いに、しっかり答えられなければなりません。「IT業務アウトソーシング」というのは、賛否両論が大いに分かれる仕事だと思います。なぜなら、表面的な現象だけをとってみれば、先進国労働者の雇用を奪う仕事!ですから、なかなかエグい一面があります。たとえばの話、私は昨年、米国ノースカロライナ州ローリーへ、2ヶ月間の長期出張に行きましたが、そのミッションはまさに、「米国人労働者5人の雇用を奪って、中国へ持っていく」ことでした。(日記「仕事を奪いに来た男」)。ひとこと断っておきますが、私は単に引き継ぎ作業に来ただけであって、彼ら5名を解雇する決断を下したわけではありません。ですが、仕事を奪われる側から見れば、私という人間が、自分の解雇に関わった、憎っくき存在に見えることもあるのです。そういえば、私は彼らのうちの一人に、面と向かってこう言われたこともあります。「鈴木さん。これはね、まじで、シャレにならないんですよ。我々の仕事がなくなっちゃうわけですから・・・。」何も悪いことしてないのに、突然、仕事を奪われる。これは、資本主義社会ではよくあることとはいえ、その痛みと苦しみは、半端なものではありません。私自身は幸いにして、これまで解雇されたことはありませんが、でも転職を繰り返してきて、その辛さは十分味わってきましたので、私はおそらく、同世代の平均的なサラリーマン以上に、仕事を奪われる者の痛みを、敏感に感じ取っていると思います。そういう時、ふと思うのです。「この仕事は、本当に自分のやりたかったことだろうか?」、「本当に、世の中のためになる仕事なのだろうか?」と・・・。ですが、warm heart(暖かい心)で彼らに心から同情しつつも、cool head(冷静な頭)で考えてみる。その時、私の頭のなかにあるものは、グローバル化で真っ平らになった地球です。たとえばの話、コールセンターのオペレーターという仕事があります。この仕事は、米国や欧州では、社会的ステータスの高い仕事とみなされておらず、賃金水準や労働者の熟練度も、国内の他業種と比べて高くないそうです。ところが、この仕事がインドに来た瞬間、きらびやかでステータスの高い仕事に変身し、大学の修士や博士課程を出て、五ヶ国語を自在に操るような者までが次々に応募してきます。そうした、選りすぐられた頭脳の持ち主が、インドのバンガロールやハイデラバードでコールセンターの仕事に就く。そこで得られる賃金は、米国人オペレーターの3分の1とか5分の1だったりします。それでも、インドの物価水準からみれば高賃金になるので、彼らは喜んでやる。それどころか、より上を目指して、死に物狂いで仕事に取り組む者も多い。昨今のIT技術の発展は、米国人顧客からの電話をインド人オペレーターにつなぐコストを、人件費に比べれば、ほとんどタダみたいなものに抑えることに成功しました。その上、インド人は英語が達者なので、アクセントさえ直せば、米国人オペレーターと変わらない応対が、すぐできるようになるという。IT技術が、先進国の顧客と、途上国の労働力を結びつけてしまった。そして各国企業が、それを利用する術を知ってしまった・・・。そうなった以上、国をまたいだ業務アウトソーシングは、今後も増え続けていくでしょう。ということは、私がこの仕事をやらなくても、他の誰かが絶対にやる(或いはやらされる)わけです。その「他の誰か」は、もしかして、私よりこの仕事に適性がないかもしれない、或いは、私ほどwarm heartではないかもしれない。だからこそ、私がこの仕事をやる意味がある。結局、誰かがやらなきゃならないこの仕事を、他人よりも上手くやって、関係者一同をハッピーにさせる自信がある限り、私がこの仕事をやる意味がある。人間が生きていくことは、100%キレイゴトでは済みません。私たちは、日々生きていくなかで、直接・間接に、誰かを喜ばし、同時に、誰かを苦しめています。私たちが肉を食べれば、世界のどこかで、家畜が命を奪われている。私たちがゴミを捨てれば、それが清掃工場や埋立地に運ばれて行って、付近の住民を苦しめている・・・。「結局キレイゴトじゃないんなら、何やったっていいじゃん?」という、開き直りをしたいわけではありません。むしろ、その逆です。私自身、自分の仕事のなかで、結果的に誰かを苦しめているという、「健全な後ろめたさ」の感覚を、常に持ち続けていたい。その「後ろめたさ」と正面から向き合い、仕事を奪われる人々を、自分の立場の許す限り、warm heartで励まし、サポートしていきたい。そして、彼らが心から笑って、新しい職業生活に漕ぎ出していけるようなお手伝いをしたい。話は元に戻りますが、職を失った5人の米国スタッフのうち、1人はローリーの町で再就職を果たし、1人は中国・上海に渡り、残りの3人は、新たな職と生活を求めて、広い米国の各地に散っていきました。恨み言ひとつ言わず、淡々と、ピックアップトラックに引越し荷物を詰め込んで、インターステート・ハイウェイを駆け抜けていった男たちの後姿は、本当に格好良かった。美しかった。私も男として、常に、かく在りたいと思った・・・。そして地球の反対側、中国・大連・・・。ここでは、米国プロジェクトに携わることになった若い中国人エンジニアたちが、日々、目を輝かせて、日常業務と英語力強化に励んでいる。この私も、若い彼らから、頼りにされている・・・。そんな時ふと、「この仕事を選んで、良かった。正解だった」と思ったりもする。Change is always hard. Especially hard for those who do not want to change, or are not ready for it. But, change is natural. Change is not new. Change is important...変化とは、誰にとっても辛いものです。特に、変化を望まない人や、その準備ができていない人にとっては、非常に辛く、不条理なものです。でも一方で、変化とは、自然の摂理であり、有史以来、人間社会に常に存在してきたものです。また、人間や社会が、さらに成長していくために、変化というものはとても重要なものです。私は、変化に抵抗するよりも、変化を推進する側の人間でいたい。そして、変化で傷つく側の人間に対して、常に暖かい眼差しを送る人間でありたい、と思っています。私はこの仕事を愛せるか?人気blogランキングへ
2006年03月20日
コメント(4)
昨日の日記で紹介した、「日本プロジェクト移籍」話ですが、先ほど、私の直属の上司となる人物(米国人女性)と電話面接をやってきました。感触は、上々。私の移籍日に関して、日本プロジェクト側と米国プロジェクト側との折衝が折り合えば、私は晴れて採用となるでしょう。日本の仕事にかかわるにせよ、米国の仕事を続けるにせよ、私は今やってる、「IT業務アウトソーシング」の仕事を、自分の天職にしたいと考えています。天職とは何か?・・・「この人にして、この仕事あり!」と、自他ともに認めるような仕事。「神様が、彼(彼女)にこの仕事を与え給うた」と思えるほど、その人の性格や価値観、能力とマッチする仕事・・・といえば、当たらずとも遠からずでしょうか。私の場合、「転職」は何度も経験してきましたが、まだ自分の「天職」を見つけられません。いや、「天職」を見つけられた人は、例外中の例外で、世の中の大部分の人は、自分の個性に合うとは思えない仕事を、生活のために、仕方なくやっていることと思います。私自身も、これまで9年間やってきたITエンジニアという仕事が、本当に自分のやりたい仕事なんだろうかと、心のどこかで疑問を持ちながら、でも生活のために続けてきました。でも幸いなことに、ここ大連でたまたま関わることになった「IT業務アウトソーシング」の仕事が、自分の天職になる日も近いような気がします。そもそも、「IT業務アウトソーシング」ってどんな仕事でしょう?一言でいえば、ITや通信テクノロジーを使って、日本や米国など、高賃金の国の人がやってる仕事を、インドや中国など、低賃金の国に持ってきて、現地の人にやってもらうのが「アウトソーシング」なんですが、それがうまくいくように、いろいろお膳立てをしたり、「現地の人」に混じって、先頭に立って働いたりするのが、主な仕事内容です。分かりやすい例が、コールセンター(顧客向けの電話窓口)でしょう。例えば、アメリカ人がクレジットカードの払い込みのことで、コールセンターに電話する。その電話口に出るのは、地球の反対側にいるインド人のオペレーターだったりする・・・。いま日本の各企業も、コールセンターを労賃の安い中国、特に大連にどんどん移転しています。余談ですが、あの「ライブドア」のコールセンターも、大連にあります。昨今のアウトソーシングは、簡単に国境を越えます。先進国の仕事を、言語も文化も、風俗習慣も法律も全く違う発展途上国に持っていく、その実行部隊になるわけですから、この仕事は業務知識やマネジメント力のほか、語学力、異文化適応力などがモロに問われてきます。あと、衛生状態の悪い途上国で働くことも多いので、胃腸の強さも求められます。一見スマートなようでいて、泥臭いですし、「先進国では考えられない、トンデモないことが次々に起こる国々」に関わる仕事ですので、潔癖性の人には向きません。で、そんな仕事がなぜ私の「天職」になりうるのか?それは、私がもともと、世界中を旅するバックパッカーだったからです。私がこれまで歩いてきたのは、主に東南アジアの国々。あと、中国の奥地とか、インドの農村、シベリア、中南米なども歩きました。そういう国々で、日本や先進国では考えられないような、数奇な体験をいろいろしました。例えば、フィリピンのマニラ滞在中にクーデターが起こって、2週間足止めを食らった挙句、現地の神父さんに助けてもらって日本に帰国したとか、中米グアテマラで、エルサルバドル行きのバスを逃して、地団駄を踏んでいたら、次の日、そのエルサルバドルで市街戦が起こって20名死亡したことが分かったとか、中国で、警官にワイロ渡してチベット入域許可をもらったとか・・・。そういう国々を歩くと、「潔癖」ではいられなくなります。たとえば、「排泄」ひとつとっても、村人と一緒に海に入ってみんな一緒にウンコするとか、ウンコを左手で拭いて右手で食事するとか、ホテルでのトイレが「側溝」式になってて、他の人のウンコが流れてきたとか・・・。また、そういう国々を歩くと、先進国レベルとは程遠い途上国の暮らしにも適応しやすくなります。たとえば乗り物。これまで、シートベルトが壊れている飛行機とか、走行中にタイヤが10本も焦げてしまった観光バスとか、屋上に生きたニワトリを満載したバスとか、いろいろ乗ってきました。それに比べれば、中国の暴走タクシーなんて、天国みたいなもの♪各国を旅する暮らしでは、生きるために、言葉を覚えなければなりません。だから、自然に語学が得意になります。そして、国や地域毎に異なる文化風俗習慣に関しても、自然と、鋭い感覚が養われます。あと、いろんな民族の人々と関わる経験を積むなかで、異文化コミュニケーション能力、というか、目の前に変な風体をして、ワケ分からない言葉をしゃべっている人間がいても、ビビらずに、自然体でお友達になれる能力が養われます。私にとって有難いことは、バックパッカー時代、旅の空で培った経験や身に着けた能力が、今やっている「業務アウトソーシング」の仕事に、そのまま活かされることです。仕事とは面白いもので、履歴書に書けるような「資格」「経歴」だけでは測れない、「プラスアルファ」の部分が、イザというときにモノを言うことが多い。たとえばの話、私の履歴書には、「学生時代、バックパッカーとして、20ヶ国以上を回りました」なんてことはもちろん書いてません。でも、日々の仕事のなかで、いろんな国の人と、いろんな言葉を使って、うまくコミュニケーションをとるために必要な「基礎体力」は、バックパッカー時代に培われたものですし、今こうやって中国で暮らし、突然インド出張を命じられても、いつもハッピーでいられて、現地にすぐ溶け込んで、美味しい食べ物を発掘する能力は、やはりバックパッカー時代の経験がモノを言っていると思います。世の中、私より高い学位を持ち、優秀な人間はいくらでもいる。それこそ、吐いて捨てるほどいる。それが痛いほど分かっているからこそ、私は、自分にしかできない仕事、自分の人生がそのままビジネスの成功に結びつくような仕事がしたい。ナンバーワンより、オンリーワンになりたい。その願いは、すなわち、我が人生における「天職」を見つけ出したい、ということです。今後、日本や米国のアウトソーシングのプロジェクトを何度も成功させて、この仕事こそが自分の「天職」だと、胸を張って言えるようになる日が早く来ることを、願ってやみません。
2006年03月19日
コメント(10)
最近、上層部の面々を含む、各方面から、「日本プロジェクトで働いて欲しい!」という要請が、何度も来ています。昨日も、大連オフィスのトップに呼び出されて、ご丁重な依頼を受けてきたところです。私はいま、米国プロジェクト担当として、多忙な日々を送っているわけですが、上層部の面々は、私を是非、日本プロジェクトに引き抜きたいんだそうです。その背景には、こんな話があるようです。・当社の中国副社長のポストが、インド人から日本人に変わった・したがって、大連オフィスの当面の成長分野は、米国マーケットから日本マーケットに変わるはず・その関係で、日本関連の重要プロジェクトが、いくつも立ち上がっているが、適任の人材が本当に足りなくて、悩んでいるそこで、米国プロジェクトで働く、数少ない(というか、一人しかいないぞ!)日本人ローカルスタッフであり、かつ、海外でのプロジェクト経験のある私に声がかかったわけなのです。まだ確かなことはいえませんが、仮にこの話が実現すれば、私は数ヶ月間、日本に滞在して働くことになりそうです。妻にこの話をしたら、嬉しそうな顔して、「じゃ、赤ちゃん連れて、一緒に日本へ行こうよ!」という返事が・・・。妻とすれば、行き先がニューヨークか、日本か、シンガポール、オーストラリアのいずれかであれば、いつでもOKなんだそうです。でもまあ、どうなるか分かりませんけどね。今晩、直属の上司となるであろう人物と、電話面接を行い、細かい条件について打ち合わせる予定です。電話面接の前に、夕飯つくって、赤ちゃんをお風呂に入れなきゃならないので、今日はこの辺で。人気blogランキングへ
2006年03月18日
コメント(16)
先日たまたま、こんな記事を目にしました。~大阪市の職員が、五輪視察旅行でオーストラリアのシドニーに行った際に、ホテル代として1泊11万円を支出していたのが「不当」であるとして、市民が訴訟を起こしたそうです。裁判の結果は、市民敗訴。「1泊11万円は、不当な高額とはいえない」という判断だったそうです。私は法律には全くの素人なのですが、思うに、法律判断としては、11万円をの出費を「違法」だと言うことは難しいでしょうね。明らかに横領したとか、職員の出張経費に関する規則が存在して、それに明らかに違反したのであれば話は別ですが、そうでない限り、ま、市民側が勝訴するのは難しい。逆に市民は、選挙権や政治家、オンブズマンを使って、職員の出張経費の上限を決める市条例やガイドラインをつくらせるのが筋なんでしょうね。とはいえ、シドニーに住んでいた者の実感からすれば、「一体どうして、一泊11万円もかかるの?」と、不思議でなりません。シドニー市内で泊まるのであれば、場所や眺望にもよりますが、3つ星~4つ星クラスのホテルで、1泊200~300豪ドルというのが相場でしょうし、ま、それが妥当な出張経費だと思います。日本円にすれば、18000~27000円。また、もし五輪施設の視察が目的なのであれば、シドニーの西郊にある「オリンピック・パーク」近辺の宿泊になるのでしょう。普通は、近隣のパラマタという町に泊まりますが、そこなら4つ星でも、一泊$200を切るのが普通です。つまり、18000円以下。オーストラリア人公務員の出張なら、普通、そういうところに泊まると思います。ま、勝手知らない外国でのこと、大阪市の職員をして、パラマタに泊まってホテル代を浮かせろ!とまではいいません。ですが、11万円ですよね?約1300ドル。一体、どんな部屋に泊まったんでしょう?おそらく、シドニー・ハーバーブリッジを望む、エグゼクティブ・スイートとかに泊まったんでしょうか?ま、昨今のシドニーで、一泊10万を超える部屋は、いくらでもありますが、それでも、公費を使った出張で、1泊11万というのは、市民が納得する常識的な額なのか?というと、疑問なしとはしません。仮に、法律上でお咎めなしであっても、市民に訴訟を起こされるという事態を、大阪市の当局は深刻に受け止めるべきでしょう。私思うに、おそらく、出張経費の妥当性を、タイムリーにチェックするメカニズムが存在しないか、あるいは、機能不全になっているのでしょう。その一例として、いま、私の職場で行っている経費の計算・承認システムを簡単に紹介します。私の部署では、プロジェクト単位で予算が割り振られ、米国にいるプロジェクトスポンサーが、それを一元的に管理しています。私はそのうち、中国のオペレーションを担当しており、一年間で発生するであろう労賃、ハードウェア・ソフトウェア代、ネットワーク代、出張費用を含む全ての経費を、年初の段階で「試算」し、それを米国人のスポンサーに承認してもらって、はじめて、予算が使えるようになっています。出張に関しても、同様に、まず「試算」を行い、米国のスポンサーの承認および、中国オフィスの経理部門の承認を経て、はじめて経費が使えるようになります。出張が終わったら、実際にかかった費用を「当初の試算額」と照らしあわせます。仮にそれを一定額以上上回るようであれば、特別な承認プロセスを経なければなりません。これは大変煩雑なもので、何人ものマネジャーの許可を得なければなりません。また、「試算」に使うホテルの経費も、ガイドラインである程度厳密に決められています。ホテル代というのは、都市によって違いがあるものですが、西洋圏の大都市であれば、日本円で一泊2~3万円というのが、常識的に承認を得られる限度のようです。それを超えるようなら、特別な承認プロセスが待っています。こういう仕組みになっているので、出張時のホテル代が一泊10万を超えることは、ほぼ100%ありえないのです。民間の多国籍企業、大手企業の多くは、これと似たような仕組みを持っているものと思われます。話は元に戻りますが、向こう数年間で、公務員の数を5%削減する、という政策が俎上にあがっている昨今、公務員の出張経費は、厳しくチェックされるのが、世の趨勢になっています。ですので、大阪市の訴訟を良い機会として、各自治体が、出張経費をうまくコントロールできるような、業務上の仕組みを構築していくのが良いんじゃないかと思います。ま、先進的な自治体なら、すでにやっているのでしょうが・・・。人気blogランキングへ
2006年03月17日
コメント(8)
先日の日記で、仕事と家庭とのジレンマについて書きましたが、ふと考え直してみると、一体なぜ、仕事でうまくいくことと、家庭生活をうまくやることが二律背反になるのか、自分でも分からなくなってきました。私の仕事がうまくいくことは、我が家族にとって、本来、良いことのはずです。それは、経済生活の安定および、職業やライフスタイル選択の自由度の広がり、子供に良い教育を与える、老後の安心等・・・につながるものです。少なくとも長い目でみれば、仕事がうまくいった方が絶対にいいはずです。とはいえ、仕事での成功は、ある程度の代償を支払うことでもあります。私の働く業界でいえば、度重なる出張や転勤、長い労働時間など・・・。ですので、短期的には、仕事と家庭生活とが、相反するように見えることもある。例えばの話、子供がまだ小さくて、父親の存在を必要としている時に、仕事、仕事で、とても家庭を顧みる暇がない!というのは、その典型的なケースでしょう。ですが、また別の局面になれば、仕事の成功が、家族の幸せに直結することだって、もちろんあるわけです。例えば、子供が大きくなって、高校大学を受験するとか、マイホームを買うとか、家族の誰かが大病をする、みたいな事態になれば、父親(というか一家の稼ぎ手)の経済力が、最終的にモノをいうのは論を待ちません。仕事というのは、家庭生活のニーズ通りにはいかないものです。欲をいえば、子供が小さい時は仕事を定時にあがって、家で時間をたっぷり過ごしたいし、逆に子供に手がかからなくなったら、長時間バリバリ働いて稼ぎたいものなんですが、ビジネス社会は、そういう都合で動いているわけではありません。逆に、子供が小さい時は父親が超多忙、大きくなったらリストラされてヒマになっちゃった・・・みたいな話も、世の中にあふれています。また、仕事というものは、「時の運」みたいな部分も、多分に持っています。ある時期には、荒川静香ちゃんみたいに、いろんな部署から引っ張りだこになったりもするし、またある時期には、どこにも行き場がなくなってしまったりもする。私の経験からいえば、仕事がノリにノッテいる時って、一生に何度もあるもんじゃないから、これをチャンスに、思う存分バリバリ仕事して、経験やスキルを蓄積した方がいいようです(それを逃すと、結局、他の誰かに先を越されて、自分が後で痛い目をみることになる)。でも、世の中難しいもので、仕事でノッている時が、家庭ではちょうど子供に手がかかる時期だったりするわけです。要は、何を言いたいのかというと、・仕事の成功は、長い目でみれば、家庭の幸せに結びつくものである・但し、仕事のサイクルと、家庭生活(とくに育児)のサイクルとは、全く別物である・そのサイクルの違いゆえに、短期的には、仕事と家庭とが、相反するように見えることもある。だから、私は思うのです。仕事の家庭の両立とは、要は、マネジメントの問題であると・・・。例えばの話、仕事でノッている時期は、バリバリ働いて組織の期待に応えると同時に、可能な範囲で、在宅勤務にしてもらうとか、出張先に妻子を連れていくとか、いろいろ工夫して、可能な限り、家族で一緒にいられる時間をつくること。それを実現にするために、会社組織の協力を取り付けること。同時に、妻(パートナー)には、いま自分が一生懸命働くことの重要性を理解してもらって、協力を得ること。もちろん、時間の許す範囲で、炊事洗濯掃除など、家の雑事を分担することは言うまでもありません。言葉を換えれば、仕事と家庭が共にうまくいく、「Win-Win」の関係を模索していくことが重要だと思うのです。それは、頭の使いよう、やりようによっては、いくらでも可能なはず。逆に、「仕事を立てれば家庭が立たない」みたいな、「Win-Lose」の関係にしてしまってはつまらない。仕事に集中するために、家庭を顧みないとか、別居するのは論外だと思うし、逆に家庭生活に集中するために、せっかくのキャリアアップのチャンスを放棄してしまうのも、もったいない話だと思うのです。これは、あくまで私の価値観での話ですけどね・・・。仕事も家庭も、両方、立派にやり遂げる・・・。私は、できるはずだと信じています。i
2006年03月16日
コメント(5)
先日、大連の私の銀行口座から日本へ、米ドル5000ドル(約59万円)を送金しました。中国から日本への送金は、これが初体験です。私の知る限り、大連からの送金方法は二つあるようです。一つは、銀行を通じて送金する方法、もう一つは、郵便局を通じて、Western Union(西聯)のサービスを使って送る方法です。こないだ、両方問い合わせてみたのですが、私は結局、銀行からの送金を選びました。郵便局の場合、一度に2000米ドルまでしか送れない上に、その手数料も25米ドルかかるのに対し、銀行経由ならば、一度にもっと多額の送金ができる上に、手数料は同程度(200元=約25米ドル)で済むからです。私の給与振込口座のある中国招商銀行は、日本や世界各国への送金を扱っており、通貨は米ドルでも日本円でもOKとのことです。大連にはその他に、三井住友や三菱東京UFJなど、日本の各銀行の支店もいくつかあるんですが、場所が我が家からちょっと遠く、面倒臭いので近所の中国招商銀行を使いました。手続きは、あっけなく終わりました。所定の用紙に、日本の振込先銀行のSWIFTコード、口座番号、名義などを記入し、署名して、それでおしまい。3営業日後には、日本に無事届いていました。それはいいんですが・・・海外送金っていうのは、送り元の中国の銀行も、また受け取り側の日本の銀行も、しっかり手数料を稼ぐんですよねえ。今日、厳密に計算してみたら、両方あわせて約1万円も引かれてました。【中国招商銀行の手数料】計200元 (約2880円)(内訳)送金額按分手数料:50元 (※送金額の1000分の1か、50元のどちらか高い方が課金される)事務手数料:150元【日本-三井住友銀行の取り分】計7500円 (内訳)送金額按分手数料:2500円 (※送金額の2000分の1か、2500円のどちらか高い方が課金される)為替差益:5000円 (※米ドルから日本円に換える時に、中間レートとTTBレートの差額分を、銀行が儲ける)59万円送って、1万円ちょっと引かれたわけだから、率にして1.7%・・・。安いのか高いのか?でもまあ、国境を超えた送金で、なおかつ米ドルを日本円に換えてもらう作業までしてもらったわけだから、ま、こんなもんなのかなと思います。人気blogランキングへ
2006年03月15日
コメント(8)
思い起こせば、今から一年以上前、ホームページのエッセイ・中国出稼ぎ計画-完結編で、でこんな文章を書きました。~当社では鈴木さんにBand7(Advisory IT specialist)のポジションを用意しましたが、もし鈴木さんが期待以上の成果を上げたならば、次年度以降、Band8(Senior IT specialist)への昇進会議にかけることを約束いたします~これが、ついに現実のものになりました。私の直属の上司が、今年10月に行われる昇進会議に、私をノミネートしてくれたのです!要するに会社は、入社時の約束をちゃんと守ってくれたわけです。先ほどのエッセイから、別の部分を引用しますと、~IBM豪州における私の今の職位はBand6(IT Specialist)。私はこのレベルで4年もやってきたので、そろそろBand7に昇進したいと考え、折を見つけて直属のマネジャーに相談したり、社内転職にもトライしてきたのですが、残念ながら今のシドニーではなかなか良いBand7の職がない上に、今の部署があまりにも人手不足でなかなか辞めさせてもらえないために、今年度の昇進も覚束なくなりそうな状況です。ところが大連に移れば、最初からBand7の仕事をやらせてもらえるばかりか、成果次第ではBand8への昇進の道も開けるという・・・シドニーに居たままBand8への昇進なんて、今後何年かかることか(下手したら十数年!)?そう考えると、大連への転職は、キャリア的にも「特急券」と言って差し支えないのです。~この文章も、間違いではありませんでした。シドニーに居たら10年くらい平気でかかる、Band6からBand8までの二階級特進が、大連に来たらわずか1年半で、そのチャンスが与えられたわけですから。これは、異例のことでしょう。通常、昇進会議にノミネートされるためには、Band7としての経歴が2年以上なければだめなはずなんですが、私の場合、経歴1年半でいきなり、その道が開けたのです。昇進会議では、まず、取締役の面々がズラリと並ぶ前で、「自分が仕事で成し遂げた3つの成果」というテーマで、30分間のプレゼンテーションを行います。次いで、それに対する質疑を20分間受けたあと、取締役が、「こいつは、昇進させてもいいだろう」と判断すれば、晴れて昇進が実現します。逆にだめなら、来年に持ち越し。せっかく、このチャンスがめぐってきたのだから、私はもちろん、全力で取り組みます。今からしっかり準備して、10月には万全の態勢で望みたいと思います。Band8に昇進すれば、もちろん、仕事は間違いなく、今以上にハード、かつ過酷になります。その代わり、お給料はかなり上がりますが、それでも中国の給料だから、大したことありません。それよりも、「IBMでBand8の仕事をこなした」という経歴が大きな意味を持ってきます。それは、ビジネスマンとして国際的な認知を受けることであり、もちろん、将来オーストラリアに帰った時の就職活動に大きな意味を持ってきますし、期待年収も断然違ってきます。ですがその一方で、妻が産休を終えてオーストラリアの職場に復帰する日が、刻々と近づいています。現時点で、タイムリミットは今年9月。それまでに妊娠しちゃえば話は変わってきますが、仮にそれがうまくいかなかった場合、休暇をうまく組み合わせて、妻の職場復帰を少しでも遅らせるしか手はありません。それでも冷静に考えて、3ヶ月も伸ばせれば御の字でしょう。仮に9月前の妊娠がうまくいったとしても、身重のまま1歳児の世話をするのはつらいし、2人目が生まれたら最後、義母の手でも借りないと、とても面倒見切れないでしょう。結局、どっちに転んだところで、妻はオーストラリアに帰らざるを得ない。それに何より、彼女が帰りたがっているのも事実。この先、家族はどうするのか?大連で一緒に暮らせるのか?それとも、私が大連に残って、妻や子供たちはオーストラリアに帰って、一時的な別居状態になってしまうのか?もしそうなら、いつまで続くのか?・・・私が異例のスピードで「出世」するのは、果たして、家族にとって望ましいことなのか?贅沢な悩みなのかもしれないけど、これは実に難問です。ジレンマです。その答えは、すぐに見つかるわけがないでしょう。私は、今年の中盤から後半にかけて、「ギリギリの決断」を迫られそうな気がします。
2006年03月14日
コメント(7)
今日は日曜日ですが、なかなか大変な一日でした。うちの娘は、生後6ヶ月になりました。首もすっかり座り、もう少しで座れるところまできました。握る力も強くなってきたし、腕の肉もついてきたので、先日、新しい体操を導入しました。それが両腕を持って、起き上がらせる運動というもので、中国と米国の育児書にも、「6ヶ月になればOK!」と書いてあったので、採り入れてみました。でも、やるんじゃなかった・・・週末の午後7時は、私が娘をお風呂に入れることになっています。その前に、ちょっと運動させてあげようと思って、娘を四つんばいにして、前に這わせる運動をしました。すると、いつの間にか顔が真っ赤!なのに気づいて、急いでやめさせたら、いきなりすごい勢いで泣き出した!これがもう、過去に例を見ないほどのすごい泣き方で、どんなあやし方をしても、いつまで経っても泣き止まないので、お風呂どころではなくなりました。その後、妻が授乳したりしましたが、効果なし。1時間以上、断続的に泣いている状態が続き、さすがに、親としてもビビッてきました。その時、妻が異常に気づきました。娘の右手が動いていない!普段は、水を飲ませる時、右手と左手でコップを持つ動作をするはずなのに、今日に限っては、左手だけしか動いておらず、右手はピクリとも動かない。そこで、右手をゆっくり持ち上げてみると、激痛に顔をしかめて、すごい勢いで泣き出す!これは、さすがにやばい。医者に連れていくしかないと思い、支度をしました。その時点で、午後9時過ぎ。日曜のこの時間帯で開いている近くの病院といえば、「大医二院」(大連医科大学付属第二病院)くらいしかありません。そこで、タクシーを飛ばして、大医二院に直行!!大医二院は、日本、米国、ドイツなどから、最新鋭の医療機器をふんだんに導入した、超近代的な病院です。ですが、いくら病院が新しくても、ここに診療に来る患者まで、「近代化」できるわけではありません。奴らは相変わらず、列に割り込む、人が診療していても構わずズカズカ入り込んでくる、赤ちゃんを見たら親に無断で触ってくる等々・・・最初からやりたくもない「バトル」を強いられて、気が滅入ります。おまけに、夜の時間帯に急患で来る連中というのは、酔っ払って殴られて担ぎ込まれてきた者が含まれていたり、患者が一人だけなのに、良い年をした大人が7人も8人を無意味についてきたりして、ちょっと治安の悪そうな雰囲気。でも、この時間帯に営業しているまともな病院がここしかない以上、我慢するしかない。私たちは、まず緊急病棟の内科に行き、外科に行き、X線撮影を行って、その後、専門医の診断を受けました。で、結論は、肩ひじの関節脱臼だった!!脱臼が判明すると、外科の専門医は、おもむろに娘の右腕をグッと持ち上げ、左右に何度か折り曲げました。当然ながら、激しい泣き声が・・・。でも次の瞬間、治ったよ!!外科医の先生は、「骨つぎ」のスペシャリストだったようです。その直後、娘の右手が、いつも通りに動き出しました。大事に至らなくて、良かった!!ですが、この「手術」代は結構高くついて、160元(約2300円)もしました。大連の現地物価からすれば、1万円以上の感覚!一瞬で終わってしまう「手術」に、これだけのお金がかかるのは、ビックリ。聞くと、規則で決まっている手術料なんだそうです(注.大連の医療費の高さは、中国でも有名です)。とはいえ、保険で半分返ってきますけどね。結論・・・「両腕を持って、起き上がらせる」運動は、娘にはまだ早すぎたようです。関節はずさないように、胴体をちゃんと持たないとね。
2006年03月13日
コメント(14)

オーストラリアを飛び出して、新天地・中国大連に移り住んで、はや1年。この1年間は、自分でもびっくりするほど、旅また旅の連続でした。自分の人生を振り返っても、ここまで旅したのは、初めてです。年表ふうに振り返ってみますと、2005年3月2日:大連に到着3月20日~5月27日:米国・ノースカロライナ州にて長期出張6月10日~15日:日本・千葉県へ一時帰国7月16日~17日:瀋陽へ小旅行7月29日~31日:内蒙古自治区へ小旅行(9月7日:大連にて長女誕生)11月5日~7日:長女の豪州国籍取得のため、北京へ11月8日~12日:香港にて研修2006年1月15日~29日:豪州・ケアンズへ帰省(妻の実家)2月7日~21日:インド・バンガロールへ出張もっと詳しくみれば、これだけではなく・昨年3~5月の米国出張中に、ワシントン、サウスカロライナ、ニューヨーク、ニューオーリンズへ小旅行・今年1月の豪州帰省中に、シドニーへ小旅行、その後、日本(千葉県)に滞在・今年2月のインド出張のあと、シンガポール、豪州ケアンズ、日本(千葉県)に滞在。その結果、この1年間で行った国は、6ヶ国(中国、米国、日本、豪州、インド、シンガポール) 宿泊した都市は、全部で17!-中国:5都市 (大連、瀋陽、北京、香港、内蒙古フフホト市)-米国:7都市 (ローリー、ワシントン、ニューヨーク、ニューオーリンズ、シカゴ、マートルビーチ、チェロキー)-日本:2都市 (柏、成田)-豪州:2都市 (ケアンズ、シドニー)-インド:1都市 (バンガロール)-シンガポール:1都市今後の1年は、いい加減、こんなに移動することなく、もっと大連にじっくり腰を落ち着けて暮らしたいです・・・無理か?ま、とりあえず、この1年間で印象に残った、旅先での写真を紹介しますね。ニューヨーク・ブルックリン橋(2005年5月)※いろんな映画で見た風景が、自分の目の前に広がって、感動ものでした。ニューオーリンズ(2005年5月)※ハリケーン来襲前の、普段着のニューオーリンズ。内蒙古草原(2005年7月)※果てしない草原と、青い空。モンゴルの世界。北京の人力車(2005年11月)※オリンピックに向けて、建設ラッシュが続きますが、「古都・北京」の演出も忘れません。香港・旺角の夜(2005年11月)※これぞ盛り場!猥雑な雰囲気が大好きです。シンガポール(2006年2月)※香港よりキレイで環境もいいんだけど、でも何か物足りないんだよなあ。大雪の大連(2005年12月)※50年ぶりの大雪に見舞われた大連。雪かきが忙しい。インド・バンガロール郊外(2006年2月)※世界のIT首都・バンガロールをちょっと離れると、昔ながらの風景が・・・。
2006年03月12日
コメント(2)

シドニー在住のお友達(食べ歩き仲間)で、プロゴルファーのやすだしゅりさんのオリジナルグッズ、「しゅりバッグ」が、いま我が家で重宝しています。このバッグなんですが、高さが約35cm、幅も約35cm、奥行きが10cm強、肩掛けのヒモがついてて、ジッパーがない、というシンプルなデザインになっています。これが、「ベビーチェア」(赤ちゃん用の椅子)を入れるのに、ちょうどいいんですね。入れると、こんな感じになります。まず本体を入れて、隙間にクッションを詰め込むと、ぴったりおさまる!ちなみに、赤ちゃんを乗せると、こんな感じになります。しゅりバッグのおかげで、赤ちゃんを連れて、夫婦揃っての外食が、とてもラクになりました。中国のレストランは、ゆったり座れる大き目のソファがついているのが普通で、そこにベビーチェアを置き、赤ちゃんを乗せて、私と妻の間に座らせておくと、落っこちる心配もなく、安心して食事ができます。ここまで重宝するベビーチェアですが、唯一の難点は「かさばる」こと。大きめの手提げ袋に入れても、かなりのスペースをとってしまいます。そこで、強力な助っ人・しゅりバッグが登場するわけなのです。しゅりバッグは、ベビーチェア収納用だけでなく、飛行機に乗った時の、機内持ち込み用の手荷物入れとしても役立っています。ミネラルウォーターとか、袋菓子などを入れるのにちょうどいい大きさなので、助かります。
2006年03月11日
コメント(15)
本当に忙しい!!だもんで、最近2日に1回の更新ペースになってしまいましたが、もうすぐ1日1回更新に戻りますので、引き続きご愛読のほど、よろしくお願いいたいします。。これまで、インドとオーストラリアに1ヶ月以上いたので、大連に帰ってくると、いろんな意味で、浦島太郎状態になっていることに気づきます。私の不在中、大きな変化といえば、大連スタッフ(米国、欧州、豪州プロジェクト担当者)の「英語で話そうデイ」が、従来の「週に1回」から、「毎日」になったことです。つまり会社の方針としては、毎日、オフィスにいる間は、英語で話すことを義務付けられているわけです。ですが、スタッフの95%以上が中国人という状況のなかで、それが守られるわけがありません。私のチームみたいに、外国人がいれば英語を使わざるを得ませんが、でも、全員が中国人というプロジェクトの方が圧倒的に多いわけで、そういうプロジェクトでは、「中国人同士なのに、なぜ英語で話さにゃならんのん?」というノリが基本です。会議でも、プロジェクトマネジャーなど、組織の上の方に行けば行くほど、英語を使うことが厳密に義務付けられるはずなんですが、でも実際には、急いでいる時は特に、血相変えて早口の中国語でしゃべりまくります。私が会議にいても、構わずに・・・。というのが実態なんですが、いま大連のオフィスでは、基本的に英語使用が義務付けられており、全社ぐるみで英語力アップに取り組んでいることは、間違いありません。ですので、中国人で、英語や日本語などの外国語が堪能であれば、それは即、キャリアアップや収入アップに結びつく話になります。それでは逆に、私たちのような外国人で、中国語ができた場合、それも同様にキャリアアップや収入アップに結びつくのでしょうか?結論をいえば、中国語ができてもできなくても、そんなに大差はないようです。会社側が私たち外国人に期待することは、ここ大連で英語や日本語などの外国語を使うことであったり、中国人スタッフが経験の浅い分野でリーダーシップをとることであったりするわけで、中国語ができた場合、もちろんローカルスタッフとのコミュニケーションには便利ですが、それで即、給料があがったり、人事考課に反映されたりする問題でもないようです。ここでひとつ、外国人スタッフで中国語ができた場合、どんな感じで会社に貢献できるのか、考えてみました。1) 外国語の会議やオリエンテーションをやらずに済む一年前、私が入社した時、人事部のオリエンテーションが行われました。私は、大勢の中国人社員に混じって、オール中国語のオリエンテーションを受けました。渡された資料も、ほとんどが中国語でした。頼めば、英訳も用意してくれるそうですけど。もし私が、仮に中国語ができなかったら、どうなっていたでしょう?おそらく、私みたいな外国人社員を対象に、英語か日本語のオリエンテーションを企画せざるを得なくなっていたことでしょう。関連資料も、おそらく英語で作らざるをえなくなるわけです。外国人で中国語ができた場合、それにかかるコストを節約できる、という意味で、会社に貢献しているのかもしれません。2) 外国語仕様のPC・ソフトウェアを配布せずに済む全社員の圧倒的大多数が中国人、という状況のなか、当社で配布されるPCは、OSからソフトウェアから、全て中国語版になっているのが一般的です。たとえ、漢字が全く読めない外国人が入社してきても、現状では中国語版が配られるようです。今は社員数と比べて、PCの数が少なすぎるので、中国語版を渡さざるを得ない、という事情もあるようです。ですので、ワードからエクセルから、パワーポイントから、オール漢字のメニューがでてくるわけで、これは多くの外国人にとっては、解読不可能な世界になって、作業どころではありません。ところが日本人の場合、たまたま漢字が読めるので、何とか見当がつくわけです。我々は漢字が読めることで、外国語仕様のPC・ソフトウェアを配布するコストを節約できる、という意味で、会社に貢献しているのかもしれません。こんな感じでしょうか。IBMは何だかんだ言っても米国企業なので、全体としてみれば、外国人で中国語ができるメリットは、そう多くないようです。たぶん、会社によって全然違うんでしょうね。
2006年03月10日
コメント(0)
最近本当に忙しい!!!ブログを更新する時間もなければ、コメントに返事する時間もとれない。本当にすみませんねえ。大連の、いまの職場にいると、仕事量は増える一方です。今日はいきなり、「People Managerになってくれ」という要請を、正式に受けたばかりです。もし私がPeople Managerになると、いま回している3つのプロジェクトはどうなるかというと、それも引き続いて担当してくれとのこと!それでは、とても身体が持たないので、3つのうち、1つを他のマネジャーに引き継ぐことも検討していますが、まだメドが立っていません。それとは他に、私はいま、Notes Competency Centerのリーダー、英語クラスの講師、プロジェクト監査委員も兼任していますし、新規採用も多くて毎日のように面接をこなしており、本当に、目の回るような忙しさです。しかしながら、私自身、こんな激しい日々を、結構楽しんでいます。オーストラリアを飛び出して、1年余り。そういえば、大連での私の入社日は2005年3月8日なので、今日がちょうど一周年になるわけですが、この1年間で、私がこんなにも、いろんな職務をこなすことになるとは、想像すらできませんでした。いま、私がオーストラリアの元の職場に留まっていたら、今頃、どんな日々を送っていたことでしょう?想像するに、受注する仕事は減る一方、その代わり、メンバーも減るから作業量は同じか、前よりも忙しくなっていたかもしれません。ビジネスが伸びず、エキサイティングな展開が少ない、沈滞ムードの職場で、パッとしない日々を送っていたのかもしれません。その意味では、本当に、オーストラリアを飛び出してよかったと思う。大連の、伸び盛りの会社のなかで、延べ何十名もの人間を動かし、いろんなプロジェクトを回し、People Managerまで任された日には、毎日毎日、自分のキャパシティの限界に迫るような、エキサイティングな日々になるでしょう。以前は、「こんなこと、自分にはとてもできない!」と思い込んでいたことを、いま実際に、こなしてしまっている。これはもちろん、私一人の力ではなく、プロジェクトメンバーの皆が、私を本当に信頼してくれて、頑張ってくれるからこそ、何とかなっているのだと思う。その点では、「オーストラリアの大企業じゃ考えられない」、貴重な経験ができていると思う。いや、オーストラリアでも、エキサイティングな職場はたくさんあるのでしょうが、私がいま中国でやっている仕事は、急成長中の発展途上国に特有の、「新たな組織や、仕事のやり方を、一から考えて、つくり出す」という性質のものが多いですから、いろんな組織やプロセスが「すでにできあがっている」状態の、オーストラリアの大企業とは、またひと味もふた味も違った経験なのだと思います。ですが、こんなに仕事面が充実していても、私はやっぱり、家族と一緒にオーストラリアに帰ることになるでしょう。だいいち、うちの奥さんが帰りたがっているし、子育てや教育のことを考えると、今のところ、そういう結論になりそうです。ま、それでもいいんですよね。私の優先順位は、常に「家族が一番」、「自分の仕事は二番」・・・。
2006年03月08日
コメント(8)

昨日は朝から晩まで殺人的に忙しくて、ブログの更新もできませんでした。先週末は、家族3人で、大連日航ホテル(東旭皇朝酒店)に入っている中華レストラン「紅蓮」に行ってきました。このレストランで嬉しいのは、「飲茶」が楽しめること。飲茶は中国南方の香港・広東省を中心に発達した料理なので、大連など北方地域では、なかなかお目にかかることができません。「紅蓮」の飲茶は、ランチタイムだけで、ラストオーダーは午後2時。香港みたいに、朝から飲茶(早茶)というわけにはいきません。飲茶のメニューは、約60種類。香港から呼んだシェフが作っているらしく、味もなかなか本格的。もちろん食べ放題です。我々にとって有難いのは、「紅蓮」では個室が予約できて、そこに、ちょうど赤ちゃんを寝かせられるサイズのソファが置いてあることです。大連の外食は、どこに行っても人が多すぎて、お世辞にも赤ちゃん向きとはいえませんが、ここは個室なので、安心です。お値段は、ビジターで行った場合は、一人あたり78元プラス15%のサービス料ですが、私たちは11枚つづりの回数券を買ったので、これだと一人、サービス料込みでも71元、約1000円です。つまり、1000円でホテルの飲茶が食い放題できるってことです。ありがたや~。
2006年03月07日
コメント(6)

うちの娘です。最近、運動づいてます。将来は、フィギュアスケーターになれる???ところで先日、ちょっと残念なことがありました。先日、オーストラリア・ケアンズ滞在中に行った「ベビーボーナス」申請が認められず、お金をもらえなかったことです。「ベビーボーナス」というのは、オーストラリア政府が運営する補助金制度で、子供が生まれた場合、一人につき3000ドル(約26万円)を支給するというものです。この制度は、「ベビーボーナス」という名で2001年に施行され、2004年に「マタニティ・ペイメント」という名称に変わりましたが、巷ではまだまだ、「ベビーボーナス」と呼ばれています(詳しくはこちら)。私の娘は、海外(中国)で生まれましたが、それでも歴としたオーストラリア国民ですから、ベビーボーナスは絶対もらえるはずだと思い、管轄の役所(Centrelink)のウェブサイトを読んでみました。それによると、生後26週間(6ヶ月強)までに申請すればOKだそうです。申請時点で、娘はまだ生後5ヶ月でしたので、その点は余裕でセーフ。ところが結果的には、申請は却下されてしまいました。その理由は、入国日。この制度を利用するには、生後13週間(3ヶ月強)の時点で、オーストラリア国内に居ないとダメなんだそうです。うちの娘の場合、去年9月に中国で生まれて、今年1月にオーストラリアに入国しましたから、その時点ですでに生後4ヶ月になっており、結局アウト、なんだそうです。ですが、この種の情報を、私はCentrelinkのサイトから、どうしても見つけることができません。そこで職員に聞いてみたところ、「サイトには載ってないよ!」とのこと。そりゃあんまりだ。情報提供の意味ないじゃん!ちょっと腑に落ちないので、サイトをもっと詳しく研究してみて、苦情のひとつやふたつ、書いてやろうと思いますが、それでも、私が今後、ベビーボーナスをもらう可能性は限りなくゼロに近いでしょう。それが、実に悔しい!思えば、私はオーストラリアに滞在した5年間、イヤというほど、税金を払ってきました。まず、所得税として、年に1万5千ドルはとられましたし、その他、家を二軒買ったので、印紙税として合計3万ドル弱、それに加えて消費税が10%・・・私がオーストラリア連邦政府と地方政府に払った税金の総額は、10万ドルを下らないでしょう。それだけ払った割には、特に恩恵を受けてないような気がする・・・。ま、もちろん、税金は社会の皆を支えあうためにあるもので、「モトをとった、とらない」という話ではないことは十分承知しているのですが、それでも人情として、「10万ドルも税金払ったんだから、せめて3千ドルのベビーボーナスはもらいたかった!」というのが、正直な気持ちです。ベビーボーナスをもらいたければ、二人目の子供は、オーストラリアで産んだ方がよさそうです。
2006年03月05日
コメント(16)
昨日に引き続いて、「シモ」の話になってしまいますが、ご容赦ください。昨日の日記で、二人目の子供を早く「仕込んで」しまいたいという話をしましたが、これは、そう簡単なことではありません。現に世の中には、何年間も不妊で悩んでいる人がたくさんいるわけです。子供を育てるのは、もちろん、夫婦ふたりの協力が必要ですが、子供を「つくる」のも、上に同様です。子供が欲しいのに、できない、妊娠しない・・・という場合、往々にして女性が咎められるケースが多いわけですが、普通考えて、女性側と男性側、どちらにも問題がある可能性が大きそうです。中国のことわざに、「天の半分は、女性が支えている」というのがありますが、それを言うならば、「人類存続の半分は、男性が支えている」わけで、今年9月までに妊娠発覚、という困難なミッションを果たすべく、私は両肩にのしかかる重責を、ひしひしと感じています(ウソだけど・・・)。しかし、そんな私に、強力な助っ人登場!!!それは、妊娠成功率向上に絶大な効果を持つといわれる、食べ物です。中国で食べられます。それが、牛鞭というもので、日本語に訳せば、雄牛の男性器これは、歴とした食べ物です。中国ではこんな感じで、ボイルして食べたり、或いはこんなふうに、暖かい鍋にしていただくのが、一般的のようです。ちなみにこれ、シドニーでも食べられますよ。ウェスタンサバーブの奥、超ディープなベトナム人エリアに行けば、Beef Penis Hotpotという名前で、当たり前のように売ってます。たとえば、カブラマッタの隣り町、Canley Valeにあるこの店でいただくと、なかなか美味。お値段は、大(3~4人前)が$40、小(2~3人前)が$30。Pho Canh Restaurant23 Canley Vale Road, Canley Vale02 9726 6429私は以前この店で、オージーの友人(男)とBeef Penis Hotpotを食べたことがあります。彼は、Cow's dick soup!とか言って、面白がってガツガツ食ってましたが、その一ヵ月半後、なんとガールフレンドの妊娠が発覚してしまいました。つまり、「大当たり」しちゃったわけです。嬉しいことに?このメニュー、大連でも食べられるようです。こないだ、大連駅の近くの小さな料理屋で、「牛鞭」という字を見ましたから、それをちゃんと食べていれば、いずれ妊娠間違いなし!例のオージーの友人にあやかって、私も大当たりできるぞ♪ところで、今日会社の同僚(中国人・男)に、「牛鞭、どこで食べると美味しいか、教えてくれ」と頼んだところ、彼はニヤニヤしながら、何も言わずにその場を去っていきました。照れずに、教えてくれたっていいじゃんかよ!当ブログ10万ヒットが目前だというのに、こんなしょーもない話で、すみませんねえ。
2006年03月03日
コメント(22)
もうすぐ生後6ヶ月になる娘ソフィアが、「お姉さん」になる日も近い???私の妻は、いま職場から長期産休をいただいているのですが、会社の規定によれば、子供が満1歳になる前に職場に復帰しなければなりません。ソフィアが生まれたのは昨年9月。したがって今年9月までに、シドニーの職場に戻らなければならないわけです。大連に私ひとりを残して・・・。それでは、あまりにも寂しい。ですがひとつだけ、産休を延長する方法があるそうです。それは、今年9月までに、二人目の子を妊娠してしまうこと♪妊娠しちゃって、その結果産休が認められれば、その子が満1歳になるまで、職場に復帰しなくてもいい、というわけなのです。私も妻も、子供はできれば2人欲しいと思っています。しかも、妻の年齢のこともあるので、早いうちに第二子を出産してしまいたい。たとえば、39歳よりは38歳、38歳よりは37歳で、二番目の子を産めるに越したことはない。であるならば・・・今のうちから、第二子をつくる努力をしなくちゃならないことは明らかです。タイムリミットは9月。それまでに、何とか「仕込んで」おかなくては。最近は、忙しさや育児疲れ、残業などの要因が重なり、夫婦生活からはしばらく遠ざかってしまい、いま流行の(?)「セックスレス・カップル」みたいになってしまってるのが気がかりですが・・・。でも、やります。私は有言実行の男。
2006年03月02日
コメント(8)

今日のお昼ごろ、ようやく大連の我が家に戻ってきました。妻と娘にとっては、ほぼ一ヵ月半ぶりの大連。3月だというのに、今日の最高気温は0℃。風はとても冷たく、まだまだ赤ちゃんを連れて外出できる陽気ではありません。今年の冬は長く厳しく、4月にならないと、大連に春はやって来ないそうです。大連に着くと、さすがに長旅で疲れていたのでしょう、親子3人とも昼間からいきなりベッドに倒れこんで爆睡!それでもまだ寝足りないので、今日は早めに寝ます。私は明日から出勤です・・・。ところで、間もなく生後6ヶ月になる娘ですが、最近は、フイフイ・モイモイのおかげで、本当にぐっすり寝てくれます。上の写真の「ぬいぐるみ」が、フイフイ・モイモイです。これは3ヶ月も前に撮った写真なので、今では、赤ちゃんの身体に比べて、ずいぶん小さくなってしまいました♪。フイフイ・モイモイは、昨年11月、豪州シドニー在住の友人・ぴっかぶー氏から、出産祝いとして送っていただいたものです。なんの動物なのか判別しにくいのですが、熊だそうです。一見、犬みたいに見えるんですがね・・・。これはシドニーにあるラグビーリーグのチーム、パラマタ・イールス(Parramatta Eels)の関連グッズです。私はこのチームの熱狂的ファンですから、これはかなり嬉しいプレゼントでした。パラマタ・イールスは、ここ数年、不調が続いていたのですが、昨シーズンは、優勝を争うほどの快進撃を見せました。その立役者の一人が、フイフイ・モイモイ選手です。彼はニュージーランド出身の26歳。一昨年、古豪サウスシドニー・ラビットーズからパラマタに移籍してきて、そのシーズンはイマイチだったのですが、昨シーズンは「大化け」しまして、108キロの巨体でガンガン暴れまくって大活躍。愛嬌のある名前で子供たちにも大人気♪・・・ですので、私はぴっかぶー氏からいただいたプレゼントに、「フイフイ・モイモイ」という名をつけて、娘の枕元に置きました。フイフイ・モイモイは、数あるぬいぐるみの中でも、娘の一番のお気に入りになりました。寝るときは、いつもフイフイ・モイモイを抱いています。時には右手でわしづかみにしながら寝ることもあります。今では、フイフイ・モイモイなしの生活は考えられません。ところで、妻と娘は1月中旬から、オーストラリアの実家に帰省してたのですが、同じ時期に帰省していた義理の姉が、こう言いました。「万が一、フイフイ・モイモイがなくなったら、赤ちゃんにすごくさびしい思いをさせてしまうから、予備のフイフイ・モイモイを買った方がいいんじゃない?」その予感は、見事的中しました。3日前、オーストラリアから日本へ行く飛行機に乗り込んだ時のことです。突然、フイフイ・モイモイがなくなっているのに、妻が気づきました。彼女は血相を変えて、私にこう言いました。「たぶん、手荷物検査のところで、取り忘れたんでしょう。早く取ってきてらっしゃい。今すぐ!!」すでに搭乗締め切り時間になっていたのですが、私は、客室乗務員の方に無理言って、フイフイ・モイモイを探しにいかせて欲しいとお願いしました。その申し出は、快く聞き入れられ、私は手荷物検査のベルトコンベアのところまでダッシュしました。幸い、親切な方がフイフイ・モイモイを拾ってくれていたらしく、なんとか、取り戻すことができました。今回の件で懲りた私たちは、予備のフイフイ・モイモイを取り寄せることにしました。幸い、義理の姉が今週末、出張でシドニーに行き、パラマタにも4泊するので、その時に買ってきてもらうよう、お願いしました。娘が、フイフイ・モイモイを通じて、ラグビーリーグのファンになる日も近い???
2006年03月01日
コメント(14)
全29件 (29件中 1-29件目)
1