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EF62牽引12系・14系:臨時急行「軽井沢」「軽井沢」は、上野~中軽井沢(軽井沢)間を結ぶ急行列車。軽井沢方面へは特急「あさま」が多数運転されており、急行列車でも「信州」や「妙高」があるため、短距離となる軽井沢方面から定期列車は存在しませんでした。しかし、高級リゾートとして有名になった軽井沢には季節的な多客期があるため、これを捌くために特急「そよかぜ」や急行「軽井沢」が設定されていました。シーズンを外れると需要が減るため、いずれも季節列車として設定されており、さらに多客のシーズンには臨時列車で対応していました。ちなみに、季節列車としての急行「軽井沢」は、碓氷峠を通過することが前提の列車であるにもかかわらず、新前橋区の165系7連が充当されており、上野~高崎間は急行「ゆけむり」と併結になっています。昭和52年頃 上野駅にて EF6229牽引 9613レ 急行「軽井沢53号」2枚とも同じときに撮った写真と思われます。上野駅5番線に停車中のEF6229牽引、14系客車を連ねた臨時列車です。ホームにいる乗客はかなり軽装ですので夏休みっぽいですね。しかも、陽がかなり高いようですので、お昼くらいでしょうか?当時の時刻表を見ると、上野駅13:53発、9613レ急行「軽井沢53号」というのがあります。発車番線も5番線で、時期的にも時間的にもちょうど一致している感じですね。昭和53年8月 上野駅にて EF622 9616レ 上り急行「軽井沢53号」夜間の上野駅にブルトレを撮影に行ったときのものです。EF622牽引で到着した14系使用の臨時列車です。列車名は全く覚えていませんでしたが、当時の時刻表を見てみますと、上野着20:12に上り急行「軽井沢53号」がありました。時刻表と同じ5番線着となっており、6番線に停車中の115系が20:15発新前橋行き897Mと全て状況が一致します。テールランプを点けて推進回送の準備が整っています。現在ではまず見ることの出来ない光景ですが、この時代では何ら珍しくも無い、当たり前の上野駅の光景でした。昭和55年頃 上野駅にて昭和55年頃、やはりEF6237が牽引する14系客車の臨時列車です。上野駅17番線で、隣の18番線は既に新幹線工事のため塞がれています。この写真は非常に推測がしづらいのですが、まだ午前中っぽい感じがします。季節感もちょっと掴めません。昭和56年2月号の時刻表を見ると、上の写真と同じ9613レ急行「軽井沢53号」というのがあります。ただし、上野駅10:56発と大幅に時間が繰り上がっています。ただ、時刻表によると17番線発と言うのがピタリと一致していますので、もうこれは間違いないと言って良いでしょう。いずれも14系は全車指定で、客車であるためか中軽井沢までは行かず、軽井沢止まりとなっています。昭和60年11月4日 岡部~深谷間にて EF628牽引 急行「軽井沢52号」急行「越前」が廃止となり、これを受け継いだ信越本線経由の「能登」が唯一のEF62牽引定期列車でした。昼間の定期列車としてはEF62というのは全く無くなっていましたので、撮影可能帯を走るEF62の牽引列車は大変希少でした。「軽井沢」の臨時列車はシーズンになると多数の設定がありましたが、殆どは新前橋区の165系・169系が使用されており、客車列車の設定は少数でした。14系客車が12系に変化していますが、各地の夜行急行に14系が多数使用されるようになり、臨時列車にまで14系が回らなくなってしまったかもしれません。
2022.07.31
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E257系 OM-53編成:団体企画列車「SDGsハローキティと行く!伊東温泉」鉄道コムの「SDGsハローキティ 大宮~伊東間(ツアー)」という企画を見つけ、せっかくの夏休みと重なったので行ってみました。令和4年7月29日が往路で大宮発10:20という遅めのダイヤ。伊東温泉で一泊し、翌30日に大宮へ帰ってくる行程。大宮着は19:00ということなので撮影は不可。使用車両の発表もないちょっと謎な列車でした。※撮影は、令和4年7月29日です。E257系 OM-53編成 企画列車「SDGsハローキティと行く!伊東温泉」思ったよりちょっと早く、10:28頃の通過でした。車両はE257系5500番台5両編成。企画が企画だけに何らかのアクションがあると思ったのですが、装飾等に何も変化はなく。ヘッドマークは「団体」のみ。比較的ゆっくりと走行していたので車内を見ると、1両目はなんと0!2両目も乗っているようには見えませんでした。「回送」かと思ったところ、3両目にやっとちらほらと。4両目はやや乗っているな・・・という程度。企画倒れな列車だな、と思っていたところ、日本旅行のパンフレットを発見→SDGsハローキティと行く!伊東温泉満員御礼!となっていました。途中の東京、品川、横浜、藤沢からも乗車できるそうなので、途中からは満員になるということなのですね。ちなみに、5両目はすべてのカーテンが下ろされており、車内が見えなくなっていました。往路ではキティちゃんが乗っているらしいので、これは大人の事情なんでしょうねwww。
2022.07.30
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国鉄 101系カナリア色:試運転電車国鉄・JRの電車については路線・形式ごとにまとめをしていますが、国鉄101系の写真で路線に属さないものが1枚残っていますのでご紹介したいと思います。昭和59年頃? 新宿駅?にて?ばかりのデータになってしまいますが、新宿駅で撮影したと記憶しています。101系の活躍も終焉期を迎えており、南武線や鶴見線が最期の活躍の場所になっていたと思われます。方向幕が「試運転」を表示しています。新宿に居たことからすると、大井工場からの出場車と思われます。クモハ+モハのユニットにクモヤが連結された3連となっており、写真のクモハが大崎方であったと記憶しています。運転席の通風孔からコードが伸びていますが、過去ログでご教示いただいたことがあり、これは可搬型のATS-S装置だということです。国鉄時代の電車区間では殆どがATS-B型のみの装備であったようで、本線系を自走する際にこのような措置が取られていたということです。おそらくは出場を兼ねた試運転であると思われますが、工場と配置区を自走する際、回送される線区によってこのような措置が必要となったようです。
2022.07.29
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キハ58系:急行「いいで」・「ざおう」「いいで」は、上野~新潟を東北本線・磐越西線経由で結ぶ気動車急行列車です。私の母親の実家が福島県で、最寄(といってもかなり遠い)駅が東北本線の須賀川駅。小学生の頃(昭和40年代)は急行列車を多用していたので、架線下を行くDC急行「いいで」・「ざおう」に1回か2回乗ったことがあります。当時の東北本線急行事情と言えば、「まつしま」「あづま」「いわて」といった本線系急行に、「ばんだい」「ざおう」といった枝線系を併結した455系列の急行が一般的で、臨時を除けば電車化・オール冷房化が当たり前でした。しかし、昼行定期急行の中でも2往復、秋田行急行「おが1号」と「いいで」・「ざおう」がDC急行のまま残っていました。キハ58系はグリーン車を除いて非冷房が基本でしたので、同じ急行料金を払う上では、夏場の格差は否めませんでした。昭和52年頃 東北本線 撮影場所不詳 キハ58800番台 急行「いいで」多分、宇都宮にEF57を撮りに行ったとき、途中駅での急行退避の際に追い越してくるディーゼル急行を115系普通列車の窓からカメラを出して撮影したものと思います。昭和52年頃 古河~栗橋間にて キハ28800番代 急行列車こちらの列車は、コマの前後から判断して下り「いいで」「ざおう」のようです。2両目に800番台が連結されていますが、こちらはキハ28のようですね。当時使っていた中古キャノンFTbはシャッター幕の走行ムラを良く起し、出来上がった写真を見て泣かされたことが何度もありました。昭和56年8月頃 赤羽駅にて 赤羽駅に進入する下り「いいで」・「ざおう」。もちろん高架化工事などの発想は微塵も無い頃です。バックに見える土手は京浜東北線。右側にチラッと見えているのは貨物線です。昭和57年1月4日 東北本線 白坂駅にて白坂駅の客扱い線で「やまびこ3号」を退避する下り「いいで」・「ざおう」。急行のため退避停車はしますが、通過扱いでドアは開きません。編成が長過ぎて、最後部がはみ出してしまっているのもご愛嬌ですね。写真は、今まさに「やまびこ3号」が追い越しに掛かった瞬間を捉えたものです。昭和57年1月4日 東北本線 区間不明この写真は、豊原~白坂間における撮影から、磐西・只見線経由で水上へ移動する際の行程で出会った上りの「いいで」・「ざおう」。偶然にも1日で上下の同列車を捉えました。旧客による普通列車の窓からの撮影で、風景からしておそらく白河~矢吹の間くらいだと思います。昭和52年春頃? 上野駅にて 「はつかり2号」と「いいで」「ざおう」の並びこの写真につきましては、その経緯を「昭和52年頃の上野駅 485系「はつかり2号」と急行「いいで・ざおう」の一瞬の並び」にてご紹介しています。興味がありましたらご覧ください。「いいで」は喜多方までと新津~新潟間、「ざおう」は全線にわたって架線の下を走ります。ある意味新幹線開業まで良くディーゼルのまま残っていたと言う印象ですね。ヘッドマークも無く、非冷房でもあるため普通列車とすら区別が付きづらいところですが、12両という長大な編成と、1両(昭和40年代は2両)連結されたグリーン車が急行列車であることを主張していました。時代に遅れても頑張っていたDC急行「いいで」・「ざおう」ですが、昭和57年11月、上越新幹線の開業とともにその使命に幕を閉じました。【中古】Nゲージ/KATO(カトー) 10-1531 キハ58系 (非冷房車) 急行「いいで」7両セット 【A´】 ※スリーブ若干傷み[10-1531] キハ58系(非冷房車) 急行「いいで」 7両セット (4949727674087)KATO Nゲージ キハ58系(非冷房車) 急行『ざおう』 5両セット 鉄道模型 10-1532[10-1532] キハ58系(非冷房車) 急行「ざおう」 5両セット (4949727674094)キハ58系 (非冷房車) 急行「ざおう」 5両セット【KATO・10-1532】「鉄道模型 Nゲージ カトー」
2022.07.28
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建築限界測定車:オヤ3112建築限界測定車(通称:オイラン車)は、車体の外周に取り付けられた矢羽を立てて本線を走行させ、列車に接触する危険のあるものが無いかをチェックするための試験車です。昔は同形式の車両が全国に居たわけですが、その種車が戦前型ばかりである関係もあり、JR化を前後として、殆どの車両が姿を消しています。平成21年8月22日 佐久間レールパークにて オヤ3112元スハ32 426の改造車で、民営化の際にJR東海に継承されました。平成7年12月25日付けで廃車になるものの、佐久間レースパークに長らく保存され、同パーク閉園に際しても解体を免れ、リニア・鉄道館で保存されることになりました。
2022.07.27
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ED75牽引 12系客車:急行「八甲田」東北本線の急行「八甲田」については、過去ログ『EF58牽引 旧型客車:急行「八甲田」』『EF57牽引 旧型客車:急行「八甲田」』でご紹介済みですが、昭和53年10月ダイヤ改正よりワサフ8000がスニ41に変更され、さらに昭和55年3月から旧型客車から12系客車に変更されました。今回は、交流区間においてED75が12系客車を牽引しているシーンが1コマだけありますのでご紹介いたします。昭和57年1月4日 白坂~豊原間にて ED75牽引唯一撮っていた交流区間での「八甲田」。晩年ですので、既にED71の出番はなくなっていたと思います。まだ高校生で徒歩移動でしたので、移動中に時間を迎えてしまい、こんなアングルになってしまいました。5147 ワサフ8000[KATO]《04月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5147 ワサフ8000【中古】Nゲージ/KATO 10-899 セットバラ 5139-2 (1両のみ) スニ41-5 (郵便・荷物列車「東海道・山陽」A 2022年ロット) 【A’】 付属品無し/ビニール袋で個装しエアキャップに包んでの発送【中古】Nゲージ/KATO(カトー) 貨車 セットバラ10-899(1両のみ) スニ41-5(郵便・荷物列車「東海道・山陽」 Aセット)【A】
2022.07.26
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JR九州 783系:特急「有明」九州内を代表する特急列車として誕生した特急「有明」について、過去ログ『485系ボンネット型:特急「有明」』でご紹介したことがありましたが、30年振りに九州を訪れる機会があり、偶然ですがJR化後初めて特急「有明」を撮影することができました。平成24年9月22日 博多駅にて 783系 特急「有明3号」九州新幹線が暫定開業すると、特急「有明」は博多~熊本間の運転がメインとなり、近距離ランナーとしての位置付けが色濃くなります。さらに平成23年、九州新幹線が全線開業すると長崎本線や久大本線への直通以外の特急列車は事実上の撤退ということになります。しかし、新幹線の停まらない在来線主要駅もありますので、通勤客の利便性の考慮からライナー的に存続していたようです。撮影時点において、博多駅~長洲駅間で下り3本・上り2本(上り1本は博多駅から普通列車として吉塚駅まで乗り入れ)と、博多駅~熊本駅間1往復の設定となっていました。せっかく写真は撮りましたが、やはりマークのない特急列車は寂しいですね。その後、さらに縮小されて上り1本のみに。そして令和3年3月ダイヤ改正において、歴史ある名称は消滅してしまいました。
2022.07.25
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昭和52年頃の上野駅 485系「はつかり2号」と急行「いいで・ざおう」の一瞬の並び※本記事は、2010/1/4に投稿したもので、当時の表現になっています。485系貫通型「はつかり2号」と気動車急行「いいで」「ざおう」の並び何気ない日常の上野駅地平ホーム。15番線と16番線です。485系貫通型の「はつかり2号」が16番線に入線し、これから新潟・山形に向けて、15番線から気動車急行「いいで」「ざおう」が発車しようとしているところのようです。時期的には、半袖や上着を脱いでいる人も、厚手のコートを着ている人も居ないので、春休みくらいでしょうか。昭和53年は10月に大きな改正を迎えており、その後の時刻表だと全く辻褄が合わない組み合わせなのですが、昭和53年9月号(大改正の前月)が見つかり、実は驚いてしまったんです。15番線の急行「いいで」「ざおう」の発車が9:10です。16番線に9:30発の青森行「はつかり2号」が入線するのも9:10なのです。つまり、正確にダイヤどおり動いていれば、その時間差は50秒以内しか並ぶことはないと言うわけです。確かに状況を良く観察すると、「いいで」「ざおう」の方には後方監視(上野駅の場合、中央改札から走ってくる人が居るので、出発指示合図を出す助役の他、営業係又は運輸係の職員が後方で補助を行っていた)の駅員と車掌が待機中という様子であり、「はつかり」の方は、ヘッドライトとテールランプが点いた状態なので、今まさに定位置に停車したばかり、という状況であることが判ります。この写真はプリントアウトもしていなかったので、撮ったことすら忘れられていたのですが、ネガを見ていて偶然に見つけ、しかも今日アップする際に、非常にタイトな瞬間を切り取ったものと判明いたしました。まだ中学生でホームを駆けずり回って夢中で写真を撮っていた頃、30年以上の時を経て、まるでついこの間のことのように甦ってきました。10-1129 KATO カトー 485系後期形 2両増結セット Nゲージ 鉄道模型(ZN87760)【7/25限定★ポイントUP×抽選で最大100%Pバック】[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-1129 485系後期形 2両増結セットKATO Nゲージ 485系200番台 6両基本セット 鉄道模型 10-1479【中古】Nゲージ/KATO(カトー) 10-1531 キハ58系 (非冷房車) 急行「いいで」7両セット 【A´】 ※スリーブ若干傷み[10-1531] キハ58系(非冷房車) 急行「いいで」 7両セット (4949727674087)
2022.07.24
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DD51842牽引12系客車:快速「烏山山あげ祭り」栃木県烏山の「山あげ祭」の開催に合わせて運転された、上野から烏山までの直通臨時快速列車。東北線経由から、日光線や両毛線、水戸線など、あらゆる枝線への乗り入れ列車が運転されてきましたが、烏山線への直通列車は、ミステリートレインの始祖である「銀河鉄道999」くらいしか記憶にありません。さらに、東北本線の電化区間をDD51が牽引する列車と言うのも、極めて珍しい存在と言えます。平成19年7月28日 DD51842牽引 快速「烏山山あげ祭り」同列車は、平成18年と平成19年と連続で設定されましたが、その後は設定されることなく、わずかこの2回のみで運転を終了しています。なんでも、列車の運転に関し、地元とのトラブルがあったというウワサがあったようです。客車は「奥利根」用の12系を使用しており、元御召機のDD51842が牽引するという力の入れよう。東北本線では非常に珍しい運転形態であっただけに、非常に残念です。
2022.07.23
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113系:関西本線 快速列車(旧ヘッドマーク)関西本線の大阪~奈良間に電車の快速列車が直通するようになったのは昭和49年7月20日からということらしいですが、私が初めて関西に行ったのが確か昭和49年の8月初めだったと思います。大阪駅での撮影に終始した中で、1日だけ奈良まで足を伸ばし、その際に大阪~奈良間の乗り入れ快速に乗車いたしました。とにかく、快速にヘッドマークが付いていたので大変にインパクトがありました。当時はポケットカメラでの撮影で、記録というのにはとても恥ずかしい写真ですが、1枚だけ撮影したものがありました。昭和49年8月 奈良駅にて 113系関西色 快速残念ながら画像が大きくブレています。小学5年生の時、大阪に連れて行ってもらったときに強引に奈良に連れて行かれました。その時に乗った快速電車がこの写真。この頃は大型ヘッドマークが付いており、普通列車に使用する場合は上から折り畳みで下に落とすと車体色で目立たなくなるようになっていたと思います。その後、比較的早いうちに小型のV型に変わり、車種交代でヘッドマークの取り付けが廃止されています。私的には、小学生ながらも奈良で観光などしている場合ではないと思っていたんです。当時の大阪駅は早朝から深夜までネタが転がっていたのですから。この1日は、今になってみると非常に勿体無かったですね。
2022.07.22
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485系:団体列車「特急やまばと」※本記事は、2012/7/17に投稿されたもので、当時の表現になっています。平成24年7月7日、485系を使用したリバイバル的な団体列車「特急やまばと」が運転されました。平成24年7月7日 485系 団体列車 9011M 「特急やまばと」485系仙台車(元あいづあかべこ編成)が充当され、懐かしい列車を再現しました。ヘッドマークはステッカーとなりますが、列車が廃止になってから20年以上も経ちますので仕方ありませんね。後部も撮ってみましたが、何故か露出がどアンダーになってしまい、ここまで再現するのが精一杯になってしまいました。後部も同じヘッドマークでした。奥羽本線は標準軌化されてしまいましたので、仙山線経由で山形まで運転される予定でしたが、東北本線の信号機故障により遅れのあおりを喰らい、郡山で運転が打ち切りになってしまったということです。
2022.07.21
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八高線 タブレット時代:丹荘駅 キハ35系埼玉県にある八高線の丹荘駅。この駅も個人的には縁もゆかりもない駅でしたが、国鉄時代はこの駅の構内だかで廃車体の解体を行っていたような情報を聞いたことがあり、高校時代からその存在は有名でした。調べて見ると、ここ丹荘駅から分岐していた上武鉄道(昭和47年旅客営業廃止、昭和61年貨物営業廃止、解散)が国鉄車両の解体を請け負っていたそうです。今回の再編集でもしかしたらと気になり調べて見ると、この丹荘駅も棒線化、無人化されたそうなので、写真をピックアップしてみました。平成6年4月30日 八高線 丹荘駅にてこれもタブレットが廃止になるということで、1日だけタブレット交換の様子を撮りに行ったときの1枚です。何やらヘッドマークが付いていますが、不鮮明で何だか良く分かりません。写真は下り列車が到着したところで、駅長か助役が肩にタブレットキャリアを掛けて出発を待っているようです。この写真では、高崎方に線路を横断できる地上通路があり、下車した乗客が線路を渡っている様子が伝わってきます。Wikipediaで調べてみると、平成24年3月に無人化され、平成27年7月に交換設備が廃止され棒線化されたそうです。おそらくはこの無人化辺りで安全策として跨線橋による往来化を実施したのではないかと思われますが、結局は棒線化によりその役目もなくなってしまいました。やはりこのタブレット時代の方が活気があったように見えます。【中古】Nゲージ/KATO(カトー) 6077-2キハ35 900 首都圏色 (T)2009年ロット【A】ラジエーター側面表現無し※新製品 1月発売※キハ35-0形(首都圏色)(T)【TOMIX・9467】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」【中古】Nゲージ/TOMIX(トミックス) 9458 国鉄 ディーゼルカー キハ35-0形 (T) 【A】【中古】Nゲージ KATO(カトー) 6074-1 キハ35 一般色 (M) 2008年ロット 【A】TOMIX Nゲージ 国鉄キハ35 0形 T 9458 鉄道模型 ディーゼルカー98112 国鉄 キハ35-0・36形ディーゼルカー(首都圏色)セット (2両)[TOMIX]《01月予約》[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) 98112 国鉄 キハ35 0・36形ディーゼルカー(首都圏色)セット(2両)
2022.07.20
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八高線 タブレット時代:竹沢駅 キハ35系埼玉県にある八高線の竹沢駅。個人的には縁もゆかりもないローカルな駅で、近くに東武線があるためか、非常に乗車人員が少なく、その数わずか30人/日とのことです。あるとき鉄道ニュースを見ていたら竹沢駅の様子が写っており、2面2線あった線路の片側を撤去、棒線化された様子が示されていました。平成6年4月30日 八高線 竹沢駅にて八高線には国鉄時代から何度か通ったことがありますが、基本的には貨物列車を撮影するためであり、駅間撮影はしても駅構内で撮影することはありませんでした。タブレットが廃止になるということで、1日だけタブレット交換の様子を撮りに行ったことがあり、そのうちの1枚がこの写真です。偶然ですが竹沢駅に寄っており、跨線橋からタブレット授受をしている様子を撮影していました。未だに非電化の八高北線ですが、気動車もキハ30系を中心とした旧型からキハ110系に変わり、タブレットの消滅と共に過去の姿となってしまいました。【中古】Nゲージ/KATO(カトー) 6077-2キハ35 900 首都圏色 (T)2009年ロット【A】ラジエーター側面表現無し※新製品 1月発売※キハ35-0形(首都圏色)(T)【TOMIX・9467】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」【中古】Nゲージ/TOMIX(トミックス) 9458 国鉄 ディーゼルカー キハ35-0形 (T) 【A】【中古】Nゲージ KATO(カトー) 6074-1 キハ35 一般色 (M) 2008年ロット 【A】TOMIX Nゲージ 国鉄キハ35 0形 T 9458 鉄道模型 ディーゼルカー98112 国鉄 キハ35-0・36形ディーゼルカー(首都圏色)セット (2両)[TOMIX]《01月予約》[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) 98112 国鉄 キハ35 0・36形ディーゼルカー(首都圏色)セット(2両)
2022.07.19
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415系(塗装変更後):常磐線E531系化が完了して久しい常磐線上野口の普通列車ですが、その昔は国鉄型の鋼製車が殆どを占めていた時代が長く続きました。過去ログ『415系(ローズピンク):常磐線』昭和60年に開催された科学技術博覧会(つくば万博)を契機として、長距離電車の15両化、赤電からの塗装変更が実施されています。どちらの塗装もあまり好きではありませんでしたが、やはり常磐線の普通電車と言えば赤電であり、塗装変更後は殆ど写真を撮ろうという気にはなれず、記録も殆どありません。平成元年5月5日 荒川沖~土浦間にて 415系 下り普通列車かなりピンが甘いようですが、なんでこんなアングルで撮ったのか謎です。この頃になると、403系以前の車両は殆どなくなり、1500番台が出揃ってきていたんじゃないかと記憶しています。平成19年1月12日 藤代~取手間にて 415系 1391M平成19年2月12日 藤代~取手間にて 415系 1396M415系は上野口から撤退することになり、鋼製車の活躍も末期となった頃です。この2枚は鹿島鉄道の撮影帰りに撮影したもの。古い401系や403系が無くなり、殆ど興味も失せてしまっていましたが、415系も経年の割には比較的に早く姿を消してしまったような印象があります。415系は初期車が冷房付きの旧型スタイルで特徴があったのですが、当時はそのことを知らなかったので、特に記録することもできず、気が付いた時には既に廃車になった後でした。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1771 415系500番台(常磐線・国鉄標準) 4両増結セット【特別企画品】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1770 415系100番台(常磐線・国鉄標準) 4両基本セット【特別企画品】
2022.07.18
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189系M51編成:臨時特急「わかしお82号」※2014/8/16投稿の記事で、当時の表現になっています。新性能化が完了して久しい房総地区に、久し振りに189系を使用した特急列車が臨時列車で設定されました。平成26年8月14・15日の2日間のみの設定で、豊田車の運用。8月14日は仕事が忙しく、さらに業務が多忙になってしまったためにパスしてしまったのですが、シール式のヘッドマークが掲示されたということで、翌15日は午後休暇をもらって出掛けてみました。京葉線を訪れるのも久し振りです。平成26年8月15日 189系M51編成 臨時特急「わかしお82号」 葛西臨海公園駅にてやってきたのはまさかの「特急」表示。2日間連続の運転でありながら、1日目に掲示したヘッドマークを剥がしてしまう必要性が全く理解できません。嫌がらせとしか思えない対応に憤慨しました。なお、車両の回送は往復とも武蔵野線経由、入出庫は幕張センターでした。E257系 わかしお・さざなみ50周年ラッピング車両
2022.07.17
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183・189系:臨時特急「新宿わかしお」特急「わかしお」は、東京地下駅の開業と同時に運転が開始され、房総特急の専用形式である183系0番代が使用されてきましたが、老朽化及び陳腐化により、E255系やE257系の導入により平成17年を最後に世代交代となりました。房総から撤退した特急色ですが、波動用の183系・189系が臨時列車として房総に運用されることもあったようで、私も1度だけちょこっと撮影に出たことがありました。※撮影は、平成20年9月6日です。新宿駅にて 臨時特急「新宿わかしお」いくつかの臨時列車の撮影を掛け持ちしていたので、とりあえず保険で駅撮りです。結婚後、しばらくは駅撮りなどという手法での記録をすることはなかったので、このように駅を駆けずり回るような撮影も高校卒業直後以来のような気がします。久し振りにじっくり撮った国鉄色は、クハ189-1トップナンバーでした。千駄ヶ谷駅にて 臨時特急「新宿わかしお」限りある時間を有効に利用するため、撮影してすぐ逃げられるようにと選んだ場所。各停が後を追っ掛けてくることは分かっていましたが、嫌な予感が当たり、後続の緩行線と並走してきました。なんとか顔が撮れただけでもよかった。その後も「新宿わかしお」などは運転されましたが、183系・189系の運用が縮小され、さらに房総特急の縮減でE257系運用に余裕が出来たためか、国鉄色が使われることはなくなってしまいました。E257系 わかしお・さざなみ50周年ラッピング車両
2022.07.16
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建築限界測定車:オヤ3111建築限界測定車(通称:オイラン車)は、車体の外周に取り付けられた矢羽を立てて本線を走行させ、列車に接触する危険のあるものが無いかをチェックするための試験車です。昔は同形式の車両が全国に居たわけですが、その種車が戦前型ばかりである関係もあり、JR化を前後として、殆どの車両が姿を消しています。昭和55年頃 品川駅にて 建築限界測定車 オヤ3111品川駅に撮影に行った際、偶然にも車両展示会が開かれており、その際に撮影したものです。この頃くらいから基地を開放したりといったイベントがチラホラと見られるようになった気がします。このオヤ3111は、元スヤ34 21からの改造車で、品川客車区の所属です。イベントに引っ張り出されてきたわけですね。せっかくの貴重な機会だった訳ですが、自分で現像したネガフィルムが焼き付き過ぎて、非常に粗い画像になってしまったのが残念です。同車は、分割民営化直前の昭和62年2月10日付で廃車となり、JRには引き継がれることはありませんでした。
2022.07.15
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485系ボンネット型:特急「ひばり」(その3)上野~仙台間を結んでいた特急「ひばり」。その運転本数は、当時の国鉄随一となっていました。仙台運転所所属の12連を基本に、青森運転所の12連も共通運用。さらに、仙台運転所持ちでは12連クロ編成、クロ+サロの13連、青森運転所の583系と、バラエティーに富んでいました。しかし、53・10ダイヤ改正で編成の統一化が図られてしまい、特徴が無くなってしまいました。それでも、最後までグリーン車と食堂車を連結した往年の特急らしい編成で走り続けました。今回は、昭和57年、定期運転終焉までの撮影分です。昭和57年地元です。昭和57年1月4日 白坂~豊原間にて昭和57年1月4日 白坂駅にて白坂駅は追い越しの要所となる駅でしたが、現在は追い越し設備が撤去され、この風情ある駅舎も無くなってしまいました。昭和57年6月22日 貝田~越河間にて東北新幹線大宮暫定開業前日です。昭和57年6月22日 金谷川駅にて駅間を歩きましたが、あまり良いアングルは探せませんでした。昭和57年5月頃 栗橋~古河間にてボンネット型「ひばり」はこれにて完となりますが、クロ481については別編集といたします。10-1479 485系200番台 6両基本セット(再販)[KATO]【送料無料】《発売済・在庫品》
2022.07.14
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101系:南武線イベント列車「ドラえもん号」昭和55年11月、かわさき市民祭りの実施に合わせて、イベント列車「ドラえもん号」が運転されました。昭和55年11月2日 矢向駅?にて 101系「ドラえもん号」新性能化が完了したばかりの頃の南武線。使用車両も一般車両と共通の101系6両編成が使用されました。かなりのコマ数を撮影したのですが、良い写真がなかったのでスキャンしていません。運転の経緯等は、下の記念入場券に記されていますのでご参考まで。101系:南武線
2022.07.13
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EF58牽引 12系客車:急行「八甲田」「八甲田」は上野~青森を結ぶ急行列車。特急列車が高価な寝台列車であった時代、安価に北海道との連絡を行うために大変重宝された列車でした。上野駅を19時台の早いうちに発車し、仙台以北を夜行で早朝に青森着。上りは青森駅を日付が変わった深夜に発車し、仙台以南は昼行列車のように走って11時台に上野に到着します。昭和50年3月ダイヤ改正までは、仙台~青森間でB寝台を増結しており、古くは全区間にB寝台を連結していた時代もあり、さらに気動車による昼行設定されていたこともありました。過去ログ『EF58牽引 旧型客車:急行「八甲田」』『EF57牽引 旧型客車:急行「八甲田」』でご紹介済みですが、昭和53年10月ダイヤ改正よりワサフ8000がスニ41に変更され、さらに昭和55年3月から旧型客車から12系客車に変更されました。今回は、この中からEF58が12系客車を牽引していた時代のものを集めてみます。昭和55年頃 蕨~西川口間にて EF58116+スニ41尾久送りの回送列車と思っていましたが、改めて調べたところ、165系が2511Mだとすると急行「なすの1号」となり、蕨付近で「八甲田」とすれ違いになる可能性が非常に高いことが判りました。「2」を入れ忘れたか、運転台に見当たらなくてそのままにしてしまったか・・・そんなところかもしれません。昭和56年5月 蕨~西川口間にて EF58152牽引 12系化後の「八甲田」で、荷物車がワサフ8000→スニ40に変わり、オユ10も連結されていません。私の年代ですと12系は「臨時列車」専用車のようなイメージがあるので、荷物車を連結していなかったら「八甲田」とは思えないでしょうね。昭和56年 南浦和~蕨間にて EF58119牽引上の写真と同じ頃でしょうか。そろそろEF58に廃車の危機が迫ってきた頃です。この翌年、57・11改正で119号機、152号機、153号機とも休車となり、そのまま廃車されています。そして、EF58の運用はさらに減り続け、「八甲田」の牽引機もEF65PFにバトンタッチすることになりました。5147 ワサフ8000[KATO]《04月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5147 ワサフ8000【中古】Nゲージ/KATO 10-899 セットバラ 5139-2 (1両のみ) スニ41-5 (郵便・荷物列車「東海道・山陽」A 2022年ロット) 【A’】 付属品無し/ビニール袋で個装しエアキャップに包んでの発送【中古】Nゲージ/KATO(カトー) 貨車 セットバラ10-899(1両のみ) スニ41-5(郵便・荷物列車「東海道・山陽」 Aセット)【A】
2022.07.12
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旧型国電 クモハ11・クモハ12+クハ16:南武線浜川崎支線東京総合車両センターで保管されているかつて鶴見線等で活躍していたクモハ12が復元されてキレイになったそうです。こうした車両が大切に保存されていることを大変うれしく思います。できれば現役で走ってこそ・・・という思いもありますので、『旧型国電 クモハ12:鶴見線 大川支線(武蔵白石駅)』ではご紹介済みですが、もう一つ過去の記録から現役時代の写真を。昭和52年8月 南武線浜川崎支線 浜川崎駅にて浜川崎支線では、南武線が101系化された後も17m国電が活躍していました。通常はクモハ11+クハ16でペアを組んでおり、1編成で尻手~浜川崎間をピストン輸送しています。運行形態は、205系化された現在でも全く変わりませんね。昭和54年12月頃 南武線浜川崎支線 浜川崎駅にて同じく浜川崎駅で撮影したものですが、写真を見て異変に気付くと思います。上のクモハ11形は定位置ですが、本来クハ16の連結されている側にクモハ12がペアを組んで連結されています。おそらく、全般検査で車輌が不足し、ピンチヒッターでクモハ12が運用に入ったのでしょう。17m時代に3~4回は訪れているはずですが、クモハ12が運用に入っていたのはこの時だけでした。両車ともに元モハ31系の車体ですが、リベットの少ないクモハ11とリベットだらけのクモハ12の比較も非常に興味深いところです。この後、ホーム等の改良工事により20m車が入線できるようになり、101系2連の入線によって17m電車が終わりを告げることとなります。
2022.07.11
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EF5861牽引 14系客車:臨時特急「つばめ」(昭和56年)国鉄時代末期、お座敷列車やいわゆるジョイフルトレインなど工夫を凝らした車両が誕生し、団体列車を中心に運転されましたが、いわゆるイベント的に企画されるものは限定的で、SLのさよなら運転や団体列車「銀河鉄道999」のようなミステリー列車が運転される程度でした。そんな中、突如として設定されたリバイバルトレインが、14系客車を使用した臨時特急「つばめ」でした。コンセプトは、当時人気沸騰のロイヤルエンジンEF5861と、電車ではなく余剰気味となっていた14系客車の活用。折からのブルトレブームを歩んだ小中学生が、中高生へと進学し、ブルトレブームから鉄道ブームへと移行してきたところも狙い目だったのかもしれません。これが大当たりで、沿線は大量の鉄道ファンで賑わいました。昭和56年7月25日 横浜~戸塚間にて 臨時特急「つばめ」(下り)牽引機はEF5861、客車は14系ですが、臨時列車らしからぬオシ14を1両組み込んだ編成となっていました。スキャニングはしていませんが、14系にはヘッドマークをかたどったテールマークも用意されました。運転区間は東京~大阪間ですが、所要時間の関係もあってか1日片道運転となり、7月25日に下り、翌26日が上りの運転となりました。沿線は撮影者が溢れかえっており、こんなアングルでしか撮影できませんでした。昭和56年7月26日 戸塚~横浜間にて 臨時特急「つばめ」(上り)翌日の返しも、当時撮影地として有名であった東戸塚駅付近のカーブに行っていました。しかし、情報の少ない当時はみんなが同じことを考えるので、沿線は隙間のない程の人出となり、アングルを選べるような状況ではありませんでした。写真のような状況となれば、今だったら警察出動どころか、沿線がすべて運転見合わせとなり、機動隊が出動しそうな感じですね。この人気を受け、翌年から連続で同時期に設定され、さらに全国へ広がっていくことになります。それにしても、2日連続で同じ場所に撮影に行くなんてマメだなと思いましたが、考えてみたら高校時代ですので夏休みになっていたんですね。翌年は就職したためか、臨時特急「はと」「つばめ」が運転されたものの、撮影には行けなかったようです。
2022.07.10
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183系:快速「富士登山高嶺号」※本記事は、2012/11/27に投稿された記事で、当時の表現になっています。「富士登山高嶺号」は、新宿~河口湖間に運転された臨時快速列車です。大宮センターの183系OM103編成が使用され、ステッカー式のヘッドマークが掲出されました。新宿~河口湖へは週末快速の「ホリデー快速河口湖」などが設定されているため、あえて特別な名前はどうなんだろう?というところですが、富士登山を考慮して夕方に都心発となっている点で特別仕立てであることを感じます。平成21年7月11日 回9526M 臨時快速「富士登山高嶺号」送り込み回送大宮から新宿へはヘッドマークを掲出したままの回送となります。中央線まで出掛けるのが面倒だったので、地元で撮影しました。その後も毎年運転されるのか?とアーカイブを保留していたのですが、残念ながらその後は運転されませんでした。
2022.07.09
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485系 非貫通型:特急「ひばり」上野~仙台間を結んでいた特急「ひばり」。その運転本数は、当時の国鉄随一となっていました。仙台運転所所属の12連を基本に、青森運転所の12連も共通運用。さらに、仙台運転所持ちでは12連クロ編成、クロ+サロの13連、青森運転所の583系と、バラエティーに富んでいました。今回は、485系300番台又は1000番台を使用した特急「ひばり」を撮り始めから晩年までご紹介いたします。昭和52年頃 大宮駅にて昭和52年頃 上野駅にて53・10改正前の文字マーク時代。ヘタクソシリーズの頃なので、お見苦しい写真で申し訳ない。なんかこの文字マークの非貫通型ってイマイチ文字のバランスが良くない感じがします。貫通型だと文字マークが際立ってカッコ良いんですけどね。文字間が詰まり過ぎかな。昭和54年 蕨駅付近にてこちらはイラストマーク化後の「ひばり」です。この時代になると上野方にはボンネット車が無く、貫通形か非貫通型でした。ボンネット車のほうが好きな私としては、敢えてこちら側を撮ることは少なかったようです。現在は左側の貨物ヤードは無くなり、駐車場や駐輪場なってしまいました。画面の右側(東口)は現在ともあまり変化が少ないのですが、左側(西口)は全く様相が変わってしまいましたね。昭和56年 蕨~西川口間にて昔は陸橋の上からだと様々な電線が邪魔して撮りづらかったので、当時はどこからでも撮影可能な道路側から撮っていました昭和56年1月5日 豊原~白坂間にて母親の実家から帰ってくる際、単独行動で途中下車の上、写真を撮ってきました。駅近辺ですが、上下線が離れており、雪があるとまた絵になりますね。ただ、雪の中を平行移動するのは結構大変です。当時は本数が多かったので、行ったり来たり忙しかったですね。昭和56年10月 西川口~蕨間にて クハ481-309これ、ヘッドマークがイラスト化されてから随分経つのに、しばらくの間文字マークのまま使用されていた車両です。当時はこれが来ると嬉しかったのですが、仙台車なので「ひばり」と「ひたち」くらいしか見ることが出来ませんでした。昭和57年 撮影月日不明 上野駅にて上野駅での名シーン。583系「はつかり」と並ぶ非貫通型「ひばり」。昭和57年1月4日 豊原~白坂間にて翌年の同じ時期にも訪れていますが、これは田舎に行くためではなく、完全な撮影行でした。前年と違って全く雪が無く、行程中雨の止むことがない、どうにもならん天気でした。昭和57年2月 上野駅にて東北・上越新幹線の上野駅乗り入れ工事の前段として、17・18番ホーム間にあった広大な荷物ホームが撤去され、番線間に大きな空間が出現しました。昭和57年6月22日 東北本線 藤田~桑折間にて「やまびこ」最終日の撮影で、ED71を撮影するため途中下車して撮ったものです。1時間待っていれば必ず2本の「ひばり」が来る時代。でも、翌日は東北新幹線が開業し、「ひばり」の本数も斬減しました。昭和57年6月22日 東北本線 貝田~越河間にて食堂車込みの12連で疾走する堂々とした姿。現在ではこのような長大編成は見られなくなりましたが、当時は極一般的な姿であり、列車名問わず共通の編成内容で運用されていました。特急「ひばり」は運転本数が沢山あったので、それこそ数十枚の写真が残っていますが、写真を撮り始めた頃の非貫通型写真は『え?これだけ?』ってくらい少ないです。やはり、「ひばり」と言えばボンネット車くらいの憧れというか常識みたいなのが自分の中にあったので、あまり好んでカメラを向けることは無かったようです。10-1479 485系200番台 6両基本セット(再販)[KATO]【送料無料】《発売済・在庫品》
2022.07.08
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159系:修学旅行列車 急行「こまどり」急行「こまどり」は、主に東海地方と品川を結ぶ修学旅行列車です。昭和35年に153系で誕生しましたが、翌36年に専用の159系が誕生し、置き換えられました。159系は、先に登場した155系をベースとした修学旅行用の車輌です。155系は、座席が2・3列のヨコ5列で、出入り台に洗面所を設けるなど、修学旅行用に徹した造りとなっていましたが、一方159系は、中京地区の修学旅行用車輌として増備されたもので、修学旅行閑散期は臨時急行への使用を考慮したことから、車内は急行型153系に準じたものとなっています。しかし、両者とも中央本線等への乗り入れ対策として全低屋根構造としたことから、外観が著しく似ています。また、製作費を抑えるため、コイルバネ式の台車としたことも特徴となっています。昭和54年頃 品川駅にて 159系 岡崎・大垣方面集約臨「こまどり」159系は、もっぱら中京地区←→東京地区の修学旅行用として使用されており、時間帯が良いと、このように品川駅で見掛けることができました。今では橋上通路が「駅ナカ」になってしまいましたが、かつては修学旅行生が待機する広大な待合所があり、時折りシャッターが開いていて、中を覗くことができたものです。写真は塗装変更過渡期の頃で、かなりな混成状態となっています。変更作業は、製作輌数の少ない同系の泣き所だったのかもしれません。クハ正面の塗り分けは、155系はオレンジ一色なのに対し、159系は113系に準じた帯びまわしとなっており、低屋根の顔と相まって、個性的になっているのがわかります。この後、全車が湘南色として出揃うと間もなく、冷房改造されることもないままこの写真の翌年には廃車されてしまいました。
2022.07.07
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キハ40:石北本線北海道の新旭川と網走を結ぶ主要路線である石北本線。かつて、北見や網走への主要ルートは旭川から現在の富良野線や根室本線、そして池田から旧地北線を経由していたものですが、滝川~富良野間の短絡によって利便性が増し、優等列車も走っていました。そして、新旭川~遠軽間の開通により、現在に至るまで特急列車の走る路線となっています。都市間輸送を担う重要路線として、特急列車や急行列車が多数設定されていましたが、路線の中間ではおおよそ人が居住しない地域を走っているため、普通列車の設定本数が非常に少なく、特に上川~白滝はかなり以前から1日1往復しか普通列車を設定していない超過疎路線となっていました。北海道には11回も渡道していますが、道央は夜行列車の夜中の通過時間になってしまうため、殆ど撮影したことがありません。特に旭川~遠軽間では列車での移動による撮影はほぼ不可能と言って良いと思います。そのような過去の撮影の中で、1度だけフェリーにより釧路に上陸し、釧網~石北を走破したことがあります。その際、時刻表を見ながらできるだけ撮影を挙行し、数少ない普通列車の写真を1枚だけ撮影していました。平成3年7月8日 丸瀬布~下白滝間にて キハ40単行による普通列車どの地点でどちら向きの列車の写真を撮ったかすら、記録をしていなかったので全く分かりません。何故ここでシンプルに真横から撮影したかと言えば、初めて見た一面に咲くジャガイモの花がすごくきれいだったから。何故線路に近づかなかったかと言えば、道が無かったからに他なりません。※撮影地は、金町のHさんがGoogle mapから探し出してくださいました。この区間では何度も列車に乗って通過していますが、殆どが夜行列車であり、また、今思い起こせば殆どが冬季でした。一度だけ特急「オホーツク」で昼間に通ったことがありましたが、やはり季節が違っていて、初めて見たスケールの大きなジャガイモ畑は圧巻でした。今でも取り敢えず特急列車が複数設定されていますが、やはりその状況はかなり厳しいようなので、本線と言えども路線維持はかなり難しいと思われます。
2022.07.06
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485系:特急「やまびこ」 53・10改正前「やまびこ」は、上野~盛岡間を結んでいた特急列車です。特急列車としての起源を辿ると、上野~福島間を「つばさ」に併結していた盛岡編成ということになり、上野~盛岡間の特急としては気動車特急としての運転が最初でした。昭和38年12月のことです。昭和40年、東北本線の盛岡電化開業に伴い、電車での特急列車が運転開始となります。481系交直両用型特急電車として実績が認められ、50Hz版の483系が登場し、東北特急として初めての電車特急「やまびこ」が誕生します。登場当初はボンネット型により運転されていましたが、青森電化に際して青森運転所が開設、ボンネット型の「やまびこ」は早々に姿を消すことになります。※青森運転所の開設当初はボンネット型の配置があったらしく、「白鳥」「いなほ」にボンネット型が使用された実績があるようですが、当時小学2年生くらいでしたので、そのような列車の記録は持ち合わせておりません。今回は、特急「やまびこ」のうち昭和51~53・10改正前の画像をまとめてみます。昭和51年 東北本線 赤羽駅にて赤羽駅3番線を通過する上り「やまびこ」。リコーオートハーフでの撮影のため、当たり前のようにブレています。この時代はもちろん文字マーク。「やまびこ」の場合、非貫通型よりも貫通型の方がマッチしていました。右上に見える三菱の広告塔。見づらいのですが『カラーテレビ』と謳っています。この時代は『カラーテレビ』というだけで広告になってしまったんですね。若い人には解からんでしょうな。(笑)昭和51年 東北本線 大宮駅にてほぼ同じくらいの時期でしょうか、大宮駅の9番線です。今では右奥に新幹線の建物がボーンと建ってしまっていますが、この頃は見晴らしの良かったですね。昭和52年 上野駅にてなぜかこの時代は非貫通型の写真が少なかったですね。比較的に仙台に配置されていたものが多かったのでしょうか?昭和53年10月 上野駅にて53・10ダイヤ改正直後の写真のようです。本来ならイラストマーク化されている筈なのですが、ヘッドマークの交換工事が間に合わずに、文字マークのままの車両も存在したようです。ある意味、この時期は文字マークそのものが貴重でしたので、このような車両を見つけると大急ぎでホームを走り回ったような記憶があります。隣に停車中はEF80。常磐線の普通列車でしょう。番外編ですが・・・昭和54年頃 上野駅にて確か、上野駅の8番線と9番線の間だったと思います。線路と線路の間にさも使用されているように放置されていました。誰かが踏んでしまったのでしょうか、悲しいことに真ん中から割れています。私の記憶では、これ以外にも2枚放置されており、写真以外の2枚は9番線のホーム上にあったような気がします。1枚は純然たる「やまびこ」のヘッドマークでしたが、もう1枚は「あさま」になっており、表面に塗ったペンキのような幕がかなりの面積で剥がれ、その下から「やまびこ」の文字の一部が見えていました。『このようなヘッドマークでも塗り替えて使うんだ』と感心したりショックだったり。写真を撮った時代からすると、約7年も時代が流れた上野駅に漫然と放置されていたということになります。ある意味ずさんとも言える感じがしますが、これを発見したときの嬉しさは例えようがありませんでした。実車のボンネット型「やまびこ」の写真を撮ったことが無いので、たったこれだけの写真であったとしても、私的には大変貴重なものなんです。10-1129 KATO カトー 485系後期形 2両増結セット Nゲージ 鉄道模型(ZN87760)485系200番台 6両基本セット 【KATO・10-1479】「鉄道模型 Nゲージ カトー」スマホカバー専門店 ドレスマ送料無料◆10-1479 KATO カトー 485系200番台 6両基本セット Nゲージ 鉄道模型(ZN87759)
2022.07.05
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185系:団体企画列車「新幹線リレー号」昭和57年6月、東北新幹線の大宮暫定開業に伴い、上野~大宮間の連絡列車として、新鋭185系200番台による「新幹線リレー」号が運転されるようになりました。あれから40年の月日が流れ、新幹線リレー号用に誕生した185系200番台もわずかな数を残して廃車・解体されてしまいました。5年前にリバイバル列車が運転された際は、40周年まで持たないだろうと思われた185系。40周年記念としてまた花を咲かすことができました。今回の「185系 新幹線リレー号(ツアー)」では、東大宮操から回送され、上野発が2本、さらには仙台発の新幹線から接続する上り1本に回送列車を合わせ、計3往復6本が地元を走りました。※撮影は、令和4年7月2日です。編成は宮オオB6編成です。回9550M 7:37通過9551M 「新幹線リレー号1号」回9552M9553M 「新幹線リレー3号」前回に続き、やはりリレー色にはなりませんでしたが、前回同様にヘッドマーク及び方向幕にはステッカー式ながら復刻表示が用意され、さらにサイドのJNRマークまで再現されました。3往復設定されたこともあり、地元は久し振りのお祭り騒ぎとなりました。11月には上越新幹線開業40周年を迎える訳ですが、また設定されるのでしょうか?団体列車 東北新幹線開業35周年:185系「新幹線リレー号」185系:アクセス列車「新幹線リレー」
2022.07.04
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185系:アクセス列車「新幹線リレー」東北新幹線開業に合わせ『185系 新幹線リレー号(ツアー)』が地元を走りました。この機会に、写真館で投稿した「新幹線リレー号」について再度まとめておきたいと思います。昭和57年6月、東北新幹線の大宮暫定開業に伴い、上野~大宮間の連絡列車として、新鋭185系200番台による「新幹線リレー」号が運転されるようになりました。昭和57年11月までは本数が少なかったですが、上越新幹線の暫定開業に伴い本数が増加、455系なども運用されていたようです。また、185系200番台の増備を図りながら、165系急行にも使用されるようになりました。昭和57年2月頃 下十条電車区にて本格的な本線運転を前に下十条電車区へ車両を回送、運転訓練が行われていたようです。既に京浜東北線ではATC化が完了していたため、入線に当たってはクモヤ143を介して運転されたと言う記事がありました。狭い電車区の中、既に上野乗り入れのための新幹線高架橋工事が始まっています。昭和57年 浦和電車区にて撮影時期の記録が無いのですが、下十条電車区にやや遅れて移動した来たと記憶しています。京浜東北線の電車区である両区で本線の電車を運転する機会があったのか、当時は疑問に思っていたものですが、未だにその真偽は分かりません。昭和57年8月23日 大宮駅にて営業運転を開始した「新幹線リレー」号。PRはされていたと思いましたが、それほど客が乗っていなかったような気がします。新幹線乗車客が優先されますが、特に特急券の確認等はなく、誰でも乗ることができたようです。昭和57年12月頃 蕨~西川口間にて昭和59年3月頃 蕨駅付近にて地元ではいくらでも写真を撮る機会がありましたが、ちょうどこの頃から沿線にフェンスが出来て撮りづらくなっていたと思います。蕨駅付近での撮影機会があったのは、まさしく地元で撮れなくなったためと思われます。昭和60年1月頃 185系踊り子色 蕨駅付近にて新幹線の上野開業が迫る頃。「新幹線リレー」号の運転が終了すると、185系200番台の余剰車が出ることになります。これらの車両は暫定的に使用していた183系「踊り子」を置き換えるため、予め田町電車区へ放出される計画が出来ていたようです。「新幹線リレー」号からの撤退を前に、早くも「踊り子」塗装にチェンジされた200番台が出現し、急行との共通運用で使用されることになりました。昭和60年3月8日 「エキスポトレイン」と 川口駅にて川口駅につくば万博のPR列車として走った「エキスポトレイン」がやってきました。新幹線上野開業を目前に、束の間の出会いでした。そして、昭和60年3月13日、東北・上越新幹線上野開業の前日を以って、「新幹線リレー」号は静かにその役割を終えることになります。団体列車 東北新幹線開業35周年:185系「新幹線リレー号」
2022.07.03
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485系:臨時快速「谷川岳山開き」※本記事は、2015/8/16に投稿された記事で、当時の表現になっています。毎年7月初旬、谷川岳の山開きに合わせ、夜行の臨時列車「谷川岳山開き」号が設定されています。平成24年までは183系OM車を中心に運用されていたようですが、同車の運用撤退に伴い、平成25年及び26年には485系新潟車が充当されました。平成26年7月6日 485系K-1 9738M 快速「谷川岳山開き」近年の傾向として余程でもない限り専用のヘッドマークが用意されることは無く、2年連続で「臨時」や「快速」などの表示で運転され、味気ないものとなりました。それでも485系自体がE653系化や北陸新幹線開業を目前に撤退を始めており、平成27年はとうとう185系OM車へと運用が振り替えられてしまいました。平成25年はT18編成、平成26年はK1編成が使用されましたが、いずれの特急色編成も既に廃車となっています。
2022.07.02
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東北・上越新幹線:200系※2013/3/8投稿の記事で、当時の表現になっています。昭和57年6月の東北新幹線開通以来、東日本の新幹線網発達とともに生き抜いてきた新幹線200系が、とうとう引退することになりました。登場当初からの0系タイプの他にも、2階建て車両の導入とともに、100系タイプのマスクを持つ車両も登場しています。なお、このタイプには2階建てH編成用として新製したものと、短編成化のために改造されたものが存在します。私は、当時の新幹線に興味を持っていなかったので、この時代のものはまったく記録していませんでした。平成15年9月18日 仙台駅にてそれまで何度も乗ったことのある200系でしたが、写真となると開業前の初公式試運転を関東鉄道学園の窓から撮ったくらいで、間近で撮ったのはこれが初めて。既に更新されていないオリジナルの姿の200系は2本くらいしか残っていなかったように記憶しています。初めての仙台出張の際、下車した仙台駅で偶然にも反対側の番線に200系が停車していました。オリジナルを目にしたのはこれが最後でした。平成15年9月18日 仙台駅にて写真を撮って立ち去ろうとすると、隣のホームの接近放送が鳴っており、構えているとこちらも200系。なにやらキャンペーンのステッカー付でした。わずか数分で2列車に逢うことができました。平成20年8月2日 小山駅にて 「なすの268号」400系「つばさ」の撮影のついで、ラッキーにも200系が来ました。平成20年11月22日 西日暮里駅にてこれは山手線「チョコ電」の撮影のときだったかな?平成21年11月7日 武蔵浦和駅にて平成21年11月7日 浮間舟渡駅にて2枚とも新宿駅における跨線橋(多分、甲州街道←国道20号)の架替工事に関連して、運用が大変更された埼京線を撮りに行った際に撮影したもの。平成24年5月26日 大宮駅にて平成24年8月25日 大宮駅にて 「とき306号」平成24年8月25日 大宮駅にて 「とき308号」E1系Maxの写真を撮りに行った際に撮影したもの。しかし、これはついでという意識はなく、効率の良い時間の中で200系を狙いました。平成25年2月15日 東京駅にて 200系 K47編成 臨時「とき399号」乗車中の京浜東北線線の窓から見つけて撮りに行きましたが、手前に同時発車の東海道線が停車しており、シャッターを切ろうと思ったときには動き出してしまいました。やはりケータイでは無理があります。オリジナルの200系が引退してしまうと益々興味がなくなり、更新色の200系にはカメラを向ける気になりませんでした。それでも、段々と貴重な存在となってくるにつれ、ついでに見た際には撮るようにしていました。200系の引退により、国鉄型の新幹線はすべて消滅することになります。
2022.07.01
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