撮影日記 0
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185系0番台:東海道本線 普通列車185系 新幹線リレー号塗装 復活撮影会(ツアー)185系0番台は、昭和56年に東海道本線の153系急行列車を置き換えるために誕生した車両で、その後特急「踊り子」として運用されますが、車両が出揃うまでは急行「伊豆」はもちろん、当時は多数あった普通列車にも運用されていました。元々2ドア車による混雑は不評であり、時代とともに3ドア車が増備され、185系による普通列車は姿を消しました。東海道本線では、朝の1本のみ185系による普通列車が存置されていました。普通列車でありながら全車リクライニングシートの訳ですから、タダでグリーン車に乗れるようなものです。早朝にもかかわらず人気がありました。平成20年1月26日 早川駅にて平成20年8月16日 早川駅にていずれも「富士」「はやぶさ」の写真を撮るために陣取った場所ですので、後追いでしか撮っていません。次の根府川駅では後発の特急「踊り子」に抜かれるため、185系の種別違いの並びを見ることができました。昭和56年5月 田町駅にて 829M185系が登場してまだ間もない頃です。もちろん///のストライプ塗装です。829Mは朝方の小田原行きのようです。この時代は「普通」の幕が白地でした。平成25年3月の改正では、185系による普通列車運用が解かれたことにより、東海道線東京口の普通列車はすべて4ドア車化されることになりました。
2022.09.16
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103系:赤羽線赤羽線は、東北本線赤羽駅と山手線池袋駅を短絡する路線を指します。元々は赤羽~池袋~新宿~品川間において「山手線」として開業した経緯があり、のちに池袋~田端間が開業したことで池袋~赤羽間が支線のようなかたちで残りました。赤羽線は営業規則上の正式な名称ではなく、山手線として定められていましたが、昭和47年に正式に「赤羽線」という独立した路線名になりました。前記事で赤羽線の101系をご紹介いたしましたが、今回は103系化後の写真をご紹介したいと思います。昭和54年8月頃 赤羽駅にて 103系 カナリヤイエロー編成赤羽線は比較的早くに103系化されました。編成が少なかったこともあったのでしょう。101系時代にも103系ウグイス色車が代走されたのを見たことがありますが、オールウグイス色が普通であり、このようなオールカナリヤイエローの編成はこの時代以降くらいでした。昭和54年8月頃 赤羽駅にて 103系 混色編成むしろこんな混色編成の方が一般的だったような記憶があります。中間車は全部非冷房車。埼京線と直通運転が始まるまでは8両編成でした。違和感がありますが、フツーに走っていました。昭和56年 赤羽駅にてこの頃になると、新幹線関連の工事が始まって来たようです。赤羽線は5番線のみの1本折り返し使用であり、反対側の6番線は、赤羽線を経由して大宮方面に抜ける下り貨物列車の専用通過線として使用されていました。しかし、この写真を見る限り、昭和54年には既に貨物通過線は撤去されているため、おそらく昭和53年10月ダイヤ改正辺りで貨物の通過扱いは解消されてしまったものと思われます。この後、東北新幹線の工事と共に、埼京線としての直通運転を行うため、赤羽駅として最初の高架工事が行われることになります。
2022.09.05
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キハ22・キハ40:室蘭本線室蘭本線を行く普通列車。特急街道でありながら、普通列車は超ローカルです。昭和63年6月24日 有珠~長和間にて 普通列車 キハ40×3連昭和の末期、既にキハ22は殆ど消え去り、キハ40系が台頭していました。平成2年9月9日 静狩~旭浜間にて キハ40250+キハ22道内からはキハ22も殆ど消えていましたが、一部函館に残ったキハ22が最後の活躍をしていました。平成2年9月9日 静狩~旭浜間にて キハ22317単行同日撮影した普通列車。本線にあるまじき単行です。これが道内で撮影したキハ22最後の写真だったかと記憶しています。
2022.08.26
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401系(ローズピンク):常磐線都心に最も近い交流区間は、ある特殊な事情から。無煙化にあたってどうしても必要になったのが交直流型の近郊型電車。そのために開発されたのが初の新性能近郊型401系電車です。カラーリングはローズピンクを採用し、その後に誕生した交直流型のカラーのベースとなります。交直流型電車の発展は近郊形も急行形も共通しており、初期車→出力増強→3電源方式となっています。この流れが401系→403系→415系に当てはまりますが、近郊形に関しては初期車が153系初期車と同様に低運転台で登場しており、踏切事故対策から高運転台に形態が大きく変更されている点が、急行形に見られない特徴となっていました。昭和54年3月頃 上野駅にて クハ401 低窓車401系登場時から活躍していた車輌です。地味な「赤電」群の中で唯一関心があったスタイルで、近郊型でありながら153系初期車と同じマスクを持った異端的なスタイルが好きでした。昭和55年頃 上野駅にて クハ401 低窓車 シールドビーム改造車401系初期車に廃車が出始めた頃でしょうか。段々見かける機会が少なくなってきたように思います。4連×3で組成されることが多く、中間に入ってしまうと撮れなくなってしまうのが難点でした。運良く低窓車に出逢ったものの、残念ながらシールドビームに改造されていました。一部は塗装変更後も残りましたが、やはり非冷房車であることが災いし、早いうちに廃車の対象となりました。昭和54年頃 尾久駅にて番号がハッキリしないのですが、グローブベンチレータで箱型のものが付いていないことから、401系に属するクハ401のようです。この時代、この時間には、尾久客車区の一番ホーム寄りの発着線に常磐線赤電が停まっていました。ネガのコマ重なりでプリントされなかった画像がフィルムスキャンで蘇りました。赤電は昭和60年のつくば万博の前まで走っていましたが、昔はあまり好きな色でもなかったし、地味過ぎて興味の対象にはなっていなかったため、殆ど写真が残っていません。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1771 415系500番台(常磐線・国鉄標準) 4両増結セット【特別企画品】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1770 415系100番台(常磐線・国鉄標準) 4両基本セット【特別企画品】
2022.08.17
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キハ38:八高線キハ38気動車は、老朽化したキハ35系を置き換えるため、同系の改造名義で誕生した気動車です。トイレ付き0番代が4両、トイレ無し1000番代が3両の、計7両が登場しています。登場当初は八高線で使用され、カラーはキハ38専用の気動車としては特徴のある塗装となっていました。平成2年1月24日 八高線 高麗川~東飯能間にて現在は電化されてしまった区間を行く気動車列車。外観からは判りにくいですが冷房付車両で、冷房装置は2階建てバス用のものを搭載しているらしいです。平成6年4月30日 八高線 明覚駅にて現在も非電化のままの区間。タブレット時代末期の八高線での記念撮影。長らく八高線で活躍した同車ですが、平成8年に高麗川以南が電化され、これに合わせて以北の非電化区間にもキハ110系を投入。働き場所を無くしたキハ38は、一同久留里線へと旅立ちます。その久留里線にも新性能化の波が押し寄せ、JRからは姿を消してしまいました。その際、2~4、1001、1002は平成26年にミャンマーへ輸出、1003は水島臨海鉄道に譲渡され、現役で運用されています。さらに、水島臨海鉄道では令和4年度にこの塗装に復元が行われ、話題となっています。
2022.08.16
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101系:赤羽線赤羽線は、東北本線赤羽駅と山手線池袋駅を短絡する路線を指します。元々は赤羽~池袋~新宿~品川間において「山手線」として開業した経緯があり、のちに池袋~田端間が開業したことで池袋~赤羽間が支線のようなかたちで残りました。赤羽線は営業規則上の正式な名称ではなく、山手線として定められていましたが、昭和47年に正式に「赤羽線」という独立した路線名になりました。現在は「埼京線」の一区間として案内されていますが、「埼京線」という名称も正式な路線名ではなく、大宮~武蔵浦和~赤羽間は東北本線、赤羽~池袋間は赤羽線、池袋以南は山手線となります。昭和48年頃 板橋駅にてこの時代、山手線は既に103系化されていましたので、101系のカナリヤイエロー車は赤羽線の専用車両でした。しかし、元々は山手線自体がカナリヤイエローの101系により新性能化されましたので、ある意味、赤羽線に使っていた車両がオリジナル車であると言えます。昭和52年頃 赤羽駅にてこちらは赤羽駅で撮影したものです。101系の運用もそろそろ終盤となった頃でしょうか?短区間の折り返し運転のため、首都圏では珍しいタイプの方向幕が使用されていました。山手線及び京浜東北線のATC化を目的とする103系の増備が急ピッチで展開されており、一方で首都圏に残る73形の新性能化も行われており、非ATC車や101系の置き換えが実施されていました。赤羽線に残った101系もATC車に置き換えられることになり、昭和53年2月いっぱいで101系運用が消滅しています。
2022.08.07
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国鉄 胆振線:キハ22胆振線は、室蘭本線の伊達紋別と函館本線の倶知安を結んでいた83.0kmに及ぶ路線です。歴史をを辿ると、大正9年11月15日に京極軽便線として開業ということですから、昭和40年代に開業したローカル線の多い北海道の中ではかなり歴史のある鉄道ということになります。その後、胆振鉄道、胆振縦貫鉄道が開業して全線が結ばれ、昭和19年7月1日に買収、胆振線となります。北海道の鉄道に夢中になっていた頃、1度だけ胆振線に乗車したことがありました。昭和58年9月6日 京極駅?にて キハ22253実はこの写真、胆振線には間違いないのですが、どの駅で撮ったか不明だったのです。胆振線では途中の比較的大きな駅(←と言ってもみんなローカルですが・・・)では数分ずつの運転停車がありました。このときも、途中の新大滝駅、喜茂別駅、京極駅で入場券を購入しておりますので、このうちのどれかの駅だと思います。その後、読者の方から情報をいただきまして、京極駅ではないということが分かりました。このような写真を撮る場合、大体は駅名標が入るように撮るものですが、さすがにこのロケーションではそのような都合の良い構図は望めませんよね。今だったらデジカメで時間を記録できますから、難なく判ってしまう訳です。便利な世の中になりました。函館山線で特急「北海」や急行「ニセコ」を撮る際、わざわざ乗り鉄を兼ねて踏破した区間ですが、昭和59年6月に廃止が承認され、2年後の昭和61年10月末をもって全線が廃止となっています。時刻表ネタ 昭和55年 国鉄胆振線 循環急行「いぶり」
2022.08.04
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国鉄 101系カナリア色:試運転電車国鉄・JRの電車については路線・形式ごとにまとめをしていますが、国鉄101系の写真で路線に属さないものが1枚残っていますのでご紹介したいと思います。昭和59年頃? 新宿駅?にて?ばかりのデータになってしまいますが、新宿駅で撮影したと記憶しています。101系の活躍も終焉期を迎えており、南武線や鶴見線が最期の活躍の場所になっていたと思われます。方向幕が「試運転」を表示しています。新宿に居たことからすると、大井工場からの出場車と思われます。クモハ+モハのユニットにクモヤが連結された3連となっており、写真のクモハが大崎方であったと記憶しています。運転席の通風孔からコードが伸びていますが、過去ログでご教示いただいたことがあり、これは可搬型のATS-S装置だということです。国鉄時代の電車区間では殆どがATS-B型のみの装備であったようで、本線系を自走する際にこのような措置が取られていたということです。おそらくは出場を兼ねた試運転であると思われますが、工場と配置区を自走する際、回送される線区によってこのような措置が必要となったようです。
2022.07.29
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415系(塗装変更後):常磐線E531系化が完了して久しい常磐線上野口の普通列車ですが、その昔は国鉄型の鋼製車が殆どを占めていた時代が長く続きました。過去ログ『415系(ローズピンク):常磐線』昭和60年に開催された科学技術博覧会(つくば万博)を契機として、長距離電車の15両化、赤電からの塗装変更が実施されています。どちらの塗装もあまり好きではありませんでしたが、やはり常磐線の普通電車と言えば赤電であり、塗装変更後は殆ど写真を撮ろうという気にはなれず、記録も殆どありません。平成元年5月5日 荒川沖~土浦間にて 415系 下り普通列車かなりピンが甘いようですが、なんでこんなアングルで撮ったのか謎です。この頃になると、403系以前の車両は殆どなくなり、1500番台が出揃ってきていたんじゃないかと記憶しています。平成19年1月12日 藤代~取手間にて 415系 1391M平成19年2月12日 藤代~取手間にて 415系 1396M415系は上野口から撤退することになり、鋼製車の活躍も末期となった頃です。この2枚は鹿島鉄道の撮影帰りに撮影したもの。古い401系や403系が無くなり、殆ど興味も失せてしまっていましたが、415系も経年の割には比較的に早く姿を消してしまったような印象があります。415系は初期車が冷房付きの旧型スタイルで特徴があったのですが、当時はそのことを知らなかったので、特に記録することもできず、気が付いた時には既に廃車になった後でした。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1771 415系500番台(常磐線・国鉄標準) 4両増結セット【特別企画品】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1770 415系100番台(常磐線・国鉄標準) 4両基本セット【特別企画品】
2022.07.18
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101系:南武線イベント列車「ドラえもん号」昭和55年11月、かわさき市民祭りの実施に合わせて、イベント列車「ドラえもん号」が運転されました。昭和55年11月2日 矢向駅?にて 101系「ドラえもん号」新性能化が完了したばかりの頃の南武線。使用車両も一般車両と共通の101系6両編成が使用されました。かなりのコマ数を撮影したのですが、良い写真がなかったのでスキャンしていません。運転の経緯等は、下の記念入場券に記されていますのでご参考まで。101系:南武線
2022.07.13
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キハ40:石北本線北海道の新旭川と網走を結ぶ主要路線である石北本線。かつて、北見や網走への主要ルートは旭川から現在の富良野線や根室本線、そして池田から旧地北線を経由していたものですが、滝川~富良野間の短絡によって利便性が増し、優等列車も走っていました。そして、新旭川~遠軽間の開通により、現在に至るまで特急列車の走る路線となっています。都市間輸送を担う重要路線として、特急列車や急行列車が多数設定されていましたが、路線の中間ではおおよそ人が居住しない地域を走っているため、普通列車の設定本数が非常に少なく、特に上川~白滝はかなり以前から1日1往復しか普通列車を設定していない超過疎路線となっていました。北海道には11回も渡道していますが、道央は夜行列車の夜中の通過時間になってしまうため、殆ど撮影したことがありません。特に旭川~遠軽間では列車での移動による撮影はほぼ不可能と言って良いと思います。そのような過去の撮影の中で、1度だけフェリーにより釧路に上陸し、釧網~石北を走破したことがあります。その際、時刻表を見ながらできるだけ撮影を挙行し、数少ない普通列車の写真を1枚だけ撮影していました。平成3年7月8日 丸瀬布~下白滝間にて キハ40単行による普通列車どの地点でどちら向きの列車の写真を撮ったかすら、記録をしていなかったので全く分かりません。何故ここでシンプルに真横から撮影したかと言えば、初めて見た一面に咲くジャガイモの花がすごくきれいだったから。何故線路に近づかなかったかと言えば、道が無かったからに他なりません。※撮影地は、金町のHさんがGoogle mapから探し出してくださいました。この区間では何度も列車に乗って通過していますが、殆どが夜行列車であり、また、今思い起こせば殆どが冬季でした。一度だけ特急「オホーツク」で昼間に通ったことがありましたが、やはり季節が違っていて、初めて見たスケールの大きなジャガイモ畑は圧巻でした。今でも取り敢えず特急列車が複数設定されていますが、やはりその状況はかなり厳しいようなので、本線と言えども路線維持はかなり難しいと思われます。
2022.07.06
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101系:南武線73系などの旧型国電は、昭和50年代に入ると急速にその姿を消すようになります。もちろん、主要路線である中央快速、中央総武緩行、山手線、京浜東北線などは昭和40年代に新性能化されていますが、周辺路線は昭和55年頃から新性能化が始まっています。南武線では昭和55年くらいから101系化が実施されたと記憶しています。冷房化が急がれている都心の路線を整備するため、103系冷房車が急ピッチで製造されていました。これにより余剰となった中央快速線や中央総武緩行線101系を南武線に投入することなり、そのためにラインカラーがカナリアイエローになったようです。昭和55年11月2日 尻手駅にて 101系混色編成新性能化が完了してからまだ間がない頃だと思います。中央快速線や中央総武緩行線からの転属車で賄っていますので、このような混色編成も良く見られたようです。昭和57年5月 撮影場所不明 101系南武線セミ判(6×4.5判)の試運転のときに撮影したものです。撮影場所は全く覚えていませんが、小田急線の登戸附近で撮影をしていますので、これも登戸附近ではないかと思われます。それにしても、のどかな風景ですね。101系は平成2年くらいまで走っていたようですが、最後に残っていたのは冷房改造車であるため、写真のような非冷房車は早々に姿を消してしまったようです。
2022.06.24
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103系1000番台:常磐緩行線(千代田線代々木公園行き)千代田線が常磐線に乗り入れ運転を行うようになったのが昭和46年。そして、私が開業したばかりの武蔵野線に乗るようになったのが昭和48年でした。未だ小学4年生の頃でしたので、初めて見た常磐緩行線と言うのは異質の鉄道に見えました。地下鉄車両が国鉄線を走っているわけですから。営団の6000系は衝撃的なスタイルに見えました。乗り入れ開始から営団6000系と共に国鉄の103系1000番台が使用されており、当時の写真として1枚だけ記録が残っていました。昭和48年頃 新松戸駅にて 103系1000番台行き先は、今では懐かしい「代々木公園」行きです。当時は未だ小田急線へはつながっていませんでしたので、代々木公園←→我孫子を往復しておりました。(もちろん、綾瀬や霞ヶ関など途中折返しもありました。)103系よりは、むしろ6000系の方が斬新で非常に興味はありましたが、当時は写真が非常に高価だったので、ほとんど撮ることはできませんでした。列車本数もかなり少なかったように思います。その後、103系1000番台を撮ろうと思えばいくらでも撮れた筈なのですが、とにかく通勤形には興味はありませんでしたし、増してや常磐線にはあまり良いイメージがなかったので、特急以外はほとんど撮ることがなく、気が付けば103系1000番台の快速充当時代すら撮ることなく引退してしまいました。【中古】マイクロエース Nゲージ 103系1000番台千代田線基本6両セット A0770 鉄道模型 電車【中古】マイクロエース Nゲージ 103系1000番台千代田線増結4両セット A0771 鉄道模型 電車
2022.06.21
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国鉄 天北線:キハ22・キハ40天北線は、宗谷本線の音威子府駅からオホーツク海側に向って分岐し、南稚内で元の宗谷本線南稚内駅へ至る、比較的距離の長いローカル線です。途中の浜頓別駅では興浜北線が分岐、その他には接続する路線がありません。天北線は他の路線とはやや性格が異なります。最果ての地、稚内へと至る重要路線である宗谷本線の迂回ルートとしての役割があり、悪天候などによりどちらかが不通になったとしても、生きている方の路線を使用して運転を続けることが出来ます。現に、私が初めて稚内を訪れた際、悪天候により両線とも不通となりましたが、翌日の急行「天北」を宗谷本線経由として運転を再開、これに乗車したことがあります。特に冬場においては、このような運転が行われることがあったようです。昭和63年6月25日 天北線 曲淵駅にて時間調整中のキハ22首都圏色車を撮影。昭和63年6月25日 天北線 芦野~猿払間にて キハ22237雄大なスケールにキハ22の単行が溶け込む。昭和63年6月26日 天北線 撮影地不詳「北海道といえば牧場」というようなイメージがあったので、モーモーちゃんたちをいれてパチリ。実はココをレンタカーで走っていったら、ビックリした牛たちが怒涛の如く逃げて行ってしまい、落ち着くのを待つまで大変だったんです。モーモーちゃんたち、驚かせてゴメンネ!昭和56年3月 稚内駅にて キハ2222あまり車番とかって、フィルムが勿体無くて撮らなかったんですが、こういうの見ちゃうと嬉しくなってつい撮ってしまいます。今となっては遠い思い出。浜頓別経由と言えば、もちろん天北線です。北の果てで出会った、おもしろい名前の気動車です。天北線も赤字ローカル線と言う名に漏れずに特定地方交通線となり、平成元年4月を以って廃止となっています。
2022.06.10
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103系(低運転台):横浜線今では想像が付かないかもしれませんが、横浜線は昭和50年代半ばまで茶色い電車が走っていました。103系も比較的に早くから導入されましたが、根岸線で同居している京浜東北線と比較すると、何故か見劣り感がありました。昭和55年3月頃 横浜線 八王子駅にて73系を置き換えて間もない頃だと思いますが、元々早いうちに103系が導入されていた横浜線では、京浜東北線と同じスカイブルーの車両を使用することが多々あったため、ヘッドマークタイプの「横浜線」という線名表示を掲げていました。誤乗防止の措置かと思われます。当時の中央線「特別快速」と同じようなデザインのヘッドマークは、103系に非常に似合っていたと思いました。そのような写真を撮っておきたかったところですが、この時撮った103系は直に車体に塗装したようなタイプで、文字もショボイです。よく、転属直後で塗装変更が間に合わないときに使われるタイプの表示でした。多分、山手線のお古ですね。しかも、1両目と2両目以降で明らかに色が違って見え、非常に古い汚い感じがしました。山手線や京浜東北線ではそろそろ冷房車が普及しだしてきた頃でしたので、余計に古く感じたのでしょう。写真は八王子駅ですが、階段部分にしか屋根が無く、今とは比較できない程ローカル感がありました。
2022.06.09
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キハ53500番台・キハ22:宗谷本線宗谷本線は、旭川~稚内間を結ぶ幹線です。天北線が廃止されて以降は、旭川より北を結ぶ唯一の路線となってしまいました。現在でこそ特急列車が走っていますが、それまでの優等列車は急行列車のみであり、昼行の「宗谷」「天北」、夜行の「利尻」などがありました。名寄本線への列車については別にいくつかの設定があったようです。今回は、宗谷本線で撮影したローカル気動車をご紹介いたします。※ 撮影は、昭和63年6月26日、宗谷本線 南稚内~抜海間にてキハ22の単行列車北海道にはキハ22が良く似合います。さすがにこの頃は既に標準色はありませんでした。キハ53501キハ56の両運改造車のトップナンバーが来ました。「本線」ですが、普通列車はほとんど単行のようでした。本線と言う名前であれど、運転本数は極めて少なく、写真も殆ど撮れない状態でした。以前に訪れたときに撮っていれば客車列車などもあった筈なのですが、その頃は列車に気配りしているような余裕も無かったです。そんなこともあって、訪れた回数の割りに写真は少ない路線でした。【中古】鉄道模型 1/150 キハ53-1000番台 西日本・急行色 [A6183][鉄道模型]グリーンマックス (Nゲージ) 952 国鉄キハ22形 1両単品(未塗装組立キット)
2022.06.01
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国鉄 氷見線:気動車&客車のサボ氷見線は、北陸本線高岡駅から分岐し、終点氷見駅までを結ぶ路線。一度だけ乗り鉄をしたことがあります。※撮影は、昭和57年8月8日です。富山港線の旧型電車などを撮りに行った際に立ち寄った、国鉄氷見線のサボの写真です。この時は生憎の雨で、あまり撮影などする気も無く、城端線と同様に乗り鉄してました。当時は当たり前の気動車だったので、列車写真は全く撮影していなかったのですが、今から考えればキハ26やキハ35系、キハ45系といった旧型車ばかりだった筈で、かなり勿体無いことをしました。写真は窓桟の間隔が狭いので、おそらくキハ35系の車両ではないかと思われます。こちらは客車編成のサボを撮影したもので、オハ352877となっています。当時は朝のラッシュ時に客車列車が運転されており、ローカル線に良くありがちなダイヤ設定となっていました。既に客車の1往復は終った時間であり、構内に留置してあった車両を撮ったものと思われますが、天気が良ければ雨晴など風光明媚な場所で撮影していれば、大変記念になったのではないかと思います。
2022.05.28
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JR九州 キハ47:香椎線2018/12/24に投稿した記事で、当時の表現になっています。JR九州の香椎線は、西戸崎と宇美を結ぶ路線です。JRになってからはキハ40系の牙城となっていましたが、平成31年3月のダイヤ改正において新鋭の蓄電池車BEC819系が導入され、現在使用中のキハ40系が全て置き換えられるということです。今までまるで縁のない路線でしたが、九州へ1泊で撮影に行き、鹿児島本線の九産大前駅の近くで撮影した際、直ぐ近くを走る香椎線の列車を撮ることが出来ました。※撮影は、平成24年9月23日、香椎線 香椎~和白前間にてキハ478065キハ479051時間の都合で撮影できたのは1本のみ、景色がイマイチでしたので、前後を撮影しておきました。この列車はキハ47×2連を2本合わせたもので、本線の撮影中に聞いた走行音からすると、2連のみの運用もある様でした。未だ非電化区間の多い九州ですが、福岡市を中心とした都市部からエンジン車の追い出しを図る構想のようで、必要車両数もそれほど多くないことから考えると、製造から40年を経過するキハ40系の先行きは、他の路線でもそれほど長くないものと思われます。
2022.05.21
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415系(ローズピンク):常磐線既に鋼製電車がいなくなってしまった常磐線。都心に最も近い交流区間は、ある特殊な事情から。無煙化にあたってどうしても必要になったのが交直流型の近郊型電車。そのために開発されたのが初の新性能近郊型401系電車です。カラーリングはローズピンクを採用し、その後に誕生した交直流型のカラーのベースとなります。時代が進み、全国的な移動に備えるため、50Hz及び60Hzが使用できる性能を要した車両が誕生するのは特急形や急行形と同様であり、近郊型に415系が誕生します。導入当初は403系と同性能の非冷房車でしたが、増備にあったっては普通列車でも冷房化の供給が要求されるようになったため、新製時から冷房装置を搭載し、ヘッドライトもシールドビーム化されました。昭和53年頃 上野駅にて 415系と115系の並び今は無き上野駅19番線・20番線の並び写真です。20番線115系初期車は、おそらく東北本線の列車です。昭和57年頃までは、高崎線の列車が高架ホーム、東北本線の列車が地平ホームと、比較的うまく区別されていました。115系は非冷房車ですが、415系はもちろん冷房車です。モノクロなのが残念ですが、古き良き時代の上野駅の雰囲気が伝わると思います。昭和57年10月12日 常磐線 荒川沖~土浦間にて 415系8連の普通列車初めて本格的に常磐線の撮影ヘ行ったときの写真です。当時の目的は、「ゆうづる」「みちのく」「ひたち」などの特急とEF80牽引の普通列車や貨物列車でしたし、この塗装の時代は401系や403系がバリバリに活躍していましたので、新車の415系など撮影の対象になっていませんでした。長らく常磐線で「赤電」と呼ばれ、415系まで採用されていた塗装ですが、昭和60年のつくば万博開催に合わせてアイボリーに濃いブルーの塗装に変更され、特徴のあったカラーリングも消滅することになります。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1771 415系500番台(常磐線・国鉄標準) 4両増結セット【特別企画品】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1770 415系100番台(常磐線・国鉄標準) 4両基本セット【特別企画品】
2022.05.08
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413系 新北陸色:北陸本線時代北陸新幹線の開業延伸に伴い、直江津~金沢間の在来線は経営分離されました。その際、車両の一部はそのまま第3セクターに譲渡され、特にあいの風とやま鉄道では413系が使用されていました。これらの413系は、青1色といわゆる新北陸色が計5編成譲渡され、このうち最後まで残っていた新北陸色編成が2022年3月ダイヤ改正で離脱し、この5月5日にラストランを行ったそうです。北陸新幹線の延伸後は同区間を訪れたことがありませんので、北陸本線時代に撮影した413系新北陸色の写真をまとめといたします。平成20年4月22日 金沢駅にて平成27年1月23日 黒部駅にて 546M平成27年1月23日 津幡~倶利伽羅間にて 459MTOMIX Nゲージ JR 475系 北陸本線・新塗装・ベンチレーターなし セット 98457 鉄道模型 電車
2022.05.06
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115系後期冷房車:東北本線・高崎線昭和40年代から地元の本線普通列車と言えば115系というくらい台頭していた車両でしたが、国鉄時代末期から211系が誕生すると、115系も地方に追いやられることとなりました。115系初期車については過去ログ『115系初期非冷房車:東北本線・高崎線』で既にご紹介しておりますので、今回は300番代の冷房車や、末期の1000番台の写真を集めてみます。昭和54年頃昭和40年末頃になると、通勤列車への冷房搭載が実施されるようになります。新製から冷房を搭載した115系は300番台となり、前照灯がシールドビーム化され、顔つきがかなり変わりました。さらに、昭和52年頃からは旧型国電の淘汰が活発となり、東北・高崎地区のみならず、新潟地区や長野地区、さらには身延線や岡山地区などの115系も新製車が投入されます。これらについてはシートピッチの改善や耐寒耐雪構造などが施された1000番台等に派生し、勾配線区を中心に活躍しました。昭和60年11月4日 高崎線 岡部~深谷 115系同士のすれ違い東北本線及び高崎線ではごく一部の普通列車が客車又は急行型車両による運用が残りましたが、殆どの普通列車は115系となり、7+4の11連又は7+4+4の15連で運転されていました。左側は下り列車で、非冷房の7連と短いようです。昭和60年6月2日 蕨駅にて 115系混色15連東北・上越新幹線が開業すると、昼間の特急・急行列車が居なくなってダイヤに余裕ができ、普通列車の増発が図られます。しかし、当時の国鉄は在来線の新製投入まではさすがに財力がなく、短編成化により本数を確保する方法を採りました。これは普通列車に限らず、特急列車も同様でした。ここで不都合が発生します。先頭車の不足です。元々都市圏の長大編成を前提に制作された近郊型電車でしたので、モハの比率が高くなります。それでも、将来の短編成化を見込んでいたようで、7両編成の中間T車にクハを挟んだ編成も多く見られました。昭和60年7月28日 栗橋~古河間にて 115系混色7連全国的に実施された短編成化により先頭車が不足し、一部は中間車サハやモハを電装解除してクハ化したものもあります。しかし、東北・高崎線では7両編成も存置されたため、中間封じ込めされていたクハを地方へ供出し、代わりに中央東線の115系で使用されていたTT車の一部が転属してきました。このクハ→サハの置き換えに際し塗装変更せずに検査まで使用したため、上の2枚の写真のように、混色編成が一時期存在しました。昭和62年3月19日 栗橋~東鷲宮間にて 115系7連それまで11連又は15連で運転された115系普通列車でしたが、日中の本数確保のために短編成化され、それまで見ることのなかった7連や4+4の8連が走るようになりました。しかし、本数が増加したとはいえ利用者数も向上したため、日中の閑散時間帯においても大混雑する列車が見られるようになります。昭和62年12月29日 栗橋~東鷲宮間にて 4連普通列車さらに、日中には大宮折り返しの普通列車が増発されますが、これらには7連や写真のように4両編成まで設定され、混雑に輪を掛けることになります。ちなみに、これら大宮折り返しの列車は、その後の湘南新宿ライン乗り入れ列車の布石となるものです。平成14年8月11日 東大宮~蓮田間にて 115系11連平成14年8月17日 東大宮~蓮田間にて 115系11連昭和60年後半くらいになると、これら車両不足を解消するためか、211系が投入されるようになります。また、湘南新宿ラインの奔りとなる大宮~池袋、さらに新宿間へと乗り入れも始まり、4連や7連といった短編成の運用も解消されることになりました。平成16年8月14日 西川口~蕨間にて 115系 快速運用が改善された115系でしたが、初期車の老朽化や後期車の地方転出などにより運用が激減。さらにE231系も導入されるようになり、この写真を撮った平成16年10月をもって、上野口の運用から撤退となりました。※小山電車区の115系の変遷について、非常に詳しく調査し、紹介した動画を作成していただき、本ブログでご紹介しております写真も使用していただきました。115系に興味ある方は必見です。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3093-1 EF61[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3093-3 EF61(茶)
2022.04.11
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115系初期非冷房車:東北本線・高崎線近郊型電車の決定版となった113系に勾配抑速ブレーキの機能を付加して誕生した115系電車。導入当初は、関東では東北・高崎線、そして中央東線。西でも広島地区などに範囲を広げ、旧型国電の撤退とともに、東海道、関西圏、房総地区を除く各地域へと活躍の場を広げてい行きました。私が物心ついたころには、地元である東北・高崎線もごく一部の客車列車を除き、普通列車は115系化されていました。(さらに一部では165系や455系の間合い運用もありましたけど。)私が小学生の頃は非冷房車のいわゆるデカ目が当たり前であり、高学年の頃に冷房車の300番代が目立つようになった程度でした。今回は、スキャニング済みのものの中から、地元で撮影した115系デカ目非冷房車(冷房改造後)の写真をご紹介いたします。昭和55年頃 川口駅にて先頭の1両だけ非冷房車。当時でもこのような不揃いは珍しかったかもしれません。この時代はまだ冷房化率も50%まであったかどうか。並んだ位置で明暗が分かれることもしばしばでした。昭和55年頃 西川口~蕨間にてこの頃になると冷房化の需要が高まってきており、非冷房で誕生した115系でもデカ目のまま冷房改造されるものが出てきました。しかし、車両数が多いだけに、4両編成の非冷房車はまだまだ健在でした。昭和56年11月頃 西川口~川口間にてこちらも非冷房車の編成ですが、この頃になると、運転席側のテールランプの下に何やら銀箱を付けた車両が目につくようになりました。どうもウォッシャー液の噴射装置らしく、運転席ガラスにこびり付く虫の死骸を除去するためのもののようです。昭和59年1月 大宮操車場から大宮操車時代勤務時代にハンプヤード構内から撮影したもの。ハンプヤード廃止を直前に雪景色の構内を撮影していたものに偶然写っていた非冷房編成。まだ非冷房車が居たんですね。昭和60年11月4日 深谷~岡部間にてこちらもデカ目ですが、さすがにこの頃になると殆ど非冷房車は消滅していたように記憶しています。昭和52年くらいから増備された1000番代の生産も完了し、改造されていない非冷房車は山陽本線方面に移動したものが多かったのではないでしょうか。※小山電車区の115系の変遷について、非常に詳しく調査し、紹介した動画を作成していただき、本ブログでご紹介しております写真も使用していただきました。115系に興味ある方は必見です。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3093-1 EF61[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3093-3 EF61(茶)
2022.04.09
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JR東日本 115系:新潟色(一次~三次)2022年3月のダイヤ改正において、新潟地区で最期の活躍をしていた115系が特に予告も無しに運用から撤退してしまったそうです。歴代の新潟色を復活させるサービス振りで、いずれは撮影に出掛けたいと考えていたのですが、最後は意外にもあっさりとひっそりと引退させてしまい、記録は叶いませんでした。昔記録した写真については時代別にアーカイブしてありましたが、この機会にすべての塗装をまとめて記録しておきたいと思います。平成元年11月4日 群馬総社~八木原間にて 冷房準備車5連M'c+M+M'+M+Tcの5連で、すべて1000番代のようです。昭和50年代半ばから普通列車の冷房化が活発になっていましたが、赤字が膨らんで厳しい目で見られていた時代、しかし地方の旧型車を一新しなければならない状況でもあったため、首都圏に運用される車両は冷房施工済み、地方へは準備工事車が多く投入されました。平成2年5月6日 沼田~後閑間にて 冷房車5連上の写真から半年後ですが、同じ1000番代5連ながら冷房化されています。こちらは準備車から本工事をしたものと考えられますが、もしかしたら上野口に211系が投入され出していましたので、上野口の冷房施工車が編成組み替えの上、新潟地区に異動した可能性があるかもしれません。平成2年8月26日 群馬総社~八木原間にて 初期車5連こちらは115系初期車の非冷房編成です。シールドビーム化もされていません。おそらく、冷房改造されないまま都落ちした編成ではないかと思われますが、先頭車以外の車両が1000番代なのか判りません。上越線ではほとんどが115系1000番代化(上野~水上・長岡行きを除く)されていましたので、このような編成は、上越線では珍しかったと思います。これらは115系新潟色の一次塗装と言われているもので、民営化直後くらい、全国的にも早く登場した塗色変更車だったように記憶しています。白地に青の窓帯を入れ、窓下部に細い赤いラインを入れた塗装でした。この塗装に至る前、同じような色合いの試験塗装車が誕生していますが、そちらは量産されませんでした。この時代は新潟車も上越国境を越えて高崎まで運用されており、水上まで高シマの湘南色と2種類の115系を見ることができました。平成20年8月2日 水上駅にて平成20年8月22日 水上~湯檜曽間にて平成27年1月25日 越後湯沢駅にて唯一記録していた雪景色の115系いずれも二次塗装と言われるもので、かつて新潟で使用されていたジョイフルトレイン485系「シルフィード」に通ずる爽やかなイメージとなっています。この後3次塗装車も出現しますが、平成28年3月ダイヤ改正で129系化されるまでは、水上まで顔を出していました。平成23年5月4日 茨目~安田間にて クハ115-551ほかL3編成こちらのみ信越本線で急行「きたぐに」撮影の際に撮っていたもの。良く見ると115系初期車のようなので調べてみたところ、先頭のクハ115-551は先頭化改造車ですが、出所はなんと電動車のモハ115に運転台を取り付け、さらに電装解除されたものらしいです。都心ではまず見ることが出来なかった改造車ですので、自分の資料としても貴重なものとなりました。平成23年5月4日 N27編成ほか6連同日、潟町駅近くで撮影地を物色していた際、目の前を通過していったために慌ててカメラを取りにクルマに戻り、なんとか間に合ったもの。緑帯の2次新潟色と、青系帯の3次新潟色の混結です。新潟地区では良く見られたようですが、単独編成が多いため、運用を知っていないと撮影は難しいかもしれません。平成30年5月26日 大宮総合車両センターにて クモハ115-1008おおみや鉄道ふれあいフェアで入場中の3次塗装車を偶然にも撮影できました。それまで新潟車など地元で見ることはできなかったのですが、北陸新幹線の開業で信越本線が分断され、長野総合車両センターへの送りができなくなったため、大宮総合車両センターに所管換えされたそうです。この頃にはE129系化により115系は激減、その一方でリバイバル塗装や旧国時代の塗装まで登場するなど、なかなか話題の多かった新潟地区ですが、運用が良く掴めず、冬場はクルマ移動が不可、そしてコロナ禍での移動制限などもあり、結局は訪問することができませんでした。2022年の改正で、なんとか持っていた東日本の115系もいよいよ終幕となってしましました。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5147 ワサフ80005147 ワサフ8000[KATO]《03月予約》5147 KATO カトー ワサフ8000 Nゲージ 鉄道模型 【3月予約】
2022.03.19
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E233系 中央快速線:通勤快速 武蔵五日市・高麗川行き前記事において、JR東日本における2022年(令和4年)3月のダイヤ改正による動きのうち、武蔵五日市行きと箱根ヶ崎行きを併結した快速電車の記事をアップしたところですが、もう1本、同じく武蔵五日市行きと高麗川行きを併結した通勤快速があります。コロナ禍の現在、帰りに撮影可能な時間帯でありながら全くその存在を知らず、前回の記事を作成していて初めて知りました。せっかく撮影が容易い存在なので、通勤客の迷惑にならないよう、1日だけ撮影に立ち寄りました。帰り時間に余裕があるため、撮影しやすい東京駅にて捕獲しました。※撮影は、令和4年3月1日、東京駅にて。東京駅の第1ホーム掲示板。2段表示ができないようで、「高麗川」「武蔵五日市」とそれぞれの英語で4回転表示でした。1917H 通勤快速 武蔵五日市・高麗川行き他の列車はほぼ交互到着・発車ですが、この通勤快速は2番線の発車を待っての到着となっており、折り返し時間が圧縮されていました。「通勤快速 武蔵五日市」の表示。高麗川も撮ろうと思ったのですが、7両先になるので発車に間に合わず。いつでも撮れるものに時間を掛け過ぎたと後悔したのですが、考えてみたらもう快速運用に入ることはないことに気付き、撮っておいて良かったな、と思いました。今回の改正では、八高線のワンマン化が乗り入れの廃止の要因となっていますが、現状で武蔵五日市への乗り入れも八高線乗り入れ列車との併結に限られているようなので、割を食う形で武蔵五日市への直通も「ホリデー快速」を除いて廃止になってしまうことになります。今後のこのような利用者にとって改悪となるダイヤ改正が続くことになってしまうのでしょうか?[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3094-4 EF60 500番台 特急色3094-4 EF60 500番台 特急色[KATO]《04月予約》3094-4 KATO カトー EF60 500番台 特急色 Nゲージ 鉄道模型 【4月予約】
2022.03.12
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205系600番台:東北本線(湘南色)2022年3月のダイヤ改正において、東北本線の直流区間でも大きな影響を及ぼす動きが告知されました。 東北本線の宇都宮~黒磯間及び日光線の普通列車がすべてE131系に置き替えられ、合わせてワンマン化されるというものです。 現在運用されている205系はすべて撤退となり、さらには宇都宮以遠に運用されていた231系や233系による直通運転も廃止、その影響でグリーン車の運用範囲も大幅に狭くなってしまうことになります。 日光線から107系が撤退し、205系化されたのが平成25年。あれから9年も経ったのか~というイメージですが、再利用の割に9年は意外と短かったとも思いました。 107系の最後以来、日光線や東北本線には行っていませんので、結局いずれにも用意された205系を捉えることはありませんでしたが、大宮総合車両センターの公開においてちょっとだけその姿を記録することができました。平成28年5月28日大宮総合車両センター公開で車掌体験に使用されたもの。「那須塩原」の表示が珍しい。令和元年5月25日こちらも大宮総合車両センターですが、展示ではなく検査中のシーン。いずれもY12編成でした。日光線用と東北本線用合わせて12編成が用意され、Y1~10がいわゆるメルヘン顔、Y11・12が普通顔でした。記録できたのが偶然にも同じ編成だったのはちょっと残念。残る205系の活躍も仙石線や鶴見線、浜川崎支線など限られてきました。10-899 郵便・荷物列車〈東海道・山陽〉 6両セットA(再販)[KATO]《03月予約》[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-899 郵便・荷物列車「東海道・山陽」 6両セットA[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1724 郵便・荷物列車「東海道・山陽」 6両セットB
2022.03.10
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JR東海 211系0番台JR東海で最後の国鉄型として活躍してきた211系。国鉄時代に導入された211系0番台が、令和4年3月7日、ダイヤ改正を待たずに廃車回送されたそうです。国鉄時代最後のダイヤ改正となっの昭和61年11月、フリークエンシー化による不足分を補充するため、4両編成2本の計8両のみ製造されました。車両番号からすると0番台初期車ですので、おそらくは昭和61年当初には完成して配置されていたものと思われます。導入当初は青帯にホワイトのラインが入ったストライプで、東日本に配置された大部分の車両が画一的な湘南色ラインであったことから、当時はなかなかいいデザインだと思っていました。しかし、直ぐに民営化されてJR東海に継承するとJR東海のラインカラーとして湘南帯に変更されてしまい、当初の姿は2年にも満たない期間しか見ることができませんでした。JRになってからは各番代が大量に増備され目立たなくなってしまいましたが、クモハを含む4両編成はこの0番代のみレア編成であることに変わりありませんでした。平成21年8月22日 下地駅にて「佐久間レールパーク号」を撮影するために飯田線の下地駅に居たところ、通り掛かった211系が4両編成であることに気付き、慌てて後部を撮影したものです。予期していなかったため、障害物を避けきれませんでした。元々この辺りの車両には興味もなく、JR初期からも殆ど撮影記録がありませんので、この辺りを瞬時に押さえることができたのはやはりデジカメの効力に他なりません。名古屋に親戚があるので、JR東海のエリアは何度か行く機会がありましたが、2編成しかなかったこともあり、写真に収めることができたのはこの時だけでした。KATO Nゲージ EF61 茶 3093-3 鉄道模型 電気機関車
2022.03.09
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E233系 中央快速線:武蔵五日市・箱根ヶ崎行きjR東日本における2022年(令和4年)3月のダイヤ改正では、ワンマン化やこれに伴う新型車の導入が目を引き、さらにはその影響で運転区間の分断も目立ちます。前記事の相模線もそうですし、東北本線の宇都宮駅おける分断も。さらに、八高線~高麗川~川越線も新型車の導入はありませんが、やはりワンマン化によって運用範囲が固定化されることになり、中央快速~青梅線~八高線への乗り入れが廃止になってしまうようです。2年間、大手町勤務に変わった際、定時で帰宅する時間が「青梅ライナー」の撮影時間帯となっており、ちょうど廃止間際に当たったために良く撮影していました。その前走りになる列車が武蔵五日市行きと箱根ヶ崎行きを併結した快速電車となっていることを初めて知り、ネタ的に面白さがあったため撮影していました。平成29年6月2日平成29年6月6日平成29年6月19日平成30年8月1日いずれも東京駅17:57発の武蔵五日市・箱根ヶ崎行きの1705Hを撮影したものです。時間が時間だけに夏場限定の走行写真。しかし、E233系のLEDは行先表示をキレイに撮ることがなかなか困難です。しかも「快速」と交互表示。ラッシュ時間のためにカブられ易いなど、撮影が難しい列車です。平成31年1月11日 東京駅にて 1705H結局は納得いく写真を撮ることができず、「青梅ライナー」などを撮影に行ったついでに東京駅で撮影することになりました。ついでに撮っていたレアな列車がなくなってしまうとは、まったく予想がつきませんでした。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3093-1 EF61価格:5860円(税込、送料別) (2022/3/8時点)楽天で購入[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 2016-A D51 498 蒸気機関車(副灯付)価格:10419円(税込、送料別) (2022/3/8時点)楽天で購入[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) 2245 国鉄 DD51 500形ディーゼル機関車(暖地型)価格:6756円(税込、送料別) (2022/3/8時点)楽天で購入送料無料◆98786 TOMIX トミックス 近畿日本鉄道 80000系 (ひのとり・8両編成) セット (8両) Nゲージ 鉄道模型 【8月予約】価格:19880円(税込、送料無料) (2022/3/8時点)楽天で購入[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) 98744 小田急ロマンスカー70000形GSE(第2編成)セット(7両)価格:19544円(税込、送料別) (2022/3/8時点)楽天で購入
2022.03.08
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205系500番台:相模線平成3年3月16日に全線が電化され、205系500番代で電車運転を行ってきた相模線。ステンレスになってもまだ国鉄らしい印象の205系でしたが、相模線に導入された500番代は他の205系には無い意匠の前面で異彩を放っていました。以来30年が経過し、2022年(令和4年)3月のダイヤ改正をもってE131系に置換えられることになり、ワンマン運転の採用と共に、橋本~八王子間の乗り入れも廃止されることになりました。平成25年5月25日 大宮総合車両センターにて(八王子)平成26年5月24日 大宮総合車両センターにて(臨時)いずれも「おおみや鉄道ふれあいフェア」で車掌体験として展示された205系500番代。工場への入出場では地元を通ることもあったようですが、平日のためにキャッチする機会もなく、このような公開でしか目にすることはありませんでした。平成20年4月26日 橋本駅にて R7編成平成20年4月27日 橋本駅にて R10編成この年、娘が水泳の関東大会に出場することになり、家から然程遠くはないものの早朝からの行動ということで、橋本駅近くに滞在。会場が相模線最寄りのため、初めて205系500番代に乗る機会がありました。相模線の205系に乗ったのはこの2日間だけだったかもしれません。下の写真は、状況から判断して八王子発の茅ケ崎行きが大きくポイントを渡って橋本駅4番線に到着する場面ではないかと思います。非電化時代は、中高生の頃に大回り乗車で2度ほど乗ったような記憶がありますが、基本乗り鉄ではなし、キハ35系のような気動車にも興味はなく、まして電化された相模線をわざわざ利用するようなことは無くなりました。ほかの列車の撮影や仕事の移動で八王子~橋本間は何度か乗ったことがありますし、早朝の活動時には八王子駅で相模線に出会ったこともありますが、特に写真を撮ることもなく、探してもこれだけのコマしか見つかりませんでした。にほんブログ村
2022.03.07
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