撮影日記 0
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E231系 サハE230-0番台:最後の6扉車これ以上の増発や編成両数の増加が望めず、遅延が慢性化している首都圏の通勤通学ラッシュ。少しでも停車時間を短くするための対策として導入された多扉車。関西や東京メトロなどでは早期に導入され始めていましたが、平成2年に初めて20m級6扉車として導入されたのが山手線205系サハ204でした。その後も209系やE231-0番台、500番台へと波及し、東急電鉄にも登場した6扉車ですが、バリアフリー法の影響でホームドアが普及するようになると、扉の多い6扉車への対応ができないことから、車齢が10年未満にもかかわらず次々と編成から外され、廃車されてしまうようになりました。山手線、京浜東北線、埼京線(山手線からの転用)、横浜線に在籍した6扉車は、新性能化に合わせてすべて廃車され、最後に6扉車が残っていたのは、ホームドア設置の遅れていた中央総武緩行線用E231系0番台のみとなっていました。そして、山手線からのE231系500番台の転入により置き換えの進んでいたE231系0番台もいつの間にか残りわずかになり、令和2年3月のダイヤ改正にて、すべての6扉車が引退となったそうです。平成22年7月9日 浅草橋~両国間にて隅田川を渡るE231系0番台の編成。左から5両目に6扉車が連結されています。平成30年1月10日 秋葉原駅にて一足早く引退を迎えた209系500番台の撮影に寄った際に撮っていたもの。いずれは無くなると思っておさえておきましたが、その時期は想像よりも意外に早いものでした。時代の要請で誕生した苦肉の策でしたが、着席できないというリスクを背負った車両の割に、意外にも苦情が発生せず、順調に波及して行った多扉(6ドア)車でしたが、これまた時代の要請で長生きできずに廃車という運命を辿ってしまった車両たち。これを不運な車両とするのか、時代の申し子として称えるのか、難しい存在であると思いますが、鉄道の一つの歴史として残した功績は消えることはありません。
2024.09.22
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「北斗星」用客車:オロハネ24501(JR東日本)「北斗星」用の寝台車両には、1形態1両というレアな車両がいくつか存在しました。これは、当初の需要見込みを上回る利用者増により特に個室寝台を増備(改造による)したことによるところが大きな要因のようです。1人用個室ロイヤルに関連した車両をいくつかご紹介してきましたが、東日本ではロイヤル+ソロのオロハネ25500に続き、ロイヤル+デュエットのオロハネ24550を増備、またこれと同時にやはり3・4号への個室連結化に対応するため、ロイヤル+ソロのオロハネ24501の1両が追加改造により誕生しています。平成20年11月22日 尾久車両センターにて オロハネ24501運転当初に誕生したオロハネ25500はデッキ寄りにロイヤル室が配置された構造になっていましたが、オロハネ24501はJR北海道の車両と同様にロイヤル室を乗り心地の良いセンターに配置した構造となりました。また、ソロ室の構造も居住性が大幅に改善されたということです。平成26年5月10日 回9501レ1往復化後は予備車として待機することになり、訓練運転に使用されることも比較的に多く見受けられました。これらの改造寝台車は突き詰めないと結構複雑であり、あまり個体には興味もなかったので今回様々な資料を見て改めて複雑さが分かりました。このオロハネ24501は1番台1両の珍車でしたが、写真整理で初めて知り、特に意識して撮影したわけではないですが、偶然にも2カットの写真を撮ってありました。
2024.09.21
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ジョイフルトレイン:485系お座敷電車「やまなみ」485系お座敷電車「やまなみ」は、JR東日本高崎支社の12系お座敷客車「くつろぎ」の代替として485系電車から改造され、平成11年に誕生しています。4両編成で、全ての車両がグリーン車扱い。平成13年に誕生した同じく485系お座敷電車の「せせらぎ」が併結運転を考慮して5~8号車とされているのに対し、「やまなみ」は1~4号車の設定となっています。平成20年8月22日 新前橋にて 485系「やまなみ」SL「みなかみ」に乗車した際、新前橋駅で窓から撮影したものです。特に着目していたわけではありませんが、初めての対面だったのでネタとして撮っておいたものです。平成22年3月27日 485系「やまなみ」回送「やまなみ」は平成22年12月に運用を終了し、中間のM’Mユニットのみが「リゾートやまどり」に改造されました。その後保留となっていた先頭車のクロですが、「いわてデスティネーションキャンペーン」に際して盛岡支社管内で観光列車を運行する計画が発表され、485系3000番台一般車を改造したM’Mユニットと編成を組み、「ジパング」として再出発しています。
2024.09.18
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ジョイフルトレイン:485系お座敷電車「せせらぎ」485系お座敷電車「せせらぎ」は、JR東日本高崎支社の12系お座敷客車「やすらぎ」の代替として485系電車から改造され、平成13年に誕生しています。4両編成で、全ての車両がグリーン車扱い。平成11年に誕生した同じく485系お座敷電車の「やまなみ」との併結運転を考慮し、車号が5~8号車とされているのがジョイフルトレインのなかでも異質な扱いとなっています。平成19年11月23日 小田原駅にて 485系「せせらぎ」この手の列車は殆ど写真を撮らないのですが、偶然にも小田原での接続待ちの際に遭遇し、記録しておくことができました。見た目にもかなりドぎつい色をしています。平成22年1月で運用を終了し、再改造により「リゾートやまどり」として活躍しました。
2024.09.17
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ジョイフルトレイン:485系 彩(いろどり)485系彩(いろどり)は、JR東日本長野支社に所属する485系を種車としたジョイフルトレインです。平成18年に長野にて改造により誕生し、翌平成19年から営業を開始しています。種車は、中間車において年次の新しい1000番台としていましたが、両先頭車のクロ481はいずれも北海道用に製造した1500番台となっており、改造によって面影は全くありませんでしたが、最後の1500番台となっています。「平成29年9月30日の団体列車をもって運用から完全離脱する」と長野支社から引退の発表がありました。平成24年2月11日 東所沢~新座間にてワム貨物の最後を撮影する際、待機中に偶然捉えることができたものです。平成27年9月19日 南浦和~東浦和間にて 9767Mこの日は3本のTDL臨が設定されており、485系彩(いろどり)もそのうちの1本でした。配属が長野支社であるため、一番近くてもたまに武蔵野線を通るぐらいで、なかなか撮影する機会には恵まれない車両でした。一度だけどこかへ出かける際、京浜東北線の蕨~南浦和間で並走したことがあり、その際、あまりの内装の良さに一度は乗ってみたいと思ったことがありましたが、誕生からわずか10年、終わりはあっけなく訪れてしまいました。
2024.09.13
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「北斗星」用客車:オロハネ25500(JR東日本)オロハネ25500番台は、寝台特急「北斗星」運転開始に伴い製造された、上野口初の個室寝台を備えた車両です。※厳密にはオロネ24500が「ゆうづる」に先行使用されたので、1人用個室として初となります。5・6号を分担するために3両がオハネ25からの改造により誕生しており、デッキ寄りにA個室ロイヤルを2室配置、反対側にB寝台ソロを12室設備していました。平成21年11月26日 上野駅にて オロハネ25500JR北海道でも同じコンセプトでオロハネ25500番代を製作しましたが、JR東日本のソロ併設に対し、デュエット7室の併設として構成が違っていました。よって、このロイヤルの配置関係にある車両は東日本独自のものとなりました。平成27年4月18日登場時はオロハネが1両のみの連結となっていましたが、ロイヤルの人気からデュエットを併設したオロハネ24550番台が改造により誕生し、JR北海道編成と共通の編成スタイルとなっています。写真は臨時化された後の「北斗星」となりますが、1編成にオロハネ25ソロ、オロハネ24デュエットが各2両、計4両の豪華編成となって最後の活躍となりました。
2024.08.30
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「北斗星」用客車:オハ25500(JR東日本)オハ25は、「北斗星」用として運転開始当初から連結された全室ロビーの客車です。JR東日本の車両は501~504で、全てがオハネ25からの改造車となっています。JR北海道編成では、フリースペースの供出としてミニロビー付きのスハネ25で対応していましたが、「北斗星3・4」号の編成共通化のために全室ロビーとしたオハ25を改造によって誕生させました。こちらは550番代(551)の1両のみとなっており、内装はJR東日本と全く異なるものでした。ちなみに、ロビーカーとしてブルートレインに連結するようになったのは「はやぶさ」次いで「富士」が元祖であり、形式はオハ24700としてグレードアップ番号を使用していました。こちらは種車がオシ14とオハネ14となっているため、種車によってドアを備えるもの、備えないものと形態が大きく異なっていました。平成23年1月16日 回9501レ写真を撮った頃は既に「北斗星」が1往復化されてしまった後であり、JR東日本のロビーカーは全面撤退していました。しかし、1両は廃車とせずに残されており、写真のように訓練運転にも使用されることが多くありました。平成22年11月20日 尾久車両センターにて予備車は尾久セ構内に留置されており、公開時にはこのように形式写真を撮ることもできました。保留車ではなく予備車としての位置づけであり、災害等の大幅な遅れで上り列車の到着が遅れ整備が間に合わなくなった場合、これらの予備車を仕立てて営業に入ったことも何度かありました。この場合、編成はすべてJR東日本の車両となります。平成26年3月9日 尾久車両センターにて「北斗星」の定期が廃止となると、編成はすべてJR東日本で組成した1編成での往復に切り替わることになり、長らく休養していたオハ25の運用が復活することになります。ミニロビーの狭いスペースしかなかった時代からすれば、ファンにとっても「待ってました!」と言ったところでしょう。シャワー室を備えていることから、「北斗星」に乗った時には必ず利用した車両であり、思い出深い空間でもありました。
2024.08.29
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EF651000番台牽引:12系お座敷客車「オク座」過去ログでいくつかご紹介していますが、尾久客車区に所属していた12系お座敷客車で、通称オク座の写真です。昭和62年12月29日 東鷲宮~栗橋間にて既に民営化を迎えた最初の年末年始。この時期にお座敷列車が団体で設定されるのは珍しいのですが、これも東北新幹線が開業したことにより線路容量に余力が出てきたために可能になったものと思われます。オク座は12系登場当初に愛称を持っていませんでしたが、いつの間にか「なごやか」という愛称が付くようになっていました。また、外観は地味な12系客車の標準塗装でしたが、晩年には写真のように斜めのラインが片側に2本ずつ入るようになっています。この辺りは185系による斬新なデザインの定着が影響していると思われます。牽引機はEF65PFの初期車ですが、ナンバーが反射してしまって残念ながら判別が出来ません。蕨駅発 12系お座敷列車:「蕨市民号」EF651049牽引 12系オク座:団体列車「与野市民号」ED78牽引:12系お座敷客車「オク座」
2024.08.17
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キハ391:ガスタービン動車キハ391系は、昭和47年に国鉄大宮工場で製造された車両で、川越線内での試運転の後、陰陽連絡の重点路線である伯備線や山陰本線で試験運転が行われました。気動車と言えばディーゼルがメジャーですが、その歴史を辿ると、最初は蒸気機関を搭載した蒸気動車、ガソリンエンジンを搭載したガソリン動車がありました。その後、燃費やトルク、大型・大出力化などの利点からディーゼル動車が普及していきました。ガスタービンは、燃料の反応熱等で生成された高温のガスでタービンを回し運動エネルギーを得る内燃機関のことで、ジェット機やヘリコプターに使われている原動機です。平成5年11月28日 国鉄大宮工場(現大宮総合車両センター)にて車体を見ると、当時製造中だったキハ181と酷似したお顔、これまた当時開発された振子車同様に背の低い車体、そして、当時の国鉄では導入を見送っていた連接式の台車など、非常に特徴があります。ガスタービンは、専用の中間車のみに搭載され、両端のキハは付随車となっています。ただし、連接構造で片側を動力車としているため、「キクハ」ではなく「キハ」とされています。非電化の幹線における特急列車のスピードアップを目指して開発されましたが、ちょうどオイルショックに掛かって燃料費が高騰してしまったこと、燃費の悪さ、騒音対策の問題が顕著となり、計画が頓挫してしまいました。この写真を撮影したときは、非常にキレイな状態で整備されており、中を見学できるようにしてありました。この時は今の嫁と一緒に訪問しており、もちろん2人で車内見学もして参りました。言わば失敗作となってしまったキハ391ですが、可能性を追求した国鉄研究陣の魂のような車両でもあり、製造された大宮工場で永らく保存されていました。しかし、「ふれあいまつり」で同所を訪れた時、非常に悲惨な姿で所の片隅に留置されており、その後の保存方法なども決まっていないと言うことで、解体も心配されました。平成28年5月26日 大宮総合車両センターにて同センターで保存されていた貴重な車両たちも年を追うごとに静かに解体され、現在では殆どが消滅してしまったようです。その中で、このキハ391も解体されてしまいましたが、先頭車の一部だけは保存されたのがせめてもの救いとなっています。現在の高速振子気動車の礎になったのかどうか良く分かりませんが、可能性に挑んだ国鉄魂を後世に伝えていくためにも、大切に保存していただくことを切望いたします。
2024.08.09
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ジョイフルトレイン:485系「きらきらうえつ」本記事は、2019-12-16に投稿したもので、当時の表現になっています。ジョイフルトレイン「きらきらうえつ」は、平成13年、485系の改造により誕生したJR東日本所有の電車。種車は、485系や489系に由来し、後期の改造であるため、登場時からグリーン車扱いとなったことはなく、クハ+モハとなっていました。485系改造のジョイフルトレインとしては最後発となった車両ですが、令和元年12月15日の営業運転をもって引退となりました。きらきらうえつ 営業運転終了平成27年11月14日 尾久車両センターにてきらきらうえつは、JR東日本新潟支社の車両で、休日は多数の臨時快速運用に充てられていたこともあり、関東に姿を見せることは殆どありません。登場時は何度か臨時快速運用で上京したこともあったようですが、地元での撮影再開前だったようで、まったく記憶にもありませんでした。唯一、この写真を撮った年の公開で初めてその姿を見ることが出来たわけですが、展示位置が悪く、記録としても最低線の写真しか撮れなかったことが非常に悔やまれます。今年は115系と絡めて新潟に行く計画を立ててもいたのですが、長梅雨と仕事の忙しさ、体調不良などもあって頓挫してしまい、最後の活躍を見ることもなくお別れとなってしまいました。
2024.07.28
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EF5895牽引:81系お座敷列車(ミハ座)先般、『EF58牽引:81系お座敷列車(シナ座)』でスロ81系お座敷列車をご紹介いたしましたが、品川客車区に配置されていたスロ81系と同様のスタイルのものが宮原客車区(大ミハ)にも配置されていました。お座敷列車は夜行列車としての機能を備えていないため、関西の車両が関東に来ることは極めて稀であり、その姿を捉えることは容易ではありません。しかし、山陰本線のついでに関西に立ち寄った際、偶然にもスロ81系の姿を捉えることが出来ました。昭和55年8月 神足~山崎間にて EF5895牽引 スロ81系ミハ座諸々の列車の写真を撮影していた際、偶然に撮ることが出来たEF5895が牽引するミハ座です。団体列車だったか、回送だったかは分かりません。当時はすべてのEF58が残存しており、全然珍しいものでもなかったですから、単純にお座敷列車であるというだけで撮影したものでした。当時はそれほど興味の無かったEF58、そしてお座敷列車ですが、今になってみれば唯一記録に残ったミハ座となっていました。昭和61年、14系改造のお座敷列車「みやび」に後進を譲って引退となりましたが、その「みやび」も不慮な事故に遭って1年も経たずに廃車。このミハ座はどんな思いだったでしょうか?
2024.07.07
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国鉄 オハ35系:オハフ332508国鉄オハ35系は、戦前から戦後にかけて製造された急行用客車です。それまで大型客車として製造されたスハ32系はボックスに小窓2つ1組が標準であったスタイルに対し、ボックスに1mの大窓とされたのが特徴で、これ以降の標準スタイルになりました。後期車は戦後の昭和23~24年に掛けて製造されたタイプで、車端に絞りのない折妻構造になっています。屋根は鋼板となっているため、旧型客車の中では特徴的です。昭和58年10月5日 黒磯駅にて オハフ332508硬調プリントからのスキャンなので、下回りも潰れてしまっており、形式写真としては失格です。以前にご紹介いたしました『オハフ332309』と同じ列車に連結されていた車両です。やはりこの-2508も体質改善はされておらず、最後まで旧態然とした姿で活躍しました。2515 TOMIX トミックス 国鉄客車 オハ35形 (戦後型・折妻・青色) Nゲージ 鉄道模型(ZN120834)2515 国鉄客車 オハ35形(戦後型・折妻・青色)(再販)[TOMIX]《発売済・在庫品》2516 国鉄客車 オハフ33形(戦後型・青色)(再販)[TOMIX]《発売済・在庫品》[鉄道模型]トミックス 【再生産】(Nゲージ) 2516 国鉄客車 オハフ33形(戦後型・青色)(1両)
2024.07.04
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国鉄 オハ35系:オハフ332309国鉄オハ35系は、戦前から戦後にかけて製造された急行用客車です。それまで大型客車として製造されたスハ32系はボックスに小窓2つ1組が標準であったスタイルに対し、ボックスに1mの大窓とされたのが特徴で、これ以降の標準スタイルになりました。初期車は昭和14年に製造が始まり、屋根は絞りがある標準的なスタイル。※登場時の形式呼称は異なります。戦況の悪化により一時製造が中断され、終戦後に製造が再開されており、車体に絞りがあるタイプは、戦前型と戦後前期型が存在しました。※オハフ33は戦前型のみ。昭和58年10月5日 黒磯駅にて オハフ332309硬調プリントからのスキャンなので、下回りも潰れてしまっており、形式写真としては失格です。黒磯口の普通列車に連結されたオハフ33で、オハ61系の淘汰から進んでいったため、最終期はオハ35系の比率が高かったように思います。オハ35系の体質改善車もありましたが、ここの普通列車では旧型然とした茶色の車体が多く見られました。2515 TOMIX トミックス 国鉄客車 オハ35形 (戦後型・折妻・青色) Nゲージ 鉄道模型(ZN120834)2515 国鉄客車 オハ35形(戦後型・折妻・青色)(再販)[TOMIX]《発売済・在庫品》2516 国鉄客車 オハフ33形(戦後型・青色)(再販)[TOMIX]《発売済・在庫品》[鉄道模型]トミックス 【再生産】(Nゲージ) 2516 国鉄客車 オハフ33形(戦後型・青色)(1両)
2024.06.29
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EF58牽引:81系お座敷列車(シナ座)お座敷列車の歴史は古く、旧型客車を改造したものが多く誕生しています。オハ60系客車を改造したものが多く存在し、金沢鉄道管理局に登場以来、静岡(沼津)、門司、長野、名古屋、大阪、東京南鉄道管理局にも配置されました。いずれも余剰となった冷房改造後のスロ62系を種車としています。過去ログ『スロ81系:お座敷客車』で81系お座敷列車のグリーン帯時代(沼津区及び門司区)をご紹介いたしましたが、今回は地元で撮影したシナ座こと品川客車区の81系お座敷列車の写真を集めてみました。昭和59年4月 与野駅にて EF58172牽引昭和60年1月 蕨駅にて EF5889牽引昭和60年1月 与野駅にて EF58122牽引昭和60年2月 与野駅にて EF58168牽引昭和60年3月 北浦和~浦和間にて EF58122牽引昭和61年2月12日 東鷲宮~栗橋間にて EF5889牽引昭和62年3月19日 両毛線にて EF5889牽引品川客車区のスロ81系は宮原区のものと同様に最後発となったため、グリーン帯が廃されブルトレ同様の2条帯となっていました。それほど撮影するつもりのあった車両ではありませんので、これだけ残っているのは当時EF58が終焉を迎えていたため、「EF58を撮るため」であったことによります。既に首都圏における電気暖房を必要とする旧型客車はシナ座のみとなっており、この客車のために数両のEF58が残されていたようなものでした。昭和60年6月20日 大沢~関根間にて スロ81系お座敷客車これだけ奥羽本線板谷峠での撮影です。先頭の機関車の写真を撮っていないので、おそらくはノーマークであったか、時間を読み間違えて先頭側を逸して後部を撮影したものじゃないかと思います。ピントが合っていないんだか、ブレてしまっているのか、とても残念な写真なのですが、あまり客車にスポットを当てた写真を撮っていなかったので、テールマークが写っている写真としては唯一のものとなってしまいました。品川区に12系改造のシナ座「江戸」が配置されたことによりお払い箱となった81系シナ座でしたが、当時の人気が高かったためか水戸客車区へ転属することになり、茶色にグリーン帯の装いも新たに余生を送ることになりました。
2024.06.24
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国鉄 旧型荷物車:マニ372020国鉄マニ37形荷物客車は、マニ36にパレット積載機能を追加した車両です。マニ36等の荷物車は殆どが茶色塗装でしたが、マニ37は青色塗装だったために大変目立つ存在でした。後年の急行列車には近代化された青い客車が優先して使用されていたため、塗装も編成に馴染むように青色にされたものと思われます。地元の夜行列車でも急行「越前」に常時連結されていました。急行「津軽」にも連結されていたという記録を良く目にしますが、何故か私が撮影した「津軽」はマニ36ばかりでした。昭和60年7月7日 東大宮操車場にて マニ372020団体企画列車(ミステリー列車)に乗り、東大宮操車場での撮影会の際に撮影したものです。荷物車を併結した夜行急行も新幹線の開業により次々と消滅。荷物輸送も廃止となり、既に運用から離脱し、廃車待ちになっていた車両だと思います。地元でも日常的に見られた形式のため、あまり個々の車両に着目して記録することはありませんでした。そんなこともあって、形式写真風に撮影したマニ37はこの1枚だけでした。形式消滅から30年以上が過ぎ、この時代になってKATOからマニ37が発売されました。単品ではこの写真と同じ形態のマニ372018で発売されたようですが、急行「妙高」セットではなんとマニ372020が製品化されていたようです。つい最近になって初めて知りました。
2024.06.11
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ED78牽引:12系お座敷客車「オク座」私がまだ教習所に通っていた頃、既に運転免許を持っていた高校時代の同級生たちと奥羽本線板谷峠に遠征しました。既に東北新幹線が開業していましたが、客車列車が残っていたこともあり、本数が少ないとはいえ注目の路線でした。他にも撮影した50系客車列車がありますが、今回は撮影当日に運転された尾久客車区所属の12系お座敷客車(通称オク座)の写真をご紹介いたします。昭和60年6月19日 奥羽本線にて ED78牽引 12系お座敷客車(オク座)ED78が牽引する12系お座敷客車で、上の写真が下り列車、下の写真が上り列車です。確か山形を往復して来たと記憶しています、これだけ遠目に俯瞰撮影していますので、残念ながら番号までは判りません。当時は景色重視で撮影していたので、このようなアングルの写真が多く見られます。今でこそ絶滅寸前の客車ですが、昭和末期は激減したといいつつも、ジョイフルトレインのみならず、まだまだ地域によっては客車列車がありました。国土地理院の地図を頼りに現地まで行っていますが、私が運転していた訳ではないので、どの辺りの区間か不明ですが、線形からおそらくは板谷~関根間ではないかと思われます。EF651049牽引 12系オク座:団体列車「与野市民号」蕨駅発 12系お座敷列車:「蕨市民号」
2024.06.09
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12系お座敷客車(高タカ):「やすらぎ」過去ログ『12系お座敷客車「くつろぎ」(高タカ)』で昭和58年に高崎客車区(高タカ)に配置された「くつろぎ」をご紹介いたしましたが、さらに上向きの景気の中で次々と改造お座敷客車が誕生し、高崎客車区には第2編成目となる「やすらぎ」が誕生します。昭和61年5月のデビューでした。デビューを記念して発売された「やすらぎ」のオレンジカード。裏面を見ると昭和61年4月の発行となっていますので、写真も実車あることから、完成直後に急いで写真を撮って採用したようです。背景から大宮工場の留置線で、スロフ1両のみのように見えます。「くつろぎ」でも1ドア化や内装の変更等、外観にはあまり手が付けられませんでしたが、「やすらぎ」ではSETから大流行した展望室が両端に設備されました。塗装も既に12系のベース色を表現しない塗装となっており、赤字のために命ぜられた塗装簡略化の流れは10年もしないうちにすっ飛んでしまった、当時の状況がこの辺にも表れています。こちらは民営化後、高崎支社発行「やすらぎ」デザインのオレンジカードです。客車がメインの題材で発売されていますが、復活したEF55にスポットを当てているように思われるデザインです。「やすらぎ」には専用の牽引機としてEF6019を特別塗装で用意しましたが、現実には牽引する客車を限定せずに運用されていました。平成2年5月4日 渋川~敷島間にて EF651034牽引「やすらぎ」の写真は全然残っていないと思っていましたが、アルバムの中から1枚だけ出てきました。雨のため露出が足りず、プリントからのスキャンのために画像が悪いのですが。フィルムからスキャンすればなんとかなりそうです。「くつろぎ」の記事でも触れましたが、EF58が撤退してEF641000番台が大量にJR貨物に継承した結果、足りなくなった穴埋めのために旅客用EF65PFが高崎第二機関区に配置されたようで、この年代に撮影した上越線のお座敷客車はみんなPFばかりでした。「やすらぎ」は平成13年3月31日をもって廃車・除籍となりましたが、一部の車両がわたらせ渓谷鉄道へ譲渡されました。しかし、これも老朽化によって平成21年度に廃車、先の除籍車も含め複数の車両が個人に引き取られ、活用されているそうです。
2024.05.21
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12系お座敷客車(高タカ):「くつろぎ」団体・臨時列車用として製造された12系客車。旧型客車の老朽化置き換えで急行列車に使用されるようになりましが、さらに余剰となってきた特急用14系客車が急行列車に使用されるようになると、12系客車は普通列車やお座敷列車へと改造されるようになりました。各所に点在していたスロ81系お座敷列車が12系に置き換えられるとともに、それまでお座敷客車を配属していなかった客車区へも進出することになります。このうち、高崎客車区(高タカ)には、昭和58年に「くつろぎ」が6両編成で新規に配置となりました。昭和59年10月14日 東大宮~土呂間にて EF58151牽引登場当初の「くつろぎ」は、12系をベースとしていながらも、白の太帯1条を配したデザインでした。あまりインパクトはありませんが、奇抜な塗装はまだまだ無かった時代です。同じようなデザインで、九州の「海編成」「山編成」(帯はグリーン)がありました。撮影日調査中 後閑~上牧間にて EF65PF牽引平成5年8月21日 後閑~上牧間にて EF651023牽引高崎地区のバブル需要で兄弟編成である「やすらぎ」が増備されると、見劣りを考慮したか、「やすらぎ」もリニューアルが実施され、塗装もシックな茶色系のデザインに変更されました。EF58の独壇場であった高崎線・上越線の客車列車ですが、EF58が全廃になると、EF641000番台に加え、それまでなかったEF65PFが入線するようになりました。下の写真は、最後部のスロフが検査のためか、スハフ12に代わっています。平成6年5月31日 EF6019牽引 「くつろぎ」 上牧~水上間にて「やすらぎ」のデビュー後、動態保存車であったEF6019が「やすらぎ」に合わせた塗装に変更され、ジョイフルトレインの牽引に優先されるような状態で活躍を始めました。「くつろぎ」は平成11年半ばまで運用されましたが、汎用性のある電車ジョイフルトレインに後進を譲り、引退しました。現在も一部の車両が鉄道文化むらに保存されています。
2024.05.20
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国鉄 保健車:スヤ421※本記事は、2020-10-09に投稿したもので、当時の表現になっています。前記事に続き、金町のHさんからもう1枚ご提供いただきました、保健車を続けてご紹介させていただきます。昭和49年7月16日 根室駅にて スヤ421根室駅ホームにて、まさに検診を準備又は実施している最中の検診車を捉えたものです。車号はスヤ421としっかり捉えることができ、2等寝台車のマロネ405から改造されたものらしいです。ホームでの写真のため、残念ながら床下の状況は判りませんが、スヤ522と同様、屋根の一部に切り欠きがあり、そこから排ガス用の煙突が出ているのがハッキリと判ります。窓が塞がっている様子から、この車両も自車用の暖房設備やX線機器のための床置き型発電機が搭載されていたものと思われます。この車両も単独での使用となっていたため、出入台とは反対側にもう一つの出入台を増設しています。実際に検診が実施されている状態を撮影していたため、技師・看護師と見られる方々が待機されている様子が分かる、大変貴重な記録です。ちなみに、ワムフの中にも男性が1人座っており、口角が上がっているようにも見えるため、他にも居る可能性があります。手前には緩急車としてワムフ100が連結されているのも貴重。検診車の奥には、レ7000やレ12000と思われる冷蔵車も5台連結されたまま留置されており、想像ですが、検診の資材や資料などの物置として使用されていたのではないかと考えられます。拡大してワムフ100を見てみると、往復の運用と思われる行程が記してあり、この一連の編成が「検診編成」として運用されていたと思われます。全体としても当時の様子が分かる、大変貴重な記録だと思います。同車も国鉄時代の昭和61年9月に廃車となりますが、やはりツーリングトレインとして帯広駅構内で活用され、用途廃止後はさらに個人に払い下げられ帯広市内でレストランとして使われたそうですが、残念ながら解体されて現存していないようです。金町のHさんにはいつも貴重な写真をご提供いただき、御礼申し上げます。
2024.05.14
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国鉄 保健車:スヤ522※本記事は、2020-10-06に投稿したもので、当時の表現になっています。過去ログでもいくつかの事業用車をアップしていますが、金町のHさんから大変貴重な写真をご提供いただきましたのでご紹介させていただきます。昭和49年7月19日 遠軽駅?にて スヤ522かつて、国鉄職員の健康診断を実施するため、検診車という特殊な車両が存在しました。都市部では健康診断を実施する専門の医療機関や事業者もある時代ですし、中規模以上の企業では社内で検診を実施し、備えのないX線検査にはレントゲン車を依頼したりと、近場で容易に健康診断を実施することができます。しかし、一たび地方に目を向けてみると、そうした医療機関等まで一筋縄では行かないほど距離が離れている地域も存在します。特に昭和40年代頃までは、辺ぴな駅でも職員が配置されていましたので、そうした職員にも検診を受けさせるためにこのような車両が存在したようです。特に、医療機関の密度が乏しい北海道で活躍の場面が多かったようですね。写真の車両はスヤ522で、2等客車スロ52(←スロ51)から改造された車両です。窓回りはいくつか潰されていますが、間隔の開いた小窓に旧特ロの面影が色濃く残っています。床下まで非常にキレイに写っており、意外と箱が少ないことが良く判ります。同車は非冷房車ですが、停車中も暖房が必要なことから温気暖房装置を搭載しています。一方、屋根上に着目すると、屋根に一部切り欠きがあり、排気管が出ているようです。床下には大型の箱を見ることができないので、おそらく床置き型の発電機を搭載しており、暖房装置やX線機器の電源に使用していたのではないかと思われます。特ロでは出入台が1箇所ですが、当該車両は単独で使用されることから、もう一方のエンドに出入台を増設しています。写真を大きくしてみると、手前の出入台には「出口」、反対の出入台には「入口」という表示がされているのが確認できます。スヤ52は国鉄時代の昭和61年までに全廃となったそうですが、当該車両は廃車後にライダーハウスの宿泊施設として活用され、現在は同施設の居酒屋として現存しているようです。
2024.05.13
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E331系:京葉線E993系ACトレインの実績を踏まえ、初めて通勤型電車に連接構造を導入したE331系。国鉄時代から小田急との共同研究などもしていたようですが、国鉄~JRにかけても試作車以外に連接台車を導入した例はありません。E331系は先行量産車として位置づけだったようですが、運転を始めては不具合なのか修理なのか、試作車よりも多い頻度で入退院を繰り返し、殆どまともに営業運転に就いていた記憶がありません。そんな中、営業運転を再開した際に、1度だけ撮影する機会がありました。以上、平成22年7月17日 市川塩浜駅にて何か所かで撮りたかったのですが、特にダイヤを知っていた訳ではないので、ほかの撮影との兼ね合いもあり、これだけにとどめておきました。復活が朗報でもあったため、まさかこの後すぐに運用から再度離れてしまうとは想像できませんでした。平成22年10月9日 京葉線全線開業20周年記念「京葉車両センターフェア」にて前回の撮影からそれほど経っていませんが、既に運用を外れていたと記憶しています。フェアでの展示では、引退間際の201系にも負けない人気者でした。いつでも運用に入って良いように準備されていた乗車位置。運用を離脱している期間が長過ぎて、利用者にも殆ど見向きされなかったのではないでしょうか?新機軸として用意された330番台の形式番号ですが、この先、どう使われるのでしょうかね。結局はどのような成果があったのか良く分からないまま、平成26年3月25日、長野に向けて旅立ちました。
2024.04.19
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717系:配給回送717系電車は、仙台地区に導入された近郊型電車です。余剰となった急行型451系及び453系を種車とし、2扉の通勤適応車内とした新製車体を載せ、足回りやクーラーなどは廃車発生品を使用しています。451系を種車としているものが0番台、453系を種車としたものが100番台に分類されます。昭和59年末頃より、東北本線の黒磯~一ノ関間が電車化され、急行運用から外れた455系等や583系から改造された715系が導入されましたが、仙台を中心とする通勤ラッシュにはドア幅や車内設備から問題があり、417系を基本とした2扉の通勤対応車内を持つ車両が必要になりました。しかし、財政上の問題もあり、改造によって手当されたものです。改造は郡山工場及び土崎工場で実施されましたが、一部が小倉工場で施工されています。昭和62年3月28日 東大宮~蓮田 717系配給回送生まれ変わった717系が同僚の455系に挟まれて回送されるシーン。おそらく先頭ユニットは455系で、後部の急行塗装は453系と思われます。717系は無動力のため、動力車比を高くして迎えに行ったようです。殆どが郡山や土崎で改造されたため、ここを通過する回送は無かった筈ですが、一部が小倉工場で改造されたため、おそらくは小倉からの列車かと思います。資料によると、クモハ717+モハ716-102(←クモハ453+モハ452-17)+クハ716-5(←クハ451-5)が昭和62年1月28日に同時竣工となっているため、これではないかと思われます。確か、「サロンなにわ」だかが関東を通過するという某誌の発表を受けて大勢のファンが待ち構えていたのですが、その時間にピッタリ来たのが彼らでした。その時はガッカリしましたが、今となっては貴重なシーンです。
2024.04.13
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165系 パノラマエクスプレスアルプス+EF63165系「パノラマエクスプレスアルプス」は、国鉄末期の昭和63年3月から営業を開始したジョイフルトレイン。新幹線の開業や特急格上げにより大量に余剰となった165系直流型電車を種車とし、大井工場で改造された。名鉄パノラマカーや小田急ロマンスカーと同様に運転台を上に載せた、国鉄としては珍しいスタイルとなりました。Tc+M’+MCを背面に連結した6両編成で、全車グリーン車としています。オレンジカード 国鉄 東京西鉄道管理局発行「パノラマエクスプレスアルプス」の誕生を記念し、国鉄最末期の昭和62年2月に発行されたオレンジカード。実車の写真は間に合っておらず、完成予想デザインを使用しており、赤・オレンジの色調が実車より濃くなっています。オレンジカード JR東日本 立川営業支店発行運転開始後すぐに民営化を迎え、新たな所管となった立川営業支店から昭和62年8月に発行された、実車の写真を使用したオレンジカード。ヘッドマークデザインを比較すると、1段目と2段目の割り付けが違うことが分かります。平成9年4月12日 横川駅にて 団体列車「パノラマエクスプレスアルプス」及びEF632ほか碓氷峠の廃止直前、横川駅を訪れた時に撮影できたもの。満開のサクラをメインに撮影していたため、肝心の「パノラマエクスプレスアルプス」が蔑ろになってしまいました。「パノラマエクスプレスアルプス」の活動範囲が中央本線を中心に、武蔵野線や房総方面と地元を通ることが少なかったため、全く撮影する機会がありませんでした。東京ディズニーランド臨には他の165系ジョイフルトレインを併結した列車なども多数運転されましたが、駅撮りを全くしていたかった時代と重なったため、特に被写体とならなかったようです。JRとしては平成13年8月を最後に廃車となりますが、翌月に富士急行電鉄に譲渡され、平成14年から「フジサン特急」として第3の人生を歩むことになります。しかし、この「フジサン特急」も世代交代を迎え、平成26年を最後に完全引退となっています。
2024.04.08
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JR東日本 215系の点検蓋大宮駅湘南新宿ライン下りホームの横にある大宮総合車両センターの線路群では、日常ではこの辺で見られることの無い車両が居て楽しい場所です。駅撮りに行った際、偶然にも思わぬ光景に出くわすことがあります。※撮影は、平成23年2月25日、大宮駅ホームから。215系クモハ215の1階側面に並んでいる点検蓋を開けて、中を覗いています。なんで工場の中で点検しないのかは不思議ですが・・・。ホームの端に行って戻ってきたら、担当の人が2人に増えてました(笑)。ホビぽっぽ様情報によると、ここにはバッテリーが納まっているようです。見上げて蓋の裏を見ているのは、ここに説明書きがあるのではないかと。何かトラブルがあったのでしょうか?全車2階建てをコンセプトに誕生した215系。鳴り物入りで「湘南ライナー」に使用していましたが、他への転用が利かずにもてあまし気味。しかも、他車を無理矢理オール2階にしてしまったもんだから、1号車と10号車のクモハ215の1階は機械だけになってしまいました。日常では見ることの出来ない、貴重なシーンが撮れました。【中古】Nゲージ/TOMIX(トミックス) 98444JR 215系 近郊電車 (2次車) 4両基本セット【A´】スリーブ若干傷み[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) 98445 JR 215系近郊電車(2次車)増結セット(6両)【中古】Nゲージ/TOMIX(トミックス) 98445JR 215系 近郊電車 (2次車) 6両増結セット【A】[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) 98444 JR 215系近郊電車(2次車)基本セット(4両)
2024.03.28
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キハ40系盛岡色:津軽線 345D※本記事は、2018-03-24に投稿したもので、当時の表現になっています。平成30年3月のダイヤ改正で、八戸線のキハ40系が「うみねこ」を除きすべてキハE130系に置き換えられ、これに伴いキハ40系盛岡色が終焉を迎えたとの情報がありました。遠く離れた地の情報でもあり、八戸駅を乗り換えで使用したことはありましたが、八戸線を撮影したことはなかったので、ちょっと戸惑ってしまいました。何故かというと、私の記憶では、八戸線以外の路線でも盛岡色の印象があったからなのです。釜石線では平成6年頃から、山田線などでは平成19年頃からキハ110系に置き換えられていたらしく、青森近辺でも、路線として孤立している大湊線では、快速「しもきた」を含めてキハ100系化されてしまっていたようです。あまり塗色変更車が好きでなかったために撮影が疎かになりがちでしたが、盛岡色で1枚だけ撮影していたのを思い出しました。平成24年3月11日 青森駅にて 津軽線 345D キハ40556ほか寝台特急「日本海」が最後を迎えるとき、青森まで行って撮影してきました。その際、ホームに停まっていた津軽線の345Dを撮影したものですが、これが盛岡色を撮った最初の写真だったようです。昔ならこのような状況ではまず写真を撮ることはなかったのですが、ここはやはりデジカメ時代の産物と言ったところですね。盛岡車は渡り板に記号番号が記載されているので、車番も判って良い記録になります。平成24年3月13日 青森車両センターにて キハ40568ほかなんとなく別に見たような記憶があったのでデータを探したところ、青森車両センターを偵察に行った際、DE101751が居たので写真を撮り、構図の関係で手前に写っていたのがキハ40568盛岡色でした。おそらくは、八戸線運用のために青森に駐機している車両だと思われます。民営化の頃からキハ40系を始め、キハ20系、キハ45系、キハ58系まで巻き込んで東北東部を席巻した盛岡色ですが、いつの間にかキハ110系などの新鋭車に置き換わっており、盛岡管内ではキハ40系も絶滅車になってしまうようです。八戸線のキハ40系全廃と盛岡色消滅の繋がりがイマイチ良く理解できなかったのですが、津軽線を調べてみたらいつの間にか秋田車の運用に差し変わっており、やっと状況が理解できました。偶然ではありますが、この塗装車がギリギリのところで記録出来ていたのでホッとしました。
2024.03.13
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キハ35系職員輸送:川越線→大宮操車場貨物大合理化が行われた昭和59年2月ダイヤ改正まで、大宮操車場では朝の通勤時間帯に職員輸送用の列車が走っていました。定期列車の川越線が大宮到着後、客を降ろすとそのまま回送扱いとし、大宮操車場の職員を乗せて西部入換(下り発着線の位置)まで職員輸送を行っていました。大宮操車場の発着線はすべて電化されていましたが、当時の川越線は非電化でしたので、キハ35系4連を延長のように使用していました。構内が大雪の画になっていますので、おそらく昭和59年に撮影したものではないかと思われます。このシーズンは非常に雪が多く、入換でも泣かされたものですが、既に廃止を間近に向かえた職員の心情としては、お別れの記録作りに恰好の演出を提供してくれました。列車は入換扱いで下り線を逆走、下り発着線(現在の国の合同庁舎付近の位置)まで走り、折り返してまた大宮まで戻って来ました。この写真は返しの写真となります。返しには乗ったことが無かったので、大宮機関区に入庫したのか、大宮駅まで行って定期列車に充てたのかまでは定かではありません。この列車では始業時間ギリギリの到着となるため、当時一番下っ端であった私などは、余程さらに下の職員(私は同期の中でも一番早く配置されたので、既に同じ年の後輩がいた)が同じ出番にならない限りは、使用できるものではありませんでした。そんなことで、ほぼ2年間配属となってしましたが、10回も乗ったことが無いと思います。当時はキハ35系そのものが珍しくも貴重でもありませんでしたので、カメラを向けることは殆どありませんでした。そのため、大宮操車場構内を走る同列車を撮った写真というのは殆ど無く、広大な発着線をノンビリと走る同列車の風景を撮らなかったことは、非常に勿体無いことをしたと思います。
2024.03.10
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485系ニューなのはな:団体列車(東北本線)※本記事は、2016-09-26に投稿したもので、当時の表現になっています。平成28年9月25日、千葉地区を担当していたジョイフルトレイン「ニューなのはな」が長野への廃車回送を兼ね、団体臨時列車「ありがとう485系 ニューなのはな 長野への旅」として運転されました。平成10年2月、それまで運転されていた165系お座敷車両「なのはな」の後ガマとして誕生した「ニューなのはな」。当時、客車によるジョイフルトレインの淘汰にあたり、電化区間を効率的に運用できる485系を種車とした改造車両が多く誕生しました。特に、「ニューなのはな」は、座席と座敷の両用として使用できる構造としており、他の485系改造車両とは一線を画す車内設備となっていました。平成21年10月31日 9662M平成21年10月31日 9663M平成24年10月20日 9737Mいずれも地元で撮影したものです。幕張電車区に配置されている性格から房総~中央線での運用がメインで、武蔵野線を通過して東北・高崎方面への運用もそこそこありましたが、上野発着や新宿経由での運用はあまり多くなく、地元で捉えるのは困難な車両でした。特にこうしたジョイフルトレインは、団体列車以外にも臨時快速列車に運用されることが多くありますが、ヘッドマーク設備が無いことから遠征してまで撮影に行きたくなるほどの写欲もなく、そのため同車の記録もほとんど残っていません。今回は「ニューなのはな」に後継車両の準備が無く、波動用の車両も183系マリ車の撤退から無配置状態となっていますので、このまま房総地区における波動用車両の配置はなくなってしまうのでしょうか?送料無料◆A3672 マイクロエース キロ59系 リゾートサルーンフェスタ 3両セット Nゲージ 鉄道模型 【未定予約】A3672 キロ59系 リゾートサルーン・フェスタ 3両セット[マイクロエース]【送料無料】《08月予約》ほんと、色んなもん出しますんね。しかも髙っ!
2024.03.01
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国鉄 キハ10系:キハ1212キハ12は、国鉄キハ10系の酷寒地向けトイレ付き両運転台車です。昭和31年に22両が製造され、全て北海道内でのみ使用されています。寒冷地用キハ11形100番代とは二重窓になっている点で違いがあります。昭和55年3月 釧路駅にて 側線に留置されていたキハ1212当時でもキハ10系は全国的に廃車になってしまっていた時代ですので、北海道でも元々少数派のキハ12に逢えるとは思っていませんでした。昭和55年までに全車が除籍されたことになっていますので、同車も既に廃車又は廃車前提の休車になっていたと思われます。キハ10系自体の写真を持ち合わせていないので、私の数少ないキハ10系の資料となっています。出来ることなら、元気に本線を走っているシーンを撮ってみたかったです。
2024.02.16
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国鉄 キハ22:キハ22604(簡易荷物車)昭和時代では重要な業務であった鉄道荷物輸送ですが、幹線を走る荷物列車や荷物車両という位置付けに対し、編成両数・輸送量が少ないローカル線では客荷合造車があてがわれている例が多く見られました。しかし、これらは編成の中間に連結できないなど運用面で融通の利かない部分もあり、一般型車両の車内の一部を仕切って荷物輸送を行っていた例が多く見られました。このような荷物輸送に適した簡易改造を施した車両も存在し、殊に気動車に多く見られたようです。北海道ではキハ22形に簡易荷物車としての改造を施工したものが多く見られ、特に600番台と区別されていました。昭和56年3月 白石~厚別間にて 最後尾にキハ22604を連結した普通列車当時、全区間架線の下を走る普通列車が沢山あり、特に本線系の普通列車は6両編成くらいの長いものが多く存在しました。キハ22は未だ廃車もほとんど出ていない頃ですが、写真のようにキハ47系が主力になりつつある途上だったようです。この各形式600番台というのは、車内の一部(1/2~1/3くらい)をアコーディオンカーテンで仕切ることができ、車内を座席のまま荷物室に使えるように改造したもので、北海道では他形式でも改造例がありました。あくまでも簡易荷室ですので、荷物取扱の無い列車に連結するときは、通常の全室客車として使用することができます。現在の函館本線電化区間では、新型電車も大量増備されており、足の遅い気動車列車は限りなく無くなってしまいました。写真では見づらいですが、キハ46の標準色車も連結されており、車輌、塗装、雑多な混結具合と、どれをとって見ても懐かしい時代の写真となってしまいした。
2024.01.31
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E259系:「マリンエクスプレス踊り子」(展示)平成24年12月より土休日に設定されるようになった、E259系による臨時特急「マリンエクスプレス踊り子」。「成田エクスプレス」の運用見直しに伴う余剰活用として、それまで考えられなかった車両による「踊り子」となったわけですが、特に外観を「踊り子」仕様とすることもなく、エンブレムがワンポイントとして表示されるのみでした。車体前面の面積からすればワンポイント程度ですが、デザインは列車名と車両形式まで表現されており、ヘッドマークと言えばそうなのかもしれません。「富士」「はやぶさ」や500系「のぞみ」が廃止となってからは東海道方面に撮影に行くこともなくなり、全く縁のない列車でしたが、平成27年の尾久車両センターの公開で珍しく展示対象となり、初めて同編成を捉える機会がありました。平成27年11月14日 尾久車両センターにて 展示尾久車両センター公開に訪問。それまで変わり映えのない電車系の展示などまず興味はないのですが、なかなか「マリンエクスプレス踊り子」だけのために撮影に行くこともないので、この時だけはしっかり撮っておこうと思ってシャッターを切りました。生憎の天気でしたけど。平成27年11月13日 赤羽~東十条間にて 展示回送前日の展示回送に関する情報を得ることができ、大宮方面から回送されてきた同編成を撮影できました。この時が同編成の初対面となります。この日はめちゃくちゃ寒く、寒空で長時間待機したことが災いし、風邪を引いてしまいました。営業運転では捉えることが無かった特急「マリンエクスプレス踊り子」。令和2年3月の運転を最後に設定がなくなり、E259系の一般特急活用に伴う塗装変更が実施されたことで、この姿を見ることは出来なくなってしまうことになります。E259系 マリンエクスプレス踊り子 車両センター撮影会ツアー「最後の旧デザイン『マリンエクスプレス踊り子』号で巡る車両センター撮影会ツアー」
2024.01.09
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国鉄 キハ35系:キハ35900番台かつて、国鉄型気動車の中でも一際目立つ存在であるはずだったキハ35900番台という車両がありました。平成28年11月12日 碓氷峠鉄道文化むらにて キハ35901ラッキーにも保存されているトップナンバー車。地方都市の非電化区間用における通勤形気動車として、昭和36年に製造が開始されたキハ30系(キハ35系)。気動車としては初となる、両開き3ドアでオールロングシート。非電化路線におけるドアステップの必要性から、外吊りドアを装備する特殊な外観となっていました。同系の誕生から約1年後、ボディーをステンレス製とした900番台が登場します。国鉄気動車としては初となる銀色の気動車となりました。昭和52年1月頃 大宮駅にて キハ35910シルバーボディーの900番台は、キハ35形のみ10両が登場しています。新製時はすべてが木更津に配置され、房総地区で活躍していました。ステンレス製としたのは房総地区での運用における塩害対策ですが、濃霧も良く多く起こる地域であるために、銀色無塗装の車両には視認性の問題が生じました。そのため、前面には警戒色の赤帯を入れることになってしまいました。房総地区の電化により活躍の場を失った大部分のキハ30系は、新たな活躍の地へと散らばって行くことになります。そのうち、シルバーボディーの900番台は、高崎第一機関区へ全車が集中配置されることになり、八高線や川越線で活躍することとなります。写真は、大宮駅における川越線で撮影したもので、ラストナンバーの910となります。大宮機関区から出庫してきた銀色のキハ35を初めて目にし、慌ててホームを追っ掛けて行ったことが思い出されます。昭和59年7月27日 川越線 南古谷~指扇間にて数年は銀色に警戒色のまま運用されていましたが、昭和52年頃から実施された塗装合理化に際し、何故か塗装不要な900番台も他の鋼製車と同様に朱色4号に塗装されることになってしまいました。気動車王国でひと際目立つ存在であった900番台は、他の鋼製車の中にすっかり溶け込んでしまいましたが、ボディや屋根の肩部に残されたコルゲートと、強度確保のために長く造られたドアレールカバーにその存在の主張を残していました。埼京線の開業と同時に川越線が電化となり、昭和61年頃に半数の900番台が廃車となり、さらに八高南線の電化で殆どの車両が廃車となります。キハ35904のみが生き延び、茅ケ崎に配置されて相模線で最後の活躍をしていましたが、平成7年11月にその運命を終えたそうです。
2024.01.04
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JR東日本 255系:大宮総合車両センターにて平成5年7月、陳腐化した国鉄時代の183系一辺倒であった房総特急へ新たな車両投入を目的として、255系が誕生しました。登場から40年、令和6年3月ダイヤ改正において、房総地区から撤退することが発表されました。後任には運用がダブついてきたE259系が充てられるということです。9両5編成の計45両のみ少数世帯。既に251系、253系も引退となっていることから、この機会の置換えもある意味順当と言えるところでしょう。特に好きな車両であった訳でもないので、あまり撮影する機会はありませんでした。列車別は後のご紹介として、今回はついでに撮ることができたものをご紹介したいと思います。平成20年5月24日 大宮鉄道ふれあいフェア2008いつもは電気機関車の展示がメインの屋外会場ですが、この年は何故か電車、しかも先頭車だけは並べられるという変わって展示方法となりました。平成28年3月5日 大宮駅にてこれは展示ではなく、通常の入場シーン。まだ回着したばかりだったのかもしれません。娘の卒業式出席の帰り掛けに見付けて撮影したもので、Be-01編成でした。平成28年5月28日 大宮鉄道ふれあいフェア2016同年のフェアの際に工場屋内で撮影したもので、正しくBe-01編成であると思われます。平成30年5月26日 大宮鉄道ふれあいフェア2018さらに2年後のフェアでまた入場していました。編成は不明です。塗装を剥がされての大掛かりな整備となりましたが、次の検査を受けることなく廃車になってしまうのも勿体ない感じがします。工場の入出場の際は地元の線路を通っているものと思われますが、昼間の良い時間帯にもかかわらず平日限定の為、走行シーンをキャッチすることはありませんでした。改正まではおそらく激パ現象が起きると思われますので、ハズレ鉄にならないようにご自愛ください。
2023.12.17
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キロ59系:サロンエクスプレスアルカディア「サロンエクスプレスアルカディア」(通称「アルカディア」)は、国鉄末期の昭和62年3月25日に竣工。実際に営業運転に就いたのは分割民営化後という、国鉄生まれか、JR生まれなのか、非常に分かりづらい珍しい車両です。北海道で「アルファ・コンチネンタルエクスプレス」から始まった、えらく激しい造りの展望室をもつ欧風タイプの団体用グリーン車。そのデザインの元となったのは、おそらく名鉄の「パノラマスーパー」かと思われますが、その後の経済成長に伴って豪華さが売りの欧風車両が次々と誕生し、九州・四国を除く全国に波及していったスタイルです。特に、短編成で小回りの利く気動車に採用されています。アルカディアも分割民営化とともに営業運転に就き、配置区の新潟を中心として活躍を始めたわけですが・・・昭和62年11月22日 磐越西線 山都~喜多方間にてその矢先、わずか1年後の昭和63年3月30日、上越線の越後中里~岩原スキー場前を走行中、1号車(キロ59 508)の排気管過熱により同車が全焼してしまうという、大変不幸な出来事が起きてしまいました。その後、片側先頭車を廃車により失って運行できなくなってしまった「アルカディア」は、残り2両も休車となってしまいました。しかし、約4年後の平成4年、先頭車を追加で改造して組成、普通車に格下げした上で盛岡へと活躍の場を変え、「Kenji」として生まれ変わることになります。改造車とはいえ、たった1年では改造費の減価償却も出来ませんから、なんとか残り2両を活かしたかったところでしょう。不運なスタートとなったにもかかわらず、東日本に残る最後のキハ58系として活躍しました。写真は、鉄橋を渡ってくるところを正面から狙っていたところ、不覚にもフィルムの巻上げを忘れてしまったために撮影することが出来ず、慌てて三脚からカメラを外して後追いで撮ったものなんです。あわよくば、一切記録に残すことが出来なかったおそれもあった「アルカディア」ですが、残念な構図とはいえ、1枚でも記録に残せたことは私としても不幸中の幸いでした。
2023.11.22
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EF6439牽引:12系お座敷客車「江戸」品川客車区に所属していたスロ81系お座敷編成が引退するにあたり、後継として登場したのが12系お座敷客車「江戸」です。当時流行(と言うか、当たり前?)になっていた展望室を取り付けて竣工し、関東圏の団体列車に活躍しました。当時は全国にジョイフルトレインが氾濫し、別にどれを撮ろうとか記録しておこうという意識は全くなく、撮っていたというのもEF58が牽引していると、車両にこだわった撮影はしていませんでした。過去ログ『EF5861牽引12系お座敷客車「江戸」:団体列車「ジパング倶楽部」』『ED75重連牽引:12系お座敷客車「江戸」』で2点ご紹介済みですが、撮影コマ数の少ない「江戸」から最後の1点をご紹介したいと思います。平成5年6月13日 蓮田~東大宮間にて EF6439牽引 12系お座敷客車「江戸」別の被写体を狙いに行った時ですが、同じ日に偶然に運転されていた団体列車を撮影していました。東北本線でEF64基本番台が牽引するというのは国鉄時代にはあり得ませんでしたが、JR化後は宇都宮運転所のEF65PFが大挙して高崎に移動し、またJR貨物に継承されてしまったようで、カマ数の減った東北本線にも高崎のカマがPFと区別なく運用されるようになったようです。[鉄道模型]マイクロエース (Nゲージ) A1124 12系 和式客車 「江戸」 6両セット12系 和式客車「江戸」6両セット【マイクロエース・A1124】「鉄道模型 Nゲージ」
2023.11.19
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JR東日本 キハ40系:「き・ら・き・ら みちのく」平成14年12月、東北新幹線の八戸延伸開業に際し、下北や津軽方面への観光輸送を目的として誕生したのが、キハ40系を改造したジョイフルトレイン「き・ら・き・ら みちのく」です。列車名では「きらきらみちのく」で、「・」は入らないようです。種車は、キハ40系キハ48形の1505・1506・1534を改造したもので、改番はされずに使用されました。時刻表に載る列車で捉えやすい車両でしたが、わざわざ撮りに行くほどでもなく、しかし、尾久車両センターの公開展示のために上京したことがあるため、1度だけ実物を見たことがありました。平成21年11月14日 尾久車両センター公開にて平成21年度の尾久公開のために遥々やってきた「き・ら・き・ら みちのく」。「リゾートしらかみ」に共通するデザインで、キハ40系らしさはありません。趣きが残っているのはドアと中間運転台くらいでしょうか。公開時は天気が悪く、鮮やかには写りませんでしたが、迫力のあるねぶたのデザインが青森らしさを演出しています。この公開の1年後、平成22年11月18日に「きらきらみちのく」としての運行を終了し、臨時列車などにも使用されましたが、リニューアル改造を受け、平成24年春季から「リゾートうみねこ」として再出発しました。
2023.11.15
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12系改お座敷客車:「ふれあいみちのく」「ふれあいみちのく」は、国鉄分割民営化間近の昭和61年、盛岡鉄道管理局が余剰となっている12系客車を改造して導入したお座敷客車です。当時は景気云々よりも国鉄としての増収対策のため、様々なジョイフルトレインが誕生しました。東北地域ではキハ58改造の小単位のものがいくつか誕生していますが、仙台と盛岡では12系6両編成が専属していました。滅多に東京に姿を見せることがないため、撮影する機会はほとんどありませんでしたが、偶然にも2度だけ会ったことがありました。昭和62年12月12日 盛岡駅にて北海道に撮影に行く際、新幹線から「はつかり」への乗り継ぎのタイミングで、留置中の「ふれあいみちのく」に遭遇しました。青森へは、写真の583系「はつかり」に乗りました。臨時だったか忘れましたが、時間の外れた続行列車で、9両編成の車内はガラガラでした。平成2年10月21日 陸羽東線 立小路~羽前赤倉間にてSL撮影のために登山した際、偶然にも「ふれあいみちのく」がDE10に牽かれてやってきました。もっと大きく撮りたいところですが、これでも645判で300mmの限界値でした。逆光で見づらいのも残念ですが、自分にとっては貴重な記録となりました。その後バブルの勢いもあったのか、地方の割には平成14年まで永らく活躍できたようです。
2023.11.06
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ジョイフルトレイン:485系お座敷車両「宴」ジョイフルトレイン「宴」は、平成6年、485系の改造により誕生したJR東日本所有のお座敷電車。485系を種車としたジョイフルトレインとしては、「シルフィード(後のNO・DO・KA)」「リゾートエクスプレスゆう」に続くものですが、いずれもリゾート仕様の座席車であったため、お座敷客車としては「宴」がJR初となります。12系お座敷客車が淘汰されたため、団体列車や臨時快速列車として高頻度で使用されてきましたが、485系が壊滅状態となった平成最後の年、その活躍に終止符が打たれることになりました。今回は、過去に撮影した485系宴の記録をまとめたいと思います。撮影年月日未調査 敷島~渋川間にて平成19年10月6日 回送平成19年10月7日平成20年7月26日 回送平成20年11月3日 大宮駅にて平成20年11月22日 尾久車両センター公開平成21年6月13日 回送平成22年6月13日 回送平成23年6月11日 9312M平成24年7月15日 485系「宴」 快速「お座敷たんばらラベンダー」送込み 回9578M平成24年8月26日 回送平成24年11月3日 回9550M平成29年4月22日 回9852M使用頻度が高かったためか、撮影枚数は結構な数でした。しかし、それほど好きな車両でもなかったため、積極的に撮りに行ったものは殆どなく、他のものを撮影中に偶然に記録したものが大勢でした。485系の定期運用車が消滅してしまった今、主要部品や消耗品の調達も困難になっているはずです。内装の陳腐化により更新したいとしても、この先の寿命を考えるとコスト的に無理があるでしょう。平成31年4月25日、「宴」は令和という時代を待つことなく長野へ向け旅立ちました。近年では長野へ廃車回送を兼ねた団体列車を仕立てることが多かったのですが、「宴」は鉄道わくわくフェスティバルin新前橋での展示イベントが最後となりました。
2023.10.16
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485系:勝田区 K40編成※本記事は、2013-01-19に投稿したもので、当時の表現になっています。勝田車両センターには、波動用の485系として6両編成のK60と4両編成のK40編成が配置されていましたが、平成25年1月16日、K40編成が郡山車両センターへ帰らぬ旅へと旅立ってしまったようです。K60編成は定期的に設定される臨時列車や団体列車等にも多用されていましたが、K40編成は比較的に利用頻度は低かったように思います。K60編成の運用が平成24年12月度から無くなってしまったことは知っていましたが、K40編成はこの時期も訓練運転?目的で上野駅へ姿を現していたようです。そんなこともあって、K60編成よりも先に廃車なってしまうとは予想していませんでした。平成19年8月9日 勝田駅にて先頭車の一方(クロハ481-1501)は、サロを先頭化改造したクハをさらに「あいづライナー」用としてさらに半室グリーン車に改造した車両で、485系でありながら運転席上のヘッドライトが無い、円形の固定型フォンカバーを装備するなど、かなり違和感のある表情が特徴でした。常磐線がホームグランドのため、なかなかこの車両に接する機会が無く、過去写真を探しましたがこの写真しか見つかりませんでした。平成12年2月5日 旧中山駅跡にて 特急「ビバあいづ」 旧中山宿通過特急「ビバあいづ」で活躍を開始したころの485系。塗装こそはまるで違いますが、基本的なスタイルはほとんど変わっていません。この時代は6両編成で、インビテーションカーというフリースペース車両を組んでいましたが、車内復元で元に戻り、平成14年に磐越西線から撤退し、勝田区の波動用として移動しました。その際に4両編成化されています。残るK60編成も運用はまったく設定されておらず、同じ道を辿る可能性が高いと思われますが、貴重な1500番台を含め、485系そのものが消滅する日も目前に迫ってきたようです。
2023.09.17
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ED75重連牽引:12系お座敷客車「江戸」ジョイフルトレインと言うのは昔からあまり好んで撮影した訳ではありませんが、地方に撮影に行った際は、なかなか逢うことができない列車として記録しないわけには行かない、と思うことも多々あります。まして、客車列車となれば、首都圏では見られない機関車が牽引しますので、尚更と言えます。平成2年7月1日 矢吹~泉崎間にて ED75706ほか重連 12系「江戸」板谷峠の撮影の帰り道、東北本線の貨物列車などを撮影するために立ち寄った時に捕捉したものです。12系お座敷客車「江戸」は、スロ81系お座敷客車の後継車として誕生しました。EF58の撤退と共に、暖房装置のいらない12系の改造により誕生しました。折からのバブル期も手伝って、欧風客車やお座敷客車が次々と誕生した時代で、後期のものは車端に展望室を配したものが多く生まれています。写真は、ED75の貨物列車を撮るために構えていたら偶然来たもので、しかも、重連が組まれていて非常にラッキーでした。昔の東北本線では700番台と言うのは全く見られなかったのですが、JR化されると初期車に廃車が生じるようになり、貨物合理化による余剰車大量発生も手伝い、700番台も東北本線の運用に入るようになったようです。
2023.09.13
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115系3000番台:瀬戸内色誕生当初関東在住の身からすれば全くと言って良いほど縁の無い車両、115系3000番台。当時は客車列車の淘汰が大幅に進み、直流区間の普通列車といえば113系と115系ばかりと言ったところ。そんな中誕生した115系3000番台は、115系でありながら117系と同様の接客スタイルを持った変り種として異色の存在だったと思います。昭和57年10月4日 徳山駅? クハ115-3104山口線のSL撮影行に際し、当時未だ残っていた可部線の73系を撮影し、小郡へ向かって移動している時に初めて出逢った115系3000番台です。まだ製造元から回送されてきたばかりのようで、車体・足回りはもちろんピカピカ。窓のカーテンも全て下ろされていることから、私たちが見つける寸前に着いたばかりという感じですね。この編成を運転してきたと思われる運転士さんたちも興味深げに車輌を見ている様子が写っています。塗装も省略化の方向が強くなった頃で、ブルーのラインもおそらくテープだったのではないでしょうか。これがのちに115系の一般型まで及び、いつの間にか瀬戸内色と呼ばれるようになったようです。昭和57年11月28日 小郡駅(現新山口駅)にて モハ111系との混成これもやはり山口線を撮りに行った際に撮影したもの。フリークエンシーの実施により、クハ+モハ+モハ+モハ+モハ+クハの6両編成が基本であった同地区の111系を、クハ+モハ+モハ+クハ×2として編成を増やすため、6両編成から中間車のモハ+モハを抜き、ここに新製クハ115-3000を両端に足して誕生した編成です。殆どのモハユニットが111系非冷房車であることから、クハ115-3000も冷房準備車としてクーラーを搭載していませんでした。ですので、新車の割には冷房すらない、さらには湘南色との混成と、非常にインパクトがありました。普段は通勤車など殆ど撮ることは無かったですが、塗装としても115系にしては珍しかったですし、何よりも2ドア車と言うのはインパクトがありましたね。さらには私的に目の無い混色編成というのは美味しかったと思います。その後全車が冷房化され、中間車の111系も全廃となり、転配で115系や117系のユニットを組み、塗装が変わってしまったものもあります。ピッカピカの誕生時に逢った彼らも既に老兵と言われる年代になってしまいました。写真では幼いままの彼等を今こうして見ていると、年月の流れの速さを感じます。
2023.09.06
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JR東日本 HB-E300系:リゾートあすなろ編成南東北に新観光列車「SATONO」を導入リゾートあすなろ 最終運行(ツアー)JR東日本では、2010年に誕生したHB-E300系「「リゾートあすなろ」2両×2編成のうち1編成を改造し、新観光列車「SATONO」として導入することを発表しました。HB-E300系は今までに2両編成と4両編成が各3編成ずつ誕生し、このうちリゾートあすなろのみ2編成となっていました。この辺りの車両は特に興味をそそるものでもないので、今までにわざわざ地方まで撮影に行くこともありませんでした。もちろん、首都圏で見られる機会などないものでしたが、この「リゾートあすなろについては尾久車両センターの公開で上京したことがあり、その際に記録することができました。※撮影は、平成24年11月10日、尾久車両センターにて。HB-E300系 リゾートあすなろ編成「第12回 みんなあつまれ!ふれあい鉄道フェスティバル」が尾久車両センターで開催され、はるばる仙台から公開に駆け付けた「リゾートあすなろ」編成。元データを確認したところ、HB-E301-3+HB-E302-3の編成でした。こうしたことでもないとなかなか見ることのできないジョイフルトレイン。まだ新しいと思っていても、気が付けば登場から13年。令和5年8月、リニューアルのため「あすなろ」としての運転を終えたようです。
2023.08.26
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485系カーペット車:NO・DO・KA新潟車両センターに所属する485系ジョイフルトレイン「NO・DO・KA」。485系「シルフィード」として平成2年9月から運転を開始、当初の所属は上沼垂運転区でした。改造種車はサロ189でしたが、車体は新製・電装や下回りは485系予備品等の利用によって製造されたため、改造と言っても台枠等がベースとなっただけのようです。登場当初は全車グリーン席であり、クモロ485-1+モロ484-1+クロ484-1となっていました。平成13年初に普通車に格下げ、さらに同年10月には内装をカーペット化し、愛称を「NO・DO・KA」に変更。以来、15年以上にわたって団体列車や臨時列車に活躍しましたが、平成29年1月7日の惜別運転をもって運用を離脱、引退することになってしまいました。なかなか地元には走らない列車でしたが、それでも何回かは上京したことがあったため、ほんの数回ですがキャッチすることができました。平成22年3月23日 西川口~蕨間にて 回9745M実は、「シルフィード」の時代から通して、この車両に出会ったのは初めてでした。「パノラマエクスプレスアルプス」よりも「シルフィード」の方が好きだったのですが、何か縁が無くて逢うことも撮ることも出来なかった。平成24年11月4日 蕨駅付近にて 9714M上京の際は大抵山手貨物線経由で横浜方面に抜けることが多いのですが、この回は上野駅までの運用となっており、珍しく本線を通りました。平成27年9月23日 蕨~南浦和にて 9835M上京した列車はすっかり忘れていて、返しのみなんとか撮影できました。これ以外に、新潟で撮影した『臨時快速「妙高ミズバショウ」』と、『団体列車「浦和駅開業130周年記念号」』は、既に過去ログでご紹介済みです。車両火災で製造後すぐに引退した『キロ59系:サロンエクスプレスアルカディア』の後継という形で誕生した「シルフィード」でしたが、1度だけ磐越西線への非電化乗り入れを撮影に行った際に運転取り消しされ、それ以来、「シルフィード」が撮れなかったことを悔やみました。リニューアルにより25年強にわたって活躍した「NO・DO・KA」でしたが、製造のきっかけとなった元「アルカディア」は「Kenji」として生まれ変わり、これよりも先に引退することになってしまいました。
2023.07.24
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国鉄 ナハフ112021:品川客車区控車10系客車は、昭和30年に試作車が誕生し、その後量産された軽量客車です。軽量客車は、その構造や軽量設計が仇となり、老朽化が早く、同時期に製造された20系寝台客車と同様に、比較的に短命に終っています。客車列車の電車化・気動車化に際しても、戦前型の客車に比べていち早く撤退した感があります。そんな状況の中、ナハフ112021と僚友の2022が品川区で昭和60年代まで使用されていたようです。その役割は、品川客車区と尾久客車区間で行われる配給回送や大宮工場入場回送でした。昭和56年9月頃 品川駅(品川客車区)にて ナハフ11 2021品川客車区構内で入れ替え中の10系客車「ナハフ112021」です。本来、客車は蛍光灯やテールランプ用の車軸発電の設備を擁していましたが、暖房設備は搭載していません。したがって、機関車から暖房用の蒸気或いは電気暖房用の電力を受けて暖房を行っていたわけですが、国鉄末期には東京機関区のEF58撤退し、暖房装置を持たないEF65PFのみとなってしまいます。昭和60年から貨物列車の車掌(列車掛)の乗務は廃止されることとなりましたが、客車列車については引き続き車掌乗務が行われておりました。これは、客車の中間車には手ブレーキが装備されておらず、留置の際の転動防止として控車が必須であったと考えられます。客車列車の組成にあたり、冷房装置については列車の必須条件になっていませんでしたが、暖房については昔から一部の例外を除いて必須条件となっており、車掌のみに対してであっても、職場環境の整備として暖房は必須となっています。そこで、PF牽引となって暖房の利かなくなってしまう客車に対して、客車自体に暖房設備を搭載し、車掌車として生き永らえたのがこのナハフ11でした。この控車には品川区のナハフ11の他に、尾久客車区のマニ36も同じ役割で配置されていました。昭和55年頃 川口駅にてナハフ11がすれ違い様に写っていますね。実際にはカブられたとも言いますが(笑)。ブルトレやジョイフルトレインを含む客車列車の衰退と共に、品川客車区の機能がなくなってしまったこともあり、これらの配給回送・入場回送も無くなってしまったことから、平成7年11月1日付で除籍されたそうです。10系客車として最後まで残った車両でした。
2023.07.23
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101系900番台:武蔵小金井電車区留置時代クモハ101-902は、現在も鉄道博物館で保存・展示されている幸運な車両ですが、昭和の時代、運用離脱後、長きにわたり武蔵小金井電車区に留置されていました。中央線の窓から眺めた風景に興味がわき、1度だけ撮影に行ったことがあります。※撮影は、昭和56年9月頃? 武蔵小金井電車区にて。クモハ101-902武蔵小金井駅寄りに連結されたクモハ101-902。正面側から撮影できなかったのが非常に残念なところです。クモハ101-902&モハ100-903写真はモノクロなので判らないですが、クモハ101-902がカナリアイエロー、モハ100-903はオレンジバーミリオンです。中央線を通るたびに色違いで連結・留置されているのが大変気になっており、この時のみですが電車を降りて歩いて行ってみました。留置されている位置は非常に悪いのですが、300mmのレンズで何とか車号が判るように撮影することが出来ました。相棒のモハ100-903の消息が掴めないのですが、せっかく保管してあったのに、結局は解体されてしまったようです。
2023.07.18
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EF71+ED78重連牽引:明星セメント タキ10600※本記事は、2021-03-01に投稿したものであり、当時の表現になっています。KATOから6年近くのブランクを開けてED19形機関車が発売されました。これに合わせ、やはり飯田線における注目の貨車であるタキ10600形2両セットも同時発売となっております。前回のED19発売時においても、このタキ10600形4両(番号違い)と合わせてセット発売もされ、当方も購入しております。その当時、タキ10600形について色々と話が出て、このタキ10600という貨車が仙山線をED78に牽かれて走っていたと聞かされました。Wikipediaには記述がないのですが、KATOの製品紹介では磐越東線大越駅~奥羽本線蔵王駅まで運用されていたそうです。ここで疑問。磐越東線からわざわざ線路規格の低い仙山線を通る必要があったのか?調べて解かりました。元々は奥羽本線経由であったものが、改軌工事で通れなくなってしまったため、已む無く仙山線経由になったこと。そのため、改軌された山形~蔵王間は3線で残されたこと。合点がいきました。そこで初めて、板谷峠でタキ1900と思われる専用貨物を撮影したことを思い出し、過去ログから写真を探し出してみました。昭和60年6月19日 大沢~板谷間にて 上り貨物列車(再掲)国鉄時代はこれらセメントのバラ積み貨車も添乗していましたが、それらはタキ1900やホキ5700が殆どで、タキ10600と言う貨車も前回模型化されるまで全然知りませんでした。遠目に撮った写真なので今回改めて拡大して見てみると、不鮮明ですがタンク上手すりの特徴からタキ10600だろうという結論になりました。この撮影は、初めて奥羽本線に行った時のもので、特に何を狙っていたわけではなく、スイッチバック体験をするわけでもなく、友人のクルマで行っています。正直、何を目的に行ったのか今でも良く分かりません。しかし、次に訪れたのは民営化後になっていますので、専用貨物列車を捉えることができたのはこの回だけであったことから、貴重な記録となっています。私的には奥羽本線よりも飯田線として運用したいタキ10600ですが、今回2両セットが発売されたことにより6両編成に仕立てることができるようになりましたので、EF71やED78で牽かせて楽しんでも良いと思います。KATOのタキ10600は、既に中古しか手に入らなくなっているようです。【中古】Nゲージ KATO(カトー) 8067 タキ10600 明星セメント 2両入 【A】【中古】Nゲージ KATO(カトー) 10-1184 ED19 + タキ10600 セメント輸送列車 明星セメント 6両セット 【B】 スリーブ傷み 交換用カプラーエラー対策済み ナンバー取付残有 パーツ取付済
2023.07.07
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国鉄 マヤ34:高速軌道試験車マヤ34形高速軌道試験車は、昭和34年に-1が東急車輛によって製造され、昭和40年以降に2002~2010までの計10両が誕生しています。-1はその後のマヤ34とは形態が大きく違っており、試験車らしい特異なスタイルで晩年を北海道で過ごしています。尾久客車区や向町運転所を中心に配属されていましたが、JR化を前に各社の拠点となる基地へ転配されました。国鉄時代はこれと言って情報がない時代でしたから、まさしく神出鬼没な車両であったため、なかなかその姿を捉えることは難しいものでした。それでも何枚か記録に残すことが出来ましたので、ここにご紹介いたします。昭和51年 蕨~西川口間にて クモハ73+マヤ34+クモハ73通常、マヤ34による軌道試験はEF58など暖房発生装置を搭載した機関車の牽引で行われますが、マヤ34は電車と連結するための引き通し設備を有しているので、古くは電車区間(国鉄時代のいわゆる国電4つドア区間)でこのようにクモハ73に前後を挟まれて実施されるケースも多く見られました。写真は東北本線の上り線を走行しているので、京浜東北線でないところがミソな写真です。ピンボケが大変残念!昭和53年頃 蕨~西川口間にて 貨物回送のマヤ342003マヤ34の姿は数多く見ていますが、このように貨物列車に連結されているシーンはこの時だけしか見たことが無いと思います。カーテンが全部下りているところを見ると回送かと思われますが、情報の少ない時代、年齢ですので、その真偽は定かではありません。しかし、一番良く撮れていたマヤ34の写真がこの写真だなんて、なんとも皮肉なモンです。昭和56年2月頃 蕨~西川口間にて EF58135牽引 大宮工場出場車大宮工場からの出場車を連ねた列車で、いわゆる配給列車です。機関車次位から、マニ37+マヤ34+スロフ12+マヤ34・・・と2両のマヤを連結した圧巻な編成です。この列車は放課後のちょうど良い時間に運転されるので、学校が終わると良く見に行ったモンですが、部活に入ってからはあまり写真を撮る機会に恵まれず、見ていた割りには写真が少なかったです。昭和60年1月頃 与野駅にて EF58114+マニ60+マヤ34一見すると回送列車のような写真ですが、何故かマニ60を控車として試験列車です。夜勤明けでこの時間を狙って撮ったような気がします。与野駅勤務時代で、何せ情報はいつでも手に入る仕事でしたから。東北本線の試験では上りの八甲田や下りの125列車に良く連結されているのを見ましたが、この頃は既に客車列車も少なくなっていたため、このような併結ではない単独の試験列車が運転されたものと考えられます。平成20年11月22日 尾久総合車両センターにて マヤ342004平成22年11月20日 尾久総合車両センターにて マヤ342004時代がずっと飛んで、25年後の去年の尾久セ公開時に撮った写真です。軌道試験がクモヤE491になってからは全く出番がなくなり、荒廃し放題の姿に。でも、予備車の位置付けであるわけが無く、おそらく保存を見込んで解体を免れていると思われます。その後、どうなってしまったのでしょうか?相当写真を撮ったような記憶のあるマヤ34ですが、フタを開けてみるとブレれていたり構図が悪かったり、感光していたりと良いものがありませんでした。【N】ファクトリートレイン 国鉄マヤ34 2003~2007 初期型(青色)マヤ34お買い物情報マイクロエース マヤ34形 販売A0305 マイクロエース マヤ34-2005 京都総合運転所 Nゲージ 鉄道模型 【未定予約】A0301 マイクロエース マヤ34-2002 近代化更新改造車 Nゲージ 鉄道模型 【未定予約】※新製品 7月発売※マヤ34-2005 京都総合運転所【マイクロエース・A0305】「鉄道模型 Nゲージ」※新製品 7月発売※マヤ34-2002 近代化更新改造車【マイクロエース・A0301】「鉄道模型 Nゲージ」【中古】Nゲージ マイクロエース A0302 マヤ34-2009 2019年1次ロット 【A】 メーカーエラー未対策(台車エラー)
2023.07.06
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国鉄 143系:クモヤ143-9クモヤ143は、京浜東北線及び山手線のATC化に際し、使用できなくなるクモヤ90等の旧型電車を置き換えるために導入された新性能車です。-9は、昭和53年に新製、品川電車区に配置となったようです。同車は山手電車区、東京総合車両センターと転属となっていますが、実質は組織名が変わっただけで、終始品川で過ごしたようです。平成26年11月8日 浦和電車区(当時)にて当時、11年振りの公開となった浦和電車区(ウラデンフェスタ)に主張で展示されたクモヤ13-9。元々、浦和電車区にはクモヤ143-1が新製時から配置され、長く活躍してきました。クモヤ90を置き換えた当時から地元で見てきましたので、クモや143は身近で馴染みのある車両でした。既に-1は廃車となっており、このイベントのために馴染みのある形式として-9を連れてきたようで、同車はクモヤ143として最後の2両のうちの1両となっていました。令和5年6月に長野に送られ、廃形式となりました。A3290 クモヤ143-17+クモヤ143-18 山手電車区 2両セット[マイクロエース]《07月予約》[鉄道模型]マイクロエース (Nゲージ) A3290 クモヤ143-17+クモヤ143-18 山手電車区2両セット【中古】Nゲージ マイクロエース A3288 クモヤ143 湘南色 【A】
2023.07.05
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国鉄 143系:クモヤ143-11クモヤ143は、京浜東北線及び山手線のATC化に際し、使用できなくなるクモヤ90等の旧型電車を置き換えるために導入された新性能車です。-11は、昭和52年に新製、松戸電車区に配置となったようです。埼京線の開業及び川越線電化に際し、川越電車区で使用するために異動。以来、その殆どを川越で過ごしていたようです。平成23年11月22日 川越車両センターにて川越車両センターに所属するクモヤ143-11は、本線走行が可能な牽引車ではありますが、近年の電車は編成単位で動くことが殆どであり、工場への入出場などで牽引の任に当たることはないようです。したがって、本線でお目にかかる機会はなく、このような公開でしかキャッチすることができませんでした。クモヤ143-11は、令和元年11月6日、長野車両センターへ回送されたそうです。そして、最後に残っていた2両が令和5年6月に解体され、オリジナルは廃形式となりました。A3290 クモヤ143-17+クモヤ143-18 山手電車区 2両セット[マイクロエース]《07月予約》[鉄道模型]マイクロエース (Nゲージ) A3290 クモヤ143-17+クモヤ143-18 山手電車区2両セット【中古】Nゲージ マイクロエース A3288 クモヤ143 湘南色 【A】
2023.07.04
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キハ58系:カーペット車(新潟)団体列車専用車両と言えばお座敷列車が一般的ですが、サロンエクスプレス東京・サロンカーなにわの登場以来、欧風客車が次々と誕生しました。一方、廉価なスタイルとして誕生したのがカーペット車で、他がグリーン車の設定であるのに対し、普通車扱いとなっていたのが特徴です。個別車両として誕生したものが多数ですが、北海道や新潟では、カーペット車を専用とした編成が誕生しています。昭和62年6月14日 磐越西線 会津若松~塩川間にて詳細な撮影地は不明ですが、DD51の写真を撮りに行った際、DJ予報でたまたま運転時間に当たったので撮りました。カーペット車は、当時はまだ珍しい存在で、お座敷列車よりもリーズナブルな料金で乗れるために、一部の間で人気があったようです。昭和の頃はかなり限定的でありましたが、その後、津軽海峡線快速「海峡」号や快速「ミッドナイト」など、若干形態は変わりますが「サンライズエクスプレス」ののびのび座席など、夜行客の確保の手段として用いられております。編成はキハ58+キハ28+キハ58で、中間車にキハ28を連結し、東北方面では珍しく、前後のキハ58の冷房電源を確保する編成になっています。気動車であったこともあり運転範囲が限定的で、殆ど関東には姿を見せておらず、磐越西線を中心とした新潟口での運用が多かったようです。登場当初からしばらくの間は国鉄急行色で他のキハ58とも区別が付かず、非常に地味な存在でしたが、その後2回の塗装変更を経て『私はジョイフルトレインです』みたいな主張が見えるようになりました。老朽化ということでもあったでしょうが、シルフィードのカーペット化により交代となり、廃車となったようです。
2023.07.01
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JR東日本 E353系:青梅線 試運転(その2)一昨日、JR東日本 E353系:青梅線 試運転をアップしたところですが、昨日、また青梅線への現場があり、午前中の仕事が終って移動のために駅に戻ると、またこの試運転に出くわしました。※撮影は、令和5年6月16日、羽村駅にて。上り電車まで少し時間が合ったので、駅前の喫煙所で一服し、ホームに向かいました。次の上りに対し、下りはさらにそのあとの表示になっていたのですが、ホームへの階段を降り始めた時、電車が到着する音が聞こえました。なにも来るはずがないと思っていたところ、紫色の車体が見えました。まさかと思いましたが、やはりそこにはE353系3連が停車していました。各駅に停車扱いとなっているのか、1分くらい停車したようでした。ホーム端へ移動して後部の写真を撮ろうと歩き始めたところ、ミュージックホーンを鳴らして直ぐに発車してしまいました。もちろんホーム端には間に合わず、立ち位置からちょー望遠で。斜めったのでトリミングで画角調整してなんとか。月曜日から時間が経っているので、まだ走っているとは思いもしませんでした。良くも偶然に出くわしたと思ったところ、前回撮った時間と偶然にも同じ時間帯に居たんですね。返しを待って撮ることも可能だったんですが、相方もいたし、食事を摂りつつ高幡不動まで移動しなければならないので、今回はパスしました。このところ3回も青梅線へ来ていますが、もうしばらくはないと思われますので、こうしたサプライズも期待できません。
2023.06.17
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