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森羅万象、常に変化の兆しあり、変わり行くことで何かが生まれ何かが滅する変化を慈しみ受け入れ愛することで自分は自然に受け入れられ一体感を味わうのだろう今あるものをそのままとどめておくことはできない今あるものを精一杯愛することはできるのだが
2008/08/24

「おばあさん」「おじいさん」別々の施設で暮らす2人には唯一毎日の電話が相手の息遣いを感じる手段だった。「おばあさん、今日は何をしていましたか、僕のことを忘れずにいてくれましたか」「おじいさん、私はね・・耳が聞こえなくなってね、今の話ねぇ・聞こえませんでしたよ、なんていったの?」「おばあさん、大好き」(かなり大声)「おじいさん、今なんて言ったの?」「だ・い・す・き」そんな会話が部屋の外へと漏れてくる・・・難聴でお互い大声を出さないと聞こえないのだ。しかも年齢を聞くとたいていの人はびっくりする。おじいさんは99歳。おばあさんは95歳。もう60年以上のお付き合いだそうで、お互いその孫や娘までが時々面会に来る。ただ結婚はしていないので・・恋人、本当に恋人だった。今で言うなら不倫関係なのかもしれないけれど・・・60年と言う歳月とその積み重ねはそんな言葉すら払拭するような重みがあった。そんな2人に突然影が射した。おじいさんが転倒して骨折寝たきりになってそれが元で肺炎になりあっけなく亡くなってしまったのだった。一人残されるおばあさん。おばあさんは泣きながら「もう何も覚えていたくない!、私もう認知症になるからね、ぼけるからね、おじいさんのことはみんな忘れるからね」と言った。私はおばあさんの肩を抱きながら「うんうん」と何回も頷いた。それからしばらくしておばあさんは魂の抜けた人のようになり・・・そしてぼけていった。生きがいを奪われるってこういうことなんだ・・徘徊、物忘れのひどい状態が目立ち始めた。「おばあさん、私のことわかるよね?」そういうと手のひらで私の顔を軽く押しつぶすように叩きながら「失礼ね」と笑う。でもおじいさんのことはもう忘れてしまったらしく訊いても「誰?」と本当に不思議そうに訊く。おばあさんの生きるための必死の守りなのかもしれない。亡くした人を悼み哀しむ・・・人として必要なことなのかもしれないが・・年をとってまでずっと想っていなさいとは、私には言えない。早く立ち直って残りの人生を楽しく感じるようにね・・とは言いたい。
2008/08/22

いよいよ衰弱の進んだ黒飴のおばあちゃんを転院させることにカンファレンスで決定した。何がベストな答えなのかはわからない。寿命が尽きるまで誤嚥を繰り返しつつ経口摂取を続けていくのか・・胃に穴をあけてそこからチューブを入れて流動物を流し込むか・・心臓の近くまで管を通して高カロリー輸液で補うのか・・ただこれまでの生活歴、生き方、考え方・・そんなものを全部ひっくるめて今私たちが「これ」と選択して決定したことについては決して悔いを持たないこと。それが私たち医療チームの黒飴のおばあちゃんに対する愛情なのだと思う。今できる最良のことをしてあげたい・・。そう「今」なのである。人間、千里眼を持っているわけでもないし、何年かして自分にもっと叡智のかけらでも持つことができたならその選択肢は否定されていたのかもしれない。でも今全力で一生懸命の回答をしているのだから私たちは後悔しない。黒飴のおばあちゃんが転院する前に、彼女と懇意にしていた95歳のおばあちゃん(闘病仲間とでもいうのか)にこっそりこの話を打ち明けに行った。衰弱の激しいこと、明日転院したらおそらくもうここへは帰ってこれないかもしれないと言うこと・・そんなことを打ち明けに行って2人で泣いた。95歳のおばあちゃんは、気丈にも涙を拭いて「ちょっとお部屋へ挨拶しに行ってもいい?」と私に訊いた。「二人で行こうか・・」と言い一緒に部屋を訪れた。黒飴のおばあちゃんに95歳のおばあちゃんは「あんたぁ、ちょっと姿を見かけないと思ったら・・こんなになって・・」と言いながら言葉を詰まらせた。黒飴のおばあちゃんは眉間に微かに皺を寄せて「元気やで」と笑った。弱々しく手を握ろうとするおばあちゃんの手を95歳のおばあちゃんは、しっかりと握りしめた。「ほんまや、早う帰ってきてや、待ってるからね」そういってとぼとぼ部屋を出て行く95歳のおばあちゃんに黒飴のおばあちゃんはひらひらと手を振った。帰り道95歳のおばあちゃんは私にため息をつきながら言った。「たとえ私があの状態になってもあなたの傍にずっと置いてほしいわ」私は曖昧に頷きながら窓の外を何とはなしに眺めた。夏のぎらぎらした夕方の風景は影を潜め、いつの間にかもの悲しい秋の夕焼け空に変わっていっているのに気がついた。
2008/08/21

「あんたの子、お腹すかせとるやろ、もって帰ったりや、これ」そういわれて毎日持って帰った黒飴3個。おばあちゃんが元気だった5年前。5年の間、おばあちゃんの生活を私はずっと見てきた。帰宅すると、子供は「黒飴のおばあちゃん、元気にしているのん?」と訊く。私はあははと笑いながら「うん、ほんまに元気にしてはるよ」と頷く。でも本当はもう老衰がきつくてかなり危ない状態。心肺機能もかなり低下してしまい、手足がパンパンに浮腫んでいるのに体はがりがり状態。ご飯も流動食をようやっとという感じで、食べることは命がけだねと苦笑しながら介助している。でも意識は明瞭。ちゃんと判ってはる。黒飴のおばあちゃんは、細々とため息をつく。「あーあ。私は死ぬのを待っているために生きているようなもんやなぁ。」自分で体をほとんど動かせず、ご飯が食べたくても飲み込めなくて食べられない。死にたくても死ねない生きたくても自分の思うとおりに生きられない生き殺し状態それでも生きてて私の顔を見るとよぼよぼの手で顔をなでにくる「あんたぁ、、、私がもう死ぬと思っているやろ、でもしぶといからな、なかなか死なへんで」と笑う私は黒飴のおばあちゃんが亡くなると心がぽっかり穴あいてしまうと思うでも亡くなるのは仕方ないのかしらと半分辛い気持ちで考えていることもある。でも大好きな人がいなくなってしまったとしたら・・。なんて考えたくないなぁ。浮腫んだ手足をさすりながら「手足が冷えるやろ?しんどいなぁ?」と言いながら心の中でこっそり涙ぐむ。黒飴のおばあちゃんが「元気や」というたびに何とはなしにいじらしい思いに駆られて胸が痛む。がんばってなぁ。でもこの状態で生きているのはしんどいと思うわ。でも私は貴方に生きていてほしいと思うんやわ。ずっとずっと。そんなことはできないのだろうけれど。いつか終止符の打たれることも判ってはいるのだけれど・・・。でも好きな人にはずっと傍にいてほしいと思うのは・・・。生きている私にとっては、自然なことでしょ?
2008/08/17

パソコンのファイルの整理をしながら、写真を年代順に眺めていました。それぞれに思い出があってほろ苦いでも気持ちが和むような思いに駆られました。
2008/08/17

みんな生きているみんながんばっている
2008/08/15

金平糖に似たつぼみをつけてカルミアは花開く炉を回転させながらゆっくり金平糖を作るように思い出をゆっくり形取りながらカルミアはひっそりと咲いていく大切に思っていた・・・のは過去形大切に思われていた・・・のも過去形過去形があるからこそ自分の今があり未来が生まれるブラボー!
2008/08/14

2008/08/11

福田は私の前では絶対に名前を呼ばない。「ちょっと」とか「なぁ」とかだけ。長い間ずっとそう呼ばれ続けてきたので私はそれに慣れてしまっていた。そんな時にお盆の裏節会でのこと。お酒に酔っ払った親類のおじい様が私を見てにこりと微笑んだ。「福田征史君の意中の人がお出でなすったぞ」何のことかわからずに私はただ微笑み、首をかしげた。「征史君には、ほとほと手を焼いておる」おじい様は言葉を続けた。「遊びに行こうといっても首を縦に振らぬでくの坊でな、うちのかずさんが・・と断りよるわ」私は赤面した。私はお辞儀をしながらその場を立ち去った。福田はみんなの前では私のことを「うちのかずさん」と呼んでいるらしいけれど、私には「おい」「ちょっと」だもの・・。・・・でも。そう思いながら娘をはさんで縁側で夕涼みしている福田の横に座った。「綺麗な夜空ですねぇ、征史さん」そういうと福田はびっくりしたように私の顔を眺めた。そして少しはにかんだように「かずさんも見て御覧なさい、綺麗だよ」と答えた。綺麗な夜空だった。福田の横顔を私は見ながら心がほんのりと温かくなった。
2008/08/10

あれからどれくらい時間が過ぎたのだろうあんまりあたしは変わってない相変わらずあたしは不器用な人生を送っている
2008/08/09

私が福田と再会したのは、私が臨終の時だった。私は心筋梗塞の発作を起こし救急車で病院に担ぎ込まれた。ショック症状を起こしどんどん意識が薄れていく中、福田の幻を見た。私は自分が死ぬことを直感した。福田には二度ほど助けられたことがある。一度は海水浴をしていて海で溺れかけた時。遠泳をしていて水深の深いところで急に足が攣り溺れかけたのだ。福田は力強く私を引っ張り上げ岸に向かって一緒に泳いでくれた。岸で福田は困ったように「君は無茶ばかりする」と言いながら足をマッサージしてくれた。もう一度は左派の暴漢に襲われそうになった時。あっという間に数人の男性に囲まれてしまった。福田は急ぎ足で私の所に戻り、暴漢を追い払い私を守ってくれた。私の腕をつかんで走り、安全な場所まで来ると福田は私を抱きしめ「怖い思いをさせたな」とだけ言った。福田はいつも私を守ってくれた。お礼を言うと淡々として「当たり前だ」と言う。その当たり前だと言う言葉の中にどれだけの深い愛情がこもっているのだろうか。そう思うと私は嬉しくなった。そして今・・・福田の幻を見た。心筋梗塞で意識が薄れていく中、気管に管が入れられ呼吸器を装着された。そして福田の幻を見、声を聞いた・・・様な気がした。私は懸命に眼を見開いた、耳を澄ませた。「あなた・・助けて」福田だと思ったのは、実は若い医師だった。懸命に蘇生処置をしてくれていて私は自分の肉体から少し離れた所で自分に施されている処置を眺めていた。福田はもう亡くなっているはず。福田の傍に往きたいと浪々と年を重ねてきた。福田の遺影に語りかけ涙ぐんできた。福田が迎えに来てくれるのを待っていた。・・だからこれで福田の許へいける・・そう安堵した。そう思っていたら突然力強い手で私は肉体に引き戻された。その手の感触に覚えがあって私はどきりとした。福田の手の感触だった。その手の持ち主は私に語りかけた。「判りますか」懸命になって重い瞼を見開くと二つの眼にぶつかった。私は見覚えのない初対面であるはずの医師の顔がなぜだか福田の顔に重なって仕様がなかった。「どうして私を助けてくれたの」そう問いかけると「当たり前だ」そう返事が返ってきた。福田はまた私を助けてくれたのだ。臨終の淵から私を引き上げてくれた。でも・・まだ福田の傍には往けないのかしら・・そう思いながら目を閉じて眠りについた。
2008/08/06

福田の妻になる前の話。大前の家に行儀見習いとして姉と二人でお勤めすることになった。うちより一等格式が上のうちだった。そこのお嬢様のお話し相手として。客間の一つを部屋にとあてがわれた。姉と二人で休んでいて私は厠へとたった。帰りしな廊下を歩いていると後ろからつけてくる気配がする。私は急に真横の部屋に引きずられていった。そこの当主のお父様、引退されたおじいさまっだった。私は乱暴された。乱暴された後で泣きながら歩いていると当主に見つかった。事情を話すと謝ってくれ「悪いようにはしない、必ずいいところを探してあげるから」と慰めてくれた。それが10歳の時。それから当主はしっかり約束を守ってくれてにどとおじいさまを近づけるようなしなかったし、私が年頃になるといい縁談を見つけてきてくれた。それが福田だった。福田と結納を取り交わすときにその話を思い切って打ち明けたとき福田は言った。「もう忘れなさい、犬に襲われたようなものだから」軍人らしい精悍な顔立ちの中に優しさが見え、私はにっこりと微笑んだ。福田の夢は時々見る。あれから戦争を一緒に経験して、戦地で敢え無く最期を遂げた福田。戦争が終わってすぐに私も亡くなってしまいあの世で福田を探したのだけれど見つからなかった。時折福田の夢を見る。柱にぶつかってたんこぶを作ったとき私の膝枕で冷たい手ぬぐいを額に当てている姿納屋で作業をしてる姿残像残像残像夢から覚めたとき今この私が「りとるあんじー」なのか「福田の妻」なのか判らなくて混乱するときがある。昨日は懐かしい福田の夢をみた。
2008/08/05

「無駄を省く」のは他人に軸を合わせた考え方「手抜きをする」のは自分に軸を合わせた考え方同じことを省略するのでも軸の合わせ方でその後の方向性が二分していくような気がする省略した後で貴方は次に誰のために何をしたいですか?
2008/08/04

幸せだったときの夢を見よう夢を現実に変えることのできるパワーが引き出せるよういつしか夢を見なくても幸せだと思えるようになるまで
2008/08/03

向日葵には向日葵の生き方があるように人間には人間それぞれの生き方がある「あの時には言えなかった、でも今の自分なら言える」でも・・・言いたい当の相手はもういなくて・・・横に生えている向日葵にささやきかけてみようか全く同じ答えは帰ってこないと知りながら・・・
2008/08/03

貴方の中に太陽が見えるのは貴方が太陽に恋しているからですかそれとも貴方が太陽だからですか
2008/08/02
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