824年(天長元年)、日照り続きで人々は飢えと渇きに苦しんでいた。そのため第53代・淳和天皇の勅命により、東寺の空海と西寺の守敏憎都(しゅびんそうず)が神泉苑の池畔で雨乞いの法会を行った。先に守敏が祈祷するも雨は降らず、対して空海が祈祷すると三日三晩にわたって雨が続き、国土が潤った。これにより守敏は空海を恨み、ついて空海を羅城門の近くで待ち伏せ矢を射かけた。すると一人の黒衣の僧が現れ、空海の身代わりとなって矢を受けたために、空海は難を逃れた。空海の身代わりとなった黒衣の僧は地蔵菩薩の化身であっため、その後の人々はこの身代わり地蔵を矢取の地蔵と呼び、羅城門の跡地であるこの地に地蔵尊を建立し、長く敬ってきた。
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