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朝は排泄のための大切な時間です。ということで、わが家では朝はあまり食べることをせず、体がいろんなものを外へ出すことにエネルギーを使えるように心がけています。ただし、水やお茶を飲むのは、水分の補給にもなるし、腸を動かす刺激にもなりますね。ユウは果物を食べるのが好きです。今朝は近くの富士市で採れたというキウイフルーツを食べています。ミノリはすでにトイレに行きました。起きてから30分ほど経って、「ウンチ、ウンチ、ママ、ウンチ付き合って!」(オシッコのときは「オシッコ付き合って」と言います)わが家は汲取りトイレなので、ひとりでしゃがむと「ミンミ、落っこちてお化けになっちゃう」から、両手で脇を押さえていてくれと言うのです。今朝も脇をつかんでいてやると、「う~ん・・・」と唸りながらオシッコとウンチをドバドバドバ・・・と出しました。「オシッコも出た、やっぱり」「小さいウンチも出たね」いつも決まりきったように言うのですが、今日はさらに「くさいウンチが出た。昨日、飴食べたからかな、やっぱり・・・。カリカリ(朝、ときどき食べるシリアル)かな・・・?」ウンチの臭いがいつもと違うと、すぐに気づいてその原因を探るんです。これはユウもまったく同じでした(今でもそうです)。トイレに行って、オシッコやウンチが出るたびに、その内容について私があれこれしゃべるようにしていたので、自分が出した排泄物の様子、それがどういうものを食べたことによるのかという観察を、自然と毎回するような習慣がついているんです。食べたものがそのまま出てくるものにつながっている。ということは、その間で体にも心にも影響を及ぼしているんだよ、ということを、毎日の暮らしの中で、自分の体や、そこから出てくるものを通してシッカリ理解していってくれたらいいなと思っています。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2006/04/27
春めいてきて、だんだんと気持ちが明るく、いろんなことにやる気が出てきますね。ラオスの麻布で作った座布団カバーのホックがうまく留まらないのが気になっていたので、ちょっと縫い物をしました。カバーの一辺全体をオープンにして、そこにスナップを3箇所つけていたのですが、それを取り外して、一辺の半分を手縫いで縫いとめてしまいました。そうすると、残り半分は自然といい感じで閉まっていてくれるみたいです。冬の間、ミノリが汚したりしたとき以外は洗濯もせずに置いておいたので、全部外して洗って干そうと思います。冬の間は日差しもあまり入らないので、汚いものが汚く見えていないんですね(笑)。台所の出窓に貼ってあるステンレスも、気づいたらずいぶん油っぽくくすんでいました。アクリルの古いソックスをカットした切れ端でゴシゴシこすったら、キレイになりました。これも、2~3日前から朝日が強くなり始めたため見えるようになったのです。片付けても片付けても子どもたちが散らかすのでキリがなく、おもちゃやら脱ぎ捨てられた服やらを元に戻すだけで精一杯、ヘトヘトに疲れてしまっていた日々でしたが、ほんの少し時間の余裕が持てるようになってきたかも。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2006/04/24
今日は珍しく、一日中いい天気でした。午前中お日様が出ていても、午後になると一変して日が翳り、冷たい風が吹くことが多いのですが、今日は夕方までポカポカと暖かく、外でいろんなことができました。お天気のせいもあったと思うのですが、レメディーも摂ったんですよね。重い腰が上がったというか、腰を上げざるを得ない状況になっていることを、ようやく認識できたという感じなのです。引っ越してきてから、中途半端に物置にしていた部屋、台所のテーブルの下や脇には、薪やら焚きつけを入れていた箱がそのまま放置されていたり、普通はそういうものを「見て見ぬふり」をして片付けないでいるということがありますよね。最近の私の場合、もうそういうものが目に入らずにいた・・・いや、目には入っているけれども意識に入っていかないというか、片付けなければならないものとして認識できない状態だったんです。ゆうべ、手指の荒れが一段とひどくなって、止むに止まれず自分でレメディーを割り出して摂ることにしたのでした。最近のケーステイクのついでに、自分のことも分析してみたりしていたので、思い切ってそれを始めてみたんです。いや、もう、目の前がカラッと明るくなって、私の「気」が引き寄せた陽気なのじゃないかと思うほどです。やるべきことがどんどん見えてきます。また、それに合わせて体を動かす気になるのですよね。(実は昨日、「大掃除するからミンミを見ていて」とお手伝いのSくんに頼んだものの、実際にはまったくやる気が起きなくて、たまたまミンミが寝不足で機嫌が悪かったこともあり、掃除は中止にしてダラダラと過ごしたのでした。でも、昨日の気分とまったく違う!まるで別人になったようとはこのことですね)それで思い出したのが、ADD(注意欠陥障害)の人が治療に使うリタリンという薬についての話でした。ものごとの順序を決めたり、集中したりできないADDの人にとって、リタリンは驚くほどの効果があり、「普通の人って、こんな感覚で見えて(聞こえて)いるのか!」と思うのだと教えてくれた女性がいたのです。それは今日の私のような気持ちだったのかもしれないなと思いました。でも、リタリンを摂って頑張った後は、反動でとても疲れてしまうのだそう。そこがホメオパシーのレメディーとの違いでしょうか。レメディーの場合は、治癒力を刺激されることによって体や心があるべき状態に戻っていくので、薬を使って人工的に外から力を加えるのとは違い、無理がまったくないわけです。自分自身、ADD傾向があるかもしれないなと思われることもあり、そうした精神的な問題を中心にみていきたいなという気持ちもありました。今日、その想いがますます強まったような気がします。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2006/04/18
ユウがいつも学校から持ち帰るお知らせやプリントなどは、一応ざっと目を通して、必要と思われることはカレンダーに転記したりもするのですが、たいていはどうでもいいことのように思えて忘れてしまうのです。今日18日は、6時間目に授業参観があり、その後、学年(といっても一クラスなので、学級)懇談会があるというのをすっかり忘れていました。帰ってきたユウが、「今日、本当はママが学校に来なきゃいけない日だったんだよ」というので、「あ!」とようやく思い出した次第・・・。きっと他の4人のお父さんもしくはお母さんは参加されていたでしょうから、ユウひとりだけ淋しい思いをさせてしまったかなと少し反省。(本人は、「来年は来てね~」と、さほど気にしてはいない様子でしたが)でも、学校でどんな授業がされているのか、どんなふうに学んでいるのかには、正直ほとんど興味がなく、懇談会の方も、私がいない方が却って話が混乱せずによかったのではないかとも思うのでした。でも、考えようによっては、不登校志向の我が家のことをご理解いただくよい機会だったかもしれないような気もします。「どうしてユウくんだけ学校に行かなくていいの~?」とお家の人を困らせているお子さんがいるとのことだったので、困っている親御さんに直接お話できたらよかったのかもしれませんよね。「学校へ行かない子もいていい」ということが、ユウのような変り種が転入してきたことによって、子どもたちの頭に少しでも印象付いたらよいことなのではないかなと私は思うんですが。今は一学年5~7人程度、全校でも40人に満たない小さな学校の児童たちですが、いずれは大勢クラスメートがいる高校に入ったり、その先の社会へ出て行くにあたって、世の中にはいろんな選択をして生きている人がいる、自分と同じ道を歩く人ばかりではないということが、少しでも小さなうちから意識されるのは素晴らしいことだと思います。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2006/04/18
今日は月曜日。ユウのお弁当は全粒ブレッドのサンドイッチにしました。昨日煮たうずら豆が残っていたので、豆腐マヨネーズと合わせてペーストにして塗って、レタスとグルテンミートボールをはさんで、なかなか美味しいサンドイッチができあがり。早々に作ってあげたのに、教科書がないとかなんだかんだ言ってグズグズしています。「早く支度しなさい!」「ほら、もうあと5分しかない!」「何してるの、もう遅刻だよ!」と、私が子どもの頃は言われたもんです。でも、学校に時間通りに行かなくても、別にいいんじゃないかと私は思うので何も言いません。きちんと登校時間を守らないと、約束の時間を守れない人間になってしまうと言う人もいるかもしれませんが、ユウは私なんかよりよほどシッカリしており、人と約束した時間、テレビの時間、結構覚えていて遅れないようハラハラしながら準備するタイプなんですよね。毎朝お尻を叩かれて学校へ走っていた私は、人との待ち合わせも遅刻常習犯です。だから時間に規制のある仕事もしないし、時間の約束もなるべく避けるようにしています。待ち合わせ時間に厳格な人とは待ち合わせしません。そんなふうに、なんとか生きていけるもの。それに、8歳のユウが、学校に朝の8時過ぎから3時過ぎまでずっといるというのは時間が長すぎる!と感じます。もっともっと家にいる時間が長くあるべきだと思うのです。だから、帰りの時間をみんなに合わせるなら、せめて登校時間を遅らせてくれると嬉しいなと思っている私です。さて、3時過ぎて帰宅したユウ。今日はSくんがトマトを植えているところへお邪魔して、自分もヒマワリの種を植えたりしたらしいです。この種は、つい昨日、向かいのAコープへ歯ブラシを買いに出かけたついでに、Sくんへのプレゼントとして買ってきたそうなのです。(気前がよくて・・・自分の財布を持って出かけ、お絵かき帳と自分の歯ブラシ、ミノリの歯ブラシ、ヒマワリの種を買ってきました。前の3点については、いちいち戻ってきては私の了承を取っていましたが、ヒマワリの種は自分で判断して購入した様子。おまけに他の種について売り場のおばさんたちからいろんな情報を仕入れて帰ってきました。会話を想像して笑ってしまいます)家に戻ると薪運びをミノリと手分けしてやってくれました。その後、「今日はごはんの支度したいな。カレー作ってもいい?」と、玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジン・・・私に手順や切り方を教わりながら、美味しいカレーを作ってくれました。辛口だったけれど、ユウのアイディアでりんごジュースを入れてまろやかな仕上がりになりました。私は横で、うるちキビを使ったコフタ(から揚げナゲットみたいなもの)とゴーヤの素揚げを作り、それで夕飯を食べてから、頼まれていたリコーダー探しを一緒にしました。学校で使うというソプラノリコーダー。2年生の頃も、学校のお祭りに参加するということで、ピアニカをリサイクルショップで求めたのですが、あれは失敗でした。ピアニカって何でしょう?騒音以外のなにものでもないと思いますね。あれを家の中でやられると参ってしまいます。あんな音を自分で創り出し、耳元で聴かせるなんて、学校の音感教育ってどうなってるのかなぁ。それでリコーダー。学校でお揃いで買うリコーダーは、プラスチック製なんですよね。木製とは音も違うし、何しろエコじゃないですよ。それで、どうせ買うなら何としても木製を買って吹いてほしいと思い、インターネットで探してみたのでした。ユウの小学校で採用しているというジャーマン式のものは木製では少ないのですが、やっと見つけました!ドイツのメーカーのもので、梨材を使ったもの。同じぐらいの価格で、別のメーカーから楓材も出ていましたが、ユウが「梨がいい」というので、そちらにしました。この楽器店では音楽絵本も扱っていて、リコーダーというものがどんなもので、どうやってできていて、どんなふうに扱ったらよいのかなどが詳細に書かれている絵本があったので、それも一緒に買うことにしました。リコーダーは私も大好きだった楽器です。小学校6年生のとき、担任の先生が私の演奏をとてもほめてくださり、「ピアノが弾けるから音楽が5、という考え方は自分は好きじゃないんだ」と解説つきで音楽に「5」をくれたことを今でも憶えています。(いやぁ、実は私もピアノを習った時期はあったのですが、お稽古があまりに嫌いですぐに脱落してしまったのです。リコーダーはその点とても手軽で、誰にも教わらずとも自己流にアレンジしたり練習したりできて楽しめたんですよね)最初、みんなと同じプラスチック製をほしがっていたユウなのですが、私が説明したこと(笛っていうのは本来木でできているもの。ユウが持っているコカリナも木でしょう?それをプラスチックで作った人は誰なんだろう?安くできて売れるからお金が儲かる・・・それだけで作ったんだよ。プラスチックの笛は、使い終わったらどうする?みんないらなくなって燃えるゴミ行きだよ。木の笛なら大切に長く使って、最後の最後には薪ストーブで燃やすことだってできる)を聞いて、気持ちを切り替えて自分のほしいものを選んでくれました。そして、私が入力している間に、「ママ、お茶でも入れようか?」と、PC用ルータの落札のために部屋から起き出してきたSくんと私とに、ホット麦茶を入れてくれました。ありがとう。こんな時間が持てるのも、テレビがなくなった影響大だなぁと思います。ホント、よかった。これからは、ミノリが寝入った後のわずかなユウとの時間を大切にしていかないとね。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2006/04/17
今日は土曜日。夕方からポケモンを見るのだと言って、ユウがうるさいこと。最近、ほとほとイヤになってしまうんですよね。かなりイライラしています。テレビについてはそれぞれの親にいろんな考え方があると思うのですが、最近読み返したイギリスのホメオパスの講演録にも、「アメリカにおいて、平均的な子供達は、5才になるまでに、20,000の殺人、12,000の暴力行為、1,000のレイプの映像をスクリーン(テレビ、ビデオ、コンピューターゲーム等)を目にしている」とありましたが、この日本であっても、うかうかしていると同様のことになりかねないのではないかと思います。残虐な事件の報道ばかり連発するニュース番組はもちろんほとんど見ません。ユウが見たいアニメ番組を少しだけという約束だったのですが、その間に挟まれるコマーシャルの洪水に辟易してしまい、さらにユウはテレビ中毒?と思えるほど頭が軟化している感じ・・・生活に身が入らないというか、挙動がどうも落ち着きなく、朝から晩まで、今日見たい番組、明日見たい番組の話ばかり。堪忍袋の緒が切れたところで、とうとうテレビデオを取り外してダンボール箱にしまいこむことにしました。これ、もともとは前夫が店で販促ビデオを流したりするために使っていたものなので、機会があったら返してしまおうと思っています。梱包は、ユウが近所の伯母の家にテレビを見に行っている間にやってしまいました。戻るなり、別のアニメを見るつもりだったらしいのですが、箱に入ったテレビデオを見てすぐに状況を察知したらしく、ちょっとガッカリした様子ではありましたが、サッと気持ちを切替えたようでした。しばらくしてから、「ママの子どもの頃の話をして~」などと、以前のユウにパッタリと戻ったようでした。私も、寝る前の本読みを、いつもより2冊ほど多くサービスしました。テレビの騒音がなくなった家の中は、心なしか静けさを取り戻したように感じられました。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2006/04/15
同居人と隣人の中間のような存在のSくんがわが家に来てくれて、1週間ほどが経ちました。まだお互いに慣れないので、「これはどうしましょう?」なんていう確認の会話もちらほらしながらやっています。でも、感覚としてはとても気安く、もう何年来の付き合いのような気がします。本人には申し訳ないようですが、気を遣わなくて済むので助かります。それから、一番助かっているのは子どもたちのことです。ユウは8歳を過ぎ、そろそろ母親との蜜月期を卒業して、父親的なもの、または家庭以外の世界などに惹かれていく年頃です。Sくんがいなかったら、新学期から担任になったK先生(男性)が、母親以外の大人のすべてになっていたかもしれません。そう思うと、Sくんの存在はことさらありがたいものに感じられます。新学期から学校に馴染もうとしているユウの姿を見ていると、学校側(とりわけ担任)からの大きな働きかけがあるように感じます。「学校へ毎日来てほしい」「できるだけみんなと同じになってほしい」というのが学校側の思惑であることは間違いないわけですから。親は通学に反対しているわけではないようだから、本人の気持ちをなんとか学校に向けさせ、取り込んでしまおうということなのだと思います。最近、そんなこともあり、ふと考えてしまいます。学校の子どもたちはみな、ゲームやらテレビ番組やらに夢中で、あまり創造的な遊びをしたり、外で元気良く駆け回ったりする様子は見られません。ユウが同じようにゲームやテレビ漬けになってしまわないように、いや、そのような防御的な考えよりもむしろ、自然に親しんだり、土に触れたり、体を動かして暮らすことができるように、私はもう少し自分自身の時間を割くことが必要なのではないかと。私自身にとっても、貴重な子どもとの時間。ケースをひとつでも多くこなして、優秀なホメオパスになりたい気持ちはもちろんありますが、それは3年後に始めても、5年後に始めてもよいのではないか。仕事に没頭することなく、最低限の勉強だけはこなしながら、子どもたちと過ごす時間を第一に考える生活を、もう一度検討してみよう。そう思うようになりました。それにしても、私ひとりが頑張らなくても、周囲に同じような考えを持って暮らす人たちがたくさんいれば、みんなで子どもたちの遊びや育ちを見守ることができるのになぁ・・・もちろん、Sくんの存在はありがたいですが、彼のような人、それが夫婦で子どももいたりするご近所さんだったら、なおのことありがたいのになぁって思わずにはいられません。こうしている間にも、子どもは私を、本気で相手になってくれる人を求めているし、放っておけばドンドン楽な、より体を動かさない世界にド~ンと腰を据えてしまいます。人をそのように仕向けるようにできているのですね、今どきの世の中は。すでに置かれているテレビを捨て、ビデオテープを捨て、人にもらってしまったゲームを捨て、一切を禁止するのでなく、あれこれいくらかは持っていながらも、そんなことしている暇がないぐらいに遊びまわれるような、そんな暮らしに切り替えていかなければなぁって、そう思っています。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2006/04/09
とある人気タレントさん(最初、実名書いたんだけど、続きを書くうちに個人攻撃みたいになるのはまずいかなと思って消しました)のCM出演料が1本9000万円・・・という記事を目にしました。驚きですね~。野球選手の年棒が数億円とか、いわゆる人気商売の稼ぎは本当に桁違いに大きいようですけれども、その仕事の内容ひいては彼らの生き方が、それだけの人々に評価されている、憧れられているということを意味するのだと思います。ブランド物の服(テレビ出演などの場合は貸し出されることも多いらしいけど?)、高級車、豪邸・・・一生のうちに彼ら有名人が消費する額、お金だけでなく、それらをエネルギーに換算した数値はものすごいものになりそうですよね。(イメージだけで言ってます。ごめんなさい)そして、出演するテレビ番組や、それを支えるスポンサー企業の志向(CM出演の場合はダイレクトにそのものですね)が社会にもたらす影響。ずっと以前、実生活では自然出産に興味を持ったりというお話を伺っていた、知的イメージの子沢山タレントさんが、某大手メーカーの練り歯磨きのCMに出ているのを見たときのショック。界面活性剤の入った練り歯磨きを、歯ブラシにたっぷり絞り出すというお決まりのCMでした。無知(バカにしているような響きであまり好きじゃない言葉ですが、字の通り「知らない」という意味で)なるがゆえなのか、知っているし自分は使わないけれども生活のためと割り切って出演しているのか、いずれにしても、自分の知的イメージ、賢母イメージを利用した企業の消費者への「刷り込み」戦略に加担しているという意識はないんでしょうね。かつてオノ・ヨーコさんが、「なぜジョンが殺されなければならなかったのか。私たちは株式投資するときでさえ、武器製造に関与している企業は避けるなど、徹底して正しい生き方を貫いてきたのに・・・」というようなことを話しておられたのを思い出します。「お金って何だろう?どうしてお金なんてあるんだろう?」10代の頃からずっと疑問に思っていました。20代半ばに、ふとその答えを得たような気がしました。「お金は『魂の重さを量る分銅』なのではないか・・・そのお金のために自分の魂を汚すことができるのか、生と死を分けるギリギリのところに来ても、そういう価値基準で自問するためにあるのかもしれないな」お金に対する考え方は、人それぞれだと思います。亡くなった父の長兄は、父の葬式のときに私たちにこんなことを言いました。「金は稼ぐことよりも使わない(減らさない)ことを考えればいい。そうすれば何も心配することはない」それが伯父のお金哲学なんだそうです。離れていて、今後滅多に会うこともないであろう身内の人間に、人生で大切だと思っていることを、この機会に伝えたいと考えたのでしょうね。私は、どちらかというと入ってきたお金を残さず使ってしまうタイプです。魂と秤にかけながらとなると、稼ぎ出すお金は微々たるものになりますから、使っているうちになくなってしまうのは当然と言えば当然だと思いますが(笑)。使い方は、厳密に、ものすごく慎重に・・・というわけにはいきませんが、やはりある程度(平均的な日本人に比べたら「かなり」と言っていいかも)考えます。食べ物にしても、添加物が入ったものは体のため環境のためにも避けますが、そういう食べ物を平気で作って売っている人や企業を支持したくないという気持ち。実際には、まともな本物を作っている人たちを支えたいというポジティブな気持ちの方が大きいです。そして、いかにまともな本物であろうとも、バカみたいに高いものについては、やはり購入を渋る気持ちになることもあります。それは、現実にお金が足りないということもあるけれど、今の世の中のちょっと狂っているともいえる金銭感覚から算出した価格に対して、なんともいえない抵抗感を持ってしまうときがあるのです。(でも、実際にこういう世の中にあるわけだから、致し方ないかと最後には納得することも多いです。ホメオパシーの学費などもその部類ですね・・・)本当に理想的なのは、すべてを自給に近づけて、自分の働きを生活により密接なものにしていくことかな。味噌も醤油もホントは自前で作ったらいいんだからって思いますもんね。豆や麹だって、やろうと思ったら自分でできるんです。そんなふうに、必要なものを自分の手をかけて作り出すということが、生きる基本だったはずですよね。ところが、人が生きるために最低限必要なものを作る仕事は、今の世の中ではとても軽んじられています。収入にならないというのは、つまりそういうことなんだろうと思います。はじめに述べたスポーツ選手やタレントのような仕事に比べたら、誰も憧れない、誰も魅力を感じない仕事ということになるのかもしれません。一人に、たった一日やそこらで億に近いお金が動く仕事。一年かけて汗水たらしても数百万になるかどうか知れない仕事。単純にそれだけで比べられないことですが、私の天秤はやっぱり後者に傾くのです。「自分の魂が満足する仕事をしたい」と、20代の頃、ふと気づいた私が、そのまま今に至っているんだなぁと思います。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2006/04/07
全8件 (8件中 1-8件目)
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