2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全15件 (15件中 1-15件目)
1
いつの間にか1月も終わろうとしている。そろそろ高畠に来て3ヶ月が経とうとしている!そう思ったら、早く家を探して落ち着かないと・・・という気がして、またPCに向かってインターネット検索をしてみたりした。 兵庫の生野町というところに、ひとつ素敵な貸家が見つかった。前に住んでいた女性は、家の周辺の畑などで川口由一さんの自然農を実践していたらしい。台所にはかまどがあって、家の裏には薪で焚けるお風呂もある。 やはりネットで見つけた綾部の家よりもさらに遠いけど、手を入れずに住めそうなところが魅力だなぁ。穣里を抱えている現状で、家の修繕に手をかけている時間はとてもなさそうだし。 関西にはほとんど何の縁もないのだけれど、それを言ったら今いる東北にだって特別の縁はない。ただ、東北の方が、関西に比べたら、夫のいる埼玉からはややアクセスがよい。(千葉に越してきた母の家からも然り) 関西の、隣りは中国地方という最西端の県に住むことになれば、夫との行き来は今の半分以下になるだろう。一緒に生活することができず、ロクに会うこともできなくなる上に、何より暮らしのリズム自体が大きく違ってくる。 今は、都会の生活をそのまま田舎に持ち込んだような友人一家の家に世話になっていること、また、居候ということもあるため、私たちの暮らしも宙ぶらりんなところが多いから、夫との間に違和感を感じることはあまりない。 けれども、自分たちの家を構えて、そこで新しい暮らしをスタートさせたら、私たち3人の住む世界は、夫のそれとは明らかに違ってしまうことが想像できる。 遅かれ早かれ、私たちの間には大きな溝ができて、別れに向かって行くしかないように思う。 でも、それは案外いいことなのかもしれないとも思ったりする。夫との絆を保つために、距離のない関東近郊の田舎を探し出したとしても、やはり生き方、暮らし方のズレは大きくなる一方だろう。 溝が深まるのを時間をかけて待つのと、一気に距離を置いて気持ちに踏ん切りをつけるのと、同じ終局に向かうのなら、いっそのこと早く済んだ方が、出直すには都合がいいように思う。 ただ、時間をかけている間に、夫の気持ちがもしかしたら変わる可能性もあるんではないか・・・とか、そんなことを考えてしまうんだなぁ。 まぁ、家探しは縁と運だから(結婚も同じかな)・・・縁があり、運が開ける方向に自然と定まっていくことでしょう。
2005/01/27
1泊2日の予定で遊びに来ていた玲子さんが会津に帰って行きました。玲子さんは、結にとっては伯母さんのような存在なので、来るなりまとわりついて離れてくれず、結局、積もる話のひとつもできなかったのが残念でした。 昨夜も、いつもならカズくんのベッドで一緒に寝る結が、2人の間に滑り込んできて「しりとり~!クイズ~!」と誘うので、3人でしりとりしている間にすっかり眠りこけてしまった・・・。 妹さんが、結婚後ずいぶん経ってからようやくできた赤ちゃんを連れて里帰りしていたこともあり、子どもって可愛いなぁ、産んでみたいなぁなんていう気になったという玲子さん。いやぁ、本当、可愛いんだよね~、子どもは・・・。 穣里を抱っこしたい、したいと言ってくれたけど、逃げ回って泣き喚いて、頑として抱っこさせない穣里でした。結のひっつきと足して二で割りたいようでした。 全国行脚でいつも忙しい玲子さん、次に会えるのはいつかなぁ。
2005/01/26
会津若松でオリーブオイルの輸入販売をしている友人の朝倉玲子さんが高畠に遊びに来ました!お正月、彼女に紹介してもらった奥会津の宿「タンボ・ロッジ」に行く途中、夫と子ども達と一緒にお家に立ち寄らせてもらって以来だから、まだひと月も経っていないのだけど、それ以前、ずい分と会わない日が続いたので、実に久しぶり!という感じ。 彼女が輸入している「オルチョ・サンニータ」というEXヴァージンオイルは、日本に今あるオリーブオイルの中でも一、二を争う味と香りです。でも、日本ではまだその魅力と使い方が知られていなさ過ぎる・・・ということで、全国を行脚して「オリーブオイル使い方講習」を開いている玲子さん。 これがまた楽しくて美味しくてね~、あっという間の2時間で、ビックリするぐらい素晴らしいイタリア料理がいくつも出来上がってしまうんです。参加した人は最後にはみ~んな笑顔。その後の食卓も豊かになって、確実に幸せのステップを上ることができるという講習会なのです。 今回は、お忍び講習ということで・・・まぁ、プライベートな来訪のついでなもんで、平日の昼間、突然に声をかけて集まることができた2人の女性だけが、その幸せをゲットされてお帰りになりました。 今日のレシピは、●ブラックオリーブとネギのパスタ●温野菜サラダ(ジャガイモとアスパラ菜)●青菜のイタリアン炒め●全粒粉ピッツァ(超簡単トマトソース&秘伝豆)●リンゴのデザートピッツァでした!私は写真を取り損ねたので、カメラマンしてくれた司朗さんから後で画像をもらってアップしますね。お楽しみに~!
2005/01/25
昨秋以来の懸案だった奥歯の治療・・・いつかぶせたかも覚えていないクラウンが、突然にぐらつき始めたかと思うと1ヶ月ほどでポロッと抜けた。歯根まで真っ黒だったのには衝撃を受けたが、その後、作り物の根っこが錆びて黒くなっていたことが判明してホッとしたのだった。 「痛くない、削らない、抜かない」がモットーの歯科医さんが幸運にも近くにいらして、秋には応急処置をしてもらい、その後、ようやく予約が取れて本格治療を開始できた。 ずい分前の情報では、セラミックは歯に比べて材質が硬すぎるので、最も歯に近い金がお勧めということだったが、最近はセラミックにレジンを配合した「ハイブリッドセラミック」なるものが登場しているらしい。 先生は、最高の材質で土台を作ったけど、それは自分が無断でやったことだから代金はいらないと言う。「いくらいい素材でかぶせても、土台がよくないと何にもならないですからね」と。「それじゃ、最高の素材をかぶせてください!」といわざるを得ない状況(笑)!いや、もともと最高の素材を選ぶつもりでいたんですけどね・・・。 口中からはなるべく金属を減らしていこうという方針らしいです。確かに歯に詰めたりかぶせたりする重金属の害もバカにはなりません。これらが体内に溜まると、排出はほとんど不可能と言われていますが、レメディーを摂って重金属ならではの害と思われる問題が見当たらなくなったという話もあちこちで耳にします。まあ、そうは言っても金属を入れないこと、原因を作らないことが何よりだと思います。 (歯科治療についてはさらにこちらに書いていますのでご参照ください)
2005/01/24
今日は前回と同様、初心者のためのホメオパシー勉強会第1回目休日バージョンを開いた。前回は、どうしても参加したい!という女性の仕事がお休みになる金曜日にしたので、土日が都合いいという方が来られなかったので・・・。 ということだったのだけれども、実際には土日がいい!とおっしゃっていた方のほとんどが、山形県知事選挙運動のために参加できませんでした。 県知事さんは、どうやら若手の新人さんが当選された様子。数日前に公示版の脇を通りながら、「田中康夫ふうだから、もしかしたら当選するかも?そしたら山形は変わるね~」なんて冗談半分で話していたのですが。 知事という仕事、大勢の人の注目を集めて大変でしょうね。田中さんもいろいろ言われて書かれて・・・それでもめげずに頑張っておられますが。 私は、あまり注目の的になるのは得意ではありません。でも、今日のように4~5人の小さな規模でお話というのも、逆に苦手なのです。ギャラリーは50~100人ぐらいいるとちょうどいいかな。話しやすい感じがします。県民、国民全部が相手というのは、ちょっとやりにくいなぁ。 だから、芸能人にも向きませんね。万人受けを狙うことはとてもじゃないができない・・・昔、ある人が言ってました。「あなたがアイドル歌手なら、1万人の人に好かれなければならない。ひとつ主張すると、1割の人が離れていく、もうひとつ主張すると、また離れていく人たちがいる・・・だけど、最後にたった一人だけ残ればいいんですよ、アイドルじゃないんだから。その残った一人だけと気が合って、付き合っていければいいんだから、結婚相手を探すときには、自分の考えをハッキリと持ちましょう!」 そんな感じの内容だったと思うんですけどね・・・これは本当ですね。でも、自分がハッキリするだけではなく、相手の考えもハッキリとしてもらわないとダメなんだよね(笑)。私はハッキリ、キッパリと生きてきたつもりだけど、相手がそれに同調してくれたから結婚して、フタを開けてみたらなんだか違うぞ!・・・というのが今の問題なんですよ。 その夫が今日、日曜日の店休を利用して突然会いに来てくれたんですけどね。勉強会が終わって、私は参加者のみなさんと昼食のお蕎麦。彼は子ども達と向こうの部屋でお蕎麦。 その後、結が本を買ってくれとせがむのでみんなで本屋さんと温泉へ。暗くなる頃に戻り、夕飯を食べて、久しぶりに親子4人で並んで寝て・・・夜中の2時に目覚ましを鳴らして夫は帰っていきました。 次に来る頃には、私たちの住処も決まっているかなぁ・・・。こんな生活がいつまで続くのでしょうね。
2005/01/23
今日は、母が6年を過ごした沖縄を発ち、住み慣れた千葉へ戻る日。まぁ、長年住んでいた地域ではなく、かなり引っ込んだ勝浦の里山に住むことになったのですが。 田舎暮らしの家を探していたら、広い土地を買って数戸の家を建て、小さなエコビレッジにする計画に誘ってくださった方がいらしたのです。 建物は木造でバリアフリー。素材はほとんど自然素材で、無塗装仕上げ。設計前から関わることができたので、部屋の配置など、手持ちの家具のサイズに合わせていろいろと希望を聞き入れてもらえて幸いでした。 棟上が済んで壁ができた頃に、母と一緒に現場を見に行きました。まだ土地がガランとしていたときにも一度行ったことがあったのですが。 キッチンはアイランド方式で、なかなかオシャレ。「こんなオシャレな家、母に住めるかなぁ、もったいないなぁ」と言ったら、「失礼な!」と怒っていた母なのですが、実際に出来上がった家を一人で見学に行った後、「あんなキレイな家、私に住めるかどうか不安になってきた」と・・・(笑)! だから言ったのに。何でも母は地図や図面がよくわからず、また壁ができた段階で見学したにも関わらず、それでも仕上がりはまったく想像できなかったのだそうです。全部出来上がって初めて、自分がどんな家に住むことになるのかがわかったのだそうで・・・今頃になって怖気づいているという次第。 まあ、せいぜい小ぎれいに暮らして、追い出されないようにした方がいいだろうねぇとアドバイスしておきました。同居の猫ちゃんも無事飛行機を降りられたかなぁ。
2005/01/22
母が住むことになっている、勝浦の小さな集落の家の並びに、売りに出ている空家があることがわかりました。歩いて1分ぐらい。同じ山を背にして建っている平屋建ての家で、敷地面積は300坪ぐらいある。築年数は不詳とあるから、古民家を改築したものなのでしょう。 築年数があまり古いとダメなのだけれど、住宅ローンで家を買ってしまった人にも、セカンドハウスローンというのがあるらしく、夫にそれを使ってもらえないか銀行に問い合わせてもらったのです。 そしたら、もう枠がいっぱいで、これ以上の貸し出しはできないのですって。住宅ローンを組むだけの収入はあるのに、家を買うことができないのです。それは、夫が結婚前に、住宅ローンで「店舗付き住宅」を購入してしまっているからです。 実際には居住部分はほとんどなく、店の奥の6畳間は指圧治療院とし、リビングダイニングは事務所と倉庫になっています。だから、結婚当初の数ヶ月間はここに住んだこともあるのですが、その後すぐに家を借りて引っ越したのでした。 店を建て直して、住居と家を一緒にしようという話も何度かしたのですが、彼は一向に動いてくれません。それどころか、私には何の話もなく、ある日突然、店の改造の青写真を見せられたときにはビックリ・・・(結局、その改造は計画倒れに終わったのですが)そんなすれ違いが数多くあり、夫婦って何なんだろうなぁ、家族って?と、クエスチョンマークばかりが膨らんでいってしまった私なのでした。 それまで、夫の所有物は夫のもの、夫の買い物は夫の買い物・・・と割り切り、自分は無関係であると考えようとしていたのですが、一緒に暮らし、一緒に子どもを育て、家庭を作っていく以上、それでは済まないものを感じ始めていたのです。 彼のお金の使い方、時間の使い方、そのすべてが、やはり私の暮らしや生き方に大きく影を落とします。それは、夫婦だったら当然のことですよね。一緒に生きていく以上、すべてを話し合い、2人の意志で進めていきたいと思うようになったのです。 このような一等住宅地に、狭苦しい土地と味気ない店舗を構えるために億に近いローンを抱えて生きることは、私の生き方とは明らかに違う・・・同じお金を使うなら、もっと田舎に、広い土地を求めて、有意義な使い方をしたい。 もともと何かを所有することにはあまり積極的でない私だから、本当なら、お金を借りてまで土地や家を持つことはせずに、その分時間をたっぷり持って、豊かなリズムの中で暮らしたい・・・。 ここまで決定的に違うのに、一緒に暮らしていることはできないよなぁ。とくに子どもは待ったナシで成長しますから、今のこの一瞬を大切にするために、一刻も早く自分らしい生活ができる地を求めたいと思って家を出たのが去年の11月だったのです。 そして2ヶ月余りが経って・・・私たちはなんとか別居しながら家族を続けていくことにしたのですが、こうして家を探していると、イヤでも同じ問題にぶつかるわけです。何度も、何度も。 住みたい土地に住み、思うがままの暮らしを謳歌して暮らしている人はたくさんいます。そうした人たちと知り合うたびに、私の今の選択は間違っているなぁ・・・今の私に必要なのは、情にとらわれることなくキッパリと夫との関係を断ち切ることなのかもしれない、と思います。 でも、その一方で、家族の情というものの意味を、考えてしまったりもするのです。夫の生き方に何らかの変化があることを、今しばらく待つ思いやりがあってもいいのではないか・・・なんて。 だけど、もしかしたら、今ここで私が思い切ることが、彼の本当の幸せにつながるのかもしれない。彼にとっても、私や子ども達といるよりも、自分が本当にしたくて選んだ今の生活を支持してくれる女性にめぐり合えた方がどんなにいいか。 そんな自問自答の繰り返しです。結局、どちらがいいか、どうしたらいいかということは、いつになっても答えが出ず、決めることもできないのです。誰にとって良かろうが悪かろうが、最終的には、自分にとって一番よいこと、したいことを選ぶほかはないのです。自分の本当の気持ちを覗き込んでみること・・・すべてはそれに尽きるのですね。
2005/01/21
上の息子の結が生まれて、最初に月経が再開したのが2年2ヶ月後だったのですが、それ以来ずっと布ナプキンを使っています。 下の子、穣里のお産では、産後少しの間、産褥ナプキン(紙だけで作られた石油フリーのもの)と、やはり紙だけの輸入ものナプキンで悪露を処理しました。 二度目のお産の後は、食事も何もかも特に最初と変わりなかったのに、1年も経たない間に月経が再開して現在に至ります。もちろん今でも布ナプキン。最近では、MOMでも扱っているベイビーハーツのものを使っています。 これは、天使PADのオムツカバーと同じ素材を下に、スペアとネットと同じ素材を上にして縫い合わせたもので、プラスチック製のスナップがついたウィングタイプでとても使いやすいのです。 私はそれを下敷きにして、上に今までのネル地のナプキンを大きめに折りたたんで重ねて使っているのですが。そして、さらにその上に、トイレットペーパーを幾重にか折ったものを置くのです。トイレに入るたびにペーパーを取替え、ネル地のものは少しだけ汚れる程度なので、その都度折り返します。 下のウィングタイプまで汚れることはほとんどなく、洗濯するナプキンの量もとても少なくて便利ですよ。もちろん、面倒なのが嫌いな方は、本来の使い方で使えば、ネットでサラサラして気持ちいいだろうし、洗濯も、ふた付きバケツやサニタリーボックスに水を張って入れておくだけでほとんどの汚れは落ちるので、ラクちんですよね。 布ナプキンの心地よさ・・・というよりも、布ナプキンを使ったことにより初めて気づく市販ナプキンの気持ち悪さ・・・というのでしょうかね。それを知ってしまうと、もう元には戻れませんねぇ。 私は外出しようが旅に出ようが、やはり布ナプキンを通してしまいます。いろいろな工夫で、案外なんとでもなるものですよ。
2005/01/17
昨日、晴れてケーブルを落札できたので、埼玉にキープし続けておいたADSL回線を解約することにした。PCとPHSを持ち込めば、どこでも通信できるんだもんね! ADSL回線にしていたのは、私の仕事用の番号で、もうひとつ、自宅用のものも使わないというので解約・休止の手続きをした。 引っ越すたびに電話の移動。店を開くといって電話の新設。そんなことを何度も繰り返してきたなぁ。引っ越すたびに手帳が汚れると友人に文句を言われたものだけど、本人の手間といったら、手帳のアドレスと電話番号を直す程度のこととは比べ物にならないんだから・・・。 思えば、これまでよくぞ転々と動いてきたものだ。保留にした電話は、この次はどこで、どんな番号で使われることになるのかなぁ。願わくば、それが最後の電話番号になりますように・・・もうそろそろ、引越し続きの人生から解放されたいなぁなんて思ったりして。(まぁ、すぐに気が変わるかもしれないが)
2005/01/16
ヤフオクで落札~!PCとauのPHSをつなぐケーブルです。月末から母のところに滞在する予定なので、ネット接続するのに不可欠だと思い、購入を決意したのです。 au USBケーブル などと入力して検索すると、4~5商品が表示されたのですが、いずれも高い!希望落札価格6980円なんて書いてある・・・あきらめて入札するかなぁと迷ったのですが、とりあえずもう一度auのHPに戻りました。 オリジナルではないけれど、他社メーカーが作っている類似品が載っていて、定価は9800円とありました。この商品名で検索してみると・・・あった!なんと1000円で出ているではありませんか~。あと1時間で終了だって! よかった~、穣里も寝たし、PCにへばりついて入札できるぞ~と、1300円を入れてみたら、1100円に更新されました。そして、その後ライバルさんが現れることはなく、そのまま1100円にて落札~!となったしだい。 なんだかとってもありがたいなぁ。でも、検索のコツってあるのですねぇ。
2005/01/15
今日は、高畠(山形)で初めてのホメオパシー勉強会をしました。 8月に初めてこの地を訪れたとき、健康セミナーのような会場で、少しだけホメオパシーの話をしてくれと言われながら、時間調整が合わなくて話ができませんでした。そして、10月にもう一度、1時間ほどの枠を設けて話を・・・ということだったのが、やはりバタバタと段取り悪く、中止になったのでした。 ホメオパシーの話は、ついでにちょっと・・・というよりも、こうして本当に興味のある人が集まって、真剣に聞いてくれる2時間程度の時間をかけてというのがいいなぁと思いました。前2回は、「せっかくの機会を申し訳ない」と主催者から恐縮されたけど、ああいう場の流れでは話さない方がいいということだったのでしょうね。 何度話しても、私自身が感動します。聴いてくれた方はよく「ホメオパシーってすごい、レメディーってすごい」と言ってくれますが、本当にすごいのは人の治癒力・生命力です。レメディーによる刺激によって、これだけの力を発揮できる。そのような力を持って、人は生まれてきて、生きている。それこそがすばらしいことなのです。 自然というのは本来、それだけのものを備えているということなんですね。この点をシッカリ理解していることが大切だと思います。
2005/01/14
突然に思い立ち、夫のいる埼玉へ1泊で戻ることにした。 用事のひとつは、明日13日に行われる「くにうみまつり」新年会・・・「スプリング・フィールド」「木を植えましょう」「出アメリカ記」などの著者でもあるアンナプルナ農園の正木高志さんが、奥さんの千鶴子さんとご一緒に熊本から来られるというので。 もうひとつは、そろそろ本格準備に取りかかりたいと思っているホメオパシーの相談業務のために、マテリアメディカとレパトリーのソフトをインストールしてもらいに、ホメオパシージャパン本社に行くこと。 14日朝にはホメオパシーの勉強会を開くことになっているので、当日早朝か前夜には戻っていなくてはならない。最近、雪が降り続いていることを考えると、やはり前夜のうちに帰ったほうが無難だろうなということで、1泊2日の関東行きということになった。 夫に少し無理を言って新幹線の着く大宮まで迎えに来てもらう。仕事はいつでもできるけれど、離れている家族との時間は機会を逃すとまた巡ってくるまでにどれだけ待たなければならないかわからない・・・そう思うと、多少強引にスケジュールの変更をさせてしまうことへの罪悪感が消える。 ノートパソコン持参の旅(ソフトのインストールのため)になったので、荷物がかなり重くなり、大きなリュック、前には穣里(みのり)を抱っこ(これが、なんと抱っこひもを忘れてしまった愚かな私・・・!大き目のウェストポーチがあったおかげでずい分助かったけど)、右手にはパソコンの分リュックに入りきらなくなった穣里のパンツなどを入れた手提げ・・・。 よいこらしょと、大雪のホームで新幹線「つばさ」に乗り込もうとして、すってんころりん転んでしまった!そういえば、都会仕様の靴だった・・・北国用のスタッドレス長靴を履いてきた結(ゆう)は賢明だった(駅に送ってもらうために車に乗り込むとき、長靴を履いて乗ろうとしている結に意見した私の方がおバカさんだった)ことが判明。 それでもなんとか無事に乗り込み、ガラガラの自由席のシートをひっくり返して楽しい4人掛けボックスにし、大宮までちょっとした旅行気分だった。穣里がときどき退屈すると、結が散歩と称して車内を歩き回ってくれる。「もうくたくただよ~!」と最後には悲鳴を上げていたけれど。 駅に着いて、夫を待つ間に車の中で食べられるようにパンを買うことにした。穣里に靴を履かせて歩かせると、もうタイヘンだ・・・こりゃ抱っこじゃないと無理だなと思って抱くと、ものすごい大騒ぎで下りたがる。仕方ないので、私と穣里は外へ出て、結に買い物の続きを頼む。(こんなときにもお兄ちゃんは本当に頼りになる・・・) ベジタリアンの彼なのだが、夫が肉好きなことは知っているので「父ちゃんにベーコンのパンを選んであげた」と、優しいんだなぁ。一緒に暮らし始めて間もない頃は、夫が肉を食べることに驚き、「父ちゃんって全然『自然食』じゃないじゃん!」とよく言っていたのだけれど。(彼の中では、「自然食=ベジタリアン」という図式になっていたらしい) 久々の我が家。必要最低限のものだけ持ち出しての引越しだったので、大きな家具や電化製品、台所用品などはほとんどそのまま残してあり、戻ってきても違和感がまったくない。 ただ、布団は夫が私たちのところへ余分と思えるほど送ってくれたので、こちらにはまともに残っていない。昼寝用の小さな布団を2枚、それからコタツの上掛け布団などを組み合わせて、家族4人が雑魚寝できるように整えて寝た。 そういえば、エアコンがないこの家では熱帯夜の暑さにとても耐えられなくなり、ひと夏の間、夫の店の奥にある6畳間に布団1枚敷いて、雑魚寝して過ごしたのだった。あれもなかなか楽しかったなぁ。 私も店屋育ちで、10歳ぐらいまでは店の奥に6畳間と3畳間がついただけの小さな家で育った。寝るのは3畳間の方と決まっていて、布団を目いっぱい敷いて、家族5人で川の字(川の字ではあと2本足りないけど)になって寝ていた。 その後、マンションブームに乗っかるように駅の向こう側にできた新築マンションを買って引越し、子ども達にもそれぞれ個室ができ、もう家族で一緒に寝ることはなかった。両親はローンのためにせっせと働き、子ども達は鍵っ子となり、家族がすれ違い、めいめいが別の場所で別の時間を暮らすようになった。 あの頃から、家族の絆はだんだんとほどけていったような気がする。場所と時間を共有する感覚が消え、家族であってもアナタはアナタ、ワタシはワタシという個人主義のようなものが芽生えていった。 それは、今になって思えば、十分な愛情のやり取りをした上で自然と芽生えた自我とは違い、必要な愛情を得られない悲しみを堪えるために作り上げた割り切りであったように感じられる。 今では、母以外と連絡を取り合うことは滅多にない。兄や弟とはたまに話をしても、話題によってはかみ合うことがなくもないのだが、その根底に、家族だとか兄弟だとかいう連帯感や安心感はほとんど感じられず、私と兄弟たちは淋しく冷たい関係のままである。 私がホームスクーリングにこだわるのには、そんなことも少なからず関係しているように思う。家族が、親子が一緒の時間を過ごすこと。父は職場、母は家庭、子どもは学校・・・と、一日のうちの(睡眠時間を除いては)半分以上の時間を家族がバラバラに離れて過ごすことに抵抗がある。もちろん、それは子どもがある程度の年齢に達するまではということであるし、子どもを家庭に縛り付けるということとももちろん違う。 家庭のあるべき姿について云々するつもりはないのだけれど、自分の願う暮らしをひとつずつ実現していくこと・・・私の場合、その中のひとつに、夫や小さな我が子たちとの雑魚寝の幸せというのがあるんだなぁ、ということを再認識した夜だった。
2005/01/12
朝、リビングの窓から外を見ると、ものすごいドカ雪が積もっていた。アスファルト敷きの駐車場の上に30センチはあるだろうか・・・。 私は毎朝(というか、深夜なのだけど)0時から4時ぐらいの間に目覚める。大体、前夜は8時から9時の間に、穣里(みのり)に添い寝・添い乳をしながら自分も寝てしまう。そして、上記の時間にオムツ替えなどで目覚めると、そのまま起きてしまうことにしている。 そこから子ども達が目覚めるまでが貴重な自分の時間。PCに向かってこうして日記を書いたり、メールに返事を書いたり、他の仕事をしたり、最近は滅多にできなくなったけれども、ホメオパシーの勉強などをしたり。 そして、たいてい結(ゆう)が6時から7時ぐらいに目を覚まし、気配を察知した穣里もほどなくして目覚める。穣里を着替えさせてリビングへ行くと、周囲の畑が一望できるように作られた大きな窓越しに、初めてその朝の光景を目にするのだ。 今朝は、この家の主である司朗さんが、もう2時間も前から雪かきをしているという。私が起きてきたので、洗濯と子どもの面倒をバトンタッチした恵美さんも外へ出て行く。恵美さんは北海道育ちなので、雪というものにはさほどの苦痛は感じないらしい。司朗さんも、ここ高畠に比べたら数倍は降るという米沢育ちなのだが、腰が弱いせいもあってか、雪は大嫌いなようだ。 お昼を過ぎても珍しく昼寝をしない穣里だったが、布団の上で添い寝してオッパイをあげているうちに眠った様子だった。そういう私が実は一緒に寝入ってしまったので、どのぐらい眠ったのかわからない。ファンヒーターを微燃焼させた部屋でウトウトしたのだけれど、空気を暖めるだけのヒーターは遠赤効果のある薪ストーブなどと違って、体を芯から温めてくれることはない。 なんだか寒いなぁ・・・と思いながら、昼寝から目覚めた穣里を連れてリビングへ行くと、「今日はこんな雪で寒いから、温泉に行かない?」という司朗さんの提案。「暖房が薪から石油に変わってから、アトピーやアレルギー疾患が増えたという話もある」と、まさに数分前に私が感じたことにつながる話題が出た。 それでも、借りているこの家に穴を開けて薪ストーブを置くというわけにもいかないし、とりあえずは温泉で温まりましょうということになって、昨年末に買ったばかりの7人乗りワゴンにみんなで乗り込んだ。 この車は、買い替えが必要になったそのときにちょうど我々が高畠に来ることを決めたことから、「家族が増えるから、移動が一台でできる大型車がいいね」ということで購入を決めたものなのだけれど、山形の車だから北国仕様になっていると聞いていた。 北国仕様って、一体何なのかと思っていたのだが、今日、まさにその機能が役立つ出来事があったらしい。私たちが眠りこけている間に買い物に出かけた恵美さんが、Uターンしようとして雪だまりにはまりかけたとき、「雪ボタン」なるものがあるという説明を瞬時に思い出して押してみたところ、苦もなく脱出成功できたというもの。 「一体そのボタンはどれなんだ?」などと話しながら、いつもなら車で10分もかからない近場の温泉『賜(たま)の湯』へ2倍ぐらいの時間をかけて大雪の道を走った。 着いてみると、いつも楽しみにしていた露天風呂は冬季閉鎖しているという。この雪だからなぁ、仕方ないのかも。確か、露天風呂には『かさ地蔵』がかぶっていたような編み笠が幾つか置いてあって、多少の雨や雪のときにはかぶって入れるようになっていたのだけれど。 ちょっと熱めの内湯につかって帰る途中、ちょっとしたことで拗ねた結が悪態をつき始め、私も少し強く返してしまったところ、珍しく固まって泣き始めた。声こそ出さないのだが、暗い車の中で涙を何度か拭っていたようだった。 ほどなくして気を取り直したらしく、空元気ふうな台詞を言い始めたりしていたのだが、部屋に戻ってヒーターの前に座っている結を抱きしめてみた。「昨日も(寝る前に)お話してって言ったのに、お話しないで寝ちゃったよね」と、いつになく甘えた声で結がつぶやいた。 「そうだったね、穣里を寝かせてママも寝ちゃったもんね。ごめんね、今お話しようか、何のお話しようか」「本読んでほしい!」「何の本読む?」「サンダーバード。今あれしかないから」「『ぐりとぐらのあいうえお』があるよ!」 読んでいる間に穣里がやってきて「まみむめも」までで中断してしまったが、2人で床に寝転がって本を読むなんてこと、ずい分長い間していなかったように感じた。こちらに来てからは何かと忙しかったし、つい数日前までは冬休みだったので、いつもは学校に行かずにいる結と過ごす時間は放課後の短い時間だけのカズ君が家にいて、同じ歳の2人はずっと一緒に遊んでいたのだった。 その晩、結はいつもと少し違っていた。「今夜はママと一緒にお勉強したいんだ!」と、鉛筆とノートを布団に持ち込んで、穣里に添い寝する私にかなり強引に甘えていた。ひとしきりひらがなを書いた後、「松浦」という自分の姓のお手本を私に書かせて、何度も練習していた。(「結」の字はすでに書けるようになっていた) 車の中で流した涙は、きっと結の心の詰まりを少し流してくれたんだな。泣いて流れるのは涙だけじゃなくて、心を詰まらせているフタの一部が、少しずつ溶け出して一緒に流れてくれるんだよね。そうして流した分だけ心はラクになって自由になって、素直な気持ちになることができる。 大切に大切に育ててきた結が、心を傷つけずにまあるくまあるくいられるように、これからもう少し気をかけて手をかけていかなければなぁと思った夜だった。
2005/01/11
私の夫は、無農薬無肥料の農産物を普及するために日夜駆け回っています。田舎でノンビリ暮らしたい私は子ども達を連れて田舎家探しに飛び出してしまい、現在はこうして山形と埼玉とで別居中。それでも毎日、携帯メールなどで連絡を取り合ってはいます。 その夫がちょうど今、北海道で『銀手亡(ぎんてぼう)』という豆を無肥料栽培している農家さん達と一緒に、山陰地方へ営業に行っています。この2年ほど収量があまりふるわなかった銀手亡でしたが、今年はなぜかたくさんでき過ぎてしまい、とても今のままでは捌き切れそうにないということで、農家さんの伝を頼って、大量に販売してもらえそうな大型店への売込みをかけるため、遠路はるばる出かけていったというわけなのです。 こちらでの夕飯が済んだ頃、「今日すごいことがあった!後で電話する」という携帯メールが届き、「すごいことって何かなぁ?」と思いながらも、穣里(みのり)を添い寝で寝かしつけたまま布団の中でウトウトしかけた頃、夫から電話が来ました。 さて、すごい話とはどんな話だったのかというと・・・今日は島根のお寺の住職さんや、地元の方たち数人と一緒に、イノシシ鍋を囲んだのだそうです。なんでも最近、台風の被害等の影響もあるのでしょうが、あちらでは田畑の獣害がひどいらしく、イノシシやらクマなどをしとめる機会が増えているということ。 その食事の席で、驚くような事実が発覚したというのです。それは一体どんなことだったのかというと・・・ たまたま同席した地元の土建屋のオヤジさんが、「あんた達が売ってるのは、『手亡』っていうのかい?それは白くて小さい豆のことかい?」と尋ねるので、そうだと答えると、「それはおれの曾爺さんの兄弟が日本に持ち込んだ豆だよ」と言ったのだそうです。 一同は狐につままれたように、にわかには信じがたい話だと感じたらしいのですが、よくよく話を聞いてみると、こうなのです。 その土建屋のオヤジさんは土佐出身で、曾爺さんの兄弟という人が、大陸から引き揚げるときに白い小さな豆を持って帰ってきた。戦争で片手を失っていたので、彼が作った豆を、近所の人たちは『手亡豆』と呼ぶようになった。その後、彼は屯田兵として北海道に入植したのだが、そこでその豆を栽培してみたところ、気候風土にとても合うことがわかりたいへん普及した。 夫が売り込もうとした豆は『銀手亡』という白いんげん豆なのですが、白いんげん豆には他にも『雪手亡』『姫手亡』などという品種があり、総称して『手亡』と呼ばれているのです。『銀手亡』は、その白い輝きがあまりに美しいことから、白銀のような『手亡』であるということで名づけられたそうです。 しかし、白いんげん豆が『手亡』と総称される理由については、「つるを巻きつけるための支柱(手)が必要ないから」だとか、「栽培に手がかからないから」などといういくつかの説があり、今ひとつハッキリしていませんでした。 また、農業試験場でもこれらの豆の由来について把握しておらず、どこから入ってきて栽培されるに至ったのかは不明なままだったそうです。最初に『大手亡』『小手亡』という品種が栽培され、しだいに『小手亡』はなくなり、残った『大手亡』の系列で、現在ある数品種が開発されたらしいということだけはわかっていました。 それがなんと今回の旅で、たまたまイノシシ鍋を一緒に振舞われた縁の方から、一挙に『銀手亡』のルーツが紐解けてしまったというわけですから、居合わせた関係者はみな大興奮だったようです。 世の中には不思議なことがあるとお思いですか?実は私の人生にも、このようは不思議がいっぱい詰まっています。人はみな、自分であらかじめ決めた道を歩いているのであって、その道を外れないように進んでいけば、最初から出会うことになっていた人やモノに、ちゃんと出会えるようになっているのではないかという気がしています。 自らが乗っている大きな波の流れに身を委ねていると、求めていた人やモノたちに、出会うべくして出会うことができる。きっと誰しもそんな経験が一度や二度はあるのではないでしょうか。 私の場合は、20代半ばあたりから、運命の糸(意図)のようなものを感じる機会がグンと増えてきました。今に至っては、かなり不思議な出来事があっても不思議とは感じないというか、不思議という言葉の持つ意味の解釈が変わったというか・・・「不思議な出会い」というのは、私の中では「深い縁を手繰れた出会い」と訳されるような感じです。 夫も農家さん方も、深い深い縁を手繰って、今日ようやく愛しい『銀手亡』のルーツに出会うことができたのですね。
2005/01/10
友人ヒロリッチさんから勧められていた楽天ブログへの引越しがやっと終了して、ホッとひと息。私たち母子の引越し先は、年を越えても相変わらず決まらないまま・・・だけど、新年(本当の新年ね、節分の頃の)に向けて今の時期に願うことは叶うんだって聞いたので、私たちにピッタリな土地と家が見つかることを心に願っておこう。イメージするといいんだよね。私たちの、スローだけど心地よい暮らし。結(ゆう)と2人だけの頃、土地と家は見つかったものの、何かが欠けているような気がしてちょっと淋しかった。それで、夫と出会って、穣里(みのり)が生まれた。だけど、いつの間にか、自分らしい暮らしを失いかけていた。夫の生活に組み込まれてしまいそうになり、それでもやっぱり組み込まれることはどうしてもできない自分に気づき、修正するためにいろんなことを試みた。今はこうして山形なんていうところまで来て、ようやく自分の方向性を取り戻しつつある。でも、私たちが暮らしたいと思う土地、家がここで見つかるのかどうかはわからない。最近では、視野も心も広げ、もっと大きなものとつながって、自分の魂が自然と引き寄せられるのを待ちたいなと思うようになった。まずは、身近なことをひとつひとつていねいに片付けていこう。そうしているうちに、少しずついろんなことがつながってくるんじゃないかなという気がしている。山形の冬はまだまだこれからが本番みたい・・・雪が溶けて春が来る頃には、私の歩く道ももう少しハッキリ見えてくるかもしれないな。
2005/01/09
全15件 (15件中 1-15件目)
1

![]()
