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五 翁と信用組合
産業組合の起源は、明治24年時の内相品川子爵より、信用組合法案を帝国議会に提出せられしに初まり、当時、議案は議会解散のために成立を見るに至らざりしをもって汎く民間有志者に嘱して組合を創立せしめんとし、翌25年時の法制局部長たりし平田東助君を派して遊説せしめたり。翁また品川氏とは従来面識を辱うしたれば岡田前社長と共に組合組織の議に与かる所あり。同年7月平田部長は掛川見付両報徳館において社員に向かい精密に信用組合の趣旨を演説せられたり。茲において岡田前社長は掛川信用組合を組織し、その資金としては明治13年以来蓄積したる浜松資産金貸付取扱に係る勧業資金をもってこれに充てたり。しかして翁は品川平田両君の懇嘱に応ずるの志厚かりしと雖も、その資金に充つべきもの掛川のごとき特別積立金あるにあらざれば新たに造成するの外なく、よってこれを見付町報徳社中の有志水野信之助、平野忠次郎、前嶋晴一氏等に謀り、首唱者4名の名義をもって見付町及び付近の報徳社員に加盟を勧誘し、定款は平田部長及び岡田前社長の意見を徴してこれを編成し、同9月に至り加盟者173名、外に10報徳社を加え、加盟口数434口を得たれば、同時に静岡県庁に届済の上、事業を開始せり。しかしてこの組織を見るに至りたるは、一面に翁の熱心なる勧誘の労に 俟 権輿 〔物事の始まり〕のものなれば、翁が姓名はまた産業組合史上にも特筆すべき功績を有したりと云うべし。
見付信用組合は以上のごとき基礎の上に建設を見たれば、その名称は見付町報徳社聨合信用組合と称し、出資口数は1千口を限度とし、出資一口の金額25円にて1か年ないし10か年内に随意払込をなさしめ、年々利益金を元金に加えて、所定の金額に達せしめんとせり。然るに明治34年に至り、産業組合法実施せられたるにより、同法により組織に変更を加え、名称を有限会社見付報徳信用組合と改称し、一人の出資額を50円と定め、前傾25円を第一回払込となし、第2回以下は年々の利益配当をもってこれに充て、もって所定の金額に達せしめんとせり。しかしてその出資金額満尾は年を閲すること23年、大正3年1月においてその報告をなし、現今出資金4万円、準備金9千円、組合人200人の盛況を告ぐるに至れり。
翁は組合の設立について発起計画せし所ありしのみならず、創立当時より組合長に推され、明治33年易?〔賢人の死〕に及んでその任を去れり。吾人は信用組合は翁の最後の事業にして、見付信用組合の沿革史上忘るべからざる恩人なる事を認識して茲に付記す。
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