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2026.03.31
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カテゴリ: 報徳
駿河御厨郷中への教訓
(この一篇は、天保8年春、駿州御厨郷(静岡県御殿場付近)に巡回中に尊徳先生が村民に教訓したものを記録したものであって、尊徳先生の口ぶりをよく伝える)

家をたもつも身を治めるも、金銀のできるのも何の不思議はない。
誠一つをもって貫くのじゃ。
誠は天の道、これを誠にするは人の道というものじゃ。
あわをまけばあわが生え、麦をまけば麦がはえ、米をまけば米が生える。
皆その通りに生命を正しうする、これを天の道という。
それをおのれおのれの勝手に、朝寝をしたり、遊んで食ったり、寝ていて食ったり、ぐたついて過ぎようとは、あわをまいても米を取ろうとするようなもので、田にも畑にもろくろくな夫食(ぶじき:食糧)もなさずにおいて、働かせようとするゆえ、去年のような凶作には人より先へ、夫食を天からお取り上げじゃ。
これがあわをまいてあわが生えたのじゃ。
田畑を飢えに及ぼしたからおのれおのれも飢えに及ぶのじゃ。
何も不思議はない。
これが天の道じゃ。
かように善悪ともに報うのじゃ。
さすれば飢えるともたおれるとも勝手しだいにするがよい。
へいぜい田畑へ夫食をたんとやっておいた人は、去年も今年も夫食に差し支えはない。
米をまいておいたから米がとれたのじゃ。
皆々めいめい精根次第の手細工(てざいく)じゃ。
それじゃによって、飢えるものは飢えても、たおれるものはたおれてもよけれども、同じ村に生まれて、同じお百姓どうしなれば、家内の肉のけずれるを見ていてもすまぬによって、有る者はこの節、融通してやるがよい。
50年に一度のことなれば、この節、人の命の救いどきじゃ。
救うたものは忘れるがよし、救われたものは子々孫々まで忘れぬがよし。
またご拝借5ヵ年賦は、めいめいその日その日の家業のほかに夜、縄なり草履なり、また山付きならば定まりのほかに朝起きして炭なり何なり、それぞれ得手得手の余業を励み勤めるなり、
世上一統申し合わせ大倹約をして、また祭礼仏事等にも、寺々の付け届け厚く相勤め、その外には普請家作・月待ち・日待ち・振る舞いごと、その外何事によらず、不用の事、不用の品を小分たりとも求めること一切慎むのじゃ。
このたび露命をつなぎしことを忘れずば、5ヵ年や10ヵ年は何でもなく勤まる倹約じゃ。
このところをよくよく感心して本心に立ち帰り勤めさえすれば、何ほど凶作でも、凶年もないが別に豊年もない。
ぜんたい年々豊凶は6・7月より知れてあることじゃ。
いよいよ今年5分・6分、2分・3分作の陽気と見えたら、それぞれの暮らしをつけねばならぬ。
ことに凶年のこの辺は、2分3分と見定めても、それをうかうかと平年の7・8分の暮らしをしておるによって、さあ狂言が違うのじゃ。
田畑の事ばかりじゃない、何事もこのとおり、前々より商売が不景気なら、そのとおり不景気の暮らし方を付けるべし。
その時々を計りて暮らせば間違いはないが、その振る舞いが違うゆえに、凶作が来たらにわかに目が覚めたのじゃ。
みな天の思し召しに背いたによって、かく難渋するのじゃ。
今日より天の言いつけどおりに守りさえすれば、返すがえすも言うとおり、あわをまけばあわが実のり、米をまけば米ができ、善い種をまけば幸いが実り、悪い種をまけば害が実るのは天の誠の道、これを誠にするは人の道なりとは報徳のことなり。

小人(しょうじん)は小金ができると上を見始める。
それよりだんだん奢りがはじまり、衣食住、髪型、諸道具類、唐物(からもの)、和物(わもつ)を好み、遊芸、囲碁・将棋、茶の湯、俳諧、生け花と、処々の遊客寄り集まり、それより家業は次第に不精(ぶしょう)になるほど、飲食好きと色欲と、次第次第に貧乏不如意となるにしたがって、いよいよ奢りは強くなっては、人のいさめも聞かず、凶作がくると人より先へ飢える。

その裏はまた小金ができるほど吝嗇(りんしょく)になり、おのが勝手で好みの利欲が強く、人を見下げ、人は心がらじゃとおのが自慢し、小金のふえるほど道を失う。
それより貧乏人はおのれが不精は始末せず、惰弱は言わず、人をそしり恨みて、小言が始まり、悪いたくみの次第につのり、あるいは押借り打ちこわし、その小言が止むと色が悪くなり、いよいよ飢えに及ぶのじゃ。
その時に至り後悔してもしようのない、これから本心に立ち帰り家業を励むよりほかはない。

福者のためには貧乏人が福の神じゃ。
貧乏人の寄り集まって売っては増やしてやり、つまるところは皆福者の果報になるじゃによって、少しは借り倒されても貰い倒されても、りょうけんしたがよい。
これが世界中金持ちばかりでは、売りに来る人も買いに来る人もないが、その時には田も畑も預ける人ばかりで作る人がなくば、福者も金持ちも貧乏人に引き換えて、渇命に及ばにゃならぬ。
ここをよくよく考えて見れば、貧乏人じゃとても見捨ててはならぬ。
また貧乏人も去年より引き続いて種々恵みを受けても、有るものは当たり前などと冥理(みょうり)をしらぬ大罰当たりのものもまれにはあるものじゃ。
心得の悪いと貧する上にも、またまた子々孫々までも貧する種をまくのじゃ。
よって有り難いということを少しも忘れてはすまぬ。
貧者と福者とは話が違う。
皆耳にばかり聞かぬように、腹の中へ聞きこむがよい。

天照大神宮様は田にも畑も鍬も鎌も何もない所へ天降りましまして、ご丹誠遊ばされたのじゃ。
ただ誠の一つさえとり失わねば何も不足言うことはない。
不足言うはおのれの皆嘘ばかり尽くしておいたその報いじゃ。





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最終更新日  2026.03.31 05:17:29


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