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2026.05.18
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カテゴリ: 坐禅
「永平家訓抄話」澤木興道 5-7

 まあこれはこれくらいにしておいて本論にもどろう。「這箇を見聞して、知らざる者は、則ち曰く、諸法には善悪無く、一切邪正無し、但(ただ)性(しょう)に任せ逍遥し、縁に随て放曠なり」三祖大師の『信心銘』が叢林の標準となる偉大なお言葉であることは、古来みな信じられて来たことであるが、しかしそれだけに解しそこなうことも多かったらしい。這箇をーこの文句を見聞して、その内容の道理を知らないものは、「諸法善悪無し」と簡単に考えてしまう。そんなのは得手勝手な言葉で、この註にもあるように、撥無因果(因果を無視した)の善意なしという意味である。また「一切邪正無し」と考えるその考えるところにこそ、邪正があらねばならない。もし、至道が一歩でもあやまれば邪であることは申すに及ばない。「邪正無し」とはとんでもないことである。それだから、卍山禅師のように「至道最も難し須らく是れ揀択すべし」といわねばならんわけである。「但性に任せて逍遥し、縁に随て放曠なり」天然自然のまま気まま勝手に振舞い、そのとき、そのときの調子次第といったらどんな具合であろうか。この放曠ということは桜の花が散って、小便溜めに吹きたまるものもあろうし、またべっぴんの襟に舞い込むのもあろう。このようにいろいろのものがあるわけである。そのようにどんなことでも、天然自然で仕方がないということが、つまりこの放曠ということである。だから、向こうが天然自然であったら、こっちも天然自然にやったらよさそうなものだが、人間はけっしてそんなことはない。むしろそれをよいことにして、得手勝手な無責任なことをやらかすにきまっている。つまり、それをよいことにするのは、けっして天然自然ではない。だから、「所以に一切の善悪邪正、揀擇せずして趣向すと」ということもあるわけである。そして得手勝手な自分に、たいへんに都合のよい結論をつけるものである。





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最終更新日  2026.05.18 02:00:05


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