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>畜産された動物が食べられないならば>農家で栽培された野菜を食べないでくださいこれまでも述べてきたように、植物と動物とでは、同じ土俵では比較できないのです。そこのところを理解して下さい。動物と植物とでは種が違うのですから。>屠殺された動物がかわいそうだというのなら>収穫された野菜もあなたは口にする資格は無いあなたは逆のことが言いたいのです。「野菜を食べて良いのだから動物も屠殺して食べて良い」と。>植物も動物もどちらも等しく「種を残す為」という本能がありますそれは当然です。>それを阻害したくないので、あなたはもう二度と何も口にせず、>心の赴くままに餓死して下さいこのコメントは意味不明であります。頓珍漢であると判断します。もう一度書きます。ぶぶぶさん、あなたは、動物も植物も同じ命、という論法で肉を食べることを正当化しているに過ぎません。キツイ言い方をしますね? 私は・・・・そのように考える人の方こそが人間である資格は無いと考えます。(つづかない)肉を食べたい人はこの動画は絶対に見て下さい。鉄壁の向こうの隠された涙http://saisyoku.com/vtr_kill.htm現状を知った上で肉を食べて下さい。そして種差別について学んで下さい。動物の権利死体の晩餐反論はそれからしてください。
2009年11月23日
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>「私は大切に育ててきたアロエを>母にヨーグルトに混ぜられて食べられました同じ事を動物に置き換えましょう。「私は大切に飼育してきたウサギを母に殺され鍋の食材として混ぜられてみんなで食べられました」もちろんこんなことをする母親はいないでしょう。何が言いたいか?ウサギとアロエは種が違う、ということです。アロエはとっても優れた健康食品です。私の家でも栽培しています。アロエは食べるために栽培しているのです。アロエは食べられることが役目とも言えるのです。つまり多くの植物は食べられるために存在するのです。動物やヒトに食べられるだけではありません。植物は地球を育むため、地球を維持するためにも存在しているのです。生きているときからも、死んで(枯れて)からも地球を育むためにあるのです。雑草から大木に至るまで、地球を育んでいるのです。そう思いませんか?二酸化炭素を吸収して酸素を排出しているのは植物です。動物にはできないことです。海中の植物もおなじことをしています。彼らが地球を、そしてそこに生息する動物達をも育んでいるのです。>植物がかわいそうなので、あなたは今後植物を摂取しないでください」>あなたの主張がごもっともならば>このような小学生のような主張もごもっともとなるわけですピントがずれていますね。こんな主張はごもっともとなるわけがありません。>動物だからダメ!植物はOK!ではないのです>人がおいしく食べている以上、食物として>動物にも植物にも価値は等しくあるのですこれこそが種差別なのです。日本人は種差別という言葉すら知りません。知って下さい。学んで下さい。批判はそれからです。ぶぶぶさん、あなたは生きている動物を自ら殺して食べたことはありますか?そうですね~、家で飼っている鶏とか?今の人たちにはおそらくそういう経験はないでしょう。では、疑似体験をしてもらいましょう。ここに子豚がいます。大根があります。子豚の首に出刃包丁を入れて殺して解体するのと、大根に包丁を入れて切り刻むのと、同じ気持ちでできますか?あなたは、動物も植物も同じ命、という論法で肉を食べることを正当化しているに過ぎません。(つづく)動物の権利死体の晩餐
2009年11月22日
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コメントに少しずつ回答いたします。ぶぶぶさんからいただいたコメントです。まずは全文を掲載します。> あなたの主張は・・・ ぷぷぷさん > 肉を食べるという事を非常に嫌悪しておりますが> 自然界で見れば肉を食べるのは至極普通な事では・・・?> 動物の肉だからダメというのは何故ですか?> 脳があり、思考できる動物だからでしょうか?> > 「私は大切に育ててきたアロエを> 母にヨーグルトに混ぜられて食べられました> 植物がかわいそうなので、あなたは今後植物を摂取しないでください」> > あなたの主張がごもっともならば> このような小学生のような主張もごもっともとなるわけです> > 動物だからダメ!植物はOK!ではないのです> 人がおいしく食べている以上、食物として> 動物にも植物にも価値は等しくあるのです> > 畜産された動物が食べられないならば> 農家で栽培された野菜を食べないでください> > 屠殺された動物がかわいそうだというのなら> 収穫された野菜もあなたは口にする資格は無い> > 植物も動物もどちらも等しく「種を残す為」という本能があります> それを阻害したくないので、あなたはもう二度と何も口にせず、> 心の赴くままに餓死して下さい一度に全部を回答するのは長文になりしんどいので、少しずつ、回答しますね?まずは、>(あなたは)肉を食べるという事を非常に嫌悪しておりますが>自然界で見れば肉を食べるのは至極普通な事では・・・?肉食動物が他の動物(主に草食動物)を食べるのは至極普通なことです。その他の例ですか?人間が肉を食べることは、至極普通な事とは思っておりません。しかしながらそういう民族はいます。彼らは他に食べ物がないからです。少なくとも日本人には肉食は不要です。>動物の肉だからダメというのは何故ですか?>脳があり、思考できる動物だからでしょうか?それが一番の理由です。それから肉食をすることによって病気を招くことになるからです。それに日本人だけではなく、本当はヒトの食性に合っていないからです。しかしながら前述したように、歴史的に獣肉を食してきた民族もいます。日本人も野生の動物を捕らえて食してきた歴史はあります。それらと現代の工場畜産の動物の肉とは別に考えていただきたいのです。(つづく)動物の権利死体の晩餐
2009年11月21日
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経産牛、つまりお産を経験した牛のこと。これまでは安く流通していたのだという。しかし経産牛の肉は柔らかくて美味しいんだという。乳牛など、子供を何頭か産んで、もう産めなくなくなった牛をさらに肥育して出荷しているんだという。番組内で食べているよ。塩だけで。「甘みもあるしコクもある」「脂の口溶けがいい」「噛めば噛むほど味が濃いですね」などなど。しかしながら、現時点では一般に経産牛のこういう利点は知られていないから流通はされていないという。いずれこのことが国民に浸透して、流通するようになるかもしれない。いわば廃牛なのだから、大いに食していいんじゃない?ということにはならないと思うんですけど・・・・。酪農も種差別です。動物の権利死体の晩餐
2009年11月20日
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毛皮反対の輪が広がっていますね。仙台において下記の通りデモが行われます。近くの方、毛皮反対に関心のある方はぜひ参加してくださいね?以下、転載歓迎です。毛皮反対デモ in 仙台開催日11月22日(日)集合場所 勾当台公園 集合時間 12時 出発時間 13時 解散時間 14時 コース 勾当台公園~アーケード街(三越前)~アーケード街(藤崎前)~仙都会館前解散 雨天決行 詳細はHPをご覧になってください。主催 ゆんさん http://06230623.gjg.mobi/ 動物の権利動物の命は人間より軽いのか
2009年11月19日
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今回はURLを紹介するのみです。ぜひジャンプして読んでください。ビデオも見て下さい。Land O’Lakes社農場における乳牛虐待死亡例http://arcj.info/news/20091115_2.html牛乳を信じるな!死体の晩餐動物の命は人間より軽いのか
2009年11月18日
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そうですよね?分かりますその気持。よ~く分かります。南茶手自身もかつてはアイスクリームやらチーズが大好きでよく食べていました。牛乳は美味しいと思わないのでほとんど飲みませんでしたが。でも今ではきっぱりやめています。やめられました。牛乳生産の実体、真実を知ったらきっと「もうやめよう」と思えるかも知れません。そこで【乳牛の一生】を見てみましょう。そうして「種差別」ということを知って下さい。「種差別? なにそれ? 初めて聞く」という方もいるでしょう。「種差別」とは、我々の種(人類)の成員に有利で、他の種(ここでは動物)の成員にとっては不利な偏見ないしは、偏った態度のこと。簡単に言ってしまえば、「動物なんて人間より下等な生き物。煮て食おうが焼いて食おうが人間の勝手。大量生産のためにはどんな劣悪な環境で飼育しようが知ったことではない。どうせ殺して食うんだから」ということなのですね?乳牛の一生の説明を通して種差別を考えていきましょう。「乳牛のほとんどは人間の手による人工授精で妊娠し、子牛を産みます」そうです。強制的に妊娠させられてしまのです。「子牛は13~16ヶ月成長すると、最初の種付けをして妊娠します」人間の年齢に換算したら?牛の寿命を25年として計算してみて下さい。子供が産める状態になったら出来るだけ早く種付けするのです。効率をあげるためにです。妊娠期間は約10ヶ月。人間とほぼ同じなんですね?業者にしてみたらもっと早く産まれればいいのに、と思っていることでしょう。効率をあげるためにね。「子牛は産まれると母牛と離され、子牛用の小屋で育てられます」なぜでしょう?子牛にお母さん牛のお乳を飲ませないためです。なぜなら・・・、牛の母乳は人間が飲むためのものだからです。子を引き離さた母牛は、とぉ~~~っても悲しむそうです。その様子を『私の牛がハンバーガーになるまで』から引用しましょう。酪農牛の1602(牛の番号。名前は付けない)がオスの子牛を産みました。(太字が引用)子牛を舐める1602の姿に夢中になっていたため、ジェシカが牛舎にやってきて子牛を連れ去るまでの時間がほんの数分のように感じられたが、腕時計で確かめてみると、実際には40分かかっていた。子牛が母牛といっしょにいたのはおよそそれくらいだ。1602は子牛が横たわっていた場所のにおいを嗅ぐと柵まで歩いていき、鳴いた。四頭の牛があとからついていく。次に桶から口いっぱいエサをほおばるとウォーターカップの水をがぶ飲みし、ふたたび柵に近寄って鳴く。1602は牛舎を数回まわり、もといたところに戻ってくると、もう一度子牛のいた場所のにおいを嗅ぎ一声鳴いた。1602を除き、牛舎にいるすべての雌牛が黙って立っている。1602は落ち着かない。また柵に近づき、地面のにおいを嗅ぐ。そしてやさしく鳴き続ける。本当は「鳴く」ではなく「泣く」という漢字が適切かもしれませんね?こういうように、牛の習性を無視しているんです。これが種差別なのです。さらに、母と子の絆は強い、それが牛本来の自然な姿だ。子牛は一歳になるまでほぼずっと母親から乳をもらう。畜牛に関するある研究によると、誕生後の5分間子牛と接触するだけで母牛の母性はぐんと強くなるというし、また別の研究によると、一年後にふたたび出産しても前に産んだ子との絆は絶えていないことがわかっている。日が傾きはじめた頃、私は1602の子がどうしているかを調べるため、雄子牛のブルペンへ行ってみた。雄子牛はすぐに売り出されてしまうため、番号さえつけられない。子牛はふるえながら、今日生まれた他の雄子牛たちと一緒にいた。分娩牛舎のゲートの下に鼻を突きだし、ひっきりなしに鳴いている牛がいる。あんなに鳴くのはどの牛なのか知りたくて、私はゲートに近づいて耳標を確かめた。1602だ。自分の赤ん坊がそばにいることがわかっているのか。生まれたばかりの子牛が母牛から引き離される様子は見るに忍びなく、また、雄子牛がコンクリートの床の上でふるえる姿も哀れでならない。あなたの子供が生後まもなく隔離されて育てられたらどういう気持ちになるでしょうか?こういう不幸で不憫で哀れな牛の母子を少なくするためにも、私は牛乳を飲む気にはなれない。アイスクリームもバターもチーズもいらない。そう感じてしまうのです。再び乳牛の一生に戻ります。「生後1週間は母牛の初乳を飲んで抗体をもらい、細菌やウィルスから身を守ります。初乳というのは出産したばかりの母牛の乳で、その後の乳とは成分が異なり、子牛に免疫力を与える成分を含んだスーパーミルクです」 スーパーミルク?何言ってんの?なにも牛だけが免疫力のあるミルクを出すわけじゃないんです。こんなの哺乳動物にとっては当たり前のこと。現在ではヒトの赤ちゃんも初乳を飲ませるようにと指導されていますよね?免疫力を与えるためです。ヒトの母乳だってスーパーミルクなのですよね?そんなスーパーミルクならそれを人間のために販売したらいいじゃない?免疫力のあるスーパーミルクだよ、って銘打って、高額で販売すればいい。でもそれはしないんだね。なぜなら、この初乳を飲ませないと子牛は必ず病気にかかってしまうからなのです。 そうなると酪農家は大損害を被るわけ。だから初乳は必ず飲ませるというわけね?しかし、母親の乳首からではなく、バケツから飲ませるのだよね~。「お母さん牛の乳首から飲ませてあげればいいのに」って思うでしょう?だめなのです。乳首から飲むのを覚えてしまうと、その後代用乳をバケツから飲めなくなってしまうからなのです。初乳をバケツであげるのは、その後のバケツ飲みためのトレーニングもかねているのです。ここでも自然の母子の関係はないのです。「子牛は生後2ヶ月で離乳。生後13~16ヶ月で最初の種付けをします。離乳から種付けまでの間の牛を育成牛と呼びます。いわば牛の青春時代。この期間だけ育成牛専用の牧場で放牧して育てることもあります」この時期が乳牛の一生における唯一の唯一の唯一の幸せな時期なのですね。 「種付け後妊娠、出産した牛はその後280日~300日の間毎日搾乳します」子牛には一滴もあげられない牛乳を、ただひたすら人間のためだけに出し続けるのです。来る日も来る日も来る日も来る日も。人間のためだけに人間のためだけに人間のためだけに出し続けるのです。「50日~110日頃が最もたくさんの乳を出し、その後徐々に減り始めます。「出産後40~60日たったら次の種付けをし、大体1年に1回分娩するようにします」 子どもを育てる喜びという本能も満たされないまま。人間のためにだけ牛乳を出すという目的のために毎年妊娠させられ子どもを産まされ続けるのです。 「牛の胃袋は4つ。羊やヤギも同じ反すう動物で胃が4つあります。4つのうち最も大きいのは第1胃で成牛で約200リットル、牛乳パック200個分の容量です。食べた餌はまずこの第1胃で胃の中の微生物によって分解され発酵します」この段階でメタンを発生するわけです。それを牛がゲップをして空中に放出するのです。そうしてメタンが地球上に充満して行くのです。メタンは二酸化炭素の20倍も温室効果があります。「1頭の牛は分娩、泌乳、乾乳のサイクルを3、4回繰り返し、大体5~6年でその役目を終えることになります」 役目がおわったらどうなるか?というと?「ご苦労様、あとはこの牧場で悠々自適に余生を送ってね」ということにはならないんです。ハンバーガーなどのミンチ肉用に食肉処理場へ回されます。さんざん牛乳を搾取された挙げ句、最後は殺されて食べられちゃうんです。「乳牛の体重は600~700kg。軽自動車1台くらいの重さですね。一日に食べる量は青草だと50~60kg程度、乾草や穀物などを混ぜたもので15~30kg」これら、大量のエサをどこで作っているのでしょうか?青草も穀物ももちろん地球上でです。その土地を人間用の食料栽培に回したらどれほどの人間が餓死しないですむことでしょうか?「そして一日に20~30リットルの乳を出します。フンの量も一日20~40kgと半端ではありません。尿も6~12リットルは排出します」フンの処理はどうやっているのでしょうか?またフンからもメタンが発生します。「私たちにおいしいミルクの恵みを与えてくれる乳牛。その乳牛は人間の手で改良が重ねられ・・・」改良なんて人間にとって都合が良いからそう言うだけであって、牛の側からみれば余計なお世話。むしろ改悪。過酷な仕打ちなのです。「現代では一頭が一年に数千リットルものミルクを産乳します。日本では白黒模様のホルスタイン種がおなじみ。世界には環境や用途に合わせ、いろいろな乳牛が飼育されています」 ところで、乳牛からオスの牛が産まれたらどうするのか?妊娠もしないしお乳も出さないからすぐに売られていきます。子牛の肉(ヴィール)として高級レストランで珍重されています。あるいは国産牛肉として売るために肥育されます。スーパーに並んでいる非銘柄牛肉、すなわち国産牛肉とあるのは、ホルスタインの雄ということです。動物に対するこういう扱い、これが種差別なのです。こういう行為はもう止めませんか?【関連記事ブログ記事】「牛は非効率な食料だ」にコメントをいただきました http://plaza.rakuten.co.jp/nanchattevegan/diary/200906160000/「動物の解放、種差別」に関する入門書です。ぜひ読んで欲しい書籍です! ジャーナリストが中立の立場で書いた、酪農、畜産の悲劇がわかる本。
2009年11月17日
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昨日の記事の最後に以下のように書きました。>無駄な殺生をしてはいけないのです。>だから人間は肉食をしてはいけないのです。(づづく)どういうことか?を今日の記事で明らかにしますね?実は、肉を食べるということは無駄な殺生をしていることになるのです。「え?どういうこと?」ここでは話をわかりやすくするために牛肉に限定しますが、牛肉を作るのに、つまり、牛という畜産動物を飼育するのに何を与えますか?「え?牛って地面に生えている草を食べて大きくなるんでしょう?」はい、草も食べさせます。しかし、それだけでは商品にならないんです。つまり、もっと太らせないことには効率がわるい、という訳です。なのでカロリーの高い濃厚飼料を与えます。トウモロコシや大豆などがそれです。ところが牛を1kg太らせるのに、なんとこれらの飼料が16kg~20kgも必要となるのです。もう分かりましたね?肉を食べることは、植物性食品の命の大いなる犠牲の上に成り立っているのです。世界には、飢えで苦しむ人たちが8億人以上いるといわれています。先進国の人たちが肉を食べるのをやめてそういう人たちに牛の餌となっている植物性食品を回したら、餓死する人たちはいなくなるのです。だから人間は肉食をしてはいけないのです。【種差別についてよく分かるお勧め図書】死体の晩餐
2009年11月16日
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「人間は罪深い生き物なのだ」美味しんぼの山岡士郎がよく言うせりふです。人間を食べる生き物はいない。しかし、人間は植物でも動物でもなんでも食べている。他の動物ももちろん他の植物や動物の命を犠牲にして命をつないでいる。しかしほとんどの動物は他の動物に食べられることがあり得る。あのゾウだってライオンに襲われることがあるのだから。動物は他の命を犠牲にして自らの命を長らえている。人間も同じですね?しかも人間は雑食性があるから、何でも食べられる。だからこそ、他の命を無駄にしてはいけないのではないでしょうか?最小限の命の犠牲で済ませるべきであります。ところが日本人はどれだけの食料を無駄にしていでしょうか?コンビニの売れ残り弁当などの廃棄が少し前に話題になりました。それで某コンビニでは賞味期限切れ間近の商品の値下げを認めたとか?宴会をやってご覧なさい。たくさんの残り物が出ます。このように日本人は沢山の食品(=命)を無駄に、犠牲にしているのです。人間は霞を食っては生きてはいけない。だから他の動植物の命を犠牲の上にその植物の体である葉や茎や根や、あるいは果実や、それから動物の肉などを食べて行かなくてはいけないのですね?しかしながら動物にしろ植物にしろ、無駄な殺生は避けなくてはなりません。ライオンだって腹がいっぱいになれば近くにシマウマがいても襲ったりはしません。彼らは無駄は殺生はしないのです。人間もライオンに見習わなければなりません。無駄な殺生をしてはいけないのです。だから人間は肉食をしてはいけないのです。(づづく)【種差別についてよく分かるお勧め図書】死体の晩餐
2009年11月15日
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普通は畜産動物は狭い枠に閉じこめられて運動もできない状態で飼育されるのが一般的です。それで病気にならないために抗生物質入りの餌が与えられます。それでも病気になります。「そんな肉を食べたら健康を害するよ」という声も聞きます。では、オーガニックな餌で広い牧場で育てられた動物なら安全なのでしょうか?いいえ違います。肉を食べること自体がキケンなのです。ヒトの食性に合っていないのですから当然ですね?さらに、殺して食べることに関してはオーガニックで育てられた動物ももそうでない動物も同じなのです。そのことを書いているのがふぐ太郎さんです。ぜひブログへ行って下さいね?オーガニックの肉も変わらないhttp://plaza.rakuten.co.jp/fuguchanincanada/diary/200911090000/「動物解放、種差別」に関する入門書です。ぜひ読んで欲しい書籍です! ジャーナリストが中立の立場で書いた、酪農、畜産の悲劇がわかる本。
2009年11月14日
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過去にブタのPちゃんの例があるけれど、ここでは、教育の一環として家畜としてのブタを飼育しているというのだ。だから名前はつけない。今回も2009年11月3日付けの読売新聞の「動物と生きる5」からの続きです。>独自の一貫教育を展開する自由学園(東京都東久留米市)男子部では長年、>構内で豚を飼育して業者に売り、その一部を給食で食べている。>どういう過程を経て食材ができてくるのかを知り、子豚を買い、>大きく育てて売ることで経済観念を養うのが目的だ。野菜を栽培して、それを給食で食べる、という学校もあることでしょう。南茶手の思いとしては、野菜と豚肉と同じ気持ちで食べては欲しくない、ということなのです。逆に言うと、自分たちで育てたブタを良くもまあ、食べられるものだ、ということです。「じゃあ、他の業者が飼育して屠殺したブタならいいのか」そうではありません。本当はどっちのブタも食べてはいけないのです。新聞記事を続けましょう。>ペットとは一線を画し、名前はつけない。掃除などの世話は主に>中学1年生が交代で行う。豚にエサをあげていた>小林未来野(みらの)君(12)は>「命を途中で断ちきり、食べるのは少しかわいそう。最近結構かわいい」と>やや複雑な表情だが、山縣基(もとい)教諭(34)は、>「机上の勉強だけでなく、実際の働きで苦労を経験し、工夫する心を養ってほしい」>と見守っている。小林未来野君の気持ちを大切にして欲しい。>「命を途中で断ちきり、食べるのは少しかわいそう。最近結構かわいい」こういう気持を育むのが教師の役目ではないでしょうか?(本当は「とってもかわいそう」と言って欲しかったけど)>山縣基(もとい)教諭(34)は、>「机上の勉強だけでなく、実際の働きで苦労を経験し、工夫する心を養ってほしい」>と見守っている。(京極理恵)あの~、何が言いたいのでしょう?「机上の勉強」ではない。それはそうです。実践ですから。ブタを飼育しているのですから。「苦労を経験し」これは飼育する上での苦労のことでしょう。「工夫する心を養ってほしい」なにを工夫するのでしょうか?これはきっと山縣先生の言葉の一部を紹介したために、何のことかが分からなくなっているのでしょう。【出典】(2009年11月3日 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20091103-OYT8T00311.htm種差別について知って下さい。【お勧め図書】死体の晩餐
2009年11月11日
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どこを見学か?というと?三重県松阪市の県などが出資する松阪食肉公社と、隣接する県松阪食肉衛生検査所。この記事も、2009年11月3日付けの読売新聞の「動物と生きる5」からの続きです。>「給食で松阪牛を食べたい」という子どもたちのリクエストから>地元食材について考えるうち、両施設の見学に行き着いた。>草分京子教諭(50)は「食べることは動植物の命をいただくこと、>さらにいろんな人に支えられていることを学ぶ絶好の機会と考えた」と話す。昨日の記事でも書いたけど、この記事でももう一度書きますね?>食べることは動植物の命をいただくことちがいます!食べることは動植物の命を殺すこと。殺してからその肉体を、植物でしたらその葉やら根やらをいただくこと。けっして命は食べられません。命は形がないのですから。さらに記事を読んでいきましょう。>事前に検査所職員や生産者の話を聞くなどして基礎知識を学習。なぜ事前に基礎知識を注入するのでしょう?子供の素直な感性にゆだねたらいいのではないでしょうか?本当は、そうするべきです。事前指導とは、食肉正当化の意図があるとしか思えません。>当日は、関係者が動物に対するそれぞれの思いを伝えるために建てた>獣魂碑にお参りした後、お参りすれば殺してもいいのか?食べてもいいのか?という問題が残ります。>検査所で自分の心音を聴いたり、>牛の胃液に含まれる微生物を顕微鏡で見たりした。これも意図的であります。こんなことは全くなしにして、先入観や知識皆無の状態で子どもたちに屠殺現場を見学させて下さい。>「血がたくさん出たのはびっくり。作業が素早くてすごいと感じた」と小谷直也君(12)。>最初は少し驚いた様子だった伊藤玲実さん(12)は>「お肉を食べるために、お仕事してきれいにしてもらってるんだと思いました。>感謝しないと」と話していた。確実にいたはずだ。絶対にいたはずだ。「可哀想」「もうお肉食べない」と感じた子供が!少なくとも1人や2人はいたはずだ。そういう子の意見は黙殺されてしまうのが新聞記事の常だ。>草分教諭は「子どもたちが見違えるように優しくなるんですよ」と効果を語る。誰に対して優しくなるのでしょうか?クラスの仲間やお友達に対してでしょうか?仲が悪かったクラスメートと仲直りしたとか?しかし、動物に対してこそ優しくならなかったらこういう実践は無意味です。大人(ここでは教師)の意識が変わらないといけません。まずは教師からです。種差別について学んで下さい。教科書はこちら。動物の権利動物の命は人間より軽いのか
2009年11月10日
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2009年11月3日付けの読売新聞の「動物と生きる5」からの続きです。>「銃から5センチの棒が出て脳を挫滅したから、>牛はもう意識がなくて痛くないの」と小学6年生の児童達に説明するのは、三重県松坂市の県松坂食肉衛生検査所主任検査員で獣医師の山本友美さん(42)。さらに説明が続きます。>次は、いかに早く血を抜くかが大切。>こうした作業を一つ一つきっちりしないといいお肉にならない。>せっかく牛からもらった命を食べるために、>みんな一生懸命に作業しています」南茶手にも説明させて下さい。>「銃から5センチの棒が出て脳を挫滅したから、>牛はもう意識がなくて痛くないの」山本さん、その、銃で撃たれる場所へ連れて来られるまで、それから銃を目の前にして、撃たれるその瞬間までの間、牛たちがいくばくの恐怖を味わっているか、ということに思いを馳せたことはありませんか?>せっかく牛からもらった命を食べるために、この表現はおかしいのではないでしょう?「命」は食べられないんです。命には形がないから。物質ではないから。だから食べられない。>せっかく牛からもらった命を食べるために、と言う表現をすると、いかにも、感謝して食べれば食べていいのだ、というふうに、食肉を正当化することができます。しかし、牛からもらった命を食べるのではありません。牛の命を奪った後にその肉を食べるのです。そこのところを正確に表現してもらいたいものです。いいですか?屠殺とは、食肉とは、動物の命を奪っていることなのです。これが大前提なのです。それを、>せっかく牛からもらった命を食べるために、と、安易な、ごまかしの言葉で食肉を正当化してはいませんか?「あなたは人間じゃないから、こうして殺されて食べられても仕方ないのよ」これが種差別なのです。そこのところに気づく小学生が出てくることを望みます。アメリカでは自らベジタリアンになる子供が少なくないといいます。子供の200人に1人はベジタリアンだというデータもあるようです。大人にベジタリアンがほとんどいない日本では、そうなることは無理でしょう。(つづくかもしれない)動物の権利
2009年11月09日
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2009年11月3日付けの読売新聞の「動物と生きる5」からお送りします。(>印付きは新聞記事からの引用です)>(5)食べる 命いただくこと>「命をいただく」ことを知る試みも行われている。>10月23日、三重県松阪市の県などが出資する松阪食肉公社と、>隣接する県松阪食肉衛生検査所を、同市立天白(てんぱく)小学校>6年生児童38人が訪れ、牛の解体を見学した。> 床を踏みしめて立っていた肉牛が、頭を「と畜銃」で撃たれ、>ごろっと横になって転がってきた。すかさず白い作業着に>身を包んだ職員がナイフでノドを切り裂き、血抜きのためにつり下げる。>頭を切り落とし、皮をはぎ、おなかを裂くと、白い胃などの内臓が摘出される。>「おー、出てきた」。下の階で行われる作業の光景を、>ガラス窓越しに食い入るように見つめる子どもたち。「おー、出てきた」だと?目を背ける子はいないのか?「可哀想」と泣きじゃくる子はいないのか?「私、僕、もうお肉食べたくない」と思う子はいないのか?もしいないとしたら、種差別を増長していることになる。事前の指導がどうであったか、によって、子どもたちがこういう光景を見て感じる気持は変わる物だ。学校側が何を目的として子どもたちに見せているか。それが問題だ。おそらく(地域柄)屠殺(=肉食)を正当化するためであろう。(つづく)
2009年11月08日
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ハイブリッドカー、そりゃあいいんだけどね、値段が高くてね。そうです。燃費が良くても購入価格が高かったら、環境には優しくてもお財布には優しくない。だいたい一般の人ってガソリン代に月どのくらいかかる?ハイブリッドカーって高いよ。高い分、燃費で相殺されるの?10年間乗ったとして。まあ、それはさておき、ハイブリッドってすっごくいいイメージじゃない?これをペットの世界にもおなじイメージが入り込んだらいいと思うんだよね。将来的にはこんな会話が交わされるかも知れないね?珍念:ウチは血統書付きの○○○犬を買ったんだぞ~。宙念:ウチは保健所からハイブリッド犬をもらってきたんだぞ~。珍念:え? ハイブリッド犬? すっご~い!動物の権利
2009年11月06日
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毛皮がどのように生産されているのか、知らない人が多いですね。だからみなさん、平気で購入しています。なので毛皮の生産の現状を知ってもらいたいですね。知ったら毛皮を買うことはしなくなる人が沢山いるでしょう。そこでデモを企画しました。といっても南茶手が企画したわけではないけれど。近くの方で毛皮反対に賛同する方はぜひ参加して下さいね?以下は転載歓迎です。毛皮反対デモ in 仙台毛皮反対の輪が広がっていますね。仙台において下記の通りデモが行われます。近くの方、毛皮反対に関心のある方はぜひ参加してくださいね?開催日11月22日(日)集合場所 勾当台公園 集合時間 12時 出発時間 13時 解散時間 14時 コース 勾当台公園~アーケード街(三越前)~アーケード街(藤崎前)~仙都会館前解散 雨天決行 詳細はHPをご覧になってください。主催 ゆんさん http://06230623.gjg.mobi/ 動物の権利動物の命は人間より軽いのか【関連記事ブログ記事】今日は何の日?http://plaza.rakuten.co.jp/healthycyuunen/diary/200811200001/
2009年11月03日
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