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2019年8月2日夜、鹿児島県の出水駅から市内を歩いて宿泊所まで行きました。荷物が全部で15キロあり、歩くのが結構大変でした。↑ 肥薩(ひさつ)おれんじ鉄道の出水(いずみ)駅。↑ 出水(いずみ)駅にある、マナヅルの像。↑ マナヅル像と肥薩おれんじ鉄道の一般車両。↑ JR九州新幹線・出水駅。↑ 肥薩おれんじ鉄道 のりば発売機 案内。↑ JR九州新幹線の方向。↑ 出水駅の出口。↑ 米ノ津川に掛かる橋を渡る。↑ 米ノ津川。↑ 出水公会堂。 遠くから見たら、最初は教会かと思った。↑ 出水麓武家屋敷群の案内。↑ ニコニコ通りを通る。↑ 平良川。
2019.09.30
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2019年8月2日夜、肥薩おれんじ鉄道の鹿児島県・出水(いずみ)駅で、肥薩おれんじ鉄道の「くまモンラッピング列車1号」の写真を撮りました。オレンジ色が基調のくまモンラッピング列車2号が出発した後に、青色が基調のボディーをした1号を見ました。↑ 肥薩おれんじ鉄道の「くまモンラッピング列車1号」。青色の車体。↑ くまモンラッピング列車の隣に来た一般車両。
2019.09.29
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2019年8月2日夜、肥薩おれんじ鉄道の鹿児島県・出水(いずみ)駅で、肥薩おれんじ鉄道の「くまモンラッピング列車2号」の写真を撮りました。オレンジ色が基調の車体です。暗い中で撮影しましたが、光が全然足りませんでした。車両の中には、くまモンの人形がありました。↑ 肥薩おれんじ鉄道の「くまモンラッピング列車2号」。出水(いずみ)駅。↑ くまモンの人形が見える。↑ 2つの車両を切り離す作業をされている。↑ くまモンラッピング列車2号が駅を出た。
2019.09.28
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2019年8月2日夜、肥薩(ひさつ)おれんじ鉄道で、八代(やつしろ)駅から出水(いずみ)駅まで移動しました。乗車した肥薩おれんじ鉄道の車両は、白地にオレンジラインが入っている一般車両と、鹿児島水族館(いおワールド)のラッピングが入っている車両で、2両が連結していました。21時頃に出水駅に到着しました。↑ 八代駅と製紙工場の煙突。↑ 肥薩おれんじ鉄道は60m先へお越しください。↑ 肥薩おれんじ鉄道の切符売り場。↑ 切符の自動販売機。↑ 八代駅から出水駅まで、1,710円。↑ 肥薩おれんじ鉄道のりば。↑ 肥薩おれんじ鉄道の一般車両、鹿児島水族館(いおワールド)のラッピング車両が入ってきた。↑ 一般車両。白い車体にオレンジラインがあり、青い空と緑がその中に入っている。↑ 鹿児島水族館(いおワールド)のラッピング車両。↑ 八代駅を出発。↑ 肥薩おれんじ鉄道運転区間。↑ 車窓から球磨(くま)川が見えた。↑ 日奈久(ひなぐ)温泉駅。↑ 日奈久温泉駅に、歌人の種田山頭火の人形が立っている。(画面向かって左側)↑ 不知火(しらぬい)海。↑ 佐敷(さしき)駅。↑ 車内。↑ 新水俣(しんみなまた)駅。↑ 新水俣駅で、JR九州新幹線の新水俣駅に移動することができる。↑ 新水俣駅の隣に、水俣駅がある。↑ 水俣駅。↑ 肥薩おれんじ鉄道の一般車両を撮影。鹿児島水族館(いおワールド)のラッピング車両。↑ いおワールド 鹿児島水族館。↑ 鹿児島県の出水(いずみ)駅の案内。↑ 出水(いずみ)駅に到着した。横にはJR九州新幹線出水駅があり、移動することができる。
2019.09.27
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2019年8月2日夜、新幹線熊本駅から鹿児島本線に乗り換え、JR九州CT817で八代(やつしろ)市に行きました。八代駅から肥薩おれんじ鉄道で、鹿児島県出水(いずみ)市に行くためです。↑ JR九州・熊本駅(在来線)。↑ 熊本城・武者返しの銀杏城の駅。↑ 八代行き。↑ 隣のプラットフォームに、JR九州815がいた。↑ 車両の中央の窓はとても広い。↑ JR九州CT817 に乗車する。 ↑ 鹿児島本線の熊本駅を出発する。↑ 白川橋梁。↑ 九州新幹線と在来線が平行に走る区間。↑ 川尻駅と夕日。↑ 川尻駅の看板には、大慈禅寺(だいじぜんじ)の絵が描かれている。寺には、種田山頭火の句碑「まったく 雲がない 笠をぬぎ」がある。↑ 加勢川の橋。↑ 在来線(鹿児島本線)を横切る九州新幹線。↑ 緑川の橋。↑ 九州新幹線と鹿児島本線が平行している。↑ 宇土(うと)駅を過ぎると、再び九州新幹線が鹿児島本線を横切る。↑ 九州新幹線と沈む夕日。↑ いきなり肥薩オレンジ鉄道の車両が見えたのでびっくりした。暗いのでぶれてしまった。↑ 再び九州新幹線と鹿児島本線が、新八代駅で交差した。↑ 新八代駅。新幹線の駅とつながっている。↑ 在来線の新八代駅の標示。果物の絵は、八代特産の晩白柚(ばんぺいゆ)。↑ 新八代駅を出発し、八代駅に向かう↑ 製紙会社の煙突が見えてきた。↑ 八代駅。↑ 八代駅の標示。晩白柚(ばんぺいゆ)の絵。↑ JR九州CT817の車体。↑ CT817の内部。↑ CT817の車体。横に長い窓。↑ 入り口。↑ 八代駅前にある日本製紙八代工場の建物。八代の祭りである妙見祭の絵が描かれている。↑ 肥薩線0起点 八代駅。↑ 肥薩おれんじ鉄道に乗るために、駅を移動する。
2019.09.26
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2019年8月2日、九州新幹線800系で佐賀県・新鳥栖駅から熊本県・熊本駅まで移動しました。800系の車体は、東海道、山陽新幹線と基本的に同じですが、先端の顔はカモノハシ型ではなく、九州独自のカイコ型です。車内も木質が基調になっており、座席の雰囲気が東海道・山陽新幹線と全く違います。↑ 新鳥栖駅に入る九州新幹線800系。かいこのような先端の顔。↑ ツバメのマーク。↑ 九州新幹線・新鳥栖駅。↑ 新幹線は新鳥栖から熊本まで。乗車券は新鳥栖から八代まで。↑ 九州新幹線800系 自由席。↑ 木を使用した椅子。↑ 台を出すところ。↑ 久留米駅の次は、筑後船小屋駅。↑ 筑後船小屋駅(福岡県筑後市)。↑ 筑後船小屋駅を過ぎると、すぐに矢部川が見えてくる。↑ 矢部川。↑ 新玉名駅を過ぎると、すぐに菊池川が見えてくる。↑ 熊本の案内。↑ 車窓から、修復工事中の熊本城が見えた。↑ 熊本城。↑ 県営野球場。↑ 木でできた壁。↑ JR九州・ミッキー新幹線の紹介。↑ 車両によって、シートが違う。↑ 車内の「金箔」の壁。↑ 八代いぐさの縄暖簾。↑ 熊本駅に到着。↑ つばめのマーク。↑ 熊本駅のくまもん。↑ もっと、もーっと! くまもっと。
2019.09.25
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2019年の夏ですが、カルピスのブランドが100周年を迎えるので、「ピースはここにある・100周年スペシャルパッケージ」のカルピスが発売されました。かとうれいさん、Pomodorosaさん、米山舞さんがパッケージの絵を担当されています。夏や青春を感じるパッケージを見ると、無性に欲しくなってしまいます。かとうれいさんの「カルピスウォーター」パッケージですが、学生時代の夏の青春の一瞬を切り取ったような絵です。絵を見ていると、その後のストーリーを想像して、とても楽しいです。Pomodorosaさんの「濃いめのカルピス」パッケージですが、夏祭り、夏休み、里帰りの場面が描いてあり、懐かしい楽しさがあります。米山舞さんの「カルピス原液ボトル」パッケージは、家族が夜空を見ながらカルピスを飲む情景が描かれています。店で数本残っていたのですが、原液ボトルなので次にしようと思って買いませんでした。しかし、次の週に店に行くと、すでに売り切れでした。やはり迷ったときは買うべきだと後悔しました。かとうれいさんの「カルピスウォーター」パッケージ。Pomodorosaさんの「濃いめのカルピス」パッケージ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーWebを見ると、米山舞さんのメッセージとイラストが紹介されていました。買いそびれたカルピス原液ボトルのパッケージはこれでした。この家族はどんな会話をしているのだろうと、色々想像します。
2019.09.24
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2019年8月1日、山口県岩国市の岩国駅で、「カープ応援ラッピングトレイン2019」を見ました。車体はJR西日本227系(RED WINGで採用)で、2019年広島東洋カープのキャッチフレーズである「水金地火木ドッテンカープ」の絵が車体に描いてあります。カメラをカバンから取り出すと、列車が南岩国駅に走り始めました。少ししか写真に収めることができず、とても残念です。↑ 山口県岩国市の岩国駅にて。 227系「カープ応援ラッピングトレイン2019」。↑ 2019年広島東洋カープのキャッチフレーズである「水金地火木ドッテンカープ」の絵。↑ カープの鈴木誠也(すずきせいや)選手。 がんばれ!カープ。マツダスタジアムに応援に行こう!。↑ 田中広輔(たなかこうすけ)選手。↑ 大瀬良大地(おおせらだいち)投手。↑ 写真を撮り始めてすぐに、列車が出発した。全部写真が撮れず、本当に残念だった。
2019.09.23
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2019年10月5日夕方、新宿Flags(フラッグス)にある、タワーレコード新宿店に行きました。タワーレコードが河合奈保子さんの4枚のライブをCDにして発売されたのを記念し、9月24日~10月7日の期間中、8階のエスカレーターのそばの壁枠に、河合奈保子さんのグッズが展示されていました。特に、1984年・EASTコンサート時の、白い服に白い帽子の奈保子さんの写真を見ると、本当に懐かしくなります。奈保子さんはこの姿で、ロサンゼルスで制作された「IF YOU WANT ME」や、八神純子さんが作った「太陽の下のストレンジャー」、「夏の日の恋」を歌いました。汗びっしょりになりながら、この衣装で熱唱する奈保子さんの姿が好きでした。夏の避暑地の奈保子さんを思わせます。8階のフロアには、奈保子さんの4種類のライブCDが販売されており、試聴もできました。そのそばには、岡田有希子さんの「岡田有希子 Mariya's songbook」や、森口博子さんの「GUNDAM SONG COVERS」が紹介されていました。新宿Flags のCMが1階のスクリーンに流れており、長坂真護(ながさかまご)さんの恐竜を描く作品を何回も見ました。ルミネエストにある壁絵も面白かったです。↑ 新宿駅そばにある新宿フラッグ内、タワーレコード新宿店8階エスカレーターそばの壁枠。奈保子さんグッズが展示されていた。↑ 奈保子さんグッズの展示。↑ 4つのライブCDリリース記念展示。↑ 夏の避暑地にいるような奈保子さんの衣装。奈保子さんの「サマーデリカシー」、「デイドリームコースト」などを毎日のように聴いていた青春時代を思い起こさせる写真。↑ カナリーコンサートパンフレットで表側が写っている。この表側も良いのだが、裏側にある奈保子さんの写真が、個人的にすごく気に入っている。清楚な奈保子さんの姿がある。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ タワーレコード限定、4種類の奈保子さんライブアルバムCD(紙ジャケ)が発売された。↑ ①「LIVE」/河合奈保子。 1980年10月14日、東京・芝・郵便貯金ホールにて行われた河合奈保子の1stコンサートの模様を収録したライヴ・アルバム。↑ ②「NAOKO IN CONCERT」/河合奈保子。タワーレコードの②の紹介内容が①と同じになっており間違っている。②の正しい内容としては、「1982年1月6日に日本青年館ホールで行われたコンサートライブが収録されている」となる。↑ ③「ブリリアント~レディ奈保子 イン・コンサート」/河合奈保子。 1982年10月17日、東京・芝・郵便貯金ホールのコンサート収録。↑ ④「NAOKO THANKSGIVING PARTY」/河合奈保子。1988年7月24日、よみうりランド オープンシアターEASTにて行われたファイナル・バースデー・コンサートの模様を収録。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 岡田有希子さんの「岡田有希子 Mariya's songbook」が紹介されていた。↑ 森口博子さんの「GUNDAM SONG COVERS」が紹介されていた。↑ 森口博子さんの自筆メッセージ。↑ タワーレコード新宿店の案内。↑ 新宿フラッグスの7~10回が、タワーレコード。↑ 新宿フラッグス(FLAGS)。↑ ビルのエントランスで、たい焼きを売っていた。↑ ビルの周り。↑ 新宿フラッグスの入り口。↑ 新宿フラッグスの21周年記念ポスター。↑ 新宿フラッグスと長坂真護(ながさかまご)さんのコラボCM。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 新宿駅のルミネエスト入口。↑ ウェルカム! ルミネエスト。
2019.09.22
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私はマネの絵が好きですが、妻はモネの絵が好きです。昔、妻がパリで買った2枚の絵は、ひなげしやバラの絵でした。モネのような感じです。また、以前見に行った印象派展でも、モネの描いた「ベトゥイユの画家の庭」のパネルを買っていました。私がコートールド美術館展の「フォリーベルジェールのバー」がとても良かったと話すと、妻が見に行きたいと言うので、2019年10月5日に美術館へ一緒に行きました。上野の東京都美術館内では、お互い勝手に絵を見ることにしており、売店で落ち合う事にしました。後で妻に「フォリーベルジェールのバー」について聞くと、妻はルノワールが描いた「桟敷席」の方がはるかに良かったと言っていました。モデルのニニ・ロペスの方が良いとの事です。美術館を出た後、上野公園の「全国大陶器市」を見て、上野駅近くの「おぼん de ごはん」に行きました。「コンポ定食」(鶏肉のバルサミコ照り焼き&タラの味噌タルタル)を食べましたが、美味しかったです。↑ 昔、妻がパリの画廊で買った絵。 家の壁に掛けてある。↑ ひなげしの絵。↑ バラの絵。↑ 妻が買ってきた、モネの描いた「ベトゥイユの画家の庭」のパネル。↑ 2019年10月5日、上野公園の東京都美術館。オリンピックなどのテロ対策の訓練とのことで、入場者が手荷物検査を受けた。↑ 2回目の「コートールド美術館展」。↑ コートールド氏の自宅を再現してある。↑ 中央には、ルノワールの「桟敷席」がある。↑ 彫刻家である井上武吉(いのうえぶきち)さんの作品「my sky hole 85-2 光と影」を見る妻。↑ 上野公園の全国大陶器市を見ることにした。↑ 長崎の波佐見焼。↑ 大分県日田の小鹿田(おんた)焼き /やちむん(沖縄の焼き物)/琉球ガラス。↑ 岡山・備前市の備前焼。↑ 愛媛県の砥部(とべ)焼。↑ 上野駅の坂を下り、昼食場所を探す。↑ 上野駅が見える。↑ 上野駅近くの「おぼん de ごはん」。↑ 「コンポ定食」を選ぶ。「コンポ定食」(鶏肉のバルサミコ照り焼き&タラの味噌タルタル)↑ 上野駅で妻と別れる。
2019.09.21
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作家・池波正太郎さんといえば、「鬼平犯科帳」、「剣客商売」など歴史小説が有名ですが、私は池波正太郎さんが書かれたフランス映画、ヨーロッパ旅行記を読むのが好きで、特に新潮文庫の「フランス映画旅行」は何度も繰り返して読みました。昔のパリはとても真っ黒な街だったが、今は白くなったという出だしから始まり、池波正太郎さんが50年もフランス映画を見続けてきた事、大好きな芸人(俳優)のジャン・ギャバンの人生を軸として、フォリーベルジェールやムーランルージュの事も書いてあります。フォリーベルジェールで有名な芸人である「モーリス・ジュバリエ」、「ジョセフィン・ベーカー」、「ミスタンゲット」についても紹介されていました。池波正太郎さんはフランス映画を沢山見てきたので、初めてパリを旅行したときも、全然初めて来たような気がしなかったそうです。宝塚歌劇団で活躍された上月昇(こうづきのぼる)さんが、フォリーベルジェールで出演したことが書いてあります。「フランス映画旅行」のP37に下記の記載があります。「だから去年、宝塚出身の上月昇(こうづきのぼる)がフォリーベルジェールに招かれて出演したら、パリジャンたちがびっくりして大喝采だったというんだね。そりゃそうだろう。上月ほどの芸人は一人もいなかったよ」↑ 持っている池波正太郎さんの本。↑ フランス映画旅行/池波正太郎/新潮文庫この本は本当にお気に入り。池波正太郎さんがフランスを旅行している間、まるで自分も一緒に旅行しているような気分になる本。フォリーベルジェール、ムーランルージュ、そしてジャン・ギャバン、ジョセフィンベーカー、ミスタンゲットなどのことが書いてある。↑ P35。池波正太郎さんが描いた「フォリーベルジェール」。↑ P35。池波正太郎さんが描いた「ムーランルージュ」。↑ P37。「モーリス・ジュバリエ」、「ジョセフィン・ベーカー」↑ P46。 「ミスタンゲット」。↑ 私が買った絵はがきより。フォリーベルジェールの下の部分に、「NOBORU KOZUKI」とある。宝塚歌劇団で活躍された上月昇(こうづきのぼる)さんが、フォリーベルジェールで出演したときのもの。↑ ドンレミイの雨/池波正太郎/新潮文庫池波正太郎さんがパリで行きつけだった居酒屋「B.O.F」がなくなってしまった事や、フランスを旅行したことが書いてある。藤田嗣治さんの礼拝堂も行かれていた(P83)。シンガポール、バリの旅行も追加されている。P129からP144は、フォリーベルジェールについての事が書いてある。↑ 旅は青空/池波正太郎/新潮文庫池波正太郎さんが、フランスとスペインを旅行したときのもの。旅行先の風景を描かれた絵も、カラーで紹介されている。↑ 私の歳月/池波正太郎/講談社文庫P147から「映画を楽しんだ40年」として、いかに時間を惜しんでは映画を見に行ったかが書いてある。そしてP151からは、大好きな映画俳優「ジャン・ギャバン」との架空対談をしている。↑ 池波正太郎のフィルム人生/池波正太郎/新潮文庫ジャン・ギャバンについて触れられている所がある。P171の「ゴルゴダの丘」、P200から「すぐれた映画というものは、人間の生活の原点のところを簡明に示しているね」↑ あるシネマディクトの旅/池波正太郎/文春文庫フランス紀行をまとめた本。↑ 映画を見ると得をする/池波正太郎/新潮文庫映画を観るということは「いくつもの人生を見る」ということだ。↑ よい匂いのする一夜/池波正太郎/講談社文庫池波正太郎さんが、日本と海外の良い宿を再訪して紹介している。↑ コートールド美術館展で購入した図録。「コートールド美術館展 魅惑の印象派/MASTERPIECES OF IMPRESSIONISM THE COURTAULD COLLECTION」/朝日新聞・NHK/NHKプロモーション。↑ マネの絵画/ミシェル・フーコー/阿部崇訳/ちくま学芸文庫。P181。「フォリーベルジェールのアルコール売りーその背中は鏡に映っている。だが、画家がうっかりしていたせいだろう。彼女とお喋りしているムッシュー、鏡に姿が写っているその男性は絵の中にいない。-われわれはその描き落としをここで修正しておかねばと考えた次第である」。↑ MANET PIERRE COURTHION. オランダにいる時に購入したマネの本。↑ EDOUARD MANET PIERRE COURTHION.HARRY N.ABRAMS, INC., Publishers, NEW YORK.↑ A BAR AT THE FOLIES-BERGERE. P124~125。↑ フォリーベルジェールのバーの説明文。↑ ジャニオはマネがこの絵(フォリーベルジェールのバー)を制作しているのを見ており、1907年4月10日発行の「グランドレビュー」に、この時の思い出を書いている。「私はマネの後ろにある椅子に座り、彼の仕事を見ていた。彼はモデルを描いているにも関わらず、モデルをそのまま模写している訳ではなかった。単純化していくという彼の偉大な才能を私は認識した。彼は女性の頭部を描き始めたが、決して見たままを描いてはいなかった。全てが凝縮されており、トーンが明るくなればなるほど、色がより輝いてきて、色値が均一になってきた。全てが軽く優しい調和を持った。私はチャップリンの事を話題にした。するとマネは、シャンペンボトルの口に巻き付けてある金の紙を細い線で描きながら、「彼はとても才能があるよね。そうだろ」と言った。他の人たちも私たちに加わると、マネは絵を描くのを止め、左側の壁を背にして長椅子に座った。そして私は、病魔がどんなに彼を蝕んでいるかを理解した。彼は杖をついて歩き、体には震えがあった。この絵は1882年のサロンに出品され、マネの最後の重要な作品となり、アーネスト・チェスノー氏(フランス美術評論家)の「鋭い批評賞」を受賞した。P34~P35。向かって左から、「ビールを飲む女性たち」、「ウェートレス」、「フォリーベルジェールのバー」、「フォリーベルジェールのバーメイドのモデル」、「イザベル ルモニエ」。↑ サンラザール駅/鉄道。 P92~93。↑ この絵も大好きな作品。女性はモデルのビクトリーヌ・ムーラン。ものすごく魅力的に思える。ムーランはモデルをしながら、自分でも絵を描くようになった。↑ 草上の昼食。 P60~61。↑ 女性はモデルのビクトリーヌ・ムーラン。↑ オランビア。 P62~63。↑ 女性はモデルのビクトリーヌ・ムーラン。↑ オランビア(水彩画)。 女性はモデルのビクトリーヌ・ムーラン。 P16。↑ 闘牛士の服を着たビクトリーヌ。 女性はモデルのビクトリーヌ・ムーラン。 P15。↑ ビクトリーヌ・ムーランの肖像。 P58~59。
2019.09.20
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オランダに住んでいたときの部屋の中を撮った写真がありました。日付は1994年12月10日です。部屋には「フォリーベルジェールのバー」のポスターを貼り、いつも眺めていました。購入した絵画なども飾っています。色々な地域で買った土産は、オランダのイケアで購入した組み立て棚に並べました。土産類は今、田舎の家の中にある飾り棚に入れています。ムーランルージュ、クレイジーホース、リドなどのピンバッチもあります。いまだに、山登りをしたり、観光列車に乗った時も、ピンバッチが売っていれば、買ってしまいます。↑ オランダに住んでいたときの部屋の中。左上に、マネの「フォリーベルジェールのバー」のポスターが貼ってある。下には買った絵を並べている。↑ 買った絵。↑ 日本から持ってきた分解型自転車。休みになると、オランダやドイツなど、観光地を自転車で走った。黄色い布は、バルセロナのミロ美術館で買った。↑ オランダ・イケアで買った組み立て棚に、土産を置いた。↑ 左の扉には、スイス・ジュネーブのプチパレ美術館で買った、キスリングの「モンパルナスのキキ」のポスターがある。↑ 下には、絵はがきを入れたファイルが並ぶ。↑ 棚の上にある絵は、マネの「鉄道」。この絵も大好きで、ワシントンのナショナルギャラリーへ見に行った。舞台となったパリのサンラザール駅にも行き、この絵の場所はどこか、探してみた事がある。エジンバラのバグパイプ、ニューヨークのキングコング、南仏プロバンスの家の置物がある。↑ ムーランルージュとクレイジーホースのパンフレット、人形、バッジなど。↑ リド、パラダイスラティンのパンフレットと、リドのピンバッジがある。スウェーデンの人形、デンマークの人魚姫の人形、スロバキアのグッズが見える。↑ スイス・チェルマットのゴルナーグラートのパノラマ、ハンガリーの刺繍がある。↑ ドイツのビールジョッキ、各地の木彫りなど。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー日本の田舎の飾り棚に、ガラス板に区切って、国、地域別に土産を置いている。【パリ】↑ 山口の田舎に持って帰った土産。飾り棚の「パリ」の部分。↑ ムーランルージュの人形など。↑ フランス高速鉄道 TGV。(ベルギーの棚に入れている)↑ ムーランルージュとクレイジーホースのピンバッジ。↑ ムーランルージュのバッジ。↑ クレイジーホースのバッジ。↑ クレイジーホースのバッジ。↑ クレイジーホースのバッジ。↑ クレイジーホースのバッジ。↑ クレイジーホースのグッズ。↑ リドで買った、バッジセット。↑ リドのバッジ。↑ リドのバッジ。↑ リドのバッジ。↑ リドのバッジ。↑ リドのバッジ。↑ リドのバッジ。
2019.09.19
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オランダに住んでいた頃、色々な都市や美術館に行っては、絵はがきを買っていました。絵はがきの4隅を三角形のポケットシールで挟み、穴あき紙の両面に貼りました。絵はがきの下には説明文を書いています。フランスのファイルの中には、フォリーベルジェールやムーランルージュなどが写っている絵はがきも含まれています。フォリーベルジェールの絵はがきの中に、「NOBORU KOZUKI」とネオンライトがアップされている写真があり、これは宝塚歌劇団のスターだった「上月昇:こうづきのぼる」さんが、フォーリーベルジェールに出演された時のものです。1940年生まれの上月昇さんは、20歳で宝塚歌劇団に入り活躍をされます。30歳の頃に退団されますが、35歳の1975年から3年間、フォリーベルジェールの舞台で歌を歌われました。どのように歌われていたのか興味があり、この頃の映像が残っておれば、ぜひ見たいと思っています。ムーランルージュは赤い風車の絵はがきが定番ですが、ムーランルージュなどのポスター、出演者、踊子を多く描いたトゥールーズ・ロートレックの絵はがきもあります。街角で売っていた絵はがきの一部を紹介します。これ以外にも、パリの美術館にあるロートレックの絵や、南仏アルビにある「ドゥールーズ・ロートレック美術館」で買った絵画はがきも、別途ファイルしています。全部で何枚絵はがきがあるか、数えたことが無いのですが、結構沢山あると思います。国名ファイルの中は、各都市毎、美術館毎に絵はがきを分けています。日本に帰ってからも、旅行先の絵はがきを集めていたのですが、どんどんたまる絵はがきを整理するのが嫌になり、日本国内分は捨ててしまいました。しかし今思えば、残しておけば良かったと後悔しています。↑ 絵はがきファイル。「スイス①ふもと」、「スイス②山、アルプス」、「ドイツ①北」、「ドイツ②南」、「オランダ①南」、「オランダ②北」、「東ヨーロッパ」↑ 絵はがきファイル。「フランス①パリ、ルーブル、バーンズ(コレクション)」、「フランス②オルセー」、「フランス③オランジェリー、マルモッタン、ピカソ」、「フランス④地中海」、「イギリス」、「オーストリア」↑ 絵はがきファイル。「イタリア」、「ベルギー」、「スペイン」、「ポルトガル」、「アメリカ①N.Y.」、アメリカ②D.C.」↑ 絵はがきファイル。「スカンジナビア」残り2つのファイルは背表紙が無いが、ギリシャや小さい美術館の絵はがきや、シンガポール、マレーシア、インドネシア、タイなど、アジアの絵はがきを入れている。↑ フランスのファイルにある絵はがき。↑ ムーランルージュ。↑ クレイジーホース。↑ レビューの風景。↑ フォリーベルジェール、ムーランルージュ、リドの写真がある絵はがき。↑ フォリーベルジェールの写真だが、下に赤いネオンサインで「NOBORU KOZUKI」とある。宝塚歌劇団で活躍された上月昇(こうづきのぼる)さんが、フォリーベルジェールで1975年から3年間、舞台に出られた。この頃の上月さんの映像が残っていたら、ぜひ見てみたい。↑ 絵はがきのファイル。 左上はフォリーベルジェールのポスター絵はがき。↑ フォリーベルジェールのポスター絵はがき。↑ ファイルの絵はがき。↑ 「CASINO DE PARIS:カジノ・ド・パリ」のミスタンゲットのポスター。↑ フォリーベルジェールのポスター絵はがき。↑ ムーランルージュの絵はがき。↑ トゥールーズ・ロートレックの「ムーランルージュ・ ラ・グーリュ」のポスター絵はがき。女性はダンサーのラ・グーリュ(大食い)、男性は骨なしヴァランタン。↑ トゥールーズ・ロートレックの「ジャンヌ・アヴリル」のポスター絵はがき。ムーランルージュの別館であるシャンゼリゼ通りの「ジャルダン・ドゥ・パリ」で、ダンサーのジャンヌ・アヴリルが足を上げてカンカンを踊る構図。右下は、コントラバス奏者の姿。↑ ファイルの絵はがき。↑ トゥールーズ・ロートレックの「ディバン・ジャポネ」のポスター絵はがき。演芸喫茶カフェ・コンセール「ディバン・ジャポネ(日本の長椅子)」の中で、ダンサーの「ジャンヌ・アヴリル」が、ショーを見ている。左上にある舞台には、歌手のイヴェット・ギルベールのひょろりとした体と黒い手袋が見える。↑ ムーランルージュのポスター絵はがき。↑ トゥールーズ・ロートレックの「トゥループ・デ・ミル・エグランティン」のポスター絵はがき。ジャンヌアヴリルとダンサーのメンバーが、ロンドンで公演をするために作成されたポスター。↑ エグランティン、ジャンヌアヴリル、クレオパトラ、ガゼルの4人。↑ トゥールーズ・ロートレックのポスター絵はがき。演芸喫茶カフェ・コンセール「アンバサドゥール」のポスター。モンマルトルのシャンソン歌手である、アリスティッド ブリュアン。↑ 「ラ・ルヴュ・ブランシュ」の雑誌の表紙に、ロートレックの絵が掲載された。↑ サラ・ベルナール。フランスの舞台女優。
2019.09.18
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コートールド美術館に展示されている、マネの「フォリーベルジェールのバー」は大のお気に入りです。オランダに住んでいたとき、パリによく遊びに行きました。午前中は美術館巡りをし、午後はモンマルトルやモンパルナスの画廊を回ったり観光をしたり、夜はナイトショーを見るのが楽しみでした。「フォリーベルジェール」、「ムーランルージュ」、「クレイジーホース」、「リド」、「パラダイスラティン」を繰り返し見ました。きらびやかなレビューに見とれていました。ナイトショーの予約が取れなかったときは、モンマルトルにある「ラパンアジル」に行っては、歌手の歌うシャンソンを聞いていました。初めてパリに行った時に見たのは「ムーランルージュ」でした。事前に電話で予約をしたのですが、22時からのショーは予約が取れず、24時から2時までのを予約しました。初めてムーランルージュのショー「フォーミダブル」を見て、音楽とショーの楽しさに大興奮でした。夜の2時にショーが終り、すぐにホテルに帰れば良かったのですが、通りを歩いていると、「ビール一杯、安いから」と客引きの誘いに乗り、店に入りました。ビールを飲んで女性と話をしていると、いきなりテーブルに請求書が置かれ、円に換算すると、60万円相当のフラン額が書いてあり、びっくりしました。支払いを拒否して大声をだすと、別の部屋に連れていかれてドアを閉められ、大変な思いをしました。パスポートやクレジットカードはホテルの金庫に入れていたので、小銭しか財布に入れておらず、体中をチェックされましたが、金もカードも無いと言いつづけました。朝の4時くらいになり、もう店を閉めるからということで、結局何も取られずに店を出ることができました。5時頃に北駅そばのホテルに着いて、受付の人を起こして鍵を貰いました。出来事を話すと、馬鹿だなあと言われました。初めてのパリの思い出は、ムーランルージュとぼったくりの店でした。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー1)フォリーベルジェール。↑ フォリーベルジェールのポスター。↑ フォリーベルジェールのパンフレット。↑ フォリーベルジェールのエントランス。↑ フォリーベジュエールの劇場。↑ フォリーベルジェールのパンフレット。↑ おそらく一番古い、フォリーベルジェールのポスター。↑ ”Le bar des Folies Bergere" / フォリーベルジェールのバー。 マネの絵。↑ 昔のフォリーベルジェールの写真。↑ フォリーベルジェールのパンフレットに、「ジョセフィンベーカー:JOSEPHINE BAKER」の紹介が書いてあり、訳してみた。「ジョセフィンベーカーの体だが、官能的で動物のような動き、肌を持ち、そして揺れる腰は非常に激しく、大衆は目の前で襲いかかられたように感じたに違いない。彼女は最も偉大なダンサーだった。彼女の持つ素晴らしいスタイル自体が、計り知れない力だった」↑ 上記中央のポスターについて。1936年にミッシェル ジャルマシーが作成したフォリーベジュエールのポスター。ジョセフィンベーカーが踊っている姿が描かれている。彼はその後50年に渡り、フォリーベルジェールのポスターを作り続けた。↑ ジョセフィンベーカー。「彼女はいわば、時限装置付きの爆弾だ!」↑ ジョセフィンベーカーのCD。↑ ジョセフィンベーカー。↑ フォリーベルジェールのパンフレット。左下の漫画は、フォリーベルジェールに出演していた「シュバリエ:CHEVALIER」、「ミスタンゲット:MISTINGUETT」。↑ シュバリエとミスタンゲット。↑ シュバリエとミスタンゲット。↑ ミスタンゲットのCD。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2) ムーランルージュ。 「FORMIDABLE ! /フォーミダブル」というショー。一番多く通ったのが、ムーランルージュだった。ショーの内容は同じだったが、何度行っても、再び行きたくなる魅力があった。「フォーミダブル」の音楽は、耳にタコができるくらい繰り返し聴いた。今でもメロディーが口から出てくる大好きな曲。↑ ムーランルージュ。「フォーミダブル」のパンフレット。↑ ムーランルージュで購入した本。↑ ムーランルージュ 「フォーミダブル」のCD。 素晴らしい音楽。CDの女性は、ラトーヤ・ジャクソン。ムーランルージュで「ラトーヤ・ジャクソン」が歌っており、それが録音されている。ラトーヤ・ジャクソンだが、ジャクソンファミリーの一員で、弟はマイケル・ジャクソン、姉はジャネット・ジャクソン。ムーランルージュに行くと、いつも彼女がフランス語で歌っていたが、ある時から別の女性が歌うようになり、その後、「フォーミダブル」のショーが終り、別のショーがスタートした。とても淋しい気持ちになった。↑ ムーランルージュのレビュー。↑ ムーランルージュのフレンチカンカン。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー3)クレイジー・ホース。↑ クレイジー・ホースで購入した本。クレイジーホースもよく見に行った。ダンサーの女性だが、背の高さを統一するように選考されている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー4)リド。母と弟がオランダに遊びに来たとき、リドに連れて行った。開園前に、観客が舞台で踊っても良いという事で、舞台そばの観光客が舞台に上がっていた。母親が私もぜひ踊りたいと言ったことがいまだに思いだされる。↑ リドのパンフレット。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー5)パラダイスラティン。パラダイスラティンにも何度も行った。↑ パラダイスラティンのパンフレット。
2019.09.17
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2019年9月15日、上野の東京都美術館で「コートルド美術館展 魅惑の印象派」を見ました。イギリス・ロンドンのサミュエル・コートールド氏は、レーヨンの製造、販売で得た利益で、多くの印象派の絵画を購入してコレクションにしました。この展覧会で一番楽しみにしていたのは、マネの「フォリーベルジェールのバー」です。この絵は、私の好きな絵ベスト5に入っています。オランダに住んでいたときに、この絵を見る機会があり、大型ポスターを美術館で買って部屋に貼りました。当時は毎月パリに遊びに行きました。事前にフォリーベルジェールに電話をして予約をし、何回もショーを見て食事をした思い出があります。食事は2種類の中から選ぶようになっており、いつもは食べない物を選ぼうと思い、フォアグラのパテを注文していました。他の客は料理を残すのに、私はいつも完食するので、顔見知りになったウェイターの方がいつも素晴らしいと褒めてくれました。マネが描いたフォリーベルジェールは、このような雰囲気だったのだろうかと思いながら、ジョセフィン・ベーカーやジャン・ギャバンが出たと言う舞台のショーを見ていました。マネはこの絵を描くため、病気なのに何度もフォリーベジュエールに行っています。そして自宅にもバーカウンターを再現し、フォリーベルジェールからシュゾンさんという女性を呼んで描いています。シュゾンさんは画面の中央に立っているのに、鏡に映る姿が大きく右に描かれており、この絵は構図がおかしいという意見がありますが、私はシュゾンさんが正面に立っているからこそ、この絵がとても魅力的に見えると思うので、構図については気になりません。美術館では気が済むまでずっとこの絵を眺めていました。本当に幸せな気持ちでした。ずっと見ていると、シュゾンさんが河合奈保子さんに見えてくるから不思議です。脳の中では好きな絵画と奈保子さんの映像が重なっているのかもしれません。この絵の向かって左端の赤いボトルのラベルには、「manet 1882」とマネのサイン、西暦が描いてあります。左上の隅には、ブランコに乗っているダンサーの足が見えます。作家の池波正太郎さんの本には、フォリーベルジェールの事が書いてあります。特に「フランス映画旅行/池波正太郎/新潮文庫」は、読むと勉強になります。フランス映画に対する愛情がすごいです。↑ 東京都美術館「コートールド美術館展・フォリーベルジェールのバー」で記念撮影。↑ 東京都美術館。↑ 東京都美術館。コートールド美術館展入口。↑ フォリーベルジェールのバーに描かれた、モデルのシュゾンさん。↑ 鏡像の後ろ姿は、異常に右側にずれている。↑ 男性のモデルは、画家のガストン・ラトゥーシュ。↑ 秘められた物語 マネ最晩年の傑作。↑ ボトルのラベルに「manet 1882」と描いてある。↑ 白い服に黄色い手袋の女性は、マネの友人のメリー・ローラン。↑ オペラグラスで他の客の姿、衣装を見る。↑ コートールド氏の自宅を再現している。↑ マネの「桟敷席」。↑ マネの「フォリーベルジェールのバー」をずっと見ていると、なんだかシュゾンさんと河合奈保子さんが似ているように思えてくる。↑ 河合奈保子さん。↑ 河合奈保子さん。↑ 2019年8月21日 朝日新聞。↑「フォリーベルジェールのバー」のX線画像。右側の女性の姿を、何度もずらして描き直しているのが分かる。 ↑ 「フォリーベルジェールのバーのための習作」。個人的には、真正面を向いた絵が好き。↑ 2019年9月5日 朝日新聞。
2019.09.16
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河合奈保子さんのシングル曲の中で、「Invitation」は3つの指に入るほど好きな歌です。当時は夜のヒットスタジオ、ザ・ベストテン、ザ・トップテンなどの歌番組で、奈保子さんが歌う姿を見るのが楽しみでした。特に、夜のヒットスタジオで奈保子さんが飴を作った後に歌った「Invitation」は、テレビの前で釘づけになりました。青い背景に白い服の奈保子さんが浮き上がるように見え、歌もしっとりと聴きごたえがありました。【夜のヒットスタジオ】 竹内まりやさんが作った「Invitation」を歌う奈保子さん。
2019.09.15
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河合奈保子さんは、竹内まりやさんが歌った曲や、提供された曲を歌っています。手元のレコードにある歌を紹介します。1)「LIVE」(1980年12月10日発売) ・「不思議なピーチパイ」/作詞・安井かずみ、作曲・加藤和彦 (カナリーコンサート 芝郵便貯金ホール ライブコンサート)2)「サマー・ヒロイン」(1982年7月20日発売) ・「アプローチ」/作詞・作曲・竹内まりや3)「けんかをやめて」(1982年9月1日発売) ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・清水信之4)「BRILLIANT Rady Naoko in Concert」(1982年11月21日発売) ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・服部克久 (昭和57年 芝郵便貯金ホールコンサート実況録音)5)「Invitation」(1982年12月1日発売) ・「Invitation」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・大村雅朗6)「あるばむ」(1983年1月21日発売) オリコン1位。 ・「Invitation」/作詞・作曲・竹内まりや ・「ダブル・デイト」/作詞・竹内まりや、作曲・林哲司 ・「追跡」/作詞・作曲・竹内まりや ・「砂の傷あと」/作詞・竹内まりや、作曲・林哲司 ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや7)「プリズム<AngelⅡ>」(1983年12月21日発売) ・「Invitation」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・大村雅朗 ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・清水信之8)「Naoko22」(1985年7月発売) ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・清水信之 ・「Invitation」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・大村雅朗上記の内、4)の「あるばむ」はとても気に入っています。「Invitation」も良いですし、「ダブル・デイト」、「砂の傷あと」を聞くと、心は青春時代に戻ります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー1)「LIVE」(1980年12月10日発売) ・「不思議なピーチパイ」/作詞・安井かずみ、作曲・加藤和彦 (カナリーコンサート 芝・郵便貯金ホール ライブコンサート)↑ 竹内まりやさんが歌った「不思議なピーチパイ」を奈保子さんも歌う。「不思議なピーチパイ」は1980年の資生堂春のCMで、テレビで初めて聴いたとき、すぐに気に入った曲。↑ コンサート風景。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2)「サマー・ヒロイン」(1982年7月20日発売) ・「アプローチ」/作詞・作曲・竹内まりや↑ このアルバムを聞くと、夏の初めから終わりまでを感じることができる。修学旅行のバスの中では、ウォークマンに入れたこのアルバムをエンドレスで聴いていた。↑ 私の高校時代の青春アルバム。 元気いっぱいの奈保子さん。↑ 竹内まりやさんが作った「アプローチ」を聞くことができる。歌詞は、女の子にモテモテという、私の人生とは全く縁のないシチュエーション。↑ 「アプローチ」/作詞・作曲・竹内まりや。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー3)「けんかをやめて」(1982年9月1日発売) ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・清水信之↑ 奈保子しんぶん Vol.10 /昭和57年(1982年)9月発行/芸映プロダクション/芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ 「けんかをやめて」大ヒット! 発売前の前評判通り、今ヒットチャート急上昇!「『けんかをやめて』を発売前からTVで歌っていたんですけど、同じ歌手の方やスタッフの方たちが、いい歌ねって褒めてくれたんですね。発売前からそういうふうに言われるのって初めてなんです。それだけに、この曲で頑張らなくっちゃ、って思っています」と奈保子さんの弁。↑ 奈保子さんのメッセージ。↑ 「夜のヒットスタジオ」で尊敬する岩崎宏美さんから、「今度の新曲(けんかをやめて)いいわねー」と言われて大感激の奈保子さん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー4)「BRILLIANT Rady Naoko in Concert」(1982年11月21日発売) ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・服部克久 (昭和57年 芝郵便貯金ホールコンサート実況録音)↑ 編曲は服部克久さん。 曲の雰囲気が違う。↑ レコードの資料だが、奈保子さんが「けんかをやめて」をピアノで弾きながら歌う姿が、フィルムのまま掲載されている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー5)「Invitation」(1982年12月1日発売) ・「Invitation」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・大村雅朗↑ 奈保子しんぶん Vol.11 /昭和57年(1982年)11月発行/芸映プロダクション/芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ 奈保子さんのメッセージ。竹内まりやさんに「Invitation」を作っていただいたことが書いてある。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー6)「あるばむ」(1983年1月21日発売) オリコン1位。 ・「Invitation」/作詞・作曲・竹内まりや ・「ダブル・デイト」/作詞・竹内まりや、作曲・林哲司 ・「追跡」/作詞・作曲・竹内まりや ・「砂の傷あと」/作詞・竹内まりや、作曲・林哲司 ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや↑ 「あるばむ」。奈保子さんがオリコンチャートのアルバム部門で、初めて1位になった。このアルバムも、青春時代によく聴いた。特に「ダブル・デイト」がテンポ良く、好きだった。↑ 雨の窓を見る奈保子さん。↑ 美術館の絵のように美しい奈保子さん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー7)「プリズム<AngelⅡ>(1983年12月21日発売) ・「Invitation」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・大村雅朗 ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・清水信之↑ 髪を短くした奈保子さん。私は長い髪が好きだったので、見慣れるまで複雑な気持ちだった。↑「Invitation」を含む。↑ 「けんかをやめて」を含む。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー8)「Naoko22」(1985年7月発売) ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・清水信之 ・「Invitation」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・大村雅朗↑ 「けんかをやめて」、「Invitation」を含む。
2019.09.14
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1982年9月、ザ・トップテンに河合奈保子さんの「けんかをやめて」が初ランクしました。榊原郁恵さんが「先週はデータ圏外だったのに、今回いきなり10位に入り、奈保子ちゃんの歌でこんなに急上昇したのは初めて」と紹介していました。堺正章さんが奈保子さんに「急カーブを描いた原因はどこにありますか」と聞き、奈保子さんが「いやあ、私もよくわかりませんけれども」と答えると、「よくわかんない」と堺さんが言ったので奈保子さんが笑っていました。昔「紅白歌のベストテン」という番組で、色々な質問に対する奈保子さんの答えが隠してあるシートを堺正章さんがめくると、全て「よくわからない」と書いてあって、堺さんがそれを声に出して「よくわからない」と読むので、奈保子さんが苦笑いをしたことがありましたが、今回はそれを思い出して奈保子さんが笑ったと思います。奈保子さんが、「今回の歌はバラード調で、竹内まりやさんに作っていただいた」と言うと、榊原郁恵さんが「その竹内まりやさんは、今海外旅行中だけれども、わざわざトップテン宛にメッセージを送ってきていただいたので紹介したいと思います」と言い、奈保子さんは大喜びでした。「以前から妹のように可愛く思っていた河合奈保子さんに、初めて歌を書きました。出来上がったテープを聞いてまずびっくりしたのは、彼女が私の詩を良く理解し、私のイメージ通りに歌ってくれている事です。このような素晴らしい作品になった事に、一人の作家としてとても幸せに思っています。奈保子さん、トップワン目指して頑張って下さい。私も陰ながら応援しています」というまりやさんのメッセージを郁恵さんが伝えると、奈保子さんは「どうもありがとうございます」と笑顔で言っていました。郁恵さんは、「奈保子ちゃんはレコーディングをするときに部屋を暗くして雰囲気を作ったが、思わず涙がでてきたそうです」という秘話を語っていました。↑ ザ・トップテンの河合奈保子さん。↑ 「けんかをやめて」がトップテン初登場の10位にランクインした。↑ 堺正章さん、榊原郁恵さん、河合奈保子さん。↑ 「けんかをやめて」が急上昇している話が出た。↑ 堺正章さんが「急上昇した原因は」と聞いた。↑ 「いやあ、よくわかりませんけれども」と答える奈保子さん。↑ 「よくわからない」と突っ込む堺さんに、笑う奈保子さん。↑ 竹内まりやさんに「けんかをやめて」を作っていただいたと話す奈保子さん。↑ 榊原郁恵さん:「その竹内まりやさんは今海外旅行中だけれども」「わざわざトップテン宛にメッセージを送ってきていただいたので紹介したいと思います」。これを聞いて「えーっ、本当ですか!」と大喜びの奈保子さん。↑ 満面の笑みの奈保子さん。↑ まりやさんのメッセージを聞く奈保子さん。↑ メッセージを読む郁恵さん。↑ 紹介された竹内まりやさん。↑ 「トップワン目指して頑張ってください」というメッセージに、照れる奈保子さん。↑ レコーディングの時に思わず涙が流れたという奈保子さんの秘話を話す郁恵さん。↑ 「けんかをやめて」を歌う河合奈保子さん。
2019.09.13
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週刊朝日(2019年9月13日号)のP112~115に、「デビュー40周年 独占70分 竹内まりや 子育て中は河合奈保子、岡田有希子、薬師丸ひろ子、中森明菜らに音楽提供」という記事があったので、購入しました。横浜流星さんのグラビアがあったせいかもしれませんが、会社近くの本屋やキヨスクに行っても無く、東京駅の丸善で1冊だけ残っていたのを買いました。記事では、結婚して子育てをしていたころに、ほかのシンガーの方への作品を積極的に書き始めた事が書いてあります。子どもが眠った夜の時間帯に曲や歌詞を作ることにし、深夜、赤ちゃんのよだれのあとが付いたトレーナーを着て、ぼさぼさの髪のまま曲を書き、現実ばなれした歌詞を書く自分を楽しんでいたそうです。昔、TV番組で、河合奈保子さんも作曲する苦労話をされていました。作曲を頑張ろうと思って夜に鉢巻を締めて取り組むも、そんな時はうまくいかないという話でした。記事のP113には、河合奈保子さんの記事があります。竹内まりやさんは、作品を依頼されてから、それぞれの個性に合わせてイメージをふくらませ、自分の持つ音楽性の中で何を必要とされているのかを考えて曲や詩を書くそうで、薬師丸ひろ子さんの「トライアングル」や「元気を出して」、岡田有希子さんの「恋、はじめまして」の時もそうしたが、唯一の例外は河合奈保子さんの「けんかをやめて」だった事が書いてあります。「けんかをやめて」は、テレビで河合奈保子さんが歌う姿を見て、歌ってもらえたらなあ、と思いながら前もって作っていた曲です。↑ 週刊朝日(2019年9月13日号)↑ 竹内まりやさんの記事 P112~115。↑ 40周年 独占70分 竹内まりや 山下達郎とのコラボの”秘密”子育て中は河合奈保子、岡田有希子、薬師丸ひろ子、中森明菜らに楽曲提供「私は歌い手、求められる音楽、自分がつくりたい音楽のバランス大事」
2019.09.12
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竹内まりやさんは、2018年11月25日にデビュー40周年を迎えられました。1978年に歌手デビューをします。1979年には「SEPTEMBER」で日本レコード大賞新人賞を受賞され、1980年には「不思議なピーチパイ」がヒットしました。1982年には山下達郎さんと結婚され、子育てをされながら、アイドル歌手にも曲を提供されたりしました。朝日新聞「文化・文芸 語るー人生の贈りものー」で、2019年8月14日から2019年9月6日まで、竹内まりやさんの記事が15回掲載されました。生い立ちからアメリカでの留学生活、失恋、歌手活動、結婚、子育て、アイドル歌手への曲の提供、曲作り、アルバムの発表などが書かれています。記事の8回目では、アン・ルイスさんへの「リンダ」の提供、9回目では河合奈保子さんへ「けんかをやめて」を書いた事、10回目では、アイドル曲のオファーが続々来た事、特に岡田有希子さんの事が忘れられないと記載されていました。9回目の記事(2019年8月28日付)の河合奈保子さんの部分の内容ですが、竹内まりやさんが1981年で休業し、1982年4月に結婚した後、たまたま河合奈保子さんがテレビで歌っているのを見て、歌唱力があるからしっとりした曲も似合いそうだと思ったそうです。休業後に曲を作っていたとき、8分の6拍子のロッカバラードを歌ったら似合うのではとふと思い、メロディーを弾いていたら、「けんかをやめて」という歌詞が何となく出来てきました。それからまもなく、偶然にも奈保子さんのディレクターから「これまでとは違う感じの曲を」という依頼がきて、「実は・・・」と用意してきた曲を聞いてもらったら、一発で気に入っていただいたとの事で、休業後のオファー第1号になりました。奈保子さんとまりやさんは、歌手と作曲家というそのときの出会いから友人としてのお付き合いに発展し、今でもメールをやりとりしていると書いてあります。15回の記事は次の通りです。(朝日新聞 文化・文芸 語るー人生の贈りものー)シンガー・ソングライター 竹内まりや1)2019年8月14日(水)心はどこか「永遠のアマチュア」2)2019年8月15日(木)庭の石段でザ・ピーナッツ熱唱3)2019年8月16日(金)ビートルズ! 9歳の出会い4)2019年8月20日(火)出雲から米国へ 17歳の失恋5)2019年8月21日(水)歌のバイトで破格のギャラ6)2019年8月22日(木)留年し 揺れ 音楽を選んだ7)2019年8月23日(金)ミニスカにタイツ ある朝の涙8)2019年8月27日(火)事務所はNGだったけど(アン・ルイスさんの記事有り)9)2019年8月28日(水)主婦になって創作充実(河合奈保子さんの記事有り)10)2019年8月29日(木)アイドル曲のオファー続々(岡田有希子さんの記事有り)11)2019年8月30日(金)TV出なくても聴いてもらえた(薬師丸ひろ子さんの記事有り)12)2019年9月3日(火)歌詞作り まるでパズル13)2019年9月4日(水)セルフカバー 無き彼女へ(岡田有希子さんの記事有り)14)2019年9月5日(木)武道館ライブ 45歳の決心15)2019年9月6日(金)満足するより 歌い続けたい↑ 朝日新聞 2019年8月14日(水) 竹内まりやさん1回目の記事より。↑ 朝日新聞 2019年9月6日(金) 竹内まりやさん15回目の記事より。↑ 1回目から15回目までの記事。 ↑ 1回~3回。↑ 4回~6回。↑ 7回~9回。↑ 10回~12回。↑ 13回~15回。↑9回目 2019年8月28日(水)主婦になって創作充実後半に河合奈保子さんの記事有り。↑ 10回目 2019年8月29日(木)アイドル曲のオファー続々岡田有希子さんの記事有り。↑ 朝日新聞 2019年9月4日 竹内まりや ”Turntable” 本日発売!!40周年スペシャル3枚組。モア・ベスト&レアリティーズ&カバーズ!
2019.09.11
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2013年6月6日夕方、香港からシンガポールに移動しました。翌6月7日午後、シンガポールの中心部に行きました。マリーナ・ベイ・サンズの屋上に行くと、ホテル宿泊客限定のインフィニティ・プールがあり、仕切り越しに皆さんが楽しんでいる姿を見ました。私は1990年に約4カ月シンガポールにいました。1994年に妻と結婚し、約1年半、再びシンガポールで生活をします。当時はマリーナ・ベイ・サンズやガーデンズ・バイ・ザ・ベイなどは無く、その辺りを埋め立てるから、ごみは分別せずにそのまま出しても良いと住居管理人に言われ、びっくりした記憶があります。住んでいた所は、部屋にゴミのシューターがあり、部屋の中からシューターにゴミを入れると、一階のごみ集積所に落ちていく仕組みになっていました。そのゴミが、埋め立てに使われていたと思います。妻はシンガポールにいる時、英語学校に行っていましたが、授業が終わった後に学校の友人たちと飲茶をするのが楽しみで、勉強はニの次だったと言っていました。色々な種類の飲茶を安い値段で食べることができました。シンガポールからは、車でマレーシアのジョホールバルに入ったり、港から船に乗り、そのままインドネシアのバタム島、ビンタン島に遊びに行ったりしました。↑ 香港からシンガポールへ向かう途中の機内食。 シンガポールエアライン。↑ シンガポールのホテル。↑ 朝の風景。↑ 明治屋シンガポールを覗く。↑ マリーナ・ベイ・サンズ。↑ サンズ・スカイパークで、誰でも入れる展望台(スカイデッキ)部分。↑ サンズ・スカイパークで、宿泊客しか泳げないインフィニティ・プールの部分。↑ 右はシンガポール・フライヤー。左はリッツ・カールトンホテルとフロート@マリーナベイ。↑ 有名なマーライオン像。↑ シティ・エリア。↑ マーライオン像。↑ 記念撮影。↑ マーライオン像とマリーナ・ベイ・サンズ。↑ マリーナ・ベイ・サンズの中に入る。↑ ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ。 (マリーナ・ベイ・サンズの展望台から)。 ↑ 手前のドームが「フラワー・ドーム」、奥は「クラウド・フォレスト」。↑ マリーナ・ベイ・サンズの展望台にて。↑ シンガポール海峡と船舶。 海の向こうはインドネシアのバタム島。↑ 写真下の中央に、マーライオン像があり、水を吹き出している。奥の立派な建物はフラトンホテル。その奥はシンガポール川とボートキー。↑ シンガポール側の手前は、アジア文明博物館。対岸はボートキー。↑ シンガポール・フライヤー観覧車。↑ マリーナ湾にある「フロート@マリーナ・ベイ」。 その後ろは、向かって右からリッツ・カールトンホテル、パン・パシフィックホテル、マンダリン・オリエンタルホテル、マリーナ・マンダリンホテルがある。↑ シティーエリア。↑ マリーナ・ベイ・サンズの展望台。↑ プール。↑ コンテナヤード。↑ ラッフルズホテル。↑ エスプラネード・シアター・オン・ザ・ベイ。↑ プラトンホテル。↑ オーチャード通り。シンガポール・シャンギー空港。 ここから羽田空港に戻る。
2019.09.10
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2013年6月5日夕方、広州からフェリーで九龍(カオルーン)の港に着きました。移動して尖沙咀(チムサアチョイ)駅から香港島の金鐘(アドミラリティ)駅経由で北角(ノースポイント)駅にて下車し、ホテルで荷物を置きました。その後灣仔(ワンチャイ)駅に行き、近くのレストランで小籠包などを食べました。天気が良ければ山頂に行きたかったのですが、天気が悪く、時間が遅いので止めました。翌6月6日、香港は雨でしたが、午後に薄日が射してきました。中環(セントラル)の香港駅に行き、荷物をカウンターに渡しました。荷物は自動的に香港国際空港に運ばれて、飛行機に勝手に搭載されます。体一つでエアポートエクスプレスに乗車して空港へ行くだけで、手続きはとても簡単です。次の目的地はシンガポールです。↑ 港から尖沙咀(チムサアチョイ)駅へ歩いて行く。↑尖沙咀(チムサアチョイ)駅の入り口。↑ 地下鉄の中。↑ ホテルから北角駅に移動する。↑ 地下鉄で灣仔(ワンチャイ)駅に移動する。↑ 小籠包など中華料理を食べる。↑ 香港の九龍側。 あいにくの雨。↑ 香港島側。 IFCタワー2。↑ 左側に香港コンペティション・エキシビション新館が見える。↑ 宿泊したホテル。↑ 中環(セントラル)の香港駅へ向かう。↑ 中央は、セントラル・プラザビル。↑ 皇后像広場。↑ セントラルの香港駅で、エアポートエクスプレスに乗車。↑ 列車は香港国際空港に進む。↑ 走行場所が分かる。 香港、九龍、青衣、機場とあり、青衣まで進んでいる。↑ 香港国際空港。
2019.09.09
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2013年6月5日、朝起きて広州市のホテルの窓を覗くと、天河体育中心スタジアム、野球場などがありました。市内を流れる珠江(ジュージアン)や、広州タワーも見ました。午後に広州から香港に移動するため、高速鉄道(高鐡:ガオティエ)の切符を取得できるか確認すると、事前予約をしておかなければ駄目とのことで、広州市の南にある佛山(フーシャン)市の順徳(シュンデ)港まで車で移動し、フェリーに乗って香港に移動することにしました。順徳港では、予定出航時間になっても入管ゲートが開かず、本当に船が出るのか心配になりました。その後、入管チェックが行われ、予定時刻から30分遅れて出航しました。珠江口の海をフェリーは進みます。どこまで行っても、大小多くの船が行き交います。約2時間経つと、香港のランタオ島と香港国際空港が見えてきました。香港島のビル群を見ながら、九龍側の港に無事着きました。↑ 広州のホテルからの景色。 天河体育野球場。↑ 天河体育中心体育場(スタジアム)が見える。↑ バナナの木。↑ バナナ。↑ 順徳港まで、車で移動する。↑ 順徳港。↑ 順徳港で記念撮影。↑ フェリー。↑ フェリーの室内。↑ 順徳港を出港。↑ 船内で配布された水。↑ どこまで進んでも船が見える。↑ 台湾・エバグリーンのコンテナ船。↑ ランタオ島の香港国際空港。↑ 香港。
2019.09.08
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2013年6月4日、上海虹橋(シャンハイ・ホンチャオ)空港で、上海航空16:30発、広州白雲(グアンジョウ・パイユン)空港行きの搭乗を待っていました。ところが遅延マークが出たので、空港内の食堂で麺を食べて待っていました。18時を過ぎても遅延マークが消えないので、カウンターに客が集まり始め、押し問答になりました。すると、搭乗券を持っている人には弁当を配布するという話になり、カウンター横で弁当を頂きました。先ほど麺を食べたばかりなのにと思いながら、油っぽい弁当を食べました。遅延理由は良くわかりませんが、欠航になったときの対応を色々と考えていました。20時頃になると、カウンターに客が再び集まり始め、押し問答になりました。カウンターの方はどこかに電話をかけたり、客対応をしたりで大変そうでした。20時30分の少し前に、急に搭乗できるとのアナウンスがあり、やっと搭乗することができました。窓の外は真っ暗で、景色は全然見えません。機内食がでてきましたが、夕方から3回目の食事となり、食欲が湧きません。深夜の0時過ぎに着陸し、広州白雲空港を出たのが0時半です。車で市内に移動し、ホテルには1時半に到着し、2時に寝る事が出来ました。↑ 上海虹橋(シャンハイ・ホンチャオ)空港。↑ 虹橋空港で記念撮影。↑ 16時30分 上海航空 広州白雲空港行きに搭乗予定だった。↑ 上海航空の飛行機。↑ 16:30の広州行きが遅延。↑ 17時頃、空港内の店で食事をする。↑ 麺を食べる。↑ 18時頃、カウンターで弁当の配付が行われた。↑ 配布された弁当。↑ 20時頃、カウンターには客の押し問答が続く。↑ 人々がカウンターから離れない。↑ 空港内のトイレ。↑ 21時になってもカウンターから人々が離れない。↑ 押し問答が続く。↑ 急に搭乗できるとのアナウンスがあり、一斉に列ができた。↑ 正式搭乗。↑ 機内食。↑ 0時頃に広州白雲空港に着く。↑ 広州白雲(グアンジョウ・パイウン)空港。↑ 1時半頃、ホテルに入る。
2019.09.07
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上海の街で、木の根元から約1メートルの所まで白く塗られた木を見ることができます。全ての木が塗られている訳ではなく、道路に面した木々が塗られているようです。とても不思議に思いました。道路付近には、夾竹桃を沢山見ました。排気ガスに強いとされる植物なので、それが理由で植えられているのかもしれません。猛毒を持っている木なので、茂りすぎると手入れが大変そうです。↑ 木々が根元から1メートルくらい、白く塗られている。なぜ塗っているのか、何が塗られているのか興味がある。↑ 夾竹桃。細く伸びた葉が特徴的。赤や白の花が咲く。猛毒を持つ。道路のそばに沢山見ることができた。↑ 朝のホテルの窓からの景色。
2019.09.06
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2013年6月2日、上海の外灘(ワイタン)に行き、黄浦江に沿って中山東一路を歩きました。対岸の浦東(プートン)はどんどん開発されており、定番ですがビル群を背景に記念写真を撮りました。↑ 上海の黄浦江と浦東(プートン)地区。 外灘(ワイタン)側から撮影。↑ 東方明珠塔。↑ LPG(液化石油ガス)運搬船が航行。↑ 記念撮影をする。↑ 上海の外灘(ワイタン)。↑ 左は上海浦東開発銀行、右は上海海関。↑ 時計のある上海海関と、白い上海市総工会。↑ タクシーの中。↑ ラルフローレン。↑ ルイビトン。
2019.09.05
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2013年6月2日、私が上海に行った時の写真です。中国東方航空の飛行機で、成田空港から浦東空港へ向かいました。離陸してまもなく、富士山が見えます。上海では車で移動しました。遠くは霞んで見え、PM2.5の影響があるようです。しかし、この日はPM2.5の濃度が低く、いつもよりとても良い状態の日だと聞きました。↑ 成田空港で中国東方航空の飛行機に乗る。↑ 富士山が見える。↑ 上海浦東空港から車でホテルまで移動する。↑ 遠くが霞んで見えるが、この日は良く見えている日だったらしい。↑ 2010年上海万博の「中国国家館」。↑ 万博跡地の整備が行われていた。↑ 中国国家館の形だが、中華の「華」という漢字をイメージしている。↑ 上海の黄浦江。↑ 上海体育場。↑ ホテルに着く。↑ ホテルからの景色。
2019.09.04
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2019年9月1日、長女が上海に1年間留学に行くため、成田空港に見送りに行きました。上海にある大学の学生寮に娘が申し込み、受付連絡が来たにもかかわらず、振り込み画面が出てきません。大学に相談するも、システムのエラーは対応できないということで、期限内に振り込みが為されなかったという理由で、寮の申し込みがキャンセルになりました。色々と調べたりしましたが、留学の1週間前になっても、宿泊所が決まりません。結局、大学から遠くの宿泊所に予約をしました。3日以内に入金する事との連絡があり、日本の銀行に行って外国為替の手続きをしていると間に合わない可能性があります。会社の上海勤務の知り合いに相談すると、立て替えて振り込んでいただくことになりました。個人口座から振り込むと、1日振込上限がRMB10,000.だそうで、結局3日に分けて振り込んでいただきました。昔この知り合いとは、奥穂高岳、北穂高岳、八ケ岳の赤岳、千畳敷カール、金峰山、奥多摩など一緒に登ったことがあり、とても信頼できる人で、感謝しています。フライトが8時50分なので、7時前には成田空港に行き、手続きを行いました。娘は出国ゲートで別れる時、私と妻に手紙を渡し、ハグをしてくれました。その後空港ビルの屋上に行き、エアチャイナが飛ぶのを見たので、妻と家に帰ることにしました。ところが、電車で妻がスマホでフライト情報を確認したところ、まだ上海行きの飛行機が飛んでいないことが分かり、びっくりしました。理由は分かりませんが、飛行機内で1時間半待機させられ、10時半頃飛んだそうです。私が見た飛行機は、一本前の成都行きのエアチャイナでした。娘は上海浦東空港に着き、タクシーで目的の宿泊所を目指すも、タクシーの運転手が場所が分からないとの事で、雨の中降ろされたそうです。ワイファイが使えないので、道行く人に聞きまわるも、違う方向を教えられたりで迷子のようになりましたが、最後に声を掛けた方の助けで宿泊所に着くことができたそうです。夜に、妻と私は娘からもらった手紙を開けました。妻はそれを読んで涙ぐんでいました。↑ 7時頃、成田空港に着く妻と娘。↑ 壁には「東京国立博物館」の絵の紹介がある。↑ 国宝 八橋蒔絵螺鈿硯箱 / 尾形光琳↑ 重要文化財 秋草図屏風 / 俵屋宗雪↑ エアチャイナの案内所。↑ 画面をタッチして手続きを行う。↑ 長蛇の列。↑ スーツケースを渡す。↑ B.S.East (ブルースカイイースト)/ 中村哲也↑ V.O.West (バイオレットオーシャンウェスト)/ 中村哲也↑ (左側)成田国際空港 飛行機百珍図 / 山口晃(右側)成田国際空港 南ウイング盛況の圖 / 山口晃↑ 飛行機の中に温泉がある。↑ 妻と娘。↑ 娘からもらった手紙。↑ 出国ゲートに入る娘。↑ 妻。↑ 手を振る娘。↑ 8:50 西寧/成都 (XINING / CHENGDU) 8:55 重慶/上海 (CHONGQING / SHANGHAI)↑ 屋上に進む妻。↑ THE UNIVERSE / 山本容子 (ステンドグラス)↑ 成田空港の屋上。↑ エアチャイナ(中国国際航空)の2機。↑ エアチャイナ。娘の乗る上海行きかと思っていたが、成都行きだった。娘の乗る飛行機は、結局1時間半後に飛んだ。↑ 成田空港にて。
2019.09.03
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2019年7月27日夕方、西鉄福岡(天神)駅の階段をみると、「新元号にゃんこゲリオン」になっていました。「にゃんこ大戦争」と「エヴァンゲリオン」がコラボしています。高橋洋子さんは、新世紀エヴァンゲリオン「残酷な天使のテーゼ」をニャーニャー歌っていました。「時に2019年、あのエヴァンゲリオンが突如ねこ化する。人はその先にニャニを見るのか。新元号にゃんこゲリオン始動!!」↑ ネコ化した「碇シンジ」、「綾波レイ」、「惣流アスカラングレー」。↑ ソフトバンクホークス・鷹の祭典2019。↑ 松田宣浩選手の人形。↑ 松田宣浩選手。↑ 甲斐拓也捕手。↑ 内川聖一選手。↑ デスパイネ選手。↑ 最近は、博多駅内の「博多魚がし」で「とくとくセット」を食べる。1,000円未満。↑ 福岡空港。改装されて、きれいになった。
2019.09.02
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2019年7月27日午後、太宰府にあるスターバックス天満宮参道店に入り、フラペチーノを食べました。今まで何度も大宰府に来ては店を覗き、いつも満席で座れそうになく諦めていたのですが、今回は座れそうな感じだったので入りました。店は建築家の隈健吾さんが設計され、コンセプトは「自然素材による伝統と現代の融合」だそうです。店全体が木組みで囲われており、椅子に座ってそれを眺めるだけで楽しいです。↑ 太宰府にあるスターバックス天満宮参道店。↑ 店内の様子。↑ 令和「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫ず」新元号「令和」ゆかりの地 太宰府。万葉集から引用された「令和」は、明日への希望とともに、日本人一人ひとりが大きな花を咲かせる、そうした日本でありたいという願いが込められています。この「梅花の宴」を主催し、宴の舞台となった大伴旅人の邸宅ですが、太宰府政庁跡の西北に鎮座する坂本八幡神社一帯など、いくつか説があります。↑ 桃のフラペチーノ。↑ 西鉄大宰府駅。↑ 西鉄 太宰府ライナーバス「旅人」。↑ 西鉄福岡(天神)駅に戻る。↑ 西鉄改札口。
2019.09.01
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