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今日はハロウイーン。幼稚園でもパーティをやったし、今日は大忙し。昨年は「しりたがりやのジョージ」(Curious Goerge)だったけど、今年はドラゴン。 もう少し、下を向くと、ドラゴンの顔が前に向くことになるのだけど、ドラキュラの歯もつけたから、それも見せたいし・・・・。後ろをむくと 背中には羽もついているし、尻尾もあるし・・・。こんな小さな羽では飛べないけど、ダディに肩車をすれば、飛んでるようなもんだ!玄関の前には、jazk'o Lantern を並べて灯も入れて準備完了。おととい、ママとボクで小さいのを3つ、きのうはパパとボクで2つを作ったんだよ。あ、一番右の小さいのは、灯が消えちゃった!「オバアチャン、点けといてねーっ!」ボクがパパやママやグランマやアンティーと近所を回っている間に来た子には、オバアチャンがお菓子をあげてくれるの。グランパとオジイチャンとは、テレビの前に座って。オバマさんが大統領になると、アメリカはどう変るかのお話で盛り上がっています。bye, bye!!
October 31, 2008
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息子の家にいったら、ハロウイーンに備えて、父子でジャコーランタンを制作中だった。一昨年よりも昨年、昨年よりも今年・・・と、児の参加部分が多くなっていて、こういうことが大きくなってからよい思い出になるのだろうと、思った。キッチンには、ママさんと作ったというジンジャーブレッドハウスがあった。今年はとても忙しかったので、最初から作ったのではなく、部品を作って箱に入っているキットを買ってきて、プラモデルのように組み立てた由。料理好きな彼女には不本意だったかもしれないが、最近は仕事がますます忙しそうなので、こういうのを利用することも覚えてよいことだと思う。「ママと作った」ということが、心の栄養になるのだから。箱に書いてある説明書では、ドアにはオレンジ色に染めたお砂糖で蜘蛛の絵が書いてあるが、そこはアレンジして、児の頭文字のMが書いてあって、personalized gingerbread house になった。「このMはマクドナルドのMとおんなじなんだよ。」と、そんなこともうれしいようだ。 うちがカナダに来たのは、子供たちが小学生だったのだから、もっとこういうことをやってやればよかったのに、何しろ風俗習慣に不案内で、ランタンをつけて、お菓子をくばったり、配られたりくらいしかやってやれなくて、かわいそうだったかなあ・・・。息子の妻と両親や妹との会話をきいていると、子供の頃のハロウイーンは本当に思い出いっぱいで楽しそうだ。
October 30, 2008
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25日の日記に電子辞書と紙の辞書の話を書いたのだが・・・ふと気がつくと、私の周囲で電子辞書を使っているのは、日本で買ってきた日本語人か、香港や台湾で買ってきた中国語人ばかり。日本では、ヨドバシカメラでも、LAOXでも、ヤマダデンキでも私の行くその種類の店では、どこにも目立つところに電子辞書が陳列されていて、セールスの人もまめまめしく世話をやいてくれるし、私が日本で買ってきて使ってる電子辞書には、Oxford University Press のOxford Advanced Lerner's Dictionaryの7版も、入っているくらいだ。でも、思い返してみると、カナダのその種の店(Future shop とか Best Buyなど)でも、電子辞書の売り場をみかけたことのないような気がした。(ただ一ヶ所、日系の岩瀬書店だけは、日本から輸入した電子辞書を売っているけれども・・・)ONLINE shop でも electronic dictionary と検索すると、出てくるのは日本のサイトばかり。そういえば、うちの息子もその妻も、電子辞書をもっている気配はない。学校では、紙の辞書は買わせるとみえて、特に、9月の新学年の前などには、どこの本屋でもドラッグストアでも、WEBSTERの英英だの、Roget's thesaurus だの、Canadian English Dictionary だのずらりと並んでいるのに、電子辞書には・・・気がつかなかった。気になってきたので、買い物のついでに、日本でいえばヨドバシカメラのような店の店員さんに「Where do you carry electronic dictionaries?」と聞いてみたが、不審そうな顔をされるばかり。仕方がないから実物を出して、Oxford Dictionaryを開いて見せたら、WOW!とか言って、面白がって遊び始めてしまった。さあ・・・。これは、私が田舎に住んでいるからで、大都会に行くとか、大学構内のBOOK STOREにでも行けばそれなりの商品があるのか・・・・ それとも、本当にカナダ人は電子辞書に興味がないのか・・????もう少し、あちこち見回して、聞きまわってみようと思う。
October 28, 2008
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樫の実の帽子を拝借して、お遊び。 たまにゃんさん、こういう感じでしょうか?
October 26, 2008
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団栗はまあるい実だよ樫の実は帽子があるよ大事なことだよ(小島ゆかり、『月光公園』) だから、これは「樫の実」。この季節になると、木から実がポツリと落ちてくるのを待って、木の下にはダックたちがたむろしている。ガサッとか、ポツリとか、ポトッとか落ちてきた音がすると、一斉にその方に走りだし、誰かが拾ってしまうと、またその位置にとまって次の音を待つ。辛抱強く、ひがな一日、いつまでも木の下で待っている。(・・・か、あるいは、待っているのは入れ替わり別のダックたちなのか、そこは区別がつかない。)棚からぼた餅・・・ではなくて、木から樫の実?
October 26, 2008
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短歌研究8月号、小塩卓哉氏の書かれている「短歌時評」の導入部分に、・・・娘は紙の辞書を引かず電子辞書ばかり使っているので、折々に小言を言うのだが・・・という部分があって、「あれ?これって小言を言うようなことなのかな?」とふとひっかかって・・・しかし、しばしあって、「うーん、そうかもしれない」と納得した。私にとって、電子辞書は場所はとらないし、持ち運びには便利だし、字を大きくして読むことができるし、宝物みたいなものでほとんど手放したことはない。(18歳の娘さんにはともかく、高齢者にはもう、最高!)が、関連事項が一度に見渡せる点で、紙の辞書はすばらしいとは思う。(因みに、わが夫は、私が電子辞書ばかりを使うことに小言は言わないが、自分では絶対に電子辞書は使わない。)思うに、電子辞書は閉架式図書館、紙の辞書は開架式図書館のようなものではないだろうか。閉架式だと、必要な本をさっと出してもらえて楽だけれども、目にするのはその本だけ。開架式だと、そのついでにいろいろな本に出合えて、関連した興味も拡がる。使いこなし方にもよるけれども、親として教育者としての小塩先生が、「電子辞書ばかり」ということに「折々小言を」おっしゃるのは、わからなくもない。たまには開架式図書館で、本の匂いに埋もれてみるのもよいものだ。諸橋大漢和のウェブサイトのFAQにも、「電子化はできませんか?」というのがあったが、研究中ではあるが、いまのところは技術的に出来ないと書いてあった。
October 25, 2008
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週末毎に一緒にゴルフをするFさん夫婦は、積極的なオバマ支持者。もし、オバマ氏に決まれば、inauguration party に行かねばならない(招かれているのかもしれない)と大分前から言っていたが、昨日、「もう飛行機の切符を買った」とメールが来た。今朝のNY Times にもBarack Obama for President というeditorial があったし、数日前のWashington Postにも同じような記事があったし、もう決まりかな?昨日、野球の合間に夫が見ていたテレビ討論をちらちらと見聞きしていたら、いまだに「黒人の大統領」ということに抵抗を感じている人もいるようだったけれども・・・。
October 24, 2008
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母の晩年の歌。私もトシを重ねてきて、だんだんと、その心情が理解できるようになってきた。高層ビルに住みたしなどと思ひをり地よりも天の簡潔が欲し吾も亦老とよばるる身となりてひそかに思ふ在りし日の姑晩夏の光寂かにうすれゆく家居にそよぐ水引あかし君が指す妙義の峯は朝澄める空に切り立つうすもみぢして 遠くより吾をみとめて走りくる幼児は額髪風に吹かせて おのづから土に還らむ過程にて落花仄けき薫りを放つ 末の子の何憚らぬもの言ひが夕べの卓の笑ひをかもす いつしかも育ちし子らが父母の在り方なども時に批判すわが坐る席もいつしか定まりて学ぶといふは老いてもたのし 十日まり日本に在りし娘の家族あたたかきもの残して発ちぬ時に苦笑さそはれてをり娘が詠める短歌にうかぶ母吾の像書物とは広き天地に遊び得る宝と識りぬ日々をこもれば去年の夏の幸思ひ出づウイスラーの空に仰ぎし満天の星きはやかに今虹立つと添へられて遠き国よりファックス届く
October 23, 2008
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「『大漢和辞典』を読む」を読んでいる。 第一部は「『大漢和辞典』を作る」、今風に言えば Making of Daikanwa コンピュータなしでこれだけの辞典を作る過程、カードがたくさんならんだ書斎など、いちいち立ち止まって読んで、浮世離れをした時間だ。私が中学生の頃に出来上がった辞典で、学校でもこういう辞書が作られたという話は聞いていたし、最近、中国人の友人から、「Chinese Japanese Dictionary」としてゆずってもらって、縮写版は遂に自分でもゲットしていて、諸橋博士や鈴木一平氏の後書きも読んでいて、或る程度は馴染みのある内容であるけれども、ここで改めて初版が出版されるときまでに「費やされた歳月は27年、携わった人員は延べ22万2682人、費用は当時(昭和30年)の物価に換算して6億をこえていた」と、具体的数字で読むと圧倒される。戦争をはさんでの事業であることを思うといっそうである。普段、毎日の生活に追われてくらして、身の回りしかみないのが現状だけれども、こういう仕事を完成させた方が実在すると意識すると、まったく別世界からの風を受けたようなすがすがしい気持ちになる。(正直なところ、これが自分もしくは、自分の夫や子供達だったら・・・随分はらはらして、こんな暢気に感心はしていられなかったと思うけれども。)ところで、大漢和の縮写版をゲットしてから一ヶ月。キッチンとリビングの間の棚において、何かと言うと開いて見ては話題にはしているが、その豊富な用例は、私程度の教養しかない人には、生かして勉強しきれないのが実情。書道のお手本が届いたときなど、用例にもかなり踏み込むけれども、それにしても、ちょっともったいない。もし、父が元気で存命であったら、もっと利用できただろうと思うが、その一方、うちの息子たちだったら、私よりももっと利用しないだろうと思う。時代と共に、興味のありようが変わっていくのには、いかに諸橋大漢和が改訂を続けているとはいえ、抗しきれないものがあるように思ったら、早計だろうか。
October 23, 2008
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夜桜の写真が案外きれいにとれたのを思い出して、夜の黄葉の写真をとってみた。同じ木を、昼間写真にとると・・・ いつも見ている木だけれども、違う顔を見せてくれる。
October 22, 2008
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短歌8月号より初花のあさがほ見れば天人の氷花のごとし寂(しづ)かなる白われは生後二万七千日 あさがほのけさの紺いろ深潭(しんたん)のいろわれは死の何千日前? あさがほのけさ青いろ肱川のいろ朝な朝なあさがほ咲きて潤む様を天地そつ啄(そつたく)のごとく見てをり (高野公彦「がんもどき」より) 「そつたく」の「そつ」は口へんに卒業の「卒」 日本の夏には切り離して考えられない朝顔。体内時計がしっかりしていて、まだ暗くても朝がくると開く朝顔。上の四首は、26首詠の後半にとびとびに配置されていたのだが、そのことによって、全体に影響をあたえてかもし出される不思議な雰囲気に惹かれた。タイトルとなった「がんもどき」の一首は、〈原油高〉世界を走りそのせゐかわが家(や)のがんもどきが小さいで、上の二首目と三首目の間に入っていた。とつぜんに現実にちょっと引き戻されて、また突き放される感じに。
October 21, 2008
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日本から来ている知人を案内して、州立大学のアジアセンターにある新渡戸庭園に行った。日本から来て日本庭園でもないと思われるかもしれないけれども、到着して4-5日もたつと、こういう「渋い」ところが恋しくなる人が多い。これは、新渡戸稲造を記念して作った庭園だそうで、当地の日系ガーデナーの方が手入れをするほかに、盛岡からも定期的に庭師の方が手入れに見えているともきいている。紅葉の盛りには、まだもう少しという感じだけれども、秋の雨上がりの日本庭園は、しっとりと美しかった。 中央に見える石碑には、「われ太平洋の橋とならん」と盛岡市長さんの書でかかれている。 春も夏も秋も来たことがあるが、まだ雪の新渡戸公園には来たことがない。今年の冬は来てみたいとふと思ったけれども、距離は近くても雪道運転のしにくい交通量の少ない道を通らなくてはならないので、多分、見ないで終わるのだろう。美しいことは間違いないと思うのに、今から残念!
October 20, 2008
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「あ」は「安」より優しいのです最後までうわんと丸く描ききること(河治由佳)私はひらがながとても好きなので、こういう歌に出会うとすぐに立ち止まる。日本語教育に携わっている作者だそうだが、これは、ひらがなを教えているときの歌だろうか。こんな風にして、一字一字に愛情を持って書くことを教えられたら、楽しんで覚えることができ、きっと忘れずにうわんと丸く描ききることだろう。字を「書く」のではなく「描く」と表現しているところも楽しい。
October 19, 2008
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めっきり日暮れが早くなった。声がするので外を見ると、雁がわたっていくところだった。群れが小さいので、大群をなすスノーギースとはまた違った情緒がある。11階に住んでいると、飛翔が横から見られる。下から見ると同じ平面に鈎型や矢型の編隊をつくって飛んでいるようだが、横からみると、高さを微妙に変えて飛んでいる群れが多い。雁の声がするけど、どこにいるのかしら・・? あっ、あそこ。 カメラのスイッチをいれている間に、どんどん動いていってしまう!声ばかりでなく、バタバタバタバタ羽ばたきの音も聞える。 もう、あんなに行ってしまった!後ろからみると、横からみるよりも大きな群れに見える。声だけはまだ聞こえるけど、羽ばたきの音も聞えないし、羽ばたきをしている様子もみえない。 ほんとに速い!どんどん小さくなっていく。もう、声も聞えなくなった。誘いながら飛ぶのか数が増えて・・・夕空はほんのりとピンクにそまり初めている。
October 18, 2008
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血のうすくなりて臥しをり産み了へてめぐり透きゆくやうな晨(あした)をはや杳(とほ)きおもひなりけり一夜(ひとよ)明けて露草につゆ我にみどりご肌掛けのタオルかすかに上下してちひさき者は眠りゐるなり(以上三首、小島ゆかり『水陽炎』より)ああ、そうだった、本当にこういう感じだった・・・と、思い出す。その翌日の「めぐり透きゆくやうな」朝、そして、「露草につゆ」があるように、自分にみどりごがいるしあわせな気持と、責任感とで、たった一晩あけただけなのに、自然に母親であることが身についてしまう女の気持、あかちゃんの呼吸でタオルがかすかに上下しているのを見て、「ああ、生きている」なんて安心したりして・・・。ご自分が生まれたときのことを、お母さんがこんなすばらしい作品に残されているなんて、この「みどりご」さんは、本当に幸せだ。(ご本人は、まだ気づいていらっしゃらないかもしれないけれども)今日17日は、長女の誕生日。誕生日は、生まれた方にとっては記憶のない日だし、ある程度の年齢になるとうれしさもあまり感じないかもしれないが、産んだ方にとっては一生忘れられない日だ。
October 17, 2008
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この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉(三橋鷹女)今、書のお手本をいただいて練習中の一句。「この樹」は象徴としての樹だろうが、こういう気持ちで、あえて危険をおかして一歩を踏み出す激しさがすごい。規制の多かった女性の生き方を、大きく踏み破ろうとしたときの句だという解釈すると、この季節の夕景色を見ても、また、心に迫るものが違ってくる。 ついでながら・・・白露や死んでゆく日も帯締めて(鷹女) には、私の母を思った。実際に帯を締めていたわけではないが、精神的には、「死んでゆく日も帯締めて」いた母であった。
October 16, 2008
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NHKニュースを見ていたら、「振込め詐欺が増えている」とのことで、注意を呼びかけたり、銀行や警察の対策を放送していた。実は私も、東京で「お宅の息子さんの運転する車に、自分の車をぶつけられました」という電話を受けたことがある。それは、もしかすると振り込め詐欺の切り出しかもしれないと思ったので、「はあ、それで示談金でも?」と質問したらなんだかびっくりしていたみたいで、電話が切れてしまってそれきりだったけれども。私には、息子が二人と義理の息子が一人いるけれども、三人共、そのタイミングで日本で車を運転している可能性がまったくなかったので、「それで?」というようなものだったけれども、心当たりが多少でもあったら、やはり、だまされるのだろうか。孫が運転免許をとるような年齢になって、もし、私が自分で電話がとれるように元気だったりしたら・・・もしかしたら、あぶないかもしれない。きっと、その年齢になってみなければわからない心の動きというものがあるのだろう。
October 15, 2008
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木曽川の今こそ光れ渡り鳥(高浜虚子)NHK俳句で紹介された句。最初に発表されたときには、結句は「小鳥来る」であったそうだが、なるほどと感心した。これはまさに、昨日、私が経験したとおりの情景と感慨。この季節になると、アラスカから南下してメキシコまで行く途中のスノーギースの大群をたびたび見かけるのだが、昨日は、一昨日までの雨が晴れて、特にあかるく感じられる日で、きらきら輝いているフレーザー河の河口から海沿いに南に向う鳥をみながら、これからの鳥たちの旅路を思ったあの気持が、この虚子の一句に出あったときに、カチッと小さな音をたてて繋がったような気がした。「今こそ光れ」と、川にも海にも、鳥達を応援させたいような気がする雄大な飛翔だった。ちょっと拝借して、フレーザー河今こそ光れ渡り鳥と一句詠んでも、成立しそう。(日本語を理解する人口の中で、フレーザー河の名を出して、情景を頭に浮かべる人は、比率からいったらごく少ないと思うので、有効な固有名詞とはいえないが、私にとっては実景。)とりたてて俳句の「勉強」をするのではなくとも、こうやって自分の心にひびく俳句を時にふれて鑑賞していくのも、楽しいものだ。(とはいえ・・・・先週金曜の歌会では、「地名を入れ替えても成立する一首は、地名が生かされているとはいえない」という意見がでて、私も賛成したばかりなので、そのたった3日後に、川の名前を入れ替えても私の気持にぴったりくると感心するのも、節操がないのだけれども)
October 14, 2008
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NHK短歌(講師:高野公彦、ゲスト:小柳素子)今回の題は「地図」で、特選は以下の一首。星の地図足裏の地図脳の地図学ぶといふはかくも楽しき(杉田菜穂)地図の題で、普通の地図でないものをならべた楽しさと、その意外性からくる面白さを選者は言われ、ゲストも「本当に楽しい思った」由。同じ題で大勢がうたうときには、どうしても拾い上げるものが同じようになりがちだけれども、こういう地図をとりあげることを思いついたとき、きっと作者はとてもうれしかったのだろうと思う。「星の地図足裏の地図脳の地図」のどれも、あちこちで見かけるものばかりだ。私はこれを「地図」という概念では考えたことがなかったが、言われてみればなるほど「地図」。この「地図」という言葉、「マップ」(アクセントは「マ」)とか、「マップ」〈平坦アクセントの形で使われているのもよく聞く。私は「地図」というと、縮尺もちゃんとしていて、ときには等高線なども入っているものを、それもハードコピーで想像するのだけれども、「マップ」(アクセントは「マ」)だと、グーグルアースの地図や、WEB PAGEのサイトマップなどのように、モニター上のものを想像し、また「マップ」〈平坦アクセント)からは、イラスト入りの案内図のようなものを想像するのだけれども、あたっているかどうか・・・。特選作から、わが坐る席もいつしか定まりて学ぶといふは老いてもたのしという、母の作品を思い出した。宮英子氏のカルチャー教室に通い始めた頃の作品。当時の私は、「老いてもたのし」と言ってしまったのはもったいなく、その言葉を使わないで楽しいという気持ちを表現しなくてはいけないのではないかと思ったりしたのだが、今になって読み直してみると、今回の特選歌と同じで、こういう「たのし」は、それはそれで共感を呼ぶ表現だと納得できるようになっていた。私が、それがわかる年齢になったということかもしれない。
October 13, 2008
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10月3日の日記に、葉に墨がうまく乗らない話を書いたら、イスタンブールのmadamekaseさんから、「白チョークを削って粉にし、生木の表面に布でなすりつけ、油気を覆って墨が乗りやすいようにお手伝いしたことを思い出しました。葉っぱにも応用できないでしょうか。」と書き込みをいただいた。白チョークは、わざわざ買ってこなくては手元になかったのだが、ベビーパウダーでも、小麦粉でも同じことではないかと思ったので、実験。(1) バンクーバーでは、まだ紫陽花の葉が生き生きとしているので、それを3枚とってきて、写真の一番左の葉には、そのまま。真中の葉にはベビーパウダーを、右の葉には小麦粉を刷り込んでみた。たしかに、そのままだと、墨がはじかれてうまく字にならないけれども、ベビーパウダーや小麦粉をすりこんだ葉には、墨が気持よく乗って、「普通」に字を書くことができた。これからはこの方法で、板にも、樹皮にも、葉にも字を書いて楽しめそうだ。(「とのこ」というのは、こういう役目をしていたのかもしれない。)これは、これは・・・とすっかり嬉しくなって、そのまま机の上においたら、2日後には、なんと、自然の葉と油をとってしまった葉とでは、こんなに差ができました!すごい乾燥の仕方! これを見てしまったら、もう、私としては、保湿クリームを顔といわず手といわずたっぷり塗らずにはいられない心境。油って、なんとすごい役割をしているのかと、感嘆。(2)同じく、すでに赤くなった紅葉でも実験。左がそのまま、右がベビーパウダーを擦りこんだ葉。これは、もうすでに水分が少なくなっていたせいか、表面の油がとれてもたいして変化がなく、2日後に見ても、そんなに大きくはちじみあがっていない。あらら・・・。ある程度水分が少なくなってしまうと、油の膜がとれてしまっても、そんなに渇くべきものがもうない???? ・・・・ということは、私なんて、今から保湿クリームを塗っても無駄かしら???ちなみに、共同実験のパートナーである孫は、とても面白がって、お風呂あがりにベビーパウダーをつけるのにも、葉っぱのことを思い出して楽しそうだった。
October 12, 2008
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5日ぶりにゴルフ場に行ったら、白頭鷲がなにやら忙しそうに、大きな木の枝を掴んでフェアウエイの上を横切ったり、高い声で鳴き交わしたりしていた。夫の説明によると、今までの巣の上にどこかの研究所だか放送局だかがカメラをさげて、鷲の生態を動画で観察できるようにしたら、鷲が少しはなれた他の樹に新しく巣をつくりはじめて、引越し準備中なのだそうだ。そういえば、そのカメラの取り付けをすることも、そのために、電気をひくということも聞かされていたのを思い出した。実際、これまでの大きな巣の上にはなにやら黒いものがぶら下がっているのが、下からでもわかる。私たちは、テレビなりインターネットなりで鷲の生態が見られるのは興味深いとは思うし、もし、ライブ・カメラの放送が始まれば何度も見てしまうのではないかと思うけれども、鷲にしたら、とんだ迷惑であるのは、考えてみれば当然である。「もし、私の家のどこかに、私の意志にかかわりなくカメラがしかけられて、どこかで誰かが観察しているとわかったら、私だってただちに引越しをする」と、私が言ったら、そばにいたVioletさんも、So would I. と賛成してくれた。鷲は、そこまでわかっているわけではないだろうが、あんなに目立つようにカメラを下げたから、警戒したのだろう。もう少し、なんとか、目立たないようにすればよいのに・・・とか、私も、いったい、どちらの味方だかわからない。今度の巣は、これまでの巣のようにがっちりとした木がしっかり三つまたになっているところが見つからなかったとみえ、少々、頼りないほどの枝の分かれ目にあるけれども、これまでより高いところに作成中。ながいこと、同じ巣を修復しては毎年使っていたのに、気の毒なはなしだ。
October 11, 2008
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第276回 バンクーバー短歌会に出席した。(いつのまにか、もう276回!!!)今回の課題は、「人名 または 地名を入れて歌う」。たいていの人に、その人名なり地名がわかってそれなりのイメージが浮ぶ作品でなければならず、かといって、あまり普遍的だと、その名前を他のものに入れかえても通じるような作品になってしまい、思ったよりもずっと私には難しかった。最高得票を得た作品は、城下町小城(おぎ)の名物羊羹のはしつこが好き 大人の今も(T.N.)「羊羹は(小城のものでなくても)、ちょっと大事にしておいたりすると、端の方にお砂糖がたまってきて、「石衣」的風情でおいしい。 それが好きな作者が、一字あけて「大人の今も」と表記したところに、照れのような感情が伺われてほほえましくて、読後感のよい作品」というのが私の感想で、私も一票を投じた一人。「小城」は私は知らなかったのだけれども、インターネットで検索してみたら、私が時々行く武雄温泉の近くではないか!(作者にとって、小城は母方のふるさとで懐かしい土地だったと、あとから聞いた。)私がインターネットでみた時には、小城の羊羹といっても、みたところ別によその羊羹と変わりがあるようには見えなかったが、会で回覧されたプリントにあった小城羊羹は、外側が砂糖の衣を被っていて、別に古くならなくても、端の方はお砂糖の塊。ふーん、そういうことだったのか・・・と、家にかえってかあらインターネットの写真を拡大すると、なるほど、外側にお砂糖の層があるのがわかった。あ、こういうのが好きなのね、Nさんは。 普段からお世話になっているから、今度、武雄に行ったら途中下車してお土産に買ってこよう。歌の勉強をしたのやら、物産の勉強をしたのやら、地理の勉強をしたのやら、羊羹の種類の勉強をしたのやら、Nさんの家系の勉強をしたのやら・・・・???
October 10, 2008
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バンクーバー短歌会会員作品レイシズム証明するは難しく胸に溜まれるくたくたしたもの(梢)夫は右われは左が効き手にて物を置く向きいつも反対(沙羅) 日本語をたどたど話す四世の孫達のこゑ聞きつつ嬉し(すみえ)椅子ならべ屋上に見る遠花火五秒遅れて音ひびき来る(希)ひぐらしの声聞こえきて真夏日の暑さとともに故郷想ふ(とみこ)ダリの絵の溶けた時計が見えて来る時差ぼけ残る昼の眠りに(友)ひよーんひよん鳴く犬足を動かして夢を見るらし何処を駆ける(奈津)趣味を越え生花に関はり四十年フラワーデザインにわれ熱中す(虹)時折に不協和音も採り入れて心のままに弾くジャズのソロ(のりこ)夕暮れの木漏れ日の差す坂道をのぼりて通夜の教会に着く(ふみ)そろばんの珠想はせて電線に並ぶ雀子朝を囀る(みき)捗らぬ身辺整理遠き日の航空便を読み耽るゆゑ(みちこ)階段を登り点しし聖火には世界の願ひ込められてゐき(よしこ)門前に苧殻(おがら)を焚きて亡き人の霊を迎へき悪童達も(茜) かつがつの英語で暮らすカナダにて蕗と茗荷を庭畑に植う(あき)がはがはと濁声上げて子鴉は夜明けとともに餌をせがみをり(粟)水あかり乱して鮭の跳ねしより山の端白む朝となりたり(唐)
October 9, 2008
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知り合いのおじょうさんが、バンクーバーに約半年の予定で英語の勉強にきている。最初2ヶ月が英語の勉強。(English as a Second Language=ESL と呼ばれるクラス)そして、3ヶ月目の10月6日からは、留学生のためのビジネススクールに通っていて、今日は3日目。「どう?ビジネススクールはキビシイ?」と聞いたら、「ええ、かなり厳しいです。英語を勉強するのと、英語で勉強するとの違いがよ~~くわかりました」と答えが返ってきた。本当にそうだろうと思う。その内容を、「を」と「で」の違いを言うだけで十分に表現していて、センスがよい。
October 8, 2008
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NHK短歌(選者:栗木京子、ゲスト:小塩卓哉)を見た。小塩氏がゲスト出演されたのは、主催された日系文芸祭が、10月1日に開催されたタイミングとの関連だろうが、最後にやはりその話が出た。今年の大賞受賞は、8月26日の欄にも書いたけれども、週五日うすい邦字紙待ちかねる記事にあまたの百の字重く(武井貢)この作品については、ブラジル移民100年の記事があちこちに出てくるのを楽しみに読んでいる作者を想像し、移民の歴史を感じていたのだったが、今日、小塩氏のお話をきいて、私がいかに何もわかっていなかったかがわかった。小塩氏のお話は、ブラジルの移民は100年前に始まったのだが、高齢化したり、世代が変わったりして、日本語の新聞も読者が少なくなってきて、だんだんに薄くなり、発行も週のうち、5日になるという、思いの溢れた一首である。ということだった。ブラジルの日系人の短歌を、現地にまで行かれて研究された小塩氏の解釈だから、この通りに違いない。選者の栗木氏も数字を的確に生かすことによって、複雑な内容がわかりやすくなっていると評された。そうか・・・そうだったのか・・・。わたしには、下の句は理解できていたのだが、「週五日うすい邦字紙」の部分がまったく理解できていなかった。それで、大賞になる作品としての多少納得していない部分があったのだ!!たしかに、日本にいると、普通の新聞は朝夕に来て、一週間に一度くらい夕刊は休みだったりするものの、一部ずつはかなり厚いし大判である。朝刊・夕刊を丁寧に読んだら、それだけで半日すぎてしまうほどの情報量だ。しかし、なれてしまうとそういうものだという感じがして、私でも東京にいくと、当然、日本語の新聞は毎日来て、それが厚いと思っている。ジャパンタイムズのウェブページをみたら、これも日刊であり、毎日20~24ページとある。母国語でもないのに、すごい!だから、その感覚で考えたら、週5日しか来なくて、しかも薄い新聞というのは、さぞ寂しいことだろう。そして、この一首の場合にも、ブラジルには、もっとたくさんの日本語読者が居た時代には、週七日、もっと厚い新聞が来た時代があったというのが、理解の前提になっていたのだ! (もしかすると、朝刊夕刊のあった時代もあったのかもしれない)毎日新聞があるということは、郵送というわけにはいかないだろうから、誰かが配達していたということで、しかも、それは、日本語人口が、互いにあまりはなれていないところに住んでいるということだろうか?大勢で移民船に乗って、指定地域にまとまって住んで開拓をした・・と聞いているから、そういうことも想像できる。そういうことを考えると、作者や小塩氏と同じ前提でこの一首のかなしさ・さびしさを感じられなかったのは、認識不足だ。話は変わるが、バンクーバーの大きな新聞は、The Sun と The Province 2種類があるが、どちらも週6日の発行で、平日でも決して薄くはないし、週末はどさっと厚いけれども、広告が多くて、日本の全国紙にくらべたら、内容は少ない。新聞というのは、日本を一歩出ればそういうものだという感覚ができているのだから、邦字新聞が週5日で少ないとはまったく思わなくなっている。まして、現在、週1度発行されている邦字新聞のバンクーバー新報は、1978年創刊だから、私が来たころはまだなくかったし・・・。 (歴史的には、田村俊子の夫君が記者をしていた新聞があったらしいが)歌の解釈は、とかく「海外では」とか「日本では」という形で括られがちだが、とんでもない。今日のお話をきいて、「海外」はけして一つに括れるようなものではないのを、再認識した。世界がこんなに広いのに、そしてそのことには気をつけていたつもりだったのに、何時の間にか、「カナダ(それも、バンクーバー近辺)の感覚」を「海外の感覚」と言う風に思い違いしてしまう、あるいはそれしかわからなくなってしまう、「カナダの井戸に入った蛙」に、自分がなってしまったことが情けない。そうなんだ・・・・。そうだったのだ・・・・と思いながら、番組を見終わった。どうも、カナダの井戸は予想より深いらしい。
October 6, 2008
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ここ3日ほど雨が降ったりやんだりした後の秋晴れ。あちこちに、いろいろな茸が顔を出していたが、なかでも一番かわいらしいのが、ベニテングダケ。動画にでてきそうな鮮やかな色をしている毒キノコ。この茸が見られるようになると、もう、楽しくゴルフのできるシーズンも終りに近い。(あとは、雨と寒さと、軟弱なフェアウエイに耐えながらの我慢比べです。) きっと、今週あたりは、松茸もたくさん採れはじめて、値段が下がるのでは?
October 5, 2008
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私が子育てをしていた頃、小さい男の子は「大きくなったらパパみたいになって、ママみたいな人と結婚する」とか、女の子は「大きくなったら、ママみたいになって、パパみたいな人と結婚する」とか、一回か二回くらいは言うのが普通だったと思う。で「パパはママと結婚してるんだよ」とからかうと、失恋したような顔をしたりして。(私が子供の頃の父親は威厳がありすぎて、簡単には近寄ったりできなかったから、まさかまさかにそんなことは夢にも思わなかったけれども)とこで今日突然に、孫(男の子、四歳)が「明日、ママと結婚するんだ」というから、「ほら、きた」と思って「だって、ママはパパと結婚してるのよ、もう」と言ってみたら、「That's OK. パットおじさんだって、二度結婚したけど、大丈夫でしょ。ママだって二度は結婚できるんだ」ときた。たしかに・・・・彼の母の弟は、先週二度目の結婚をしたばかりで、彼も結婚式に行くために、初めてネクタイをしめたりして、興奮していたっけ! どうして、それがおじさんの二度目の結婚だと知ったのかわからないが、おじさんが二度も結婚したということで、彼の気持ちはすっかり明るくなったみたいだ。そうそう、わが孫よ。エリザベス・テーラーさんなんて、二回の何倍も結婚しているんだから、二度くらいなんでもないかも知れないね・・・ママも。大真面目の彼に思わず笑いそうになるのをぐっと我慢した私は、「今の言葉を録音しておいて、反抗期になったら聞かせてやりたいものだ」とひそかに思った。
October 4, 2008
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孫が、落葉にクレヨンを塗ったり、落ち葉の形を画用紙にとったりして遊んでいるので、私もまけずに・・・・ 生きている葉には油分があるのか、なかなか墨がつかないが、落葉には墨が乗って楽しい。(照葉樹の方が、しっかりしているし、墨の乗りもよいようだ。)おばあさんが孫のお守りをしているのか、孫がおばあさんのお守りをしているのかわからないけれども・・何はともあれ、秋!
October 3, 2008
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「中国系のTea Houseが、お宅の近くにあるので行ってみませんか?」と短歌のお仲間に誘っていただき、興味津々で出かけた。ドアをあけると、「昭和の日本」といいたくなるような、木製のテーブル椅子の客席が、かなりたくさんある、ちょっと薄暗い感じの落ち着いた店。午後1時開店の1時10分過ぎくらいだったので、先客は誰もいない。なんとなく、懐かしい感じで席についたら、まず出てきたのが「水」ではなく「白湯」とメニュー。雨の日で少し肌寒かったので、白湯がほのぼのとおいしかった。で、開いたメニューが面白い。なんだか悪いような気がして写真はとれなかったが、TEA HOUSE ではあっても、TEAよりCOFFEEの方が人気のあるカナダらしく、まず、最初はコーヒー。その次が、普通の紅茶。産地がちがったり、紅茶の種類がちがったりで、まあ、「色々そろえて有るなあ」程度の印象だが・・・その後がまあ・・!ヤクルト入りの紅茶とか、ミルク入りの緑茶とか、小豆に豆腐がはいったお茶(英語ではSUOPとなっていた)とか、果物茶(これは、どうやら果物を煮たものに、お湯を注いだような感じ。柚子茶だけには馴染みがあったけれども)三人で行ったので、「それぞれ別のものを注文して、ためしましょうよ」ということで、用心深いAさんは、わりと普通の感じのする紅茶。Bさんはパッションフルーツ・ティー(だったかな?)。私はレモンとプラムのティーを注文。運ばれてきたお茶は、コーヒー茶碗に3杯分くらいが入る大きさのガラスのティーポットにそれぞれ入っていて、他に人数分の紅茶椀と、白湯の入った大きな土瓶が一つ。私の注文したレモンとプラムのお茶は、レモン1個分くらいを薄い輪切りにしたものと、紹興酒などを飲むときによく出てくる甘い梅干が6個と、小さなティーバッグに入った中国茶がお湯に浮いている。カップに入れてみると、最初はとても甘くてすっぱくて、それから塩分もかんじられ、もしかすると、ジンジャーも少し入っているかしら・・・。おいしいような、おいしくないような、でもやっぱりおいしいような・・・で、なんと表現してよいかわからない。(短歌で訓練をしているのだから、そういう表現くらいできてもよさそうなものだが・・いざという時には役に立たないものらしい。)紅茶碗一杯のみおわると、自然に白湯のポットに手が伸びる。Bさんの注文したフルーツ・ティーは、だいだい色の果肉が二センチ角くらいに着られてポットの中に浮いていて、お湯もそんな色になっていたが、これもずいぶんお砂糖がはいっているのか、あるいは、果物がお砂糖で煮てあるのか、とてもとても甘い。柚子茶だって、瓶詰めはうちではジャムとして使っているくらいだから、これもお湯との比率次第では、こんなにはべっとりしないかもしれないが、やはり、大きなポットに白湯が出てきているわけが頷けるような味。(私の好みとしては、レモンとプラムのティーには少し負ける。)これと同じものをうちで再現するにはどうするのかなあと、思わず、テレビのレポーターのような表情になって、三人で顔を見合わせる。Aさんは、両方を少しずつためしてみて、「口直しにこっちもどうぞ」と、私にも飲みなれた紅茶を分けてくださる。たしかに、それが一番まともだったけれども、やはり、クイズみたいなお茶を飲むのも楽しい。帰宅してから、諸橋大漢和で、「茶」をひいたら、1 茶の木2 飲料に供する茶の芽3 煎茶4 草木の葉を煮て飲むもので、あまり当てはまるような意味がない。ついでに、ランダムハウスで「TEA」をひいたら、第五義に、茶と同じように飲料に用いる他の植物の葉(花など);それらの植物第六義に、5でいれたお茶(煎じ薬)という意味があったから、そのあたりが拡大解釈されたのが、今日のんだTEAかもしれない。この日記をUPして3分後にみたら、もうハーブティーの広告がついていた。やはり、楽天の広告はすごいシステム!!
October 2, 2008
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スーパーでサンドラさんにばったり会った。週末に夫婦二組でゴルフをした時には、「明日から二人でウイスラーに行くのよ。風邪気味なのにやんなっちゃうわ」とうれしそうにこぼしていたし、夫君の方も「腰が痛むのだけど、約束だから」なんて、これまたにこにこと文句を言っていたのに、どうしたことか?私:「ウイスラーじゃなかったの?」サンドラ:「それがねえ・・・。主人が、アメリカの株が下がったことで、会社から緊急に呼び戻されたので、ウイスラーの方はキャンセルしたの」そ、そうか。やっぱり・・・。サンドラさんの夫君は某大会社の財務担当重役だったが、今年になって退職したばかり。「退職していてよかった。在職中だったら、こんなことがあったら毎日徹夜だっただろう」と話していたばかりなのに気の毒だけれども、優秀な人には何かが見えているのかもしれない。それにしても、自分のお金以外のお金を運用するという立場は、あまり羨ましくない。
October 1, 2008
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