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私の身長は、156.5センチ・・・と計ってもらったのは、何年前のことだっただろう。50代の頃だったかもしれない。でも、とにかく、それを基準として、運転免許証にも、パスポートにも、156,5センチと記入してきたのだが・・・・・今日、三年に一度の骨密度テストを受けにいった時、問診票に身長体重を書き込むところがあったので、迷いもなく、156.5センチと書いていたら、技師の女性が「あなたを信じないわけではないけれど・・・」みたいに、冗談めかして言って、身長をはかりなおした。で、彼女が記入しているところを覗いたら、152.5センチですって!!思わず「え~っ!」と言ったら、「まあ、この計測器ではそう出てるわね。機械によって違うこともあるけど・・・・。もう一度、乗ってみる?」といって、計りなおしてくれて、「ほら」と目盛を見せてくれたら、やっぱり、152.5センチ!!!!! ショック!「背中をピンとしたら、もう少し高くなるかもしれないから、もう一度計ってみる?」と悠長なことを言ってくれたので、「yes, yes」とお願いしたら、153センチまで伸びたけれども・・・・・それにしても、3.5センチ縮んでいる。薬も飲んでいるのに、骨粗鬆症が、進んだかな? 加齢もあるし、自然の成り行きなのだろうが、まさか、こんなの小さくなっているとは!!!パスポートも、運転免許証も、みんなウソになってしまった。
January 31, 2014
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達者にて疲れ知らざりし七十代過ぎてしまつて気付く阿呆よ(宮英子 『西域更紗』)作者八十代の作品。さらに九十歳をすぎたころには、「九十になってみると、八十代がいかに若かったかわかります」とおっしゃった。それにしても、七十代で「疲れ知らざりし」とあると、少々ひるむ。私の場合など、「あああ、やっぱり年齢はこういうところに出るのだなあ」と思うところしきりだし・・・。 それとも・・・・ こんなのは、「疲れた」には入らないくらいの「疲れ」が八十代にはまっているとでも?? お元気な歌で、ちょっと読むと励まされるような気になるけれども、よく読むとお先まっくら??過ぎてしまって気付いて詠まれた作品を、未経験のこととしておそるおそる読むと、ニュアンスが違ってくるのかもしれない。その時にならなくてはわからないことが、たくさんありそうだ。
January 29, 2014
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暮れに、息子一家と富士急ハイランドに行って、レストランに入ったら、富士山カレーというのがメニューにあった。少し深めのお皿の中央に、ごはんの富士山ができていて、その周りにカレーが入れてあり、さしずめ、溶岩という趣向?それがすっかり気に入ってしまった四年生の孫(息子にとってはその息子)ために、パパさん(私にとっては息子)が「富士山カレー」をうちで作ったと、自慢して写真を送ってきた。お店の富士山カレーは、もっと山がシャープだったけれども、これだって、なかなか上出来。子供には、食欲をそそられるランチだったろう。では、こちらも何かお返しの写真をおくらなくては・・・と、食べようとしていたトーストで、富士山を作って、写真にとって送った。手前のごろごろしているのは、煮物にしようとしていた椎茸を、ちょっと流用したもの。おばあちゃんなんだから、多少、本格的にしようと、雪はアイシングシュガーを、茶漉しでふるって降らせた。母が生きていたら、「食べ物をおもちゃにしてはいけませんっ!」とか叱られたかもしれない。
January 28, 2014
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一昨年の11月末、旭川で雪に降られて、急遽ブーツを買った。カナダも結構寒いので、私としては重宝しているし、気にいっている。ところで、今日、うちの近くのショッピングセーターの、中国人がやっている衣料店の店先の、「50%引き」と書かれた札のついたラックに、ヴエストがたくさんかかっていた。手持ちのヴェストがないわけではないのだが、50%引きという言葉に魅かれてちょっと目をやったら、上記の「旭川ブーツ」と同じような色の無地で、同じくらいの大きさの白の水玉模様の組み合わせのヴェストがあり、思わず立ち止まってしまった。試着したところ、とても軽くて、着心地もよい。サイズは、大分大きいのだが、ま、それなりの着方をすれば、腰まで包まれるので暖かい。「買っちゃおうかな・・・・。よし、買っちゃおう」とその気になって、それでも縫製を確かめようと、裏返したりして、よくよく見たら・・・あら、なんでしょ、このマーク。一見、ユニクロ だけれども、ユニクロではない。わずかに違っているが、ユニクロ風。そういえば、こういうヴェストが、日本のユニクロにもあったっけ。しかも、この50%引きの値段が、日本のユニクロだったら正価くらいの値段・・・だからちっとも割引きでない。(日本円で3000円程度)ま、ユニクロの製品は、もともと中国で縫製しているのだし、中国に出店もしているのだから、これを偽物というのかどうかわからないが、ユニクロを、ユニクロ以外の普通の店で売っているという話は聞いたことがない。なんなんだろ、これ。「こういう製品を買う人がいるから、うさんくさい商品が出回るということになる」と思って、しばし自分の良心とたたかったのだが、やはり買ってしまった。私もよくないな・・・。
January 28, 2014
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孫の行っている日本語学校の、50周年記念誌をいただいた。50周年と言っても、さらにそのそ前身があったようで、ページをくっていくうちに、初代校長高嶋信太郎ご夫妻の1911年発行の旅券のカラー写真が載ったぺ―ジがあったのには、びっくりした。「高嶋伸和氏提供」と書いてあったから、お宅で、大事に保存されていたのだろう。ウィキペディアでみると、1866年5月21日(慶応2年4月7日)日本初のパスポート誕生、当時は「ご印章」と呼ばれ、学業・商業のみの利用制限であった。留学経験者やフランスの役人の話を元に、1枚の和紙に墨で書かれた。写真の代わりに、容姿の特徴が書かれてある。とあるが、さすがにそれよりは、公用書類らしい体裁である。写真も添えられている。1900年(明治33年)6月4日 「外国旅券規則」が制定され、根拠法令の名称が「海外旅券規則」から変わった。とある時代に、この規則のもとでつくられた旅券だ。特徴は1)夫婦で一枚の旅券。写真は二人が一緒に映っているが、現在のように上半身の真直ぐ向いた顔のはっきりわかる・・・というものではなく、一人が立って、一人が腰かけて、写真屋のスタジオでとったと思われる洋装の写真。奥様は大きな帽子をかぶった姿。2)旅券自体は、一枚は日本語のもの、もう一枚は、上半分が Translation とした英語の横書き、下半分は Traduction としたフランス語の横書き、そして左側の端に縦書きで、英語の部分とフランス語の部分両方にかけて、「譯文」と断って、漢字の一行書きがある。私でも、だいたい意味がわかるところを見ると、これは中国語ではなく、日本語の漢文だろう。(今のパスポートにはフランス語の記載はない)譯文任憑旅行無阻如有緊要事即請沿途各官加意照料善為保佑3) 英文は、今のものと同趣旨ではあるが、やはり、時代の違いを感じる。高嶋夫妻の、明治時代のパスポートの英文The competent authorities and all whom may concernwe requested to all the above named power presenting British Canada to pass freely without hindrance and to give said person such protection and assistance as may be requested. Count Jutaro Komura The Imperial Japanese Majesters Ministry of Foreign Affairs私の現在のパスポートにある英文The Ministers for Foreign Affairs of Japan requests all those whom it may concern to allow the bearer, a Japanese national, to pass freely and without hindrance and , in case of need, to afford him or her every possible aid and protection4)日本語文の違いも興味深い。高橋夫妻のパスポート(縦書き)右ハ、小學校教員トシテ、赴クニ付通路故障ナク旅行セシメ且必要ノ保護扶助ヲ與ヘラレン事ヲ其筋ノ諸官ニ希望ス 日本帝國外務大臣正三位勲二等伯爵小村寿太郎現在のパスポート(横書き)日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸国に要請する。 日本国外務大臣 (外務大臣の印)現在とちがって、明治のパスポートは、外務大臣の名前入りであった!もっとも、今とちがって、一つの旅行について一つのパスポートだったから、それができたのだろう。それにしても、その外務大臣が あの日露戦争のときの、小村寿太郎伯爵, Count なのだからすごい!・・・・というか、歴史上の人物が俄かに現実の人物の印象を帯びてきた。パスポート発行の年が1911年1月4日、小村寿太郎の没年が1911年11月26日であるところを見たら、かなり晩年になっても外務大臣をされていたこともわかった。(おまけに、命日は、私の誕生日と同じ・・・というのは余計な話だけれど)5)そして、最後になったけれども、一番感動したのは、明治末の日本に、想像もつかないほど遠いカナダに、小学校の先生として、赴任しようとした29歳と30歳の夫妻がいたこと。その意気や感ずべし・・・と、こちらまで漢文調になってしまう。また、写真でみると、今日の29歳・30歳とちがい、数え年だから、28歳・29歳の年齢であったのに、「大人びた」と言ったら失礼だが、MATUREな感じのご夫婦が写真に残っている。いったいどういう方だったのだろうか・・・・。
January 27, 2014
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財団法人 新渡戸稲造基金で出している「新新渡戸稲造の世界」第22号の巻頭論文の一つとして掲載された、唐木浩氏の「二つのJに生きた先人『新渡戸稲造覚書』」を読んだ。(ちなみに、「二つのJ」とは、Japan とJesus のこと)唐木氏は、バンクーバー短歌会のお仲間の一人である。ご本人は、この文章は、参考文献をあげていないので、論文の態をなしていないとご謙遜だが、私には読み応えのある論文であり、まなぶところが多かった。たとえば、「われ太平洋の架け橋とならん」という博士の有名な言葉。バンクーバーの新渡戸ガーデンには、この言葉を書いた碑もあり、私にもなじみ深い言葉だが、この「架け橋になる」という意味。唐木氏は、「橋を架ける」と違い、「架け橋となる」というのは、身を呈して、踏まれても汚れても 両者のつながりのために尽くすということだと書く。なるほど、「橋になる」というのは、壮絶な覚悟である。実は、私の旧姓は、大橋。苗字を許される時代になったとき、ご先祖さまが住んでいたのが、たまたま大きな橋のそばだったので、暢気なご先祖さまが、「じゃ、大橋にでもしようか」とつけた苗字だろうなどと思っていたのだが、もしかすると・・・ 大きな橋として、身を呈して社会に尽くそうという心意気のご先祖さまだったか????? ・・・・・というのは、余談というか、むしろ、妄想だけれども、もし、万が一、そういう意味の名前だったらと思うと、今のような生き方の私は、ほんとうに恥ずかしい。また、新渡戸博士は、下田に唐人お吉の地蔵を立てたと書いてあった。外国人との交流の犠牲になった自分の母と、お吉を重ねて、その供養のための建立だったという。とはいえ、新渡戸博士は、クエーカー。 なのに、お地蔵さま? と不思議だったので唐木さんに伺ってみたら、ほんとうのキリスト教というのは、そんなに狭い了見のものではないそうだ。そういえば、唐木氏自身、キリスト教者であるのに、仏教に関しての造詣も深いようだ。そして、その歌評からも、「ひきだしの多さ」「知識の深さ」をうかがわせられるので、皆がいつも楽しみにしている。
January 26, 2014
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今日は、とても霧が深い日だった。 海霧らしく、海の方向に向かって行くと、道路が途中でなくなってしまうような錯覚がおきそう。なので、海に近いゴルフ場では、人がふわーり、ふわりと影絵のように動くのが見えるばかりの white out高さ的には、地表を少し離れると、地上よりももっと霧が濃くなるようで、たとえば、うちのマンションは、この右側の奥にあるのだが、この写真では、神隠しにあったように、まったく見えない。で、そのマンションから下を見ると、下にはまだ明かりがついているので、まったく見えないことはないのだが、ぼやーっとしてしまっている。窓を開けると、港からの霧笛がひっきりなしに聞こえてくる。霧笛というのは、同じ高さの音でなるものだとばかり思っていたが、いろいろな音程で鳴っているようだ。それぞれに、何か意味のある通信手段なのかもしれない。
January 26, 2014
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美しく日が落ちた次の朝は、よい天気の続きで、またすばらしい夜明。シルエットになった山の向こうの空が、色づいてくるころの時間が、なんとも言えない。南の空には、まだ消えのこった月も白い。小さい写真でみると、まるで、白い汚れのようだけれども・・・・・ 実際には、さえざえとした上弦の月。ピリッと寒い空気も、朝は気持ちがよい。(寒ければ、すぐに部屋に入れるという贅沢が許されているからかもしれないけれども。)
January 25, 2014
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やっと霧がはれたら、西の夕焼けのおすそわけで、東の空と山がうつくしかった。うちは、夏の西日を避けようと東向きの部屋に住んでいるので、家からは夕焼けが見えない。ちょっとどこかに出れば見えるのだし、事実、昔はよく日が沈むのを見に行ったりしたものだが、寒いとだんだん怠け心が優勢になり、「東の空でも十分美しいね」などと、話すようになってしまった。よいような、わるいような。
January 24, 2014
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バンクーバー短歌会 会員作品 梳くほどもなき白髪を撫でおさめ早めに出向く忘年会へ(のぼる) 白黒の「ゲルニカ」の絵に向き合へば見えないはずの赤が見えくる(のりこ) 折からの寒波の朝を 黒き栗鼠フェンスの上を子連れで渡る(ふみ) 日の暮れのかげ忍びよる部屋隅にまなこ洞ろの埴輪像立つ(みき) 東西を隔てし壁に手をふれる夕陽に温き硬き灰色 ( ベルリンにて) (希) 山鳩の寂さびと鳴く樹の蔭に初春いはふ家持の歌碑(粟) 故郷の小城羊羹を食む母は子供のやうな笑みうかべたり(幾代) 心臓に匕首(あひくち)刺さりたるごとき思ひのままに今年も暮れぬ(柏原草太) 不漁日の桟橋叩く波裏にゼニガタアザラシ飢ゑて群れなす(唐) ライトアップされたる木々は池の面に燃え立つごとき紅葉映す(*君子) 朔日に母を偲びて赤飯を蒸かせば湯気に故郷の顕つ (さだ) 世を去りて一年経ちし友の碑を初雪おほふ白絹のごと (沙羅) あと少し無事に過ごしし一日を書き残したし我が日記帳(すみえ) 空港の喧騒にゐて携帯の番号だけで人とつながる(節子) 三年(みとせ)経て均されてゐる被災跡近づけば破片あまた埋まる(奈津)素朴なる会話をかはし逝きし子の頬のあたりをそつと撫でやる(虹)
January 24, 2014
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国際航空郵便用の切手を買いに行った。すでに、農暦の正月が近くなっていたので、切手のデザインは今年の干支の馬。毎年、華やかな干支の切手は出るのだけれども、今年の馬は、白字に金一色で、はねようとしている、前半身のシルエットでえがかれ、まことにすっきりとして、GOOD!カナダでは、毎年、郵便物が減って、郵便局の赤字が増えているので、今月に郵便料金が値上げになったあと、3月にはもう一度値上げされて、国際郵便h葉書も封書も、最低料金が2ドル(約200円)になるという。日本の郵便では葉書70円、封書110円なのに、大分、高い・・・・ しかも遅い。その上、これから五年間かけて、だんだんと各戸への配達から、集合ポストへの配達に切り替えていくのだそうで・・・ ますます、不便になりそう。かく文句を言う私も、郵便を使う量は少なくなっているので、郵便局の赤字増大の一端を担っているわけで・・・・
January 21, 2014
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日本からの飛行機の中で読んだ新聞に、井の頭公園の池の水を いったん抜いて、掃除をするという話がでていた。水が汚れてきたことと、外来種の魚が多くなって、古くからいた、日本種の生物が少なくなって、その生態系が崩れてしまうことについての対策だという。なるほど・・・・ と、感心して読み終わり、新聞を閉じてみると、にわかに「おやっ?」っと思った。バンクーバーの人種分布の話だ。カナダに昔からいたのは、ファーストネーションの人達だ。それが、アジアから来たエスキモーの人たちが増えたことで、すでに人間の生態系が変わってきている上に、ヨーロッパからきた白人たちが、更に増えた。我々のような日本人も来ているし、アメリカ人も、インド人、東欧人もいる。まして、中国系の人ときたら、私の住むリッチモンド市では、60%以上を占めると言われている。これは、生態系の変化だ。これが困ったことだといって、ファーストネーションの人は騒いだりはしないが、白人の人のなかには、「風と共に去りぬ」の中で活躍したKKKが現実にあったりする。井の頭公園的思想で言えば、私なども、カナダでは、「人間としての生態系を壊すから、殺す」と言われてもしかたがない??東京だってそうだ。もともと、東京に住んでいた人に出会うよりも、東京以外の出身者の方が多い感じがする。「ご出身は?」なんて挨拶も普通にするくらい。日本人同士とはいえ、生態系は変化していますが・・・・と思ってくると、「生態系が変化する」として、その維持の努力をするのがよいことのように言われているけれども、それはもしかすると、自然の流れに逆らっているだけのことではないのだろうか?少なくとも、私は、カナダの人種構成をくずす一端を担っているからといって、それだけの理由では殺されたくない。
January 20, 2014
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ながいこと、バンクーバーを留守にしたけれども、やっと帰着。日曜日だったので、息子が子連れで空港に迎えに来てくれてほっとした。鉢のプラントは、長い留守に備えてほとんど処分し、水やりの回数が少なくてすむサボテンや胡蝶蘭だけを残しておいたら、息子と孫が水やりをしてくれたそうで、リビングルームで、華やかに花を咲かせていた。疲れているはずなのだけれども、まだ緊張しているせいか、あまり疲れを感じないま、なんとか数日中には辻褄を合わせていけそうな気がする。
January 19, 2014
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その方面に用事があったので、ちょっと足をのばして、両親と姉と私で住んでいた家のあたりがどんな風になっているか見てきた。「玉電(いまの「せたまる」)の世田谷駅を降りて、北に向かって歩き、右側13軒目」というのが、当時、家に案内する時の説明言葉だったが、すっかり変っていて、その面影もない。道の巾も、当時よりずっと広くなり(ということは、多くの人が立退いたということで)、駅前の同級生がいたお茶屋さんも、いつもノートを買いにいっていた文房具屋さんも、やさしいおじいさんのいた駄菓子屋さんも、一年上のお兄さんがいた布団屋さんも、同級生が時々お店にでていた写真やさんも、八百屋さんも、酒屋さんも、み・・・・んななくなっていて、新しいお店や、診療所になり、さらに我が家のあった一角は、皆マンションになっていた。道路の向かい側から撮った下の写真の真ん中のマンションがもとの私の住んでいたところ。もっと以前は、向かって左側にあるマンションの場所にあった庭の広いお宅のおじいさん・おばあさんが住んでいらいした隠居所で、両方合わせると、土地の広さは300坪だったのだが・・・。むかって右側のマンションは、ずっと以前は麦畑で 冬になると、おじさんがよく腰に手をあてて麦踏をしていた。うちとの間の塀のあちら側には、ケヤキが何本か並んでいて、うちの二階まで木陰を作ってくれていた。 夏になると、麦畑はとうもろこし畑にかわり、ケヤキには蝉が朝から晩までないていて、よく男の子たちが、蝉取りに来ていたものだった。その畑が2階建の木造アパートになってから数年後の1988年、一人になってしまった母はここを売却して、マンションにうつった。それは納税のためでもあったが、今の流行語で言えば、母なりの「終活」でもあったのだろう。本当にみんなが入れ変ってしまった中で、この私道の奥にあるTさん宅だけは、以前のままの一戸建て。大会社で偉くなった「おにいさん」が、家をついでちゃんと残っていると聞いていたが、その通り!話にならないぐらいドカーンとかかった土地の相続税を払えたのは、このお宅だけだったのだろう。そういえば、竜宮城から帰った浦島さんも、きっとこんな感じで、故郷を眺めたにちがいない。両親も姉も他界して、私も白髪が多くなっているし・・・。ま、長く生きていればそういうことだ。
January 16, 2014
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羽根木公園の梅の蕾が膨らんでいると聞いたので、でかけてみた。羽根木公園は、世田谷区羽根木町にあるので羽根木公園と呼ばれるようになったのだろうが、以前は、根津さん所有の山だったので、根津山と呼ばれていた。この根津山に隣接する中学に、私は通っていたのだが、当時は、まだ、根津山には防空壕のあとがたくさんあって、荒れたままだった。梅の木があったかどうかの記憶はないのだが、少なくとも、今のように整った梅林になってはいなかったと思う。(これは、時代とともに豊かになった世田谷区の仕事?)ただし、国語の先生が作詞された校歌が、♪むさしのの しら梅かおる 丘の辺に♪で始まるところを見ると、どこかに梅はあったのかもしれない。白梅ばかりでなく、紅梅も咲き始めている!
January 15, 2014
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根津美術館で「和歌を愛でる」という展覧会をやっているというポスターを見たので、出かけて見た。最近、大改装があったそうで、ととのったけれども、かといって、かつてのしっとりとした雰囲気を失っていない美術館で、ゆっくりと、平安仮名でかかれた和歌を見るのは、命の洗濯だ。おしつけがましくなく、歴史をこえた作品たちが、ならんでいるのがよい。私は、短歌を詠むようになってから、今の時代にはやはり、今の短歌が、今の人に読めるような書き方も必要だという気持ちになってきて、少し平安がなからは遠ざかっているのだけれど、筆のこまやかな動きや、墨の濃淡の美、料紙にこめられた気配りなどを見ると、やはり、平安仮名は、書の華だと思って、引きつけられる。見ている人は、お正月だけあって、美しく和服を着た方が多いが、いかにも「研究者です」という感じの、ノート片手で真剣そのものの人もいる。展覧会では、展示物と同時に、それを見に来ている人を見るのも、社会勉強になって興味深い。展覧会を見たあとは、ゆっくりとお庭を散歩。大分、石の凹凸が減って見えにくいが、お地蔵さまだろうか。沢山の人の気持ちが救われそうな、あたたかい感じ。灯篭も、由緒あるものらしく、古び方が庭に落ち着いた雰囲気を加えている。青山とは思えないしずかな雰囲気で、展覧会での気持ちの高ぶりを収めて、町にでるのにはお庭の散歩が一番。敷地いっぱいに展示場をたてた美術館とはちがった余裕がそこにあるのだろう。バンクーバーだと、展覧会場を出て、すぐ車の運転をして交通の流れにのるのに、ちょっと切り替えがむずかしく思われることがある。
January 14, 2014
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浜田山駅から井の頭線に乗って、優先席にすわった。で、ふと前を見ると、お向かいの優先席に、お相撲さんが座っていた。和服を着て、草履をはいて、小さな風呂敷包みを持って。車内は比較的すいていて、四人掛けの優先席には、そのお相撲さんを入れて三人しか座っていないし、一般席にも、ポツポツと空きがある。だから、彼がそこに座っていても、別に問題はない・・・のである。それに、お相撲さんだからと言って、気分の悪いときも、疲れているときもあるのだろうから、混んでいる時だって、困ったら優先席に座っても、まったく問題はない・・・・のである。だから、私がどうこう思う筋合いはないのだけれども、ついつい、チラッチラッと見てしまった。・・・そのせいかしら、次の西永福駅にかかるころ、彼は席をたってしまい、ドアの横に立った。う・・・ん、私のせいかもしれない。悪かったかなあ・・・。
January 13, 2014
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本田選手が、英語の記者会を行って、さかんにほめられている。たしかに、通じる英語だし、落ち着いて、自分の言いたいことはちゃんと言っている。それは立派だと思う。が、イタリアのチームに入るのに、英語で記者会見をするのって、そんなに意味があるのだろうか。イタリア人にしてみれば、日本語だって、英語だって「外国語」たいていの人は、通訳がなくてはわからないだろう。日本人にとっては、英語もイタリア語も「外国語」。だから、「外国語」での記者会見という範疇では同じで、「母国語以外で記者会見をやった」という苦心はあるだろうけれども、それは、イタリアのチームにとって、あまり効果がないのではないかしら。つたないイタリア語でも、たとえ部分的にでも話せば、あとは、日本語でも英語でも同じようなものだと思うけれども。ふだん英語で暮らしている私だが、英語で話せば、世界のどこに行っても通じるだろうという考え方には、あまり賛成ができない。実際、チームメートは、イタリア語でインタビューに応じていたし、将来的に、チームの仲間との意思疎通はイタリア語でということになるのでは?
January 9, 2014
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12月17日に書いた「鳥の来ない柿の木」に、お正月になってから、鳥が来はじめた。あれ?薬が撒いてあるわけじゃなかかったのかな?どの鳥か、一番最初に「毒見」をしてみて「毒じゃないよ~」と、他の鳥に教えたのだろうか?で、案の定、木の下の歩道は、つぶれた書きでベチャベチャになっている。
January 9, 2014
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「短歌」(角川書店)を読んだら、「短歌の未来と電子書籍・・・・小島ゆかりの体当たり電子書籍」という記事があり、Book & Walker というソフトをダウンロードすれば、PCでも、電子版が読めるという説明があった。(残念ながら、わが愛用のkindle版はないけれども)で、さっそく開いてみたら、短歌1月号は有料だけれども、12月号は無料でダウンロードできることがわかり、テストのためにおろしてみた。案の定、読みやすいし、便利そうだ。私が電子書籍が好きなのは、場所をとらないのと、字を大きくして読めるので、メガネなしで気楽に読めるところだから、kindleがあればなおいいが、PC版でも読めればうれしい。しかも外国にいると、それにかかわる日数や送料の点を考慮したら、電子書籍はとても便利なので、これからは、「短歌」を定期購読しようかな・・・と思って細かい条件を読んでがっかり。私がいま、たまたま、日本の中でダウンロードして開いているから読めるだけであって、「日本国外では開くことができません」と、断り書きがしてあった。なああんだ!日本にいたら、紙版だって、便利に買うこともできるし、図書館で借りることもできるけれども、外国にいるからこそ、そこがいっそう大きな紙版との差なのに・・・と、思ったけれども、よく考えてみたら、版権の問題やら、いろいろむずかしいことがあるのだろう。ビジネスとしての御事情はお察ししますけれども、どうか、Book & Walker さん!日本国外からも、このソフトが利用できるようにしてくださいませ。NHK短歌は、海外でも読めるのですから、方法はないことはない・・・と思いますが。
January 9, 2014
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今日は夫がカナダへ出発し、その後片付けもしてから明日は私が出発・・・ということにして、忙しく準備をしていた。でも、今朝になって、ちょっとした不都合がわかって、今日は出発しないことにした。今年のカナダ行きは、混んでいて今日を逃すと、あとは19日になってしまうとわかったし、カナダでは、いろいろ溜まっている用事もあるし、ドクターに出していただいている処方薬も、不足してくるのだけれども、ま、これは私にも休めということだろうと、ドシリと構えてすごすことにする。「予想外の10日間」というのも、悪くないだろう。
January 8, 2014
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午前11時過ぎだったろうか、井の頭通りを歩いていたら、子供たちが、「あ、アンパンマン!」と騒いでいた。「何のこと?」と思って子供たちの視線の先を見ると、アンパンマンの風船がゆっくりゆっくり、井の頭通りを浮いて動いている。アセチレンガスがもう大分抜けたと見えて、高く上がることもなく、人が歩くくらいの高さをふ~らふ~ら。運転手さんたちも、風船を割りたくはないらしく、みんなが苦笑しながら、「おい、おい」という感じで、一人ずつ、少しよけたり、スピードを落としたり、中にはとまってしまう人もいて、交通は渋滞気味。一方、風船のアンパンマンは、実に愛想よく笑って相変わらず、ポーズだけは空を飛ぶ形で、ふ~ら、ふ~ら。写真をとりたいと思ったが、少し急いでいたし、風船は車道の真中にあって危険だったので、横目で見ながら、そのまま駅に向かった・用事を済ませて、3時間ほどあと、井の頭通りに戻ってきて、「今朝はアンパンマンの風船があったなあ」とか思い出していたら、なんと、歩道に止まった自転車の脇で、2~3センチほど宙に浮いて、まだふーらふーらしている。散歩の犬が不思議そうに後すざりしながら、アンパンマンを睨みつけていたが、飼い主に綱をひかれて、立ち去っていった。今度は、周囲に誰もいなかったので、写真を2枚。その後、夕方になったら、北風がずいぶん強く吹き始めたから、さすがに今頃はもう、どこかに行ってしまったか、破れてしまったか、だれかに拾われたか・・・・それにしても、この風船が、手からとんで行ってしまったとき、持っていた子供はずいぶん哀しかっただろうなあ・・・。何の絵も描かれていない風船だったら、こんな感情移入はないのだろうけれども、ついつい目を引かれてしまうのは、私も、アンパンマンが大好きだということだろう。日本の子供たちだけでなく、カナダにいる孫でも、二歳のころには「Pam-pam-man」と言って大好きだったし、私も、何度もアンパンマンの絵を描いているうちに、だんだん上手になって、彼の「尊敬」を勝ち得ていたっけ。突然だけれども、やなせたかしさんはえらい!
January 6, 2014
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今回は、私たちの金婚式の祝いを、妹や、父親の家族たちと一緒に祝ってくれよういうわけで、長男一家がカナダから合流してくれたが、仕事も学校もあるので、本日、カナダに発って行った。娘夫婦が成田まで見送っていったので、老夫婦は、もっぱら後片付け。タクシーに乗る時、ハグしながらちょっと涙ぐんだりして。せまいところに、三世代同居はやはりストレスが多い期間だったのだが、この人たちとは普段よく一緒にいるから、いなかったらずいぶん寂しいのだろうと思った。ちょっとほっとして空をみたら、まるで秋のような鱗雲。今夜は、流星群がみられるはずだ
January 3, 2014
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せっかく日本にいるので、近所の八幡様にお参りに行った。東京23区内と言っても、善福寺川沿いの散歩道は、武蔵野の趣。八幡様では、私も、なにかと煩悩があるものだから、しっかりお参りさせていただいた。屋台がめずらしくて、カナダの小学校四年生の孫は、頬を上気させて、見てまわっている。良い経験と思い出になるのだろう。休憩所で、獅子舞の衣装を着せられた小さなブルドッグにであったので、思わず、飼い主の方に「写真をとらせていただいてよいですか?」と尋ねてみたら、快く承知してくださった上に、犬を私の方にむけたり、衣装がうまくうつるように横を向けたりしてくださった。
January 1, 2014
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カナダ人は、国旗が好きで、チャンスをみつけるたびに、国旗を揚げる。チャンスがなくても、国旗を揚げる。しかし、東京の杉並区あたりでは、なかなか祭日に国旗をあげている家は少ないようだ。元旦の今日も、昼近くになって初詣がてら、あちこち歩いたが、国旗を出している家は一軒しか見られなかった。しかも、ご近所の、いつも玄関前に警官が立って警備をしている石原伸晃さんのお宅にも、国旗が出ていなかった。石原家には、出しておいて欲しいと思ったけれども、現実というのは、そんなものなのだろうか???
January 1, 2014
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