仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2006.09.24
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カテゴリ: 教育
1 判決の概要
(裁判所サイトにないので主に毎日と読売の新聞記事からODAZUMA Journal整理)
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(1) 訴えの内容
 都教委は03年10月23日、各都立学校長に「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」という文書を通達。国旗に向かって起立、国歌斉唱、その際のピアノ伴奏、こうした職務命令に従わない場合に服務上の責任を問われることを教職員に周知、との内容。
 これに従わず懲戒処分を受けた教職員らが提訴。判決文がないのでわからないが、懲戒処分の取消しを求めたのではなく、抜本的に、「起立・斉唱義務」がないことの確認を求める訴えの形式をとったようだ。その上で違法な通達に基づいて指導し処分した都教委の違法性に関して、都に慰謝料を求める国家賠償の訴えも併せて行ったのだと思う。
(この辺、例によって新聞記事は被告が都教委なのか都なのか混乱している。)
(2) 訴え(確認の訴え)の適法性
 今後も職務命令とその拒否により懲戒処分や研修などが確実。また侵害される権利が精神的自由で事後的救済になじまず、式典が反復されることから回復しがたい損害を被るおそれ。よって訴えは適法。

 日の丸・君が代は戦前まで皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱であった。国旗国歌法制定された今も、宗教的政治的に価値中立的とまでは至っていない。反対する者の思想良心の自由も憲法上保護すべき(憲法19条)。従って、教職員に一律に起立・斉唱・伴奏の義務を課すことは思想良心の自由を侵害する。
(4) 学習指導要領の性格
 学習指導要領は法規の性質を持つが大綱的基準にとどまる。これを逸脱して教職員に一方的な論理や観念を生徒に教え込むことを強制する場合は、不当な支配(教基10条1項)に該当し法規としての性質は失われる。
 指導要領では、国旗掲揚と国歌斉唱指導を規定するだけである。従って、指導要領が、起立・斉唱・伴奏の義務を負わせていると解釈するのは困難。
(5) 通達と指導
 都教委の通達は国旗掲揚・国歌斉唱の具体的方法等を指示するもので、各学校の裁量の余地はほとんどない。また、都教委は、従わない教職員の現認や報告の方法を指示し、職務命令違反の教職員を回数に応じて一律に処分するなど、校長の裁量を許さず教職員に国歌斉唱等を強制してきた。とすると、教育の自主性を侵害する上に、一方的な理論や観念を生徒に教え込むことを強制するに等しく、不当な支配に該当し(教基法違反)、公共の福祉による制約の範囲を超えて憲法19条にも反する。
(6) 校長の職務命令
 命令に重大かつ明白な瑕疵があれば従う義務はない。起立・斉唱・伴奏の義務はなく、むしろ拒否する自由がある。原告等が拒否しても式典進行を妨害することはなく生徒等に拒否を煽る恐れもない。伴奏拒否しても代替手段がある。以上から、命令には重大かつ明白な瑕疵がある。
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2 判決の基本思想
 この判決は割合単純な論理で、1つのスジは通っている。ごく簡潔に要約すればこうだ。

 ○ これは教職員についても同じ。
 ○ 従って、これを教職員に強要する通達も懲戒処分も違法(違憲)。
 ○ なお国旗国歌を式典で指導することは有意義とは言えるが、懲戒処分までして強要させるのは行きすぎ。国旗国歌は強制でなく自然に定着させるべきもの(国旗国歌法の趣旨。学習指導要領の理念)。

 判決では、国旗国歌の「価値中立性」が未成熟であること、つまり多様な考えがあり国民個人の精神的自由に属するナーバスな問題であることを非常に重視している。そして、そうである以上、国民一般も教職員もこれを害することはまかりならぬ、という構成だ。だから私は単純だと評した。
 特徴的なのは、「校長」も自由を侵害される側として理解している点だ。校長は教職員に対して指導を強要された被害者であり、都教委によって学校(校長)の裁量や教育の自由が侵害されている(不当な支配)、という見方だ。


 私は判決のこの基本思想(論理の出発点と言っても良い)である国旗国歌の「価値中立性」未成熟論と、多様な考えを保護することは、さして異論はない。問題は、この基本思想(出発点)だけで物事を単純に測定しようとする「世間知らず」の点にある。
 公立学校における教育を充実させるために、指導や統制の必要はある。校長も教職員も個人事業者ではない。ハッキリ言えば先生個人の勝手気ままで教えられては困るのだ。保護者や生徒は学校に何を期待しているかを考えるべきだ。
 この観点から考えるべきだと思う。以下に。

4 どう考えるべきか
 公立も私立も、学校は先生でもっている。先生との人格的接触が学校の本質だ。現実的には、さらに教職員以外の指導者、後援会、保護者なども人的金銭的に関与するし、最近は保護者がうるさくて先生方も苦心していると思うが、ここでも問題は学校と外部(保護者など)ではなく、学校行政の内側(教職員と校長、教委)の問題だ。
 先生が学校の本質であるとすれば、また先生方が一生懸命仕事するためにも、校長の職務命令や教委の指導などの教育行政的な観点は邪道のようにも思える。確かに、1人の先生の教育の一挙手一投足まで縛るような指導では、当の先生が力を発揮できない恐れもある。
 しかし、(特に公立の場合は)組織として学校が成立している以上、一定の統制は必要である。また教職員の質を保持し学校の教育力全体を高めるためにも適切な指導は必要である。
 と、ここまでは一般論として十分当然のこと。なのだが、この辺から、建前と実態が分かれてくる。
 最近、学校の自主性や校長の裁量などが言われているが、実のところ、そんなこと言われても困るのは当の校長かも知れない。従来は、校長が指導も職務命令もしたことなどないからだ。
 生活面での指導なら、上司として当然に話すだろう。朝はもっと早く出てこい、とか、保護者の前ではスリッパはヤメよ、とか。しかし、教育内容面については、先輩としてアドバイスを求められたのならともかく、積極的にこうしろああしろ、とは言いにくいだろう。ほとんどの場合、校長や教頭は教職員から登用されるから、登用された瞬間から、今までと態度を変えることはできないのだ。
 このことは、決して先生方が上司の言うことをきかない人間だ、と悪く言っているわけではない。もともと教員は高い責任感をもって教育にあたっている。勤務時間や公私の別もなく一生懸命やる先生が大多数だ。だから、上司と部下という関係はそもそもなじまないとも言える。
 ところが、学力問題や、保護者との関係など、従来にない学校環境を背景に、学校組織にもチャントとした上下関係を当然のように求める風潮が出てきた。ここ20年くらいだと思う。従来の、1人1人独立した人格を前提にしてクラスを任せる教員像(新人もベテランも)、そして、アドバイスし合う同僚、その同僚の長(先輩)として校長がいる、という認識は、崩れてきているのだ。
 これが学校運営面だけならまだしも、教育内容の面にも及ぶとなると、無理が表面に出てくる。このことが、今回の問題の核心なのだ。

5 学校と教委の関係
 国旗国歌については多様な意見があろう。教職員が多様な意見を持つのも当然だ。しかし、学校として式典をどう行うか、校長が決定権を持って、また職務命令を行うことができることも、当然だ。
 もし都教委の通達がなければ、校長は従来通り教員の意見を聴いて式典の内容を決定しただろう(今回は争点でないようだが職員会議の性格も従来の教育界の争点だった)。都教委が懲戒処分を行うとの前提で、起立しない教員の現認・報告をさせられるのだから、校長も辛い立場だ。式典をどう行うかは学校に任せて欲しい、とホンネを訴える校長もいただろう。自分の学校内をワザワザ荒立てたくないから。
 しかし、形式的には教委の通達は可能だし、実質的に教育的に考えても行き過ぎとは思わない(判決が不当な支配と判断するのはおかしい)。一般社会なら、「本社から通知来たから従ってネ」で済むことが、それでは済まないのが学校現場の特殊性であり、管理職のつらさだ。

6 良心の自由との関係
 私は、職務命令は当然できるとの立場だ。しかし判決は教職員の思想良心の自由に反するという。ここはまさに判断の問題だが、社会常識からして、「それはこらえて当然だろう」という程度に属すると思う。
 また、現実問題として父兄や生徒を立たせるのに、教員が座っているというのでは学校行事にならないだろう。それが良いかどうかは別としても、そのようなことを職務命令することができない、という判断は誤っている。

7 まとめ
 以上のとおりだが、教員の一部には、教育内容面への管理主義的支配に反対する気持ちがあるのはわかる。たしかに、国旗国歌を処分を持って強要する都教委の姿勢は、何か躍起になっているようだ。
 しかし、都教委は、国旗国歌を「正しく」理解することこそ教育の立て直しの重要な点だと考えるのだろう。そのことを批判することは自由でも、教員が従わない自由は、ない。
 問題は、学校現場の組織的状況だ。私は、現場のつらさに変におもねるような、今回の「勇み足」判決が、正しい方向の流れを押し戻そうとするようで、その意味でも理解しがたい判決だ。上級審での是正を願う。





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最終更新日  2006.09.25 06:15:15
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