仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2009.07.12
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カテゴリ: 宮城
政党が本格的にコミ戦(コミュニケーション戦略)に取り組んだ選挙は、05年の郵政総選挙とされる。この時、自民党の世耕弘成は、米国のコミ戦などを調査した上で徹底したマスコミ戦略を展開。候補者の服装や第一声の内容、党幹部応援投入のタイミングや場所、更には、歴史的大勝利にも幹部には硬い表情を強いるなど、テレビを通じて国民にどう映るかを、最後までコントロールした。

鈴木哲男『政党が操る選挙報道』集英社、2007年(集英社新書0397B)

とても興味深い本だ。NTT広報部出身の世耕がコミ戦の重要さを党幹部に説き、自ら主導したというものだが、05年総選挙の前に、「実験的に」導入したのが、04年4月の統一補欠選挙だという。

統一補欠選挙は全国で3箇所で行われたが、埼玉8区は、自民候補(当選)の選挙違反に加えて所沢市議10人が逮捕されるなど、地元自民党組織が瓦解していた。世耕はここに着目して、党本部が仕切る選挙戦を提案、党改革検証・推進委員会の安倍委員長に承諾される。

立候補者がいない窮状を逆手にとって、自民党からの立候補者を全国公募。候補者にはスタイリストをつけ、自転車の遊説を演出。しかも、移動は全力走行を支持。場所は新興住宅地、団地、公園。相手は前回比例復活の民主党候補は、街宣車の上から見下ろすのに対して、常に走り回っているというイメージを作り出した。

さらに、世耕は、候補者選考の論文の山を記者に見せつけるなど、テレビメディアの特性を最大限利用して、話題づくりに努力した。結果は、大方の予想を覆して、自民の柴山昌彦氏が、民主の木下厚氏を制して当選。

党本部主導で一元的かつ効率的に選挙戦略を推進することの大切さを実証した形となり、05年の総選挙で開花する。この時に詳細なデータ収集などで戦術を支えたのが、05年1月にコンペで契約していた広告代理店のプラップ社だ。従来の電通との馴れ合い関係を脱却する思いが世耕にはあった。

ところで(ここでやっと宮城の話題になるのですが)、05年4月の補欠選挙では、埼玉の例にならって、候補者を公募。 宮城2区では秋葉賢也が勝利した。ここでも、プラップ社は公募の広告作成や秋葉のPRなどに深く関わった 、という。



当時の県連会長は市川一朗。全国から27人が応募。最終選考は選考委員会面接、論文審査、街頭での政策発表会などが行われたが、秋葉氏はいずれもトップだったと市川会長は記者会見で語っている。





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最終更新日  2009.07.12 08:06:51
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