仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2025.03.19
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カテゴリ: 宮城




■阿部昭吾『続 深谷の先人たち』2008年

なお、ここで「深谷」について記しておこう。石巻市民として桃生郡牡鹿郡をエリアに仕事をしていた私にはイメージは沸くが、上掲書にもあるように、昨今「深谷」の地名は忘れられようとしており、唯一残った「深谷病院」の名称も消えた。

鎌倉時代に小野城主長江氏が所領し、東松島市と旧河南町の全域をさす(上掲書序文から)。

藩政期の桃生郡は幕末時点で65村あり、南部の深谷(1郷23村2浜)は、小野本郷と広渕代官所を擁していた。明治5年大区小区制により、深谷は宮城県第10大区となる(17の小区)。何度か大区の統合を経て、明治11年郡区町村制により、桃生郡が設置される(郡役所は広渕村、明治21年相野谷村に移す)。明治22年町村制により郡内に15村が発足する。このとき「深谷村」が誕生(←広渕村、北村、須江村、塩入村、大窪村、赤井村)。深谷エリアではほかに前谷地村、鹿又村、鷹来村、小野村、野蒜村、宮戸村。なお明治29年に深谷村は廃止され、旧各村が分立(ただし、旧塩入村と旧大窪村は大塩村となる)。

■岩崎恂美(医師、教育者)
所在 石巻市広渕 広渕寺境内
文久2年、旭山遠藤温撰
■記事  岩崎恂美(深谷の先人 1)

■遠藤温(宮城県参事、代議士、弁護士)
所在 松島町瑞巌寺境内
明治33年4月、岡千仭撰文、日下部東作書
■記事   遠藤温(深谷の先人 2) (2025年03月28日)

■大原槐軒(教育者)
所在 東松島市赤井小学校校地内
明治30年5月21日、岡千仭撰文、入木道正伝上田司書
■記事   大原槐軒(深谷の先人 3) (2025年04月03日)

■佐藤知足(教育者)

明治28年4月、木村敏撰文

■小池裕齋(教育者)
所在 東松島市大塩 清泰寺境内
大正6年4月、宮崎公男撰文、伊達万寿書

■小池裕齋の妻澄(墓碑銘)

明治43年10月、祭主小池迂叟

■桜井けさ(助産婦)
所在 東松島市西福田肘曲新墓地
昭和3年4月、尾形米夫撰文

■佐藤永儀(教育者)
所在 東松島市上下堤創作活動センター構内
明治27年8月、小西皆雲撰書

■東齊塩場碑(東名塩田の経緯と開発者名和良元直の功績)
所在 東松島市東名如月庵
享和壬戊戌、志村士轍撰文

■尾形大進(教育者)
所在 東松島市宮戸小学校構内
昭和15年、瀧熊之助撰文、池田青巌書





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最終更新日  2025.04.03 22:45:34
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