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不登校の子が夜「明日 学校に行く」 と言うものの、翌朝になると 起きられなかったり、調子が悪いと訴えたりして、結局学校に行けない、となることがあります。何度もくり返される内 子どもの言うことが信じられなくなった親御さんも おられることでしょう。いつもお子さんを見守ってくれている親御さんならではの御苦労だと思います。しかし子どもは、「行く」と言っている時点では 行くつもりでいます。 しかし当日の朝になると、結局 行けないのです。不登校はまず、意欲のコントロールが難しくなることから始まります。これまで学校に行っていた子(11歳以上)が不登校になる場合、人間関係だったり勉強の躓きだったり家族関係だったり、あるいは病気や環境変化など様々なストレスの積み重ねで ある日 学校に行こうとしても出来なくなる、行くと具合が悪くなる…という、無意識にストレス対処にエネルギーを使い過ぎ、疲弊してしまったケースが多いです。しかし学校には行けずとも、家でゴロゴロ、ゲームばかりして、友達とは遊びに行ったりしているのでエネルギーがない、意欲が出ないだなんて嘘のように見えます。しかし、自分の望むことをやることと、他者から命じられたこと、集団(社会)のルール『~べきだ』とされていることをすることは、難易度が違います。他者の望むことを理解し、他者の望みに合わせるよう自分の体を操作するのはより複雑高度な脳の働きが要求されます。その点、自分の好きなこと、したいことをするのは操作も簡単で、かつエネルギーが回復する行動ですので疲弊した心身でも割と楽にできるのです。『他者から命じられた』ではなく少しでも『自分で選んだ』と感じられるような声掛けにしましょう。「朝だけどどうする?」「学校行く?どうする?行く?行かない?」など、相手に尋ねる言い方、相手に選ばせる言い方にして下さい。(急かさず、考える時間を与えます) 答えられない『よい子』も多いです。 (「自分のことを自分で決めたことがない」 「自分が何を好きか分からない」という子ほど重篤です。) 答えるまで待つ時間がないという親御さんは、 「〇時までに起きない時は学校には休むって言うね」など決めて、 本人に事前に了解を取り、『他者に決められた』感を少しでも減らしておくといいかと思います。不登校回復に必要なのは自立心です。自立心にはエネルギーと自信が必要です。『自分で選び、その結果を引き受ける』ということの積み重ねが自己効力感を回復させます。すぐに再登校できることはないと思います。しかし『他人を安心させるため』『他人が言ってきたから』という理由での再登校よりも、本人の中から出て来たエネルギーでの登校の方が子どもの成長にとってとても価値あるものとなります。 宜しければ乙生 弦吾の記事のページにもどうぞ
February 22, 2024
「『死にたい』『死んだらどうなるんだろう』最近、そんな考えが出て来るけど、何で?」という相談を 生徒から受けることがあります。お風呂に入っている時や眠る前、朝起きた時、ボーっとしている時などに出て来るようです。入浴時やボーっとしている時など、いわゆるリラックス状態にあるときは理性の働き(意識の検閲)がゆるくなりますから、無意識にある様々な思いが意識上に出て来やすくなります。入眠時や寝起きなどの意識がしっかり働いていない時も同様無意識の思いとアクセスしやすくなります。「死にたい」なんて考えが出てくるとギョッとする人も多いことでしょう”自分は死を望んでいるんだろうか!?” と。しかし人間の身体は本来自らを滅ぼそうと望むことはありません。『死にたい』という考えの根底には、『本当はこんな生き方したくない』という思いがあります。「死にたい」という考えが出て来るようになった、その場合はまず、ここ最近の自分自身をふり返ってみましょう。自分のことを、ないがしろにしていなかったでしょうか?他人のことや やらなければならないこと、人が決めたことなどで振り回され過ぎてなかったでしょうか?人がどう思うか、人からどう思われるか、自分のエネルギーを人のことを考えるためばかりに使っていて、自分を喜ばせること、労わることに使っていなかったのでは?「自分を犠牲にしている、 自分の人生を生きていない、 楽しんでない、 こんな生き方嫌だ」、頭ではそう思っていなくとも、身体はそう感じているかも知れません。「死にたい」は 『今の自分はまるで生きてないよ!』『エネルギーを外に使い過ぎ!』『生きる喜びを充電して!』という身体の声でもあります。無視したりせず、自分が喜ぶことを 自分にしてあげること。何をしたら自分は喜ぶだろう?しなければならないことに追われていた時、本当は何をしたかったのだろう?自分の関心がどこにあるかを考えることもエネルギー補充になります。もし思いつかない場合は(相当疲弊しているということですが)寝ることをお勧めします。(睡眠は 究極の自己中心の世界ですから)自分が主となる世界に没頭することでエネルギーは補充されていきます。なぜか「死にたい」という気持ちが出てきた時はそれだけ頑張っているんだと知って、まず自分へのご褒美の時間を用意してあげて下さいね。(*過去のトラウマなどが出て来ているというケースもありますので 心配な方は、専門家にご相談下さい) 宜しければ乙生 弦吾の記事のページにもどうぞ
January 31, 2024
この度の能登半島地震により被災された皆様、ならびにそのご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。被災地の皆様の安全と、一日も早い復興を 心よりお祈り申し上げます。新年早々の大きな地震に、本来ならまったりモードで寛ぎバラエティ番組でも見て過ごすはずだった正月が恐怖や不安、悲嘆や無力感で過ごすことになってしまいました。そんな正月、子ども達に変化はなかったでしょうか。子どもの心はデリケートです。直接の被災ではなく、テレビ画面上の出来事でも 強い衝撃を受け、心が不安定になることがあります。震災以来、子どもが母親にずっとくっついていたがるようになった、学校や園に行くのを嫌がるようになった、という相談もあります。そのようなお子さんのお母さんによくお勧めしている方法を、一つご紹介します。それは… ◆子どもに、(親の)身代わりとしてのお守りを渡す (または 家族みんなでお守りを買いに行く) …です。いたってシンプルですが、大事なポイントがあります。このお守りによって『自分は親(家族)に守られている』『自分と親(家族)は繋がっている』と、子どもに感じてもらうということ。このお守りは『親(家族)の保護』『親(家族)との繋がり』の象徴(シンボル)だと子どもに思ってもらうということ。小さい子にとって、目に見えるシンボルというのは重要、かつ有効です。渡し方も、「あなたのためにわざわざもらってきたの」「特別に作ったの」などの〝特別”というスペシャル感を演出して下さい。スペシャル感、上等感がある方が〝大切なもの”という感じを抱かせられます。人は不安が強くなるほど確かなものを求めます。子どもは〝大好きな親と繋がっている”という感覚から安心感を得ます。シンボルを持たせてあげることで視覚化され、安心感がより確かになります。そしてお守りなので、いつも一緒でいられます。(小さい子に有効な方法ですが、中学三年生でも効果ありました!)不安になっている子どもと一緒にいてあげられない、そんな時には身代りのお守りを持たせてあげるとこどもの不安は軽減すると思いますよ。 宜しければ乙生 弦吾の記事のページにもどうぞ
January 19, 2024
不登校になった我が子が、部屋にこもりがちになったり食事も別にとるようになったり。そしてそれを責めると今度は食事も食べてくれないように…。そんな子どもの行動に、どうしたらいいのか頭を抱えてしまっている親御さんもおられるかも知れません。これまで特に問題なく学校に通えていた子どもが不登校になった…そのような子が不登校になった場合、最初は激しく動揺し、葛藤しています。特に〝学校に行けなくなった自分”への責め苦、恥意識は相当なもので、容易に受け入れることが出来ません。そのため、不登校になったことを誰か(教員、同級生、学校制度など)のせいにしていることもあります。人間は、自分が受け入れたくない感情を、自分が持っているのではなく他人が持っているものと認識することで自分を守る"投影 (Psychological projection)”という心の働きがあります。そのため、自分を責める気持ちを親や同級生、教師の中に映し出し、あたかも彼らが自分を責めているように感じるのです。責めるような人もいないのに子どもが周りを避けている時は、まだ自責の念が強い時。特に父親は〝社会的権威者”というイメージも投影されやすいため、子どもが社会に対して申し訳ないと無意識に思っているほど避けられやすいでしょう。(各家庭での役割にも依りますが)子どものそんな苦しい気持ちをよそに「どうして一緒に食事しないのよっ」と親側の気持ちだけを子どもにぶつけてしまうと、子どもは「分かってくれてない」と感じて、心を閉ざしてしまいます。食事に関しては、とりあえず食べているのなら良しとしましょう。(※不登校になって痩せてきた、食欲がなくなってきた場合は、 鬱の可能性があるので要注意)手料理だと罪悪感を感じて食べにくいという子もいます。バナナやミカンなどの果物、若者が好きそうなおやつや栄養補助食品などを、本人が抵抗感なく、しれっと食べられるようなところに置いておきましょう。特に親が何も責めてこない、自分にサポーティブだと子どもが感じ取れば、気持ちが落ち着いてきます。そうしてやっと、心の扉を他人に対し少し開いてくれるようになります。子どもが不登校になったばかりで心が激しく揺れている頃は、”安定させること”がゴールです。「学校に行っていないことを除けば(以前と同じ)普通の状態」という状態をまずは目指すこと。子どもの心と状況が安定して初めて本当の気持ちやこれからのことなどについて、話し合うことが出来るようになるのですから。 宜しければ乙生 弦吾の記事のページにもどうぞ
January 1, 2024
「不登校の原因がわからない」今年の相談で目立ったのが、これまで登校渋りも不登校もなく、友人関係も集団活動も勉強も 特に問題なく学校も好き。なのに今 学校に通えない。生徒さんも親御さんも 首をひねるばかり。もしかしてそれは…自律神経の乱れから起こっているのかもしれません。2023年、今年の夏は1989年の統計開始以降、最も高い平均気温となりました。その異様な暑さだけでも体には相当こたえていたことでしょう。夏の疲れもたまったまま、厳しい残暑は秋になっても収まらず10月となっても全国的に平年より高い気温が続きました。そして11月、季節外れの暑さから一転、気温は急に低下し 本格的な冬の寒さに…。急激な変化に見舞われた今年。自律神経の働きが乱れてしまったとしても、何の不思議もありません。自律神経とは24時間365日、身体を最適な状態に保つために働いてくれている神経。ストレス・生活習慣・気温の寒暖差などによって働きが乱れます。また、2歳頃から10歳頃にかけてストレス的暗示を受けると自律神経の乱れが起きやすくなるとも言われています。その年齢の頃にコロナ禍などで恐怖や不安を強く感じていた子達には特に起こりやすいことかも知れません。(参考文献:子どもの発達と診断3 幼児期Ⅰ)自律神経の働きが乱れると、本来持っている力を発揮できない、気力が出ない、ストレスを乗り越える力が弱くなるなどさまざまな心身の不調が現れるようになります。特に朝や休み明けの日など、OFFの状態からONの状態に切り替えようとする時が大きな負担が掛かる時。そのような時は とても調子が悪く、ネガティヴな感情に支配され他人に命じられることが不快でたまりません。意欲が出ない、身体がスムーズに動かない理由は本人は分かりませんから「起きられない」「学校行かない」ととりあえず答えます。何故かと問われれば、衝動的に思いついた理由を答えるしかありません。こどもの『学校(園)に行かない』は『エンジンがかかりません』『今、本調子じゃありません』の意味。ここで「学校に行かないなんて!」と焦って無理にエンジンをかけさせ頑張らせるよりペースダウンを心がけましょう。感情的になると 更なるストレスが加わりいい結果を生みません。昼前や昼過ぎ、夕方近くになるほど気持ちも落ち着きエンジンも回り出します。そうなった時に、「学校に行ってみてもいいかな」と思えるようだったら行ってみる、「教室に入れそうだな」と思ったら入ってみる、「いや!無理!」と体が緊張するようなら今はやめておく。これまでの急激な変化の諸々に頑張ってこたえ知らない内に疲れてしまっていた身体を労るよう、ペースをゆるめて 焦らず、できそうなことからゆっくりしていくと良いと思います。 宜しければ乙生 弦吾の記事のページにもどうぞ
December 31, 2023
スクールカウンセラー21年目。相変わらず子どもの問題行動・症状の相談は来るのですが、コロナ以降、潔癖症を疑う相談の割合が増えました。もちろんコロナ前からも、潔癖症、強迫行動の相談が来ることはありましたが、そうしょっちゅうではありませんでした。それも、自閉症スペクトラムの子の「○○しなければ!」という〝こだわり”だったり、PTSDやトラウマに対する反応だったり、あるいは統合失調症の〝させられ体験”などによる潔癖行動の方が 多くありました。しかしコロナ以降、潔癖傾向が疑われる子の相談に上記のどれも当てはまる様子がなく、そして保護者の方いわく、「もともと潔癖傾向だった子じゃないです、むしろ面倒臭がりなくらい。 執拗にしている時とそうでない時があります」という子の場合が殆ど。これまで特に家庭に問題もなく、親子の仲も良い。ただ、あまりに頻繁なので、親としてはつい「やめなさい」と叱ってしまい、今ではこの行動に 親子ともども振り回されてしまっている、と。そこでどんな時にその行動は出るのか、いつからか、行動をする前と後はどんな気分になっているのかなど、他にも分かることを親御さんから聞いていくとどうも その子にとって ストレスに思うことが始まった頃からであることが 判明。こどもがストレスを抱えるようになると物にあたったり、腹痛だったり、何らかの問題行動や心身症状が出てくるのは よくあること。しかし「自分の身をきれい(清潔)にしなきゃ!」というカタチで出て来ることはコロナ以来増えました。保護者曰く(子どもが)「何度も何度も洗ってます~」「きれいになったか度々確認してきます~」「アルコールのついたティッシュで拭いています~」「唾や息がついているかもしれないからこれも汚いって言います~」子どもの様子を聞きながらも、(まるでコロナの時の対処行動のようだなあ…)と思ってしまいました。それはストレス対処の方法が『清潔にすること』だとコロナ禍において子どもたちの無意識に刷り込まれてしまったからなのかもしれません。 ▼宜しければこちらのブログにもどうぞ【マンガ ことはの心理相談室】【マンガ 愛着障害はつらいよ~コトハの臨床心理学】
November 13, 2023
中学校で仕事をしているとよく遭遇するケースです。やっている本人は悪意も策略もないことが多いです。純粋に自分の気持ちを行動で表現しているんですね。ただ、周りの人達から見るとこういった行動は「人を操作しようとしている」というように感じられます。そこでイラっとされるんですね。特に女子生徒・女性教諭から顰蹙を買うようです。男性教諭はむしろ普通に親切にする人が多かったです。なのでそれもまた 女性から顰蹙を買う要因になっているようです。こういった子には行動ではなく言葉で表現するよう導いていきましょう。以前僕は「ちゃんと言葉にして言って下さい。 言葉で言ってさえくれれば、ちゃんとその通りにしますから。」とその女子中学生に伝えました。彼女に自分の要求を言わせた後、本当に、彼女が言った通りにしました。そして彼女に関わる教員全員と 『彼女が体調不良アピールをしてきたら どうしてもらいたいのか要求をきちんと言わせ、言ったらその通りにする』(無理なものは無理と言って断ってもいい)という方針で対応したら、その後 学校で体調不良アピールすることなくなり自分の要望をきちんと言葉で伝えてくるようになりました。(病院などでは相変わらず 体調不良アピールを繰り返していましたが。)その時思ったのは、ちゃんと気持ちを言葉にする練習を面倒だからと、子どもにさせて来なかったのではないかなぁ、大人が聞く耳を持っておらず、子どもが諦めてしまっていたのかなぁ、ということ。日本人は「以心伝心」に頼りすぎてちゃんと言葉で気持ちを表現するという指導を子どもにしてきていないのかもしれませんね。 ▼宜しければこちらのブログにもどうぞ【マンガ 心理士はこう言った】【マンガ 愛着障害はつらいよ~コトハの臨床心理学】
November 8, 2021
November 25, 2019
October 30, 2019
September 23, 2019
たまに生徒から、「『死にたい』『死ななきゃ』という考えが出て来るけどどうしたらいい?」という相談を受けます。お風呂に入っている時や眠る前、ボーっとしている時などにそういった考えが出て来るそうです。お風呂や入眠時、ボーっとしている時など心身がリラックスしている時は、理性の働き(意識の検閲)もゆるくなるので、いつもなら心の奥に抑え込んでいる様々な考えが表に出て来てしまうのでしょう。「眠る前や、トイレやお風呂場で いいアイデアが思いつくんだ!」と言っている芸術家さんや作家さんがよくいますが、それと同じです。自分の好きなものを側におき、「死にたい」気持ちが出て来たときはそれを見て自分の意識をしっかりさせる…(ex:「この漫画の最終回を読むまでは生き続ける!」「このアイドルを 応援したいから生きる!」)という方法が生徒達の間では一番多かったです。(みんな一生懸命生きようと頑張っているんだなぁ…といつも感動させられています(T人T))僕のお勧めは好きな曲を聴く、歌う。もしくは自分の心境に合った曲を聴く、歌う。とても癒されますし、ずっと歌っていると力も出て来ます。ただし気持ちのアップダウンがもともと激しい子には逆効果かもしれません。音楽によって気持ちがハイになり、勢いのまま行動してしまう…なんてことがあります。なので注意が必要です。季節の変わり目などは気持ちが不安定になりやすい時期。不安や悲しみ、淋しさなどのネガティブな気持ちに浸り続けないようそばに大好きなものを置いて自らのお守りにして下さい。(※お風呂で「死にたい」気持ちが出て来る人は お風呂場にカミソリは置かないようにしておきましょう。) ▼宜しければこちらのブログにもどうぞ【マンガ ことはの心理相談室】【マンガ 愛着障害はつらいよ~コトハの臨床心理学】
September 11, 2019
July 30, 2019
5月の10連休が終わりました。去年のゴールデンウィーク明け頃から子どもが不調を訴え始め、不登校になってしまった…というお母様も少なくないことでしょう。夏休み明け、ゴールデンウィーク明けなどの長期休みを機に不登校に陥るケースはとても多いもの。そしてプレ不登校期、不登校初期の子どもに多い症状が「お腹が痛くなる」「学校に行こうとするとトイレにこもる」など。(ちなみにトイレにこもるのは男子に多いです。)学校のトイレに1時間以上こもるという子や家でずっと便秘がち、あるいは下痢が続いている子、「教室でおならをしてしまったらどうしよう」という不安で学校に行けないなんて子も、中にはいます。ボディメッセージによるとお腹は不安や恐怖、ため込んでいる強い思いがある時などに痛くなるそうです。感情(本心)を表す臓器とも言われます。なので毎日苦しい気持ちで学校に行く子には「学校行くの嫌だな~」と「今のクラスあんまり面白くない、全然楽しくない」と、素直に言葉にさせてあげる方が良いのです。(そしてそれを親子で共有すること)嫌な気持ちを素直に表明することと、実際に学校に行かなくなることとは別物なので親が不登校を容認しているということにはなりません。よく僕が学校の相談室で生徒とのカウンセリングが首尾よく終わり、生徒を教室(または自宅)へと帰らせようとすると「イタタタタ…!」と生徒がいきなり痛がり出すことがあります。周りからは仮病と思われることが多いのですが本人は本当に痛みを感じています。なので彼から味わっている痛みを「甘えたいんでしょ」「行きたくないからそうやって嘘ついてんでしょ」なんて言ってることを否定したりはしません。だからってここ(相談室)に居させたままでいい訳でもないので僕はいつも「そっかーそっかー いたいか~ 教室(家)に戻りたくないよな~ 教室(家)の中ってのも色々大変だもんな~」と相手の痛みが訴えてきているであろう感情を、代わりに言葉にして 本人に伝え返します。教室に行きたくない気持ちが変わるわけではないのですが、「気持ちが分かってもらえた」と子どもは感じ取られて気持ちが鎮まります。(大人として信頼もされます)気持ちを言語化することによって、身体症状化する必要性が、減るのです。「お母さんを悲しませたくなくて言えない」「どうせ親に言っても無駄だし」と、思い込んで苦しい思いを抑え続け、身体症状化させている真面目な子も多いのです。子どもが素直な気持ちを言葉にしても親が(感情的にならず・言っていることを否定せず)聞いてあげるという関係が作られるといいですね。
May 11, 2019
April 26, 2019
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March 31, 2019
March 17, 2019
不登校回復のサインに「髪の毛を切りたくなる」そして「体を動かすようになった」というものがあります。不登校の間、 心のエネルギーのほとんどは自分自身に向けられていました。外での世界に疲れた心の回復と、これからどんな「自分」で社会に向かおうかという模索と準備に。一見怠惰で、何もしていなさそうに見えていた彼らですが頭の中は、学校に行くべきか否か、こんな自分でいいのか否か、ああでもない、こうでもないと、色々な思いが廻り、忙しく動いていました。頭優位の生活を表してか、髪は伸び放題、寝ぐせ丸出し、まるで手入れをされていない庭のよう。文字通り「頭でっかち」。そんな頭髪の不登校生も多いことでしょう。しかしエネルギーが回復してくると、エネルギーの向かうところが頭から体へと変わります。意識も、内面から外の世界へと向き出します。身体を動かしたい、悶々と考えてばかりだった髪(頭)をスッキリさせたい、そんな気分になっています。女の子の場合は、「ダイエットする」と言いだすこともあります。女の子の方が、単に人目を気にするというだけでなく、自分をきれいに見せたいという気持ちが強いので服装やお化粧など、女性的な面に 気を遣うようになってくることがあります。これも回復の兆しの一つです。ある程度の不登校期間の後、「髪を切りたい」「運動機器を買ってほしい」と言い出したときは、外に出る準備をし始めた証拠。周りの大人は賛同してあげるといいでしょう。自宅の階段で踏み台昇降をしたり、早朝ジョギングを始めたり、犬の散歩を始めたり、アイドルのダンスを見ながら真似して踊り出したり、毎週風呂洗いをするようになったりなど、何らかの形で体を動かしますので必ずしも購入しなければならない訳ではありません。彼らが味わいたいのは自分の身体を自分の思うように動かせるという感覚。不登校生が失いがちだった自己コントロール感です。その積み重ねが外に出るための自信を大きく育ててくれます。自分の意ではないものにエネルギーを費やし過ぎて不登校になった子達の場合は、自分の身体とエネルギーを、自分の意志で動かし自分の理想の姿に近づけていくというのは彼らの「生きる力」の望むところなのです。すぐに言っている通りのことが実行できるとは限りません。必ずしも結果に結びつくわけでもないかもしれません。でも周りの人は焦らず、「うまくいくといいな」と穏やかに見守っていてあげると子どもたちも安心して自ら回復させていきます。 宜しければ乙生 弦吾の記事のページにもどうぞ
February 22, 2019
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February 8, 2019
不登校になった子によく起こる現象のひとつに 「明日は(学校に)行く」「来週は行く(外に出る)」 と言っておいて その日になると起きれなかったり、体の調子が悪いと訴えてきたりして、結局行けなくなるということがあると思います。それも学校関係だけでなく、友達との約束、行く予定だったイベント、という場合もあります。そのようなドタキャンをくり返されるとと 、子どもの言うことが信じられなくなることもあるかもしれません。でも 子どもは、親や相手に反抗してあるいはだまそうとしてドタキャンしたわけではありません。「行く」と言っている時点では確かに行くつもりでいます。不登校になり始めの頃に多い現象で、本人は自分の身体は自分の意思のまま動かせると思っています。しかし当日になると、 お腹が痛くなったり、身体が動かなくなったりして、結局 外に出られません。それを見て周囲の人も本人もがっかりします。子どもは周りからの信頼を損ないますし、自分への信頼も低下します。ふがいない、情けない・・・。いつしか自分で自分を諦め、学校や、友達と会う約束をする意欲も萎えていきます。不登校になって一番困るのが、子どもが自分自身への信頼感を失ってしまうこと。再登校には自分への信頼の回復が必要です。しかし不登校中は自分に自信を失う機会が多いのです。「行く」と言っている内は「行かなきゃいけないよな」と思っている段階。 まだあきらめていない状態です。と子どもの言っていることを大人は否定することのないように。結果はともかく、本人の自尊心を傷つけます。(そうは言ってもどうせ行けないんだろうな・・・)と分かっていても、子どもが「行く」と言っている以上は「うまく行けるといいね」と相手の言っていることを肯定しましょう。そして行けなくなった時に多くの人に迷惑をかけないよう、約束している相手には事前に行けないということもあるかも知れないことを伝えておき、その場合はどうするかを決めておくこと。(相手の人がショックを受けないよう、 そして子どもが行けるようになった時のことも考え、 「今はまだ難しいみたい」 「誘ってくれてありがとう」 「子どもにとって支えにもなっている」など 相手のことも労っておきましょう。)僕は不登校生の親御さんによく言っています。「子どもは 自分では『出来る』と思っているから「行く」と言うでしょうけど、 身体はずっと保守的で、 意志よりも、ずっと後からついて来るものです。 当日になっていけなくなっても、 全然おかしいことではないんです。 でも『行く』と頭で思っている以上、 いつか必ず行けるようになります。」不登校生が「行く」「行けない」のドタキャンを繰り返すことはよくあることで、そしてそれが自然な反応だということ。約束していたことが、結局出来なくて、ドタキャンになったとしても、大人は慌てず、「『行く』と言っている限り、いつか行けるようになるよ」と、おおらかな態度で接してあげること。出来なかったことについて子どもにあれこれ言う必要ありません。何故出来なかったかと問うことは無意味です。大人が子ども以上に落ち込んだりすることだけはないように。思うように自分の身体を動かせなくてショックを受けるのは本人です。大人を苦しめてしまったという罪悪感まで背負わせてしまうことにならないよう。行けるようになる時も来るよと、大人は希望を持たせてあげることです。子どもは賢い存在ですが、十数年しか生きていないため 知らないことが多く、そのため『一事が万事』という思考になりやすいのです。(ウツになりやすい考え方です。)そんな彼らに子どもよりずっと長く広く世界を見てきた存在として、今の状態が長い人生の中でほんのわずかな時であり、いくらでもやり直せるものなのだということを、示してあげると、子どもはとても心強くなります。そして大人のそういった態度から子どもは自分の問題に対する態度、距離を置いて冷静に見つめるという態度を学んでいきます。どうせドタキャンだから約束はしないでおこう、という態度は僕はあまり薦めません。ドタキャンが続くと子どもに行くか行かないかを聞くのが苦痛になってくる親御さんもいらっしゃいますが、不登校中、子どももずっと同じ状態でいることもなく、たまに調子がいい時もあります。行けたか行けなかったかの結果ではなく、その約束に対して子どもがどのような姿勢で臨んでいたか、行けなかったときどのくらい落ち込んでいたか、どんな風に立ち直ったか、どれぐらいかかっていたかなどを見ていて戴ける方が援助者として助かるのですが。2008.April 宜しければ乙生 弦吾の記事のページにもどうぞ
January 27, 2019
January 12, 2019
January 4, 2019
December 21, 2018
December 13, 2018
November 26, 2018
このところ寒くなってきました。この間まで登校しようと頑張ってたのに、家の中でも家事をしたり勉強したり踊ったり元気な様子を見せてたのに最近はずーっとスマホをいじってて何の動きも見られない…。そんな様子にもはや学校に行くことを諦めてしまったのではと思われた方もおられることでしょう。この時期動きが鈍くなるのは登校を諦めたからというより外側ではなく内側にエネルギーを向けるよう体が要求してきているから。人に限らず動物、いや生物は寒くなる時期動いて体力を消耗するよりも来期に備え、蓄えようとするようです。不登校中の子も自然の理に従い、秋から冬にかけて動きが鈍くなります。外界へ関心が向きにくくなるので登校のお誘いにも消極的。チャレンジできないことが多いです。(TT)「じゃあ、春まで学校には行かないの!?」という疑念がよぎりますがそんな中でも、登校しやすい日はあります。期末試験の日や、遠足、文化活動発表会などのイベントの日。(イベントの日は逆に「こんな時だけ登校するのは他の子に悪い」と言って 断固行かない子もいる)そして期末テスト明け(終業式の2週間前辺り)。「辛くても、しばらくすると冬休みに入るから」という理由で行きやすいようです。ゴールが見えていることで心理的に少し楽になるのでしょう。期末テスト明けの、クラスマッチの日から登校を再開した子もいました。とはいえやはり他の時期と比べ、子どもの反応はもひとつです。この時期はむしろ読書(漫画も可)や映画鑑賞などイメージの世界での冒険や活動がお勧めです。体の動きが少なくなっても、いや、動きが少ないからこそ、作品の世界を生き生きと体験しやすくなってます。内面的な経験もまた体験として蓄えられていきます。後に彼らが不登校から卒業し、自らの不登校生活を振り返る時、その時体験した作品の世界がいきいきと思いだされ、今の自分の礎を作ってくれたということに思い至ったりもするのです。家の中にこもりきりで動きがなくても豊かな体験をできないわけではありません。そして春が近づき温かくなるにつれ希望が膨らみ活動的になっていきます。
November 13, 2018
中学生の子どもが不登校になりました。不登校になってからはスマホ(携帯、ネット、ゲーム)を片時も離しません。一晩中見ている時もあります。そして朝は起きれません。子どもが不登校になってスマホやネット、ゲーム、子どもによっては深夜アニメや好きな芸能人のDVD等をずっと見ている、…なんてことは実によくある現象。不登校生のほとんどが通る道と言っても過言ではありません。特になりたての頃は親御さんのスマホを執拗にせがんだり取り上げると暴れたり、怒って部屋にこもったりなど、その依存ぶりに「ウチの子大丈夫だろうか?」と多くの親御さんが不安になられます。スマホやパソコンの電磁波は睡眠ホルモンの分泌を悪くするしひと晩中起きて日中寝てるなんてすごく不健康。それにネットは何処に繋がっているか分からず、怪しげなサイトに行ったり変なネット友達が出来てしまうかも知れない。一刻も早くこの状態から抜け出してもらいたい。「いっそのこと、見れないよう取り上げましょうか!?」…そうおっしゃる親御さんも少なくありません。しかし僕は安易にスマホやゲームを取り上げることをあまりお薦めしません。朝起きて学校に行って夜寝る、という習慣が小学生時分に身についていたお子さんなら、今のこの状態を心から望んでいる訳ではないのだと思っていいでしょう。何せ初めての不登校体験。右も左もわからず、どうなっていくかわからない不安と自分を責める声で頭も心もいっぱいです。何も考えず、自分を受け入れてくれる世界に避難するのが今の彼らにできる唯一の対処。『やめよう、こんなこと』と思っていても現実と向き合う力が足りない内は同じようなことをくり返します。自分を受け入れてくれる大切な癒し空間、そこを取り上げると行き場を無くします。「(ゲームを捨てられて)…自殺も考えた」 と、包丁を前にし思い詰めた子もおりました。行き場がなくなったからといって、学校に行くわけでもありません。社会的に自分は恥ずべき存在だと思っているからスマホの世界に籠るので、安心して外の世界に出て来られるよう子どもがやっていることは否定しないでおきましょう。見ている内容について教えてもらったり関心を持ってあげたりしてその話題を親子で共有できるようになるとスマホやゲームが『子どもの依存相手』『子どもを囲う存在』『現実逃避の場所』から社交のための『道具』へと変わっていきます。子どもが選んだ動画やゲームで 大人が楽しんだり喜んだりすると、子どもの自信回復にもなります。大事なのは見ている時間よりも内容。「内容」と「見方」が、その子が今「求めているもの」と「心のあり方」を表しています。子どもが話してくれる内容や閲覧履歴などを見てどのようなゲームや動画、サイトを見てるかは把握しておくといいでしょう。残酷なものや暴力的なもの、性的なもの法に触れそうなものではなく一般的なゲームや面白い動画、子どもの趣味のものである場合はとりあえず安心してもいいと思いますよ。『スマホと子どもの一対一の関係』から『スマホを介した、大人と子どもの対話関係』へ内から外へと広がるようスマホをうまく利用していけるといいですね。
October 23, 2018
前回、リストカット(自傷行為)は、強い不快な気分を切り替えるためにしている、その子なりのとっさの対処法と書きました。即効性が高いのでついやってしまう子がいるのも分からなくはないですが、可愛い子どもたちが自分で自分を傷つける様を見るのは大人としては辛いところ。何とか別の方法で切り替えてもらいたいものです。生徒から「リスカしたい気分の時はどうしたらいい?」という相談を受けた時は、僕はいつも「今までに他の方法で試してみたことはなかったの?」と尋ね、あるのなら「その方法だとどうなったの?」「どのくらいうまくいった?」と聞きます。ない場合は他に何か方法はないかを一緒に考えたり、考えてもらうようお願いします。結構な割合でみな自分なりのリスカ衝動対処法を考え、実践した経験を持っています。多かったのが好きな芸能人の写真集、好きな雑誌、漫画、動画、ゲームなど、とにかく自分の好きなものを側に置いて切りたくなる衝動がおさまるまでそれを見たりしたりして過ごす、というもの。 他にも水を飲む、好きな楽器を弾く、身体を動かす、絵を描く、ブログを書く、ノートに悪口や落書きをしまくる、ビーズアクセサリーを作る…、など色々な方法が聞けました。自傷したくなる衝動は、45分以上は続きません。生徒はその間、何とか他の活動でやり過ごそうとしてくれます。その間の努力と工夫はたいへん立派なものなので、大いに褒め、ねぎらいましょう。(すばらしい!!)生徒自らが思いついたリスカ衝動対処法は、その子の才能に関連しているものが(実は)多いのです。なのでその対処法についても「スゴイねそれ!」「いい趣味だね!」「何それ面白そう」と詳しく聞いたり教えてもらいましょう。生徒の自信につながります。それでも「またやっちゃった…」という子には「自分を責めたりしなくていいよ、 それだけストレスがあるってことだからね、 それより教えてくれてありがとう。 切った時は必ず誰か(担任、保健室の先生)に報告してね、 そして手当てを受けて欲しい。 もし出来るのなら、 切りそうな気分の時は、前もって教えて欲しい」と、お願いしておきます。(もちろん担任の先生や保健室の先生には怒らないよう事前に伝えて)すると「今、授業出たらリスカしそう…」と担任の先生に前もって言うようになった生徒もいました。欲を言えば、リスカしそうになる衝動そのものを言葉で表現できるようになるといいですね。そうすると行動や症状で表現する必要が減りますから。さて、リストカットをしないで済むようになる方法で、もっともお勧めできるのは我が国一の天才精神科医、神田橋條治先生発案の、芋焼酎風呂。芋焼酎をおちょこ一杯分、お風呂の湯船に入れて、その中に(顔面だけ湯船から出して)頭から全身浸かる、という方法です。邪気が抜けるのだそうです。(ただしその後の湯船は 邪気だらけになります。)普段からやっておくと予防になります。手首や足首は邪気や血液がたまりやすいところ。心が苦しくなった際に手首を切ってしまう行為は、邪気を体外に追い出そうとする本能的行為とも言われてます。自傷をする子に、芋焼酎を濡らしたコットンのガーゼで手首や足首など、自傷しそうな場所をスーッと拭いてもらうと、スーッと邪気がとれるそうです。「これなら自傷せずに済みそう」とリストカッターの間で好評なのだとか。あくまで本に載っていた話、ということになりますが。▼『精神科養生のコツ』神田橋 條治そして僕が思いついた方法、バランスボールに座って上下にピョンピョン跳ねる、というもの。または片足でケンケン を左右繰り返す、スキップする、廊下を雑巾がけ、…など。要は自分の正中軸、“芯”を感じる。その感覚をしっかりさせるという方法です。やっていくうちに、不快な気分がなくなります。芋焼酎風呂同様、普段からやっていてもいい方法です。インナーマッスルが鍛えられ、『自分軸』がしっかりしてきます。ストレスに強くなり健康にもいいのでおススメです。他にも、自傷したくなる時に、体を激しく使う運動を思い切りして、その後は逆に、本を読むなどの頭を使う作業をする、という方法。学会で聞いてきた方法です。…などと、紹介しましたが、大抵の生徒たちは僕が薦める方法より自分が思いついた対処法、「自分の好きなことをしてやり過ごす」をとります。思春期の中学生にとっては大人から決められた正しい方法より自分の選んだ「好き」を選ぶ方が魂の健康に良いようです。 質問・メッセージ受付中!!
October 2, 2018
子どもの手首にカッターか何かで切った痕があることがあります。リストカット、通称リスカと呼ばれる、自分で自分を傷つける行為で、手首以外の場合もあります。このリストカット、一般によく誤解されているのが というもの。たしかに注目されやすい行為なので、『リスカをしたら、人に構ってもらえる』ということを切った本人が無意識に学んでしまうこともあります。ですがそれはあくまで二次的なもの。自傷する動機の多くは、などの、ひじょうに強い不快な気分からぬけ出すためしている、というもの。と言う子がいますが、変なことを言っているのではなく、本当にスッとするのです。血を流すと血圧が下がりますからイライラなどの興奮はマシになります。特に血液は、手首足首などに溜まりやすく、(ちなみに邪気も手首足首に溜まりやすいのだそうです。)そこを切るとスッとした気分になりやすいのでしょう。と言う子は自分の身体に強い刺激を与えることで身体の輪郭(自分がどこにあるか、どこまでなのか)を確認し、意識を保つのです。傍から見るとギョッとする方法かもしれませんが、その子なりの、とっさの対処法なのです。なので子どもに「いいか悪いか」を論じても根本解決にはなりにくいでしょう。どんな不快な気分への対処としてしているのか、を知ることが大事です。子ども本人も、なぜしてしまうのか分かってないことも多く、その場合、「どんな気分の時、切りたくなるのか覚えていてね」「切る前と切った後、どんな風に気分が変わっているの?」など、その子にリスカの前後をモニタリングしてもらうようお願いします。そして不快な気分を変える方法が他にないか、今までに何か試してみたことはなかったか、あるのならその方法だとどうなったのか、どのくらいうまくいったのか、なかったのなら他の方法を一緒に考えたり、考えてもらうようお願いしておきます。自分を傷つける行為を続けていくと(意識的にしろ無意識的にしろ『自分を大事にしていない子』という目で見られるので)『甘えてる』『病んでる』など言われたり被害的な目に遭うことも多くなります。なので何よりも子どもに『自分は大事にされるべき存在である』ということを思い出してもらうため傷の手当てを丁寧にしてあげましょう。手当てされる感覚が、『大切にされている』という感覚なのです。「そんなことすると ケアされたくてリスカすることが増えるのでは?」と心配される方もいるかも知れませんが、リスカは不快な気分に対するとっさの対処法。ケアを求めてやっている行為ではなく、ケアが必要になっている状態を表す行為。リスカに関心を向けるのではなく、リスカに走ってしまうような、その子をとりまく不快な状況が何かについて関心を向けましょう。『こんなことしてるなら精神病院に入れるよ』など脅すと「私が辛い思いをしていることを、分かってくれないんだ」と子どもは深く傷つきます。『あなたが大事だからもうしないで欲しい』とお願いする方がまだマシです。「あなたが自分を傷つけているのを見るのは心苦しい」ということを素直に伝えましょう。以前、辛くなるとリスカをしていた子がお母さんとの関係が良くなって『親からもらったこの身体を傷つけるわけにはいかない』と、リスカを我慢するようになったことがありました。子どもは「自分は大人から大事にされている」と感じられると強くなるんですね。 一コマ目で読んでいる本はこちらです▼ 『漫画リストカット症候群から卒業したい人たちへ』←全く効果がなかった左手フィギュア
September 24, 2018
8月半ばに入りました。子どもなら誰しもこの長い休みがどこまでも続いてほしいと願っていると思います。しかし徐々に近づいてくる夏休みの終わり。それが意識され始める8月後半は、不登校生にとって最も危険な時期。今でこそ夏休みの終わりに子どもの自殺が多いことは周知のこととなっていますが、昔はどうだったのか?実は不登校が今よりずっと少なかった昭和の時代でも、夏休み終わり時の子どもの自殺はありました。宿題を終えられない子が焦りからパニックを起こし、衝動にかられて自殺を計る・・・なんてことが毎年あったのです。そのため、夏休みの宿題には必ず解答が付けられるようになったのだとか。これまで学校のことを話題にしても全く平気だった元気な子でさえ、この時期、不安が強くなったり悲しみに浸ったり、重篤な鬱の人と自分とを同一視するようなことがあります。なぜこの時期こういったことが起こりやすいのか。幼稚園児など小さいお子さんでは分かりやすいのですが、土日明け、連休明け、長期休暇明けなどには、以前出来ていたことが出来なくなったり、ぐずぐず言うようになったり、調子が悪くなっている子がたくさん出ます。止まっていたものを動かす時が一番エネルギーが要るからです。夏休みの終盤は、新学期に向け長い間「制止モード」となっていた心身にエンジンをかけようと 潜在意識下で相当エネルギーを使っています。なので実は心は疲れており、イライラしたりウツウツしたりメソメソしたりボーっとしたりなど、気持ちのコントロールが難しい状態となります。しかし頭で考えても理由が分からず、本人らなりの理由づけが起こります。 『障碍者の人と比べて自分は頑張ってない・・・』 『他の人はお金持ちなのに僕の家はお金がない・・・』 (へ?君の家が?)過去の辛い記憶がやたら思い起こされ『みんなから嫌われている』『自分なんて生きている価値はない』『どうせ自分は何をやってもダメ』そういった思い込みが強くなってしまうこともあります。健康な生徒でさえ鬱状態に陥るのですからもともと心に傷を持っている子や心が弱くなっている子はなおのこと。なので僕は「8月後半の時期は落ち込みやすくなるけど 季節性のものだと思って気にしないでね」 と、いつも事前に不登校の生徒や保護者の方にアドバイスしています。 (また、「夏休み明けにまた会えるのを楽しみにしているからね」と 再会の約束を一言添えておくことも)そして2学期始めは月の美しい9月。「月」は「不安・憂鬱」を象徴することもありこの時期はメランコリックになりやすく、霊的な世界への扉が開いているかのようです。後で考えると自殺を考えるようなことはなかった、と言ってた子でさえ、何故かその時は死の誘惑にかられた、ということもあります。ボ~ッとしている時(傍からはフワフワしているように見える)などに魔の囁きが聞こえてくるそうです。特に孤独感を感じている人にこの「魔の囁き」は起こりやすく、僕の知っているひきこもりの女の子も8月後半から鬱が悪化し、頭の中で繰り返される魔の囁きにとり憑かれ、9月に入ってすぐの日曜の夜、自殺をはかりました。なので8月後半から9月いっぱいのこの時期は、少し不安定になっている子どもたちを大事に大事に見守って寂しい思いはさせないようにしてあげましょう。
August 3, 2018
不登校生と関わってきて思うのが、不登校になりやすい子の性格特徴のひとつに、『甘え下手』というのもあると思う。アピール下手なもんだから色々頑張っていても当たり前のようにスルーされなかなか周りの大人から 愛情や承認を受けられないままいてしまう・・・。それにひきかえ弟妹(きょうだい)達は アピール上手。大人の懐に入るのが上手く、しっかり可愛がられている。何だか面白くない・・・。イライラからつい弟妹に当たってしまい、親に叱られ『どうせ自分は愛されない・・・』と拗ねて意固地になってる子も。子どものエネルギー源はズバリ「大人からの関心」。なのでエネルギーの要るストレスフルな思春期を甘え下手な子達は躓いたり立ち止まったりガス欠を起こしながら一生懸命不器用にわたっているようです。今の日本社会は甘え下手だと不利になることが多いようで、「この子にはこの子の良いところがあるのになあ」「こういった子も世の中には必要なのになあ」と、残念な気がして仕方ありません。こういった子には、親が一対一で構ってあげる時間を取ってあげると好転します。愛情を注いでなおる不登校なら愛情をとにかく注ぎたいもの。しかし愛情を求めるのも受け取るのも下手な 甘え下手な子たちはその表現が 傍からは分かりにくかったり非常に間接的だったりします。大人が普通に対応しているつもりでも子どもの期待している通りでないとすぐ「もういい」「どうせ」と心を閉ざしてしまったりします。子どもの言うことには批判したり反論したり意見したりせず、丁寧に耳を傾け聞いてあげること。続けると、大抵、素直になってきます。少し幼児返りして我儘いうようになることもあるかも知れませんが頑なだったところが丸くなります。「今まで親には言っても無駄だと思って何も言わなかった」子が自分の考えていることをちゃんと親に言うようになってきます。「本当は淋しかった」など本音や弱い部分を言えるようになって来たりします。そうなると学校に行ってないことに対してもオープンに話し合えるようになります。ここまで来ると解決はほぼ時間の問題となります。稀にあるケースですが、「あれやれ」「これ買え」など、大人を動かそうとする要求が出てきたとしても呑む必要ありません。本当に欲しいのは大人からの関心なので、子どもの言われるがままにしても、子どもは本心では満足しません。(物を買い与え、その時子どもは喜んだとしても、 『物で誤魔化された』感を無意識に抱くので また要求してきます。 また、「あれやれ」と言われた時は 「じゃあ一緒にやろう」と 二人の共同体験へともって行くのが 要求をエスカレートさせないやり方です。)自分を語るのが苦手な子も含め、「親から関心を持たれている」かつ「親に認められている」と子どもに感じ取ってもらうのに僕がいつも薦めているのは、子どもが見せてくるもの(出してくるもの・呈してくるもの)を関心を持って受け止めること。甘え下手な子は、自己表現が遠回しなことがあり、見落とされることもよくあります。リビングでゲームをしているようなら、そのゲームについて興味深そうに質問してみましょう。動画を見せに来たら「うわぁっ なにこれ!」など反応してあげましょう。リビングや台所の上にしれっと読みかけの漫画やDVDなど置かれていませんか?それにも「面白そうね、どんな内容?」など聞いてみましょう。子どもが関心を持っていることに関心を持つことは子どもの意思を認めていることになります。それは「自立心」をくすぐるのです。思春期の不登校には必ず「自立」のテーマが含まれていますので、子どもを大切にしつつも子どもが自ら何かを選び取っていくことに歓んで応じることは子どもの成長を引き出すことになるのですよ。 相談・メッセージはこちらから
July 27, 2018
僕は大学時代に、今で言う『不登校』様症状になりました。一晩中家でゲームして夜明けに床につき、昼過ぎに起きる。適当に昼食をとりながら再びゲーム。それが夕食と風呂の時間以外ずっと朝まで。このような日が、3年近く続きました。きっかけは受験の失敗、失恋、気の合う友人が出来ない、授業について行けない、先生とのコミュニケーション不足、大学の校風が自分に合わない、無理に周りに合わせようとし過ぎた、・・・などのストレスが積み重なった故だと思います。何度もこのゲーム漬けの生活をやめようとしました。兄弟にゲームソフトを隠して貰ったり、兄弟の部屋の鍵付きの引き出しに入れてもらったり・・・でも頼むから返してくれと懇願したり、部屋に忍び込み引き出しをハサミでこじ開けたり、結局はゲームをしてしまう・・・。ゲームをする喜びと同時に、いつも自分をコントロールできない恥ずかしさをも味わってました。たまに大学に行くと、そんな自分が周りから軽蔑されているように思え、『お前はこの大学にいるべきじゃない』と言われているんじゃないか、そんな被害妄想にも陥っていました。 『ゲームをする』→『ゲームをする自分が情けない』→『その情けなさをかき消すためゲームする』この繰り返し。そこから抜け出すため僕が最初にしたことは、『ゲームをする自分を恥じないこと』だったのです。ゲームをする時に「これは自分の気分を前向きにするためにする」と意識してゲームする。そして終わった後は、「ゲームをする前より気分が良くなったのだからOK」と言い聞かせました。『自分はゲームをやめたくてもやめられない情けない人間』という受け身的イメージから『自分は自分をより良くするためにあえてゲームをしている』という能動的なイメージに変えたのです。自分はどうしてもこのような行動をとってしまう、と受け身的で、無力感を抱いてしまうところを自分があえてこの行動(症状)を選び、そしてその結果少しでも良くなったところを評価する、ということをしてみた。すると徐々にゲームへの執着が薄れ、ゲームの時間が減っていったのです。そして外へ散歩に出るようになったり、少しずつ勉強をするようになったり・・。おそらく『自分の行動を自分でコントロールできる』という自己効力感が回復してきたのでしょう、数か月後には、人目が怖くて仕方なかった僕がフリースクールで不登校生の相手をするボランティアをするようになり、さらに大学院に合格、ペットも飼い始め、家庭教師のバイトまでするように!「こんな自分じゃダメだ 変わらなきゃ」と自分を責めている時は変わらなくて、「これでいいんだ 立派だ」と自分を許して認めてあげると変わったのだからまずは自分を傷つけないことからかな。 相談・メッセージはこちらから参考文献:『星の王子さま』
June 30, 2018
▼宜しければこちらのブログにもどうぞ【マンガ 心理士はこう言った】【マンガ 愛着障害はつらいよ~コトハの臨床心理学】
June 20, 2018
学校に行かなくなった子ども。毎晩「明日は行く」と言っているのに朝が来ると起きられない。昼前に起きてきて、家でゴロゴロ、ネットやゲームばかり。そんな子どもの姿に苛立ち親としてはつい「学校に行け」と言ってしまいます。しかしそうすると激しい反発を招き、バトルとなってしまう。または厳しい表情でバタンッとドアを閉められ 部屋にこもられてしまう。・・・なんてことが繰り返されていたかもしれません。不登校になった子に親が「学校に行け」と言いたくなるのは当然のこと。でも学校のことを言って子どもが暴れる、不機嫌になって部屋にこもられるようならまだそれは言うべき時ではないかと思います。と思われるのももっともですが、学校に行かないことを一番責めているのは実はお子さんご本人なのです。思春期に入るまでは毎日普通に学校に通っていた、というお子さんなら、「学校には通うもの」ということが理解できています。「学校」の話題を聞いて暴れる、不機嫌になるなら、本人はそのことを痛いぐらいよく分かっている、ということ。暴れたり、物にあたったりなど、イライラが激しい時は、「何で学校に行けないんだ」という自責の念に苦しんでいる時。そんな子どもに学校のことを言うのは、傷口に塩を塗り込むようなもの。と思われ、信用を失い、親子関係の悪化へと、問題をこじらせていってしまうかもしれません。まずは落ち着いてもらうこと。学校へ行けと言わなくなると、子どもは少し落ち着き、余裕が出て来ます。この時期、学校のことは担任の先生にお任せするといいでしょう。「学校の先生」が「学校」を話題にするのは自然なことなので、親が言うより反発が少なくて済みます。とはいえ、学校に行かない自分を責めている頃なので、担任が家に(電話・手紙が)来るだけでもと、被害的に受け取り、暴れるかも知れません。しかし「学校のことを言うと嫌がるので」と言って学校との関わりを断ってしまうと、それはそれで、子どもの中に「見捨てられた」感が残ります。定期的な家庭訪問、電話連絡、配布物や手紙のポスティングは続けてもらいましょう。最初は、激しい反発を示すかもしれませんが、自分に害がないこと分かってくると、家に来ることを容認してくれるようになります。その際、子どもが担任と「会う」「会わない」かは、子どもに決めさせて下さい。嫌がっている時は会わなくていいのです。間違っても抜き打ちで先生と子どもを会わせようとしてはいけません。「学校と繋がっている」という意識を持ってもらうことに意味があるのです。これは、学校に復帰する時のための伏線作りになります。(学校の先生との繋がり方、家庭訪問テクニックについてはいずれまた)「心」は揺れ動くものですからずっと「学校なんて行かない!」と暴れているままではありません、学校に関心が向くときもやってきます。そのためにも余計な親子バトルを減らして家の中で安心して過ごせるようになることをめざしましょう。 相談・メッセージはこちらから
June 11, 2018
毎晩毎晩、子どもは「明日は学校に行く」と言うのにいざ朝になると全く起きる気配なし。日中はゴロゴロ、好きなことをしている。「いったいいつになったら学校に行くの?」「何で行けないの?」そう怒鳴ってしまうことも、あるかも知れません。とはいえこの台詞、言ってしまって良い結果になったことがワタクシの経験上 ほぼ皆無なためあまり、お勧めしません。言った後に、子どもがマンションの屋上までかけ上がって柵を乗り越えようとしたり、ガラス窓に飛び込んだり、ナイフを持ち出して来たり、風邪薬を大量に飲んだりなど、(実際に死に至るものではないのですが)衝動的な行動に走ってしまうなど、悪い結果になったことの方が多かったです。不登校生は学校に行っていない自分を「良し」と思っていない子が大半ですから(もちろんそうでない子もたまにいますが)「何で自分は学校に行けないんだ」「いつになったら行くんだ」と心の奥では自分を責め、そして焦っています。それをかき消すためにもゲームやネットやら自分の趣味に走ったりひたすら寝たりします。しかしその態度が傍からは怠けているように見えたり、何の心配もせず好きなこと三昧に過ごしているよう見えるのでと、言ってしまいたくなります。実は子ども本人も何故行けないのか分かってなかったりします。きっかけになった友人間のトラブルも解決したのにいじめてきた相手も謝罪したというのにそれでも何故か学校に行けない、・・・なんてこともあるのです。なのでますます、訳が分からない。とはいえ子どもの心の奥で常に駆け巡っているこの質問を親があえて言葉にしてしまうと子どもはと、感じます。親を苦しめていることに、罪悪感を抱く子もいます。どれだけ自分が苦しんでいるかわからせるため、また、こんな情けない今の自分を消してナシにしてしまいたい、という意味でも自虐的な行動に走ってしまうこともあるのです。学校に行くよう煩く言っても効果がないことを知っててもつい言ってしまう・・・そんなこともあると思います。親御さん、特にお母様はお子さんのいちばん身近な存在なため、子どもの気持ちと無意識に繋がっています。ですから、お子さんが学校に行かない自分を(無意識に)強く責めている頃は、お母様も無意識に共鳴して子どもを責めてしまうことが起こりやすいのです。お母様は、子どもを責めてしまう自分を責めるのではなく、子どもに対してどんな気持ちになるのか、チェックしておくといいでしょう。スクールカウンセラーの所に行く場合は、その情報(子どもと居るとどんな気持ちが湧いてくるか)も伝えましょう。とても貴重な情報です。以前、あるお母様が、ということがありました。そのお母様のお子さんは表情も体調も良くなり、ワタクシが「もうそろそろ登校に誘おうかな・・・?」という頃だったので「それは お子さんが自分に対し 『そろそろ学校に行けよ、何で行かないんだよ』と、 自分にたきつけているんですよ。 行きたい気持ちがあって、葛藤しているんです。 それをお母さんが感じ取っているんです。 なのでそろそろ登校の刺激を与えないと、 逆にイライラして攻撃的になるかも知れません」ちょうど定期テストがあったので誘ってみたら全日出席。お腹が痛くなるなどの不定愁訴も出ませんでした。「何で学校に行かないの」「いつ行くの」と言いたくなる気持ちは子どもの心のメッセージ。子どもの心が今どんな状態にあるか、そしてお母様の心の状態はどうなのか、それを見ておくことで「いつ行くか」が、分かりやすくなるのです。・・・ちなみに「何故行かないの」と聞かれた場合、脳は「行かない」理由を自動的に考えます。なので、学校に行けない理由ばかり思いつくことになり、結果、「だから学校に行けない」という結論に至るしかないのです。また、幼い子ほど、最初に思いついたことを「正解」だと思い込む傾向があります。なので幼稚園児さんなどの場合、「バスがうるさいから」「給食に食べたいものがないから」はては「イチゴが大好きなのにバナナ組さんやからイヤや」など???な解答が出てきたりします。・・・つまり、この質問の答えに 真の解答は期待できないってことです。 相談・メッセージはこちらから参考文献:「母親と教師がなおす登校拒否:母親ノート法のすすめ」▲子どもが不登校になったとき陥りやすい悪循環会話パターンの修正法などが載っています。 家族関係の歪み、親子の擦れ違いからくる不登校事例が多め。 発達障害やDVなどの要因を含む不登校向けではないかもしれません。 とはいえ高名な東山紘久先生の著書、参考になるものはあります。
May 16, 2018
「学校に行きなさい!」と言われても言われても「学校に行かなければ」と思っても思っても朝起きられず、昼寝て夜起きる生活になぜかなってしまう…。多くの不登校生が陥る「昼夜逆転生活」。と、思われる方も、いるかもしれません。小さい内に朝起きて学校に行き、夜寝るという生活習慣が身に付いていなかった子の場合はそれも当てはまることでしょう。しかし、という子の場合は、そうではないかと思います。 昼夜逆転は、 不登校であるがゆえの症状なのであって、 不登校の原因ではありません。 深夜アニメを見ているから朝起きられない、という訳でもないのです。 昼夜逆転は、不登校の子にとっては、正常かつ健全な反応。 日中、 学校にも行かずに家で起きていると、 外で働いている人たち、学校に行っている人たちに対し いたたまれないような気持ちになり、心からくつろげないのです。そのため、子どもは家から外に出ません。(出るのは休日か夜。)…と、思われるかも知れませんが「世間の目」が分かっているから、昼寝て夜起きる生活になるのです。子どもに社会通念が身についている証拠として親御さんは、(これまでの)自分の子育ては間違ってなかったのだとまずは安心していいかと思います。 不登校に陥った子が まず最初にしなければならないことは、 家でくつろぎ、エネルギーを充電すること。しかし昼間起きていると、気が休まらず、充電が出来ません。夜は世の中全体がお休みモード。周りに気を遣うこともなく、「世間の目」を気にせず、くつろぐことが出来るのです。子ども本人が昼夜逆転を直したいと思っているのなら、大人は協力してあげても良いと思います。しかしそうでないのなら、 昼夜逆転生活のことを責めるのは得策とは言えません。朝起きて夜寝る生活がいかに正しいかを説くと、子どもはと感じ、更に苦しみます。それが、親子バトルにまで発展したり、自殺未遂に至ることもあるのです。 (不登校中一番困るのは、問題が複雑化することです。) 多くの、昼夜逆転中の不登校生は、 「この生活を直さなきゃ」と思っています。しかし身体は「頑張りたくない、休みたい」と望んでいます。不登校生と話をすると、こうなる前は友人関係や勉強課題、クラブの練習、上下関係、家族関係やら、自分以外の「何か」のため過剰に頑張り続けていた、という経験を持つ子がとても多いのです。身体は、これ以上子どもの「意思」に任せておいては危険と判断し、エネルギーを取り戻すため外からの刺激をシャットアウトし、自分の内からの欲求に従おうとしているのです。心身回復に向けた、健全な反応です。子どもは不摂生な生活がしたいわけでも、周りに反抗したいわけでもありません。まずは家の中で、安心して充電できるよう、「学校に行きなさい!」「朝起きなさい!」などしつこく言って子どもを責めないように。(不登校生への声掛けのコツは「こまめに、しかし深追いせず」です。 いずれ詳しく書きます。)せっかくためたエネルギーが、責め苦に耐えること使われてしまいます。(そうすると堂々巡りに陥る)めざすはという状態。家の中で心が安定すれば、子どもは冷静に今の状況を見つめられるようになり、外へと関心が向き始めます。再登校へのチャレンジは、それからでも遅くはないかと思いますよ。ちなみに『太陽光と同じ効果のある蛍光灯』とやらは…■太陽光に最も近い5500k ■Vita Lite-バイタライト3777 20形18W★ブログ、引っ越し予定です。いずれここのブログは削除しますので、新しいブログの方にどうぞ。コメントも新しいブログから出来ます。 ★よろしければこちらの「カウンセリング修業ブログ」もどうぞ
May 4, 2018
不登校の生徒と関わってよく思うのが、「NO」を言うのが苦手な子が多いなぁ ということ。優しくて、人の期待を拒むのが苦手だったり、生真面目で不器用で頑固で、人間関係を適当にやり過ごすことができなかったり…理由は色々ですが、総じて「NO」を言うのが苦手な子はいじめられやすくなったり 不登校になったりと損な目に遭いやすいようです。優しくて、断るのが苦手な子は受容的ですから、他人を利用しようとする人(自分を受け入れさせたい人、自己中心的な人)が寄って来ることがあります。そのような人に、依存されたりいいように使われたりしてもNOが言えないので、「嫌だな」と思いながらも 付き合い続けます。そしてある日パタッと エネルギーが切れて 学校に行く力が出なくなってしまいます。不器用な子や頑固な子、生真面目な子は同級生からからかわれたり、嫌なことを言われても機転の利いたとっさの対応が苦手なので何も言えないまま 固まってしまいます。それが「あいつには何を言っても大丈夫だ(言い返してこないし、言いつけないし)」と思われ、調子に乗られ、からかいの対象となったりすることもあります。そしてそれに耐えるエネルギーが切れた頃、家にこもるようになります。(家では暴れたり怒りっぽくなったりすることも)どちらとも『何も言えない不甲斐ない自分』を味わうことになり、自分への信頼が低くなります。(信頼が低くなると、積極性も低くなります。) 何も言えないままでいることは いじめられ体質になっていくことにもなるのです。そういう生徒達と よく実践しているのが、ここ(相談室・安全な場所)で、 悩みの元となった相手をイメージして、自分の気持ちを伝えること。言いたかったことを、今ここで言うこと。 この方法、意外なことに生徒たちは真剣にやってくれます。もとは僕の相談室にある大きなぬいぐるみを、生徒たちが憎き(?)相手に見立て言えなかったことを言ったことが始まり。やってみた生徒たちが皆、 「スッキリした!」と、 本当にその相手に言ったような感覚になるのです。そして何より、「大丈夫、(自分は)出来る」と自分への信頼を取り戻しているのです。 NOを言うのが大事と分かっていても出来ない人は、 後からでもいいので、安全な空間で、 言ってやりたかったこと、言ってやりたいことを、相手をイメージして、それに向かって、声に出して言うこと。(声に出すのがポイント 真剣になるほど良い)そうすると、 「私はちゃんと言いたいことを言える」という感覚が身体に入り、 『何も言えない不甲斐ない自分』というイメージを防ぐことが出来、自分への信頼を保てます。(自信がついた子は 担任の先生に事の次第を話して 相手との話し合いの場をセッティングをしてもらってもいいでしょう。)ちなみに不登校の生徒が回復期に、「本当はあの時○○が嫌だった…」と、『過去の傷つき体験』を 親に言うようになることがよくあります。なので、「嫌なことが言える」ことは「癒える」ことでもあるのでしょう。言いたいことは飲み込まず、声にして言うこと。 「しょせん架空だし…」「今頃言ったって…」と何も言えないでいると、心も癒えないままになっちゃいますよ。ブログ、引っ越し予定です。コメントは新しいブログの方から。カウンセリング修業ブログにも宜しければどうぞ
April 23, 2018
「不登校生が復帰に向け春休み中にしておくこと③ 固まってしまわないために」新学期が始まりましたね。眠い目をこすりながら毎日登校している子もいれば、始業式は来て、次の日は休んで、その次の日は遅刻…など五月雨登校の子もいます。学校に行こうと思っているのに身体が動かない、朝起きれない、なんて子もいることでしょう。学校に行っている行っていないに関わらず、子どもも親もとにかく「焦らない」こと、「欲張らない」こと、「思い詰めない」こと。焦ってもいいことは何もないですからね。ところで相談が来ました。「学校に行きたい気持ちはあるものの、 人(同世代・集団)と会うと固まってしまう」、というもの。固まってしまう理由は色々だと思います。人とどう会話していいか分からない、想定外のことが起こるとどうしていいか分からなくなる、人から変に思われるのではと怖くて何も出来なくなってしまう、過去に辛い体験があって、その時の体の反応が出てしまう…などなど。理由はさておき固まった状態でいるのは身体にとって良いものではありません。このような相談を持ってくる生徒とまず話し合うのが、「じゃあ、固まったときどうするか決めておこうよ」というもの。どうするか決めておかないことが、固まったままでいる要因でもあります。結構これって大事なことなんです。生徒がやりたがる方法があればそれでいいのですが、一番オーソドックスなお勧め法は「深呼吸」。とくに息をゆっくり長く吐くこと。深呼吸は体をリラックス状態に導きます。リラックスしてから、「生徒と決めておいた行動」をとるようにします。そして普段からやっておくといいストレッチをご紹介。身体にぐっと力を入れて肩を上げ、その状態をギリギリまでキープ。そしてその状態から一気に脱力してリラックス。一日数分、続けていくと、ストレスに強い体になると言われています。自ら緊張を作り、それを緩和するということをくり返すことで身体が「緊張をコントロールできる」と学ぶからだと思います。「自分で何とかできる」という感覚が身に付くと、自信がついてきます。このストレッチ、こちらの動画で見られます。(1分10秒ぐらいの所から始まる)▽ボイストレーニング 準備運動ストレス対処のためではなくボイストレーニング用なのですが、宜しければボイストレーニングもしてみて下さい。僕は、生徒によってはボイストレーニングも薦めています。不登校になる子には、自己表現が苦手な子も少なくありません。同級生の会話の中で自分を出せないと、学校に行ってても「自分がいない」ようで楽しくないんです。(これもかなりストレスになります)「声を出す」ということは、「自分」を出すことの練習にもなります。このストレッチは東日本震災の後、生徒たちに薦めたセルフケアの一つです。大人のストレスマネジメントにもよく取り上げられていますよ。子どもと一緒にやってみてはいかがでしょうか。▼お勧め書籍:割といい本でした。宜しければ図書館で探してみて下さいようこそ反抗期―不登校のこころの読み方登校拒否・引きこもりの二次的反応―かかわりつづける人のためにブログ、引っ越し予定です。コメントは新しいブログの方から。
April 15, 2018
始業式まであと少し。今のクラスでは復帰に踏み切れなかったけど、仕切り直して今度こそ…!そう思っている子も、多いことでしょう。「学校復帰が少しでも上手くいくよう 春休み中しておくことはないですか?」という質問も、保護者の方からよく受けます。ワタクシがいつも言うことは「好きなことや楽しいことをして エネルギーを蓄えておいて下さい」というもの。新しいことや苦手なことに挑戦したり耐えたりするにはエネルギーが要ります。エネルギーが無いときには、いつもと違ったことにも、ほんの少しの嫌なことにもキーッとなったりグサッと傷ついたりしてやる気がなくなります。学校に行かなくなったばかりの頃がそうだった、という子も多いのではないでしょうか?再登校を試みたものの、同級生の「何で学校に来なかったの?」の一言に傷つきふたたび不登校状態になった…、という子もいたかもしれません。そのためにもエネルギーは必要。寝ること食べること。そして好きなことに熱中したり楽しむこと。と突っ込まれそうですが、実は好きなことの仕方がこの時期は少し違います。春に花が開くように子どもの心もオープンになっています。外の世界のものを、吸収しやすい状態になっているのです。学校に行けない罪悪感を掃うためネットやゲームに走っていたり不安に抗うべく好きな世界に逃げていたような内にひきこもろうとするようなものではありません。今、好きなことを楽しむことは登校というフライトに必要な燃料をためること。効果的だったのは子どもの趣味に親(特に同性の親)が一緒につきあうこと。自然散策にお寺巡り、お城大好きっ子にアイドル好き、電化製品街好き、釣りにキャンプにグルメ旅…子どもの個性が分かって面白いものです。親の趣味に子どもをつき合わせて楽しむのではありません。親が自分の楽しみに夢中になり過ぎると子どもは置いてけぼりにされてる気がします。また、親がうんざりした気分でつき合ってもいいことはありません。子どもは親が自分を本当に見てくれているかどうかちゃんと感じ取ります。「自分の好きなことに触れること」は「自分を取り戻すこと」、「楽しむこと」は「エネルギーを蓄えること」。「親に一緒に来てもらうこと」は「親にそれを保障(保証)してもらうこと」。「〝親は私の味方なんだ”と思ってもらうこと。」「うちの子は、何をしている時ワクワクしてるだろう?」そう考えるだけでも子どもにとっては(親が自分の気持ちに関心を向けてくれてるという点で)プラスになっていると思いますよ。 ▼宜しければこちらのブログにもどうぞ【マンガ 心理士はこう言った】/ 【マンガ 臨床心理士コトハ】
April 4, 2018
「春休み中にしておくことはないですか?」という相談を、この時期よく受けます。1学期から不登校になった子も、2学期から不登校になった子も、厳しい寒さが過ぎ、柔らかな温かさが感じられるようになると、心に希望の風を 吹かさずにはいられないようです。以前より表情も綻び、体がよく動いています。来月から学校に!そう考えている不登校生も多いことでしょう。復帰には一番いい時期です。僕の答えは、「とにかく楽しい体験や好きなことをして、 エネルギーを蓄えて下さい。」プラス、ここ数年よく答えているのが「日常の些細なこと(どうでもいいこと)で、 生まれてこの方やったことがないことをしてみて下さい。」というもの。ずっと家で同じような毎日を過ごしていたなら新しいものへの耐性が弱くなっているかもしれません。新しい環境、新規なものは子どもにとってそれだけ負担がかかるもの。慣れるのに半年かかる子さえいます。不登校になる子には頑固な子、新奇なものへの適応が苦手な子も、少なくありません。少しずつ、「新しいこと」「今までと違ったこと」に慣らしておく。今まで入ったことのない店に入ってみる、今まで食べたことのないものを食べてみる、今まで通ったことのない道を通って家に帰ってみる、今まで花の香りなんて匂ったことなかったけど匂ってみる…等。小さなことでいいんです。新しい人間関係!やったことない習い事!なんてことになると、ハードルが高すぎます。大きな新規体験だと、かえって負担になるかもしれません。疲れるようだったらやめましょう。エネルギーが蓄えられていない子にとってはプチ新規体験でも、負担になることがあります。(表面上はやる気がないように見える。)目立った効果はありませんが、チャレンジ精神と、新規耐性を高めることが出来ます。新しい行動を起こすようになると、運の流れも変わります。自分を変えたい時などにもお勧めですよ。 宜しければ乙生 弦吾の記事のページにもどうぞ
March 23, 2018
「不登校生から薦められるもの」 不登校やひきこもりの子と仲良くなると彼らから ゲーム、動画、音楽、漫画、アニメなどを薦められてくることがあります。 服(豹柄!)をプレゼントされたこともあります。 若い頃ならともかく中年になった今では思春期の彼らの趣味には正直ついて行けないし共感できない…とはいえ彼らの薦めてくるものを疎かに扱うのは得策ではありません。 「面白そうだね」「へえ~」など興味を持って反応します。しかし褒めなければならない訳ではないです。『この子が今 関心を持っているのはこれなんだな』と、 知って、認めておくこと。 「学校にも行かずそんなことばかりに夢中になって」など否定や批判はしないこと。 彼らが薦めてくるものは いわば彼らの「自己イメージ」。アイデンティティとも言えるかもしれません。 「私はこういうスタンスの者です」という名刺のようなものなのです。 名刺交換の際、 名刺を貰ったら、相手の名刺を見て それに何か一言コメントするのが礼儀になってますよね?それと同じ感じで反応するといいかもしれません。ちなみに アメリカの社会心理学者の調査によると思春期・青年期は どんな音楽や本、ファッションなどを選ぶかで同年代間の社会的地位が決まるのだそうです。彼らの選んだもの認めることは自立心をくすぐることになります。「大人に認められた」ということで、自信がつきます。さらに彼らの薦めてきたものにハマったりすると、「大人を夢中にさせた」ということで自己効力感が大いに高まります。(ホクホク顔になります!)とはいえ全ての生徒の薦めてくるものを見ている訳にはいかないので、最近では、公式ホームページやウィキペディアで概要を調べ、情報やイメージの共有だけにしています。(子どもにとっては大人を動かしたのだからそれでも良いようです。) 一番いい方法は、その作品のどこに感動したのか、どのように惹かれているのかを子ども本人に教えて貰うことです。時短にもなるし、本人の口頭での表現力アップにもなりますよ。ブログ、引っ越し予定です。このブログはいずれ削除します。新しいブログは【こちら】 宜しければカウンセリング修業ブログの方もどうぞ
March 12, 2018
不登校、ひきこもりの子のみならず、生徒には出来るだけ「自分で選ばせる」ようにしています。…まあ、たまにおせっかいで僕が正しいと思うものを押しつけてしまうこともありますが(反省)。自分が納得のいく選択が出来るよう援助するのが、カウンセラーのあり方かな、とも思います。特に思春期を迎え、自我が芽生えた子ども達は、自分で選んだものでなければ納得しません。自分で決めて自分で行動して自分で結果を得てみて…初めて納得するのです。ですから僕が内心「こっちの進路の方がこの子に合うんだけどなー」と思ってその進路先を薦めても、その子が自分で色々考えたり、行動したりして決めたのでない限りは、例えその子に合った進路先でも、途中で辞めてしまったりするのです。しかし中には、自分で自分のことをどう決めればいいか分からない、という子がいます。『私の方が正しい答えを知っている』と盲信している周りの大人に何ごとも先出しされ、自分で試行錯誤し、試しにやってみる機会を奪われ続けたせいかも知れませんし、周りの大人の顔色をうかがってからでないと、自分のとるべき態度を決められない環境で育ったがゆえかも知れません。または、見通しを持つということが難しい気質ゆえ何を選んだらどうなるか見当がつかず、どうすればいいか分からないからかもしれません。しかし選択を人任せにしていては、「自分」を持つことが出来ないままとなってしまいます。「自分がない」という感覚は、外界と自分とを区切る心の壁が薄くなることを意味します。人の中にいると、自分が根無し草のような、ぼんやりしている感じを味わったり、外界、つまり他人からの影響をまともに受けやすくなります。例えば人から悪い評価などをされた時などは、深く傷つき、いつまでもその影響から立ち直れなくなったりすることもあります。「他人に私のことなんて完全に分かるはずない!私は私!」という確固とした感覚がないので、外から来た思いや感じ、刺激に振り回され、振り払うことが難しいのです。以前関わったひきこもりの生徒で丸2日かけても「自己プロフィール欄」に一行も書けない子もいました。幼い頃より、他人の心を読むことばかりにエネルギーを使ってきて、自分の気持ちがどうなのかを考えることを後回しにし続けていたため、自分が何を感じているか、何を望んでいるか、何をしていると心地良いと感じるか、これからどうなりたいかなど、自分で自分のことが分からず、大勢の人の中に居ると混乱するようになっていたのです。そういった子達のために、自分を確たるものにする方法の一つが「自分で選んでみること」。自分で選ぶことが出来ない…自分が何を望んでいるのかわからない、と言う子には、「じゃあ、これとこれならどっちがいい?」と、聞いていくことから始めます。自分で決めることに慣れていない子にとって「好きなもの選んでいい」「何でも自由に決めていいよ」というのは、自由度が高過ぎ、漠然としていて決断が難しいこともあります。何かを選ぶ、決断するというのは、実はとてもエネルギーが要る作業です。心が弱っている時には、非常に負担となります。「じゃあ、中華とイタリアンと和食だったらどれが食べたい気分?」と、選択肢を少なくして具体的にしてあげると、選びやすくなります。それでも無理な場合は、さらに選択肢を狭めます。消去法でもOKです。その際は、その子自身の、身体の感覚に気付かせるよう、身体への問いかけを促すような質問の仕方をするようにします。自分のことを自分で決められないでいる子は、自分自身の感覚や気分に、鈍くなっています。身体の感覚に敏感になれば、自分の好き嫌いや、何を望んでいるかも自ずと明確になってきます。そして、自分の決めたことに対しては責任も生じます。「責任」というものが自分にのしかかると、自分の存在意義もより確かに感じられます。「どれでもない」「わからない」という選択肢も用意しておきましょう。与えられた選択肢の中から無理やり選ぶのではなく、「わからない」「決められない」という決断もある、ということを示します。「今はまだ分からないんだよねー」と、相手の「わからない」という判断も、立派な意見として尊重してあげること。「保留」もまた、大事な選択なのです。選んできた結果が自分の歴史、選ばれたものが、自分を表すもの。「自分で選ぶ」ことで、「自分」がどういった人間かが、実感として分かりやすくなります。「選択」こそが、「自分探し」なのです。11.07.05 Click Please!【にほんブログ村】 【人気ブログランキング】
March 10, 2013
学校で仕事をするようになってから、僕は『「頑張れ」と言われてしまう子は、もう既に頑張っている子だ』と、思うようになりました。 ある日、カウンセリングルームの外の庭で、授業中なのに、ずっと座っている生徒がいました。そこを通りすがりの先生に発見され、「こんな所でサボってないで、頑張って教室に入りなさい」と、言われ始めました。生徒を諭す先生のその発言の中に、「頑張れ」という言葉はわずか数分の間で、10回以上は出ていたでしょうか。でも、「頑張れ」と言われ続けていたその生徒は、実は朝の5時から起床して自分のお弁当を作り、明け方に酔っ払って帰って来る父親、姉の吐き散らかす汚物の掃除を1人でし、家の家事をほぼ全てしている子だったのです。そのことは本人から聞いていて、僕だけが知っていたのですが。傍からは授業をサボっているように見えてしまうので、「頑張れ」と言われてしまったのでしょう。本当はもうすでに、頑張っている子だったのに。その時から僕は、「『頑張れ』と言われてしまう子は、実はもうすでに頑張っている子なのではないか?」と、考えるようになりました。人は、自分の言動、行動に何の反応もしないような人を、相手にしようとはしないものですよね。例えばすぐに傷ついたり怒ったりする人をからかいやいじめの対象としたくなるのと同じように。それと同様、「頑張れ!」と言われて頑張ってしまう子に、人は「頑張れ」と、声をかけてしまうのでしょう。何を言っても応じない相手には、人は何も言わなくなるものです。「頑張れ」と言われてしまうのは、人の言うことに応じて、頑張ろうとする人です。頑張る人だと認められている人です。僕は、日本人って褒め方下手だな と、よく思います。「頑張れ」は定番ですが、頑張っている人に「頑張れ」と言うのは、相手が今頑張っていることを、認めていないような感じがしませんか?僕は「頑張れ」より、「よく頑張っているね」という言葉をよく使います。以前、毎朝学校に行こうとすると激しい頭痛と身体のしびれに見舞われる、という子に会いました。彼女はクラスではいじめられ、両親には忙しくて構ってもらえない子でした。その子は口を開けば自分の不幸話、愚痴ばかりだったので、多くの人は、その子の延々と続く不幸話にうんざりしてました。(聞いていたら確かに嫌な気持ちになりましたがね・・・)しかしそんな状況でも、学校に来て過ごそうと頑張っていたのは事実だったので、「よく頑張ってるね」と、会う度に言ってました。そうすると、その子の言動に、ほんの少しずつですが、嬉しかった話などが混じってくるようになりました。そうして、人に希望を与えるような詩を書いて持ってくるようになりました。頑張っている面を見つけ、そこを認めてあげると、頑張ろうとする力が強くなっていくようです。自分が頑張っていることが無駄ではない、ちゃんと認めてもらえることだと分かると頑張り甲斐も出るのでしょう、頑張り方も、より前向きなものへと変わって行くんですね。僕は、自分の不幸さや、いかに辛いかを訴えてくる人は、実はそんな辛い状況の中でも頑張っている自分がいることを、分かってもらいたいだけなのではないだろうかと、思うようになりました。そして、「この世に可哀相な人などいなくて、(誰もが自分の課題を抱えながら)頑張っている人がいるだけなんじゃないだろうか?」とも思うようになったのです。 2007.March Click Please!【にほんブログ村】 【人気ブログランキング】
November 22, 2012
文化祭、体育祭、遠足に定期テスト…2学期の諸々の行事が終った後、秋の後半から冬にかけて不登校生は冬眠準備に入ります。10月終わりに「外に出たい」と、ひきこもっていた子が外に出る気を出してくれたのも束の間、 この時期から冬眠モードに入り、ふたたび自分の世界にこもりやすくなります。様々な文化行事に使った気力・労力の疲れが、行事のなくなった今になって、押し寄せてきたためもあるでしょう、行事に参加していなくとも、不登校生は同級生の動きにアンテナを張っています。気にしていないようでも潜在的に気を使っていたかもしれません。 「不登校安定期」、(学校に行かないことを除いては全く普通に生活している時期)に入っていた生徒も、 ちょっと後退したかのようになるかもしれません。昼間起きてるようになったのに昼夜逆転生活に戻ったり、積極的に家事手伝いをしてくれてたのに、最近は家族と話す機会も減ってきたり…。登校していなかったとはいえ健康で穏やかでそこそこ活動的だった、という子がこの時期停滞・後退し出した場合は、季節的なものであることが多いのです。「せっかく最近調子がよくってもうすぐ登校かな!?と、思ってたのに!」 などと思っておられる保護者の方もおられるかもしれませんが、冬の寒空を見上げて元気が出る人なんていないでしょう?本来冬はあらゆるものの生命活動が内へとこもる時期。関心もエネルギーも、外ではなく内に向かうようになります。身体の変化としては冬の寒さや空気の乾燥に、免疫力も弱まり、新陳代謝も下がります。太陽の日照時間も短くなるので、心のバランスを整え、憂鬱な気分に陥るのを防いでくれるセロトニン(神経伝達物質)が作られる量も減ります。この時期調子が悪くなったり活動が少なくなったりするのは自然なこと。冬の間、植物が春の芽吹きに備え、栄養を蓄えて過ごすように人の心と身体も、冬の間に一年の疲れを癒し、春に向けてエネルギーを蓄えようとするのです。そのため活動量が減り、元気がなくなって、ゴロゴロ、ダラダラ、ぼーっとしてしまうことも多いかもしれませんが、決して怠けているのではなくて、エネルギーを蓄えているのです。この時期の、活動量低下は悪く受け取らない方がいいでしょう。エネルギーが外に向けられていないからといって、後退しているわけではありません。大きなチャレンジや決断を促すようなことが、向いている時期ではないだけです。 来春中学三年生になる不登校生の場合は、今ゆっくり英気を養っておいてもらった方がいいでしょう。1年生の時から不登校の子は3年生からは、少し雰囲気が変わり始めます。2年間たっぷり休んだ分、3年生時は、その子なりに進路のことで覚悟を決めているようです。保護者の方は、従来の不登校の子の主な進路先についてその手の情報に詳しい先生から聞いておいて、不安を少なくしておいた方がいいでしょう。僕は2年の学年度末辺りに、これまで関わってきた不登校生の主な進路先、どういう不登校生がいて、その子がどういう学校に行ったのか、その後どうなったかを 生徒とその保護者に前もって言っておきます。中学時不登校でも、楽しく高校生活をおくっている子がいること、受け入れてくれる高校があることを知らせておくだけでも、生徒の不安を減らすことが出来、安心して休養することが出来ます。逆に春が近づくと元気や活力が出てきます。 どの程度元気が出るかは、人それぞれですが、春が近づくと心の中でうごめきだします。春の訪れる気配に期待と不安と好奇心が膨らまない子の方が少ないのです。 そのためにも、冬眠期間中は栄養と休養をとること。地中に深く潜れば潜るほど春には芽吹きます。2007.November Click Please!【にほんブログ村】 【人気ブログランキング】
October 2, 2012
せっかくカウンセラーの所へ訪れたのに自分にとって何のプラスにもならなかった、という思いをした不登校生徒の保護者の方も多いことだろうと思います。そういったときは他をあたる事も一つの手でしょうが、どこへ行ってももひとつピンと来ない、同じような対応をされるだけ、というのなら、それはその保護者の方が、助言を受け入れる準備がまだ出来ていない、ということなのかもしれません。子どもが不登校になると、どの保護者も、あの手この手で子どもを学校に行かせようと、嘆きパニクり子を責め自分を責め泣き落とし脅しつけ奮闘します。家族間でどうしても緊張状態を迎えずにはいられないのです。保護者が「何が何でも学校に行かせたい」「私が頑張って何とかしたい」というのが本音の時はたとえ実績あるすぐれたカウンセラーが的確な助言をしようとも心にピンと来ないことでしょう。カウンセラーは子どもの立場に立った意見を言うことが多いので、どうしても保護者に「学校に行けとうるさく言わないで下さい」「そっと見守りましょう」などの助言をしがちです。保護者が「学校に行かさなければ」という焦りの気持ちでいっぱいの時は、そのような甘ったるい助言(というより無理な助言)は心が受け付けず、聞き流されてしまっていることでしょう。「散々あちらこちらの相談機関を回り、 色々なアドバイスを聞いたけれど 何の役にも立たない! 自分なりにあれこれ色々家でやってみる、 でもどうにもならない、もうどうすればいいんだ!ヘトヘトだ! …はあ~…」そしてすっかり疲れ果て、もう努力する気にもなれない頃に、良いカウンセラーに出会えたりします。しかし実はそのカウンセラーも、かつてあちこち相談に行って回った時に出会った、イマイチ納得がいかないカウンセラー達と、同じようなことを言っています。でも今度は、何だかちょうど良いカウンセラーに出会えた気がするのです。自分に相応しいカウンセラーに出会うまでに、保護者の方は一苦労しなければならないのかもしれません。カウンセリングショッピングや占い師、霊媒師巡りをした人は大勢いるはずですし、僕は保護者がそうやってあちこち走り回る期間も必要なのかなと思っています。 思いつくあらゆる努力をしてみて成果を上げられないという、心底疲労し自信を失うという経験をしないと、「不登校」というものを理解できないからかもしれません。なぜなら保護者が味合わされるその「色々頑張ってやってみても無駄だった」「自分にはもう何も出来ない」という徒労感と疲労感こそ、不登校の子どもが味わっている感覚でもあるのですから。親と子はつながっていますので、子どもの味わっている疲労感や徒労感を親もまた何らかの形で味わされるのは当然といえば当然のことかもしれません。そうして保護者の方が子どもと同じ心身状態に陥ったとき、カウンセラーの言う不登校対処のアドバイスが子どもにではなく、実は今の自分の心にちょうど合った必要な言葉として心にストンと落ちてきます。そうして(本当は「タイミングが合った」だけなのですが)とても自分に合った助言者に、出会った気がするのです。2008.MayClick Please!【にほんブログ村】 【人気ブログランキング】
October 1, 2012
「ネット上だけの友人」がいるという方は今や少なくないでしょう。顔も見たこともない、文のやり取りだけの友人。それどころか、その人のブログやレスを見ているだけ、という一方通行の場合もあるかもしれません。それでも自分にとってその人は心の支えになっている人。そんな人がいる人は多いだろうと思います。しかしある日その人のブログや掲示板などに感謝と謝罪の言葉と、これから自殺するという文が書き込まれている。…こんな経験が多くはないでしょうが少ないわけでもないのです。僕ももちろんそんなことがわが身に起こるとは思ってもいませんでした。自分の生活からはほど遠い、本の中に出てくるような、言葉だけの事象としてしか認識していませんでした。なので目の前に「自殺」という現象が迫ったときには何をすればいいのか、どうしてあげればいいのか、どう動けばどうなるのか、本当に死んでしまうのか、何をするのがいいのか、何が出来るのか。混乱と葛藤と焦りと無力感、あまりに強い衝動に同時に襲われ僕は感覚が麻痺しその場でフリーズしてしまったのです。以降、二度とあんな苦しみを味合わないよう「これから自殺する」という書き込みを見つけたときの僕なりの対応を開発しました。それをご紹介しておきます。自殺予告を見た時は当然ショックを受けます。しかし、焦る心に「どうすればいいか分かっているはず」と、言い聞かせ落ち着かせます。この時、相手の状況がどんなに救いようのない不幸なものに思えて、「このまま死なせてあげる方が相手のためでは…」という考えがよぎろうと「100%死を望んでいる人間などいない、必ず1%は生きることを望んでいる」「自殺は『今の生き方をリセットしてもっとより良い生き方がしたい』という思いの裏返し表現である」という、自殺対応のプロの方が言っていたことを思い出し気持ちを奮い立たせます。どこの誰か分からないからどうしようもないと思っている方もいるかもしれませんが(現在はあまりいないと思いますが)警察に通報します。インターネット上の自殺予告については、接続業者などの団体が 発信者の名前や住所を警察の求めに応じて開示するとしたガイドラインを策定しており、通報を受けた警察が 業者に照会して発信者を割り出すことになっています。ちなみに2007年に警察が本人や家族を説得して自殺を思いとどまらせたり、病院に運んで救護したりした人は72人。(毎日新聞の記事を参照)相手のブログのページアドレス、掲示板のアドレスだけでもOKです。相手のIPアドレスやホスト先も分かるようならそれも伝えておきます。文面から緊急性があると思われる場合は『心配なので、すぐに生存確認を取ってください』と言っておきます。あまり緊急性がないと思われると「明日の朝電話しておきます」と言われてしまうことも。(警察の対応は、個人差があります。)通報した後も、何かしなくてもいいのかという不安と焦燥感を抱えることになると思います。その時は、パソコン画面上のその人の書き込みを見て強く、全身全霊で、『死なせはしない』と心に念じます。そして、自分の想いのベクトルが、パソコン画面(電話の場合も可)の向こうの相手に向かって発されその人の背後から回って両肩をギュッとを抱きしめ、それから自分が相手の背後から耳元に「死ななくていい」「僕がついてる」と、囁くイメージをします。さらに拍手ボタン、メール、ブログのコメント、相手とコンタクトがとれる箇所の全てから「私はあなたに死んで欲しくない」「あなたが辛い状況にいるのはいたたまれないが、 それでも私はあなたを失いたくない」と自分の感じている真剣な思いを送ります。「自殺を望んでいる人を止めたりしたら恨まれるのでは?」という不安があるかもしれませんが、加賀乙彦先生(犯罪心理研究者、精神科医、文学者)の著書『悪魔のささやき 』(集英社新書)によると、自殺を止められた人が「なぜ止めたの、死なせて~!」と怒ることは滅多になく、大抵の人が「良かった、助かって」と、生きていることに安堵するのだそうです。僕も自殺未遂をした人に何人か会ったことがありますが、「あの時はちょっとおかしかった」など、その時の自分を恥じている人ばかりでした。恨まれる懸念は不要です。自殺を止めたいと願うのは人間の本能なのです。本能に逆らう方が不自然です。自分の内側から来る力の正しさを信じましょう。自分は相手の『生きたい気持ち』であり、相手の『生きようとする思い』が、自分を今この場にこうして引き寄せたのだ、 自分の思いが強くなればなるほど 相手の『生きたい気持ち』も強くなるのだと。自分の『真剣な思い』を弾に相手の心に狙いを定め、相手の『死にたい気持ち』を撃ち砕くように、送信ボタンを押します。冗談で自殺予告を投稿した方もいるかもしれませんが、例え冗談であっても「死ぬ」と言っている人は、何らかの辛さを抱えています。こちらの「死んでほしくない」という真剣な気持ちが伝わると、自暴自棄な気持ちが怯むのです。最後に、「人事を尽くして天命を待つ」。自分が思いつくことは全てやった、真剣にやった、「その子にとって一番いいようにしてあげて下さい」と祈ってあとは天の采配にお任せしましょう。その後どういう事態となっても、それがその子にとって一番良かったのだと、自分の心を納得させるためです。以前僕と交流のあったブロガーさんが自殺予告を書き込んだ時、僕はその子のHPと携帯サイトのメールボックスからメールを、そしてそのブロガーさんとネット上で交流があったカウンセラーさんに電話して、そちらからも声をかけてくれるよう頼み、その後警察に「生存確認をとって欲しい」とお願いしました。警察の方は即動いてくれたようでその子を説得し、「自殺しない」と約束させてくれました。後に精神薬が切れたことから鬱状態が悪化したためと分かり、落ち着いた頃には「一時の気の迷い」「二度としない」と言っていました。今ではリア充しているようです。通報すると、そのブログや掲示板は削除されてしまうので、その方とのつながりがそこで切れてしまうこともあるかもしれません。心の支えとなる人の消息が分からなくなるのは辛いでしょうが、それでも、「自分が何もしなかったためにあの人は死んでしまったのではないか」という苦しみを背負うよりずっと、ずっといいのです。2012.08.26 インターネットホットラインセンター
August 25, 2012
不登校回復の道のりの中で(少なくとも僕のケースにおいて)一番障害となるのは昼間家でゴロゴロすることを「甘え」だの「怠け」だの「不摂生な生活をしているのがいけない」などの偏見によって回復に必要なエネルギー補充の時間の邪魔をされてしまうことです。この点について理解を得るのが難しいこともあって、どれだけ僕が「不登校の子が昼間寝て過ごすのは自然なことですから」「心身の疲労回復には睡眠が一番いいんです」「ゴロゴロ、ぼーっとする時間は、今まで頑張ってた分、必要なんです」と、不登校の子にとってゴロゴロ・ぼーっと過ごすことが正常かつ自然で、回復の道を進んでいる証拠なのだと説明しても、「昼間っから家に居るのは許せない」「周りの子がちゃんと学校に行っているのに甘えている」「働かない、学校にも行かないことは、人として認められない」「不摂生な生活態度だから何事も上手く行かないのだ」など、親御さん自身の人生観、生活観、それまでの自分の育児に対する自負などが子どものこの「ゴロゴロ、ボーッと過ごす時間」の邪魔をします。以前僕が面談を続けていた不登校生のお母様に「昼夜逆転もゴロゴロ、ボーっと過ごすことも、 回復に必要なので存分にさせてあげて欲しい」とお願いしましたが、「私は子どもの頃から、 多忙な親に代わって家でも働いてきた。 それなのにこの子は怠けていて…どうしても怠けを認められない」と言われ子どもの態度を怠けととるその見方を断固変えられなかった方がいました。それから一年後にその不登校の生徒に会った時、髪の毛が白髪だらけになっていたのを見て、「ああ、守ってあげられなかったなぁ」と、自分の力不足を嘆いたことを覚えています。お母様が自分の価値観に固執したため、そうでないものを受け入れられなかったようです。子どもは子どもなりに一生懸命考えて生きているのに、自分の理解できないものを認めようせず、社会の物差しだけで何でも見ようとするその頑なさが、子どもに生き辛さを与えてしまっていたのではないかとその時思いましたが…。ゴロゴロ、ボーっとしているからといって子どもは決して怠けているわけではありませんし、むしろこの「ゴロゴロ、ボーッと過ごす時間」を過小評価したために、不登校状態に陥ってしまったのではないかと僕は思っているくらいです。不登校は、きっかけは対人トラブルなどですが、不登校になる前段階に、新しい学校や人間関係に馴染もうとしていたり、ハードなクラブ活動について行こうとしていたり、自分の能力を超えた学習課題を必死にこなしていたり、自分の資質に合わない教育スタイルを親のために続けていたり…など周りの基準に自分を合わせ、使い込み過ぎていた時期があります。その時は、自分のことを省みる余裕がなかったことでしょう。不登校になって、最初の激動期を終えると出てくるこの「ゴロゴロ・ボーっ」は不登校生たちが、その目的に向かって頑張っていた時期に、本来ならするはずだったであろう行動の集大成です。当時、身体も心も疲労回復を望んでいたはずですが、「何とか馴染むため頑張らねば」「こんなダラダラしている暇はない、無駄に時間を過ごさず勉強しなければ」、など時間や労力や気力を目の前の目標達成のために使い、自分のための無為に過ごす時間、無駄なことをする時間を持つことを後回しにしていたことでしょう。人生の挫折やらストレスやら、嫌な出来事のクッションとなるのは、この「無駄な時間・無為に過ごす時間」です。ストレスフルな出来事が起こったとき、人は、この「無為な時間を過ごしていた時」にいったん避難するのです。そうして疲労を回復し、体勢を立て直した後、元の道に戻ろうとします。しかしそれらを「無駄」「非効率的」「目標到達に関係のないもの」として生活から締め出し、目的追求のための時間や行動ばかりを重視すると、避難の場所も、大事な生きる力を養う時間をも失ってしまうことになります。(これは不登校生のみならず、サラリーマンの鬱などでも同様です)不登校生のこの「ゴロゴロ・ボーっ」と過ごすありようを見ると、無為に過ごす時間、無駄なことをする時間を本能的に取り戻そうとしているように思えます。もちろんそうするのは、回復と、そしてその後の新たな成長のためのエネルギー充電です。(大人の鬱と違うのは、 休養だけではなく、成長のための助走の働きも実はしていることです。)子どものしていることが一見無駄に見えても無駄なことこそが、生きる力を育んでいたりするものです。子どもの行動全てが、実は自立に向かって成長しようとする行動であることは、僕は確信しています。「無駄な時間こそ、生きる力を養う」のです。2012.06.12【にほんブログ村】 【人気ブログランキング】
July 31, 2012
ある先生から相談が来ました。俗に「五月雨生徒」と呼ばれる、学校に来たり来なかったりする生徒についてです。その先生は毎朝その子の自宅に迎えに行って何とかその子を登校しやすいものにしようと誘ってくれたり励ましてくれたり、頑張ってくれています。元気に一緒に登校できる日もあれば気分が優れず、ぐずって登校できない日もあります。その先生は、その生徒のそういった行動が理解できず、僕にこう質問してきました。「この子はひょっとして 甘えているだけなのでしょうか?」僕は先生がその子を「甘えている」と見てとっていることに違和感を覚えました。先生に構われるのを期待して悪ふざけやちょっかいをかけてくる生徒が、教員に「甘えている」というのはよく分かります。放任主義の親に育てられた子や育児放棄の子などに、よくある反応です。しかしその五月雨登校の生徒は、体調が悪くなったりしながらも何とか学校に行こうとしてくれている、頑張ってくれている子なのです。なのでなぜ先生がその子を「甘えている」と見立てたのか僕には分かりませんでした。そうして僕が思い至ったのが、「甘えている」と大人が子どもを見なしている時は、そう言っている本人が、実は甘えたがっている時なのではないかと。どの人にも、自分の経験や見聞などから作り上げた独自のものの見方、感じ方、判断基準があるように、子どもにももちろんあります。大人と比べると未熟かもしれませんが、子どもには子ども独自のものの見方、感じ方、判断基準があります。 しかし、自分の理解できる範囲から外れているものを理解しようとすることは、外国語を学ぶことと同じで、とても労力が要ります。子どもがどういうつもりでいるのかを理解しようと思ったら、大人は子どもの目線までしゃがみこまないといけません。子どもの行動の意味が分からない…、どう解釈すればいいかわからない。相手を理解しようと努力することに疲れたとき、もうこれ以上相手のために頭も身体も使いたくないとき、子どもが「甘えている」ということにして、子どものせいにしてしまいたくなるのでは。「甘えている」という言葉は、まるで子どもの未熟さに問題があるかのように人に思わせられる、世間一般にも通用しやすいとても都合のいい言葉です。(言った者勝ちなところがあります。)本来出来るはずなのにわざとやっていない、子どもは実力を出し惜しみしているのだから、大人がそれに歩み寄る必要はない…というニュアンスもあります。相手を理解しよう、歩み寄ろうと努力することに、「もう疲れた」「休みたい」「楽したい」…、その気持ちを子どもに映し出し、まるで子ども自身がそう感じているかのように受け取り、そうして自分を納得させ、子どもが甘えていることにしてしまう…。とりわけ教職員は、職業上自分に厳しく、「甘えたい」気持ちを強く押し込めている人が多いもの。甘えたい気持ちを強く押し込めている人ほど、相手の態度に「甘え」を映し出しやすくなります。(そして自分が「甘える」ことを許さないでいる人ほど、 相手の甘えへの怒りも強く感じてしまいます。)その先生が五月雨登校の生徒を「甘えている」と見なしているのは実はその先生が本当は甘えたい、つまり、大人である自分が生徒に歩み寄るのに疲れた、生徒の方こそが自分の方に歩み寄ってきて欲しいと内心願っているのではないか?と。そう思い至った僕はその先生に対して日頃頑張ってくれていることを労ったり、褒めたり、評価したりすることを忘れていたことを思い出しました。先生が毎日その子を迎えに朝早くから頑張っているのに、教員として当たり前のこととして誰からも労ったり褒められたりもせずにされているのは、その五月雨登校の生徒が一生懸命学校に行こうと頑張っているのにその(見えない)努力を労ったり褒められたりもせずにされていることと実は同じであると。僕は子どもを「甘えている」と言っている先生に対しては、実はその先生に、人に甘えたい、癒されたい、評価されたい、労わってもらいたい気持ちがあるのではないか。そしてその気持ちを強く押さえ込んでいるのではないか、と考えるようにしています。どうしてもスクールカウンセラーは生徒の方に気が向きがちなのですが、「ご立派ですねぇ~。誰でも出来ることではないですよ。 その努力はちゃんと、あの子の成長の糧になっていっていますよ、本当ですよ。」 など、いつも生徒のことで骨を折ってくれている先生にも、ねぎらいいたわりの声をかけるように。そうすることで、先生の生徒への見方もより自然体なものへと変わります。甘えたい気持ちは誰でも持っているもの。大人の方にも適度に甘えたり楽したり癒されたりしておいてもらわないと、子どもの理解出来ない言動に出遭う度に、抑圧している気持ちを投影し、「あの子は甘ったれている」と、子どもに不当な評価を下し、子どもを辛い状況に追いやってしまうことになりかねません。僕は子どもの態度に対し、大人が見てとってしまう気持ちは、実はその大人の心の叫びかもしれないと、大人には内緒で、勘ぐるようにしています。2007.October Click Please!【にほんブログ村】 【人気ブログランキング】
July 26, 2012
子どもが「死にたい」と、言ってくることがあります。表情は必ずしも暗いわけではなく、 学校でも特に目立った問題はないかもしれません。しかし、子どもの「死にたい」という言葉は、軽く受け流してはいけません。「死にたいと言っている子は自殺しない」「気を引くためにわざと言っている」 「死にたがっている子に、自殺したい気持ちについて色々聞いたりすると、 かえって自殺への行動を現実のものにしてしまう」と、一般には思われているようです。そのため、子どもが死にたい気持ちを打ち明けても、それを聞いた人から軽く受けとめられたり、聞き流されたりすることがあります。 「死にたい」という言葉は衝撃が強く、聞いた周りの人はその言葉に少なからず動揺します。「死にたいと言っている子は自殺しない」「嘘を言っている」と思うことで自らの気持ちを落ち着かせ、「何を馬鹿なこと言ってるの」と、子どもの言うことを否定したり、または自分の心を動揺させられた怒りから、「『死にたい』なんて軽々しく言うものじゃない」「生きたくても生きられない可哀想な人もいるのに」と言って叱責してしまうのも無理はありません。 結果、子どもは「真剣に受け止めてもらえなかった」「分かってもらえなかった」という気持ちを味わうことになってしまい、かえって自殺への気持ちを強くしていることがあります。(表面では「てへへ~」と笑って過ごしているのだとしても。) 「死にたい」と言っている直後に自殺することは、そう多くないかもしれません。「死にたい」と言葉にして口から出すことで、気持ちは少し楽になるからです。 しかし、「死にたい思い」を打ち明けながらもそのまま放っておかれるという経験を繰り返せば、自分は大切にされる価値のない人間だという思いが強くなり、その後その子が自殺遂行に至る危険性は、十分あるのです。 「死にたい」と子どもが言って来た時は、必ず真剣に耳を傾けないといけません。「自殺はいけないことだ」「親不孝だ」「周りが悲しむ」など、社会倫理や他者を持ち出して相手の自殺を止めようとする人もいますが、 そのような言い方では、相手の心には何も響きません。社会が、第三者が許さないよ、という言い方は、どこか自分の気持ちを誤魔化し他に(相手に)責任を転嫁して対処しようとしています。相手のことより自分自身の心の安寧の方が大事なのだと、死を真剣に考えている人には、すぐ見破られます。 無責任な態度では、死を考えている人を止めることはできないのです。本当に今、心から感じていることを言葉にしないと相手の真剣な気持ちを受け止めることは出来ないのです。日本人は、人を叱る時や行動を止めさせようとする時、「○○さんが悲しむよ」「世間が何て思うか」など、 第三者や周囲の目を引き合いにして、本人に思いとどまらせようとする言い方が多いのです。「第三者があなたをどう思うか」ということが、本当に伝えたいことでしょうか?「私はあなたに死んで欲しくない」が、本当の気持ちのはず。「死にたい」と子どもが打ち明けてきた時は必ず、「僕はあなたに死んでもらいたくない」と、一番伝えたいことを真剣に言葉にしないといけません。 誠実さのない心では、真剣な心と向き合うことは出来ません。少しでも言葉に嘘や欺瞞、躊躇いがあったらすぐばれてしまうのです。 その子の「死にたい」気持ちから目をそらさず、真剣にその「死にたい気持ち」を聞いてあげること。死にたい気持ちを吐き出させてあげることはその子の辛い気持ちを楽にすることでもあります。・それは死にたいくらい辛い思いをしているということなのか、 それとももう二度と目を覚ましたくないと思っているということなのか、 どのくらい死にたいと思っているのか、・自殺の方法、計画を実際考えているのかどうか、・あるのならどのような方法で死ぬつもりなのか、またはしたのか、等自殺したい気持ちについて具体的に聞いていくことは、自殺したい気持ちや不安が、かえって和らいでいくものです。 例え本気で「死にたい」と言っていたわけではなくても、自分の気持ちを真剣に受けとめてもらえたという経験は、 子どもにとって決して悪いものではありません。(「冗談が通じない奴」とは思われることはあるかもしれませんが。)子どもに「死にたい」と打ち明けられ、真剣に受け止められずその後本当に自殺してしまった時の後悔や苦しみは、「冗談が通じない奴」扱いされる苦しみの比ではないのです。死なれてからでは何もかも遅いのです。2011.8.3自殺対策-内閣府-WHO による自殺予防の手引き
July 26, 2012
[不登校の子と時間感覚]不思議なんですがね僕は不登校の子といると、時間感覚がなくなるのです。時計の針によって刻まれるデジタルな世界からそこだけ区切られてゆうるりとした 時の流れの中にいるようで、その時僕は不謹慎なことに何ともいえない幸福感を味わったりするのです。不登校の子には感受性が強い状態になっている子も多く、外の世界にいると、刺激や要求を感じとり過ぎます。 そのような子達は外界の過剰な刺激が遮断された所に避難し、自分ひとりで過ごす時間を持たないと、自分を取り戻すことが出来ません。自分の外にある基準に合わせ過ぎて疲弊して自分を見失った子達ですから。「何が自分だったか」という感覚を取り戻すためには自分の内側からくる声を聞かなければなりません。他人の声ではなく、自分の内側から来る声を。「夜は寝て、朝は起きる」「夕食は必ず家族と一緒に食べる」さえダメな時もあります。自分の外側の何かに合わせている事になるからです。昼夜逆転も、無理に直さなくていいのです。実際、昼夜逆転したり生活リズムを崩した子の方が、学校復帰が早かったりします。自分の身体と心が刻むリズムをしっかり味わい、感じる力を取り戻さないと「自分」を取り戻すことは出来ないのです。傍からは遊んで怠けて甘えてるようにしか見えない不登校生ですが、「自分」を取り戻すために実は必死だったりするのです。大人だって数年間、自分の内側から来る感覚や要求、リズムを無視し続け、外にある基準にばかり従って生活するようなことをし続けたら、同じような精神状態に陥ります。不登校の子と共にいると、時間というものが、他人の要求で作り上げられたものだということが、教えてもらえるようです。外の世界の基準から解放されると時間はとてもゆったりと流れ始めます。(といっても、不登校生たちは、内心学校に行ってない焦りでいっぱいですが)時計の針の示す時間、家族が促すスケジュール、学校が決める年中行事…そもそも自分の人生を、どんなスピードで過ごすか自分以外のものに決められてしまうなんてその方が不自然じゃないでしょうか? 2007.june Click Please!【にほんブログ村】 【人気ブログランキング】#不登校 #ひきこもり
June 8, 2012
初めて仕事で子どもというものに1対1で関わることになったとき思った。子どもは太陽だと。自ら引力を発する恒星なのだと。子どもを前にすると大人はその引力によって子どもを中心に周る惑星へと貶められざるを得ないのだと。僕は決して子どもが好きだったわけではないし、それどころか人にも動物にもまるで興味がなく、人の苦しみにも気持ちにもまったく無頓着の、自分のことにしか興味のない人間だったのにそれがどうであろうある日小学四年生の不登校の子の相手を命じられ、その子を前にしたその瞬間何とか、何とかこの緊張している子の心を解きほぐし、楽な気持ちにさせ楽しませてあげなければならないという構えに僕が変わってしまったのだから。自分のためにではなく相手のために自分を動かさねば、という構えになったのは僕が覚えている限りではその時が、初めてだったと思う。そして子ども達が校庭で遊んでいる様を見ていて心と身体、芯から緩んでいく、ほぐれていく、そんな感じが僕に起こった。その時今、幸福かもしれないと 思ってしまったことに自分でも驚いた。「幸福」とは、自分の望みが叶い、自分の欲望が満たされ、自分が周りから賞賛され認められることで得られる快感なのだとそれまで僕は信じていたのだから。既存の幸福観を一瞬に覆し、自分のことなど後回しにしてしまうほどの力を持つもの、それが「子ども」なのだとその時思った。「子ども」というものは特別なことなどしなくとも周りの大人たちを自らの輝きによって、明るく照らす力を持つのだ、何と「子ども」の持つ力は凄まじいことかと、その時驚いたものだ。幼い子どもは「自分は何だって出来る」という万能感を持っているという。それは現実での自分の非力さを補うため備わっているとされているが、僕はダイレクトに人の心に作用する「神がかり的な力」を子どもは実際に持っているのだと、信じている。振り回され、心労させられ、辟易させられながらも、それでもやはり気持ちが子どもへと向かってしまうのは愛情だとか教育だとかの概念を飛び越えて結局は子どもの発する引力に引きつけられてしまっているだけなのだ、という気がする。親から充分関心を注いでもらえないでいる子どもが自らの身体を傷つけているのを見ると、僕は、大人を自らの存在によって右往左往させ、喘ぐ心をゆるませ 自分のことなど後回しにさせられるはずの己が「神がかり的な力」が、一番身近な存在である大人に発揮できないでいることに苛立っている行為のように思えてならないのだ。2012.2.14
June 2, 2012
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