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2011.01.31
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☆ 今日、11月に行った幼稚園実習の成績開示がありました。 6月のときは、5段階評価で4という総合評価でしたが、11月のものは総合評価ではなく、「10項目あって、実習態度、愛情を持った子どもへの接し方、日誌、研究保育の項目が5評価、それ以外の項目が全て4評価、3.2.1評価の項目はありません。(ということは、50点満点で、44点ということ。前期実習50点満点中の幾らかを足して、合計で100点満点中の最終成績が出るけど、それは開示してくれなかった。実習園によって厳しさ甘さが違うので、一概に点数だけては評価出来ないから。)一般的に、3が普通で、2.1が悪い、4.5が良い評価なのだけど、毎年、評価の厳しい実習園なので、ここでこんなに高い評価はまずないので。いい実習ができてよかったですね。」との講評でした。その他の6項目がどういう内容か、調べてみないと分からないのだけど、でも、5評価を下さった4項目って、私にとってはすごく嬉しい項目で、実習態度を5と評価して下さったなんて。愛情を持った子どもへの接し方が5って見て下さったなんて。日誌、頑張って書いたけど、5評価だなんて。そして、実習生の研究保育に5評価を頂けるなんて!!!嬉し過ぎる。ありがた過ぎる。(T_T)嬉し泣きです。今まで頑張って来たこと、ひっくるめて、感慨深いです。本当にいい勉強をさせて頂いた実習でした。睡眠不足と体力不足に苦しんだけれど、幼児教育の現場の大変さと楽しさややりがいを身を持って実感出来た実習でした。本当に感謝です。(^-^)人生、ありがたい。今日の写真は、最近のたからくんブーム、三方の折り紙です。
2011.01.25
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2011.01.22
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☆ お教室で宝良の前にレッスンがある小学生のお姉ちゃん。 将来こんな曲を弾いてみたいという憧れを先生と語っていて、 そのお姉ちゃんの憧れは、ショパンの「英雄」だとか。 その会話に影響を受けて、1.2年前に友人と話したことを思い出して、私も先生に言ったのよ。 その友人は、大学ではピアノが専攻で、自分でもご自宅でピアノのお生徒さんを持つピアノの先生なのだけど、 思うところがあって、幼児教育の資格を取りに、短大に社会人入学してきたという人。 彼女、自分も先生だけど、短大で出会ったうちの先生のレッスンを自分が習いたいと、来ていたの。 で、いつだったか、私が 「遠い未来、いつか弾けるようになってみたい憧れの曲の一つに、ドビュッシーの(ゴリウォークのケークウォーク)があるのだけど、あの曲はどのくらい難しいの?」 と彼女に聞いたら、 「うーん、かなり難しいよ。まぁ、ブルグをやっているレベルではないよ。」 って感じで答えてくれたという話。 それを聞いて、先生が、 その友人のことを、 「彼女の言い方、優しいよね。本当にいい人よね。」としきりに言う。 「ああいう速さの元気な曲を弾くには、それだけ弾けるようになるんじゃなくて、そういう指を作れないといけないからね。」 「宝良君が弾いてくれるかもね。」と。 つまり、先生も言葉を選んで、決してそういう単語は使わなかったけど、 大人からピアノを始めて基礎を積み上げてない人には、この先も無理じゃないかな、弾けないと思うよってことなんだよね。 昨日の晩、宝良が、 「ママピアノがんばってね」と書いてある花丸いっぱいのお手紙を持ってきて、 「ママ、小学生よりピアノが下手っぴでも、大丈夫やで。 頑張ってお稽古して、自分ができんかったことがちょっとずつでも出来るようになっていったら、いいんやで。」 と言ってくれた。 嬉しいぞ~(^-^) ぼちぼちでも、頑張ろうっと。
2011.01.21
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☆ お正月明けて、いつくらいだったか、 とにかく、そこから毎日トイレが近い。 日中も90分で、限界。 外出先で、大変に困る。 夜中も、きっかり90分おきに限界で目覚める。 熟睡できず、 日中、眠くてフラフラする。 大も小も調子悪い。 背中痛い。 首痛い。 喉痛い。 そんなこんなで、最低限のことだけして、色々さぼって、休み休みの毎日。 今日、あまりの練習不足に、4月3日のピアノの発表会で、予定していた、ショパンのワルツ イ短調遺作を仕上げるのは間に合わないだろうということになり、 それは、4月以降に取り組むことに。 代わりに、急遽、 バッハの1056ラルゴ(チェンバロコンチェルト)を、簡単に編曲したものを、譜読みすることになりました。 先生は、簡単に編曲したものを弾くよりは、正規で実力相応の曲を、という方針なんだけど、 さすがに、今の私に、実力相応の曲で発表会は可哀想って感じです。 うーん、ぼろぼ~ろ。 数日、いつでもトイレに行けて、眠くなったらいつでも寝られるように、 家に籠もって、休みたい。 せめてもの救いは、運転していて、あちこちにコンビニがあり、トイレが何とか借りられること。 これで、道すがら、コンビニがなく、トイレが借りられないかも、と思ったら、本気で、怖くて、外出できないよ。 困った。 (T_T)
2011.01.20
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☆ 2月11日建国記念日に、宝良の幼稚園では音楽会があり、練習が始まったようです。 宝良のクラスは、 合奏「勇気100%」 歌「アララの呪文」 ハーモニカ「ふるさと」 歌「おひさまになりたい」 の4曲をするそうです。 合奏では、シンバルを希望していたたからくん。 でも、この曲ではシンバルは無いことが分かり、キーボードにしたそうです。 どうしてキーボードにしたの? ときくと、「ピアノの練習をしてるから、弾けるかと思って」と宝良君。 家で、勝手にハ長調階名で歌いながら、探り弾きで右手だけ弾いてみたり。 何だかちょっと楽しそうです。(o^o^o) 年末から、 家でのピアノ練習に付き合うようになって、 当然宝良は嫌がるだろう、押し付けになるだろう、と予測していた私でしたが、 次のレッスンまでに、取り敢えず、両手で一応は最後まで通して、 最終2日くらいは、たからなりに、一応、曲のイメージや強弱など考えて弾く練習をして、持って行けるようになると、 自分でも、ピアノを弾くことが少し楽しくなってきたようです。 どうせ、弾けない下手くそな僕、という自己評価から、 お教室のお兄ちゃんお姉ちゃんたちみたいに上手じゃないけど、少しだけなら、僕もピアノ弾けるよ。 と、宝良の中で、自分に対する認識が変わってきたようで、 幼稚園の音楽会の練習も、楽しそうです。 ピアノの家庭練習、なるべく付き合ってあげるようにして、よかったなぁ。 (^-^) しかし、その日から、 私自身のピアノ練習は、全く出来なくなりました。 (^^ゞ 私の時間と気力が、持ちません。 短大の後期の授業と試験が全部済んで、宝良が幼稚園に行っている時間で、なんとか私の練習が出来るでしょうか。 しかし、その時期は、10月頃からずっと待ってもらっている、マンション自室内の配管と内装工事が入る予定です。 私、マジで、4月のおさらい会に弾けないと思う。 (T_T) それでも、幼稚園の音楽会練習や何やで、宝良の表情が楽しそうな姿を見るのは、嬉しいことです。 (^-^) 今日の写真は、「ぴょんぴょんカエル」の折り紙。 冬休みに入ってすぐは、 風船ばかり折っていましたが、次にはまって折っていたのが、このぴょんぴょんカエル。 遠くへ飛ばしたり、おんぶかえるにして(2段重ねにして)高く飛ばしたりして、遊んでいました。 今は、なぜか、三方(台付き器?)ばかり折っている宝良君です。
2011.01.18
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2011.01.17
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☆ たかだか、カレーライスの温度の話から、根深い悲しい気分が蔓延することに。 愚痴日記だから、書かないでおこうと思っていたのだけど、3日たっても、こんな気分に支配されているので、やっぱり、書いて吐き出してしまおうと。 先日、短大の行事があって、午前中一仕事すませてから、昼頃実家へ寄った。 前日から4日連続で短大行事のため、日常の時間帯で生活できず、そのため、宝良の幼稚園のお迎えと、お稽古ごとへ送っていくことなどを、実家の母に依頼。 実家はお商売をしているので、仕事の関係で母が不都合なときは、宝良のお稽古ごとを休ませて、私か夫が迎えに行けるまで、取り敢えず、幼稚園の居残り(19:30まで見てもらえる)になるのだが、仕事でどうしても無理なとき以外は、実家の母が、宝良のお迎えなどをしてくれる。それはとても助かっているので、その部分だけに焦点を当てて、感謝だけしていればいいんだろう。 けれど、人間には感情があるので、悲しい気持ちにもなることだって、あるんだよ。 前日に、宝良のお迎えなどを頼んだ際、購入してたった2日で、宝良の眼鏡が紛失。で、まあ、出てきたのでそれはよかったのだけど、発見が23時を過ぎていたので、翌日、午前中の短大行事が終わってから、宝良の幼稚園へのお迎えまでの間に、眼鏡を取りに、実家へ立ち寄ったという経緯。 さて、ちょうど昼時だったので、昨晩のカレーがあるから、食べていく? と勧めてもらって、お腹がとってもすいていたので、ありがたくいただくことにした。 私は猫舌である。熱々の食べ物は、すべて好きではない。多分、子どもの頃から、あつあつでものを食べさせてもらっていないため、熱々ではない食べ物に慣れているのだろう。 私が子どもの頃は、まず、お父さん(1品多い)、次に兄たち、そして、私と母とおばさんという順で、食事が許される家庭だった。 なので、私の好みは、生暖かい程度のカレーのほうが好きだ。昨晩の残り物のカレーなので、冷めている。私は、そんなに熱く温め直さない状態でのカレーが欲しいと言った。 すると、実家にいる一番の年長、89歳のおばさんが、「そんなのは、非常識だ。食事は熱々がおいしいのだ。」という。 それを受けて、母は、カレーもご飯も、MAX熱々になるまで、わざわざ一手間かけて、私の前に置いた。 私はお腹がすいていたので、できればすぐ食べたかったが、お皿を持つのも熱いくらいあつあつなので、私はすぐには食べられない。しばらく、待たないといけない。目の前において、犬のおあずけ状態である。 たかが、カレーの温度である。5分も待てば、いいだけの話である。 私は、普段、そういうときは、悲しい気持ちになりながら、何も言わずに、黙って待って、従ってきた。 何故なら、子どもの時から、自分の気持ちを言って、それで、コテンパにおばさんにやっつけられて、その後、必ず、母親から、「あなたとおばちゃんが喧嘩したら、ママは必ず、おばちゃんの見方だから、あなたが出て行きなさい」と叱られて育ってきた。 母としては、家庭内の目上の者を敬い従うように、躾け教育する意味だったのだろうと思う。 さて、カレーの話に戻る。 子どもの頃から、「奴隷の身分のくせに、自分の希望なんか口にするな」的な扱いをされてきたことの積み重ねが悲しいので、ここで、口を開いてみた。母に向かって、「ねぇ。ちょっとどういう気持ちでなのか、教えてもらいたいのだけど。私が、熱々ではないカレーが好きなので、できれば、ぬるいとか、冷めている状態のカレーが欲しいと何度も言っているのに、わざわざ一手間かけて、熱々にして、私の気持ちを汲まない、無視していいと思うのは、どうしてなの?何を考えてのことなの?」と、聞いてみた。 すると、横から、おばさんが口を挟んで怒ってきた。「何を言っているの。冷めたカレーなんて、非常識。レストランだったらどうするの。冷めたカレーを出せというの?私だったら、そんなお客はお断りだ。非常識。誰が正しいか、パパに聞いてごらん。」と。 誰が正しいとか、レストランがどうとか、カレーが熱いとか、そんなことは、どうでもいい話で、私が質問していることは、「なぜ、母は、私の気持ちをどこまでも聞き入れないのか?」「なぜ、母は、私の気持ちは、どこまでも、踏みにじっていいという判断なのか?」という質問なのだ。おばさんはいつものように続けてくる。「ああ、もう、そうやって怒るのも、これで最後。もう、カレーは作らない。(私も年寄りなので、もうすぐ死ぬだろうから)ああ、ばあばがあんなこと言っていたなって、思うときが来るから。(亡骸を前に、年寄りをいじめたと後悔するときがくるよ)」と、いつものごとく、私が自分の気持ちを主張すると、罪悪感を持たせるように話を持ってくる。 ほんと、いつものことだ。子どもの頃から、ずっとこの調子。 私がやっと、宝良を授かったときも、おばさんの一番最初の言葉が、「妊娠しておめでとうなんて、言わないよ。自分の健康管理もできなくて、自分の身の回りもろくに管理できないのに、あなたに、子どもなんて育てられる筈がないでしょ」だった。例えば、宝良の発達障害の指摘があって、一時、附属小学校の方が向いているのではないかとの情報に、その選択肢を検討したときも、(検討の結果、やっぱり、うちの子にとっては、附属小学校の方ほうが、デメリットが大きくて、地元の地域の小学校の方が、メリットが多いという結論になったけど)おばさんの一言は、「たからが、どうかという前に、あんたなんかに、附属のママはつとまらないから無理。附属の子のお母さんは凄く忙しくて、毎日のように、学校の用事で出かけていて、あんたみたいに、仕事だの学校だのと、自分のことにかまけているようなお母さん失格じゃ、附属のママはつとまらないから。無理無理」と。 ま、いつも、この調子。 おばさんは、いいんだ。別に。何をしても、母ほど私にとっての影響力がない。 長い人生、気の迷いってことがあるでしょ。 私もね、一度だけ、本気で自殺を考えたことがある。 姑があんなで、嫁ぎ先を「出て行け」と出されて、夫に、「(姑が落ち着くまでの)ちょっとの間、実家に帰っていてもらえるか」と言われ、実家に泊まったら、一人っ子の兄嫁のこと。自分の実家も自分のものだが、嫁いだ先の家のものも、全部自分のものと、私が帰ったのが気に入らず、「一度嫁がせた娘に、敷居をまたがせるお母さんが許せない!」と大騒ぎ。(別に、兄家族も実家に同居してる訳じゃないけど、許せないってさ) あっちも、こっちも、好き勝手なこと言って、何様やねん。って状態の時、だからって、自殺しようなんて思わなかったけど、そこで、実家の母が言った一言。「相手がどうであれ、何が正しいかとかではなく、とにかく、あなたが、お姑さんに添い従わないことが間違っている。私は、あなたには、何もしてあげられない」 この一言が、私に、本当にもう死にたいと思わせた。 母親の承認というのは、いくつになっても、人に影響力を持つものなんだな。 さて、その苦しい時期を、自分の人生は自分でコントロールするのだと、訓練して、立て直してきたけれど、淡々と自分の人生を頑張っていくしかないってことは、分かっているし、そうしているんだけどね。感情は、沸いてくるんだよ。 私が関東圏に住んでいて、そこで大学病院に3ヶ月ほど入院していたときも、四国に住んでいた両親が、父の交友関係に付き合って、わざわざ飛行機に乗って、上京してきて、会に出て、その方々と、歌舞伎を鑑賞して、そんなことは、できるけど、私の病院を見舞うことは出来ないわけで、そのときの私は、せめて、歌舞伎を見ている時間、母だけでも、病院に顔を出すことはできないものだろうか、この母は、どこまでも、娘の気持ちは、踏みにじっていいんだなぁと、病院の窓から、病院前のバス停に次々とくるバスから、降りてくるはずのない母の姿が無いものかなぁと、上京してきている期間、見ていた。 私が、出産したときも、1週間でいいから、退院後、実家に新生児の宝良と私の2人だけ、お世話にならせてくれないかとお願いしたときも、おばちゃんに負担がかかるから? という配慮なのか、迷惑になるから無理と、拒否。 その後も、何の時だったか、遅くなって、疲れていて、実家にいたとき、今日、このまま宝良と二人で泊まらせてもらえないかと、頼んだときも、「ねぇ、おばちゃん、どう思う?だめやなぁ、実家に泊まるなんて、そんな甘えただらしないこと、許してたら駄目やな。うん、やっぱり駄目や」と、拒否。 例えば、お正月とかも、わざわざ電話がかかってくる。「(兄の家族が)いついつ来るそうだから、その日は来ないでね」って。 兄のところは、小学校5年4年と保育所に行っている1歳だか2歳だかの男の子の3人の孫がいる。 私の中では、普通、兄弟が子どもと一緒に実家に来るなら、「宝良も一緒に遊ばせにおいで」という発想をして、そういう電話をしてくるのがおばあちゃんというものでは無いかと思うのだが、多分、母の中では、子どもが多すぎるとおばちゃんが疲れるから、あなたの家族は遠慮しなさいというおばちゃんへの配慮が先で、私が、宝良に対して、50歳の夫と40歳の私の間に生まれた一人息子で、糖尿病の管理が悪くて、その血糖管理と不妊治療との大変さで、二人目を産むことを断念していて、人生の中で比較的早い時期に、両親が他界する確率が高く、兄弟も居ない人生になるため、周囲とのつながりをもって、育てたいと強く意識しているにもかかわらず、いとこたちのと接触の場を持つ機会になることに、協力しようとは考えず、お宅は来るのを遠慮してという電話をかけてくる。その結果、5歳の今になっても、宝良は、兄のところのいとこたちとほとんど接触がなく、ほぼ、いっしょに遊んだことはない。 それでも、母は、いとこたちが来るときは、宝良は遠慮してと電話をしてくる。 決して、憎まれているとか疎まれているという訳ではないと思う。 母は自分を大切に出来ない人で、その母が、娘である私を、かなり、自分と一体化して認識しているからこそ、私の気持ちも、ないがしろにしていいと思うのだと、私なりに分析しているのだけど。 たかが、カレーの温度から、今書いたような、常々、思っていること、引きずっている悲しい思い出、などが芋づる式にずりずり出てきて、ここ数日、悲しい気分に覆われることが続いたわけ。 きっと、人は変わらない。母は死ぬまでずっと、私の気持ちを抱きしめることは出来ないし、私は、言いたい放題の姑や兄嫁にも、あーあ、と思いつつも、母が、私を子どもの頃から奴隷のように躾けてきたように、自分のまっとうな感情を、そのままぶつけて対峙することをしないのだろうと思う。 私は、母が好きだ。そして、母も私も、姑も兄嫁も、誰もみな、完璧な人間ではない。たd、どんな人よりも、母は今でも、私を悲しくさせる影響力を持つだけだ。 仕方がないことだ。感情は、こうやって、自分で吐き出して、処理して、子どもじゃないんだから、また、自分の人生は、自分で責任を持って、楽しくしていくのだと、思考を切り替えて行こうと思う。
2011.01.16
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☆ たからくんに、出来てきました、おニューの眼鏡。 お友だちの中で、かけることを嫌がらなければいいな。 祈、\(^O^)/
2011.01.11
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☆ 夫の仕事は4日から。 私の短大は6日から始まっていて、 宝良も幼稚園の預かり保育に行く予定でしたが、 年末に溶連菌になった後の尿検査とか、眼科とか、色々と宝良の通院予約が重なって、預かり保育はキャンセル。 というわけで、 明日、1/11火曜日が、宝良の幼稚園3学期スタートです。 夜中まで、あれこれ雑用をしていて、 あっ、明日の幼稚園登園荷物、準備してないわ! と、お便り帳に眼鏡のことを書いたりしていたの。 で、上靴やカラー帽子など用意していたら、 ぎょえー?! スモックだけ洗濯モレしていたこてが判明。 (*_*) 宝良の幼稚園では、このスモックを、昼食時のエプロン代わりにも使うので、 ケチャップ系のシミまである。 ショック。orz そこから慌てて、漬け置き手洗いなどして、深夜3時過ぎから乾燥機をナイトモードで回しています。 夜中にモーター音がうるさくて、階下からクレーム来ないかな。 ドキドキ。 あー。 本当に休みボケしてるわ。反省m(__)m 今日の写真は、段ボール工作。 先日、デパートの催事場で段ボール工作のイベントがあり、 宝良君は、朝一番の10:00から、中休み入れて、18:30頃まで作って楽しんでいました。 ウサギ、ハムスター、象、キリン、ライオン、トラック1台に、電車5輛です。 宝良には楽しかったようです。 帰るときに、満足そうに記念写真撮りました。 持ち帰えってから、置き場所に困っていますが。 (笑)
2011.01.10
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☆ 今日、たから君の眼鏡を作りに行きました。 いやぁ、こんな展開になるとは思ってませんでしたがね。 いつだったか、幼稚園で寝ぼけて目をこすった宝良が、目が痛いと急に激泣きしたので、あまりの泣き方に、幼稚園から、出来れば眼科へ連れて行って、どうだったか知らせて欲しいと言われた。 それで、泣きやんでいたけれど、一応眼科へ行くことへ。 眼科では、こすったことで目に傷が付いていることが分かり、目薬をもらう。でも、その目薬では傷がなかなか治らなかったので、目薬の種類を変えて、再度受診。目の傷は落ち着いて、念のため視力検査をしておこうということになり、視力検査をしたら、「あれ?」ってことになり、もしかして、遠視により弱視になってしまうかも? と、総合病院への紹介状が出されることに。 我が家は、夫が加齢性の網膜剥離で、今回の同じ開業医さんからその総合病院へ紹介で入院し、数年間隔で3回、両目とも手術をしています。なので、たから君、総合病院の眼科の待合室で、何だか挙動不審だと思ったら、「僕も、お泊まりするの? (入院するの?)」と。 (笑)開業医から総合病院へ回されると、それは入院ってことかと思ったらしい。それは、それは、心配したね。総合病院でも、外来だけで帰る人がほとんどなんだよ、と教えると、ホッとしていました。 でも、ま、散瞳して調べたけれど、他の病気が原因ではなく、左目正常、右目遠視で、このまま放っておくと、弱視になるので、弱視矯正外来へ通って、訓練するということとなりました。 私、子どもを預かる仕事ですから、訓練のために、眼鏡をかける必要のあるお子さんに何人かは接したことがありますが、実際に、遠視と弱視の関係とか、そもそも弱視ってどういうことか、とか、矯正訓練のための眼鏡ってどういう意味かとか、などなど、詳しい内容は分かっていませんでした。 今回、我が子が当事者として通院訓練することとなり、説明を受けて、おお、そういうことか…とやっと納得。 赤ちゃんは、生まれたとき30cmくらい先しか見えないので、ちょうど授乳時にお母さんの顔が見えると習ってきたけれど、それが、自然な遠視状態。そこから、だんだんちょうど網膜で焦点が結べるようになって、3歳から5歳くらいで、網膜で像を結んでそれが脳へ伝達されて、脳内で処理される一番の発達時期になるんだそうです。 なので、3歳児健診で視力検査があって、その進み具合に問題があると、対処できるように指導があるらしい。うちは、3歳児健診の時期はそれほど問題視されなかったけど、現在、左目は正常、右目だけ弱い遠視だと今回発見された訳で、6歳前というぎりぎりの時期でした。5歳までが黄金期なので、弱視矯正訓練としてはちょっと遅めの訓練開始。 さて、弱視って何?と思ったら、私のようなド近眼でも、その視力にあわせた眼鏡(レンズ)を使ってやることで、光の屈折率を変えてやると、必要なものが見える(矯正視力では、ものが見られる)けれど、弱視になると、網膜から脳への伝達が弱くて、脳内で処理されるのがうまく像を結べないことに問題があるので、いくらレンズで屈折率を変えてやっても、見えるようにならない。(視力が出ない)ということだそう。 おおーーー、そうだったのか。道具(眼鏡)を使えば、日常生活にそれほど不便を生じないなら、気持ちの持ちようでなんとでもなるけれど、道具(眼鏡)を使っても視力が出ず、日常生活に必要な視力が出なければ、例えば、大人になっても、車の運転免許が取れないかもしれないなど、結構な不便と付き合っていかなければならなくなるかもしれないってことなんだね。と、初めて理解した私。 というわけで、取り急ぎ、正しい位置(網膜上)で像が結べて、脳へ伝達される体験をいっぱいすることで、脳内で正しい処理をして、像が認識できるようにすべく、左目は単なる硝子状態で、右目は遠視(乱視あり)用のレンズを入れ、網膜上でちょうど像が結べるようにする、矯正用の眼鏡を作ることに。急いでオーダーしに行きましたが、できあがるまで1週間はかかるらしい。 まずは、眼鏡をかけた生活に慣れることを目標とする1ヶ月を過ごすようにとのこと。寝る時間とお風呂にはいるときくらいだけ、眼鏡を外すのみで、あとはずっとかけて過ごすことが、今は一番の矯正訓練になるそうです。(あと、我が家の場合は、週に一度のスイミングの時間かな。) 眼鏡をかけると、初めは慣れないため、一時的に一旦更に視力は落ちるのだそうで、そうすると、またレンズを変えるそう。そして、視力が出始めると、またレンズを変えるとか。 そうこうして、次の段階では、アイパッチを着けて、遠視の右目だけでの訓練が始まるということでした。 とにかく、定期的に、総合病院の眼科にある、「弱視矯正外来」での訓練に通うことになりました。ちょっと遅めの発覚だったとは言え、全く手遅れで、ずっと視力が出ない時期での発覚ではなく、まだ何とか矯正外来に通う価値のある時期に、分かったのは、ありがたかったなぁ。感謝、感謝。 あのとき、寝ぼけて目をこすって泣かなければ、そして、それをかなり心配して、幼稚園の先生から眼科へ連れて行って報告して欲しいと言われていなければ、泣きやんで子どもが「もう平気」というと、多分、私は眼科へ連れて行っていなかったと思う。ありがたかったこと。 私たち夫婦がともに受診している病院での眼科であること。私たち夫婦がともに、朝から晩までずっと眼鏡をかけていること。などがあり、宝良も、眼鏡にそれほど抵抗は無いみたい。いつも、夫や私の眼鏡を買ったり直したりで行ったことがある眼鏡屋さんで、今日は自分の眼鏡を選ぶことになり、本人が一番気に入った眼鏡を選ばせました。 現在、紫色が好きな宝良君。ちょっとピンクっぽい明るい紫のフレームで、サイドの部分には、太陽や星など、宇宙空間がセルロイドに描かれている眼鏡を選びました。結構、派手な眼鏡です。すっきりシンプルなクールな眼鏡というのでもなく、ドラえもんとかハム太郎とかのキャラクターもの眼鏡でもなく、ふーーーん、そういうのが好きなのかぁと、意外な気がした母。実は、母(私)の好みに近い。若い頃は、ケンゾウとかの、派手な色の眼鏡をかけていたこともある私。(大学が日芸だったので、クールな美術系の友人には、「蝶の鱗粉みたいな眼鏡」とセンスの無さ?を笑われたことがある。)とか、ニットなんかだと、やっぱ、ミッソーニが好きだったり。お財布とか小物とかは、ポールスミスが好きだったり。 子ども用眼鏡なので、サイズが合わないけど、母の好みな眼鏡で、宝良に「いいなぁ、それ」とうらやましそうに言う私に、夫が、私の好きそうなフレームのコーナーで、自分の好きなのも買えば…という。(笑)でもねぇ、眼鏡も服もバッグも、もう、面倒くさいのよね、新しい奴。慣れたのが一番なのよね。例えば、お財布なんかも、多少のマイナーチェンジはあっても、基本同じタイプの同じポールスミスのものを、多分3代か4代使い続けている私。同じ位置に同じものを入れたいの。だって、面倒なんだもの。ああ、どっぷり、おばちゃん(おじちゃん?)な私。話題、それましたね。私がおっちゃんなことは、みんな知ってるどうでもいい話やし。 と、まぁ、そうやって、宝良の気分を盛り上げつつ。1月12日以降に撮した宝良写真は、眼鏡君になる予定。(^_^)v 私自身も、弱視の矯正訓練のための眼鏡ってこと、それほどちゃんと理解していたわけではないので、多くの人は、分かっていないと思う。説明が面倒なので、「ゲームのしすぎで、あはは」と言うか、「勉強のしすぎで、あはは」と笑うか。どうしようかな、と思ったけれど、いや、これから、幼稚園も、年長さんでしょ。マジで、お受験考える家庭もでてくる時期なので、シャレがシャレで通じなくて、妙な誤解を生むのも困るということになり、(うちは、地元の公立小学校へ行く予定なので)やっぱり、多分理解はされないだろうけれど、「右目遠視で、左右差が大きすぎるから、弱視にならないよう、矯正訓練眼鏡をかけることになったの」と、ちょっと長い説明をしようかということで、落ち着きました。 おしまい。(笑)(^_^;) (^o^) (*^_^*) (^^)/
2011.01.04
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☆ お正月休みだから、帰省してきている人もいる時期。1月2日に、中学校、卒業30周年で、大々的に同窓会がありました。16時からホテルで始まって、会費7000円払ったのに、食事もほとんど手をつけず、ウーロン茶を何杯もおかわりして、ずっと、みんなと話していました。集合写真を撮った後、みんなで校歌を歌ったけど、さすが、合唱部だった私。歌詞カードを見たら、しっかり2番まで歌えてしまった。(笑)その後、2次会、3次会と行って、気づけばシンデレラの時間(深夜0時)を過ぎていまして、あらあら、と帰宅することに。本当に、久々に夜遊び状態でした。2次会でも、3次会でもほとんど食べず、喋ってばかり。1次会では、懐かしいねと思い出話がメインで、あの先生にはぼろくそに叱られたよねとか。わっはっは。2次会では、今何してるの的な話で。3次会では、深い話に30年前ではなく現在の友の姿に心から感じ入ったりした。ああ、懐かしかった! 1学年600名以上の卒業生なので、どれだけ集まるのか、知っている人が来ているのかな…と思いつつ出席したのだけど、1次会では、多分150~200名程度の出席者?の中でも、名前とクラスと顔と声と仕草で、結構思い出すもので、実に実に、懐かしかった。 何というか、大人になって出会った人とは、それなりに、どう見えるかなんて考えながら、行動をセーブしてつきあうけれど、中学の同窓生(その内の何割かは、小学校からの同窓生)は、バカ丸出しの子ども時代を知っている、その印象のままで、今日タイムスリップして30年をすっ飛ばして顔を合わせるので、あのときの頃のように、魔法にかかったような、振る舞いをする自分に驚いた。相手も私をそういう人として疑いもなく接してくれる。本当に、不思議な時間だった。自分でもびっくり。ああ、そういえば、中学時代の私って、みんなから見れば、そういう印象の人だったっけ?そして、こんなマイペースな振る舞いをして誰も意外に思わないほど、こんなにやりたい放題で毎日を過ごしていたっけ?って。もう忘れていた自分を、不思議な感覚で思い出したというか。 それにしても。みんな、いろいろあったんだと思う。それぞれに苦労していて、でも、いい顔をして。本当に、みんな頑張って居るなぁ。この年齢だもの。抱える悩みもしんどさも、みんないろいろあるよ。だけど、その上で、前を向いて顔上げて笑っていて、頑張っていて、自分も含め、みんなひっくるめて愛しい。みんなまとめて抱きしめたい気分でした。 そして、中学生の時って、学業成績とか、部活の活躍とか、ある程度、社会常識がラインを引いた基準で、人を優秀だとか認めやすいけれど、大人になって、この年になって、改めて出会うと、人としての賢さがよく分かる。なんて、聡明に生きているのかと、すばらしい母であり妻でありその人個人である姿を、まぶしいように見上げたよ。 私も、私なりに頑張って毎日を過ごしてきたつもりだけど、そして、それは私なりに、本当に自分のやれる範囲で精一杯やってきたと言えるけど、でも、私の頑張りなんて、まだまだだなぁ。この年齢になれば、みんなそれぞれに、頑張っているんだなぁ。みんな、偉いよな。 同窓会。シンデレラのお城での時間のように、本当、魔法のような時間でした。 準備してくれた皆さん、心からありがとうございました。
2011.01.03
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2011.01.02
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