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☆ 一番痛い時期が過ぎて、でも疲れが溜まってきて、あーもーっ的な気分になる。 旦那も忙しい時期なのに、最低限の子どもの世話とかしてくれて、疲れている。 みんな、機嫌が悪い。 こういうときは、 探偵ナイトスクープとか、きみまろ漫談とか、 笑いが必要かもしれない。 家族みんなで笑うために。 今日の写真は、 宝良がお菓子を砂糖レモン水でくっ付けて作った家。 煙突も鳥小屋も猫の家も作ったのに、持ち歩いていて壊れたそうで、ご機嫌斜め。 もう食べようと言うと、まだ踏ん切りがつかないそうで、暫く置いておくらしい。 おかげで、部屋に入ると、ぷあーっと甘いお菓子の香りがするわ。
2012.01.27
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☆ 私、左手は骨折ではなかったです。よかった。 亜脱臼とかで、むっちゃ痛かったけど、先生が引っ張って、ぐじぐじぐじっと肘の関節を入れてくれました。 でも、3週間くらいは簡易ギブスみたいなので固定して首から三角巾で吊っていて、通院も、暫くは毎日と言うことで、家事などなーんにも出来ないことには変わり無く、しばらく困ったちゃんです。 正直、トイレでズボンを上げるのにも悪戦苦闘です。 ギブスもどきが外れるまでのこれからの3週間で、更に家が悲惨なことになっているかも知れませんが、 何とか最小限の被害で食い止められるよう頑張ってみます。
2012.01.23
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☆ 右手親指の骨折も治らないうちに、 また転びました。 昨日の土曜日はとても大事な仕事で宝良くん放置だったので、今日はたまたまスケートリンクの近くに出向いたついでに、 宝良にスケートを体験だけさせて上げようと、 立ち寄りました。 元々上手でもなかった上に、小学生の頃以来、30数年ぶりで、リンク周囲の手摺り磨きの私。 さあ帰ろうというときに、派手にすっ転びました。 立ち上がりながら、頭の中に妙に大きくはっきりと「年寄りの冷や水」という言葉が。 それからずっと、左肩から違和感があり、左手の肘から先が痛くて力が入らない。 右手親指と左手全部使えないと、着替えもトイレも家事も、困ります。 もう、呆れて情けなく、泣き笑いですわ。 あーあ。 今日は日曜で、転んだのが夕方だったので、 今晩は我慢して、 明日(午前中はどうしてもやらないといけない仕事なので、一丁頑張って………、取り敢えずパソコン仕事の日で助かった! マウスもキーボードも、最悪、右手の人差し指だけ使えれば、パソコンは使えるものね。スッゴク非効率だけど。) 午後から、宝良が幼稚園から帰るまでに、急いで整形外科に行って来ます。 お願い、骨折はしていませんように。 もう、10本の指のうち、右手親指以外の4本だけしか使えないって、どうよ。 ( ̄□ ̄;) 今から、汚ちゃないけど、今日着ている服のまま寝ます。 明日朝、服着られなかったら、仕事に行けないものね。 あー、頑張れあたし! 今日の写真は、宝良のLaQ 「薔薇」です。
2012.01.22
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☆ 実は、今日まで、そうは言っても小学校を決めかねていたの。 というのは、校区の市立小学校へ行くと、場合によっては、通級支援が受けられるかもしれないが、国立の附属小学校へ行くと、通級での支援は(市の教育委員会の管轄なので)受けられないと、教育委員会の就学相談で聞かされたので、附属小学校へ進んで、授業が楽しくて、薬を使わなくて済むかもしれず、似たようなタイプのお友達が見つかりやすいかもしれない利点と、でも、中学年、高学年と思春期に近づいていくとき、クラス以外に、ずっと自分を見守ってきてくれた通級の先生という居場所が与えられないというデメリットを引き受けるか………。校区の公立小学校へ進んで、授業中では集中できにくく、薬が必要になるかもしれないが、もしかしたら、通級支援が受けられるかもしれないという安全を確保するか………。 その2つを比べて、附属小学校か、校区の公立小学校かを選択することにしていた。 年末の段階で、附属小学校は、取り敢えずまず、面接で伝えてみてその結果で考えよう、公立は、通級支援をしている学校へ、幼稚園から見学の依頼を出して、どのような支援を受けられる可能性があるのか、しっかり検討しよう、と、幼稚園の担任の先生と懇談で方針を決めてたの。 順番的に、受験の前に、通級の見学が出来ていれば良かったんだけど、タイミング的今日、私とたからと幼稚園の担任の先生、3人で、通級の見学ができました。 通級教室、すごく良かったです。 マンツーマンで、授業一コマ分。 まず、本来のクラスで今やっている授業内容の要点を押さえる。(なるほど、毎週その授業分を通級で抜けても、困らないようになってるんだ)次に、その子の特徴に合わせてケアをする。(今日見学させていただいた子の場合は、聴いて理解する練習だった)そして、その後、SST(ソーシャルスキルトレーニング)。 こんなケアをうけられるなら、本当にありがたいと思う。うちの子は、悪気はなくても周囲から孤立してしまう恐れがある。IQは高めでも、人の中で暮らしていく能力は低い。どちらも大切なんだけど、でも、比較すると、我が家の場合、お勉強などのしやすい環境 < ソーシャルスキルが身につく環境という重要視比率。 成人式あたりの新聞記事に、大阪に帰省していた大学生が酔っぱらって、注意された駅員さんに、「俺は東大生だぞ、お前たちとは格が違うんだ」と暴言を吐いて殴ったとう、あーあ、お勉強は出来ても人としては大ーーーーバカって、ケッて話があったけど、東大さんとうちの息子を一緒にするのは、失礼だと思うけど、おばかポイントは共通してるわけで、こういうところを、どうケアしていくか、人の中で、社会恐怖にならず、孤立せず、生きていけるために、とても大事なこと。 でもね、結論として、このありがたいケアは、校区の小学校へ行っても、うちの息子の場合、定員枠が小さくて、優先順位から考えて、この通級支援の対象には、なりにくいという結論。(ほぼならないだろうという雰囲気)残念。見学した通級支援の教室が、本当に良かっただけに、残念。残念でした。 という訳で、通級の支援はまず枠に入れない、自分の学校内での支援も、校区の方が支援が厚いと考えられているけれど、支援対象児も多いので、附属小学校以上に特に支援が受けられるという訳ではないと知り、それなら、薬が必要ないほど、楽しんで授業などに集中できるかもしれない環境であるらしい附属小学校へ行くことに決めようと、夫婦で話し合いました。 もうこれで、本当にこの件は終わりにします。迷うだけ迷いました。出来る限り足を運び、相談し、見学し、調べた結果の決心です。 ふーーーー。 それにしても、附属小学校に行くことに決めたら、通級でのSSTは受けられないので、今日、通級の先生方に教えていただいた、地元の大学の先生方がやってくださっているSSTの講座に申し込めるように、これからは、そういう社会資源を探していくことが、次の私の仕事だということが分かったよ。 ふーーー。もう、次の対応に歩みを進めようと思います。 (^_^;)
2012.01.18
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2012.01.16
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☆ 小学校受験、終わりました。 田舎なので、受験して入る小学校は一つしか無く、その国立附属を、エリート校として追い求める保護者も多く、親が恐ろしいから辞めておけと、どれ程周囲からアドバイスをもらったことか。 IQが、3月にK-ABCで145、9月に田中ビネーで142で、中座離席聞き返しなどの無い加配は付かない程度のADHDの診断。 「授業進度のゆっくりした校区の公立小学校では、退屈した結果ADHDが大きく出てトラブルになるだろうから、薬を処方して対応しましょう。 でも、授業進度が早く、発展問題や研究授業が多い附属小学校なら、面白がって集中できるだろうから、薬も必要なく、本人にとって楽しい学校生活が送れると思われるので、附属小学校受験を強く勧めます。 校区の公立小学校へ行くなら、薬処方は必須です。」 年長初めにそう診断されてから、一年間、本当に思い煩う日々でした。 しかし、附属小学校は、小学校に入って後、発達障害が見付かった子はいても、受験前に既に診断がついている子の合格実績は無いと聞き、どうしていいのか判断が付きかねて、校区の公立小学校の校長先生から勧められた、教育委員会の就学相談を受けました。 附属小学校は、文科省の定める教育指導要領に従って行う教育の他に、教員の養成と、新しい教育方法の研究と言う使命があるため、発達障害の子のケアには、加配を付けるなどの力を割けないので、校区の公立小学校などの特別支援事業が担っている部分として、事前に診断のついている子の合格実績が無いのだと説明を受けました。 その上で、教育委員会で3人の先生方が3時間以上、息子の様子を見た後、ADHDと言われても、分からないくらいで特にそれほどは問題が無く、逆に、IQや観察した様子から、附属小学校には、イキイキとできる場面が多々あるだろうから、受験してみてはどうか、との教育委員会での就学相談での結論でした。 「但し、合格することが第一目的ではなく、入学後、幸せな充実した学校生活を送ることが第一なのだから、入試の際の面接で、ADHDの診断がついていることを事前に話して置いて、学校側の判断を仰いでおいた方が良いのではないか。黙って合格した後、後出しじゃんけんみたいに言い出すのではない方が良い。学校や先生方と親の信頼関係が、入学後大事だと思うから。」と教育委員会でご助言をいただき、私も激しく同意!!そうだ、そうすればいいんだ、と、受験してみる決心がついたのでした。 受験当日、集団行動での行動観察、体操、折り紙やペーパーテストの後に、親子面接がありました。 トータル三時間半の最後に面接! 集中力も切れ、途中から足で机を押してカタンカタンと音を立て始めるたから~~。(;^_^Aご丁寧にも、ADHD実演付きで、「発達障害(ADHD)の診断がついています」と自己申告する私。これまでの経緯、受診先、などなど伝えると、「ADHDには見えませんが、一連の試験で見させていただいて判断しますので、大丈夫ですよ」と面接の先生。まっ、大人の会話よね、と思いつつ、横でマックスぐにゃぐにゃな宝良の実演付きだし、合格は無いなっ! と思っていた私。「授業内容では、他の学校よりもかなり充実していると自負していますから、満足してもらえると思います。ご縁があったら、ぜひ楽しみましょうね。」とアピールされながら、いやいや、ご縁は無いでしょうと思っていたのです。 保護者が怖い、絶対やめておいた方が良いと、何人もの親しい人たちから親身になって「附属小学校へ行かせて大失敗だった。後悔している」と言う話を聞いていて、戦々恐々腰が退けまくっているのに、なのに、発達障害の支援センターからは、かなり強く附属小学校を勧められると言う日々で、正直、もう考えても考えても、どう判断して良いのか分からなくなっていたのだけど、教育委員会での就学相談と、このかなり悲惨な面接から、まず合格は無いだろうけれど、もし、この面接でも尚、うちの子に合格を出すのなら、それなら、附属小学校に行ってみてもいいのかも。と、受験当日の夜、夫婦で話し合いました。 でも、ま、あの面接の様子からも、発達障害の診断が事前についていて合格した前例が無いことからも、面接で話した上での合格は無いだろうと思っていた夜中、NHKで白熱教室をやっていて、途中の「幸せな人とは、欲しいものが全て手に入る人ではなく、手に入ったものを欲しいと思う人だ」 という言葉が妙に心に響いて、なんだか、やっと穏やかな気持ちになれたのでした。 そうだなぁ。附属へ行っても校区の公立に行っても、そのご縁の中で、ありがたいこと、楽しめることが、それぞれにきっと見つけられるはず。年始のおみくじのように、「焦らず、何事も運に任せ思い煩うな」で良いと、心が落ち着いたのでした。 でも、まっ、あの面接の後でしたから、(そもそも前日の試験で不合格だと、足切りされていて、抽選箱に初めから番号が入ってないシステムなので)まず受かってないだろうと思って、気楽に、翌日の抽選に行ったら、合格していて、びっくり。 あまりにも半信半疑で、番号を聞き間違えたか、見間違えているかも、と、一応、家族や子どもには、「受かってたみたい、だけど、………。」とは伝えたものの、5日後の本日渡された書類の中に、名前入りの入学予定者証明書というのがあって、やっと、聞き間違い見間違いではないらしいと思った次第。 ラッキーなことに、宝良は三時間半に及ぶ試験の最後が面接で、意図的でなく、素で集中力が切れて、面接の場で、机をカタンカタン鳴らして、ありのままのADHDぶりを出してくれた。 宝良は、親孝行な子どもだなぁと、つくづく思うわ。 私からの自己申告を聞いた上でも、宝良のありのままの状態を見ずに出た合格だったら、まだ私たち夫婦は、宝良を通わせることに不安があって、踏ん切りがつかなかったと思う。でも、宝良が面接の場で等身大だったから。その上での合格だったから、やっと行かせてみようか、という気持ちになれたよ。宝良、いつも未熟な母を助けてくれて、ありがとうね。
2012.01.13
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☆ 年末、冬の祭りに幼稚園から鼓隊で参加した際、 日清とバンダイがコラボしている、カップヌードル発売40周年記念「カップガンプラ」とカップヌードルをいただいていました。 今日、その在庫に気付いた宝良が一人で製作にチャレンジ。 「対象年齢8歳以上、組立て簡単」とあり、初詣で数え年のルールを知り「数えで八歳」を自負する宝良は、意気込んで取り組み、 設計図を見ながら一人で作ってしまいました。 そうか、対象年齢8歳程度の簡単なプラモデルなら、もう作れるようになっていたんだなぁ。 LaQのブームは短いかも。多分、すぐプラモデルにはまりそうな予感がしている母でありました。
2012.01.12
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☆ 年末にすっ転んでしまった私。 痛かったのよ。 掛け布団を首まで引き上げようとして、アギャーッ!と目が覚める。 包丁持てない。 ペンが持てず、年賀状に一言書き添えられない。 とかとか。 でも、何とか我慢して過ごしていたけど、 早、半月。 さっき、整形外科行って来ました。 整形外科行ってよかったです。 痛かったのは気のせいではなかったみたいで、骨折でした。 普通、すぐに固定して処置するところらしいのですが、 年末年始でばたばたして半月放置してしまったので、悲惨なことになってしまうことが多いけど、 たまたまラッキーなことに、ちゃんとよく関節も動くようになっているそうです。 今、自力で三分の一くらい治って来ているので、 ちょっと曲がってしまったのはそのままになりそうですが、後1ヶ月くらいすると完治しそうです。 それまでは、やはり、なるべく動かさない方が良いみたいです。 ホント、病院行ってよかったです。 はぁ(;^_^A
2012.01.11
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2012.01.10
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☆奥のみかんが通常の色。普通のみかんよりもオレンジ色が濃くて、朱色。稀に、普通のみかんの色が交ざって出ることがあるのだけど、その時の色の出方が、人が意図的に塗ったかと思うくらい直線的だと、新聞のトピックスにあった。そしたら、今回買ったみかんの中にひとつ、色混じりのもの発見。宝良が面白がって、もったいないから食べないという。そのまま腐らせてしまったら、もっともったいないと思うので、写真で残すことで、決着。\(^O^)/
2012.01.09
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☆ 宝良の折り紙 折り紙上手なお姉ちゃんのお母さんと一緒に作ったそうです。
2012.01.08
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2012.01.02
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☆ 明けましておめでとうございます。 本当に少しずつの歩みだけど、心の重い一年を過ごして、 実はお正月が来た感じが全くしないままです。 宝良をおなかに授かったお正月から我が家の恒例になった元旦初詣、 大晦日の夜遅くに家を出て、午前4時過ぎに帰宅。 9時過ぎまで寝て、 新しい年の朝は、初詣で水溜まりを踏んで新しい靴をぐちょぐちょにしてしまい、宝良がへこんでいたので、その靴洗いからスタートしました。 夫と宝良が昼過ぎに起きて、おせちとお雑煮。 お年玉と年賀状。 夕方、実家へ顔を出す頃には、疲れと眠さのピークに。 なかなか体力的に夜行初詣もしんどく難しいです。 宝良が引いたおみくじは中吉で、「流れに逆らわず焦らす思い煩うな」と言うようなことが書いてあり、宝良より私の心に留めておくのに良い啓示でした。 今年も出来るだけ頑張って暮らして行こうと思います。 今年もよろしくお願いします。 (^-^)
2012.01.01
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